ワーカーズ424号  2010/9/15    案内へ戻る

決断なき民主党政権の一年変革は自らの手で!

 この間、菅直人首相と小沢一郎元幹事長による代表選報道が過熱しているが、その結果にかかわらず、民主党政権のこの1年を振り返ってみることが重要であろう。最も、菅首相は3ヶ月にして従来政治の枠を一歩も出ないことを約束しており、いかなる意味でも変革を期待することは出来ない。マスコミの金権独善非難に曝されている小沢氏について言えば、対米従属からの離脱が期待されるが、その行方は未知数である。
 鳩山前政権は当初、いくつかの踏み出しを行なっている。前原誠国交相による八ッ場ダム建設中止表明、岡田克也外相による対米密約外交の解明、事業仕分けによる無駄な事業・支出の切り捨て、などである。しかしこれらも、八ッ場ダム中止から脱ダムへと進めなかったように、それを徹底させることができず、官僚的継続性、関係諸利害との妥協によって、政治的変革へと結びつけることは出来なかった。
 そして、その最たるものが鳩山由紀夫首相の普天間米軍基地移設問題であった。対米外交というこの国を半世紀以上拘束してきた枠組みを揺るがすことができなかったのである。民主党には初めからそんなつもりもなかったが、鳩山首相が個人的願望を言い続けたというのが真相だろう。
 菅政権にいたっては、頑張って「日韓併合100年・首相談話」は出せたものの、具体策は植民地時代に盗んだものを今頃ようやく返すというだけだった。死刑廃止議連メンバーだった千葉景子法相による変節的死刑執行。また、原発輸出への異常なほどのてこ入れは、核軍縮の掛け声がうそだということを示している。なにより、クリーンなエネルギー≠ニいううそによって、核汚染が広がることの危険性を見過ごすことは出来ない。
 9月10日、閣議了承された2010年版防衛白書によると、在日「米軍は『矛』として打撃力の役割を担っている」とし、普天間移設日米合意についても「代替施設を決めない限り返還されない現実の下、県民の負担軽減と危険性の除去を優先した」という。こうした屈服路線が、米軍のオスプレイの配備や飛行経路に関するごり押しを招いているのである。
 普天間の即時無条件閉鎖、官房機密費支出の透明化、選択的夫婦別姓・外国人地方参政権法案の制定、核燃料サイクルの放棄等々、民主党政権の債務は数え上げたらきりがない。しかし、これらはすべて闘うことなくして勝ち取れるものではないことを、忘れてはならない。  (折口晴夫)
 

最小不幸¢纒\(首相)選挙─どっちが代表(首相)でも変革はムリ─

 民主党の代表選挙がヒートアップしている。参院選で敗北した現職代表(首相)と、つい3ヶ月前に政治とカネ≠ナ辞任した元幹事長の直接対決となった民主党の代表選挙。序盤から党内グループの思惑やダメージ狙いのネガティヴ・キャンペーンが目立つ。
 双方の旗印は、一方は雇用重視、他方は地方重視と、政策を巡る対決を演出しているが、実態は権力の座を巡る党内抗争の色合いが濃くなっている。結局は小沢排除≠ゥ否≠ゥだ。
 政権交代から一年、すでに民主党政権は自民党政権とあまり代わらないふつうの与党に進化≠オてしまった。どちらが代表(首相)になっても大きな変革など望むべくもない。
 本紙が手元に届く頃にはすでに決着しているが、与野党ねじれ国会という政治状況の中、いずれ民意は民主党からも離れていく。政治舞台で繰り広げられる政治劇に一喜一憂することなく、私たちとしては地に足が着いた独自の闘いを押し拡げていきたい。(9月10日)

■見取り図なき大盤振る舞い

 菅直人首相、小沢一郎前幹事長の激突となった民主党の代表選挙。菅直人は「一に雇用、二に雇用、三にも雇用」と労働者の見方を演出している。が、これも参院選での消費税発言での敗北イメージの一新を狙った選挙戦術の意味合いが強い。他方の小沢一郎は地域主権を掲げているが、これも国民生活が第一≠ニいう小沢代表時代からの選挙戦術を継承したものだ。
 代表選挙という党内の闘いではあるが、権力闘争の色合いが濃くなるにつれて対立はヒートアップしている。
 今回の代表選挙では、マニフェストの意味合いも争点の一つになった。
 菅直人は実現困難なマニフェストは修正するとし、小沢一郎は有権者との約束は実行すべきだ、というものだ。09年の衆院選マニフェストと、今年7月の参院選での修正版マニフェストの対立でもある。世論も党内も割れているが、これ自体はどちらの主張も物事の半面を言っているに過ぎない。
 問題の所在は、第一に、マニフェストが将来の新しい社会づくりを見据えた一貫したものだったのかどうか、第二に、マニフェストを実現するための裏付けや体勢づくりが万全だったのかどうか、にある。
 第一の問題は、そもそも民主党の衆院選マニフェストは、将来の新しい社会づくりという見取り図に基づいた体系だったものとはほど遠いものでしかなかったことだ。
 国民の生活が第一≠セとのスローガンの下で打ち出された衆院選マニフェスト。子ども手当については、少子化社会へのてこ入れ策なのか、それとも生活支援なのか、また高速道路の無料化や継続したエコカー減税・エコ・ポイントなども、地域活性化のためなのかドライバー支援なのか不況対策なのか、目的が定まらず単に利点を並べるだけだった。それが地球温暖化対策とどう両立するのか、目先の不況対策とどう違うのか、といった基本的な整理そのものが不十分で、将来の社会はどういう社会になるのか、といった肝心な点は曖昧なままだった。共通しているのが、個々の有権者や家庭に直接お金をつぎ込む、という、選挙狙いの大盤振る舞い≠ニしての性格だった。

■勘違いの政治主導

 結局、マニフェストの実現はどれも中途半端に終わりそうで、民主党政権のメッキはたった一年足らずで剥がれてしまった。
 それもこれも元を正せば財源問題を含めて中長期的な政策路線そのものが曖昧だったことだ。これは第二の問題につながるものだ。
 民主党政権は、マニフェスト=有権者との約束を実現するためにも政治主導を貫く、と主張してきた。ところがその肝心の政治主導でボタンの掛け違いがあった。
 民主党がいう政治主導について私は、昨年の政権発足時から一貫して「国民主導ではなく行政主導だ」と批判してきた。その政治主導は内閣主導=首相主導≠セと位置づけられて、民主主義や国民主権とは逆の行政権・統治権至上主義の色合いが濃いものだったからだ。親方日の丸≠ナはないが、それでなくとも日本では行政権の肥大化が目に余るのが実情だ。
 民主党は参院選マニフェストで「脱官僚」を「脱官僚依存」に修正した。菅首相も内閣発足時には「官僚否定ではなく、官僚を使いこなす」と軌道修正した。「官僚を使いこなす」という文句は、自民党時代にも多用された官僚主導政治への屈服を覆い隠す常套語だったのに、だ。
 小沢一郎は、菅首相が消費税引き上げや財政再建を主張しているのは、財務省主導で政治主導に反する、と批判している。それはその通りだが、批判する小沢一郎にしても、幹事長時代には本来の政治主導とはまさに逆行した改革≠強行してきた。例を挙げれば、党の政策調査会廃止、与党質問は無し、提出する法案は内閣提出法案のみ、などだ。国会議員は、単に採決時の頭数≠ノ位置づけられてしまった。
 内閣の下における政策決定の一元化を名目として行ってきた民主党の政治主導とは、結局は菅直人にしても小沢一郎にしても、内閣=行政府への政策決定の一元化でしかない。党や議会は、単に政権獲得までの多数の確保、内閣にお墨付きを与えるもの、という手段の地位におとしめられている。
 政治主導をいうなら、内閣ではなく議会(国会)への政策決定の一元化、政策立案での党主導の確立に転換しなければならなかったはずだ。これまで官僚は国家の統治の観点から政策立案してきた。国民・有権者との日常的な関係を取り結ぶ政党やその政党がぶつかり合う議会こそ、政策決定の主導権を取り戻すべきなのだ。

■めざすべきは国民主導

 議員主導、政党主導を実現すべきその国会はどうなっているのだろうか。
 日本の官僚主導政治の象徴として、国会で成立する法案の大多数が議員(党)提案ではなく内閣提出法案(閣法)として成立してきた経緯がある。法案をつくるのは議員ではなくて官僚だ。その官僚はといえば、行政を公正に執行するために官僚になるのではなく、法案(政策)をつくるために官僚を志望してきた、という実情もあった。議員は何をするかといえば、成立した法案(予算など)のもとでその箇所付け、すなわち、どこにいくら配るかに関与する。いわゆる口利き≠ネどだ。逆に道路や橋を引っ張ってきてくれた政治家に有権者は票で支える。こうした利益誘導の政・官・民(業界)トライアングルが戦後自民党政治を永年支えてきた。
 こうしたなかで形成された官僚主導政治を覆すには、国民(主権者)、政治(立法)、行政(執行)というこれまで建前に過ぎなかった関係を現実のものにする必要がある。これが教科書的には議会制民主主義の基本的なあり方だった、はずだ。
 ところが何を勘違いしたか、政策決定の内閣への一元化を打ち出した。自民党政権での内閣と党の二元化政治を廃する、というのが根拠とされた。現に、民主党政権のもとでの法案も内閣提出法案が圧倒的に多く、自民党時代と少しも変わっていない。
 党=国会主導で練られた法案を、形式上、内閣提出の形をとるだけであればさほど問題はない。しかし、事業仕分けでもそうだったように、党が関与した事業仕分けでも、それが予算案に反映されるかどうかは別問題だとされている。現に、事業仕分けで廃止とされた案件が、実際の予算案作成段階で復活したケースもある。結局、予算案も各省や財務省の各段階での積み上げ方式によってつくられていることに変わりはない。
 憲法第七三条第五項で内閣の職務として「予算を作成して国会に提出すること」と規定されているので、内閣─財務省が予算案を提出すること自体は問題ない。ただその承認は国会の権限なので、実質的な決定権は国会にある。こうした関係を踏まえれば、主導権は国会や党、あるいは議員にある。政治主導が確立していないのは、その国会や党、議員の主導権が貫徹されていないからだ。自民党の二元政治が問題なのは、党の政務調査会を舞台に族議員が形成されて密室での談合につながったからで、党主導による政策決定自体はむしろ当然の話なのだ。
 予算以外の一般の法案を見れば、官僚主導がもっとはっきりする。自民党時代は自民党の政調会での議論などを経て各省から法案が提出されてきた。ただその真相はと言えば、法案の着想から条文整備までほぼ官僚主導で、形式的に与党の承認を取り付けてきた、というのが内実だった。そうした関係が永年続いたことで、上記のような行政と党との転倒した役割分担ができあがってきたわけだ。そこでも表向きは官僚による大臣≠竍先生≠ノ対するご説明≠ネどとして、表面的には与党議員の顔を立てながら、実質的な立法作業は官僚が担ってきた、というのが実情だった。表面上の政治主導は自民党時代でもあったのだ。
 民主党政権発足直後は、政権交代を実現した民意という強力な背景もあって、民主党マニフェストなどの法案化に当たって部分的に政治主導が前進した局面も確かにあった。しかし、その民主党の政治主導が、国会・党主導ではなくてあくまで内閣主導、官邸主導、首相主導だとされたために、結局は行政組織のなかでの政治家主導に矮小化されてしまった。本来は選挙で選ばれた議員や政党がイニシアティブを発揮して政策の法案化を担わなければならないところ、結局はその機能を内閣や行政(官僚)に譲り渡しているからだ。

■国民政党?

 政治主導という原則的スタンスがありながらも、なぜ民主党政権は官僚主導と決別できないのか別の側面から見ていきたい。それは民主党という党(党組織)そのものが、政治システムの変革などできない性格のものだからだ。
 理由はいろいろあるが、最大のものを上げれば、民主党は特定の支持基盤に依拠しない国民政党だからだ。支持基盤に依拠したボトムアップ型の目的政党になっていない議員政党だから、ともいえる。
 民主党も国民すべての利益を体現するという建前の国民政党なので、政策も当然全方位的なものになる。昨年の政権交代では国民の生活が第一≠セとして、国民=有権者の立場に立っているかのような看板を掲げていた。しかし政権の座に就いた今では、一時疎遠だった経団連など財界とも手を結んでいる。菅首相も法人税減税とセットとなった消費税引き上げを持ち出している。日米同盟第一主義についても同じだ。結局は自民党と同じように、選挙互助会≠ゥら統治政党として権力の座を手にした今、その地位にしがみつくことが最大の目的となっているわけだ。
 そうした民主党は統治政党でもあり、また議員集団を中心としたいわゆる議員政党でもある。議員政党を構成する各議員は、各省の大臣や政務官として行政機関のトップにつくことが最大の目的となる。よく言えば、行政機関のトップとして有権者との約束を実現するともいえるが、それもあくまで官僚機構の権力を通じてだ。有権者大衆に依拠した党の取り組みで実現するのではない。結局、政権に就いてからは、党や有権者との関係よりも、行政機関を通じた統治に傾斜して行かざるを得ない。現に、各省の言い分を代弁する大臣や政務官が増えている。
 民主党がマニフェスト実現を目的とする変革政党から単なる政権与党に変質せざるを得ない理由は、民主党と有権者との関係も不可分に関わっている。
 政党とは、理念、政治路線、政策で結集し、その実現をめざして行動するのが本来の姿だ。それに、党・政党というものの本質は、党員や党組織という実態の他に、その党員・党組織と支持者の間の信頼関係・緊張関係を含んだ概念なのだ。
 党組織と党員は、身の回りの一般の人々と密接不可分に関係している。一般の人々の関心や利害・感情は、党員や党組織を通じて党の路線選択や政策態度に反映され、また党組織や党員の働きかけで一般の人々の政治意識や支持関係にも影響力を及ぼす。こうした関係を個々人から見れば、党とは一人では実現できない自分の意志を増幅し、政治につなげる回路、手段でもある。
 ところが、議員政党・国民政党化している民主党とその党員や支持者は、こういう関係とはほど遠い。個々の党員の多くは自民党と同じように後援会員であるか、あるいは連合など別組織の指示で党員になっているだけだ。個々の有権者と党をつなぐ役割を果たしている党員はほとんどいない。
 対決色を深める民主党の代表選挙。実際はどちらがより悪くないか、で決まる様相だ。メディアも消去法選挙だと揶揄している。が、民主党のていたらくに白けているばかりでは始まらない。責任は私たち個々の有権者の側にもあるのだ。有権者も変わらなければ政治の抜本的な変革などありえない。それ以上に左派を自称する私たちの低迷こそが、民意を民主党に集めさせた最大の原因でもある。私たち自身の闘いの如何こそ問われていることこそ自覚すべきだろう。
 どちらが代表の座(首相の座)についても、あの政権交代に託した閉塞する政治の刷新という有権者の思いは報われないだろう。最小不幸代表(首相)¢I挙とでもいうしかない民主党の代表選挙。その最中にも内外では大きな動きもあった。私たちとしては、民主党一年間の教訓を反面教師として、足が地に着いた闘いを拡げていく以外にない。(廣)案内へ戻る


日本のデフレの原因は何か 賃金の下落が原因―大門議員の見解

 九月十日の「しんぶん赤旗」は、九月九日の参院財政金融委員会で共産党の大門議員は、政府の円高対策を取り上げて、「円高を招いた『デフレ』克服のカギは賃上げだ」と強調したと報道した。
 大門議員は「為替相場を決定する大きな要因は金利差であり、金利の高い国の通貨は買われ、高くなる傾向があると指摘。物価下落が続いている日本では、物価上昇率を加味した実質金利で比較するとアメリカより短期金利が2%以上高くなる」事を示して「円高対策も、金利政策だけでなく、物価対策、いわゆる『デフレ』対策が根幹だ」と述べた上で「日米欧ともに景気後退局面にあるのに、日本だけが『デフレ』が起こっているのは、賃金が傾向的に下がっているからだと指摘」し、ヨーロッパのメガバンク関係者が「日本の『デフレ』というのは、賃金が減少し購買力の低下した結果、商品価格が下がる。するとコスト削減で、また賃金が下がる。こういう物価の下落と賃金の下落の悪循環が起きている」と述べた事を紹介して、政府の認識をただした。権威主義の面目躍如ではないか。

金利差が原因との認識は共有―野田財務大臣の見解

 これに対して、野田財務大臣は「金利差が円高の要因になっているとの認識は共有している。いま雇用が厳しいので、需要と雇用をつくりだす中長期的な対策が必要だ」と答弁した。これを受けて大門議員は雇用も重要だが、その先の賃上げこそ必要だとして、欧州では同一労働同一賃金が原則で、雇用を守れば賃金も守られていると指摘し「日本では雇用が増えても、非正規に置き換えられて賃金は増えず、『デフレ』は克服されない。経営の苦しい企業には配慮しながら、最低賃金の大幅な引き上げなどに真剣に取り組むべきだ」とした。これに対して野田財務大臣も「最低賃金の引き上げに政府としても努力したい」と回答して両者のやりとりは終わった。ここにもまさに共産党の限界が示されている。

なぜ日本だけが「デフレ」なのか

 八月二十一日、富士通総研HPのコラム―根津 利三郎「米国は日本のようなデフレにはならない」において注目すべき見解が示された。それは「デフレ、すなわち消費者物価指数が恒常的に下落しているのは日本だけの現象であり、先進国共通の問題ではない。デフレが日本特有の現象である以上、原因も日本特有のものがあるはず」「日本でのみ賃金が傾向的に下がり続けている」のだから「わが国が長期のデフレを克服するためには、他の先進国と同様に賃金の緩やかな上昇を安定的に維持していくことが肝要である」が結論であるが、だからこそ「内部留保金」にこだわる共産党や大門議員の見解そのものである。
根津氏は「日本では何故かくも長期にわたってデフレが続いているのか。よく聞かれる説明に、グローバリゼーションが進行して中国やアジアの国々から安い輸入品が入ってくるとか、情報技術が進み経済全体でコスト削減が進んでいるから、ということが挙げられる。だが、このようなことは日本だけに起こっていることではない。米国でも欧州でも中国やアジアからの安物は溢れかえっている。これらの国における中国からの輸入品はGDP比で概ね2%で、日本と大差ない。したがって日本のデフレはグローバリゼーションの影響と結論付けすることは出来ない。ITによるコスト削減も先進各国共通だ。むしろ設備投資に占める情報関連投資の割合の低さから見れば、日本ではIT活用によるコスト削減は他の国よりも遅れているのではないか」とズバリ核心を突く。

なぜ日本においてだけ賃金は下がり続けたのか

 では、なぜ日本においてだけ賃金は下がり続けたのか。根津氏は理由を二点に整理。

 「第一には、日本では賃金よりも雇用機会の確保を重要視し、雇用を維持するためなら賃金は多少下がってもやむをえない、という考え方が支配的だからである。その裏には中途採用による再就職が難しく、あっても賃金面で不利になる、という問題があるからであろう。米国ではキャリア中途での転職が比較的簡単で、賃金を下げると優秀な従業員を失うなどのリスクがある。またヨーロッパでは組合が企業単位ではなく職能別で組織率も高く、全国一律の賃金体系が維持されており、個別企業の事情で賃金をカットすることは難しい。
 第二に、賃金の安い非正規労働者の採用が大幅に増えたことが挙げられる。既にその割合は全体の3分の1にまで達している。非正規労働は外国にもあるが、日本に特徴的なことは、彼らの賃金が正規の半分程度と、大きな格差があることである。他の先進国では同一労働・同一賃金が日本より守られており、このような格差がないから、正規労働者を非正規に置き換えることでコスト削減するというインセンテイブはない」
 「このようなわが国特有の要因により賃金が下がりデフレになっているのだから、米国が日本と同様のデフレになるという可能性は無い」「米国では賃金が年間ベースでマイナス成長ということは今までもなかったし、今後とも想定できない。給料をまったく上げないような会社からは従業員が出て行ってしまうだろう。賃金が上昇すれば、全産業の7割を占めるサービス産業を中心にして価格上昇が起こるのでデフレにはならないのである。本年前半では2・1%のインフレとなっている」
 「このように考えてくると、わが国が長期のデフレを克服するためには、他の先進国と同様に賃金の緩やかな上昇を安定的に維持していくことが肝要であることがわかってくる。わが国の場合、2002年から2007年の戦後最長の景気回復の期間中も賃金は上昇せず、生産性向上の効果は主として企業利潤として溜め込まれた。特に中小企業の多い流通、サービス業では、非効率な企業が低賃金に支えられて市場に残り、わが国産業全体の生産性向上と産業構造の革新を遅らせる元凶になっている。目下、日本経済は急激な円高で企業経営に余裕は無いが、景気回復が本格化した時点では賃金の上昇と勤労者の購買力の拡充にもより配慮することが、デフレ対策としても必要になってこよう。そのためにも非正規労働者の賃金格差の縮小、最低賃金の引き上げなどに真剣に取り組むべきだ」

 この議論にこの間ため込んだ法外な企業の「内部留保金」を賃上げの原資として利用せよとの提案を加味すれば、この見解は共産党の今日の見解そのものである。
 富士通総研の根津氏が共産党の見解に近づいたのか、それとも共産党の見解が富士通総研の見解に近づいたのか。細かい詮索は無用だ。両者は共に機を見て森を見ない議論でしかない。真実はどちらも労働者の階級政党の見解ではないということにある。

なぜ金利差解消に向けた取り組みがないのか

 共産党の大門議員にも野田財務大臣にも金利差が原因だとの共通認識がある。だとすればどうして金利差を解消する取り組みをしないのであろうか。ここがまさに核心であろう。
 すでにこの問題については英語で書かれた三國陽夫氏とR・ターガート・マーフィ氏の共著『円デフレ 日本が陥った政策の罠』(日本語版は2002年12月刊行―直)に詳しい。結論を言えば「日本は、金の裏打ちのない単なる管理通貨であるドル建て中心に経常収支の黒字を累積し、赤字国の輸入代金を立て替えるための資本輸出を余儀なくされている。その結果、日本国内で通過を失い、お金が回りにくくなっていることが、今の日本経済の窮状の原因ではないだろうかと考えるに至った」として、本書を刊行しこの仮説を大いに議論していただきたいと提案している。この謙虚な姿勢にこそ真実がある。
 その後の2005年12月、三國陽夫氏は『黒字亡国 対米黒字が日本経済を殺す』(文春新書481)を刊行して、先の共著の核心部分を要約・再編集し具体的に議論している。
 核心中の核心は「円高を利用しないことが日本の成長、豊かな国民経済の享受を妨げている」との主張にある。R・ターガート・マーフィ氏にも『日本は金持ち。あなたは貧乏。なぜ?―普通の日本人が金持ちになるべきだ 』の題を持つ痛快な著書がある。まさに世界での豊かさの意味は日本のそれとは次元が異なるのである。
 『黒字亡国』にはこうした違和感に対する回答が示されている。本書の構成は、第一章「輸出亡国」につながる富の収奪システム 第二章 なぜ通貨植民地から逃れられないか 第三章 「日本につけを回す」ニクソン・ショック 第四章 サプライ・サイドからデマンド・サイドへ 第五章 敗戦国ドイツと日本、運命を分けた道 第六章 静かな「最大の金融危機」を回避せよ というものである。ぜひ一読を勧めたい。

 「日本は生産自体の拡大が目的となっており、輸出を拡大し経常収支の黒字を営々と続けている。しかし、日本ではこの黒字がデフレの原因であることが認識されていない。1995年以降、日本はデフレに陥り、経済はほとんど成長していない。日本が稼ぎ出した黒字を国内経済のために使っていたらもっと豊かな国民生活を実現できたはずである」
 「日本が築き上げたドル建て黒字がアメリカに購買力として移転された結果、アメリカ経済は底上げされ、アメリカ企業の時価総額を膨らませた。その対極にデフレに沈む日本経済と落ち込んだ日本企業の時価総額がある。日本は再び経済成長できる政策への転換が急務である。そのためには内需拡大に焦点を当てなければならない」

 今私たちに求められているのは、共産党のような賃上げを万能とする議論ではなくて、「通貨植民地」からの脱却と輸出依存でなく内需中心の産業構造への転換であり、労働者民衆の生活の安定とその拡充の追求を第一義とする政治社会革命なのである。 (直木)案内へ戻る


コラムの窓 「働くということ」について

ある薬剤師の奮闘

 数年前、日経新聞の連載記事「働くということ」を読んでいて、忘れられないエピソードに出会った。
 ある製薬メーカーが、高齢者向けに、薬の飲み下しを助ける「ゼリー状のオブラート」を開発した時の、ひとりの薬剤師の奮闘記である。今でこそ「ゼリー状」は、当り前のように、家庭や施設に普及しているが、十数年前は違った。
 その記事は語る。「九年前、開発にあたっていた企画開発室長の福居篤子(40)は窮地に立っていた。『どれだけの市場が見込めるのか』。成算をただす役員の詰問に遭い、商品化が却下されたのだ。」当時は、オブラートと言えば、薄いペーパー状のものが常識であった時代、ゼリー状のオブラートなど売れるわけがないというのが、役員の「常識」だったのだろう。
 記事は続く。「福居には強い思いがあった。薬科大を卒業後、薬剤師として九州の病院に勤めた。薬を飲み込めないため、食事にかけて一緒に服用する『薬かけごはん』ですっかり食欲をなくしてしまった高齢者、食後の苦い薬が嫌で食事を拒む子供たち…。(略)『どうにかできないのか』という気持ちが募っていった。薬を処方する側から、開発する側へ転じた理由もそこにあった。」
 ここまでなら、よくある「仕事の理想と現実とのギャップ」での挫折ストーリーである。僕なども、似たようなことは日常茶飯事で、就職当時に抱いていた「熱い思い」も、今では何やらカビがはえ、錆付いてしまった感がある。だが、この話はそこで終わらない。
 「福居は賭けに出た。社長の藤井隆太(45)を説き伏せ、埼玉県内の介護施設に連れ出した。九州の病院と同じ光景がそこにあった。チューブをのどに入れて薬を流し込んだり、まずい『薬かけごはん』を必死に口に押し込んだりする高齢者たちの姿。『明日は我が身、だな』。帰りの電車で藤井が漏らした一言が開発続行の合図となった。
 いまも利用者からの感謝の手紙やメールが福居のもとに届く。あきらめなくてよかった。そう思う。」(以上、日経ビジネス文庫『働くということ』に所収)
 記事は、これだけの短いものだ。
 けれども、僕はそれを読んで涙が出た。その後、仕事で何かに突き当たると、この記事を読みかえす。友人や同僚と飲みにいったときなども、繰り返しこの話をしてきた。今、こうして引用文をワープロに打ち込みながらも、またもや涙が出てくる。

社会的分業の使命感

 「仕事」というものは、元来そういうものなのではないか?最近よく、労働とは「自己実現の場か?」それとも「収入を得る手段か?」と、いろんなところで問われる。僕は、そうした二項対立は皮相だと反論する。労働とは、なによりも「社会的分業の一端」であると強調したい。人々がこの世に生まれ、より良い生活を送り、より安らかな死を迎えられるよう、助け合うため社会を形成し、必要な仕事を分担するのが労働の基本である。たまたま、それが自分の素質に向いていれば「自己実現の場」と感じるし、向いてなければ「疎外感」を感じる。
 その仕事が「社会に貢献している」と「評価」されれば、それに見合った「報酬」が得られ「収入の手段」として「見合っている」と感じるし、評価されなければ「見合ってない」と感じる。
 この「社会的分業」が普遍的な真実であるが、市場の仕組みはそれを間接的なものにして、しばしば「社会貢献」と「評価」との関係からの逸脱をもたらし、労働と労働の「不公平」をいたるところに生み出す。
 「経営」もそうだ、もともとは、社会的分業を担う「生産組織」を維持するための「基盤」として、原材料の調達を始めとした「経営の効率性」が求められている。ところが、企業間競争や産業間競争が前面に出て、経営優先の本末転倒が日常的に起きるのが、資本主義のしくみである。
 社長を説き伏せ高齢者施設に連れていった薬剤師の「賭け」の物語が胸を打つのは、「どれだけの市場が見込まれるのか?」という役員の詰問にもくじけず、「世の中(苦しむ高齢者や子供たち)が新製品(ゼリー状オブラート)を求めている」という、強い使命感が、既存の「原価計算」や「マーケティング」の公式を突き破って、新しい社会状況(人々が苦しまずに薬を飲めるようになること)を切り開いたことだろう。

もうひとつの働き方

 この使命感に燃える薬剤師の奮闘を支える「しくみ」があるとしたら、それは何だろう。それを考えるとき、いつも僕はアラン・リピエッツの次の一文を読み返す。なお、リピエッツの言う「エコロジー経済」という用語を僕は「アソシエーション」と読み替えて、自分なりに解釈している。
 「エコロジー経済は第一に、今までとは違うもうひとつの働き方を意味する。エコロジー経済では農村共同体・地域の自主団体・生産協同組合の小さなグループによってコントロールされた活動形態が優先される。さらにまた(というより、とりわけといったほうがいいだろう)製品の質とか生産組織の安全性や効率性をめぐる闘いに人間資源が交渉によって動員されるというように、賃労働関係そのものが変容することが重視されるのである。このような賃労働関係の変容は『能力にもとづく個人化(能力賃金の導入や個人の査定の強化などをさす)』ではない。(略)
 直接生産者のこのような『交渉にもとづく参加』は、あらゆるものの土台になる。労働の意味が回復し、ほんのちょっぴりでも工場や事務所において自律が取り戻されるならば、企業内だけでなく社会生活のあらゆる面で、もちろん環境にたいする責任という面でも、市民的権利が拡がっていく土壌が改善されることになるだろう。(中略)
 エコロジー経済は第三に、「人生の幸福」がどれだけ達成されたかをはかるような、新たな分配基準を意味する。(略)生活必需品が大多数の人びとにとって保証されている国では、生産性の伸びは、社会的弱者の排除にたいする闘争、および非物質的な成長(自由時間の増大にもとづく蓄積体制)という、二つの優先的な方向に思い切って配分されなければならない。」(アラン・リピエッツ著『レギュラシオン理論の新展開 エコロジーと資本主義の将来』より。)(松本誠也)


連載 第4回
 マルクスの協同組合的社会の諸問題 ――――『ゴータ綱領批判』の再検討
                                      2010,7,10  阿部 文明

七、「社会的有用労働」の社会配分の具体的例

 ここに十人の社会があったとします(これは十億人であってもかまわないのですが)。この社会は協同組合的社会として、成熟しつつあるとしましょう。たとえば四人が生産的労働に従事しています。不生産的労働者は逐次増えて五人です。残り一人は労働不能者であったとしましょう(この部分は社会的予備などのための部分も現実には含みます)。またこの社会はけっして分業の固定化を前提にしているわけではありません。資本主義時代に一般的であった隷属的分業は、次第に緩和されてきました。例えば、主に医療施設で働くAさんは工場労働(といっても近くのアパレル関係のCIM──コンピーター統合生産システム──での、コンピューターの管理ですが)にもあるときはたずさわるし、医療関係の管理事務もこなします。医療知識の教育・啓蒙活動にも取り組んでいます。また長期療養のときは労働不能者でもあるという具合です。
 さらにこの社会は、医療、福祉、その他のービスや娯楽施設の利用などはすでに「無料」、すなわち労働の給付に応じて得るのではなく、個々人の必要に応じて得ることができるようになっている、と仮定してみましょう。また各人の労働時間を平均で四時間としましょう。その他生産財生産や原材料等々については単純化のためにそれらを無視します。
 そうすれば、生産的労働は、四人×四時間で十六労働時間です。社会的に有用な不生産的労働は、五人×四時間の計二十労働時間です。したがってこの社会は、この十六労働時間による消費財を十人で分けることになります。そこで簡単にわかることは、平均である四時間労働した人は、生産的労働者が生産した一・六労働時間分の消費財を受け取る権利があるということです。また、三時間しか労働しなかった人は、一・二労働時間が費やされた消費財を取る権利しかありません。五時間労働した人は、二労働時間の消費財の取得の権利がある等々となります。
 このミニ社会では、平均である四時間労働で、各労働者は一・六労働時間の消費財の取得の権利が得られます。このように労働時間による分配というのは、現実には「労働時間に比例した」分配というかたちをとるのです。
 この例では、社会に与えた労働と、社会から消費財として受け取る労働の比は五対二です。しかし、この比率は、上記の例の場合明らかなように労働の給付に比例した分配範囲と、そうでない部分は社会の総意によって決定される性格のものです。そもそも生産的労働と不生産的労働の比率も含めて、それらは随意に変化しうるものでもあります。しかしどこにもあいまいな点や観念的なものはないのです。
 ところで、上記の例では、各人が社会に与えた労働の給付のうち、労働時間に応じて返してもらう部分はその五分の二でした。この残りの部分をあらためて検討してみましょう。この問題を検討することも、過渡期社会としての協同組合社会の特色を明らかにすることになります。
 労働不能者の消費や社会的備蓄は別として、労働の給付の引換として各労働者に戻ってこない「不生産的有用労働」の部分も、各成員の必要に応じて、例えば医療、文化事業、スポーツや娯楽の享受としてもどってくるのです。私は、「各成員の必要に応じて」社会的労働のサービスを享受できる、と今いいました。しかしそれは「より高度の共産主義」のことではないのか? 今は、それよりも低い協同組合的社会を問題にしているのではないのか? と疑問を感じるかもしれません。しかし、以下の説明をみれば、これが単なる私の概念の混乱ではなことがわかるでしょう。
 上記の例では、「各成員の必要に応じて」社会から返還されるものは、直接には生産にかかわらない労働、すなわち「不生産的労働」であることを前提としていました。しかし、けっしてそうでなければならないということはありません。日常的に絶えず消費する「廉価」な一部の消費財も、「各人の必要に応じて」――すなわち労働の給付に応じてではなく――各人が取得することも可能だとおもいます。他方、反対に一部の人間のみが欲する、「高価な」サービスや文化事業や娯楽は、個人の社会への労働の給付と引換に享受できると考えることも可能です。これらのことはただ、人々の総意によって定められるものです。また、上記の例では社会的労働の半分以上が「必要に応じて」分配されますが、もちろんその時代の状況によってその比率はきまります。いずれにしても、指摘したいことは、協同組合的社会にあっても、すでに一定の分配が、個々人の社会への労働の給付に応じてではなく、「個々人の欲求や必要に応じて」なされるということです。
 このように、アソシエーション社会の第一段階としての協同組合的社会は、すでに「より高度な共産主義」(マルクス)の質も併存させているのです。むしろ、だからこそこの社会は過渡期と言われるべきものなのです。
 マルクスは、「ゴータ綱領批判」で、「共産主義の第一段階」と「より高度な共産主義」を概念としても歴史段階としても鮮明に区別しました。かれによれば共産主義の第一段階ではあくまで「労働の給付に応じて」分配がなされ、したがってそれは家族の多少などによって「実質的には不平等」を意味します。他方、「より高度な共産主義」では、個々人の「欲求におうじて」分配がなされる実質的な平等な社会だ云々と。われわれはマルクスの科学分析を摂取しつつも、金科玉条とすべきではないといってきました。現代のアソシエーション社会は、最初からマルクスの「共産主義」の二段階の融合したものとして開始されるでしょう。あるいはマルクスの「共産主義の第一段階」をはるかに凌駕する内容として開始されるでしょう。
 話を少しもどしましょう。上記の例では「労働の給付におうじて」社会から返還されるものと、「必要に応じて」社会から返還されるものの比は四対五でした。これはあくまで例えにすぎません。しかし、「より高度な共産主義」への発展とは、この面から言えば、この比のうえで、さらに前者が縮小すること、後者の比が増大することといえます。この社会は、隷属的分業の緩和、精神的労働と肉体的労働の融合、生産力の増大、「必要に応じた分配」の拡大、補正的再分配にによる実質的平等への前進、などなどにより人間の社会的本性が肯定され、「社会的な人間」「社会的に生きようとする人間」が登場し、かくしてはじめて人間的自由が語りうる社会です。しかし他方では、精神労働と肉体労働の融合が開始されたとはいえ、分業が全面的には克服されず、労働は「労働時間の給付に基づく分配」とまだかなり結合しており、完全にボランタリーな生活欲求とはなりきっておらず、社会的生産力もまだ十分には高くない段階の社会です。協同組合的社会とはこれらの残された諸課題に社会をあげて取り組む一時代であると言えるでしょう。案内へ戻る


チッソを逃がすな!

 去る7月16日、大阪地裁において水俣病裁判史上、注目すべき判決が勝ち取られた。かつて、ここで争われた水俣病関西訴訟が2004年10月に最高裁で勝利的収束を迎えたが、その勝利は1995年村山政権下の政治決着を打ち砕いた。今回の勝利はそれを越えて、国の公害健康被害補償法に基づく患者認定制度を粉砕するものとなろうとしている。
 この訴訟は、関西訴訟で勝訴した原告女性が患者認定の義務付けを求めたもので、大阪地裁・山田明裁判長は国の基準には正当性がないとし、熊本県に認定命令を下した。原告女性は水俣市生まれで、71年に尼崎市に転居、78年に熊本県に患者認定を申請したが棄却され、関西訴訟勝訴確定後の国への不服審査請求を行なったが棄却され、本訴に及んだものである。
 判決は「1977年基準の判断条件は、手足の末端の感覚障害のみでは足りず、ほかの症状と一定の組み合わせを要求している。この組み合わせがない限り水俣病と認められないとする国らの主張は、医学的正当性を裏付ける的確な証拠が存在しない」と、明確に国の基準の不当性を指摘している。水俣病そのものは、チッソが垂れ流したメチル水銀が魚介類に蓄積され、それを食べたことによって発症するものであり、不知火海沿岸住民は誰もがその危険性に曝されている。
 国の基準はあらかじめ患者数を絞り込むために作成されたものであるが、これはすべての認定制度に共通するものである。御用学者が権威付けした基準を楯に、ひたすら患者を切り捨ててきたのである。熊本県はこの基準とともに政治決着が崩壊することを恐れ、控訴することによって責任回避を続けようとしている。国や熊本県がやるべきことは、被害地域の総合的調査・健康調査を実施し、水俣病被害の実態把握に1日もはやく着手することである。
 さて、こうした闘いの進展の一方で、水俣病特別措置法、別名チッソ救済法によるチッソの分社化、水俣病からの逃亡が画策されている。これは国鉄が分割・民営化でJRになったとき、国労を中心に多くの労働者が不当解雇されたにもかかわらず、その責任はJRにはないとされた、あのあくどい分割・民営化法と同じ構造である。この国の官僚は常にこうした手法で強気を助け弱きを挫いてきたのである。
 国もチッソも水俣病の発生と拡大の責を負い、患者さん及びすべての地域住民と向き合わなければならない。怨の幟が今もはためいていることを、忘れてはならない。(折口晴夫)


宮本成美・水俣写真集
「まだ名付けられていないものへ または、すでに忘れられた名前のために」(現代書館・2800円+税)

 ひどく長く意味深い題名で、手に取るのをためらわせるようですが、奇病とされ忌みきらわれた初期から、はやく忘れ去りたい、しかし今も忘れ去ることの出来ない水俣病。水俣病とは何か、幾重にも重なる利害、思惑が患者を置き去りにしてきた。そうした闇のなかで、生き抜いてきた患者さん、それに寄り添う支援者たちが写真集のなかに息づいている。
 私に社会への目を開かせた水俣病を告発する闘い、怨の幟や同行二人の巡礼姿、「同じ人間なんじゃから、話せば判るはずじゃから」とチッソ社長に迫る川本輝夫の姿、なんだか懐かしくなる。それにしても川本輝夫はすごい人物だった。チッソ本社内に患者拒否の鉄格子をつくらせてしまうし、戦略とか戦術とかではなく、まさに「怨」で迫り、突破する。
 石牟礼道子の「苦海浄土‐わが水俣病」が世に出たのは1969年、その土俗的語り口に息を飲んだ。私は観ることがなかったが、今は亡き砂田明がこれを題材に一人芝居「天の魚」(てんのいお)を全国で上演した。水俣を映像で写し取ったのは、今は亡き土本典昭だった。石牟礼道子の島原の乱・天草四郎の物語「春の城」が新聞連載されたのはいつだったか、毎朝心震わせ読んだことも思い出す。
 1985年12月、水俣病認定申請を取り下げた緒方正人はその後チッソ門前で座り込みを始めた。それは何かを要求するものではなく、「呼びかけ」のためだと言う。96年9月、東京で開催された「水俣・東京展」に不知火の打瀬舟を展示するために、水俣から出航させたのが緒方であった。
「水俣病公式確認からちょうど40年後に『水俣のことを語りつぎ、あるいは身に引き受けていく、水俣の問いを自分自身にもぶつけていくという覚悟』をのせて、無数のいのちを奪った水俣病の惨劇の記憶と、海と風と人の蘇りの願いをのせて、『魂ば乗せて行かんば』という思いに押されて、そして、東京からもたらされたすべての『毒を押し返』しながら、船は東京湾に到着します。水俣展前夜の会場には、満月に照らされて浮かび上がる船の威容がありました」(星埜守之の解説「もうひとつの船のように」)
 この写真集には、私より少し上の世代である宮本の水俣との出会いとかかわりが凝縮されている。私は結局のところ水俣の傍観者でしかなかったが、これに駆り立てられ生きてきたように思う。宮本はあとがきで、水俣を巡る状況は「私が1970年に水俣に出会った時から変わっていません。取材で感じた『水俣の闇』は、さらに深さを増し、しかも、いまや日本全体が、同じ『闇』に覆われてきたようにさえ思えます。もしかしたら、世界じゅうを覆っているのかもしれません」と述べている。残念ながら、この状況認識を否定することはできないが、希望は捨てないで、明日に向かいたい。  (晴)
 

「水俣・明治大学展」の案内・・・水俣は問いつづける

 今号では水俣病に関係する記事が記載されている。
そこで、皆さんに東京の明治大学で開催されている「水俣展」を紹介したい。最終日が19日なのであまり日にちがないが、是非とも会場で水俣病に対面してほしい。
 ★期間 9月4日(土)〜19日(日)
 ★時間 午前10時〜午後8時(最終日は午後4時まで)
 ★場所 明治大学駿河台校舎
 ★主催 明治大学
 ★共催 水俣フォーラム

 こうした「水俣展」が開始されたのは、1996年9月の「水俣・東京展」が初めで、その後、全国各地でこうした「水俣展」が開催されてきた。
 この「水俣展」を推進してきた水俣フォーラムは、その意義を次のように述べている。
 「公害の原点といわれる水俣病が南九州の片隅で発見されたのは、経済白書が『もはや戦後ではない』と謳った1956年の事でした。以後、被害者の運動やさまざまな裁判、調査、研究によって水俣病事件は少しずつ明らかにされてきました。それは、直接の被害者でも加害者でもない私たちにとって、この社会を考える上で、たいへん示唆に富むものでした。・・・水俣病を問い直すことは、私たちがこれから先、どのように生きていくかを考える上で少なからぬ果実をもたらすことでしょう。水俣病に関するすべての表現、研究、記録をひもとき、状況に照らしてこれらを再構築し、今を生きるすべての人びとに伝えたいのです。水俣病発生の公式確認より半世紀をへて『水俣展』というべきものの開催です。この会場によみがえる水俣の言葉や表情、風景の一片でもご記憶の片隅にお加えいただければ幸いです。」
 会場に入ると、水俣病公式確認のきっかけになった「1956年4月、幼い少女を『奇病』が襲った」と書かれた、小児性患者・田中実子さんの写真が目に入る。
 次の展示コーナー「患者遺影」では、患者474人の遺影に圧倒される。記録映画作家・土本典昭夫妻が1年間水俣に滞在して800軒の遺族を訪ね遺影を収集した作品で、今回は474影を空間一面に展示してある。
 実物展示コーナーには、14年ぶりに公開された「劇症患者の脳標本」が2つ展示されていた。人間の脳がメチル水銀に長期にわたって汚染されていくと、脳神経が破壊されて脳の中がまさにすかすかになってしまうことがわかった。
 事件の当事者ともいうべき水俣病患者の生の声を聞く「語り部コーナー」、水俣病をさらに深く知るための「水俣病ブックフェア」なども用意されている。
 「水俣展」から帰り、9月7日朝日新聞夕刊の次の記事が目に入った。
 「水俣病の未認定患者をめぐる救済問題で政府と熊本県は7日、被害者への補償金などの支払いのため、原因企業チッソに総額475億円を貸し付けることを決めた。5月に開始した新たな救済策の対象者らに支払われる1人210万円の一時金や、被害者団体への加算金などにあてられることになる。約2万人分の金額に相当する。」
 未認定患者はまだまだ多く存在している。軽度のメチル水銀を長期に摂取してきた慢性水俣病患者の問題もこれからである。行政(国や熊本県)は、患者補償金支払いの継続確保という名目でチッソへの格別の融資(国民の莫大な税金)を続行している一方、医学界の権威を動員して病像を狭く限定する事によって、万を数える被害者の苦痛を否定しつづけてきた。
 水俣病はまだまだ何も終わっていない。<英>案内へ戻る


色鉛筆 猛暑日に年賀予約?

 私の職場では、今年も9月に入ると年賀予約の注文受付が始まりました。社内向けには、9月までに自分の目標枚数を提出することを強要され、余りの時期はずれに唖然としてしまいました。そして、社内予約で目標枚数が多い順番に推奨状が贈られ、おまけにペットボトルの飲料水にのし付きの記念品まで付いていました。
 まるで子どもだましのような会社のやり方に、「こんなお金があるんやったら、時給を上げて欲しいわ」と、同僚からの不満が後を絶ちませんでした。私は喪中になるので目標枚数も提出せずにのんびりしていましたが、この異常な会社のやり方に焦りのような悲壮感を覚えずにいられませんでした。もう先が見えているのかも・・・。
 そういえば、8月のお盆を過ぎた頃から郵便の量は減って、4時間の労働時間でこなすのに丁度いい具合でした。NTTや各社携帯電話の払い込み通知、市役所からのまとまった郵便物などがあれば結構忙しいのですが、これまで配達していた大口のダイレクトメールが気が付くと別の業者に回っていたりします。
 わが家に配達される郵便物も宅配便が半分ぐらいを占めるようになりました。安くて便利なものが利用されるのは当然のことで、競争社会では自然なことなのでしょう。そこで働く者の労働が無くなれば、職を失うという厳しい現実を突きつけられることになります。
 年賀の予約に士気を上げさせるためにミーティング資料には、「1に営業! 2に営業!! 仕事は後工程! 品質は自工程!!」とあり、何のことかすぐに理解できません。仕事の評価を品質に置き換え、自ら努力せよ、その結果が後に現れる、ということなのか。毎日の様にミーティングで、目標達成のためにと現場の労働者を口汚くののしり、人格を傷つけることで、どうしてやる気が起こってくるのでしょうか。
 職場では仕事の失敗は全て自己責任で、時給を下げられのが実状です。評価はどうあれ、社会の一員として社会参加している自分自身に誇りを持ち、堂々としていましょう。そう自分に言い聞かせ、猛暑の夏を乗り切ったかな? と思うこの頃です。(恵) 


2010.9.15.読者からの手紙

 ペット飼養の両極分解

 最斤、夕方になるとペット(ほとんど犬)を散歩させている方が多く見受けられるになった。ペットショップで買えば高そうな外来のワン公が多い。病気になったり怪我をしたりして獣医さんにかかるワン公の治療費は、10万以上というのが普通になっているようだ。
 都市ではこうした階層に入れないペットは捨てられてノラになって、カワイソーと拾われて衣食住にありつけたのは幸運な方で、ノラのまま処分されるワン公、ニャンコたちの数は厖大な数にのぼる。こうした流れにのらず良心的に治療に当るお医者さん、飼い主さんたちは、しんどくてどうにかなりそう。ペットの飼養もますます両極分解進んでいくというのが現実の状況だ。
 わが家には現在5匹のノラネコ出身のネコがいる。年よりばかりの私どもの経済力ではこの先、面倒みつづけうると明言できなくなっている。ネコたちも私どもも、ともに天寿を全うしうるためにも、現在の政治、経済、社会現象に注目せざるを得ない。
 きっぱり展望の開けない現在の状況下で、私どもが思うことはおカミ頼みはもう止めにして、生きつづけていく条件作りをはじめねばなるまい、ということである。

 かみつきザルと

 ヒッチコックの映画鳥
 ヒッチコックの鳥birds≠ヘ予告篇しか見ていないのだが、鳥の集団が人間を襲うという自然に対する人間の破壊にリベンジする鳥という映画のようだった。
 今回のかみつきザルは集団ではなく、単独犯であるというbirds≠ニのちがい、これはどういうことであろうか。人間の世界ならば受難のコミュニズムのなせる集団的犯罪に対し、自由≠めざすかのような悪しき民主主義を採った戦後民主主義の中での、はぐれ者を引き合いに出せようが、野生の動物の場合どう説明できようか。群からはぐれる動物もいるらしい。こういう動物は殺しかないのだろうか。
2010・8・31 宮森常子 


鈴木宗男氏の「失職・収監」に思うこと

 九月八日、鈴木宗男氏の上告が最高裁によって棄却されました。ここに鈴木氏の有罪が確定し鈴木氏は二年間の収監が決定されたました。
 今から八年前の2002年、鈴木氏は国会において辻元議員から「疑惑のデパート」と名指しで糾弾されたことは今でも記憶に鮮明です。この決定を受けて当の辻元議員はどのような感慨があるか興味があったので、「つじともWEB:辻元清美オフィシャルサイト」を確認したところ、九月十日午後六時現在、九月八日の「ボチボチ社会へ。そのために全力を注ぎたい。」以降の更新はなく、がっかりするとともに目立ちたがり屋な人でやっぱり誠実性に問題がある人だなと再確認しました。なぜ鈴木氏の上告棄却についてコメントしないのでしょうか。まさに極楽蜻蛉です。辻元氏は、社民党を離党した事で、鈍感でまさに糸の切れた凧よろしくどこに飛んでいくか分からない人になったのです。
 今回鈴木氏は贈収賄が確定したのですが、八年前の当時は「ムネオハウス」「ODAのディーゼル発電」等が疑惑の中心でありました。そして「ムネオハウス」の疑惑に関しては共産党の佐々木憲昭議員の独壇場でしたが、この追及の根拠となった資料は共産党へ送付された差出人不明のものでした。今では外務省関係者からの送付であった事が鈴木宗男氏の『闇権力の執行人』において暴露されました。このように踊らされた立場にある共産党ですが、市田書記局長の九月八日のコメントには「司法の当然の判断だ」というばかりで「ムネオハウス」が立件されなかった事は残念だとの説明もありません。まさに大山鳴動して鼠一匹。共産党は外務省の謀略に一役買い悔しくないのでしょうか。厚顔無恥で破廉恥な態度そのものです。そういえば今回の共産党の大敗に誰も責任を取っていません。
 辻元氏や共産党に比較すれば保坂展人氏は、数段誠実な人です。彼は、九月九日の「保坂展人のどこどこ日記」で、「鈴木宗男氏『失職・収監』で国策捜査の検証を」との記事を書いています。

 昨日は鈴木宗男衆議院議員(衆議院外務委員長)の事件で最高裁の上告棄却があり、失職・収監が決まった。2002年当時、私は鈴木氏を「疑惑の人」と見て追及してきた立場だったが、その後の『国家の罠』(佐藤優著)に出てくる「国策捜査」をめぐる構図を見て、私たちの追及も、メディアスクラムと呼応した「予断と偏見」を前提にしていたことを強く感じるようになった。昨年の総選挙では、鈴木宗男氏で駅頭応援演説や地元でのシンポジウム出席をお願いした。
 刑事被告人である鈴木宗男氏が衆議院外務委員長であることについて、「民主党の見識を疑う」などの一般論のコメントが渦巻いている。しかし、鈴木氏が「日米密約問題」に真っ正面から取り組み、沖縄返還にかかる日米密約の解明に取り組んだ熱意と手腕は正当に評価されるべきだ。当時,ジャーナリストとして「日米密約」の事実に迫った元毎日新聞記者西山太吉さんは、国家権力の中枢から逆告発されて「国家公務員法違反」などで逮捕される。
 すでに昨年7月に亡くなった元参議院議員佐藤道夫氏は、東京地検特捜部でこの事件の起訴状を書き、西山記者が情報を外務事務官の女性から情報を取得したことを、「女性事務官をホテルに誘って、ひそかに情を通じ、これを利用して」という言葉で「世論の流れ」を変えたと述懐している。本来であれば、国民と沖縄県民を欺いた「日米密約」が問われた事件は、記者と女性事務官のスキャンダルがすべてであるような風潮がつくられた。佐藤元特捜検事の思惑通りに、時の自民党政府も「密約」にはその後も「知らぬ、存ぜぬ」とシラをきり通した。
 政権交代後、岡田外務大臣の指示で外務省が調査をした結果、この事件のテーマとなった「日米密約」も本当だったことが判明した。歴代政府は嘘をつき続けてきたことになり、鈴木氏もかってはそのひとりだった自民党支配は、政府・与党と捜査権力が世論操作も平然と行なって、「事実にフタをする」役割をしてきたことも明らかになった。
 鈴木氏の事件で最高裁は「上告棄却・収監」という予想された結論を出した。しかし、「国策捜査」が狙えば誰でも陥れることが出来る怖さを持っていることも、よく知られるようになった。政権交代が本物なら、鈴木氏の事件も含めて、「政府・与党」と「捜査権力」の癒着はなかったのか。徹底的に検証するべき時が来ているのではないか。

 この誠実な保坂氏の反省は、私のものでもあります。私も八年前は辻元氏等に良き代弁者をみつけたつもりだったが、自分自身は反体制とはいいながらも検察に多大な幻想を持っていたと苦々しい思いを抱いて、深刻に当時のことを反省しています。この間権力にいた人間として深く反省した鈴木氏の事務所には、八年前と全く異なった反応があり、かってのような悪罵や怒号ではなく、今回の上告棄却は全く不当だという意見が八割ほどあるという事です。これが世智に長けた大人の判断というものはないでしょうか。
 さてここで重要なことを付け加えておきます。元レバノン大使天木直人氏の告発です。
 九月九日の「天木直人のブログ」を引用します。

 鈴木宗男を葬り去った最高裁判所の判事15人の一人に竹内行夫という元外務事務次官が天下っていた。これを9月10日の日刊ゲンダイが報じている。この事は日刊ゲンダイのようなタブロイド紙ではなく大手新聞が書いてもっとひろく国民に知らされるべきだ。
 もっとも、鈴木宗男の上告棄却を決定したのは最高裁第一小法廷であって、竹内氏が属している第二小法廷ではない。竹内氏が決定を左右したわけではない。しかし、竹内氏は田中真紀子元外相の一大騒動で外務省が混乱した時に事務次官になり、鈴木宗男を外務省から追い出した張本人だ。外務省は鈴木宗男の復活だけは許せないと思っている。竹内氏はそんな外務省の組織防衛を担った外務省OBである。
 司法官僚の権化のような最高裁が、仲間の一人である竹内判事の立場からまったく
無縁であるはずはない。しかし、日刊ゲンダイがさえも書かない、もっと重要な事がある。
 それは竹内判事が違法、違憲判事であるということだ。竹内判事は小泉首相がブッシュ大統領のイラク攻撃を支持した時の外務事務次官である。イラク攻撃が国際法違反であったことはもはや世界が認めるところだ。しかも08年に名古屋高裁は自衛隊のバクダッド派遣は明白な戦争協力であり、違憲である、との判決を下した。
 さらに竹内氏は、米国がテロとの戦いに協力しろと迫った時、それが日米安保条約違反、憲法9条違反であると認識しながら、国会審議を避ける政治宣言でそれに協力して国民を欺いた責任者だ。要するに憲法遵守義務(憲法99条)に違反し続けた官僚なのである。
 本来ならば総選挙の時に行なわれる最高裁判事の国民審査で国民の手で不適格の烙印を押されるべき判事である。そしてその機会はあった。彼が判事に就任した08年10月の後に開かれた最初の衆院選挙(09年7月)の時だ。しかし何も知らない国民はあっさり信認した。
 今度の鈴木宗男の上告棄却判決で、小沢支持者はこの最高裁の判決の背景に小沢つぶしを感じる。日刊ゲンダイの記事によって国民は竹内判事の天下りを知る。しかし国民審査は10年に一回だ。次回の国民審査の時は竹内判事は任期満了でめでたく定年になっている。まったくいい加減な制度がこの日本では官僚の手で作られまかり通っている。小沢待望論が出るのはもっともだ。官僚が小沢潰しに走る理由がそこにある。

 今ここで激しい糾弾を受けている竹内氏は外交官試験にはパスしているものの司法試験はパスは勿論受験すらしていない。そんな人物が天下りして最高裁の判事になりすましても、周りも不思議に考えない「律令制度」体制が日本の官僚制度の頂点にあるのである。
 またこれを書いている時、郵便不正事件で逮捕された厚生労働省の村木元局長に予想通りの無罪判決が大阪地裁で下されました。まさにこうして検察の暴走を止めさせ取り調べ過程の全面可視化がいかに急務の課題であるか、また千葉法務他大臣がこの一年間いかに職務怠慢であったかが浮き彫りになりました。この検察の信用大失墜を相殺するために二日前に鈴木氏が利用されたとの説も無下に否定できません。まさに道は遠いのです。
 日本が民主政体を克ち取る事は本当に絶望的困難だと私は考え込んでしまいます。(笹倉)案内へ戻る


編集あれこれ

 本紙前号の「沖縄通信」において、名護市議選や沖縄知事選にむけた前原沖縄担当相の悪辣な動きが報じられています。菅民主党は米軍の沖縄占領′p続を望み、辺野古移設賛成派へのテコ入れをなりふりかまわず行なっているのです。
 鳩山前首相の屈服と菅首相の無抵抗を見透かし、米国は海兵隊グアム移転経費の増額というゆすり・たかりのごとき脅しをかけ、さらに新基地での飛行経路にも注文をつけだしています。ずぶずぶの追随には際限のない負い打ちがかけられる、という典型といえます。
 しかしここに来て、民主党代表選で小沢勝利となればこの路線が見直しとなる可能性がでてきました。それは可能性に過ぎないし、なぜかマスコミは小沢非難で足並みを揃え、沖縄の犠牲を当然のように報じています。その行方はわかりませんが、移設反対派を支持し、米軍全面撤退、つまりは安保破棄を要求しましょう。
 次に官房機密費についてですが、前号では読者の声が寄せられ、NHK解説委員の自殺もこの問題に関連しているのではないかと伝えています。自殺した人物が機密費を貰っていたのかどうかわかりませんが、「週刊金曜日」(8月27日号)は「景山解説副委員も受け取っていたのではないか」という噂がNHK内部で駆け巡っている、NHK経営陣が健康を理由に退職を迫ってた(自己保身のための切捨てか)とも噂されているということです。
 官房機密費を巡っては情報公開訴訟が大阪地裁で継続されていて、8月13日の口頭弁論において現職官僚が国益を損なうので機密費の公開はありえないと証言しています。「西日本新聞」(8月20日)が社説でこの証言を取り上げ、次のように報じています。

 証言したのは官僚だが、菅直人首相と民主党政権はこの考えに同調知するのか。それとも官僚の異論や抵抗は会っても、政治主導で情報公開に乗り出す決意はあるのか。改めて問いただしたい。
 証言は、歴代の自民党政権で繰り返してきた政府の見解をほぼ踏襲しており、機密費の情報を公開しない理由としては説得力に欠けるといわざるを得ない。
 内閣総務官は法廷で、「国民から『変なことに使っているのでは』と疑われると、機密費をもらって情報収集してくれる協力者を見つけづらくなる」とも証言している。「国益のために使ったのだから、詮索するな」といわんばかりの論法は、もはや通用しないことを政府は自覚すべきだ。

 もう一点、韓国併合100年・菅首相談話関連ですが、沖縄タイムス社説「過去に責任持つ友好を」(8月12日)も紹介しておきます。
「ハワイにあるシンクタンク『東西センター』がほぼ毎年実施する国際政治学者のアンケートによると、アジア地域において研究者らが不安定要素として懸念しているのは、中国の軍事拡張や北朝鮮の暴走ではない。短期的には過去の『清算』をめぐる日中両国の感情的な対立であり、中長期的には東アジアにおける資源問題が挙げられる」「韓国KBS放送とNHKの共同調査によると、韓国人が最初に思い浮かべる日本人は支配者の象徴『伊藤博文』で、一方日本人が最初に思い浮かべる韓国人は韓流スターの『ペ・ヨンジュン』だった」
いやはや、この認識の差を何と表現すべきか、恥ずかしい限りです。  (晴)案内へ戻る