ワーカーズ414号 2010/4/15
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「密約文書」情報公開訴訟で、画期的な全面勝訴!
・沖縄密約存在を認める
・全文書の開示を命ずる
4月9日(金)午後2時より、東京地裁103号法廷で「沖縄返還密約文書開示請求事件」の判決が言い渡された。
原告席には西山氏を含めて25人の原告団が緊張した様子で判決を待った。傍聴席には沖縄上京団関係者の参加もあり、席はぎっしりいっぱいに埋まった。
緊張の中、杉原裁判長の声が響いた。
「主文 1.外務大臣が原告らに対して平成20年10月2日付けでした別紙1−1行政文書目録1記載の各行政文書を不開示とする決定を取り消す。2.外務大臣は、原告らに対し、別紙1−1行政文書目録1記載の各行政文書の開示決定をせよ。3.財務大臣が原告らに対して平成20年10月2日付けでした別紙1−2行政文書目録2記載の各行政文書を不開示とする決定を取り消す。4.財務大臣は、原告らに対し、別紙1−2行政文書目録2記載の各行政文書の開示決定をせよ。5.被告は、原告ら各自に対し、それぞれ10万円及びこれに対する平成20年10月2日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。6.訴訟費用は被告の負担とする。」
裁判長が主文を次から次へ読みあげるなか、傍聴席から「ウォー、すごい、やったやった」のどよめきが起こる。
「勝訴」判決後の記者会見では原告団から次々に喜びの声が続いた。特に西山太吉氏(1972年、毎日新聞記者として沖縄返還密約の疑惑を暴露し『国民の知る権利を守れ』と闘うが、国家公務員法違反で有罪となる)は「情報公開法がスタートしたが、国家情報はこの10年間隠されてきた。壁は厚く難攻不落だと思った。6ヶ月前までは、まったく考えられなかった。やはり政治環境が変わった。これはまさに『情報革命』が起こった」と感慨深い様子であった。
弁護団も判決後の声明「勝利判決を得て」で、「本日、桂敬一さん外24名の原告が勝訴判決を得たことに、弁護団は感激でいっぱいです。・・・財政密約は全島米軍基地化されている沖縄の現状と分かちがたく結びついています。この勝訴が、日米安保、在日米軍基地の問題を捉え直し、平和のために日本という国が向かうべき方向を考える、ささやかなきっかけになれば幸いです」と述べている。
原告人の一人であり『密約・外務省機密漏洩事件』(1978年発行)の著者である澤地久枝さんは、本の中でこの密約問題を鋭く指摘している。
「責任を問われ、裁かれるべきであったのは、沖縄返還交渉において米国政府と密約を結び、国会においても欺瞞に終始した佐藤栄作内閣と外務省首脳であったはずである」と。
この勝訴をきっかけにして、うそをつき続けてきた過去の担当者の責任追及、文書破棄の真相究明、さらに例外なき情報公開の義務付けなど、「国民の知る権利」の拡大と定着化をめざす取り組みが求められている。(英)
たった半年でじわり自民党型へ――権力政党化を深める小・鳩$ュ権――
発足直後は政治刷新の意気込みが有権者の歓迎を得て高支持率を獲得した鳩山政権。それから半年あまり、いまでは一時の勢いをなくして支持率の低下傾向が止まらない。
政権交代による刷新の熱気は冷え、参院選挙に向けての政権浮揚策と厳しい現実を前にしたマニフェスト修正の間で四苦八苦する姿が浮かび上がる。他方、参院選に向けて自民党時代の復活を思わせるような利益配分型の政権基盤づくりが静かに,そして着々と進められている。
その鳩山政権、5月末までと期限を限定した普天間基地の移設先をめぐる政府案づくりやその実現の見通しはいまだ不透明なままだ。それに失敗すれば、鳩山首相の辞職や新内閣で参院選を迎えることもあり得る。そうはならなくとも、参院選挙の結果次第では鳩山内閣の総辞職や連立組み替えによる新内閣の発足という事態もあり得る状況だ。
■低迷する民主党■
鳩山政権にとって試金石だった新年度の予算案は年度内に成立はした。しかし、その姿は昨年の衆院選で掲げたマニフェストで掲げた姿とはほど遠いものでしかなかった。
最大の目玉だとされた1人あたり26000円の子ども手当は自民党政権時代の児童手当という土台の上でのつぎはぎ二階建てのものになったし、それも今年度一年限りの仮の制度にとどまる。高速道路の無料化についても、10年度は一部の区間のみ、それも麻生内閣での平日最高1000円の2000円への引き上げ、それに夜間料金の割引など各種割引制度の廃止を伴う値上げと抱き合わせでの導入で、実質値上げとなりそうだ。さらに農家への戸別所得補償の導入についても、減反政策と抱き合わせの全国平均での補償で、当初の案とは大きく変質したものになる。
民主党によれば、マニフェスト実現のための財源は財政の無駄を省いて捻出する、財源はいくらでも出てくる、というのが昨年の総選挙以来の約束だった。ところが鳴り物入りで公開された事業仕分けで捻出できたのは7000億円程度にとどまり、結局は予算総額は92兆円にまでふくれあがってしまった。しかもその財源はといえば、これも史上最高額の44兆円もの借金に頼った、税収より借金の方が多いという、これも史上最高の赤字財政となった。
子ども手当の完全実施をはじめとする11年度以降の財政見通しでは、10兆円を超える財源不足が見込まれ、いまではマニフェストの見直しか、それとも消費税の導入かの岐路に立たされている有様である。結局は、無駄を省いてマニフェストを実現する、という、総選挙での民主党の看板は、完全にはがれてしまったわけだ。
それに総選挙でも訴えた普天間基地の移設問題である。
鳩山首相は国外移設、最低でも県外移設を掲げて総選挙で勝利した。確かに有権者の選択を背景とした新政権の登場は、旧政府による日米合意の見直しの最大のチャンスであり武器になるはずだった。ところがいざその場面にぶち当たるや、腰が定まらない鳩山内閣は逡巡や迷走を繰り返した。昨年末には、いったん辺野古崎への移設容認で決着させようとしたが、当の現地沖縄の世論や社民党などの反対で頓挫、いまでは辺野古崎内陸や徳之島などへの分散移設、それに長期的には勝連半島沖を新たに埋め立てて巨大軍事基地をつくるという、まさに時代に逆行した腹案≠ナ決着をつけようとしている。
鳩山政権が地元の声や社民党などの声を聞いて迷走し、それが結果的に国外・県外移設に結びつけば、鳩山首相の優柔不断の態度が結果的には初期の目標を実現したことになり、迷走ゆえの功績となり得るだろう。しかし、現時点ではそうなりそうもない。地元受けと甘い見通しが先行し、米国のと軍事同盟の見直しまで踏み込んだ決意と覚悟なしに難題に立ち向かった結果という他はない。期待を高め続けた結果、普天間基地問題は鳩山政権の帰趨を左右する時限爆弾になったままだ。
鳩山内閣の支持率低下と求心力低下の最大の原因は、いうまでもなく政権ツートップの鳩山首相と小沢幹事長による政治とカネ≠フ問題である。
すでに鳩山首相の元公設秘書が起訴され、小沢幹事長の元秘書も逮捕されている。2人は立件こそ免れたが、普通の庶民には理解できない巨額で不透明なカネの上にのっかった内閣だとの印象は定着してしまった。しかも2人とも結局は秘書が、秘書が≠ニいう自民党政権時代と同じトカゲのしっぽ切りで自らの責任を棚上げにして政権と政権党にしがみついている。こうした宙ぶらりんな状況は、鳩山政権も結局は自民党と同根ではないのか、という有権者の失望感の源泉となっている。
民主党のていたらくは、長崎知事選や国立市長選で民主党推薦候補が敗れるという、昨年の総選挙時には考えられない事態をもたらした。あの場面では政権交代の原動力となったいわゆる無党派層が、大量に民主党から離反している現実が浮き彫りになったわけだ。当然のこととして、今年夏の参院選で単独過半数を確保して政権基盤を盤石なものにしたいという民主党や小沢幹事長の思惑は揺らがざるを得ない。いまでは民主党内部からでさえ鳩山内閣の次≠ェ語られる場面も垣間見える有様だ。
■政権党♂サ■
鳩山政権がなぜこうした事態に落ち込んでしまったのだろうか。それは大括りでみれば、政権発足時前後からの有権者との関係のダイナミズム、役割と地位の転倒構造、それに寄り合い所帯の政権構造、などだろう。
有権者との関係については、政権発足時の熱気と統治システムとの間での軋轢など、いわゆる有権者と政権政党との間の変遷に関わる問題だ。次の役割と地位の転倒とは、社会変革への有権者と党との間の提携関係と政権党としての地位保全に関わる問題である。そして三つ目は共通の変革課題の方向に向かうことができない民主党の政党構造の問題で、当然民主党を支持した有権者の雑多な多様性である。ここでは二番目の役割と地位の転倒構造について考えてみたい。
民主党も語ってきた社会変革とは、一言で言えば特定の社会集団に有利な制度・政策を、別な社会集団に有利なものに変える、ということである。その結果、自ずと不利になる人たちや有利になる集団の間で逆転現象が起こる。それをやりきる決意とそれを支える支持基盤が不可欠だ。
民主党はマニフェストで国民生活が第一≠ニいうスローガンを掲げ、将来像を示すことなくばらまきともいえる大盤振る舞いを約束してきた。が、それによって何を切り捨てるのか明確にしなかった。言ってきたのは官僚主導政治からの脱却と政治主導ということで、強いて言えば官僚機構の切り捨てだろうろう。しかしその政治主導は統治システムの内閣への一元化であって、直接民主主義を含む民主的システムへの転換ではなかった。地域主権についても、中央から地方へと言うだけで、結局は中央や地方の官僚集団の劇的削減は未だ方向付けすらできていない。それに取って代わるべき、自発的な社会集団の育成方針もない。結局は中央政府(地方政府も含む)主導の社会変革の試みにとどまっており、官僚システムは実務集団、補佐集団として必要とされているのである。そうであれば、あとはその時々の力関係が変わるかもしれないが、官僚システムは温存されるわけだ。
政権発足直後の力関係では,当然のことながら官僚集団は選挙で選ばれた議員集団としての民主党に勝てるわけがない。ただ選挙から時間がたてば立つほど、政権が長く続けば続くほど、状況が変化するにつれて統治者としての政権と被統治者としての有権者の関係は希薄化、分離化が進まざるをえない。統治者としては次第に官僚機構に頼らざるを得なくなる。
寄り合い所帯として出発した民主党が頼るのは、いわゆる無党派層であって、連合などの支持基盤も盤石ではないし、連合そのものの閉塞状況も抱えている。民主党がマニフェストで掲げた個々の政策をきちんと実現していければ、たとえ無党派層であっても支持基盤が崩れることはないだろう。が、政治刷新が足踏みすれば、またマニフェストが当初のかけ声どうり実現されなけられば、無党派層は民主党から離れる。支持率の推移を見れば、現にそういう傾向が続いている。官僚復活の兆しは、民主党内閣に内在する政権党としての事故保全の故に、すでにあちこちで現れているのである。
■復活する利権政治■
現に、民主党の支持基盤を確保するための業界団体の取り込みが、小沢幹事長主導で進められている。
自由党と合併以前の民主党の選挙戦術は,無党派票をあてにした風頼りの選挙が中心だった。それが自由党との合併で小沢一郎が選挙を担当するようになると、自民党譲りの組織選挙≠フ手法に転換した。要は比例区で各業界団体の支持を取り付け、各選挙区でも業界票固めやどぶ板選挙を徹底させるという手法だった。現に、小沢代表時代を含めて農協や医師会など、それまで自民党の堅い支持基盤となってきた業界団体の会員などに直接入り込み、それら業界団体の切り崩しを画策してきた。あきらかに各種団体に補助金などを投入することで支持基盤を作ってきた自民党のお株を奪うような手法だった。そうした戦術の柱は、農家への直接的な所得保障や子ども手当など、直接個々人にお金が届くような政策への転換となって民主党マニフェストにも反映され、結果的に参院での与野党逆転や総選挙での政権交代につながった。
こうした業界団体の切り崩しは、民主党が政権党となったいま、あからさまな支持基盤の再編、業界団体の取り込みに向かっている。現に日本歯科医師連盟や栄養士連盟などは与党となった民主党よりの姿勢を鮮明にし、農協の政治団体や医師会の政治団体も中立の姿勢に転換した。あれほど強固な自民党の支持団体だったにもかかわらずだ。それだけ目先の利害で動いてきた業界団体にとって、政権与党とのつながりが不可欠だ、ということの反映でもあった。
現に、これまで政権党だっただけで各種の業界団体を支持基盤に取り込んできた自民党は、野党に転落し、近い将来での政権復帰が絶望的ないま、各業界団体はいま沈没船から逃げるように自民党離れを始めている。
民主党政権からみれば、それらの業界団体を財政や税制でてこ入れすることで自らの支持団体に衣替えさせられれば、それだけ政権基盤は盤石となる。とはいっても、その手法は利益誘導そのもので、自民党と全く同じだ。特徴的なのが、民主党寄りの姿勢を強める歯科医師団体や土地改良区の団体だ。歯科医師の団体は昨年の総選挙で初めて民主党への支持も打ち出した。その結果、10年度予算では歯科医師の診療報酬が医師会の診療報酬より若干ではあるが引き上げられた。逆に強固な自民党支持基盤となってきた土地改良区に対しては、補助金の半減という厳しい措置で締め上げ、結局は自民党公認の候補を取りやめて自民党支持の旗を下げざるを得ないところに追い込んだ。さらに参院選に向けては、比例区での民主党候補への推薦を迫るほか、各選挙区でも民主党候補への支援という踏み絵を迫っている。
実際、予算を何回か組む中で業界団体は政権党である民主党の支持基盤に組み込まれることになるだろう。行き着くところは業界団体の自民党から民主党への再編である。
でもそれではせっかくの政権交代は、業界利益を仕切るのが自民党から民主党に衣替えしただけに終わる。有権者が民主党に期待した政治の刷新というイメージは反転し、役者が変わっただけの結果を見せられた有権者にとっては、裏切られたとの思いが募り、それが民主党の支持率低下につながっているのは至極当然のことなのだ。
こうしたことは、政権の座につくことを至上命令としてきた民主党にとっては、当然の成り行きともいえる。政権党であり続けるためには、特定の社会階層や支持団体にとどまれない、国民政党としてある意味で不可避かつ必然的な傾向ともいえる。民主党は労働者や勤労者の階級的な利害を体現した階級政党ではないのである。
■労働者・勤労者による第三極=。
政権党であり続けたいという限り、民主党政権も次第に利益配分型の自民党的な性格に変質していく以外にない、ということの要因をもう一つ挙げれば、やはり小選挙区制を土台とする現在の選挙制度を考えないわけにはいかない。
小選挙区制度というのは、一つの選挙区で1人の代議士を選出する制度で、特定の社会集団や業界団体を代表するだけでは当選は難しい。できるだけ多くの人から支持を受けるには、総花的で有権者受けする政策を打ち出さざるを得ない。結局は二大政党は人気取りに走り、同じような政策を打ち出すようになりやすい。
こうした傾向は諸外国でも同じ事情のようだ。米国の民主党と共和党、イギリスの労働党と保守党、フランスでも同じだ。右翼は中道化し、左翼も中道化する。その次には、似たり寄ったりの二大政党にすくい上げられない階層の声が第三極として浮上する。逆に多党制になれば政治の進展や安定を求めて二大政党化が進む。その繰り返しが続くことになる。
問題はその繰り返しの中で、中長期的にどのような政治勢力が拡大していくのかが問題になる。結局は、歴史の進展の中でどの社会階層が勢力を拡大していくか、というところが問われるわけだ。
普天間問題が正念場にさしかかり、夏の参院選挙が近づく中、野党に転落した自民党から政界再編や与党への復帰をにらんで、1人また1人と離脱し、新党なるものが生まれている。そうしたものは第三極でも何でもない。いずれは政権の座をめぐって編成される他はないだろう。
低迷する民主党に対抗するのが古い自民党や第三極を名乗る新党では、あの政権交代は何にもならない。私たちが考えなければならないのは、大企業や官僚中心の社会からの真の転換のためには、労働者や庶民などが社会の中心になるような社会変革であり、それを推し進める政治勢力こそが本当の第三極となり得る。(廣)
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色鉛筆−悪化をたどる弱者切捨ての社会
私の住む市営住宅では年々高齢化し、小・中学生を持つ家庭は数えるぐらいしかありません。新しい入居者も若い世帯の人はほとんど無く、独居老人や福祉の援助を受けている人などが対象です。年金の受給を受ける資格を持たない高齢者は、どうやって生活しているのでしょうか。
光熱費が払えずガスは閉詮、水道さえ止められている70代の男性は、足が悪く車いすの生活ですがヘルパーを頼む余裕もありません。日常的に近所の家を回り、食べ物を分けて欲しいと頼んでいます。お金の貸し借りで、近所の人とのトラブルもあり、私たちも対応に苦慮している状態です。
先日はとうとう、警察にお世話になり管理人をしている私の所に、警官が訪ねてきました。どうやら、車いすで遠方まで出かけ迷子になってしまったようです。男性に身寄りがないので私に身元引受人になって欲しいとのことで、私も仕方なく引き受け、書類に住所氏名を書きました。
しかし、その2日後に今度は無銭飲食で、警察に捕まって自宅まで送られてきました。又、警官がやってきて身元引受人を私に依頼してきました。私は、親戚でもなく責任を持って世話をできる条件も無いので、今度は断りました。男性が日々、食べ物に困っていること、近所の人との関係も良くない状態で迷惑がられていることを説明しました。本来なら、市役所の厚生課などで生活ができる様に配慮するべきこと、生活保護の支給も考えて欲しいと警官にも伝えておきました。
住まいだけを提供して、その後のフォローが無いのは行政の怠慢ではないでしょうか。私も住宅管理課に何度も男性のことで相談しましたが、結局はなにも改善されずに警察にお世話になってしまいました。本来なら、市営住宅の孤立した一室ではなく、グループホームのような居場所が適していると思いますが、そのような受け皿はないのが現状です。
4月10日付けの神戸新聞には、生活保護水準を下回る働く貧困層は、229万世帯で全世帯の4・8%にあたると推計結果を公表しています。推計は厚労省の2007年国民生活基礎調査を利用していますが、今調査をしたら更に数字は伸びるのではないでしょうか。
その表れとして、全日制公立高校の受験に失敗した子どもたちが私学を選択せず、定時制高校を志願しその数が増えていることにも見られます。兵庫県内の定時制高校の充足率(募集定員に占める合格者の割合)は2010年度は93・5%に達し、この5年間で12・5ポイントも上昇しています。私の職場の同僚の娘さんも、定時制高校の昼間を受験したけれど不合格になり、夜間の部で通うことになったようです。需要が増えているのに、統廃合で学校数を減らし通学を困難にする教育行政は、時代に逆行していると言えます。最低限の生活保障・教育を受ける権利を鳩山政権に求めていきましょう。(恵)
沖縄にもグアムにも海兵隊基地はいらない!
前号で「米軍のグアム統合計画 沖縄の海兵隊はグアムへ行く」を紹介したが、今号ではグアムの先住民チャモロについて紹介したい。同じ高文研から「観光コースでないグアム・サイパン」(大野俊著)が出版されている。こちらはシリーズもので、海外旅行の際はありきたりの観光案内で満足しないで、ぜひこちらの旅行案内を見ていただきたい。
さて、グアムの先住民チャモロは4000年以上前にマーシャル諸島に定住し、それ以来、自立し自然と共生する生活を営んできた。チャモロが西欧諸国と初めて接触したのは1521年、スペイン船籍の船に乗ったポルトガル人の探検家(フェルディナンド・マゼラン)である。その結果、スペインはグアムの領有を主張し、植民地として支配した。その後、1695年まで20年余り続いた「スペイン・チャモロ戦争」はスペイン軍の勝利で幕を閉じた。
「この間、はしか、天然痘など、西洋人が持ち込んだ病気が住民の間に蔓延し、戦死者とも相まって、グアムなどのマリアナ諸島一帯のチャモロ人の人口が激減する。サン・ビトレス神父が4万人以上と推定したグアムの人口は、3千人台になった。このため、カヌーやラッテ・ストーンの建造、航海術など、チャモロ男性が伝承していた技術の多くが消滅したといわれる」(同書25ページ)
その後、米西戦争の和平条約であるパリ条約によって1898年、グアムは米国に譲渡され、それ以降、第2次大戦の1941〜44年の日本による占領期を除いて、米国が統治し続けている。米軍の軍事拠点としてのグアムは、冷戦終結や米軍基地の再編など紆余曲折を経て、今また軍事要塞化の危機に直面している。昨年秋大阪で開催された「10・12戦争あかん! 基地いらん! 09関西のつどい」で、グアムの先住民団体チャモロ・ネーションのリサ・ナティビダードさんから次のような報告が行なわれている。
米国の植民地として、わがチャモロ民族は、再び、生き残るための闘いのただ中にあります。1898年以来、チャモロは米国の意のままにあしらわれ、米国の大量消費主義と西洋の価値システムが売りつけるものを大量に買わされる社会に生き続けています。このことは特に、現在連邦政府が進める、8000人の米海兵隊を沖縄から移駐させ、この島における駐留軍を増強させようとする連邦政府の構想によって、危機的な様相を帯びるようになりました。グアムの活動家・文筆家ジュリアンは、この移転による島への流入人口を5万5000人と予測しています(2006年)。この数は、現役軍人とその家族および軍の増強を支えるための追加労働者を合わせたものです。
グアムとその民衆は、アメリカの国家安全保障の名の下に、あまりにも大きい代償を支払ってきました。グアムは、米軍のプレゼンスの結果多面的な被害を受けています。環境汚染は高いレベルに達し、人々の間に重大な健康問題を引き起こしています。最近の検査では、住民の間にエージェント・オレンジやエージェント・パープルなどの枯葉剤および放射能への高レベルでの被曝が発見され、また、アプラ湾とココス干潟でポリ塩化ビフェニル(PCB)が見つかったことでもわかるように、島中で化学物質が違法投棄されていることも明らかになりました。さらにグアム島は、1970年代のマーシャル諸島での放射線汚染汚染除去作業用地としても使われ、そのため住民はいっそう多くの放射線に曝されました。こうした要素が、チャモロの間での癌をはじめとする病気の異常に高い発生率や短い平均寿命と結びついているのです。
最後に、ネーション・チャモロを代表して、沖縄からの8000人の海兵隊の移駐に反対するロビー活動で私たちを支援してほしいと心からお願いします。私たちは、沖縄から海兵隊が出て行くことの必要性を指示します。しかし一方で、わがグアム島への基地移転費に日本のお金を使うことに反対する行動を、とくに日本において起こすことで、私たちを支援して下さるようお願いしたいのです。ネーション・チャモロは、アジア太平洋で、共同して反米軍基地の取り組みを行うことに支持を表します。連帯すれば、私たちはより強くなり、きっとこの地域での安全を取り戻すことが出来ます。
集会のスローガン「沖縄にもグアムにも海兵隊基地はいらない」こそが、普天間移設問題の正しい解決がある。しかし、大方の報道では県内という結論になるのではと予想されている。社民党は国外を主張しているが、それがグアムではチャモロの願いを踏みにじることになる。与党主義に毒された社民党は、「普天間飛行場の無条件即時返還」というあまりに簡単な回答が出せなくなっている。
サイパン島やテニアン島が属する北マリアナ諸島は1975年6月、住民投票を実施しコモンウェルス(内政自治権を持つ米国領土)の道を選んだ。スペインは米西戦争敗北後の1899年、カロリン諸島とグアムを除くマリアナ諸島をドイツに譲渡した。
「1914年7月、第一次世界大戦が勃発すると、日本はドイツ領のミクロネシアを無血占領する。第一次大戦は、ドイツ、オーストリアなどの独墺側と、英仏露米などの連合国側の戦いとなったが、英国と同盟関係にあった日本は同年8月、ドイツに宣戦を布告し、ドイツの租借地だった中国・山東半島を攻撃して青島をおとしいれた。さらに同年9月には、ドイツの東洋艦隊を駆逐してドイツ領南洋諸島の北半を占領した。
大戦がドイツ側の敗北で終わった後、1919年に創設された国際連盟の決定で旧ドイツ領は委任統治領とされ、日本は赤道以北の旧ドイツ領ミクロネシアの委任統治国になった。日本は22年に南洋庁を設けたうえ、各島に支庁を置いて統治した。その後、日本移民が多数、南洋群島に渡り、サトウキビ栽培を中心とする農業や漁業に従事した」(同書4ページ)
東洋拓殖の投資で1922年に誕生した南洋興発は、最盛期の1942年には従業員とその家族5万人を超える大企業となり、「海の満鉄」とも称された。この結果、サイパンやテニアンは日本人の島≠ニなり、日本本土からの日本人は「一等市民」、沖縄出身者と朝鮮人は「二等市民」、チャモロ人は「三等市民」とされた。日本支配下でのお定まりのように皇民化教育が行なわれ、年配者は日本語を話し、軍歌を歌うことができる。神社へのお参りが強制され、教育勅語を暗記させられた。
このように、遠く離れた太平洋の島々にも、帝国主義日本による植民地経営≠フ爪あとが残っている。チャモロの人々の願いは沖縄の人々の願いと同じであり、それは我々に突きつけられた問いである。かくして、我々のスローガンは米国の核の傘からの離脱であり、軍事的抑止力という呪縛からの解放であり、丸腰による平和的外交の推進でなければならない。(折口晴夫)
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「コラムの窓」 深夜労働の生理学
「夜勤明けの、そのまた翌日がきついね」とは、職場でよく聞く話である。どういうことか?
医療現場で、医療技術職として月に何回かの宿直がある。「宿直」とは名ばかりで、実態は仮眠もろく取れないくらい忙しい「夜間勤務」である。夜勤の翌日は「夜勤明け」で、休息するのだが、夜勤中の緊張感が続いて、やたらハイテンションな状態で、よく眠れない。
翌々日に出勤すると、全然疲れが取れていなくて、どうも調子が悪い。この「二日後の疲労感」を「明けの翌日がきつい」と表現する人が多いのである。「なぜか、明けの日より、その翌日に疲れがでるんだよね」と。これは、深夜勤務の七不思議の一つである。みんな「不思議」がりながらも、「そんなもんだ」と半ば了解している。
日勤の疲れは、翌日に年休などで休めば、だいたい取れて、翌々日に出勤すると、たいていはすっきりさわやかであるのに、夜勤の疲れは、なぜか遅れて出る。日勤の疲れと、夜勤の疲れは、どこが違うのだろう?
おそらく、その原因は「体内時計が狂う」ことにあるのではないかと思う。夜勤の疲れは、労働それ自体の疲れだけではなく、睡眠と覚醒のリズムが崩れることによる体調の不良がプラスされるのだろう。「明けの翌日の疲れ」は、体内時計が元にもどらないうちに働くことによるダメージなのだと考えると、合点がいく。
この解決は、二通りあると思う。ひとつは、深夜勤務のあとの休みを二日間くらい取り、体内時計を十分に回復してから、日勤に復帰する。もしくは、深夜勤務の翌々日の勤務は、半日勤務にして、体を慣らす程度に働き、三日後からフルタイムの日勤に復帰する。
もうひとつは、製造業によくある「シフト制」である。一週間程度、夜勤を連続してしまうのである。夜勤シフトの初日は短時間の夜勤で、体内時計の変化に慣れ、二日目から本格的な夜勤に就く、そして一週間の夜勤シフトが終わったら、三日間くらい休養してから、日勤に復帰する。日勤の初日は、半日勤務にして体を慣らす。
体内時計のカラクリに気付いてから、僕なりに夜勤明けの翌日には、できるだけ午後半日休暇を取るように心がけている。そうすると、疲れがその後に尾を引かないような気がするからだ。
職場の急な都合で、人のやりくりがつかず、深夜勤務を二回、連続して引き受けたことがある。しかも、一回目と二回目の間に一日あけて。このパターンは最悪だった。一回目の夜勤で、体内時計が狂い、翌日、体がそれを戻そうとしているところに、また夜勤をやったため、完全にバランスが崩れたらしい。二回目の夜勤のあと、疲労が残るどころではなく、心臓がドキドキし動悸が収まらず、「これはヤバイ」と感じた。急遽、午後から半休を取って、まっすぐ帰宅し、ひたすら眠ったのを覚えている。
これを無理して働き続けると、思考能力も低下し、感情の起伏も無くなり、「バーン・アウト症候群」に陥る。ある晩、夜勤中に、廊下ですれ違った看護師さんと目が合った時、普段は「お疲れ様」と声を掛け合うのに、相手が無言で無表情だったことがある。後で、考えたら、その看護師さんの所属する病棟は、急な退職や病休が相次いだのに、その穴を埋める臨時職員が来てくれず、月に十五回以上も、夜勤をしていた。
看護部門の所属長は、「人が集まらず、皆に無理をかけて、申し訳ない」と頭を下げていたが、これは本当に恐ろしい状態だと、その看護師さんの表情(無表情)を思い出すたびに思う。「申し訳ない」で済む話ではない。倒れる寸前まで働かせていること自体が、「労働犯罪」といっても過言ではない。
夜勤の生理学をもっと重視した労働システムを制度化すべきだと思う。日勤者が週四十時間なら、夜勤に従事する人は週三十時間にして、休息を増やすなどすべきだ。深夜勤務に「深夜割り増し賃金」を払ってすませるだけの現在の労働法は、健康をお金で切り売りするのと一緒ではないか?(誠)
郵便職場より ダンピング商品レターパック
郵便局では、今年の4月1日からエクスパック500に代わる商品としてレターパック500・350(料金は500円・350円)という商品が出ました。重量は4キログラムまでですが、料金の格安さは速達と比べると明らかです。定型外郵便物50グラムまでのを速達で出すと390円かかります。
一方、レターパック350だと封筒も、郵便物が着いたかどうかわかる追跡番号も付いて350円です。配達速度も速達に準ずるとなっており、すごく安いです。これは要するにクロネコメール便等に対抗するための商品でしょうが、ダンピングそのものではないでしょうか。
これでまた、郵便の赤字が増えることになるのではないでしょうか。小包の方もヤマト等に対抗するために大幅な大口割引があります。
他方職場では、人件費を削るということであまり残業をしないように言われています。とくに非正規でまじめに仕事をする人ほど、残業が多いのです。こういう人たちが、管理者やその意を受けた連中からあまり残業をしないように言われています。職場では、慢性的に人手不足(辞めても人を入れない)なので当然残業は増えます。残業を減らすなら、人を入れる、管理者らも現場の仕事をする、等をするべきだし、経費削減を言うなら高給の人たちの収入を削減るべきです。(河野)
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〈連載1〉 溶解しやせ細る自民党―陸続として誕生する別働隊の呆れた面々
真価が問われる民主党と溶解しやせ細る自民党
政権獲得直後の昨年九月から、鳩山民主党の連合政権は、特捜と朝日・読売等の全国紙の厳しい金脈の非難追及と「責任説明」を果たせとの大合唱に晒され続けた。とくに小沢幹事長に対する攻撃は激烈を極め、今年になり二度も特捜から事情聴取を受けた。それにより、さらに苛烈な非難に晒されたが、小沢幹事長の逮捕はついになかったのである。
この幕引き劇の背景に何があったのかについては、ネット上ではさまざまな憶測が飛び交ったが、真実は依然として闇の中である。しかし特捜とそのリークを垂れ流したマスコミの報道攻勢により、小沢幹事長は田中・金丸直系の「金権政治家」だとのイメージが定着した。この事と母親からの贈与に対する鳩山総理の説明が余りにも不自然であったダブルパンチを受けて、民主党の支持率は当初の70%から30%台へと急落したのである。
しかし四月十一日、実際は「野党勢力が戦略的な対応を一枚岩でとれなくなるところまで、野党が追い詰められていることを示している。マスメディアは相変わらず鳩山政権攻撃を続けているが、与党民主党の対応は落ち着いている」と植草一秀氏も書いている。
もうすぐ五月になる。この五月は、民主党にとって、2つの問題でまさに真価が問われる月となる。小沢訪米は急遽中止になった。幹事長は公然と米国に対して非難を浴びせた。こうしてオバマ大統領と幹事長との見せ場となる話し合いの道は閉ざされてしまった。
この普天間基地の全面移転の問題は、鳩山総理の明快な説明のないまま徳之島への移転報道がなされ、その情報が一人歩きしている。私たちは彼らに依存せず自らの反基地の闘いをしっかりと続けていくだけだ。米国重視一辺倒からの報道攻勢に反感を持つ。
今やっと民主党が特別会計に手をつけた。民主党は、高級官僚の抵抗によってよろけてきたが、やっと官僚主導から政治主導へと転換するための本丸に到達したのである。
今更いうまでもなく国家予算は、一般会計と特別会計で構成されている。しかし今年の10年度予算の一般会計は約92兆円だが、特別会計は約381兆円と一般会計の四倍規模であり、その歳出純計は176兆円と国債償還費を除いても102兆円になる。
特会とは各省庁の事業をするための会計であり、原資は税金や保険料である。しかし一般会計と違って国会のチェックもほとんどされた事がない。このため、高級官僚たちは、自分たちの天下り先の独立行政法人に勝手放題の予算を支出してきたのである。
今回民主党は、衆参両院の財務・決算関係の委員会に所属する約100人で、17ある特会ごとに検証グループを結成、ムダを洗い直し、来年度の11年度予算編成の財源確保につなげる考えでいる。まずは、GW明けに見直し第一案を出す予定との事。
企業再生や財務諸表に精通するメガバンク出身で、このチームに抜擢された福嶋健一郎衆院議員は、特会には「戦後復興期から高度経済成長期に設けられたものが多く、すでに役割を終えているもの」があり、「特会を全廃することを前提に見直し」「仮に」「残すにしても、規模」「使い道」「ムダな人件費」を計上していないかなどを「細かくチェック」するとの見直し方針を語った。この闇の追求のため暗殺された石井紘基議員を思い出す。
こうした牛歩に似た民主党の動きと比較しても、自民党は政権与党の座から滑り落ちたため、たったの六ヶ月で国会での党首討論やまともな質問ができない位まで著しく劣化が進んだ。一年議員の小泉議員がホープとは、まさに目を覆うばかりの惨状ではないか。
「自民党をブッコわす」と豪語した異形の小泉総理を頂いた自民党は、「小泉・竹中」の日本構造改革路線をしゃにむに突っ走った。虎の子の貯金の民間放出を目途とした郵政の私的所有化では、党内に大きな亀裂を生じさせ造反を生み、自民党の根幹を揺るがせた。
亀井らや平沼の反乱に刺客を送り蹴散らそうとしたが、彼らは首の薄皮一枚を残して議員に踏み止まった。この中で国民新党と平沼グループができると国内重視派が抜けた分、国内基盤の核心部分を喪失し、その事で溶解しやせ細った自民党は、岸・佐藤派を源流とした官僚に依拠してきた福田派の清和会に純化せざるをえない。彼らは属国派である。その意味では宏池会の流れをくむ谷垣現総裁の今後生き抜く余地も確実に狭まっている。
戦前からの少数の党人と官僚経験者を主流とした自民党は、結局官僚組織の支えがなければ全く自立ができない。これが本当の本当である。だからこそ、呆れるほど惨めな別働隊を次々と産み出す事で、有権者の目くらましをし続ける以外、打つ手がないのである。
「みんなの党」の真実―元祖目くらまし党
それでは私が元祖目くらまし党と呼んで憚らない「みんなの党」から論評していこう。
二00九年八月八日、日付から判断できるように衆議院議員選挙で誰の目にも予想された自民党の敗北から、自民党政治を補完するとの目的で「みんなの党」は結党された。
同党には無所属で活動してきた江田憲司ら衆議院議員が参加した。渡辺党首は、記者会見で「官僚依存の自民党、労組依存の民主党とは違い、真の改革ができるのがみんなの党である」と訴え、総選挙後の政界再編を見込んで、結党した事を自ら語ったのである。
同党は「新自由主義」を政策の基本とし、脱官僚・地域主権・生活重視を三本の柱とする「規制緩和による競争促進、公営事業の民営化、地方分権、経済の対外開放」を重視する。先の第四五回衆議院議員総選挙では十三人の公認および二人の推薦、国家公務員十万人削減などの公務員制度改革を柱としたマニフェストを発表した。
総選挙では五人を当選させ政党要件を維持した。比例区では七ブロックの得票数だけで全十一1ブロックに擁立した既存政党である社会民主党に迫る得票数を獲得し、南関東・北関東ブロックでは日本共産党を上回る得票数をえた。
このため比例近畿ブロックと比例東海ブロックでは、比例単独候補であれば各ブロック一議席で計二議席獲得できたが、小選挙区との重複立候補者の得票率が供託金没収点に満たず、下位の比例単独候補がいなかったため比例当選資格のある候補がなくなり、二議席分は他党に配分される。この点にも自民党の補完勢力をめざしていただけの「偽装チャレンジ党」である「みんなの党」の大志のなさが際ってしまったのである。
そして九月十六日の首班指名では、党として鳩山由紀夫に投票する姿勢を見せて、またまた本性を隠し続けた。さらに十二月一日に無所属の川田龍平参議院議員を入党させる。
見事なまでの元祖目くらまし党ではないか。だが問題は言葉面ではない。現在の党首である渡辺喜美氏が行革担当大臣だった時に天下り阻止に向けなんら実行ある措置を執らなかった事に象徴されるように「みんなの党」の本当の狙いは自民党との連立構想である。
しかし民主党のこの間の「迷走」に業を煮やした無党派層を中心として「みんなの党」の支持率は着実に増加していった。この事はマスコミの世論調査での結果に示された。
三月二十八日、これを象徴したのが、任期満了に伴う定数二十の逗子市議選であった。投票率は五一・四六%で、前回の五四・三五%を二・八九ポイント下回り、過去最低を更新した。当日有権者数は四万九七二七人であり、当選者の党派別は▽民主党二▽自民党二▽公明党二▽共産党二▽みんなの党二▽神奈川ネット一▽無所属九であった。
この選挙は、先の衆議院神奈川四区では民主党の公認を争った民主党の長島一由氏とみんなの党の浅尾慶一郎氏の両議員の遺恨の代理戦争とも言われ、推薦を含めると民主党は五人中三人、みんなの党は三人全員が当選した。女性の当選者は七人である。
この選挙でみんなの党は躍進した。二人の公認候補は一位が二三七一票、二位が二二〇六票で、三位以下に千票近くも差をつけ推薦者も当選させる。一方の民主党は五人を擁立したが、民主党の得票率よりも、みんなの党の得票率が大きく上回った。本性を隠し続けた事が功を奏し、「みんなの党」に民主党離れの有権者の支持が集まったといえる。
今ここで今年の二月ネット界を騒然とさせたオリーブ・ニュースを転載しておきたい。
【速報】「ネット騒然!みんなの党は清和会別動隊か!」
経済政策懇談会(森喜朗議員の資金管理団体春風会に献金する団体)
喜世会(渡辺喜美氏資金管理団体温故知新の会に献金する団体)
上記の政治資金収支報告書をクリックして内容を確認すると、なぜか届け出事務所の住所と『事務担当者』の名前が全く同一。頭隠して尻隠さずとはこのこと。
現在ネットでは、大きな話題になっているようですヨ!あれれ、ここでは電話番号が訂正されているが、訂正前は電話番号も同じ。(@@)
喜美と喜朗、謎の政治団体、不思議な共通点
ニュースクリップ ( 2010/02/12 14:59 )
まさに「頭隠して尻隠さず」とはこの事だ。経済政策懇談会と喜世会の事務所と事務担当者の名前が全く同一なのである。何たる準備不足か。この動かぬ証拠を突きつけられ、清和会と「みんなの党」と特別な関係は決定的に暴かれたのだ。ここまで調べる人はいないとの独断によるお粗末な対応と有権者を嘗め切った態度とに、私はただただ驚くばかり。
この事こそ私が「みんなの党」を揶揄して、元祖目くらまし党と呼ぶ当の理由である。 (直木)
(以下次号へ続く)
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龍馬伝説の謎ー龍馬が望まない、武力討伐の為の薩長同盟をなぜ仲介したか!?
坂本龍馬の人気は前からあったが、今年はNHKの大河ドラマ「龍馬伝」の放映もあってか相当なものである。私も司馬遼太郎の「龍馬がゆく」を読んでその“描写”の明るく屈託のない人間性に好感を持ったひとりである。おそらく龍馬に魅せられた人々は「龍馬がゆく」等で“描写”された、剣あり恋あり涙ありの、劇的でおもしろい龍馬の人生に歴史のロマンを思い浮かべたのだろう。
龍馬の功績について、伝えられた「史実」は幾つかあるが、最も重要視されているのが、反目し合う薩摩藩と長州藩の同盟を仲介し、この同盟によって武力倒幕に邁進し、維新回転の偉業が成し遂げられたと言うことだろう。
しかし、この同盟の功労者は龍馬だけだろうか?一説には、同じ土佐藩出身の中岡慎太郎の方がこの同盟成立に狂奔し、龍馬は勝海舟等の助言を得て、後から来て、たまたま成立の場に居合わせ、同盟の裏書き(確認者)をした為に、龍馬の功績として残ったという説もあり、薩長同盟の功労者は同盟締結に関わった人々で、龍馬ひとりではないことは明らかだろう。本当のところ、龍馬の意図した所と歴史の流れには幾つかの食い違いがあるので伝えられている「史実」には疑問を持たざるを得ないのである。
その一つは、この同盟成立の後、薩長など尊攘派は、武力討幕を主張し、討幕の密勅まで出させようとした時、龍馬(土佐藩)は武力討幕ではなく、平和的に大政奉還をさせようと「船中八策」案(もともとのオリジナルは上田藩士で軍学者の赤松小三郎の構想とも言われている)を出し、武力討幕を掲げる薩摩・長州に対抗した(これが原因で龍馬は暗殺されたという説もあるが、龍馬暗殺については、倒幕論者であった中岡慎太郎を殺害する為に来た見回り組がたまたま一緒にいた龍馬を殺害したという説もある)。そこでこの薩長同盟・密約は武力倒幕の為であったのかどうかという疑問が生じる?
薩長同盟(1866年)とは、薩摩の西郷隆盛と長州の桂小五郎の間による、藩内の実力者同士の『密約』であって、(藩主が内容を承知していた確証すらない『口頭』で結ばれたもので)、藩同士が正式に文書で取り交わしたものではない。(為に、現場に立ち会った坂本龍馬に、書状で内容を確認したものが「裏書き」として残っているために、1つの歴史的事実として認められている。)
まず薩摩藩は「長州が朝廷からの赦しを得るために、京で政治工作に奔走すること」を約束し、京都から排除されて、朝廷への政治活動を絶たれていた長州藩の替わりに、薩摩藩が朝廷工作をして、なんとか征長戦争を事前に回避する。一方で、朝廷工作が失敗して戦争が始まった場合に備えて、外国から長州藩への武器輸入を薩摩藩が仲介・支援することを約束する。そして、いよいよ戦争回避が失敗した場合には、薩摩藩が京・大坂に出兵し、幕府・朝廷に“停戦”の圧力をかける。というような内容で、長州藩の権威回復が主目的で「薩長による武力倒幕の確約」というのは、ある程度の『拡大解釈』ということになる!?
「薩長二大雄藩が土佐の坂本龍馬の仲介で同盟を結び武力倒幕に邁進した結果、維新回天の偉業はなし遂げられた。これが明治以来、日本人の大多数が信じてきた「史実」である。しかし、これは「薩長史観」「勝てば官軍史観」がでっち上げたフィクションにすぎない。幕末・維新の過程で大きな役割を果たしながら、公定の歴史叙述のなかで何故か無視されてきた孝明天皇や、政治勢力としての一橋慶喜、会津、桑名両藩に光を当て、歴史の真実とは何かを問う。」とした『孝明天皇と「一会桑」 幕末・維新の新視点』著者:家近良樹:文藝春秋によって、その当時の情勢など知ることが出来る。
当時、@長州や薩摩藩を含むすべての藩内では、藩主層には倒幕の意志はなかった可能性があり、倒幕派と親幕・保守派が2分されていた。A長州藩は「禁門の変」に破れ第一次長州征伐なので保守派が藩政を握っていたが、高杉晋作等の巻き返しで討幕派が実権を取り戻したばかりで、藩外は幕府側の第二次長州征伐を目前に孤立していた。Bそれまでは幕府寄りの立場をとり続けていた薩摩藩が、急に反幕府に舵を切ったのは、一橋慶喜が幕府内のみならず朝廷内の実権を握り、薩摩が朝廷政治の舞台で事実上失脚したこと。薩摩側からすれば「一橋慶喜の政治力に対抗する」ため(必ずしも倒幕を意味しない。)に「とりつぶされそうな長州藩を助け、政治バランスをとるためのも」で、あくまでも朝廷内での孤立を脱却し、長州藩と連携して政治力を回復させる点にあった。C坂本龍馬等が薩長同盟を支援した理由も、同じく長州藩を延命させないと、幕府の対抗勢力がなくなり政治バランスが崩れることを恐れたためであった。この時点では、薩長・龍馬等の3者の利害は一致していた。
ところが、「第二次長州征伐」の最中に将軍家茂が死去し、一橋慶喜が徳川の家督を継ぐと状況が一変する。長州側の勝利もあって長州征伐は中止され、土佐藩などから求められた「大政奉還」が実現し、徳川家を中心とする新政府構想が出てくる。徳川慶喜が新将軍になって「大政奉還」「新政府樹立」という動きがでてきた時点で、長州藩だけは一貫して「倒幕・反慶喜」であったが、薩摩藩と土佐藩では、藩論が2つに割れ各々の路線対立が激しくなり、結局、「王政復古のクーデター」で討幕派が勝利し、鳥羽・伏見の戦いを経て倒幕に向かったので、倒幕のきっかけとなったのは幕府側の弱体化を示した「第二次長州征伐」の敗北と「大政奉還」であって、「薩長同盟」は武力倒幕を意図したものではなかったと言うことが出来る。
従って「薩長同盟」成立の時点で、倒幕が規定路線として設定されたと考えるのは、歴史の結果を知っている後世の人間の「後付の解釈」であることが理解されるが、龍馬等が提案した平和的「大政奉還」がきっかけで武力倒幕論が力を増し、維新運動が急速に進んだことは龍馬等の功績といえなくもない。
旧体制徳川家の政権参加を認めた龍馬も予想し得なかったほどの早さで進んだ「史実」に翻弄されたひとりかもしれないが、「後付の解釈」で波瀾万丈の人生を生き生きと描かれたことは彼の人徳かもしれない?!(光)
.読者からの手紙
宇宙飛行士の給料と搭乗料に思う
私は、今まで宇宙飛行士がマスコミによって大々的に報道される度に、彼らが行う「科学実験」の当否よりも彼らの給料とスペースシャトルに乗るための費用としてNASAに、一体いくら支払っているかの方がはるかに問題だと考えてきました。ほとんどの人はこれらの基本的な事実をほとんど知らないのです。
四月八日の「日刊ゲンダイ」にやっと彼らの給料のことが掲載されました。今回の山崎直子さんの場合は、彼女の「夢」の実現のために会社を辞めて家事と育児を担う“専業主夫”の夫・大地氏と娘さんの2人を扶養しているのです。
現在、彼女は「宇宙航空研究開発機構」の職員であり、この機構は所管の文科省OBが理事として天下る日本最大の独立行政法人で、年間の予算規模は1800億円です。
文科省関係者は「宇宙機構の職員は、準公務員扱いです。本給に加え、扶養手当、住居手当、通勤手当、宿舎や充実した福利厚生などの待遇も国家公務員並み。夏冬2回のボーナス」も出るとのことで、08年に宇宙機構が出した宇宙飛行士候補者の募集要項には、採用時本給は大卒30歳で約30万円、35歳で約36万円だった。前出の関係者は「山崎さんのキャリアを考慮すれば、本給は月40万円程度」だと説明しています。
そしてNASAからシャトル搭乗の運用技術者に認定されれば、「『宇宙飛行士手当』として、本給に約3割ほどの上乗せされるのです。シャトルの搭乗アサインを獲得すると、『搭乗業務手当』として、上乗せ分が7割アップし、搭乗時だけでなく、1年半に及ぶ訓練期間中や、帰還後の残務処理中にも支給されます。これらの手当は、自衛隊のパイロットや消防士の『危険手当』に準じた処置です。なお宇宙機構広報部によれば、宇宙飛行士の仕事には勤務時間の概念がないので、超過勤務手当や深夜手当、休日出勤手当は支給され」ないとのことです。さらに米在住の彼女の場合、米国勤務の職員には月額最大40万円の「在勤基本手当」も支給され、賞与やモロモロの手当を含めると、年収は1600万円前後となります。
辛口の記事が最近評判の「日刊ゲンダイ」は、週2日か3日勤務の文科省天下り理事の年収も同程度だと紹介し、これと比較にならないほど宇宙飛行士の勤務はきついので決して高額ではないと説明して、「少しは山崎さんに分けてあげたらどうか」との「皮肉」を述べています。しかしなぜ今大気圏外に出て行く必要があるのでしょうか。お祭り騒ぎは必要ありません。私には両者共に税金の無駄遣いだと判断せざるをえないのです。
しかしながら、この記事でも、やっぱりスペースシャトルへの搭乗料には一切触れていません。なぜこの事に触れないのでしょうか。全く不思議です。NASAはただで日本人を搭乗させていると皆さんはお考えですか。一説では億単位の金が動くといいます。
そうです。民主党政権下でも、日本は相変わらずの情報非公開国家なのです。一体日本人を搭乗させるのに、いくらNASAに税金を支払っているのか調べたいものではありませんか。そしてその金額と宇宙飛行士が宇宙でしてきたとする「科学実験」がそれに見合うものであるのかを公然と議論してみたいものです。宇宙飛行士の記事に踊らせられず、財源がないというのならそこに切り込むことが必要だと私は確信しています。 (笹倉)
はじめにことばありき≠ナはない −沖縄での体験から−
二度目に読谷村を訪れたとき、体調の加減から辺野古行きは止めて、読谷村にこだわって一日をかけて巡ることにした。タクシーで案内してもらった。地位協定があって沖縄の方々がえらい目にあっているということは、知識としては知っていた。
しかしタクシーの運転手の方から運転していて、占領下さながら恐ろしい目にあったことを聞いても、私は地位協定のことはすぐさま頭に浮かばず、ずい分間延びした受け答えをしたものだった。このように頭から入ったことは即戦的には、働かないのではないか。はじめにことばありき≠ナはないのである。コトバを性根に入れてない≠ニいうことか。
それはそうだが、個々人の経験は千差万別、このバラバラの体得したことを共通のことばとして伝えられないであろうか。今後の課題であろう。
米軍関係者のタクシードライバー襲撃の事件が伝えられ、私は数年前にタクシーの運転手さんの話にトンチンカンの応答をしたことを思い出した。私たちはタクシーを襲う強盗事件はよく耳にする。取り締まりも厳しいらしい。
沖縄ではドライバーの安全はどう守られ、事件はどのように扱われているかというふうに話を展開できなかったのは、私が沖縄の生活者ではないからであろうか。感じとり方が違うからであろうか。この問いに対して答えようとした作品に、高村薫さんの4月からのサンデー毎日連載の小説がある。
コトバ−意識化されたコトバ(認識)が、どれだけ形而下のコトバにならぬものに迫りうるかを問う作品であるという。サルトル以来の存在論に対する認識論を深めた立場に立つものとして、私は興味をもって入手できるのを待っている。
はじめにコトバありき≠推し進めたものであろう。体を動かすのが苦痛になりつつある私にとって、興味ある作品である。高村さんの作品によって性根に入れる≠ニいうことがどういうことかが、わかるかも。2010・4・6 宮森常子
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『アソシエーション革命宣言』社会評論社刊行
第二論文「われわれはどこから来てどこへ行くのかーー協同社会の史的展開」の解説 阿部文明
●はじめにーー人間は面白い
集団的社会的動物はたくさんありますが、その性格はさまざまです。人間の社会問題を考える際には、この人間の独特の社会的性格をまずは理解しなければ,共産主義もアソシエーションもありえないと私は考えました。
たとえばイヌの集団では、集団内の対等性などはありえない。多くのサルでもそうです。ヒエラルキー的な順位制が先天的に必要なのです。この順位制社会も個性ある社会性であり、その関係があるから集団が安定するのです。どちらが優れている、劣っているという問題ではありません。
●協力・共同行動が人間の進化を導いた
人間はイヌ、サルとは違い、700万年という進化の圧倒的な時代を、対等者の協力・共同行動を軸として歩んできたと考えられます。その進化のたどり着いたものが、端的に言えば、旧石器時代と同じような生活を続けてきた現存のバンド社会(狩猟採集民)であり、彼らの社会の有り様がその生きた証拠の一つといえるでしょう。たとえば「ピグミー」の名前を知っている方も多いでしょう。彼らはせいぜい百人程度の互酬的な相互扶助集団で、階級も身分もありません。
人間は、階級や順位があること社会的優劣が露骨に出ることが不快であるばかりではなく、この権力に基づく搾取抑圧に対し時には命をかけて闘ってきました。身分制反対、差別反対、搾取廃止の運動を根底から考えれば、このような人間的本性に由来しているといえるでしょう。
●「理念」と人間的本性
人は抑圧に対しては「自由」を、差別や格差社会の現実に対して「平等・対等」の理念を掲げます。殺戮や戦争の現実には「平和・友愛」を、貧困や餓死の現実に対しては「救済・援助」を掲げます。これはデタラメでも無意味なことでもなく、ある種の普遍的「理念」は人間が進化の過程で獲得してきた独特の社会的本性の一つの表出であると考えられます。もちろん「理念」は現実ではありません、が、人間とは何者なのかを自分で知ることも大切なことなのです。本稿の重要なポイントです。
このような人間本来の協同性を示すことが、現代では少しずつ可能になりつつあります。様々な研究が進展しています。
●「互酬性」はキーワード
チンパンジー生態研究の成果は、人類が当初より互酬性を協力関係の土台としていたことを強く示しています。他方で現存するもっとも原始的な狩猟採集民は、この互酬性を共同体の中に深く組み込んでいることを文化人類学が明らかにしています。この類人猿研究と文化人類学が明らかにした「互酬性」は、人類の協同性や相互扶助の原理を構成しているばかりではなく、人類史の謎、つまり素朴な協同社会がどうして「階層社会」階級社会へと移行していったかの重要な鍵を提供しています。こうした成果を整理しつつ利用させていただいています。私の考えでは、原始的共同体はその内部に自らを否定しうる論理を内包していたし、同時にそれらを克服しうる可能性をも含んでいたのです。
●文化人類学と歴史学のコラボが必要
ほかにも今回の論文では、文化人類学の概念を足がかりとし、検討を加えながら利用しています。「新進化主義」と呼ばれるサービス、サーリンズからたとえば「バンド」「部族」「首長」「初期国家」さらには「家族的生産様式」等々の概念を借用しています。著書ではふれずじまいでしたが、彼らの概念の有効性とその欠点についても改めて論ずる機会をいずれ持ちたいと思います。ここで一言だけ述べれば、彼らの内容豊かなカテゴリーは、残念ながら歴史的に発展する契機として十分に考慮されていません。ですからたとえば「初期国家」の過渡的な性格を、本格的な国家へと移行するもの(ないしは分裂の脆弱性を内包したもの)としては理解されていません。また「家族的生産様式」が、ギリシャ・ポリス社会の生成や、中国の中央集権的国家である秦国や、ゲルマン社会のヨーロッパ封建制生成の前提として普遍的な意味を持ちうることを自覚しているとも思えません。文化人類学と歴史学の融合は最近では進んでいるとはいうもの――なまいきなようですすみませんが――今一段の前進が求められているでしょう。
●アソシエーションの根拠は「共同占有」
さてこの数千年間つづいた階級社会が再び対等社会へと、しかも単純な復活ではなく「自由なアソシエーション」として実現されるということを論じたのがマルクスの『資本論』第1巻(特に第7編「資本の蓄積過程」)だといえるでしょう。
「社会主義」の必然性は世界恐慌の爆発等の経済危機に示されており、マルクスの『資本論』はこのような矛盾の爆発を論証したものだという、かつて聞かれた説は決して正しいものではありません。また、帝国主義戦争の必然性の論証が社会主義革命の必然性の論証ではありません。それらは重要なきっかけの一つでしかないのです。アソシエーションの必然性は、資本主義社会のもとで達成し、またしつつある労働者の「共同占有(ゲマインベジッツ)」にこそあるのです。協力・共同行動のなかで進化し高度に社会化された人類(労働者)が、生産手段を共同占有すると言うことが、アソシエーション社会の実現の根拠なのです。 以上
このような人類史全体の基本的な流れを考えながら、協同社会の展望を示そうというのが本稿の内容です。
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編集あれこれ
本紙前号1面の密約暴露関連で、「存在しない」とされた砂川事件をめぐる密談文書が開示されていることが報じられました。1959年に出た砂川事件東京地裁判決は米軍駐留を違憲としたもので、伊達判決として名高いものです。それが、米国の介入によって高裁を飛ばして跳躍上告≠ウれ、最高裁によってあっという間に逆転されてしまったものです。
こうした事実は米国で機密指定が解除され明らかになったものですが、外務官僚はなかったことにしたかったようです。開示されたのは「藤山大臣在京米大使会談録」で、幸運にも破棄されずに残っていたのでしょう。それにしても、この類の隠蔽された事実がどれほど積み重なっているのかと思います。
なお、大阪・十三の第七藝術劇場において、22年ぶり緊急上映と銘打って「密約 外務省機密漏洩事件」が上映されています。この映画は1978年、テレビ朝日開局20周年記念番組として制作されたもので、ノンフィクション作家の澤地久枝さんが公判を傍聴して書いたドキュメントを映画化したものです。関心のある方は、七藝のホームページ出上映時間など確認してください。
2・3面では春闘の分析が行われ、派遣法改正案の事前面接%ア入について、「連合も加わった審議会で、事前面接の導入で合意してしまった連合の姿勢は情けないの一言だ」と批判されています。この原案を社民党などが頑張って「企業本位の(派遣労働者の)選別が行なわれる可能性がある」と批判し、今国会に修正されたものが提出されました。
社民党も与党主義に毒され、かつての社会党崩壊の喜劇を再現しつつあるようですが、とりあえずこの件ではまっとうな働きをしたと評価できます。ところがこれに対して、労働政策審議会が「労政審の意見を尊重するよう、強く求める」と抗議したということです。何という恥知らずな連中でしょう。派遣労働者の現状を無視し、企業の希望に沿う原案をまとめたことをこそ恥じるべきではないでしょうか。
8面のコラムでは、武器輸出3原則の見直しの動きが取り上げられました。武器の定義を厳密に行なうとか、使用目的で人道的か攻撃的かを考慮するなど、何とか武器輸出に道を開こうということなのでしょう。こういう展開になると、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への制裁的禁輸≠ニいう問題が想起されます。
こちらでは、あらゆるものが武器関連とこじつけられ、あれもダメこれもダメとされています。自らに甘い二重基準ほど苦々しいものはないのですが、それを批判しつつ、自らもそういう事態にはまり込んでいないか、わが身を省みることも意味あることだと思います。 (晴)