ワーカーズ427号 2010/11/1
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日中両支配層によるナショナリズムの鼓吹を許すな
「固有の領土」論は労働の裏打ち無き国家による支配の論理
尖閣諸島周辺で漁業を行っていた中国漁船員を日本の巡視船が逮捕したことをきっかけに、この島々の領有権をめぐる日中支配層の間の対立が激しく燃え上がった。それに煽られる形で、中国各地で反日デモが発生し、日本国内でもメディアが反中国の大合唱を奏で、右翼・反動派のデモが組織された。
中国でのデモは、当初は反日が前面に出ていたが、次第に中国政府批判の色彩も帯び始めている。「住宅が高すぎる」「幹部の腐敗を許すな」等にとどまらず、「一党支配反対」のスローガンさえが掲げられ始めた。この事実は、格差の拡大、若者の深刻な就職難、官僚の腐敗、人権抑圧など、現在の中国が抱える深刻な社会矛盾を改めて世界に知らしめた。
日本とても事情は同じだ。中国漁船員たちの拘束、逮捕を指示した前原大臣たちを突き動かしているのは、国内の社会矛盾の激化による国内支配の揺らぎを、反中国の強硬外交、台頭する中国への反発と対抗意識を煽ることで補強しようとする思惑もあったのだ。
もちろん、尖閣・釣魚島をめぐる日中支配層の対立は、両国の国内事情に発する要因だけではなく、この地域に眠る資源への貪欲、軍事的な行動の拡大への思惑が強く働いている。だからこそ、彼らは、「尖閣・釣魚島は我が国の固有の領土だ」と声高に、かたくなに叫ばざるを得ないのだ。
しかし、我々労働者は、この「固有の領土」論を支持することは断じて出来ない。そもそも、国家による固有の領土とは何か。それは、働く人々による額に汗した労働の裏打ちの全くない、観念的で空疎な先占・領有論に過ぎない。かつてこの島で日本人が魚の加工を行っていたというが、それも日本国家による領有宣言が行われた後の、ほんの一時期のことだ。日中双方の支配層が声高に叫んでいる「固有の領土」論は、堕落した、観念的な所有論、国家による支配の論理に他ならず、働く者が唯一正当と考える、労働に基づく領有・所有の論理とは似て非なるものなのだ。
領土紛争に対象と化している島々は尖閣・釣魚島以外にも多数あるが、今さらこれらをどこか一国の領土として囲い込むなどということは、非現実的であるばかりでなく、極めて危険な観念だ。現実的な解決の方向は、これらの島々の、関係諸国による共同管理、共同領有、共同開発等々以外にはなく、それが諸国の民衆の利益にもかなっているだろう。諸国家による支配の論理と欲求を、関係諸国の民衆の連帯した力で牽制し、押さえ込む共同の努力が強く求められている。(阿部治正)
(尖閣紛争)善隣友好≠ヘ労働者の課題──国益至上主義≠ヘ災いの元──
中国での反日デモが拡がり、収まる気配がない。日本でも国会の表舞台ばかりかネット社会でも国益論がまかり通っている。領土紛争にしても海底資源にしても、現状では確かに国家の基盤に関わるものではある。が、国益≠竍国家≠ェ大手を振ってまかり通る事態はきわめて危うい事態だ。私たち労働者・市民は、対立ではなく連帯を求める。国益℃鰹緕蜍`や国家至上主義≠のさばらせてはならない。
■政治主導≠フ上滑り■
尖閣諸島をめぐる日中両国のさや当ては収まる気配もない。
中国漁船の船長釈放や中国による対抗措置の縮小などで両国の関係修復が模索される中、日中両国にわき起こった波紋は未だ尾を引いたままだ。日本では国会論戦やネット社会で尖閣諸島問題をめぐる偏狭な国益論であふれている。中国でも政府レベルでは表向き修復局面に入ってはいるが、各地でわき起こる反日デモ≠めぐ事態は流動的だ。
現在進行中ではあるが、今回の事件を振り返ると、領土問題の危うさや日中両国政権の未熟さと強硬路線の危うさに危惧の念を感じないではいられない。
尖閣諸島問題の経緯をざっと振り返れば次のようなものだ。
明治時代の1895年に政府によって日本の領土に編入された後、1969年に国連機関によって周辺海底地域での石油資源の存在が報告され、71年に中国と台湾が相次いで領有権を主張、その後三カ国間で幾たびかの小競り合いが発生した。そうした中、78年に来日したケ小平が「棚上げ」論を提案し、04年に強行上陸した中国の活動家7人が沖縄県警によって強制退去された事件があり、今日に至っているというところだ。
小泉政権時代の04年に起こったこの事件をめぐる両国の折衝のなかで日中間で秘密取り決めが交わされた、と10月25日発売の『アエラ』に経緯が報じられている。その内容は
▽日本側は原則的に上陸しないように事前に抑える
▽重大事案に発展しない限り、日本側は拘留しない
▽中国側は、抗議船団の出航を控えさせることなどを約束する
という趣旨のものだった。
秘密取り決めという点は承認できないし妥協案も中途半端だが、それ以降、事実上こうした合意に沿った対応がなされてきた。大枠としては、主権国家としての領有権主張の建前と、領土紛争を先鋭化させないという中長期的な関係改善の両立を模索した穏当なものだった。ところが民主党政権への交代でこうした枠組みでの紛争解決がほころんだのが今回の事態だった。
まず日本側の民主党政権。政治主導を掲げている菅内閣は、自民党時代の省庁間の連携構図が機能せず各省縦割りで終始。仙石官房長官や前原国土交通相などが建前的な「法事主義」一本槍の対応策で突っ走り、中国人船長の勾留延長─起訴方針で進んだ。結果的に04年の秘密取り決めの枠組みを反故にしたわけだ、
04年の取り決めを反故にされたと受け取って慌て怒った中国指導部は、政府高官の交流中止、観光客の渡航規制、レアアースなどの禁輸、はてはフジタ社員の拘留など、政権のメンツにかけても日中取り決めからの逸脱を封じる強行態度をエスカレートさせた。
こうした中国の強硬姿勢に慌てた菅内閣は、温家宝首相の国連での強硬発言にうろたえ、それまでの建前一本槍の強硬路線をなし崩し的に放棄して中国人船長を保釈した、というのが今回の事件の大筋だった。まさに中長期的な対中関係構築に向けた戦略展望の欠如とその必然的な結末としてのどさくさ紛れの妥協という腰砕けを露呈し、あろうことか検察の影に隠れた菅内閣の政治主導の実情と未熟さを内外に見せつけてしまったわけだ。
他方の中国。これも取り決めが反故にされて怒った経緯は分かるにしても、その後の強硬姿勢のエスカレートは、経済力・軍事力を背景にした大国意識丸出しの露骨な対日圧力の行使だった。目先の課題では日本の譲歩を勝ち取った観もあるが、中長期的に中国政権の横暴さを世界に印象づけてしまった。それに中国との間で領有権紛争を抱える各国の対中連携、またレアアースの輸入などで日本のみならず各国を対抗策の模索に追いやる羽目にもなった。
■危うい両国のナショナリズム■
尖閣諸島を巡る両国の衝突がなぜ偏狭なナショナリズムを呼び起こし、これほど大きなインパクトと反響を呼んでいるのだろうか。その背景には交差するかのような両国の経済状況がある。今回の事件は、自信をつけた中国とその自信を失って久しい日本という状況下で発生した尖閣諸島をめぐる軋轢だった。
経済大国となって自信をつけた中国は、政治的・軍事的にも拡張姿勢を強めている。工業・消費大国化で資源獲得の必要性も増している。その中国は、建国後は日米、あるいは旧ソ連などに対抗して大陸国家として領土保全を目的とした強力な陸上戦力の構築に励んできた。しかし経済大国として登場したいま、交易大国としてシーレーンの防衛をはじめとする海洋戦略の構築に軸足を移し、将来的には米中で太平洋の覇権を分け合う野望まで公言するまでになっている。
その中国の海洋戦略の焦点が、いわゆる第一列島線(日本とフィリピンを結ぶ線)内での排他的な優位な地位の確立、それに第二列島線(日本とグァムを結ぶ線)までの外洋への展開能力の実現だ。
経済だけではないこうした中国の大国化は、それまで後発国に甘んじてきた中国の人々の自尊心をくすぐっているのは間違いないだろう。今回の中国の強硬姿勢は、そうした国民・民族意識の高揚も背景とした中国政権の思惑抜きには考えられない。
他方、日本はどうだろうか。
日本は1990年代以降、長い経済低迷から抜け出せずにいる。この間、一億総中流時代≠ニ言われた時代は過ぎ去り、失われた20年≠竍格差社会≠ゥら抜け出せないで、今年は世界第二位の経済大国≠フ地位を中国に取って代わられる。閉塞感に悩まされる若者などの中には、訳も分からず自分と国家を重ね合わせて外国(中国や南北朝鮮など)への対抗心をむき出しにするネット右翼≠ネども少なくない。
領土問題というのは、普通の人にとって普段あまり考えていない国家と国家間関係を突然目の前に突き出されたようなものである。こうした突然の国家間対立は、閉塞感や虐げられている人々にとって、飛びつきやすいテーマでもある。むろん、その背景にある左派の自信喪失や解体情況も無縁というわけではない。
■共通利益■
尖閣諸島事件で反中国・反中共を叫ぶ議会内、在野の右派は多くはない。しかしふつうの感覚からしても今回の中国の強行姿勢に危惧を感じている人は多い。そして、その中国の拡張路線・覇権主義も、驚異的な経済成長による経済大国化を背景としたものであることは疑いがない。経済大国=政治・軍事大国≠ニいう固定観念も多方面で語られてきた。
そうした事例は他にもある。米国のことだ。
米国は戦後の圧倒的な経済支配を背景に唯一の超大国として君臨し、アフガン・イラクを引き合いに出すまでもなく、自国の意志を世界に押しつけてきた。沖縄基地を始めとする日本に対する属国扱いもその一例だ。
議会内や在野の右翼は、そうしたことにほおかむりして中国非難の声を上げているが、それ以上に危険なのは、こうした衝突をきっかけにして拡がりかねない対米自立、自主武装推進の真性好戦派の浸透だ。右派内部の一部にあるこうした傾向は、08年にあったあの田母神俊雄・航空幕僚長事件に見られるように、自衛隊や政治家の中にも浸透しつつある。
私は前号でこうした国益論がもたらす情況はふつうの労働者や市民にとって何の利益ももたらさないばかりか、労働者が直面している深刻な課題を曖昧にし、さらにはいつか来た道≠ノ通じる危険な道だとの立場から、基本的なスタンスとしては尖閣諸島など紛争地の共同管理≠提言してきた。とはいえ、ふつうの労働者・市民のレベルでは直接領土問題に立ち向かうことは難しい。安易に流れれば国益論に荷担しないとも限らない。ここは国家というレベルでの対抗策ではなく、ふつうの労働者の目線、立場で日中双方の労働者による国境を越えた連帯の道を探ることを提言したい。
今年、中国のホンダ工場などで始まった賃上げストが連鎖的に拡がった。日本の労働者はこうした中国労働者の闘いに連帯し、支援をすべきなのだ。
中国では出稼ぎ労働者など低賃金を余儀なくされ、また内陸部と沿海部では開発時期のずれで賃金格差も大きい。進出した外国企業の派遣社員と比べても10倍もの賃金格差がある。不動産や住宅価格の高騰で、相対的に賃金低下になっている面もある。中国労働者の賃上げの闘いは当然すぎる根拠を持っている。
日本でも10年以上にわたって賃金低下が続いている。これは直接的には非正規雇用など、経営者側の労働コスト削減の結果だ。この現象を世界レベルでみれば、経済のグローバル化の中で同じ土俵で競争している結果、途上国と先進国の賃金格差が解消される課程でもある。中国の労働者の賃上げは、賃金格差の解消につながり、それだけ日本の労働者の賃下げ圧力を緩和する。日本の労働者にとっても共通利益があるわけだ。だとすれば、日本の労働者は、中国労働者の賃上げを支持し、支援することが自分たちの利益にもなる。日中両国の労働者は共通利益があるのだ。
グローバル化といっても、資本や商品が国境を越えて飛び交っているとはいえ、労働者はそう飛びかうわけにもいかない。直接的な交流以上に、労働者という地位の共通性そのものが各国労働者の共通利益の基盤になっている。
とりわけ日中双方でナショナリズムの拡がりが危惧されている今、そうした地位の共通性とともに、直接的な交流・連帯の好機である。尖閣諸島を巡る紛争で粗雑な国益を振り回すことに反対し、日中両国の労働者が手を携えてそれぞれの政府や右派による国家レベルでのいがみ合いを止めさせる規制力を獲得していきたい。善隣友好の課題は国家ではなく国境を越えた労働者・市民の課題なのである。それぞれの闘いへのエール交換が出発点だ。(廣)
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G20財務相・中央銀行総裁会議の共同声明と野田財務相の脳天気
G20財務相・中央銀行総裁会議の共同声明の要点
2010年10月24日、韓国の慶州において開催されたG20財務相・中央銀行総裁会議が共同声明を採択して閉幕した。
今回の共同声明の主なポイントは、(1)「通貨の切り下げ競争を回避すること」を明記し、(2)「経常収支を持続可能な水準で維持するための政策を追求」して、(3)「市場で決定される通貨制度への移行を一段と進める」等を 共同で確認したことに尽きる。この共同の確認の表と裏の意味を私たちは、しっかりと認識しておかなければならない。
最近の世界の為替市場の変動については、「通貨切り下げ競争」の様相を呈しているとの認識がすでに一般的である。そしてこの認識は決して誤ってはいない。なぜなら各国とも、国の財政事情が悪化する中で、同時に景気や経済情勢の悪化が進んでいるとなると残された方法は、自国の通貨を下落させて輸出を拡大して自国の景気浮揚を図るしか方法がないからである。
確かに外国からの輸出が増えればその国の景気が刺激されるが、と同時に輸出される商品に押されて国内の産業の商品と競合し、そのために打撃を受ける国では、逆に景気が悪化する。つまり自国の通貨を下落させて輸出増大によって自国の景気を支えるとの政策は、他国の景気悪化を犠牲にした上で成り立つものなのだ。この意味で、自国の通貨切り下げ政策を近隣窮乏化政策と呼ぶのは私たちが見るべきものを見極めたものである。
今や世界の現状は、欧州を先頭に、主要国が自らの生き残りのために通貨切り下げ競争の様相を強めている。日本も円高の進行が製造業を直撃している。9月15日、菅政権はこの円高の進行に歯止めを掛けようとして、ドル買い円売りの為替介入に踏み切った。このように日本も円安誘導の政策を取り出して、通貨切り下げ競争の一翼を日本も担うことになったのである。
G20財務相・中央銀行総裁会議以前のアメリカと中国の闘い
ここで確認しておく必要があるのは、G20財務相・中央銀行総裁会議以前のアメリカと中国の闘いの経過と現状である。
温家宝首相は記者会見のたびに、「我々は外圧に屈して人民元の切り上げを実施することはない」と繰り返して強調した。ここに中国政府の意思があり、これが注目すべき核心である。彼らは相手に弱みを見せ自らの行動の主導権を奪われることを極端に嫌う中国人の行動原理に極めて忠実なのである。
中国政府部内では、人民元の為替相場の調整について、「自主性、漸進性と可控制(コントロール可能性)」という三原則があるといわれている。しかし人民元の為替相場をこのままドルにリンクしていると、アメリカの金融危機が波及して、国内のマクロ経済を調整することができなくなる現実性が高い。
現在、世界経済が二番底にある中で中国経済だけが「一人勝ち」の様相を呈している。米国では中間選挙を目前に、オバマ政権が輸出増を国民に約束し、労働組合の支持を獲得しようとしている。それを踏まえれば米国が中国に人民元切り上げの圧力を強めるのは、全く当然の成り行きである。しかし中国としては圧力に屈して切り上げをするわけにはいかない。中国の経済成長は勢いを失いつつあるし、あくまでも自主的に切り上げを行わないと、国内に対して合理性を説明することができないからだ。確かに目下の経済運営は結果的に悪くないが、経済成長率が低下しているのは確かで、このまま何の手当てもしなければ、第4・四半期の成長率は9%を下回る可能性があるのだ。
10月19日、中国人民銀行(中央銀行)は前触れなく人民元の預金金利と貸出金利をそれぞれ0・25%引き上げた。約2年10カ月ぶりの利上げであった。従来中国政府は人民元の為替レートを低く抑えるために、人民元の金利も引き上げることができなかった。なぜならば、金利を引き上げれば、ホットマネーが流入し、元切り上げの圧力になるからだ。したがって今回、人民銀行が利上げを実施したのは、今や人民元を容認せざるをえないとの判断があるからだろう。もちろん中国はその実施時期については、自己決定をすると考えているし、そう易々とアメリカの手の内には入らないと考えているに違いない。
こうした思惑から、アジア欧州会議に参加した温家宝首相は、ギリシャを訪問して、なぜかギリシャ国債の購入を表明した。なぜギリシャ国債を購入したのか。端的にいえば、ギリシャを助けるというよりも、このことでドイツを助けるのが目的なのである。
EUでは、ギリシャが危機の震源地となり、全域に広がりをみせている。ギリシャ危機の広がりを食い止めなければ、スペインやイタリアなどにも危機は連鎖する。しかしドイツはEU全域の面倒を見ることができないのだ。ドイツは、中国がギリシャ国債を買うのが、強力な援兵だと認識するは間違いない。
中国に大きな借りができたドイツは、G20で米国に同調することはないとの読む。さらにG20の主催国である韓国は中国に反旗を翻すことはないし、日米同盟のことを考えて、日本は米国に同調する可能性がある。そして人民元が切り上がれば、円もつられて円高になるので、日本は切り上げを求める姿勢を明確に示すことができないと読む。これこそ孫子の兵法であり、中国の自己防衛策なのである。
要するに中国はドイツを味方にしたことで、アメリカからのG20での人民元切り上げの圧力を打ち破る手段を手に入れたのであり、その結果中国は自主的に人民元を切り上げる主導権を確保できた。その余裕の表れが、中国人民銀行が実施した先の利上げなのである。
G20共同声明を私たちはどう読むべきか
こうした状況を踏まえ、G20共同声明を私たちはどう読むべきか。
(1)の「通貨切り下げ競争の回避」のなかに、今回の日本が行った「円売りドル買い介入」への批判と今後への牽制が含まれていることは明白である。
野田財務相は、会議終了後の記者会見で、「市場の動向をみながら必要な時には適切な行動を行うという意味だ」と指摘して、為替介入に理解を得たとの考えを述べたが、現実はまったく逆である。野田財務相の脳天気には呆れる。
「円売りドル買い介入」とは円安を誘導する政策であり、その意味では通貨切り下げを誘導すはる政策である。G20の共同声明は「通貨切り下げ競争回避」を明記した以上、日本の「円売りドル買い介入」の回避が含まれるのは明白である。「円売り介入」制限のG20の共同声明を理解できない野田財務相の無知蒙昧は、今後「円売り介入」する上で国際的な糾弾の対象とはなろう。
(2)の「経常収支を持続可能な水準で維持するための政策を追求」に、アメリカが強く主張した具体的な数値目標の導入は見送られたが、経常収支不均衡と為替変動とがリンクされたことの意味を見抜かなければならない。
経常収支と通貨変動とのリンクは、@経常収支の黒字国の通貨は切り上げされるべきこと、A経常収支の赤字国の通貨は切り下げられるべきこと、の意味を当然含む。アメリカは数値目標こそ取れなかったものの実質は取ったのだ。
経常収支の黒字国とは日本・ドイツ・中国であり、経常収支の赤字国とはアメリカのことだ。つまり円・ユーロ・人民元の下落は適正でなく、ドル下落は正当であるとの意味になる。とりわけ黒字のGDP比が大きく、今後さらに黒字拡大が見込まれる中国人民元に対しては、(3)「市場で決定される通貨制度への移行を一段と進める」と記述して、大幅切り上げを求めてそれが確認された。これが今回の共同声明の核心中の核心である。
再度確認すれば、米国の財務長官が「強いドル政策を維持」と強調した目的は、ドル高をめざすことでも維持することでもなく、G20の共同声明がドルの急落をさせないための方便として、また今後もドル安を容認した上での発言であることは明白である。
米国の国益は、これ以上のユーロの下落の阻止であり、日本の円高抑制の為替介入の抑制であり、最重要のターゲットは中国人民元の切り下げだと名指したに等しい。ドル安を容認するアメリカはこの三つを容認しないのだ。
今後金融市場がG20の共同声明の裏を読み取れば、円高は進む一方であろう。したがって円ドルレートが史上最高値を更新して、すぐにでも1ドル=80円を切るのは時間の問題であろう。 (直木)
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紹介 日本の戦争遺跡
沖縄に行った時、南風原(はえばる)町の黄金森公園にある南風原陸軍病院壕跡を訪ねてみました。
記念館の後ろの碑の奥、草葉に隠れてコンクリートの構造物が有るのですが、それが壕跡です。第二次世界大戦末期の、一般人を巻き込んだ沖縄戦での戦争遺跡で、約三〇の壕からなり、沖縄戦で米軍の艦砲射撃が始まった一九四五年三月下旬から使用され、ひめゆりの塔で有名な、師範学校女子部と第一高等女学校の生徒約二〇〇名は、最初、この南風原陸軍病院壕に動員され、その後、軍の撤退に伴い、重傷者や重病人約二〇〇〇名は、この地で青酸カリや手榴弾で自決させられたとの事です。
壕後に立てられた看板によると、南風原町は、一九九五年三月に陸軍病院壕を文化財に指定(第二次世界大戦の遺構の史跡指定第一号。第二号は大分県宇佐市の掩体壕)し整備をすすめ、二〇〇七年六月一八日に一般公開を開始、全国で一六〇数カ所あるとされる文化遺産として指定された戦争遺跡のうち沖縄にはその約三分の一が指定されていると言うことです。この「史跡指定第一号」と言うことが気になったので戦争遺跡についてインターネットで少し調べてみました。
日本の戦争遺跡については、個々の史跡や史跡認定の必要箇所の説明は結構あるが、包括的な叙述は少なく、『ウィキペディア(Wikipedia)』では『戦争遺跡(せんそういせき)は、戦争の痕跡、戦跡、戦蹟。戦争のために造られた施設や、戦争で被害を受けた建物などで、現在もそのままないし遺構として残っているものを含む。かつての戦争の時代を物語る遺跡であり、後世に伝えることで歴史の生きた教材になりうる。』『一九八〇年代半ば頃から、戦争体験を伝える一環として、各地の戦争遺跡の調査や記録、保存運動などが行われてきた。(一九八七年に戦争体験を記録する会『大阪の戦争遺跡ガイドブック』が刊行された)自治体による文化財指定の最古は一九七七年の沖縄県伊江島公益質屋の指定である。 第二次世界大戦期のものが多いが、西南戦争の戦跡なども含まれる。近年では保存措置が講じられたり、文化財として指定される事例も出ている。しかしながら、その価値が十分に理解されているとは言えず、特に近世の建築遺構と戦争遺跡がかち合う場合、戦争遺跡の調査・保存が軽視されがちなのも事実である。』と記されており、一九九五年の文化財保護法の一部改正で、国史跡の指定対象が明治中期までから第二次世界大戦終了時までに広げ、文化庁は、「近代史を理解するうえで欠くことのてきない遺跡」をA級、「特に重要な遺跡」をB級、その他の遺跡をC級として、九八年度に各都道府県教委への調査の結果、A級とされ保存の必要性を認めた遺跡十三都道府県で四十七件を明らかにしたが、「定義がはっきりせず、文化財的な評価も全国的に明確ではない」(長崎県学芸分化課)ので、国の指定というより各自治体にその任がまかされ、所有の有無も個人的であるので、各自治体の戦争遺跡への保存、指定への動きは鈍く、各地の市民活動の有無が遺跡指定の大きな条件となっているのが現状である。
一九九七年から「戦争遺跡保存全国シンポ」が毎年開かれて、全国的な遺跡保存の運動が行われてはいるが、都市開発などにより、沖縄でも住民の避難や軍の戦闘用に使われたガマと呼ばれる無数の未調査の壕(一〇〇カ所はあるとされる)が、少しずつ取り壊されたり、全国的には、戦争の悲惨さは語られるがなぜ戦争が起こるのかと言うことはあまり語られずに、観光化し・神聖化されたりして本来の保存の趣旨から外れていたりするものもありで、所有権の問題とも絡み、保存の必要性が浸透していないのが実態と言うことです。
戦争遺跡保存全国ネットワーク(事務局・長野市)の島村晋次さん(松代大本営の保存をすすめる会)は「戦争体験を語れる人がいなくなる時がいずれは来る。実物に勝るものはなく、平和の大切さを訴えるためにも、貴重な『負の遺産』として守っていかなければならない」と話しているが、次の新しい時代を築くためにも貴重な『負の遺産』から多くのものを学びとるのは必要なことであると思います。(光)
A級の戦争遺跡
北海道 3件 (川汲台場跡、峠下台跡、矢不来台場跡)
福島県 1件 (旧軍馬補充部白河支部事務所)
茨城県 3件 (掩体壕、北浦海軍航空隊、霞ヶ関海軍航空隊跡)
東京都 26件(第一台場、旧歩兵連隊本部、人間魚雷「回天」壕跡など
石川県 1件 (満州開拓青少年義勇軍訓練所「日輪兵舎」)
長野県 3件 (松代大本営、歩兵第50連隊関連施設など)
愛知県 1件 (旧豊川海軍工廠、)
三重県 3件 (旧鈴鹿海軍工廠、北伊勢飛行場、鈴鹿海軍航空隊)
滋賀県 1件 (旧八日市飛行場)
大阪府 2件 (旧第4師団指令本部、大阪砲兵工廠)
和歌山県 1件 (友ヶ島砲台群)
愛知県 1件 (小島砲台跡)
大分県 1件 (西南戦争戦跡) (読売新聞調べ)
コラムの窓 「階級」という「文化」
マイ・フェア・レディ
「マイ・フェア・レディ」といえば、オードリー・ヘップバーン主演の映画は、あまりにも有名である。日本では最近、大地真央が主演するミュージカルが、ロングランを続けている。先日僕も福岡の博多座で、観劇する機会があった。
大地真央の名演技もさることながら、あらためて、イギリスのロンドンを舞台とした、この物語りの面白さに感動した。このミュージカルは、もともとはバーナード・ショウが書いた戯曲が元になっているのだそうだ。
その面白さというのは、ひとことで言えば「階級」をテーマにしていることだ。イギリスでは、最近はそれほどでもないが、労働者階級と貴族階級とで、発音も修飾詞も異なるのだそうだ。東京の「下町ことば」と「山の手ことば」の比じゃないらしい。
ストーリーは、ロンドンのダウンタウンで「花売り」として日銭を稼いでいる娘「イライザ」が、貴族出身の青年言語学者「ヒギンズ教授」と出会うところから始まる。ヒギンズは、学問的興味と遊び心から、この労働者の娘「イライザ」の言葉を、トレーニングによって貴族の言葉に変え、王宮の社交パーティーに登場させ、貴族どもを騙して驚かそうというプランを思いつく。
そこから、奇想天外な出来事と、ラブ・コメディーが並行してゆくのだが、そもそも「労働者階級と貴族階級との言葉の違い」を大テーマに、これだけの戯曲を作り上げてしまうイギリスの「文化」というのは、すごいなあと思う。
舞台では、貴族階級(「元貴族」のブルジョワ階級)の「軽薄さ」が暴露される。社交パーティーの席でイライザが、つい口をすべらして使ってしまった「下品な」言葉づかいに、ある貴族の若者が「面白い、最新式の話題なんだね」と、本気で恋をしてしまう場面。
イライザの父親で「ゴミ取り人夫」の「ミスター・ドゥーリットル」が、「あっしには、道徳なんざ関係ないんで」という話っぷりが、なぜか中産階級に受けて「道徳協会」の専属講師に担ぎ上げられてしまう話。そこには、「下品な」話しっぷりの中に、力強い真実を感じさせる、そんなバーナード・ショウの労働者階級への共感が見え隠れする。
やがて、イライザは「上品な」イギリス語を身につけた「レディ」になって、王宮の社交パーティーで注目される。しかし、そこからイライザの「空しい気持ち」が募ってくる。「人形」のような自分。いつしか、イライザはロンドンの場末をさまよい歩く。そこには、かつての自分と同じ「花売り娘」たちがいて、花を売りに来る。「レディ」の自分に、労働者たちが会釈して、道をゆずる。そこには、失いかけた自分の真実の魂がある。
プラッド・ブラザーズ
同じく「階級」をテーマにしたミュージカルでも、こちらはラブ・コメディーでも、ハッピーエンドでもなく、かなりシリアスな「悲劇」である。80年代にロンドンで上演されてから、やはり世界各地でロングランを続けている。
一方に、子沢山で貧乏な労働者地区の母子家族がいる。道を隔てて、裕福だが子宝に恵まれないブルジョワ夫婦がいる。あるとき、貧乏な母親が生んだ双子の男児のうち一人を、ブルジョア夫人が貰い受ける。二人が「双子の兄弟」だということは、二人の「母親」しか知らない「秘密」となる。その秘密を絶対に明かさないと聖書に誓う。その「誓い」を破ったら、子供は死んでしまう、という「迷信」にお互いの子供の運命をゆだねるところから、悲劇のストーリーは展開してゆく。
二人の子供は、自分たちが本当の兄弟とは知らず、近所の「幼なじみ」として仲良くなっていく。お互いの指先をナイフで突き、血と血を合わせ「僕たちは血を分けた義兄弟(ブラッド・ブラザーズ)だ」と契りを結ぶ。(本当は義兄弟どころか、真の兄弟なのに)。
やがて、一方は工場で働くが、不況で解雇され、薬におぼれるようになる。他方は、何不自由なく大学に進学し、学園生活を謳歌する。クリスマスを前に再開した二人の友情を「階級の壁」が切り裂いていく。幼なじみの女性との三角関係すら、かつては友情の中のひとこまであったのに、いまではピストルを向ける仲になってしまう。
そしてクライマックス。武装警官隊が取り囲む中で、「義兄弟」に銃口を向ける息子に、母親が「撃ってはいけない。その子は、あなたの本当の兄弟なのよ。」と明かしてしまう。「聖書への誓い」を破ったその時、ピストルが暴発し、義兄弟の胸を射抜く。次の瞬間、警察隊が、もう一方の義兄弟を射殺する。「うそでしょう」と二人の母親が、嘆きの歌を歌う。
終りに、黒い服を着たセリフ役が、舞台中央に歩み出て、口上を述べる。「なぜ悲劇はおきたのか?迷信のせい?それとも、イギリス特有の階級のせい?」
ボロワーズ
ついでに「借りぐらしのアリエッティ」に触れておきたい。この夏、スタジオ・ジブリのアニメで話題になったが、これはイギリスの児童文学者メアリー・ノートンの小説「床下の小人たち」がもとになっている。この小説の原題は「ボロワーズ」(借りる人)で、まさに究極の「間借り人」である。
童話としては、どこかしらアイルランドの小人を連想させるが、僕はこの物語の着想は「間借り人」としての、いろいろ惨めな境遇が発端なのではないかと、勝手に推測している。食べる物も着る物も、自分のお金で買うことができず、「裕福なお屋敷」から拝借しなければならない。この童話も、「階級」がテーマになっていると思うのは、僕だけだろうか?
「階級」を「過去のもの」としてコミカルに描いた「マイ・フェア・レディー」は、今思えば、60年代のフォーディズムの時代を反映していたとも言える。「階級」の「悪夢の再来」を呪う「ブラッド・ブラザーズ」は、80年代のサッチャリズムへの不安を反映していたとも言える。「ボロワーズ」は、「階級」を「救済されるべきもの」とした戦後から50年代のベバリッジ主義への期待と機を一にしていたとも言える。
ちなみに、ビートルズの歌詞も、「階級」(そのパロディ)をキーワードにしないと、単なる「透明な言葉」の羅列にしか聞こえず、わけがわからない。例えば「ハロー・グッバイ」。「君がどうしてグッバイと言うのか、わからないよ。僕はハローと言うよ。」これはいったい何のことか?リバプールの労働者地区から出てきた変な若者たちが、舌を出して「ハロー」と言っている。ロンドンの上流階級の大人たちが、しかめ面をして「グッバイ」と言っている。そんなパロディックなシーンを想像でもしないと、この歌詞はわけがわからない。「階級社会」という「伝統への挑発」の70年代を表現していたとも言える。(それを極端に純化して継承したのが、パンク・ロックだ。)
それぞれの時代、それぞれの地点から、真っ正面に(あるいは斜めに)「階級」を見つめ、芸術にしてしまうイギリスの文化。その底力を、あらためて見直す。ひるがえって、こうした「階級」を「テーマ」(あるいは「隠れたテーマ」?)とする、イギリスの戯曲や音楽や児童文学が、ここ最近、世界で徐々に「受けている」文化状況とは何なのか?考えさせられる、今日この頃である。(松本誠也)
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沖縄通信・・・いよいよ沖縄県知事選
前回の「沖縄通信」で宜野湾市長の伊波洋一氏が、社民党県連、共産党県委、社大党からの推薦を受けて県知事選に立候補したことをすでに報告した。
現職の仲井真知事もようやく正式に立候補を表明した。当然、自民党と公明党の推薦での立候補である。
無所属グループ「県民主役の知事選挙を実現する会」などの3人目の候補者擁立論があったが、10月20日民主党県連の喜納昌吉代表は、知事選において独自候補擁立を目指して、国民新党の下地氏と協議をして、知事選に下地氏か喜納氏のどららかを擁立する方向を確認した。
ところが、党本部の岡田幹事長は同意せず、地元の県連内部からもこうした動きに対して厳しい批判が続出した。17日には、山内末子民主党県議が伊波氏支持を表明して離党を届けた騒動があり不協和音が噴出していた。
結局民主党は26日、独自候補擁立せず、自主投票をすることを正式に決めた。
これで地元の党所属国会・地方議員の大半が、県内移設反対を掲げる伊波洋一氏の支援に回る見通しである。
仲井真現知事は、米軍普天間飛行場返還・移設問題に対しては、「県内移設容認」(自民党時代の普天間移設・辺野古新基地建設に賛成してきた)であった。ところが、「最低でも県外移設」と言う県民大会や県議会決議など沖縄の世論の高まりの中で、知事選を意識してか「県外移設要求」を言い始めた。しかし、なぜか色々と言い訳をして「県内移設反対」とは絶対に言わないのである。この曖昧さが、民主党本部に「当選すれば、県内移設を認めてくれるだろう」と言う期待を持たせている。
今沖縄県知事に求められているのは、日本政府と米国政府に沖縄の思い・要求をしっかり伝え、粘り強く交渉して基地問題を前進させ、経済の自立をめざしていく意思と能力ではないか。
県知事選は11月11日に公示され、28日投開票されるが、基地のない沖縄の将来を考えれば、伊波洋一氏を支援して「ぶれない」新しい知事を誕生させたい。
11月の沖縄知事選を目の前にして、本土においても伊波洋一氏を応援する活動が活発化している。東京でも3日間続けて「沖縄集会」が開かれ、支援運動は盛り上がっている。
10月22日東京・文京区民センターでは、伊波洋一さんと名護市議・仲村善幸さんを迎えて、「名護市民の民意を沖縄県民の民意へ・・・県内移設がってぃんならん大集会」が開かれた。300人収容の会場は、立ち見席を含めて500人もの参加者で会場がびっしり埋まり、伊波さんを応援しようと言う声があふれるとても熱気のある集会となった。
23日には、同じ文京区民センターで、「11月沖縄県知事選挙絶対勝利をめざして・・・映像とシンポで日米安保体制と自己決定権を考える」集会が開かれた。このシンポでは、太田武二さんの司会でジャーナリストの森口かつさんと映像批評家の仲里効さんが対談した。第二部では、名護市議の東恩納琢磨さんが名護市議選の勝利の意義と県知事選の展望について語った。
24日には、日本キリスト教会館において、「沖縄・・グアムから米軍基地を問う」集会が開催された。、2010年春、ニューヨークで開催された「非核、平和、正義、持続可能な世界を求める国際会議」に参加した立命館大学の秋林こずえさんが、映像「沖縄からグアム、ハワイへ」を交えて、アジア太平洋地域でも米軍基地に対抗する市民ネットワークが結成されて国際的連帯が高まっている状況を報告した。琉球新報論説委員長の前泊博盛さんは、最近の日本政府の軍拡路線<沖縄への陸上自衛隊2万人構想・自衛隊の「海兵隊」構想・武器輸出三原則の緩和の動き・集団的自衛権の行使へ、等>の危険性を指摘し、軍事より外交の必要性を訴えた。
戦後65年、本土復帰後38年の節目に行われる今回の沖縄県知事選挙は、沖縄の将来を決定づける重要な選挙である。同時に軍事強化をめざす日米両政府に対して、NO!を突きつける選挙でもある。支援の輪を広げていこう!(英)
色鉛筆ー労働の成果が見える社会に!
ベルリンの壁が壊されて今年で20年、そんなタイムリーな時にドイツ民主共和国(旧東ドイツ)の記録映画を観る会を持ちました。毎年恒例の「いきいきフェスタ」(西宮市共催)の取り組みの一貫で、実行委員で手分けして市民への参加を呼びかけました。
当日は、東京から「日本記録映画研究所」プロデューサーの茂木正年氏を迎え、映画撮影のエピソードなどをまじえ、お話をしてもらいました。1982年、茂木監督がエアフルト市で出会った子どもたちは、生き生きとしていたこと。映画冒頭のメーデー会場のシーンはその子ども・母親や女性の笑顔を追っている。監督は是非その様子を記憶に留めておいてほしいと私たち観客に注文された。建国30年の血の滲むような積み重ねがあって、やっとここまで達成できたことを何度も口にされる監督。その監督の思いを受けとめながら、映画は始まりました。
人口1700万人、人口の6割を占める女性。女性の労働力を中心に社会を形成していくには、女性が、特に母親が働きやすい職場にすることが必要だった。3交代勤務を保障するには、保育所は朝6時から始まり、夜は7時までの体制。保育料は食事代のみで、これは児童手当でほぼ賄われる。週2回、保育所で保健婦が検診、病気の予防に役立ち、病院に代わって治療もしてくれる。母親にとっては安心して働けるということでしょう。
さて、労働時間はどうなっているのでしょう。一般の女性労働者は週43時間45分、保母は週38時間45分(5時間は研修、家庭訪問)、保母で子ども2人育てている場合は週35時間、短時間労働でも賃金は100%の保障がある。いかに、子どもと母親を大切にしているか、分かってもらえると思います。
税金の使いみちで何を優先するのか、それで国のあり方が見えてくる。何よりも道路作りを優先し、ことあるごとに道路を掘りおこす、それではお金がいくらあっても足らなくなる。自分が働いた労働が何に使われているか、それが見えている東ドイツの労働者は生き生きしている。監督のするどい視点は、今の私たちが直面している課題でもあります。
壁が壊れて20年、その後、東ドイツから180万人が西ドイツへと移動した事実には、働く場を求めて移動するのは当然の事と、動揺を見せない監督。なぜ、ドイツ民主共和国の子どもや女性を大切にする実践が続かなかったのか? その答えは経済力にあるのか、思想的なものなのか、みんなで議論しましょう。(恵)
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読者からの手紙
特捜警察を徹底して暴露しよう!
またまた耳を疑うような情報リークがありました。
検察の取り調べで、「可視化」以上に裁判所から注目されている「取調べメモ」を最高検察庁が一昨年の時点で、「検察官が必要ないと判断したメモは速やかに廃棄するよう全国の検察庁に指示していた」のです。
当時の反小沢一郎で有名な樋渡検事総長は、検察に都合のいいメモは残すが、疑義を生じかねないメモは廃棄しろと通達を出していたというのですから待ったくもって驚く他はありません。今話題となっている村木さんの逮捕起訴まで許可した最高責任者も樋渡検事総長です。
NHKの報道によると「最高検は、検察官が裁判で必要ないと判断したメモは速やかに廃棄するよう指示していたことがわかりました。解説文で、最高検は『必要性の乏しいメモを安易に保管しておくと、メモを開示するかどうかで無用な問題が生じかねない。裁判所が取り調べの状況について判断するうえで必要な メモは保管し、それ以外のメモは、プライバシー保護などの観点から速やかに廃棄すべきだ』としています」ということだそうです。
裁判で都合が悪くなるようなメモは速やかに廃棄せよとは、「法の番人」がいくら何でもいうことではないでしょう。
まさに今まで信じられてきた「法の番人」の内実が問われるべき事件です。そういえば前田主任検事の逮捕以来、否認を続ける2人の上司を懲戒免職にして、大阪高等検察の検事正等へも辞職をはじめとして戒告等の処分がなされました。まさにトカゲのしっぽ切りです。その処分の根拠として犯人隠避罪が取りただされていますが、私は犯罪名が正確でないと考えております。
やはり郷原教授が指摘しているように、特別公務員職権乱用罪がその犯罪の核心だとするべきでしょう。村木元局長の事件でも証拠を改竄した時点で、村木氏が犯罪と何の関係もないことが明確になったのにもかかわらず、逮捕したことは特別公務員職権乱用罪としかいえないのです。同様のことが小沢議員の3人の秘書達にも言えます。
テレビなどでも何かというと小沢議員の秘書が3人も逮捕されていると切り出す人たちがいますが、容疑内容が確定する前にまず逮捕して調書を作り上げる特捜検察の捜査手法そのものが、まさに特別公務員職権乱用罪の内実そのものなのです。
特捜検察解体に向けて闘っていこうではありませんか。 (笹倉)
熱中症で亡くなったお年寄りのこと
暑いのと寒い季節しかない日本になったと思っていたが、秋はまだあったようだ。どうやら熱中症にもかかわらず生き延びれたようだ。
今年の夏の猛暑で、熱中症で多くのお年寄りが亡くなった。それは熱中症にかからない対策として水を飲み、塩をなめることがすすめられ、お年寄りはトイレに通うのが面倒だから水を飲まないでいて亡くなる場合が多いとされてきたが、それは本当の原因とは言えない。
年金暮らしや生活保護を受けている独居老人の場合、クーラーもなく水道料などの費用を節約して、水を飲まずにいたことが本当の原因である場合が多い。トイレに通うのが面倒ということもあろうが、本当の死因は貧困による場合が多く、問題をすりかえないでほしい。 2010・10・15 YAE
なにわ福祉協議会の方との対談について
お年寄りの孤独死がご近所にあったことから、これに近所力≠対置して孤独死をなくすことを目標にし、みんなのつながりの媒介とすべく大阪・わが街レポート≠つくり発行していることを告げ、社福ではどういう活動しているかを話してもらうべく取材を申し込みました。快諾を得て、一時間にわたって対談させてもらいました。
私どもの周辺の現実をつかむ一助にもなろうかとレポート¢n刊号と2号をさし上げました。社福の方からも自分たちの活動を説明したパンフレットを1部頂きました。社福については、その存在と活動が余り知られていないこと、世上では役所の外郭団体、天下りの受け皿的機関だと思い込んでいる人も多いこと、そういうことすら関心の無い人々もいることをお話しました。
私自身は、役所とは無関係だという説明を聞くより、世上でどのように見られようと、いい仕事をやることで応えてもらいたい旨を述べました。そしてSOSを求める駆け込み訴えを受け止め、引き受けてもらえるか、などを質問いたしました。活動の具体的な例をあげて説明して欲しかったのですが、社福の沿革を説明したパンフレットに基づいて、行政とは関係なく独自に活動していることを強調されました。
お話の様子からして、現実の状況を余りつかんでおいででないようにお見受けし、現実の状況をとらえて描いたレポート≠持ってお伺いしたことを喜んで頂きましたが、現実の中で、本当の現実を知ってもらいたいたいと、要望して対談は終わりました。私が聞きたかったことに結局答えてもらえなかったのは、責任をもって答えられない事柄であったからかもしれません。
最後に私たちも私たちの周辺の状況をよく知っておくためにもみんなの広場%Iな何でも語り合える時と場の必要を感じざるを得ませんでした。以上、10月14日に行なった社福の方との対談の報告と紹介です。 2010・10・15 宮森常子
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編集あれこれ
日米軍事一体化による沖縄の基地機能強化について、本紙前号1面で報じています。菅首相らはことあるごとに沖縄の負担軽減≠ニ言うが、これは基地被害に苦しんでいる人たちを愚弄するものであり、この一事をしてももはや民主党政権の正当性はなくなっています。実際、北川俊美防衛相は、2014年までに米軍普天間飛行場を辺野古に移設≠キるという日米合意について、14年を目標に一生懸命努力する。ただ『達成できなければご破産』と考えずに交渉しなければいけない」(10月6日「神戸新聞」)と言っています。
北川は米軍(と自衛隊)のために一生懸命≠ノなる前に、オスプレイも来るという普天間飛行場周辺の人々を14年まで、さらに辺野古新基地が完成するまで危険に曝すことの犯罪性を自覚すべきでしょう。ところが、北川が心を砕いているのは(沖縄本島など)南西諸島の島嶼防衛強化の必要性、つまり国民より国境線が大事なようです。ここに、国家が何を切り捨て守ろうとするのか、その本質をさらけ出しています。
こうした民主党の姿勢が、米国の更なる負担要求を増徴させています。思いやり予算≠ノついて、もうそうした呼び名は「時代遅れて、当てはまらない」、「日本防衛のために分担する経費」とすべきだし、予算も減額ではなく増額すべきだと主張(9月30日「神戸新聞」・米国務省高官発言)しだしているのです。
1978年、金丸信防衛庁長官のときに、基地労働者の福利費などの負担を「思いやりを持って対処する」と称して始めた思いやり予算≠ヘ、今や米国の要求どおりに負担しなければならない経費へと変身を遂げつつあるです。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)や中国を敵視することによって、民主党は米軍の存在とそれへの経費負担、軍事への傾斜の正当性を押し出しています。
米軍産複合体による世界規模での軍事介入が果てしなく続いていますが、日本資本もこの儲けに加わろうと武器輸出3原則つぶしに躍起になっています。そして今、米空軍と米軍事産業大手ノースロップ・グラマンが日本に売り込もうとしているのが無人偵察機グローバルホークです。アフガニスタンやパキスタンでは米無人爆撃機が猛威をふるい、殺戮と破壊が続いています。この種のロボット兵器は今後10年で10兆円の産業だといわれています。
沖縄の米軍基地拡大、自衛隊の同時的進駐♀g大を許さない。「沖縄と連帯して日米軍の再編強化に反対し粘り強く闘っていこう!」という本紙前号の呼びかけは、軍事を脱ぎ捨てるために今やるべきことを示しています。 (晴)
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