ワーカーズ436号  2011/3/15     案内へ戻る
悪夢を出現させた自然の猛威!始まってしまった原発震災!

 3月11日、突如として悪夢が地上に出現してしまった。当初、阪神大震災ほどではないと思っていたが、夜になって出現した大火災の映像や、津波の猛威によってこれが未曽有の災害であることを思い知らされた。今も収容できない遺体が海に浮かび、安否不明の人々が多数存在する。孤立し、救援を待つ被災者もまだ多数いるはずであり、一刻も早い救出、支援が待たれる。
 今回、自衛隊も早期に出動したが、他にしなければならないこともないのだから、半年でも1年でも救援に専念すればいい。米軍と一体となって殺人の訓練を受けていても、何の役にも立たない。人を救い、支援するすべを学べば、感謝されることもあるのだから、もう武器はすっかり捨てればいいのだ。
 地震とそれに引き続く津波、これら天災は避けられないものである。もちろん、その被害をできうる限り小さいものにする努力は必要だし、可能でもあろう。もっとも、今回の東日本大震災は想定をはるかに超えた規模のものであり、その猛威の前では人智の無力をかこつほかない。
 これに比して、人災の無能をさらけ出しているのが東京電力、福島原子力発電所の惨事である。原発はその潜在的危険性から、何重もの安全装置が仕掛けらている。とりわけ、炉心を冷却するシステムは過酷事故を防ぐ最後の砦であり、それが無力であるなどということは万に一つもあってはならないもであった。それが実際には見事に何の役にも立たなかったのだから、人災による悪夢の出現である。
 炉心の冷却水喪失、建屋の爆発崩壊、20キロ圏の住民の避難、炉心への海水の注入、これらはどれ一つを取っても尋常ではない事態である。燃料の溶融は、それが進めばスリーマイルへと至る可能性を持っている。それでなくても、避難住民がいつ帰還できるかそのめどは、現状ではない。海水を炉心を注入し続けている炉心から、どれほどの放射能が外気へと漏れ出しているか、想像に難くない。
 テレビではその放射能漏れについて、健康に被害を与えるものではないと言い続けている。自然の放射能とかわらない量であるとか言い立て、福島原発で進行している事態は大したことないのだと印象づけようとしている。それが人体に影響がないというのは、急性のもの、それこそ短期で死に至るものでないということにすぎない。自然から受ける放射能の上に付け加わる形で受ける人口の放射能は、たとえわずかでも人体に影響を与えるのである。
 ある解説者は、被爆≠ニ被曝≠ヘ違う、曝≠ヘ放射能にさらされるということであり、放射能の量が少なければ問題はないのだと言い張っていた。もちろん、原発は原爆ではないのだから、炉心・格納容器が爆発でもしない限り、被爆≠キることはない。もし被爆≠キることがあるとすれば、それはチェルノブイリの再来であり、その時は日本が崩壊するときだろうが、その危機はまだ去っていない。
 被災者が給水を受け、その水を運ぶ映像を見て、16年前を思い出し、思わず涙ぐんでしまった。願わくは、この悪夢がたとえわずかずつでも薄れていくことをひたすら祈らずにはおれない。      (折口晴夫)


波及する北アフリカの民衆反乱!米国による世界支配の破綻は明らか

 23年続いたチュニジアのベンアリ政権、30年近く続いたエジプトのムバラク政権、そして40年余も続いたリビアのカダフィ政権がいま、終焉を迎えようとしている。これら長期独裁政権下では、親族や上層部の国家財産私物化と国民監視の恐怖政治に縛られ、民衆は民主主義も自由もなく苦しめられてきた。その長きにわたる抑圧の異常さは、物心ついた時からずっとムバラクだったというエジプトの若者の発言にも示されている。
 第2次大戦後、アフリカにおいても国家的独立が勝ち取られてきたが、米国や旧宗主国の思惑によってその国境線がひかれた。それが民族的軋轢を生み、さらに地下資源をめぐる大国の介入等によって、多くの国々において軍事支配や内戦が続いてきた。北アフリカの民衆反乱が、米国等のコントロールを乗り越えて、民衆革命を成し遂げるなら、それらアフリカ諸国や王族支配等が続く中東産油諸国へと力強く波及するだろう。
 米国はムバラクに支持を与え、援助を行ってきた。それはアラブ諸国のなかに親イスラエルの橋頭保を確保するためであり、民主主義や自由は国家的利害の前では飾りですらないことを、その外交、軍事的介入によって示してきた。もちろん、オバマ大統領も例外ではない。オバマのベトナム戦争と化しつつあるアフガン戦争では、昨年の民間人死者が過去最高の2777人(駐留外国部隊の死者も過去最悪の700人超え・国連アフガニスタン支援団調べ)となり、米軍占領の犠牲者は増え続けている。
 リビアではカダフィの空爆による自国民殺戮が続き、内戦状態になっている。世界の国々は戦後≠フ石油利権等の思惑を捨て、安易な軍事介入を避けつつカダフィの権力放棄を迫らなければならない。日本もまた米国の汚い軍事支配に追随・加担する日米軍事同盟を破棄し、武器のない世界の実現に貢献しなければならないことは言うまでもない。(折口晴夫)


民衆蜂起は止まらない──始まった北アフリカの夜明け──

 北アフリカや中東で民主化を求める大衆蜂起が拡がっている。
 チュニジアから始まった民衆蜂起は、瞬く間にエジプト・ヨルダン・オマーン・バーレーンなどに波及し、チニジェアとエジプトでは30年も続く独裁政権を打倒した。いまリビアでは内戦状況となり、40年にわたるカダフィ独裁政権を追い詰めている。
 この北アフリカや中東での民衆蜂起は、国境を越えた労働者・民衆のさらなる闘いの発展へのターニング・ポイントなるだろう。
 私たちは、北アフリカや中東での民衆蜂起への連帯を表明するとともに、深い関心を向けていく必要がある。

■正念場

 チニジェアで昨年12月に発生した一青年による焼身自殺を期に拡がった長期独裁政権に向けられた民衆反乱は、年明けの1月14日にはベンアリ大統領の国外逃亡と新政権の樹立をもたらした。四半世紀に及ぶ独裁的な権力者による強権的な政治の下、多くの人々が差別的な処遇や将来に希望が持てない劣悪な生活を強いられた独裁国家特有の大衆的な不満と怒りが爆発したのだ。その背景には、若者の失業率が30%にもなる劣悪な雇用環境など、大統領一族や取り巻きなど一部の政権側の人間が富を独占するという、歪んだ社会・経済構造があった。
 こうした民衆反乱は瞬く間にエジプト・ヨルダン・オマーン・バーレーン,リビアなどに波及した。それらの国でも、基本的な政治・経済・社会構造は同じだったからだ。
 エジプトでは、サダト前大統領の暗殺以降30年以上も強権政治を続けてきたエジプトのムバラク政権が、2月11日には大統領の辞任を余儀なくされた。圧倒的な民衆蜂起を前に軍が政権から離反したのが転換点だった。、
 同じようは民衆反乱は、石油支配権をバックとした王制国家のヨルダンやサウジアラビアにも波及し、大規模なデモや政権批判が拡がっている。
 こうした民衆反乱が拡がるなか、いま焦点となっているのがリビアでの内戦≠フ帰趨だ。
 いま、中東の革命児としてクーデターを成功させて40年間にもわたって特異な独裁体制を築いてきたカダフィ政権が、全土に拡がる民衆反乱に強硬姿勢で対抗している。いまでは大半の地域が反政権側に立ってはいるものの、優勢な兵器を使用した民衆虐殺ともいえる無差別攻撃を続けている。
 日々変わるリビアの情勢だが、今日(3月10日)の時点では、首都トリポリ周辺まで迫った反政府勢力を、カダフィ政権側が戦闘機や戦車を投入した攻撃で押しとどめている、という情況だ。カダフィ政権側は、カダフィ自身の出身部族の他、空軍など正規軍や次男が指揮する直轄部隊、それにアフリカ諸国からの傭兵で固めている。とはいえ、石油生産・積出地域を抑えられている上、大多数の部族や正規軍の一部、それに圧倒的な民衆を敵に回して、政権を再確立する見込みはまず無い。カダフィ政権に正面からテコ入れする国もない。
 反撃に打って出ているカダフィ政権だが、そのカダフィ政権側からの局面打開策がいくつか報じられている。
 一つはカダフィ側近による海外亡命の条件交渉話だ。3月9日、カダフィは使者をエジプトのカイロに送ってタンタウィ軍最高評議会議長(国家元首)と面会し、カダフィの国外退去を含めた停戦に向けた交渉条件などが提案されるかもしれない、というものだ。
 もう一つは、カダフィの使者が,ブリュッセルとポルトガルに向かい、UE指導部に対して武力衝突の状況を説明する、というものだ。いずれも内戦の着地点を探る動きであり、また対外的な支持取り付けをめぐる動きだ。
 ただこれらはカダフィ本人による指示に基づくものであるかは、はっきりしたものではない。取り巻きによる政権の幕引きの可能性を追求した選択指づくりのようだ。とはいえ、側近によるこうした申し出は、政権末期の感を受けなくもない。

■自由とパン

 今回の一連の民衆蜂起の共通点と特徴は、なんといっても長期にわたる独裁政権に対する民衆の不満と怒りが爆発した、ということだろう。その不満と怒りは、まず政治的な自由や権利が否定されていたことに向けられた。
 反乱が拡がった国では、どこでも国民の政治的権利や自由が抑圧されていた。反対勢力は非合法化され、民衆の意志を示す行動も著しく制約されていた。一時的なものであるはずの非常事態宣言は、政権発足直後から30年間も継続していたエジプトをはじめとして永続化されていた。民衆は、監視組織の目や耳を恐れ、言いたいことも言えず、不満や怒りを膨らませるしかなかった。いわば民主主義そのものが圧殺されていたわけだ。
 独裁政治による民衆の不満や怒りは、なにも国民の権利や自由の抑圧に対して向けられただけではなかった。それ以上に鬱積していた不満や怒りは、一部の政権側のものばかりを優遇する差別的な処遇と不公正な政治だった。
 発端となったチニジェアでは30年にわたるベンアリ大統領の政権下で、大統領一族やその取り巻きによる要職の独占、縁故とワイロがまかり通る情実人事、一部支配層による地位と富の独占、その結果としての貧富の格差をはじめとする社会的な分断が広範囲に拡がっていた。
 事情はチニジェアと同じようにクーデターから生まれた独裁政権としてのエジプトでもリビアでも、それに王制国家のヨルダンやサウジでも同じだった。
 なぜこうした不満や怒りがいま一気に吹き出してきたのだろうか。
 ちょっと振り返ってみると、やはり08年のリーマンショック以降の不況の波が北アフリカや中東にも波及していたことが大きいのではないだろうか。
 リーマンショック以降の世界的な不況が拡がる中、欧米を始め世界は緊急の財政支出で不況の深刻化に対応しようとした。一息ついたと思われたとき、今度はギリシャ危機に直面して緊縮財政に舵を切った。米国でもイギリスでも財政支出を切り詰めようとし、その結果北アフリカや中東に流れていた資金パイプも狭まったといわれる。
 民衆反乱が拡がった諸国は、もともと石油収入など豊富な財政を享受していたが、その同じ国は同時に巨額の資金の受け入れ国でもあった。理由はいうまでもなく第一に、イスラエルの存続に固執する米国の意図がある。今回の反乱の舞台になったのは、すべてアラブ・イスラム圏である。それらの国が反イスラエルにならないように、たとえ独裁国家であろうが王制国家であろうが、米国は武器や資金を独裁政権に援助してきた。
○フランスやイギリスも同じだ。かつての宗主国として北アフリカや中東にそれなりの援助をしてきた。独裁政権を通じた利権を確保するためだ。北アフリカや中東の独裁政権は、こうした石油収入や武器・資金援助によって維持されてきたともいえる。その援助によって食料品など安く供給することで、民衆の不満をある程度抑えてこられたわけだ。
 だからそうした独裁政権を支える資金援助が滞れば、それでなくとも苦しい民衆の生活はより深刻なものになる。世界不況後の失業の拡がりも拍車をかける。そうした不満が今回一気に吹き出したといえるだろう。

■北アフリカの夜明け

 中東・北アフリカでの民衆反乱の焦点になったリビア。そのリビアでの民主革命は正念場を迎えている。決起した反政府勢力側も、民衆蜂起によって政権打倒にこぎ着けたエジプトなどとは違って野党勢力もなく、それに民衆相互の連携も不十分だといわれる。当然のことながら新政権の準備もなかった。政権から離反した幹部、各部族、それに今回の蜂起の中心となった若者を中心とする寄り合い所帯だという弱さもある。
 とはいえ、軍事的にまだ強固な面もあるが、身内と傭兵に頼った軍事力がどこまで堅固さを維持できるかは疑問だ。一線を越えれば、雪崩を打って離散する可能性もある。
 緊迫した情勢が続いているが、民衆の熱気とエネルギーは旺盛だという。内戦といっても、正規戦ばかりでなく、ゲリラ戦やレジスタンスの戦い方も可能だ。近い将来、必ずカダフィに取って代わって新政権を打ち立てるだろう。
 仮にリビアでカダフィ政権を打倒し、新政権を樹立しても、その後の展開はどうなるか予測は難しい。エジプトではイスラム同胞団など穏健な反政府勢力があり、また若者を中心とする蜂起の原動力となった民主化勢力もある。それらと旧政権からの離反組や軍が絡んだ政権が発足する可能性が高い。が、そもそも政治そのものが否定されていたリビアでは、民主化勢力の基盤は弱い。ナイル川流域の農耕民を中心とするエジプトとは違って、牧畜部族の血を引いたリビアの部族はいまでも影響力を持っていて、部族がイラクのように新政権を左右する勢力になる可能性もある。軍も新政権を左右する地位を手に入れるかもしれない。
 仮にそうだとしても、今回の一連の民衆蜂起は、北アフリカや中東には止まらない、世界的な意味を持っている。
 米国は今回の民衆反乱の拡がりに対し、当初は政権の安定≠ナ対処しようとして民衆反乱に否定的だった。それが情勢に押される形で政権側を見限る態度に切り替えた。もともと米国は、独裁政権か民主的政権かは問わず、イスラエルの存続や石油支配という米国の国益中心で介入してきた経緯がある。今回の民衆反乱の場面ではまだ反米の態度は浮かび上がっていないが、イスラム色や反米色を強めれば、ここでも米国の世界戦略は修正を迫られる。あのネオコンが親米≠ニいう名の米国傀儡政権づくりを推し進めたのが夢のような話となり、米国の覇権はここでも大きな後退を余儀なくされる事態となる。
 影響は米国の思惑のレベルを超えるものだろう。
 経済のグローバル化が叫ばれて久しい。中国やインド・ブラジルなどの新興国を追う次の新興国には、南アフリカやアルジェリアなどのアフリカ諸国も含まれる。すでに欧米や中国、日本などもアフリカへの進出を進め、それらの国との連携の争奪戦が始まっている。そうした経済的な結びつきが太くなるほど、政治的、また人々の関係も太くなっていく。今回の北アフリカや中東諸国の民衆反乱の拡がりは、90年前後のソ連・東欧諸国の政変と同じように、分断された地域社会がより深く結ばれる一つの世界≠ヨのターニング・ポイントになるだろう。当然、労働者民衆による国境を越えた闘いの連携も拡げなければならない。(廣)案内へ戻る 


読書室 「犠牲(サクリファイズ)わが息子・脳死の11日」柳田邦男 著

きっかけ

 深刻な想いで、僕はこの本を読み始めた。
 きっかけは、古くからの友人のIさんからの手紙だった。2年前に息子さんが、自ら若い命を絶ってしまわれたこと。その後、同じようにご家族が自死(自殺)された遺族でつくる「わかちあいの会」に参加されていること。その中で「自死遺族の社会的被害を防ぐ法律」をめざした「署名」に取り組んでおられること。
 その手紙の内容の重たさに、僕としては、同封された署名用紙を、気軽に職場や知人友人に回す気になれず、Iさんを含む自死遺族の方々に直接お会いして、話しを聞いてからでないと、軽々に取組みはできないと思った。
 そこで、まずIさんにお会いして話しを聞き、次いで「自死と向き合うシンポジウム」に参加し、様々な活動をされている方々の講演を聞いた。この問題について理解を深めるために、Iさんから勧められた本のひとつが、この「犠牲(サクリファイス)わが息子・脳死の11日」である。

心の病

 ドキュメント作家である柳田邦男氏のご子息、洋二郎さんが25才の若い命を絶ってしまわれたのは、1993年の夏のことであった。洋二郎さんは、元来明るく優しい性格の子として育っていたが、中学2年生のとき、教室でみんながふざけてチョークを投げ合っていたとき、その一つがたまたま眼に当たり、眼科で手術を受けた。その時の治療の痛みやその後の経過が引き金になって、心の病にかかってしまった。
 しかし、その当時は、柳田邦男氏も息子が心の病にかかっていることに気付かなかったという。だが、その病はゆっくりと進行していたらしく、大学2年生の時、サークルの合宿旅行から帰宅した翌日、二階の自室の窓ガラスを壊し、外に飛び降りようとした。窓から見える西日に向かって「太陽に向かって走るんだ!」と叫ぶ息子の姿を見て、柳田邦男氏ははじめて状態の重大さに気付き、知りあいの精神科医を呼んだそうだ。
 それから洋二郎さんは精神科に通い、治療を受ける生活がはじまる。大学の方は、対人緊張のため授業に出られなくなり、3年間で退学し、別の大学の通信教育部に移った。「対人緊張」という精神神経的な苦しみ、精神科の治療薬の副作用による苦しみ、自身の将来への不安や、自分は社会にとって役立たない存在ではないかという絶望感。
 その夜、柳田邦男氏と洋二郎さんは、いつものように様々なことを語り合ったそうだ。その後、洋二郎さんは寝室に上がり、柳田邦男氏は書斎で執筆をしていた。ふと胸騒ぎがして、寝室を開けると、洋二郎さんはベッドでコードを首に巻き付けて動かなくなっていた。
 とっさに柳田邦男氏は、電話機に飛びつき、救急車を呼んだ。洋二郎さんは、救命救急センターに搬送され、蘇生措置で息を吹き返すが、医師の説明では、意識は戻らず、脳死状態の一歩手前であることが告げられる。その後、2回の脳死判定が実施された。家族は、洋二郎さんの生前の生き方を配慮し、腎臓移植に臓器を提供することを決断する。そして最後に延命処置が打ち切られ、洋二郎さんが亡くなるまでの11日間のことが、この本では綴られている。
 洋二郎さんは、多分に「文学青年」的であったらしく、大江健三郎ほか多くの文学書を愛読し、日記には読書の感想や、学校でのできごと、精神科での治療のことなどが、たくさん記されていた。また、自らも短編小説をいくつか書いている。柳田邦男氏は、それらの手記や短編小説の中から、公開できる部分を引用する形で、彼が死に到るまでの内面の移り変わりを、追っている。

向き合う

 さて、この本を読んで、今思うのは、「他人事ではない」とうことだ。
 柳田邦男氏が引用した、洋二郎さんのいろいろな手記や短編小説。そこで語られている洋二郎さんの思い。それは、僕が学生時代に、手記こそ書かなかったが、いろいろと悩んでいたことと、本質的には一緒ではないか?
 僕は、洋二郎さんほどには、文学に精通していたわけでもない。また、精神科の治療を受ける程までは到っていないので、治療薬の副作用で苦しんだわけでもない。しかし、人と上手く付き合えない苦しさとか、自分は社会の中で役立たない人間なのではないか?という不安などは、当時の精神状態を思い起こすと、そのレベルは違うのかもしれないが、なぜか「よくわかってしまう」気がする。今思えば、「あれは自殺願望だったのでは」という場面もあった。どんより曇った寒空の下を、一人歩いていると、眼の前に、黒いコートを着て、血を吐いて倒れている自分が、幻覚のように見えたことがある。
 と言っても、実際にはなかなか死ねないものである。「自殺願望が心をよぎる」ことと、本当に「自死を決意してしまう」こととの間には、かなり大きなギャップがあるのかもしれない。しかし、本質的にはつながっていると思えるのだ。
 結局、僕の当時における「心の病」はレベルが低かったのかもしれない。あるいは、当時は周囲に「全共闘運動」の名残とでも言うのか、「アイデンティカル・クライシス」(自己同一性の危機)などということを声高に唱える人々もいたりして、「この疎外感は、社会的労働から切り離されて、非社会的で無意味な教育環境に置かれているためだ」という理屈で妙に自己納得し、憑かれたようにアルバイトを転々として、心の空虚さを埋めようとしていた。
 障害者の反差別の支援運動に加わったのも、政治的動機や社会的使命感からではなく、今思えば心の闇を「運動の荒波」で破壊してしまいたいという衝動ゆえでもあった。その後、医療系の技術学校に入り直し、職場で悪戦苦闘しつつ、リストラ(仲間の首切り)に伴う何度かの「自殺願望」を切りぬけたりして、今もなんとか生きている。
 だが、それでは、こうした労働や社会的運動に参加すれば、すべての人が心の病から立ち直れるのかというと、そうとも言いきれない。「犠牲サクリファイス」の「あとがき」には、次のようなひとこまがある。
 柳田邦男氏のこの手記が最初に「文芸春秋」に掲載されると、様々な人から感想の手紙が来たそうだ。その中で、柳田邦男氏が学生時代にお世話になった助教授の西村秀夫先生からの手紙がよせられた。その西村先生のご子息は、大学闘争のあと、友人達がつぎつぎと就職し、社会人としての予定された鞘に収まっていく中で、自分はそういう生き方ができず、放浪しつつ飯場や山谷で労働者の支援活動に身を投じたそうだ。しかしやがて鬱状態となり、22才で自らの命を絶ってしまったという。
 「こうすれば自死(自殺)を防げる」という答えは、中々見つからない。しかし、はっきりしている事がひとつだけある。97年の金融危機以降、年間の自殺者数が、それまでの2万人から一挙に3万人に増加し、高止まりしたまま十数年続いている。その異常さに社会全体が危機感を持ち始めていることだ。そして自死遺族の人々自身が市民運動に立ち上がりはじめ、その回りに行政・医療・労働関係者などが集まり始めるという、新しい動きが起きていることだ。
 ただ、こうした運動に加わるにしても、何らかの形で自死の苦しみを「わかちあう」こと抜きにはありえないと、改めて思い知らされる一冊である。(松本誠也)案内へ戻る


色鉛筆− 賢い消費者になろう

毎月テーマを設定し、レポートを作り参加者に問題提起を行ない、その後フリートーキング。事前に案内のチラシを駅頭で配布し出来るだけ多くの市民に呼びかける。そんな作業を地道に繰り返してきた。西宮を基盤とする「現代を問う会」である。参加者の層は60才代を中心とした熟年パワーの持主たち。毎回、喧々諤々の議論となり、あまりまとまるでもなく時間切れとなり閉会。
 私は、司会を任されていますが、元気な熟年パワーにおされ、いつも舵取りが出来ず、本当の意味での「フリートーキング」になってしまいます。参加者にとっては、聞きっぱなしの講演会でなく、それぞれが意見を発表し、議論に参加できることが魅力でもあるようです。そんな訳で、「現代を問う会」は参加者がお互いの元気を確かめ合う、いい機会でもあるのです。
 しかし、議論が白熱しその勢いにおされ、発表の機会を得られなかった者には、消化不良になり、身体によくありません。私もその一人ですが、この色鉛筆を借りてちょっと意見を言いたいと思います。
 2月の例会で「TPP」=環太平洋パートナーシップ協定への参加をどう評価するか、議論しました。海外からの安価な農作物で国内の農家に打撃を与えるであろうと予測できることから、農家への所得補償の必要性が訴えられました。しかし、すでに管政権の下で行なわれている所得補償について、有機農法で米作りを行なっている秋田県の農家の方がこんな指摘をしています。
「この政策で、我が村で広がってきた、有機栽培普及の機運がなえてきています。『苦労して有機栽培するよりも、農薬科学肥料を利用して、収量を上げ、米が余って値段が下がれば、所得補償を受ければよい』という農家が増えてきたのです」
 また、私が所属している共同購入会の事務局からは、輸入自由化が避けられない場合、国産農産品を輸入品と差別化するため、特徴のある農業を確立することが必須、つまり、「安全性が高く、持続可能な環境保全型の農業の推進」ですと、具体的な方向性が提起されています。
 有機農業を推進するために市場に売り出される場合、消費者が安く有機農産物を購入できるように政府が、所得の直接補償を行なうこと。これは、現行の所得補償とは違い、目的に合致した有機農家のみに限定していることです。環境にも良く、何よりも人間の身体にやさしい農業を、消費者である私たちからも要求していかなくてはなりません。賢い消費者になろう。それには自らも情報を集め、何が正しいか見極める力が必要性です。そのためにも、「現代を問う会」をこれからも続けて行きたいと思います。  (恵)


沖縄通信 「ケビン・メア米国務省日本部長の差別発言と更迭」

 昨年の12月3日、国務省内でアメリカン大学の学生14名を対象にした日本旅行のための研修が開かれ、メア氏が講義を担当した。
 「沖縄の人は日本政府に対するごまかしとゆすりの名人だ」「沖縄の人々は怠惰でゴーヤも育てられない」「沖縄の人々は普天間が世界で最も危険な基地だと主張するが、彼らはそれが真実でないことを知っている」「日本政府は仲井真知事に『お金が欲しいならサインしろ』と言うべき」など、メア氏の発言を聞いた大学生たちは「人種差別的発言と感じた」と述べている。
 この「ゆすり」メア発言が沖縄に伝わると、一挙に怒りが爆発した。「沖縄の人々と日本人を愚弄する侮辱的発言で断じて許せない」「政府はメア米国務省日本部長の更迭を米国側に要求せよ」等の声が上がった。
さっそく県議会や那覇市などの市町村議会においても、発言の撤回と謝罪を求める決議が次々に全会一致で可決した。
 このメア氏は3年間も在沖米総領事を務めた人物であり、普天間問題では辺野古移設を強硬に主張してきたアメリカ側の実務責任者である。
 3月10日、来日中のキャンベル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)は外務省との会談において、「深くおわびする」と謝罪し、沖縄県民を「ゆすりの名人」と発言したケビン・メア米国務省日本部長を更迭したことを伝えた。
 「ゆすり」メア氏発言をめぐり、まったく主体性がなく受け身一方の日本政府とは違って米政府の迅速対応が目立った。
 沖縄側の激しい・厳しい反応に驚き、米軍基地の不安定化という事態を重視し、火消しに奔走したといえる。
 メア氏は沖縄において、在沖米総領事在任中から非常に評判の悪い人物であった。在沖米総領事在任中も沖縄を蔑視する発言を繰り返していたし、米政府の対日政策実務責任者となった現在も同様の発言をしたことで沖縄の怒りをかった。
 メア氏の発言には露骨な差別意識がある。ある意味では長年沖縄に駐留する米軍関係者の占領者意識(米兵の血であがなって獲得した沖縄の支配者は米国である)とも共通する差別感がある。
 海兵隊勤務の経験があるダグラス・スミスさんが講演で次のような事を述べていた。
 「二つのイメージがあります。一つは人種差別的なイメージ。沖縄人だけでなく、アジア人に対する人種差別です。・・・沖縄に対してもう一つの教えがある。沖縄は戦利品である。この態度はいまだ海兵隊の文化の中にある。その証拠の一つが、沖国大のヘリ墜落事件にもあらわれている。沖縄戦では海兵隊はたくさんの人が苦労し、死んだ。この島を奪ったから、この島は海兵隊のもの。戦利品である」と。
 しかし、今回の日本政府の米国に対する対応・態度はまったく情けない。これほど侮辱的発言をされても、反論せず、追求せず、米大使を呼びつけて抗議さえしない。救い難い鈍感ぶりである。もともと自民党政権以来ずっと日本政府には外交そのものが存在しなかったともいえる。
 参考のために学生らが作成したメア氏講義メモの全文を紹介する。(英)

 私は2009年まで在沖米国総領事だった。日本にある米軍基地の半分は、沖縄にあるといわれているが、その統計は米軍のみが使用している基地だ。もし、日本の自衛隊と米軍が共同使用している基地を考慮すると、沖縄の基地の割合はかなり低い。沖縄で議論になっている在沖米軍基地は、もともと田んぼの真ん中にあったが、今は街の中にある。沖縄人が基地の周囲を都市化し、人口を増やしていったからだ。
 在沖米軍基地は地域の安全保障のために存在する。日米安保条約下の日本の義務は基地のために土地を提供することだ。日米安全条約の下での日米関係は不均衡で、日本にとっては有利だが、米国にとっては損失だ。米軍が攻撃されて場合、日本は米国を守る義務はないが、米国は日本の国民と財産を守らなければならない。
 集団的自衛権は、憲法問題ではなく、政策の問題だ。
 海兵隊と空軍は、1万8千人ほど沖縄に駐留している。米国は二つの理由で沖縄の基地を必要としている。基地が既に沖縄にあるという点と、沖縄は地理的にも重要な位置にあることだ。
 (東アジアの地図を指し示しながら)在日米軍は、東京に司令部がある。物流中核の位置にあり、危機が発生した場合、補給と軍の調整ができる。米軍基地として最もロシアに近い三沢基地は冷戦時に重要な基地だった。岩国基地は朝鮮半島からわずか30分だ。さらに沖縄の地理的状況は、地域の安全保障に重要である。
 沖縄はかって独立した王国で、中国に朝貢していた。とはいえ、中国の一部では決してなかった。米国は1972年まで沖縄を占領していた。
 沖縄の人々は、米国よりも直接日本に対し怒りを持ち不満を募らせている。日本の民主党政権は沖縄を理解していない。日本政府は沖縄とのコミュニケーションの「パイプ」を沖縄に持っていない。私が沖縄の人とコンタクトを取りたいと依頼したとき、民主党の関係者は「ぜひ!ぜひお願いします」という。まだ自民党の方が、現在の民主党政権よりも沖縄に通じていて沖縄の懸念について理解していた。
 3分の1の人は軍隊がない方が世界はもっと平和になると思っているが、そんな人たちと話し合うのは不可能だ。
 2009年の総選挙は、民主党に政権をもたらした。それは日本政府の初めての政権交代だった。鳩山首相は左派の政治家だった。民主党政権で、しかも鳩山首相だったにもかかわらず、米国と日本は2+2(外務、防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会)の声明を(昨年)5月に発表することができた。
 <メア氏は部屋を退出し、彼の2人の同僚が日米の経済関係について講義。メア氏が戻ってきて講義を再開すると、2人の同僚は部屋を出た>
 米国は、沖縄における軍事的負担を減らすため8千人の海兵隊を普天間飛行場からグアムへと移転させる。この計画は米国が、地域での安全保障や抑止力を保つための軍事的なプレゼンスを維持するものになる。
 (米軍再編の)ロードマップのもとで、日本政府は移転に必要な資金を提供するとしているが、このことは日本側の明白な努力の証しだ。日本の民主党政権は計画の実行を遅らせてきたが、私は現行案を履行してくれるものと確信している。日本政府は沖縄の知事に対して「もしお金が欲しいなら(移設案に同意し)サインしろ」と言う必要がある。
 ほかに海兵隊を持っていく場所はない。日本の民主党は日本本土での代替施設を提案下が、本土には受け入れる場所がないのだ。
 日本の「和(調和)」を重んずる文化は意見の一致に基づいている。合意形成は日本文化において重要なものだ。日本人はこれを「合意」と呼ぶ一方、それは「ゆすり」を意味し、日本人は「合意」の文化を「ゆすり」の手段に使っている。合意を模索するとみせかけ、できるだけ多くの金を引き出そうとするのだ。沖縄の人は日本政府を巧みに操り、ゆすりをかける名人である。
 沖縄の主要産業は観光だ。農業もあるが、主産業は観光だ。沖縄の人たちはゴーヤー(ニガウリ)を栽培しているが、他県の栽培量の方が多い。沖縄の人は怠惰で栽培できないからだ。
 沖縄は離婚率、出生率(特に婚外子の出生率)、アルコール度の高い酒を飲む沖縄文化による飲酒運転率が最も高い。
 日本に行ったら本音と建前について気を付けるように。本音と建前とは、言葉と本当の考えが違うということだ。私が沖縄にいたころ、「普天間飛行場は特別に危険ではない」と話した。沖縄の人は私のオフィスの前で発言に抗議した。沖縄の人は普天間飛行場は世界で最も危険な基地だと言うが、彼らはそれが本当でないと知っている。(住宅地に近い)福岡空港や伊丹空港だって同じように危険だ。
 日本の政治家はいつも本音と建前を使う。沖縄の政治家は日本政府との交渉で合意しても沖縄に帰ると合意していないと言う。日本文化はあまりにも本音と建前を重視するので、駐日米国大使や担当者は真実を話すことによって批判され続けている。
 米軍と自衛隊は思考方法が違う。米軍は起こり得る実戦展開に備えて訓練するが、自衛隊は実際の展開に備えることなく訓練をする。日本人は米軍による夜間訓練に反対しているが、現代の戦争はしばしば夜間に行われるので夜間訓練は必要だ。夜間訓練は抑止力維持に欠くことができない。
 私は日本国憲法9条を変える必要はないと思っている。そもそも憲法9条が変えられることを疑問に思っている。もし日本が米軍を必要としないことを理由に改憲したのなら、米国にとってよくないことだ。もし日本が改憲したら、米国は米国の利益のために日本の土地を使うことができなくなってしまう。日本政府が現在、支払っている高額の米軍駐留経費負担(おもいやり予算)は米国に利益をもたらしている。私たち米国は日本に関して非常によい取引を得ている。案内へ戻る


読者からの手紙
○ドキュメンタリー映画赦し≠見ての感想文


 人間とは、かくも遥かなる道の如く悩めるものか
考えるが故に、終わりなき心の苦悩である。
最良の結論などは無いに等しい。
何故、加害者を赦したのか?
私がもしこの立場だとどうだろうか。
何の落度もない愛する家族を殺されたのだから、赦す気持ちになれない。
死刑は当然の報いだ。加害者は赦しても一生つきまとう苦難だから、この世から消えて、もらってよい。気持ちを切り変えることだ。
それには長い年月や近親者、友人達の暖かい助言や励ましも必要だろう。
新たに人生の目標(趣味やボランティア)を持って進んで欲しい。
しかし、この世に筆舌に尽くしがたい苦しみに、明け暮れている人がいることに悲嘆するばかりだ。
この被害者達に愛し、愛される人が現れれば心が癒され希望の明りが灯ればいいが・・・。しかし現実にはかなわぬだろう。  (大阪 山田光子)

○インタビューによる赦し≠フ感想

 二人(女性の姉妹)の方にインタビゥーいたしました。惨虐な殺人犯は当然、死刑にすべきだと思っていても、裁判員として被告を、生身の人間を目にしたら、決めていた死刑にすべきだと考えていても、心が揺らぐかもしれない。
 実際に被告を目にして、死刑に処するという決定を下せるかどうか、わからない。生涯、人を死刑にしたという十字架を背負い、悩みつづけるような気がする。
 フランス映画のある親方が少年を雇い、後に、その少年が自分の息子を殺した殺人犯だとわかっても、その少年を突き放さず、側においたというのは親方と少年のそれまでの生活があったから、死刑にする気にはなれなかったのだろうと思うと、話してくれました。
2011・2・10(宮森記)

○ドキュメンタリー赦し≠ニわが国の裁判員制度について

 結論らしくない結論から述べる。結論しえないということ。人が人を裁けるかという根源的な問いはさておき、赦し≠フ感想から書くことにする。韓国では死刑が廃止されたと聞くが、問題は残る。
 家族全員を惨殺された一人のこされた遺族は、死刑を求めず赦し≠スが、遺族は救われず、一人苦しみさまよう。死刑を廃止した国々では遺族に対し、また犯罪者に対し、どのような措置をとっているのであろうか、まずそれが気になる。
 日本で、裁判員が被告に死刑を宣告した事件があった。その裁判員は「生涯、人に死を与えたことの十字架を背負って生きねばならないだろう」といわれたように、それほどに重い荷を私は荷いたくはない。
 アメリカでは死刑の代りに100年以上の懲役刑に処すると聞く。つまり終身刑であって、これなら審判する側も気が軽くなるし、再犯を恐れることもない。このような刑を考えてほしいと思う。
 このまま裁判員が重い判断を強いられるならば、裁判後、裁判員の受けるであろう心の傷を生涯にわたって治療すべく、つまり生涯カウンセリングによる面倒を見ることを制度化してもらいたい。
 さらに裁判中、裁判員は外部を遮断、沈黙を強いられることは大へんな重圧であって、この点をどう考えておられるか。裁判員のケアーについて手厚い措置を要求したい。裁判員は、生き続け生活していかねばならないのです。
 裁判員制度が統治された立場≠ゥら住民自治≠ヨの大転換の一歩(ワーカーズ紙10月15日、NO、426号より)であることを実現することを願う故に、以上述べた措置の制度化を要求する次第です。 2011・2・25 YAE
 附記 赦し≠フ遺族の方は一人で遠い道であっても、いつの日か犯罪者も遺族も同等に共存しうる世の中の到来をめざして、洗礼をも受け努力されている。私は日本で現行の裁判員制度を充実させ住民自治≠ニいう、われわれの社会をつくるという遠い目標でも私の小さな旗を掲げて、歩み続けてたいと思っている。
 こういう観点から、現行の裁判員制度にいろいろ注文をつけたいわけ。これも自治≠ヨの道であろう。
案内へ戻る

コラムの窓 死と向き合い生きること

 先日、実家で92才の父が肺炎で亡くなった。診断名は「細菌性肺炎」とは言え、実質的には「老衰」に近かったと僕は思う。家族・親族のみ十数名で、ささやかな「家族葬」を執り行なった。「医療費にお金をかけたのだから、葬儀は簡素にすべき」という妹の考え方に家族も同意して、きわめて質素なものにした。うちは代々「神道」なのだが、「神主を呼ぶと二十数万円かかる」と言われ、「見ず知らずの神宮の宮司さんに来てもらってもありがたくない」との母親の意向もあり、話し合いの結果、長男の僕が「神主役」をやることになった。といっても「祝詞(のりと)」を古文調で作るのは難しく、妹が平易な口語体で考えてくれた「弔辞」のような文章と、父が生前好きだったボードレールの「詩」を朗読することで、祝詞に替えた。文案は、妹の夫が国語の先生をしていたのでチェックしてくれた。そんなわけで、手作りの心のこもった葬儀ができたと思う。
 その二週間後、今度は僕の飼い猫が肝臓の病気で亡くなった。こちらも16才で、人間に直せばかなりの高齢だ。一ヶ月ほど前から餌を食べなくなり、動物病院に入院し点滴を受けていたが、とうとう力尽きてしまった。小さな遺体を白い箱に入れてもらって引き取った。そのまま動物管理センターに持っていき、庭で箱を開け、遺体の周りにお花を敷き詰め、やはり神道スタイルで、榊(さかき)で御払いをし、焼却場に運んだ。窓口の職員が「5月に慰霊祭がありますので、よろしかったらどうぞ」と言ってくれた。
 おりしも、「自死と向き合う」シンポジウムに参加したり、自死遺族の署名に取り組もうとしていた時期だったこともあり、僕にとって、いろいろな形で「死と向き合う」冬となった。医療現場に働いていると、いろいろな病気による死は日常的に直面することなのだが、それだけに、死ということに淡白になっていたような気がして、反省している。
 今日も、近所の港の近くをウォーキングしていたら、水産会社の敷地に「殉職者慰霊碑」があるのが目に付いた。遠洋漁業には海難事故がつきものだ。いったい何人ぐらいの船員さんが殉職されたのだろう。これまでは、眼に入らなかった慰霊碑ひとつにも、今は敏感になってしまうから不思議だ。
 柳田邦男は著書の中で、次のように述べている。
 「われわれは人の死というものを考えるとき、自分の死も他人の死もいっしょくたにしていることが多い。しかし、死というものには、「一人称の死」「二人称の死」「三人称の死」があり、それぞれにまったく異質である。」
 僕にとって「一人称の死」とは、何だろう?現在のところは「臓器提供カード」に「脳死」段階ではOKかどうか?「心臓死」段階ならOKかどうか?また植物状態になったときに「延命」を希望するかどうか?意思表示すること位だろう。しかし、リストラで仲間が首切りになったり、仕事のストレスで鬱状態になれば、あの「自殺願望」と闘わなければならない。将来、重い病にかかれば、自らの余命について、心構えをしなければならないだろう。
 「二人称の死」は、先日の父の死や、飼い猫の病死であった。肉親や親しい友人や恋人の場合、その死の在り方によって、悲しみの有り様も異なってくる。ここでは、相手の死に対して、嘆き悲しみ心を癒す時間というものが大切な意味をもってくる。
 「三人称の死」は第三者の死であり、職業として病院で直面する死も、限りなく三人称に近い。そこに、医療従事者と患者家族との感情のギャップが生まれがちである。現場の看護師は、死を前にした患者さんの不安(一人称)、患者さんの死に直面した家族の悲しみ(二人称)に接しつつ、自らは冷静に医療処置をしなければならない(三人称)という、実は精神的にかなり困難な仕事に従事していることになる。
 「一人称」にすらなれなかった死、それは「死産」である。先日、医療関係者の研修会で、ある高齢の女医さんが、自分が若い無給医局員だったときに、死産を経験したことを告白した。「その悲しみはすさまじいもので、男性にはとてもわからないと思います。私の夫にもわからなかったと思います。」と語った。彼女は、その悲しみが動機となって、妊産婦と新生児の治療に、半生を捧げてきたのだそうだ。情熱的な老女医の活動の裏には、そんな悲しみがあったのだと知って、僕は打ちのめされた気持ちになった。
 この冬、九州の壱岐の島で市民マラソン大会があり、友人に誘われて参加した。前日、観光バスで島内を回ったとき、「はらほげ地蔵」という名所に寄った。海岸べりからちょっと海中に入ったところに、数体のお地蔵さんが並んで、波に洗われている。誰が何のために作ったのか謎で、海難事故で無くなった海女さんを追悼したものではないか?鯨を供養したものではないか?など諸説あるそうだ。僕は、それを眺めての直観だが、海女さんか、あるいは捕鯨の漁師さんか、いずれにしたも海難事故の犠牲者を弔うものではないかと思う。
 昨年の秋、信州の縄文遺跡を巡るツアーに参加した。そこで、「縄文のビーナス」と呼ばれる土偶を見た。大きなおなかをした女性が仮面をつけている。明らかに出産の無事を祈るものだと思う。以前、青森のやはり縄文時代の三内丸山遺跡に行ったことがある。その時、住居跡の周囲に、広範囲な墓地が広がっていた。その半数が子供と女性のものであった。出産は命懸けの行為で、いかに多くの妊婦さんが、出産時の大量出血などで亡くなったかが推察される。また新生児の死亡率も高かったのだろう。この遺跡からも妊婦をかたどった土偶が発見されたが、その土偶の表情は苦しみと悲しみに満ちていたのが印象的だ。してみると、信州で見た「縄文のビーナス」の「仮面」は、亡くなった妊婦の「悲しみの形相」を覆い隠すためだったのだろうか?
 その信州の縄文住居の戸口には、亡くなった乳幼児の遺体の入った瓶が、逆さまに埋められているケースが多いそうだ。当時の人々は、毎日それを跨ぐことで、死んだ命の再生を信じたのではないか?という説もあるそうだ。命の死と再生、縄文時代の人間は、毎日そのことが頭の中をグルグル回っていたのではないか?複雑な縄文土器の紋様を解読する試みの中で、学芸員さんは、そのように思いを馳せているそうだ。
 死というものに、どのように向き合い、どのように生きていくか?一万数千年も前から、人間が取り組んできたテーマに、今も我々は答えを見出そうとして、悪戦苦闘しているわけだ。(松本誠也)案内へ戻る


編集あれこれ

 前号は、1面が北アフリカの民衆反乱に連帯しよう!という記事でした。チュニジアの長期独裁政権の崩壊に続いて、エジプトのムバラク政権の崩壊がありました。そして、リビアのカダフィ政権に対しても民衆の反乱が起きています。これらの動きに私たちも、連帯していかなくてはなりません。
 2面から4面は、税と社会保障の一体化改革ということで、菅内閣は消費税の増税をもくろんでいます。しかし、一方で法人税の減税は決めています。高齢化社会で、年々社会保障費が増えていくのは間違いありません。軍事費やダムや、高速増殖炉など原発への支出を削るなど歳出の削減をするとか、所得税の累進課税を強化するとか、相続税を増やすとかして金持ちが税金を多く負担するようにしなくてはなりません。もちろん、法人税は減税ではなく増税すべきです。低所得者に多大な負担を強いる消費税の増税は、認められません。
 4面と5面は、もんじゅ再稼働も調査捕鯨も事業仕分けで削減せよという記事です。こうしたものを削減して、もっと有用なことにお金を使えばいいのにと思います。6面は、祝島ー原発建設と高江ー米軍基地建設に反対する報告です。こうした動きに、私たちもできることから行動しましょう。
 7面から8面は、色鉛筆やコラムの窓や読者からの手紙の記事がありました。コラムの窓で、せめて最低賃金の底上げをするべきであるとの訴えは、本当に緊急に実行されなければなりません。 (河野)
 案内へ戻る