ワーカーズ430号 2010/12/15
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臨戦軍事国家ーー北朝鮮の冒険主義 帝国主義時代が生み出した金体制
北朝鮮の軍事的行動が、いっそう目立ち始めている。今年になってからも韓国軍艦船の撃沈、そして今回の延坪島砲撃事件とつづいている。北朝鮮の引き起こした事件としては、ラングーン事件や1987年の大韓航空機爆破事件などがすぐに思いだされるが,今回は北朝鮮軍の公然たる砲撃という点がことなっている。核開発という動きとも絡んで、東アジアの緊張の源泉となっている。
今回の砲撃事件でメディアや日本政府は、一斉に北朝鮮を非難するとともに、国際的圧力、特に中国の北朝鮮に対する働きかけによる暴発の制止を期待している。北朝鮮の暴挙は糾弾されるべきである。しかし、事態は楽観できない。北朝鮮の金体制は、臨戦態勢をとる兵営国家である。この国家体制は、経済的繁栄や国際的平和や協調ではなく、戦争が発生するか、戦争状態という情勢でのみ、民衆に体して体制の正当性が証明されるのである。したがって、この国家は「国際社会の圧力」には容易に屈しないであろう。それは国家の正当性を喪失することになり、内部崩壊さえ誘発する可能性があるとられる。かくして、今後もこの体制が存続する限り、危険な軍事行動がくり返されると想定されるのだ。
しかし、われわれが理解しなければならないこともあるだろう。
北朝鮮の国家成立過程が、日本の帝国主義侵略戦争のまっただ中で開始されたこと、さらに朝鮮戦争以後も、米軍・韓国軍と対峙してきたのである。北朝鮮の国家形成は、まさに帝国主義時代に生き残りをかけた小国家の悲惨なあゆみであった。現代の北朝鮮は、臨戦態勢を維持する恐ろしく退嬰的な軍事国家である。それを生み出したのが、帝国主義や植民地主義であったことを忘れるべきではない。つまり危険な軍事国家を生み出た過程には、日本や米国さらには旧ソ連や中国等の大国主義、帝国主義が重大な影響をあたえたのである。
この国家は、「先軍政治」を掲げ、「帝国主義との闘い」を国家存続の大儀としている。いわば、帝国主義に対する「罰」として存続していたのである。
しかし、そのもとで言わずもがな、民衆は自由を奪われ悲惨な暮らしを強いられているのである。新たな帝国主義的軍事行動を誘発する北朝鮮の「冒険的軍事行動」は、どの様な積極的な意味を現在ではもたない。今ではこの体制は北の民衆にとっても、他のアジア諸国の人民にとっても何の存立の意味も無いであろう。われわれ日本の民衆は、「尖閣」以来の野蛮な愛国主義に傾くことなく、米・韓の軍事行動に反対するとともに忍耐強く北朝鮮の民衆と連帯しこの体制の変革を支援しよう。(文)
「子ども手当」労働者が闘いとるべき課題─政権の政策に一喜一憂しても前進しない─
菅内閣は「子ども手当」の再設計で四苦八苦している。マニフェスト実現の場面でほころびが目立つ菅内閣。が、それに一喜一憂しても何も前進しない。
「子ども手当」は民主党の政権取りの目玉に掲げられたことで、政府の政策として浮かび上がっているが、元を正せば、労働者の生活や闘い密接に関わる課題でもある。「子ども手当」を選挙戦術や政権保持の手段の位置にとどめておくことはできない。労働者が闘いとるべき課題の柱という本来の位置に引き戻し、私たち自身が闘い取るべき課題としたい。
■竜頭蛇尾■
2010年度の「子ども手当」は自公政権時代の「児童手当」からの移行だったが、財源の裏付けが確保できず今年度限りの施策のものだ。なので、年度内に何らかの制度設計をやり直す必要があるが、肝心の菅内閣内部では、政府税制調査会と民主党政策調査会の間などで意見がまとまらず、結局、財源の確定は先送りされた。
すでに決まっている菅内閣の「子ども手当」案は、現在15歳未満の子供1人に13000円支給されている「子ども手当」を、3歳未満までの子供1人につき7000円増額することが柱になっている。そのために必要な財源2500億円は、配偶者控除での所得制限と成年扶養控除の見直しで捻出する案を検討していたが、結局、配偶者控除の所得制限を見送ることになった。不足分は給与所得控除での高額所得者の税優遇の縮小などで工面する方向だという。
周知のように、もともとの民主党マニフェストはそれまでの児童手当を抜本的に拡充し、15歳未満(中学卒業まで)は全額国費による1人26000円の支給を掲げていた。必要な財源5・5兆円は国の総予算207兆円の組み替えで生み出す16・8兆円のなかから充当する、というものだった。
ところが無駄を省く手段だとして華々しく行われたこれまでの事業仕分け≠ナは、総額でほぼ1兆円の財源しか生み出せなかった。無駄の排除9・1兆円のたった一割でしかない。
3歳児までを対象とする7000円の増額についても浮かれてはいられない。3歳未満までの児童を持つ家庭では「児童手当」時代に比べて手当が減ってしまうという逆転現象が起こってしまう。「子ども手当」導入にともなって各種扶養控除が順次縮小・廃止されるからだ。それを避けるというだけの上積みで単なる弥縫策。まさに竜頭蛇尾そのものとなった。
要は民主党マニフェストでいう「子ども手当」はすでに破綻しているのであり、その帰趨に一喜一憂しても何も出てこない。「子ども手当」はむしろ労働者が闘い取るべき課題だという本来の位置に添え直し、腰を据えて闘いとる決意と体勢づくりを急ぐべきなのだ。
■賃金とは別立ての養育手当と住宅手当■
連合は12月2日、中央委員会を開いて来春闘の方針を決めた。例年のスケジュールなのだが、その柱の一つとして正社員を上回る非正規労働者賃金(時給換算)の引き上げを求ている。
非正規労働者の無権利状態や低処遇が社会問題化し、正社員の組合だった連合にも批判の矛先を向けられていたこと、あまりに増えた劣悪な処遇の非正規労働者の存在が、正規労働者の処遇の引き下げバネにもなっている現実を考慮したものだった。
非正規労働者の処遇改善を柱として闘うという方針自体は当然のものであり、むしろ遅すぎるほどだ。それでも弱々しいものでしかない。現に働き方が正社員に近い非正規労働者で時給40円の引き上げしか求めていない。年収で2〜3倍という格差があるにもかかわらずにだ。
それに連合が非正規労働者の処遇改善を掲げても、それが直ちに非正規労働者の抜本的な処遇改善につながることはない。なぜかと言えば、連合の方針には各単産・単組の闘い取る≠ニいう決意と実際の闘いという内実が欠けていること、それ以前の問題として処遇改善の戦略構想がないからだ。
企業内組合中心の連合には、そもそもほんとに非正規労働者の利益のための運動を期待できるのか、という根源的な疑念がある。それは脇に置いたとしても、各単産・単組レベルでは、非正規労働者を正社員の処遇を守るための調整弁だと受け止める意識からいまだ脱却できていない。だから非正規労働者の処遇改善の要求は、建前的であり力がない。また戦略構想がないというのは、正規・非正規の壁を取り払ってすべての労働者が団結できる戦略的な回路・構想を持っていないからだ。
子供の養育費はというのは、考えるまでもなく労働者世帯にとって住居費と併せて二大出費になっている(他に教育費、医療・介護費、年金などのテーマがあるが、これらは社会保障と関わっているのでここでは考慮外)。塾や大学を含め高額な教育費を考えれば、マイホームの取得や家賃の負担とあわせ、労働者世帯の稼ぎ手に大きな負担になっている。労働者世帯では、その二つの出費のために一生働き続けても何も残らないほどだ。
その一つ、子供の養育費を企業負担とさせ、そこからすべての労働者世帯に「扶養手当」「子ども手当」を支給するようにすべきだ、というのが、この記事での考え方だ。
養育費については、すでに公務員や大企業・中堅企業などで「扶養手当」「家族手当」として支給されている。その個別企業による「扶養手当」「家族手当」を社会化≠キるわけだ。
たとえば「養育基金」のようなものをつくり、そこに個々の企業から雇用労働者1人につき一定額の負担金を拠出させ、そこから「すべての労働者世帯」に「養育手当」として支給するようにする。拠出企業は労働者を雇うすべての企業、支給対象はすべての労働者世帯だ。
この方式にはそれなりの根拠がある。第一に、未来の労働力の担い手である子供の養育は、労働力がなくては存在できない企業の社会的責任なのだ。第二に、企業にとっても子持ちかそうでないかによる賃金負担の不公平が無くなる。第三に、現に、こうした理念も含めてすでに多くの企業で養育費手当を支給している。しかもすでに子ども手当にも拠出されているのだ。土台はすでにあるのだ。
ただその拠出額は少なすぎる。実際には養育費部分は年功賃金や年俸制賃金に含まれている。その部分を供出金に廻すことで大幅に増額すべきだし、それは可能だ。その分、年功賃金カーブはなだらかになり、年俸賃金の引き上げは抑えられる。
現行の「子ども手当」をめぐる紆余曲折について、多くの労働者は政府の政策の問題だと受けとっている。労組もまた単に政府に対する制度・政策要求や圧力の問題として考えている。そうではなく、現在存在している手当の大幅な引き上げや枠組みの改革は、それこそ労働者、労働組合の賃金・生活をめぐる闘いそのものなのだ。
■観客から当事者へ■
こうした構想の意義は、それが同一労働=同一賃金の実現の一つの大きな土台となることにある。二つの側面からそれが可能になる。
一つは養育費の支給対象が「すべての労働者世帯」だというところにある。正規・非正規問わない支給になれば、現行賃金の大きな部分が実質的に正規・非正規に同等に支給されることになるからだ。
二つ目は勤続年数や扶養すべき家族の有無にかかわらず1人の労働者に支払われる賃金を原則同額にできる条件整備につながる。子供が増えるにつれて必要になる出費のかなりの部分が養育費として賃金の外側に、それとは別立てで支給されるようになるからだ。
いま正規と非正規労働者の処遇格差が深刻な社会問題化してるにもかかわらず、その解消が遅々として進まない理由の一つが、正規と批正規の賃金構造の断絶がある。正規と非正規という企業社会内部でつくられた地位による差別だ。日本的雇用の中で労働者世帯の生計費を年功賃金や年俸制賃金でまかなってきた実情の中で、新卒の単身者やかつてのママさんパートと子持ち世帯が同額の賃金では、子持ち世代の生活が成り立たない。年功賃金や年俸制、それと低位の時給という賃金の二重構造を前提としては、同一労働=同一賃金など実現できるわけはない。それが可能になるのは、労働者世帯の二大出費である養育費と住居費を賃金の外へ、別立てにする場合である。住居費も養育費と同じように企業拠出金をプールして全労働者世帯に支給する。
こうして養育費や住居費を別立てにしたうえでの当該労働者の生活費を中心にした残りの賃金本体では、同一労働=同一賃金を実現できる。年功賃金である必要はなくなるからだ。
こうした将来展望の下で、初めて正規・非正規労働者の均等待遇の実現に向けた共同闘争の基盤ができる。労働者は団結して初めて力を発揮できるのである。
最初に戻ってみる。
「子ども手当」など、マニフェスト政治をめぐる民主党政権のていたらくを批判するのは必要だし簡単だ。期待はずれの鬱憤晴らしもいいかもしれない。選挙で民主党に入れなければよい。が、それだけでは事態は何も解決しない。企業もこうした賃金構造の改革には大きな壁となって立ちはだかるだろう。自分たちの処遇を改善するには、自分たちも汗をかかねばならない。民主党政権のスター役者に拍手したりブーイングを浴びせるだけではなく、舞台と観客の仕切りを取り払わなくてはならない。
「子ども手当」をめぐる攻防戦は、私たち自身による賃金と処遇、その闘いの前進のための正規・非正規が連帯できる土俵設定そのものにかかっている。すべての労働者、労働組合よ、いざ、闘わん…………。(廣)
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コラムの窓 なし崩しの「武器輸出三原則」
管民主党政権は12月7日、原則としてすべての武器や関連技術の輸出を禁止する武器輸出三原則の見直しについて、年内に策定する新たな防衛計画大綱(防衛大綱)に明記することを見送る方針を決めた。
来年1月召集の通常国会で、三原則の堅持を求めている社民党との連携を重視し、「基本理念をしっかり守る姿勢で対応したい」等と述べて、防衛計画大綱(防衛大綱)に明記する予定を変更したのだが、防衛省は防衛産業関係者や有識者で構成する「防衛生産・技術基盤研究会」を設置し、多国間での兵器の共同開発の在り方などを検討していくとも言っているので見直しをあきらめたわけではないのだ。
管首相の「基本理念」とは、1967年に佐藤内閣が(1)共産圏諸国(2)国連決議で禁止した国(3)紛争当事国―への武器輸出を認めないと表明し、三木内閣の時に全面禁止になった三原則を言うのだろうが、自民党政権下でもこの「理念」は守ると言いながら、湾岸戦争やイラク戦争などで『国際紛争の当事国』であるアメリカに武器技術供与を後藤田官房長談話で押し通したことや2007年にインドネシア国家警察本部に小型巡視艇がODAを用いて無償供与されたことを含め、現実には、戦闘機や軍艦とか大砲などではなく、軍事目的か民生用かなど区別すること自体難しい物が多数輸出されてきた経過があり、これらは、民生品として輸出されたピックアップトラックや四輪駆動車両、トラックなどの車輌が軍需物資輸送の兵站を支えるのに使用されたり、機関銃などを搭載してテクニカルと呼ばれる即席戦闘車輌に改造されたりするなど軍民両用が可能な民生品が輸出先で軍事目的に利用されてきた例で、「武器輸出三原則」は抜け道だらけと言うしかない現状である。
この「理念」と現実との矛盾を解消する為に、これらの製品生産と販売で大儲けしている日本の武器製造・防衛産業だけではなく、多くの産業が『武器輸出三原則』の見直しを希望しており、その時々の政府や政治家及び防衛関係者を動かし、「原則」見直しの発言を強めてきているのだ。
今日、尖閣列島や北方領土問題での対ロ・対中国や北朝鮮を睨んで、輸出禁止対象国を限定したうえで、国際的な輸出管理規制に参加する国との共同開発・生産を可能にするなど新たな3基準を設け、共同開発が可能な国は、米国や北大西洋条約機構(NATO)加盟国、豪州、韓国など最大26か国を想定した、武器輸出三原則の見直しが行われようとしているが、憲法第9条と同様に「武器輸出三原則」も「理念」だけ持てはやされ実質的にはなし崩し的に見なおされて行くのだ。
武器製造で儲けたり、武器の存在を前提にした「理念」では真の平和は望めない。なし崩し的に見直されていく「原則」ではなく、戦争を起こさない・戦争や人殺しの道具を造る必要のない世の中を創ることこそ目的意識して取り組んで行くべきである。(光)
本の紹介・・・「普天間基地はあなたの隣にある。だから一緒になくしたい。」
<著者・伊波洋一><発行所・かもがわ出版>
この本の著者、伊波洋一さんは11月の沖縄県知事選を精一杯闘ったが残念ながら敗れてしまった。
この県知事選にあわせて出版されたのが本書である。
普天間飛行場は世界で一番危険な基地だと言われ、いつ米軍ヘリが墜落するかわからない。事実、二〇〇四年八月一三日、沖縄国際大学に米軍大型ヘリが墜落・炎上し大騒ぎになった。この基地の周囲に住む九万三〇〇〇人の人たちは、毎日毎日米軍ヘリや戦闘機の騒音にさいなまれ墜落の危機に怯えながらの生活をずっと強いられている。
本の構成は、第1章の「普天間基地の成り立ちと私」、第2章の「世界でいちばん危険な基地」、第3章の「巨大な海兵隊基地がグアムに」、第4章の「普天間基地を撤去させる条件を生かす」、第5章の「日本の平和と沖縄の将来のこと」となっている。
普天間飛行場を見学した米軍人などが「危険な基地の回りに、なぜどんどん学校や家をつくらせたのか」と言う。
第1章で、45年4月1日に沖縄本島に上陸した米軍は、宜野湾市の南側にある嘉数高台で日本軍と猛烈な激戦を経て宜野湾を占領し、住民を収容所に隔離し、本土爆撃を目的にした重爆撃機の飛行場建設を沖縄戦の最中の6月にはもう始めていた。沖縄戦が終わり収容所から自分の集落地域に戻ろうとした住民は、そこは基地になっていて住めない。米軍は他人の土地を指定して住まわせ、土地の所有権はまったく無視された。
アメリカではこんな危険な基地はない、と言われる。
第2章で、「アメリカの連邦航空法では、滑走路両端の幅四五〇〜六九〇メートル、長さ九〇〇メートルの区域を、一切の構築物を禁じる『クリアゾーン』に指定しています。・・・それは海外にある米軍飛行場にも適用されることになっています。」
しかし、普天間飛行場では「クリアゾーン」の中に、小学校も保育園も公民館も入っており、約八〇〇戸の住宅があり、約三六〇〇人も住んでいる。
このように普天間飛行場は、米軍の安全基準に明確に違反して運用されている。
第3章と第4章では沖縄海兵隊のグアム移転問題を取り上げている。
日米両政府はこれまで「辺野古における新基地の建設が進まなければ、グアムにも移転しないし、普天間の返還もありえない」とのセット論で脅して、辺野古とグアムの双方に巨大な新基地をつくろうとしている。
これに対して、伊波さんは「それは違う」と反論する。伊波さんたちは米軍が出す報告書をつぶさに検討し続けてきた。特に〇九年六月の「海兵隊報告書」や一一月に出された「環境影響評価書案」(約八〇〇〇ページにわたる長大な文書)を詳しく分析した。
その分析を通じて、『なぜ米軍は沖縄でもグアムでも新しい基地をつくろうとしているのか?』を明らかにした。
@米国領土のグアムに巨大な主要基地の建設をめざしている。
「米軍は対テロ戦争のための地球規模での米軍再編計画を進めており、太平洋軍司令部 はグアム及びテニアンに海兵隊拠点を含む海軍、空軍が一体となった主要基地を建設し ようとしている」
A辺野古は普天間代替基地ではない。
「アメリカが沖縄に固執しているのは、西太平洋地域での有事の前線基地が必要だから。 米軍全体として前方展開作戦基地を沖縄にもう一つの基地を置くことは損なことではな い。」「辺野古の基地建設費用は、全額日本負担である。グアムの基地建設費用も日本 は6割負担(約六〇億ドル以上)してくれる。」
要するに、普天間のグアム移転問題と辺野古の新基地建設は別な問題である、と指摘しているのである。
この本のタイトルの意味を伊波さん次のように述べている。
「普天間飛行場は、戦後日本政治の縮図のようなものです。アメリカに占領されて基地を押しつけられたという点でも、アメリカの世界戦略の影響をもろに受けてきたという点でも、日本政府が沖縄県民、日本国民の利益よりアメリカに追随することを選んだ結果があらわれているという点でも、そう言えます。『普天間基地はあなたの隣にある』という、この本のタイトルの意味を分かってもらえたでしょうか。ですから、逆に、普天間飛行場問題を解決することは、沖縄を変え、日本を変えることにつながると思います。『だから一緒になくしたい』のです。」
このように普天間基地の問題を、成り立ちの歴史やグアム移転の本質をわかりやすくまとめてある。
最後に、「今日、普天間飛行場の返還問題は、沖縄県民だけでなく、国民みんなの問題です。」と伊波さんは訴えている。
その意味でも、是非ヤマト(本土)の皆さんに読んでほしい本である。(英)
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読書室 『日本人のための戦略的思考入門――日米同盟を超えて』
孫崎享氏著 祥伝社新書 840円
この本は、この9月に刊行された新書であり、値段は手頃でかつ啓発的な内容で実にタイムリーな著作である。著者の直近の著作に講談社現代新書『日米同盟の正体』(09年3月刊行)があり、この著作は先の著作と一体のものである。『日米同盟の正体』についても、「ワーカーズ」第392−3合併号の読書室(バックナンバーで検索可能)にて取り上げているので参照のこと。
この本の構成を紹介しておこう。
まえがき――日本人がなぜ戦略的思考を学ぶべきか
第一章 戦略とは何か
第二章 なぜ日本人には「戦略」がないか
第三章 戦略論はどのように発展してきたか
第四章 戦略論の古典から学ぶ
第五章 歴史から学ぶ戦略的思考
第六章 現代日本の安全保障戦略――三つの疑問点
(1) 日本の防衛政策に戦略の基本がないのはなぜか
(2) 中国の核兵器にどう対抗するのか――「核の傘」の信頼度
(3) 日米同盟の強化は世界に平和をもたらすか
第七章 普天間基地移転問題に見る日米同盟
第八章 日本の独自戦略追求は可能か
第九章 現在の安全保障上の課題を考える
あとがき
戦略関連の推薦書
以上の構成を見ると私がこの本をタイムリーと批評した理由も分かることだろう。まえがきから第五章までは、紙面の関係で省略するが、日本人の戦略的思考入門に相応しい内容となっており、付録である戦略関連の推薦書とともに熟読を勧める。しかし何と言ってもこの本の真価は、具体的な政策諸課題について触れた第六章から第九章にある。
著者は、まず米国は本当に日本を守ってくれるのかとの問いを発する。日本の保守派が一貫して不問に付しているこの問題こそ、まず明らかにしておかねばならない。著者が強調したい事はまさに日本防衛政策の根本なのである。
第六章の(1)では、日本の防衛政策の根本となる「基盤的防衛力構想」が「自国に対する軍事的脅威に直接対抗する」事を目的とはせず「独立国としての必要最小限の基盤的な防衛力」を保有する事で「その地域の不安定的要因にならないこと」を主目的とするものと喝破する。つまり日本の防衛政策とは、安保条約が主であり、日本の独自の力は付け足し、つまり従の関係にあるのだ。そして(2)では、中国には核戦略の根本である「相互確証破壊戦略」が成り立たないとし、さらに(3)でも、日米同盟の「深化」は「何カ月あるいは何年も先に実現しそうな脅威を除去するための予防戦争だ」と説明する。これらの記述は、多くの読者にとって初めて聞く衝撃的なものであろう。
第七章では、著者が今年の一月に鳩山前総理に「普天間基地における米海兵ヘリ部隊を長崎県大村基地、海兵歩兵連隊を同県相浦駐屯地に移転させる」との提言を行ったと明らかにした上で、極めて具体的な記述をしている。こうして稚拙ながら日本の自立を思考した鳩山前総理の軌跡が浮かび上がってくる。
第八章では、外務省にもかっては対米独立派がおり、その自主独立派がダレスや吉田茂等に破れた経緯を記述している。これらの事から著者は、日本は米国の保護国との結論を私たちに突きつける。そしてかって核保有論者だった著者は「現在は、独自の核兵器保有には反対」の立場である。これについては反対の論拠を具体的に4点挙げているが、これらの理由とは別に「日本に核兵器を持たせ、中国、北朝鮮に対峙させる」構想を米国保守派が持っている事も明らかにしている。まさに日米同盟の「深化」の内容がここにあるのだ。
第九章では、日米同盟の変化にどう対処すべきかを論じている。安保条約は、日本と極東の安全保障に限定されていたが、先に紹介した『日米同盟の正体』で論じられたように、日米同盟とは日本を米国の世界戦略に巻き込むものであり、中国の巨大化によってこの日米同盟がさらに変化すると論じている。
著者は、まず第一に日本の隣に、日本より遙かに巨大な軍事・経済大国が位置する事を自覚すべきと提言する。第二に米国は日本との関係より中国との軍事的衝突をされる事を優先する。すでに尖閣諸島の問題では中立の立場を鮮明にしている。
ここで私は前原外務大臣の無知蒙昧を糾弾しておく。彼らは、中国が台頭する中で日米関係の変化が進んでいる事に余りにも無関心であった。今回の中国漁船の拿捕と船長の釈放等で彼らの認識違い・お粗末さは満天下に明らかとなり、彼らへの信頼は大いに傷ついた。まさに自業自得とはなってしまった。
著者が全体を貫く日米関係の根本には、かってのインドとイギリスの関係があるとの認識には、評者自身も教えられた。したがって結論にも同意する。
この大きな視座を自分のものと獲得するためにも、図らずも中国漁船拿捕等に関わってタイムリーな刊行となった本書の一読をぜひ勧めたい。 (稲渕)
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色鉛筆 安上がりの幼保一体化『こども園』にだまされてはいけない!!
内閣府は11月1日、2013年度から10年間かけて幼稚園と保育所を廃止して、新たに設ける『こども園』に統合する案を発表した。(表参照)現在、専業主婦家庭の3歳児〜5歳児は幼稚園に、共働き家庭の0〜5歳児は保育所に通い、幼稚園が文部科学省、保育所が厚生労働省の所管になっている。これまで何度も『幼保一体化』は言われ続け、06年には保育園と幼稚園を一体化した『認定こども園』制度をつくったが、保育園と幼稚園の枠組みを残したままなので思うように広がらなかった。
今、長引く不況で夫の給料が減った主婦が職探しを始めたり、職場復帰を目指す母親が増えているため、認可保育所に入れない子どもたちーその待機児童数は約2万6千人もいるという問題が起きている。待機児童を解決するには財政保障を十分に行って保育所を増やせば解決できるのだが、自民党も民主党の政府もやろうとしない。お金をかけないで解決できないかと考えたのが今回の『こども園』だ。幼稚園は少子化から定員割れ状態なので、保育所の足りない分を幼稚園の空き定員で補えば安上がりに待機児童が解消されるというのが幼保一体化のねらいだ。
内閣府は6月に少子化社会対策会議において『子ども・子育て新システムの基本制度案要綱』が確認され、来年の通常国会に法案を提出し2013年より新制度の本格施行を目指すことを決め、今回『こども園』が発表された。しかし、この『新システム』は待機児童が解消されると大宣伝をしているが本質は、市町村の保育実施義務と責任を無くし、保育園入園を保護者と保育園の直接契約にするとともに、民間企業を含む多様な業者の参入を促進して保育を産業化させようとするもので、国や市町村に対する義務と責任をなくせば公費を使わなくてもいいと考えているからだ。『こども園』になると全ての子どもたちが現在のような公的保育制度(国や自治体の責任で必要な保育を実施するしくみ)を受けられなくなってしまうので、「こども園にだまされてはいけない」とまわりの人たちに訴えていかなくてはならない。(美)
読者からの手紙
病院とは?
これまで病院とは寒風吹きすさぶこの世のシェルターのように思えた。大腸内の悪い所を切除してもらうために入院した。12月3日から病院生活がはじまった。オトイレに通うのが仕事のような、上げ膳、すえ膳の生活こりゃええ具合だと思ったのは、はじめの2日間位。生活にも慣れて、まわりに目を転じる余裕ができ、みてみると幽霊の酔うに見える患者さんばかり。
手厚く面倒を見てくれる病院の人々。それが仕事です、といわんばかり。治療を受けて5日目に退院した。それ位、入院患者の出入り回転は早い。袖すり合うのも他生の縁≠ニいうコトバがぴったりのような人と人の出会いのぬくもりを感じる暇もないうちに、ちぎれていく人と人。
それでもやっぱり病院というのは港、傷ついた船たちが身をゆだねる母港のようなイメージは消えない。願わくは病院というところは、傷をいやして再びシャバへ旅立つエネルギーを貯えさせてくれる、それぞれにとっての寄り道の休息の場であってほしい。一人で歩いていくことに意味があるのだから、そのエネルギー再生の場として。
2010・12・8 宮森常子
付記
身を温めるところは家庭≠ナあったようだが、今や家は半ごわれ、いろいろなシェルターがその半ごわれの家≠支えるべく在る。私にとっては台所で飲む5勺の酒≠ェそうだが。若い頃は強烈なウオッカとか白乾がよかったが、老年期に入って5勺の酒≠ノしたしむのがよくなった。個人的な慣習。
若い看護婦さんたちと話す機会を得たが、正月にしたしむオトソという伝統的な慣習を知らない看護師・士さんもいたことには驚きだった。思えば私たちの世代は、仕事であれば何でもやったし、それが生きるすべでもあった。就活の学生さんのコトバは、数少ない働き口にいき当っても自分に向かないふさわしくない≠ニして受け入れないとか。
一見ぜいたく、気ままに見えるが、それなりに己れを知り、何をやりたいか、好きかを知っている人間として、しっかりしていると思う。私どもの若い頃と状況は、ちがってきているということを改めて感じとる。私どもの世代では己れ≠鍛えみがいていくかは、老いも若きにも課されたテーマであろう。肉親殺しの犯罪が目立つのも半ごわれの家≠フ負の現象であろう。新しい家≠ェ期待されよう。
日本共産党に対する疑問
私が「しんぶん赤旗」を購読してから約40年が経ちました。この間一般紙もとっていましたが、数年前から一般紙の余りの偏向報道に嫌気がさして、現在ではこの新聞しか取っていません。
最近この新聞にも小沢批判がよく出るようになりました。この事自体は大いに結構なことですが、確実な論証がなされた上での事かとなるとちょっと断定が過ぎるのではと思う事もあります。もっと調べて確実なことを書いた方が、共産党や赤旗にとっても名誉なことだと私は考えているのですが。インターネットの世界では、小沢批判では共産党は自公両党の別働隊との酷評です。
さて同様に解明しなければならない問題に官房機密費等の税金の不正支出の問題があります。詳しく言えば、すでに上杉隆氏が明白にした記者クラブ・政治評論家等を買収した官房機密費等、元大阪高等検察庁の三井環氏が告発した検察裏金作り、元巡査部長の仙波氏が告発した警察裏金作りがあります。極めつけは、司法の守り主という正義面をした最高裁の裏金作りがあります。
最高裁の裏金作りの問題については、最近元裁判官の生田弁護士への岩上安見氏のインタビュー(http://www.ustream.tv/recorded/11241849)がなされており、90分の長さですが必見です。まさに最高裁自身も腐っているとしか言いようがありません。三権分立が建前にもかかわらず、司法は行政に従属しています。ここに最高裁の裏金問題が発生する原因があるのです。
ところが官房機密費や外交機密費を例外として、これらの疑惑の解明に対して共産党は驚くほど不熱心です。なぜなのでしょうか。ここには共産党はこれらの問題には触れないとの不文律があるという識者もいますが、それが真実かどうか判断できませんが、私には全く理解不能で不思議に思います。(笹倉)
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編集あれこれ
本紙前号でも、いち早く沖縄県知事選結果が報じられ、@辺野古米軍新基地建設の息の根を止められなかったこと、A菅政権による新基地建設策動がさらに続くこと、B問われているのは本土の私たちであり、ここからが正念場であると述べられました。また、続投となった仲井眞知事はいずれ辺野古移設を容認するだろうということではなく、あくまで「県外移設」の公約を守らせなければなりません。沖縄の犠牲の上に本土が乗っかっているという差別的構造が存在しており、これを打ち破らなければならないということを確認したい。
裁判員裁判での死刑判決について、コラム欄で「あってはならない」と指摘されました。これに関連して、「スタンフォード監獄実験」を想起しました。これは、閉鎖的環境下における権威者の指示に従う人間の心理状況を実験した「ミルグラム実験」(アイヒマン実験)の範疇に入る実験です。詳細は「ウィキペディア」で確認していただくとして、簡単に紹介します。
一般公募者を看守役と受刑者役に分け、その役割を実行させると、「強い権力を与えられた人間と力を持たない人間が、狭い空間で常に一緒にいると、次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走していしまう。しかも、元々の性格とは関係なく、役割を与えられただけでそのような状態に陥ってしまう」というものです。
ご存知のように、アイヒマンはナチ・ドイツのユダヤ人虐殺の責任者ですが、「単に上の指示に従っただけ」という自己弁護を、裁判において主張しました。そんな言い訳が通用することはありませんが、一定の条件の下で、多数の人が自主的に≠ワたは率先して≠サうした行為を行ってしまうというのです。スタンフォード監獄実験では、看守が受刑者に暴力をふるいだし、6日で実験を中止しなければならなくなったのです。
さて、この実験結果と裁判員裁判における死刑判決の関連ですが、看守を裁判員に、受刑者を容疑者に置き換えることが出来ます。この実験場を仕切るのは職業裁判官、つまり国家権力です。裁判員たちは事件の経緯と容疑者の情状、さらに「永山基準」に照らした判断の末に死刑≠ノたどり着き、涙を流しながら死刑判決を下しているのです。閉鎖された極限状態(裁判員は守秘義務を課され、あらかじめ決められ結論へと追い立てられる)のなかで殺人≠ニいう結論をだす、まさにスタンフォード監獄実験の亜種と言うほかありません。
裁判員裁判における死刑判決の2例目は少年犯に対するものでした。かかる危険な実験は直ちに中止すべきです。この実験が何か市民的理性を司法に及ぼすものと主張するなら、その先にある死刑を理性的に執行できることも示さなければなりません。そんなことは出来る分けないのです。死刑は廃止するほかないのです。 (晴)
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