ワーカーズ445・446合併号(20011/8/1)
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経済産業省による言論統制を許さん!様々な妨害をはねのけ脱原発社会を!
週刊現代の8月6日号によると、経済産業省=資源エネルギー庁による言論統制の記事が載っている。資源エネルギー庁は、「ツイッター、ブログなどインターネット上に掲載される原子力等に関する不正確な情報又は不適切な情報を常時モニタリングし、それに対して速やかに正確な情報を提供し、又は正確な情報へ導くことで、原子力発電所の事故等に対する風評被害を防止する」(ネット監視事業入札仕様書)という、原発に否定的な情報を監視する事業の入札を行っている。それと資源エネルギー庁は、以前から新聞や雑誌などのメディアに対しても監視事業を使って目を光らせてきた。この監視事業2010年度は、財団法人エネルギー総合工学研究所が976万円で受注している。この財団は、斑目春樹原子力安全委員長が昨年まで理事をしていた。多額の税金を使い、言論統制をする資源エネルギー庁を許すことはできない。民主党もこういうのを事業仕分けでバッサリ切るべきである。今まで政府の方が誤った情報を流してきたのに、そのことの反省は何もない。
そしてさらに問題なのは、経済産業省所管の財団法人・日本立地センターは、原発立地地域の住民向けに「夢」、地域の中学生向けに「ドリーマー」という原子力情報誌を発行している。その内容は、「空気中にはラドンなどの天然の放射線物質があります」。「世界中の食品で放射線が役立っている!」。「プルサーマルで使うMOX燃料は、ウラン燃料と同じように安全に使用できます」。要するに、いかに原発が安全かを述べている。3・11の震災や津波で、原発が安全ではなかったことが証明されてしまったのに、何を言っているのだろう。
あと、俳優の山本太郎が反原発の発言のため、所属事務所を辞めざるを得なかった件について述べる。山本太郎は原発の賛否を問うアンケートにツイッターで、「反対」「黙ってテロ国家の方棒担げぬ」と書いた。そのため所属事務所に抗議の電話が殺到し、迷惑をかけられないと事務所を辞めた。彼は、以前にも反原発の活動のためにドラマを降ろされたという。
私は、山本太郎の勇気ある行動に敬意を表するとともに、このような言論統制の社会を変えたいと思う。人類を滅ぼしかねない原発社会からの脱却を!(河野)
復興事業にむらがる大資本−−切り捨てられる地方
●資本による地域復興はありえない
「宮城県震災復興計画」(案)が公表された(『河北新報』7/14)。大資本側のスタンスを隠そうともしない村井宮城県知事主導で作成されたものなので、期待はしなかったが、それにしても中身は何もないものであった。
バラ色の夢と理想をとりさってみれば、ただあるのは、「民間活力」「民間投資」「競争力ある水産業」等々の資本だのみ空虚なスローガンである。村井知事の「思い切った手法」というのは農業・漁業に大資本を参加させるということにつきるのだ。
たしかに村井知事はあけすけにものを言う。しかしこんな事は少なくとも戦後数十年にわたって自民党県政などによって「努力」されてきたことは誰でも知っているのである。もんだいは、このような鐘や太鼓の大資本誘致も、一部での成功はあっても宮城県や東北のさびれゆく農漁村を救うことができなかったという歴史的現実である。
資本は、儲かるときにだけ群がり、時節が変わればいち早く去ってゆく。たとえばさびれた過疎の農村に国や県の公共事業があったとすれば、地元におこぼれがあるのはそのときだけだ。資本はあとは野となれ山となれとばかりに去ってゆくのである。このような経済システムをこれ以上頼るべきなのかと言いたい。自分たちの未来を託すべきなのかと。
●大土木事業をねらうゼネコン
がれき撤去、住宅、などについては、地元の事業者やボランティアにも一定の活躍のフィールドが存在する。しかし、今後「復興事業」が本格化するにつれて道路、橋、ニュータウン建設(高台移転)、港湾設備建設等の大土木事業の需要は今後うなぎのぼりとなることは容易に予想される。国の増税や国債発行(つまり国民の負担で)を財源とする大事業、これらを虎視眈々と狙っているのが言うまでもなくゼネコンなのである。そしてかれらはそれを得るであろう。水面下の動きは見えにくいが、現在ではがれき撤去ですら大資本にシフトしつつある。
自動車産業を中核として「富県宮城」を実現すると村井知事はビジョンを打ち上げる。現にトヨタ関連の子会社(セントラル自動車)が、今年1月、宮城への移転を実現したばかりだ。得意満面の村井知事の顔が新聞紙上に踊った。かれは資本のことを「企業様」と呼ぶらしい。しかし、その地元での経済効果は当面は不動産業などにとどまる。かつての重厚長大産業とは違い、省力化された「拠点工場」はそれほどの雇用を必要としていないこともある。
●資本は宮城県民よりそろばん勘定が大事
すでに「復興特需」ははじまりつつある。流された家財道具、家、道路や土地、橋や公共設備等々への集中的な特需はたしかに生じるであろう。しかし、特需は文字通り一過性でしかない。大資本の誘致に成功しあんなに喜んでいる村井知事だが、うち続く余震と津波の脅威のため(原発問題もある)産業の統廃合は必至の情勢だとおもわれる。
セントラル自動車に関しては子会社同士の統合をはかり「東北の拠点化をすすめる」と親会社のトヨタが発表し村井知事を安堵させたが、三顧の礼を尽くして招き入れた「せっかくの」大資本の逃避が生じることも今後は考えられるだろう。村井知事との約束よりもそろばん勘定によって行動を決める資本は、いつまた拠点を県外あるいは外国に持ってゆくかもしれないのだ。住民のために資本があるのではない。
●ボランタリーな労働をベースとする、社会的事業の普及を
大災害の中、そして放射能の恐怖の中でボランティアは地道な努力を継続している。彼らの労働は、国や県に手の余る、そして当然資本にとって割の合わない仕事である。このようなボランタリーな労働の実践は、地域社会に今後どの様な影響を及ぼすであろうか。
ヨーロッパの例によると、産業構造の変化で廃(すた)れた町などでは、社会的企業とよばれる雇用と地域を守るNPO等「非資本」としての経営体が形成されている。英国では国の補助と支援があたえられている。地域社会の雇用を提供しまた文化的増進等コミュニティの健全な育成が図られている。これらの実践から学ぶ点は多い。
伝統的な地域社会であった今回の津波被災地などでは、さらなる人口の減少に追いやられながら再建も徐々に動き出している。賃労働とは異質なボランタリーな労働(賃労働の前は労働は少なからずボランタリーであったのだが)を互いに認め、社会的に組織化することにより地域社会は一歩ずつあるきだす。地域社会に必要な産業をコミュニティー全体の問題として立ち上げそして運営するのだ。このような道もまた存在するのである。
辺境の地から新しい時代が生まれることも歴史的にはよくあることだ。 (仙台スズメ)
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"単騎"突撃の功罪──繰り返される液状化民主党のあがき──
菅首相による突然の"脱原発"。共感は拡がっているものの、菅内閣への支持は拡がらない。
なぜか。それは菅首相がどんな旗印を掲げても説得力がないことを見透かされているからだ。
菅首相のやり方は、鳩山前首相とそっくりだ。共通するのは懸案実現への戦略的構えの希薄さであり、合意形成と体勢づくりのなさだ。
これは民主党政権の致命的な弱点であり、あの政権交代の限界を示してもいる。通過点を超えて次に進む以外にない。
◆動機不純の脱原発
菅首相が脱原発≠ノ急傾斜している。
5月6日に浜岡原発の停止要請を発したのを皮切りに、6月26日のサミットで「20年代で20%」へという自然エネルギーの積極的な導入方針をぶち上げ、さらには定期点検で停止中の原発再稼働をストレステスト(耐性評価)の適用でストップさせた。内閣不信任決議の圧力を受けて辞任表明してからも、脱原発≠ェ総選挙の争点になるとして、解散総選挙による政権再構築の思惑も口走った時期もあった。
甚大な原発事故と「原子力ムラ」の無責任さを目の当たりにすれば、脱原発≠サれ自体は当然であり、そうした菅首相の姿勢は朝日新聞の世論調査でも77%とそれなりの支持も集めている。
とはいっても、そうした菅首相の脱原発≠フ姿勢が必ずしも内閣支持率の向上につながっていない。同じ調査で菅内閣の支持率は15%に降下している。なぜかといえば、菅首相の脱原発≠フ表明が首尾一貫したものではないことを見透かされているからだ。
そのいい例が原発輸出に経済の立て直しの活路を見いだそうとした菅首相によるトップセールスだ。
菅首相は昨年10月にベトナムに訪問し原発2基の受注に成功したとして、自らのトップセールスを誇示した。また昨年6月には菅内閣のもとで「原子力発電所を2020年までに9基、2030年までに14基以上新設する」とする『エネルギー基本計画』を閣議決定。原発増設はクリーンエネルギーによる新エネルギー立国だと自画自賛していたという経緯もある。
原発事故直前までのそうした原発推進の姿勢を考えれば、いくら事故で考えが変わったとして脱原発≠打ち出しても信用されるわけがない。原発事故直後の場当たり的対応で支持率を落とし、内閣不信任の動きが拡がって首相の座が危うくなった場面では、それこそ延命の方便として脱原発≠持ち出したと受け取られても仕方がないだろう。菅首相の思惑は、すでに見透かされているわけだ。
◆役者だけの交代
"脱原発"を打ち出した菅首相。とはいっても党の有力幹部や他の閣僚は原発推進・維持派が多数で、脱原発≠ヘ菅首相だけだ。"脱原発"を党と内閣全体で推進する情況にはない。
場当たり対応とトップの人気取り。これは民主党政権の本質的な欠陥だ。そもそも民主党政権による社会変革などは夢のまた夢物語なのだ。
民主党政権が成立したのは、自民党政権下での閉塞情況から脱出したいという有権者の切迫した想いだった。それが選挙を通じた政権交代に賭ける有権者の期待でもあった。
が、現実は有権者の想いと政権トップだけで乗り越えられる代物ではない。
原発だけ見ても、強固な利権で固められた原子力ムラ≠ヘ、単にエネルギー政策という政策で結びついた結合体ではない。原発利権≠ニいう強固な利益集団だからだ。利権が闊歩すれば道理は引っ込む。だから原発事故で放射能をまき散らしていても、共通利権を守ることを最優先する無責任さを何ら恥じない振る舞いができるのだ。
ほんとうに"脱原発"を推進する気があれば、原発利権に群がる"原子力ムラ"という利害集団と対決し、それを解体しなければならない。
ところが民主党政権は、結局は変革対象に対する対抗勢力づくりという問題意識がきわめて希薄だった。"国民の生活が第一"という政策目的や"政治主導"という政治スタイルに関してもそうだった。
そもそも政権交代というものを政治権力の土台から奪還するという戦略構想はなく、政府や内閣を国民生活に奉仕するものに造り替えるという共通認識もなかった。あったのは政務三役を民主党が握り、官僚組織を政務三役の指令・指示で国政を動かそうとしただけだった。それ以前の問題として、民主党には党全体として合意した将来展望もそれを実現する戦略展望もなかった。政権与党になるというのが唯一の共通目標でしかなかったからだ。
それでも政権交代の初期には,政権交代に期待する有権者の熱い想いを背景として、政務三役による主導権を手にした局面もあった。が、選挙戦術としてのマニフェストをそのまま政策目標として実現できると勘違いした民主党政権は、途中からは戦略的な政策遂行能力の欠落という底の浅さが暴露されて民意の離反が始まっていた。こうした民主党政権の底の浅さは、"想い"のレベルに終始して頓挫した「普天間返還」、竜頭蛇尾に終わった「事業仕分け」、それに子ども手当や高速道路の無料化、あるいは年金改革や公務員改革などといった、いまではぐちゃぐちゃになってしまった政策課題の末路によく現れている。
◆"単騎"の無力
こうした民主党政権の根本的な弱点は、政治構造の頂点の内閣、というより首相も含めて各省庁トップの政務三役を取っ替えただけで"明治維新以来の大改革"を実現する、実現できると勘違いしたことによるものだ。
ところが現実はといえば、政権が乗っかる政府・省庁の官僚体制や大企業が牛耳る産業界という利権システムはそのまま。本来そうした既成の利権システムの対抗勢力であるはずの官庁や企業内の労働者や労働組合と連携するという姿勢は皆無に近かった。そうした頼りになる応援団を持たない政権の行き詰まりはすぐ訪れる。
一つの実例が普天間問題だ。鳩山前首相は自分の"想い"だけで「県外・国外移転」を打ち上げた。防衛相を始め、閣内・党内の誰からもまともな支援を受けず、結局.首相の"想い"は厚い壁に阻まれて頓挫した。付け加えれば、その時点で副総理として首相を支えるべき菅直人は、次期首相狙いで様子見を決め込んでいたわけだ。
一端打ち上げて頓挫した失敗のツケは大きかった。取って代わった菅内閣は、普天間基地返還では当初案の辺野古崎へと先祖返り、TPP参加方針など親米路線への軌道修正を余儀なくされる羽目になった。
"脱原発"も同じ構造だ。菅内閣は原発推進の経産省や電力会社や御用学者の土台の上に乗っかったままで原発事故に対処せざるを得なかった。
そこで場当たり対応の稚拙で支持率が落ちた菅首相による突然の"脱原発"宣言。ところが担当大臣の海江田経産相は原発維持の姿勢だ。首相の有力後継者はといえば、辞任を表明した菅首相の後釜狙いの思惑もあってそろって"脱原発"に慎重姿勢を表明している。ここでも菅首相は裸の王様でしかない。普天間基地問題で単騎で敵陣を突破しようとしてあえない最後を迎えた鳩山前首相の惨めな姿が思い浮かぶ。
なぜ民主党政権は、政権交代に賭けた有権者の期待に応えられないのだろうか。繰り返すが、大変革には不可欠な既成勢力に対する対抗勢力を育て,それに依拠することができないし、そうした問題意識そのものがないからだ。要は根本的な社会変革観のレベルで致命的な弱点があったということだろう。実情としても、あの政権交代でも選挙での風頼み、人気取りに終始していた。単なる風は向きがすぐ変わってしまう。
こうした事態を有権者の側から見ればどうなのだろうか。単に一回の選挙で強固な権益で結ばれている官僚や"原子力ムラ"などの利権集団を解体できると甘い期待を抱きすぎた。有権者の側でも、官僚や利権集団との対抗勢力を拡大するため進んでそうした陣営に参加することで社会変革を成し遂げるという心構えも実際的な準備もなかった、ということなのだろう。
民主党とそれを政権に押し上げた有権者の側の中予半端な大変革への挑戦。それが頓挫したというのが、この二年間の民主党政権挫折の真の姿なのではないだろうか。
◆土台は対抗勢力
こうした民主党政権の挫折を振り返るならば、私たちがめざすべきなのは官僚や利権集団と対峙し闘い抜けるような対抗勢力づくり、それと結びついた労働者民衆に依拠した政治勢力の形成だろう。
対抗勢力と言えば、その最大のものはふつうの庶民や生活者を代表すべき労働者でありその組織である労働組合だ。その労働組合のナショナルセンターである連合は、民主党政権の最大の支持基盤になっている。本来であればその連合は明治以来の大変革を成し遂げるはずの民主党政権にとって既成勢力に対する最大の対抗勢力であり、大変革の推進勢力であったはずだ。
ところが現実の連合は、大企業によって御用組合化された企業内組合の連合体に過ぎない。普天間基地に関わる安保政策、あるいはTPPなど交易政策などあらゆる問題にわたって大企業の言いなりだ。
エネルギー政策ではもっと露骨だ。民主党には東電など電力会社の労働組合を選挙基盤とした議員をはじめ、東芝や日立、あるいは三菱といった原発企業の労働組合を母体とする議員が多くいる。そうした連合出身の議員が、そろいもそろって企業の言いなりで原発推進派だ。
関西電力出身の藤原政司参議院議員は、「再生可能エネルギーをやったとしてもたかが知れている。原発は欠かせない」、ストレステストを再稼働の条件とするのは「ノーだ。」「半年もたてば、世論も変わるわ。」と、あちこちで会社の言い分を垂れ流して恥じない始末だ。民主党の電力閥議員はこんな連中ばかりだ。
そうした支持基盤、党内基盤の上での"脱原発"のかけ声は、王様の裸踊りに似てきわめて危うい。現に菅首相の"脱原発"は民主党のなかでも浮き上がっている。
いま拡がっている"脱原発"の声は、それに賛成か反対かという人々の単なる声、意向に止まっている。立ちはだかるのは巨額の原発マネーに群がっている"原子力ムラ"を中核とする強固な利権集団だ。労働者や労働組合は、そうした安全無視で企業利益最優先の原発推進路線を告発し、再生可能な自然エネルギーへの転換の闘いの最先頭に立たなくてはならないはずだ。
原発を抱える地域住民や、都市部で電力を消費する消費者も同じだ。自分たちの命と生活を確保するためにも、労働組合と協力して電力会社やプラント会社に安全な電力の供給を突きつけ、あわせて自然エネルギーへの転換を強力に求めていく必要がある。自主的な再生エネルギー導入の取り組みも不可欠だ。
要は原発企業や官僚、自治体を貫く利権集団に対抗する対抗勢力を形成していくことである。その中心はやはり大変革を実現しようとする政治勢力と結びついた、労働組合や自律的なNPOなど私たち自身以外にない。
◆通過点を超えて
2年前に選挙で政権交代を果たした"民意"はいま絶望の淵に立たされ、あの政権交代はなんだったのか、という疑念に揺れている。
ねじれ国会を反映してか、マスコミなども"大連立"をはじめもっと自民党などと協調できるような政権づくりを提唱しているものもある。が、それでは単なる先祖返りでしかない。
有権者は選挙で政権を変えることで社会は変わることを期待した。それが無理と分かったいま、再び大きな岐路に立たされている。それは民主党が駄目だからまた昔の自民党に帰るのか、それとも民主党政権は通過点であり、今度はそれを超えて現実の大変革を実現できる政治勢力を形成していかなければならないか、という岐路だ。
いま自民党の支持率が民主党を上回っている。二年間にわたる民主党政権の反動ではあるにしても、それではこれまでの繰り返しに終わる。めざすべきは、労働組合の造り直しをはじめとする既成勢力との対抗勢力を形成であり、表紙や役者だけを交代させる観客民主主義ではない、労働者・庶民参加型の真の社会変革にある。(廣)
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日本再占領体制の強化―米海兵隊が朝霞駐屯地に初の常駐
米海兵隊が朝霞駐屯地に初の常駐
7月19日(日本時間20日)、米太平洋海兵隊(司令部ハワイ)当局者は、米海兵隊が陸上自衛隊の朝霞駐屯地(東京都練馬区等)に連絡将校(大佐)1人を常駐させる事を明らかにした。同当局者によると、米海兵隊が常駐の連絡将校を陸自に派遣するのは初めての事だという。
福島原発事故や東日本大震災の被災者を支援するためと称して、米軍は「トモダチ作戦」を通じて、この間自衛隊とくに陸上自衛隊と緊密に連携して行動してきた。今回新たに陸上自衛隊研究本部とのある朝霞駐屯地に連絡将校を置く事で、災害救援や人道支援を含めた安全保障分野での日米関係を、さらに強化する狙いがあると受け止められている。
今まで日本には在沖縄の第31海兵遠征部隊(31MEU)をはじめ約1万4千人の米海兵隊員が駐留しているが、今回の連絡将校は沖縄からではなく、太平洋海兵隊司令部のキャンプ・スミスから直接に派遣されたのである。
しかし確かに米海兵隊が常駐を始めるのは、今回が初めてではあるが、米陸軍は国内に5つある陸自方面総監部にはすでに幹部(大佐級)を常駐させている事を読者はご存じだったであろうか。
陸上自衛隊の5方面総監部とは
ここで陸上自衛隊の5方面総監部の所在地と構成を確認しておこう。
まず北部方面隊(北海道地方)の北部方面総監部(札幌市:札幌駐屯地)は、第2師団(旭川市:旭川駐屯地)、第5旅団(帯広市:帯広駐屯地)、第7師団(千歳市:東千歳駐屯地)、第11旅団(札幌市:真駒内駐屯地)、第1特科団(千歳市:北千歳駐屯地)、第1高射特科団(千歳市:東千歳駐屯地)、北部方面施設隊(恵庭市:南恵庭駐屯地)、北部方面混成団(千歳市:東千歳駐屯地)、 陸上自衛隊北海道補給処(恵庭市:島松駐屯地)、その他の直轄部隊等で構成されている。
東北方面隊(東北地方)の東北方面総監部(仙台市:仙台駐屯地)は、第6師団(東根市:神町駐屯地)、第9師団(青森市:青森駐屯地)、第2施設団(柴田郡柴田町:船岡駐屯地)、東北方面混成団(仙台市:仙台駐屯地)、陸上自衛隊東北補給処(仙台市宮城野区:仙台駐屯地)、その他の直轄部隊等で構成されている。
東部方面隊(関東甲信越地方・静岡県)の東部方面総監部(練馬区:朝霞駐屯地)は、第1師団(練馬区:練馬駐屯地)、第12旅団(北群馬郡榛東村:相馬原駐屯地)、第1施設団(古河市:古河駐屯地)、東部方面混成団(横須賀市:武山駐屯地)、陸上自衛隊関東補給処(土浦市:霞ヶ浦駐屯地)、その他の直轄部隊等で構成されている。
中部方面隊(近畿地方・静岡県を除く東海地方・北陸地方・中国・四国地方)の中部方面総監部(伊丹市:伊丹駐屯地)は、第3師団(伊丹市:千僧駐屯地)、第10師団(名古屋市:守山駐屯地)、第13旅団 (広島県安芸郡海田町:海田市駐屯地)、第14旅団 (善通寺市:善通寺駐屯地)、中部方面混成団(大津市:大津駐屯地)、第4施設団(宇治市:大久保駐屯地)、陸上自衛隊関西補給処(宇治市:宇治駐屯地)、その他の直轄部隊等で構成されている。
西部方面隊(九州・沖縄地方)の西部方面総監部(熊本市:健軍駐屯地)は、第4師団(春日市:福岡駐屯地)、第8師団(熊本市:北熊本駐屯地)、第15旅団(那覇市:那覇駐屯地)、第2高射特科団(飯塚市:飯塚駐屯地)、第5施設団(小郡市:小郡駐屯地)
第3教育団(佐世保市:相浦駐屯地)、陸上自衛隊九州補給処(神埼郡吉野ヶ里町:目達原駐屯地)、その他の直轄部隊等で構成されている。
その他、中央即応集団(練馬区:朝霞駐屯地)は、防衛大臣直轄部隊 通信団(新宿区:市ヶ谷駐屯地)、中央情報隊(新宿区:市ヶ谷駐屯地)、陸上自衛隊警務隊(新宿区:市ヶ谷駐屯地)、陸上自衛隊中央会計隊(新宿区:市ヶ谷駐屯地)、陸上自衛隊中央輸送業務隊(横浜市:横浜駐屯地)、陸上自衛隊中央業務支援隊(新宿区:市ヶ谷駐屯地)、陸上自衛隊中央管制気象隊(新宿区:市ヶ谷駐屯地)、陸上自衛隊会計監査隊(新宿区:市ヶ谷駐屯地)、陸上自衛隊中央音楽隊(練馬区:朝霞駐屯地)で構成されている。
ざっとおおざっぱに見ただけでも、陸上自衛隊において朝霞駐屯地の重要性が確認できるであろう。
今回この朝霞駐屯地に初めての事とはいえ、米海兵隊が常駐の連絡将校を陸自に派遣するのには実に大きな意味があるのである。
米太平洋海兵隊の常駐の狙いはどこに
一般的には、沖縄を拠点とする海兵隊は、日本やその周辺地域での有事や災害の際、いち早く現場に派遣され、上陸作戦や災害復旧などの対応に当たるのが任務の1つとされているが、日本の防衛当局とのパイプ作りは、これまで積極的には行われていなかった。福島原発事故と東日本の大震災への対応の教訓として、海兵隊としては、東京の防衛省にも近い朝霞駐屯地に連絡将校を新たに配置する事で、日米の情報交換を密にして、日米が共同で防衛の任務に当たる事態や大規模な災害に備えて、さらに連携を深めていく狙いがあるものとみられている。
では、今回の米海兵隊の朝霞駐屯地への常駐の狙いはどこであるのか。
6月28日、120名以上の自衛隊幹部が、沖縄県うるま市にある米海兵隊の駐屯地であるキャンプ・コートニーを訪問した。この基地には、第3海兵遠征軍と第3海兵師団の司令部がある。参加した自衛隊幹部とは、目黒区にある陸上自衛隊幹部学校の指揮幕僚課程から約80名、統合幕僚学校統合幕僚課程から約40名の幹部だったが、彼らは第3海兵遠征軍について理解を深めるために、同基地にやって来たのである。
しかしこの訪問は、たまたま参加したのではなく、米海兵隊員と陸上自衛官との相互運用を促進する事を目的とした自衛隊オブザーバー交流プログラム(JOEP)の一環なのであった。第3海兵遠征軍G―3未来軍事作戦、未来軍事作戦担当補佐官のトッド・コシアン中佐は「この訪問は海兵隊と自衛隊の関係を構築し、双方間の理解も深める。このような訪問は、互いのことを理解する良い機会となる」と説明し、「これは、今後よりうまく協力していく上での鍵」だと第3海兵遠征軍連絡補佐官の野上大樹三等陸佐は言い添えた。このJOEPプログラムには、個々の陸上自衛隊幹部の訪問や通常米軍と陸上自衛官らが関与する5千人を超える二カ国間の指揮部隊規模の訓練演習「ヤマサクラ」への参加など、小規模から大規模なイベントが含まれるとコシアン中佐は語った。
この中佐は、第3海兵遠征軍の指揮系統について、午前中は陸上自衛隊幹部学校の中堅幹部らに、午後は統合幕僚学校の上級幹部らに概要を伝えた。また彼は、第3海兵遠征旅団や第31海兵遠征部隊を含む海兵遠征軍の主要傘下の構造や機能について、そして海兵隊空陸任務部隊として各々がどのように機能するか詳しく述べたのであった。
海兵隊空陸任務部隊の骨組みは、第3海兵遠征軍の航空、陸上、兵站機能の完全統合を確かなものとすると第3海兵遠征軍および在日海兵隊基地司令官のケネス・グラック中将は言い添えた。
7月18日の在日米海兵隊ニュースに、彼の発言で興味深い事が具体的に書かれている。
「まず何より、飛行士であっても、兵站担当官であっても、すべての海兵隊将校は小隊長になる訓練を受けている。なので、航空、陸上、兵站?に根付いて統合している」とグラック中将は説明した。「皆さんは未来の指導者たちであり、部隊全体を把握することになる」とグラック中将は、陸上自衛隊幹部に彼らと関連する他の自衛隊の機能や彼らが戦いにもたらすものなどを理解する必要があると付け加えた。「ここには、未来の統合任務部隊の指揮官がいる。成功する唯一の方法は、その人が海上、航空、陸上部隊の機能について理解していること」だとグラック中将は、統合幕僚学校の学生に告げた。
この2つのブリーフィングで、グラック中将は「トモダチ作戦」やその活動中に自衛官と連携したことについて触れた。「皆さんは、複雑な危機的状況に陥っていた。危機に備えて訓練を行なう人は多いが、複雑な危機に備えて訓練をする人は少ない」と、東日本に起きた大震災と潜在的な核危機についてグラック中将は話した。
第3海兵遠征軍のプランナーたちは災害が起きた夜に会合し、24時間以内には普天間基地を拠点とした海兵隊の航空機が日本本土へ出発し、翌日にも追加の航空機が派遣されたと、グラック中将は説明した。「皆さんの国を支援することは、我が国、そして第3海兵遠征軍にとっても非常に重要なこと。第3海兵遠征軍はここで暮らし、ここで勤務し、私たちの家族もここで生活している。私たちにとって、とても大切なこと」だとグラック中将は述べた。
ブリーフィングでは、第3海兵遠征軍の指揮官らが相互運用や統合任務、迅速に企画し、任務を執行する海兵隊の能力の重要性を示したとコシアン中佐は語った。
部隊の統合やチームとして連携する事を学ぶ事が、彼がブリーフィングから引き出そうとしていた主なメッセージだという事に統合幕僚学校の学生、今福博文一等空佐は同感した。
この記事には、今回の福島原発事故と被害日本大災害に対するアメリカ海兵隊ないしアメリカ政府の認識が実に率直に語られた。それは実に米軍と自衛隊の一体化の強化である。
「トモダチ」作戦とは何だったのか
「トモダチ」作戦とは、アメリカ太平洋軍司令部に北東アジア政策課日本担当として在籍中のアメリカ空軍退役軍人ポール・ウィルコックスを名付け親として、アメリカ太平洋軍司令ロバート・F・ウィラード大将が採用した作戦だ。
福島原発事故と東日本大震災直後から、開始された今回の作戦は、アメリカ海軍・海兵隊・空軍が連携し、統合軍の形態を執って活動した。作戦には一万八千人を超える将兵が参加する大規模なものであった。3月25日からは在ハワイの常設司令部組織が横田基地へと移動し、統合支援部隊として指揮を執った。最初の司令官にはウォルシュ海軍大将・太平洋艦隊司令官が着任した。
アメリカ海軍は10隻の艦艇を現地海域に派遣した。米韓合同演習のために西太平洋を航行中であったロナルド・レーガン空母打撃群は、本州東海岸域に展開、震災翌々日の3月13日には海上自衛隊災害派遣部隊との震災対応に関する作戦会議を実施した。 空母打撃群は自らの艦載ヘリコプター のみならず、自衛隊のヘリコプターのための洋上給油拠点として運用された。4月4日、本艦は洋上での拠点としての任を終え、「トモダチ作戦」への参加を終了した。厚木海軍飛行場を基地にしている海軍航空隊のヘリコプターは、津波発生直後から捜索救難活動に投入され、その後は食料などの救援物資を運んだ。ミサイル駆逐艦「マッキャンベル」および「カーティス・ウィルバー」の艦載ヘリコプターは、地震発生後、房総半島において捜索救難活動に投入された。揚陸指揮艦「ブルー・リッジ」は、地震発生後、寄港先のシンガポールにて急遽予定を変更し、救援物資を積載して日本へ向けて出航した。ドック型揚陸艦「トーテュガ」は、北海道から陸上自衛隊の車両90台・人員500名を乗せて本州へ向けて輸送した。強襲揚陸艦「エセックス」とドック型揚陸艦「ジャーマンタウン」は、第31海兵隊遠征隊を乗艦させて日本海から日本の東海岸へ向けて行動した。4月5日までに大量破壊兵器(NBC兵器。核兵器・生物兵器・化学兵器)対策などを専門とする海兵隊の特殊部隊であるCBIRFRF(化学生物事態対処部隊)が到着。4月6日までに「トモダチ」作戦は、被災者の捜索・救援の段階から、福島第一原子力発電所事故への対応や復興支援の段階へ移行した。
4月6日、アメリカ合衆国連邦政府は、アメリカ軍が展開中の「トモダチ作戦」の予算が最大八千万ドル(約六十八億円)である事を、クリントン国務長官を訪日させて日本政府に伝えた。現場での「トモダチ」作戦としての支援活動は4月30日にほぼ終了したのである。たしかに米軍の働きはめざましいものがあったが、トモダチといいながら日本に勘定書を突きつけてきたのには全くもって驚く他はなかった。
かくしてこの一環として、3月中旬以降前号の「ワーカーズ」に掲載されていたように、現在首相官邸には国際原子力機関(IAEA)のbRであるアメリカ人のD・B・ウォーラー氏が、福島第1原発にも核戦争・化学戦争の専門家である米国軍人であるランス・ガトリング氏が常駐している。そして今度は実働部隊の司令塔として朝霞駐屯地への米海兵隊の常駐が実行に移された。日本は「再占領」されたのである。
この一連の経過を見れば明らかなように「トモダチ」作戦とは、「日本再占領」作戦だった。この8月7日に中田安彦氏の『日本再占領』(成甲書房)が出版される。私とほとんど重なる問題意識である。これを実行した背景には、一体何があったのかといえば、アメリカの危機感であった。
それは日本を属国として間接的に「保護観察」しているだけでは、原発事故に象徴されるように菅内閣では自滅または自壊せざるをえないとの判断である。だから「日本再占領」の直接統治を、アメリカは日本の労働者民衆に分からないようにしつつ、実行するしかなかった。大マスコミやテレビ各社はこの重大な事実を隠しているのである。
「浜岡原発停止」や「原発再稼働はストレステストの実施後」やとくに「原発に依存しない社会」建設等の菅首相の個人的見解発言は物議をかもしているが、その発言の背景にはこの「日本再占領」を何らの葛藤もなく受け入れた菅首相の、アメリカの後押しがある限り自分の地位は安泰だとの判断があるのである。 (直木)
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原発こぼれ話・・「核のゴミはどこへ?」
世界で原子力発電を行っているのは30カ国432基、その出力は約3億9000万キロワットです。古い数字では31カ国435基とあり、減少しているようですが、建設中・計画中を含めると38カ国572基にのぼります。フクシマという事態を経て、この数字がどのように変化するのかわかりませんが、放射性廃棄物は恐ろしい速度で増え続けています。しかも、その処理のめどはどこにもありません。フィンランドの高レベル放射性廃棄物最終処分場「オンカロ」について前に紹介しましたが、それとても10万年後の安全≠保障できるのか心もとない限りです。
原子力産業の無責任、犯罪性は今日さえよければ明日はどうでもいい≠ニいう点にあります。目の前にある事態は今さえよくないのですが、原子力ムラの人たちは自分たちさえよければ他はどうでもいい≠ニいうことなのでしょう。国内の原発立地がそのことを如実に示しています。最終処分場もその発想でこれまで候補地を募集≠オてきましたが、こればかりはどこも引き受け手がありません。それでも、さらに札束を積み上げれば手を挙げるところがあるという発想です。
もう一方で、この事態を突破するのに廃棄物を貧しい国に押し付けようという「包括的燃料サービス(CFS)」構想があります。モンゴルに最終処分場をというのが、このCFSというものです。新聞報道によると、その内容は次のようなものです。
「モンゴル産のウラン燃料を原発導入国に輸出し、使用済み核燃料はモンゴルが引き取る『包括的燃料サービス(CFS)』構想の実現に向けた日本、米国、モンゴル3カ国政府の合意文書の原案が18日明らかになった」「新規原発導入国にとって課題となる@燃料の濃縮、加工、調達A使用済み燃料など『核のごみ』の処分‐を一括して解決する。『揺りかごから墓場まで燃料サービス(CTG)』とも呼ばれる」(7月19日「神戸新聞)
とんだ揺りかごから墓場まで≠ナす。米国も日本も最終処分場が見つからなくて、原発敷地内に大量の使用済み核燃料がたまって困っているのです。モンゴルにこれを押し付けることができるならどんなに好都合か、それで儲けることもできるなら笑いが止まらないでしょう。しかし、こんなことを許すことはできません。
先に資本主義的発展を遂げた国々は後続の国々から人的・物的資源を奪い、武器など有害物を押し付け、しばしばそこに地獄(戦場)を出現させてきたのです。それでは飽き足らず、今度は終わらない地獄(放射能汚染の脅威)をもたらそうとしているのです。(晴)
本の紹介 路面電車を守った労働組合 私鉄広電支部・小原保行と労働者群像
著者 河西宏祐 発行所 株式会社平原社 定価2000円+税
この本は、私鉄中国地方労働組合広島電鉄支部(以下広電支部という)で、戦後一貫して労働組合運動をしてきた小原保行という人物を通して、広電支部の活動を追っています。
広電支部と言えば、2009年3月広島電鉄の全契約社員を正規雇用したことで有名になりました。これには、一部のベテラン社員は賃金引き下げになるので労働組合内で多くの反対がありましたが、労働条件の低いもの者を救うという選択をしました。広電支部は、減額になる正社員には減額分は10年間に分割して緩やかに減額すること、定年の60歳から65歳までの延長を要求し、会社側はこれらを受け入れました。そして、賃金一本化で賃金原資の増加も会社側は受け入れました。
さて、1930年生まれの小原保行が広島電鉄に入社したのは1949年です。1954年の組合分裂で、小原の入っている広電支部は組織率42%の少数派になります。1960年には、16%の組織率になります。そこから、徐々に盛り返して結局は多数派になりましたが、それにはすさまじい職場での闘いがありました。小原がよく口にする言葉で「敵は最小に,味方は最大に」というのがあります。様々な職場闘争をやりながら、よく人を説得して他労組から自分らの組合に加入させていました。そこでは当然、自分たちの組合員だけではなく、他労組の組合員の利益のためにも闘ってきました。
1961年のタダ働き反対闘争、これは仕事で運転するバスの新車をもらうために、「休憩時間や勤務終了後に車をきれいに掃除する」という競争が行われていました。当初広電支部は、タダ働きはやらないという当然のことをやっていましたが、これでは、他労組組合員との溝が深まりばかりなので、戦術転換でタダ働きをするようになりました。そして、職場の要求として広電支部はタダ働きに相当する時間外手当を会社側に要求して、会社側はこれに応じました。
その他多くの職場闘争で、他労組組合員の信頼を勝ち取っていきました。
小原は、1990年に職場を定年退職して、1998年に68歳で亡くなりましたが、彼の活動は形を変えながら今も広電支部の中で生かされています。それが、2009年の全契約社員の正社員化でしょう。これは、多くの職場で生かされるべきであると思います。読みやすい本なので、多くの方が読むことを期待します。
(河野)
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色鉛筆・・ 子供たちよ!健やかに育て
3月の災害で数え切れないほど多くの死者を出し、今なお終息のめどもつかない時に、こんな私事の話題で恐縮だが、どうかお許しを。
大震災が起こる一ヶ月前に、沖縄で孫が生まれた。本土生まれの娘が、沖縄での出産を希望したから“純沖縄県産”の子だ。5月の初節句にお祝いを、と本土のバァバ(私)が申し出ると、「赤ん坊がもっと理解できるようになってからで良いのでは?」との沖縄からの返答に、なるほどと納得。替わりに新聞紙と折り紙製の甲と鯉のぼりで祝った。これでよかったと思う。
昔からかどうか知らないが、沖縄では「百日写真」(生後百日目に写真館で撮影)が盛んで、孫もその百日目に小さいエイサーの衣装を着せてもらい満面の頬笑みで写真に収まっている。なるほど、あやせば笑うこのかわいらしい時期にと、感心した。「百日写真」は町の写真屋や新聞の片隅などあちこちにあり、本当にどの子も可愛らしい。
沖縄で暮らす娘の夫とその父にとって、本土は、放射能汚染あり・原発あり・大地震の危険ありと、不安が一杯な所になってしまった。里帰りなどとんでもないと反対する。授かった新しい命は、健やかに育ってほしいと誰もが同じ願いを持つ。けれども今、それが脅かされてしまった。
牛肉汚染に関連する報道で、「福島原発から100キロも離れたここの藁が汚染されているなんて考えもしなかった」と岩手県の農家の人が呆然としていたが、放射能汚染は、私たちに知らされぬまま想像以上に広まっているのだろう。原発は今すぐにでも全廃すべきだ。そして核保有と無縁ではない基地も即刻撤去すべきだ。もう手遅れかもしれないが、子供たちを健やかに育てられる環境を、私たちは取り戻さなければならない!(澄)
コラムの窓 「教科書採択」問題
2012年度から中学で使用される教科書の採択作業が各地で本格化している。
今回採択される教科書は、「改定」教育基本法、新学習指導要領下で初めて全面改訂されたものである。
「新しい歴史教科書をつくる会」は自由社から教科書を発行し、「つくる会」から分裂した日本教育再生機構=「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」も育鵬社(扶桑社の子会社)から、教科書を発行した。
そして、この二社の社会科教科書(歴史と公民)が3月末の検定に合格した。
「つくる会」などは、横浜市や杉並区で採択に「成功」した方法を全国に拡大しようとしている。
沖縄・石垣市において「教科書採択問題」が起こっている。
八重山採択地区協議会(会長・玉津石垣市教育長、委員8人)は、6月に会長主導で規約を全面改定し、教科書調査員(現場の教員)が従来行ってきた投票による順位付けを廃止することを決定した。これに対して7月19日、「子どもと教科書を考える八重山地区住民の会」(石垣市と竹富町の歴代教育長10人が共同代表)は、玉津石垣市教育長などに二社の教科書を採用しないよう要請した。
要請では両社の教科書について、沖縄戦の記述を例に「軍隊による自国民(県民)への残虐行為は一行も記載されず、集団自決におよんでは軍の強制、誘導などの関与がまったくなかったのような記述となっており、県民にとって到底容認できるものではない。」と指摘し、さらに「教科担当の教員の意見を最大限尊重して採択するという従来通りの方式を求め。採択決定後は、採択理由と根拠資料を公開し、説明責任を果たすよう」要望した。
また、現地の中学校社会科教員からは、「調査員が採択協議会に報告するのは、聞いている範囲では8月1日。その週のうちに採択協議会で決定されそうだ。問題のある教科書が採択されかねない危険な状態」との報告があった。(英)
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読者からの手紙
映画「武士の家計簿」を見て
7月8日、なにわ区民センターでの映画祭「武士の家計簿」を見に行った。あら筋は徳川幕府も末期、天保年間のこと。諸大名のふところ具合も窮々としていた頃。加賀藩での汚職に対し、改革が行なわれたときの話。主人公は加賀藩の勘定方、ソロバン一筋の武士をめぐるお話。
ソロバン一筋の彼は、帳簿尻が合わないのを発見、上司に告げるとうまくごまかせ≠ツまり二重帳簿の作成を命じられるが、彼は言うことをきかない。藩主はこれをとりあげ、改革を行い、ピンハネしていた要職にあった家臣はクビ。
ソロバン達人の彼は、下級武士とて薄給なので、借金だらけの貧乏な下士であったから、その後の「政治とカネ」の問題に備え、まず借金を完済することを決心。貴重な家財道具はもちろん、母や嫁女が嫁入り道具として持参した着物も、自身の書籍までも、すべて売り払って借金を返済。
「政治とカネ」の問題で、後ろ指をさされることのないように、全部売り払って借金返済に当て、誰にも文句をいわせないようにした。誕生日の祝いの膳に鯛の絵を膳毎に添え、タイじゃタイじゃ≠ニ家族全部が陽気に祝った。
この様子からも貧しくとも家族はいい関係で暮らしている。息子は父親に批判的で出奔するが、ついには父親のソロバンの職を引き受ける。老いて病んだ父を背負って歩き、親子がコトバを交わすところは圧巻。
以上がドラマのストーリーであるが、いつの世も政治とカネ≠ナもつれる。極貧の中をソロバンはじきで、理念を貫いた男を支えた家族を描いた映画で、時代劇といえばチャンバラがつきものだが、チャンバラは一切ない。現在のどこまで続くかわからない民難(姜尚中氏のコトバ)震災・原発の難を政界の先生方は、国難というコトバがお好きなようだが、難儀しているのは国民の方である。
しかし、政治不信といってすましておれないものを感じる。私ども一人一人がこんなお先まっくらの中を生き抜いていかねばならないのだから。この映画は改革をやってのける君主がいたから、すっ裸で生き抜いたこの家族にもまだ救いがあったようだ。多分この君主は有能であったのだろう。だから家臣のソロバンの名手も行きえたのだろう。
これからもこの区民センターでちょくちょく映画を見せてくれるそうだ。楽しみなことである。 2011・7・13 大阪 宮森常子
義援金の配分はなぜこんなにも遅いのか
東日本大震災で日本赤十字社などに寄せられた義援金のほとんどが被災者の手元に届いていないとの事です。同時にこの遅れについては、集まった義援金が被害状況に応じて十五都道県に配分された後、市区町村を通じて被災者へ届けられ、しかもスピードよりも公平性を重視した配分方法、その事務処理を行う自治体の職員不足などが障害となり、配分の遅れを招いているといわれてもいます。
具体的に書きましょう。厚生労働省によると六月三日までに集まった義援金は約二千五百十四億円で、その内都道県に送金されたのは三十二%の約八百二十三億円。都道県からは約九割が市区町村に送られてたのですが、実際に被災者の手元へ届いたのは義援金全体の十五%、約三百七十億円にすぎないと報道されています。
四月七日、日赤などの団体からなる「義援金配分割合決定委員会」は、都道県への第一次配分基準を、死亡・行方不明者は一人あたり三十五万円、住宅全壊・全焼や原発からの避難者は一世帯あたり三十五万円、半壊・半焼は十八万円としたのですが、被害想定を大きく見積もり過ぎた結果、一件あたりの支給水準が低くなり、義援金が大幅に余る結果となったというのです。また公平性を重視したため、建物の被害認定といった事務処理に時間がかかってしまう。そのため被災地となった地方自治体では人手不足になり、今回の遅れにつながったと解説されたのです。しかしここに日本国家の特性を見る事ができます。
全国の日本人から、一刻も早く被災者に届けて欲しいとの思いで集まった義援金が、今最も必要する人たちにちっとも届かないのはなぜなのでしょうか。先日の国会においてこのように野党議員が質問すると、菅首相は「私もそうしたいのですが、いろいろと法律がありまして・・」と答えて、自分の責任ではないと問題をはぐらかしました。
確かに日本は、法治国家です。とはいっても、この「法治国家」という言葉に二つの意味があり、明治以後この二つが日本語では混同されて使用されているのです。
法治の日本的な意味の一つは、法律によって政治を動かす事で、日本伝統の統治様式を指しています。現代日本「律令制度」とは、「律令法」によって現実政治を動かす事なのです。これに対して、もう一つの意味はヨーロッパ等の「ルール・オブ・ロー」で、人権を社会の基本において、この人権を実質的に保護するための手段が法律であるとの理解にあります。したがって日本ではこの二つは水と油の関係にあるのです。
日本の「律令法」にあっては、国家のために民草がいます。だから「律令法」が民草の上に立っているのです。したがって「律令法」の手続きが整うまで、民草は、待てしばしとなります。今回の原発事故でも明確になったように、「律令法」が整備されるまでは民草は放射能を浴び続けよ、それが日本国家のあり方なのだとこうなります。
ドイツ人やアメリカ人が今回の原発事故で国家機関が先頭になって日本から脱出させました。国家機関がこうしたのは、人権を守る法思想からです。人権を守らなければ庶民からも国家が訴追される現実が、国家指導者にも意識されているのです。これが彼らに徹底する「ルール・オブ・ロー」の法精神です。
この法精神は、義援金の配分でも明確になります。アメリカのスリ―マイル島事故では、事故発生の翌日、すぐに一時金が支給されたのです。一体法律は、誰のために存在するのでしょうか? 菅首相が問題を全く理解していないのは先の答弁で明らかになりました。実際の所、日本国家においては、肝心要のこの基本的な法意識が議論された事は、少なくとも私が知る範囲では全くありません。 (笹倉)
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編集あれこれ
前号の紙面は、前々号に続いて12面と読み応えのあるものになりました。前号の1面は、「政・官・業・専 原子力ムラにくさびを! 断ち切るのは労働組合」と題する記事でした。原発事故に対して、本来は電力会社の労働組合が闘うべきなのに実際の労働組合は、御用組合らしく、何も政治や企業と闘ってきませんでした。これではダメです。闘う労働組合が必要です。
2面の「沖縄通信」は、「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること
・・・沖縄・米軍基地観光ガイド」という本の紹介です。沖縄ではベストセラーになっているとのこと、原発問題も沖縄の米軍基地問題も根は同じです。
4面の交代制夜勤に関する記事は、私も深夜労働も含む交代制職場で働いているので、非常に興味深かったです。深夜勤務が生理的リズムを狂わせることや、労働条件改善のためには現場の闘いが必要ということは、まさにその通りです。そして夜勤が生み出す文化についても、面白かったです。
6面の21世紀の世界F 経済のボーダレス化と再編される国家と題する記事は、連載です。EUが「ヨーロッパ人市民社会の統合」を建前として目指しており、「国民・民族国家」の相対化という流れになっています。資本の国際化に対応した国家の形態の変化についての分析など、読み応えのあるものでした。
9面の横須賀の中学校の教師に対する、横須賀市教委の攻撃とそれに対する有志の現場組合員の反撃の記事もよかったです。やはり、労働組合の強化が必要です。
あと読者からの手紙や、色鉛筆の仙台七夕まつりに想うの記事も興味深かったです。
あと、読者から集会の案内を紙面で紹介してほしいと意見がありました。検討に値すると思います。
(河野)
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