ワーカーズ433号    2011/2/1   案内へ戻る
 結局は大企業優先政治──ジグザグ路線を漂流する菅内閣──

 年明けを挟んで菅内閣は、政権延命に向けていくつかの・政策的・政治的な布陣を敷いた。
 一つは、「税制と社会保障の一体改革」と環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への参加方針だ。これは6月を目途に方向性と内容を打ち出すというもので、通常国会を乗り切ってそれ以降も内閣を存続させるという菅首相の思惑が色濃く浮かぶ課題設定だった。
 二つは、ねじれ国会打開の方策を探る内閣改造であり、政治とカネに絡む小沢排除である。これは内閣支持率の向上と党内掌握を足がかりに野党を国会論戦の舞台に引き込み、あわよくば野党との何らかの連合を形成することで自らの政権基盤を確保したい、という思惑とつながっている。
 とはいえ、通常国会を乗り切る見通しはまだ立っていない。逆に混迷を繰り返す菅政権の足下を見透かすかのように、ねじれ国会を足場とする野党の抵抗姿勢は強気だ。相次ぐ地方選挙での民主党の敗北と自民党の復調がその背景にある。
 当面の攻防戦は新年度予算案に盛られた菅内閣の政策路線で、具体的には09年衆院選と10年の参院選で打ち出された民主党マニフェストとの乖離が争点として浮上している。中身といえば、国民の生活が第一≠ニして政権の座に着いた民主党政権の大きな変節ぶりを象徴するものになっている。
 国民の生活が第一≠ゥら大増税路線へのマニフェストの根本的修正、それに輸出企業優先の法人税引き下げとTPPへの参加方針は、明らかに橋本政権や小泉政権の構造改革路線への回帰でもある。民主党政権一年半で、政権の性格は大きく変わったという以外にない。
 思い起こせば、小泉政権以降続いた劇場型政治は、新自由主義改革と抵抗勢力、官僚主導政治と政治主導、利権政治と国民生活という二項対決の図式での空中戦の様相が色濃いものだった。この間の経験を踏まえれば、そうした二項対立の図式、一発逆転の政治刷新などあり得ないことを示している。
 問われているのは、舞台の上で繰り返される政治劇に一喜一憂するのではなく、私たちひとり一人が、政治や経済の刷新に向けて着実に既成勢力への対抗勢力を拡大・強化していくことにある。(廣)


 結局は財界優先政治──ジグザグ路線を漂う菅内閣──

■大増税内閣■

 それにしても、年明け以降の菅首相による政策路線と改造内閣の布陣で、大増税政権としての菅内閣の性格があからさまになった。
 「税制と社会保障の一体改革」の実体は、実際には消費増税以外のなにものでもない。社会保障の改善を大増税実現の方便としてきたのは菅内閣にかぎらない。たとえば細川政権の「国民福祉税構想」もそうだった。
 社会保障改革といってもきわめて包括的な課題で、誰にも納得される正解があるわけではない。100年安心≠ェ謳い文句だった自公政権の年金改革を想起すべきだ。結局、消費増税だけが実現し、社会保障改革はほどほどのところで終わる確率は高い。
 本来は少子高齢化や格差社会の深まりによる社会保障費の増大には、他の予算を組み替えて捻出するのが自然のあり方だ。個々の家計でも高齢化や病気などによる医療・介護費などの増加には、旅行や外食を控えるなど他の支出を切りつめてやり繰りしている。たしかに「高保障=高負担」か「低保障=低負担」かという国の基本構造の造り替えという土俵では選択の余地はある。が、年ごとに増える社会保障支出の縮小と増税で社会保障財政の帳尻を合わせるというのは改革≠ニは似て非なるもの、といわざるを得ない。
 一部のメディアなどは「無駄を省いて財源に充てることは不可能だと分かった」と、民主党による特別会計も含めた総予算の組み替えを意図した「事業仕分け」の限界を追認している。しかし民主党の「事業仕分け」は抜本的な社会改造への意気込みと手法の中途半端さを示しているだけで、決して財政の無駄がないということではない。赤字空港を作り続けてきたこと、「脱ダム」など公共工事中心の土建政治から脱却できていないこと、縄張り主義による無駄な高速道路造りも止められないこと、あるいは公安調査庁など盲腸≠ネどと揶揄される無駄な行政支出、あるいは縦割り、二重行政等々、掘り下げれば財源はいくらでも出てくる=Bそのためには、先駆的活動を展開している労働組合や地域住民やNPOなど、実態に通じている現場に近い人々との協力で通年的に見直しを続けていく課題があるだけなのだ。
 菅内閣による「税制と社会保障の一体化改革」への危惧が単なる杞憂で終わらないと思われるのは、最近の民主党政権が、財界寄り・財務省寄りの姿勢を鮮明にしているからだ。
 一つは、マニフェストでも企業・団体献金の禁止を明言しているにもかかわらず、民主党が経団連を仲介とする企業献金の受け入れを昨年解禁したこと、また法人税引き下げも決めているからだ。民主党政権が財界寄りに大きくシフトしていることは明らかだ。
 加えて、内閣改造で一本釣りした与謝野経済財政相や内閣官房副長官に任命した藤井元財務相、それに財務相の経験を期に消費税増税を打ち上げた当の菅首相という布陣は、明らかに財務省内閣≠ナもある。これは「官僚主導政治の打破」から「官僚との二人三脚」への軌道修正を鮮明にする菅内閣が、財務省に乗っかることで政権基盤を維持していることと重なる。

 ■単なるジグザグ路線?■

 通常国会を前にして菅首相が打ち出した新基軸は、「税と社会保障の一体改革」、それに「第三の開国」を謳うTPP(環太平洋パートナーシップ協定ともいう)への参加方針だ。
 消費税増税の言い換えでしかない「税制と社会保障の一体改革」とは、財政構造の改革でもある。財政構造の改革といえば、本来はプライマリーバランス、要は収入に見合った支出構造の実現が課題となる。そうなれば国債発行額から国債償還費を引いた23兆円、それに一時的な埋蔵金部分の5兆円の合計28兆円もの巨額を消費税増税でかき集める必要がある。1%で2・5兆円とされる消費税(国税)に換算して、現状維持のためだけで11%程度の引き上げ、16%の消費税率が必要となる。そんなことを今すぐ掲げられないから「社会保障改革との一体改革」となる。
 こうした財政改革は、税収に見合った支出という意味で、一面では財政合理主義を指向する新自由主義的政策に通じる。だから小泉内閣が進めた痛みを伴う″\造改革は、新自由主義的なものだと言われてきた。それには橋本内閣が推進した「金融ビックバン」など、金融自由化や二国間以上の経済協定である自由貿易協定=FTA、それに経済連携協定=EPAなども含まれていた。TPPへの参加は、菅首相が言うような明治維新、敗戦後に続く第三の開国などという大げさなものではないが、例外のない関税撤廃をめざす点で新自由主義的な意味合いを持っている。
 まず前者についてみると、菅首相による増税シフトの特徴は新自由主義への転換だともいえるが、それほど首尾一貫したものとも思えない。
 資本制社会ではその矛盾的展開への対処方策として、1930年代のケインズ的な需要創出政策の導入以降、緊縮財政と景気対策の間で財政上のジグザグ路線が繰り返されてきた。近年の日本でも橋本政権による消費税引き上げ、小渕政権による「世界の借金王」と自虐したばらまき財政、小泉政権による新自由主義的な構造改革という緊縮型財政、その後の安部、福田、麻生政権によるその軌道修正、その後を継いだ鳩山民主党政権による「国民の生活が第一」というばらまき政治という流れは、それを如実に示している。
 菅内閣による「税と社会保障の一体改革」も、建前的には30年単位の大きな基盤整備を謳っているが、実際は歴代政権がたどってきたばらまき財政と緊縮財政のジグザグ路線の延長でしかない。
 世論調査などでは、働き盛りの現役世代には所得税の負担感と借金を将来世代につけ回すことに不安を感じ、財政再建の必要性を感じている人も多い。そうした現役世代などでは所得税増税ではなく消費税増税もやむなしとする声もある。が、財政構造の正常化と消費税増税による家計への直接的な負担増という問題は、位相の違った問題である。
 現役世代といっても、長期的、社会的には健全財政への復帰は望ましいが、負担増に直面する個々の家計の観点から見れば避けたいのが実情だ。政治(国家財政)と生活(家計)という違いもある。あるいは本音と建て前≠烽るかもしれない。街頭インタビューや世論調査などでは建前的な意見が表面に出やすい。でも本音の部分では生活悪化に直結する負担増は困る。税というのは、いつの時代でも大衆的な反乱による政変の一大要因になってきた、という歴史的事実もある。本音の部分が昨年の参院選挙で出たともいえる。

 ■先祖返りのTPP■

 二番目のTPPは、2006年5月にシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4カ国加盟で発効したもので、現在米国も含めて9カ国に増えている(中国・韓国は参加していない)。協定の対象は農業も含むすべての関税の10年以内の撤廃など、例外のない自由貿易をめざしている。
 菅首相はこれに参加することが「第三の開国」と位置づけているようだが、加盟国のGDPに占める日米の比率が91%で、実質的には日米の関税撤廃協定ともいえる。
 一般的に自由貿易では、菅首相のブレーンと言われている小野善康・大阪大学教授も指摘するとおり、対象国の比較優位の産業に成長をもたらし、比較劣位の産業が打撃を受ける。だから現時点で日本の比較優位産業である自動車、製造機械、鉄鋼などでは成長をもたらし、また衣料、農業・畜産などは打撃を受ける。結局は日本の輸出産業や米国の農業・牧畜業などの利害が反映された協定だと言わざるを得ない。日本経済の閉塞情況、失われた20年に終止符を打ちために菅内閣が選択したのは、またもや輸出産業主導による成長戦略だということになる。経済政策でも自民党への先祖返りしか頼るものはないということだろう。
 明治・戦後に続く「第三の大改革」を標榜するなら、輸出企業の利益拡大に乗っかった成長戦略から、労働時間の短縮などを中心としたゆとりある生活システムへの転換こそが求められているのではないだろうか。企業利益の増加が労働者に回ってこない構造こそ転換すべきだし、現に「満足感」と「幸福感」は違うという調査もある。
 「税制と社会保障の一体改革」も「第三の開国」も、結局は新自由主義への無節操な追随、安易な経済的ジグザグ路線を一歩も超えていないことは明らかだ。

■対抗勢力の拡大■

 通常国会を前にした菅首相による政権延命の新基軸は、かくも情けない先祖返りでしかない代物である。それに鳩山首相の普天間基地移設問題での迷走、対北朝鮮、尖閣事件、北方領土事件などを経て舞い戻った日米同盟基軸路線、法人減税と消費増税内閣、子ども手当や年金改革などでのマニフェスト政治の破綻、族議員化と財界寄りへの軌道修正等々、民主党・菅政権の性格はこの一年半で大きく変節した。というよりも、私たちが政権発足の当初から指摘してきたように、本来、自民党と大差ない寄り合い所帯の体制内議員政党(選挙互助会と揶揄された)だった民主党が、選挙戦術としての大衆迎合政治の必然的な破綻によって単なる与党≠ノ過ぎなかった本質が露呈しただけのことである。
 菅首相とすれば自民党や公明党をなんとか協議の場に引きずり出し、あわよくば何らかの形で自・民・公連立政権を演出し、自らその首班に居座りたいとの思いも垣間見える。とはいえ、菅政権の前途には,多くの暗雲が垂れ込めている。
 一つは、マニフェストを大幅に修正せざるを得なかった11年度予算案と関連法案の成立が、衆参ねじれ国会で不透明なことである。それらの成立と引き替えの菅内閣の退陣という事態も現実味を帯びてきた。菅首相の頭には、支持率下落で議席減が不可避の解散総選挙の字はないかもしれないが、そうした事態もゼロとはいえない。
 さらに政治とカネ≠めぐる小沢排除の政権戦略の不透明さだ。現時点で小沢排除で攻勢をかけ、小沢一派も防戦に汲々として新党設立へという大義名分もないが、いきがかり次第では民主党分裂の可能性もないではない。そうなれば自民党などとの大連立≠ニいう事態もあり得る。いずれにしても、これからの政局は、民主党政権から大連立など保・保連立への模索となる。
 私たちに求められているのは、単純なあれかこれかという二項対立図式に埋没するのではなく、背景や要因をじっくり考えつつ、長期展望と目先の一歩を確実に前進することで、既成政治に対する対抗勢力を着実に拡大していくことにある。(廣)案内へ戻る


 映画紹介「ミツバチの羽音と地球の回転」鎌仲ひとみ監督作品

未来のエネルギーをどうする?

 1月22日午後、4時間超のスケジュールで、鎌仲ひとみ監督と祝島の山戸貞夫さんとのトークショウもあり、という魅力ある映画会に参加してきました。鎌仲さんの作品は、イラクの劣化ウラン弾を取り上げたヒバクシャ・核の平和利用を唄った六ヶ所村ラプソディーに続くもので、今回の作品には監督の特別な想いが込められています。というのも、劣化ウラン弾の原料になるのがウラン濃縮過程に出る核廃棄物、そんなからくりの中に「クリーンエネルギー」と称して取りこめられて現代に生きる私たち、そのからくりを断ち切るために実践している若者を追うことで希望を見出す作品となっていることを、アピールしています。さて、原発に頼らないエネルギーは、どうやって見い出され実現可能となっていくのでしょうか。

自然の宝庫・祝島で生きる

 映画の冒頭、瀬戸内海の自然が生み出すひじきを収穫する山戸孝さん(トークショウの山戸貞夫さんの長男)が大きく映し出される。漁で生活を支える祝島の人々にとって原発立地は、島での生活を脅かす存在としてあり、島民の9割が反対の意志表示を行なってきました。原発の危険性・廃棄物の問題よりも素朴に生活の保障がなくなることを第1に訴え、中国電力とも体当たりで抗議し28年間もの年月を闘い、建設をストップさせてきたのでした。
 島の平均年齢が75歳、毎週月曜日の抗議デモには、杖をついたおばあさん、はちまきを頭に横断幕を手にしたおばあさんたちがゆっくり歩き、仲間意識を共有し、なごやかな雰囲気が感じられます。それと対照的に原発を容認する町議会議員は無表情で口を開かず、議会の傍聴もさせない閉鎖的な態度で島民に対応しているのです。そして、原発建設を許可した知事は、中国電力の言う「原発で雇用が生まれる」を信じ込み、お金に目が眩み自身の判断を見誤ったということでしょう。
 祝島にUターンして、島で21年ぶりの結婚式を挙げ、3人家族の山戸孝さん。ひじきを収穫しネットを利用しての販売に寝る時間も惜しんで頑張っている姿は、こちらも応援したくなります。しかも、妊娠中の妻のために家事・育児もこなす今ふうの若者でもある彼に、普通のありきたりの生活を送る私たちの世代は、羨ましささえ覚えるのではないでしょうか。困難と真正面からぶつかり、それをのり越えるための努力や工夫は、未来の社会を築くための持続可能なエネルギーの実現につながっていきます。

化石エネルギーに頼らないスェーデン

 5人の子どもの母親であり、市議会議員として低予算で持続的な環境プロジェクトを実践しているアニカ・ケイスさん。議員はボランティアでやり、自宅の暖房はお湯を循環することで経費も抑えられると紹介。そのお湯は町全体の家庭に送られ循環し、その燃料となるのはこれまでゴミとなっていた廃材を使用。地域資源を活用し、住民自身が主体的となってできるように、地域コーディネーターも登場する。風車発電で作られた電気で走る自動車に乗る男性。エネルギー長官が自然エネルギー100%を目指すと公言するスェーデン社会。日本が今も電力会社の独占で自由化されていないことに驚く人々。映像は私たちに多くのヒントを与えてくれました。地域で取り組めば、お役所任せでなく住民それぞれが主体的出来ることがあるはず。このことは、祝島住民に「自然エネルギー100%」を視野に、「自給率100%状態」を目指す行動を提起することになります。

太陽光・バイオ・風力・フル活用

 東京のNGO「環境エネルギー政策研究所」の協力を得て、祝島エネルギープロジェクトは出発しました。太陽電池などの設置や資金集めのために「島民の会」を母体にした運営団体「祝島千年の島づくり基金」を発足。手始めに、企業やアーティストから特定商品の売り上げの1%を寄付してもらう「1% for 祝島」をスタート。すでにアウトドア衣料メーカーのパタゴニアなどが参加意向を示しているようです。
 NGOの飯田哲也所長の試算では、島で必要な電力は約1000`ワット。1台3〜4`ワットの太陽電池を100台設置するのを当面の目標に、し尿を生かすバイオマス発電や小型の風力発電、太陽熱温水器も順次導入。送電線も強化し、10年ほどで島内のエネルギー生産が使用を上回る「自給率100%状態」を目指すと、構想は練り上げられています。

ミツバチの羽音にのって

 監督の鎌仲ひとみさんは、上映会で各地を精力的に駆けまわっています。半年でもう100ヵ所以上の上映会が持たれ、その時「ぶんぶん通信」も紹介され、参加者の感想・意見などが載せられ、地域への拡がりの成果が見えてきます。今回も鎌仲さんからの報告で、うえだ市では、市会議員全員に映画の前売り券を買ってもらい、当日参加した議員は8人。会場でも議員が積極的に発言し、具体的に風力発電を視野の入れた取り組みを議会でも取り上げる予定だそうです。東おおみ市でも地域での取り組みが行なわれる様子。
 ミツバチの羽音「BunBun」は英語で言うと、「buzz」。「buzz communication」は「口コミ」という意味があります。一匹一匹の働きは小さくても、その働きが集まると「ブーン」という大きな共鳴を生み出していきます。持続可能な未来を求めるひとりひとりの羽音。上映会を次につなげるためにも、皆さんがミツバチになってください。                              折口恵子

映画についてのお問い合わせ・上映会についてのご相談
グループ現代
「ミツバチの羽音と地球の回転」製作プロジェクト上映担当
東京都新宿区新宿1−11−13 トラスト新宿ビル4F
TEL03−3341−2863 Fax03−3341−2874案内へ戻る


 コラムの窓・・・「4月の統一地方選の危機」

 地方の首長や県議や市議を選ぶ4月の統一地方選まで約2ヶ月となったが、まるで盛り上がらない。最大の原因は支持する政党がない、魅力ある候補者がいない等、政治の世界でも人材が枯渇している。このままではひどい低投票率になりそうだ。
 統一地方選の目玉である東京都知事選も、まだ候補者が一人も名乗りをあげない状況が続いている。大手新聞は「有力候補たちは『後出しジャンケンの方が有利』とか『国政にらみ相乗り』への思惑も絡み、候補者が出そろうのは告示直前になる可能性がある」と予測している。
 私の住む静岡県でも、統一地方選で最大の焦点とみられる静岡市長選と県議選において、やはりまったく盛り上がっていない。
 約4期16年も長く続いた小嶋静岡市長が引退し、さぞかし激しい静岡市長選になるかと思いきや、2月現在無所属2人の候補者しか名乗り上げていない。
 政権与党の民主党も県政与党の自民党も、独自の候補者探しに迷走して、結局は独自候補擁立を事実上断念し、「相乗り」を模索するというていたらくである。
 県議選(定数69)においては、民主党は昨年9月には「過半数(35議席以上)獲得」を最優先課題に掲げていたが、今現在立候補表明しているのは現職25人・新顔5人のみ。候補者の中には「民主党から出るのに尻込みをする」とか「なるべく民主党と思われたくないので、パンフの中に民主党のロゴを入れないとか小さく載せて目立たないようにしている」本音がみえる。
 自民党県議団も、前回の知事選で民主党・川勝知事が誕生したら、その路線をめぐり分裂をして混迷するし、今回の静岡市長選に対しても、静岡支部と清水支部の両支部では候補者擁立で思惑の違いがあり、バラバラな対応である。
 こうした政治的閉塞感は全国共通な傾向であろう。
 政治学者の中島岳志氏は、このような状況下を次のように分析している。
 「国民の間に政治へのシニシズム(冷笑主義)が蔓延している。国民は民主党政権に対してではなく、政治そのものに対して背を向けようとしている。これは極めて危険な状況である。歴史的に見ると、政治へのシニシズムが拡大した時期には、『救世主待望論』が巻き起こりがちである。国民は強いリーダーシップに対する『賭け』を選択し、現状打破を期待する。・・・このような兆候は、すでに地方政治で顕在化している。橋下大阪府知事や河村名古屋市長の人気はその一端だろう。」と警鐘を鳴らしている。
 では、私たちはどうすべきか?
 中島氏は「断言型リーダーの台頭を抑え、冷静で闊達な議論を確立するためにも地方議会改革は必須である。」と述べている。
 そこで、私は次の二つを提言したい。
 一つは、地方議会改革=「議員は特別な人しかなれない制度を改めること。誰でも立候補できる、誰でも議員ができる地方議会にしていく。議員は本業を持ち、ボランティア活動とする、議会の夜開催を検討する。また、議員には住民への議会報告を義務づけるとか、議会では一問一答方式や首長の反問権などを導入し議論の活発化を促す」などを押し進める。そうした議会改革を真剣に考えている候補者を議会に送ること。
 二つめは、選挙制度改革=「国も地方も比例代表制選挙とする。首長選挙を廃止し地方議員による市長職制度とする。女性議員の躍進を進めるため『クォーター制度』の導入」などをめざすこと。
 現在の政党や候補者の分析・評価も大切であるが、今求められているのは新しい人を政治の舞台に送り込める制度改革が必要だと考える。すなわち議会改革と選挙制度改革こそが必須である。(英)


 沈む朝日

 1月5日、朝日新聞は「本気ならば応援しよう」という社説を掲げた。菅直人首相の年頭会見に対する論評であり、朝日新聞社の菅政権への叱咤激励である。曰く、「まずは『その意気や良し』としておこう。今度こそ、ぶれず、ひるまず、掲げた目標をやり遂げてほしい」
 ここで、ぶれずひるまずやり遂げよ、とされているのは何か。
「環太平洋パートナーシップ協定(TPP)への参加を念頭に置いた『平成の開国』、消費税引き上げを含む税制と社会保障の一体改革、政治とカネの問題へのけじめ―の3点である」
 実に明快である。普天間米軍飛行場の「県外移設」を模索した鳩山前首相を攻撃し、日米(軍事)同盟を守るために辺野古移設を実行せよと迫っていた朝日が、ここでも民主党政権は大資本のために迷わず働けと迫っている。
「いずれも今年こそが正念場なのである。首相は不退転の決意で、党内の反対派や野党を説得し、国民にも丁寧な説明を尽くして、合意形成に立たなければいけない」
 TPPについては、貿易立国の日本にとって自由貿易の強化は死活的問題であり、TPP交渉に乗り遅れてはならないという。しかし、これは何よりも米国の要求であり、大資本・多国籍企業の利益のためではないのか。自由貿易を勝ち抜くために、これ以上のコスト削減に労働者は耐えろというのか。それがもはや限界を超えていることは、誰の目にも明らかではないか。
 消費税増税については、「来年からは団塊の世代が年金を受け取る側に回り始める。社会保障の財源確保は待ったなしだ」という。菅政権はさきに企業減税5%としたところであり、朝日は企業減税と大衆増税を良しとしているのである。また年金受給といっても、月額数十万円から数万円までさまざまであり、この差を放置して消費税に財源を求める朝日の姿勢は容認できない。
 政治とカネの問題について言えば、何か小沢一郎議員の進退がすべてに先立つかにされるのは、事の本質をそらすものではないか。金に汚れた議員など掃いて捨てるほどいるのに、小沢攻撃に加わればそれが消え去るかの状態になっていないかと危惧するものである。小沢議員が金権まみれであることは自明のことだが、小沢たたきの現象は政治に対する不満をそらす働きをしているようである。
 さて、他紙は菅年頭会見をどのように報じているのか。読売新聞社説は「指導力を発揮して有言実行を」であり、日本経済新聞社説は「自由化に耐える改革で農業自滅を防げ」であり、神戸新聞社説は「有言実行しか活路はない」であり、産経新聞主張は「言葉通り実行してみせよ」である。どれも似たり寄ったりだが、かつて読売や産経に赤い朝日と攻撃されていた朝日新聞論調の凋落は目を覆うばかりである。
 政治不信が極まったかの感があるなかで、米軍普天間飛行場の即事閉鎖と思いやり予算の全廃、企業増税を菅政権に迫るジャーナリズムはないのか。TPP参加と消費税増税ではない別の道、もう一つの社会を目指すべきだと私は思う。  (折口晴夫)案内へ戻る
 

 沖縄通信・・・「軍事植民地」

 この1月から、沖縄でアパート生活をはじめた。
 今までは観光客(リピーター)の立場であったが、今度は沖縄の生活者となった。
 生活者となり最初に感じたことは、まさに「軍事植民地」そのものであること。
 朝早くから普天間の米軍ヘリがバタバタと飛び回り、夜10時過ぎてもまだ飛んでいるときもある。街を歩いていると、突然後ろからキーンというものすごい騒音と共に嘉手納の米軍戦闘機が飛んでいく。
 これ以外にも、米軍の一方的な基地訓練使用の実態が次々と明らかになっている。
 米海軍が日本政府に通知せず、沖縄本島周辺の訓練区域外で爆撃訓練を計画していた事が判明する。ソデイカ漁をしている漁協は、通知なしの訓練実施情報に混乱が広がる。
 米軍キャンプ・シュワブのレンジ10を使った実弾射撃訓練で、米軍が久志岳に設置されている標的だけでなく、その周辺にも実弾を撃ち込んで山火事を発生させた。その標的外射撃について、名護市議団は米軍に抗議する。
 米軍伊江島補助飛行場でのパラシュート降下訓練をしていた米兵が、基地フェンスから30メートル離れた葉タバコ畑に誤って降下した。幸いけが人や被害はなかった。
 しかし、今沖縄で軍事植民地の最前線となっているのが本島北部の東村・高江である。
 日米両政府の「SACO合意」により、北部訓練場の約半分を返還する条件として、返還される国頭村側にあるヘリパッド基地を高江に移設することになり、新しいヘリパッド基地6カ所(新機種「オスプレイ」の配備のため)を建設する。
 高江の住民は2006年2月23日にヘリパッド反対の決議をしたが、沖縄防衛局はそれを無視するかたちで、2007年7月2日強行に工事を着手した。その日から、「ヘリパッドいらない住民の会」は、生活を犠牲にし座り込み工事阻止闘争を続けている。
 沖縄防衛局は昨年12月末から、ヘリパッド建設工事を強行に再開し始めた。
 ・12月1日(水)・・・高江裁判(国が高江住民2名に対する通行妨害禁止の仮処分  決定に関し、本訴訟を提起する)において、那覇地裁は両者の対話を提案する。
 ・12月22日(水)・・・防衛局、早朝(6時すぎ)に突然工事に着手。昨年2月   から中断していた工事を10ヶ月ぶりに再開する。早朝強行に住民は怒り心頭。
 ・12月23日(木)・・・夜8時前、米軍ヘリが接近し「座り込みテント」を損壊さ  せる。テントの15メートル真上で「1分間ホバリング」(空中制止)する。テント  脇の車内で寝ていた山城博治さん「風圧で車はぐらぐらと揺れた。テントの中からガ  チャン、ガチャンと食器が割れる音が聞こえた。」「狙われている」と感じたと言う。
 ・1月7日(金)・・・10時から「住民の会」と支援者たちは、嘉手納・沖縄防衛局  において、防衛局交渉と抗議集会を開催する。
 ・1月11日(火)・・・朝7:50ごろ、防衛局再び作業を強行する。
 ・1月13日(木)・・・10時から真部防衛局長と防衛局職員が現場(テント被害)  を視察する。約120名の支援者たちが抗議集会を展開する。
 ・1月17日(月)・・・早朝5時半すぎ、工事作業員らがゲート横の小さな入り口か  らゲート内に入り、作業を強行する。
 ・1月18日(火)・・・「ヘリパッドいらない住民の会」、この日早朝から『24時間  監視体制』に入る。
 現地、「住民の会」から次のような要請が出ているので紹介する。
 「監視24時間体制はじめます。現時点で、この日本政府・沖縄防衛局の早朝・深夜に動く異常事態に対し、24時間体制で監視活動を行う事を決めました。ぜひ、多くの皆様のお力が必要です。どうか高江現地に人を集めてください。どうか、人を送る体制を協議してください。明日、明後日、1週間後、1ヶ月後のローテーションを組んでください。現場では1人の存在が大きな力を発揮します。自然を破壊し、住民生活を破壊し、戦争につながるアメリカ軍のヘリパッド建設を皆で止めましょう!」
 なお、現地の様子を詳しく知りたい方は、「住民の会」のブログ「やんばる東村高江の現状」か「http://takae.ti−da.net/」を見て下さい。(英)


 色鉛筆 D君との出会い

 盲学校のD君とはじめて会ったのは、私の子供が通う小学校の交流行事の時でした。PTA主催の収穫祭(地域の小学校・盲学校で収穫したじゃがもを使用した料理を一緒に作る)を盲学校の子ども達と一緒にすることになりました。
 私はD君と同じ班で芋餅を作ることになりました。彼は緊張しながらも健常者の子供達と一緒にゆであがったじゃがいもつぶしをしました。他の班ではポテトサラダ、ポテトフライ、肉じゃが・カレーライス等を作り、出来上がった料理をみんなでおいしくいただき楽しいひとときを過ごすことが出来ました。地域の学校との交流行事は小学校で終わり中学校になるとなくなりましたが、収穫祭のあと学年全員からお手紙をもらい、大切な宝物として彼の心に残っていました。
 当時D君は母親と一緒に盲学校最寄りのY駅まで電車に乗り、下車後は一人で白杖を使用せずスクールバスに乗って通学していました。
 それから五年の月日が流れ、高校3年生になったD君は視力もさらに落ちほとんど周りが見えなくなりました。そのころお父さんの職場が倒産し、お母さんは色々な心労が重なり精神病院に入退院を繰り返すようになりました。
 家庭での生活がむずかしくなったD君は盲学校の寄宿舎に入り、私と再会しました。
一人での食事経験がないためカップ麺も食べられません。また周りにぶつかることが増えてきているのに、見えていなくても見えているように装い、白杖を利用しない状態でした。しかし、一緒に暮らす周りの友達が、がんばって一人で色々なことにチャレンジしている様子を聞いて、彼の気持ちも少しずつ変わりはじめました。昼も夜も雨の日も雪の日も白杖を利用した歩く練習と週一回の買い物に行く練習が始まりした。
 道も色々で、点字ブロックのあるところないところがあります。買い物もコンビニのような狭い場所やスーパのような広い場所もあります。生きてゆく(交通事故にあわない・飢え死にしない)ためには練習を繰り返すしかなく、また恥ずかしくても人に聞けるということが一番大切だと思います。
 練習を重ねるうちに、なんとか一人で自宅に帰り、親がいなくても電気ポットを使用しカップ麺を食べられるようになりました。
 軽い知的障害も重複していたD君は、高校3年になって身体障害者手帳にくわえて療育手帳をやっと取得しました。
 高校卒業後、D君は授産施設に入り毎日クッキーを作っています。昨年成人式を迎え、お菓子部門のリーダーになり、お給料もたいへん少ないながらも毎年少しずつ上がっています。
 小さい頃からピアノを習っていたので毎年発表会があり、昨年はショパンのノクターンを弾きました。お母さんも毎年発表会を楽しみにしており必ず聞きにきています。
 私の子供はD君を覚えていますが、少ない交流なので残念ながら同級生という認識は全
くありません。また、分かれて教育を受けているので、見える人は点字ブロック上に駐車・駐輪することが平気な現状です。それも悲しいことです。
 地域の学校で個別の支援教育を受けることは、財政難で教員採用数が少なく現段階ではとてもむずかしいと思います。しかし、ほんらいはどの子も同じ環境で学べることが必要だと思います。また、不景気が貧困状態を創り出し、障害者にしわよせされていることも悲しい現実です。 (晃)案内へ戻る


 児童劇11匹のネコとアホウドリ≠見て

 1月4日、吹田のメイシアターへ11匹のネコとアホウドリ≠見に行った。ジャガイモを見つけたノラネコ11匹、本来、美食家であるネコたちはジャガイモを料理して、おいしいコロッケにして食べるが、もっとうまいものが食べたくなる。ローマの貴族たちのうまいものを食べたいという欲望と同じように。
 アホウドリがやってきて、こんなにうまいコロッケを仲間たちにも食べさせてやりたく思い、ネコたちにアホウドリの島へきて、コロッケを作ってほしいとたのむ。ネコたちはトリの丸焼きを食べたいという美食の欲を、コロッケを作ってあげるという友愛のオブラートで包みかくして、海をこえてアホウドリの島へやってくる。
 ネコたちの善意を信じ込んだアホウドリは、小さいのから大きいのまで総勢で出迎えコロッケをおねがいします≠フ一点張り。ネコたちは、ついには恐れをなして逃げかえるというのがこの劇のストーリー。
 ここで策士家のネコに、アホウドリの名の如く、アホの一つ覚えの如くコロッケ作って≠くり返して、ネコたちを逃げ出させる。世上に流布している正直者は馬鹿を見る≠ニいう格言をひっくり返して、アホウドリの愚直さが勝つという物語。だが、ここから教育的に正直者が勝つという教訓を引き出すこともできようが、食欲、美食の追求という欲望では、鳥獣も人間もさして変わりない。
 私は、むしろ人間と鳥獣とどこがちがうのか、という問いを引き出したく思う。この問いを経て、来年はどのようなネコとアホウドリが出来するだろうか。 2011・1・8 宮森常子
附記
 ネコたちはなぜ、アホウドリの島から逃げ出したのだろうか。原作ではネコたちがコロッケ屋をやり商売をはじめるが、劇では商売やるネコたちの部分は割愛されている。


 タイガーマスク運動に思うこと

 タイガーマスクだけでなく、いろんな差出し人が現れ、贈る品物もランドセルだけでなく、野菜・文具・オモチャなどいろいろ。情の文化ともいわれるこの大衆運動は、バラェティに富んだ名や物で楽しげにさえ見える。なぜこうした運動が全国的に広がったのだろうか。強きを助け弱きをくじく、という世上の支配的な風潮に対してカワイソーから始まる庶民の心情の表出として、弱きを助ける(「強きをくじく」にはいたらない)善行として対置したかったからではないだろうか。
 こう見てくると日頃の不満のガス抜きでしかない行動である故に、持続性は期待できないのではなかろうか。
 もう一つ気になるのは、差出す人の匿名性である。多くを言うまでもなく、出る釘は打たれるのを恐れて名を明らかにしたがらない、という日本人の習性の故か。はたまた日本的美学、善きことをしながら名を明かさないという奥ゆかしさを好む故か匿名がはやり、責任のない名前遊びとなる。
 みんながやっているから自分もという自律性の無さが許されてある。自らの意見や異議申し立ては、このような風潮の中から生まれにくいのではなかろうか。それを否定しようとして両極端に走りがち、その両極の間はムニャムニャ。
 タイガーマスクの運動は、ムニャムニャのありようの運動といえようか。ムニャムニャのままならば、いつしか立ち消えにならざるを得まい。喜捨の歴史をたどれば、明らかになるだろうが。私はむしろ、タイガーマスクの運動に賛同した人々が、自らの行為の中から何をつかみえたか、を考えてみることは大切なことであろうと思う。 2011・1・14  宮森常子
附記
 タイガーマスクの運動に類似の作品101匹のワンチャン=A枝雀落語の題名は忘れたが、天王寺の五重の塔にぶらさがった男を救うための大衆動員の話を想起する、タイガーマスク運動は大阪的なのかな?


 編集あれこれ

 前号は、431号と432号の合併号だったので、新聞の発行は1カ月ぶりになりました。その間に菅政権は内閣改造を行い、たちあがれ日本を離党した与謝野馨を経済財政担当大臣に据えました。彼は、消費税を中心とする大増税路線を主張しているので菅政権もそういう方向へ大きく舵をきったと思います。
 さて前号の1面は、正規労働者と非正規労働者の待遇格差をなくそうという呼び掛けです。これなくして、真の労働者間の連帯はないと思います。2・3面は、大きな政治を語り合おう!という記事で、企業単位、国家単位の発想から脱却しようという内容です。今の菅政権を批判するのはたやすいですが、これに対抗するべき私たちの陣形が圧倒的に弱いと思います。私たちが未来を切り開く大きなビジョンを切り開かなくてはならないと思います。
 6面は、自殺者が毎年3万人を超えるという記事です。自殺者が多いということは、それだけ今の社会が病んでいるということです。自死遺族の二次被害が問題になっています。例えば、自殺した人が借りていた家の貸主から遺族に多額のお金を請求するということが強行されています。こういうことがないような法整備が急務です。また、
いつものように、コラムの窓や色鉛筆や読書室も充実した記事が書かれています。今後も、紙面の充実にはげんでいきますのでよろしくお願いします。 (河野)案内へ戻る