ワーカーズ418号(2010/6/15)
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鳩山から菅へ、この交代劇に希望はあるか?
普天間閉鎖と辺野古新基地建設撤回をめざそう!
6月2日の鳩山由紀夫首相退陣声明、4日の菅直人民主党新代表就任、同日の首相指名、そして8日の菅内閣発足と、アッという間の交代劇だった。同時に、民主党小沢一郎幹事長が辞任し、民主党も新体制へ移行した。これによって底を打っていた支持率も回復し、予定通り参議院選挙を実施すべきという、改選を控えた議員の声も聞こえる。全てがいい回転へと転じたかであるが、菅政権は普天間移設≠フ呪縛から逃れることは出来ない。
退任の日となった4日、鳩山首相は普天間問題について「もう一回、歴史をそこまで戻して」と、悔やんだという。防衛官僚に操られた北沢俊美防衛相や、米国の恫喝に恐れをなした岡田克也外相を放置し、自らが掲げた公約の実現に執念を燃やした形跡もない。それで、後悔もないだろうと思うが、それこそ命を賭けて沖縄の米軍基地をなくすために闘うべきであった。闘う相手は米国の高官、知日派≠ニいった連中だけではなく、国内の戦争勢力や外務・防衛官僚、さらに党内・閣内にまで及んだとしても、鳩山首相の選択を免罪することは出来ない。
菅新体制は脱小沢を基調に、多くの閣僚が再任されるなかで世代交代が進み、目前の参院選に効果が期待できそうだが、松下政経塾の暗い影が濃くなっている。また、国民新党との連立継続によって、選択的夫婦別姓や外国人地方参政権の法制定がさらに遠のきそうである。菅新首相は普天間移設の日米合意について、既定方針であり見直すことはないとしている。しかし、辺野古への米軍新基地建設は不可能であり、この路線は破綻を免れないだろう。
さて、我々は菅新政権にいかに対処すべきか。何よりも、鳩山が残した対米合意を撤回し、危険極まりない普天間飛行場の即時撤去を、要求しなければならない。それなくして、敗戦後も続く米軍による沖縄占領≠終わらせる道に進むことは出来ない。これはまた、日米安保破棄への道であり、非武装の日本、丸腰の外交で世界平和に貢献する道である。沖縄の米軍基地負担軽減は支持するが、米軍がいなくなると不安だといったふやけた姿勢は一掃し、北であれ中国であれ、丸腰外交しかないことを確認しよう。
(折口晴夫)
菅内閣は普通の政権──バラマキから増税へ──
菅内閣が発足した。政治とカネ≠ニ普天間基地という前政権の借金を、鳩山・小沢のツートップ辞任で帳消しにした政権たらい回し=B菅内閣の顔ぶれを見れば、民主党政治エリートの面々が勢揃いだ。たしかに参院選を前にした民主党政権の目先の人気回復にはつながった。
が、ツートップ退陣につながった看板倒れのマニフェスト政治の立て直し、政治とカネ≠ニいう民主党政権のくびき、それに普天間問題はなんら解決していない。
それ以上に、菅政権の顔ぶれと政権の基本方針を見れば、官僚主権政治の打破は出足から大きく後退し、内部では大きな政府℃w向と新自由主義の混在を見て取れる。結局は、政権政党として多方面に顔を向けた全方位政治を進めることになる。
しかし選挙での政権交代で生まれた民主党新政権。当初の看板は明治以来の革命政権という触れ込みだったはずだ。鳩山政権がたどった道と同じように、遠くないうちに菅政権も普通の政権政党に変質し、内包する矛盾が顔をのぞかせるだろう。(6月10日)
■庶民派宰相?■
新内閣の発足で高支持率を集める民主党と菅内閣。永年の念願が叶って首相の座にまで上り詰めたのは快挙ではある。しかし、本人が言うように、はたして菅直人はいまでも庶民派・市民派であり、ほんとうに庶民派(市民派)宰相といえるのだろうか。
選挙を市民の手に取り戻すとして1974年に故・市川房枝を参院選全国区に担ぎ出してスタートした政治生活。当初の思いは疑いないだろう。が、反面では強烈な上昇志向、権力志向も併せ持っていた。大きな事をやるには地位(権力)が必要だと。そうした思いは中学の卒業写真に「総理になりたい」と書いたり、酒席での常套語だといわれる必ず天下を取る≠ニいう発言に垣間見える。
菅首相には82年秋に政権の座についた中曽根康弘が重なって見える。発足当初は田中曽根$ュ権と揶揄され続けた。が、田中角栄元首相に実刑判決が出たり脳梗塞で倒れた4ヶ月後、戦後政治の総決算=i=保守革命)を掲げて田中角栄のくびきを振り払って長期政権を築いた。
その中曽根は衆院選初当選の頃、「憲法改正の歌」を発表するなど青年将校≠ニして政治生活をスタートさせた。若いときから総理大臣をめざすことを公言し、憲法改正や首相公選制など、大胆な発言でも注目されていた。
その中曽根は小派閥ゆえの辛酸をなめ、田中角栄に取り入って政権の座に就いたが、それは戦後政治の総決算≠ニいう大事業を実現するためだった。結果はともあれ、信念と権力志向を併せ持った政治家ではある。
その中曽根と重なって見える菅首相。官僚主導政治の打破を掲げ、薬害エイズ問題では無いはずの資料を発掘して人気を集める一方、権力に近づくためとして03年には自民党以上に自民党的な小沢自由党との合併(民由合併)も実現する。その小沢とは鳩山由紀夫を含めて民主党内でトロイカ体制を築き、いま好機と見るや小沢切りに踏み込む。要は権力への執着は人一倍強いという面が顔をのぞかせた瞬間でもある。
リーダーたらんとする人にとって、上昇志向、権力志向の野心はつきものだ。民主党にもそういう人はいっぱいいる。問題は権力の座に就いてから当初の理想を実現できるかどうかだ。とはいえ、理想の社会とは権力の行使によってしか実現しないという発想自体が危ういものだ。結果はと言えば、それは菅内閣が終わってみないと分からない。が、すでにいくつも黄色信号が出ていることは内閣発足後数日だけの発言や態度にも垣間見える。
象徴的なのは、官僚との融和姿勢だ。
官僚主権政治の打破≠ヘ、菅直人の一枚看板ともいえるものだった。ところが就任直後に打ち出した5項目の「政権の基本方針」では、「最小不幸社会」を実現するためにも、「緊密な情報共有と意思疎通」「一体となって政策運営に取り組む」という方針を打ち出した。鳩山政権の反省からだという。
そんなことを今更言われて鼻白むのは、私だけではないだろう。何のことはない。野党時代や自分が一閣僚だったときには際だった反官僚派の旗頭だった菅直人。要は目立つこと、首相の座を手にするための方便だったと言われても仕方がない軌道修正だ。
むろん「情報共有」や「意思疎通」が、即、官僚主導だというつもりはない。しかし、内閣の意に反する官僚は辞めてもらう、という鳩山政権発足時の決意とどう結びつくのだろうか。政権運営の推移のなかで検証する以外にないが、政権発足当初から腰砕けという評価は免れない。
普天間問題でも同じだ。鳩山首相を支えるはずの副首相。本来は国外・県外移設を掲げる鳩山首相と二人三脚で実現をめざす立場にあった。が、首相のイスの棚ぼた¢メちでダマ菅≠決め込んだ。庶民派(市民派)宰相、奇兵隊内閣というなら、政権の座を手にしたまさに今この時、普天間基地撤去のために邁進すべきなのだ。それが沖縄県民の意を受け止める庶民派宰相の姿ではないのだろうか。
現実には日米共同声明を締結してしまった鳩山首相の後を受けた菅内閣、国外・県外移設を再提示しての日米交渉の仕切り直しの旗を掲げては民主党新代表にはなれなかっただろう、さっさと日米合意の遵守を掲げて代表の座を獲得した。またしても沖縄の思いは権力の座の前に跳ね返されてしまったわけだ。
目的と手段は入れ替わりうる。当初の市民本位の政治という看板は、本格政権≠めざす全方位政治、政権存続至上路線に席を譲りつつある。
■ジグザク路線■
満を持して登場した菅内閣。それにしても「最小不幸社会」という政権の目的を掲げた菅首相が就任直後に打ち出した5項目の政権の基本方針は、何とも無難なものだった。旗印は「経済・財政・社会保障の一体的立て直し」だ。要は財政支出も使い道次第で経済成長や社会保障の拡充につながる、というものなのだという。とはいえ、中身はといえば、情報産業や福祉分野への財政支出による成長戦略を描き、その成果を社会保障に向ける、という抽象的なスローガンの域を出ない。
これまでの流れをみてみる。小泉政権は「改革なくして成長なし」として国民に血を流す覚悟を求めて、新自由主義の立場から経済の構造改革を目指した。対して麻生内閣は、リーマンショック以降の「不況は全治3年」と言って、それまで定額給付金の支給やエコポイントなどの財政出動で経済を立て直すとした。民主党はそれに輪をかけて大盤振る舞いし、当初の民主党方針をエイ、ヤ≠ニばかりに大幅に増額して子供一人26000円の「子ども手当」をぶち上げた。単なる選挙戦術だったことは、後になって分かったことだった。
菅内閣は、こうしたバラまき政治、放漫財政を方向転換させようとしているわけだ。現に財務相に就任して以降、菅直人は財政規律≠ノついて言及することが多くなった。なにも財務官僚に取り込まれてというわけではない。政権の課題そのものとして財政規律を考えないわけにはいかなくなったということだろう。
結局どういうことなのだろうか。それは政権が直面する政策課題に答える、ということにつきる。本格政権をめざす以上、それは自然の成り行きでもある。当然ながら、市民運動という出自に関わる初期の理念の実現は脇に追いやられることになる。
ところで「経済・財政・社会保障の一体的立て直し」は可能なのだろうか。ここでは詳しく立ち入れないが、それは難しいだろう。なぜかと言えば、グローバル化した世界経済のなかでの国内のデフレ経済と格差社会構造、それに40兆円から30兆円の供給過剰経済の中で、財政によるテコ入れにだけでは、経済成長は不可能だからだ。
「選択」と「集中」はどうか。国民政党、全方位政党として小選挙区制度での政権の座に固執する限り、「選択」と「集中」でどこかを大胆に切り捨てるという決断はできない。
「一体的立て直し」という場合、結局は大きな政府≠指向することになる。経済を成長させ、税収を確保して社会保障に振り向ける、という路線だからだ。いわば修正ケインズ主義ともいうべきものだ。
その場合、経済成長が鍵を握る。だから民主党政権は成長戦略として企業支援につながる法人税の引き下げをめざす方針を打ち出したわけだ。それでも経済成長は難しい。結局、増え続ける社会保障費をまかなうためには増税に走らざるを得ない可能性が高い。現に、菅首相は財務相時代から消費税増税の布石を打ってきている。菅首相は税制の抜本改革≠掲げている。この言葉は消費税増税と同義の言葉に他ならない。仮に本格政権──長期政権となれば、菅内閣は橋本内閣以来の、消費税の増税を成し遂げた内閣という勲章≠得ることになるだろう。
■当事者運動■
繰り返すことになるが、民主党マニフェストは政権取りのための選挙戦術だった。行きがかり上、選挙戦術をそのまま政権目標として進めざるを得なかった鳩山政権の頓挫は、しごく当然のことだった。菅政権はそんなヘマを繰り返すわけにはいかない。だから普通の政権への先祖返りなのである。
そんな菅政権、いく手にはいくつものハードルが待ち構えている。私たちとしても、その都度菅政権がはらむ問題を追及し続けるだろう。その場合、当然ながら私たちは政治劇場の観客に止まっているわけにはいかない。結局は、自分たちの行動と闘いによって、局面を切り開いていく以外にないからだ。
民主党政権で好評だった事業仕分けについても、一皮むけば露骨な政治ショーの意味合いを帯びたものだった。有権者もお気に入りの役者を舞台の上に探す、という態度を未だ脱していない。その有権者の最大の無策と惰眠の責は私たち労働者が負うものであり、また左派を自称する私たち自身に他ならない。
一例を挙げる。民主党の峯崎財務副大臣が、6月5日に閉幕したソウルでのG20で、法人税の引き下げ競争を辞めるべきだと提案した、と明らかにした。国内では他国にあわせるとして法人税の5%引き下げ方針を直嶋経産相が明言しているにも関わらずだ。意図と結果はともかく、発言自体は当を得たものだ。
利益獲得競争を旨とする企業がなしえないこうした主張は、民主党政権の課題というより本来的にインターナショナルな存在である労働者や労働者の団体こそ追求すべき課題のはずだ。連合を始め日本の労働団体には、そうした世界共通の労働者や生活者の要求を掲げて自国の政権と対峙し、国境を越えた闘いを拡げていくべきなのだ。私たち自称左派としても同じである。民主党政権が崩壊すれば自民党が復活するとか、どちらが労働者の立場に近いとか……。そんな選択者≠ノ止まる態度が劇場政治を支えていることを自省したい。
ギリシャの労働者は、財政危機を庶民の犠牲で乗り越えようとするEUと政府に、ゼネストと大規模デモで果敢に闘っている。投票だけで少しはましになるとの期待感だけでは観客民主主義を脱することはできない。ここは当事者運動の土俵の上で菅政権に対する対抗軸づくりを進めていきたい。(廣)
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沖縄・江のヘリパット建設
鳩山前首相の日米合意(普天間飛行場の辺野古への移設)は、沖縄県民の失望と怒りをかっています。
沖縄の米軍基地建設でもう一つ大きな問題になっているのが、東村・江のヘリパット建設問題です。
沖縄北部のやんばるに東村があり、その東村の北のはずれにある集落が江。人口約150名の小さな村である。
しかし、この江は米軍北部訓練場(総面積7800ヘクタール)と隣り合わせになっている。
この北部訓練場はジャングルでの戦闘訓練を目的に1957年に使用が始まり、ベトナム戦争でのゲリラ戦の訓練が行われた。現在でも東村には15カ所のヘリパット(北部訓練場では全部で21カ所のヘリパット)があり、江区民は爆音や墜落の危険にさらされてきた。
ところが、1996年の「SACO合意」に基づき、北部訓練場の古いヘリパット(国頭村側)を返還する条件として、江地区に6カ所の新しいヘリパットを建設することになった。
新しいヘリパットは一番近い民家からわずか400mという距離で、生活が破壊される江住民は2007年7月から、ヘリパット建設に反対する座り込みを開始した。
座り込みに手を焼いた国(防衛省沖縄防衛局)は、2008年11月「座り込みは工事を妨害している」として、江市民ら15名(8歳の子どもまでも含む)を『通行妨害禁止仮処分命令』を那覇地裁に申し立てた。
結局、住民14名のうち12名に対しては申し立ては却下されたが、「ヘリパットいらない住民の会」の共同代表の2名に対して妨害行為があったという決定が出されてしまった。
そこで、江住民は2009年12月14日、仮処分の決定に不服があるため那覇地裁に起訴命令を申し立てた。これに対して、民主党新政権は2010年1月29日、江住民2名に対する通行妨害禁止の仮処分決定に関して、本訴訟を提起した。住民らは、民主党新政権の賢明な判断を期待したが、ここでも新政権に裏切られた。
2010年2月1日に、国(沖縄防衛局)は江区民を対象にした「説明会」も開催した。しかし、一方的な説明だけで、オスプレイの配備、飛行ルート、騒音、安全対策など、住民の質問に対して曖昧な説明を繰り返すばかりであった。
国は説明不足を認め、「また説明会を開きたい」と言いながら、同時に工事を進めたいと言って、2月18日よりヘリパット建設予定地につながる進入路に、仮設フェンスを設置する工事を強行に着手した。これに対して江住民は体を張っての抗議・阻止行動を展開した。
3月〜6月は絶滅危惧種の鳥<ノグチゲラ>の繁殖期と言うことで、国も「重機を入れる工事はしない」と明言し、この4ヶ月は休戦状態が続いていた。
だが、国は「7月からヘリパット建設工事を本格的に再開する」意向を示しており、江住民は7月を迎え今から強い緊張を強いられている。
7月1日より、国(沖縄防衛局)は十分な話し合いをしないまま総勢50名以上で連日押しかけて工事を強行することが予想され、江住民らは「座り込み」抗議・阻止行動を強いられている。
江は那覇から車で3時間以上もかかる遠いところで駆けつけるのは大変だが、江住民を支援するために「座り込み」行動にぜひとも参加しよう!(英)
爆弾≠ニ亀裂>氛泱ッ主党政権が抱える内部抗争のタネ──
鳩山首相の道連れ辞任は、結果的に党内クーデターのような結果をもたらした。
鳩山政権をボデーブローのように苦しめた政治とカネ=Aそれに竜頭蛇尾にもほど遠い決着≠ノよって沖縄県民を裏切った普天間問題と心中した形のツートップ辞任だったからだ。菅新首相にとっては願ったり≠フ展開だったろう。結果的に党役員人事で民主党を牛耳っていた小沢外しが可能になったからだ。
とはいえ、鳩山辞任からバタバタと発足した菅新内閣は、文字通りの政権たらい回し≠ナ、本来は解散総選挙を実施しなければならないはずだ。民主党が野党時代に総選挙の洗礼を受けずに安部、福田、麻生と首相を交代させた自公連立内閣を政権たらい回し≠ニあれほど攻撃してきたからだ。
◆ ◆ ◆
ところが当の民主党はおろか、あれほど政権たらい回し≠批判してきたマスコミなども、バタバタと進んだ新政権発足の後追い報道を繰り返すだけだ。自民党がやって悪いものは民主党がやっても悪いはずだ。結局は小沢色を払拭した菅新政権への期待感が勝ったわけで、これも民意の追認ではある。
菅新政権が選挙管理内閣として総選挙を実施しても、たぶん民主党が勝つだろう。自民党は未だに野党第一党として民主党政権に対する対抗軸や代案が定まらないばかりではない。自らにも降りかかる政治とカネ≠フ追求や民主党政権の揚げ足取りに終始するという醜態を繰り返すだけだ。裏を返せば、それだけ民主党との違いがないからでもある。自民党は歴史的役割を終えて消滅すべき運命にあり、ひいき目にみても民主党の帰趨を写す反射鏡の位置から脱却できないだろう。
◆ ◆ ◆
とはいえ民主党内や政権内で菅体制が盤石になったわけではない。むしろ爆弾を抱えることになった。秋の民主党代表選やそれ以降の政界再編を視野に、壊し屋¥ャ沢による反撃もあり得る。草刈り場となった自民党やそこから派生した新党を巻き込むこともあり得る。とりあえず菅新政権は、党内にいつ爆発するかしれない爆弾を抱え込んだままのスタートになった。
しかし、小沢の反撃には致命的な弱点がある。それは政治とカネ≠ニ権力的な政治スタイルに有権者の拒絶反応は強く、自ら立つ≠アとはできないからだ。小沢主導で奏功したばらまき政治と大衆迎合政治はすでにメッキが剥がれてしまった。要は小沢には大義がない、ということだろう。参院選挙で民主党が勝てば、代表戦で菅首相を追い落とすことも難しくなる。政権獲得に手段を選ばない小沢は、結局は数あわせ≠フ政界再編に賭けるしかない。
◆ ◆ ◆
菅政権のもとで党と内閣の要職に松下政経塾出身者が多用された。菅政権の隠れた性格は松下政経塾政権でもある。その松下政経塾の理念は、装飾を取り払ってみれば、国家と企業を愛し、そのことで人類に貢献する、というものだ。端的に言えば、国家主義と新自由主義、それを担うのが塾生のつとめである、となるだろう。
民主党内の抗争の分岐点は小沢か反小沢という対立軸で語られることが多かった。その小沢がとりあえず民主党の中枢から排除されたいま、新たな対立軸が生まれる兆しはある。それは大きな政府か、それとも新自由主義か、というものだ。そうした方向性の違いは、自民党時代も含めてこれまでも繰り返されていたことだ。
民主党は今のところ、政権の座をめざしそれを維持する、というのが最大の共通項であって、政治理念やめざす社会がどうだとかいう政治路線に左右される要素は小さい。実際はむしろ逆で、安保・外交政策などの党内議論は避けてきた。それに野党時代には選挙互助会ではないのかと揶揄され、総選挙で政権の座を手にできなければ解体すると、何回も言われ続けてきた経緯もある。が政権の座が長くなれば、自民党と同じように、理念や政策を建前とした路線党争と権力闘争が絡み合った党内闘争が激しくなるのは不可避だろう。
そうした菅民主党政権も、大きな土俵で見れば結局は情緒的ともいえる民意のありように左右されて誕生したといえる。その民意自体を変えていくという厳しい闘いは今後も続く。(廣)
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つまづいたユーロ下支えへの為替介入―非ユーロ圏のスイス中銀の蹉跌―
先日のハンガリー政権の「我が国はギリシャと同じになる」発言で、ユーロはまたまた下落した。しかしユーロの思ったほどの暴落はない。まさにスイス中銀のおかげだ。
六月八日、「スイス国立銀行(SNB)」は、外国為替市場への介入の結果、外貨準備高が四月の千四百五十六億ドルから五月には二千六百十九億ドルになったと発表した。その結果としてSNBは、今や香港・ブラジル・インド・欧州中央銀行(ECB)を抜き、世界で七番目に多い外貨準備高を持つ銀行となった。まさに危機を下支えしたのである。
もちろん「スイス国立銀行」とはスイス連邦の中央銀行の事で、法人形態は株式会社である。資本金の約五十五%はカントンや州立銀行のような公的機関による出資であり、残りは証券市場で取引され、そのほとんどは個人に所有されている。当然の事ながらスイス連邦からの出資は一切ない。だからSNBは正確にはスイス中銀というべきである。
0九年三月から、SNBは、自国の債券市場が十分スイス国債を買い取るだけの規模がないとの判断から、一方で自国通貨の対ユーロ相場の上昇をさせないため、量的緩和を実施し為替介入してきた。他方でスイスフランを売って、ユーロ圏の各国の債券に投資してきた。すなわちスイスはユーロ圏に参加してはいなかったが、ユーロ圏とは密接な関係を持ってきたのである。
スイス中銀の為替介入とその意味の変化
この間SNBが外貨準備高を千百六十三億ドルも増加させたのは、二兆二千四百九十億ドルの世界最大の外貨準備高を持つ中国をすら驚かせるほどの劇的な介入ではあった。
このようにギリシャ危機の出来以降、各国の国債危機によってもたらされたユーロの下落は、為替市場でのスイス中銀の従来からの為替介入の持っていた意味を劇的に変化させた。ある為替戦略家の試算によると、五月にSNBは五百五十億ユーロ(六百六十億ドル)の欧州各国の国債を購入したのである。
非ユーロ圏にあるSNBが、今もスイスフランを売って、外国特に欧州の債券を買っているとすれば、ECBがギリシャ国債購入策の最初の四週間で、四百五億ユーロを越える額の欧州の国債を買い入れた額より、この間の同行の購入額は、上回っているはずだとの希望的観測がまことしやかに伝えられている。危機にある相場師たちは風評に敏感だ。
確かにこのようなSNBの為替介入についての現実的な判断をすれば、ユーロより安全な貨幣としてのスイスフランに対する需要は、今後とも高まる他はない。
六月九日、スイスフランの対ユーロ相場は、一・三七三一スイスフランと過去最高値を更新する。意外にもSNBが外貨準備高を公表した事で、今後も為替介入し続けるのが難しいとの予想があるのにもかかわらず、ユーロよりスイスフランに対する需要が増えたのだ。なぜなのであろうか。まさに現実は当初の思惑を越えて進んだからである。
SNB以外のスイスの大手銀行も、ユーロ圏内の各国の銀行のように中・東欧諸国に多額の融資を提供してきた。だから0九年三月から始まったSNBの量的緩和策、自国通貨の対ユーロ相場を安定させるための為替介入は、今回からスイスおよび欧州の銀行を中・東欧諸国に対する多額の貸し倒れから守るための保護策へと目的が変更されたのである。
二000年代前半には、中・東欧諸国の法人および住宅ローン市場向けに提供されるスイスフラン建て融資が一般的であり、08年にリーマン・ブラザーズが破綻し、金融危機が起きるまでこの流れが主流だった。今回焦点が当たったハンガリーでも、銀行融資全体の三十%で、住宅ローン全体では、六十%がスイスフラン建てだった。
金融危機が勃発して以降、ハンガリーフォリントの対スイスフラン相場は、二十五%以上も下落し、中・東欧地域の他の通貨も、同様に相場から手荒い仕打ちを受けてきた。
今後、中・東欧地域の通貨が対スイスフラン相場で下げ続ければ、スイスや欧州の貸し手にとっては、評価損を被るリスクが出てくる。ある経済アナリストは、「今やスイスフランの上昇を食い止めることは、ロレックスやネスレにとってよりも、スイスや欧州連合(EU)全体の銀行システムの健全性にとってはるかに重要になっている」は断言した。
ユーロ圏に参加せず自国の通貨主権を堅持して独自の金融政策を追求してきたスイス中銀も、事ここに至って、ついにユーロ圏とユーロ圏の各国の銀行の運命と一蓮托生とはなってしまったのである。
ユーロ圏が包含する大きな欠陥
ユーロ圏で次々に出来する国債危機は、ユーロ圏の通貨統合が政治的統合なしに実行された事、またユーロ圏に自国通貨を流通させながら参加している諸国を包含する事、さらにユーロ圏に参加していないスイスとも今回発覚した深い経済的な関係を保持してきた事で、重大な欠陥を全面的に露呈させつつある。ユーロ圏は結成以来の危機に直面した。
ギリシャ危機の爆発の結果、ドイツ人はドイツマルクの復活を望むようになっていると伝えられる状況である。もちろん今ただちにユーロ圏解体が解体するとは断言できない。実際、ドイツとフランスのユーロでの確執は周知の事であり、ギリシャ危機への対応も、ユーロ圏から離脱するとのサルコジの脅しが慎重なドイツを動かしたとの報道もある。
しかし確実なのは、「スイス中銀が、二0二0年まで為替市場に介入し続け」なければ、スイスやユーロ圏内の各国銀行が破綻するとの迫りつつある現実の危機なのである。
まさに坂道から転げ落ちる石を永遠に押し上げるシジュホスの労働ではないか。(直木)
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色鉛筆 小さい骨壺と大きい骨壺
「おぎゃーと産まれた時から基地があった。」
本土でのコンサートで、沖縄民謡歌手の古謝美佐子さん(1954年嘉手納町生まれ)は、歌の合間に静かに語り始めた。
「辺野古に新しい基地を造るのは、嫌だね。」
「生きるため生活のため(基地は嫌だ、要らないと)今まで言えなかった。でも八十歳九十歳のおじいおばあが、死を前にして戦争を語っている。自分も六人の孫たちのために語らなきゃと、話始めた。」
「ベトナムへ爆撃に行っていたB29は、そりゃあ恐ろしかった。3年前ベトナムの人と会った時”沖縄は悪魔の島だ”と言われ、とても悲しかった。」
「父は基地で働き、30歳の時米兵の車の事故で亡くなった。その時母は28歳、私は3
歳、双子の弟たちは1歳だった。母は、基地で働き子どもを育てた。」
「父の大きな骨壺の隣の、伯父の小さな骨壺。不思議に思って中を見ると、小さな石ころが一つ入っていた。沖縄戦の時、南部で死んだ伯父のために、だいたいこのあたりで死んだという場所の石を拾って祖母が入れたものだ。」
古謝さんの澄んだ歌声は、まるで天から降りてくるように美しい。そして静かな言葉のひとつひとつに、戦争も基地も嫌だという強い思いがにじむ。彼女の祖父母は、1945年の沖縄戦で息子を失い、また1957年にもう一人の息子を米兵に殺された。その息子の妻は、夫を殺した米兵のいる基地て゛働き子どもを育てねばならなかった。酷い。
1947年9月20日付の昭和天皇からマッカーサーへの手紙。
「私(天皇)は米国が沖縄を軍事占領し続けることを望んでいる。占領はアメリカの利益にもなるし、日本を守る事になるからである。日本国民はロシアを脅威と感じているから、ロシアの内政干渉を抑止するということで国民の合意を得る事が出来るであろう。
米国の沖縄軍事占領は日本に主権を残した形で25年から50年あるいはそれ以上の長期貸与するという見せ掛けをとるとよいであろう。そうすれば日本国民も納得するし、ロシアや中国が同じような権利を主張することを、抑えることができるから。」
天皇自身の戦争責任、戦犯から逃れるために、いわば生け贄・貢ぎ物のように沖縄を米軍基地のために差し出している。しかも、このわずか4ヶ月前に施行された新憲法の「象徴」天皇、「主権在民」に明らかに違反している。それを問われることも無く、こう言った
当の本人は、その生涯で一度も息子たちを戦争で失う事も、基地の爆音や危険にさらされることも、親族が強姦や殺害にさらされることも一切無いまま優雅に生涯を終えた。さらに言えば、その子孫たちも。
「日本に駐留する米軍は、日本の防衛と関係なく、アメリカの世界戦略を支えるための部隊である。」米上院議会におけるワインバーガー証言(米上院議員歳出委員会公聴会"
1983年度国防省蔵出”1983年)
こんなにでたらめで身勝手な根拠のために、いまも沖縄は米軍基地を押しつけられ続けている。大小二つの骨壺も、それらを守る家族たちもまだ悲しみから解かれてはいない。(澄)
コラムの窓 ・季節の移ろいのなかで
1950年という切りのいい年に生まれ、年の瀬には60歳になる自分というものを、しとしと雨が降る季節に考えてみるのも一興かと思うのです。少し早いけど、葬式はどうするということも、自分流を貫くためには重要です。最近、「葬式は、いらない」という本が売れているようですが、私はこれを実行しようと思っています。
といっても、葬式は死んだ人間のためのようであって、実は生き残っている人間のために行なわれているように見受けられます。そこに、葬祭ビジネスや葬式仏教が横行する素地があります。最近、私が経験した通夜から泊りがけが出来て、お風呂にも入れるし朝食も準備されている、至れり尽くせりの便利さが、いまどきの葬儀場の標準なのでしょうか。
やたらと費用がかかるそんな葬式は要らない、無宗教なのだからお経のなんかもってのほか、これを実行するためには遺言が必要なのかと思っています。勿論、資産家が遺産をどう処分するのか、遺産争いが起こったら困るから遺書を残すというレベルの話とは全く違います。家族への感謝や言い残すこと、葬式はしないでほしい、墓も要らないということなど。60歳過ぎたら、誕生日ごとにそんなふうに遺書を書こうということを、どこかで読んだような気もします。
来春には定年を迎え、いよいよ待ちに待った第2の人生が始まるというときに、多分まだ遺書を書く気分にはならないだろうと思います。これから、本格的に何かを始めようという思いもあるし、やり残したことは何もないと人生を達観するには、今時の60歳はまだ早すぎます。確かに体力的な低下は隠せないし、老化も確実に進んでいます。だから、喰うための労働から解放されて、次のステージへ移行したいと思うのです。
昨年、大きな反響のなかで、五木寛之の新聞連載「親鸞」が終了しました。私も毎朝、読むのを楽しみにしていたので、その終了をさびしく迎えた読者のひとりです。といって、いまさら宗教に帰依することもありませんが、五木寛之が描き出す親鸞は苦難にあえぐ人々のなかで、その救済の道を求める魂の咆哮そのものです。
およそ、開祖といい、聖人といい、その時代の革命≠目指した人々だったと思うのです。それがのちの権威や権力の対象となるにつけて、どうしようもなくグロテスクなものへと変質させられるように思います。誰でも死後のことに責任を負うことは出来ませんが、どのように死を迎えるかまでは自己を貫くことが出来ます。そして、どのように死を迎えるかということは、とりもなおさずどのように生き抜くかということです。
今年の春はことのほか天候が不順でした。この分では、夏らしい夏が訪れるのか怪しいものです。その前の梅雨も、仕事がら雨は苦手ですが、降るときに降らないとまずいことになります。人生において、還暦を迎えるというのは四季の移ろいにおいて、どの時期にあたるのだろうか。いずれにしても、その年齢に応じた人生の模索を続けたいものです。 (晴)
嶋田裕巳「葬式は、要らない」(幻冬舎新書)
「全く予想外。昔ながらのスタイルに不満を持っている人がいかに多いか、あらためて実感した。葬式無用論はこれまで、一部の人が主義主張として唱えていた。それが今や、時代の一つの流れになりつつある。本のタイトルが、そのまま人々の叫びのように思えた」
「団塊の世代が中心。戦後の高度成長期に、地方から都市に出てきたような人たちだ。身内が亡くなって寺や業者任せで葬式をしたものの、本当にあれで良かったのかと考える。金は掛かったが、満足に送れなかったという後悔。自らの葬送の問題としても、お布施や戒名料に象徴される葬式仏教≠ノ対して、疑問を感じている」(5月5日付「神戸新聞」・インタビューに答えて)
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日常生活から
@料理の創造性
日常茶飯事というコトバがあるくらい、料理は日常の小さな事とみなされているようだ。出費の面からだけ考えればコンビニで、特価の料理したものを買ってきた方が安上がりであろう。しかし、家庭で料理が作られることが古代の昔からずーっと続いているのはなぜだろう。
忙しいときとか雨の日など、スーパーへ食料を買いに出にくい時など、冷蔵庫をあけてみて、ありあわせの材料で夕飯のおかずを作ることは、どこのお母さんも経験済みのことであろう。
あれこれと組み合わせて料理するということは、目前の素材から何かをつくりだすということで、灰色の脳細胞をフルに働かせることになる。いつかTVで料理をするということは、ボケ防止になると告げていた。
あり合わせの材料を使って何かをつくり出し、己れに家族にも提供することは、カミさんを中心に強い絆をつくり出すことになろう。* 最後の沖縄の旅でサバニくらぶ(読谷村)で、料理をする機会を作られていたのを知ったが、今にしてうなずける。
*一つ釜のめしを食う≠ニいうコトバもあるくらい。バーベキューやバイキングはその変形であろう。
Aジャガイモの思い出
今年も植木鉢3つにジャガイモを植え、非の当る玄関を葉っぱの緑でかざっている。夏には収穫できるかな?
戦後の餓えの時代、寺田町の市電公舎にいた頃、家の横のせまい空地にジャガイモを植え、明日はイモ掘りしようと楽しみにして寝たが、朝起きてみると土をほじくり返して、結実したジャガイモがすべて盗まれていた。
くやしかったが仕様がないので、葉っぱをちぎってゆがいて食べたら、むかついて家族全員寝込んでしまった記憶がある。今、玄関を緑の葉っぱで飾っているジャガイモ、わが家のネコどもが葉っぱを食べないかと、気が気でない。
B掌で撫でるということ
これもTVで得たことだが、赤ん坊をはじめ成人した人間でも掌でなでると気分が安定し安らぐそうである。
わが家のネコどもで、情緒不安定の厄介な若ネコをつかまえて頭から背へと撫でると、フシギな位おとなしくなり気持ちよさそうに、ゴロゴロいって目を閉じている。ネコにも効果があった。おかげで、私の部屋には常駐のネコが4匹いて、撫でてくれと寄ってくる。
ネコを撫でてネコの気楽そうな様子を見ているのも、これまた楽しい。かの気功というのもこうした掌の運びを体系化したものであろう。 10・6・4 宮森常子
やはり小選挙区制度の弊害が大きい
鳩山首相が政治とカネ≠ニ普天間基地の海外・国外移設を実現できなかった責任をとって辞任しました。
それは当然のことだと思うのですが、新しくできた菅直人新内閣が誕生したとたんに菅新内閣や民主党の任期がV字回復したとの世論調査結果を見て、何とも腑に落ちない感じがしています。
新内閣の顔ぶれを見ても、副首相だった菅さんが首相になり、その他多くの閣僚の方もそのまま再任されています。それに鳩山前首相が反省しているのに、菅首相は日米共同声明をそのまま受け入れ、結局、当初案のまま辺野古に移設するとのことです。これでは沖縄の人たちの思いはどうなるのでしょうか。
菅内閣が高い支持率を集め、このまま参議院選挙でも民主党が勝つと、結局、辺野古への移設が進められてしまいます。沖縄の人たちの気持ちも考えて鳩山首相の約束違反に怒った人たちも、そうなってもいいと考えているのでしょうか。
本来は約束を実現できなかった民主党から、沖縄から米軍基地を撤去すべきだと主張してきた社民党や共産党に期待が向くはずです。世論調査を見ても、それがそうならないのは有権者の判断が漠然とした期待感だけで支持する政党が決められているような気がします。
こうなる理由として、私は小選挙区制度の問題が大きいと感じています。
6月12日の朝日新聞に、俳優で元参議院議員の中村敦夫さんの意見が載っていました。中村さんは「小選挙区制は物理的に第三勢力をはじき出し、二大政党制をもたらします。この二つの政党はより多数の支持を得ようと互いに似通う傾向がある。…………。小選挙区制を意識するあまり、民主、自民両党とも単なる選挙団体になってしまったのも問題です。」と言っています。
私も同感です。1つの選挙区で1人を選ぶ小選挙区制では、せいぜい二人しか考慮の対象になりません。3人目、4人目は当選する確率が少ないからです。民意はとても2つに限ったものではないと思います。より正確に民意を反映させるのは比例代表制ではないでしょうか。
有権者もあまりに小選挙区制に左右されて、民主、自民のどちらがいいのかに目を奪われて、少数政党には向かわないようです。本当に政治を変えていこうと思うなら、小選挙区制度も変えていかなければ、と思います。(N)
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ワーカーズ購読と夏期カンパのお願い
鳩山首相が辞任し、菅新内閣が発足しました。表紙が代わっただけで民主党や菅内閣の任期はV字回復しているようです。これには私たち左派政治グループの低迷にも責任の一端があると痛感しています。
それに鳩山内閣にはあれほど批判的な報道を繰り返してきた大手マスコミの論調もひどいものがあります。財政の無駄遣い見直しを後押ししてきたと思ったら、今度は財政再建が急務だとばかりに増税路線を後押しするような、結局は政権の太鼓持ちまがいの報道を展開している新聞もあります。首相や内閣が替われば政治もよくなる、という有権者の期待感は理解できますが、マスコミがそれを後追いしているようでは報道の責任は果たせないでしょう。
私たちは小なりといえども日々働き生活する労働者や市民の感覚と目線を重視して『ワーカーズ』を発行してきました。あわせて可能な限りより根源的な解決の道筋を提案していきたい、という思いからです。こうした意気込みがどれほど紙面に反映しているかは読者の皆さんの判断にゆだねる以外ありませんが、少なくとも、民主・自民の二大政党中心の政治構造を前提としたマスコミ報道があふれる中、微力ですが労働者・市民の立場からの紙面作りに邁進していく決意です。
ついては、読者の皆さんやその周囲の皆さんに、あらためて『ワーカーズ』の購読をお願いする次第です。私たちの『ワーカーズ』も、読者の皆さんに支えられながら発行を維持しています。ぜひ、『ワーカーズ』を購読することでご支援をお願いする次第です。
また夏期一時金の時期でもあります。生活も厳しさから抜け出るにはほど遠い状況ですが、可能な範囲でカンパしていただければありがたく思います。また『ワーカーズ』への投稿などによるご支援も歓迎します。より充実した紙面作りに励む決意を申し述べるとともに、ここに謹んでお願い申し上げます。
後続料・カンパの振込先 郵便振替 00180−4−169433 ワーカーズ社
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編集あれこれ
bS17号の第1面は、「世界同時株安の出来と世界恐慌の現段階」でした。
5月末に結論を出すという鳩山政権の普天間基地移設問題を論じなかったことは問題があったかも知れません。しかし世界情勢の確認のため、あえてこの記事を載せました。
6月2日、鳩山総理と小沢幹事長のダブル辞任がマスコミを騒がせましたが、まさに予想だにしなかった展開とは成りました。2週間に一度の新聞発行では限界がありました。
今後は、状況の急展開に負けない新聞の発行をめざしたいと考えています。
第2面と3面は、「なぜ法人税の減税なのか」との記事を掲載しました。この記事で、民主党の「成長戦略」に対しての根本的な批判をしたところです。これからの管政権に対しても重要な批判とは成ります。読者の皆さんには、ぜひ熟読を期待します。
第4面と5面は、大田元沖縄県知事の『見にくい日本人―日本の沖縄意識』の紹介です。
徳之島等、本土はどこでも、普天間基地の移設候補地に成ることを拒否しました。当然です。しかし沖縄でも拒否しているのですから沖縄で何とかしなさいとはなりません。しかしここでほとんどの人々は思考停止します。実際、自分の所にこなければよいとの立場は自他を欺く欺瞞です。ここにほとんど人々の沖縄に対する根深い差別意識があります。私たちは何をなすべきでなのしょうか。その意味でもぜひこの著作を読んでいただきたいと私たちは考えます。
第6面では、今年のメーデービラを掲載しました。今年も東京・静岡・大阪等でワーカーズは、各会員の協力を得てこのビラを配布しました。
第8面の「コラムの窓」では、「仕事のミス」について考察しました。この考察については労働者・勤労者の共感を呼ぶものではないでしょうか。
第7面については読者の手紙を掲載しました。読者の皆さんにあっては、今後とも自分の置かれている状況や考えていることに関するお手紙をぜひお寄せください。
「ワーカーズ」を闘う労働者・勤労者のものとするため、読者の力を期待します。(直)
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