ワーカーズ429号   2010/12/1  案内へ戻る

沖縄知事選・沖縄の願い届かず!
だが、米軍辺野古新基地建設阻止の闘いは続く!


 11月28日、沖縄県知事選挙の結果は現職仲井眞弘多氏33万5708票、伊波洋一氏29万7082票で、仲井眞氏の再選という結果となった。知名度で劣る伊波氏は善戦したが、及ばなかった。なお、同時に行われた宜野湾市長選挙では、伊波氏の後継である前副市長安里猛氏が、前衆院議員の安次富修氏を抑え、勝利を収めた。
 言うまでもなく、今回の沖縄知事選は日本の未来を決める重要な選挙だった。今も続く米軍による沖縄占領≠フ継続を許すのか、米軍の沖縄駐留を求める菅政権をはじめとした利権派勢力による新たな琉球処分≠阻むことが出来るのか、まさに決戦というべき選挙戦であった。
 伊波氏は基地依存経済から離脱し、自立した経済へと歩みだすことを約束していたが、幾層にも積み上げられた現実の重みを跳ね除けることは出来なかった。我々も伊波氏の勝利に期待を寄せたが、結果的に、それは困難を沖縄に押し付けるものとなった。この結果に落胆するだけなら、沖縄依存のそしりを免れない。米軍普天間飛行場の即時撤退を求める闘いは我々の課題であり、沖縄の闘いとして孤立させてはならないのである。
 尖閣諸島での領土的争い、選挙最中に発生した朝鮮半島38度線を挟んだ軍事的争いなどの影響で、沖縄に米軍基地を押し付け続けることに安心を見出す世論が高まっている。こうした世論も追い風に、菅政権は「普天間の県外移設」を掲げた仲井眞知事を懐柔し、日米合意路線をあくまで進めようとするだろう。米軍と一体の自衛隊の沖縄侵出も強化されるだろう。
 この国の兵器産業を本格的なものにしようという勢力が、「武器輸出3原則」の見直しを要求している。領土や国境を声高に叫ぶ勢力による、差別と排外が高揚しようとしている。これに対抗する、沖縄での新たな米軍軍事基地建設を許さない闘いは続く。まさに、ここからが正念場である。(折口晴夫)


普天間基地返還
問われる本土>氛沒米同盟依存からの脱却を考える──


 沖縄知事選で普天間基地の県内移設反対を明言してきた伊波候補が破れ、現職の仲井間知事が再選された。残念ながら、移設先に予定されている名護市の市長と市議会、それに県知事を移設反対で固めるには至らなかった。
 とはいえ、現職知事に肉薄した伊波票や仲井間知事をして知事選直前になって「県外に」と言わざるを得なくさせた県民世論の圧力で、普天間基地の辺野古崎への移設は不可能だという事態は変わらない。これも沖縄の人たちによる基地の負担の軽減・解消に向けた永年の体を張った粘り強い取り組みの結果である。
 しかし、辺野古崎への移設は不可能だとしても、普天間基地など沖縄の米軍基地の負担や危険性が無くなるわけではない。普天間基地への居座りも危惧される。
 もはや沖縄の人たちだけの闘いから本土全体での闘いに、また基地問題に止まらず日米安保体制そのものの見直しに拡げていかない限り、沖縄の基地を撤去する闘いは前進しない。

■根っこは日米同盟

 沖縄の世論が県内移設反対でまとまった直接の発端は、いうまでもなく昨年の総選挙での鳩山民主党代表による「最低でも県外」発言だった。たとえそれが集票目的のリップサービスだったとしてもだ。誕生した政権トップの「県外」発言は、受け入れやむなし派を「県外」に傾かせる大きな要因となった。
 政権トップによる「最低でも県外」発言は、沖縄の人たちだけでなく、本土の関心も呼び起こした。これまで政権トップが「県外」の旗を振ったことはなかったからだ。鳩山発言は、その総選挙で最大の争点の一つとなった普天間基地の撤去や沖縄の負担軽減の必要性に,本土の多くの関心を振り向かせてくれた。
 沖縄の米軍基地に支えられる日米安保体制を見直すまたとない好機が昨年の政権交代だったが、結局、鳩山政権はその好機を生かすことに失敗してしまった。理由は基地問題と日米安保体制を動かす戦略的構えがなかったからだが、少なくとも県内移設反対で県内世論が固まるという成果はもたらした。
 その鳩山前首相の本意は、日米同盟一辺倒の外交をアジア共同体≠掲げることで全方位外交にシフト替えすること、その先には領土交渉をまとめて日ロ平和条約を締結することも視野に入っていたのかもしれない。そうした方向性や問題提起は政権としては妥当であり、正しかったといえるだろう。
 野党時代には日米同盟の見直しを掲げてきた民主党政権だが、鳩山首相の挫折を受けて政権を引き継いだ菅直人内閣では、引き戻しバネが働いた。就任早々に5月の日米共同宣言の遵守を明言し、辺野古崎を移設先とする日米合意実現の立場を打ち出したからだ。
 転換は普天間基地の移設問題に止まらなかった。鳩山前首相が沖縄における米軍基地と日米安保を抑止力≠ニして受け止める立場を鮮明にした時点で、すでに日米同盟の役割を手放しで認める立場に転換してしまったといえる。結局は、普天間基地問題や日米同盟の存在根拠を明言することで、アジア共同体構想やロシアとの平和条約締結など、より広範な日本の独自な全方位外交への転換をあっさりと放棄してしまったわけだ。結局は、口先だけだった日本外交の大転換は、そのこと自体の論理によって、元の日米同盟一辺倒の属国的関係に舞い戻りしてしまったわけだ。
 繰り替えずが、鳩山前内閣の普天間基地問題での頓挫は、何よりもその戦略性のなさにある。
 沖縄基地の抜本的縮小を実現したいのであれば、まず沖縄基地をアジア・太平洋地域における要石とする米軍に依存する日米安保体制の見直しと、平和的手段による全方位外交路線の立場を確立しておく必要があった。その上で日米同盟の縮小方針をはっきりさせ、その具体化として沖縄基地の縮小・撤去を進めるという手順をとるべきだった。
 ところが民主党は、安保政策ではバラバラの寄り合い所帯。党内合意もなしに選挙目的の人気取り発言として「最低でも県外」と言ってしまった。それ以降の迷走は見ての通りである。
 替わった菅内閣で、鳩山内閣の轍を踏まないような戦略構想の仕切り直しに着手すれば、まだ可能性は残されていた。ところが菅首相は、そうした難題を鳩山首相の辞任と一緒にお蔵入りさせてしまった。沖縄海兵隊の不要論というかつて自分も口にした構想も棚上げし、米軍の抑止力という曖昧かつ危険な旗にすがりつくだけの、古い自民党政権のコースをだ追従することに終始している。

■見直すべき軍事同盟

 日米安保条約を柱とする日米同盟というのは、いうまでもなく戦後の冷戦体制のなかで生まれたものだった。89〜91年にソ連を中心とするいわゆる東側の体制が崩壊して冷戦構造は崩れ、その直後の湾岸戦争もあって唯一の超大国となった米国。その米国一極体制が生まれたかに見えた世界は、その後の中国やインド、ロシアなど新興国の経済発展で多極化時代を迎えている。軍事的には米国一極体制は当分続くとしても、今世紀半ばには軍事的にも多極化はさらに進むと見込まれている。
 こうした世界情勢の推移のなかで、かつて冷戦構造に向き合った諸国も安保政策の見直しを進めている。西欧はEUを結成して対米自立の姿勢を強め、NATOも東に拡大するにつれて形骸化が進んでいる。いまでは英仏独とも軍事費を大幅に減らし、またロシアとも協調関係を結ぶ時代になっている。
 中国は数字の上では今年日本に取って代わって世界第二位の経済大国となり、今世紀中頃には米国に追いつき、追い越す勢いにある。当然軍事的にも中国の存在は以前とは様変わりしている。西欧や日本などからの侵略行為に翻弄されていた時代はとうの昔、いまでは突出する軍事費の拡大などで周辺各国と軋轢が絶えない地域軍事大国として登場しつつある。
 しかし反面では、アジア地域は中国の発展にあわせるかのように、日本や西欧資本を招き寄せることで経済の一大ネットワークを形成しつつある。それは確かに個々の企業や投資マネーによる競争的・排他的な繋がりの上で形成されるネットワークでしかない。それにグローバル化というものがあくまでも競争的・排他的システムの拡がりだとしても、そうした外皮を取り去ってみれば、世界は文字通り相互連携・相互依存の時代に入っている。すでにアジアでも相手国や相手企業なしにはやっていけない相互依存の時代に入っているのだ。
 もともと同盟関係とは、実際の戦争や冷戦、あるいは敵国・仮想敵国の存在を前提とする。主権国家としての国益が、国境を挟んで相対峙するという関係を前提とするからだ。しかしいまでは国境の壁は格段に低くなり、企業や資本は国境を越えてネットワークを形成している。国家意志、国益をめぐっての攻防戦も、複線化しているのが実情だ。現に米国も、台頭する中国に対し、当初の封じ込め戦略から経済連携も併せた二正面戦略への転換を余儀なくされている。安保政策は変わり得るのだ。敵国・仮想敵国を前提とする同盟関係は、縮小・後景化して当然なのである。これだけ相互依存を強める時代にあって、敵国や仮想敵国との攻防に引き込む同盟関係に大きな比重を置くことは時代錯誤でしかない。

■問われている本土

 菅内閣による日米同盟関係が基本≠ニいう自民党政権への先祖返りは、このところの周辺国との軋轢の結果としても促されている。
 鳩山内閣による東アジア共同体構想や普天間基地の「最低でも県外」発言は、日米同盟の見直しを予期させることで対米関係を冷え込ませた。その中で発生した尖閣諸島沖での衝突事件で、日本では「領土・領海を守れ」とか「対中抑止に日米同盟強化が不可欠」といった言葉が飛び交った。
 次はロシアのメドベージェフ大統領による国後島訪問と歯舞・色丹島への訪問示唆だ。これは北方4島を我が国固有の領土としてきた日本側から見れば、4島に対するロシアの主権の明示でり、返還交渉の棚上げを意味するものと写った。このケースでも「日米同盟が漂流しているからロシアに足下を見られた」、あるいは「中ロが結託して領土問題で攻勢をかけてきた」として、「」日米同盟強化へ立ち返れ」という言葉が飛び交った。
 これらの事件を持ち出すまでもなく、東アジアでは冷戦構造が続いているのだ、という見方も振りまかれている。核開発や瀬戸際外交で周辺国を手こずらせる北朝鮮の存在もあるし、日中、日韓は戦後問題を引きずったままだ。近年の中国の軍事拡張路線や海洋進出の動向を目の当たりにし、あるいは海底資源の争奪戦を予期させる昨今、対中警戒感、脅威論は収まる気配もない。
 核開発や今回の韓国大延坪島への砲撃事件を持ち出すまでもなく、経済的にも軍事的にも追い詰められている北朝鮮の暴走は危険きわまりないものだ。しかし外交、対外関係は相互の事情抜きには語れない。自国の正義のみ振り回しても、軋轢を拡げるだけだ。国家消滅の危機感にさいなまれる北朝鮮を多方面での瀬戸際作戦や暴走に追いやってきたのは、朝鮮戦争以後の圧倒的な優位にある米・日・韓による政治・経済・軍事的な包囲網だ。
 民衆の苦難の上で三世代にわたる世襲で延命をもくろむ金王朝≠ヘ崩壊させて当然だが、それは外国の圧力や包囲網によってではなく、日中韓の労働者民衆と連帯した北朝鮮民衆自身の事業として実現されるべきなのだ。日米韓政府は、むしろ国家間対立と緊張をあおることで自分たちの政策の正当性に利用してきた。現に日本でも、韓国大延坪島への砲撃事件で、瞬間的には挙国一致政治、国内融和の風潮も拡がった。
 周辺国との軋轢が増せば、当然、国家保全の重要性の声が高まる。現にこのところの周辺国との軋轢は、日米同盟回帰への声を膨らませている。それだけ普天間基地撤去をはじめとする沖縄米軍基地返還のハードルは高くなる。それは裏を返せば本土における反戦平和、善隣友好を推進すべき勢力の弱さの反映でもある。
 知事選では「県外」を掲げた仲井間知事だが、県内移設反対とは明言していない。再選後すぐにはあり得ないとしても、いつか容認に舞い戻らないとは限らない。仲井間知事再選という結果をもたらした今回の知事選で、ボールはまた本土に投げ返された。問われるのは本土の私たちである。(廣)案内へ戻る


沖縄通信・・・「県知事選の投票率伸びず」

 28日投開票の沖縄県知事選で、残念ながら伊波洋一さんは負けてしまった。
 現職の仲井真知事との事実上の一騎打ちで激しい選挙戦が繰り広げられたが、投票率はとても低くい結果となった。
 投票率は60.88%と、4年前の前回選挙に比べ3.66ポイント低下し、過去最低となった2002年の57.22%に次いで過去2番目の低さとなった。
 当選した仲井真弘多氏は335,708票、伊波洋一氏は297,082票で、38,626票の差であった。
 4年前の県知事選は、投票率は64.54%で当選した仲井真弘多氏が347,303票、対立候補の糸数慶子氏は309,985票で、その票差は37,318票であった。
 このように、前回の知事選と今回の知事選の票差はほとんど同じである。仲井真氏も前回より約11,000票減らし、伊波氏も糸数氏より約12,000票減らしている。
 このように4年前も今回も保守と革新の投票数はほとんど変わっていない。投票率が下がった分だけ、票を減らしただけである。
 この低投票率の傾向は7月の沖縄参院選挙でも、投票率52.4%と全国最低を記録している。沖縄でも若年層の投票離れは深刻である。
 今回の知事選は「普天間閉鎖」と「辺野古新基地建設」問題が最大の争点になると予想された。辺野古移設反対の伊波氏と辺野古移設容認の仲井真氏との対立は鮮明であった。
 伊波陣営は「普天間閉鎖・返還、県内移設許さない・・・こんどの県知事選は決着をつける選挙です」と主張し、スローガン「新しい沖縄へ」「今、沖縄が動く」とその若さと行動力を売り込む選挙戦を展開した。
 これに対して仲井真陣営は、立候補直前に「県外移設」を求める立場(なぜか、県内移設反対とは絶対にいわない)に転じて、辺野古移設問題の争点化を回避し、「県民の心を一つに」と言うスローガンを打ち出した。
 選挙のシンボル色についても従来保守派は「青色」であり、革新は「黄色」であった。ところが、今回仲井真陣営は「黄色」に変更して、両陣営とも旗も服もみんな黄色で、遠くから見るとどちらの陣営なのか、わからない有様であった。
 こうした巧みな仲井真陣営の争点隠しもあり、伊波陣営が期待したほど支持層が広がらず低投票率で終わった。
 「移設先は県内にない。日本全国で普天間の解決策を見いだして頂きたい」と再選された仲井真知事は語ったが、この立場は就任直後の鳩山前首相の「県外移設」と同じであり、現在の菅政権とは相容れない立場である。今後の仲井真氏の言動をしっかりチェックしていく必要がある。
 なお、県知事選と同時に闘われた宜野湾市長選においては、伊波氏の後任者の安里猛氏が保守の安次冨修氏に1,856票の票差をつけて宜野湾市長に当選した。この宜野湾市長選の投票率は67.13%で前回の市長選を6.74ポイントも上回った。
 革新陣営からすれば、知事の奪回は出来なかったが、何とか宜野湾市長だけは死守し、知事選前の現状を維持した。まだまだ基地反対の闘いは続くが、伊波さんとともに粘り強く闘っていこう!(英)


色鉛筆 「差別」も「戦争」も嫌だ・・・

ワーカーズ427号の「紹介」欄の、沖縄南風原(はえばる)町立の南風原文化センターには私も行った事がある。再現して展示されている陸軍病院壕内の狭い二段ベッドの枕元に、白いピンポン球が置かれていた。いや、ピンポン球だと思ったのは、当時のおにぎり。沖縄に上陸した米軍の攻撃がどんどん強まる中、遠く離れた山の麓の炊事場からひめゆり学徒の少女たちが、必死で担ぎ上げたご飯を握ったものだ。戦況がさらに悪化すると、それはどんどん小さくなり・・・・。
 ふと思う。ピンポン球のおにぎりを与えられていた一般兵士の上官やそのまた上官たちは、こんな小さなおにぎりを食べていたのだろうか。さらには、「天皇の赤子」として徴兵された彼らのこの状況に対し昭和天皇たちは、一体何を口にしていたのだろうか。
空腹と傷の痛み、病気の苦しみにもだえていた兵士たちは、最終的には青酸カリや手榴弾を配られ自決を強要された。
在日2世の友人が、1990年代に沖縄へ「集団自決」の取材に行った時の話を聞いた。民間人は手榴弾など手に入らないから、手近にあるもので自決するしかなかった。一家で「猫いらず(殺鼠剤の一種)」を飲んだものの苦しむばかりでなかなか死ねない。父親は苦しむ娘を早く死なせて楽にしてやろうと、娘の足を持って振り回し岩に頭をたたきつけようとするが、父親もふらふらでねらいが定まらない。地獄のような凄惨な光景があちこちにあったと話してくれた。
沖縄の人たちは、ずっと自分たちは「被害者」だと思ってきたが、在日の人の話を聞いてそこで初めて、在日に対しては「加害者」であったことに気づく(1996年頃)という話も強く印象に残る。
辛淑玉さんが言う。「沖縄戦では、まっ先に在日が殺された。日本軍に、殺せと命令された沖縄の人たちの手によって。次にその沖縄の人たちが、日本軍によって殺された。信用できない人たちだからと。」
辛さんが幼いころ、路上で白い包帯を巻いてハモニカを吹く乞食の様な傷痍軍人を見て「軍人恩給貰っているのに、まだお金貰おうとしてる」と、さげすみ軽蔑した。彼女が大人になり、それは軍人恩給を貰うことのできなかった在日だったことに気づく。「知らない」ということは、差別や排除と容易に結びつく。まして今、小さなあるいは大きな不安や不満を抱えて生きていると、目の前にわかりやすい構図で「これは悪者だ」と示されると寄ってたかって攻撃してしまう。不安や不満のはけ口の対象として。
「戦争中、自分は残虐な殺戮をさせられた。ひどいことをする加害者にされた。そう主張する、本当の意味での『被害者』になれ」と辛さんは言う。過去の歴史の過ちと正面から向き合い、学ぶこと。
 私たちは二度と残虐な行為を犯す「被害者」にはなりたくはない。(澄)案内へ戻る


またも繰り返されたユーロ圏の危機とユーロの未来

アイルランド危機とドイツ提案のお粗末

 ギリシャ危機がEUの中央銀行により救済されてからまだ半年位しかたっていないのに今度はアイルランドの危機が発覚した。ご多分に漏れずアイルランドもアメリカの金融工学によってもたらされた住宅バブルに熱狂し、加熱する銀行融資と続騰する資産市場に舞い上がってしまい、アメリカの住宅バブルがはじけると共に現在の事態になってしまったのである。
 経過を見れば、アメリカの住宅バブルの影響を受けてアイルランドでも住宅バブルが膨れ上がり、アイルランド経済はそこから生じる収益に大きく依存するまでになっていた。この事態に対して、アイルランド政府の金融規制当局はなるがままに事態を楽観視していた。そしてバブルがはじけ始めた最初の兆候が表れた時点で、アイルランド政府は、銀行のすべての債務を一律に保証するという大盤振る舞いを演ずる過ちを犯した。
 その結果納税者は、今アングロ・アイリッシュ銀行などの国内銀行が行った不動産関連融資の膨大な損失を負担しなければならなくなった。今年のアイルランドの財政赤字は、国内総生産比32%にまで拡大する見通しである。
 端的に言えば、アイルランドは自業自得なのである。その意味では、ギリシャ救済は同様の問題がある。しかもギリシャが期限通りに債務を完全に返済する事など決してできないという明らかな問題には甘く今でも不問のままだ。
 そして今回もユーロ圏全体のために共同でまとめられた暫定的な支援スキームには、同様の不備があった。とりわけ民間の債権者に対して詰めが甘い事だ。この点、メルケル独首相の提案は核心を突いていないお粗末なものだった。まさに実行しなければならない時に指針とならないスキームなのだ。
 10月末の欧州連合首脳会議で、メルケル首相は今後いかなるユーロ圏の救済スキームにも、秩序立ったソブリン債デフォルトの枠組みが含まれるべきだとの合意を取りつけた。しかしこれはやる気のないアリバイ発言であった。もちろんこの原則自体は全く正しい。なぜならデフォルトの可能性がなければ、投資家は良い債権と悪い債権を区別する理由がなくなってしまうからだ。
 しかしソブリン債が焦げ付いた時、その債券の保有者に損失を負担させるのかという肝心要の核心は、いつどのようにそれを適用するかについて、何も指針がないまま公表された。驚いた事に、ドイツは首脳会議に向けて詳細な提案をまとめることさえできていなかったのである。

危機脱出をめぐるアイルランドとEUやドイツとの対立

 アイルランドの問題は、すぐさまユーロ圏の問題になった。そして密接なつながりを持つイギリスの頭痛の種にもなっている。
 同時に解決策をめぐっては、アイルランドがどれだけギリシャと異なっているかを示している。ギリシャは、金融支援を渋るメルケル首相に強く資金援助を要求した。今回のアイルランド危機では、救済は必要ないと主張するアイルランドとアイルランドは救済策を受け入るべきだと主張するユーロ圏の大国が論争する展開とはなった。一体なぜ両者は違ったのだろうか。
 一方で、アイルランドが来年半ばまで持ちこたえるに足る十分な資金(約200億ユーロ)があると言うのは正しいが、アイルランドは、それより前に銀行の取り付けに直面する現実性が高い。他方で、アイルランドが自分たちを規制しようとするEUやドイツ政府の意図に疑念を持つのも正しい。
 11月21日、アイルランドのカウエン首相はダブリンで記者会見し、欧州連合への金融支援要請を発表した。実際、EUやドイツの提案の動機のかなり部分は、アイルランドが取っている外国企業を引きつける要因である法人税率(12・5%)の引き上げに関わっている。
 アイルランドにとっては、今回の危機を理由に法人税率を引き上げる事はできない。来年、アイルランドはGDPの3・8%に相当する予算削減を計画しているし、またアイルランド政府は、1990年代の繁栄を築く基礎となった外国からの直接投資が、2010年には7年ぶりの高水準に、つまり再び洪水のように押し寄せていると予想しており、今また新たな外国企業の誘致に危機脱出の望みをつないでいるからでもある。
 しかし建前ははともかくとして、アイルランドの銀行安定化のために欧州救済基金を使うべきだという事は明らかだ。そうなればユーロ危機を収めたいと願うユーロ圏諸国も、アイルランドの銀行が資金調達を過度に依存してきた欧州中央銀行も満足させられるだろう。ユーロ離脱もあり得るとまで発言しだしたポルトガルに配慮する必要も出てくるであろう。ポルトガルの銀行も欧州中央銀行の支援に依存しており、ポルトガル危機も常に噂されているからだ。

ドイツが握るユーロの未来

 今ヨーロッパでは、ユーロは今回のソブリン債危機を乗り切れないと言われる。最近のフィナンシャル・タイムズで最も読まれた記事のひとつに、「ドイツへの怒り沸騰」という見出しのものがあった。これによると、ユーロ危機における最近の展開は、ドイツの柔軟性に欠ける政策に端を発したものだったという非難の声が欧州の一部から上がっている。ユーロの内部矛盾は深刻だ。
 しかしドイツの側にも、ユーロの発展の仕方について苛立ちを覚える理由は数多くある。何しろ、ドイツの労働者民衆は、過去10年間賃金の抑制と公共サービスの削減を強いられてきたからだ。またドイツの多くの有権者は、EUに回された自分たちの税金がギリシャ国民の早期退職やアイルランドの非常に安い法人税の原資になっている恐れがあると腹を立てている。
 さらにドイツ国民に対しては、ユーロは旧ドイツマルクと同じくらい安定した通貨になるとか、欧州の裕福な国々には貧しい国々を救う義務がないことを記した「非救済条項」が条約に盛り込まれるといったことが約束されていた。しかしながらどちらの約束も、今では反故寸前の状態にある。その結果、ドイツの憲法裁判所がドイツ政府による欧州諸国「救済」への参加を違法と見なす現実性が高い。日本と違ってドイツの憲法裁判所には権威があるのだ。
 アイルランドを襲っている今回の危機のきっかけは、メルケル首相の10月の発言に求められる。将来のユーロ危機では民間の債券投資家にもっと損失を負担させるべきであり、EUの条約も改正が必要だという内容だったが、これもまた、憲法裁判所からの圧力を受けてのアリバイ作りの発言だった。
 ドイツの行動は救済対象の国々に、政治的法的圧力をもたらしてきた。今年5月にギリシャでは、首都アテネで死者まで出した暴動が発生した。もし今回の危機でアイルランドのシン・フェイン党のような国家主義・反資本主義政党が台頭すれば、その影響で支援を受ける国々がEUに反発を強めて、単一通貨ユーロから離脱した方がよいと考える事も充分にありうるだろう。
 実際、ギリシャやポルトガルは、通貨を切り下げることができれば競争力がもっと高まる可能性がある。だがユーロから離脱することは南欧の周縁国にとっては、ここまで落ちぶれたと感じるかもしれない。また混乱なく離脱するための仕組みもまだ存在しないし、離脱の準備をあからさまに進めれば、各国で銀行の取り付け騒ぎが生じかねない。
 もし実際にユーロが解体される事になれば、口火を切る最有力候補はやはりドイツである。しかしドイツはすぐに、あるいは軽々しく行動はしないだろう。なぜなら過去50年間の外交政策の基調が欧州統合であったからである。
 だから今ここでドイツがユーロから離脱する可能性を論じる必要はない。ドルに対抗するために作ったユーロを、ドルの暴落とアメリカの没落が確実視されている現在、自分の方から先に解体するなど愚の骨頂であろう。
 ドイツがユーロの命運を握っているのは事実としても、結局のところユーロは今後も存続してゆくだろう。ユーロ圏周縁国の財政問題にもかかわらず、ユーロ圏全体の公的債務は、先進国の基準から見れば、まだ著しく高いわけではないからである。
 本当の問題は、財政ルールを逸脱した国や、ドイツと競争力の弱い南欧諸国の間に存在する構造的な不均衡、そして何よりも緊縮財政によって悪化した貧しく脆弱な南欧諸国の悲惨な成長見通しに対処するための信頼できる計画が、国民国家の壁を越えた欧州連合として、現実に立てられない事である。
 これこそ世界資本主義体制の究極の矛盾そのものであろう。   (猪瀬)案内へ戻る


紹介 DVD RAILWAYS(レイルウェイズ) 定価3990円

 このレイルウェイズという映画は、6月に映画館で観ました。10月にDVDが発売されたので、多くのみなさんに観ていただきたいと思いここに紹介します。
 主人公は、大手家電メーカーの経営企画室室長、筒井肇(中井貴一)です。筒井は、50歳を目前に会社から取締役への昇進を約束されていました。彼が課せられた仕事は、工場整理という名の社員へのリストラをすることでした。筒井は、同期の川平吉樹(遠藤憲一)という工場長へは本社への異動をすると言うが、川平は工場の仕事へのこだわりから退職の道を選択しました。筒井の妻である由紀子(高島礼子)は、長年の夢だったハーブショップを開きました。大学生の娘、倖(本仮屋ユイカ)は就職活動をしていました。
 そんな中、故郷(島根県)で一人暮らしをしていた筒井の母絹代(奈良岡朋子)が倒れ悪性腫瘍が見つかり、親友の川平が交通事故で死亡するということが起きます。そんな中、筒井は親の面倒をみることと、子供のころからの夢だった一畑電鉄の運転士になるために故郷の島根に戻ります。めでたく一畑電鉄の運転士になった筒井は、本当に楽しそうに仕事をしています。乗客に親切に接する筒井は、乗客からの信頼も得るようになっていきました。さて、筒井といっしょに一畑電鉄に採用された宮田大吾(三浦貴大)は、高校時代は投手でしたが故障のためプロ野球入りを断念したという過去をもっていました。宮田は、最初は閉鎖的でしたがだんだんみんなと打ち解けていきました。
 宮田の仕事の失敗を、筒井がかぶり辞表を出すが多くの乗客から「辞めないで」と言われたりして、一畑電鉄社長の大沢悟郎(橋爪功)「この件は、個人の問題ではなく会社全体の問題だ」旨の記者会見をしました。よく今の会社は、個人に責任をなすりつけ会社幹部は責任を取らないということがありますが、現在の風潮を痛烈に批判する内容でした。この場面は、実に感動的でした。
 そして、筒井の母絹代が亡くなります。しかし、今までバラバラだった家族の絆は強くなっていました。詳しくは、DVDを観てください。明石家さんまの師匠である、笑福亭松之助が演じる絹代の同級生役もなかなか渋いです。50歳を前にして思い切って人生の転換をして、やりたいことをやる筒井肇の姿に心を打たれました。(河野)
      

TPPをめぐって、今の保護主義で良いのか!

 TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)をめぐって「日本の農業を壊滅させるものだ」と抗議の声が上がっている。
TPPは、海外への市場拡大を求める自動車や電気などの独占資本の要求に基礎を置き、加入国間の輸出入における関税を撤廃し、貿易を「自由化」するものだが、そうだとしても、このまま日本の農業保護政策を続け、保護主義を主張することが良いことだとは言えない。
 「関税を撤廃すれば日本の農業が壊滅的な打撃を受ける」という背景にはアメリカやオーストラリアその他の国々よりも日本の農業の生産性が劣っており、価格競争に負けてしまうという欠陥があると言うことであり、もちろん低俗な価格競争だけに没頭すべきではないが、その欠陥の克服こそが重要であり、生活苦に直面する農民への救済策(個別保証制度など)はそのための支援保証として行い、日本の小規模農業を維持温存する為にではなく、大規模化・協同化によって、長時間労働・低収入という農業労働者たちの過酷な負担をも軽減し、農業の生産性を向上するやり方が今もっとも必要なことだと言える。 
農業は食糧確保のためばかりでなく、自然環境の保全のためにも必要であり、国家による農業に対する保護は必要なことだ。しかし、そのための政策を後ろ向きにするのではなく、前向きにし、来るべき、各国家を越えた世界交流時代に備えるべきである。(I)


浅薄な余りに浅薄な世耕議員と谷垣総裁と「失言長官」仙谷官房長官のお粗末

 「世相を斬る あいば達也」というブログがあります。私の愛読するブログです。その11月19日号には、折から問題になった仙谷官房長官の発言と柳田法務大臣の発言について論評しています。題は、「仙谷が正しい事もある 国家権力やメディアは『暴力装置』そのものだ」というものです。
 引用してみましょう。「国会議員の知的レベルと云うものは相当に低い。日本の論壇やマスメディアの劣化と、どっちが先で後か考える必要もないが、両方とも益々劣化している。最終的には、国民の劣化が反映したものか、前記が劣化したから国民も劣化したのか? 後先はどうでも良いが、兎も角すべてが劣化している。筆者自身も相当に劣化していると、己に問うことは暫しだ。
 国会なんてものは、見るだけ不快になるし、茶番劇。国会議員の歳費や政党助成金のアリバイ作りのような装置である、とつくづく思うので、殆ど無視している。しかし、ここ最近の衆議院・参議院の与野党の議論の中で、気になるものが幾つかあった。
 第一は仙谷官房長官の『自衛隊・暴力装置』発言だ。鬼の首を取ったようなメタボ市場原理主義者・世耕弘成の猛烈抗議に、『実力組織と言い換える。自衛隊の皆さんには謝罪する』とあっさり撤回謝罪してしまった。
 自衛隊が『暴力装置』と云う考えは、政治・社会学など社会科学の学術分野では『常識』、警察や自衛隊、海保などは歴然たる『暴力装置』と云う位置づけが定説である。なにも仙谷の思想が未だに社会主義から抜け出していないと等と云う妄言を声高々に発する政治家やメディアも多いようだが、明らかに合法化された『暴力装置』そのものである。
 仙谷は社会主義に一時仮住まいしただけの男である。おそらく、その「暴力装置」と云う語彙を国会の質疑の場で発言したのは不適切かもしれないが、仙谷が間違ったことを発言したわけではない事実は明確にしておきたい。論壇発言と云う意味なら、自民党石破政調会長は自身の著書『軍事を知らずして平和を語るな』の中で『…では、軍隊と自衛隊の違いを紐解きましょう。まず、国家とはなんだろうというところから考える必要があります。国家という存在は、国の独立や社会の秩序を守るために、暴力装置を合法的に独占・所有しています。それが国家のひとつの定義だろうと。暴力装置というのは、すなわち軍隊と警察です。日本では自衛隊と警察、それに海上保安庁も含まれます。…』てなわけで、特にギャアギャア云う話ではない。谷垣までが喚いているが、最大野党の総裁だろう、騒ぐ次元をわきまえよ」と正論を書いています。
 そうです。世耕議員と谷垣総裁が石破自民党政調会長の著書の記載も一括に問題にするのなら、それはそれで「見識」とはいうものでありましょう。
 しかし彼らは、仙谷発言を批判した事で、この暴力装置との文言が他ならぬ政治家希望者の必読書の『職業としての政治』にある事を知らない自らの不勉強ぶりを暴露してしまったのです。まさに天に唾するとはこの事でしょう。
 ドイツの社会学者マックス・ウェーバーは、同時代のロシア人革命家、トロツキーを引用して「『すべての国家は暴力の上に基礎づけられている』(トロツキーの)この言葉は実際正しい」(岩波文庫「職業としての政治」)と言いました。
 ウェーバーは、国家は暴力抜きには語れないと説きました。「国家の法秩序は、軍隊や警察や監獄など暴力的な強制装置によって維持されているから」です。石破氏は、これを根拠に著書を書いたにすぎないのです。
 浅薄な余りに浅薄な世耕議員と谷垣総裁ではありませんか。それに対して、仙谷官房長官の「自衛隊は暴力装置」発言を「適切を欠いた」と謝罪し撤回した事は、お粗末の極みではなかったでしょうか。(笹倉)

  
日本全国の女性たちに告ぐ!

 最近の大きな事件のうちの一つ、尖閣列島海域を守る沖縄の海上保安船に、中国の頑丈な漁船がぶつかって来た事件。私ども女性の感覚からいえば、もし海上保安官の船がぶっつけられて船体を損傷し沈没するような危険に私どもの夫、息子、恋人を、さらしたくないというのが正直なところです。
 保安官がどのようにして映像を流したかを徹底的に追及するという政府の態度は、大切なことを無視しているのではないでしょうか。反日、反中のさわぎには私は組しませんが、海保に担当以上の責任を負わせる政府の態度を批判するすべを国民は、私ども女性は知りません。どのようにすればいいのでしょうか。政府不信の念が強くなるばかりです。
 このままでは知る権利も侵されそうな不安にかられます。どうすればいいのでしょうか。私ども女性の立場から日本政府の首脳部に、しっかりしてや、なんかまちごうとる≠ニいいたいです。
                             2010・11・21 宮森常子案内へ戻る


コラムの窓・あってはならない死刑判決

 裁判員裁判において、初の死刑求刑となった裁判は無期という結論となり、死刑判決は回避されました。それから半月後の11月16日、横浜地裁においてついに死刑判決が下されました。凶悪な殺人犯だとはいえ、市民がその命を奪う判断を下すなどあってはならないことです。死刑執行が続くなかでの裁判員裁判であってみれば、こういう事態を迎えるのは時間の問題でした。どんなに言いつくろっても、裁判という形式をまとおうともやはりそれは人殺しにほかならない、死刑という判断を市民が行うことの異常性は見逃せません。
 裁判員裁判そのものの是非は措くとしても、@死刑制度を存置したまま、Aその判断を市民に迫る、現状での司法への市民参加には反対せざるを得ません。検察官や裁判官、死刑を執行する刑務官らは権力行使の一環としてそれを行うのに対して、市民は裸のまま≠サれを強制されるのです。極刑を望んだ被害者遺族ですら免れる死刑という判断を迫られた裁判員たちは、まるで自ら殺人を行うがごとき罪悪感から逃れることは出来ないでしょう。
 国家が合法的に人を殺す死刑の存在が示しているのは、国家は暴力装置であるという事実です。検察官や裁判官、刑務官らは国家的暴力装置のひとこまとして、その行使の一端を担っているのです。この点で、「自衛隊は暴力装置」と言った仙石官房長官発言は、事実を述べた(述べてしまった)だけであり、何ら非難されるべきものではありません。自衛隊は憲法第9条によって、戦場へ行くことも交戦することも封じられているため、殺すことも殺されることもありませんでした。これを解放したがっている勢力が、仙石発言を非難するのは笑止と言うほかありません。
 死刑の判断を迫られた最初の裁判で無期の判断が示されたとき、新聞各紙はこれを社説で報じていますが、死刑存置下での裁判員裁判の異常性を指摘したものはありません。なかでも産経新聞の主張は「極刑回避は妥当だったか」という見出しをつけ、「被害者遺族らの感情がどこまで反映されたかも問われよう」「判決を軽々には批判できないにせよ、一方で『やはり死刑判決を避けたのでは』という意見もありえるのではないか」と、無期の判断を批判している。
 また、日本経済新聞社説は「死刑に望む裁判員のために」という見出しをつけ、「死刑が憲法違反の刑罰でないのは最高裁の確立された判例であり、そもそも裁判員の権限は個別の事件の事実認定と量刑判断なので、死刑制度に反対する人であっても、裁判員としては死刑判決にくみせざるを得ない場合も出てくる」などと、無責任なことを言っています。死刑判決を迫られる裁判員とって、死刑は憲法違反(36条「拷問及び残虐な刑罰の禁止」)ではないと言われても、何の慰めにもならないでしょう。
 昨年、世界で死刑執行が行われた国は18ヶ国しかありません。この国はそのたった18しかない国のなかに入っているのであり、この事実にジャーナリズムは恥じ入るべきなのに、マスコミはいかに公正に℃刑判決が下されるべきかを論じているのです。日本が人権後進国だと指摘されるのも当然です。あだ討ちがあったお国柄などという能天気な人権感覚、死刑廃止を迫る国際社会の批判に耳を貸さない島国根性、この国のこうした後進性はいつになったら払拭されるのだろうか。   (晴)案内へ戻る
  

年末一時金カンパのお願い 2010年12月1日 ワーカーズ・ネット事務局

 読者の皆様には日頃のご購読に感謝申し上げます。

 私たち『ワーカーズ』は、労働者・市民にとっての対抗戦略づくりや労働者目線での紙面づくりに努力してきました。これからも労働者・市民が現実に直面している課題に即した編集・発行に努めることで、読者の皆様との共同作業をつうじて闘いの前進に少しでも貢献していきたいと考えているところです。
 つきましては、これまで購読していただいている皆様に、年末一時金カンパをお願いする次第です。読者の皆様におかれましても厳しい状況だとは思いますが、私たちの活動にご支援をいただければ、私たちの活動にとっても大きな励みや支援になります。
 読者の皆様に置かれましても、これまでと変わらないごご支援をお願いしする次第です。 以上。


編集あれこれ

 前号の1面は、尖閣諸島での船舶事故におけるビデオ流出問題についてでした。このことについて菅内閣は、本当に無力であると思います。ビデオについていえば流出している現実を踏まえ、速やかに公開すべきであると思います。その上で、中国側と話し合いこの地域の共同管理・共同開発について主張すべきだったと思います。2〜4面も尖閣諸島・北方領土問題についてです。ここでは、「我が国固有の領土」なる主張は有害であること、世界的な連合・連携関係への脱皮が必要と述べています。
 5面は、原発を海外に輸出しようとしている民主党政権への批判です。原発は、確かに二酸化炭素は出さないが放射能の問題で一度大事故が起きると、多数の死者を出し取り返しがつきません。太陽光発電など原発に代わる新たなクリーンエネルギーの開発こそ急務です。
 コラムの窓や色鉛筆などその他の記事も、読み応えのあるものでした。次号が出るころには、沖縄県知事選挙の結果が出ています。伊波さんが勝利していることを期待します。(河野)案内へ戻る