ワーカーズ448号  2011/9/15    案内へ戻る

原発推進派の巻き返しを許すな!9・19さようなら原発一〇〇万人アクションに参加しよう

 地震と津波による大きな被害に加えて、福島原発の事故が引き起こした大規模な放射能汚染が福島、東北、東日本の人々に甚大な被害と塗炭の苦しみを押しつけています。
 福島では、住み慣れたふる里から引き離され、職場や農地や漁場を奪われ、一〇万人近くの人々が落ち着いてすむ場も与えられずさ迷っています。福島原発から二〇〇キロメートル以上も離れた首都圏の東葛地域にさえホットスポットが生じ、そこに住み続けるには徹底的な除染が必要となり、日本列島の更に西の地方へと移住を検討する人々さえ出ている状況です。
 「浜岡原発を止めないと大変なことになる」と遅まきながら理解した菅直人は首相の座から引きずり下ろされ、停止中の原発の再稼働をもくろむ野田佳彦が首相になりました。野田政権は海外への原発輸出を国策として推し進めることも謳っています。
 背景には、チェルノブイリ級の原発事故を引き起こしてもなお原発推進路線にしがみつこうとする電力資本、プラントメーカー、官僚や政治家、学者・研究者やメディアなどが形成する原子力村の強い圧力があります。自民党の元防衛大臣の石場茂などは、原発建設の必要を説く論拠を補強しようと、最近では公然と「核武装の潜在的能力を示す必要」さえ語り始めています。
 マスコミ各社の世論調査を見ても明らかなように、国民の声は圧倒的に「原発依存を減らそう」です。「直ちに原発を停止しても問題なし」、「脱原発」「反原発」の声も市民権を得始めています。こうした市民の声を、更に公然と、明確に、為政者たちに突きつけていく必要があります。
 9・19の民衆の行動が成功するかどうかを、原発推進勢力は息を潜めてう窺っています。全国各地津々浦々で創意を発揮して独自の活動を組織し、そして東京明治公園に結集して、脱原発、反原発の民衆の巨大ななうねりをつくりだしていこうではありませんか。(阿部治正)


野田新内閣 またしても増税内閣!たった2年で自民党化

 粘りに粘った菅直人首相が辞任し、野田新内閣が発足した。
 民主党代表選挙で菅直人前代表による"小沢切り"を軌道修正し、党内融和・挙党一致に舵を切った野田新内閣の発足。失態を恐れてか露出度も押さえている。
 国政の停滞や民主党の内部抗争に嫌気を指していた世論は、ともあれ顔ぶれが替わったというだけで好感したのか、滑り出しの内閣支持率は大きくV字回復した。
 が、菅直人前首相に引き続く財務相経験者からの首相就任。またしても増税路線のみが突出する内閣交代劇だった。

◆大増税内閣

 代表選では、なによりも党内基盤の安定を意図した"党内融和"や"挙党体勢"づくりを最優先させた。それに鳩山・菅両首相による劇場型のアナウンス政治との違いを演出してか、静かな滑り出しだったが、掲げた課題は菅内閣の路線を引き継ぐ震災対策と増税だ。とりわけ代表選候補者のなかで唯一増税路線を掲げた野田首相。増税への想いは菅前首相と同じと見てよい。
 その民主党の増税路線は、震災復興と原発事故賠償を賄う第三次補正予算では所得税・法人税の時限的な引き上げによる財源確保、もう一つの柱である税と社会保障の一体改革には消費税の引き上げ分を減資とする、というものだ。
 法人税の引き上げといっても、菅首相時代に決めた法人税率の引き下げを凍結するという実質的には現状維持、結局は個人を課税対象とする所得税引き上げが財源とされている。菅内閣末期に決めた原発事故補償の基本的枠組みは、東電温存で企業責任は棚上げ、株主や銀行など貸し手責任も棚上げした。やはりというか、野田新内閣でも負担は庶民に≠踏襲するものだった。
 震災復興や原発事故補償、それに社会保障の充実にはお金がかかる。それは分かるとしても、なぜ増税なのか。
 「無駄を省けば財源はいくらでも出てくる」というのが民主党マニフェストの大前提だった。それができないから増税しかない、というのが当の民主党内閣の態度であり、また主要メディアも基本的に同じ立場だ。
 政官業の癒着体勢、官僚主導の政治体制の打破というスローガンが、簡単に実現できると考えていたのか、あるいはそれができなければさっさとそのスローガンを下ろしてかまわないほど軽いものだったのか、そのことこそが問われなければならないはずなのに、だ。増税路線は、まさしく自ら掲げたスローガンの軽さを暴露し、官僚的発想の軍門に下ったことを意味する。
 無駄を省き、予算を組み替える。それが難しいのは各省庁積み上げ方式の財政の仕組み、それに予算にぶら下がっている様々な利害関係者が存在するからである。無駄を省く、予算を組み替える、というのは、そうした省庁を越えて、利害関係を断ち切って予算を組み替えることなのだ。そうしたハードルを越えて不要不急の予算をカット・先送りし、必要な場所に廻すのが政治の本来の役割なのだ。それができないなら政治の刷新を語る資格などあるはずもない。

◆どこに行った"国民生活が第一"

 思えば民主党政権が掲げたスローガンは、それ自体は当然のことであり正しいと思わせるものも多かった。米国一辺倒の外交路線からの転換、沖縄普天間基地の国外・県外移設、無駄を省いて国民生活へ,などなどだ。有権者受けする表紙を見せただけだ、中身は白紙。民主党政権の挫折の真相は、実現する理念も戦略構想もなし、推進部隊もなかった、ということなのだ。
 たとえば民主党マニフェストの目玉だった子ども手当。05年の岡田代表時代のマニフェストで月額16000円だったものを、07年の小沢代表時代のマニフェストで月額26000円に引き上げた。なぜ26000円なのか根拠らしきものは何もなかった。ただ選挙でのインパクトに欠けるというだけだった。
 高速道路の無料化についても同じだ。それまでの自民党政権が景気対策の名目で導入した休日一律1000円の割引料金制度。それに対抗するかのように原則無料化を掲げた。地方の活性化などとってつけたような根拠を掲げたが、それが省エネ社会や地球温暖化対策とどう両立するのかといった疑問には何らの回答も示せない代物だった。
 私たちが民主党政権発足当時から指摘してきたように、選挙戦術としてぶち上げたスローガンを、なんの戦略構想も、実現のための方策もないまま政権の政策としたものでしかなかった。有権者の側としても、マニフェストの個々の柱はともかく、旧来の降着した政治を抜本的に刷新するとの看板に政治刷新の期待を膨らませた。が、それも選挙で民主党を押し上げるという、いわゆる"風"を吹かせて政権の座に就いた民主党を観客席から応援していたに過ぎない。民主党の戦略構想なきマニフェスト政治と、有権者の観客席からの応援は、この二年間の民主党政権の構造的特徴となってきた。それが破綻するのは時間の問題だったという以外にない。
 こうした経緯を経て打ち出された"税と社会保障の一体改革"という名の消費税増税と,新たに加わった震災復興費と原発事故補償の財源としての所得税増税。なんのことはない、"無駄を省いて国民生活へ"という下手な一幕を見せられたあげく、舞台はぐるっと一回りして自民党政権時代の官僚的発想による増税路線に回帰しただけだった。

◆民主党改革の底の浅さ

 野田内閣は政権の意志決定システムの修正にも踏み込んでいる。官僚否定に傾斜しすぎた政治主導を修正し、本来の政治主導に軌道修正する、というのがその大義名分だ。しかし、民主党の政治主導はうまくいった場合にさえ行政主導政治しかもたらさず、民主主義の拡大とは無縁なものであることは、すでに何回も指摘してきた。
 野田首相は官僚の働きを期待するという。背景には鳩山・菅内閣で拡がった官僚との溝を修復したいとの思惑がある。その一端として2年前の民主党政権発足の際にまっさきに廃止した事務次官会議を復活させ、すでに毎週金曜日に開催することを決めている。また民主党版の経済財政諮問会議の設置構想も語り、すでに経団連にも働きかけている。
 あわせて政権の意志決定システムも修正した。鳩山・菅内閣では内閣のもとでの政策決定の一元化をめざした。その一環として党の政策調査会を廃止、国家戦略局を設置して政調会長を担当閣僚とする、等の新基軸だった。これは自民党政権のような党と内閣の二重権力と意志決定の不透明さなどの是正のためだというものだった。それをたった2年で元に戻したわけだ。
 野田内閣の発足で内閣の政策は党(政策調査会)の承認を前提するとした。また陳情などの窓口を幹事長室に一元化した。これらは要するに自民党時代の意志決定への回帰であり、小沢幹事長時代の民主党による自民党的利権構造の再編成への回帰でしかない。野田首相は、党内融和のために、自民党や小沢時代の権力構造へ回帰したわけだ。それもこれも野田内閣の権力基盤の安定のためだが、背景には民主党の族議員政党化という現実がある。
 政策課題についても同じだ。具体的に言えば、"脱原発"の曖昧さ、成長路線への執着、普天間の辺野古崎への移設踏襲などなど。どれをとっても自民党的政治への回帰だ。
 経済政策をみても、成長が先か財政再建が先か、といった自民党政権の似たような議論に終始している。が、むしろ時代は高齢化社会や低成長時代にふさわしい"身の丈にあった経済"、"経済成長からゆとりと満足感ある経済への質的変革、行政依存ではない住民自治への転換等々、より根源的な変革こそ求めているのに、だ。
 新内閣の発足ごとにV字回復する内閣支持率。新内閣に期待する気持ちも分からなくもないが、舞台の顔ぶれが変わっただけでは政治や暮らしが変わるはずもない。
 「政権に就けばみんな同じ」「いつの間にか自民党化」が民主党二年間の現実だ。労働者や庶民による"第三の道"を進む以外にない。(廣)案内へ戻る
   

シリーズ「戦後66年・日米安保60年を考える」
 ★第1回・・・「日米安保体制こそ戦後日本の新たな国体」


 今私たちは大きな歴史的転換点に立っているのではないか。
 90年代以降日本社会は下り坂の停滞期に入り、社会システムが有効に機能しない閉塞状況が深刻に進行している。そこに大地震・大津波、そして「福島原発の放射能事故」。
 原発に頼るエネルギー政策の転換が必要ではないか、根本的に日本社会の在り方を考え直す時期に来ているのではないか、と多くの人たちは考え始めていると思う。
 そこで私は、「古きを尋ねて、新しきを知る」という中国の諺に学んで。新しい未来の道を模索するために、私たちが生きてきた戦後66年の歴史を検証すること、特に戦後66年の歴史に大きな影響を与えてきた「日米安保体制」をあらためて検証することを提起したい。

豊下楢彦氏は著作「昭和天皇・マッカーサー会見」の中で、「日米安保体制こそ戦後日本の新たな国体である」と述べている。
 振り返れば、1945年8月15日の日本敗戦後、米軍という外国軍隊が「占領軍」として日本を支配し、日本の独立が認められた1951年からは「在日米軍」として戦後66年間も一貫して駐留を続けている。一つの独立国に66年間も外国軍隊がずっと駐留し続けているのである。
 今、マスコミは2001年の「9.11テロ」から10年ということで、特別番組を盛んに流している。しかし、安保条約60年の特別番組はほとんどない。
 1951年9月8日に締結された「旧安保条約」から、今年で60年となる。ご存知だと思うが、1951年のサンフランシスコ平和条約とともに結ばれた安保条約を「旧安保条約」と呼び、1960年に改定されたものが「新安保条約」と呼んでいる。
 今回は、この「旧安保条約」の締結に関しての問題点を指摘したい。
 「サンフランシスコ平和条約」は、1951年9月8日、日本を含め49ヵ国が署名。しかし、日本がもっとも被害を与えた中国は招かれていない。朝鮮(大韓民国)も日本と交戦関係になかったという理由で招かれず、インドとビルマは参加を拒否。ソ連、チェコ、ポーランドは調印を拒否した。
 吉田首相が条約にサインしたのが11時30分で、同じ日の午後5時に米陸軍第六軍司令部内のクラブハウスにおいて、「日米安全保障条約」も調印されたのである。平和条約締結と同時に日米安保条約が調印された訳で、つまり両者は一体として米国より提起された。調印後、「占領軍」という名前が「在日米軍」となっただけで、米軍が日本に駐留する実態はなんら変わらなかった。
 この「日米安保条約」の署名者を確認すると、合衆国側はアチソン長官・ダレス特使など四名が署名しているが、日本側の署名は吉田首相一人である。日本の全権は六人もいたが、署名したのは吉田首相一人で、しかも二名の人はその調印式に参加していない。
 欠席した一人はその理由を次のように述べている。
 「安保条約の締結は、時の首相吉田氏が一人で取決められたものである。全権の一人として渡米したわたくしにも相談があったが、わたくしはこれを断った。その理由は事前審議もなく、出先で簡単に決められる性質のものではない。ましてこの条約は不平等条約だ」と、その失望感を率直に述べている。
 このように、ごく一部の人にしかこの安保条約を結ぶことが知らされていなかった。この条約は、約八か月間内密に交渉を続け、条約の原文は式典の始まるわずか二時間前に新聞に発表されたので、当時の日本国民は、この安保条約が結ばれることをまったく知らされていなかった。
 日本の「形式的独立」と「日米安保条約」が、なぜセットで調印されたのか。それは、日本を形式的には独立させるが、実質的には日本を従属させていくという米国の思惑があったと言える。(富田 英司)


コラムの窓・・・「節電」で思ったこと

我が家の前にある街路灯が消灯されている。「節電」対策の一つとして、何本かある街路灯の内の一つとして消されたのである。消されてみて感じたのは、我が家の前の街路灯は本当に必要なものであったのか?である。我が家は商店と住宅が混在する町中にあり、家々の明かりでそう暗いと思えない脇道に面している。その道幅約4メートルの脇道に、約25メートルから30メートル間隔で、両側一つずつ街路灯が設置されている。幹線道路と違い車の通りも少なく、高等学校が近くにあり、通学路や散策路にもなっているので、景観や防犯上街路灯を増やしたのであろうが、消灯した街路灯に貼り付けられた「節電消灯中」のビラを見るまでは、消されていることに気付かないほどのものだったので、この場所での街路灯の数は少し多すぎではないかと思ったし、考えすぎかもしれないが?電力会社の需要喚起に乗った「安全」で「明るい」町づくり計画の過剰整備に使われているのではないかとも思ったのである。
 原発必要説には、電気の需用量が年々増え、供給源としての原発建設必要論があるが、「節電」意識が高まっている今、本当に必要な電気需要とは何か考えてみるのも良いことだと思う。
 そこで今回実施されている、東北震災と福島第1原発事故によって、原発の停止や稼働の見合わせによる電力供給の低下に伴う「15%節電」である。「国民総出」と国中で実施され、再需要期の夏場も終わり、数字的には15%以上の節電を達成したと言う。
 『街では、電気が消えたままの看板や自動販売機、ビルに入れば休止のエレベーターが目立った。オフィスではエアコンの設定温度が上がり、蛍光灯が間引かれた。製造業では、電力消費を平均化してピークを抑えるため、輪番休業で対応した会社が多いが、業態によっては苦労した企業もあったようだ。』『節電対策として就業時間を前倒しするサマータイム制を実施する企業が増えた中、「アフター4」需要を当て込んだビジネスも活況を呈した。飲食チェーンのプロント(東京都港区)は、アルコール飲料などバーメニューへの切り替えを午後4時からに1時間半前倒しし、朝は早めの出勤客に対応するために開店時間を15〜30分繰り上げた。』(毎日新聞記事より)など色々努力して、『東電は震災直後の3月時点で、今夏の最大電力を5500万キロワットと想定した。記録的猛暑だった昨年夏の消費電力ピークより約500万キロワット低い数値だが、その時点では7月末の供給力見通しを4650万キロワットと発表。「供給力が最大電力を大幅に下回る」として、節電ムードが醸成された。』『実際には、供給力は7月末までに5600万キロワットを上回り、消費のピークは4922万キロワット(8月18日)にとどまっている。同社広報は「昨年のほぼ同じ気温、湿度の時との比較で約1000万キロワットの減。節電にご協力いただいた成果が出た」と説明。』(毎日新聞記事より)この結果を受け政府は、東京電力・東北電力管内の大口需要家に対し、最大使用電力の15%削減を義務付ける電力使用制限令を7月1日に発動したが、電気需給がひっぱくする懸念が薄れたことで、当初予定(9月22日)を繰り上げて9月9日までにこの使用制限令を解除すると発表し、「節電」目標の達成を唱ったが、この結果は、「節電」の為のいろいろな努力があったものの、「そもそも電力は足りていた」「東電と経済産業省は、需要を過剰に、供給力を低く見積もることで、『原発を再稼働しないと停電が起きるぞ』という脅しを行った」と批判した環境エネルギー政策研究所飯田哲也所長の提言を証明したといえる。
 電力会社は電気を作り、電気を売るために需要を喚起し、それが過剰な購買を誘い、その過剰な需要がさらなる供給力を作り出し、さらなる需要を作り出さねばならなくなる、資本主義社会のメカニズムからくる過剰生産は、本当の意味で、我々の生活向上・安定をもたらすものなのか?
「節電」という課題の中で、押しつけられた節約で耐えるのではなく、過剰や無駄の発生源と、それを克服するためにはどうすれば良いのか、電力需給量だけではなく、社会全体的に考えていかなければならない。(光)案内へ戻る


震災・復興と、オンブズマン!

 台風12号襲来さなかの9月3・4日、長野県松本市浅間温泉において第18回全国市民オンブズマン松本大会が200名余の参加者を結集して開催された。松本はそんなに雨も降らず、原発によってゆがめられ自治をどのように取り戻すのか、報告や提案が行われた。台風は紀伊半島に大きな被害を残し去ったが、近年猛威をふるう天災には勝てない、早く逃げるしかない事を再び思い知らされる結果となった。
 一方、福島原発震災は人災であり、フクシマの再来は防ぐことができる。福島第一原発の放射能流出を止め、全ての原発を廃炉にすることである。大会宣言には、残念なことに脱原発≠ニいう言葉がないが、原発交付金の廃止が実現すれば、まさにカネの切れ目が縁の切れ目≠ニなり、原発利権に群がった勢力は消滅へと向かうだろう。
 さて、今大会の記念講演は千葉恒久弁護士による「ドイツにおけるエネルギー転換と自治体の役割」、1986年のチェルノブイリ原発事故がドイツのエネルギー政策転換の契機となったが、原発に反対するだけではなく実際に代替エネルギーによる発電を進めることの重要性が指摘された。当時、ドイツにおいては多くの国民が「再生可能エネルギーによってエネルギー需要をまかなうことは不可能」と信じ込んでいたということで、現在の日本の「原発なしでやっていけるの」という雰囲気と同じだったようだ。
 自治体が電力公社等を組織し、地域に根差した発電システムを開発し、電力供給だけではなく給湯も行う。自治体が競うようにこうした取り組みを行い、先進地が形成され等々、政官学業・マスコミの原子力ムラによるエネルギー支配の日本の実情とは、まったく逆の方向性がそこにはある。原子力エネルギーによる独占的支配に対して、市民が自主的・主体的にエネルギーを選択すること、重い課題だが実現しなければならない課題である。
 原発立地自治体の情報公開条例で請求人が「何人も」となっているのは御前崎市と柏崎市だけ、だから補助金の流れはどの様になっているのか外部から調べられない。政治倫理条例もないところが多く、玄海町の岸本町長のように実弟が原発関連工事を受注し、自身も配当を受けていても「運転再開の判断への影響はまったくない」と居直れる。9月8日、東電が国会に「事故事運転の手順書」を真っ黒に塗りつぶして提出していたことが明らかになったが、原発は本質的に情報を隠さなければ存在できないものなのである。
 その御前崎市においては、電源立地促進対策交付金、電源立地等初期対策交付金、原子力発電施設等立地地域長期発展対策交付金、原子力発電施設立地地域共生交付金、広報・安全等対策交付金、過去5年間で約95億6500万円の交付金を受け、その上に中部電力から寄付金まで受けている。さらに、表に出ないような寄付もあるという。御前崎市にとって浜岡原発は金の卵≠ナあり、だからやめられないのである。
 しかし、悪銭身につかず。こうした金は箱モノ建設とその維持費に費やされ、多くの立地自治体は原発増設やプルサーマル実施で新たな交付金獲得へとのめりこんでいる。ちなみに、河川ムラは戦前の内務省時代から現在の国土交通省まで連綿と続いている、という指摘が八ツ場ダム公金支出差止住民訴訟弁護団からあった。この国ではこうしたムラ≠フ数だけ、ムダ金が垂れ流されているのだろう。その行き着く先が、放射能垂れ流しでは救われない。
 その原子力ムラの半ば住民となっている司法の罪も重いのだが、原発再稼働禁止の訴訟も取り組まれている。これは関電に対するものだが、訴訟団は全国での提訴を、従来の裁判は原発立地でのものだったが、隣の県、隣の裁判所での提訴を呼びかけている。福島原発による放射能汚染の実態から、県境は何の意味もなく、滋賀や京都、阪神間の住民すら関電の若狭湾に林立する原発の差し止めを求める権利があるということだ。差し止めを求める法的根拠は「安全指針は失効している」という主張を中心に、予測しうる地震に耐えられない等がある。
 大会では他の多くの課題について報告があったが、ここでは原発関連に絞って紹介した。来年の大会は青森県弘前市ということで、弘前市民オンブズパーソンから参加の呼びかけがあった。弘前は遠い、飛行機になるなと思いつつ、帰途に就いた。   (折口晴夫)

 大会宣言

 2011年9月3日から4日にかけて、私たちは「震災復興と市民オンブズマン」というメインテーマを掲げ、第18回全国市民オンブズマン松本大会を開催しました。
 本年3月11日に発生した東日本大震災は市民生活に深刻な被害や影響を及ぼし、とりわけ東京電力福島第一原子力発電所の事故はいまだ解決の道筋が不透明な状況にあります。一方、これまで国は、形だけの「民主」「自主」「公開」を三原則と称して国民に宣伝し、原子力の平和利用の名の下に、地方自治体とともに原発安全キャンペーンを行ってきました。しかし、このキャンペーンの実態が、@原子力発電の経済性や必要性を過度の強調し A原子力発電に関する重要な情報を開示しないまま、政官学業の癒着による原子力発電の安全性等に関する情報操作を行うことによってなされてきたこと B電源三法を中心とした交付金等がわが国のエネルギー政策の決定をゆがめてきたこと C交付金に依存した地方自治体がハコモノづくり中心のいびつなまちづくりを進め、そこから抜け出しがたくなってきたこと などが私たちの調査や報道から明らかになっています。
 また、震災復興が被災者の希望を実現するものとなるよう、復興事業を監視することの必要性も指摘されました。
 私たちは、震災復興は被災者の視点に立って行わるべきこと、および、私たち市民が地域から代替エネルギーの選択をすることができる社会の実現を目指すことを確認し、以下の7点を大会宣言とします。

 記

第1 真に被災者の立場に立った復興事業を行うこと。
第2 すべての電力会社を独立行政法人等情報公開法の実施機関とし、エネルギー政策に関する情報公開の徹底をはかること。
第3 原子力発電所が立地し、あるいは立地が予定されている地方自治体の条例を改正し、誰もが当該地方自治体の情報公開を請求できるようにすること。
第4 電源三法を中心とした交付金を廃止し、地方自治体がこれら交付金に頼らず自主的なまちづくりが進められる制度の確立を目指すこと。
第5 首長や議員がその地位を利用し地方自治体の政策を歪めることを防止するため、すべての地方自治体が政治倫理条例を制定すること。
第6 市民が地域からエネルギーの選択を自主的・主体的に決定できるようにすること。
第7 政官学業の癒着を断ち、学術研究に携わるものは真理の探究にのみ忠実であること。

2011年9月4日  第18回全国市民オンブズマン松本大会参加者一同案内へ戻る


色鉛筆−福島の子どもたちを守り、お母さんを支えよう

 最近は、駅頭で「反原発・脱原発」を呼びかけ、署名活動やチラシ配布にと忙しい日々が続きます。そして、土・日曜日は集会やデモと休むまもなく1週間が過ぎていく。今が正念場と気合いは入るのですが、暑さの中、体力もなかなか続きません。
 そんな中、全国的な取り組みの一環として、9月11日(日)は東日本大震災から半年の節目と受けとめ、大掛かりなイベントが企画されました。海を一望する神戸メリケンパークでの開催は、天気が良く例によって暑さに負けそうでしたが、何とか日陰を探して参加を続けました。
 前日の10日(土)には、阪神集会があり、元京大原子炉実験所講師の小林圭二さんの講演を聞いてきました。高速増殖炉「もんじゅ」を、長年にわたり検証され運動を重ねてこられた実績が話の中で伺えたと思います。そして、11日は演奏あり、歌あり、出店のブースあり、パレードありと少しお祭り気分の集会となりました。
 午前11時から21時と長時間にわたっての「さよなら原発・9・11神戸アクション」は、盛りだくさんのイベントがありました。アピールタイムは、市・県会・国会議員、自然エネルギー事業者からの提言、原発現地からのアピールと、色んな立場からの発信がありました。とりわけ、福島から福岡へ避難生活を余儀なくされている宇野朗子さんのアピールは、緊急性があり是非、読者の皆さんと共有したいと思います。
 宇野朗子さんは、ハイロアクション福島原発40年実行員会のメンバーで、福島原発の廃炉と廃炉後の地域社会を考え行動していこうと昨秋結成されたグループの一員です。宇野さんは、単独でなく複数世帯の受け入れに取り組み、孤立を防ぎ新しい生活に少しでも早く馴染むようにとの思いを訴えています。そして、放射能除染を急ぐ福島県の本当の狙いは、人口の流出を防ぐために安全を装うことにあるようです。福島県民の健康を本当に思うなら、すばやい避難を呼びかけそのための受け入れ先を探すのが自治体の努めることなのです。皆さんの住んでいる自治体にも要望してみてください。
 10日の阪神集会でも、福島県から西宮市に避難している9歳の娘さんがいる女性は、福島の子どもたちの給食に汚染されたお米や牛肉が使われているらしいと知り、行動を起こしています。国会に行き、院内集会で福島のお米の安全性を問うたところ、子どもは食べる量が少ないので大人の3倍の1500ベクレルまで大丈夫と説明され、唖然としたこと。また、西宮市に要望し、放射能測定値を5台購入させて、給食の測定を約束させた、そうです。
 被災地から避難することで後ろめたさを感じ悩む人がいると、新聞などでは報道していますが、孤立を恐れず避難地から支援を模索している母親たちのたくましさに、感心しました。私たちができることは、反原発を粘りづよく街行く人に訴えていくこと、そして説得できる知識を身につけることです。それぞれの地域でがんばり、そして9月19日には東京の明治公園へ集まりましょう。私たちは、市民団体が仕立てた貸切りバスに便乗し、行く予定です。現地で合流しましょう。(恵)


読者からの手紙

○日本人の戦争のイメージについて

 8月13日(土)のNHKBSプレミアムで夜の10時から放映されたドラマ青い目の少年兵=i兵士か人間か・・日中戦争下の奇跡の物語)について。これはドラマであるが、五味川純平氏の自伝といわれる人間の条件≠ェ15日からTVで放映される。最近は戦争に関するものが多い。人間の条件≠ノしても青い目の少年兵≠ノしても、これまでの「戦争」といえば、相手を殺さなければ殺される、つまり殺しあい≠フイメージが一般民衆の間では支配的であったが、こうしたイメージをくつがえすものである。
 実話ではないかも知れないが、殺し合いのイメージを否定する人間(兵士)を希求したフィルムであるといえそうだ。私は大阪人であるせいか、かつての大阪の8連隊は滅法弱く、逃げ足早く、多くの人を殺すことで表彰され、勲章をもらうより、逃げるが勝ちとばかり、戈を交える前からさっさと逃げ出す8連隊。
 またも負けたか8連隊≠ニ敵軍からも友軍からもバカにされた大阪の8連隊は、今にして思えば積極的な意味をもつものだった。それは私の父のイメージと重なるものがある。それはまた別の機会に。
 人間の条件≠ヘ15日から連続でTVで見せてくれるが、あの人間らしさの全く無い軍隊で「人間」であり続けた人の物語。青い目の少年兵≠ヘ、ある日本の軍隊が道中で少年を拾い、部隊の一員として扱い、互いの間に信頼関係が生まれていくのを描く。負傷して片方の眼球を失ってしまった少年に、偽眼を兵隊たちが買ってやる、なんと青い目玉しかなかった。青い目をした少年兵というわけだ。
 少年は負傷する前に自分が元中国兵であったことを告白。そのことが逆に互いの絆を深めるに至ったことなど劣悪な条件の中での行軍であったが、みな人間として生きようとした様子が描かれ、これまでの戦争のイメージをくつがえすものであった。
 しかし、そんなこと現実には不可能ではないか、という疑念が起こるだろうが、現実にいま東日本で大震災にあい、幾多の苦難に見舞われながら歩んでいる人々、支援する人々、自分の持ち場でがんばっている人々の話を聞くと、戦争のさなかで人間であることを貫いた人の物語も現実の話であり、ありえたと思えるようになった。
 以前から最低の劣悪な条件のもとで、人間足りうるかという不安はなかったといえばウソになるが、東北の人びとに関する情報に接すると、東北で生きる人々の生活に心打たれるとともに、人間は無限の可能性をもつものだと、と心強く思うし、私もそのように生きたいものと願う次第である。
 最後に戦争経験をもつ者として、やらねばならないと思うことは、なぜ私ども一般の国民が戦争に加担していった経過を明らかにしなければならないし、私どもの見過してはならない課題だと考える。
   2011・8・14 よる  宮森常子案内へ戻る


○原発
 私は計画のもと、脱原発が望ましいと思う。地方は地産地消の再生エネルギーを求めて動き出している。平和利用で絶対安全と言われた原発が、今日、かくも悲惨な状況になった。私達は過去も現在も多大な恩恵を被っている原発等、既存エネルギーの他にもある、太陽光熱、風力、水力、地熱、バイオマス等の再生エネルギーに期待したい。
 原発を段階的に撤廃し、安心で安全な方向へ政府や電力会社はベストな電力政策に移行して欲しいものだ。
 発送電分離と言って、発電−送電−配電と分離すると、自然エネルギーが広がり、競争で電気料金が安くなるそうだ。いづれも安全でクリーンなエネルギーを作って欲しい。しかし、これには政界、財界、官界の抵抗があるようだ。
 ある国では、既に原発を減らし、自然エネルギーに切り換えているニュースを見た。国民がそれぞれに選択して電力を選ぶシステムが定着している。料金は割高でも風力発電を選んだ一家の様子が報道された。未来の子ども達の為に何のためらいもないと・・・。
 原発推進派の言い分もいろいろあることであろう。しかし、今回の様な未曽有の災害に又、見舞われないとも限らない。全ての国民にかかわる大切な課題なので気長く見守りたく思います。 2011・8・31  ひかり


「再稼働反対!原発をなくそう!
9・11百万人アクション in Yokosuka 」集会をし、デモを敢行しました


 全国的に闘われた反原発百万人行動を、原子力空母の母港である横須賀において、仲間とともに果敢に闘い抜きました。
 横須賀集会は、高木仁三郎氏の薫陶を受けた瀬川嘉之氏の講演をメインに取り組まれました。演題は「内部被爆〜放射能が子どもに与える影響〜」というもので、駅頭でのビラまき等の情宣活動もあって、子ども連れの市民を含めて78名の参加者がありました。1時間を超えた講演にもかかわらず、参加者一同熱心に聞き入っていました。終了してから質問も受けたのですが、自分の生活に密接で切実な質問が出されました。
 その後デモに打って出て、横須賀中央駅〜大滝町〜在日米軍横須賀基地前〜汐入までの横須賀市のメインストリートを、反原発・反核空母の訴えをしつつ行進しました。この映像は、当日取材した岩上安身氏のIWJの神奈川2チャンネルにて、公開されていますので是非ご覧下さい。(猪瀬)

集会案内

「すべての原発、いますぐなくそう!フクシマと全国をむすぶ9・23教育労働者交流会」
日時・場所 9月23日(金)13時半〜16時半 福島県教育会館大会議室(福島市上浜町10―38)
主催者 8・5ヒロシマとフクシマをつなぐ教育労働者交流会実行委員会
内容 特別報告 福島県教組 角田政志書記長
   全国の闘いの交流 福島学校事務労働組合/宮城県教組/広島県教組/大阪市教祖/日教組奈良市/他
   翌日は、福島県から宮城県仙台までの被災現地を、海岸線沿いに北上して行く予定です。 
連絡先 090―1120―8617(二本柳)  
 

太鼓持ちのメディア

 今月初め、民主党内閣の増税路線に冷や水を浴びせるような手厳しい指摘が一部のメディアを賑わせた。埼玉県での公務員住宅の建設問題だ。9月7日の朝日新聞の『声』欄に、埼玉県朝霞市の米軍キャンプ跡地で着工された総事業費105億円の国家公務員住宅の建設を指弾する投書が掲載された。この事業は09年の"事業仕分け"でいったん凍結されたものだが、今年度予算で復活したものだった。そうした資金こそ被災者支援に回すべきではないか、という趣旨だった。
 その今年度予算を組んだのは、菅内閣で財務相だった野田現首相その人だった。9月9日の朝日新聞の『天声人語』はこの投書を取り上げ、「鳴り物入りの事業仕分けもこれしきのものらしい」とコメントせずにはいられなかった。
 その朝日新聞は、増税キャンペーンに舵を切って久しい。ことあるごとに増税の旗振り役を演じている。巨額の財政赤字や社会保障の整備などを大義名分としてはいる。が、その前提となるべき無駄の排除や不要不急の支出の先送り抜きでの増税旗振り役は、政権の太鼓持ちのそしりを免れない。その『天声人語』は指摘する。「財政危機の下、国民に復興増税を求めておいて、公僕の,公僕による公僕のための低家賃住宅では,示しがつくまい。」この言葉は、無駄を省くことはできなかったから増税以外にないとする、朝日新聞自身にこそ向けられるべきものだろう。
 同じような無駄や不要不急の支出は他にもいくらでもある。たとえば9月17日に打ち上げ予定の情報収集衛星だ。災害対策も運用目的に入っているにもかかわらず、あの大震災でもどれだけ役に立ったか公表さえしない事実上の偵察衛星。自衛隊や官邸だけが独占的に運用するでけの偵察衛星などは即刻凍結・中止すべき代物でしかない。他にも農業関係では新規の補助事業も始められている。大震災や原発震災など、まるでなかったかのようにだ。
 各省庁や部局の官僚にとって、自分たちの権力の源泉である予算を削って復興や事故補償に廻すという発想はない。他の省庁や部署でお金が必要なら、復興で財源が必要なら増税すればいい。これが官僚の発想だ。その後ろをついて行っているのが民主党政権なのだ。(廣) 案内へ戻る


編集あれこれ
 前号の1面は「推進派の巻き返しは許さない!行動で示そう!“脱原発”」との題で、9月11日から19日と続く全国的な反原発行動にワーカーズも連帯する事を明らかにした記事です。多くの会員が積極的にこれらの行動に参加しますが、読者の皆様にもこれらの行動に参加を訴えるものです。
 第2面は、「進む民主党の自民党化―どこに行った民主党の“政治主導”」で結局は野田新総理大臣誕生に至る民主党の総裁選挙の無内容さと愚劣さを、民主党の“政治主導”の空洞化の観点から批判したものです。実際にこの総裁選挙は、民主党の自民党化を象徴するものとなりました。
 第3・4面は、連載の「21世紀の世界8」で「終焉に向かう『パクス・アメリカーナ』」でした。この記事は、戦争の世紀の中で確立した「パクス・アメリカーナ」がその頂点に立ったと思われた時点から、衰退が始まった事を指摘した上で、動揺続くドル体制の現状を分析したものです。
 第5面は、「水俣展」の紹介です。今年は、福島原発事故に関連して「水俣・白河展」も開催されることを紹介しています。第6面等は、ワーカーズの8月1日号が休刊のため、インターネットで公開した「動揺深める国際通貨体制…ドル・ユーロ安…」と「敗戦から66年目の夏」の二本を再掲しています。第7面にはコラムの窓を、第8面には色鉛筆と9月19日の「さよなら原発1000万人アクション」の集会案内を掲載しています。第9面と第10面には、読者からの手紙を三本掲載しています。
 これらの記事は、ワーカーズの多彩さを特徴づけているものだと自負しています。
 これからも読者の手紙や鋭い分析と多彩な記事の掲載するために努力してしいきますので、読者の皆様の支援をよろしくお願いいたします。 (直木)案内へ戻る