ワーカーズ452号 2011/11/15
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橋下率いる大阪維新の会の独裁を許すな!
命令と服従の教育基本条例案を認めない!
現在、大阪府知事選と大阪市長選というダブル選挙が行なわれています。大阪府知事選は、大阪維新の会の松井一郎と前大阪府池田市長倉田薫の事実上の一騎打ちです。大阪市長選は、この記事を書いている段階では告示されていないので候補者が出そろっていませんが、現大阪市長の平松邦夫と前大阪知事で大阪維新の会代表の橋下徹の一騎打ちです。
今回の選挙は、何としても反動的な大阪維新の会を追い落とすことが必要です。大阪維新の会のやってきたことをみてみます。
橋下大阪府知事(当時)が率いる大阪維新の会は、6月3日大阪府議会で、学校での「日の丸」掲揚「君が代」斉唱時、教職員への起立と斉唱を義務化する条例を強硬に成立させました。橋下は「何が社会常識かは、価値判断にかかわること。意見が割れたときには、最後は公選職が決めることです。組織のルールに従えないのなら、教員を辞めてもらいます」(5月7日大阪府幹部職員への知事メール)と言っています。
そして大阪維新の会は、「教育基本条例案」として、教職員を5段階で相対評価をして2年連続で最低評価( 5%義務付け)になって研修を受けても改善しない者は免職にすると言っています。そして、「日の丸」掲揚「君が代」斉唱時、不起立職員は3回目の職務命令でクビにすると言っています。
このような命令と服従の、大阪維新の会のやり方は許せません。今回の選挙では、大阪市長選に立候補予定だった共産党推薦の候補が立候補をやめ、共産党は事実上平松の応援をしています。橋下率いる大阪維新の会の候補者を当選させないための、賢明な判断だったと思います。
大阪維新の会の対立候補である、平松や倉田もひどい政治家だと思いますが大阪維新の会よりはましです。
大阪維新の会の独裁政治にストップをかけましょう。 (河野)
問われている"労働者目線"──国論を"二分"するTPPを考える──
11月11日夜、野田首相がTPP交渉参加に向けて関係国と協議に入ることを表明した。民主党内も含め日本を二分するような論争の中でだ。
影響を受ける国内各分野の将来展望を欠いたまま、TPP交渉参加に前のめりに参加することはデメリットが大きすぎる。自民党と同じように、あるいはそれ以上に米国と財界の掌の上で踊る野田内閣を追求していきたい。
◆思惑
周知のようにTPP(環太平洋経済連携協定)は、米国の肩入れで交渉が進んでいる経済連携協定の一つだ。米国の意図は、米国抜きのアジア地域周辺国で検討されている経済連携協定に対抗し、アジア・太平洋経済圏を米国主導の経済圏に組み込むことにある。
そのTPPは基本的には自由貿易体制を推進しようとするもので、10年以内の関税ゼロが原則。その他、金融や電気通信も含むサービス、投資、公共事業の入札、知的財産などでの規制緩和など、非関税障壁を含めて21分野での共通ルールづくりをめざす包括的な協定だ。当初、シンガポールやブルネイが協議を始めたもので、15年の締結をめざす交渉参加国は、米国を含めて現時点で9カ国拡がっている。
付け加えれば、アジア太平洋地域では、これまで二国間の経済連携協定を含めて多数の協定が結ばれている。それにASEAN(東アジア諸国連合)+3や同6など、交渉途上の枠組みもある。経済連携協定はなにも米国の強い思惑で焦点に浮上したTPPだけではない。
◆対米協調
TPPについては、菅内閣時に政府として参加を検討してきた経緯があるが、野田内閣が早期の交渉参加に舵を切ったのにはいきさつがある。端的に言えば、対米関係の改善だ。むろんその背後には、成長を続けるアジア経済に関与することで利益を拡大したいという輸出企業を中心とする産業界からの要請がある。
対米関係の改善の思惑については、鳩山内閣以降の民主党政権の経緯を抜きには語れない。鳩山元首相の離米姿勢、具体的には「東アジア共同体構想」や「普天間基地の海外・国外移設」のアドバルーンだ。双方とも挫折したのは見ての通りだが、その後を受けた菅内閣は、とにもかくにも対米関係の改善に傾斜した。今回の野田内閣のTPP交渉への参加姿勢は、その流れを引き継いでいる。現に野田首相は、首相就任直後の日米首脳会談でオバマ大統領に「できるだけ早い時期に結論を出す」と約束してしまった。
一方の産業界からの要請。経済のグローバル化が進むなか、中国やインドをはじめとするアジアの発展に乗り遅れるなとばかりに企業活動の環境整備を政府に迫ってきた。というのも、日本は中国や韓国などに比べて、米国やEUを含めてアジア・太平洋地域での二国間の経済連携協定では周回遅れの失態を重ねてきたからだ。
とはいえ、交渉国に占める日米GDPの比重は9割を超えており、事実上、日米自由貿易協定だと揶揄されているTPP。たとえば自動車にかかる米国の関税は2・5%、現地生産化も進んでいるので得られるメリットはたかがしれている。TPP参加で海外の攻勢を受ける国内各分野の打撃との釣り合いや対応策を詳細に検討した形跡もない。思惑先行といわれる所以ではある。
◆弱肉強食
TPPは基本的に自由貿易主義に基づいており、当然のことながら弱肉強食の市場原理が幅をきかせる。それが貫徹すれば、当該地域全体での産業の再編成=分業化が進み、併せて過疎・過密化、すなわち発展する地域と衰退する地域が分かれる。各参加国は、比較優位の産業に偏った経済構造を強いられる。地域全体では経済規模は拡大するかもしれないが、分業が進んで偏った経済構造になり、結果的に経済的な支配・従属関係も生まれる。
日本でいえば、ごく一部の輸出企業には有利に働き、その産業は拡大するかもしれないが、労働生産性が低い産業やその部類に属する農林水産業などは衰退する。地方経済では基幹産業である農漁業の他、労働生産性が低い地場産業も衰退する。結果的に地域の購買力も縮小するなど、地域経済は収縮する。
要するに、対象地域内で強者が幅をきかせる弱肉強食の経済構造が拡がり、国家ごとの独自な国民経済は解体される。ここに市場原理システムから得られる利益と弊害があり、利害と賛否が分かれる根拠がある。
今回のTPP交渉では、景気低迷から脱出できないで輸出拡大に活路を見いだそうとしている米国の思惑が強く働いている。米国にとってTPPは拡大を続けるアジア市場を取り込む枠組みとして位置づけられている。オバマ大統領の再選を1年後に控え、米国政府はアジア・太平洋地域への輸出拡大とそれに伴う雇用の拡大に活路を求めている。当然、自分たちが利益の享受者になるとの思惑は強い。であれば当然のこととして、自国の利益に結びつく枠組みを強く迫ってくる。
再選を賭けた大統領とアジア・太平洋経済を取り込みたい米国企業の圧力は強く、対米関係改善が主な動機の日本は、結局は米国に押し切られる可能性は高い。
◆大義名分?
日本はどうか。
いうまでもなく、TPPで打撃を受ける農漁業団体などに反対論が強い。が、反対はそうした産業だけに止まらない。国内市場に依存する地場産業をはじめとして、製造業や流通・サービス産業にも反対論は拡がっている。メリットを受けられない反面、外国製品に市場を奪われる打撃が大きいからだ。
たとえば今年2月に学者や国会議員によって設立された《TPPを考える国民会議》は、「私たちは,世界の平和と繁栄のために自由な経済的取引や人間の移動がいっそう進展されるべきだと考えております。しかし、TPPが市場アクセスについて10年以内の関税撤廃を原則としているばかりでなく、サービス貿易、投資、政府調達、競争、知的財産、人の移動など幅広い分野にわたる包括的協定であって、農林漁業への甚大な影響とそれに伴う食料安全保障、美しい景観、伝統文化の維持に対する危惧や国民生活を脅かす大胆な国内改革に対する懸念を抱かざるを得ません。」と主張している。
反対論が言う大義名分、たとえば農漁業の破壊に止まらず、地方経済の破壊、国土の荒廃、社会構造の変質など、確かにその方向に進む可能性は高い。その対処策抜きのTPP参加は、たしかに弊害のほうが強いといえる。
とはいっても日本農業の閉塞状況や将来展望の欠如は深刻で、その難題を突破しない限りは日本農業の将来展望はないのも事実だ。これまで農業団体は既得権維持で凝り固まり、身を切る改革には及び腰だった。
他の反対論も、基本的には市場原理にもとづく経済体制維持の立場であり、交渉参加は弊害のほうが大きい、あるいは時期尚早だというに過ぎない。
ここは労働者としての各国共通のスタンスを打ち出すべきではないだろうか。
結論を先に言えば、自由貿易か保護主義かという二者択一ではなく、市場原理か協同原理か、という二者択一の争点だ。
◆独自の闘い
グローバル経済が国境を越えた交易で成り立っている以上、自由貿易か保護主義かをめぐって、経済構造に占める位置しだいで必ず利益を受ける側と被害を受ける側の利害は相反する。
現に産業界(輸出産業)と第一次産業、あるいは生産性が高い企業とそうでない企業、輸出産業を抱える地域と農村などの地域などで利害は対立する。それを反映して民主党も自民党も党内世論は分裂している。
それらに対して、労働者の位置は自由貿易や保護主義で直接の恩恵や利害はない。あるとすれば間接的なものだ。
たとえば輸出産業が拡大すれば、その企業やそれに連なる下請けや地域などでは、回り回って多少は処遇も良くなる。安価な生活物資が入ってくれば、その分生活も改善される。とはいえ、たとえ輸出産業が拡大しても、そのことをもって直接的に処遇が良くなるわけではない。むしろ輸出を拡大するために、賃金コストは下げられる傾向にあるし、輸出の拡大は円高などによる産業の空洞化と国内の雇用破壊を招いている。不安定雇用や低処遇労働者の増加など、まさにこのこの十数年の現実が証明しているところだ。それに第一次産業が衰退すれば、周辺地域の雇用もなくなる。国内の雇用縮小は、労働者総体の雇用や処遇にも響く。
結局は、労働者の利益は自由貿易からも保護主義からも直接得られるものではない。
むしろ市場原理の捨て石にされてきた労働者として、国境を越えた労働者の連携を追求すべきなのだ。あのニューヨークのウォール街で始まった格差是正のデモが広く世界に拡大したように、金融業界や輸出業界が巨額な利益を手にし、一部の人間に富が集中するような弱肉強食の格差社会を変えなければ、労働者の未来はない。
ニューヨークで始まったデモは、中国で拡がっている賃金など処遇改善の闘いとも根底では共通する、世界共通の労働者の闘いの一部だ。私たち日本の労働者も、自由貿易か保護主義かという市場原理の土俵上での攻防ではなく、格差社会の是正や不安定雇用の拡大阻止、雇用破壊の打破など、労働者独自の闘いを拡げていく場面ではないだろうか。
今回のTPP交渉への参加は、米国企業主導の枠組みづくりが際立ち、反対せざるを得ない。しかし、経済連携の試みはASEAN・APECの枠組みでも、またその延長線上にはFTAAP(アジア太平洋自由貿易圏)構想など、アジア太平洋地域全体でも進む趨勢にある。そのいずれの場合においても、万国共通の労働者としての独自な目標を掲げた闘いを推し進めていきたい。(廣)
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(連載)戦後66年・日米安保60年を考える 【第3回】「属国」論の紹介
第1回の「日米安保体制こそ戦後日本の新たな国体である」との見解に対して、「日米安保を新たな国体と位置付けることに疑問を持っ」との意見をいただいた。
60年も続いている日米関係をどうとらえるか?これが、この連載の課題でもある。
これまでも、「対米依存」だとか、「対米従属構造」との見解、あるいは「アメリカの何番目かの州になった」とか「アメリカの海外州だ」など、様々に論じられてきた。
私の問題提起のポイントは二つ。
一つは、1951年9月に締結された旧安保条約の成立過程に関する問題。この問題に関しては、豊下楢彦氏の著作「昭和天皇・マッカーサー会見」を参考にして、別途詳しく論じたい。
もう一つが、時代の変化と共に、日米関係も大きく変化し「日米同盟」と呼ばれるようになった今日の日米関係をどうとらえるか? そこで今回、オーストラリア国立大学名誉教授で、日本と東アジアの政治、社会問題を歴史的視点で幅広く把握しょうと研究を続けているガバン・マコ−マック氏の「属国」と言う本を紹介したい。
まず彼の結論は「日本は今や『米国の属国』であり、別の言い方をすれば、一部で言われるようにむしろ『傀儡国家』だと言っても過言ではない」と。
さらに、「このような評価はごく最近まで、極左の評論家でなければありえなかった批判だが、今日では急激な変貌に危機感を抱く著名な保守政治家や学者、官僚の口にものぼる」ようになったと指摘する。
マコーマック氏の問題意識は、世界第二の経済大国となり、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれた日本が、たった20年の間に、「格差社会」「生活保護や無保険者の増大」「自殺者3万人」「ワーキングプア」「ホームレス」など、深刻な貧困問題を抱える国になってしまった。それはなぜか?と言うところにある。
彼はその転換点として、「改革を掲げて2001年から06年まで政権を担当した小泉・安倍両首相の時代にあった」と指摘する。
小泉・安倍両政権の改革について次のように指摘する。
「田中角栄がつくりあげて後継者が固めた『日本型』土建国家を解体するとともに、その代わりに『米国型』ネオリベラリズム・民営化政策・規制緩和を導入して、自由競争を前提とする資本主義を推し進め、安保、憲法、教育基本法という三つの基本法の変更を政治目標とした。ところが7年以上にわたるこの『改革』こそが、日本に深刻な経済的苦境をもたらしたのである。」
海外ではふつう、小泉・安倍両政権の改革は「規制のない自由で正常な国になった」と、高く評価されているようだが、マコーマック氏は反対に次のようにさらに厳しく批判している。
「私は、小泉・安倍両政権の特徴は対米依存と責任回避だと考える。日米関係の核心にあるのは、冷戦期を通して米国が日本を教化した結果としての対米従属構造だが、二人の首相の『改革』はこれまで長年継続してきた対米依存の半独立国家・日本の従属をさらに深め、強化した結果、日本は質的に『属国』といってもいい状態にまで変容した。日本独自の『価値観・伝統・行動様式』を追求するどころか、そうした日本的価値を投げ捨てて米国の指示に従い、積極的に米国の戦争とネオリベラリズム型市場開放に奔走した。世界中で米国の覇権とネオリベラリズムの信用度が急落している中で、小泉・安倍両政権は献身的にブッシュのグローバル体制を支えたのである」
本書のタイトルに使用した「属国」という言葉は、故後藤田正晴・元官房長官の発言(死の前年の2003年に、日本はアメリカの属国になってしまった)から採ったという。
サブタイトルには「米国の抱擁とアジアでの孤立」と書かれている。
この意味を知るためにも、是非とも購読してほしい。(富田英司)
コラムの窓 ーー資本主義社会では避けられない財政赤字ーー
ウェッブのリアルタイム財政赤字カウンター(日本政府の抱える国および地方の債務残高(概算値)をリアルタイムで表示)を見ると1150兆6947億・・・円(国民一人当たりの借入金,政府短期証券を含む「日本全体の債務残高」は902万4352円である。)と表示されており、一千万円以下の数字は秒ごとに百数十万円単位で変化し書き留められない早さで財政赤字が膨らんでいる。こう書いている内に数字は1150億6951億になり、数分間に4億円も増えたのです。
ギリシャやイタリヤ等ユーロ圏で問題になっている財政危機。世界一の超大国アメリカも、財政赤字は拡大の一途を辿っています。アメリカは歴史的に見ても財政赤字が常に存在しており、2011年現在の累積財政赤字は明らかになっているものだけでも、すでに10兆ドル(約850兆円)を超え、まだ明確になっていない潜在的赤字を含めると、なんとその数倍、50〜60兆ドル(約4250〜5100兆円)という途方もない金額になると言われます。財政赤字は今やアメリカや日本といった先進資本主義国における病巣であり、日を追うごとに悪化の一途をだどっているのです。
経済活動の停滞=長引く不況にたいして、“有効需要”を増やすために国・政府の財政支出を増やし、何とか経済を支えようとしてきましたが、その財源は国債などの発行で得た借金であり、利息分の支払いも含め拡大する財政赤字は、先進資本主義社会では避けられないものなのです。
財政を改善するには、歳出削減、増税、インフレの三つしか手段はないとも言われています。
米国のオバマ大統領の削減案の内容は、12年かけて4兆ドル(約340兆円)削減のためにアメリカ政府が採る主な措置は■富裕層への増税。■社会保障費の削減。■国防費の削減。■裁量的支出の削減。等ですが、アメリカの財政赤字全体から見れば一部でしかなく、それだけでも削減するのに12年間かかるという案であり、かつこの案も100%実行できるとは限りません。実行段階になると、共和党や増税対象になる富裕層、あるいは社会保障対象になる層から反対が出て足踏み状態なのです。
日本でも歳出削減のために事業仕分けなどの“無駄”をなくしたりしていますが、利権がらみもあってスパットとはいっていません。また、長引く不況に対して、『財政支出によって経済を支えるのはその場しのぎの「痛み止め」のようなもので、明るい未来を目指して日本の経済社会を根本から建て直すには、市場における様々な制限を取り除いたり、条件をゆるめる規制緩和により、企業が自由な活動を行い易くし、新たな市場をつくることで儲かる分野、企業に、もっと金や人が集まって、経済が大きくなる』と「経済構造改革」路線への転換を進めたが、結果、企業は派遣や契約社員の採用など労働者を自由に使う権利を得て、低賃金体制とより不安定な雇用関係を作り出し、富める者は富・貧富の格差拡大など、ますます混沌とした時代へと進んでいるのです。
日本の財政赤字に対して、「日本は経常収支が黒字であり、国内の貯蓄だけで財政赤字をまかなって、さらにお釣りが出る程だ」と日本の強さを語る人々もいますが、経常収支黒字も、少子・高齢化や低賃金化が進めば家計貯蓄率が低下し無くなってしまい、国内の資金だけではまかなえなくなる恐れも出てくると言うことであり、絶対的なものとは言えないのです。
インフレは、経済活動や国民生活を混乱に陥れることになり、そこで登場してくるのは増税です。
野田首相は先のG20で消費税の引き上げを謳い、復興財源の確保も含めて増税路線を推し進めて行くことを宣言しています。富裕層ばかりでなく国民全体への長期的な課税・負担増の増税案がメジロ押しです。“有効需要”で救済されている大企業は円高の影響もあり、安い労働力確保を目指し、海外へ生産拠点を移し、低労賃化と国内空洞化が進み、増税額の所得にあたえる割合は増える一方で、矛盾の連鎖は止まることを知りません。
私達は政府の増税路線に反対しつつ、根本的な解決を見いだせない資本主義経済体制の見直しとそれに変わる“共同社会”の実現に向けての活動を推し進めていきましょう。「M」
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DVD紹介「チャイナ・シンドローム(The China Syndrome)」鑑賞のお勧め
1979年3月16日、映画「「チャイナ・シンドローム」は公開された。
この映画を一躍有名にしたのは、その日から12日後の3月28日に現実に起きたスリーマイル島の原子力発電所事故のためであった。事故発生の理由がこの映画のシナリオにあまりにもソックリだったからだ。映画の題名は、当時は一般にほとんど知られてはいなかったが、「もしアメリカの原子力発電所で核燃料がメルトダウンするしたら地球を突き抜けて中国まで達する」との専門家の間でいわれていた冗談から付けられたものである。
この映画のリアリティは実に素晴らしく、同年のアカデミー賞の審査において主演男優賞、主演女優賞、美術賞、脚本賞などにノミネートされた。特に原発制御室長の苦悩と決断を体現する迫真の演技をしたジャック・レモンは、カンヌ国際映画祭のパルム・ドールでは見事に男優賞を獲得する。こうした脚本等の成功とスリーマイル島での原子力発電所の現実の事故により、大ヒットとなり興行収入は、実に5170万ドルも達したのである。
32年も前の映画なので、今ここにここで大筋を書いても許されるだろう。
主人公のキンバリーは、アメリカの地方テレビ局の女性リポーターだ。美人で歯切れよくしゃれた台詞でまとめ上げるため、日常のたわいもない“軽い”ニュースでもしっかりと視聴率を上げてきていた。しかし彼女自身は男性キャスターのように現実に切り込む“堅い”レポートを希望しており、デレビ業界の“性的分業”的な現実には不満だった。
そんな彼女にある日絶好のチャンスが訪れる。原子力発電所のドキュメンタリーの取材を担当する事になったのだ。彼女はフリーカメラマンのリチャードとともに原子力発電所の取材に赴いた。すると取材中、コントロールルームからガラス越しに制御室を見学しているまさにその時に、地震に遭遇する。
案内していた広報官は通常の事だと説明したが、その時の制御室長等のスタッフが恐怖に満ちた表情で慌ただしく行動し、そしてその後危機が去った開放感が見て取れた事で、彼女らは原子力発電所には何らかのトラブルが起こったのだと確信した。だからその場は、広報官から撮影禁止の場所と指示されていたにもかかわらず、このただならぬ状況を察知したリチャードは密かにコントロールルームの様子を撮影していた。キンバリーもその事には気づいたが撮影は制止せず撮影は続けられたのである。
制御室長でそのトラブルの当事者のゴデルは元原子力潜水艦の艦長経験を持つ人物だった。彼は原子炉内部の水位が異常に高くなりつつあるとの水位計の表示を信じて水蒸気を排気したところ、今度は別の計器が原子炉内部の水位の異常な減少を表示し始め、彼が再確認すると水位計の表示針が引っかかっており、直してみると異常なまでの低水位であった。このため核燃料棒は原子炉内部で異常なまでに水位から露出し加熱し始めていたのだ。彼は、慌てて緊急注入を指示し、まさに危機一髪のきわどさで大惨事を免れたのだ。このフィルムは、特ダネとばかりに意気込むキンバリーとリチャードではあった。
だがこの間の緊迫した状況を映したフィルムは取り上げられ、キンバリーはボスの圧力で放映を禁止される。ボスに屈服したキンバリーと放送しろと強硬に主張するリチャードとは喧嘩別れをするが、リチャードは倉庫からフィルムを盗み出して姿を消した。
そして原子力審査会の調査が開始された。ゴデル制御室長への質問は3時間半だったのに彼の部下であったスピンドラー主任技師の質疑時間は実に7時間であった。このため、彼はゴデルに代わって自分がスケープゴートにされると思い始め、今までゴデルをジャックと親しく呼び、ゴデルからテッドと呼ばれていた信頼関係は崩れてしまった。案の定、彼のミスにより発電所にトラブルが起こったものの実害は起きなかったとの報告書が作成された。事故はこの作為によって隠蔽されたが、スピンドラーは深く傷ついたのである。
上司からフィルムを取り返せと厳命されたキンバリーは、発電所の近くにあるバーでゴデルとスピンドラー夫妻と偶然に出会う。原子力発電に疑問を投げかけるキンバリーと原子力発電の必要性を訴え二重三重の安全確認がなされていると説明するゴデルは対立する。このやりとりの中でゴデルも先日のトラブル後の調査から、彼自身わき上がる疑問を押さえる事が出来なくなっていくのであった。
その時には一体何が起きたのか分からなかった二人は後日仲直りをしたが、そのフィルムを原子力の専門家ローウェル博士と原子力発電所技師に見せると、「チャイナシンドローム」だと告げられる。専門家からは核燃料棒が露出し放射能が放出される重大な事故が起きる寸前ではなかったかと告げられたのであった。
ゴデルは過去の安全審査資料を調べ直して見ると先日の事故に繋がる重大な溶接工事の手抜きを発見する。手抜き工事を黙認したこの当事者に確認するとお前の命がなくなるとまで脅迫された。今すぐ発電所を止めないと大変な事になるとゴデルは思い詰め、所長に徹底したポンプと土台のX線検査を実施せよと要求し始めるが、そのための時間と経費が無駄だと押し切られ、職場で一人孤立してしまう。そこで彼は内部告発者となり、暴露資料を手渡すが、公聴会で公開する資料を運んだリチャードの相棒は交通事故を仕掛けられて重傷を負い資料は奪われてしまった。
公聴会に出席していたキンバリーは資料を提示できない事で窮地に陥り、その打開策としてゴデルに公聴会への出席を要請する。快諾した彼は車で家を出たが、追跡する車がいる事に気づいた彼は、大胆な運転技術でその車を振り切ろうとする。このカーチェイスは、見せ場でもありまさに手に汗握る展開である。
このカーチェイスの果てに彼は何と原子力発電所へ逃げ込む。このため、彼を執拗に追跡した車は為す術なくUターンしてその場から去っていった。そしてここで映画は、そのクライマックスを迎えるのである。
ゴデルは今直ちに原子炉を停止せよというが、無視されてスピンドラーに「帰れ」とまでいわれる。そこで彼は警備員の拳銃を奪い全員を制御室から退出させるとの大胆な行動に出る。制御室を一人で占拠した彼は、原子力発電所を稼働させている事を担保に、つまり何時でも放射能を拡散できる状況にしておき、キンバリーを呼び出して原子力発電所で発生した事故隠しと現在の危険性について、マスコミで広く知らせようとする。
マスコミが結集する事で慌ただしくなる現場。そして原子力発電会社の社長と原子力発電所長は、この実況放送の阻止するために特別機動隊を出動させる。制御室に近づくためにガスバーナーでドアを焼き切る特別機動隊の動き。まさに引き込まれる緊迫感である。
ゴデルの事故の説明についての証言は始まった。証言の核心に迫るところ、所長の厳命で原子炉の緊急停止を指揮したスピンドラーの電源の切断により、放映は中断されたばかりか原子炉には異変が起こるのであった。その最中にゴデルは射殺された。
広報官と所長は、酒を飲み錯乱した職員が起こした事件で解決したと広報する厚顔ぶり。キンバリーは「彼は原子力発電所を廃止する証拠をつかんだ」のだと涙ながらに訴えて、所長とスピンドラーに強引にインタビューする。スピンドラーは重い口を開いて、「彼はヒーローだ」と断言して所長の許を去っていくのであった。
以上、詳しく映画の筋を解説した。しかし映画の本領はその表現形式にある。各俳優陣の見事な演技を是非お楽しみ頂きたい。そのためにも、この筋書きを事前にしっかりと頭に入れてからこの映画の鑑賞をするように勧めたい。
この映画には、原発の取材中に事故に遭遇し安全性に疑問を感じ始めた女性リポーターとずさんな工事による原発事故発生の不可避性に気づいた原発管理者と安全性より利益優先の経営者のそれぞれの姿が見事に描かれている。
女性リポーターは反戦活動家で反核活動家のジェーン・フォンダ、リチャードはこの映画に出た事で、反核主義者になるマイケル・ダグラスが演じて存在感を示している。
東日本大震災による原子炉の全電源停止による原発事故はまさにこの映画が予測したとおりに起こった。そして東電の破廉恥ぶりはこの映画の社長の態度である。
まさに「百聞は一見に如かず」である。
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色鉛筆−もう限界か?体力・気力
末娘が1歳半の時に郵便配達の仕事に就いた私ですが、正直言ってこんなに長く勤めるとは予想していませんでした。来年1月には末娘が成人式ですから、もう18年は過ぎていることになります。この期間、何人もの同僚が退職し、新しい人が職場にやって来ました。その度に、職場の雰囲気は新鮮になり、いい意味での緊張感も生まれました。
長い間、女性ばかりの職場で、しかも同世代? 2~3歳差が半数以上を占めるという構成なので、正直、定年退職が一度に来るのではと、心配していました。その心配が的中、昨年の秋頃から今年11月にかけて、なんと8人もの同僚が怪我や家庭の事情という理由も含め退職していきました。そんなわけで、今や職場は新旧入れ替えで、大混乱という状態です。
募集しても、なかなか人が集まらず、来ても2ヶ月ぐらいで辞めていく人が後を絶ちません。というのも、仕事の効率ばかりを見て、個人攻撃をする管理者の存在が新人にプレッシャーをかけるからです。そんな状態ですから、これまで、13区(13人で区分して配達する)で配達を区分していたのが、人数不足で10区・11区となり配達時の負担が多くなり、当然、配達時間も余分にかかります。体力と気力が、これまで以上に必要になり、嫌でも年令を意識せずにはいられません。
プレッシャーは働く者にとって、ストレスとなり体にもよくありません。それなのに、管理者は、新人研修でテストの成績が悪かったことを理由に、次回の労働契約を打ち切ると言ってきたそうです。その対象者は30代はじめの女性で、現場は人手不足なのに、なぜ相談もなく、近畿支社が判断したからという理由で、いとも簡単に辞めさせるのか。働く者にとっての労働を、普通の商品の売買のようにとらえ、使い捨てにする今の社会では、人権など空文句にすぎません。
弱い者を切り捨てる職場、その行為に対して声を上げないならば、自分自身も認めてしまうことになるのです。本来なら、時間をかけて話し合い働きやすい職場作りを目指すべきなのに、その元気もなく少々疲れ気味の私。気がつけば、買い物で出会った知人に、職場の愚痴を話し同意を求めている自分がいるのです。もっと前向きにならなければと思うのですが・・・。
大混乱のなかで、年賀に向かうわけですが、どうなることやら。無理せず、マイペースでやりましょうと、自分に言い聞かせています。どこの職場も人手不足と耳にしますが、それなら仕事を残すしかない、と割り切るしかありません。まずは健康維持を目標にしたいと思います。 (恵)
私の老いの楽しみ方
最近、肉体のコワレ方が年とともに、ひどくなっていくようだ。苦痛を超え出る喜びを、石牟礼道子さんは苦海浄土と言った。浄土は、もろもろの苦痛を超えて行く現世にある、といわれるようだ。
古くは山中鹿乃助が我に七難八苦を与えたまえ≠ニ祈ったというのも、苦海浄土≠フ思想に立つものと思われる。苦痛を超える努力というストイックな生≠ヘえてして、退屈でオモロくなくて続かず、モトのモクアミになりやすい。そこで努力を継続するための工夫がなされる。
最近、TV放送もこのような工夫・発見・発明や継続するという美徳をいかに実現したか、というものが多いようで、趣味の上でも古くは特権的なものに属していたけれど、現在は大衆化したものに変ったのも多いようだ。例えば、乗馬・ゴルフ・手芸(昔は貴族の手すさびであったようだ)が、今では生活を楽しくするものという個人的な性格を離れて、商品化されているものが多いようだ。
政治・経済の側面から現状を切り出すのではなく、生身の生活の中から生まれてその行方が政・経の動向が見てとれたらなあと思う。苦海浄土≠フ中身はこういうことだったのだ。老いは、人生バラ色だった若い時代とは、またちがった楽しみもあるものだ。それは、足もといっぱいにころがっている。何をいかにキャッチするかによって人によりさまざま、多様性とは情熱をともない、こういうことだったのだ。
そこで沖縄の方のコトバやろうと思うことをやればいい≠想起する。話は具体的にならざるを得ないし、以前は新聞の三面記事は敬遠していたが、また三面記事も新たな目でみれよう、というものだ。楽しみは書きまじ。わが行く手をさえぎるもの、壁(カベ)は何ぞ。 2011・11・4 宮森常子
[附記]次にはどんな壁があり、ぶつかるかについて、書くことにする。実践理性<Rルバンを対照しつつ。
編集あれこれ
前号の紙面は、10面とまずまずの量が集まりました。さて前号の1面は、「格差社会を撃つ グローバル資本主義に未来はない」と題して、ニューヨークのウオール街のデモについて書いています。米国の一部富裕層と低所得者・失業者の格差はすごいものあがります。米国企業の生産性はここ10年で11%上昇したが、賃金上昇はゼロに等しく失業率は16〜24歳で約18%です。こうした状況への反撃の一歩がウオール街のデモです。
2・3面は、TPPへの参加問題に揺れる農業についての記事でした。ここでは、TPPに対する反対派と賛成派と違った視点での農業の再生案です。農業の集団化と工場の併設―協同組合化という案です。確かに今の農業を再生させるためには、こうした考えが必要だと思います。
5面の待機児童がほんのわずか減少したという記事がありました。しかし、まだ2万5556人の子供が保育所に入りたくても入れない状況があります。早急に改善しなくてはなりません。
6面の千葉県流山市での放射線量の高さについて、市民や市議会議員の行動で自治体がゆっくりではあるが、対策をとるようになってきたと報告記事がありました。7面の原発事故について、きちんと責任を取らなければならない連中が責任を取らない問題についての記事がありました。
次号も多くの記事で紙面がうまるようにしたいと思います。 (河野)
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