ワーカーズ441号  2011/6/1 案内へ戻る
子どもたちを放射能汚染から守れ! 千葉県内の「ホットスポット」からの報告

 福島原発の近くの町や村だけでなく、原発から200q以上離れた千葉県・埼玉県の東葛地域(柏、流山、野田、松戸、三郷)などでも、高い放射線が計測され、「ホットスポット」と呼ばれている。3月21日前後の東日本の気流の流れと、降雨が原因だと推測されている。
 東葛内の一市に住む市会議員として、小中学校などの放射線量の独自調査を申し入れたが、教育委員会、学校教育部は拒否回答をしてきた。
 「東葛6市が千葉県に要望をしているので、それを待ってほしい。学校内にまで立ち入っての、公的機関以外の者による調査は、遠慮してほしい」と言うのだ。
 「6市と県の調査はいつになるかも、どこまできめ細かな調査が行われるのかも不明。子どもたちは今もホットスポットのただ中に置かれているのに、悠長なことを言っていて良いのか」「市民や子どもたちが実際に生活をしている場面での調査、しかも迅速性と透明性が大事。不安を煽るのでも、押さえつけるのでもなく、人々の判断材料となる事実を知らせることが重要なのだ」等々と説得したが、先の返事を繰り返すのみ。
 文科省の方針(年間20mSvまでOK)と、市民に背を向けた市長の意向が強く働いているようだ。
 教育部長は、「土曜・日曜にも学校のグラウンドは生徒や市民が利用しており、線量計を持った人の姿を見ると、不安や憶測が広がる」などとも言った。
 「休日にも市民がグラウンドを利用し、生徒が部活動で走り回っていること自体の是非が、今問題になっているのだ。野球やサッカークラブの保護者が、心底心配しているのを、知らないのか」「線量計を持った者が校内を歩くという光景は、市や県が調査をする場合だって同じだろう」と指摘すると、もごもごと言いながらこの発言は引っ込めざるを得なかった。
 「学校のプールの水抜きと清掃はどうするのか」についても聞いたが、答えは「生徒にはやらせないで、教職員がやることに決まった」というもの。
 「教職員がやれば良いというものではない。近隣市の学校ではプール底の落ち葉などで極めて高い放射線量が計測されている。誰がやるにせよ、水抜きと清掃の前に放射線量の調査が必要ではないか」と問うたが、「市原市のモニタリングポストが示している放射能の降下量のデータなどからして、安全だと認識している」云々という答え。
 やっぱり、何が問題になっているかが、まったく理解できていない! 地上7メートルの市原モニタリングポスト(我々は鳥ではない!)などを根拠に、市原から遠く離れた当市内のプールの汚染状況を推し量るとは、まったくいい加減、非科学的!
 子どもたちを放射能汚染から守るため、市内の公園、学校のすぐ側の地点などに切りかえて、計測を実施をするつもりだ。(阿部治正)


自立・自前の調査機関と連携しよう!──国家・企業は秘密を抱え込む──

 収束に向けた作業が一つ始まったと思ったら、新たな難題が持ち上がる。福島原発事故の収束作業は行き当たりばったり。政府や安全機関は速やかな情報公開≠繰り返し公言しているが、相いも変わらない情報隠しや情報小出しも繰り返されている。
 当事者の東京電力はもとより、安全委員会や安全・保安院の情報隠しは改めて指摘するまでもない。内閣も含めて、本来、国民・住民に奉仕すべき政府など公的機関≠ヘ、実は情報=秘密を抱え込む存在でもある。
 すでにいくつかの民間側の研究者や団体が、原発事故や放射能汚染に関して独自な情報提供を行ってる。政府や安全機関が小出しする情報に依存しなくて済むよう、市民・住民の側に立った独立した調査機関こそ求められているのではないだろうか。それらを援助し支えていくことも私たちの課題である。

◆メルト・ダウン

 原発事故の直接的な当事者である東電の情報隠し・情報操作は,事故発生以来少しも変わっていない。
 事故当初は非常用電源の喪失などで水素爆発を引き起こしながら,原子炉は管理されている≠ニ繰り返してきた。が、5月24日の発表によれば、1号機から3号機まですべて地震発生直後の11日から14日にかけて炉心溶解が始まり、15日までにはすべての炉心でメルトダウンを起こしていたことを認めた。それまでは燃料棒の小規模な損傷≠ニ取り繕っていたのに、だ。
 メルトダウンについては、元安全委員長などが事故数日後に「炉心はすべて溶けて下に落ちている」と発言していた経緯がある。圧力容器の水位が下がっていたにもかかわらず、炉心温度がそれほど高温になっていなかったからだ。燃料棒はすべて溶けて圧力容器の下にたまった状態だから、少ない水でもある程度冷やせている状態だと推察できたわけだ。
 東電や保安院は、炉心温度がある程度安定しているから、またメルトダウンの確たる証拠が集められていないから損傷≠セと希望的・ごまかし的観測を流し続けてきた。確たる証拠というなら、損傷≠ナ止まっている確たる証拠を示すべきだったはずだ。認めたくない、あるいは都合が悪い情報は「まだ分かっていない」「調査中だ」を繰り返し、それが通せなくなった時点でやっと追認する。一事が万事、この調子だ。事故への当事者意識の欠如と無責任体質は、公的機関や巨大企業の病理とさえいえる。

◆自己保身

 東電だけではない。原子力安全委員会や安全・保安院も同じだ。
 原発事故当初、安全・保安院はいち早く炉心のメルトダウンを公表した。それが官邸への報告抜きで行われたことで官邸が激怒し、それを発表した安全・保安院の広報担当者(審議官)が更迭された事件≠烽った。それ以降、保安院による独自な情報開示は放棄され、ただ東電の発表を追認するだけの機関に堕した。機能不全は目を覆うばかりだった。
 安全委員会も同じだ。つい最近も,事故当初の海水の注水をめぐって安全委員長と官邸の間で一悶着あった。事故対応の入り口の段階での炉心への海水注入をめぐって、官邸と安全委による「言った、言わない」の軋轢だ。安全委員長が海水注入で再臨界の可能性がある、と発言したことで海水注入が一時中断し、事故の深刻化につながったのではないか、という批判を受けての内輪もめだった。
 結局、再臨界の可能性については「ゼロではない」と語ったことで折り合いを付けたわけだが、事故収束という緊迫した情況を脇目に、事故から2ヶ月も経ったのにお互いのメンツや自己保身に汲々としている姿だけが残された。

◆官の論理

 放射能汚染についても同じだ。
 文科省が所管する緊急時迅速放射能影響予測(SPEEDI=スピーディ)による放射線汚染の分布予測が公表されたのは、5月末に公開することを決めるまでに3月23日と4月の1回の2回だけだった。なぜ発表しなかったかというと、放射線物質の正確な放出量が分からなかったから、単なる予測でしかないシュミレーションを公表すると混乱するから、というものだった。
 しかし、原発周辺3キロ圏内、10キロ圏内、20キロ圏内と、菅首相が緊急避難地域を順次拡大したのは、このスピーディーによるシュミレーションがあったからだ。しかも事故直後の12日に菅首相が福島原発の視察に出向いた時、西風で放射線物質はすべて海側に流れるとのスピーディーのシュミレーションによって首相の安全を確かめ、菅首相の現地視察の判断材料にした。
 実際、このスピーディーによるシュミレーションは、事故当時の気象条件などで原発から北西と南西方面に拡がった汚染地域の範囲がはっきり見て取れるものだった。結局、同心円状という現実離れした避難地域を、より現状に即して北西方面に拡がった地域を計画的避難地域に指定し直したのは、事故発生後、なんと一ヶ月も立った4月11日のことだった。文科省と官邸は、首相の現地訪問ではシュミレーションを活用したのに、肝心の地域住民の安全確保にはシュミレーションを使わなかった。飯舘村など、同心円外の高濃度汚染地域の住民の命と健康は、一ヶ月も放っておかれたわけである。見殺し≠ニいわれても反論はできないだろう。
 気象庁も情報隠しに無縁ではなかった。
 気象庁は、原発事故直後から5月23日まで毎日実施していた放射性物質の拡大規模や範囲の予測を、4月5日まで公表してこなかった。要請を受けた国際原子力機構(IAEA)には提供していたにもかかわらずだ。予測結果はスピーディとほぼ同じで、情報公開すれば地域住民に一定の判断材料を提供できたにもかかわらずだ。要請された海外機関には提供し、肝心の被曝にさらされる地域住民には公表しない、これも住民より関係機関優先という官の論理≠フなせる情報隠しの一端という以外にない。

◆情報収集衛星

 情報隠しと言えば、内閣官房が所管する情報収集衛星の活用にも当てはまる。
 情報収集衛星は偵察目的の軍事衛星であることは公然の秘密だった。が、予算確保などから「大規模災害への対応」が付け加えられ、汎用目的の情報収集衛星だと定義されてきた。
 しかし、今回の大震災では、当然撮影しているはずの原発周辺の衛星写真や大震災の被災地情報などは、安全保障上の制約を盾に一切提供されていない。
 グーグルなどはすでに米国の民間会社が配信する衛星写真を活用しているが、情報収集衛星が撮影した衛星写真は、法の本来の使用目的に該当するにもかかわらず、実際の被災地情報や復旧・復興には一切役立てられていないわけだ。国民・住民の生活や健康を一顧だにしない軍事機密優先の情報収集衛星、これも情報隠しの最たるものだろう。

◆自立した調査機関

 政府や関連の公的機関による大震災・原発事故に関する情報隠しは、その一部を見ただけでもかくのごとしだ。
 対して、民間の非営利グループなどが試みる情報収集とその提供には、規模としては小さいながらも市民・住民の関心や要請に答えようとする姿勢がよく見える。
 グリーンピースが実施した海草や藻類などの放射線汚染の調査は、公的機関ではやっていなかった調査で、市民・住民の関心事に即したものだった。最近では、グリーンピースが調査した海洋汚染調査も報道された。これも消費者の関心が高いものだった。
 その他、地表の汚染調査と、汚染した土壌の除線効果を調べた大学の研究グループが行った調査もある。これなども、原発事故から地域住民を守る実際的な手立てにつながる調査といえる。
 公的機関による調査は、小出し提供や選別提供などを含む情報隠しが横行してきた。それらは市民・住民のニーズに合わない、組織の正当化や生き残りのためのものも多い。やはり市民・住民目線に立った調査や調査機関が必要だ。
 私たちは、政府機関などの情報隠し、不作為、官や企業の論理に立った組織の生き残り策しか考えない情報隠しを糾弾する。同時に、市民・住民目線に立った政府から独立した機関・グループの活躍を、資金的にも人的にも支援し、そうした人たちとの連携を深めていきたい。(廣)案内へ戻る


読書室 『社会的企業とコミュニティの再生−−イギリスの経験に学ぶ』
中川雄一郎著(大月書店)

■コミュニティ協同組合の活躍
 本書に紹介されている一例であるが、「ハイランド・アイランド開発委員会」(HIDB)の活躍が紹介されている。この組織が力を入れたのが「コミュニティ協同組合」というものである。あまり聞き慣れないこの協同組合は、労働者協同組合とコミュニティ育成を同時に目指すものであるとされている。「労働者協同組合の第一の受益者が組合員労働であり、第二のそれがコミュニティと住民である対して、コミュニティ協同組合の第一のそしてすべての受益者はコミュニティとその住民と言うことになる。」
 「HIDBの先駆的努力の一つは・・・地方のコミュニティの住民がコミュニティ協同組合を設立する際に、一人一ポンドを出資して調達した資金額と同額の資金を地方自治体が助成・交付する」というこれまでにない「出資資本」のありかたである。
 この様な創意工夫にたち、地場産業が低迷し大資本も敬遠する地方の振興と雇用の創出が、したがって地域社会の発展にこれらの企業が大いに寄与しているという。

■社会的企業の新しい展開
 著者によれば「社会的企業とは次のようなタイプである。労働者協同組合、従業員所有者企業、コミュニティ協同組合、コミュニティ・ビジネス、住宅協同組合、消費協同組合、クレジット・ユニオン、チャリティ事業体、障害を持った人たちを構成員の一部とするソーシャル・ファーム等々(一部省略)」。
 さらに著者は「社会的企業は、次のような明確な社会的目的をもつことから、利潤を生み出す取引以上の事を行う企業である。@雇用の創出。Aケア、教育それにレジャーのような、地方のコミュニティのニーズに直接関係する、コミュニティに根ざしたサービスの供給。B職業訓練や人間的発達の機会の提供。(主旨)」であるとしている。
 われわれが従来知っている「非営利事業」「第三セクター」「協同組合」とはややちがったとらえかたである。というのも、協同組合の長い伝統を持つイギリスにおいては、この様なさまざまなボランタリーな共助的経済・社会組織が多様に成長しているということなのであろう。
 他方では、「社会的企業」という概念を、やや狭くして条件付ける研究者(ドゥフルニ)もいるが、著者のようにいっそう包括的な概念として用いることも可能であろう。つまり「労働者協同組合」などが、単独で経営しているというよりも他の支援機構や信用機関とと連携しつつ、コミュニティに対する貢献をより意識的に事業課題としてとりあげているのである。このような集団的ネットワークで事業が成り立っているとすれば、これらのものを裁断分類してみる意味はあまりないのかもしれない。
 しかし、本書は「概念規定」が主たるものではなく、いきいきとした現場報告集として読んだ方が、有益であろう。

■アソシエーションの多様な発展 
 アメリカの政治学者レスター・サラモンが「グローバルなアソシエーション革命」を論じてから十数年が経過した。サラモンは、環境破壊に反対したり草の根経済を起こしたりあるいは市民的権利のためのアソシエーションが世界的にめざましく興隆していることを語ったのだ。たしかにボランティア運動、非営利団体、非政府組織等々がつぎつぎと生成している。サラモンによれば世界二十二カ国平均(一九九五年)で全就労人口の四・八パーセントがこれらのものであり、社会的に無視し得ない地位を占め始めているという。(ただし、サラモンの統計には協同組合が含まれていない)。日本でも阪神大震災を契機としてNPOなどが活躍し、東日本大震災でも、被災者救済のためのボランタリーな組織と行動が新たな高まりをみせている。今後の被災地における地域社会復興の大きな示唆となると思う。
 われわれが「資本主義を克服した、未来社会としてのアソシエーション社会」を論ずるのであれば、もちろん現代の諸アソシエーションの動向に注目しなければならない。そのための参考の書として一読をお薦めする。(文明)


《連載》21世紀の世界C  巨大都市はいらない−−都市と工・農・漁業との調和

●「物」は商店以外でも手に入る
 やや旧聞にぞくしますが3月11日大地震の後、東京や大阪では、場違いと思える「買いだめ」があったとか。たいへん残念なことですが、何となく理由がわかるきもします。
 まず、こちら仙台では予想されていた「宮城沖地震」とその災害に備えた備蓄食料が各戸にあります。水も少しは備えてあります。支援物資の存在も安心感をもたらしたのももちろんです。
 さらに宮城、岩手、福島では、大都市でも周辺は田舎であり農業地帯です。たとえば仙台に住む私からすれば(仙台もかなりの大都市ですが)、食料が完全に途絶してしまうということは考えにくいことです。昔からの市民であれば、農家に親戚や知り合いはかならずいます。こんな災害のさなかですから、頼めば食いつなぐ程度の食料は確保できないはずはない、という楽観的な考えをもつことができます。私の職場の人たちも同じことをいいます。「親戚の農家にお米は頼むつもりだった」と。店舗側の対応もあって、被災地仙台では目立った買いだめ行動は発生しませんでした。
 とはいえ仙台も残念なことに今では大都会のなかまいりです。農村地域も減少の一途です。いわゆる「無縁社会」が忍び寄ってきていることも間違いありません。それにたいして、今回の津波の大災害にあった東北の太平洋沿岸地域は、伝統的な地域社会がいまだに残っている町々です。これら地域の再興がどのような方向を目指すのか、全国的にも注目されてよいでしょう。

●資本主義が生み出した「買いだめ」「商品飢餓」
 巨大都市部での「買いだめ」行動には、もう一つの面があるように思います。
 「危機管理」という言葉を最近よくききますが、資本主義社会は災害や危機にそもそも弱い構造を持っているのです。
「備蓄」「在庫」「予備」という発想は、資本の利潤至上主義からすれば不必要。それらを最小限におさえるのが「トヨタ方式」「カンバン方式」に代表される資本の論理です。それを支えているのが、「系列会社」にくわえて道路網と輸送力なのです。これらが寸断されれば、部品や資材が途絶し次の日から工場の操業もできず、食料にも事欠くことになる。このように現代社会は造られているのです。
 そのうえ前ふれたように、住民がたがいに支え合うはずの「地域社会」というものが大都市ほど分解しています。自分のことは自分のみで危機を切り抜け解決しなくてはならない社会構造になっています。
 大都市の人たちも直感的にそれが理解できている分、異変には過剰に反応するのでしょう。それが「豊かな消費物資」に取り囲まれているはずの巨大都市東京の「商品飢餓」「買いだめ行動」の一因です。
 巨大都市を中心に戦後出現した「大衆消費社会」は、高く重ねられた積み木の城のように足下がよわいのです。

●極端な分業と拠点生産体制は資本の論理
 一極集中にしても複数の多極集中にしても同じなのですが、資本主義体制(階級支配)は、トップダウン型の管理体制を一歩たりとも譲ることはできません。資本による合理的生産管理体制とは、多少の分極があったとしても集中化・集積化、つまり拠点化であることにはかわりはありません。しかも他方で資本主義は極度に分業化が進展しています。 
 集中化した生産体制や産業の地域的偏りさらには人口過多は、個々人が主体的に労働するネットワーク型社会に比較して、いったん災害が発生すると社会機能のダメージが深刻になります。
 今回の大災害で、断水がつづき水分の輸送が大切であった時期に、拠点製紙工場が被災し「ペットボトルのラベルの紙がない」と水の出荷ができなくなった事例に典型的にあらわれていました。東北の各産業の拠点工場の被災は、全国的いや全世界の生産活動に影響を与えました。トヨタ自動車も一時生産停止に追い込まれました。
 都市と農村の調和ある結びつき、あるいは、農村の中に都市や工場があるという発想が必要です。極端な地域分業を廃し、生産拠点の分散化や大独占に支配されている電気エネルギー源の「個別化」などなど、資本の論理を排して、調和ある安定した社会を造る必要があります。

●地域社会「自立」の重要性
 一般的に言えば、社会全体も地域社会もそして家族さらには個々人もそれぞれが大切なことはまちがいないでしょう。現在そのなかでひとつの焦点は、過度の一極集中型社会(富と人口の東京集中、一部産業の独占体制、エネルギーの独占化等々)からの脱却、つまり地域の経済の健全な育成です。たとえば、東京への一極集中、地方の過疎化や産業の衰退は、社会的富の不均衡をしめしています。しかし、問題は地方においてばかり存在するのではなく大都市でこそ凶悪犯罪の多発、「無縁社会」と命名されるような共助的関係の希薄化、防災体制の遅れ、住環境や自然環境の悪化等の諸問題をかかえているのです。
 このような社会の不健康で不均衡な「発展」は、避けられないものではなく資本主義=市場経済がもたらせたものです。
  
●地域経済を脱資本主義の道で 
 過度の分業体制(国際的にも「農業国」「石油産出国」「工業国」などの特化がある。)および産業の集中化、電力大独占の弊害。この様な諸問題を「居住」「産業」「文化」の中心をしっかりと地域に根ざして育てること、その上での広域地域連合として社会を構成するというビジョンが求められているでしょう。
 この第一段階が脱資本化した地元・地域の産業形成です。
 これはコミュニティと結びついた協同組合、NPOさらに「社会的企業」の育成が一つのカギとなります。他方では大独占の分割や労働者による内部からの民主化の努力もすすめられなければなりません。
 今回の大震災のあった地域では、人的、物的な被害の克服策としてすでに「協同組合化」が一部に開始されています。しかし、農漁村における過疎、すなわち産業の弱体化(個人経営の限界と大資本の逃避)は全国的な問題です。協同組合や「社会的企業」の発展が、零細個人企業や私的資本に代って、雇用の創出と地域コミュニティの形成に有効であることは海外でも確認されています。(「何でも紹介」の欄参照)
 国家や東北三県は、宮城県知事が現在強行している大資本の導入ではなく、それらを規制し優遇をやめ、協同組合、NPOさらに広い意味での「社会的企業」の育成のための、法的、税制的整備、そして財政的支援をこそすべきでしょう。復興のためには雇用の創出が前提であり、当面がれきの撤去や地域環境の整備さらには地域の経済的復興には住民の主体的な労働が必要なのです。  (仙台スズメ)案内へ戻る


原発事故により明るみに出た「不都合な真実」 ―菅政権の背後にあるアメリカの陰

マスコミも菅政権の背後にあるアメリカの陰を報道し始めた

 4月22日の毎日新聞は、「検証 大震災」の記事において、3月17日に大々的に行なわれた自衛隊のヘリコプターによる海水の放水が全く効果はなかったものの日本の原発事故対策の余りの無策に対する米国の怒りを収めるためのパフォーマンスであったとすっぱ抜いた。それから4週間ほどたった5月15日の朝日新聞も、それと同趣旨の検証記事を掲載した。
 朝日の記事は、一段と具体的であった。あのヘリからの放水は、アメリカがこのままでは米人を日本から強制避難させる、在日米軍を引き上げると言った事に対して腰を抜かした菅首相が、あわてて原発事故対策の真剣さを米国に見せたものだという。何という事か。
 ここには日本国憲法の規定に従って、国民の生命と安全を守る事を第一に考えなければならない筈の日本国の総理大臣の真摯な姿勢は一切感じられない。あるのは惨めさだけだ。
 菅政権を支え続けてきた全国紙も余りにも目に余るアメリカ追随の菅内閣に対する批判として、4月からはこれらの「不都合な真実」を少しずつ報道するようになった。
 危機の時にこそ事の真実が知られるという。今回の原発事故のようなまさに非常時には、日本の本当の姿が浮かびあがるのである。
                 *      *
「窒素注入は米NRCの助言、水素爆発再発を警告」―4月7日 読売新聞
 新たな水素爆発を防ぐため、東京電力は福島第一原子力発電所1号機の原子炉格納容器に窒素を注入しているが、この措置は米原子力規制委員会(NRC)が報告書の中で必要性を強調していたものだ。
 報告書は、同原発の現状について冷却のために原子炉に注入した海水の塩分が炉内にたまり、十分な冷却ができなくなっていると警告している。
 NRCは、原発の安全審査や規制、放射性廃棄物管理の監督に強い権限を持つ米政府の独立機関。日米政府が福島第一原発事故の対応のため設立した連絡調整会議にも参加している。
 NRCのチームが先月26日付でまとめた報告書は、1〜3号機について、核燃料の一部が溶け、圧力容器の底にたまっていると分析。海水中の塩分が析出して燃料を覆い、冷却を妨げていると指摘した。特に、圧力容器内の温度が高い1号機で、塩の量が多いと懸念を表明している。2、3号機は、注水しても圧力容器の水位が上がらず、一部が壊れている可能性を示唆した。
 また、海水は真水に比べて、放射線による分解で水素を発生しやすいと指摘。海水に溶けていた酸素と反応して、水素爆発を起こす危険があると警告した。
 窒素注入は、その対策としてNRCが提案していたもので、東電は7日、「すぐに水素爆発する恐れはないが、(NRCの)指摘を踏まえた」と説明した。
                 *      *
「海へ放水 米、3日前に内諾」―4月8日 東京新聞
 東京電力福島第一原発から低濃度放射性物質を含む汚染水を海へ放出するにあたり、政府が事前に米国側と協議し、内諾を得ていたことが分かった。米国政府関係者が一日に政府高官と面会したり、東電での関係者間の対策会議に参加したりする中で「米国は放出を認める」と意向を伝えていたという。
 汚染水放出をめぐっては、韓国や中国、ロシアなどが「事前説明がなかった」と批判している。日本政府は放出発表後に各国に報告したが、放出を始めた四日の三日前に米国とだけ協議していたことで反発が強まる可能性もある。
 日本側関係者によると、米エネルギー省の意を受けた同省関係者が日本人研究者とともに一日、官邸で政府高官と面会。「汚染水を海に放出し、早く原子炉を冷却できるようにしないといけない。放射性物質は海中に拡散するので問題ない。米政府は放出に抗議しない」とのメッセージを伝えたという。
 政府関係者によると、東電本社内で開かれた政府や米国大使館による対策会議でも、米側から海洋投棄を認める発言があった。
 官邸筋は「海に流すのを決めたのは、日本政府の原発チーム。米政府の依頼によるものではない」と説明。一方で「米側から『大丈夫だ』という話はあった」と話している。
 他の近隣国に事前に説明しなかったことについて、枝野幸男官房長官は六日の記者会見で「私が指示すべきだったと反省している」と陳謝している。
                 *      *
 こうした流れの中で、私たちが前号で問題視した5月20日号の『週刊ポスト』の「GHQ彷彿させる官邸へ派遣の米国人 菅総理に代わり決裁権」の記事が掲載されたのである。この記事の核心は、「浜岡原発停止要請はアメリカの指示」と明確にした点である。
 この記事の真実性については、原子力委員会の青山繁晴氏や大前研一氏らも、浜岡原発に何か起こったら横須賀基地が使えなくなり、日本人の安全云々ではなくアメリカの国益が損なわれるとの観点からの要請である事を、ユーチューブで暴露した上で明言している。

平田オリザ参与「汚染水放出は米要請」発言

 菅政権の背後にはアメリカの陰がある事については、菅政権の内閣官房参与という立場にある平田オリザ氏が、「原発事故の低濃度汚染水約1トンを海に放出したのは、アメリカ政府からの強い要請のためだった」と韓国の講演会で発言した。
 この発言は、5月17日夜、内閣官房参与として、韓国・ソウルで講演した時に飛び出した。報道によると平田氏は在韓国日本大使館主催の講演で「震災と日本再生」をテーマに話し、原発事故による風評被害の防止や日本への観光を呼びかけた。公演後の質問に答える形で発言があり、「流された水は非常に低濃度で、量も少なくて、あれはアメリカ政府からの強い要請で流れたんです」と明かした。さらに汚染水放出を事前に韓国に知らせなかった事について、「韓国の方々にも大変なご迷惑をおかけして、通告が遅かった」と謝罪したという。
 この韓国での発言が報じられるとただちにネット上では大きな反響が巻き起こった。日本ではこれまで政府が東京電力の打診に許可を与えたとだけ説明されてきたが、それがウソだった事がばれてしまったからだ。さらに韓国への通告遅れについても、枝野幸男官房長官が当初の会見で「国際法上、直ちに問題が生じるとは考えていない」と正当性を強調していた事とも事実認識が違っていたからだ。
 当然にも各党から疑問の声が上がっており、新党日本の田中康夫代表は、ツイッターで「ゲッ、菅直人政権は主権国家を放棄!」とその核心をつぶやいた。また自民党の元自衛官のヒゲの佐藤正久参院議員も、ツイッターで「主体的な判断をしていなかったともとられかねない」と指摘している。田中氏はともかくとして元自衛官の佐藤氏が、日米関係の真実を知らないはずはないので、この発言は彼一流の全くの目くらまし発言ではある。

平田オリザ氏「他の事と混同して勘違い」とただちに発言撤回

 この「問題発言」に対して、5月18日、枝野官房長官は記者会見で、アメリカから要請があったとの平田発言を否定した。それもいかにも弁護士風の「少なくとも私は承知していない」の無責任な対応だ。さらに18日の政府・東電合同会見で、細野豪志首相補佐官も、「日本の判断で、米国からの要請は一切なかった」と述べた。汚染水の放出当時に、細野補佐官はアメリカ政府との窓口を務めていた事から分かるという。
 細野補佐官がこの発言について平田氏に直接確認したところ、「勘違いだった」と訂正したとしている。平田事務所のアゴラ企画では、新聞社の取材に対し、「平田は他の事と混同して、勘違いしてしまいました」と認めた。しかしながら何と何とを混同したかについては、本人からまだ明確に確かめてはいないという。そうであれば、「事実ではありませんので、発言を撤回して謝罪したい」というのは、全くその場しのぎの無責任な対応だと批判しておかなければならないだろう。
 東京新聞では、日本政府は汚染水放出の3日前に米国政府に打診して内諾を得ていたという。東京電力の広報部でも、汚染水を放出した4月4日の内に打診・許可が行われたとしている。また無責任な枝野官房長官も会見で「米国に事前に通告したとも聞いていない」と述べており、汚染水の放出について米国政府の内諾があったのかは、依然よく分からないままである。平田氏が知る立場にないのに発言したというのは本当に真実であろうか。
 平田氏は、当然の事ながらこの間の経緯について、具体的に真実を語る義務がある。

枝野官房長官「守秘義務違反」生ぜずと平田氏を擁護

 5月19日、枝野官房長官は衆議院本会議において、内閣官房参与の平田氏が東京電力による放射能汚染水の海への放出は米国の要請によると発言した事に関し、小池百合子氏からのこの発言は「守秘義務違反」ではないかとの質問に答えて、「平田氏は職務上、原発対応に関わる情報に接する立場になく、守秘義務の問題は生じない」と述べた。
 自民党の原発推進の責任を自己批判できない小池百合子の呆れ果てた「破廉恥」質問に対して、日本国内でない気楽さゆえにその講演会での雰囲気から、韓国でこの間の真実を述べざるをえなくなった平田氏の「身の程知らずの放言」をトンチンカンにも「守秘義務違反」にはあたらないと擁護する官房長官。まさにそろいもそろった大根役者ではある。
 アソシエーション革命派の議員がいない衆議院議会での一幕のドタバタ喜劇、見せつけられる私たちにはまさに三文オペラさながらの悲劇ではないか。
 こうして福島原発事故は、今まで歴代自民党等が私たちに隠して見せたくなかった日米関係の真実という「不都合な真実」を完全に明るみに露呈させてしまったのである。(直)案内へ戻る


コラムの窓  「非日常の日常」

 3月11日の東日本大震災から早いもので2ヶ月半・・・。
被災地ではがれき撤去など復興への歩みが続く一方、今なお11万人の人たちが体育館などでの避難生活を強いられている。
政府はマスコミを通じて「がんばれ日本」「負けるな東日本」などの復興ムードをあおっているが、実際は仮設住宅の建設がまったく立ち遅れ、現地から「とにかく仮設住宅でも何でもいいから家がほしい。首相には避難所の大変さを感じてもらいたい」など、怒りの声が上がっている。
これからの日本の復興と未来を考える場合、最大の課題は「放射能汚染」問題であろう。福島原発の「放射能汚染」は世界的な規模に拡大している。
3月11日より、壊れた原子炉から強い放射能が大量に放出されており、また大量の汚染水も海に流れ出ており、深刻な状況が続いている。
このように大量の放射性物質が漏れ続くという非日常が続いているのに、東京の永田町や霞ヶ関では、普段どおりの日常が続いており、放射性汚染の拡大という危険感が感じられない。
そして、私たちも非日常が日常になっていく危険が進行している。東電は今頃になって、1号機では3月12日にメルトダウンが起こっていたこと、さらに2号機、3号機でもメルトダウンが起こっていたことを認めた。また、原子炉への海水注入の中断問題では、注入の継続を隠蔽していたことが判明した。
政府と東電の情報伝達のまずさにはあきれるが、原発事故以来バラバラな対応を繰り返している、政府と東電に腹が立つ。

 世界各国は福島原発事故を受け、最大級の監視体制をしき!放出された放射能物質を分析し、早い段階でメルトダウンが起こっていることを指摘していた。だからこそ米国は80キロメートル圏内からの避難を呼びかけた。他の国も日本からの避難を呼びかけた。
その時の日本政府は「ただちに避難する必要はない」とか「ただちに健康に被害を及ぼす数値ではない」を言いつづけて、福島県をはじめとする東北地方の被災者を高濃度の放射能にさらし続けたと言える。
福島原発事故が歴史上最大の原発事故と言われたチェルノブイリと同じ「レベル7」と認定されたが、福島の方がチェルノブイリより影響が大きいと指摘する専門家もいる。
福島では三つの原子炉でメルトダウンを起こしており、四つの使用済み核燃料プールが損壊している。放射線放出はチェルノブイリの20倍超で、この放出は2ヶ月以上も続いている。さらなる危険の拡大もありえる。
私たちは、この福島原発事故から多くのことを学んでいる。二度と同じ過ちをおかさない決意が必要だ。
政府の「原発神話」の過信に基づく原発推進政策に対する抗議、東電などの電力企業の利益至上主義や隠蔽体質に対する抗議、信用できない政府や電力企業にはっきり異議申し立てをしていく活動を多くの人たちに呼びかけて、一緒に行動していくことを追求しよう!
大変危険だと言われた浜岡原発を止めた菅首相だが、26日からのフランスでのG8サミットでは、原子力をエネルギー政策の4本柱に入れた内容を提起するとのこと。やはり菅首相には放射能汚染の深刻な事態への反省がないのか?
今回の大震災の教訓は、地震大国の日本には原発は大変危険で人間と共存できないことを証明した。
私たちがめざす方向は「脱原発」である。(英)


原発こぼれ話  ・スリーマイル島への旅

 4月上旬、古本市で「スリーマイル島への旅」という本をみつけた。22年前に刊行されたこの本がどのような旅を経て、今この時に私の手元にたどり着いたのか、感慨を覚えずにはいられない。著者の伊良子序氏は神戸新聞記者で、事故後9年余の1988年夏、スリーマイルへの取材に旅立った。副題「原発、アメリカの選択・日本の明日」は、福島原発震災に見舞われているこの国の今を予想していたかのようだ。
 スリーマイル島原発事故とはどのようなものだったか伊良子氏は次のように言う。「一九七九年三月二十八日未明。アメリカ東部ペンシルベニア州ハリスバーグの南東約十マイルのスリーマイル島(TMI)原子力発電所二号機で異常が発生。冷却水の循環システムに小さなトラブルが起きたのを引き金に、当直運転員の誤判断と対応ミスが状況をさらに悪化させ、原子力がカラ炊き状態となって、超高熱によるメルトダウン(炉心破壊)という最悪の事態を招いた」
 伊良子氏が1カ月の取材旅行に出かけた当時、米国の原発事情はどのようなもだったのか。「事故から十年。アメリカの原発情勢は大きな変化を見せてきた。危険性に目覚めた市民の反対運動が高まり、安全対策の強化を求めて法規制の網をかぶせられた。一方、原油の値下がりなどで火力発電を見直す方向へ電力業界が動き、『原子力は高くつく』という意見が台頭してきた」「建設計画の白紙撤回が続出し、一時は、アメリカは原発から完全撤退をめざしているかに見えるほど事態は急テンポで脱原発に向かっていくようであった。八九年のチェルノブイリ事故が、そのムードをさらに加速させた」
 88年には、ニューヨーク州ロングアイランドにあるショアラム原発が事故時の周辺住民の避難経路が十分に確保されていないという理由で州議会にストップをかけられ、約6000億円をかけて完成したのに稼働することなく止まった。一方、カリフォルニア州サクラメント市郊外にあるランチョセコ原発はトラブル続出から住民投票となったが、18カ月間の運転認可とその後のサイド住民投票実施≠ニいう結果となった。しかし、翌年の2度目の住民投票によってこの原発は止まることになった。
 ところで、スリーマイル島は海に浮かぶ島ではない。五大湖岸からペンシルベニア州を北から南に抜け、メリーランド州で大西洋に注ぎ込むサスケハナ川の中洲のことである。日本の原発は冷却水を海水に求めているためすべて海岸沿いに立地している。それで海温め装置≠ニ揶揄されている。核分裂によって発生する熱エネルギーの3分の1しか発電に利用できない、あとの3分の2は海に捨てるほかない、だから福島では捨てられなくなった核燃料の崩壊熱が圧力容器・格納容器・原子炉建屋を破壊し、放射能をまき散らし続けているのだ。
 欧米ではスリーマイルのように川の水を利用している原発もあるし、川から水を引いた人工池を利用しているところ(南テキサス原発2号機)もある。池といっても向う岸は水平線のかなた、四方形の一辺の長さが13マイル(約20キロメートル)というから、改めて米国の広さを実感させる。この池には温水を好むワニが棲みつき、なかには4メートルもの巨大ワニがいる、夜になるとワニが陸に上がって発電所内を散歩しているというのだ。
 伊良子氏も、「なにしろ、アメリカの国土は広大である。周囲はすべて地平線といったけたはずれの広さをまのあたりにすれば、広さが住民のアレルギーを希釈させているとしても不思議ではないという気分になる」と述べ、過疎地とはいえ日本の原発立地が生活圏と隣接している状況との違いが「アメリカのローカル住民たちの原発への寛容さ」をもたらしていると指摘している。ちなみに、島根原発は県庁がある松江市から8キロメートルのところにあり、松江市のほぼ全域が20キロ圏に入る。
 福島原発震災との関係で見逃すことができないのが、「憂慮する科学者連盟」のメンバーで原発を専門とするロバート・ポラード氏のインタビューである。「ポラード氏の話は、テレビ座談会で訴えたという重大な話から始まった。それはゼネラル・エレクトリック(GE)社製の沸騰水型軽水炉(BWR)のMARKシリーズの欠陥に関する指摘であった。日本では東京電力の福島原発などに使われている機種である」と伊良子氏は言う。
 ポラード氏の指摘は次の通り。「MARK1を使っている原発は今全米で二十四基。日本の福島原発などでも使われています。MARKシリーズは2型、3型もあり、多少の改良はありますが、危険は基本的に同じです。完成しながら一度も運転されずに閉鎖されたショアラム原発は2型。原発として経営するのを断念して石炭発電所に方向転換したシンシナチのジマー発電所も2型を据えつけていました」
 米国ではこのように欠陥原発が経営判断によって廃炉となる例があるが、日本においては30年を超え、40年を超えても(福島第一原発1号機は1971年3月26日運転開始)稼働し続けているのである。事故はいずれ起こる運命にあったと言うほかない。ちなみに、30年越えで廃炉とするなら、すでに20基近い原発が止まっていたし、福島第一原発はすべてが廃炉となっていたのである。東電の儲けがすべて、安全などどうでもいい、事故が起きたら想定外≠ニ逃げればいいという姿勢が原発震災を引き起こし、その収束を不可能なものにしつつあるのだ。
 伊良子氏は最終章を「二十一世紀への模索」とし、米国エネルギー省の原発は21世紀には第二の黄金期を迎えるとの予測と、「やっぱり将来は原子力がいちばん。この世の中にリスクのないものはない」という言葉を紹介している。他方で現場の電力業界の取り組みを、「太陽光、風など最もポピュラーな代替エネルギーの開発に熱心に取り組んでいるのは、自然の恵みが豊かな西海岸カリフォルニア州。代替えエネルギー発電所を稼働させている電力会社もあるし、大学、民間のプラントが多いのも、この州である」と述べている。
 代替えエネルギーの実用化は21世紀半ばという研究者の指摘を受け、伊良子氏の結論は次のようなもである。
「人類の長い歴史からすれば五十年や六十年は大した時間ではない。だが、原発事故への不安を考えると、はたしてそれだけの猶予が残されているかどうか疑問がある。原発の大事故が発生し、決定的な危機状態に見舞われた時、政府や業界の重い腰が上がるかもしれないというひそかな期待感のある。だが、その時は誰かが犠牲になるし、教訓が繰り返さるうちに地球を汚染する放射能濃度は取り返しのつかないところまで行ってしまうかもしれない」「スリーマイル、チェルノブイリと続いた大事故が代替えエネルギー開発にそれほどの刺激剤にならなかったという事実も冷静に考える必要がある。いったいどんな事故なら刺激剤になるというのか? それを考えると胸がふさぐ」
 伊良子氏のこの嘆きは、いま現在のわれわれの嘆きである。周囲に冷たい視線に抗して孤独な反原発運動を続けている、ハリスバーグに主婦メアリ・オズボーンさんの言葉を最後に紹介しよう。「そうならないことを願っているけど、いずれ日本でも同じような大事故を経験する可能性がありますよ。そうなったら、日本は国土も狭いから、被害は大きいだろうし、推進派と反対派の闘いもアメリカよりずっと激しいものになるでしょうね」

*なお、この本の出版元は神戸にある「エディション・カイエ」というところですが、残念なことに古本でしか入手はできないでしょう。それのしても、スリーマイルからチェルノブイリ、そしてフクシマへとたどり着いてしまった私たちの旅は、この先どこへ向かうのでしょう。(晴)案内へ戻る
 
読者からの手紙
 東京へ行ってびっくりしたこと

東京駅では、夕方5時になれば、エレベーターも、エスカレーターも一斉に停止する。トランクを引っぱって大きな袋を片手に持ち、貴重品を入れたカバンを肩にかけている私は、ニッチもサッチもいかない。難儀していると、若い女性や男性が持ちましょうか≠ニ、積極的に申し出てくれる。私も相手も行きずりの赤の他人。
 荷物を持ってもらうには、そこには信頼関係がないと、できないことだ。私がもし、助っ人を申し出た若者ならば、相手が不安がるだろうと気を回して、こっちから積極的に声をかけれないだろうと思う。この頃はぶっそうだから見ず知らずの人に荷物を持ってもらう人(特に年輩の方なら)は、大阪(日本全国の中でワースト・ワンの都市)では、まずいないだろう。
 私は、最初はとまどったが、好意を受ける勇気をもとうと思った。助っ人を申し出てくれた人は、一人だけではない。宿につくまでに3人の若い人のお世話になった。明らかにひとり≠ゥらみんな≠フ時代に変わりつつあると感じたものだった。
 以前、あなたのものは、わたしのもの。わたしのものは、あなたのもの≠ニいう、私有を超えた所有を考えることはできなかったが、私有を揚棄した所有もあり得ると思えるようになった。共有≠ニでも言おうか。最近では珍しくないかも知れない。
 精神共同体を試みた例はこれまでにもあったろう。小説だけど三島由紀夫の鏡子の家≠ェそうである。ついには、この共同体も崩壊するけれど。東日本を襲った震災のために避難所でいっしょに住む≠アとを余儀なくされている。これに土地と物資の裏づけがあれば、また個別の生活、バラバラな生活をしないで済むかもしれない。たとえ、バラバラに生活しても、これまでに培われた絆≠ヘ生きつづけるだろし、以前とはちがった生活を送ることになるのではないか、と想像する。
 ところが原発周辺の方々の生活はどうだろう。傷ばかり残って、いまや存亡の危機にさらされている。希望をもって≠ニ言ったって絶望と同じ位、考えることもできない。海に生きたくとも生きられないのが現状。
 TV報道によると、協同生活するための家屋も住民の人々の手で建てられつつあるとか。決して虚妄ではない。ともすれば、人間の力が信じられなくなりがちだが、東北の方々の新たな努力を知るにつけ、人間の力の無限なることを信じたい、と思う。2011・5・13 宮森常子


読者からの手紙
☆「今、私はある個人の編集・発行の冊子に寄稿を求められ、書き終わったばかりだが、改めてワーカーズの秀れたライターに敬服する。真理・真実をいかに捉え、握るか。ラジカルで具体的平易な表現にするのに何が求められるのか? 民主主義が遠く、保守右翼がはびこり、ファシズムへと向かう日本で、依然として少数で、無力を抱くが自分の生きる根拠・支えとしてあるリベラル左派(?)を最後までつらぬく意志である」Y・O


色鉛筆 世界中の心をひとつにつなげたい

 日・中・韓首脳会談に出席する中国の温家宝首相と韓国の李明博大統領は、五月二十一日(土)東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県の被災地を視察し献花し哀悼の意を示した。
 津波で壊滅状態になった女川町の水産加工会社で働いていた中国人実習生一六二人全員を、受け入れ企業が守ったことが報じられている。中でも佐藤水産の専務佐藤充さんは実習生二十人を会社に近い高台の神社に誘導し避難させたあとに高台を降り、津波にのみ込まれて亡くなった、中国では実習生の証言が報道され、研修生を守った充さんがたたえられている。
 それに対して震災後実習生の出身地大連市の職員が、女川町を訪れ企業関係者に見舞金を贈っている。また温首相は佐藤充さんを「大変すごい精神をみた。彼は周りがどの国の人であろうとも救うべきだと考えた。私は彼を高く評価したい中国人民に対する日本人の友好的な感情を知った」と絶賛した。
他方、韓国の李大統領も「人知を超えた災害に対して日本人が示した姿や勇気は、世界中が感動をもって見ている」と述べた。
 韓国の国民は、歴史的な経過のため日本人に対してよい感情を持っていなかったと思う。日韓併合をはじめ九十年前の関東大震災では、火事は朝鮮人が放火したとデマがながされ、多数の韓国人と中国人が日本人によって殺された。戦後も日本に住む韓国人は、日本人から差別を受け、子どもは名前を日本名に変えて学校に通っていた。
 時代が少しずつかわり韓流のドラマが多くお茶の間のテレビで見られるようになった。旅行者も相互に増え、経済交流もさかんになり隣人としての友好関係が底流としてはぐくまれてきた。
 こんな背景から今回のように外国人だからと差別することなく、人として実習生を守るという自然な人間の感情と行動がみちびかれたとおもう。時代も変わってきた。しかし、そのためにも戦前の「天皇制国家」によるアジア支配という歴史を忘れるわけにはいかない。
 台湾からは、足跡を後世に残したいと救命続け犠牲になった充さん、避難を放送で呼びかけ続けた未希さんの名前を残した消防車(未希号)・救急車(みつる号)が寄贈された。また世界のいろいろな国から、企業から、個人から宮城県の被災地は多くの支援を受けている。
 いうまでもなく、国家を代表する政治家たちに、「意図」や「思惑」がないはずはない。尖閣諸島問題でこじれた日中関係を改善したいとのねらいがみえる。政治家は「反日感情」も「親日感情」も自在にかけひきの道具にするから、気をつけなければならない。企業だって善意だけで高額な義援金を提供しているわけではないだろう。
 しかし、かれら国家首脳が、国際友好の機運に乗り遅れまいとするぐらいに、すでにアジア人同士の心の交流や連帯が、過去のわだかまりを乗り越え発展していることはまちがいない。助け合おうという心が、人と人、国民と国民を結びつける。このような輪の広がりから未来は生まれでるだろう。 (あ) 案内へ戻る


編集あれこれ

 前号の第一面は、「政府・株主・事業者を免責するな!」との表題で、菅政権が労働者民衆・消費者に責任転嫁する福島原発事故の賠償枠組みを批判しました。まさにタイムリーだったと総括しています。これらからもこの視点で菅政権を追及していこうと考えています。
 第2面にはこれまた重要な視点がなされています。浜岡原発の停止要請が菅政権の自発的な要求であったのか否か、これまた重要な視点でした。この時点では確証はありませんでしたが、これ以後事実が明らかに成ってきました。
 第3面から 第5面までの「“原子力ムラ”は解体だ!」は重要な記事です。
 「コラムの窓」「沖縄通信」「色鉛筆」「原発こぼれ話」等、原発事故記事が並びましたが、それはそれでよかったと総括しています。
 《連載》21世紀の世界や読者からの手紙も読ませる内容があったと考えています。(直木)
案内へ戻る