ワーカーズ444 2011/7/15     案内へ戻る
政官業研の原子力ムラ≠ノくさびを!──断ち切るのは労働組合──

 原発事故によって大きな打撃を受けたはずの原子力ムラ%熾狽ナ醜いあがきが繰り返されている。
 九州電力玄海原発の再稼働をめぐって九電のさくらメール≠ノよる世論操作が発覚し、九電社長が辞任に追い込まれた。いつものやり口が通用しない場面にもかかわらずだ。その直前には、出来レースの海江田経産相による九州詣によって玄海原発の再稼働を演出した。が、直後の菅首相によるストレステスト(耐性調査)の実施方針によって再稼働はストップした。
 政権内部、それに企業や自治体を結ぶ原発利権ネットワークの綻びは覆い隠しようもない。それもこれも、福島原発事故の甚大な被害の結果である。
 そもそも、国策として推進されてきた原発推進の動機は、巨大システムと巨額な原発マネーに群がった政治家と官僚、それに企業と研究者による原発利権集団の手前勝手な集団利益にあった。それに荷担してきたのはすべて私たちにとって向こう側≠フ人間であり集団である。ただ利権はあちら側≠フ集団に止まらなかった。電力会社の労働組合も会社に絡め取られてそれに荷担してきたからである。
 本来の労働組合は、そうした利権集団に対して働く労働者の要求や思いを体現し、あわせて生活者たる普通の人々の立場に立って政治や企業と闘うべき存在であるはずだ。ところが現実の電力労働組合は企業利益に従属した御用組合につくりかえられ、会社の先兵として原発推進に荷担してきた。今回のさくらメール℃膜盾焉A発端は内部リークによるもので、結局、電力会社による世論操作という反社会的行為を止めさせるという、労働組合としての本来果たすべき役割を何ら果たせなかった。
 政治や企業がどんな企みを抱いても、そこで働く労働者や労働組合がちゃんとしたチェック機能や規制力を発揮していれば、今回のようなさくらメール℃膜盾ヌころか、そもそも原発事故に至るずさんな原発運転や原発ありきのエネルギー政策に歯止めをかけられたはずだ。そうしたことは、まさにこちら側≠フ課題なのだ。
 二度と原発事故の悲惨を繰り返さないためにも、電力会社の労働組合の根本的刷新は全労働者の共通の課題である。(廣)


沖縄通信 『「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること・・・沖縄・米軍基地観光ガイド』

 たまには沖縄関係の本の紹介をする。
 この本は沖縄の書店で今ベストセラーとなり、大変注目されている。本土の人間だけが知らないと言うタイトルは、かなり挑発的である。
 著者はヤマトの編集関係者で、ヤマトの写真家との二人三脚で完成させた。
 この本の作成動機を著者は次のように述べている。
 「沖縄の米軍基地を見てみたいと思ったのは、去年(2010年)の6月、鳩山首相が普天間の『移設』問題で辞任したときのことでした。・・・戦後初の『本格的政権交代』が実現し、沖縄の人たちに期待を持たせたのに。・・・そう思ったら、無性に腹が立ってきて、どうしても沖縄に基地を見に行きたくなりました。・・・2010年9月下旬に2週間かけて沖縄本島を一周し、その後、11月下旬と、今年1月・2月・4月に追加撮影を行なってつくった本がこの本です。」
 これまでも沖縄の「米軍基地」に関する本は山ほど出版されているが、この本の凄さは、本の帯に書いてある次の質問内容にある。
 「答えはすべて沖縄にありました。
 ?なぜ日本の首相は1年しかもたないのか。
 ?なぜ米軍は戦後66年たってもまだ日本にいるのか。
 ?なぜ日本の政治家は公約を守れないのか。
 ?なぜ日本の官僚は公金を不正使用しても逮捕されないのか。
 ?なぜ米軍が大学を封鎖して学長や市長を立入禁止にできるのか。
 ?なぜペリーはたった4隻で日本を降伏させられたのか。」
 読者の皆さんどうですか?この6質問に答えられますか。
 監修の言葉を書いた前泊博盛氏(沖縄国際大学教授)は次のように指摘している。
 「『よく知っている』つもりが、あらためて問われると実は『本当は何にも知らなかった』ことに気づくことが多々あります。・・・本書は、そんな知っているつもりの憲法、日米安保、基地、沖縄問題を、現地ルポもまじえ源流から丁寧にたどり検証する事で、国民の多くが『実は何にも知らずに過ごしている危うい現実』を浮き彫りにしています。」
 著者は言う。「ひとことでいえば、沖縄とそこにある米軍基地は、戦後日本のさまざまな謎を解くカギであると同時に、21世紀の世界の運命を左右するような重要性ももっているということです。ずいぶん大げさなことをいうやつだと思われるかもしれませんが、この本を最後まで読んでもらえれば、そのことがおわかりいただけると思います。」
 今本土では原発問題一色の様相を呈しているが、この原発問題も沖縄の米軍基地問題も根は同じであり、日本社会の将来を左右する問題となっている。
 是非この本を読んで6質問の回答をまとめ、今後の行動指針として活用してほしい。(富田英司)
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日本再占領の危機が進行している

 ワーカーズの5月15日号の「事の真実を明らかにせよ!」の記事にあったように、週刊誌の記事によると、現在首相官邸の中のオペレーションルームに、アメリカ人の国際原子力機関(IAEA)の高官でありながら、軍の高官でもある人間が菅直人総理らを直接指揮しているといいます。ここにこの間の菅直人総理の「厚顔無恥」と「強気」の原因があるのです。そして福島第一原発と第二原発の中にも、ガトリングという軍人が常駐しており、毎日テレビ電話でホワイトハウスと連絡を取り合っていといわれています。
 実際の所、福島原発事故が現在も収束していないにもかかわらず、日本政府はIAEAに対して、28項目の「教訓」なる報告書を役所仕事では考えられないほどのすごいスピードで提出しています。事実はかくも雄弁です。先に挙げた事実と日本の労働者民衆そっちのけのIAEAへの呆れた対応ぶりには驚かされる以上の内実があるのです。まさに日本がIAEAにより再占領されたかのような異常事態の出来です。この重大な事実にも関わらず、ほとんどのマスコミは無視を決め込んでおり、民主党は勿論の事、社民党や共産党もこの異常事態を報道してはいません。一体何という事でしょうか。
 2009年7月4日、IAEAの事務局長は天野之弥氏に決まったのですが、クリントン国務長官は直ちにこの事を歓迎するコメントを発表しました。その上で「アメリカは天野氏を全面的に支援する準備ができている」とし、アメリカとして「核の平和利用を促進するためにIAEAに協力することが重要である」とも強調しました。
 天野氏の前職は、駐ウィーン国際機関代表部大使でした。彼がアメリカのために働く人であることは先のコメントからも、最近ウィキリークスで暴露されたようにアメリカのためには何でもする人物なのです。また外務省も普天間基地県外移設で時の政権の足を引っ張っていたように、日本のためにではなくアメリカのために働く官庁なのでした。
 かって戦後の一時期に共産党は平和革命を云々していた時、今でも私が愛読する林達夫氏は、オキュペイド・ジャパン(日本占領)の事実を見ない議論だと一蹴しました。時は巡り、今また日本の再占領の危機が進行していると私は考えています。
 こうした事実を踏まえて、近々に『日本再占領』との表題の本を出版する予定の中田安彦氏は、以下のような問題意識を自らのブログにおいて公開しています。

「アメリカが日本を再占領する決断を下したのは、それがアメリカの太平洋戦略の要である国内数カ所の米軍基地の安全性を日本の統治機構が保証し得ないということを、福島第一原発の事故の発生によって米統治機構側が気付いたからである。だから横須賀の第7艦隊の寄港地に影響を与える浜岡原発を停止するように菅政権は指令を受け、実行したのである。日本人はアメリカの原子力技術に盲信するだけの『猿たち』であるとアメリカは見抜いていた。危険性をリスクで判断せず、安全神話で片付けてきた日本のやり方は極めてリスクが高いのでこれを矯正しなければならぬ、とアメリカは判断したのである。
 したがって、アメリカはTPP推進に見えるように、米国の輸出倍増を目的にした経済協力を日本に受け入れさせるように強く要求してくる。今のCSIS調査団はTPPの調査もしている。TPP一時延期はアメリカの目的にも叶うのである。政局続きで日本政治が統治能力を失ったと判断したアメリカは冷戦時のように財界と官僚機構を利用することにしたようである。財界総理として経団連の米倉会長がCSISと会合している」

 ここにあるようについ最近三日間の日程で、アメリカからアーミテージ元国務副長官を団長とする米戦略国際問題研究所(CSIS)の対日調査団が来日して、次世代の政治家とも意見交換をするため民主党と自民党の超党派議連との夕食会を開催しました。
 先方のメンバーは、リチャード・アーミテージ元国務副長官、ティム・アダムス元財務次官、ジョセフ・ブース ルイジアナ州立大学災害マネジメント研究所、マイケル・グリーン ジョージタウン大学准教授、チャールズ・レイク アフラック会長、ランディ・マーティン マーシーコープス ディレクター、スティーブ・モリソンCSIS国際医療政策センター所長、ティエリー・ポルテ日米友好基金理事長、デビッド・パンフリー元エネルギー省次官補(CSIS)、スタンリー・ロス元国務次官補(ボーイング)、ロビン・サコダ アーミテージインターナショナル、ニコラス・セーチェーニ CSIS(日本部)、油木清明 CSIS/経団連でした。
 中田安彦氏は、これらの顔ぶれを見て以下のコメントしています。「安全保障・危機管理の専門であるアーミテージ、グリーン、セーチェーニだけではなく、財務次官や米商工会議所の人間が加わっていることが重要である。アメリカは日本の財政問題に関心を持っている、ということだ。そして米国は財政赤字が著しいので、日本にどの程度まで増税させるかということを調査しにきたようである。財務官僚との非公式の会合ももたれたのではないか。
 レイクは郵政民営化の時にも米財界ロビイスト代表として政界工作を仕掛けた人物。レイクが含まれているということはこのCSIS調査団は、米国が進める太平洋経済圏戦略のTPP(環太平洋戦略パートナーシップ協定)の地固めという意味である。
 最後の油木清明については、経歴を調べてみた。現職は、(社)日本経済団体連合会 政治グループ長であり、米マサチューセッツ工科大学(MIT)日本研究所リサーチフェローである。要するに、油木は経団連の代理人であると同時に、MITのリチャード・サミュエルズ教授の部下であるということだ」と。
 要するに世界秩序に対する米国の主導権を今後も維持するために、台頭する中国を太平洋に進出させないとの意図から、米国は東南アジアの各国と連携して中国の封じ込めを行う「堰き止め戦略」を実行に移そうとし、国家戦略としてTPPなどの経済“戦略”連携協定を打ち出すとともに、米国の利益を確保しようとの立場から東日本大震災を徹底的に利用しようと用意周到に準備し画策しているのです。
 また自民党から菅政権から一本釣りされ総務大臣政務官として入閣した浜田和幸議員は、問題の米戦略国際問題研究所(CSIS)の元主任研究員でした。このタイミングのよさから、私は先のCSISの対日調査団の来日との関連を考えざるをえません。したがってアメリカのカウンターパートとして、今回周到に準備された布陣なのだとの浜田氏への私の厳しい評価を、今ここに下すのはあまりにも唐突でありまだまだ早すぎますか。
 現在まさに、原発事故と災害復旧計画により、日本は再占領の危機にあるとの警鐘を鳴らす必要があると考えるのは、私だけの杞憂なのでしょうか。(笹倉)


コラムの窓・・・ 交代制夜勤の文化人類学

交代制職場に転勤して

 この春、救急救命センターを併設する病院に転勤し、2交代制で救急検査の仕事をするようになった。
 夜勤入りの日は、夕方の4時半から出勤し、救急検査室での仕事につく。2名体制で途中休憩や仮眠を取りながら、翌朝まで通して働く。他の日勤スタッフたちが「お早うございます」と出勤してくるのと入れ替わりに、「お疲れ様」とのねぎらいの挨拶を背に、帰宅するときの「解放感」が、なんとも言えず心地よい。
 深夜勤務は、人間に本来そなわっている生理的リズムを狂わせる弊害がある。だから、一人当たりの夜勤回数を減らすために、また夜勤「入り」「明け」「土日の振替」などによる、日勤帯における実働人員の「欠」を埋めるためにも、職場の人員増を要求する現場の闘いが不可欠であるのは、言うまでもない。
 とはいえ、実際に勤務についてみると、「弊害」だけではないことに気がつく。あるスタッフがこんなことを語った。「夜間に二人で勤務すると、昼間には見えなかった、相手の仕事の仕方のタイプとか、人柄とかがわかってくるんです。ああ、この人はこういうタイプの人なのか?それなら、この人にはこう対応すればいいんだな、というようなことが見えてきて、それが日勤の仕事にも役に立つんです。」
 へーっ、そういう面もあるのか?意外なことに着目する人もあるものだ。昼間には見えなかったことが、夜には見えることもあるのか?というわけで、今回は、夜勤が生み出す「文化」について考えてみたい。

夜番の船乗りが歌った「ハイヤ節」

 天草の牛深という港町は「ハイヤ節」発祥の地として有名である。「ハイヤー、ハイヤーと、今朝出た船は、どこの港に着いたやら」。この「ハイヤー」という歌詞は「南風(ハエ)やー」つまり「南風はまだ吹かぬか?」という意味から来るそうなのだ。
 江戸時代の樽廻船は、天草・牛深を基点に、長崎、佐渡、津軽と日本海側の航路を上っていく。当然、南風が吹かないと、船は出港できない。南風が吹くまで、船乗りたちは陸で宴会をしながら待機する。その時、積荷を満載した船上で、夜通し番をする船乗りが必要だった。交代で夜通し寝ずの「番」に当たる船乗りは、夜中に眠気を振り払うため、「南風(ハエ)やー」「南風(ハエ)やー」と声をあげて歌ったのが始まりだったらしい。
 これが、寄港するたびに船乗りによって歌い継がれ、形を変え各地の「ハイヤ系民謡」として根付いた。佐渡おけさ、津軽あいや節、塩釜甚句、木更津甚句、と日本を一周し、四国の阿波踊りに辿り着く。歌詞は違うが、よく聞くと、出だしのメロディーが共通しているのに気づくはずだ。
 港で夜の番につく船乗りの思いが、歌となって全国に伝播したのだろう。

古代の王も昼夜の二交代制

 意外にも、日本の古代の国(クニ)の王(首長)は、兄弟で昼夜二交代で政務に当たっていたらしい。
 中国の「隋書」に、倭国からの使者が「天を兄、日を弟とする倭王は、夜明け前に政治を行い、日が昇ると、あとを弟に任せます」と述べたことが記録されている。隋の文帝は「道理にかなっていない」と呆れ、中国の執政方法を教えて帰国させたという。
 画家の岡本太郎も自著「美の呪力」の中で、鳥越憲三郎の本からの引用を紹介しつつ「長男はシャーマンとなり、もっぱら神秘と交流して精神の世界の方に君臨する。政(まつりごと)というような俗的実務は弟にまわされたのだろう。」と述べている。
 果たしてこれは、文帝がいうような「時代遅れ」の統治様式だったか?僕にはそうは思えない。兄の王は、夜通し「シャーマン」として祈りながら、月の満ち欠けや、風や雲の動向、遠くの火山の地鳴り、海の向こうの嵐や津波の前触れなど、自然の動きについて、五感を研ぎ澄ませて観察し、種蒔きの時期を判断したり、天災地変を予測したりしていたのではないだろうか?
 弟王は、兄王からの託宣をもとに、共同体の成員に対し、農耕や防災の指示をしたのではないだろうか?昼間には見えない天体の動き、昼間には聞こえない地鳴りや海鳴り、これを感じ取って、伝えてくれる「夜の兄」を、人々は頼りにしていたのではないだろうか?
 現代の夜勤。仮眠しながら、夢の中で聞こえてくるのは、救急車のサイレンや、自動分析機のモーターとコンプレッサーの音ばかり。どんな文化を生み出すのだろうか?(誠)案内へ戻る


読書室
鬼塚英昭氏著 成甲書房刊行 定価二千九百四十円
『日本のいちばん醜い日 8・15宮城事件は偽装クーデターだった』


 この本は、一九四五年八月十四日から十五日の二日間に発生した宮中事件、世にいう「日本のいちばん長い日」を描いた五百九十頁に及ぶ大著です。
 この事件は、徹底抗戦を叫ぶ陸軍少壮将校たちが昭和天皇の玉音盤の奪取を謀って皇居を占拠したとされるクーデターで、現役の森赳近衛師団長が拳銃にて惨殺され、たまたま同師団長の義弟で同室していた広島から上京中の西部軍司令部の白石参謀中佐が軍刀にて斬殺された事件です。
 またこの事件については、大宅壮一氏や半藤一利氏の「日本のいちばん長い日」によって余に知れ渡り映画にもなっているので、戦後史に関心のある人々にはよく知られている事でもあります。しかし事実は小説より奇なりとはよくいったものです。
 鬼塚氏は、膨大な資料と格闘しながらこの事件の真相を追っていく内に「8・15宮城事件」は巧妙なシナリオで描かれた偽装クーデターだった事を発見します。つまり「日本のいちばん長い日」とは三笠宮中佐らが関わった「日本のいちばん醜い日」でありました。
 さらにその背景と登場人物らや昭和天皇らの思惑を検証していくと昭和天皇の兄弟仲の悪さから、昭和天皇の出自の秘密や大正天皇との関係、ついには明治天皇の出自と明治維新の秘密にまで鬼塚氏は遡らざるをえなかったのです。そしてこの追求が、単なるうわさ話を都合よく組み合わせて描いたのではなく、典拠となる文献の精密な解読で構成されているところに鬼塚氏の真骨頂があります。まさに日本は天皇の国なのです。
 鬼塚氏は、序の中で、「この日本という国に、依然として巨大な“タブー”が残っているということである。私はこの“タブー”に挑戦した」と述べています。章立ては、天皇に対する端的な表現として選ばれたものだと考えられる悲、惨、空、玉、秘、醜の六章構成です。各章の内容は各々衝撃的なものですが、はなはだ残念ながらあえて述べません。
 なぜならここで各章の粗筋を逐一概説するのは、鬼塚氏の苦闘を私たちが今回の読書で追体験すべき重要な機会を失う事になると考えるからです。しかし醜の章については、一言書いておきます。この章は、悲の章で解明された三笠宮が関与する偽装クーデターとそもそも原爆がなぜ西部軍司令部のある広島に落とされたのかについての鬼塚氏の謎解きになっています。内容的には、悲の章と醜の章はセットになっているのです。その謎解きは、まさに私にとっては目から鱗が落ちる衝撃的なものでした。皆さんも同じ筈です。
 なぜ8月6日の午前8時15分に原爆が投下されたのでしょうか。その時、西部軍司令官の畑元帥は司令部に不在で、高野広島県知事は出張中で広島市にはいません。不思議な事もあるものですね。実にこうした事実から鬼塚氏は真実に迫ったのです。この事からも分かるように膨大でかつ個々に錯綜する資料を、“タブー”に挑戦するとの決意から読み破った鬼塚氏に、私たちは感謝する事がまず必要ではないでしょうか。
ここで話題を少し変えます。自然科学には強いが社会科学はさっぱりの宇宙飛行士達は肩に日の丸を縫い付け、日本「国民」の代表の象徴を身に付けてご機嫌のようです。彼らが宇宙に飛ぶ度に、日本はいくらのカネを米国やロシアに日本の労働者民衆に内緒にして献上しているのでしょうか。この事はしっかりと情報公開しなければ成りません。本当に必要なのでしょうか。東日本大震災の復興資金として無駄金の支出は一切止めるべきです。
 しかし日本にはもう一つの象徴があります。海外旅行の度に携帯する旅券の表紙には菊の紋、つまり天皇家の紋章があります。天皇皇后が海外に行く場合、彼らは国家元首だから必要ないとされています。時々日本の国家元首は誰かの論争がありますが、内閣総理大臣でないとの判断が外務省の判断なのです。これが「律令体制」といわれる由縁です。
 私たちは、日本は民主主義国だと観念していますが、旅券を見る限り天皇家の国の住人でしかありません。そしてこの天皇家の支配の内実は、鬼塚氏のこの本によって見事にかつ徹底して暴かれたのです。是非皆様にこの本の一読を勧めます。      (直木)


《連載》21世紀の世界F 経済のボーダレス化と再編される国家

●EUの現在と国民国家
 EU(欧州連合)は欧州27カ国を現在では包摂しており、欧州理事会を頂点とする国家組織には約一万人の官吏が存在します。EU憲法、統一通貨=ユーロ(全部ではない)、軍事同盟、司法、通商施策(経済政策の8割はEUレベルで決められています。)を中心とする統一政策の存在。EU大統領の選出が政治日程にのぼっています。
 EUが国家ではないという理由はもはや存在しないでしょう。では、フランスやドイツという「国民国家」が存在しなくなったのか、と問えばもちろんそうではないのです。ただ、その意義が相対化しつつあることは明らかです。現時点では国家機構が二重化していると言うこともできます。しかし、EUの強大化と傘下諸国の主権の相対化もまた明確なのです。
 EUは「ヨーロッパ人市民社会の統合」を建前として目指しています。つまり、それ自身が「国民・民族国家」のある種の撤廃(相対化)を目的として、アメリカ合衆国と別な形での、言語・文化の多様性を前提とする「超国家」であるとも言われています。
 EUが発足した1993年当時の国際情勢は、旧ソ連の解体という歴史的事件があり、他方では唯一の超大国としての米国が存在感を増した時期でした。米国に対しての対抗力の確保という政治的意図も当然働いたと考えられます。しかし、EUの登場には当時の国際政治情勢だけではなく、より大きな歴史の流れの中で考えるべき問題も含まれています。

●経済のボーダレス化は国境もボーダレス化する
 資本は、ナショナリズムでも「インターナショナリズム」でもありません。むしろ歴史的条件の変化のなかで利潤のためには「愛国者」にも「売国奴」にも「国際主義者」にもなってきました。国民資本がまだ幼弱である時期には国民経済の枠内にとどまります。
 ところが、現在では、大資本は(かなりの中小資本ですら)母国のみに強い利害で特別に結びつけられていない、という意味で「国際的」な段階にあるといえるでしょう。一般的に言って現代資本は、グローバル化した経済環境のなかでは、「一国家」ではなく、世界中に利害関係を持つに至っていると言えます。今や資本は国民経済が空洞化しようが、他国に出て行くべき時(言うまでもなく、もうけのためには)にはさっさと出て行くのです。個々の資本と「母国」との関係は断ち切られものではなくとも、相対化が進んでおり、「第二第三の母国」へと拠点をシフトすることもなんら理論的には問題はなく、資本のビヘイビア(行動)として合理的であろうし現にその様な選択がなされているのです。
 すでに国際的企業といわれている企業は、その売り上げの8割以上が「外国」からのものとなっているといいます。その先に待っている状況が、あらゆる資本の一層の国際化、つまり個々の資本が多数の国に利害関係を持つだろうという推測に、それほどの洞察力はいりません。このような流れの一里塚としてEUの現在をみる必要があります。

●再編統合される国家−−先頭を歩む欧州
 ヨーロッパは一世紀の間に二つの世界戦争を行い、主戦場となりおびただしい血が流されてきました。それにもかかわらず、文化的、経済的交流の伝統がEU統合の土台として存在したことは明らかでしょう。21世紀の遅くない時期に「ヨーロッパ統合国家」が実現しうるでしょうし、すでに初歩的にはこのような新しい国家が、ヨーロッパを覆いつつあるのです。
 個々の加盟国家にとっては主権の部分的返上と厳しい国家財政の管理がEU参加の前提となります。それでもヨーロッパ諸国(つまり資本は)は経済的メリットに魅せられているのでしょう。つまり、巨大市場への参入と統一通貨ユーロの安定等の期待があるのでしょう。
 このように市場経済の結びつきの強化とともにすすめられる、国家主権の相対化や国家同士の平和的統合を進めるEUの現状は、近代の国家というものが資本による統括により存在していることをあらためて示しているでしょう。
 マルクスの論理からすれば、彼が明言しているわけではないのですが、「国民国家」というものはそもそも特定民族や特定地域に固有に存在するものではなかったのです。特定の国民がいるからその国家が成立するのではなく、資本の経済とその国家(官僚統治組織)が成立しているから一定の領土とともに人々が「国民」として包摂され、他国と国境で区切られているのです。たとえばフランス人がいたから「フランス国」が建てられた、というものではありません。経済的な、主に資本主義的な利害の絡みが形成されたところに、彼らの国家(官僚的統治組織)が形成せられるのです。そしてそのもとで一定の領土と人民が包摂されたということなのです。(フランスの近代国家は、より具体的には絶対王政の国家組織の再編として成立しました。)
 近代国家とは、資本の国家であるということです。その本質は階級国家であり、したがって資本の発展段階に照応して、それを追いかける形でその形態を進化させているしていることをしっかりみておく必要があります。
 つまり資本の発展のもとで「国民」や「民族」の範囲も変わりうるし、「国境」は必要に応じて変化します。だから、EUの下で進行しているボーダレス化は「国家の弱体化もしくは廃絶」ではなく、資本の国際化に対応した、国家の形態の変化(国民国家の連合ないしは合同)でしかないのです。
 とりわけEEC時代を通じて欧州規模で資本が再編・拡張されてきました。だからフランスとかドイツのような「国民国家」が相対化し、「欧州国家=EU」が必要となりそして出現したのです。資本にとって「国民国家」はすでに狭苦しいものなのです。こうして欧州規模で強化され再編された資本が再び世界に進出するのです。
 EUは「資本の欧州化」に基づくヨーロッパ諸国の再編統合以外のものでもなく、そのてんではどんな幻想ももちえません。われわれの注目点は、国家の統合が「国民国家とは何か?」と言う問題をあらためて提起しているということ、およびそこから世界的アソシエーションの展望をつかみ取ることにあります。
 EUのこのような「発展」――日本人にはどうも理解しにくい事態――が、他の世界にあたえる影響も小さくありません。国家制度については、人類は先行事例をつねに参照してきた歴史があるからです。
 資本主義の生誕の地である欧州で、このような国民国家のボーダレス化が現実となりつつあるのは偶然ではないでしょう。

●矛盾抱えるグローバリゼイション
 現在、世界はドル体制という脆弱な土台の上で、資本主義経済の展開にそった社会統合へと向っていますが、それはさすがにたやすいものではないでしょう。このような国際的な人類的な統合は、資本の相互の進出の拡大があり、それにともなって文化的・人的交流が進むという前提の元で進行しています。しかし、このような流れに逆行する動きもじつは存在しているのです。
 米国通貨を基軸とし、大資本が世界を席巻することを意味するグローバリゼイションは当然にもさまざまな色合いを持つブロック主義や地域主義をうみだしています。EU,NAFTA(北米自由貿易協定),あるいは協議中のTTP(環太平洋パートナーシップ協定)もドル体制が危機に陥ればブロック化する可能性は否定できません。
 そればかりではなく、当面の最大の問題は、たとえば中国です。いまや中国は国内に資本主義経済が満ちあふれ、「国民国家」形成のまっただ中であると言って過言ではありません。内部的な階級矛盾の激発(農民の反乱)などもあり、チベットやシンチャンウイグルなどの分離主義を弾圧しています。またべトナム、日本等との国境線をめぐって愛国主義を称揚し威圧的な行動をとっています。これもまた中国資本主義経済の発展段階によるものなのです。中国と同じように、ベトナム等東南アジア諸国、ブラジル等南米諸国、インド、パキスタンも今後次々と「国民国家」形成のピークに到達するとかんがえられます。その後にはアフリカ諸国がひかえています。「国民国家」の上昇期には、国境のボーダレス化などは考えることもできません。
 19世紀や20世紀は、欧米諸国・日本の国民国家は、たとえれば「青年時代」「壮年時代」にあたる時代でした。それらの時代、国境線や資源をめぐる戦争も激しく闘われました。ついには植民地を含めた世界の分割と再分割のための帝国主義戦争の時代を経験してきました。
 ただし、資本の自由な国際化という21世紀の新しい状況下では、後発諸国の民族資本は、国家資本主義体制の下で短期間に国際資本へと成長しています。このような新しい状況では「領土」「領海」の軍事的占領は資本にとって必ずしも合理的な選択肢ではなくなっています。「現代帝国主義の衝動」については次回に検討してみましょう。 (仙台スズメ)案内へ戻る


原発こぼれ話・・・「24000年の憂鬱」

 梅雨明けの日差しが暑い休日、市内のギャラリーで小さな映画会が開催された。核廃棄物の実態を捉えたドキュメンタリー映画「24000年の方舟」である。上映時間33分の短い作品であるが、この国がこれから抱えていかなければならない解決不能の課題を突き付けている。
 1986年、この年は原子力発電という未来を担うものとされた巨大エネルギーにとって、挫折の年であった。チェルノブイリ原発の核暴走事故が起こったのは4月26日、その日をはさんでこの映画はつくられた。市内在住のプロデューサーの鵜久森典妙氏が来場し、3月11日以後25年も前に制作されたこの映画の上映機会が増えたという。
 当時、日本で稼働していた原発は33基、建設・計画中の原発が18基、その総計よりも多い原発が建設されてしまっている。あの時と振り返っても詮無いことであるが、あの時引き返していたならと悔やまれてならない。高速増殖炉原型炉「もんじゅ」も、六ヶ所村核燃料再処理工場もまだ引き返すことができた。ドイツのカルカー炉が完成したのに、稼働することなく遊園地に変身したように。
 この映画が問いかけるのは、原発の是非を超えて廃棄物処理をどうするのか、「トイレのないマンション」と称された原発が高度成長期にどんどん建設されることへの疑問であった。数万年どころか、500年先までの安全すら保障することすらできないだろうと問いかけている。また、核燃料工場がある東海村、六ヶ所村、大阪府熊取町から原発に向けて一般道や高速道路を輸送車が走っている事実も、映像で知らせている。
 使用済み核燃料の再処理、プルトニウム抽出の委託先であるフランスのラ・アーグやイギリスのセラフィールド周辺でのガンの多発、再処理後の日本への移送なども追っている。25年前に発せられた「原子力発電所は毎日電気を作りながら一方で放射性廃棄物・死の灰を発生し続けています。何万年もの寿命を持つ核廃棄物を処理していく方法は、いまだ確立されていません」という問いかけは、3月11日を経験した今もそのまま日本社会に投げかけなければならないものである。
 プルトニウム239の半減期は24000年。いま方向転換したとしても、この先永遠に人類は核廃棄物と共に生き続け、その脅威にさらされ続けなければならない。フクシマの事態すら、多少なりとも安定した状態への移行が可能であるとしても、数年という単位では済まないだろう。とてつもない負の遺産を、すでにわれわれは未来の世代に背負わせてしまった。あの時引き返していたなら、という悔いを再び繰り返すことは許されない。  (晴)
 

色鉛筆・・・・ 仙台七夕まつりに想う

 東北三大まつりの一つである仙台七夕まつりが八月六日から三日間例年通り開催されます。江戸時代初期、仙台藩の伊達政宗が婦女に対する文化向上の目的で七夕を奨励したため当地で盛んな年中行事の一つとなったとされています。明治維新後は衰弱しましたが、昭和二年に仙台の商家の有志らが華やかな七夕飾りを復活させました。戦時中は一時中断したものの、昭和二十一年一番町通りの焼け跡に五十二本の竹飾りが立てられて復活しました。
  七夕飾りには七つ飾りが飾られます。一 紙衣(かみごろも)棚機女(たなばたつめ)
が織り、神に捧げたという衣。裁縫の腕が上がるよう、そして亡くなった子ども達へ祈りをこめて 二 投網(とあみ)仙台市近海の豊漁を祈願。幸運を寄せ集めるという意味も含まれる。三 吹き流し 織姫の織り糸を象徴。機織をはじめとした技や芸の上達を祈願。くす玉を最上部に飾り、飾り付けの主役に 四 屑籠(くずかご)ものを粗末にせずに役立て、清潔と倹約の心を育む教えとして 五 短冊 学問や書、手習いの上達を祈願。六 巾着(きんちゃく)富貴を願いながら、節約、貯蓄の心を育てる。また、しっかりとひもで結ぶことで、無駄遣いの戒めにも。七 千羽鶴 延命長寿祈願。鶴の折り方を習うことにより、教わる心、教える心を学ぶ意味も込められている。それぞれに意味があり江戸時代から必ず七つ飾りを作ってきました。
 三月十一日東日本大震災で一万五千五百三十九人の方が亡くなり、未だ五千二百人の方が行方不明です。今年のテーマは「鎮魂と復興」です。
 私が働いている特別支援学校でも夏祭りにむけ七夕飾りの七つ飾りも一緒に作成しています。短冊には、「復興にむけて心一つに頑張っていこう」等地震に関連している願い事が多いです。そして母親を含め家族三人が未だ行方不明の生徒の短冊には「みつかりますように」と書かれており大変つらいです。しかし一つの作業をつうじて子どもどおしの心がつながってきたように感じます。
 今日(七月九日)、震災後はじめて労働組合の集まりに参加し各学校の情報交換をしました。教育委員会の災害マニュアルには今回の地震は想定されていなかった。また各学校の校長判断になっており、その校長も教育委員会の指示待ちをしようとしたり、自発的に動いたりと千差万別でした。多くの犠牲者を出した学校、危機一髪で犠牲者が少なかった学校、管理職の一瞬の判断が生と死の分かれ道でした。また施設設備面も不具合が多い学校もまだまだ多くあります。以前から予想されていたマグニチュード7クラスの宮城県沖地震がまだ来ていません。今後子ども達が安全に学べ成長していけるように、教育委員会の災害マニュアルの見直し、施設面の早い復活、避難所に連れて行けない知的障害の子どもが安心して避難出来る場所(学校の避難所作り・備蓄の準備)等がかなうように、あきらめずに申し入れを続けていきます。そして仙台七夕まつりをつうじて、すこしでも元気を取り戻せることができたらと願います。   (弥生)案内へ戻る


横須賀市教委による三教組組合員の呼び出しと闘う

 読者の皆さんは、斉藤和義さんの反原発ソングの「ずっとウソだった」を聞いたことがありますか。この歌は、ユーチューブの人気のバージョンではもうすぐに30万回視聴されるほどのヒット曲です。聞いたことがない人のために歌詞を引用しておきます。

この国を歩けば 原発が54基
教科書もCMも 言ってたよ「安全です」
俺たちを騙して 言い訳は「想定外」
懐かしいあの空 くすぐったい黒い雨

ずっとウソだったんだぜ やっぱバレてしまったな
ホントウソだったんだぜ 原子力は安全です
ずっとウソだったんだぜ ホウレン草食いてえな
ホントウソだったんだぜ 気づいてたろう この事態

風に舞う放射能は もう止められない
何人が被曝すれば 気が付いてくれるの? この国の政府

この町を離れて うまい水見つけたかい?
「教えてよ やっぱいいや・・・」 もうどこも逃げ場は無い

ずっとクソだったんだぜ 東電も北電も
中電も九電も もう夢ばかり見てないけど
ずっとクソだったんだぜ それでも続ける気だ
ホントクソだったんだぜ 何かがしたいこの気持ち

ずっとウソだったんだぜ 
ホントクソだったんだぜ*****

 この5月、横須賀私立中学校の英語科の教師が、授業の始めにこの歌を歌ってから授業を始めていました。こうした授業の導入法は各自の工夫でどこでもやっている事です。
 6月の6日、その教師は、学校長から呼び出しを受け「教育委員会から先生の授業について地域から通報があり、疑問があるということだった」と告げられた後、校長はから「●学習指導要領を逸脱している●東日本大震災に関して、原発問題を扱ってはならない●今回の事態は重大事態」だと指導されたのです。その後7月4日午後5時に横須賀教育委員会の事情聴取に呼び出されました。これは個々の教師の授業に対する不当な介入です。
 6月27日、この教師は当該分会の分会長と共に、三教組教文担当の小峰副委員長に呼び出しへの立ち会いを求めたのです。組合員に不利益が生じないように働くのが組合であるのにもかかわらず、小峰副委員長は立ち会いを拒否したばかりか、「限りなく自己責任に近い」問題だと言い放ちました。
 これは、かって反原潜闘争を最先頭で闘った三教組の今ここでの堕落を象徴する“迷文句”ではないでしょうか。まさに組合の伝統とは闘い続ける中でしか継承されていかないものなのだと私たちはつくづくと思い知らされたました。
 地区教研集会に結集した三教組組合員に500枚の「原発事故をあつかった授業への弾圧を許すな! 原発問題は扱うなと校長が公言」のビラをまききり、私たちは「教員は政府や教委のロボットではない」との立場から果敢に闘ったのです。当然ながら多くの組合員の関心を引きつけ執行部の対応に注目が集まりました。執行部はダメの代名詞です。
 7月4日午後5時、当該の組合員と連帯した組合員は総員で10数名でしたが、横須賀市教育委員会はこの結集に対して動揺を隠せず、呼び出しをかけた法的根拠すら私たちに明確に告げられないほどのあわてぶりでした。私たちの立ち会い要求にも、事情を聞くだけなのだから認められないと言い募るのみなのです。彼らは私たちに何らの正当性も主張できなかったですから、私たちは呆れるばかりでした。
 結局は、この事情聴取で本人に不利益が生ずることはない事と呼び出しした法的根拠については後で本人に通知する事を確認した上で、私たちは本人が事情聴取室から出てくるまで廊下で連帯行動をしていました。
 1時間ほどで聴取は終わったのですが、最終場面で「歌を歌ったのは問題だ」と教委はその本音を語ったのです。まさに私たちに最初からいえばよい事ではないでしょうか。
 教委は今後も事情聴取するといっていましたが、私たちは今度は大動員を掛けて、横須賀市教委と学校長の策動を粉砕する決意を確認して、連帯行動を終了しました。(猪瀬)


朽ちていった命

 1999年9月30日、茨城県東海村の核燃料加工施設「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所のむき出しの容器のなかでウランが臨界状態になった。「バケツで7杯目。最後のウラン溶液を同僚が流し込み始めたとき、大内はパシッという音とともに青い光を見た。臨界に達したときに放たれる『チェレンコフの光』だった。その瞬間、放射線のなかでももっともエネルギーの大きい中性子線が大内たちの体を突き抜けた。被曝したのだった。午前10時35分、放射線が出たことを知らせるエリアモニターのサイレンが事業所内に鳴り響いた」
 すでに、原発報道でおなじみになっているが、アルファ線は紙で止まる、ベータ線はアルミニウムなどの薄い金属板で止まると説明されている。福島の原子炉建屋に入るのに、ガンマ線を防ぐのに鉛の防護服が必要、というようなことも聞く。しかしそれは無理なことなので、被曝覚悟で作業をしなければならないのだが、中性子は鉛も突き抜け、どこまでも突き進む。水素を含む物質、例えば水やコンクリートなら止められるということだが。
 大内氏は致死量の中性子線を至近距離で浴びた。被曝量は当初8シーベルトとされていたが、最終的には20シーベルト前後と推定された。年間20ミリシーベルトという数字があるが、大内氏はその1000倍の放射線に一瞬にして刺し貫かれたのである。「被曝した瞬間、大内の体は設計図を失ってしまったのだった」と言うが、それは染色体がバラバラに破壊され細胞が再生されないという意味であり、恐るべき事態である。
 大内氏は被曝3日目に東大病院に転院し、ありとあらゆる治療≠フ末、被曝83日目に死亡した。その延命治療を「治療」と呼べるのか私には疑問だが、被曝治療に大きく道を拓いたのは確かなようだ。例えば、被曝51日目には胃や十二指腸からも出血が始まり、「下血や、皮膚からの体液と血液の浸み出しを合わせると、体から失われる水分は1日10リットルに達しようとしていた」のである。
 医療チームはその水分を補給していたのであるが、表皮だけではなく、体内の粘膜なども失われていったのである。死が確実な患者に対してどこまで治療を行うのか、看護婦たちの動揺が広がる。「体の前面の皮膚はほとんど失われ、口からも腸からも出血している。そうして失われた血液や体液を自分たちはひたすら補充する。もしかしたら『治療』という名のもとに、大内はこうした状態を続けさせられているのではないか」、と。
 さて、JCOの臨界事故は社員による決死隊の働きによって、翌日午前6時15分に収束となり、19時間40分間も中性子線を放出し続けた裸の臨界≠ヘ消滅した。この臨界事故で分裂反応を起こしたウランは、重量にしてたったの1000分の1グラムにすぎない。これに比して、原子炉のなかのウランの量は空恐ろしくなるほどの量である。だからこそ、原子炉は決して壊れてはならないとされていたのだが。形あるものはいつか必ず壊れる、この単純な真理によって福島はいま、悪夢に見舞われている。  (晴)
*新潮文庫「朽ちていった命‐被曝治療83日間の記録‐」(NHK「東海村臨界事故」取材班)

追加情報
 JCO臨界事故では近隣住民の健康被害はなかったことにされ、2000年3月27日に原子力安全委員会が住民の健康被害を否定する報告を行った。これに対して唯一、近隣で自動車部品工場を経営していた大泉昭一、恵子夫妻が損害賠償を求める訴訟を起こしたが、昨年5月13日付で最高裁が敗訴判決を確定させた。
 放射能被曝と健康被害の因果関係を証明することは容易ではないが、これをなかったことにするのは容易いことである。御用学者がこれを否定し、裁判官がそれを追認するだけでいいのである。もちろん、このような状態をいつまでも許しておくことはできない。JCO臨界事故から12年の秋、現地において次の取り組みが予定されている。首都圏の方は、ぜひ足を運んでいただきたい。

フォトジャーナリスト樋口健二さんが見たJCO臨界事故翌日の東海村
日時 9月25日(日)〜10月1日(土)
会場 東海ステーションギャラリー
主催 臨界事故を語り継ぐ会写真展実行委員会
なお、最終日に午前中に樋口健二氏の講演会が予定されている。             
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日本政府の二枚舌

 7月9日のしんぶん赤旗によれば、「日本政府が国際原子力機関(IAEA)に6月に提出した福島原発事故報告書で、原子炉や機器冷却に必要な海水ポンプの浸水状況の記述が一部、英語版にはあるのに日本語版では記載」されていない事が分かったというのです。
 記載がない部分は、福島原発の地震・津波の被害状況についてであり、英語版では「海水ポンプ設置場所での津波の高さは10メートルを超えたと推定される」と明記された部分です。
 7月8日の会見で、経産省原子力安全・保安院は、しんぶん赤旗の指摘に対して「確認して説明したい」と回答しました。何と呆れ果て、かつ労働者民衆を愚弄する回答でしょうか。まるでこの部分の脱落があった事を今知ったかのように取り繕うのですから、まさに官僚の仕事とは「由らしむべし知らしむべからず」の世界ではありませんか。
 国際原子力機関(IAEA)には、若干真実(実際の津波は13メートル)に近い事実はいうものの、当該の日本の労働者民衆には一切知らせないのです。
 国外には卑屈に国内では尊大に振る舞う。かっての中華大国に媚びへつらった東アジアの属国官僚の事大・自大主義そのものの立ち居振る舞いが、有権者を愚弄する現代日本の「律令体制」官僚の日常的な生態そのものなのです。
 私たちは原発事故の真実の開示を求めて闘っていかなければ、すべての情報を握りしめて居丈高な彼らを打ち破る事はできないと、日本政府の驚くべき二枚舌から新たな教訓をえる事かできました。まさに貴重な体験です。  (稲渕)
               

国民「衆遇」視の上から目線

 原発の是非について国民投票の実施を呼びかけている人たちがいる。私も賛成する一人だが、ここではそれ自体の是非ではなく、国民観がよく出ている民主党有力政治家の言説に異論を呈したい。
 対象は、7月6日の朝日新聞「争論」欄に掲載された前原誠司元民主党代表の言い分だ。
 ここでの争点は、原発政策を国民投票で問うことの是非だった。前原議員は、国民投票による「イエスかノーか」という二元論には危惧の念を覚えるとして、国民投票に慎重な姿勢を述べている。
 引っかかるのはその根拠だ。前原議員は原発政策については「電源のベストミックス」の立場から脱原発に反対する立場を述べ、様々な側面から考慮すべきエネルギー政策について単純にイエスかノーによる選択にはなじまないとしている。その上で「複雑な過程と長期の勉強を経て判断できる」能力が有権者にはないと決めつけ、「プロフェッショナルたる政治家が知恵を絞り、判断し、しっかりと国民に説明する。」とのたまっている。
 要は間接民主主義の日本では、有権者に複雑な選択肢の判断はできないとした上で、重要な判断はプロフェッショナルな政治家に任せるべきだ、と言っているわけだ。
 こうした立論を目にすると、前原議員のとんでもないエリート意識と有権者に対する衆偶観を感じざるを得ないのは私だけではないだろう。なぜ国民投票は「イエスかノー」でしかないのだろうか。前原議員も言っているように、国会では「A案からD案まで、相当な時間をかけて精査し議論した」経験を持ちだしているが、国民投票でも「A案からD案」まで選択肢を提示することもできる。
 確かにあらゆる課題がすべて国民投票になじむかどうかは難しい。意識の多様化も進んでいる。それにふつうの有権者は、生活に追われてあらゆる課題を考える余裕を与えられていないのが実情だからだ。最高裁判所判事の信任投票が投票方式の問題もあって常に低調に終わっている例もある。
 それでも国民投票という集団的な経験を積めば、限りなくまっとうな判断は習得できる。それに信頼を置けないのは、これまで国民投票など直接民主主義の導入を政治家がサボってきた結果に他ならない。経験をさせないでおいて「国民には判断できない」というのは、エリート政治家による愚民化政策そのものだろう。しかしこれだけの被害が広がっている原発事故を前にして、有権者の関心はかつて無いレベルまで深まっている。まさに国民投票にふさわしいテーマと言えるだろう。
 原発事故を経験したいま、プロフェッショナルといわれた専門家がいかに信用できない存在だったかを身をもって知ってしまったいま、プロ政治家の優位性を語られてもなんの説得力もない。それにそんなに国民投票の「イエスかノー」という二元論に危惧を覚えるのなら、人か政策かの判断基準も曖昧な「選挙」という究極の二元論の上に安住している自分たちプロ政治家の存在の正統性はどこにあるというのだろうか。
 天につばするエリート政治家の衆愚観にはあきれかえる。(廣)案内へ戻る 


「茶色の朝」朗読をきいて

 第二次世界大戦において、ドイツのナチがユダヤ人を迫害・虐殺したことはよく知られています。ナチがユダヤ人刈りを始めた頃、ユダヤ人の街はナチが街全体を茶色に染めました。ユダヤ人の側から見てナチの行為は茶色に見えたのでしょう。
 茶色とはどういうい色でしょうか。赤や黒ではない中間色。茶色一色に染められたユダヤ人の街。ある朝、街の家の扉が開け放たれ、家の中までまっ茶色。その扉の中からユダヤの人が「いま、行くよ」と一言いって出て行った。
 現在の日本全体をおおいつつある一つの色。現在の混とんを何色でおおっていくのでしょうか。不気味な予兆ともいうべきある色調。あいまいではあるが広がっていく濁りの色。どこへ向かうのでしょう。濁ったピンク色を基調として。悲しいかな、またもや内発的に生じた色でななさそうだが、そこからどのようにして現代の民難をのりこえていくのでしょう。
 民難を前にして永田町の住人は首が無い、一般の人々は首が生えかけている。
「たけのこや、真直ぐに生え、そっと外をのぞきけり」(サンデー毎日の俳句より、正確ではないが)。
 覆いかぶさってくるモヤは、どういう色かはまだわからない。どんな色に自らを染めていくのでしょうか。 2011・7・2 宮森常子


 地震によせて

 この度の東日本大地震の惨状は、この世の地獄であった。先だって31才の男性が津波で流された父親の遺体と対面し、あまりにも苦しい表情に涙が止まらなかったとの報道を読んだ。
 私の弟も茨城県で被災した。激しい振れに脅え、家の中は散乱し取り乱した状態であった。屋根瓦や塀が見事に粉々にされた。でも不幸中の幸いで大切な命は助かった。
 ライフラインがなかなか復旧せず、日頃の備えの大切さを知らされた。近所の農家の方が井戸水を開放されて、野菜等も分けて頂き何とか命を繋いだ。日頃の助け合いや思いやりの精神は本当に大切だ。
 義妹の高齢の父は海辺の施設で被災した。津波警報で、山の手への避難を繰り返した。これを境に生への意欲が無くなり、やがて亡くなった。やむをえず少人数で荼毘に付された。当日は余震とはいえ大きな振れに蝋燭は倒れ、てんやわんやのお弔いであった。
 悲しみにくれる余裕もなく、突然のお別れに言葉もなかった。この未曽有の災害で人々の絆が強くなり、1日も早い穏やかな日々が訪れるように、いつも心から応援しております。  2011・6・15 M.Y. ペンネーム(ひかり)


ネコの癒し方−観念から身体へ−

 体力の衰えとともに、しんどさがつのってくると、頭の中が空っぽになる。一体これまで何を考えてきたのだろう。世の中、復興、復興というけれど、東北の被災地では、私の今の状態(内面の)よりもっとひどい状態におかれている所もあるだろう。0から踏み出すにも、この体をなんとかしなければ。
 日頃、私の囲りをウロウロしているネコは身体の悪い時、どうしてるか。隅っこでジィーとうずくまって、食べもしないでジィーとしている。2.3日すると、ゴソゴソ動き始めるようだ。これがネコの療法らしい。
 私もネコにならって、ひきこもってジィーとしている。食べようという気はまだ残っていて、CO−opの半製品の食物を調理する。半製品だから、台所に立つ時間は少なくてすむ。時間から自由になるのは、むつかしい。スローライフを唱えた人もいたようだ。
 スローライフどころか、何もしないで、ジィーッと寝ている。よくまああきもしないで。ここは一番、ネコにならって、早いとこ足を半歩でも踏み出せるようジィーッとしていよう。最小限の食事をとって。
 食事をとるのも結構オモシロイ。金魚運動という脱力させて身体をリラックスさせる運動機器があるとか。ネコや金魚の動きを真似る。思えば私はネコみたいな人間だったようだ。この身体の次元で道徳や宗教をとらえてみたい。逝った父のモノ言わなかった闇の世界の分け入ることもできよう。やっと観念から身体へ行き着いた。2011・7・4 宮森常子 案内へ戻る
               

編集あれこれ
 前号の第1面は、「米軍基地はいらない!核もいらない!」と題した日米安全保障協議会共同文書を批判する記事でした。この合意文章の中で余りにも露骨にアメリカの利益が追求されていることに驚き
と怒りがこみ上げてこざるをえません。まさに日米文書は私たちが破り捨てなければならないものです。
 第2面は、ここ毎号掲載の「沖縄通信」が掲載されています。この記事で米海兵隊と沖縄防衛局による着々と強化される沖縄米軍基地の姿が具体的に明らかにされています。第3面から5面にかけては、
復興論議の中でのまず増税ありきの復興構想会議のおかしな論議を批判しています。
 第5面では、生活保護制度の改悪の本末転倒を批判しました。第6面には、21世紀の世界を掲載しています。第7面には原爆こぼれ話を、第8面には出生率の上昇を取り上げた色鉛筆を掲載しました。
 第9面から第10面には何でも紹介でロボット事情を取り上げています。第10面から第11面には心痛む日々と題する自死(遺族)の問題を取り上げました。第11面から第12面には、読者からの手
紙を掲載しました。これからも読者からの投稿については大いに期待しております。
 以上前号は久々の12頁立てで新聞を発行でき、読みでのあるものができたと自負しています。(直)
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