ワーカーズ447号 2011/9/1
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推進派の巻き返しは許さない!──行動で示そう!"脱原発"──
菅首相は6月の辞任表明から2ヶ月ほど"脱原発依存"に執着してきた。5月6日には浜岡原発の全炉停止、7月6日には停止中の原発再稼働の動きを"ストレステスト"の導入によってストップさせた。低迷する政権の再浮揚をもくろんで飛びついたものだとしても、"脱原発"の方向性はごく当たり前のものだ。
菅首相による一連の"脱原発依存"姿勢は一貫したものでも相応の覚悟の上のものでもない。それは菅内閣で閣議決定した原発推進の「エネルギー基本計画」や原発の海外トップセールスを自賛していたことでも明らかだ。そうした民主党政権の立脚点の土台の上でこそ、推進派の巻き返しもある。九州の玄海原発再稼働は"やらせメール"事件などで頓挫したものの、北海道の泊原発では強引に正規稼働に踏み切った。
推進派の巻き返しは電力会社や原発企業、それに経済界だけではない。民主党支持基盤の連合や菅内閣の閣僚にも根強いものがある。主要閣僚は"脱原発依存"を表向き否定していないものの、その多くが"脱原発"に踏み込まず、一皮むけば推進派の鎧が透けて見える。
いうまでもなく、原発システムの建設・運営は、国と結託した巨大独占企業でなければ不可能だ。原発はそうした巨大企業の利益独占と不可分であり、原発に連なる利権構造は、利益至上主義の資本制社会と切っても切り離せない。"脱原発"は、そうした企業利益最優先の社会を根底から変える闘いと結びつくことで、はじめて実現できる。
"脱原発"に舵を切ったドイツも、長い時間をかけた"脱原発"の取り組みの蓄積があった。日本でも、再生可能エネルギーの普及や草の根の取り組みが合体してはじめて政治の土俵での"脱原発"は現実のものとなる。推進派の巻き返しをストップさせ"脱原発"をはっきりさせるためにも、多くの人々による"脱原発"の意志と行動を拡げていくことが緊急の課題だ。
この9月19日には大江健三郎氏などが提唱する「原発にさようなら5万人集会」(明治公園)が計画され、全国的な脱原発行動も拡がっている。9月11日に大阪と神戸で開催される集会とデモなど、それに向けた取り組みも各地で始まっている。
私たちも観客席から舞台に上って行動で示すことで"脱原発"の想いを現実のものにしたい。(廣)
進む民主党の自民党化──どこに行った民主党の"政治主導"──
6月の菅首相の辞任表明から二ヶ月半。粘りに粘った首相の座をあきらめたか、国会会期末が迫った8月26日、菅首相は退陣を表明した。
支持率低迷に悩んだ菅首相。"脱原発依存"を旗印に政権浮揚に執着心を見せたが、いかんせん付け焼き刃、"脱原発依存"も世論の受けはよい割りには支持率向上にはつながらなかったわけだ。所詮、菅首相の思惑は世論にとってはすべてお見通し。菅内閣の総退陣で、あの政権交代があったにもかかわらず、民主党政権への期待は急速にしぼんでいる。
◆埒外だった民主主義
思えば、あの政権交代は有権者にとってきわめて斬新な出来事と思われた。明治・戦後に続く"第三の大変革"を掲げた民主党政権の誕生が、"失われた10年"あるいは"失われた20年"を取り戻す自民党政権下の閉塞情況を切り開く"平成の大改革"と受け止められたからだ。
"国民生活が第一"という世直しスローガンを掲げ、「子ども手当」「高速道路の無料化」「農家の個別補償」等々という有権者受けする選挙政策のオンパレード。「これで日本は変わります。」と叫んだ新人代議士もいた。
その民主党政権。個々の目玉政策以前に、政権交代の大義名分としたあの"政治主導"はどうなったのだろうか。
戦後長らく続いた自民党中心政権。その構造的な腐敗の根源は、"政官業"の癒着体勢にあると見なされてきた。いったん決まったらストップできない公共事業、お手盛りや天下りで肥え太る官僚天国、国民生活ではなく大企業と結託した官僚行政などなど。国民生活とは無縁な官僚主導システムがまかり通ってきた。その日本の政治システムが変わるのではないか、と期待されて発足したのが民主党政権だった。
その民主党の"政治主導" の確立。私は民主党政権発足以降、それはよく言っても"行政主導"であり、主権在民の民主主義とは無縁のものである、と指摘してきた。なぜなら、民主党の"政治主導"は、あくまで統治システムとしての内閣・政治家主導でしかなかったからだ。
民主主義の大前提は、あくまで1人1人の国民自身が主権者だというのが建前にはずだ。しかし民主党の"政治主導"は、官僚に対する政治家や内閣の優位性を求めるだけだったからだ。いずれにしても、人民を支配する行政権、統治権の所在が問題にされたに過ぎない。民主党マニフェストには"民主主義の前進"の言葉は一切無かった、
◆切り込めない"聖域"
その民主党政権の二年間。政治主導はどうなったか。振り返れば、無残な荒野が残されたに過ぎない。
仮に、私の民主党"政治主導"の批判は、それがすべてうまくいった場合にあっても行政権・統治権の強化をもたらす、というものだった。が、現実はといえば、それ以前の挫折にあったようだ。
手始めの事務次官会議の廃止、政務三役による意志決定。ここまでは良かった。しかし、「官僚主導」と「官僚の使いこなし」という難問でつまずいた。民主党政権では、官僚制はあくまで前提で、官僚主導体制を是正しそれに代わる統治システムに依拠する、という発想はは最初からなかったからだ。官僚制を前提としつつ、意志決定で政治家主導、内閣主導を貫きたい、というのが民主党の思惑だったからだ。
官僚システム抜きでの意志決定と政策遂行をやろうとすれば、官僚制に取って代わる意志決定と政策遂行の組織的な構築が不可欠のはずだ。が、民主党政権は、それを準備することもそれに依拠することもできなかった。というよりも、そうした発想自体が民主党政権になかったからだ。
官僚制を打破しようとすれば、端的にいって、位階制に依拠した上意下達の官僚制システムとは対極にある、公務員労組も含めた労働組合と住民自治組織、それに各種NPOに依拠しなければならない。それらの取り組みやその組織に依拠し、それを土台とした意志決定システムと政策遂行力を確保しなければならなかったはずだ。むろん、労働組合の抜本的な立て直しを含めてだ。
現実はと言えば、民主党政権にそうした努力はむろんのこと、そうした発想はどこにもなかった。だから私は民主党の"政治主導"のスローガンはカラ文句であり、それがうまくいった場合でも民主主義の発展にはつながらず、行政権・統治権の強化しかもたらさないとして批判してきたわけだ。
さて、民主党政権の二年間。総括には気が早いかもしれないが、こと"政治主導"に関しては、結果が見えたということだろう。
政権発足後、派手に劇場型政治を見せてくれた"事業仕分け"。ものの見事にすべって"大山鳴動しネズミ一匹"の結果に終わった。この結果を受け、メディアなどは「無駄を省くなどできない」と結論づけているが、実際はただその決意と体勢がなかっただけのことである。
あの明治維新では、たとえば廃藩置県や秩禄処分など、旧武士階級から特権を奪うことで四民平等を実現し、政治的階級格差から経済的な格差に衣替えすることでその後の資本制社会の基礎を造った。改革とは特権階級の権利を剥奪するところから始まるのだ。ところが民主党政権は、国民政党として位置づけもあって特殊利益(特権階級)を解消することができない。その特権階級というのは、いうまでもなく聖域とされている経済成長を大義名分とする独占大企業である。
民主党にそれを求めても無い物ねだりだろうが、予想されたとはいえ、民主党政権二年間の成果はあまりに無残だったという以外にない。
◆進む"自民党化"
あの"政治主導"の挫折は、民主党政権の発足時から見通せたものだが、菅首相自身が増税路線を掲げた政権発足時にそれがよりはっきりしたものになった。増税路線というの、不必要なところから必要なところに振り替える、という改革路線の放棄を前提として出てくるからだ。実に官僚的発想そのものである。官僚というのは自分の縄張りの範囲で考える。他がどうなっていようとも、自分のところの権益は死守する。逆に言えば"司が違えばわれ関せず"だ。そこで当該の司を減らす、なくすと言えば官僚は反撥する。それを抑えて政策転換するのが政治家のはずだ。民主党政権はそれができない。自民党と同じだ。だから必要になる政策経費は増税で、となる。だから増税路線は、官僚的発想だというわけだ。
菅内閣の"政治主導"の限界が如実に表れたのが、政権末期の経産省の"更迭"人事問題だ。九州電力のやらせメール問題も絡んだ経産省の事務次官などの交代で、海江田経産省は"更迭"だと明言した。にもかかわらず、実際は勧奨退職扱いで割り増し退職金が支給され世論の批判にさらされた。それ以上に政治主導の敗北を決定づけたのは、菅首相が脱原発派の官僚の抜擢ができず、推進派の順送り人事を容認したことだ。これには海江田経産省との軋轢が絡んでいるとはいえ、経産相をも取り込んだ官僚の思惑が通ったということであり、菅民主党内閣の政治主導の完全な敗北である。
菅首相の退陣で,いま民主党の代表選挙が世間の耳目を集めている。が、代表候補は首相になるための政略で手一杯の様相だ。"脱小沢"にしても"菅後継"にしても、昔よく見せられた光景以外のなにものでもない。民主党の「年輪を・重ねるほどの・自民党化かな」(廣)
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《連載》21世紀の世界 8 終焉に向かう「パクス・アメリカーナ」
●大戦争の世紀=20世紀
20世紀の前半から中盤に掛けてヨーロッパを中心に大戦争が世界各地で頻発し、何千万という人命が失われ(第1次第2次世界大戦の戦場での死亡者は五千五百万人とされています。)、生活が破壊され近代国家も焦土と化しました。アジアでも日本帝国主義による大規模な侵略戦争がくりひろげられました。
このような国民的殺戮は偶然に発生したわけではありません。近代国家の特徴は第1に教育されたエリート官僚組織の確立と、それに裏打ちされた徴税力と巨大な国家予算の編成能力などが指摘できます。さらには地方の行政組織または警察組織を基礎として近代国家は、その社会的富と人的能力を最大限に戦争に動員できたことを示しています。教育、報道、秩序維持、科学技術開発、工業、輸送手段、通信手段までもが戦争のためにフルに動員されました。文字通りの「国民国家をあげた総力戦」です。戦争はもはや戦士たちだけのものではなく、全国民の避けることのできない義務となったのでした。
この帝国主義の時代をどの様に位置づけるかというのは重大なテーマです。これからも帝国主義戦争の時代が再来するのかということが、問題となるからです。
19世紀末に登場した帝国主義(戦争)は、従来の商品輸出にくわえて銀行資本による資本輸出を特色としています。「世界の分割と再分割闘争」から必然化した「帝国主義とは資本主義の最高の段階であり、社会主義の前夜である」(レーニン『帝国主義論』)という見解がかつて多数をしめていました。しかし、今では再検討の余地がかなりあるでしょう。
●後退する「パクス・アメリカーナ」
ところで、この帝国主義戦争ののちに現れたのが、「パクス・アメリカーナ」です。アメリカ大帝国の登場とその軍事的・経済的な圧倒的支配の下での資本主義経済の繁栄なのです。戦国時代ののちに徳川家康による全国統一がなしとげられ、そのもとでの「秩序」「平和」が訪れたことと似た事情です。
「パクス」とはラテン語で平和のことです。「米国による支配・平和」ということで、古代ローマ帝国の「パクス・ロマーナ」にならったものです。
米国のみが「自由主義圏」唯一の勝者であり、世界の警察として多数の海外基地を所有し旧ソ連と対峙して来たことは今でも記憶に残るものです。その後ソ連=ロシアの崩壊、超大国からの転落という歴史の中で、唯一の超大国としての米国の地位はいやがうえにも高まると考えられました。
しかし、その足下では、中国が第2の超大国としての地歩を急速に築き始め、あるいはEUは経済的・政治的に独自の統合を強め、しずかに米国から離反しています。落ち目のロシアですら、軍事力とエネルギー資源を背景に簡単に米国に屈従しようとはしません。ですから、多極化ともいえますが要は米国の専制的とも言えた世界権力が相対的に低下しているのはあきらかでしょう。
米国は、古くはベトナム戦争に敗北しましたが、最近でも多大な戦力の投入にもかかわらずアフガンでの敗退は決定的な情勢です。また、イラクなどでも巨額の戦費や兵力を費やした(91年、03年の湾岸戦争)にもかかわらず、中東地域でも、影響力を低下させているとみられます。財政赤字に苦しむ米国は、軍事的にも経済的にも現在の影響力の低下は必至でしょう。
●動揺続くドル体制
第二次大戦後出現した「パクス・アメリカーナ」は、軍事的には、米国が「世界の警察」としの役割を果たし、経済的には「ドル体制」を維持することでした。
米国の財政赤字に端を発した現在進行中の「ドル危機」が今後どの様な終点へと逢着するのか定かではありませんが、ドル体制の動揺はこんごますます激しくなるでしょう。1950年代、唯一の純黒字国である米国の圧倒的な経済力の下で、米国大資本の利益にそって資本の自由な国際的移動(自由市場)を実現したのでした。ドルは金と並ぶ国際通貨となり、71年の金ドル交換停止後は不安定化しながらも「唯一の国際通貨」の地位を維持してきました。
ドル体制の構築と維持は、米国資本の特殊的利益の確保として開始されたとしても、国際資本の興隆をもたらせたのは歴史的事実でしょう。1990年前後のソ連圏の崩壊と国際的統一市場の形成、グローバリゼイションの開始は後発諸国を巻き込みながら、20世紀後半から資本主義的発展の一時代を造り上げたのでした。このような国境を越えた資本の交流は,一見、国家対立から平和的(経済競争)なものへと変化しました。
しかし、そもそもドル体制というものは、根本的な矛盾の上に立つものです。一国の貨幣(アメリカのドル)が、金に変わって国際通貨を代行するということですから。この不合理な、ありそうもない体制が、戦後数十年間続き、資本主義的繁栄をもたらしたのはもちろんそれなりの理由があるわけです。
いうまでもなくこの体制の最大の受益者は米国です。米国は唯一、貿易での支払いに「外貨準備」を必要としないからです。たとえてみけば米国のみが、打ち出の小槌を持っており、貿易赤字を気にせずに輸入を続けることができるのです。だから欧州のような不満も出るし、ドル体制に変わる世界通貨体制の模索もされるのです。しかし、米国以外の世界のブルジョア国家が、この体制が、自分にとっても利益であるうちは、基軸通貨国である「米国の特権」を承認し為替リスクを抱えながらドル体制を保持しつづけてきたのでした。
米国の圧倒的な戦後のステイタスは、ドルを世界基軸通貨にしました。しかし、このようなことは、いつまでも続くものではありません。中国やインドあるいは東南アジアの「経済的離陸」がすすめば、さしもの米国経済も相対的に地盤沈下します。そのとき米国ドルは「基軸通貨」でありつづけるとは考えられません。
米国の横柄なドルの垂れ流しがすすみドル体制が不安定化するとともに、欧州は独自のユーロ圏として統合を強めています。また、模索されているのが、SDR(IMFの特別引き出し権)のようなものを世界の有力国が共同で支えると言うようなシステムです。しかし、国家的統合でも実現しない限り、金以外の「国際通貨」は存在し得ず、どのようなシステムでも為替変動のリスクや投機筋にほんろうされる宿命です。あるいは各国の利害の衝突が調整できないとすれば、可能性は少ないでしょうが平価切り下げ競争から経済ブロック化という「いつか来た道」にはまってしまうこともなくもないでしょう。
2008年のリーマンショック以来の世界恐慌のもとで、むしろドルの復権とも見える動きが見られますが、これも一時的なものでした。財政赤字と貿易赤字と低成長の米国にとって「ドル体制」の終末は早晩不可避です。それととともに「パクス・アメリカーナ」も終焉するでしょう。米国の世界的な軍事力の展開は、「ドル体制」という前提によって多分に支えられてきたからです。
●「パクス・アメリカーナ」後の世界
現に「国際通貨」「ドル体制」も衰退が著しく、今ではドルによる世界各国の外貨準備は、推定で60.7%程度にまで落ち込みました(2位がユーロで26%、3位が円で3.8%)。ドルがその特権的な地位から滑り落ちることはほぼ確実だと考えられます。
米国はその時がくることをすでに前提として、ドル圏の温存に必死であると考えられます。米国は、かつてEUに対抗してNAFTA(北米自由貿易協定)を造りました。中国を追う次世代の成長センターASEANにも経済的・政治的接近を強めています。TPP(環太平洋パートナーシップ協定)も同様の趣旨でしょう。その他二国間での「自由貿易協定」も多種多様に成長しています。
米国を中心に考えれば、各種の「自由貿易協定」の創設はユーロ圏や今後台頭する中国の元に対抗して、「ドル圏の死守」というふうに考えられます。
いくつかの大国の通貨が並び立つのか、SDRの発展形の様な新たな国際通貨の仕組みが試みられるのか、それとも経済ブロック化のような反動が発生するのかは現時点で判定することは困難です。ただ、「パクス・アメリカーナ」後の世界の形成は、中国、インド、ASEAN、南米諸国らの「民族・国民国家」の台頭の結果でもあり、EU、ロシアを含め「群雄」ひしめく世界となり、再び政治的軍事的な緊張をはらむものとなる可能性があります。
●新しい戦略をもった階級闘争の時代を
資本主義の矛盾に満ちた発展は、この世紀の終わりまで続くかもしれません。それを誰も科学的に否定することはできないでしょう。それに対抗する「新しい社会」を形成する要素や流れをどの様に育てるのかということがわれわれにとって大切です。資本主義の世界地図の書き換えがどの様なものであろうと、それのみにかかわらず、勤労者・労働者は自分たちの未来を切り開くべきでしょう。
この連載でもなんどもふれてきたように(たとえば連載@AD)、ボランタリーな労働組織を基軸とする諸アソシエーションの形成が100年後の人類の未来の帰趨を決定づけるでしょう。少なくとも私はその様に考えています。新社会の社会的・大衆的下準備、予備的訓練無くしてたとえ瀕死の資本主義を前にしてもそれをわれわれは乗り越えることはできません。
かつて20世紀の資本主義体制は空前の危機に直面しました。帝国主義戦争や世界大恐慌あるいは全世界的な反植民地・民族解放闘争です。ロシア大革命や中国革命もありました。それにもかかわらず「労働者の解放」「自由なアソシエーション」を生み出すことはできませんでした。未来社会の予備的な、先駆的な生産諸関係やその実地の訓練があまりにも乏しかったからである、と考えます。個々人の主体的でボランタリーな社会組織が「欠如」したままでは次の社会は生まれないのです、たとえ資本主義にどのような危機がおとずれたとしても。
20世紀の労働者・勤労者が引き起こした諸革命・運動は、この真実をわれわれに訴え続けてきたのだとおもいます。今、そのことを学ぶべきなのです。アソシエーションは20世紀後半より、世界的に顕著な発展をみせています。「自由なアソシエーション」についての一時代をかけた戦略的構想こそが今われわれに必要なものでしょう。
このような視点の欠如が、国家の力による「社会主義」「平等主義」の建設という不可能事へと迷い込む一つの原因になったのです。このことがもたらしたスターリニズムの悲劇についてはここでは割愛しますが。
(仙台スズメ)
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紹介・・・「水俣展」
これまでもワーカーズの紙面に「水俣展」開催の案内を載せてきた。
「水俣展」が開始されたのは、1996年9月の「水俣・東京展」が初めで、その後全国各地で多くの「水俣展」が開催されてきた。
今回は福島原発事故の放射能汚染に苦しむ福島・白河での開催である。
この「水俣・白河展」を推進してきた地元の「水俣・白河展を開く会」、その開催の意義を次のように述べている。
「昨年夏、私たちはアウシュヴィッツ平和博物館(白河市白坂)の呼びかけにより『水俣・白河展』開催の準備に着手しました。そうした中で3月11日に福島原発事故が発生し、いまだに終息のめども立たず大変な困難に直面しています。しかし一方で、放射能にさらされているこの地で、本展を開催することの意義はますます大きくなりました。残念ながら『水俣』はまた繰り返されてしまったのです。深刻な現実は、エネルギー資源の生産・管理・消費について、私たちに再考を迫っています。『今が良ければそれでいい』という生活態度は過去のものとしなければなりません。同博物館の創立者で今は亡き青木進々さんは『戦争は最大の環境破壊』という言葉につづけて、よく『地球は未来からの預かりもの』と言っていたと聞きます。終わりの見えない困難の中、このような言葉を思い起こしながら水俣展を開催し、心安らかな暮らしと生き生きとした地域社会の創造に努めていきたいと思っています。どうぞ多くの皆様がご来場、ご協力下さいますようお願いいたします。」
この「水俣・白河展」とそれに関したツァーの企画を紹介する。
(1)「水俣・白河展」(近代とは何か。人間とは何か。原発事故被災地に「水俣」の経験を)
・日時・・・11月11日(金)〜20日(日)10:00〜17:00
・会場・・・マイタウン白河(JR白河駅より徒歩5分)
・チケット代・・・前売券800円、当日券1000円
・内容・・・「水俣病の展示」(水俣病事件の真実)「水俣病ブックフェア」「写真展示」「語り部コーナー」など、専門の説明員が親切丁寧に約40分案内してくれる。
なお、主催者『水俣フォーラム』より「チラシの配布」「ポスターの掲示」「前売券の購入」「寄付金の協力」「ボランティアスタッフの募集」などの要請がきているので、協力出来る人は連絡をよろしく。
(2)1泊2日の「水俣・白河展への旅」(遠方からの参加者のためのツァー企画と宿泊の案内)
・集合・・・11月12日(土)13:00 JR東北新幹線・東北本線「新白河駅」改札口
・解散・・・11月13日(日)19:00 ホテルサンルート白河(「新白河駅」徒歩2分)
・日程・・・12日 白河の街巡り→水俣・白河展の鑑賞→夕食・宿泊
13日 アウシュヴィッツ平和博物館→水俣・白河展の講演会→懇親会→解散
・費用・・・15,000円
・宿泊・・・那須甲子高原ホテル(温泉旅館)
・締め切り・・・10月25日(火)
・申込先・・・「認定NPO法人 水俣フォーラム」TEL03−3208−3051 FAX03−3208−3052
(3)「第12回 水俣への旅」(事件史を歩き、患者さんの言葉を聞く)
<参加者募集> 11月3日(木・祝)〜6日(日)<3泊4日>
・集合・・・11月3日(木)14:00 水俣駅
・解散・・・11月6日(日)14:00 水俣駅
・主な訪問先・・・「チッソ水俣製造所」「百間排水口」「故・川本輝夫さん宅」「水俣病歴史考証館」「市立水俣病資料館」「ほっとはうす」「ほたるの家」「水俣湾埋立地」など。
・費用・・・48,000円
・宿泊・・・温泉旅館を予定
・締め切り・・・10月21日(金)定員25人、先着順で受付。
・申込先・・・「認定NPO法人 水俣フォーラム」TEL03−3208−3051 FAX03−3208−3052
水俣フォーラムは、水俣を訪れたことがない人を対象にして、3泊4日の水俣への旅を毎年実施している。
私も3年前に参加して、初めてチッソ水俣工場・水俣湾・不知火海・埋立地・資料館などの現地を歩き、患者さんたちの生活と声に耳を傾けてきた。
「水俣病」は終わっていない。その事を痛感したツァーであった。(富田 英司)
コラムの窓 「いまどきリニアかよ!」
リニア新幹線計画が着々と進んでいます。東日本大震災という未曽有の災害、福島原発震災という先の見えない放射能汚染に見舞われても、JR東海と国土交通省にとってはよそ事なのでしょう。1973年11月、東京から大阪までを基本計画路線に決定、ということだから40年近くかかってようやく具体的日程が決まろうかというところです。
その間に国鉄の分割民営化≠ェあり、過疎地の鉄路は廃線となり、労働者は街頭に放り出され、国家的不当労働行為を実行した国鉄幹部たちがJRの経営者になりあがっています。そして2007年12月、JR東海が自己負担でリニア新幹線の建設表明を行ったのです。と言っても、途中駅の建設費は全額地元負担が前提ということです。
名古屋にある「リニア・鉄道館」には、2003年に山梨リニア実験線で世界最速の時速581キロを出した車両「超電導リニアMLX01‐1」が展示されているそうですが、リニア新幹線とはどういうものでしょうか。まず、東京・名古屋・大阪を時速500キロで結ぶということで、飛行機と速度を競うものとなります。次に、開業から半世紀近くになり全面改修が必要になった東海道新幹線にかわるもということ。
現場の技術者にとっては夢の技術の実現、限界への挑戦といったものと思われますが、それが今やるべきことかが最大の問題ではないでしょうか。何より素朴な疑問は、鉄道と飛行機が早さを競うのは無意味であり、棲み分けさえ出来れば何も問題はないのです。そんなに急いでどこへ行くというほかない、無駄の極致でしょう。
さらに突っ込めば、無駄というだけではなく有害ですらあります。リニアは電磁石で車体を10センチほど浮上させて走行させるので、大量の電力を消費します。国交省試算でも約80万キロワット/時。1日数百万キロワット必要だという試算もあるくらいです。つまり、最低でも原発1基分の電力を確保しないとリニア新幹線は運行できないのです。当然の帰結として、「原発継続しか活路はない」(葛西敬之JR東海会長)ということになるのです。
電力消費についてさらに触れると、リニアは起動・加速時に必要とする瞬間最大電力がどの程度のものか、よく分からないということです。電力消費以外では、電磁波の身体への影響、沿線の環境破壊(南アルプスの地下深くを全長20キロ以上トンネルを掘る)、採算性はあるのか、東海道新幹線のスクラップ化につながらないか等々、問題は山積しています。
計画では2014年に着工し、27年に東京‐名古屋が開業し、45年に大阪まで到達することになっています。私たちがこんなものに乗ることはまずありませんが、どんな値段になるのか、誰が乗るのか、そう考えただけで、無駄だからやめたらと言うほかありません。それでもこの計画が止まらないのは、多くの公共事業の例にもれず、もっぱら建設そのものが目的だからなのでしょう。 (晴)
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色鉛筆 次期首相よ 命かけるなら福島の原発へ
私の勤めている保育園に5月、福島県の郡山市から一家で(母親は出産を控えていた)自主避難してきた3歳児のA君が入園した。全く知らない土地で新しい環境に戸惑い泣いていたA君も、6月頃になると笑顔が見られるようになった。ところが、毎月1回行われる避難訓練をやるたびに「こわい、こわい」と言って大泣きするA君の姿に私たちは驚き、3月11日の地震の怖さが体に染み込まれているんだなと思い、私たちも地震の恐怖をさらに感じざるを得なかった。
A君一家は放射能から子供たちを守るために郡山市から引っ越してきたが、こうした自主避難をしている人たちの中には、悩みに悩んで子供だけを疎開させ、親子、夫婦、兄弟姉妹が離ればなれになったりしている家族がいるという。原発事故によって家族がばらばらにさせられるのはおかしい。放射線量の少ない地域で家族が一緒に安心して住めることができるようにすることが責任をとることだと思う。
そして、福島県に残っている人たちも動きたくてもお金はないし、ローンもあって子供の学校や職場もあって、老人を抱えていたり等々動くにも動けない人たちも多くいる。そういう人たちも放射線量の少ない地域で安心して住めることができるようにするべきだ、 しかし、政府の対応は『自己の判断に基づいて避難して頂くのは結構ですが、国が安全だと認める所については、強制することなく留まって頂くことを施策としてやっていきます』という対応だ。何が安全だ、今まで原発は安全だと言って騙してきたのだから信じることはできない。低線量で放射能を体内に入れてしまう「内部被曝」を最小限に抑えるためには、福島県の人たちは全員移住させるべきだ。だが、放射能の恐怖におびえているのは福島県だけではなく近隣の県も同じだ。首都圏では屋外遊びが大好きな子供たちが公園での遊びが減っていたり、食品汚染は国内ばかりではなく海外にも影響を与え、放射線量が少ない地域でも食品汚染が進んでいる等様々な問題が起きていて、福島から遠く離れている私たちも人ごとではなくなってきている。一刻も早く何とかしてほしいのに政府は民主党の代表選で大騒ぎをしているが、まったくそんなことをしている場合ではない!!
「次期首相は誰でも同じ、菅首相でいいいのにねえ」「小沢一郎が『次期首相には命がけで国と党をまとめる決意が必要だ』と言っているのを聞いて頭にきた」「命かけるなら福島の原発に行って作業してくればいいのにね」「そうだよそれがいい」「そういえば芸能人は震災支援に行くけど国会議員は行かないね、料亭で会談をやるより支援に行くべきだね」と、職場で同僚たちと話した。(8月19日談)今号が発行される頃には次期首相が決まっているだろうが期待は出来ない。今、子どもを抱える母親たちは子どもへの放射能の恐怖、不安、孤立等からくるストレスで苦しんでいる。同じ母親として心が痛む。(美)
○私の方位学−北北東
洗濯物を干す時、今日は天気かな? と空を見上げる。雲が北北東に流れていれば晴れ、そして干す。経験的に晴れか雨かの判断で、北北東に雲が流れるかどうかを見て晴れとするが、根拠があるかどうかは私はわからん。ヒッチコックの映画北北東に進路をとれ≠ニいうのがあった。またしても北北東。
実践的に証明できるかどうかは自信は全くないが、一例をあげよう。電車の中で立っていなければならず体を支える支柱やつり革がない場合、電車の進行方向を北と想定し、北北東に身を開いて立つと、振れても安定することを発見。この方向を向いて立つ、つまり、北北東が日本伝来の方位学とうのがあるらしいが、全く無知。
私は私の経験から北北東が安定感をもたせるということのナゾが、とければいいなあと思う。残された時間と競争なので、頭にひらめいたことにイチイチこだわっておれない今日この頃である。ただ書きとめておくだけのこと。私の道楽の一つ。
○ある日のニュースから
かなり年とった方が原子炉内で若い人々に代わってやると積極的に申し出られ、一定の訓練を経て現実に作業に入っておられるニュース(ABC、morning bird,日付は覚えていたが、ごく最近)に接して。
若い人々に代わって命をかけて(放射能を浴びての作業)仕事をしている中高年の方々、若い人々の命をいとおしんで、身代わりになって原子炉内で働いておられる報道がありました。TVで。
私はこの方々がキリスト者かどうか、そんなことは詮索するよりも、みんなの身代わりになって十字架にかかったキリストのように思った。その行動の意味において。その根底には三島由紀夫氏の葉がくれとは死ぬことをおぼえたり≠ニいう日本人の心性が流れているかも知れない。
こういうふうに、中高年の方々の行為を評することを私は恥ずかしく思う。彼らの行為を評することを、私は恥かしく思う。彼らの行為をほまれ≠ニかヒーロー≠ニして持ち上げるのではなく、学者先生方は、この方々の安全を期する方策、研究につとめもらいたいと切に願う。 2011・7・14 大阪 宮森常子
日本の国の形とは
福島原発事故は、5ヶ月後の今になっても未だ収束するには至っていません。そんな中で日本の国の形が、如何なる物であるかを誰の目にもはっきりと示す事実が、この8月になってから浮かび上がっています。
その衝撃的な一つは、8月17日の高橋北海道知事の泊原発再稼働の道民不在の許可があります。これが地方自治体の首長がすることでしょうか。ヨーロッパでは、ドイツの政権党が原発からの撤退に路線転換し、イタリアでも国民投票で圧倒的多数で原発からの撤退に舵を切ったのに比較すると、玄海原発の再稼働が菅直人首相によって停止されたことで噴出した呆れた玄海町長と佐賀県知事の九電マネーへの癒着問題がありました。公聴会とは名ばかりの「やらせ」のし放題が薄汚れたマスコミですら暴露したのです。
高橋北海道知事も後援会長は元北電の役員だったことや北電から政治献金を受け取ってきたこと、さらに北電でも08年10月のプルサーマル計画導入に関する公聴会での「やらせ」があったと報道されています。彼女も元通産官僚で汚れた人物だったのです。
しかし何より問題なのは、原発について福島原発事故があった以降、道民の意識に変化があったかのデモクラシー政治家が必ず踏まえるべき事実に全く敵対した行動を、何の調査もなく何の良心の呵責もなく平然と行うことができるその律令官僚的な態度です。
さらにもう一つは、8月下旬に明らかになったことですが、原発事故当時は「想定外」の津波のため事故が起こったのだと言い逃れてきた東京電力が、ついに8月25日、今から3年前に福島第1原発は最大で15・7メートルの津波に襲われるとの試算結果を原子力担当役員や経営陣も知っていたにもかかわらず、無視し続けたを白状しました。この衝撃的な事実に対して、原子力安全・保安院は、単なる積算による試算結果なので、もっと早くに知らせて頂きたかったなどとまるで傍観者のような怒りなき対応をとるばかりでした。まさに彼らも律令官僚的な態度に終始するばかり。まさに国会で清水前東電社長が「今回の津波の大きさは想定できません」でしたとの発言は、全くの嘘であったことが明らかになりました。まさに彼らは支配形態、つまり律令がすべてなのです。
8月25日、西沢俊夫現東電社長も「津波の源が分からないので、影響が把握できなかった。仕方がなかったという思いはある」と述べつつも責任問題には一切触れなかったのです。彼らにあっては、主客転倒しており、「国民」は自分等のためにいるのです。
日本の国会は、責任を果たすべき地位の人達に対してはきっちりと責任追及する場でなければならないとのデモクラシーの精神を全く理解していない国会議員達を何と数多く抱え込んでいるのでしょうか。国会議員は、律令官僚を封じ込め、自分と手足として使いこなす能力と意思とを持っていなければならないのです。まさにこのデモクラシーの基本の第一歩から、私達は闘いを開始していかなければならないと思うこの頃です。(稲渕)
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第六六回広島原爆忌に参加して
八月六日の原爆忌に参加しようと思い立った。原発による未曾有の放射能被曝と原爆による被爆の惨禍の結び目を確かめたくて。
午前7時半、原爆ドーム前で広島電鉄の路面電車を降りると、すでに人であふれかえっている。原爆ドームの下を通り、平和公園に向かうたくさんの人のうねりがある。五万人もの人々が全国から参集した。
「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」は午前八時に開式。原爆死没者名簿奉納、式辞、献花、黙祷・平和の鐘に続いて、松井一實広島市長による平和宣言。人々の後頭部ごしに演壇も見えず、じっと耳を傾ける。
「原子力発電に対する国民の信頼を根底から崩し」たと語る。その通りだ。が、「脱原発を主張する人々・・・がいます」と客観視され、「原子力管理の一層の厳格化」と並列されてしまっている。堰を切ったような人々の脱原発の願いに響くのだろうか?
ついで、放鳩に続き、こども代表による元気良い「平和の誓い」、内閣総理大臣、広島県知事、国際連合事務総長のあいさつ、ひろしま平和の歌の合唱で締めくくり、九時前に閉式となった。
福島をはじめ放射能汚染に呻吟する被災地の方々も参列していた。お偉いさんのあいさつよりも、原発に絞殺されつつある現場の思い、なぜ広島に駆けつけてきたのかという被災者の生の声こそ発せられるべきだ。
はかなきは 猛暑の広島 せみ時雨
うだるような日差しを避け、木立をぬって、平和公園を散策する。広い公園の随所で、集会、辻舌鋒、展示、音楽、紙芝居など、まるで解放区のように人々がデモンストレーションしている。長らく差別的に扱われてきた在日朝鮮人・韓国人の慰霊塔にたくさんの花束が捧げられていた。
ところで、原爆忌に先立って、一九六○年代から分裂してきた原水爆禁止運動の両者が例年のごとく大会を開いた。原水禁・連合・核禁会議の大会は脱原発を掲げず、意見の相違を露わにした。原発大政翼賛勢力の抵抗と反撃は実にしぶとい。
それと比較して、原水協の世界大会は、原発に反対の姿勢を鮮明に打ち出した。いいことだ。が、しかし、共産党系の人たちにひと言いいたい。長らく原子力の平和利用を唱道し、原発推進に荷担してきた過去の真摯な反省・総括なしに信頼は得られない、戦前から戦後への変わり身の速さと同じではないか、と。
脱原発の広範な希望と生き延びようという意志は、政治・社会の有り様総体の根本的変革を求める。いかに苦難に満ちていようともこの道を切り開くしかない。(盛夏 津村洋)
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編集あれこれ
夏休みで合併号となった前号から1ヶ月、最新の情報を届けるという新聞の使命を果たせていないという思いを抱きます。その1ヶ月で大きく情勢が変わったのは、菅首相の辞任が確定したことでした。自ら辞任を口にしながら、あれとこれはやり遂げるのだと粘る、まるで駄々っ子のようですが、最後にこだわったのが原発から自然エネルギーへの転換だったことに少しは救いがありました。
本紙前号で「単騎 突撃の功罪」として、そうした菅首相の思い付き的政治手法を批判しています。新しい方針の下で、新しい政策を実現するためには何が必要なのか、民主党政権の2年間はまさにこの点で民主党に、鳩山・菅両代表に、戦略が欠けていたことを暴露しました。
自民党は大きく括れば、資本の党だという基盤が明確です。その点、民主党は右は自民党から左は社会党までの出身議員を抱え、政権を担当したときにこれをどうまとめあげるのか、党代表となり首相の地位についた人物は、何よりこのことに思いをめぐらさなければならなかったのです。
本紙前号で「単騎≠フ無力」と指摘しているように、鳩山前首相は米軍普天間飛行場の県外・国外への移転を実現するために何をしなければならなかったのか、その自覚もなく自滅しました。米国の圧力、防衛・外務官僚の抵抗、それらを跳ね返すことなくして、沖縄に米軍基地を押し付け続けることから利益を得てきた勢力に勝つことなどできなかったのです。もっとも、死刑廃止を政治信条としてきた議員が、法務大臣になったら死刑を執行するという、節操も何もない議員ばかりではどうしようもないのですが。
菅首相の「動機不純の脱原発▲では、「強固な権益で結ばれている官僚や原子力ムラ≠ネどの利権集団」にはとてもかなわない。登山で頂上を極めるように、着実に橋頭堡を固めて前進すること。電力独占を破るために送電網を自由化する、まず東電から送電網を取り上げること、菅首相はこうしたことをほのめかしはしたけど、経済産業省も含めた抵抗を排除することさえできていません。
とはいえ、ここで私たちも手をこまねいているわけにはいきません。前号一面で呼びかけている、「様々な妨害をはねのけ脱原発社会を!」何としても実現しなければならないのです。それができないなら第2のフクシマを出現させてしまい、子どもたちの未来を完全に閉ざしてしまいます。
いま必要なことは、脱原発を願うだけではなくそうした社会の姿を手繰り寄せること、出来るところから原発に頼らないエネルギーを生み出すこと、そうした取り組みをまわりから支えることではないでしょうか。いまはまだ原子力ムラ≠ェ発信する情報が優位だけど、原発なんかなくてもこの社会は成り立つのだということを、示していければいいと思うのです。 (晴)
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