ワーカーズ443号 2011/7/1     案内へ戻る
米軍基地はいらない! 核もいらない!2プラス2日米文書を破り捨てよう

 6月21日、米国ワシントンにおいて日米安全保障協議会(2プラス2)共同文書が発表された。構成は外務、防衛担当閣僚だが、いま誰がやっているんだと新聞をよく見ると、松本剛明と北沢俊美とある。北沢は民主党政権発足以来の防衛相だが、長く続いたのは防衛官僚と米国の言いなりだったからにすぎない。松本は前原前外相辞任のあとのピンチヒッターにすぎない。
 いずれもクリントン国務長官やゲーツ国防長官に追随するほかない。もっとも、5年で1兆円といわれる米軍思いやり予算≠早々と決めてしまった菅政権に、米国に何か自己主張をすることなどありえないのだが、それにしてもあまりに情けない合意内容ではある。
 まず第1に米軍普天間飛行場の辺野古移転だが、2014年移転はムリということで先送りとなった。これに連動して海兵隊のグアム移転なども凍結、辺野古新基地建設なくして何も先に進めないと米国は恫喝している。普天間は危険なまま使い続けるだけではなく、オスプレーを配備してさらに脅すというのである。菅政権はこれを拒否する素振りもなく、大震災の被災者も基地被害の犠牲者も切り捨てて恥じないのである。
 次にミサイル防衛(MD)の海上配備型迎撃ミサイルの第三国への移転合意だが、これは武器輸出三原則のなし崩しで防衛産業が望む武器輸出全面解禁へと道を拓くものである。日米軍事同盟は日本の米国への追随だが、同時に日本資本の利害をかけた選択でもある。
 もうひとつは、突然飛び出した「馬毛島」だ。これは、米軍空母艦載機の離着陸訓練を鹿児島県の馬毛島で行おうというものである。米軍が望めば何でも受け入れる、2プラス2の手土産≠ノされてたまるかと、近隣の屋久島や種子島では反対の声が上がっている。
 東日本大震災におけるトモダチ作戦≠ノ味を占め、防災訓練への米軍参加や「地域の人道支援・災害救援分野の後方支援拠点を日本に設置」などにも踏み込んでいる。これらは災害≠口実とした軍事力の展開であり、殺人と破壊は災害救助とは無縁である。
 辺野古に米軍基地は建設できないし、普天間飛行場は即時閉鎖以外にない。人々の希望をその地域ごと踏みつぶすこうした文書、合意を認めることはできない。核も軍もいらない、地域的自立を積み重ねることができる社会をめざそう。  (折口晴夫) 


沖縄通信・・・・「沖縄に戦後はない」

 6月23日、沖縄は66年目の「慰霊の日」を迎えた。
 沖縄のオジィやオバァたちは「沖縄戦は終わっていない」とよく言う。
 私はこの「終わってない」とは、どういう意味なのか?ずっと考えてきた。そして最近私なりに思い当たることがあった。
 私たち本土では「戦前」「戦後」という一つの区切りがある。「新しい戦後民主主義教育がスタートしました」などと、「戦後」と言う言葉をよく使う。
 しかし沖縄県民にとっては、「戦後」は始まっていないのではないか。確かに沖縄も「戦後」がスタートした。しかしそれは形式的なもので、生活実感としては「戦後」はスタートしていない。沖縄戦後の米軍支配下の「収容所生活」、そして銃剣とブルトーザーで土地を奪われた27年間の「米軍占領時代」、1972年の日本復帰後も米軍の植民地的支配は変わっていない。
 この間、米軍は「ベトナム戦争」「湾岸戦争」「イラク戦争」「アフガン戦争」などの戦争を続け、沖縄は絶えずその戦争の重要基地であった。沖縄にはこうした戦争という日常が沖縄戦からずっと続いている。
 3.11東日本大震災を受け、本土では原発問題一色になり、沖縄の問題はほとんど語られない。しかし沖縄では米海兵隊と沖縄防衛局による基地強化が着実に進められている。
4月〜6月にかけての沖縄の近況報告をする。(富田 英司)

 ・4月22日(金)沖縄戦「集団自決」めぐる岩波・大江訴訟最高裁で勝訴
★課題は高校日本史教科書の「集団自決」における軍強制の記述が削除されたままなので、記述の回復を求めていくことを確認。
 ・4月28日(木)第3次嘉手納爆音差し止め訴訟・・沖縄の怒り爆発!
★原告人なんと22,058人(これは県民63人に1人の割合になる)。
   原告人は5市町村から(嘉手納町・北谷町・読谷村・うるま市・沖縄市)。
 第1次訴訟(1982年3月)の原告人は907人。
   第2次訴訟(2000年3月)では原告人は5,544人となる。
 ・5月 4日(水)内部告発サイト「ウィキリークス」が未公電を暴露
★海兵隊グアム移転で、日米政府の「密約」(人員・経費の水増し)を暴露。
 ・5月 7日(土)「北沢防衛大臣」来沖・・・辺野古新基地建設の確認
★市民団体及び労働組合、県庁前において激しい抗議行動を展開する。
 ・5月12日(木)陸上自衛隊の与那国配備・・5年以内に約100人規模
★本年度予算に配備に関する調査費3000万円を計上する。
 ・5月13日(金)米上院軍事委員会、普天間の「嘉手納統合案」を提案
★辺野古移設は「実行不可能」との判断。
★嘉手納統合案・・・嘉手納戦闘機部隊の一部を三沢基地などに移転させ、空きスペースに普天間ヘリ部隊を移転させる案。
★背景に、米国の財政赤字(毎年1兆ドル=約80兆円)問題の深刻化あり。
 ・5月15日(日)日本復帰39年目の「平和行進」・・3,300人参加
★決議内容 @普天間の辺野古移設や嘉手納統合案反対
        A東村高江区のヘリパッド建設反対
        B先島諸島への自衛隊配備反対
 ・5月20日(金)嘉手納基地で米軍通告なく「パラシュート降下訓練」実施
★米軍はSACO合意で、同訓練を伊江島補助飛行場で行うと決定済みなのに。
 ・5月21日(土)下地幹郎国会議員が3案「嘉手納統合案」「安波空港建設案」「キャンプ・シュワブ陸上案」を提起する
★「沖縄平和市民連絡会」、6月6日に下地後援会事務所に抗議文を提出。
 ・6月 1日(水)「安波空港建設案」で国頭村「安波地区」総会開かれる
★安波新空港建設案・・・オスプレイの普天間配備、高江ヘリパット基地建設との3点セットになる空港建設案である。
★区民総会で反対意見が相次ぎ、結論は先送りとなる。
 ・6月 6日(月)政府、普天間に「MV22オスプレイ」配備を正式発表
★米軍は、来年2012年9月〜12月から24機を順次配備すると。
★オスプレイの配備・・・辺野古アセスではオスプレイの配備を隠していた。
 開発途中で事故が多発している欠陥機。住民への風害や騒音被害は拡大する。
 ・6月10日(金)安波区民(人口約170人)の2回目総会で政府交渉開始が決まる  
★投票<普天間飛行場の受け入れに向けて政府と交渉することに賛成か反対か> 
    ・投票数 125人(うち委任状が37人)
    ・賛成   75人(この委任状の37人の投票内容が疑問視されている)
    ・反対   50人
 ・6月12日(日)「嘉手納統合案粉砕を目指す住民集会」13:00〜道の駅かでな
★大会では米軍普天間飛行場の嘉手納統合案の撤回や負担軽減の実現、普天間飛行場の県外・国外移設などを求める四つのスローガンと決議文を採択。米軍機からの騒音や排ガスなど基地被害に苦しむ住民が、再浮上した嘉手納統合案に“NO”を突   き付けた。
 ・6月13日(月)「北沢防衛大臣」7日に続いて来沖、県庁前において抗議行動
 ・6月13日(月)宜野湾市役所前で「オスプレイ配備」抗議座り込み1日行動
 ・6月14日(火)「靖国合祀」控訴審が結審(福岡高裁那覇支部)
★沖縄戦で亡くした肉親を無断で合祀するのは違法とし、合祀取消と損害賠償を求める訴訟。なお、第1審(那覇地裁)では原告の敗訴となっている。
 ・6月15日(水)「高江」ヘリパット建設問題(7月から工事再開予定)
★沖縄防衛局、14日東村役場に「現場に重機を入れたい」との連絡あり。15日夜、「住民の会」や支援者約60人集まり搬入阻止態勢を組む。その後、24時間態勢の監視行動を行っている。
 ・6月17日(金)「伊江島で陸上空母離着陸訓練」・・・米海兵隊オスプレイ配備後に米軍伊江島補助飛行場で陸上空母離着陸訓練(FCLP)の実施を発表
★普天間ヘリ、伊江島や本島北部で陸上空母離着陸訓練、全国で初めて確認される。
 ・6月21日(火)日米安全保障協議委員会(2プラス2)ワシントンで開催
★「辺野古・V字型」は変更せず、14年期限を撤回し「できる限り早期に」と先送りし、日本国内(下地島などの南西諸島が想定)に災害救援拠点の設置確認。
 ・6月23日(木)「沖縄慰霊の日」・・・菅総理来沖抗議行動や慰霊の平和行進や第28回国際反戦沖縄集会、などが取り組まれる。
 ※日米地位協定問題・・・4月、19歳若者が交通違反の米軍属車と衝突し死亡する。 米兵や軍属及び家族の刑法犯が多発するが「捜査できず」「逮捕できず」「賠償に応じず」「米国本国に逃げ帰り」などで追求できず。
  沖縄では、ウチナンチュの人権<日本国憲法>より日米安保条約<日米地位協定>の方が上位となり米兵を厚く保護している。早急に地位協定の改定が必要であるが日本政府(自民党政権から民主党政権も)は交渉しようとしない。案内へ戻る


おかしいぞ、まず増税>氛汨攝ナに前のめりの復興構想会議──

 遅れに遅れている東日本大震災の復興計画が、菅首相の退陣政局のドタバタ劇のなかで打ち出された。が、ここでも復興を大義名分とした増税に前のめりの姿勢が露骨だ。
 あれも増税、これも増税という前に、既存財政を被災地に廻すことになぜ踏み切れないのか、新たな社会モデルへの挑戦になぜ切り替えられないのか。
 菅民主党政権の官僚主導によるなにはともあれまず増税≠フ姿勢を糾弾する。

◆つゆ払い

 ドタバタ劇の果ての国会会期の70日延長が決まった。本来であれば遅々として進まない復旧に勢いをつけ、本格的な東北復興のスタート地点に立つことにあるはず。が、政権にしがみつく菅首相の下、課題は政争がらみの中途半端な第二次補正予算などに矮小化されてしまった。
 被災地では未だ10万人以上もの人が避難生活を余儀なくされている。がれきの撤去や処理も進まないなど、復旧作業も遅れている。原発事故ではトラブル続きでいまだ安定した冷却機能の回復もままならず、収束の見通しも付けられないでいる。
 大震災の復旧や原発事故の収束という最優先の作業が遅れている中、中期的な復興構想についても迷走気味だ。
 菅内閣は復興基本法を成立させ、24日には復興本部と復興担当大臣を決めた。退陣を表明した菅首相の下で、辞任を迫る野党と政権にしがみつく菅首相の不毛な政争の果てにだった。
 その復興基本法にも組み込まれている復興構想会議の第一次提言が25日に首相に答申された。が、その答申自体、菅内閣の思惑を反映してか、増税のつゆ払いの役割を担わされた意図的なものになっている。
 この答申の特徴は、なんと言っても復興債による資金調達とその償還のための増税を強く打ち出していることにある。この増税による復興&針は、菅首相が復興構想会議を設置した時点から既定路線になっていた、菅首相の意向を反映したものだ。
 菅首相は、昨年の首相就任以来、一貫して財政改革を大義名分とした増税の必要性を主張していたが、消費税の10%への引き上げを掲げた参院選での敗北でいったんは引っ込めていた。増税はいつの時代でも納税者の有形無形の抵抗はつきものなのだ。
 が、菅首相は消費税増税の野望を棄てない。参院選後の第二次菅内閣では「税と社会保障の一体改革」を掲げることで、再度消費税引き上げの機会をうかがっていた。その後の3月11日の大震災と原発事故の発生だ。好機とばかりに復興構想会議を発足させ、増税へのつゆ払いの役割を負わせた。議長に就任した五百旗頭防衛大学校長は、構想会議の第1回会合後の記者会見の第一声で増税による復興≠強調した。いわゆる菅首相を代弁するアドバルーンだ。
 しかし、大震災のダメージも癒えないなかでの増税はさらなる不況を呼び込みかねないとの批判や、消費税増税はあくまで税と社会保障の一体化改革のためにとっておくという思惑もあって、第一次提言では消費税増税の突出を避け、消費税の他、所得税や法人税を含む「基幹税」の引き上げという曖昧な増税案を提言した。
 とはいっても、復興を増税で賄うという基本的スタンスは貫かれており、菅首相の思惑が反映したものであることは間違いない。

◆全国から東北へ

 大震災からの復旧・復興に何らかの貢献をしたいと考えている人は多い。原発災害の保障についても同様だろう。10兆円を超えるといわれる被災地の復興費用や同規模と見込まれる原発災害への補償を賄うため、それに見合った何らかの国民資源を被災地や被災者に振り向ける必要はある。しかしだからといって、なぜ増税に直結するのだろうか。
 増税以外に被災地の復旧・復興に向けた選択肢は他にもある。たとえば税控除方式の寄付制度を導入することやボランティア団体・NPOなど民間ルートでの被災地支援などだ。それらと協力した被災者自身による自主的な取り組みも、すでに静かに拡がっている。財政によるとしても、増税ではなく、不急の財政支出をカットして被災地に廻すことも必要だ。
 被災地の復旧・復興のための増税と言ったとたん、その他の選択肢は除外されることになる。現に政権周辺では他の支出を削減することなど少しも言及されていない。増税による復興という視点は、まさに行政目線からのものでしかない。だから私たちは増税による復旧・復興を批判してきたのである。
 繰り返すことになるが、一般の家計で緊急な出費を余儀なくされた場合はどうするのだろうか。
ふつうは緊急性が少ない他の出費を減らしてそれに充てるのではないだろうか。たとえば家族の誰かが病気になり医療費の出費が増えた場合など、旅行を止めるとか外食などを減らすことで出費を減らし、医療費に廻すのではないだろうか。
 政府や構想会議の提言では、そうした態度がはじめから排除されているようにしか見えない。政府全体では、他の支出を切り詰める動きなどはほとんど伺えない。大震災や原発事故など無かったかのようにだ。
 被災地の復興に不可欠の社会的インフラなどについて考えてみよう。
 最初に必要になる道路や上下水道の整備にしても、全国で予定されている新規敷設や改修計画のうち、不急のものは我慢してその分を全部被災地に廻すことなどは十分に考えられることだ。その分の需要減については、東北での新規雇用も増やすほか、全国の関連業者の一部も被災地の復興需要に従事する事も可能だ。このようなやり繰りは、被災自治体などではすでに行われていることでもある。
 インフラ以外についても同様だ。たとえば原発推進のために投入されてきた研究開発資金や米国の言い値で負担する米軍再編費用、自衛隊の次期戦闘機の購入計画、公安調査庁などなんの役にも立っていない官庁の廃止、特別会計の廃止、あるいは天下りの温床になっている財団法人などの廃止にも大胆に踏み込む必要がある。また被災地以外の自治体への補助金や地方交付税の削減も必要だろう。削減される自治体や住民も、それぐらいの「痛み」は甘受すべきだし、またできるだろう。利権だけで計画され、造られた赤字を垂れ流すだけの地方空港なども、きっぱり止めることだ。
 かつて民主党政権発足時に注目された事業仕分けは、「無駄を削って国民生活へ」というものだった。今回はそれ以上の、中期的には必要なものも先送りしてその分を被災地に廻すことが求められているのだ。被災地のことを考えれば、それぐらいは我慢すべきだろうし、また我慢できる。
 要は、民から官への資源移動ではなく、全国から東北への資源移動による復興をめざすべきなのだ。

◆官の焼け太り

 なぜ増税による復興に反対するかと言えば、第一に、それが当然の結果として官僚の肥大化と行政依存を深めるからだ。
 増税による復興を担う組織として、すでに復興庁の新設が予定されている。そこで増税で集めた膨大な財政資金を運用するのは、当然ながら復興庁という官庁であり官僚だ。国土交通省や経産省を始め、その他の官僚組織も復興予算を握ることになる。その分だけ官僚の采配の余地が大きくなり、また無駄や不正も拡がる。
 第二に、増税による復興では、民間経済に対して国家セクターの肥大化をもたらす。GDPは横ばいだから、10兆円の増税は、たとえ期限付きでも、その間民間セクターは縮小し、国家セクターが肥大化する。官の失敗がいわれるなか、大震災という未曾有の事態を盾に、また官の肥大化を許すことになる。
 第三は、増税による復興が、並行して進められている「税と社会保障の一体改革画」での消費税増税の幕開けの役割を帯びているからだ。いわば、大増税時代のつゆ払い役だ。
 菅内閣は、2015年度で消費税10%という増税を打ち出している。民主党の検討会議では2010年代の中頃だと曖昧化しているが、それでも消費増税で社会保障費を賄うという方針は変わっていない。
 その2015年で10%という税額は、当然のこととして延長線上に消費税15%,20%という引き上げを想定したものだ。これは膨れる社会保障費を生活者自身の財布から支出させようとする財界などが強く要求してきたことでもある。
 5%の引き上げということは、日本の消費支出が280兆円台だから、少なくとも13〜4兆円規模の資金が生活者の手から奪われて官の手に移行する。15%になれば27兆円、20%になれば40兆円が生活者から官へ移行する。国家は肥大化して庶民は貧する∞官の焼け太り≠許してはならない。

◆自治・共助

 デフレ経済が長引く中での消費増税はさらなるデフレを招く、という議論もある。確かにそうなるだろう。が、それ以上に問題なのはこうした国家セクターの肥大化である。国家セクターの肥大化は、裏返せば行政依存社会をいっそう進めることでもある。
 今回の大震災と原発事故の教訓はどこにあるのか。自然に逆らい、防潮堤や原発など巨大技術を過信していたこと、一極集中型の経済成長や利益至上主義の官と民間大企業主導経済を追い求めてきたことなど、大震災と原発震災という現実からすればすでに明らかだろう。菅内閣が進める増税による復興や行政主導の復興プランでは、破綻に突き当たったこれまでの社会モデルを再生産するだけだ。
 そうした教訓から学ぶとすれば、めざすべきは大量生産=大量消費社会を見直し、無理な経済の拡大を追い求めない身の丈にあった経済システムづくりをめざすこと、大企業や官主導から脱却した住民自身による自治や共助のシステムを拡大していくことにある。それらの芽はいまあちこちで芽吹き始めているのだ。官や行政依存から脱却するためにも、そうした新しい自治・共助の試みを拡げていくことこそ求められているのではないだろうか。(廣)案内へ戻る


コラムの窓  生活保護費の有期制と給付減、制度改悪は本末転倒だ!

 今年3月末現在の全国の生活保護受給者は202万2333人(厚生労働省の集計)。戦後混乱期の1952年度以来、59年ぶりに200万人を突破した。
 生活保護の受給者は1995年度の88万人を底に年々増え、3年前のリーマン・ショック以降失業などで現役世代の受給が顕著になり、そして今なお、大震災の影響で自宅や仕事を失って保護を申請する人が多く、受給者の増加傾向は続き、国や自治体(保護費の4分の3は国、残りの4分の1は市町村の負担)の給付総額はすでに3兆円を超している。
 生活保護制度の改正案は国と自治体の負担率の変更(それぞれ2分の1へ)等を含むが、主要課題は、財政負担の軽減である生活保護費の引き下げで、5月30日、生活保護制度の改定に向けて、8月までの取りまとめを目指し、地方自治体との事務レベル協議を、メディアも含め「公開しない」ですすめようとしています。
 厚労省の議論では、保護費が最低賃金や基礎年金の額を上回る「逆転現象」が一部の地域で出ており、それを解消するため生活保護費の引き下げに向けた検討である。
 社会保障審議会に生活保護38件基準部会を設置し、生活保護を受けていない一般低所得者の消費実態を参考に、生活保護基準の見直しを計っている。生活保護38件の基本部分である生活扶助費は、65歳の単身世帯で自治体の規模により月額6万2640円〜8万820円、夫婦とも65歳の場合は合計で9万4500円〜12万1940円となり、家賃などを支払っている場合は、住宅扶助として実費が加算される。一方、基礎年金は月額6万5741円(夫婦合計は13万1482円)で、単身世帯では都市部などで保護費の方が上回っている。また、昨年度の最低賃金は全国平均で時給730円(北海道は691円)で、北海道や東京都など5都道県で保護費との逆転現象が生じ、「まじめに働く意欲を損ねかねない」との指摘で、生活保護費の引き下げに向けた検討なのだが、しかし、逆転現象の解消は本来、最低賃金の引き上げや年金制度の改革等、より豊かな生活を目指す方向で進め、必要なのは、保護費の抑制ではなく、生活保護を受けている人が自立し、保護を抜け出すための支援で、就労意識を高めたり、社会参加を促したりする事業を国や自治体が積極的に進め、企業が低賃金や解雇を安易に行わないようにすべきである。
 制度改悪のベースとなるのは、昨年10月に指定都市市長会(政令指定都市の首長で構成)が発表した生活保護改悪案、働ける年齢層(16〜65歳)に対し●就労自立を促しボランティアや軽作業を義務づける●ボランティアなどへの態度をみて3〜5年で受給の可否を判断する更新制度を導入する・・・など生活保護に有期制を持ち込み、医療扶助にも自己負担をもちこみ、生活保護の給付費を削減しようとするものであるが、生活保護制度は、憲法第25条に保障された「国民に健康で文化的な最低限の生活を保障する」ため、雇用や年金などと併せて張り巡らせているセーフティーネット(安全網)のうちの最後のものである。その保護費の引き下げは、安全網の最低枠を壊し、最低賃金制度の低賃金化を容認し、「最低限の生活」すら保証しない、国(公)の責任放棄である。
政府は「税」と「社会保障」制度の見直しで消費税率のアップを念頭に検討しているが、増税と給付の削減が先行した議論は本末転倒で断固反対していこう!(光)


《連載》21世紀の世界E 現代のガリバー−−身動きのとれない国家

●国家の「強さ」にも陰りが見える
 現代国家の最後のよりどころ、強さの源(みなもと)は単なる武力(軍隊・警察)ではなく、巨大な国家財政力なのです。この巨大な力があるから、国家は、資本主義経済やその社会秩序を守り、さらに自分たち(官僚たち)の権力や権益を他の階級からの批判や反乱から守りきることができるのです。
 しかし、こうした国家の力の源に陰りがますます濃くなっているのも現実です。
 日本においては、現在国家予算の約半分が借金によってまかなわれている状態。累積国家財政赤字額がすでに900兆円超。年間税収の十倍を超えています。それに追い打ちをかけているのが、「リーマンショック」以来の景気のひどい落ち込みでしょう。さらに追い打ちの追い打ちとして、東日本大震災や福島原発事故が重くのしかかつています。

●赤字財政に特効薬はない
 ため込んでいる米国債の売却等で財源はまだまだあるとの主張もききます。しかし、さけられない諸事情のために(主に外交上の問題やドル体制の維持、円高の要因の忌避等)、これも毎年積み増しされる膨大な「財政赤字」の解決の決め手ではありません。民主党の「政治主導で財政の無駄を省く」という選挙公約も効果らしい効果を生み出しませんでした。
 切り札とされる景気回復も、先進国は軒並み成長が鈍化しており「高度成長」「バブル」の再来は期待薄です。景気回復⇒歳入の増加もまた莫大な赤字財政の解消のテコになることはないでしょう。
 従来、戦時の莫大な財政赤字は、ハイパーインフレで解消されてきましたが、皮肉なことに金融市場が国際化され「カジノ経済」と化した現代資本主義は、株式や土地やその他の架空資本への投資が加熱することにより「過剰貨幣資本」を吸い上げてしまうのです。その結果、製品、資材や原料等商品に対して貨幣価値が暴落するというハイパーインフレは起こりにくい構造になっています。インフレの爆発が膨大な赤字財政の「解消」になることも日本の場合は当分は困難なのです。
 また、国民に対する国の借金がどんなに増えても貿易黒字でため込んだ「外貨」があるかぎり、「国家は破産しない」という極論もあります。
 しかし、国家財政窮乏化の問題は、「日本が破産するかどうか」にあるのではなく、諸階級の予算のぶんどり合戦に対して、分かち合うべき「パイ」が減少し、国家による調停が、今後いっそう困難になるということなのです。福祉切り捨てや雇用保険・年金改悪はすでに開始され、また消費税の増税が強行されつつあります。勤労大衆へのしわ寄せはより露骨なものとなっています。勤労大衆の反撃を強めてゆかなくてはなりません。
 OECD加盟国のなかでみても日本ばかりが国家力の低減に悩んでいるのではなく、程度の差はあれこれは世界的問題でもあるのです。

●国家が社会をまとめる力を失うと言うこと
 国民国家には、経済的な一定の結合がある反面、全国民的な融和や統合などは存在せず、誰もがしっているように様々な階級、階層、利益団体がせめぎ合っています。これら諸団体が「中立」を標榜する国家に対して、自分たちのより大きな取り分や保護の獲得のために、政治活動を繰り広げていることもよくしられていることです。
 「国民的統合」や「融和」は、国家の巨大な予算の「ばらまき」「気配り」「てこ入れ」等々によりかろうじて維持されているのです。ひと時代前では、大型の公共事業の実施や農民への補助・保護政策などが典型的なものです。(法体系の国家による調整に基づく国民的利害対立の調整という面も国家の役割である。が、ここではふれませんが。)
 こうしたなかでより露骨な、資本家とくに大資本家護持のスタンスで国家予算をばらまいてきたのが従来の自由民主党政権。他方、民主党政権は、「国民に顔をむけよう」とするぶんだけより一層八方美人で大盤振る舞いの傾向があるといえます。
 階級的対立を「調整」しながら「国民的融和と統合」を維持するのは金がかかると言うことなのです。いずれにしても、ばらまくための直接の原資である国家予算の「まみず」の部分が、ますます硬直し少なくなっています。
 国債も打ちでの小槌ではないのです。「国家」は国債という借金により破綻するものではないという主張が仮に事実としても、国債も返済しなければ新規国債の販売が困難となるのであり、したがって利払いや償還は確実に行使してゆく義務が国家にはあるでしょう。そうでなければ誰も国家(官僚組織)に金を貸さなくなります。
 そして、債券の償還や利払い(国債費はすでに歳出の25%)のために財政の「まみず」は減りあるいは硬直し、今後は(今まで以上に)支出を切り縮めてゆく必要があるでしょう。かくして国家による諸階級の「融和」「調停」はそのぶんだけ困難になるのです。

●国家や資本の間隙から成長するアソシエーション
 さらに東日本大震災と福島原発の問題があります。「税金か国債発行か」という問題にはここでは触れませんが、いずれにしてもこの新たな負担は国家にとってさらなる重荷となります。
 そこでボランティアの国家による「利用」ということも時代のテーマとなるのです。ボランティア組織、NPOなどの組織はこの時代を利用することができます。次世代を担うアソシエーションが、国家の力の衰弱という間隙をぬって拡大し力をつけてゆく好機でもあるでしょう。もちろん諸アソシエーションも、右肩上がりに成長するとは考えられませんし、いわんやその延長上に「アソシエーション社会」を単純に展望しているわけでもありません。いずれかの段階で、諸アソシエーションの国民的経験を踏まえて「収奪者の収奪」という社会革命や政治革命も想定せざるを得ないと考えます。
 現代国家の衰弱や再編は、前世紀後半にすでに意識されてきました。「小さな政府」「新自由主義」を標榜するサッチャリズムやレーガノミックスも危機の反映の一つでした。これらの政策が国民的犠牲の下で危機を引き延ばしたにしても、国家を蘇生させたとは評価できません。むしろ、福祉政策の切り捨てに対応するボランタリーな運動が成長したのでした。
 このように二十一世紀の中・後半は、硬直化し一層衰微する現代国家と、その足下で活性化する諸アソシエーションの国民的、世界的な成長およびその鍛錬の時代であるとみることができます。 (仙台スズメ)
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原発こぼれ話・10万年の悪夢

 ドキュメンタリー映画「100000年後の安全」が上映されています。フィンランドのオルキルオト島に、ポシヴァ社が高レベル放射性廃棄物の最終処分場、ONKALO(オンカロ・隠された場所)を建設中です。フィンランドの地層は18億年前のものとかで、その岩盤を500メートル地下まで掘って、9000トンの使用済み核燃料を収容し、その後埋め戻したらもう二度と開くことはないということです。それは来世紀、22世紀のことですが、これが無害化する10万年後まで、決してあばかれてはいけないのです。
 デンマーク出身のマイケル・マドセン監督が、オンカロの秘密≠フ洞窟の奥深くにカメラを持ち込み、その映像とともに会社や政府関係者のインタビューを映す。現在のフクシマの現状は、東京電力も政府も隠すことに力を注いでいます。日本とは違うにしても、この違いはなんだろうと思います。フィンランドでは建設中のオンカロの映像が映され、関係者はカメラの前で告白しています。
 ここで真剣に検討されていることは、この施設が本当に10万年も安全を保つことができるのか、その間にピラミッドが盗掘・発掘されたように未来の人類によって掘り返されないだろうかということです。
「処分場は恒久的であることが重要な点だ。一度地下に埋蔵したら掘り起こしてはならん」「不確実性の下の意思決定≠ニいう表現があります。まさに放射性廃棄物の処分は不可実性の下の意思決定です」「このようなプロジェクトでは分かっていることいないこと、予測不能なことがあることも全てさらけ出すべきです」等々。
 掘り返してはならないということを、氷河期をはさんだ未来の人類(存在するのかどうかも分からない)にどのように知らせるのか。伝説としてか、それとも「感覚に訴える手法として興味深い絵画があります。ムンクの描いた『叫び』です。負の感覚を表現しています。絶望感が感じられる絵で明らかに鑑賞するものにネガティブな印象を与えます」というのはどうか、等々。「個人的には、処分場は忘れ去られても大きな問題はないと思います」という見解もあり、埋め戻した土地の上に家が建ち、人が住めばいいというのです。
 マッチの炎に照らされたマドセン監督のナレーションはこの重い課題にふさわしく、洞窟に侵入した未来のひと(映画の観客?)に次のように警告します。「さらに奥へと来てしまったね。ここは来るべき所じゃないのに。放射能が充満している。気づかないだろうが君はすでに被ばくした。五感は頼りにならない。何も感じず、何もにおわない。透明な光が君を突き刺す。それは宇宙の力を集めて作られた我々の文明が放つ最後の光だ」
 マドセン監督が「プールの水が、飛び込めるのではないかと思うほどきれいで、それは不気味な場所でした」というのは、使用済み核燃料を貯蔵している水槽のことです。写真家の青木勝氏も同じような感覚に襲われています。
「圧力容器と核燃料貯蔵プールになみなみとたたえられた透明で深いブルーの水は、どう形容していいのか分からないほど美しく、幻想的ですらあった。『あまりに美しすぎて怖い』思わずそうつぶやいていた」(「DAYS JAPAN」7月号)
 ついでに紹介すると、新潮文庫「朽ちていった命」に次のようなくだりがあります。「バケツで七杯目。最後のウラン溶液を同僚が流し込み始めたとき、大内はパシッという音とともに青い光を見た。臨界に達したときに放たれる『チェレンコフの光』だった。その瞬間、放射線のなかでももっともエネルギーの大きい中性子線が大内たちの体を突き抜けた。被曝したのだった」。人類は最後の日に、この青い光を見るのでしょうか。
 (晴)
*なお、この本はNHK「東海村臨界事故」取材班がまとめた被曝治療83日間の記録です。その内容は、次の機会に紹介します。


色鉛筆 出生率1・39上昇傾向だが・・・

 2010年の1人の女性が生涯に産む子どもの平均数を表す合計特殊出生率は1・39で、前年を0・02上回った。09年は横ばいだったが、05年の1・26の過去最低から上昇傾向になっていることが、厚生労働省が6月1日に公表した人口動態統計でわかった。(図左下参照)ただ、4年連続人口の減少傾向が進んでいる。昨年中に生まれた子どもの数107万1306人、高齢化が進んでいることも反映し死亡数は119万7066人。(前年より5万5千人多い)出生数から死亡数を引いた自然増減は12万5760人のマイナスで、始めて自然減が10万人を超えたという。
 このまま少子化が進んでいくと人口が減り続けていくだろう。現在の人口を維持できる水準は2・07程度とされているが、諸外国の合計特殊出生率を見てみると、米国2・01、フランス2・00、スウェーデン1・91(図参照)と水準に近い。ところが日本は1・39とかなり低く水準にほど遠い。この図と重なる諸外国で実施された『少子化に関する国際意識調査』(表参照)を見ると、合計特殊出生率の高い国が子どもをもっと増やしたい人が多く、低い国が子どもを増やしたくない人が多いことがわかる。合計特殊出生率の高低と「子どもをもっと増やしたいかどうか」とはほぼ平行した結果となっている。子どもを増やしたくないと思っている人が多い韓国や日本は、経済的にも、精神的にも安心して子どもを産んで育てることができない環境なのだ。
 2010年には107万人だった出生数も20年後には70万人を割りこむ見通しで、1人当たりの出生率が少し増えたくらいでは総出生数は伸びなくこのままでは人口が減り続けていってしまう。いったいどうなっていくのか不安を感じざるを得ない。少子化に歯止めをかけるには福祉国家的政策を行う財政的支援が必要なのだが、今の政治に期待を持つことはできない。若者たちの雇用を安定させて安心して結婚して、誰もが「子どもをもっと増やしたい」と思える社会を目指したい。(美)案内へ戻る


何でも紹介・・・ロボット事情

@福島第一原発に国産ロボットが遅れて配備される理由
 東京電力福島第一原発の事故現場に、国産ロボットが投入されるというニュースを見た。 災害・事故発生以来多量の放射能汚染をまき散らし、過酷な災害復旧作業に携わる労働者の中には死亡者も出るなど、人間にとって危険な場所での作業にはロボットの導入が最良と考えるが、「ロボット王国・日本」のロボットが今まで「実戦経験がない」と導入されず、まず現場に入ったのは欧米のロボット、「戦場での経験があり、核戦争を前提にした試験も受けている」米国のアイロボット社の災害ロボット「PACKBOT 510」、原子炉建屋内の放射線量や温度、湿度を測定し、過酷な環境であることを示すデータなど示したが、原発2号機では湿度が94〜99%と高く、搭載したカメラが曇って前に進めなかったこと。原発3号機は瓦礫が多く、ロボットは10メートル程度しか進めなかったこともあり、進行ルートを確保し、調査範囲を1階から2階や地下に広げるには、瓦礫を克服する高機能のロボットが必要となり、米アイロボット社の「Warrior 710」や米キネティック社の「TARON」、あるいは国産ロボットを投入する予定であったという。
 今回、投入される国産ロボットは、千葉工業大未来ロボット技術研究センターの小柳栄次副所長や東北大の田所諭教授らが開発した災害救助用ロボット「Quince(クインス)」。長さ66センチ、幅48センチの車体に戦車のようなクローラー(無限軌道)が大小五つ。カメラやセンサー、ドアノブを回すアームも備えており、2009年のロボカップレスキュー世界大会では運動性能部門とアームの性能部門で優勝し、米国の模擬災害現場で実験した際、がれきの走行や階段や坂を上る性能などで米国製を圧倒したという。 今回の原発事故に対応するため、無線操作できる距離を2キロに延長、有線でも使えるよう改造した。遠距離操作できるよう、強い電波の使用も特別に認められた。日本原子力研究開発機構の研究所で放射線の耐久試験も。作業員の被曝(ひばく)線量の上限の400倍に相当する、5時間かけて10万ミリシーベルトをあてても問題なかったと言う代物である。
 当初、国産ロボットではなく米国製ロボットを東電がしたことに対して「日本の科学技術の凋落」とまで言われたのは、原発用ロボットの開発を「原子炉では事故は起きない」と開発を怠ってきたからである。実際は、日本でも原発用ロボットの開発を計画したことが2度あり、1度目は1979年の米スリーマイル島原発事故を受けて83年に始まった、建前は「点検」用の極限作業ロボットプロジェクト。90年まで約200億円かけたが、打ち切りに。2度目は99年の茨城県のJCO事故の後。今度は事故用で数十億円使ったが、「原子炉では事故は起きない」と1年で終わった。「事故用ロボットを開発すると『原発事故が起きると思っている』と受け取られると考えたのでは」と推測する学者もいたと言う。
 原子力エネルギーは膨大なるが故にそのリスクもまた大きいから生身の人間では太刀打ちできないこともまた多いのであり、それを扱う以上それを念頭に置いて対処していかねばならないが、原発の「安全神話」を勝手に作り出し、開発を怠ってきたことは「科学技術の凋落」と言われても仕方のないことである。
 世界中で稼働するロボットの過半数を擁し、産業用ロボットや二足歩行ロボットなどの技術面でもリードしてきたロボット大国ニッポンの威信回復はさておき、より高性能のロボットをより積極的に災害現場に投入すべきことは当たり前のことだが、利潤を追求する資本主義社会にあっては、企業間や国家間において利潤をめぐる協定や競争が行われており、そのための思惑がそれぞれに働いていることも念頭に置かねばならないだろう。

Aロボットの研究・開発状況
ロボットとは、『人間の代替として、人間の役に立つ働きをさせるための機械のことで、人間やそのほかの生物に似せた形状であることが多いし、人間が遠隔操作する操縦型ロボットのほか、センサーで周囲の環境などを把握して行動を決定する自律型ロボットがある。用途別では自動車などの製造業で使われる産業用ロボット、展示会などで案内をするサービス用ロボット、医療や福祉の現場で働くロボット、防災用ロボットなどがあり、インターネットの分野では、ロボットプログラムとも呼ばれる検索エンジンに蓄積するウェブページ情報を集めてくる自動巡回ソフトを指す場合もある。』
 実在のロボットとして、主に工場などの生産ラインで腕力の必要な作業や、高温など危険な環境下での機械関係の点検・保守作業などで、自律的に人間の代行ができる機械が産業用ロボットと呼ばれ活躍している(自動車組み立てロボットなど)。
 中央農業総合研究センターが開発中の田植えロボット(このロボットは全地球測位システム=GPSのアンテナと姿勢センサーを搭載し、水田の端までいくと自動的にUターンしてくる)やアイガモに似た動きをする除草ロボット。そして、赤外線センサーなどを備え、歩行する人間型の物ではないが自動的に建物内を巡回・警備するロボット(綜合警備保障の警備ロボReborg-Q等)のレンタル開始、病院内の物資運搬におけるロボットカートの採用、室内を掃除する掃除ロボット等生活支援ロボットや、また自動車の自動運転という意味のロボットカーなど、非人間型ロボットを中心に移動する自動機械が人間社会のなかに盛んに取り入れられてきている。
 据え置き型の製造機械である産業用ロボットはそれらが動かない限り、ロボットと呼ばれる自動機械であり人間社会に与える影響も旧来の自動機械と同等と考えられたが、これからの人間社会は二足歩行型ロボット(「トヨタ・パートナーロボット」、ASIMO(本田技研工業)・HRP-2/HRP-3(川田工業・産業技術総合研究所・川崎重工業)・SDR-4X/QRIO(ソニー)等や車輪やキャタピラによる移動するロボットも研究開発が進み安定性や安全性も高まっている。
 ロボットは、自立型や操縦型を問わず、人間社会のすべての分野に登場しつつあり、生活支援や労働源として活躍し始めているが、宇宙開発や海洋開発等すべての分野を超えて、開発されているのが軍事用ロボットである。地雷などの危険物処理、敵の位置を探る探査ロボ、闘うためのパワースーツ(人間の筋力などを支え動作を補助し、パワーアップさせる)等、ロボットのあらゆる機能が軍事用に転用されていると言っていいだろうが、兵器の開発と同様に、それらは国家・軍事機密であり、多額の開発資金を注ぎ込み造られている。
 『人間の代替として、人間の役に立つ働きをさせるための機械』=ロボットの用途が生活支援か軍事用かは使用する社会関係によって違ってくるが、利潤追求・競争の現代社会である資本主義社会・国家では往々にしてその体制保護に使われることが主目的になり、本来の『人間の役に立つ働きをさせるための機械』という定義が失われ、人を殺戮する道具となることもあるが、利潤追求・競争の現代社会の止揚と併せてその開発は人類の発展には欠かせないものである。(M)案内へ戻る


心痛む日々

 「5月の自殺者数は前年比2割増、福島は4割増」新聞の小さな囲み記事である。2年前、息子を自死で亡くした私でなくとも、胸を締めつけられた人も少なくなかったでしょう。
 最近、宮城出身の友人から悲しい手紙をもらった。たくさんの大切な友人や知人、親戚を一気に失った。しばらく会っていなかったことへの後悔の日々が続いた。両親の墓も流されたが、ようやく故郷に足を踏み入れた5月初め、自分の出身小学校の生徒が命を失い、担任の先生も相次いで自死しているとの話も聞かされ、どん底の気持ちで帰ってきた。
 報道では触れない悲惨な出来事が増えているのだろう。周囲や知人の中でも、「震災うつ」になっている人が増えている。私も日々の報道を目にし、友人や知人の心根を聞くと心がずっしり重くなる。広がる放射能汚染の不安や絶望が追い打ちをかけ続ける。弱音を吐きあえる場もなく。
 遺体が見つからないこともどんなに辛いだろうか。娘は4月初め、属している教会のボランティアで一週間、悪臭と埃の中で物資の運搬や炊き出しをやってきた。しかし被災者の心も受け止められず、一週間が限度だったという。今、遺族や被災者には話をじっと聴いてくれる人がいればと思う。
 研修を受けた昨年秋から、私は自死や様々な死別の体験を語り合う「分かち合いの会」にスタッフ見習いとして参加している。一緒に参加者の悲しみに寄り添うのは難しい。それでもお互い心癒されることが多い。参加者の人生から学ばせてもらう日々である。
 今年二月、ワーカーズの人たちと交流することがあり。駅で待ち合わせた時から私に寄り添い「ウンウン」と頷いてくれる関西の女性がいた。息子の死を受け止めていてくれるのが分かり、とてもうれしく涙が出てきた。よく、「元気そうじゃないか」と声をかけてくる人も少なくないが、本当は息子を亡くして元気であるはずがない。元気な振りをしているだけである。
 もしあなたが大切な家族を失った悲しさを思い浮かべることができるなら、「がんばれ」の連呼はどう感じるだろう。時々、ニュースのインタビューで出てくる「がんばれという言葉に疲れる。これ以上どう頑張ればいいのだ」と叫ぶ人。これが本音ではないかと思う。テレビでは被災者に「がんばります。励まされました」と半ば強制的に言わせているように感じる。
 善意の言葉でも人を傷つけることがたくさんあることを「分かち合いの会」で学んだ。相手の気持ちになって、「聴く」努力をしていければと思う。それが心から聴いてやれなかった亡き息子への供養になると信じている。     (石井)


大阪府の君が代条例は思想・良心の自由の侵害だ!

 さる6月3日、橋下徹大阪府知事が率いる大阪維新の会は、大阪府の公立学校の教職員に君が代の起立斉唱を義務付ける全国初の条例案を、府議会で可決成立させました。この案には、民主、共産、公明に加えあの自民ですら反対しました。
これまで自民や民主政権は教職員への君が代斉唱や起立などを要求し、それに応えて文科省などは各都道府県の教育委員会に指示などを下ろしてきた(それ自体問題だし反対です)が、その当の本人達も反対する中での、条例案の可決です。要するに、今までは君が代斉唱等の命令を教育員会から教職員にしていたのを、橋下知事が直接条例違反として命令するとしています。そして、橋下知事は複数回違反した教職員を懲戒免職にし、実名を公表するとも言っています。
「国旗及び国歌に関する法律」が国会で成立したときも、時の政権は「これは、保護者や子どもの内心の自由を制限するものでない」と繰り返し、答弁していました。どんな法律であれ、憲法が保証している、思想及び良心の自由(第19条)を否定することは認められません。憲法に違反する全ての法律や条例は無効です。こんなことも、橋下知事はわからないのでしょうか?
このような知事を圧倒的多数で選んだ大阪府民の選択は、おかしいと思います。次の知事選では、橋下知事を落選させなければなりません。そして、あらゆる場で強行されている日の丸君が代の強制に反対していきます。 (K)

東日本大震災のいま、とオカミのいま

 東日本大震災から、もう3ヵ月過ぎになろうとしている。最初は悲惨な映像ばかり、いま、被災地の人々は自主的に復興をはじめた。漁業関係の人々は港の再生を自分たちの手でやっている。ある若い青年は漁業研修を期に漁師になり、最初は漁師の人から受け入れてもらえなかった人だが、震災後、インターネットを駆使し、カキ養殖(潰滅状態の)のオーナーとして復興支援に参加してくれるよう呼びかけカキ養殖に希望に光を見出したという。
 農業関係では物産展などのイベントをはじめ、スーパーには東北の安全な食品が並ぶようになった。(買ってね)
 あるところでは、杉の木で作った一軒屋のような、一戸建ての仮設住宅が93個設置された。みんなの手で作られたこの家屋、ペットもOK.
 仮設住宅の建設現場の様子が紹介されていたが、最高の大工さんといわれる宮大工さんたちの協力があり、中学生は余分の木材を使ってポストを作り、殺風景だからと花の鉢をかざったおじさん etc。国の側から見れば、これは被災者たちの勝手な違反行為であろうが、被災者のための「初期の日常生活を取りもどす」ためにやったことであったそうな。
 被災直後のこうした動きは他国から「日本人はすばらしい」と高い評価を受けた。昨今の政界のゴタゴタ、やることもやらず任期をまともにつとめあげることもせず、こんな政治家たちを恥ずかしいと思うのは私だけだろうか。
 消費税、増税、年金の減額。議員バッチがそれほどだいじなのでしょうか。自分たちの給料、年金etc.を改めて見直して国民の痛み思いを馳せ、国民とともに耐えてほしい。政治家に向けた自作のドイツみたいな私のコトバを紹介しておきましょう。
@そんなに 議員バッチがかわいいですか。
Aそんなに お金と地位がいいですか。
Bそんなに 形だけでも災害への対応をおしまいにしたいですか。政界じゃポスト争いに明け暮れて。国民はドッチラケ。
C民主主義といったって、中身は古い政党ばっかり、縁の切れ目が金の切れ目?
Dオカミが漕いでる日本丸、もう沈んでいくばかり。     2011・6・10 YAE
PS 税金は有効に使って頂きたいと思うので、今後はふるさと納税で被災地の復興に協力いたします。
  

南相馬市市長さま

 私は大阪在住の宮森常子という78歳の老女でございます。見ず知らずの大阪の一市民が、お手紙をさし上げる失礼をお許し下さい。
 東日本被災地への義援金、奨学金を送らせてもらった者として質問したいことがございます。
 今朝6月17日、ABCTVのモーニングバードで、義援金、etc.を受け取ったが故に収入があったと見なされ、生活保護を打ち切られた方に対するインタビュー、またその措置の説明をされた行政官の方の言が紹介されました。
 説明による義援金etc.は生活の立て直し、新たな復興のためのお金という性格のものであり、生活保護費は人間の生存のために必要な費用として支給されるものであるから義援金etc.収入とみなした、と。何の被害も受けていない大阪などではそうした説明も通るかもしれませんが、すべてを失なった東日本の被災地の方であってみれば、生きていくのに必要なもの衣・食・住に必要なものを購入しなければならないだろうし、このお金はこういう性格のものだから手をつけないでおく、生活保護費だけで、必要なものに使う、てなことができるでしょうか。お金は入った先から出て行く、といった生活ではないか、と想像します。
 私ども義援金を送った者は、大変なときだから何にでも役立ててもらえば、という気持ちで送っただろうと思います。生活保護を受けておられる方は、お金をもらっている身分だから、生活保護を打ち切られても敢えて抗議できなかったとのこと。私ども年寄りは年金生活者です。私どもとて若い人の負担を思わざるを得ません。
 だから生活保護を受けていることを心苦しく思っておられる気持ちもわからないではありませんが、生活保護に頼らざるを得ない方々と同じく、私ども老いた者も年金に頼らざるを得ない者です。弱者の糧となるお金を切ってしまうことには、私どもにも納得できるような説明がなければなりません。
 行政官の方の説明では、とても納得できず、このままでは今後、義援金の送金もにぶり勝ちになりはしないかと恐れます。まず規則ありきではなく、現状をよくごらんになって上で、誰にでも納得できる措置をとられんことを望みます。
 今後、生活保護に関する措置をの問題だけでなく、国民全体の生活に関するもろもろの問題にも関連する問題でもあろうかと思われますので、このような長文のお手紙をさし上げる次第でございます。
 最後に、この度の行政措置をとるに至ったいきさつを公表して下さるようお願いいたします。
大阪、わが街レポートさえずり仲間 代表 宮森常子  案内へ戻る


編集あれこれ

 福島第1原発がコントロール不能になってすでに4カ月近くなろうとしているのに、まったく先が見えません。本紙もそうした情勢を反映して、関連記事が紙面を埋めています。政治全般についてみれば、沖縄への米軍基地の押し付けや消費税の増税、コンピュータ監視法の成立など重要な課題があります。原発をめぐる情勢があまりに大きすぎて、他の課題がおろそかになっていないのかと反省するところです。
 本紙前号では、原発震災3カ月にあたる3月11日に取り組まれた脱原発100万人アクションの参加報告が行われています。この日、国内では北海道の釧路から沖縄の西表島まで109カ所で、全世界では160以上の取り組み(6月17日「週刊金曜日」の報道)が行われています。翌日の朝日新聞では、「『脱原発』を訴え郡山駅周辺をデモ行進する人たち」の写真とともに、福島や広島でも脱原発デモが行われたことが報道されました。ところが、全国紙でありながらまったく報道しない新聞もあり、原発推進を主張しているから無視して当然なのか、報道機関としてそれもありなのか疑問です。
 さて、前号1面で「今こそ脱原発に向けて大きく舵を切れ!」と主張しています。オセロゲームのように劇的に盤面の色が変わるところまで来ていませんが、世論調査でも7割から8割が「脱原発」だという報道もあります。しかし、この「脱原発」も即時停止、廃炉の主張はまだ少数派です。多数派は段階的な原発からの撤退であり、ドイツやスイスもこうした現実的な脱原発≠ナす。その全廃までの期間が5年とか10年として、その間に再び大震災が原発を襲う、原発震災が起きないという保証はないのだから、それは賭け≠フようなものです。私には、子どもたちの未来を賭け≠フ対象にするようなことはできません。
 既存原発は活用すべきという声がいまだ強いのは、日本は原発なしではやっていけないという強迫観念、それは沖縄に米軍がいないと安心できないという意識と同質のものですが、これは刷り込まれてしまってはがせないもののようです。それでも、経済産業省が安全だと言っても再稼働に同意できない知事が現れ、関電の筆頭株主の大阪市の市長が脱原発を表明し、もはやこれまでのように原発を野放図に稼働させることはできなくなっています。
 軍国日本が1945年8月15日に逢着したように、原発日本は2011年3月11日を迎え、放射能まみれの地となってしまいました。フクシマは戦場となり、そこで作業員は死に至るような戦いを強いられています。こんな事態はフクシマで最後にしなければ、この国は崩壊してしまいます。子どもたちの未来のために、私たちにできることを今やり切りましょう。  (晴)  案内へ戻る