ワーカーズ411号 2010/3/1
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民意を裏切る民主党政権
自民の巻き返し許さず、労働者・民衆の要求を毅然と突きつけよう!
民主党政権が支持率低下に見舞われている。党首の鳩山と幹事長の小沢がともに「政治とカネ」の問題で国民からひんしゅくを買い、肝心のマニュフエストも大幅修正なのだから当然だ。
小沢を窮地に陥れている「カネ」の問題は、検察の横暴だ、自民とそれに同調する勢力の陰謀だ、との見方も一部にある。権力への返り咲きをねらう自民や官僚たち、それに米国の意図も絡んでいるのだとささやかれている。
しかし、こうした見方は皮相に過ぎると言わなければならない。小沢のカネの問題で、国民世論が自民党に復帰するなどということは起こりそうにない。なぜなら、小沢はまさに「自民党的体質」ゆえに批判を受けているからだ。また、小沢のカネ問題は、民主党にとってピンチばかりを意味しているのではなく、新たな再生と国民の支持の取り付けのチャンスともなりえるはずだからだ。つまり、大きな痛みを覚悟の上ではあるが、小沢的な要素と決別し、「コンクリートから人へ」の政策に向けた大胆な再出発を果たす意志さえあれば、新たな局面を切り開くまたとない好機となり得るのだ。
しかし、現状を見る限り、今の民主党にはその気概はなさそうだ。散発的な小沢批判は漏れてくるが、選挙を仕切る実力者を傷つけまいとしてか、逆に彼に傷つけられまいとしてか、小沢の首に鈴をつけようという政治家は現れない。だとするならば、民主党全体が、国民から「期待はずれ」「自民党的手法と決別しきれていない」と見なされても仕方なく、この場合国民は賢明な評価を形成しつつあると言うべきなのだ。
先の衆院選が示した「自民党政権NO!」の民意は、まったく正しかったし必然的なものでもあった。国民は、自民党による新自由主義的な競争至上主義、その総括もないまま場当たり的に繰り出されるバラマキ政策、それらの結果もたらされた生活の悪化、暮らしの破壊に対して、「もうゴメンだ!」との意思表示を行ったのだ。そして民主党が掲げたマニュフェストの中の社会保障や福祉の充実策に期待したのだ。
しかし、民主党政権を誕生させた民意と、民主党政権は実際にはどのような政権でありえるのか、という問題は切り離して考えなければならない。政権を評価するときに重要なことは、人々の期待の方向と、その権力の性格・中身は別物であることを厳しく踏まえることだ。
民主党という党は、社民主義やリベラルから保守まで、対外協調主義者からかたくなな国家主義者までを包含する、ヌエ的な政党だ。この政党を、実際の姿以上に美化し、必要以上に擁護する義理を、労働者・民衆は感じない。民主党政権は、厳しく見れば二番目に悪い敵(一番目はもちろん自民党)。好意的に見ても、頼りなく、いつ裏切るか判らない同調者・後援者、以上ではない。我々労働者は、この信頼おけない後援者の裏切りを阻止しつつ、そしてその尻をたたきながら、自らの要求を毅然と貫いていかなければならない。
民主党政権の誕生がもたらした複雑な政治状況を冷静に見据えつつ、労働者・民衆の利益を断固として追求し、社会発展の方向を毅然と歩んでいこう。 (阿部 治正)
静岡空港とJALの「搭乗率保証」問題
静岡空港は昨年6月4日大騒動のすえようやく開港した。静岡県に空港建設が浮上したのは斉藤滋世史・前々知事時代の1986年頃であり、すでに約23年もたっている。
この間、本当に県民に必要な地方空港なのか?ムダな公共事業ではないか?需要予測の国内線106万人は本当なのか?反対地権者に対する土地の強制収用は知事の「確約書」違反との声、県行政のミスで航空機発着空域に障害物「立ち木」(179本)が残り3月開港予定が延期される等々、全国的に「不名誉な」な話題をふりまいた静岡空港である。
開港に向けて県当局は、「湯水のように」県税を使い必死の宣伝活動をした。開港直前の5月23日〜24日に開かれた一般向け内覧会には初日だけでも8千人が訪れ大混雑。開港後も空港見学者が次々に訪れ空港ターミナルは人で大混雑していた。
だが今はその大混雑もウソのように、発着便が集中する時間を除けばひっそりとしている。当然である、開港時に空港ターミナルに押しかけた人は、「乗客」ではなく空港の「見学者」だったのだから。
開港から1年近くになり、今また県内を揺るがしているのがJAL便の「搭乗率保証」問題である。これは静岡空港の需要予測の欺瞞を象徴する問題として浮上している。
開港前の需要予測は、国内線は札幌便5便・福岡便4便・鹿児島便3便・那覇便2便との想定で、利用見込みは106万人(うち、札幌便は50万人を予測)。国際線はソウル便や上海便等で32万人、合計138万人と計算した。この需要予測は、当初よりまったく現実離れしたデタラメな数字であるとの批判が続出していた。
結局決定した国内定期路線は、札幌便がJALとANAの2便、福岡便がJALの3便、那覇便がANAの1便で、すべて満席になっても年間座席数は62万人である。そして、この需要予測をおぎなう形で地元企業・鈴与が立ち上げた「フジドリームエアラインズ」(FDA)が小松便2便、熊本便1便、鹿児島便1便を就航させた。
07年11月、定期路線の確保に躍起となっていた前石川知事は、JALとの間で札幌便1便と福岡便3便を就航させる「覚書」を交わした。JALも経営再建を進める中での福岡便3便はあまりにもリスクが大きい。そこで渋るJALに対して前石川知事が提案したのが県の「搭乗率保証」である。
福岡便の年間の目標搭乗率が70%を下回れば、県は不足分の運賃(1席1万5800円)をJALに支払うシステム。1%下回れば3576万円となる。
そして、開港後半年(6月〜11月)の利用者数は国内定期便合計は約22万人、国際線合計8万6千人、合わせて30万6千人程度である。札幌線に至っては約7万人程度で、問題の福岡便の搭乗率は65%であった。搭乗率を5%下回っているので、県はJALに搭乗率保証金約2億円(11月から福岡便は機体を小型化したので、実際金額はもう少し下がる)を支払うという状況になった。
昨年7月に新たに就任した川勝知事は、8月に福岡便の搭乗率保証の見直しをJALに求めたが、JAL側は今年3月までの継続を主張。その後10月、JALは経営再建を理由に静岡空港からの撤退(他の地方空港からも撤退を含めて)を発表。
これに反発した川勝知事は、「静岡空港からの一方的な撤退は民法の信義則違反。搭乗率保証金を白紙にしてもらいたい」と、JALに支払い拒否を宣言し、訴訟も辞さない姿勢を見せた。
さらに川勝知事は、3月末までの期間、JAL福岡便の搭乗率向上をめざした支援策(若者向け格安ツァーや搭乗客へのクオカード進呈、パックツァーへの5千円補助を行い、1万1千人の需要喚起を見込む)のため8千万円もの県税の投入を決定した。
これに対し、ANAは「@公的資金で一社だけを支援するのは不公平、即刻中止を。AJALは3月に撤退するのだから支援を辞退すべき。B公的資金で支援するなら参入企業に等しく行うべきだ」との要望書を県に提出し、「このまま信頼関係が損なわれれば、路線は維持できない」と撤退も視野に入れている。大韓航空、アシアナ航空、中国東方航空の各社も同様な抗議の意を示しており、定期路線すべてにおいて混迷を深めている。
空港建設の当初から混迷を繰り返してきた静岡空港は、開港後もさらにこのような混迷を続けており、県税のムダ使いを重ねている。空港の将来的展望は「視界ゼロ」である。
静岡空港の建設に反対してきた『空港はいらない県民の会』は、開港前には「事業認定取消」や「収用裁決取消」を求める訴訟を起こし闘ってきたが、開港後は「ムダな県税の投入」を問題にして、住民監査請求に取り組んでいる。今回の福岡便の支援策8千万円に対しても、「税金のムダ使いに断固反対する」との立場から搭乗率保証金の支出の差し止め・返還を求める住民監査請求を準備している。
1900億円もの国税・県税を投じて建設した静岡空港であるが、もはや今の日本のデフレ経済状況下ではいくら「バラ色の夢」(県は需要拡大と空港の有効活用を叫ぶが)を追ってみても、毎年毎年10億円以上の赤字を積み重ねていくことは明白である。
ムダなダム建設を中止したように、県民の血税をこれ以上ムダにしないために、次の世代にツケを回さないためにも、「引き返す」勇気を発揮し、この空港のインフラを県民全体のためにいかに活用するかを、冷静に考える時であると思う。(英)
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コラムの窓 冬季五輪・・「祭りの後の寂しさ」に思う
バンクーバー冬季オリンピックも、あっという間に2週間が過ぎた。価値観が多様化した今日、同僚や友人の反応も、「毎日、ビデオに収録し、仕事から帰ると、全部観るんです」という「熱狂派」から、「全然観てないね」という「無関心派」まで、温度差があり様々である。
僕も、どちらかというと、そんなに関心の高い方ではない。ただ、学生時代、北海道に住んでいたことや、一時、スキーにはまっていたことがあるせいか、雪や氷の上での競技は、単にスポーツというだけでなく、遠い北国に旅をしているような、独特の感情をいだかせるのである。勝ち負けもさることながら、あの雪を見ると、今すぐにでも飛んでいきたいと思ってしまうのだ。
スキーに一度行くと、どんな初心者コースでも、雪の上を板ですべる快感にとりつかれ、やめられなくなってしまう。いわゆる「はまった」というやつだ。同じように、テレビの画面で見る選手達の「飛びっぷり」「滑りっぷり」に「はまって」しまう人も多いのではないだろうか。
長野オリンピックの時、モーグルの「コサック」というジャンプ技を観て、子供達が「はまって」しまった。公園のブランコから、足を開いて飛び降りながら「コサックー!」と叫んでいる子供達を見かけた。
僕の職場の同僚女性が、「実は子供の頃、フィギュアをやってたんです」と告白した。もしかしたら、彼女の親も、冬季オリンピックのフィギュアスケートを見て「はまった」くちなのかもしれない。もっとも、彼女自身は「フィギュアって、トレーニングのため、やたら走らされるんです。暑い夏にもハアハア走らされて、苦しい思い出しかないんです。」だそうだ。
僕は今回、たまたま当直室のテレビで、カーリングの日本対イギリス戦を観たのがきっかけで、カーリングに「はまって」しまった。氷の上で、ボーリングとビリヤードを掛け合わせたような、実に不思議なゲーム。刻々変わる氷の表面の状態を読みながら、一瞬の投擲に賭ける神経戦。その魅力に取り憑かれてしまった。
職場でも、ワックスに磨かれた床を見ると、つい何かを滑らせてみたくなる。その辺にあるキャスター付きの椅子を、例のあのポーズで押し出して、滑らせてみた。次に、デッキブラシを持ち出して、床面を擦ってみた。それを見た同僚、「あっ、あれでしょう、わかりましたよ」と大笑い。
リーグの前半は、強豪を相手に競り勝ち、このままいけばメダルも夢じゃないかも、と淡い夢を見るも、後半はスタミナ切れか、ミスが目立ち、終わってみれば、十チーム中、八位で一次リーグ敗退。最終戦を終え、目に涙を浮かべながら、観衆に手を振ってリンクを去っていった選手達の表情が目に焼き付いて、仕事中にも、ふと思い出しては、涙を拭いている今日この頃である。
「祭りの後の寂しさ」を噛み締めながら、選手達は職場に復帰してゆく。地方銀行の広報担当として、美容専門学校の職員として、働きながら、また次の舞台をめざすのだろう。不況の中で、選手の勤務先の確保も年々厳しくなってきているという。
働きながらオリンピックをめざすのは、並大抵の苦労ではない。まず、日常の生活が成り立ち、かつ、練習時間が取れ、試合のための休暇が取れる、そんな勤務先を確保しなければならない。国内の試合に常に勝ち続ければ、「強化選手」としてJOCから補助金ももらえるが、それは勝ち続けての話だ。しかも、補助金だけでは到底足りない。ファンやスポンサーからの寄付金がなければ、練習のためにリンクを借りたり、優秀なコーチを呼んだりする費用や、試合に行く旅費を賄うことはできない。
さらに、オリンピックの舞台を引退してからの「次の人生」をいかに構築していくかが問題になる。メダルを取って注目されれば、その後もCM出演や、スポーツキャスターの声がかかる場合もあるが、それはほんの一握りである。
コーチとして、後進の指導をする道が、最も有意義な道かもしれないが、それだけで食べて行けるほど、スポーツ業界も裕福ではない。
「ふつうの勤労者」に戻れればいいのだろうが、なかなかそうはいかない。元の会社に復帰できたとしても、選手時代の時期は、社員の「職歴形成」としてはブランクであったことを思い知らされる。
ふつうの労働者が、もっと当り前のようにスポーツを楽しみ、「国威発揚」がらみの補助金など当てにしなくても、個人の旅行感覚で国際大会に参加できる社会。華々しい舞台が終わったら、祭りの後の「憑き落とし」をして、当り前のように、ふつうの労働者に戻っていける社会。「メダルだけが人生」にならなくてすむような、成熟したスポーツ社会がくることを僕は夢見る。(誠)
「個人的所有の再建」論争ーーマルクスの所有概念と「共同占有」 連載W
2010.1.30 阿部文明
目 次
@はじめに
A社会的所有と個人的所有の一般的関係
B再建された「個人的所有」
C文法は何故無視されたのか
Dマルクスの所有・占有概念は歴史的な概念である
E「共同占有」は「社会的所有」へ転化する
F田口氏の取得・分配の原理
G農奴制のもとで「労働と生産手段の本源的統一」はあるのか
H労働と切り離された広西氏の「所有」「占有」論
Iその他のマルクス「解釈」をめぐって 〈411号掲載〉
J終わりにーー所有と人間存在
■Iその他のマルクス「解釈」をめぐって
「より高度な経済的社会構成体の立場から見れば、地球に対する個々人の私有は、ちょうど一人の人間のもう一人の人間にたいする私有のように、ばかげたものとして現われるであろう。一つの社会全体でさえも、一つの国でさえも、じつにすべての同時代の社会を一緒にしたものでさえも、土地の所有者ではないのである。それらはただ、土地の占有者であり土地の用益者であるだけであって、それらは、よき家父として、土地を改良して次の世代に伝えなければならないのである。」(『資本論』)
田口氏は次のようにコメントしている。「このように、『生産手段が非所有の特製をもつようになる』ということは、生産手段が占有または占有獲得の特性をもつようになることを意味する。」(『社会主義と共同占有』)。
この文章のどこで「非所有」などと、所有概念を否定することをマルクスは言っているだろうか。また、占有の所有に対する優位性を読み取れるのか。どのようにすれば田口氏のように解釈できるのであろうか。私には理解できない。
マルクスはここで「より高度な経済的社会構成体の立場」つまり「社会的所有」の立場から見た、小土地所有者(私的所有)の狭隘性・歴史的相対性を比喩的に指摘しているのである。
「ここは自分の土地だ」といった小土地所有・私的土地所有は、社会的所有に反映されている労働の社会性・歴史的永続性から見れば、いかに一面的でありおもいあがったものであることが明らかとなる。労働の社会性や永続性を知ることは、われわれの所有の社会性・永続性の承認に導かずにはいないだろう。工業生産物や工業の生産手段ばかりではなく、土地ですらも、実は連綿とした農民の営為の歴史的形成物なのである。それはしたがって「同時代の社会を一緒にしたものでさえ」彼らの所有物とはいえないのであり、言わんや、特定個人が「この土地は俺のものだ」などと言うことは、歴史的現実をなにも理解していないものと言わざるをえない。
だからマルクスは言う。未来の、社会的所有を自然に受け入れている人々、つまり私的所有の観念をすでに忘れてしまった人々の視座からは、私的土地所有はおよそ自分たちの理解しうる「所有」ではありえず、せいぜい個々人の「用益」「利用」「占有」等にすぎないのであると。
1880年「フランス労働党の綱領前文」
「生産階級の解放は、性や人種の差別なしに、全ての人間の解放であること、生産者は生産手段を占有(possession)する場合に初めて、自由であり得ること、」。
田口氏や広西氏やエンゲルスが誤読(誤解)して、「生産手段を占有する場合にひとは自由である」とマルクスを言い換えているが、マルクスは「自由であり得る」と、可能的根拠として「(集団的・共同)占有」を位置づけているのはこの場合も明確である。
田口氏たちが受け入れようとしなかったことは、資本主義社会での「集団的・社会的生産」すなわち「労働者の共同占有」こそが革命の根拠であり、アソシエーション(共産主義)革命の根拠なのであるというマルクスの把握である。そしてこの可能的根拠は、労働者の革命運動によって現実性(個人的所有を再建し社会的所有=社会的取得)へ転化するのだということではないのだろうか。
■J終わりに――所有と人間存在
生産手段の所有の根底に労働があり、労働こそ人間をして人間たらしめたとすれば、生産手段の所有が人間形成に深くかかわってきたことは明確である。
このことを別な形で示すこともできる。奴隷的存在は、人間社会の中にあって生産手段を所有していない(占有ですらない)。家畜と同様である。家畜は人間社会の中で有用な意義を持っているが、だからといって所有主体ではなく所有されるだけである。何物をも所有しない奴隷は家畜であり、商品であり、人間でありながら人間でないところに置かれているのである。
具体的に西ヨーロッパの例を考えてみよう。戦争や売買によって獲得された古代ギリシャやローマなどの典型的な農業奴隷は7、8年で「原価償却」されるという。家畜同様の飼い殺しである。それに対して奴隷から「進化した」コロヌスは土地の所有主体ではなく、土地とともに売買された。しかし、一定の生産用具を持ち、家族を持ち緊縛された土地の耕作を許されている。そののちに現れる農奴はさらに、領主に従属しつつも農業共同体を運営する土地の占有主体として土地の用益権を獲得していった。この個人的私的土地占有が、個人的私的所有へと歴史的に行き着いたことはすでに述べた。
近世・近代に登場した小土地所有者は、はるかに高い自立的精神と、したがって土地に対する強い愛着と労働に対する高い意識・意欲とを発揮していた。所有とはこのように、労働を自己労働として回復することであり、自分自身としての主体の回復でもある。このことによってはじめて人間は人間らしく、自立性と社会性を大いに発揮できるのである。
だから人間は人間でありづけまた人間として成長するためには、生産手段を所有しなければならない。自己労働・自己所有を勝ち取らなければならないのだ。西ヨーロッパの例ばかりではなく、人類史はそのことを語り続けている。
古代ギリシャの場合の共同体的所有と併存した個人的私的所有も、個々人の能力を解放し、政治的・経済的・軍事的・文化的な個々人の高い自覚と精神的高揚を、歴史を超えて鮮やかに示している。だが、この古代社会は個々人の自立と個性の発揮を前例のない高みにまで引き上げたのではあるが、そのためにはすでに見たとおり他の多数の人間を非人間として弾圧し搾取することを不可欠の条件としていた。他方、個別的私的所有の広範な群棲にともなって成立した近代的個人は、その多くが資本主義の経済的包摂が進むにつれて零落した。
近代の労働者階級は、「無産者」として生産手段から切り離され、法的には「無所有」である。しかし他方で労働者は、資本主義的生産様式の中で全生産手段を共同占有(ゲマインベジッツ)している。この共同占有は労働者たちの社会的所有に転化せずにはいない。これがマルクスの基本認識と思われる。
現代の労働者が生産・流通等を自ら管理運営することによって私的所有を揚棄すれば、直接に社会的存在となった個々人は、社会的所有と再建された個人的所有に基づいて自己所有を回復し、再び自由に個人的能力を発揮するであろう。
協力・共同行動の発展という道筋のなかで進化してきた人類にとって、能力としての個人の自立化=個性の発揮は、少しも私的な排他的なものを本来意味しないのである。労働とその相互交換によって形成された人間的本性は、自立的であると同時に社会性をもつ。このような人々の連合からなる社会が、原始的な共産主義と区別されるのは、個々人の解放された能力に応じた個人的所有が確立されるという点にある。
だからこそマルクスは「資本の蓄積過程」の結論として「社会的所有」「生産の社会化」等々ではなく――それらを前提として初めて現れるのだが――「再建された個人的所有」を掲げたと考える。人間性の高い発展のためには,それに対応した高度な個人的所有が必要である。近代的個人が分散的な個人的私的所有を土台として形成されたように、連合生産様式のなかにあたえられた個人的所有は、社会目的となるべき新しい個人形成のための客観的土台なのである。 以上
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読書室 秘密を暴く!
国家機関の秘密であれ、企業や団体の秘密であれ、およそ組織的に行なわれている事実の隠蔽を暴くことは命がけの行為である。現在進行形の日米外交をめぐる密約、かつてこれを暴露した毎日新聞の西山太吉記者は外務省機密漏洩≠フ犯罪者に仕立て上げられた。検察裏金の暴露では、三井環大阪高検公安部長が獄に繋がれた。企業における内部告発者も組織の裏切り者とされ、多くは厳しい人生を歩まなければならなかった。真実の情報が隠蔽され、ウソの情報が流布される、こうした大本営発表%I情報操作は今も生きている。ここでは2点の書籍を紹介し、例外なき情報公開の重要性を訴えたい。
(折口晴夫)
ジェイM・グールド ベンジャミンA・ゴルトマン 共著
「死にいたる虚構‐国家による低線量放射線の隠蔽」
(PKO法「雑則」を広める会・電話0422‐51‐7602・非売品)
閾値という言葉がある。広辞苑を引くと、「ある系に注目する反応をおこさせるとき必要な作用の大きさ・強度の最小値」とある。これを放射線でいうなら、年間の被曝量がここまでなら健康に影響がない量、ということになる。もっぱら原子力発電関連労働者に関わるものだが、こうした数値を掲げないと原発を稼動させることはできない。少なくとも、放射線の閾値は被曝労働を可能ならしめるためにでっち上げられた虚構に過ぎないと断言できる。
原発から放射能が漏れたという報道が、その際必ず「健康に影響はない」という注釈とセットで行なわれる。これも同じ「低線量の放射線は人体に影響を与えない」という公式見解によるものであり、周辺住民の健康はこれによって危機に瀕する。
前置きはこれくらいにして、本題に入ろう。著者たちの問題意識は、放射線量の少ない放射性フォールアウト(放射性降下物)はほとんど害を与えないという公式見解への疑問である。
「今日時点でいえば、フォールアウトや原子炉から出る低線量放射線は人間やその他の生き物に、予想した以上の障害を与えたかもしれないし、民間や軍の原子力施設が稼動し続けるならば、将来の世代に取り返しのつかない害を与えるかも知れない。
この本の主要な結論は、これまで公に議論されなかった低線量放射線の危険性との関連で、過剰死について統計学的に評価したことである。一般の読者にはショックをあたえるかも知れないが、第六章(隠蔽)では政府が一貫して世間に対し、情報を隠す努力を続けていたことが述べられている。
1943年という早い時期から核物理学者が理解していたことは、大気中に撒き散らされた核分裂生成物は食物連鎖の中に入りこみ、人体に摂取された場合、世界中で何百万人もの死を促進することになるであろうと言うことであった」(第一章「概括」)
長い引用になったが、本書の内容はここにほぼ言い尽くされている。第二章の「チェルノブイリのフォールアウト」以下、統計によって明らかになった事実を積み重ね、低線量であっても食物連鎖を経て体内に取り込まれる、内部被曝の重大性を明らかにしている。そして、こうした事態を隠すために行なわれている米国政府等によるデータの改ざんや隠蔽を明らかにしている。
例えば、第四章「サバンナリバーの大惨事」ではこうだ。1988年10月1日、サウスカロライナ州にある政府の核兵器工場での核事故のニュースが報じられたが、事故自体は1970年11月と12月に起きたものである。炉心溶融によって大量の放射能漏れを起こした重大事故が、20年近く秘密にされてきたのである。政府統計によって、事故後の周辺地域のミルクと雨水の放射能が異常に上昇していることが明らかになっている。
そして、「雨水中の放射能レベルの上昇がわかった直後、サウスカロライナ州の乳児死亡率は1971年1月に、前年1月と比べて24%も上昇した」。さらに、5〜9月の5ヶ月間には前年の夏より15%上昇した。「それらの赤ん坊は事故当時、妊娠第一期と第二期にあたっており、妊婦は植物や環境中の高い放射能に被曝した恐れが多分にあり、赤ん坊は夏までにミルクのストロンチウム90に被曝したに違いない」
サバンナリバー事故後、サウスカロライナ州の子どもたちの骨のストロンチウム90のレベルは45倍にも増加した。その結果、1971年以降、政府は人骨でのストロンチウム90の公表を中止した、ということである。実にわかりやすい情報隠蔽である。
これは一例に過ぎない。第五章「スリーマイル島」には次のような記述があるが、どこにでも都合のいい医師や学者がいるものだ。「トクハタ医師は今でも、スリーマイル島原子炉からの放射能漏れで被害にあった人はいないと言っている。しかし、彼の約束した地域での妊娠状況を公表していない。トクハタ医師が不当に公表を遅らせているということをマクレオド医師が公然と告訴したとき、ソーンブルグ知事はトクハタ医師ではなく、マクレオド医師の方に辞職を求めた」
最後に著者たちのメッセージ、第十一章「まだ遅すぎはしない」からの引用を紹介しよう。「核政策の転換は、エネルギー危機を真に克服することのできる知的資源を開放するに違いない。これは核を選択したために長く行なうことができなかった努力の一つである。過去40年間にこの悪魔の技術のために使われた何兆という莫大なドルのほんの一部で、エネルギーの有効活用と、太陽熱やその他の安全なエネルギーを作り出す技術の進歩を実現することができる」
仙波敏郎
「現職警官『裏金』内部告発」(講談社・本体1500円)
著者は元愛媛県警巡査部長。2009年3月末で定年退官したが、本書の発行日は同4月1日となっている。裏金告発の記者会見を開いたのが05年1月だから、それから4年余、県警による迫害に耐え抜き、全国30万人を敵に回して孤高の闘いを続けたのである。正確には内部告発の前史、ニセ領収書拒絶事件から数えれば36年の孤独な闘いということになる。
ちなみに、巡査部長というのは下っ端の役職で、仙波氏はニセ領収書を書くことを拒否し続けたために出世できなかったのである。多分、郵便局(正確には郵便事業会社だが)でいえばそれは年数さえたてば誰でもなる主任≠ノあたるのだろうと思うが、私はそれさえ疎ましくなって返上したため、全くのヒラ≠フまま来年度末の定年を迎えることになる。仙波氏のような強固な意思はないが、その日まで、郵便労働者としての意地だけは捨てないでいたいと思っている。
まず、最初の拒否の場面でのやりとりを紹介しよう。
「これなんですか?」 課長の表情が硬くなった。 「なんですかって、おまえ、捜査費の領収書よ」 「私の名前とは違いますが」 「電話帳から抜いたんや。それでええんじゃが」 「それなら私文書偽造でしょうが」 「なにを言いよんの? みんなが書くもんだろうが」 課長は、まさか私が拒否するとは思っていなかったのだろう。強い口調で「はよ、はよ」と急きたてる。私は椅子に座ったまま、じっと動かずに答えた。 「私は、これは書けません」 しかし課長は、いくら断っても「ええから、はよ書いてくれ」の一点張りである。 押し問答がしばらく続くうち、人が入ってきた。 「あっ、もうええから」 課長はあわてて領収書とメモを引っ込めた。私は、あとも見ずに会計課室を出た。
この通り、ニセ領収書を書かないことなどありえないというのが周囲の反応である。この先、仙波氏は何度もこういう場面に立たされるのであるが、ついにニセ領収書を書くことはなかった。ある時は、「わからん男だのう。きみは将来、幹部になる者だろうが! 組織を運営するには金がいる。おまえは組織を敵にまわすんか!」と署長に怒鳴られ、その言葉通りの扱いを受け続けたのである。
こうした裏金がいつからあったのか。古くは、警察庁のキャリアとして警備公安警察の中枢を歩んだ松橋忠光氏が1984年、著書の「わが罪はつねにわが前にあり」において、57年に赴任した愛知県警備部でこれに直面したと告白している。そして、現在へと続く裏金告発が2003年に始まる。同年7月、高知県警捜査一課で捜査費(国費)の執行に際し、架空の捜査協力者を仕立てて裏金つくりを続けていたと高知新聞が追及キャンペーンを展開した。
翌年2月、元北海道警釧路方面本部長の原田宏二氏が道警の組織的裏金づくりを告発する記者会見を行い、北海道新聞の大キャンペーンへと繋がった。さらに、その年の5月、愛媛県警においても匿名の元県警職員による裏金告発がテレビ愛媛に登場した。しかし、この事件は「ニセ領収書を使った捜査協力者への謝礼の支払いはあったが、これは会計処理上のミスで、使途は適正で私的流用はなかった。また、大洲署以外に不正な事例はない」とされた。
ウソにウソを重ねるとはこのことだが、県議会で追及された粟野祐介県警本部長は、「他人名義の領収書の使用が、許されるという法的根拠はないが、使用してはならないという法的根拠もない」という珍答弁を行なっているのである。結果は、たった17万円の返還でけりをつけられてしまった。この県警の大嘘が、仙波氏に実名での告発へと向かわせた。
仙波氏は検察裏金について次のように指摘している。「検察庁では、情報提供者への謝礼等に使う調査活動費(調活費)が、1998年年度には約5億5000万円あったが、2003年度には7800万円(約7分の1)に減った。これは、大阪高検公安課長だった三井環が、2002年に検察幹部による調活費の不正流用を実名で告発しようとしたことと、けっして無関係ではない」
三井氏の前例があるなかで、記者会見前夜には尾行がつき、これをまくのにカーチェイスが行なわれたと、仙波氏は告白している。この監視は、その後のオンブズマン全国大会での発言や、各地での講演会にも張り付いているということだった。仙波氏の苦闘がどのようなものであったのか、とてもこの紙面では書ききれない。ぜひ本書を手に取り、読んでいただきたい。私はただ、仙波敏郎という人物が何者であるかをもっともよく示す言葉を書きとめることしかできない。
「裏金告発会見後、私の告発に対して『勇気がある』と褒めてくださる人に多く出会った。ありがたいことではあるが、しかし、それは私の思いとは少々違う。評価していただけるのであれば、ただの一度も裏金づくりに手を染めなかったという事実を評価してもらえれば、と思っている」
情報隠しとその暴露、まるで際限のないいたちごっこのようだが、諦めたら負けだ。元毎日新聞記者の西山太吉氏らが行なっている沖縄密約訴訟は4月9日、東京地裁で判決を迎える。結審に際して、西山氏は「非常に充実した審理だった。(情報公開で)各国より遅れている状況を突き破らなければならない」(2月17日「神戸新聞」)と語っている。
検察裏金についても、原口一博総務相が「検察の裏金についても全部オープンにし、行政評価するよう(省内に)指示した。聖域なくやる」(2月18日「神戸新聞」)と踏み込んでいる。検察官僚に丸め込まれることなく、その実態を白日の下に明らかにすることを期待したい。
米国では、オバマ大統領が「クリーンエネルギーによる雇用創出計画の一環として、ジョージア州の原子力発電所建設計画への融資保証を発表した」(2月17日「神戸新聞」)。原発がクリーンエネルギーだというのは、最もたちの悪いブラックジョークだ。このように情勢は日々、新たな展開へと進んでいる。この進行に負けることなく、隠された情報・真実を暴き、的確な判断を行なわいければならない。
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色鉛筆−ぼくはここで生きている
西宮市では毎年、2月の土・日の2日間で「アジア映画祭」を催し、市民に近隣アジアからのアピールを提供しています。今年で15回目、2月行事の恒例となり楽しみの一つになっていました。しかし、市の財政難の折、西宮市文化振興財団・西宮労働者福祉協議会との共催も残念ながら、今後の催しが困難かもしれないという事態となっているようです。唯一の望みは、今回の観客数がどれだけ伸びるかという点です。その望みを叶えるためにも、私も参加してきました。
フィリピン・マニラの世界の貧困の象徴とされたゴミの街「スモーキーマウンテン」で暮らしていた子どもたちが、主人公となっている「BASURA(バスーラ)」というドキュメンタリー映画を観てきました。映像に映し出される生活の深刻さは、日本で生きている私たちには想像を絶するものでした。食べるために、毎日ゴミを追っかける子どもたち。監督の四之宮氏の映画に懸ける思いを紹介してみましょう。
「2006年5月、僕は、17年前に日本を飛び出し、最初に訪れたフィリピン、マニラ首都圏のスモーキーマウンテン跡地にたたずみ、今までの自分自身が経験した数々のこの地での出来事を振り返っていた。そして、その記憶の多くは決して死ぬまで僕の脳裏から消えることがないと断言できるほど強烈な体験の数々だった。僕はこの地で、日本では想像できないほど『多くの子供たちの死』に立ち会った。そして、この地で撮影した映画『忘れられた子供たち/スカベンジャー』の主人公エモン(当時13歳)が自殺して死んだという噂を聞いた。彼がいくら貧しくとも、自殺するなんて有り得ない事だった。僕は彼の自殺の真相を確かめようと思った」
フィリピン政府は世界から非難を受け「スモーキーマウンテン」を撤去したものの、また、新たなゴミ捨て場を設けざるをえず、ゴミを求める人々も移動したにすぎません。スラム街を失くすために建てられた住居も一部の家族は入居できたものの、水道代が高く生活は困難な様子です。農村から出稼ぎにきた人々に仕事が無く、スラム化してしまうのは農業では食べていけないが、都市部でも仕事が保障されない実態があるからです。
監督四之宮氏のその後の調査で、主人公エモンの自殺は窃盗容疑で警察に捕まって、わずか2日後の出来事だったようです。しかも、ひもを使っての自殺とされていますが、不審な点が多く警察による暴行が原因で殺されたのだろうというです。映画の登場人物の半分の子どもたちが、死んだり、殺されたり、レイプされたり、行方不明という事実が、主人公エモンの死の真相を裏付けているのではないでしょうか。
「どうしたら世界中の貧困と飢餓と戦争がなくなるのか」この答えを探すために、「5000人製作委員会」を作り、映画製作を実行し出来あがった「BASURA]。読者の皆さんも、答えを探しに「BASURA」を観にいきませんか。 (恵)
沖縄だより おそらく最後の沖縄への旅日記(1) 宮森常子
2月10日 那覇空港の飛行場が満杯で、私どもの乗った飛行機が着陸できず、おくれて2時30分頃到着。といっても10分位のおくれだが。急がぬ旅である私ならともかく、ビジネスで来ている人にとっては大変なことであろうが。
空港で荷物を載せる乳母車のようなのを借りたまでは良かったが、下りのエスカレーターのてっぺんから下まで落ちてしまった。空港の係りの人々がとんできて、救急車とか何とか言っていたが、私は70kgを超える巨体で、脂肪のふとんをしょって歩いているようなものだ。メタボのおかげで骨は折れなかったようで、むっくり起き上がり大丈夫、大丈夫≠ニいって歩いてみた。歩ける。
大丈夫だからと空港の方がいろいろ申し出てくれるのを断って、モノレールに乗り県庁前まで行き、沖縄へ来たら必ず寄るパレット久茂地の地下街のふる里≠ニいう食堂に入った。女性の美しい店員さんは私を覚えていてくれた。沖縄料理を注文、食べているうちに足の太ももがえらく腫れ上がっているのに気がついた。
宿に着くと濡れタオルで冷やし続けた。痛いけど何とか歩けそう。とんだハプニング。メタボで肩身のせまい思いをしなくとも、おかげで骨は折れなかったと自慢すらできる。細っこい人なら確実に骨折していたろう。
2月11日 宿のおかみさんに車に乗せてもらって読谷の海岸へ出た。海水を汲み上げて塩を作っているというプロペラの回っている透明の建物、波頭が白く砕けて打ち寄せる海岸、アズマヤのようなのがあってベンチが並べてあり、その屋根裏にスズメが巣を作っているらしくスズメたちが休んでいる。スズメより一回り大きな野鳥もいる。ベンチに腰掛けて眺めていて飽きない。自然の懐に包まれてうっとりできるというのは、なんと幸せなことだろう。
ここ読谷村の海浜は海の自然によりそって工業(例えば製塩)が起こされ、自然を壊さないで近代化、工業化がなされているのを目のあたりにする思いであった。故鶴見和子さんが追い求めた自然を壊さずに発展する世界を見たような思いがする。やたらにボコボコビルを建てる都市より、心安らぐ世界の中にいつような豊かな世界−ここに読谷にはそれがあるように思えた。
行政もまたピンクのかわいらしいバスを出して、読谷の浜を巡回し風物を見せてくれるそうな。乗ってみたかったが、乗り損ねた。私が友といっしょに一坪地主となった石垣島の白保の海も美しい。このような美しいゆったりした自然を壊し、空港をもう一つ作るとなると観光客も寄り付かなくなるというのは誰にでもわかる道理。ただ軍事的に必要な浜ゆえに空港を作るのだとも言われるが、よくわからない。なぜ自然を壊してまで空港を作るの? はっきりした理由は説明されていないようだ。 次回につづく
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編集あれこれ
雇用破壊がとことん行き着いて、その見直しが少し進もうとしています。本紙前号(2〜4面)では、「労働者派遣法改正は(労働攻勢に向けた)最初のステップ」という主張が展開されました。まだ、派遣法改正自体がどのようになるかも流動的ですが、これを少しでも実効あるものとし、これを活かすことができるかどうかは、結局のところ労働者の団結と闘う力にかかっているということです。法規制と労働者の闘い、どちらが先かということではないようです。
すでに、大企業では派遣法改正に対抗する脱派遣≠進めています。企業はあらゆる手段を講じてコストダウンに励んでおり、たとえ派遣労働が禁止されても不安定で低処遇の労働者が姿・形を変えて存続する構図は変わりない、という指摘は身も蓋も無いようですが、まともな雇用を確立するためには闘うしかないということを示しています。そして、こうした闘いの実例は確実に積み重ねられつつあります。
2月1日付けの「労働情報」誌に、2つの解雇撤回闘争勝利が報じられています。それは、パナソニック電工派遣切り裁判に勝利し、正社員での職場復帰を果たした宮城合同労組の佐藤昌子さんの闘いと、大阪市教委を相手にした新任免職取り消し裁判勝訴が最高裁で確定し、職場復帰に向けた交渉を行なっている大阪教育合同労組の井沢絵梨子さんの闘いです。
1年3ヶ月ぶりに職場復帰した佐藤さんは、「雇い止めの通告を受けた時、巨大企業の一方的な圧力に押し潰される恐怖感を覚えました。しかし闘いの中でそれはしだいに薄れ、今は共に闘う仲間の存在がはるかに大きくなって、一方的だった力が本来は相互の向き合う力関係なのだということを実感しています」と述べています。
5年の歳月を経て裁判闘争に完全勝利した井沢さんも、「普通の新任教員に過ぎなかった私を、普通でなくさせたのは、大阪市教委です。もう、いまさら普通には戻れないし、普通になる気もない。普通じゃないまま現職復帰することになりそうですが、それは闘いを始めた人間の特権であって、なおかつ責務じゃないかなと、現職復帰を前に感じているところです」と語っています。
こうした力強い若い労働者が台頭しているのです。今の時代も捨てたものではありません。それにしても、今の若い労働者は可哀想です。定年間近な私にとってはあと少しの辛抱で済みますが、労働現場は日々耐え難い状態にあり、しかも大方は非正規の期間雇用です。どこまで絞れるかという実験場のようで、こんなことをしていたら企業の存続さえ危ういのではと思う程です。巨大御用労組が重石となり、こうした労務政策がまかり通っていますが、発火点は必ずあるものと思います。 (晴)
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