ワーカーズ423号 2010/9/1
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米中関係の強化の前で比重低下する日米関係を直視せよ
先日発表された第一・四半期の統計によると日本のGDPは、世界で米中の次の第三位に転落した。たった五年前には中国のGDPは日本の約半分だったのだ。その中国が今年度中に日本を追い抜く事は確実視されている。その意味において画期的な年とはなった。
確かに中国と日本との人口比を考えれば、いつか彼我の逆転が起こる事は充分に予期されていた。しかし今年それが現実になる。ほんの四十年ほど前には、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の言葉に踊らされ、世界一に成る事すら夢想していた日本にとっては、この間の現実を厳しく見つめ直さなければならない。この二十年の中に回答があるからだ。
日本がプラザ合意後の日米構造改革から始まり、種々の「改革」に明け暮れたこの間の「失われた二十年」とは、一体何であったのだろうか。現在、日本資本主義は、年間一%の成長が見込まれれば大騒ぎする有様だ。「構造改革」を断行したために経済は失速してきた。だが「構造改革」が不充分だから経済が成長しないとの謬論が未だ人々を捉えている。先進国の中で日本だけがこの期間足踏みをしていた現実を忘れてはならない。
八月十六日のニューヨーク・タイムズの「日本が中国に抜かれた」とのニュースは、まさに全世界を駆け巡った。世界的ニュースだったにも関わらず、日本だけが、官房機密費に汚染された記者クラブ制度の下での横並びで無視を決め込み、静かだったのだ。
この間の報道では、世界第二の経済大国になったといっても、中国の個人の所得は大変低く、生活水準は日本や他の先進国には遠く及ばない事、中国共産党が進める現在の国家経済政策には大きな陥穽も潜んでいる事、何よりも国際政治の舞台で、中国が第二の経済大国に見合うリーダーとして役割を演じる気配が希薄である事などが指摘された。さらに、今のままのペースで中国の経済成長が続けば、二0三0年にはアメリカを抜いて中国が世界一の経済大国になるという予測までも、ニューヨークタイムズは掲載していたのである。
この中国の急成長にはアメリカが大きく関わっている。現実に進む米中関係の強化の前でますます比重低下する日米関係の現実を直視せよ。日米同盟は空文化しつつある。この彼我の関係の変化に注目して、私たちは自らの戦略を考えていかなければならない。(直)
復活と思えば、次なる危機発生──危機の連鎖をもたらすマネー資本主義──
リーマンショックから立ち直ったかに見えた世界経済。が、ギリシャ危機で新たな破綻への連鎖だ。グローバル化した世界経済のゆがみは、一つの危機を乗り越えるごとに次なる危機の芽を育てる。
財政破綻の影に怯えつつ、新たな市場を開拓しながらの経済グローバル化の行く末はどういう世界なのだろうか。
■二番底か、負のスパイラルか■
あのリーマン・ショックから2年足らず、日本では早くも経済の減速が浮き彫りになった。
内閣府が8月16日に発表した国内総生産(GDP)一次速報値では、予想に反して実質GDPが年率換算0・4%増に止まった。さらに秋を迎えるこれから先の日本経済には、いくつもの悲観材料が横たわっている。
まず家電製品が対象のエコポイント制度。この4月から対照表品が縮小され、また年末には打ち切りが予定されている。エコカー補助金・減税も、この9月には補助金が打ち切られ、来年3月には減税も打ち切られる。
これらは地球温暖化対策や景気対策の名の下に導入されたものだが、要は需要の先食いでしかない。打ち切り後の需要縮小が当初から見込まれていた目先の対処療法でしかなかった。実際、打ち切り後は乗用車で4割減、家電でも3割減、テレビに至っては11年7月の地デジ完全移行後には3分の1になるとの推計もある。
リーマンショック以降の回復過程で大きな比重を占めたのは輸出で、速報値でも年率0・9%を占めている。中国などいわゆる新興国や米国、EUへの輸出も増えた。しかし、そのたのみの輸出もここにきて陰りを見せている。
米国や中国、それに欧州などがリーマンショック以降行った不況対策がこの年末までに次々に終了する。米国でも高い失業や住宅販売の落ち込みなど、景気の減速がはっきりしてきた。中国でも不動産バブルなどで、景気引き締めに傾かざるを得ない。それにギリシャの財政危機を発端とした世界的な信用不安で円高傾向が止まらない。輸出産業を中心に今後の輸出減少や利幅減少を悲観して株価下落も止まらない。
輸出に黄信号がともるなか、内需はどうだろうか。
GDPの6割を占める国内個人消費や、成長に欠かせない民間設備投資も低迷している。
個人消費を支える家計収入を示す名目雇用者収入は、この4〜6月期で年率換算で0・4%減とまたまたマイナスに転じた。企業は輸出の拡大などで大きな利益を上げているのにだ。
また設備投資は、日本政策投資銀行の10年度調査によると、国内全産業の設備投資額は、6・8%増、海外への投資額は35・1%増だという。新規投資の日本離れは止まらない。
その民間企業の手元資金は、今年3月末で202兆円にも膨れあがり、1980年以降最大だという。それでも企業は国内での設備投資、それに雇用増や賃上げには消極的で、せっせと国債を買い集めるばかりだ。もうけてる企業は労働者に還元せず、少子高齢化や雇用の劣悪化・低賃金もあって、国内市場は狭まる一方だ。20〜40兆円規模の供給過剰の解消は遅々として進まない。
菅内閣は、こうした経済の先行き低迷へのテコ入れ策として新たな経済対策の策定に乗り出す構えだが、可能な財政出動は0・9兆円程度で、効果は限られている。このままでは景気の踊り場どころか、いわゆる二番底に陥る可能性は高い。失われた20年≠ヘまさに現在進行中なのだ。
■マネー資本主義■
08年秋のリーマンショックから2年、各国による大規模な不況対策もあって世界経済は復活の軌道に乗ったかに見えた時期もあった。ところが2年もたたないうちにギリシャの財政危機が発覚、EUをはじめとして金融不安や財政危機による経済の混迷を深めている。
ギリシャ危機を招いた直接の原因は、EU内の格差構造だった。ギリシャはEU諸国で国債を買ってもらい、それで輸入を続けてドイツ、オランダなどの経済回復を助けてきた。そのギリシャで巨額の財政赤字が発覚したことで、ギリシャ国債やそれを持つEU内の金融機関が債務不履行に陥るかもしれないという信用不安が拡がった。それもこれも、もとをただせば金余りのマネー資本主義の拡がり自体が、UE域内の構造格差とギャップの増幅を進行させていたのだ。EU各国はリーマンショック時の不況対策として、巨額の財政支出と金融緩和でのぞんだ。それらの市場に垂れ流された資金は、信用力に欠けた高利回りのギリシャ国債にも流れ続けたからだ。結果的にギリシャの財政赤字は、GDPの12・7%にもなった。
ギリシャの財政破綻を危惧するEU各国は、巨額の融資支援に乗り出さざるを得なかった。ギリシャと同じような財政危機にあるスペインやポルトガル、あるいはイタリアなどに波及すれば、それこそEU解体の危機に直面することになるからだ。
危機から立ち直れないままで次なる危機を迎えているのは、企業のもうけ過ぎや不況時の金融緩和や巨額の財政支出による過剰流動性、つまりカネあまり経済≠ノなっているからだ。
これまでの経済の常識からいえば、不況や金融バブルの崩壊で市場から見放された企業は淘汰され、その結果、縮小した市場に見合った企業が生き残る。そこから新たな経済発展が始まるはずだ。不況(恐慌)とはそもそも乖離した供給と需要のバランスが強制的に均衡を回復するメカニズムだからだ。
しかし、不況対策という政府などの人的な介入は、淘汰されるはずの企業や金融機関を生き延びらせる。結果的にどこが需要と供給の均衡地点なのか誰にも分からないままだ。人為的に均衡を維持する対処療法の結果、落ち込みも少ないが次の拡大もきわめて曖昧なまま、そのまま次なる危機を迎えてしまう。危機の連鎖は不可避なのだ。
世界的な不況や信用不安などの背景には、国境を越えて利ざやを求める投資マネーがある。
投資マネーとしては、主に機関投資家といわれる銀行や生保が集めた資金、それに年金基金など政府系資金がある。もっとも露骨なのがヘッジファンドなどの投機マネーだ。ヘッジファンドは私募による投資ファンドで、規制の網からある程度自由に通貨や株、それに国債やCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)など、あらゆる投資先を高利の利回りを追い求めて移動を続けている。
そのヘッジファンドには機関投資家をはじめ大企業や富裕層からの資金も流れ込む。資本主義の最前線でうごめいているヘッジファンドは、いわばマネー資本主義の鬼子であり申し子なのだ。
これらの投資マネーは経済のグローバル化とともに、また金融危機や不況のたびに市場に投入される財政資金などを引き寄せて増え続けている。いま世界全体に存在するお金の額は合計で8京(兆の1万倍)ドルで、10年前の6倍にも膨れあがっているという。実物経済以上に増え続ける膨大なカネを背景に、ヘッジファンドなどの投機マネーは、損失を誰かに押しつけるだけの高率の利ざやを求めて世界中を飛び交っている。
グローバル経済は、弱肉強食のマネー資本主義をもたらした。それは二重の隘路に突き当たっている。財政破綻と新天地の縮小だ。あわせて世界各地で同質な労働者の反乱をも呼び込んでいる。それらはいずれもグローバル資本主義の行く末を暗示している。
■無くなる新天地=。
冷戦後の経済のグローバル化によって、競争の枠組みは一国レベルから地域規模、世界規模にまで拡大している。今では原材料の調達から機械・設備の生産、組み立て、販売、さらに資金調達まで地球規模での大競争時代に様変わりしている。
その大競争時代とは、多国籍企業化した巨大企業どうしの弱肉強食の生き残り戦に止まらない。投機マネーが国債や国債がらみの金融派生商品にも向けられることで、国家を破綻に追いやるまでになっている。いまやマネー資本主義の拡大によって国家という枠組みそのものが揺らぎ始めているわけだ。
思い起こしてみれば、管理通貨制度と変動相場制によって実物経済とマネー経済を切り離すことで、思惑としては世界経済は政策的にコントロールできるはずだった。ところが現実はと言えば、マネー資本主義の拡大で個々の企業はもとより国家でさえもマネーの論理に翻弄されている有様だ。
反面では、経済のグローバルな競争は世界を一つの市場に統合する強力な推進力になっている。2年前のリーマンショックの衝撃から復活しつつあったのも、各国による財政支出というよりも中国やインドなど、いわゆる新興国の経済発展があったからだ。新しい市場が生まれることで、先進工業国なども現地への直接投資や輸出増などでリーマン・ショックからの落ち込みをカバーできた。
グローバルな競争にともなう世界市場の拡大は、すでにアフリカなどにも拡がっている。
たとえばポストBRICsとして注目が集まっている地域として南アフリカやナイジェリアが注目されている。さらにはMENA(ミーナ=中東と北アフリカを合わせた市場)などという造語もつくられ、いよいよ最後の大陸とも言われたアフリカ大陸をも飲み込み始めた。今世紀はアフリカの世紀になるとの予測も夢ではなくなっている。
しかしNextEleven(ネクストイレブン)やMENAなど、BRICsに引き続いてアフリカ大陸などが新興国として離陸した後はどうなるのだろうか。工業国の市場の受け皿になり得る新しい巨大市場という新天地が地球上になくなるのはもうすぐだ。
■財政破綻■
もう一つの隘路は、経営破綻が個々の企業に止まらず、国家そのものの破綻にまで大規模になっていることだ。今回のギリシャ危機は、マネー資本主義の行き着く先が国家財政、あるいは国家そのものの破綻に結びつく可能性を世界に示した。
次々に到来する金融不安や世界的な不況の震源は、実物経済以上の早さと規模で膨らむマネー資本主義のなせる技に他ならない。実物経済を足場としながらも、実物経済による制約がないかのように膨張しようとするマネー・メカニズム。膨張しすぎた局面で伸びきったゴムがパチンと切れるように、突然、実物経済との調和を強制されるからだ。それがリーマン・ショックからわずか一年ちょっとでギリシャ・ユーロ危機に見舞われる羽目に陥った基本的なメカニズムに他ならない。
欧州各国は、今回のギリシャ危機に際して、財政再建に軸足を置くようになった。イギリスは消費税を20%に引き上げ、ドイツは9兆円の歳出削減、イタリアは3兆円の歳出削減、フランスは年金削減、スペインは公務員給与の削減などだ。各国とも、リーマン・ショック時の財政支出を続けていけばどうなるか、ギリシャを目の当たりにして緊縮財政をとらざるを得なくなったわけだ。
米国はどうだろうか。不況対策を含めた巨額の財政赤字を抱えながら、現実には住宅建設の落ち込みや失業者10%弱という20数年ぶりの厳しい雇用情勢で、国内経済は再度落ち込む兆しを見せている。景気後退の兆候を前にして新たな財政支出に走るわけにもいかず、ドル安に乗じた輸出主導での経済復活に舵を切り、いわば投げ売りに活路を見いださざるを得ない。
日本はと言えば、財政再建と景気対策の間で、これまでと同じよう行ったり来たりの迷走を繰り返すその日暮らしだ。「日本はギリシャと違う」「日本は1400兆円の個人金融資産があり、国債の9割は国内で買われている」等々、漫然とした底上げ経済≠漂流している。862兆円というGDPの2倍近い国債を始め、1千兆円もの借金に依存した経済と生活を土台から変える展望も決意もない。このまま漂流を続ければ破綻必死、滝壺への川を下り続けているようなものである。
不況対策としての財政支出は永遠には続かない。経済をコントロールするための取り得る選択肢は徐々に狭まっている。
■拡大する労働者の反乱■
経済のグローバル化は、地球規模の企業間競争、マネー戦争をもたらし、副産物として世界を揺るがす金融危機や世界的な不況の連鎖をもたらしている。しかもその克服のための余地と方策は、ますます狭まっているというのが実情だ。その行き着く先がどうなるか、まだ具体的な像は見えていない。が、この間、回復と破綻の繰り返しのなかで起こった象徴的な出来事がある。一つは中国の労働者の間で拡がった連鎖的なストライキであり、またギリシャで起こった労働者や公務員のストライキや街頭行動の拡がりだ。
これら世界各国の労働者による行動は、新興国でも財政破綻国家でも、自分たちの犠牲の上で肥え太っていくマネー資本主義の担い手たちに対する抗議の叫びであり、あるいは国家間の格差、国内の格差に怒った労働者の反乱ともいえる。
こうした全く正当な抗議の叫びや反乱は、経済のグローバル化とともに、また不況と回復の繰り返しのなかで必然的にわき上がるものだ。それは時と場所は違っても、世界の労働者にとって共通で同質な叫びであり行動に他ならない。経済のグローバル化は、労働者の闘いのグローバル化でもあり、破綻に向かってひた走るマネー資本主義をほり崩す、新たな社会の担い手たちをもつくりだす。(廣)
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韓国併合100年・菅首相談話とマスコミ報道
過去と向き合わない菅談話
8月10日、「日韓併合100年・首相談話」が閣議決定された。日本政府の公式見解として、韓国の人々の意に反した韓国併合によって国と文化を奪い、民族の誇りを深く傷つけた「この植民地支配がもたらした多大な損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明」した。しかし、そこには戦時性奴隷や強制労働等の侵略戦争の犠牲者に対する補償には何の言及もない。
1965年6月22日、「日韓基本条約」(日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約)が締結された。経済協力や関係正常化などを取り決めたもので、第2条において韓国併合(1910年)以前の「日韓併合条約」などのすべての条約について、「もはや無効であることが確認される」としている。この確認について、韓国では「過去の条約や協定は、(当時から)既に無効であることが確認される」とし、併合=植民地支配は不当であったと批判している。
これに対して、日本政府は「過去の条約や協定は、(1948年韓国建国以降)無効になると確認される」と解釈している。この違いには、歴史認識における深刻な対立が反映されている。植民地化と戦争への動員等、こうした過去を清算するための日韓会談において、日本政府は韓国併合の正当性を主張し続けた。これは「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」(日本国憲法前文)たことを忘れ、戦争責任から目を背けるものである。
補償問題を置き去りにしたマスコミの未来志向
この談話に対する各紙の報道は、「未来に向け日韓の礎に」(毎日社説)、「新しい日韓協働の礎に」(朝日社説)、「未来志向の両国関係に弾みを」読売社説)、「未来志向の日韓関係へ行動を」(日経社説)、「歴史を胸に刻み未来へ」(東京社説)、「未来を見据えた出発点に」(神戸社説)、「『自虐』談話は歴史歪める・解決済みを蒸し返す連鎖断て」(産経主張)等々。例によって、「鉄道建設や教育の近代化に果たした役割は大きい」などと恥ずかしげもなく主張する産経新聞は問題外として、大方は未来志向≠フきっかけにと言う。
しかし、民主党内の反対派や保守派の批判を「浅く、また見当違いの見方ではないか」とした朝日新聞を除き、他は補償問題は日韓条約で決着済み≠強調している点で、産経と同じである。一方、米軍による軍事占領≠ェ今も続く沖縄の新聞は次のように述べ、ジャーナリズムの矜持を示した。
「今後問われるのはその実践だ。日本政府が所有する朝鮮王朝の文化財を韓国に引き渡すことはその先駆けとなる。『補償問題を蒸し返す』などとして、野党自民党や与党民主党内にも談話を批判する勢力がいるが、見識が浅い。正当な歴史認識を踏まえた対話をかさねてこそ、隣国とのより緊密な関係が構築できる。
朝鮮半島の人々は沖縄戦にも強制的に動員された。従軍慰安婦として働かされたり、非業の死を遂げ、『平和の礎』には447人が刻銘されている。沖縄の地も『加害』の一翼を担ったこともしっかり胸に刻んでおきたい」(琉球新報社説「和解と絆深める出発点に」)
謝罪と補償なくして、未来は開けない!
今回の菅談話は、@1910年の日韓併合条約は有効、A個人補償問題は1965年の日韓条約で解決済み、というこれまでの政府見解を前提にしており、多くの韓国の人々を失望させた。国内においては「いつまで謝れば済むのか」という声も聞こえてくるが、内実のともなわない謝罪が説得力を持たないのは当然である。野党時代には「戦時性的強制被害者問題の解決促進法案」を国会に提出し続けた民主党が、政権交代を果たした途端に、右翼や外務官僚の軍門に下るのか。
韓国併合から100年、明治以降のアジア侵略の破綻(帝国の敗戦と消滅)から65年、日本はいまだその始末≠つけられないでいる。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とは国交を結ぶことさえできずに、北の脅威を煽り立てている。これは単に政府の過ちにとどまらず、明治以降に植え付けられた差別意識、蔑視感に多くの日本人がとらわれていることを示している。
菅談話直後、北朝鮮において「強制連行被害者や元従軍慰安婦らによる『証言集会』が開かれ、早期に謝罪や賠償に取り組むよう求める日本政府への『被害者と遺族一同』名義の書簡を送付することを決めた」(8月13日「神戸新聞」)と報じられている。菅首相はこの書簡に誠実に対応することによって、談話が口先だけでなかったことを示す責務がある。
植民地支配は無数の被害者を生み出したにもかかわらず、なすべき調査や謝罪、正当な補償が行われていない。これを見過ごすことは、過去の過ちを再び犯すことになる。日本列島と朝鮮半島とは一衣帯水で向き合っているのに、歴史認識において深刻な隔たりがある。民主党政権(及び日本人)は歴史責任をはたすことによって、真の友好と信頼関係を構築しなければならない。 (折口晴夫)
読書室 「気候変動の文明史」安田善憲 著
猛暑と豪雨災害に直面して
今年の夏は異常な暑さで、全国で何万人もの人が熱中症にかかり、そのうち何百人もが死んだ。そのうえ、集中豪雨による洪水や土砂災害で、家も人も流され、死者・行方不明者が出たり、甚だしくはそっくり破壊されてしまった村もある。日本だけではない、ロシアでもアメリカでも、過去に類を見ないようなな異常気象が人々を襲っている。「地球温暖化は、やはり着実に進行している。こうした災害が、これからも増えるとしたら、大変な時代がやってきたものだ。」と不安を抱くのは私だけではないだろう。
ここで紹介する本「気候変動の文明史」が書かれた二〇〇四年も、「東京の真夏日が七〇日と、過去最高を記録し、日本列島は猛暑にみまわれた。さらに(中略)一〇個の巨大台風が日本列島を直撃した。」(同書「はしがき」より)年であった。著者は続けて問う。「いずれにしても、二十一世紀が地球温暖化の時代であり、我々はいやおうなく地球温暖化にともなう巨大災害の世紀へと突入しはじめたことはまちがいないであろう。その地球温暖化と巨大災害の世紀に、いったい何が起こり、我々はいったいどのような影響をこうむるのか、そしてそれを回避するにはどうしたらいいのか。」
その問いに対して、著者は方法論を提示する。「それを知るためには、我々は残念ながら一つの手段しかもちあわせていない。その手段とは過去のシグナルを未来に外挿し、近未来を予測する方法である。」そして、その「方法」こそ、著者によれば「花粉分析」と「年稿分析」を中心にした過去数千年、数万年にさかのぼる「地球の気候変動史の復元」なのである。著者はそれを「環境考古学」という、新たな科学分野として提唱する。
「花粉分析」「年稿分析」とは?
著者は、長年にわたって、日本や海外のあちこちで、湖の底にボーリングを打ち込み、湖底の堆積物をサンプリングして、そこに「年稿」があることを発見した。「日本では福井県水月湖の湖底からはじめて発見された。湖底の堆積物に縞々(しましま)の模様が発見され、それが年輪と同じく、一年に一本ずつ形成されたものであることが明らかになった。(略)年稿の中には花粉や珪藻さらには粘土鉱物や黄砂など、過去の環境を多角的に復元できる分析のターゲットが年単位でパックされていた。年稿の分析によって環境史を年単位で多角的に復元できるようになった。」
その中で、特に著者が注目するのが「花粉」であった。「花粉は二〇〜一〇〇ミクロン前後の大きさで、肉眼では見えないが、たいへん硬い膜を持っていて、オゾンの影響を受けない湖底や海底では、何万年でも残る。その花粉の化石を土の中から抽出して、どんな種類の花粉がどれくらいあるかを見ることで、過去の森林の変遷や気候の変動を復元する。」という。
こうして著者は、「年稿」や「花粉」の分析をツールとして駆使し、「イースター島の文明崩壊」の原因、氷河期の終焉と「マンモスの絶滅」との関係、「ノアの大洪水」と温暖化、北米大陸の「セントローレンス川の大洪水」による寒冷化、農耕文明の発生と大洪水との関係、などについて「気候変動」と「文明史」との連関性を読み解いていく。
日本の古代・中世史と気候変動
さらに著者は、日本の古代史・中世史についても、気候変動との関連を見出そうと試みる。例えば、縄文時代は、よくいわれるように、氷期が終わり「温暖化」の時期に当たり「縄文海進」と呼ばれるように海面が今より高かった、というだけではなく、頻繁に洪水が繰り返されていたことが、年稿・花粉分析から明らかにされる。
「温暖化」は、単純に「気温が上昇」することに留まらない。海水が蒸発し、雲が形成され、大雨や洪水が起き、気候が「湿潤化」する。そうすると、冬には雲が山脈に当たって大雪を降らせる。また氷河が溶けて、氷河湖ができ、それが決壊して「冷たい大洪水」となって海洋に注ぐ。そうすると一転、気候は「寒冷化」に向かう。寒冷化は気候を「乾燥化」し、「旱魃」をもたらす。このように、温暖化は、そのプロセス自体の中に、寒冷化の要素を孕んでいる。
人々の生産活動との関連で言えば、「温暖化」は栽培植物の生育に好条件を提供し、人口の増加や「大開墾」と「民族移動」を後押しするし、「寒冷化」は旱魃の多発によって社会共同体の存続基盤を危うくし、その共同体の上に君臨する王朝権力を衰退させ、これまた「戦乱」や別の意味で「民族移動」をかりたてる。
こうした視点から、著者は「万葉寒冷期」から「大仏温暖期」への移行にともなう、大開墾と東北開拓の時代や、温暖化のピークに起きた「渤海寒冷期」による「渤海」の滅亡について述べている。詳しい内容は、本書を実際に読んでいだたきたい。
もちろん、文明の興隆や衰亡の唯一の要因として、「気候変動」からすべてを説明しようとすれば、一面的に過ぎよう。しかし、共同社会の基盤である農業生産ひとつとっても、降雨量や日照時間などの変化に敏感に左右される、デリケートなものであることを思えば、「気候の変動」は、生産技術の変化と相互に連関して、政治経済社会の歴史的変化に大きな影響を与えることは明らかであろう。
これまで歴史の仮説を検証する上で、過去の歴史書や古文書などの「文献資料」を「第一の資料」、遺跡・遺物などの「考古学資料」を「第二の資料」とすれば、気候変動を年単位で示す「年稿」の発見は、歴史学の「第三の資料」として、今後大いに活用されるべきと思う。
「環境破壊」と「文明の崩壊」
さて、こうした気候変動と文明史の関係を見ていく中で、おそらく著者が最も強調したいことは、人間による環境、特に「森林」の破壊が、社会の存立基盤を奪い、文明の崩壊に導くという問題であろう。
著者は、古代メソポタミアの王の物語「ギルガメシュ叙事詩」に注目する。それは、ギルガメシュ王が、レバノン杉を手に入れるため「森の神フンババ」を殺すことから始まる。そして王は、手に入れたレバノン杉の交易で得た富で、一大王国を繁栄させるが、森の神を殺した罰として、永世の旅に出なければならなくなった、というのだ。
実際に著者が、レバノン山脈近くの盆地、ガーブ・バレイをボーリングして花粉を分析したところ、森林が破壊されていたことが明らかになったという。そしてメソポタミア文明は、下流域に豊かな水をもたらす森林の破壊により、塩害と旱魃を引き起こし、農業を衰退させ、崩壊にいたったとされる。
この森の破壊による文明の崩壊は、メソポタミアだけでなく、インダス文明においても、中国の長江文明においても、同様に起きた。古代文明だけではない。中世・近世のイギリスにおいても、製鉄のための薪を採取するため、森林が破壊され、農村の土壌が劣化し小麦の生産に打撃を与え、ネズミを食べる小動物が減ったためペストが流行し、エリザベス朝の繁栄は崩れていった。
著者はこうまとめる。「古代文明の崩壊期から中世ヨーロッパ文明の終焉期、そして近代ヨーロッパ文明への誕生期には、ともに共通した要因と類似したプロセスが存在する。そのプロセスとは、文明の発展にともなう人口の増大↓森林の破壊↓土壌の劣化↓突発的な気候の悪化↓食料不足と飢餓の多発↓体力の低下と疾病の蔓延↓人口の減少↓民族の大移動というプロセスである。」(略)
「このように見てくると、古代文明を崩壊させ、中世ヨーロッパ文明を終焉に導いた要因のすべてを、現代文明は今かかえはじめている。発展途上国における人口爆発・熱帯林の破壊に象徴される森林破壊と土壌の劣化、そして土壌の汚染や地下水の汚染、はては大気や海洋の汚染まで付け加わっている。(略)エイズに象徴される流行病・宗教紛争・民族紛争・環境難民の移動、そして地球温暖化という気候変動が目前にせまっている。」
こうした歴史・現状認識に立って、著者は森林と河川を人間社会の存立基盤として重視するコミュニティを、新しい社会の在り方(森の文明)として提唱する。
最近の「地球環境問題」の焦点は、ともすれば「温室効果ガス」イコール「二酸化炭素問題」に狭められ、「石油・石炭発電」か、「太陽・風力発電」か、はたまた「原子力発電」か、という「エネルギー問題」に傾斜してしまっている。「森林」から「河川」、そして「海」へと「水」の恵みを重視した、共同社会作りを提唱する、著者の視点には、多いに学ぶべき要素があると思う。(松本誠也)
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連載(その3) マルクスの協同組合的社会の諸問題―『ゴータ綱領批判』の再検討 2010,7,10 阿部 文明
五、「ブルジョア的権利」から国家が生まれるか?――レーニンの暴論
この問題にこだわるには、それだけの訳があります。マルクスの後継者であるかに見なされてきた、ロシア革命の指導者レーニンが彼の代表著作の一つ『国家と革命』で、このマルクスの見解を一つの根拠として協同組合的社会=「社会主義社会」いやさらに「高度の共産主義」の段階に至るまで「国家は死滅しない」と誤った主張をし大きな影響をあたえ続けてきたからなのです。端的には、旧ソ連社会が「社会主義」を標榜しつつ、他方では強大な国家と世界に類例のない官僚組織を育て上げてきたことを正当化する理論となってきたのです。
まず、レーニンが議論の基礎としているエンゲルスの見解を引用しておきましょう。ここでエンゲルスを引用するのは、彼の「権威」――現在ではかなりかすんだものですが――に寄りかかっているからではなく、誰でもが人類史をまじめに研究すれば当然にたどり着く歴史的結論であるからです。それを明確に初めて語ったのが、エンゲルスでした。
「国家は永遠の昔からあったものではない。国家なしにすんでいた社会、国家や国家権力を夢にも知らなかった社会が存在していた。諸階級への社会の分裂と必然性に結びついていた一定の経済的発展の段階で、この分裂によって国家が一つの必然事となった。…それらの階級は以前それらが発生したのと同じように、不可避的に滅びるであろう。それらとともに国家も不可避的に滅びる」(『家族・私有財産・国家の起源』)。
「国家は、闘争において、革命において、敵を力ずくで抑圧するために用いられる一時的な制度にすぎない…。プロレタリアートはそれを自由のためにではなく、その敵を抑圧するために必要とするのであって、自由について語れるようになるるやいなや、国家としての国家は存在しなくなります」(エンゲルスのベーベルへの手紙一八七五年三月)等々。
エンゲルスの見解は明らかでしょう。社会の階級への分裂と結びついて国家は発生しました。少し補足すれば、階級の発生も、また国家の発生も長い年月をかけて行われました。社会の階級への分裂が、たちどころに国家の形成を呼び起こしたわけでは必ずしもありません。だから、「階層」は存在するが国家が明確には成立していない社会もあります。文化人類学者たちが「首長制社会」と呼んでいるものがそうです。あるいは、国家らしき権力(王権)は存在するが、それがまだ微力であるという社会段階もあるわけです。あるいはタキトゥスが描いたゲルマン部族社会のように、社会の重要な決定は人民が直接下すしかなかった社会、「国家」(王や貴族・首長)がまだ人民に圧倒的な強制力を行使できなかった社会もあったのです。
しかし、いずれにせよ階級への社会の分裂こそ、その経済的に優位な階級に、国家の形成をうながさせたわけです。日本語では「公(おおやけ)」は「国家」を意味しますが、そもそも「公(おおやけ)」とは「大家(おおやけ)」、つまり有力な氏族を意味していたのです。「大家」の「公」そして「国家」への進化は、身分的優越が階級支配へと転化しさらに国家へと発展する過程を端的に示しているでしょう。階級の発生と社会内部の対立こそが国家を必然化させたわけです。したがって、階級が消滅することによって「それらとともに」(エンゲルス)消滅するということでしょう。このことは歴史や民族史を研究すれば全く明白なように思われます。エンゲルスの見解は、この点では依然として歴史的先駆性を示しています。近年、エンゲル批判が盛んですが、「批判」というよりも「切り捨て」に近い論調が目につくように思えます。「マルクス=エンゲルス」といった神格化が今度は裏返しされて「切り捨て」になるようにおもわれてなりません。「批判」とは、しっかりと取捨選択すること、批判的に摂取することではないのでしょうか。
さて、レーニンもこうした見解を、一方では踏襲しているのは、いうまでもありません。今度はレーニンの『国家と革命』から引用してみましょう。
「国家は、階級対立の非和解性の産物であり、その現れである」(全集二十五巻四一七頁)「共産主義だけが、国家を完全に不必要にする。なぜなら抑圧するものがだれもいない──階級という意味で、住民の一定の部分との組織的闘争という意味で、「だれも」いない──からである」(同五〇一頁)。
このような文章はいくらでも引用することができるでしょう。そして、私も、レーニンがこうした見解にとどまる限りは、なんら疑問がないわけです。ところがレーニンは、マルクスの「ゴータ綱領批判」を根拠として、上記とあい矛盾する見解を唱え始めます。
「資本家はもはやいない、階級はもはやなく、したがってまた、どの階級を抑圧することもできないというかぎりでは、国家は死滅する。しかし、国家はまだ完全に死滅したのではない。事実上の不平等を是認する『ブルジョア的権利』が依然として保護されているからである。国家が完全に死滅するためには、完全な共産主義が必要である」。「共産主義は、その第一段階ではまだ、経済的に完全に成熟したもの、資本主義の伝統や痕跡から完全に自由なものではありえない。その第一段階の共産主義のもとには『ブルジョア的権利の狭い限界』がのこっているといった興味深い現象はここからおこってくる。消費資料の分配についてのブルジョア的権利は、もちろん、不可避的に、ブルジョア国家の存在をも予想する。なぜなら、権利というものは権利の基準の遵守を強制できる機関なしにはないのも同然だからである。そこで、共産主義のもとでは、ある期間、ブルジョア的権利が残っているばかりでなく、ブルジョアジーのいないブルジョア国家さえ残っていることになる!」等々。
「ブルジョアのいないブルジョア国家」とは確かに驚くべきことでしょう。私にはレトリックとしか思えませんが。しかし、さらに驚くのは、この国家の内容です。レーニンは生々しい表現で、社会主義における国家の役割について次のようにも表現しています。「共産主義の高い段階が来るまでは(すなわち社会主義では──引用者)、社会主義者は、労働の基準と消費の基準に対する、社会と国家のきわめて厳重な統制を要求する。…この統制は…武装した労働者の国家によっておこなわれなければならないのである」。
「ブルジョア国家」が存在するばかりではなく、その国家は「武装したプロレタリアート」によって形成されているというのです。──階級がなくなったというのに! これらは全くの混乱以外のなにものでもないでしょう。
階級が消滅しても国家は消滅しない、「武装した労働者の」「ブルジョア国家」!?がのこるとしたなら、では、レーニンにとっては国家の完全な廃止の条件とはどのようなものでしょうか。それは、次のようなものです。
「国家の完全な死滅の経済的基礎は、精神労働と肉体労働との対立がなくなるほど、したがって現代の社会的不平等のもっとも重要な源泉の一つであり、しかも、生産手段を共有財産に移すだけでは、資本を収奪するだけでは、けっして一挙に除去することのできない源泉がなくなるほど、共産主義が高度の発展をとげることである」。「そしてそのときには、共産主義社会の第一段階からその高い段階へうつり、それと同時に国家の完全な死滅へうつる門戸は広く明けはなたれるであろう」(以上、前掲書五〇五〜一三頁)。
レーニンの主張を簡単に要約すれば、国家、すなわちプロレタリアートの独裁は「共産主義のより高度な段階」まで存立するということです。そしてさらに、「より高度な段階」ではじめて「国家の完全な死滅へうつる門戸が広く明け放たれる」のであり、けっして、「共産主義の高度な段階」へ移行するとともに国家が消滅する、といっているわけではないことにも注意してください。
「資本を収奪するだけでは」「生産手段の社会的所有を実現しただけでは」すなわち「社会主義」=協同組合的社会の段階では国家は残るしかない、とレーニンは主張しているのです。プロレタリアートの独裁が残ると言うことです。
すぐあとで詳しく論じますが、レーニンが、国家の存続の問題を、「共産主義の第一段階」(あるいは普通「社会主義段階」といわれているものそして本稿では「協同組合的社会」と表現しているもの)のいわゆる「ブルジョア的権利」(マルクス)の問題と結びつけたことは理論的なまちがいだといえます。(精神的労働と肉体的労働の対立――階級の存在の前提――については本論の最後の方で別途取り扱います。)
また、レーニンが、プロレタリア独裁の意義や存立基盤を、かくも肥大化させ拡張させたのは、その背景として、マルクスのようなアソシエーション的なアプローチの欠如、したがって広い意味ではロシアの後進性に制約されたともいえるでしょう。こうした社会(当時のロシア)では、個々人の自発的行動、主体的発想、自由な連帯・行動ではなく、権威や権力をそなえた「国家」がもっとも有力で持続的な社会組織であったと、少なくとも当時の「ロシア社会主義者」が思い込んでいたからでしょう。しかし、極論すれば、レーニンなどロシア・マルクス主義の国家主導の「社会主義」「共産主義」建設路線とは、社会からの疎外体である国家が、人類を解放するという驚くべき転倒を意味するでしょう。もし、ロシア革命が、真の共産主義であるアソシエーション社会を目指すのであれば、その後の現実の過程は異常であったといわざるを得ないでしょう。かくも野蛮なスターリン体制を帰結させたことは、革命時のロシアの後進性という諸条件とともに、革命後の過程、革命家達の思想・実践とも密接につながっているとおもいます。「全人民は,武装した労働者に雇われる職員」(レーニン)になる云々は、自由なアソシエーションとしての社会主義、共産主義とは無縁なものであることをまさに示しているでしょう。
私見では、プロレタリア独裁(政治的過渡期)は、無制限に敷衍されてはならないのであって、それらは本来的な役割であるブルジョア階級の抑圧と解体と、それに付属するいくつかの行為に限定されるべきだとおもいます。レーニンが、国家を事実上無制限に社会革命の「道具」として利用しようとしたのとは違い、その役割の達成とともに、早々に歴史の舞台から降板しなければならないでしょう。
ところで、あらためて確認しておきたいことは、マルクスは、上記レーニンのようなことについて何ら発言していないということです。「共産主義の第一段階」では「ブルジョア的権利がのこる」というところまでがマルクスの見解であって、「だからブルジョア国家ものこる」という部分は純然たるレーニンのオリジナルということなのです。だから、レーニンがマルクスやエンゲルスをいろいろ援用していますが、マルクスに直接の根拠を求めることは不可能だし、エンゲルスに至ってはすでに指摘したように、レーニンとの見解の対立こそが明らかなのです。再度述べますが、国家すなわち「プロレタリアートの独裁」が「共産主義のより高度の段階」まで存続し、この段階に至って始めて「国家の死滅の門戸が開かれる」というのはレーニンの独自の考えです。
そしてこの問題は、つきつめてみれば、レーニンがいうように「取得の権利」の存在が「権利の基準の遵守を強制できる機関なしには」不可能であるのかどうか。この「機関」は国家と呼びうるかどうか、ということに集約されると思います。
しかし、レーニンの見解は、歴史的に見て、どのような根拠もないと考えざるをえません。そもそも、高度の共産主義のように、全面的に「欲求・必要に応じて」生産物等を取得できる社会は、過去のどのような社会でも存在できなかったのです。それは、未来の高度な生産力を土台としてただ可能だと考えられるものです。一方、過去の人類の歴史のほとんどは、何度も振り返りますが国家もなく階級もない、いわゆる共同体社会でした。ホモ・サピエンス・サピエンスの歴史だけをとっても、バイオテクノロジーによる推定を根拠とすれば、十五〜二十万年の歴史になるわけですが、国家が発生したのはご存じのようにようやく五、六千年前ぐらいなのです。それ以前の共同体社会は、生産力の低さなどに規定されて、消費資料はなんらかの権利義務のシステム──それらは伝統によって習慣化されています──にもとづく分配と推定されます。確かに、「労働の給付に基づく取得の権利」とは、その限りある種の「不平等」と社会的軋轢の存在を前提とします。しかし、何万年の間、人間は、豊かとはいえない消費資料を、厳格なルールのもとで、しかも国家などを必要とせずに、分配してきたのです。これが事実なのです。
つまり、一目瞭然のように、なんらかの「権利」にもとづく分配が、――自分の当然の取り分――それの実施を強制する機関、すなわち国家の必然性を前提にしかなりたたないというレーニンの主張は、どんな根拠もないことは明らかなのです。マルクスの言う「社会にあたえた分と同じものを(必要な控除の後)取得できる」権利というものは、すでに述べてきたように「ブルショア的権利」ではなく共同体的な互酬的権利(義務)に相当するものと考えられるのです。この「権利」は協同体の自覚に基づいて――国家や特殊な組織なしで――何の軋轢もなしにと言うことではありませんが――相互に守られてきたのです。
もし、レーニンのように「社会に与えた分を当然にそこから引き出すこと」が「階級的=ブルジョア的」であり、厳守させるためには国家が必要であると言うのであれば、「協同組合的社会」「社会主義」は本質的に階級社会であり、国家が存在する社会であるのは当然のことになるでしょう。この問題は曖昧にできるものではないのです。
しかし、歴史が教えることは、国家の存在は、ただ、社会の階級への分裂を前提として、また、内乱や戦争、大土木事業の必要性などの社会的危機や緊張を媒介として、始めて現実的になったのであり、したがって、エンゲルスのいうように、階級の消滅とともに滅びさる運命のものと考えざるをえないのです。決してレーニン説のように、分配における「権利」の問題から国家機関が発生したのではないのです。くりかえしますが、「共産主義の第一段階」での「ブルジョア的権利による分配」が、「武装した労働者の国家」を必然のものとする、というレーニンの見解は、どのような歴史によっても支持されないでしょう。
* * *
レーニンは次のように言っています。「他人より半時間でも余計に働かないように、他人より少ない支払いを受けないようにと、シャイロック流の冷酷さで人にそろばんをはじかせるブルジョア的権利の狭い限界」と。このように典型化された人格は実在します。しかし、収奪者の収奪を経て、連合する人々が互いに協力して社会の運営を担うのであれば、つまり、アソシエーションがこのような、貨幣・資本関係(ブルジョア的関係!)を揚棄するのであれば、そして、同時に次節でさらに展開するように、協同体としての普遍的な実質的平等への「補正的再分配」が実施されるのであれば、本来的な人間、「社会的な人間」が現れてくるでしょう。マルクスが同等の労働の交換について「ブルジョア的」と語ったことが、レーニンによって「シャイロック的冷酷さ」からさらには「国家の必要性」まで拡張されたことは二重三重の誤りに迷い込むことであったでしょう。
このようにレーニンには「社会的個人」という、アソシエーションの基本概念が欠けているとおもわざるをえないのです。自立した個人、分配の権利を持つ個人が「シャイロック的冷酷さ」によって行動するから、それを「取り締まれ」、「国家が必要だ」というわけです。たしかにこれでは国家は永遠に消滅しないし、共産主義も永遠に実現できないでしょう。
「労働の対等な交換」ということは、確かにそれが「労働の等価交換」と言う意味では、「商品交換と同じ原理」を意味しています、しかし、社会環境はすっかり変化しているのです。社会変革、すなわち全労働者による社会の運営、協同組合的社会の実現を前提とする限りそれは「ブルジョア的」ではなく、むしろ未開的・原始的な協同社会の「互酬制度」への根本的回帰であり、普遍的な対等性と非搾取的原理を意味しているのです。そこでは、「シャイロック的」人間にかわって、社会的に生きる人間が登場するのです。彼らによる「連合」がアソシエーションの基本理解であり、この、根本的社会変革を理解できなければ、どのような共産主義も存在し得ないでしょう。
六、協同社会に不可欠な、補正のための再分配
マルクスはさらに以下のように展開を続けています。
「(労働時間に基づいて分配を受ける)この平等な権利は、不平等な労働にとっては不平等な権利である。」「それは労働者の不平等な個人的天分と、したがってまた不平等な給付能力を、生まれながらの特権として暗黙のうちに承認している。」「人々はただ労働者としてだけ考察されそれ以外の点には目は向けられず、ほかのことは一切無視される。さらにある労働者は結婚しており、他の労働者は結婚していないとか、あるものは他のものより子供が多い等々。」「あるものは他のものより事実上多く受けとり、あるものは他のものより富んでいる等々。」「こうした欠陥は、長い産みの苦しみののち資本主義社会から生まれたばかりの共産主義社会の第一段階では避けられない」云々。
洞察力のある見解だとは思います。しかし、あまりにも一面的な強調に陥っているのではないかというのが私の意見です。生産力の低い時代の共同体でさえ、すでに論及してきたごとく実質的平等への配慮を怠ってはいなかったことは、「バンド社会」の例などをいくらでも挙げることができるでしょう。「成熟した現代資本主義社会」ですら、偽善的ながら窮民保護のレベルを超えて「富の再配分」「弱者保護」を程度の差はあれ実施しているのも事実です。
獲物の獲得への貢献度による第一次の分配方式と、それとは別の、そこからくる不平等を実質的に是正する第二次の分配方式、(これを「分配の補正システム」と仮に呼びます)の統合として、原始的共同体は成立しているのです。直接肉を取得できなかった者も、共同食事などの分配にあずかります。このようなシステムがあるからこそ、共同体内に生ずる分配の軋轢を弱め、混乱なく経済・社会活動をすすめることができるわけです。この社会は、かくして、厳密な分配の権利義務にもとずくルールをもちながら、他方では国家機関などの存在なくしても、それが円滑に実施されることができるのでしょう。共同体社会の共同体社会たる所以は、こうした二つの分配方式の並立と融合にこそあるのではないかと、前述したように私は考えます。
ですから、すでにみてきたように、レーニンが「労働にもとづく分配」「権利にもとづく分配」は、「シャイロック的冷徹さ」をともなう「ブルジョア的権利」であると考えました。
またレーニンは次のようにも述べています。「だが、ブルジョア的権利以外の基準は(社会主義では)存在しない」すなわち「働かざる者食うべからず、というこの社会主義的原則」(『国家と革命』)と。そうであるかぎり、「武装した労働者の国家」は存続しうるにちがいない、という見解をもっていたわけです。しかし、けっしてそうではなく、無階級社会での分配は、特殊な暴力機構をもつことなく、円滑におこなわれていたわけです。そして、われわれのアソシエーション社会でも、こうした一次分配と二次分配・補正的再分配の統合された構造は明確に採用されなければならないと思います。(ただし、未開社会の贈与=二次分配は個人的なもの[主に親族的系列からなる]、また情実に関わる面が大きいのであり、我々の時代は社会制度として実現されるのは言うまでもない。)
こうした、取得補正の再分配構造は、当初の地味な社会的ポジションから発展し、社会がさらに成長し、生産力が次第に向上し全面的に発達した社会的人間が登場し、「労働の給付に基づく分配」を脇に押しのけて「欲求や必要に基づく分配」が大幅に可能となるまで、つまりマルクスのいう「共産主義のより高度な段階」まで維持発展されなければならないということになると思います。
このようにレーニンがマルクスの『ゴータ綱領批判』を読んで、その社会の実質的な不平等と「シャイロック流の冷酷さ」を読み取り、この社会の矛盾の存在から、なんらかの国家・治安機構の存続を想像したとしたら、それはレーニンによるマルクスの「誤読」と先入観の産物であったでしょう。ただし、マルクスの不適切な表現にも一因があっただろうと思います。一次的分配(「労働の給付に応じた分配」)のみならず、補正的再分配についても同時に論ずるべきではなかったかと残念に思われます。
本論冒頭でふれたように、未開人の労働時間は、われわれの常識──生産力が低いから、めいっぱい働くしかないだろう──とはちがい、一日に換算して二〜四時間労働とみられています。ではその残りの時間はどう過ごすのでしょうか。歌や踊りや宗教的行事、あるいは絶え間のない対話・交流ですごすわけですが、このような、私が勝手に「社交的生活」と呼んでいる生活は、実は共同体的精神、友好的な精神あるいは「愛着」や親近感の醸成に大きく貢献しているのです。ふだんのこうした生活が、分配時における緊張の緩和や、補正的再分配のための心理的土壌をつくり、また、他部族との戦闘などにおいて、団結を維持することができるわけです。また、伝統や習慣の力も無視できません。未開社会や太古の社会では、歴史の進歩ということが実感できないので、こうした要因が社会を拘束する力ははるかに大きなものがあったでしょう等々。このようにして、共同体的社会が内部にかかえる一定の矛盾には、それを取り締まるための特殊な機関なるものを想定しなくとも、それを解決しうるのだということなのです。われわれのアソシエーションも、このような歴史を再び歩むに違いありません。
以上が、レーニンの「国家の存続」に関する理論への、私の批判的見解です。誤解のないように補足すれば、私の見解は、階級が消滅すれば、ただちに国家も消滅する、といっているのではなく、──それはその時の状況が決定するでしょう──国家の存続根拠がなくなる、といっているのです。こうした現実のタイム・ラグまで否定しようということではありません。 ,
いずれにしても、マルクスがいうように、個々の人間は精神的・肉体的差異をもっており、しかも、資本主義から生まれたばかりの社会では、こうした差は自然的差異よりも拡大されていると考えてよいとおもいます。さらに別な意味では、アソシエーション社会は少年少女から、高齢者や障害者まで、労働能力と意欲のある人はだれでも労働に参加できるので、「労働者」としての個人差は、資本主義社会より拡大すると考えるべきでしょう。また、家族のある者、子供の多い者、少ない者とか、さらに都会に住む者、へき地に住む者等々、個人を取り囲む環境は社会的にも自然的にも多様です。私見では、社会的取得は、こうした個々人の状況を、全面的に補正するという視点から、系統的に行われなけれはなりません。それは、
以下の諸点についてすみやかに実行されるべきだと考えます。
第一、子供や非労働者(労働不能者)家族の社会的保護育成。かれらの教育・医療・生活費等の社会的な全面補助。
第二、労働に対する補正的再分配。個々人の労働能力の差に起因する、消費財の分配の不平等の緩和措置。
第三、各種施設の無料利用、他のサービス・娯楽の廉価給付。
第四、地域的、自然的ハンディへの社会的補助。
アソシーション社会は、その最初の段階である協同組合的社会(共産主義の第一段階)においても、搾取もなく労働に応じた分配の実現という意味で、「労働が報われる社会」といえるわけです。同時に、その経済的過渡期にあっては、労働にすぐれた人たちが、その分を一定程度、社会へ還元する(再分配する)という社会でもあるわけなのです。階級が消滅した、という歴史的段階に加えて、高度な取得補正機構をもつことによって、この社会は国家の存立はもとより、分配をめぐる社会的軋轢を大幅に軽減し、「より高度な共産主義」をめざすことができるのだとおもいます。
(この論文は、『アソシエーション社会への道』の一部を加筆訂正したものです。)
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沖縄通信・・・「9月・名護市議選」と「11月・県知事選」
8月20日宜野湾市長の伊波洋一氏は、社民党県連、共産党県委、社大党からの県知事選(11月11日公示、同月28日投開票)出馬要請を受託し、知事選に立候補することを発表した。
先に参議院選挙で候補者を擁立できなかった民主党県連(喜納昌吉代表)は、知事選においてもいまだに候補者を決められず、8月中に基本政策をまとめ、9月から候補者の人選作業に入る予定である。基本政策では、党本部とは違い「普天間飛行場の移設は県外・国外移設」と明記し、「辺野古移設の日米合意は実現不可能」とする意見も盛り込むことを決定している。
無所属グループ「県民主役の知事選挙を実現する会」も、県政与党、野党とは別の枠組みで3人目の候補者擁立を目指している。
これが現在の知事選の状況である。
普天間基地問題を抱えながら宜野湾市長を2期・8年目を迎えた伊波氏は、出馬要請に対して「県内移設に翻弄された(保守県政の)12年に終止符を打ち、沖縄の自立と発展のための12年をスタートさせる」と普天間飛行場返還・移設問題を争点に、県政奪還への決意を述べた。(下記に伊波氏の出馬要請の受託コメントを記載した)
実は、この知事選の前哨戦と言うべき名護市議選(9月5日公示、12日投開票)が大変注目されている。
今年1月名護市長選挙で、普天間飛行場の辺野古移設に反対する稲嶺進氏が初当選し、初めて移設反対の市長が誕生した。
ところが、民主党本部はこの市長選結果に対して「斟酌いなければならない理由はない」(平野元官房長官談話)と述べたり、防衛省は名護市に今年度交付する補助金をなかなか支給しないなど、稲嶺市政に対して嫌がらせを繰り返している。
そして5月28日、日米両政府は「辺野古回帰」の結論を出した。
「辺野古回帰」を決めた民主党本部は、水面下で仲井真県知事や島袋前名護市長と非公式な会談を繰り返している。
8月18日と19日の琉球新報は次のように報じている。「移設容認派と密会重ねる前原氏。前原沖縄担当大臣が17日夜、都内で仲井真知事や島袋前名護市長らと別々に密会を重ねた。島袋前市長の席には、大城辺野古区長、城間豊原区長、古波蔵辺野古区普天間代替施設等対策特別委員会委員長も同席した。前原氏は5月にも、島袋前市長らと都内で非公式に会談している。5月に続く前原大臣と前市長らとの密会に稲嶺名護市長は『理解に苦しむ。名護市長は2人いるのか』と不快感をあらわにする」
9月12日投票の名護市議選は、稲嶺市長の与党の「移設反対派」が過半数を取るのか、それとも野党の「移設容認派」が過半数を取るのかと言う厳しい選挙戦になるだろう。
民主党本部は辺野古新基地の位置や工法について「結論は県知事選以降」と述べている。党本部としては、まず名護市議選で移設容認派が多数になり、さらに仲井真知事が再選されて名護市議会の移設容認派と組んで辺野古への新基地建設を認める。そうした流れを描いているだろう。
事実、仲井真県知事は名護での移設容認派市議候補者の決起集会に参加し、移設容認派候補者を激励している。
「仲井真知事+移設容認派」、それに対して「伊波知事候補者+移設反対派」という対立構図になり、まさに名護市議選は11月の知事選の前哨戦となりつつある。(英)
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沖縄県知事選挙出馬要請の受諾コメント
私は、三党知事選候補者選考会の出馬要請を受けて、後援会、前回の市長選挙役員等関係者や市議会与党議員、支援・推薦団体とも意見を交換し、知事選出馬についての理解を得ることができました。
私は、戦後65年、本土復帰後38年の節目に行われる今回の知事選挙は、沖縄の将来を決定付ける重要な選挙と位置づけています。あくまで、沖縄に基地を押し付けようとする日米両政府に対して、民主主義のルールに則して、沖縄県民の意思を示す選挙になるからです。
私は、知事選挙で示される県民の意思を国も尊重すると考えます。
それゆえに、私は、沖縄県民が沖縄の未来を決められるようにすること、沖縄の飛躍のために米軍基地の重圧から解放されるようにすること、沖縄の発展のために沖縄の若者の可能性を最大限に引き出すことを重視し、新しい沖縄県を実現するために、今回の知事選挙への出馬要請を受諾することにしました。
その上で、県政における幾つかの課題について、次のように考えています。
一つは、普天間飛行場の危険性除去と早期返還を実現するために、今年4月25日の県民大会で示された県内移設反対の県民意思を県知事選挙で示すことが大切だと思います。私は、県内移設に一貫して反対してきました。
今後も、決してぶれることはありません。1996年の日米合意の代替施設は、撤去可能な海上ヘリポートでした。それを今日の1800メートル滑走路に成長させたのは、この12年の県政ではありませんか。県内移設に翻弄され続けた12年に終止符を打ち、沖縄の自立と発展のための12年をスタートさせたいと思います。私は、そのスタートの役割を担いたいと思います。
12年後の2022年は、本土復帰50年にも当たることから、東アジアも視野に入れた沖縄の自立と発展の基礎をつくっていきたいと思います。
二つには、私は、戦後世代で沖縄戦を知りませんが、沖縄戦の傷跡が残る米軍占領下に生まれ、沖縄が貧しく厳しい時代に育ち、米軍基地の重圧の中で沖縄県民が主席公選運動や日本復帰運動を闘い抜いて、沖縄の県民自治を発展させ、日本復帰を勝ち取った時代に多感な青春期を過ごしました。
今の若者は、そのような占領下の沖縄や復帰後の体験をしていません。
私は、沖縄県民が米軍基地の重圧の中で県民自治に向けて取り組んだ戦後の歴史を沖縄の若者に受け継いで欲しいと思っています。そのために、私は、若い世代と一緒に、沖縄の発展をめざして取り組んで、日本復帰50年にあたる2022年において東アジアにおける沖縄新時代を切り拓くことができるよう頑張りたいと思っています。
三つには、私は、2期7年の県議会議員を経て、宜野湾市長として市政を担当し、今年で2期8年目を迎えています。県政においては、主に、教育、医療、福祉、子育て支援、環境と平和行政を取り組んできたことから、宜野湾市政においても、これらの分野を重視して取り組んできました。加えて、宜野湾市西海岸地区への企業誘致や市役所の業務改善、ITを駆使した窓口改善や業務マネジメントなどの電子自治体化、収納対策や入札制度改革などを取り組み、財源を産み出して、宜野湾市行政を市民が主役の市政に大幅に改革することができました。宜野湾市での改革の経験を生かして、市町村とも連携をとりながら、県民が主役の県政に改革していきたいと考えています。
私は、普天間基地問題を抱えながら、市長として予算編成を開始した2004年度からの七年間で延べ約683件、総額344億7031万円の政策事業を実施してきました。今年は113本、約61億円の政策事業を取り組んでいます。これほどの政策事業を継続的に実施すれば、市役所や公共施設、教育施設、公園、道路、などのインフラを始め、教育支援、子育て支援、医療介護、福祉が変らないはずがありません。宜野湾市では、このように数多くの政策事業を持続的に実施できるようになっており、他自治体と比べても遜色なく、先端を行く自治体になろうとしています。
多くの自治体が財政難で苦しむ中、宜野湾市が毎年約100もの政策事業を取り組めるのは、ITを駆使した効率的な自治体運営による経費の節減と入札制度の改革や市税収納対策などにより、一般財源の確保に取り組んだからです。
私は、2003年4月の市長就任と同時に入札制度改革に着手し、同年7月から現在の入札制度に移行しました。就任翌年からは、現在のクラウドコンピユーティングの手法を取り入れた電子自治体化、市税の収納対策を取り組み、市民のための財源確保を実現しました。この7年で市税は年17億円増え、電子自治体化で毎年2〜3億円単位の経費節約になります。
入札制度改革では談合のない入札が実現し、一つの中学校校舎増改築で、総額約25億円の予算から約5億円の入札差額がありました。約1億5000万円が現金で戻り、約3億5000万が市債の減になります。今月の橋梁工事発注でも、4億円の予算から1億円の入札差額がでました。本市では、この差額1億円で新たな工事を予定しています。
こうして作り出した一般財源を基にして、国庫補助事業による教育施設改築、保育所建設、公園を建設、道路建設などの他、多くの福祉施策を取り組み、子育て支援を行い、教育環境整備をしてきました。市単独の一般財源のみによる乳幼児医療の無料化や中学卒業までの入院費無料化、小学一年生からの英語教育特区なども実現させ、市民のための公共施設を修繕整備し、市役所敷地を花でいっぱいにするなど市民が主人公の市政を目指して取り組んできました。
私は、県内市町村の課題を共有しながら、県民が主役の、すなわち市町村民を大切にする県政を実現していきたいと思います。 2010年8月20日 宜野湾市長 伊 波 洋 一
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コラムの窓 働かざるもの食うべからず
「働かざるもの食うべからず」という言葉があるが、働きたくても働けない状態が今作り出されている。
経済状態の悪化によって、企業は新規採用を縮小し、今年の春、大学新卒者のうち就職できた人は60・8%で前年比7・6ポイント減。これは過去最大の下落幅だったし、2011年春に卒業する大学4年生の就職内定率は、7月までの時点では前年比で減少しているし、このまま低迷が続くと、就職率は最終的に過去最悪になる恐れもあり、新卒の二人のうち一人は就職ができない状態になるといわれている。
そして、日本の平成22年6月の完全失業率(季節調整値)も、5.3%と、前月に比べ0.1ポイント上昇するなど高水準である。
資本主義社会では企業は私的なものである、私的な一企業からすれば、その企業が抱える商品がこの不況で売れないとするなら、労働者を雇う必要もないが、人間が生きていくための労働はその人間が生きている限り必要(他人に労働させることも含む)であり、無くなりはしないのだから、農業や漁業を含む全産業や社会全体から見て、本当に人手は余っていると言えるのだろうか?
どういう仕事に就くかという働く側の希望もあるが、今は働く側の希望より、企業側の思惑で働きたくても働けず、生活もまともにできないなんて・・・・
政府は「雇用対策特命チーム」を立ち上げ、企業側への新卒採用メリットや学生側への支援強化雇用対策を検討し始めたが、この不況下、採用する側の企業が限定され・企業側も消極的であり、雇用対策としての職業訓練も、「即戦力」としての職業知識や経験のある者を採用希望する企業に合わせたものだが、本来はその企業内の独特な経験や技術の習得とはかけ離れた基礎知識で、実際に役に立つかどうかは未定で、エコ減税と同じく一時的なばらまき政策になる可能性が大きいし、政治的宣伝の要素を含んでいる。
「働かざるもの食うべからず」とは有名な言葉だが、そもそもこの言葉のもとは新約聖書のパウロの言葉で、「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と、怠惰で、働かない者を戒める教えから言われた言葉であるが、近年では、他人の働きに寄生する搾取や怠惰を戒め、自らは額に汗する労働もせず、美食と談笑をしながら労働者を搾取する資本家に対してもこの言葉を投げかけることによって、その非を追求し、公平で平等な社会の実現を呼びかける言葉ともなっている。
しかし今、ソ連や中国といったかつての“社会主義国”の崩壊と社会主義思想の後退によって資本主義的社会の優位性が言われ、個人主義や能力主義が押し出され「貧乏なのは、働かない“能力がない”自分の責任だから、助けてやる必要はない」とその「自己責任」を強調し、いじめや落ちこぼれ、正規・非正規などの格差・拡大が進行し、就職さえも困難な時を迎えている。
働きたくとも働けない状況が今つくり出されている。資本主義社会の矛盾、社会的生産関係と私的所有との矛盾によって生じた不況下で私的な企業は雇用を渋り、社会的責任を放棄している。
私たちはこの社会的責任放棄をまず追求し、労働可能な全ての人に雇用確保を要求する。そして資本主義社会の矛盾である社会的生産関係と私的所有の矛盾をなくし、すべての人々が働ける環境を整え、「働かざる者食うべからず」の公平で平等な社会の実現を目指そう! (光)
読者からの手紙
「ワーカーズbS19」を読んでから、インターネットで「報道とカネ」について追跡しています。
四月に官房機密費に関する爆弾発言をした野中広務元官房長官は、最近彼の下で官房副長官を務めていた鈴木宗男国会議員が、太田氏と稲嶺氏が沖縄県知事選挙を闘ったときに、稲嶺陣営に三億円を提供した事実を告白するや、そんな事実はないと逃げを決め込み、今後は一切証言はしないと終息宣言しています。野中氏の証言には裏があったことをいわず語らずのうちに暴露してしまいました。
この鈴木宗男氏の証言の重大性に鑑み、「琉球新報」は、八月十九日に「知事選に機密費 事実なら民主主義冒とく」と題する社説を掲載しました。参考のために全文引用しておきます。この記事は全国紙・地方紙を通じて「官房機密費」に関する記事の白眉です。
1998年11月の県知事選をめぐり、当時の小渕内閣で官房副長官を務めていた鈴木宗男衆院議員(新党大地代表)が、自民党推薦の稲嶺恵一氏の陣営に内閣官房機密費3億円が渡っていたと証言した。
米軍普天間飛行場の県内移設を容認していた稲嶺氏が、県内移設に反対した現職の大田昌秀氏を破り、初当選した選挙だった。
これまで、鈴木氏は一部メディアに対して3億円の拠出を聞いていたと話していた。本紙の取材に対し、金額の根拠について、当時の野中広務官房長官の秘書官を問い詰め、具体的に確認したと初めて明らかにした。当事者しか知り得ない内幕が含まれた証言である。
事実とすれば、当時の自民党政権が国民の血税からなる官房機密費を使って、政府の意に沿う候補者を勝たせるために巨額の選挙資金を与えていたことになる。
沖縄の最大懸案である普天間飛行場の県内移設が争点となった知事選挙が金まみれの露骨な介入を受けていたことになる。地方自治と民主主義の根幹をないがしろにした行為と断じるしかない。
鈴木氏の証言に対し、野中氏は原則として選挙には機密費を拠出しないと否定している。当時の大田県政打倒に向け、県内保守政界と密接なつながりを持っていた野中氏と鈴木氏の証言の食い違いに、国民の預かり知らないところで領収書なしで支出される機密費の闇の深さがうかがえる。
機密費の使途は最近、徐々に明らかにされてきた。野中氏は県内での講演で、長官在任中に複数の政治評論家に機密費から盆と暮れに500万円ずつの付け届けをし、国会対策費などにも使ったと明かしていた。
県内は、11月に普天間飛行場の返還・移設問題で15年間揺れ続けた沖縄の民意をはっきりさせる県知事選挙を控えている。また、9月の統一地方選挙で、移設が焦点となる名護市議選挙もある。
政権の主は民主党に代わったが、沖縄に新たな巨大基地を押し付ける政権の姿は変わらない。使途が公開されない官房機密費を政権の意のままに使われる懸念はぬぐえない。
沖縄は政治決戦の秋を迎える。地方主権を掲げる民主党政権が、金の力で選挙と民主主義をゆがめる悪弊を重ねることがあってはならない。
地方紙とはいえ社説でこの事を追及・告発した意味は大きいものがあります。
このように「官房機密費」の使途に関する報道がなされてきたためか、かねてから「二億五千万円の官房機密費の持ち逃げ」で告発されていた河村健夫自民党前幹事長に対して、ついに「背任」や「詐欺」にあたるとの疑いで東京地検が捜査に乗り出しました。
八月十一日には、渋谷区神南のNHK放送センター内西館8階のトイレ内で、NHKの影山日出夫解説委員が首を吊っているのが見つかり、翌日死亡しました。
彼は、トイレの個室のフックにネクタイをかけて首を吊ったとのことですが、そんなことで死ねるものでしょうか。自分の身長にも満たない高さなのですから。しかし自殺との認定、まさに謎また謎。彼は「日曜討論」の司会等をつとめ、親自民・反民主・反小沢の報道姿勢が中立性を保っていないのではと問題視されていた人物でした。ここから分かることは「官房機密費」の使途については大変な闇があるとの事である。
民主党はどのように「官房機密費」に関わっているのかというと。全く不誠実な態度に終始しているといわざるをえない。それにしても平野前官房長官や仙石官房長官のとぼけた態度は絶対に許せません。彼らはまさに自民党並みの破廉恥さで「官房機密費」に関わっています。既に二億円使っているとのことです。仙石氏などは弁護士だったのだから、その遵法精神にも大いに疑問を呈せざるをえません。 (笹倉)
生活者のことば−食い力につて−
私は旅好きである。しかし、いつも生活者と旅人の壁を感じていた。老境に入り、若い頃のように体も動けなくなると、生まれた地、大阪に定住することになり、不自由な身だが家業の手伝いの一端を担っている。
商売する家は一家そろって食事することもままならず、コミュニケーションすら取る自由はない。食事も別々。家人は私より年上からか、イモや大根の炊いたものを好む。一度に沢山炊いておくことができるからだろう。私は名付けて神さま食≠ニいい、おしょうばんにあづかる。
しかし、神さま食では体力が続かず、タイした手伝いもしていないのにフーフーいう。そこで、行商にくるヤマギシのトリ肉のテキを食ったら、よく効き目があってフーフーいわずに動くことができる。食べ物の力とはたいしたものだ。これを庶民は昔から食い力=iクイリキ)というそうだ。
今や死語になっているかも知れないが、なかなか実感のこもったコトバである。思えば私はこうした庶民の生活者のコトバとはかけ離れたコトバ(よくリクツっぽいといわれる)を使っていたようだ。
池上彰氏が伝える力≠ニいう書をPHPから出されたが、この点にふれられているかどうか、読んでみよう。私は多分、表現の問題かかづらもっているいるのだろう。読書も楽し。 2010・7・30 宮森常子
目の色
今年はキライなもの、クモと仲良くしよう≠アれは亡くなった長姉がいつか元旦の 一年の計として言ったコトバである。
「来る者は拒まず、去る者は追わず」といわれるが、実践のむつかしいコトバである。中国のかの竹林の七賢人ですら好ましい客には青目を出して迎え、キライな客には白目で迎えたという。自らの世界に合わない世の中に白目をむいたのであろう。
わが家に5匹のネコがいてマメというでっかいオスネコがボスぶっていて、気に入らないネコをかみついて追い出した。クロというネコはかまれて怪我をしたまま、夏のこととてかみきずがもとで、どこかで死んでしまったのだろう。帰ってこなかった。
次に攻撃の対象にされたのは、放浪組のノラだった。同じくかみつかれて怪我したまま家に入れず(マメが入らせない)死にそうになっているところをやっと救い出した。2匹も死に至らしめかねないマメ。憎たらしいと家中の人に疎外されたマメは最も幼いネコ、チビに襲いかかった。それほどにハズレのマメは人の愛≠ェほしかったのだろう。
私は白目をむきつつもマメを受け入れねば、弱小のネコたちが危ないし、逆に私がマメにすげなくしつづけた結果、マメが家出する仕儀ともなれば、私はきっと後悔するだろうと思いマメも気にかけることにしている。暑いのに5匹のネコにふりまわされている今日この頃である。
こんなフランス映画があった。ある職人の親方が少年を雇い入れた。その少年は親方の息子を殺した刑務所あがりの少年だった。それを知っても親方は殺人犯の少年を側に置き、つき放そうとしなかったという映画。竹林の七賢人といい、かのフランス映画の親方といい、現代、われわれが置かれている世相の中にもってくれば、どんな目の色をしているのだろうか。明晰を好むフランス人なるが故に明確な答えはなさそう。2010・8・24 宮森常子
参議員選挙は現代社会の価値観にどっぷり浸かったまま、上面の現象に振り回され、主体的に社会の真相・本質を追求せず、与えられた操作された情報を鵜呑みにした日本人の平和ボケ・エコイズムに、毒された救いの無い劣化をみる。新たな共同社会(社会主義への展望)の前に、巨大な壁が我々少数派の前にふさがる。空しさと苛立ちがある(YF).
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色鉛筆 「孤育て」@ ー大阪・2児置き去り事件に思うー
「孤育て」ってなに?と思うかもしれないが、『大阪人間科学大学の原田正文教授の調査では、4ヶ月児の親で「世間話をしたり赤ちゃんの話をしたりする人が近所にいない」と回答した人は約32%。20年で倍増した。「孤育て」が広がる』(10/8/10朝日新聞)という記事を見た時、私はすぐにあの痛ましい事件を思い出した。
7月30日、大阪のマンションの一室に幼児2人の遺体が発見され、「子育てに悩み、すべてから逃げ出したかった」と逮捕された母親は供述しているという。今年1月から育児放棄をエスカレートさせ、4月以降は2人をお風呂に入れることもオムツも替えることもなく、6月9日に最後の食事をあげてこの日から部屋に戻らなくそのまま置き去りにしたのだ。3歳と1歳の幼い姉弟は誰もいない部屋の中で母親を求めて泣いて泣いて泣き尽くして、お腹を空かして寂しい思いをしていたと思うとせつなくなる。3歳の女の子はおしゃべりが上手になり1歳の男の子は歩き始めの一番かわいい時だ。2人とも周りの大人達に「かわいいねえ」とみんなに愛される時なのに・・・私はこの事件を知った時どうして母親は誰かに助けを求めなかったのだろうと疑問に思ったが、その後の新聞記事を読むと、離婚をして仕事と子育てを両立させようとしていたが生計と育児のすべてが自分1人にのしかかっていたようだ。離婚をして親権は母親にあっただろうが、子ども達の父親のことは何も出てこないのはおかしい、父親にも責任があるはずだ。
そして、母親は幼い子どもを抱えて名古屋市内の託児所付きのキャバクラで働き始め、今年の1月から大阪の風俗店で働き始めたが託児所はなかったので子ども達はマンションに置いていくしかなかったいうが、幼い子ども達を置き去りにすることは許されることではない。2人の子どもを抱えて生きていくのは本当に大変なことだったと思うが、1人では無理だと思ったら子ども達の父親や祖父母、親戚、友だちの所に助けを求めれば「命」だけは守るることが出来たはずだ。どうして「孤育て」をするのだろう。「子育て」はひとりでできるものではない。たくさんの人や周りの人に助けられたり助けたりしながら親も子ども成長していくものだ。/私が働いてる保育園でも、様々な家庭があって登園してこない子どもの家庭に電話をして所在を確認したり、休んでばかりいる子どもを迎えに行って給食を食べさせ、お風呂に入っていない子どもをきれいに洗ってあげたりと、子育てが出来ない親が増えているため「保護者支援」が保育園の役割になっている。事件の母親も子ども達を夜間保育園に預けてくれれば防ぐことが出来たのではないかと思うが、実際夜間保育園は少なく足りないほどだ。幼い子どもを抱えている母親は夜間働かなくても生活できるような社会を創らなければこのような事件がまた起きてしまうだろう。
今、「孤育て」で様々な問題が起きているのでまた報告します。(美)
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編集あれこれ
前号は、8月1日付で2号分の合併号だったので、1か月前にもなります。ただ、紙面は12面と多かったです。さて前号の1面は、「資本の利害・資本の紙幣への挑戦を恐れず、労働者の新たな闘いを創出しよう」という記事でした。日本の政治がー旧態依然たるバラマキ政治、新自由主義的な構造改革政治、欧州型の社会民主主義ーという3潮流に分かれていて、これらを超える社会を創っていくため闘っていこうと述べています。2・3面はベーシック・インカムについてです。ベーシック・インカムとは、社会保障政策の一つですべての個人に基礎的な生活をまかなえる所得を無条件で支給するという「最低限所得保障」です。筆者は、人為的な再配分による最低保障給付システムは持続しないと言います。しかし、空洞化が進む社会保障制度の中で、ベーシック・インカムが提起していることは重要だとも言います。確かに、これからの社会保障制度を考えていくうえで参考になると思います。
4・5面は、「ジプチ海軍基地の建設と怒りを忘れた共産党の対応」という記事でした。自衛隊によるジプチでの軍事基地建設に抗議しない共産党を批判した内容です。
6〜10面にかけては理論面の記事です。こうした記事は、私たちが行動するうえでも重要です。あと、郵便職場からゆうパックの混乱についての記事があり、コラムの窓、何でも紹介、色鉛筆、読者からの手紙の記事がありました。
紙面の内容をよくしていくためにも、多くの読者からの意見や記事をお願いします。 (河野)
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