ワーカーズ417号    2010/06/1        案内へ戻る

世界同時株安の出来と世界恐慌の現段階

 五月二四日、スペイン中央銀行が経営危機に陥ったカハスール貯蓄銀行を管轄下に置いたとの発表があった。スペインでは住宅バブルの崩壊後多くの銀行が打撃を受けたが、その深刻さの一端が露呈した。漠たる不安が現実の不安に転化した事により、ユーロ安が進行中だ。次は七月のスペイン危機だと噂され、欧州の経済情勢は悪化する一方である。
 このため世界同時株安が出来した。日本では半年ぶりに日経平均が九千五百円を割り込み、米国でもダウ工業株三十種平均は、全週終値より百二十六・八二ドル安となった。
 米国発の金融恐慌が爆発して三年になりながらも、ユーロが比較的安定していたのは、欧州中央銀行が米連邦準備理事会やイングランド銀行のように量的緩和政策を取る事を拒んでいた事が大きい。量的緩和政策で銀行を甘やかせば必ずツケが回ってくるからだ。
 しかしギリシャ危機を乗り切るためこの原則を自ら破った。この自他を欺くための言い訳として欧州中央銀行は、今回の国債買い入れが短期債の発行によって不胎化されるため、国債買い入れが量的緩和にはならず、通貨供給量は増えないとまで強弁したのである。
 経済を国外と国内とに切り分けられるなら、不胎化もある程度までならできるが、ユーロ圏でそんな器用なまねができるものであろうか。すでに先週末から銀行に固定金利融資を提供する長期資金供給オペの再開は、ユーロ圏の金融政策の転換であり緩和なのだ。
 したがって今回の欧州中央銀行は、ギリシャ危機への救済策としてギリシャ国債を引き受けた事とそのギリシャ国債の格付けの正否を不問に付した事と相まって、大変な失敗であったろう。こうした厳しい評価は、すでにユーロ圏の多くのエコノミストのものである。
 結局の所欧州中央銀行は、ギリシャを救済すると言いながら、実際には各国の国債市場を救うために行動したにすきず、この無原則な金融緩和策の導入によって、ユーロは一層その基盤を揺るがす事になるだろう。まさに問題が先送りされただけのことなのだ。
 確かに鳩山政権の普天間基地移設に関しての迷走と裏切りに怒りをたぎらせる事も重要ではあるが、同時に私たちが認識しなければならないのは、現在の世界情勢である。
 世界恐慌は、三年目にして世界を巻き込む一段の深刻さに直面するであろう。 (直木)


なぜ法人減税なのか──企業へのテコ入れ優先の鳩山成長戦略>氛

 直嶋経済産業省相はこの5月18日、「産業構造ビジョン」の骨子案で法人減税の実施をめざすと表明し、その手始めとして法人実効税率の引き下げに踏み切ろうとしている。
 これまで民主党は、自民党時代の供給サイド(産業界)優先の成長戦略を批判し、需要サイド(労働者の処遇改善など)へのテコ入れによる景気回復を訴えてきたはずではなかったか。長期不況のなかで雇用や賃金など労働者の処遇は落ち込んだまま。そのなかで自民党政権でも手がつけられなかった法人税引き下げは、「国民生活が第一」から産業界優先へのターニングポイントであり、鳩山政権の変質を象徴するものともいえる。

■国民第一≠ゥら企業優遇へ■

 直嶋経産相は、いま約40%の法人税の実効税率を将来的に25%〜30%に引き下げることをめざすとして、その手始めとして5%程度の引き下げ方針を打ち出した。
 「産業構造ビジョン」でのこの引き下げ方針は、長期低迷にあえぐ日本の産業界へのテコ入れ策として、この6月にまとめる予定の成長戦略の一環として位置づけらている。その数値目標として盛り込みたい、というのが経産省の思惑だ。
 経済産業省がこうした法人減税を打ち出した背景には、経済のグローバル化と国際的な企業間競争激化という環境の中、産業の空洞化を防ぎ、また国外からの投資を呼び込むための優遇策が必要だという政府や産業界の声がある。アジアや西欧では現在25%から30%の税率が普通で、厳しい競争にさらされている日本企業へのテコ入れや、国外からの投資を呼び込むためにも法人減税は必要だ、というわけである。また来年の通常国会には、欧米企業のアジア拠点を日本に呼び込むために、法人税0%という企業免除を含む新法の提案も予定されている。
 こうした法人減税は、これまでギクシャクしてきた経団連と民主党政権の手打ちの意味合いもある。
 これまで自民党と蜜月関係を続けてきた経団連に対して、政権交代を実現した民主党は素っ気ない対応をとってきた。かわりに民主党は野党時代から付き合いのあった京セラや第二電電の創業者でもある稲森和夫を内閣特別顧問に任命したり、あるいは政府の審議会や仕分け人などには経済同友会の人脈を活用してきた。これらはいわば民主党の産業界とのか細いパイプの結果であり、また経団連へのしっぺ返しの意味合いもあった。
 しかし今回の法人減税は、盤石な政権基盤づくりを視野に入れた小沢幹事長主導による、利権構造再編の集大成の意味合いもある。経団連はかねてから法人税の大幅な減税を掲げてきていたからだ。だから今回の鳩山内閣の法人減税策は、自民党と異なった成長戦略を描けない鳩山内閣の限界を暴露するものであると同時に、経団連という最大の利権集団との手打ちの意味合いも含まれているものなのだ。

■企業負担は高くない■

 経団連や鳩山内閣は、日本の法人税は諸外国に比べて高いとして法人減税の必要性を打ち出したわけだが、果たして日本の法人税は高いのだろうか。
 現時点で日本の法人税率は30%で、法人地方税・法人事業税を含めたいわゆる実効税率は約40%になっている。他方、フランス33%、ドイツ30%、イギリス28%、アメリカ40%、中国25%、韓国24%、台湾やシンガポールは13%台だ。(図表参照)
 これだけ見ると日本の実効税率は世界で最高水準のように見える。が、日本ではその税率の網があちこちで大きく抜け落ちている部分がある。甘い減価償却費計算や損金扱いされる貸倒引当金、それに多岐にわたる租税特別措置などだ。要は多くの企業にとって法人税を免れる多くの抜け穴があるのだ。法人減税の際に必ず持ち出される"課税ベースの拡大"とは、そうした課税対象から外された部分が大きいことの反映でもあり、法人減税への後ろめたさの表れでもある。
 それに日本の企業が納入する法人税額は、その経済規模からすれば驚くほど少ないのが実情だ。
 たとえばこの08年は11兆円、09年は10兆円で、10年度に至っては5兆円しか見込まれていない。法人税が最高額だった88年の約19兆円から見れば、なんと4分の1でしかない。高度成長期の終わりとともに個人所得税に追い越され、今では消費税の約10兆円と同じかそれをも下回っているのが実情だ。昨今の不況という事態を考えても、日本社会の中での経済活動に占める大きさから考えても、日本の法人税は少なすぎるぐらいだ。
 法人税がそれだけ少なくなっているのは、すでに過保護なほどの企業減税を実施してきたからだ。すでに触れた租税特別措置がその中心だ。
 たとえばこの5月に財務省が公表した試算では、10年度の租税特別措置での減収額が4・9兆億円にも上ることが明らかになった。減税額が6・9兆円、増税額が1・9兆円だ。増税では民主党が廃止を掲げてきたガソリン税の特別加算額もある。減税で最大のものは石油化学製品の原料になるナフサ減税で、これだけで3・7兆円にもなる。他にも研究開発促進税制での減税も1兆円近くある。
 これではすでに法人税のほぼ4分の1から2分の1が減税されているのと同じだ。実効税率はすでに実質20〜30%になっているというのが実態なのだ。

■日本の企業負担は低い■

 法人実効税率をどうしていくのかという場合、少なくとも上記でも触れた租税特別措置の撤廃など課税ベースの拡大、それに社会保険料負担を含めた企業負担のあり方を総合的に考える必要がある。
 日本では確かに法人税率だけを見れば、西欧など多くの国より高くなっている。しかし、社会保険料の企業負担分を含めた総額では、むしろ日本の方が低いのが実態だ。経団連や個々の企業は、厳しい対外競争を持ち出して法人税の引き下げを要求するのが常だが、社会保険料の企業負担についてはほおかむりしてきた。
 たとえば日本の社会保険料は医療・年金・雇用保険合計で賃金報酬の22・16%で、そのうち事業主負担は11・27%だ。これに対し、ドイツやイギリス・アメリカでは労使折半で日本とほぼ同じだが、フランスでは労働者9・61%に対して事業主31・9%、スウェーデンでは労働者6・95%に大使事業主28・58%(いずれも厚生労働省資料)で、事業主負担が大部分を占めている。
 労使折半のドイツでも保険料率は日本の22・16%に対して42・2%、うち企業負担は21・25%で日本の11・27%のほぼ2倍の企業負担を課されている。
 日本の社会保険負担率を国民負担率でどのくらいの比重を占めているかを見ると、日本の15・5%に対し、アメリカは9・8%、イギリスは10・0%で低くなっているが、ドイツ25・7%、フランス25・5%、スウェーデン19・7%と、これも大陸欧州は日本よりかなり高くなっている。
 これらを見れば、大陸欧州では事業主の負担は日本よりかなり高く、日本の企業負担が高くて国際競争に不利だ、などとはとてもいえないのが分かるだろう。
 なお、アジア地域を含めた新興国が相対的に低い法人税率を適用しているのは、途上国として外国資本を呼び込む一つの手段になっており、その功罪を含めて考えていくべきではないだろうか。現に、WTOでは法人税引き下げ競争は、実質的な輸出補助金と見なされ,違法扱いされているのだ。先発国であり世界第二位の経済大国の日本が、政府の補助金に頼らなくてはやっていけないというのは情けないし、それだけ自分たちの技術力・製品力に対する自信消失を示すものではある。

■空洞化は法人税のせいではない■

 経団連など企業側は、高すぎる法人税は日本企業の国外流出をもたらすもので産業の空洞化が進んでしまう、と脅しともいえる圧力をかけてきた。しかし、本当にそうなのか。が、日本や外国企業の国外流出などのケースを振り返っても、法人税が高いから日本を脱出したというケースはほとんどない。むしろ人件費や原材料費など、企業コストの比較や現地生産による低コスト経営へのシフトなどが主な動機になっているのが実情だ。
 法人税は所得に対する30%や40%という課税の問題で、製品原価総体に占める比重はそれほど高くはない。対して人件費や原材料費は製品原価の大部分を占めるもので、それが1割2割、あるいは2倍も3倍もの違いがあれば、それは製品原価を大きく左右する。だから企業はより安い人件費などを求めて、より後発国へと流れていくのである。
 もう一つの要因は為替相場の変動で、これも日本にとっては1円の上下でほぼ1%、10円の上下で10%の製品コストの上下動につながる。だから為替相場の変動は、その企業の評価─株価─を直撃するほどの影響をもたらすわけだ。
 企業にとってその国の法人税が低いに越したことはない。しかし、それが直ちに国外流出につながるかと言えば、そんなことはあり得ないだろう。多国籍企業化する大企業が海外展開するかどうかは、原材料市場や人件費、それに製品市場の動向を踏まえたそれなりの世界戦略にもとずいて判断されるもので、法人税の高低に左右される要素は大きくはない。結局は、空洞化を持ち出すのは、法人税引き下げへの口実に過ぎない。

■企業に切り込めない民主党■

 「国民の生活が第一」とマニフェストで掲げた民主党。今ではその旗印の多くははがれ落ちているが、今回の法人税引き下げ方針は、またしても労働者や庶民の期待への裏切り、大企業優先の自民党的政治への回帰を示すもの以外のなにものでもない。
 実際、鳩山政権は、法人実効税率に直接絡んでいる租税特別措置の撤廃や社会保険料の事業主負担の引き上げにほとんど手をつけられないでいる。たとえば衆院選マニフェストでも租特の全面見直しを掲げ、今度の参院選マニフェストでもその原則全廃を盛り込むという。が、10年度では結局09年より1300億円しか圧縮できなかったことに現れているように、産業界と経産省に押し切られてほとんど実現していないのが実情だ。社会保険料の事業主負担についても、手をつけるそぶりも見られない。
 労働者の立場に立って考えれば、民主党の根本的な弱点は企業に直接切り込む姿勢に欠けていることである。企業による解雇・人減らしや、それに派遣切りなどで鳩山内閣がやっているのは、企業に税金を投入することで失業者が増えるのを防ぐという、要は政府としての対処療法に過ぎない。企業に対する厳格な解雇規制、あるいは派遣労働での雇用者責任の強化など、企業に対する直接的な規制強化に取り組む姿勢はきわめて薄弱だ。
 マニフェスト実現に必要な財源は総予算の抜本的な見直しでいくらでも出てくる、とおお法螺を吹いて来た民主党政権。結局は財源不足を消費税の引き上げでまかなう議論を始めている。結局は大衆課税で財源を確保する一方で法人税引き下げに踏み込もうとする鳩山政権だが、よく考えてみれば、税制や企業に対する規制は労働者自身の闘いの課題そのものである。労働者自身による企業への攻勢が問われている。(廣)案内へ戻る


本の紹介・・・「醜い日本人−−日本の沖縄意識」大田昌秀元沖縄県知事の著書
        (1969年サイマル出版会発行、新版2000年岩波現代文庫発行)

 鳩山首相は一体何のために二度も沖縄訪問をしたのか?まったく理解に苦しむ。
 鳩山首相の結論は辺野古回帰で、「普天間の代替地はやはり県内、より具体的には辺野古の付近にお願いせざるを得ない」と述べた。辺野古の新基地建設案で自民党案に戻っただけである。『色々検討したが、沖縄から米軍基地を県外に動かすことは出来ない。沖縄の皆さんには、今までと同じように日米安保のために米軍基地の75%を引き受けて下さい。我慢して下さい。』と、まったく過去の自民党政府と全く同じ事を言っている。
 これでは沖縄県民は納得する訳がない。事実、5月23日に沖縄を再訪問した鳩山首相に対して、「裏切られた」「恥を知れ」「帰れ」と、ごうごうたる非難と怒りの声をあびせた。その脇を猛スピードの自動車で逃げるように通り過ぎる、日本の首相の姿はあまりにも情けない。もはや沖縄県民の怒りは頂点に達している。
 そもそも今回の沖縄基地問題のスタートは、1995年の少女暴行事件に抗議する県民大会にある。戦後50年たっても、米軍の軍事植民地として沖縄は支配され、その間沖縄県民は米軍による事故や米兵による犯罪に泣かされてきた。
 その怒りが爆発したのが95年の少女暴行事件に対する強い抗議の県民大会であった。それを契機として96年、日米両政府は5〜7年以内の「普天間飛行場の返還」を合意した。
 沖縄県民の気持ちは、ここからスタートしている。
 今日本政府がまず第一にやるべき事はこの沖縄県民の思いを理解し、沖縄の米軍基地の縮小・削減のために、米国政府との交渉を開始することであった。しかし、現在の鳩山民主党政権も結局は前自民党政権と同じで、米国政府の要求を優先して、沖縄にまた新たな犠牲を押しつけようとしている。
 沖縄県民が「またヤマト政府に裏切られた。政府や本土の人はまったく沖縄のことを理解していない。」と、怒るのも当然である。
 新聞やテレビでも「沖縄と本土では温度差がある。沖縄の基地問題に対して本土の人の関心はあまりにも低い。普天間基地の移転問題でも本土はまるで他人事だ。」とよく指摘される。
 世論調査では、本土では日米安保が必要だと容認する人が70%もいるが、しかし自分の住んでいる地域に米軍基地が来ることには反対する。事実、今回の普天間基地移設に対して自分の県だけには来てほしくないという反応ばかりであった。日米安保(米軍基地)は必要だが、その米軍基地は沖縄にお願いする。私たち本土はイヤだ、と言う態度である。
 沖縄県民もこうした本土の態度にワジワジ(いらいら)して、「米軍基地はヤマトへ!」「日米の軍事基地はヤマトへ!」というスローガンが今度の5月16日の普天間基地包囲行動で目立った。
 戦後の日米安保体制は沖縄の犠牲のうえに成り立ち存続してきたのである。さらに言えば、沖縄の犠牲のうえに本土の経済繁栄が続いてきた。この事を、本土の人はどのくらい理解しているだろうか?
 このような「沖縄差別」の上に日本社会が存在している事実を直視する必要がある。
 この「沖縄差別」の事実をはっきり指摘した人がいる。その一人が元沖縄県知事の大田昌秀さんである。
 今、沖縄が大変注目されているが、この沖縄問題の本質(沖縄問題は本質的に本土問題である、と大田氏は指摘する)を学ぶ意味で、大田氏が書いた「醜い日本人−−日本の沖縄意識」いう本を紹介したい。
 冒頭に「日本人は醜い−−沖縄に関して、私はこう断言することができる」と書かれ、読んだ私もドキッとした。
 しかし、沖縄と本土の歴史を丁寧に説明しながら、「沖縄差別」の実態を切実に訴える内容に引き込まれていった。
 第1章の「醜い日本人」では、次のような指摘がある。
 「本土と沖縄との決定的な差異について。本土と沖縄との決定的な違いは、本土の人びとが曲がりなりにも独立国として平和憲法の適用を受けて生活しているのにくらべ、沖縄では、核基地のなかで憲法の保護もなく、外国軍隊に占領され、人間としての基本的権利さえ拒否されて、生活しているという厳然たる事実である。」
 「沖縄の米軍基地は、そのほとんどが沖縄本島に集中していて、現在、沖縄本島の全面積の14%が基地に使用されている。別の面から言うと、沖縄の59の市町村のうち、米軍用地は、45の市町村にまたがっている。それも市町村の全面積の60%ないし78%が軍用地になっているところが、十カ市町村もある(1999年3月現在、53市町村中、25が基地を抱えている)。・・・沖縄は、ほぼ神奈川県一県の広さとみてよいが、・・・本土全体に146の基地があるのにくらべ、日本の一県でしかない沖縄には、117(現在は38だが、それでも在日米軍の約75%を占める)も基地がある。」
 第2章では、「沖縄戦における犠牲の意味」を次のように指摘している。
 「大本営が沖縄での航空作戦に決戦を求めた海軍や守備軍の当初の作戦計画をおさえ、天号作戦(沖縄決戦)を捨て、決号作戦(本土決戦)に切りかえた事も、勝機をにがした重要な要因であった。つまり、よしんば日本軍に戦える飛行機があったとしても、本土決戦に踏み切った以上、沖縄地域への飛行機の投入は中止され、本土決戦のために温存されることが、確定していたからだ。」
 「結局、大本営にとって沖縄は、サイパンや硫黄島同様に『離島作戦』以上の何ものでもなく、いきおい沖縄に駐留する二個師半の兵力と40余万の住民は、玉砕するのもやむをえない。いや、それよりほかに道はない、と見切りをつけていたのである。」
 まさに、沖縄戦とは本土防衛・国体(天皇制)護持のための時間かせぎの「捨て石」作戦であった。
 第3章の「沖縄のアメリカ人」という項目では、『解放者』として現れたアメリカ人が、今度は『占領者』として登場してくる様子を書いている。アメリカ陸軍の大将・中将が沖縄の最高支配者である琉球列島高等弁務官となり、沖縄を軍事植民地として統治した。
 第4章は「醜さの根源」と言うことで、1609年の薩摩藩の琉球侵略と収奪の実態を次のように指摘している。
 「一説によると、300年にわたって薩摩が琉球から収奪した土地税は、全収穫の10%に相当する8600万石だと言う。」
 さらに1879年の「琉球処分」(明治政府は琉球藩主・尚泰の逮捕権をおりこんだ武力を背景とした処分案を決定し、処分案を命ぜられた松田処分官は、軍隊と警官を率いて来島し、藩主・尚泰と二人の王子を東京に移住せしめ、琉球藩を廃止し沖縄県を設置する廃藩置県を断行した)によって、500年余も続いた「琉球王国」は滅んでしまった。
 大田氏が本土の人間に是非考えてほしいと訴えている最大の問題点は、1952年4月28日に発効した「サンフランシスコ講和条約」であると指摘する。
 「沖縄の人びとは、沖縄を分断してはくれるな、と有権者の72%におよぶ署名を集めて政府に請願したが、完全にその意思は無視されてしまった。そのため、沖縄では、講和条約が発効したその日を『屈辱の日』として、毎年、組織労働者たちを中心に抗議デモをくり返してきた。」
 「沖縄住民が、何度もくり返して本土の日本人に要望していることは、ぜひもう一度ふり出しに戻って考えてもらいたい、ということである。すなわち、本土政府と国民が、対日平和条約において、沖縄96万人の住民の意思を問うこともなく、本土自体の独立をあがなう代償として、沖縄県のみをその住民もろとも異国に譲り渡してしまったと言うことだ。したがって、沖縄問題は、決して単なる沖縄県のみの問題ではなく、本質的に『本土問題』であり、日本国民すべてが解決に当たるべき問題だと言うことである。」
 このように沖縄の歴史・・・薩摩藩の琉球侵略、明治政府の琉球処分、捨て石とされた沖縄戦、沖縄と小笠原だけが切り捨てられた「講和条約」、軍事植民地によるアメリカ支配の実態・・・等々。学ぶべき内容が多くある。沖縄問題に関心をもっている方はもちろん、そうでない日本本土の全ての方にも是非読んでほしい本である。(英)案内へ戻る


色鉛筆−それぞれのエンディング

3月初旬、早朝に義母の死亡の知らせがありました。特養での生活もベットで過ごす時間の方が長くなり、面会に行けばたとえ一言でも会話ができないかと、呼びかける日々でした。1週間前ぐらいから症状が思わしくないとの連絡が義姉からあったにもかかわらず、忙しさに追われ面会を先伸ばしにしてしまい、後悔しているところです。
 義母は新聞を好んで読み、政治にも関心を持ち、私たちの活動にも理解がありました。元気な頃はワーカーズの読者でもあり、私たちを励ましてくれました。孫達への愛情も深く、どの孫にも平等に誕生日のお祝いを欠かすことはありませんでした。
 お通夜の日は、ちょうど私たち主催の「現代を問う会」の例会が昼間にあり、どうしようかと迷いましたが行なうことにしました。きっと、お義母さんなら分かってくれると思いながら・・・。お通夜の会場では、私たちの到着が遅く連絡が取れないとのことで、身内には迷惑をかけてしまいました。
 その後、職場の同僚のお母さんが亡くなり、実父の十三回忌の法事、父方の叔母さんが亡くなりと、1ヶ月ぐらいで不幸が続きました。お葬式はお別れをするための儀式なのに、会場を借りての葬儀は商業ベースに乗っかったものになってしまうのを実感しました。驚いたことに、遺影をバックに親族参加者の集合写真があり、なんで? と不思議でした。すべてセット料金とか・・・。まるで結婚式のよう。
 自分はどういう風に死を迎えたいのか? そろそろ考える時が来ているのかもしれません。その前に、わが家で積読状態になっている本・資料を整理していくのが目下の課題です。集中力の衰えを感じるこの頃ですが、どうやったら家がかたづくのか思案しています。古本売り場で、購入した「詩と死をむすぶもの」(詩人と医師の往復書簡)は谷川俊太郎と野の花診療所≠フ医師・徳永進氏の2年間に渡る魂の記録です。この間の経験が、私の関心を「命のエンディング」看取る人・逝く人に引き付けたのです。感想はまたの機会に・・・。(恵)


コラムの窓 「仕事のミス」と労働科学

 トヨタの「ブレーキ不具合」による、アメリカでのリコール問題。ブレーキの設計に問題があったのか?製造ラインの作業にミスが頻発したためなのか?いずれにしても、死亡事故の原因がが車の欠陥にあったのではないか、問題にされている。最先端(?)の「QC」(品質管理)「ZD」(事故防止)運動で、労働者をガンジガラメに管理し、出荷前の走行テストも徹底してきたはずの「あのトヨタが?」と、日本の労働者から驚きの声が上がる。「やっぱり、アメリカで生産すると、こんな問題が起きるんだよ。」と、さもアメリカの労働者の作業がいい加減なのだといいたげな「嫌米派」の意見も聞こえてくる。
 宮崎県の牛や豚に、ウィルス感染病の「口蹄疫」が広がり、肉牛だけでなく「種牛」まで殺処分となり、この種牛によって生まれた子牛をもとにした「松坂牛」や「佐賀牛」など、全国のブランド牛までが、壊滅の危機に立たされている。これも、「感染をもっと早く発見し、早めに処分していれば、ここまでにいたらなかったのに?」と、行政や業界の「判断ミス」を問題にする声が上がっている。
 小規模の家内農業や手工業の場合は、製品の欠陥は、それを作った職人(農民)の個人的な技量の問題とされ、弁償すれば(あるいは店が廃業となれば)、それで済んだかもしれない。しかし、現代はあらゆる生産やサービスが大規模化され、組織的に行なわれている。したがって、仕事のミスも個々人の労働者の不注意としてではなく、組織的・構造的な解決をしなければ、次にまた同じミスが起きる。
 かく言う私も、600ベッド規模の大きな病院の検査室で、毎日何百本という患者さんの血液の試験管を相手に、「ミスと隣り合わせ」の仕事をしている。製造業の「品質管理」にあたるのが、検査の「精度管理」で毎日「試薬の劣化はないか?」「機械の異常動作はないか?」マニュアルにそって「XバーR管理図」というグラフとにらめっこしている。
 また製造業の「ヒヤリ・ハット」に当たるリスクマネジメント活動が、病院では「インシデント・レポート」を軸にした医療安全活動である。検査データの誤報告や投薬ミス、患者の取り違えや転棟事故など、毎月百件を超す事例が現場から報告され、院内の委員会で審議され、再発防止の方策が話し合われる。
 患者さんの治療に重大な影響を与える「事故」が「氷山の一角」だとするなら、それは「事故に到らない」小さなミス「氷山の裾野」の上に起きるものである。だから、事故にいたらなかった「小さなミス」を率先して報告し、早めに対策を講ずることで、重大なミスを防ぐという考え方である。したがって、「レポート」は、その職員の責任を問う「始末書」ではない。人事的な処分とは次元の違う問題であることが周知徹底される。
 以前、昼休みに控室のテレビで、新人の看護師が医院に就職し、そこでいじわるな医師や看護師に囲まれて「成長」(?)していく、「メロドラマ」だか「ラブコメディー」だかわからない番組をやっていた。急患が搬送されたのに、新人の看護師が人工呼吸用のアンビューバッグを探すのに手間取って処置が遅れ、あとの会議でみんなから責任を追及される場面があった。今時、そんなことをやっている病院があったら、行政当局がとんでくる。対応を誤った看護師を会議で追及するなど、もっての外である。
 そもそも救急処置用具は、必ず「急患室の中に、誰でもわかるようにマークをつけて設置する」のが鉄則である。職場にリスクマネージャーを置いて、ミスにいたるプロセスを客観的に分析し、再発防止のためにどうするか、それを会議で話し合うようにしなければならない。どこの病院でも、今や当り前になっている、そういうことを知らずにシナリオを描いたライターも問題だが、そのシナリオを現場関係者に監修してもらい、チェックする手間を省いたプロデューサーも問題である。これもまた「ドラマ業界の構造ミス」と言えようか?。
 さて、ここまでは仕事のミスを防ぐための「制度」の話。視点を「ミスを犯す前後」の労働者本人に移して考えてみたい。まず、ミスを犯しやすい環境を考えると、いくつか共通点がある。
 まず、休み明けの月曜日(土日以外が週休日ならその翌日)にミスが多い。これは心身が十分にウォーミングアップしていないのに、休み中にたまった業務(注文)がどっとくるからのようだ。
 つぎに、夜勤明けに無理して仕事をすると、普段は考えられないようなミスをする。これは、そんなに詳しい説明はいらないだろう。「人が足りないから、帰るのが悪い」と良かれと思って手を出したばかりに、かえって同僚に迷惑をかけてしまう。僕などは「何か仕出かさないうちに消えます」と言って帰るようにしている。
 さらに、担当業務を交代して、一、二週間たったころ。当初はマニュアルを見ながら、おっかなびっくりで仕事をするので、「仕事が遅れる」ことはあっても、ミスは意外と起きない。危ないのは、体が慣れてきてマニュアルを見なくなった頃である。ある機械は試験管のキャップを外してかける。もう一つの機械はキャップをしたままかける。この単純なことが、体が慣れてくる過渡期で混線することが起きるようだ。4月の勤務交代時は、実は「ミスが頻発する季節」でもある。
 深刻なのは、「ミスで気が動転し次のもっと重大なミスを呼ぶ」ケースだ。人間はミスを犯すと、「しまった!」という自責の念、「どうしてこんなミスを犯したのか?」という反省作業、「責任をどうとるか?」という不安、これらのことが、いっせいに脳裏をよぎる。その結果、作業が上の空になって、次のもっとひどいミスにつながる。ミスが起きたあとは、すぐ休憩を取るか、次の作業をスローテンポでやるかし、周囲にも「ちょっと今、頭が真っ白なもんで」と正直に表明したほうが身のためである。
 さらに深刻なのは、ミスが3回続いたとき。「注意しているのに何故また?」と、自信喪失に陥ると、なかなか回復できなくなし、四六時中「ミスを犯すのでは」という不安にさいなまれ、しかも実際にミスを続発する悪循環にはまってしまう。「神社にお参りに行こうか?」とか「占い師にみてもらおうか?」という気持ちになる。実際、知りあいのタクシーの運転手が、接触事故を続けて起こしたときは「さすがに引いた(自信を失った)ね」と、すぐ会社を辞めてしまった。現実的には賢明だったかもしれない。もちろん辞めないですむなら、それに超したことはないのだが。この状態は、実は過労か、うつ病か、いずれにせよ、仕事は休み休みゆっくりすべき状態には違いない。
 「仕事のミスを防ぐ」。本人の自覚の問題か?効率優先の資本主義的生産の問題か?人類が労働する限り「永遠のテーマ」でもありそうだ。ミスのプロセスを科学的に分析し対策を講じる「リスクマネジメント」がテーラー主義以来の経営側の「科学的労務管理」であるなら、ミスを起こす前後の「労働者の気持ち」を率直に語り合う場を設け、心理的な面から助け合い、必要なら理不尽な処分から身を守り、会社の経営体質の問題を告発していくのは、職場の労働者組織の課題(労働相互扶助)である。(誠)案内へ戻る


読者からの手紙

 「購読を止めようと思いつつ、止められない自分とは何か? 個人的にも孤立・孤独を生きている私だが、希望・展望・指針なき混濁の世に、それでも生の根拠・在処を求める私にとって、今后に具体的に人民が依拠し、連帯と協働、戦争と抑圧・貧困まで希望と光明の世界を求める理論・思想、何よりも運動と闘いが見出せない中、ワーカーズ始め、いくつかの活動を母胎にした闘う情報誌は、崩れそうな私をかろうじて支えている。関西生コン連帯労組は、資本と権力の弾圧・取り締まりに抗して、果敢な戦いを展開している。ワーカーズはこれをどうみるか? 自分達の見方が唯一であると無視していては、日本の労働運動・政治変革は夢の又夢になろう。小異を捨て大同につくをモットーに!」(f)


 演劇ナース・ステーション≠見て

 上町線、いわゆるチンチン電車、「天神の森」の駅に近くの関西芸術劇場。5〜600席もあろうか。客席いっぱい、約2時間のお芝居「ナース・ステーション」をここに紹介する。
 産科がメインの病院の詰所が舞台。そこに登場する患者の一人、この病院の産婦人科主任のしっかり者の姉に常にコンプレックスをもつ、ぐれた妹は大きなオナカを抱えた患者。嫁・姑の問題に悩む患者の老女をめぐって、医師・看護師の現場詰所に登場する人々は、それぞれの生活を背負った生きざまをかいま見せつつ、かの妹の赤ちゃんの死産という事件を経て、それぞれ「生」に向かって、みんなが歩き出すというところで幕。
 詰所で出会う看護師・医師たちの交す合言葉が「お疲れさま」。主任看護師の妹の自傷事件、死産に荒れる妹に対し、つきつけた医師のことば、
「産むということは、母となる人、生まれいずる子ども、医師、看護師の共同作業なのだ」
まさに「せりふの時代」といわしめる劇であった。このコトバはどのジャンルの現場にも共通していることであろう。
 詰所という医療現場(この現場では小道具として 花 ≠ェよく使われる)に現れるさまざまな人々の病院での日常生活を通じてそれぞれの「生きる意味」を追求し、スタートラインに立ったところで大団円。
 登場する個々の人びとが内に抱える苦をかいま見せつつ、「失われた命」を超えて、みんなが、老女ですら「新たな生」へと踏み出すという、花言葉をからめて(舞台には常に花があった)まさに夜明けの鎮魂歌ならぬ鎮魂花のお芝居であった。病院統廃合の経営の危機という現実に直面しつつも。
    2010・5・9 宮森常子
附記
 経済事情の危機が大きくのしかかる今日この頃、このような(劇中の)内面の力もこの危機を耐えのり越えていくひとつの力となりますよう。

「孤独死が2件あり、失われた人と人との絆を作るべくはじめた雑誌ですが、なかなか書くということになじめない人が多く、私への苦情も出はじめ、・・・そんな時ワーカーズ5月15日号の書評らんの『自分を信じてゆっくり進め』というコトバにはげまされました。ありがとうワーカーズ紙」  宮森常子案内へ戻る


メーデーアピール

民主党政権に依存することなく、自らの闘いで状況を切り開こう!
――個別企業・雇用形態の壁を乗り越えて総反乱へ!

■今こそ総反乱を

 市場・利潤万能社会がつくりだし拡大する一方の「格差社会」で労働者・勤労者は、ズタズタにされている。ワーキングプア≠ノ象徴される現状に異議申し立てする反乱が、いまあちこちで始まった。
 昨年八月総選挙での自民党等の大敗北と民主党の大躍進は、労働者・勤労者の怒りで勝ち取られたものである。
 しかしながら民主党政権への期待は急速にしぼみつつある。あまりにも民主党のやることなすことはちぐはぐである。期待された労働者派遣法の改正も中途半端なのである。
 この10年のあいだに進行した理不尽な「格差社会」に対する帰結として、労働者・勤労者は労働組合を結成する等、草の根からの反乱が澎湃としてわき起こっている。
 沖縄の普天間基地移設の結論が五月末に予定されている。すべての労働者・勤労者は民主党の裏切りを許さないだけでなく、彼らに依存する事なく、自らの闘いによってこの困難な状況を切り開いていかなければならない。
 私たちこそ時代を切り開くことができる唯一の勢力である。

■「格差社会」は弱肉強食の市場原理が生み出した

 ますます集中化する大都市と衰退する地方、多国籍企業を中心とした大企業と系列・下請けを含む中小・零細企業、利益をため込む企業と雇用・賃金・労働時間で日々劣悪化する境遇の労働者、ごく一部のエリート労働者と圧倒的多数の不安定雇用と長時間労働の企業戦士への二極化、激増した明日をもしれない非正規雇用と馬車馬以上の働きを強要される長時間労働の正規労働者……。「格差社会」はますます二極化へ向かっている。
 しかしこれは自然現象ではなく人災である。利潤万能の市場原理とそれを推し進める経営側に責任の一切がある。何より大切なのは労働者・勤労者の立場に立った対策である。
 「生活が第一」の民主党も、支持母体である連合も、労働者・勤労者の立場にない。私たちは民主党や連合に労働者・勤労者の立場に立った各種の政策の実施を要求する。

■際限がない経営側の利潤至上主義

 「平成」不況下で進行する「格差社会」の直接の発端は、日経連の雇用形態の三類型化=Aそれしてこれに呼応した政府の派遣労働の解禁・緩和だった。“労働ビックバン”を掲げる経営側による利潤万能主義はこれにとどまってはいない。08年の4月に施行された労働契約法は、経営主導による労使関係再編の第三弾だった。
 それは、労働協約と労働組合の骨抜きをねらった就業規則至上主義、それに経営側の悩みの種になってきた労使紛争の封じ込め政策に他ならない。こうして労働者・勤労者の反撃は不可避となった。生きるためには闘っていかなければならないからだ。
 だからこそ、民主党の政権交代に大きな期待が寄せられたのである。しかしこの期待も急速にしぼみつつある。しかし大切なことは彼らに期待するのではなく、自ら闘うことである。年収二百万円に満たない一千万人の労働者・勤労者の力を組織する事なのである。

■日本的新自由主義≠ヘ破綻した

 思い起こせば90年代以降、日本の企業や財界はグローバル経済のもとでの対外競争力の強化を錦の御旗にリストラを強行してきた。ところが現実には90年代以降、日本企業の競争力は高まるどころか低迷から抜け出せないでいる。
 たとえば社会経済生産性本部の調査では日本は経済協力開発機構(OECD)加盟30カ国の19位で、主要先進7カ国では11年連続で最下位でしかない。成果主義処遇も“職場力の崩壊”というしっぺ返しを受け、いままた集団主義への復帰の模索を余儀なくされている。こうした状況は、形を変えた労働者の反乱である。
 しかし今求められているのは消極的な抵抗ではなく、彼らを追い詰める積極的な闘いである。まさに総反乱を開始していかなければならないのである。

■生きさせろ∞私たちは人間だ≠ェ時代の旗印!

 非正規労働者自身による、生存ラインぎりぎりからの生きさせろ∞私たちは人間だ≠フ叫びから始まる反乱や過労死と隣り合わせ≠フ正規労働者による長時間労働を拒絶する反撃。こうした資本家たちの身勝手な人件費抑制への不服従の闘いを始めていこうではないか。
 すべては自らの目前で行われる現状を労働者・勤労者の立場から告発する決起から始まるのである。民主党政権に期待するのではなく、自らの力を自覚し、多様な反乱を一つの力にまとめ上げ、労働者・勤労者の共通の闘いとして、すなわち個別企業や雇用形態の壁を越えた均等待遇≠実現する闘いを拡げることだ。未来は闘う労働者のものだ。
 すべての労働者は、個別企業や雇用形態の壁を越えて協力し、共通の目的に向けて決起しよう!  
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編集あれこれ

 沖縄の米軍基地の存在が、これまでになく国民的関心を呼んでいます。皮肉ではなく、これは鳩山首相の功績と言っても過言ではありません。本紙の紙面でも、多方面からこの問題を取り上げてきました。前号においては、沖縄の人々は米軍のための新基地建設を絶対に認めない、また実際的にも沖縄の米軍基地は撤去できるということが述べられました。
 新聞の読者の声などでも、「沖縄に住んでいる人からみれば、普天間問題が国民の関心を引くだけでも一歩前進ですし、より悪くなったと思ってないのでは。確かに最初の県外移設から交代していますが、沖縄が日本全体の問題と意識されたという点で、これからに期待です。総理は火中のクリを拾おうとしているわけですよ。頼りないけど」(神戸新聞)とあります。本紙も、総理に火中のクリ≠拾わせるために、引き続き情報発信を続けます。
 ギリシャの体制的危機が取り上げられ、これが容易にユーロ諸国に及ぶこと、だからこれを必死で押さえ込みにかかっていることが述べられています。そして、こうした例にもれず、「すべてのしわ寄せは、労働者や勤労者へという事で、ゼネスト等の闘いが起こる」ということです。しかし、国家債務ということでいえば、日本も半端ではなく危ない状態にあり、それこそ米軍のための財政支出などやっている場合ではないのです。
 もんじゅの再稼動、やはり警報が鳴り続けているようです。この危険極まりない金食い虫、いつまで生かしておくのか。原発関連の金まみれも、もうやめたらどうかと思います。関電・高浜原発でのプルサーマル計画では、福井県と高浜町には交付金60億円の約束が出来ているし、敦賀原発の「増設にからむ交付金は145億円だが、未着工なのに前倒しですでに32億円が敦賀市に払い込まれている」(「脱原発政策実現全国ネットワークニュース」27号)といった具合で、ため息が出てしまいます。
 保育園での感染症の蔓延、本当に切なくハラハラする色鉛筆の記事、子育て中の働く母親は切実ですね。私の娘も、子どもが熱を出したといえば、誰が面倒を見るのか、仕事はどうなるのか、大変なようです。私たちも仕事があるので、そんなに役立ってやれません。いつまでたっても、子育ての負担は母親に大きくのしかかり、その負担を軽減するための仕事上の保護策もないに等しい状態です。育児休業という制度はありますが、ほんの一部分しかカバーできていません。
 いろんな題材を、いろんな角度から料理する、「ワーカーズ」はそんな紙面を目指しています。多くの読者の皆さんの投稿がその実現への力となります。ぜひ、原稿をお寄せください。  (晴)案内へ戻る