ワーカーズ434号 2011/2/15
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「戦争できる国」づくりへの監視を強めよう!
憲法審査会の「規定づくり」は改憲準備---与野党改憲派が画策する危険な冒険主義
通常国会で、消費税の増税、社会保障や福祉の切り詰め、TPPへの参加の是非などが議論されようとしている。いずれも労働者にとって重要な問題だ。
もう一つ、見落とせないのが、憲法をめぐる動きだ。
07年に、改憲を可能にする国民投票法が当時の与党によって強行成立させられた。それを受けて、衆参の両院に「憲法審査会」という機関が誕生。「憲法改正原案」をつくり、「憲法改正の発議」を審議する場が、国会の中に初めて登場した。しかし、この機関は、これまでは動かすことが出来なかった。改憲論に乗ってこず、むしろ警戒心を強め始めた民衆の姿を前にして、委員の数や審議ルールを定めるための規定をつくることが出来なかったからだ。
ところが、今国会で、この規定をつくってしまおうという動きがにわかに強まってきた。
背景には、予算や関連法案の成立が危ぶまれる中、野党の中の改憲勢力の協力を得ようとする駆け引きがあるとも言われている。改憲をめぐって事実上の大連合が行われる危険性もかねてから指摘されているとおりだ。
憲法9条を変えて自衛隊が海外の戦地で米軍などと軍事行動を共に出来るようにしよう≠ニ主張する勢力は、「中国や北朝鮮への備え」を言い、「イスラム急進主義の脅威」さえ口にし、「国民の命と財産を守るため」と合理化する。
しかし、「脅威」は外交や経済交流などを強めることでこそ軽減可能なものであり、軍事力頼みは相互不信と対立を激化させるだけだ。そもそも我が国の軍隊は、国民の命や財産を奪い、破壊した事実はあっても、決してそれを守ったことはないというのが、歴史の重い教訓のはずだ。何よりも、労働者・市民は、同じ境遇にある世界の労働者・民衆どおしの相互理解と連帯の発展の中にこそ、真の平和の保障を見る。
いま世界は、チュニジアに始まり、エジプトを揺るがし、さらに広がろうとしている中東の動きが物語るように、民衆抑圧への抗議、民主化を求める声が大きく噴き出している。この声の中には、米国など大国による強大な軍事力を背景にしたほしいままな世界支配への反発も込められている。
「平和と安全」に名を借りた軍拡政治=改憲への動きに、労働者・市民の監視を強めよう。 (阿部 治正)
沖縄通信 名護市・稲嶺市長を支援しよう!
基地建設反対の稲嶺市長が当選して1年がたつ。
この間、民主党政権は「海にも陸にも基地を作らせない」と言い切る稲嶺市長に対して、極めて冷淡な態度を取ってきた。特に防衛省の露骨な「ムチ」政策が目立つ。名護市への再編交付金支給を保留していた2009年度の繰り越し分約6億円・6事業の交付を取り止め、10年度分10億円も交付しないと決定した。また、辺野古基地建設を押し進めるため、辺野古に名護防衛事務所「防衛職員44人も」の設置も決めた。
稲嶺市長が辺野古新基地建設に関する環境調査への協力を拒否したところ、防衛省が名護市に「行政不服審査法」に基づく異議申し立てを行った。さらに、沖縄防衛局は漁港漁場整備法に基づき農水相にも審査請求をした。鹿野農水相は「過去に政府機関が審査請求した事例はない」と、国による請求は初めてだと言っている。
沖縄防衛局は、辺野古の浜の有刺鉄線(民間地とキャンプ・シュワブの境界で鉄線に全国からの連帯メッセージが掲げられている)を取り壊したばかりか、コンクリートの壁を新たに設置する工事を開始し、5月完成をめざしている。
こうした防衛省の圧力を受ける名護市・稲嶺市長を支援する運動が広がっている。「ふるさと納税」を利用して名護市を支援しようという運動である。
名護市によると、再編交付金の不交付が決まった12月24日以降、申し込みが急増し、中には300万円もの高額もあるという。「辺野古移設に反対する稲嶺市長を支援する」「基地を受け入れなければ金をやらないという国の態度は許せない」などの応援メッセージも届いているようだ。
「ふるさと納税」を利用した支援活動を広めていこう!(英)
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就職氷河期に就活≠考える──企業横並び処遇の確立が大事──
年度末も押し迫り、今年も就職戦線は凍り付いたままだ。採用数を絞る企業の門は狭く、超氷河期時代≠ニいわれる状況が続いている。
また昨年はシューカツ≠ニいう語がかつてないほどメディアに取り上げられた年でもあった。その語には、希望の就職口をめざして早期から就職活動を繰り広げざるを得ない学生の追い詰められた姿も映し出されてもいる。
本人や家族の不安や心労はつきないし、目先の改善策も不可欠だ。が、就活℃柾の背景にあるより根源的な日本的な労働慣行レベルで改善していかない限り、抜本的な改善は望めない。
■超氷河期■
この春に卒業予定の学生の就職戦線は、かつてなく厳しいものになっている。
年明けの1月18日に政府が発表した12月1日時点での就職内定率が68・8%で、ほぼ3人に1人はまだ内定がない情況だという。こうした厳しい状況を受け、都市部ばかりでなく地方でも、経産省や自治体、それに就職斡旋会社にる集団説明会なども数多く開催されている。そうした場には、まだ就職が決まっていない学生が大勢集まる情況だという。リーマンショック以降の不況期に遭遇した不遇を恨みながらも、懸命に就職活動を続ける若者には、つい応援したい気持ちがわいてくる。
この年末から年明けにかけて、都会のオフィス街や電車などで熱心にメモなどをのぞき込む学生さんらしきリクルート姿が多く見かけられた。その多くが来年度の採用をめざす3年生であることは,いまではよく知られている。
新卒者の就職難が続く今年度、早すぎる就活≠ノついて多方面から危惧する声が続いた。学術会議など大学側が先行したが、学生の学力低下を嘆く企業サイドからも是正の声が出るようになった。
それもそうだろう。かつての「就職協定」では4年次の8月に会社訪問解禁、11月1日内定解禁とされ、その後の経団連「倫理検証」では「卒業年次に達しない学生に面接などの選考活動を行うことを現に慎む」と謳ってはいるが。が、それらはなし崩し的に年々速まり、いまでは学生による企業訪問は3年生の春から始まっているのが実情だといわれる。
大学生活4年間のうち、後半の2年間は学業もそっちのけで企業廻りを強いられる学生にとって、学業だけが学生の本分ではないとしてもかなり偏った学生生活を強いられている。それでなくとも学力低下を指摘されるいまの学生、学生生活の半分も就活に割かれているとすれば貴重な学生時代は空洞化せざるを得ない。
早期化する就活期について、学業への悪影響の他にもいくつかの具体的な弊害も指摘されている。春期一括雇用システムで希望の企業に就職できなかった学生の就職浪人≠フ増加、あるいは海外留学希望者の減少などに象徴される内向き指向≠ネどだ。
当然の事態といえる。それらと就職氷河期や早すぎる就活との間の因果関係は疑えないだろう。就職戦線の異状は、内定率の低下に止まらない、日本的な労働市場の歪みを反映しているわけだ。
■改善案も必要だが■
春期一括採用や採用スケジュールの短縮化に関して、学校側や企業などから改善策も出されている。新卒扱いの1年、あるいは3年程度の拡大などの一括採用システムの見直しだ。政府も昨年9月に卒後3年間の応募が可能になるような制度改正を「直ちに取り組む」としてまとめている。すでに商社などいくつかの企業や産業で、あるいは就活関係者などから、企業の募集広報を数ヶ月遅らせ、3年生の冬からとする案も出ている。企業批判の声を受けた経団連も無視できず、数ヶ月の後送りを検討する態度を示している。
個々の企業では、既卒者と新卒者を同じ採用枠で受け付けている企業も中小企業を中心に多くある。ユニークなのは、新卒3年程度を就職予約期間と見立て、それまでの期間、何をやってもかまわないという企業だ。その間、海外を見て回ったりボランティア活動などしたり、社会人としての視野や人格・技量を拡げたうえで就職できる、というものだ。もちろんその企業に就職しなくてもかまわないという。確かに新卒者にとって魅力的な採用システムではある。
しかし一括採用システムの見直しには、大きな危惧の声も出ている。要は就職戦線がより厳しいものになる、というものだ。新卒市場の枠を3年に拡げれば、企業の限られた採用枠にその分だけ就職希望者が殺到するからだ。
■ミス・マッチ
就職内定率低下の背景には、採用の枠を絞る企業の姿勢がある。労働コストを抑えることで利益を拡大しようとする企業にとって、新卒者の雇用は最低限に抑え、足らない部分は何らかの非正規労働者で補完する、というのが経営戦略になっているからだ。
少子化でも進学率が上がって、今年3月の大卒求職者数は対前年度比1・9%増の45・6万人。対して企業の求人数は対前年度比19・8%減の58・2万人、08年比では38%も減っている。結果的に今春卒業予定の学生の有効求人倍率は昨年の1・62倍から1・28倍と大きく低下している。就職の扉は狭まってはいるが、数字の上ではまだ求職者数より求人数のほうが上回っている。
しかしちょっと細かく見ていくと、5000人以上の大企業が0・47倍なのに対し、中小企業は逆に4・41倍となっている(リクルート・ワークス)。求職希望が大企業に集中しているのが一目瞭然だ。結果的に、多くの学生は雇用が安定していて処遇も恵まれている大企業に集中するため、希望の大企業に多数応募して結果的に選外となるケースも増えている。
企業側といえば、新卒採用に当たっては学生の能力重視を謳ってはいる。しかし、能力などすぐ分かるものではないので、結局は外形的基準としての大学の序列を基準に採用しているのが実情だ。いはば厳しい受験戦争を勝ち抜いていい大学には入れた学生は、たぶん能力が高い学生なのだろう、と。一定ランク以上の大学の学生以外は採用しない企業と、下位校学生の間でのミス・マッチ≠ナある。このため、企業の選別から振り落とされる学生にとって、何件応募しても書類審査段階で落とされる、面接までこぎ着けない、という、落胆の声となる。
学生の就職希望が大企業に集中する事情もよく分かる。新卒採用される会社次第で、一生の職業生活が左右されるかもしれないからだ。中小企業との間に雇用の安定感や処遇で大きな開きがあるのは事実で、中小企業での募集案内と実際に就職してからの処遇の実態がかけ離れたものだった、などというニュースは聞き飽きるぐらいに聞かされてもいる。
こうしてみてくると、結局は企業の階層構造を前提としては、どの企業を希望するのか、という選択≠セけでは根本的な解決は難しい、ということだろう。
■企業横断的な処遇■
ここでは選択≠ニいう土俵そのものから自由な発想で就職というものを考えたい。企業の処遇を自分たちが変える、日本の企業社会、その風土を変える、という発想への転換だ。急がば回れ=Bこうした課題はなにも就職希望者だけの課題ではない。求職者の親やすでに働いている人にとっても共通の課題なのだ。
企業に雇用や処遇の格差がある限り、就職氷河期・過酷な就活は無くならない。かりに大企業でも中小企業でも同じように雇用の安定感があり処遇もそれほどの違いもなければ、あえて大企業に希望が集中することはない。自分が就きたい仕事をやっている企業に、規模も地域もこだわることなく就職すればいい。
ところが現実はそうではない。日本の企業社会には厳然たる階層構造がある。一つは、大企業→中小企業→零細企業、二つは、親企業→下請け企業→孫請け企業、付け加えれば、エリート社員とそれ以外の社員の格差構造もある。これらは正規労働者と非正規労働者との格差構造と合わせ、日本における二大格差構造ともいえるものだ。これらの間の格差は、雇用の安定程度や労働時間でももちろんある。それ以上に歴然としているのは賃金などの処遇格差だ。
たとえば日本を代表する企業であるトヨタでは、トヨタを基準として元請け企業で7〜8割、孫請け以下では5〜6割ぐらいの処遇になっている(グラフ参照)。こうした階層構造がある限り、大企業に就職したいと考えて当然だろう。
賃金の他にも企業風土は千差万別だ。極端な例だと、ワンマン社長の横暴な振る舞いで、労働者を昔の奉公人のように扱っている会社もある。また管理職層も含めて、労働基準法を遵守するどころか、その趣旨と内容を知らない経営者も多すぎる。新聞などの報道でも、そうしたあまりの理不尽さに嫌気がさしたり,病気になったり、退職に追い込まれるケースもあふれている。身の回りにも多数いるはずだ。
こうした処遇や企業風土を変えることが、長い目で見れば自分の、あるいは自分の子供達の就職に当たって何よりの安心材料になる。一握りの大企業めざして新卒者が殺到する、という事態を変えることができる。
こうした課題誰によって実現されるのか。それは一人一人の労働者であり、それらがつくる労働組合の役割でもある。この数十年、一部の熱心な活動家や組合ががんばってきたとはいえ、メディアはそうした方面に目を向けることを怠ってきた。当事者たる企業組合中心の連合も、多くは活動者やグループを会社の先兵となって排除してきた当事者でもある。
学生の親も同じだ。無理からぬ面もあるが、自分の子供には組合に関わるような危ない橋は渡らせない、という思いが強い。結果的に,学生の中には労働組合とは悪い組織だとのイメージも作られてきている。もちろん、その一端は私たち労働者派の力が脆弱なことにも起因している。それらすべての結果が、現在の利益中心の企業原理と採用側の都合だけが優先される就職事情ががまかり通る現状をつくりだしてきたわけだ。
かつて労働運動の発祥の地である西欧の労働者社会では、職業生活に船出する子供に、家族ぐるみ・地域ぐるみで、仲間どうし連帯する手立てと心構えを育んでいった伝統があった。いまの日本で直ちにそうした風土を拡げるのは簡単ではない。が、どういう職場に入っても、自分たちの連携の力で人間らしい働き方と処遇改善を実現するという、企業横断的な処遇の実現という第三の道≠開拓していくべきではないだろうか。それこそが自分や子供の主体的で安定した職業生活を切り開く道のように思えるのだ。(廣)
コラムの窓 ゴールを間近にして
20歳前から始めた郵便配達というこの仕事も、3月末に定年退職となります。この10年ほどは、郵政省から総務省・郵政事業庁へ、さらに郵政公社を経て現在の民営へとめまぐるしく変遷してきました。その形態が変わるたびに職場環境が悪化し、多くの先輩が定年を待たずに職場を去って行きました。とりわけ民営化の折には、それまでの国家公務員という身分を失うということで、辞めて行ける人が羨ましいという雰囲気さえあったように思います。
私はといえば、そうした光景を横目に、定年までは歯を食いしばって、意地でも辞めずに働き続けることだけを考えてきました。その甲斐あって、ようやく年休消化で休みに入り、あとは年度末の3月31日に定年退職の辞令を受け取るだけになりました。ちなみに、郵便事業会社の正規社員の平均年収は637万円とか。何を隠そうこれは私の年収とほぼ同じです。40年も勤めて、定年を迎えるというのに、いろいろあってこの金額です。特に後悔とかありませんが、反抗することの経済的不利益は少なくなかったのです。
ところで今、郵便職場はリストラ前夜を迎えています。ペリカン便との合併のとん挫からゆうパックへの統合過程で大赤字を出し、その後も赤字は止まらないなかで、賃下げと人減らしというありふれたパターンへと進みつつあるのです。実際、破綻しつつあるペリカン便を抱え込んだゆうパックが黒字転換することなど考えられません。赤字をなくすには、小包部門を廃止するしかないでしょう。
そんな構造的赤字垂れ流しのなかで、バレンタインやホワイトデーのゆうパック、その先は子どもの日や母の日と果てしなくイベントゆうパックのノルマが押し付けられます。しかしこれが、かつてのポスタルサービスセンターから郵便局ビジネスサポートへと利益の行き先が変わっただけで、ノルマのために自腹で自爆営業≠している職員は1個につきいくらという手数料≠ファミリー企業に貢いでいるのです。こんなものはどれだけ売っても、事業会社の利益に貢献することなどありません。
いずれにしても、現場労働者の努力や意欲とはかかわりのないところで郵便事業は破綻しつつあります。国民新党の亀井静香代表は郵政法案の行方について、「首相が文書で約束したことを通せなかったら政治じゃない。参院で否決されてても衆院の3分の2で再可決すれば通る。反対する民主党の連中は除名すればいい。公明党が修正したいと言うのであれば、謙虚に話を聞く。立ち上がれ日本とも話し合いの余地がある」(1月28日「神戸新聞」)と息巻いています。
民営化見直しについて、その行方は不透明ですが、現場が望むことは事業会社と局会社の再統合、郵便部門の不自然な分断の解消です。また、特定局長の特権・利権が名前は変わっても生き延びており、これを完全になくすこと、小規模局の局長を廃止すれば冗費の解消も進みます。しかし、国民新党や立ち上がれ日本にとっては利権友達であり、それは難しいでしょう。
去りゆく私が残る労働者に、この職場に未来はない、破綻は近いなんて言うのは無責任なようなようですが、それが郵便職場の現状です。そんななかで、郵便屋としての労働者生活を無事に終えることができることを、誇りとしていいのではないかと思っています。(晴)
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読書室 「必要ですか?子宮頸がんワクチン」特定非営利活動法人日本消費者連盟500円
昨年、20代の娘に市の健康づくり推進課より「子宮頸がん検診無料クーポン券」が送られてきたり、新聞・テレビのマスコミで子宮頸がんを盛んに取り上げ、子宮頸がんは危険であることを大問題のように騒ぎ、子宮頸がんワクチンの公費助成を求める動きがあった。すると私が住んでいる市でも『子宮頸がん等ワクチン接種事業ー無償化に』と議会で可決されて、ワクチンを勧めようとしているが本当に必要だろうか?と疑問を感じていた時、新聞でこの本を紹介していたのですぐに取り寄せて読んでみた。
子宮がんには、子宮頸がんと子宮体がんの2種類あって、子宮頸がんはヒトパピローマウィルス(以下 HPV)が原因ではないかという仮説が1976年に出され、その後子宮頸がんの組織の中にHPVの16型が見つかり、2006年にワクチンがつくられ、日本で2009年薬事承認され販売が開始されたという。子宮頸がんが1999年あたりから若い世代に急に増え、子宮頸がんは性交によって感染するHPV感染が関係しているということで問題になり、「子宮頸がんワクチン」の定期接種を求める声が高まって、厚生労働省は2010年度予算における「子宮頸がん予防対策強化事業」の中で子宮頸がんワクチンに対して150億円の特別枠を求めたという。だから各地域の自治体もその補助金をあてにしているのだろう。
ところがこのワクチンを接種したら子宮頸がんに罹らないという確証はないということが書かれていて、やはりだまされてはいけないことがわかった。このワクチンの4つの問題点として「@感染してもがん化しない場合が多いAワクチンが効くのはわずか2種のウィルスBワクチンの効果は研究不足Cワクチンの値段は正当か?」をあげてあり、ワクチンより検診の方が有用性が高いことも書かれていた。この本の中で何より驚いたのは、このワクチンの製造元は英国のグラクソ・スミスクライン株式会社(以下 グラクソ社)で、2009年に問題となった新型インフルエンザワクチンの輸入先もこのグラクソ社。新型インフルエンザの後に、それに代わるワクチンをこの会社から購入しているが購入決定の経緯などは不透明だという。グラクソ社は世界各地で子宮頸がんワクチンの販売活動を行っていて4兆円ワクチンビジネスともいわれているという。ワクチンの費用は1人あたり3回の接種で4万5000円くらいになり値段が高いので公費助成を進めようということのなったようだが、1回1万5000円のワクチンの原価が1万2000円くらいなので利益のほとんどがグラクソ社にいってしまうという。今年度は各地域の自治体が全額補助するところが増えているから必ず儲かるしくみになっている。
本書の中に予防接種問題の先駆者で、元国立公衆衛生院疫学部感染症室長だった母里啓子さんが「その昔、予防接種では種痘が下火になったら、腸チフス、パラチフス、それがなくなったら、インフルエンザが出てきました。インフルエンザの学童への強制接種がなくなったら、次にはMMR(三種混合ワクチン)が出てきました。そして、MMRが中止されると、今度は高齢者へのインフルエンザ。MMRの復活は難しいということで「安全性」について強調されたMRが導入されましたが、この.MRでも副作用の被害は出ています。このように、国民のためと称しながら、常にワクチン業界の育成のための予防接種という面が見え隠れしています」と、日本の予防接種の流れと根本にある真実を暴いている。全くその通りだ。「ワクチンで防げる病気は防ごう」「ワクチンを受けないのはおかしい」という風潮を作って、十分な検証のないまま新しいワクチンが勧められているが、本書に『子宮頸がんワクチンで副作用、失神多発』と書かれていた。やはりワクチンの接種には必ず副作用が伴っていて、稀には命を失うような重篤な症状を引き起こすこともあるのだ。
また、母里さんは「病気というものは全部悪でしょうか?みんなが罹る病気ならば罹って、それで自然に免疫を持って治ってゆく病気に対して、罹らない方がいいという考えが強すぎるのです」「この子宮頸がんワクチンについても、効果や副作用、誰に必要かなどについて学び、一人ひとりが的確に判断していくことが必要です」と言っている。その他にも本書の中に、HPV感染がどうして起こるかを子どもたちにきちんとした性教育が必要であることや、子宮がん検診率を上げるには検診の方法を考えなくていけないこと等々、わかりやすく書かれているので是非読んで見て下さい。(美)
自死遺族の裁判・署名のご協力に感謝します
ワーカーズ紙面で自死遺族の集いや署名の呼びかけをして頂きありがとうございました。実際、ワーカーズ会員の多くの方や何人もの読者の方が、集めにくい内容の署名活動に熱心に取り組んで頂き、また不当な自死遺族裁判の傍聴や自死に向き合う集い(東京と静岡)に参加して頂いたことにどれだけ励まされたことか、この場をお借りしお礼申し上げます。
私は2009年3月、34歳の息子を自死で失いました。かつて職場新聞などで増え続ける自殺者の増加に「他人事ではない」と訴えてきましたが、実際、自分の家族の身に起きてみると、これほど深い心の痛手を負うとは。一昨年は暗闇の世界にいたせいか、桜も紅葉もあったのか、まったく記憶にないのです。
息子は21歳で統合失調症になりました。少しずつ回復し5年前にヘルパーやガイドヘルパーの資格を取って仕事するようになりました。しかし、福祉施設では薬の副作用(のどの渇き)で頻繁に水を飲めば注意されたり、老人の方にどなられたり、あるいは家庭訪問で統合失調症の方の荒れ放題の状態に、衝撃を受けたりしました。長年の心臓病持ちの私を気にかけていたので、将来の一人暮らしになった自分を見てしまったのです。
2年ほど勤めた後、一年間きちんと職業訓練施設に通い、新たな仕事が決まりました。しかし、リーマンショックですぐ内定取り消しになり、自分は必要とされない人間だと感じたのです。その後、仕事のことで相談に行った福祉保健センター担当員のあまりに冷たい態度(彼の日記帳に記述あり)、娘のうつ、そして親が心から寄り添ってあげられなかったことも重なって自分の誕生日の日に命を断ちました。
それから一か月半、自責の念でアルコール漬けの生活。そのうちワイフや娘も後追いするのではという恐怖感で、助けを求め、いくつかの自死遺族の分かち合いの会に月に何回も出かけました。自らの体験を話し、また同じような体験を聞くうちに癒されるようになりました。また、家族の苦難を持ちながらも私たちに寄り添ってくれる友人たちの存在は大きく、どれほど助けられたことか。うつ病も併発しながら、本人なりに精一杯生き切ったと感じられるようになりました。
昨年の夏に二か月半のスタッフ研修を受け、現在、NPO法人の分かち合いの会でボランティア活動をしています。他方で、アパートやマンションで自死した家族への理不尽な請求に対して、裁判で闘う人たちへの支援や署名活動に参加するようになりました。
多くの会員や読者の方に心励まされるご支援を頂きましたが、公正な判決を求める署名と偏見・差別を是正する署名(いずれも3月15日締め切り)に賛同頂ける方、追加署名をして下さる方がおられれば、用紙を送らせてもらいます。1名分でも数名分でも大変助かります。宜しくお願いします。
(石井 hqg04202@yahoo.co.jp)
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色鉛筆 「冤罪を無くすためには・・・袴田巌さんを支援する会」
1996年、静岡県清水市(現静岡市)の味噌製造会社で一家4人が殺害された事件で、警察・検察は、会社従業員で元プロボクサーの袴田さんを逮捕・起訴した。
元ボクサーであるという偏見から「犯人」と決めつけ、真夏の密室で日に平均12時間もの虐待・拷問に近い取り調べを行い、20日後に「自白」させている。
袴田さんは裁判で無罪を訴え続けてきたが、逮捕から今日まで45年間(そのうち死刑囚として30年間も!)囚われたままだ。
1990年頃から精神が不安定となり、昨年になり初めて法務省担当医が精神疾患を認めた。裁判の公正を信じ、無罪になることに希望を抱いていたが、1980年の「死刑確定」から、それが絶望に転じたことが大きな原因である。
警察により味噌タンクから1年以上後に「発見」された犯行時の着衣とされる衣類は『血の赤が鮮やか』だが、実験すると『まっ黒く変色する』ことが分かった。素人でも袴田さんは無実だと分かる事実が山ほどある。
地元清水や浜松、東京などの市民団体が弁護団と共に地道に支援活動を行っており、日本プロボクシング協会や、2010年には「袴田巌死刑囚を支援する国会議員連盟」も発足し、支援の輪が広がっている。
1月23日の清水での支援集会には、「布川事件」冤罪被害者の桜井昌司さん(63歳)が来静。
袴田さんと同じ体験をし、たまたま「無期懲役」で仮釈放を得られた桜井さんは、時に笑わせながらも、袴田さんのことについては心底怒り、涙を浮かべていた。
桜井さんは「ぼくは3月16日(再審公判の判決の日)に無罪になります。謝ってもらっても大金を積まれてもそんなものは要らない。責任を取れ!と言いたい」と言う。
桜井さんは、杉山卓男さんと共に1967年茨城県利根町布川で男性が殺された「布川事件」で犯人とされ、無期懲役となり、1996年に仮釈放。現在水戸地裁で再審公判中だ。
逮捕当時、検察官が持っていた証拠(桜井さんと杉山さん以外の別人を男性宅前で目撃したという証言など)から、無罪につながるものが多くあったにもかかわらず、それらが「隠された」結果、29年間もの服役、43年余りも犯人扱いを受けねばならなかった。その怒りは強い。
「冤罪被害者はどうして何もしていないのに、やったと自白してしまうと思いますか?」と問いかける。
それは逮捕直後に素裸にされ、そこで精神的に折れてしまい、後は警察の言いなりになってゆくのだと言う。
当時20歳だった杉山さんは『警察は正しい、うそを言うはずがない』と信じ切っていた。取り調べで「○日前どこにいた?」と聞かれ「兄の所」と答えると、「兄は来ていないと言っている」と言われる。すると自分の記憶の方が間違っていたんだと思ってしまう。 こうして作られた自白調書は、完全に捜査官側による「作文」である。
杉山さんは、今後は『検察官が証拠を隠していいシステムを許してきた、冤罪を作っている日本のシステムを変えてゆくために生きたい。うその自白をしてしまう人間のいたみ・苦しみを思えば「捜査過失罪」を作りたい!』と言う。
そして拘置所にいた時の話として「 死刑囚の房は朝9時まではシーンと静まり返っている。死刑執行の呼び出しがあるかもしれない恐怖。9時を過ぎて初めておはようの声が出るんです。毎日死の恐怖と向き合わされる・・・それを袴田さんに30年間も強いている。」(涙)
桜井さん杉山さんの無罪、そして袴田さんの一刻も早い無罪・釈放を勝ち取りたい。(澄)
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「砂の女」のあとを継いで語った「サギとり」
安倍公房の「砂の女」では、さまざまの経緯を経て、生活の中での発明・発見を喜びとすることで終わったところから桂枝雀の「サギとり」が始まる。
「砂の女」の砂、すり鉢の底に住む人に四六時中ふりかかってくる砂、毎日毎日、砂をスコップですくう女、これは生活のイメージであろう。このすり鉢地獄に落ちた男(科学者?)はもがいた末、脱出をあきらめ、こうした生活の中でスズメを捕まえる工夫や発明をしてコオドリする。
水の発見も、水の無いこの地においてのみ意味があり、普遍性の追求をすて、この限られた場での発明発見に喜びを見出そうとするところで終わる。桂枝雀の「サギとり」は「砂の女」の終わったところからはじまる。最初のスズメとりは、奇想天外なスズメとり方法、抱腹絶倒の後、次はサギとり≠ナ、サギを捕まえようとしてサギに囲まれて空に舞い上がり、天王寺の五重塔のひさしにぶら下がる破目になる。
彼を助けようと、エライコッチャエライコッチャのかけ声で、それいけ、それいけと何か知らんがたくさんの人が天王寺めざしておしかけるあたりは、南大阪の大阪人気質丸出し。
枝雀はみんなで渡ればこわくない≠フ関西版を語ってみせたように思う。私はこうした動きの弱さを語ったものと見たい。民主主義が敗戦によって舞い降りた。民主主義が根づくのは、そうとうに長い時間をかけねばなるまいという、評論家の三宅氏の指摘を枝雀は落語の中で語ったと見たい。 2011・2・4 宮森常子
編集あれこれ
本誌前号で、鎌仲ひとみ監督の長編ドキュメンタリー映画「ミツバチの羽音と地球の回
転」が紹介されました。実際、2時間15分もあるのですが、未来への希望を抱かせる映像に引き込まれました。そこで、原発を拒否するだけでは解決がつかないこと、未来のエネルギーを何によって獲得するのかということ、この課題を回避することなく捉えようとしていることも紹介されていました。
その続報を少し。
神戸のシステム開発ベンチャー慧通信技術工業が、太陽電池を取り付ける祝島の住家に自社開発の計測機器を供給するということです。
「慧通信は電力自給構想に対し、日々の発電、消費量を計測してデータベース化する『スマートメーター』を各戸に設置。インターネットで遠隔管理する。メーターは高齢化した住民が使う健康・医療機器とも無線でつなぎ、心拍数の異常などの緊急信号を島内の診療所に伝わるようにする。栗田隆央社長は『島の人たちの思いに応え、ビジネスとしても成り立たせたい』と話している」(1月27日「神戸新聞」)
純粋なボランティアにこだわることもありですが、ビジネスとしても成り立たせようということも大事だと思います。こうした取り組みを広く普及させるためには、この視点もありでしょう。ちなみに、1月28日付けの「週刊金曜日」が「祝島の島民はなぜ原発を拒否するのか」を特集していますので、ぜひ読んでみてください。
さらに周辺情報を少し。
昨年11月24日、資源エネルギー庁と全国地方新聞社連合会が主催する「未来を支える新エネルギー」シンポジウムが開催されました。内容は、太陽光や風力発電の電力を電力会社が全量買い取る制度を進めようとしている。そのためには消費者に費用負担を求めなければならないので、国民の理解を得るため情報開示なども進めなければならないというものです。
このシンポジウムが報じられたのは1月30日の「神戸新聞」でしたが、全国の地方紙で一斉に報じられたものと思われます。企画特集≠ニいうこうした報道は、大方は国策の宣伝というのが実態です。全国10電力会社による電力供給の独占こそが、再生可能な自然エネルギーの普及を妨害し、いつまでも原発に巨費を浪費させていることを覆い隠すためのキャンペーンなのかと疑うところです。
その電力会社が1月20日、太陽光発電買い取り制のための費用を電力料金に上乗せするとことを発表しています。その金額は、標準家庭で月額2円(北海道電力)から21円(九州電力)になるようです。一方で、電源3法交付金が原発推進に使われており、こうれも電力料金に上乗せされている(月300キロワット時使用する家庭だと100円程度のようです)ことを積極的に国民に知らせ、その理解を得ることなどこれまでなかったし、これからもないでしょう。
菅政権が原発輸出を積極的に推進していることは、本紙でも紹介されてきました。核拡散防止条約(NPT)未加盟の核保有国インドとの原子力協定を進め、国際原子力機関(IAEA)の査察権強化につながる追加議定書を結んでいないエジプトやサウジアラビアなどとも原子力協力を進めようとしているのです。その利害関者として、直嶋正行元経済産業相は全トヨタ労連出身、前職の大畠章宏氏は日立労組出身、川端辰夫文部科学相は東レ出身、現職の高木義明大臣は三菱重工労組出身です。なるほど、原発推進人脈が生きているのです。このように情勢は厳しいけれど、祝島の人々のように明るく抵抗し続けましょう。 (晴)