ワーカーズ415号 2010/5/1    案内へ戻る

本来の"第三極"づくりへ協同を拡げよう!奮起すべきは私たち自身

 昨年9月の政権交代から一年の第4コーナー。発足当初は70%の支持率を確保していた鳩山政権。いまでは20%台の低支持率に追い詰められている。
 他方、永年の与党暮らしで政権の座に着いていてこそ存在意義があった自民党。その自民党は野党に転落してから自らのアイデンテティーを再確立できないまま、民主党から離れた民意を引きつけられず沈みかかったままだ。
 沈没船から逃げ出すごとく、"立ち枯れなんとか"とか、"新党なんとか"だとかの新党づくりも続いた。が、異質なメンバーの寄せ集めをみれば、改選を前にした議席確保狙いの選挙互助会だと揶揄されるような代物でしかない。二大政党に代わりうる現状刷新の旗は立てられそうもない。
 政権交代からたった一年足らず、すでに焦点はポスト二大政党体制に移りつつある。民主、自民が双方とも迷走や解体局面にあるとき、私たちがめざすべきは、八方美人のばらまき政策か大衆増税かのジグザグ政治とは全く別の、労働者・勤労者の闘いと結合した政治勢力づくりだろう。そうでなくては目の前で繰り返される権力の椅子を巡る政治ゲームからの脱却は夢物語となる。
 こうした観点からすれば、既成大政党による利益誘導政治や劇場型政治を批判していればいいというわけにはいかない。それらに取って代わる私たちの側の旗印や理念・政策、それに組織・運動づくりが問われる。が、本来の第三極を形成すべき左派陣営にあっても、いまだその決意も戦略構想もか細い、というのが実情だ。
 確かに反基地闘争など個別課題での闘いなどでは、個々の活動家やグループはがんばっている。が、多くの左派グループは、未だ狭い身内意識や特殊社会の土俵での実践に止まっているか、個別テーマに安住中、というのが実情ではないだろうか。本来の第三極づくりでは、新しい社会変革のプランと戦略を土台とした大きな左派運動のうねりの重強性が浮かび上がる。
 今後一〇年間ぐらいは、そうした左翼潮流の理念や政策、それに組織づくりの正念場になるだろう。いつまでも既成政党のしっぽに甘んじているわけにはいかない。地域から、個別の運動圏から大きなうねりを創り出していきたい。(廣)


沖縄県民9万人の叫び

 「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、移設に反対し、国外・県外移設を求める県民大会」が4月25日(日)午後3時から、読谷村運動公園で開かれた。
 参加表明が遅れ批判された仲井真県知事も参加し挨拶をした。これまでも基地問題に絡む県民大会は開かれてきたが、知事や自民党を含めた県内の全主要政党が参加したのは初めてであり、超党派の開催で政府に県内移設を訴える歴史的な県民大会となった。
 会場正面には、知事を初め国会議員、県内41市町村の首長及び代理職員がずらりと並び、沖縄が一丸となり「島ぐるみ」県民大会を証明する舞台となった。
 会場は大会シンボルカラーである「黄色」のTシャツやリボンやプラカードを身につけた参加者で埋め尽くされた。シンボルカラーが「黄色」になったのは、政府に「イエローカード」を突きつける意味もある。
 この「黄色リボン」は一人の主婦の提案「当日の県民大会は私のように仕事で参加できない人が多くいると思う。参加したい意思を表現したいので、統一カラーのリボンを家に着けるなどの工夫を実行委員会で考えてほしい」との声で決定した。
 大会が始まっても国道52号線などの周辺道路は、会場に向かう車やバスで10キロ以上の大渋滞となった。3時間もかかり参加した人、途中から歩いて参加した人、結局間に合わなく参加できなかった人も多くいた。
 大会では多くの関係者が挨拶・決意表明をしたが、やはり稲嶺名護市長の登壇時には、名護市民の人たちから大声援・激励の声が飛んだ。13年に渡り厳しい辺野古の闘いを続けてきた名護の皆さんにとって、初めて基地建設反対の市長を誕生させた自信がそうした声援につながったと思う。
 普天間高校の高校生代表の挨拶も印象に残った。「米軍機の騒音で授業や試験が頻繁に中断される。・・・フェンスの中に閉じ込められているのは、基地ではなく私たちなのである」「基地問題は沖縄県民だけでなく、日本国民すべての人が自分の問題として考えてほしい」との訴えは心に響いた。米軍は自由であり、沖縄の人々は不自由を余儀なくされる自分たちの島、この矛盾を鋭く指摘した。
 今回の県民大会は今までの県民大会と違う印象をもった。超党派の「島ぐるみ」県民大会であり、沖縄県民の自信と誇りがあふれていた。それは、会場における支援カンパが500万円を超える金額が集まったことにも見られる。
 大会の実行委員会は、このカンパ支援を基にして100人以上の上京団を編成して、首相官邸や防衛省など関係省庁に要請行動を取り組む計画である。
 この「沖縄県民の強い思い・結集力」を民主党鳩山政権はどう受け止めて、どう対応していくのか、注目される。(英)

米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し、国外・県外移設を求める決議

 普天間飛行場の返還は平成8年日米特別行動委員会合意から13年経過した今なお実現を見ることはなく、その危険性は放置されたままです。
 しかも、平成16年()8月13日に発生した沖縄国際大学構内への米軍海兵隊所属CH53D大型ヘリコプターの墜落事故は、市街地に位置し、住宅や学校等が密集する普天間飛行場の危険極まりない現実を明らかにしました。一歩間違えば大惨事を引き起こしかねず「世界一危険な飛行場」の存在を改めて内外に明らかにしています。しかも、平成18年()の在日米軍再編協議では同飛行場の全面返還を合意しており、県民や宜野湾市民は、もっとも危険な普天間飛行場を早期に全面返還し、政府の責任において跡地利用等課題解決を求めているのです。
 私たち沖縄県民は、去る大戦の悲惨な教訓から戦後一貫して「命どう宝」、基地のない平和で安全な沖縄を希求してきました。にもかかわらずSACO合意の「普天間飛行場条件付き返還」は新たな基地の県内移設に他なりません。
 県民の意志はこれまで行われた住民投票や県民大会、各種世論調査などで明確に示され、移設先とされた名護市辺野古沿岸域は国の天然記念物で、国際保護獣のジュゴンをはじめとする希少生物をはぐくむ貴重な海域であり、また新たなサンゴ群落が見つかるなど世界にも類を見ない美しい海域であることが確認されています。
 名護市長は、辺野古の海上及び陸上への基地建設に反対しています。また、勝連半島沖埋め立て案についてはうるま市長・市議会ともに反対を表明しています。
 よって、私たち沖縄県民は、県民の生命・財産・生活環境を守る立場から、日米両政府が普天間飛行場を早期に閉鎖・返還するとともに、県内移設を断念し、国外・県外に移設されるよう強く求めるものです。以上決議する。2010年4月25日4.25県民大会
 宛
 内閣総理大臣外務大臣防衛大臣沖縄及び北方対策担当大臣内閣官房長官アメリカ大使案内へ戻る


未来社会につながる新しい働き方   協同労働法案が国会に提案、成立へ

 小泉政権以降顕在化が進んだ弱肉強食の企業社会、格差社会という現実。今そうした社会やそこでの働き方とは違う働き方が再び模索され始めている。すでに報道されているように、今国会に、協同労働(ワーカーズ協同組合)法案が議員立法で提案される。
 こうしたワーカーズ・コープの活動は、1950年代から70年代にかけてのスペインやイギリスなどの経験を踏まえて日本でも取り組まれてきたものだ。これまで取り組んできた人たちの努力によって、現実の制約の突破につながる一つの成果をもたらした。

 ■ワーカーズ・コープ■

 実際に取り組んでいる人ばかりでなく、関心がある人にはすでに知られているものだが、ここでは協同労働、あるいはワーカーズ・コープとはどのようなものか、ということについて簡単に紹介したい。
 今回提案される法案は、超党派の国会議員でつくられた「協同出資・協同経営で働く協同組合法を考える議員連盟」(会長・坂口力衆議院議員)によって今国会に提出されるもので、その趣旨は以下の通りだ。
 協同労働とは、簡単に言えば、働く人々自身が出資するとともに経営にも携わる働き方のことで、別の言い方をすれば、生産労働などを担う労働者が同時に資本家でもあり経営者でもある、という"会社"だ。それは現実の企業社会での"会社"とは似て非なる"会社"であり働き方でもある。
 もう少し具体的にみていく。
 今回の法案提出で労働者側のプラットホームになったのは「『協同労働の協同組合』法制化をめざす市民会議」(会長 笹森 清)で、そこが2008年2月に「ワーカーズ協同組合」(仮称)法案を提案しているので、それを紹介してみることにする。
 それによれば、「協同出資・協同経営で働くとは、働く意志のあるものたちが協同で事業を行うために出資をし、協同で経営を管理し、併せて協同で物を生産し又はサービスを提供する働き方をいう……」とされている。
 そうした協同組合の原理については次のように規定さている。
 組合員の議決権は出資口数にかかわらず平等(一人一票など 以下、カッコ内=筆者)、余剰金(利潤)は、労働に対する割戻し(労働配当)、雇用拡大などのための積立金、それでも余った場合には、出資に対する配当(制限付きの利子配当)も一部あり、組合の事業の利用者(消費者・顧客)、地域団体などとの協同の推進だ。
 次に、組合の事業としては、通常の生産、サービス提供、就労の場の提供のほか、組合員の協同組合に関する知識の向上をはかる事業、共済活動、地域社会への貢献、協同組合どうしの協同。
 組合員資格も基本的には出資が条件となるが、具体的には組合業務に従事する「従事組合員」や「ボランティア組合員」、利用するだけの「利用組合員」、「出資組合員」などの形態が見込まれている。
 また組合員の固有の権利として、議決権と選挙権・被選挙権、情報開示請求権、役員の解任請求権、定款などの改廃請求権、それに監査請求権、賠償請求権などが付与される。また脱退は任意で、また出資金の全部・一部払い戻し請求権を持つ。
 今回の法案では、ワーカーズ・コープにこれまで認められていなかった法人格を与え、金融機関からの融資を受けることも、自治体からの業務委託も、さらに雇用保険に入ることもできることになる。

 ■新しい社会の萌芽■

 協同労働や協同組合の取り組みでは永年の歴史がある。
 古くは1844年にイギリスのマンチェスターで生まれたロッヂデール先駆者協同組合が知られている。それ以降、18世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパの協同組合運動は浮沈を繰り返してきた。近年では1956年に発足したスペインのモンドラゴンの協同組合の実績が、2万人以上という規模を含めて注目された。これらの協同組合は、第二次大戦をまたいで世界各国に協同組合の組織が作られ、また1895年にはロンドンで国際協同組合同盟 (ICA) が設立されている。こうした協同組合で働く人は、日本では未だ少ないものの、全世界で10億人規模にもなっている。
 今回提案される協同労働法案は、こうした協同組合のうち、農業協同組合法や消費生活協同組合法など、個別法によってその権利が保護されてこなかったいわゆる労働者協同組合(ワーカーズ・コレクティブ)の根拠法となるものだ。これまで他の協同組合と同様な扱いを受けられる根拠法が整備されず、やむなく中小企業等組合法やNPOの準用で甘んじてきたものだった。
 ともあれ取り組んできた団体・グループの努力もあり、法案提出のための協同の場ができた。それが上記の「『協同労働の協同組合』法制化をめざす市民会議」だった。そうした諸団体や市民会議の取り組みの成果として発足した「協同出資・協同経営で働く協同組合法を考える議員連盟」の取り組みもあって今回の法案提出にこぎ着けたわけだ。
 ワーカーズ協同組合の諸原則を見れば明らかなように、今回の協同労働法案でも、いわゆる協同組合原則がほぼ忠実に盛り込まれている。
 協同組合原則とは、1934年のICAの規約でみると次のようなものだ。
 1,組合員の加入は自発的かつ差別なし
2,総会における一人1票制
 3,出資金への利子の制限
 4,利潤は一部は組合員に等しく分配、一部は再投資、一部は「協同サービス」に投入
 5,組合員及び「公衆」の教育への参加
 6,全世界の協同組合の協同
 要約すれば、「所有」「経営」「労働」の一体化、労働に応じた分配、一人1票制による民主的運営、協同原理の普及、といったところだ。
 こうした協同労働、あるいは労働者協同組合の意義はどこにあるのだろうか。
 それは弱肉強食の資本主義経済のただ中にあっても、働く者たちが協同で出資し、実際に働きながら経営にも携わる、という、協同労働が現実に可能だと事実によって示すことにある。このことは同時に、これ以外にないといわれてきた資本主義経済・企業社会が、実際には歴史上普遍的なものでも何でもなく、単なる多くのモデルの中での一つのモデルであり働き方に過ぎない、ということをその存在自体によって示すことだともいえる。ひいては、仮に資本主義経済、企業社会が行き詰まれば、それに取って代わりうる一つにオルタナティブとなり得ることを示すものでもあろう。
 こうした新しい働き方が、資本主義経済、企業社会のただ中に存在するということは、新しい未来社会を構想する上で、この上ない社会実験となり得るだろう。

 ■未来に向けた挑戦■

 とはいえ、協同労働あるいはワーカーズ・コープが、この法案提出や成立で、飛躍と発展の保証を得るということではない。これまで認められてこなかった法的資格を得ること、いわば市民権を得るということに過ぎない。これまでの制約を考えればそのことだけでも大きな前進とはいえる。が、それはあくまで株式会社などの営利企業と同等の競争条件を与えられたというにすぎず、実際の営利企業との熾烈な競争の末に、市場から撤退に追い込まれるという可能性が消えるわけではない。
 実際、変質が著しい農協など別としても、いくつかの消費協同組合がそうだったように、高邁な理念を掲げてその実現に心血を注ぎながらも、実際には生き残りのための企業化の道をたどってきた協同組合も多いのが実情だ。いま製造業や大手スーパーに限らず、ほとんどの企業は人件費などぎりぎりのスリム化、コストダウンを進めている。そうした競争相手と互角に競っていくのはたやすいことではない。が、本質的な優位性もある。協同労働原理には、利潤目的の企業にはない、生産者と消費者の共通利益を追求しようとする存立動機や協同原理がビルトインされているからだ。それを貫けるかどうかが分かれ目となる。消費者や利用者にとって現実の利便性や満足感を得られ、相互の信頼感や連携が深まることで、初めてワーカーズ・コープは社会に受け入れられるだろう。
 ワーカーズ・コレクティブの制約を取り払った協同労働法案。多くの意義や困難を承知の上、その意義と成果を広げていくには、単に費用対効果、あるいは財やサービスの提供者と消費者・利用者との間での功利的な結びつきに止まってはいられない。それはより高い自覚と将来のオルタナティブとの結びつきを拡大していくことで、新しい社会の先駆者となることができる。
 この法案を一つのステップとして、協同労働・協同社会のさらなる前進・飛躍を追求していきたい。(廣)
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 〈連載その2〉溶解しやせ細る自民党―陸続として誕生する別働隊の呆れた面々

真価が問われる民主党と溶解しやせ細る自民党―前号掲載(普天間基地移設等と脱党)

「みんなの党」の真実―元祖目くらまし党―前号掲載(清和会の別働隊の本性を暴露)

「たちあがれ日本」結党の惨めなあまりにも惨め出発

 この元祖目くらまし党の党首から、早速「たちがれ」と腐されてたのが、平沼赳夫氏と与謝野馨氏と石原都知事が結党した「たちあがれ日本」だ。全く惨めな出発である。
四月十日午前、 自民党を離党し、新党を立ち上げることになった与謝野元財務相が、「田勢康弘の週刊ニュース新書」に生出演して、新党結成の経緯と目的を語った。
旗揚げの理由については、「このままではずるずると日本が沈没するのではないか。自分の野心とかやりたいとかいう話ではなく、将来の世代のために自ら捨て石になる覚悟だ」と語った。結党の話は「三月のはじめ」にあったと説明した。この事は後で書く。
また、新党は民主党政権を倒す事が目的なのか、財政をはじめとした政策を立て直す事になるのかに話が及ぶと、与謝野氏は、民主党政権は衆議院で三分の二を超える議席がある以上、倒れることはないだろうとした上で、「民主党の政治が、どっちの方向に日本をひっぱっていくかわからない。参議院には健全な批判勢力を築くというのが我々の目指している政治の第一」と話した。
 四月十日午後、「たちあがれ日本」は、都内のホテルで旗揚げの記者会見を開き、新党の理念や綱領を発表し、代表には平沼氏、「共同代表」に与謝野氏が就任した。その他の結党メンバーには、元自民党幹事長代理の園田博之衆院議員(68)、元運輸相の藤井孝男参院議員(67)、中川義雄参院議員(72)がいる。まさにシルバー政党ではある・
 「民主党政権の打倒」を目標に、夏の参院選において、保守系の第三極として政権批判票の受け皿となり、経済成長と財政再建の両立をめざす事などを盛り込んだ基本政策も発表、結党後は参院選に向けた具体的なマニフェストづくりに着手し、新たな賛同者も募る。
 しかし「たちあがれ日本」の命名者で、準備段階から支援してきた石原都知事が怒りを爆発させたように、原則と保守回帰を掲げる平沼氏と現実的でリベラル色の強い与謝野氏の野合のため、参加者は広がらず、評判は驚くほどよくない。参院選の比例代表に十人以上の候補擁立をめざし、都市部の選挙区にも立てる方針だが、明るい展望はない。
 今回の結党劇をさらに遡ると、八九年十一月、自民党衆院議員だった石原氏が設立した派閥横断的な政策集団「黎明の会」に行き着く。平沼・園田そして今回参加しない鴻池の三氏はいずれも石原氏を兄貴分とするそのメンバーだった。
 二月二六日、東京は広尾のレストランに、園田氏の意を受けた平沼氏の呼びかけにより平沼・藤井・鴻池・与謝野・園田の五氏と鳩山邦夫元総務相が顔をそろえ、結党準備の顔合わせにする予定だったが、与謝野氏に反感を抱く鴻池氏は中座した。同氏は後日、平沼氏に「あなた一人で立ち上げるべきだ」と促して、新党構想に背を向けた。
 平沼氏が国会で会派を組む無所属の小泉龍司と城内実の両衆院議員も、地元後援会との調整を理由に参加を見送った。新党関係者は「与謝野氏がいなければ、二人は来ていたはずだ」と断言する。平沼氏と与謝野氏の野合に支払ったツケは余りにも大きかったのだ。
 これを見かねた石原都知事は、自らの保身もあり一時新党への参加も検討した。三月十七日、築地市場移転問題で、都議会民主党が都の十年度予算案から移転用地購入費を削除する修正案を動きを踏まえ、石原氏は東京都内の与謝野氏の個人事務所を訪ねていた。
 関係者は「修正案が可決されたら知事は辞職し、参院に転出する決意だった」と明かす。結局最終盤に民主党が修正案の提出を見送ったため、都予算は三月末に成立した。
 平沼氏らの間では、知名度の高い石原氏が同党から出馬すれば、党への注目度が一気に高まり、候補擁立や支持拡大への追い風になる期待があったとマスコミは好意的に報道したが、捕らぬ狸の皮算用よろしく「平沼・石原新党」の結党は幻に終わったのである。
 さらに与謝野氏や園田氏が期待した自民党の後藤田正純元内閣府政務官ら中堅・若手議員も動かなかった。与謝野氏と園田氏は、丸山和也参院議員にも新党参加を打診したが、同氏は拒否する。与謝野氏の周辺は「丸山氏は自分がリベラルだと思っている」と語り、平沼氏に問題があるとの見方を示し醜態を取り繕ったが、野合のツケは両者を傷つけた。最期の五人目は、参院選で自民党の公認をえられず、引退する予定の中川氏だった。
 その他、新党「たちあがれ日本」の共同代表に就任した与謝野元財務相には、昨年の衆院選で、小選挙区で落選し自民党の比例代表で復活当選しながら、新党を結成した事に自民党内から批判が出た事について、「批判は十分承知しているが、この党の発起人なので、今から議員辞職しろと言われてもできない」と全く破廉恥な見解を吐露するばかり。
 彼は政策通で人格者だとされてきたが、それはマスコミが造る虚像だった。この行動に何らかの処分をすべきとの意見が執行部を突き上げるが、決定はまだ下されていない。
 このように郵政や増税での政治行動が、誰の目から見ても水と油の平沼氏と与謝野氏がなぜ一緒になって結党したのか。それは、根回しとして読売新聞のナベツネや参議院自民党幹事長の青木氏や中曽根康弘元総理と会議を持った事からも知られるように、二年前に頓挫した自民党と民主党との「大連立構想」の「受け皿作り」のためなのである。
 園田氏は、民主党を挟み撃ちにして、民主党打倒のためとはいったが、それが真意ならなにもわざわざ自民党から脱党する理由はない。したがってこの行動は、自民党は敗北しても、自らは生き残りたいとの彼らの保身にすべて起因しているのである。

「日本創新党」の結党とその背景

 四月十八日、「日本創新党」が結党された。私たちは、この党名、つまり細川護熙元首相が設立した「日本新党」の真ん中に「創」を入れてある事に注目せざるをえない。まさに「古い奴ほど新しい物を欲しがる」、つまり彼らは自らの古さを押し隠すために「創」といいたがるものである。「日本新党」時代の躍進よ、もう一度というわけなのだ。
 党首である東京都杉並区の山田宏区長は、松下政経塾二期生で、「日本新党」の出身、そして衆院議員一回当選したが二期目に落選したため後、杉並区長へ転出し現在三期目で来年四月に任期満了となる五二歳である。
 代表幹事である横浜市の中田宏前市長もまた、松下政経塾十期生で「日本新党」の出身、そして衆院議員三回当選し、横浜に転出した。しかし自らの肝いりで始めた開港一五〇年記念博で二四億円の赤字を出した責任の追及を逃れるため、昨年八月突然任期を放り出した無責任で破廉恥な男だ。それにもかかわらず、再度国会議員となって残りの人生を賑やかに過ごしたいとの夢を見る四五歳ながら、俗気と色気たっぷりの「惑える男」である。
 そして政策委員長である山形県の齋藤弘前知事も県知事に当選したが再選されず落選、現在浪人中の五二歳である。彼ら自身も青年の客気を離れて、よくよく考えてみたら首長とは三期がほぼ限度であった。だからその後を考えたのである。
 世間では、「スリーヒロシーズ」との揶揄もある。それは、彼らの薄汚い本性が透けて見えるからだ。つまりは国会議員になりたいと野望である。それも大政党の単に陣笠の国会議員に復帰するのではなく、小党なれども党の花である役員になりたいのである。
 政治評論家の板垣英憲氏は「日本創新党などと言っても、雨後の竹の子の一つであり、いろいろ御託を並べ、奇麗事を繕っても、『天上がり』して余生を送りたいだけの俗物の集まりにすぎない」と自分のブログで切り捨てたが、私もこの指摘に全く同感である。
 前史を述べてみよう。昨年十月、山田氏らは自治体の首長などによる政治団体「よい国つくろう!日本志民会議」を結成した。この会議には山田宏杉並区長や中田宏前横浜市長や斎藤弘・前山形県知事ら二十四人の首長、首長経験者が参加していた。しかし現職国会議員は参加させないと誤魔化してはいるが、要するに一人も結集できないのである。このままでは政党助成法の政党要件は満せない。実はこれが彼らの最大の弱点なのである。
 彼らが現職の国会議員を「参加させない」のは、既成政党と一線を画し、清新さを前面に打ち出そうと欺瞞からだが、山田・中田の両氏は、再びいえば松下政経塾出身者で彼らの立場は、世界的に破産した市場万能主義により日本を疲弊させた「小泉・竹中」構造改革路線の継承にある。当然ながら、民主党圧勝の背景や「国民の生活が第一」の意味が全く分からない。その意味では、時代の風を読み違えたエリート意識の持ち主たちでもある。
 この党を人格的に代表するのは山田氏と中田氏だが、彼らは各教育委員会の教育委員を無理矢理に差し替えて、排外主義に満ちた扶桑社版「新しい歴史教科書」を歴史教科書として杉並区と横浜市に導入した張本人たちだ。このため各教育委員会は崩壊している。
 0六年四月、山田区長は百%杉並区の補助金で運営される教員養成機関「杉並師範館」を創設したが、財政基盤がそうでありながら、この教員養成機関に「新しい歴史教科書」を教える右翼教師を育成するための機関ら特化させている。大手マスコミは報道しないが、この二人は「改革派」「地方分権派」「環境派」の表の顔とは、別に「統一教会」との強い繋がりがある「極右ファシスト」だと、インターネットでは指摘されている。
 四月十日の『文芸春秋』で、山田・中田両氏と斎藤前知事は「沈み行く日本丸の中で、自民党と民主党という二つのレストランが客引き競争を始めた」と批判しつつ参院選で自民、民主両党への批判の受け皿を目指すと同時に、参院選後にありうる政界再編での核になる事をめざしているとした。しかし山田氏は他党との連携について「誘いはあるが、選挙までは関係ない」と慎重な発言に終始し、来年の四月まで任期がある彼自身も、参院選立候補については「出る考えはない」と否定した。しかし彼の立候補は確実視されている。
 さすがにその場では破廉恥な「中田氏」までになりきれなかった山田氏だったが、何ともお粗末な「率先垂範」ではないか。一説には厳しい中田批判を意識して応えたとの事。
 さらに新党の政策をめぐっては「地方の行政改革を進めた立場から見ると、国の経営はあまりにも問題が多い。地方自治での実績を踏まえて経験を生かす」と彼らは図々しくも述べたのである。この言葉は、山田「独裁」区長や市長の任期を六ヶ月前倒して敵前逃亡を敢行しながら、いけしゃあしゃあと満額の退職金を手中に収めた中田前市長が、そもそも吐ける言葉ではない。具体的には、法人税引き下げや国家公務員数の削減などを訴えるとマスコミは報道している。しかしどこにこの党の独自性があるのか。
 中田氏は先に紹介済みの敵前逃亡だけでなく、相次ぐ市政私物化の疑惑や後援会長へ便宜供与疑惑や女性スキャンダルに塗れ、裁判に訴えられている人物である。四五歳の中田氏の立候補は、社会的な糾弾を浴びつつも、彼が自らの今後の生き残り戦略の私利追求を、再び国会議員の議席を確保する事で果たしたいと考える事ができる破廉恥と、それが公共の利益にもなると言いくるめるだけの悪知恵が働く人だからこそできた決断であった。
 ここで端的に紹介しておく。四月十九日、代表幹事の中田氏は「日本創新党の立ち上げ〜これまでの政党と何が違うか」において、「『皆がやるなら私もやる』ということでは一向に変革が起こるはずもなく、まずは『私からやる』という思いの方と共にこれまでの準備を進め」てきたと前置きした上で、他の政党と創新党の違いは何かを説明した。

 まず、我が国の国家像として「日本よい国構想」という理念を共有していることです。残念ながら、民主党も自民党も国家像が共有されておらず、いま日本には本当の意味での政党がない状態です。政党とは「主義・主張を同じくする者によって組織され、それを実現するための活動を行う団体」なのであり、「国会議員が五人集まったグループ」ではないのです。我々は、本物の政党を作りたいという思いでした。 (中略)
 理念なき政治であれば、政策判断は、「好きか」「嫌いか」、あるいは「損か」「得か」という目先の議論ばかりになってしまいます。しかし、理念を共有する政治は、将来のために、いま「やるのか」「やめるのか」「我慢するのか」などの判断が成り立ちます。それは、目指す社会にとって「正しいか」「正しくないか」ということでもあります。
 今日の我が国は、「正しいことを正しい」と言えない事象があまりに目立ち、自分の損得で物事を考える風潮が強まってきました。だからこそ、一瞬一瞬に流されるのではない、不易流行の政治を展開する。これが日本創新党です。 (「中田宏のブログ」)

 代議員制民主制度の何たるかも、首長の職責の何たるかも全く理解する事とができなかった中田氏の「正々堂々」でありながらの妄言ではある。ここでいう「国家像」を誰よりも深く認識していた筈の中田氏が投げ出した後の横浜市政の内実は次々と暴露された。それは、汚職あり、スキャンダルあり、情実人事あり等、のすさまじさである。
 これほど横浜市を食い物にした中田氏が、逮捕もされず野放しで、あまつさえテレビにまで出演し、無責任な盗人猛々しい発言を繰り返す事を苦々しく見ている市民も多い。最近では人相も一段と悪相になり、テレビでの服装がチンピラまがいとの批評もある。中田氏の自分を知らない破廉恥さと悪知恵と厚かましさとには全くもってうんざりする。
 インターネットでは、「永田町異聞」の≪日本新党旋風の再現をねらう「日本創新党」≫は必見である。この記事は、「週刊朝日二月十二日号の記事」を紹介することで、実に生々しく「日本創新党」結党の舞台裏を明らかにしている。
 週刊朝日の記事のタイトルは、ズバリ≪民主、自民以外の「第三局つくれ」"小沢切り"新党構想≫で、サブタイトルには≪密会に現職閣僚も参加 財界人が資金提供する三十億円≫となっている。ここでいわれている現職閣僚とは松下政経塾出身の前原誠司氏だ。
 それによると「洋服の青木」オーナー社長の青木拡憲氏が、「新党結成資金として30億円はあつめられる」、「日本新党の再来だ。細川護煕元首相が政権をとったときも、出発点は参院選だったからな」と政治家同士で大いに盛り上がっていると、青木氏は激昂して、「カネの心配はするな。俺だけじゃないから任せろ」、「とにかく小沢から早く離れろ。切れ!」といったという。この場で困惑したのは、辞職を躊躇した前原誠司氏であった。
 「日本創新党」とは、山田氏らの私欲と反小沢の青木氏ら財界人との共同の思惑で結党された自民党と民主党内の反小沢の大結集を狙った「受け皿党」なのである。

とうとう桝添氏は「新党改革」を結党

 さて次々に脱党者が出てやせ細る一方の自民党だが、ここにも破廉恥さと厚かましさが際だつ人物がいる。豚インフルエンザの深夜の会見で有名な厚生労働大臣の桝添氏は、そこでついでに同類の中田氏をも批判した。彼は、世論では総理にしたい人物の筆頭に位置し、党内では「目立ちがり屋」として知られ、党内での人望はほぼゼロといわれている。
 今年の二月、舛添氏は、党内に政策グループ「経済戦略研究会」を発足させた。自らは会長に納まり、メンバーには、菅義偉・塩崎恭久・中川秀直・河野太郎・梶山弘志・世耕弘成・川口順子・大村秀章・山本一太等々、テレビでおなじみの面々、約二五人が所属する。私にいわせれば国民に人気抜群の桝添人気に群がるのが目的のさもしい面々が中心のお粗末なグループで、内実のない桝添のまさに「類は友を呼ぶ」烏合の集団である。
 彼らは「研究会でまとめた党再生の提言を党執行部にぶつけ、党執行部刷新を通じて自民党総裁を目指す一方、受け入れられなかった場合は新党も視野に入れるという二方面作戦」を立てたとはいったものの、このグループから新党に参加する人はないであろう。
 四月二二日、「オオカミ中年」「やるやる詐欺」とまで酷評・揶揄されてきた舛添氏は、ついに自民党を離党届けを提出した。その日の午後に自民党と国会で統一会派を組んでいる「改革クラブ」の渡辺氏らとともに、「新党改革」を結党した。
 舛添氏が結党に至った背景には、夏の参院選で民主党の単独過半数を阻止するため、谷垣自民党に執行部の刷新を訴えてきたが、もはや自民党は古い体質から抜け出せないと判断したためだが、舛添氏が先に地域政党「大阪維新の会」を旗揚げした橋下徹・大阪府知事や東国原英夫・宮崎県知事ら人気知事と会談する等のパフォーマンスにより自民党執行部に追い込まれた側面も否定できない。早速比例区候補なのだから辞職せよと谷垣総裁からだめ出しの批判が出た。先の与謝野氏といい、今回の桝添氏といい、破廉恥の一言だ。
 「新党改革」の政策を見れば、郵政問題では、桝添氏と「改革クラブ」は正反対であり、政策一致なき野合でしかない。結党に参加するのは「改革クラブ」代表の渡辺秀央参院議員と幹事長の荒井広幸参院議員、山内俊夫参院議員の3人と、自民党の矢野哲朗参院議員、小池正勝参院議員の六人だけである。「桝添新党」とはいっても、その内実は今期改選の参議院議員たちの「改革クラブ」に、人気ブランド「桝添」の看板を貸した形なのだ。
 自民党を一番先に離党した鳩山邦夫氏は、打診がありながらも参加していない。早くもマスコミでは「数合わせ新党」「ガラクタ新党」などと揶揄され、「錦の御旗」=「政策の一致」なく船出をしたとまで本質を見抜かれて酷評されているのである。
 政治評論家の浅川博忠氏は「フタをあけてみれば、舛添さんのネームバリューにすがって議員バッジを守りたい議員ばかり。さんざん威勢のいいことを言っておきながら、この程度の政治家しか集められなかったところに、舛添さんの人望のなさ、限界がはっきりした。政局観もゼロですね。参院選後に、みんなの党に近づくとか、生き残りを図るでしょうが、買い叩かれる」だけだと的確な批評をしている。
 また結党時の参加は見送られるものの、民主党議員にも結集を呼びかけ、同党内を揺さぶる構えで、参院選では選挙区・比例を合わせて最低三十人程度の擁立を目指すという。
 政策面では、経済成長を重視するため構造改革路線の促進や企業・団体献金の廃止などを旗印に掲げ、民主でも自民でもない無党派層を中心に取り込む作戦だ。
 政権与党から転落した自民党は、難破船から一足早く逃げ出すネズミよろしく、次々と脱党者を排出して、やせ細っていくばかりである。しかし「新党改革」はもちろん「小泉構造改革の推進」を掲げるといっているし、「公務員改革」を看板とする「みんなの党」や「たちあがれ日本」も、さらには松下政経塾系の「日本新党」を基盤とする「日本創新党」も、また「小泉・竹中」構造改革路線の総括は不問にしている。
 この呆れるほどの無反省と無神経さにもかかわらず、彼らは自らを「第三極」と自認する。しかし彼らに民主党と自民党に対峙する気概はない。何たる概念の矮小化であろうか。
 だから自民党から生じたといえるこれら四党には何らの新鮮さもない。労働者民衆が、決定的に疲弊する中で、「小泉・竹中」の構造改革路線の推進などと無反省に訴える事自体、先の衆議院選挙における自民党の大敗北を総括できない惨めな立場にある事を、問わず語りに語っている。彼らのめざす「第三極」とは、単なる政界再編成の目でしかない。
 そもそも「第三極」とは二大勢力に対峙する勢力のことであり、「天下三分の計」の事である。つまり二大勢力と連立するのではなく、民主党と自民党と連立しない事にある。
 ヨーロッパ諸国では、政権交代が起きたら、野党の悲哀を味わいながら、党再生のための実力と政権奪還の道筋を、十年単位で着実に積み上げていくという。戦後、生き残った官僚制度に依存した自民党にこの展望と腹を据えた取り組みを進めていくだけの人物は皆無である。この事もあり、自民党にできるのはますます有権者の目くらましでしかない。
 離党者が続出し、旧体質を嫌って派閥の退会者も増えている自民党は、百二十億円の借金を抱えている上、議員の急減で政党交付金は百億円を切ってしまった。このため自民党の主流に位置すると確信する議員以外は、我先に脱党している。まさに危機ではないか。
 溶解しやせ細る自民党と陸続として誕生する別働隊は、まさに自民党崩壊の一里塚を示すものに他ならず、労働者民衆のための「第三極」となる事はできない。今支持率が急上昇している「みんなの党」は、清和会別働隊であると徹底して暴露しなければならない。
 この日本で「第三極」になりうるのは、この間の暴政によって、トコトンにまで追い詰められた日本社会を下支えしてきた労働者民衆の立場を徹底的に守り、生活と命を防衛しつつ、この立場の一段の強化と一層の発展をめざす勢力の事でしかありえない。
 すべての労働者民衆の皆さん、ワーカーズ・ネットワークと共に闘おう。  (直木)案内へ戻る


コラムの窓 罪深き飽食「そんなにクジラやマグロが食べたいですか」

 クジラやマグロをめぐって、日本の漁業が世界で顰蹙を買っているようです。これを何か不当な日本叩き、日本の食文化への無理解であるかに報じられることが多いようです。しかし、「調査鯨肉密輸の疑い」(4月14日「神戸新聞」)というような報に接すると、やっぱり調査捕鯨なんていんちきだと思わざるを得ません。
「ソウル市内の日本料理店で売られていた鯨肉の一部が、日本が調査捕鯨で捕獲したナガスクジラの肉である可能性が高いことが、米オレゴン州立大などの研究グループによる遺伝子解析で14日、明らかになった」
 1987年に始められた調査捕鯨に投じられてきた税金が120億円を超え、官僚組織と鯨類研究所、共同船舶の延命のために、国際的評価を下げる愚策はもうやめるべきでしょう。今年6月に開催される国際捕鯨委員会総会に向けて、日本は現在のクロミンククジラ最大935頭捕鯨枠を440頭まで削減し、沿岸商業捕鯨を再開するという案を示しているようです。
 その昔、高い肉の代わりに安い鯨肉を食べていましたが、その後は食べたこともないし食べたいとも思いません。どのような層の人が食べようというのか、国際的評価を下げてまで捕鯨を継続する必要があるのでしょうか。マグロについても同様で、どうしても食べずにはおれない日本人がそんなに多いのでしょうか。日本人がマグロを食い尽くすなんて思われるのは、恥ずかしい限りです。
 これらはグルメと言われる、まさに日本人の悪しき食習慣≠フ弊害です。金に飽かして世界から食材を収奪し、テレビでは無意味に食べ続ける番組が跋扈する、食の豊かさではなく、貧しさの現れです。食文化と言い、食習慣と言い、そんなものはどこにあるのか、確実にあるのは食をめぐる利害です。
 軽薄なテレビ文化≠ェ煽る飽食の裏で、飢餓が拡がっています。長引く不況で貧困(2007年の相対的貧困率15・7%)が進み、子どもの食が「給食頼み」になっている家庭が増えているということです。
「『食べ物を分けて』。道端でそうねだる小学4年生の男子児童の着衣は汚れ、風呂にも入っていない様子だった。東京都内で実際にあった出来事だ」(4月10日「神戸新聞」)
これは単に親が悪いといって済ませる問題ではないでしょう。餓死を生み出す生活保護行政が問題になったのは最近の出来事ですし、それが改善されたのかさえ不明確です。
 さらに目を世界に転じると、もっと深刻な実態があります。ユニセフによると、1年間に約920万人の子どもたちが5歳の誕生日を迎える前に命を失っています。飽食はこうした子どもたちの犠牲の上に乗っかっている、と言ったら言い過ぎでしょうか。贅沢な食ではない豊かな食文化(それは誰も犠牲にしない)があるし、それを求めることが同時に飢餓をなくすことに繋がるなら、どんなに素晴らしいことでしょう。  (晴)


色鉛筆 “ 保育園で・・・ ”

 4歳のA君は昨年初めて保育園に入園。母親は「親子で慣れない事、戸惑うことの連続だったけれど、担任(若い女性保育士)がとてもよくしてくれ、安心して通園することができた」と話す。けれども今年度、その担任は保育園にはいない。役場の事務の仕事に就いたからだ。決して保育の仕事が嫌いで転職したのではない。むしろ好きなのだ。けれども不安定な非正規雇用の身分ではいられないため、やむなく保育園を去らざるを得なかったのだ。「保育園できちんとした正規雇用をもっと増やすべきですよねえ」と母親は嘆く。 今、こうした事態はどんどん起こっている。
私の住むS市(政令指定市)でも、市立保育所職員(2009年12月10日現在)は、「正規保育士473人(園長含む)」に対し「非常勤332人、臨時97人、パート353人」大ざっぱに換算しても“正規1に対して非正規雇用2”の割合。私(パート)の実感としては非正規雇用の割合はもっと多い。今年度の正規職員の採用募集は、ほんの10人前後であるのに対して、非常勤などの非正規雇用保育士の方は150人以上ものぼる。しかし募集はしてもいつもこれらは定員に満たない状態が続いている。なぜなら『同一労働同一賃金』ならぬ『同一労働3分の1以下賃金』、しかも小さな命を預かる、時に神経をすり減らす仕事なのだ。みんななりたがらない。知人の私立保育園では、退職や休暇取得の人がいても“補充なし”のつな渡り状態を強いられている。
3月下旬、私は卒園式(卒園児約50人)に出席した。1人づつ会場の入口でおじぎをしてから自分の席に着く。80人近い大人を前にして1人で歩く子どもは、緊張して右手右足を同時に出して歩くなどほほえましい。式では一年間の思い出を語り歌い「さようなら」をする。何度も何度も失敗をくり返した後、ある日突然コマ回しや縄跳び、逆上がりが初めて出来た時のあの輝く笑顔は忘れられない。でも感傷にひたっている暇はない。翌日から3月末日までの一週間、約半数の「卒園時」が登園してくる中、つまり保育をしながら年度末の整理、片付け、そして新年度の準備という膨大な仕事に走り回らねばならない。悲鳴に近い1人の保育士のつぶやき、「こんな状態、普通じゃない。限界です」(澄)案内へ戻る


紹介 『アソシエーション革命宣言―協同社会の理論と展望』 発行 社会評論社 定価 2300円
(第三回)V 協同社会の所有と共同占有―清野 真一

私的所有(プリヴァート・アイゲントゥーム)とは物か形式か。

 ほとんどの日本人は、この私的所有の言葉から、ただちに私有財産を思い浮かべるだろう。形式を把握する論理能力が弱い日本人は、所有が形式だといわれても、何の事だか全く理解できないからだ。だが物事を概念的に把握するためには形式を読まねばならない。
 『マルクス パリ手稿』の第3草稿「私的所有と労働」の中で、マルクスは、重金主義や重商主義の信奉者たちが、私的所有を人類にとって外的で対象的な存在、つまり物質的財産と考えた事を批判する。アダム・スミスも、彼らを物神崇拝者のカトリック教徒とした。なぜなら彼は、プロテスタントとして、私的所有を物神=物ではなく、神性=性格、つまり人間に関わって、始めて生ずるその対象の形式だと認識していたからである。
 例えば、人間は有史以来、その存在・形状はほとんど変化がない。しかしながら外見は全く変わっていなくとも、歴史的・社会的には。原始共同体の成員・ポリス市民・奴隷・国王・封建領主・騎士・農奴・国民・資本家・労働者等々の形式規定をうけている。
 この形式規定を概念的に把握するためには、歴史的で社会的な考察が不可避となるのだ。
 ところで私的所有とは、労働手段と労働の外的諸条件とが、私人に属する場合にのみ成り立つ。だがこの人が生産者であるか賃労働者であるかで、形式もまた異なる。直接的生産者の場合は、自分の生産手段を個々人の私的所有とする事は、小経営の基礎となる。その典型的な形式は、直接的生産者が自分自身の使用する労働条件の自由な個々人の私的所有者である事だ。歴史の進展により、この所有の形式がまず否定される。その意味で、資本家的私的所有は、自己の労働を基礎とした個々人の私的所有の第一の否定なのである。
 サミュエル・ムーア英訳の『共産党宣言』の第2章から引用する。

 「諸君は、私的所有の揚棄という我々の意図をこわがっている。しかし諸君の現在の社会において、所有は、全住民の十分の九にとっては既に廃止されている。少数者に集中する私的所有の存在は、十分の九の手における私的所有の非存在に依存している。諸君が我々を責める所以は、所有の形式を廃止しようとしている事においてであるが、その形式が存在するための必要条件は、社会の計り知れない大多数者におけるあらゆる所有が非存在である事なのだ」

 換言すれば、少数者である資本家的私的所有の形式は、圧倒的多数者の無所有の形式、つまり私的所有により否定された個々人の所有の形式によって担保されている。しかし人々は、私的所有擁護の影響から、これらの形式の差を本質的で質的な違いではなく、量的なものとしか把握できていない。そして質的な面からいえば、少数者である資本家的私的所有の形式の揚棄とは、裏を返せば今まで搾取されてきた社会の大多数者の個々人の所有の形式の復活である。これがマルクスのいう否定の否定論の核心なのである。

形式と内容の弁証法

 ここまで極めて重要な考え方を述べてきた。その核心は、形式を読む事、つまり〈現実の世界の存在=あり方の中にその対象が持つ形式と内容を見る〉というものである。
 この現実の存在=あり方の中に、その対象が持つ形式と内容を見る事は、決定的に重要である。例えば、金や機械や原材料や労働力そして労働生産物は、有史以来存在してきた。しかし現実に形式づけられたからこそ、資本主義の時代には、各々貨幣や不変資本や可変資本や商品の形式をとる。したがって歴史的・社会的に形式づけられた概念の内容とは、また歴史的・社会的ものなのであり、歴史的・社会的には転換していくものなのである。
 論理学や哲学史の伝統からは、あらゆる存在は、潜在的な質料と形相、つまり顕在化したあり方の二面を持つと考えられてきた。すなわち論理学では規定されるものを質料とし、規定するものを形相とする。そして形相によって規定される質料をその内容としてきた。したがって論理学では、形相とは、本質的な内容の規定そのものなのである。
 ところがこの流れに対して、ドイツ古典哲学の祖であるカントは、客観的な形相を思惟の形式、つまり対象についての人間の主観的な認識の様式だとして、形式は本質的な内容から切り離され、非対象性と主観性を忍びこまされた。さらにカント哲学は、存在する対象を前に純粋理性の二律背反を示して、人類の認識能力の限界を主張した。その上でカントは、現象については認識ができても、本質である「物自体」については、私たちが認識する事は不可能だとしたのである。
 これらのカントの主観主義にもとづく結論に対して、スコラ哲学の「形相は事物の存在を示す」との旧テーゼに、ヘーゲルは「形式は内容である」との観点から新しい息吹を与える事によって弁証法を全面的に復活させた。つまり形式と内容は一致するのである。
 またマルクスの主著である『資本論』の副題は「経済学批判」、つまり経済的諸範疇の批判である。この副題が選ばれたのは、これらの範疇を永遠と誤認した経済学者たちに対して、経済的諸範疇の形式を把握する理論的感覚の欠如を指摘するためであった。
 マルクスは、商品の形式が使用価値と価値とを持つ不思議さを明らかにする上で、今まで誰にも未解明だった価値が「交換価値として現れる形式」を研究した。『資本論』で行った価値形式と貨幣形式等の謎の解明こそ、形式と内容の弁証法の生きた応用である。
 それもこれも、ヘーゲル哲学の認識論の基礎となる合理的な核心として、マルクスが形式規定の論理を、受容していたからで、『経済学批判要綱』や『経済学批判』において、形式規定や形式規定性の概念をマルクスが多用してきた理由なのである。

形式内容とゲルマン思考

 この形式と内容が一致する点に関しては、『初版資本論』第1章第3節「価値の現象する形式」の「貨幣の謎」部分につけられた原注20において【この注は第2版以降惜しくも削除された―清野】、マルクスは、形式規定について、次のように明確に記述している。

 「経済学者たちが、素材に対する関心ばかりが強すぎて、相対的価値表現の形式が持っている内実【Formgehalt】を見落としたのは驚くに足りない。なぜなら、ヘーゲル以前には、専門の論理学者たちでさえ、判断と推論の諸形式の内容【Forminhalt】を見落としてきたのだからである」(『初版資本論』原注20)

 この注から私たちが確認できるように、経済学者の見落としてきた「形式が持っている内実」と、論理学者の見落としてきた「形式の内容」とを、マルクスはまったく同列のものとして論じている。ここに、私たちが認識すべき形式についての核心がある。
 これらの言葉は、日本語では複数の単語によって成り立つもののようにみえるが、そえたドイツ語の原文から判断できるように、二つの言葉はともに一語の複合名詞である。
 ヘーゲルは、前半と後半が対概念である言葉を、一語の複合名詞に合体するドイツ語の用語法を「偶然の事でもなければ、まして混乱を招くとして非難してよい事でもない。そうではなくして、そこには、わがドイツ語が悟性的思考のあれこれから[二律背反]をこえてゆく思弁的精神をもっている事が認識されなければならない」)とした。ここに彼がドイツ語が哲学の言葉にふさわしいとした根拠がある。
 内容を形式づけるとは、ヘーゲル一流の自然素材から労働生産物を作り出す労働から生まれたアナロジーである。まさに人間の労働こそは、自然素材を利用し、自らの必要とする労働生産物へと作りあげる人類の目的意識的な行為そのものなのである。
 では社会的所有とは何か。文字どおり社会が所有する事なのであろうか。勿論それは違う。社会とは、全くの抽象概念であるからだ。「社会の実体」とは、人類の労働の共同性である。それは、抽象的な人間労働に還元できる。それゆえ社会が生産諸手段の所有の主体とはなりえない事は、まったく明らかである。だから「なかんずく避けられるべき事は、『社会』を再び抽象物として個人に対して固定する事である」と注意を喚起した。
 資本制的発展は、生産手段および労働力の歴史的かつ社会的集積を促進する。そしてこの集積は、ついに資本制的私的所有の限界内で私的所有としての私的企業に対立する社会=会社企業として現れる。またその事で資本そのものの揚棄を根本的に準備するのだ。
 『共産党宣言』第2章に、こうした所有の形式の転換について、重要な記述がある。

「その現在の所有の形式は、資本と賃労働の対立の中を動いている。我々はこの対立の両面を観察してみよう。資本家である事は、単にある人格であるのみならず、生産面において社会的位置を占める事である。資本は、社会的なものであって、それはもっぱら社会の多数の成員の共同の活動によって、いやせんじつめれば、社会全員の共同の活動によって運営【この部分が連合する労働者たちによる生産手段の共同占有論に発展した―清野】されているのである。
 それゆえ資本は人格的な力ではない。それは社会の力である。それゆえ資本が全社会成員の所有の形式【連合する労働者たちによる生産手段の共同占有論の事―清野】に転換されるとしても、それは人格的所有が社会的所有の形式に変質するのではない。ただ所有の社会的性格が変更されるだけだ。[すなわち]それは階級的性格を失うのである」
 
 資本主義の高度化により生産能力を人類が意識的に制御できる力を獲得する度合いが高まるにつれて、生産手段の所有の形式と個別的私人的な所有の形式が転換せざるをえない局面が生ずる。現在の社会は、国家を越え自覚的に作り上げる協同社会=自由で自律した労働する社会的個人一人ひとりの連帯社会へと移行せざるをえない。こうして生産手段が私的所有から共同占有の形式になると同時に再度個々人の所有が復活がするのである。
 その意味で、未来の「アソシエーション社会」とは、人類が半自覚的に歴史を経ながら形成してきた階級社会を揚棄して、言葉本来の意味での連帯社会を、人類史の本史の必然性として、私的所有の形式の登場により収奪された個々人の所有の形式を、生産手段の共同占有の形式を基礎として、再び自覚的に取り戻す協同社会なのである。案内へ戻る


TVの見方のひとつ

 TVはつまらない、いい番組は少ないとか世上でいわれ、TVは冷飯食いの扱い、ご難のようである。TVを見るのはまた受身だという人もいる。私は何事もまず所与の状況を受け入れた上で、積極的な取り組みを試みる。
 TVを見る場合、まず新聞の番組表を広げ、見たい、見よう≠ニ思う番組を選び印をつける。見た後で、感得したこと、発見したことなどに思いをめぐらす。書きとめることもある。一例をあげてみよう。
 横山秀夫氏のサスペンス「臨場」について。森鴎外の「高瀬舟」の現代版のような自殺を手助けするのは、犯罪かどうかの問い。TVではやっちゃいけないこととするが・・・。少々安手な結論のように思える。年老いて、寝たきりの老人が家族の負担を軽くしようとして自殺未遂、介護している娘がみかねて自殺を手伝う。
 生きろ、生きろ≠ニ至上命令のようなかけ声に満ちた世の中。その物質的な基礎もない場合もあろうが、それはここでは取り上げられない。生きる自由も死ぬ自由もあるはず。「悪霊」のスタブローギンのような、老婆を火中に蹴り込むという老婆のズーズーしさへの憎悪から殺意をもつに至る場合なら、断罪されもしようが、高瀬舟≠フ場合簡単に答えは出せまい。役に立っていない不要なものの存在を認めるか否かの問題に敷衍されるであろう。罪と罰≠フ問題ともなる。
 新聞の番組に印をつけて選んで見ることは、外界に対する積極的な向かい方ともなり、番組のスクリーンの中から問題を見い出すよすがともなろう。それは生き方にもつながるであろう。赤瀬川原平氏がなんであるかわからんものをカメラの被写体として探して歩いた写真集があるが、それは現実に対する氏の生きる姿勢の表現でもあろう。
 TVのチャンネルをまわし、映る画面を見ているだけなら受身だというコトバも出るだろうが、それはTVだけに限ったことではない。最近考える≠アとが疎んじられているようだが、なぜだろう。私にはわからない、スピードが求められるからだろうか。エスカレーターを駆け上がるのが、現代人なのだろうか。わからんことだらけ。2010・4・17 宮森常子案内へ戻る


編集あれこれ

 前号の一面は、「密約文書」情報公開訴訟での画期的な全面勝訴を論じています。この記事は大変タイムリーであったと考えています。政権交代のプラス面です。
 二面から四面では、民主党の半年を総括した記事です。そこでは民主党の変質過程を詳しく検証しており、労働者・勤労者による第三極を造っていかなければならない事を訴えています。この間の民主党に対するワーカーズの総括でもあるので熟読を期待します。
 続いて五面の「沖縄にもグアムにも海兵隊基地はいらない」の記事は、グアムの先住民チャモロ民族の立場に立ち、グアムにも海兵隊基地はいらないを論じつつ与党主義に毒された社民党を批判しています。県内か県外か国外かが議論沸騰中ですが、ここに一石を投じた記事であり、余り考えられたことがない視点ではないかと考えています。
 七面の「溶解しやせ細る自民党―陸続として誕生する別働隊の呆れた面々」の記事は、紙面の関係で、前号と今号掲載に二分されましたが、結果的にはこれでよかったと考えています。なぜなら分裂が余りにも引き続いたため、前号にすべて掲載していたら、記事の内容が古すぎる事になってしまったでしょうから。
 読書室では、「龍馬伝説の謎」を、色鉛筆では「弱者切り捨ての社会」、コラムの窓では「深夜労働の生理学」、郵便局便りでは「ダンピング商品 レターパック」を取り上げました。多彩な記事が掲載できてよかったと考えいます。
 読者からの手紙も2通掲載しました。読者の皆さん、どんどんお手紙を寄せてください。そしてワーカーズの紙面をよくするための協力を期待しています。    (直)案内へ戻る