ワーカーズ453号 2011/12/01
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庶民への大増税はお門違いだ!──企業・金持ち優遇税制の是正こそ急務──
TPP(環太平洋経済連携協定)参加の扉を開いた野田首相。今度は年明けからの通常国会での消費税引き上げを柱とする税と社会保障の一体改革≠フ実現に焦点を定めた。ここでも民主党の自民党化は覆い隠せない。
選挙時の民主党マニフェストはどうなったか。あの政治主導≠ヘ鳩山・菅両内閣を経て野田政権に至って見事に官僚(財務省)主導内閣へと舞い戻った。マニフェストの柱だった子ども手当、高速道路の無料化、農家の個別保障は、どれも撤回や後退に追い込まれた。
消費税引き上げでは、メディアも巻き込んでいくつもの詭弁が語られている。
財政破綻の阻止、現役世代負担論、社会保障の目的税、増税分はすべて社会保障の充実に当てる、政治と行政の無駄を排除する……。すべて嘘っぱちだ。
財政危機の要因は二つある。一つは小渕政権も乱発した景気対策≠セ。歴代内閣による国債乱発の大部分はゼネコンなどへのテコ入れ策だった。
二つめは、対外競争を大義名分とした法人税減税、それに富裕層を優遇した所得税の累進税率引き下げと相続税の引き下げ、それに利子・配当課税の軽減だ。これらはすべて企業と金持ちへの補助金の性格があり、それが財政危機の主たる要因になってきたのだ。マネー資本主義≠ノ課税する金融取引税の導入には、政権もメディアも言及しない。
現役世代負担論≠ヘ、こうした企業と金持ち優遇税制≠すり替える論理でしかない。
目的税≠ノついても、本来縮小すべき他の不要・不急の支出を聖域化するものだ。増税分はすべて社会保障へ≠ニいうのも単なる財政技術論、政治と行政の無駄排除≠ヘ単なるお題目に止まっている。
財政危機は、関税の原則撤廃をめざすTPPでも深まる。関税はれっきとした国税であり、撤廃で税収も少なくなる。野田内閣は農家への保障を増やすことでTPP参加をめざしているが、それも財政支出を膨らませる。いわば内外の輸出企業と農家への補助金で、財政はより悪化する。
野田内閣は、こうした企業、金持ち、輸出企業、農家への補助金の財源として、大衆課税の性格が強い消費税引き上げをもくろんでいるわけだ。
むろん、10%への引き上げを打ち出している自民党も共犯者であり、私たちは民主・自民まとめてノー≠突きつける以外にない。(廣)
いよいよ濃くなる一方のEU諸国を覆う黒雲 ― ユーロ危機を深化させる核心となるCDS
ドイツ国債の入札不調
11月23日、ドイツ政府が実施した10年物国債の入札が当初の予想に反して大変な不調となった。募集額は60億ユーロだったのに落札額は約36億5千万ユーロにすぎない。このためユーロ圏諸国の政府首脳等にEUの未来に対する危機感が高まっている。
今年のドイツ財政の赤字幅は、国内総生産(GDP)比で前年の3・3%から大幅に圧縮された1%になるとの見通しの中でのこの事態である。「このほどの不足額は珍しい」と驚いた独銀筋には、平均利回りが2%にならない低金利のために嫌われたのだとの依然強気の読みがあるものの、現実にはドイツ国債が「安全資産」との位置付けから滑り落ちつつあると見事に証明された形である。
実際、11月23日ユーロの対ドル相場下落は7週間ぶりの安値となり、資金がユーロ圏外に流出しているとの見方を裏付けている。最近まで「安全資産」を求める資金流出の多くは、ユーロ圏内のリスクの高い国から安全な国への逃避を反映していたのに。
確かにドイツ国債の発行の仕組みも入札結果に影響したようだ。同国は伝統的にプライマリーディーラー制度ではなく入札を行っている。この制度は、応札しなければにらまれるという圧力が銀行にかからない事を意味する。しかし今や欧州の銀行は出来るだけ国債保有を減らそうとしているか、少なくとも追加的な投融資を避けようとしているからだ。
入札不調の持つ意味
これを受けて、11月23日のニューヨーク株式市場は大幅に下落し、翌日の東京株式市場も連日の年初来安値を更新し続けている。日経平均株価は、2009年3月31日の8109円18銭以来、2年8ヶ月ぶりの8千円台、8965円18銭で引けた。
オーストリア通信(APA)は、欧州中央銀行(ECB)理事を務めるオーストリア中央銀行のノボトニー総裁はドイツ国債入札の結果を「警鐘」と呼んだと伝えた。またカナダのフラアティ財務相は、結果について「非常に重大な懸念」を抱いていると述べた。
現実の判断として重要な点は、欧州委員会が「ユーロ共同債」の発行を提案した時期にドイツ国債の入札が重なった事に注目しなければならない。これまでドイツ政府は一貫して「ユーロ共同債」の導入に反対してきた。なぜならこれを認めれば、他のユーロ加盟国のデフォルトのリスクを共有する事を強いられ、自国の借り入れコストが上昇するからだ。つまり今回は、事実上ドイツが他のユーロ加盟国の総債務の一部に責任を持つと実質的に約束した事になり、ユーロ経済危機の全体の構造が大幅に変わる現実性が高いのである。
この事について、ヘッジファンドのSLJマクロ・パートナーズ(ロンドン)創設者のスティーブン・ジェン氏は「ドイツが南欧あて請求書の支払いを始める事を欧州委員会が提案したその日に同国国債の入札が失敗した事は、偶然とは思えない」と述べた。またロイヤル・バンク・オブ・スコットランド欧州金利戦略部門を率いるアンドリュー・ロバーツ氏も「市場はドイツの信用の質が悪化したと受け止めている」との考えを示した。英国債を推奨する同氏は「危機が悪化すると、食事が終わった時に誰が勘定を払うのかという疑問が出始めるだろう。すべての道はドイツに通ず、だ」と譬えた。
こうして、スペインやポルトガルなど一部ユーロ圏周辺国の10年物国債の従来は存在したドイツ国債に対するプレミアムは大きく縮小したし、英国債に対するプレミアムも0・26ポイントから約4分の1の0・06ポイントにまで縮小したのである。
このようにユーロ圏の債務危機の黒雲は、ポルトガル・スペイン・イタリア等やフランスだけでなく、今や守護神のドイツを巻き込むまでに拡大しつつあり、ユーロ圏の政策担当者が早急な抜本的な解決策を打ち出す必要性がますます強まったのである。
クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)のワナ
ところでこの日、クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)市場では欧州の各国債の保証料が上昇する。ドイツなど中核国の国債でさえ保証料は上がった。イタリア、スペイン、フランスの国債保証コストは過去最高水準に上昇した。この点が重要なのだ。
今年密かにドイツ銀行は、イタリア国債に対する投融資残高を減らす事にした。だがこれは単に国債を売って減らしたのではない。国債だけでなく部分的には金融派生商品に関する信用契約で国債債務の債務不履行(デフォルト)に対する保護を買う事で投融資残高を減らした。こうしてドイツ銀行はイタリア国債への投融資残高を今年上半期に(少なくともネットベースで見た場合には)80億ユーロから10億ユーロ程にと、88%も減らせたと報告する事ができたのである。
しかしここに極めて重大なワナがある。最近、こうした国債のクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)契約が本当に債務不履行(デフォルト)に対する効果的な「保険」となるのかどうかが不確かになってきた。そしてこの事が、さらに不安をかき立てる根本的な問題提起となる。まさに今までの狐と狸の化かし合いが見事に露呈したのである。
欧州の大手銀行の債務不履行をネットではなく総量ベースで測ったら、各大手銀行はどれ位国債債務の不履行に耐えられるのか。言い換えれば、国債CDS市場の状況のせいで、ユーロ圏の銀行と債券市場を覆っている問題が悪化するのではないか、という疑問である。
この議論に火をつけたのは、言うまでもなくギリシャだ。ユーロ圏の指導者たちは10月、既存のギリシャ国債の保有高に50%の債務減免を適用した上で新しい国債と交換するよう投資家に要請すると発表した。論理的に考えれば、これらの損失は債務不履行と見なすべきである。とすれば、やはりこれはCDS契約の支払いに値する事を意味する。
金融派生商品に関する信用契約の本質は(少なくとも、近年、銀行の営業部隊が多くの投資家にCDSを売り込んだ際の謳い文句では)、投資家に債券の債務不履行のリスクに対する保険を与える事だからだ。そしてこうした契約の支払いが円滑に行われるように国際スワップ・デリバティブ協会(ISDA)が設けた充実したメカニズムが存在する。
このメカニズムは既に、社債のCDSでは70回以上発動されてきた。例えば11月11日には、先に破産申請した企業ダイナジー・ホールディングスに関して、このプロセスが発動したばかりだ。しかしギリシャ国家とダイナジー企業とは全く異なる。少なくとも、ISDAのルールの下では異なっていたのである。
国際スワップ・デリバティブ協会(ISDA)の居直り
ユーロ圏の指導者たちがギリシャ国債の再編計画を発表した時、彼らはISDAのルールが定めた「債務不履行」の細かい基準を満していなかった(もっと正確に言えば、ISDAは意図的に基準に当てはまらないようにしていた)。特に注目すべきは、標準的なISDAの国債CDS契約の支払いが行われるのは、債務再編が強制的であるか、集団行動条項(CAC)が行使された場合に限ると定めている点にある。
だがギリシャ国債の90%にはCACが盛り込まれていない。10月26日の発表は債務減免を「自発的」としていた。このため、ISDAは「すべての債務保有者が債務交換を強要されるわけではない」、ゆえにCDSは発動しないと結論づけた。ギリシャ国債で生じる損失が、当然にもダイナジーを上回る可能性が十分あるにもかかわらずにである。
デリバティブコンサルタントのジャネット・タバコリ氏らは、この一件はCDS市場がインチキで、ISDAが不誠実な行為を働いている事を暴露したとの結論づけた。しかしISDA関係者はこの見解を猛烈に否定し、責任はすべとてユーロ圏の指導者たちにあるとした。さらに彼らは次のように付け加えた。結局のところ、ギリシャ国債のCDS残高(正味の想定元本)は「たったの」37億ドルで、その一部は担保で保証されているため、(皮肉なことに)仮に10月26日の発表が実際にCDSを発動させたとしても市場にはほとんど影響しなかっただろう、と。
EU経済危機をさらに増幅させるCDS
確かにユーロ圏の金融システムに広がる混乱の規模からすれば、37億ドルは単なる誤差の範囲程度にすぎない。しかしここで極めて重大な問題は、国債CDS市場全体、そして銀行の債務がどの位のものという点にある。ユーロ圏の銀行が圏内の債務に対する債務不履行を担保するのにどれ位CDSを利用したかは全く明らかになっていない。
しかしイタリアとフランスの国債CDSの残高は400億ドルをすでに超えており、国際決済銀行(BIS)は最近、米国の銀行が取引先のユーロ圏の銀行に対し、イタリア、フランス、アイルランド、ギリシャ、ポルトガルの国債と社債について5000億ドル超に相当する保護証券を売ったと述べているのである。
今のところ、社債のリスクに対する保険の価値を疑っている人はいない。そして社債のCDSは今も比較的うまく機能しているように見える。だがギリシャの再建策を巡る論争が長引けば長引く程、各銀行が加入する国債CDSが担保となるかは大いに疑問である。
そうだとすれば、ドイツ銀行などの銀行が手持ちのユーロ圏の債券を売る努力を一層増すと見てまず間違いないところだろう。従来は各国債の債務不履行を担保する保険とされてきたCDSが、今まさにEU経済危機をさらに増幅させる契機となってきたのである。
まさに万物は移ろうのであり、ここでも弁証法が貫かれているのである。 (直木)
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沖縄通信・・・辺野古、高江、地位協定
今、沖縄は親米一辺倒の野田政権のもと、基地問題、地位協定問題、教科書問題、枯れ葉剤問題、泡瀬干潟問題などなど、課題が目白押しである。
野田政権が誕生するや否や、斎藤官房副長官を始めに、川端沖縄担当大臣、一川防衛大臣、玄葉外務大臣(もう2回も来沖している)、北澤副代表、そして前原政調会長らが次々と沖縄にやってくる。
やって来ても皆、口をそろえて、「日米合意=辺野古新基地建設」をおうむ返しのように繰り返すだけだ。
沖縄の労働組合や市民団体は、大臣の来沖のたびに県庁前で抗議行動を取り組んでいる。そして、「来ても意味ないよ〜、税金のムダ使いですよ〜、もう来るな!」と、声を上げている。
とりあえず今回は、「辺野古問題」「高江問題」「地位協定問題」について報告したい。他の問題は次回で報告する。
米国から圧力を受けた野田政権は、辺野古新基地建設を押し進めようとしている。
アセス評価書を年内に県に提出し、来年春には公有水面の埋め立て許可の申請を仲井真県知事に求める方針、もし仲井間知事が署名を拒否すれば、次は特措法の制定(現在、政府は特措法の制定は考えてないと述べているが?)をやり、国が代理署名する秘策を視野に入れている。
このような野田政権の動きに対応して、名護では基地容認派が再び推進活動を開始している。
10月26日、辺野古移設を容認する野党系市議などが主催する「北部振興推進・名護大会」が二千人以上の参加者を得て開かれた。
大会の終盤で登壇した島袋吉和前名護市長は「基地問題と経済はリンクする。リンクせずに新たな施策は出てこない」と、声を張り上げた。
大会参加を呼びかけた趣意書には「普天間移設問題」には触れず、北部振興推進のみを強調していた。参加者の一部からは「移設問題が決議に入るとは知らなかった」「ずるいやり方だ」との批判が出ている。
さらに11月5日には、中谷元自民党政調会長代理(元防衛大臣)が、超党派の議員連盟「新世紀の安全保障体制を確立する議員の会」の一員の立場で来沖した。
島袋前名護市長や野党系名護市議や辺野古の地元関係者らと面談し、「辺野古移設は国際的な約束として超党派で実現しなければならない」、そのためには「地域振興と基地をリンクしていく」と述べている。
民主党の前原政調会長は、当初は中谷氏と共に会合に参加する予定だったが、急きょ予定を変更して、5日午前に帰京した。この変な動きは憶測を呼んでいる。
前原政調会長はこれまでも何回も島袋前名護市長など基地容認派関係者と面談をしており、沖縄県民から批判が多く出ていた。
米軍普天間飛行場へのオスプレイ配備を日本政府は沖縄側の反発を恐れてずっと隠してきた。
11月15日、沖縄防衛局は高江のヘリパッド建設工事を、2月以来9ヵ月ぶりに再開した。
6ヶ所の新しいヘリパッド建設地のうち、2つがくっついているものが2ヶ所あり、それらは「オスプレイパッド」であると専門家は指摘してきた。
伊江島にも「オスプレイパッド」が準備されており、もし高江に「オスプレイパッド」が完成すれば、来年夏には普天間からオスプレイが飛び立ち、高江や伊江島にも飛んでいき、沖縄全島に大変危険なオスプレイが飛び交う状況が生まれる。
11月24日、玄葉光一郎外務大臣は記者会見し、地位協定の運用改善を発表した。
この玄葉外相の突如の発表の背景には沖縄県民の怒りをかった事件があった。
今年1月、沖縄市で成人式で帰沖していた19歳の與儀功貴君が、米軍属の男性(24歳)による交通違反事故によって死亡する事件があった。
ところが死亡事故を起こした、この米軍属男性は、日米地位協定(公務中であり、その第一次裁判権は米軍当局にある)によって、5年間の運転禁止処分ですんでしまった。
この理不尽な処分と與儀君の無念な死に対して、與儀君の高校時代の同級生たちが立ち上がって「與儀功貴君の遺族を支える会」を結成し、地位協定改定を求める署名活動を精力的に取り組んでいたのである。
多くの沖縄県民は、今回の地位協定の運用改善について「遅きに失した印象はあるが、一定の前進と評価できる。だが、普天間飛行場移設問題を抱える日本政府が、沖縄の対米感情悪化を食い止めたい思惑があるだろう。県民の怒りのガス抜きだ。あくまでも地位協定の抜本改定が筋だ」と述べている。
それは、運用改善の「日米合意のポイント」を確認すれば明らかである。
合意内容を要約すれば、「公務中の米軍属の交通事故について、『米側の好意的考慮』を前提に日本側が裁判権を行使できる枠組みがつくられた」と言うこと。
その問題点を整理すると。@対象は米軍属だけで、米軍人は除かれている。A米軍属の交通事故も、死亡事故や重大事故(生命を脅かす傷害や永続的な障害が残る場合)だけに限っている。B日本側から裁判権を行使する同意の要請があった場合、米側が「好意的な考慮」を払うとなっており、米側の裁量の余地を残したことになり、米側の都合で決められてしまう可能性があること。
このように、日本側に裁判権が認められる条件がいくつか付けられている。
沖縄県民は小手先の対応ではなく、不平等な現行の地位協定の抜本的な改定をあくまで望んでいる。
本土の側からも地位協定の抜本的な改定の声を上げていこう。(富田英司)
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コラムの窓・・「核燃サイクル」という「国家パワー」
「やらせメール」問題をめぐる九電トップの頑なな対応は、「異様」という他ない。
第三者委員会が「佐賀県の古川知事の要請が発端」と認定した報告書に対して、「知事はそう言っていなかった」「わが社の担当者が思い込みでメモを書いた」と、ひたすら知事をかばい続けている。
その意図は透けて見える。今「知事が発端だった」と認めてしまえば、県知事の辞任問題に発展するのは必至である。そうなると、ふってわいたような知事選挙となり、今の状況では、原発反対派ないしは原発慎重派の新知事が誕生する可能性がある。原発の再開はいっそう遠のいてしまう。だから世論の多少の批判は覚悟の上で、なりふりかまわず現知事を擁護せざるをえない、というわけだ。
ところが、九電が第三者委の見解を否定した「報告書」を国に提出しようとすると、今度は枝野経済産業大臣が「自浄能力の無い電力会社に原発を再開する資格はない」と、監督官庁の壁が立ちはだかる。経営陣の中からは、「すなおに第三者委員会の報告を認めないと、原発再開を国が許してくれないではないか?」と、社長を批判する声が漏れてくる。社員からも「今のトップのあり方は恥ずかしい」との嘆きが聞こえてくる。
ここまでくると、九電トップの対応の背後には、「どうやって原発を再開するか?」という現実的な「打算」を超えた、ある種の「信念」のようなものが浮かび上がってくる。「おかしいものは、おかしいと言わなきゃいかん」という社長の発言の意味は、何も「知事が言ったかどうか」というような事実問題ではなく、「とにかく原発推進は正しいことだ」という思いではないか?
その背景には、電力会社、原子炉メーカー、建設会社、立地自治体の交付金などの、巨大な利権構造があるのは確かだが、それ以上に「核燃料サイクル」の確立という「国策」があることは明らかだ。それは単なる「エネルギー政策」のレベルにとどまらない。「アメリカの核兵器の傘」のもとで、「軍事的な自立」のできない日本にとって、海外からウランを輸入しなくても、使用済み核燃料から自らプルトニウムを増殖できる「核生産の自立」を宣言できるという「国威発揚」の意味がある。
「核燃サイクル」は、「エネルギー」というよりは「国家パワー」なのだ。核燃サイクルの実現に固執する勢力にとって問題なのは、原発は安全かどうか?や、原発のコストは高いか安いか?や、原発は過疎地に雇用を生み出すか?や、原発がないと電力の安定供給ができないか?などではなく、「核の自立国家」が実現できるかどうか?なのだ。
市民にとって「核の自立」をうたう国家など、そんなものはどうでもよい、というより、まっぴらゴメンである。市民にとって求められるのは、安全なエネルギーであり、省エネ型の産業社会であり、原発がなくても雇用が確保される自治体政策であり、大規模発電に頼らなくてすむ地域分散型エネルギーの実現である。(松本誠也)
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原田芳雄を観る!
今年7月、原田芳雄が亡くなった。享年71歳。その原田芳雄の映画を、彼の死をはさんで3作品観た。全てが核をめぐる作品である。@「原子力戦争 LOST LOVE」(1978年・106分)監督黒木和夫、原作田原総一郎。A「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」(1985年・105分)監督森崎東。B「父と暮せば」(2004年・99分)監督黒木和夫、原作井上ひさし。
@とAはATG(日本アートシアターギルド)配給で、実に懐かしい名称だ。どちらも原発を正面に据え、事故隠蔽に関連した闇社会、ヤクザが絡む殺人、そして根っからのアウトロー原田芳雄の理不尽な力に対する格闘とその死、といった取り合わせである。どちらも大阪・十三の第七藝術劇場で観た。
Bは一転して父と娘の切ない内容。最近作なのでご存知の方も多いと思うが、広島の原爆を生き残った娘の背を押し、「生きろ」と励ます死んだ父を原田芳雄が演じている。こちらは地域のワンコイン(500円)の映画サロンで観た。以下、3作を紹介し、未来を閉ざす核の危険性を明らかにしたい。なお、@とBは追悼上映だった。
「原子力戦争 LOST LOVE」
田原総一郎が小説を書くのか意外だが、ドキュメンタリーノベルだそうだ。東電福島原発でロケ(いわき市小名浜オール・ロケ)を行い、実際の原発敷地入口での実写、守衛の撮影するな、不法侵入だというやり取りまで入っており、実に生々しい映像だ。
映画は海岸に男女の心中死体が打ち上げられたところから始まり、原田芳雄演じる女性のひも≠ェ心中に見せかけた殺人であることを付きとめる。殺された原発の技師が残した図面を入手した佐藤慶が演じる新聞記者が、原子力研究の権威に事故の解明を求めるが、権威は犠牲を払っても原発のエネルギーは必要なものであると答えをはぐらかす。
記者の推定では、「冷却水が漏れて炉内がカラ炊きに・・・」「燃料棒欠損でチャイナ・アクシデントに・・・」というもので、これは今回の福島原発事故そのものである。本紙前号で映画「チャイナ・シンドローム」が紹介されたが、この映画はそれよりも一足早く制作されているのだからすごい。
新聞記者は上司に取材継続を止められ、保身のためにこれに従う。原田芳雄は心中と同じように殺されて浜に捨てられ、原子力研究の権威は買収され炉心事故を握りつぶす。そして、原発のまちは再び静けさを取り戻す。ついでに紹介すると、10代の風吹ジュンが殺された女性の妹として出演している。なお、原作本はすでに復刊されていて、DVDは年内に発売される。
「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」
主演は倍賞美津子で、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を獲得している。「映画評論家・橋本勝は『原発で働く原発ジプシー≠ニ、東南アジアから日本への出稼ぎ女性じゃぱゆきさん=xという『現代日本の底によどむ問題をあぶり出す』『たいへん重要な作品』であり、『浮ついた喜劇ではない。現代日本の闇を果敢に告発している恐怖劇といった趣があります。』と評している」(ウィキペディア)
原発で被曝労働を強いられる作業員の動員には暴力団が介在していて、被曝が重なり体調を崩したりすると使い捨てになる。これは映画ということだけではなく、最先端の技術の結晶は闇社会の暴力によって支えられていたのだ。映画では、囚われていた事故で被曝した労働者と売春をさせられてた女性が逃亡を図ったが、暴力団に追われ撃たれて死ぬ。その暴力団の親分を原発労働者でヤクザの原田芳雄が撃つが、原田芳雄は子分によって殺される。
旅回りのストリッパー役の倍賞美津子は、同じように原発を渡り歩いている原田芳雄と結婚して堅気の仕事をしたいと思っていたが、それは叶わないことだった。フィリピンからのじゃぱゆきさん≠ヘ原田芳雄らが船で逃がすのだが、老船長の船の行き先はフィリピン、どうなったのかわからない。なお、この映画はチェルノブイリ原発事故の1年前にこうかいされた。
この2作品は原発の危険性と、差別や暴力によって支えられている事実を暴いている。まだ日本の原発が刃向うものを蹴散らして突き進んでいた時代背景のなかで、どのような意思によって作成されたのか感慨深いものがある。そこでATGが果たした役割があったのかと思う。20代だった私は、ATG作品を観るためによく大阪に通った。
「父と暮せば」
映画の紹介は次のように書かれている。「ヒロシマの原爆投下から3年、生き残った後ろめたさから幸せになることを拒否し苦悩の日々を送る主人公・美津江が、突如幽霊となって現れた父・竹造に励まされ、悲しみを乗り越えて未来に目を向けるまでの4日間の物語。原爆のヒロシマの悲劇を描きながらもあたたかい笑いがあり、広島弁の父娘の会話には心が和む。『最悪の状況下でも、人間は常に未来をみている』という原作者・井上ひさしの思いが描かれた感動の映画」
美津江を演じたのは宮沢りえで、原爆で友をなくし、その母親から生き残ったことを責められる。その負い目が前を向くことを拒ませていた。本当はそれだけではなく、家の下敷きになった父を残し、火事から逃げたことの罪の意識が深く心を傷つけていたのである。こうした状況は阪神大震災でも多くあったことであり、井上ひさしはこうした苦しみからの救済を望んだのではないか。
原田芳雄はここでは一転して娘の幸せを願う父として心を砕き、若かりし頃のアウトローは姿を消している。娘の心の重荷を解き、新しい一歩を踏み出したことを確認して父は姿を消す。そのとき、宮沢りえは「おとったん、ありがとありました」と父の後ろ姿に感謝の言葉をつぶやく。美しい言葉だ。
しかし、明日に向かって歩み始めた娘には、被爆による原爆症の不吉な影が付きまとう。身体に刻み込まれてしまった放射能は消えることはない。いま、新たな深刻な被曝が広がっている。未来を拓くには、この愚かさと決別しなければならない。 (折口晴夫)
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読者からの手紙
異形の日本資本主義
発覚したオリンパスと大王製紙の破廉恥事件は、日本資本主義が世界標準からは異形と見なされても仕方がない事を象徴する事件ではあると私は考えています。
オリンパスは、10余年にもわたるバブル期の膨大な損失隠し事件であり、大王製紙は会長の巨額博打による100億円強の私的流用事件です。「日本を理解している」と判断されたイギリス人が社長になり、彼が突然解任された事でこの事件が発覚したのです。また王子製紙の事件はその巨額の会社の金を動かす事に何の疑問も意見も言えない呆れた取締役会の実態を暴露しました。内部告発でしか事件は明らかにならなかったのです。
オリンパスと大王製紙は、ともに封建領主然とした思い上がりで株主資本主義の本質を忘れ、取締役会の一部と会長の独裁が事件を引き起こしており、大企業内における株主に対する「事実の隠蔽」にその本質があると考えられます。
最近中国の新幹線が脱線して事故を起こした時、高速鉄道の上層幹部の命令で事故車両を降ろし、穴に埋め証拠隠滅しようとした事を中国共産党の隠蔽体質だと日本のマスコミは大きく取り上げあげつらいましたが、日本でも同様で信じられないような事が、大企業においても平然となされていたのです。まさにこれらの会社での彼らの行為は、中国高速鉄道の幹部と似たり寄ったりだという事であります。
まさに「国に争臣なければ国滅ぶ」を地でいったものだと言わざるを得ません。私には、日本の資本主義には、上司との関係においては人格的に同等の人間関係というよりも、封建的な上下関係と呼ぶのが相応しい実態が厳然として今もある事が、これらの事件でも伺う知る事ができました。何というダメな国なのでしょうか。
つくづくと、日本労働運動はこの点を意識してこの現実を変革する中でしか発展させる事はできないのではないかと私は考えてしまいました。 (稲渕)
投稿ー福島からのたより@
3月11日PM2:46分、私はひとりで桃の芽かき作業をして脚立の上にいました。夫は梨畑、長男はりんご畑、父や母、嫁と孫は自宅と皆バラバラでした。ゆれはだんだん強くなりとても長く、畑の土手の石がガラガラと落ちてきて地面が突き上げるような感じでした。
振れがおさまって家に帰ると本棚が倒れ、かわらが2~3枚落ちていましたが、よくあれ程の地震で家が倒れなかったのか不思議なくらいですが、ここはとても地盤の固いところらしく不幸中の幸いでした。しかし落ち着いてよく見ると、家中ヒビが入っていました。すぐに家族は無事というのが確認でき一安心。
電気が止まると水道がでなくなるので、すぐになべやかまやペットボトルに、ありったけの水をくみ、わが家はガス釜なのでご飯は炊くことができました。電気がないのでろうそくの火での夕食でした。
地震の後すぐに、仙台空港で働く娘に電話をすると奇跡的に電話がつながり、無事を確認。娘はいつも海添いの道路を通勤していたのを思い出し、あの道は危険だから・・・と言うと、「お母さん、もう車は流されました」と言う。その時、目に飛び込んできたのは、岩手や石巻の空港が津波にまき込まれる映像、私たちは停電の中、車の中のテレビで見ていました。空港に2000人がとり残されるというニュース、あの中に娘がいるのに・・一体どうなるの・・・眠れませんでした。
東京の二男とも電話がつながり無事を確認。会社からバスで帰宅したとのこと。東京もかなりのパニック状態らしくその様子がテレビで報道されていましたが、毎日毎日家や車が流される映像ばかり。
石巻には夫の両親や兄夫婦、いとこもいて電話がつながらず、とても心配しました。夫の実家は浜にありましたが、チリ津波の時に家を日和山の高いところへ引っ越ししていて、幸い家は無事でしたが家族はそれぞれ出かけていて、バラバラの避難所で数日を過ごしたそうです。また聞きのまた聞きで無事を確認しました。
3月14日、娘が歩いて仙台空港を脱出するというので、私と夫と長男は名取に迎えに行きました。もうガソリンが買えない状況でした。しかし、命が助かったことに感謝した一日でした。
3月15日PM4:00、わが家にあった放射能検知器がピーピーと鳴りはじめ、止まらなくなりました。通常10〜30の値がどんどん上がり、夜には900近くなり、いつもの30〜50倍の値を示し、あっこれは大変なことが起きたなと・・・。(続く)
読者の宮森さんの紹介で、ワーカーズを通して皆さんにも伝えて欲しいということです。発信者は、福島市大笹生で果樹園を経営されているGさんです。数回に分けて報告する予定です。
購読者から
「行動的良心的知性んの集まりである貴兄達に比べ、対極の人間にとって日々がカッタルく、うっ屈。現実への積極的対抗的関わりが弱い故に、逆にチョッとしたキッカケで不満、苛立ちが噴出する。そんな自分が、およそふさわしくない貴誌を読むようになって永いが、何故、購読するか? 変革への想いはあるが、無力そのものである自分への外部からの鋭い刃として、少しは覚醒、触発への起爆にはなっている。超保守風土を揺るがし、オルタナティブへの希望を人々に植え付ける道は遠いが、ニヒリズムで甘えてはいられない。生活が苦しく、支払いが困難になりつつあります。(Y・F)
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編集あれこれ
TPPをめぐる論争、難しいですね。前号の2面にわたる「問われているのは労働者目線=vは力作でした。推進派の乗り遅れるな≠ニいう主張はいかにも胡散臭いので反対なのですが、それでは現状の農業に展望があるのかと考えてしまいます。手がかりは「自由貿易か保護主義かという二者択一ではなく、市場原理か協同原理か、という二者択一」という指摘です。
郵便配達の仕事、私は40年やって春に退職しました。今頃は日暮れが早く、郵便が多いと真っ暗になっても配達が終わらないので、今日は郵便が少なかったらいいのにと毎朝思ったものです。雨は郵便屋泣かせです。冬の雨はなおさら寒く、本当に泣きたくなることもありました。しかし、それもこれももう過ぎたこと。朝起きて雨が降っていても、日暮れが早くても、今はもう気に病むこともない、二度と郵便を配達することもないのです。少し淋しいけど、郵便屋は卒業です。
それにしても、郵便事業会社は最悪の労務管理が花盛り。アホな経営陣による失敗のツケを首切りと賃下げで乗り切ろうというのですから、郵便事業の明日は限りなく暗いと言うほかありません。
「4万人を超える非正規労働者(ゆうメイト)を雇止めした郵便事業会社(鍋倉眞一社長)の支店や集配センターで、人手不足による業務の混乱が起きていることがわかった。このままでは年賀状の配達に影響が出る恐れもある」「郵便事業会社人事部の内部資料によれば、同社は65歳以上の14110人をはじめ、合計約46000人の非正規労働者を雇止めすることで『320億円の人件費削減』を計画。9月末から、空前のクビ切り≠ェ始まった」(「週刊金曜日」11月18日号)
その年賀を45円で買いますというチケットショップの表示が、11月初めに出ていました。45円で買って48円で売るという事のようです。実需のない自社商品の購入はしないようにというのが公式見解があるようですが、職場では今でも自爆営業≠ェ強要されているのでしょう。目標達成のためには、1枚5円の損失でも年賀の自爆購入をせざるを得ないのです。誤りの上に誤りを重ね、職場は荒廃し、事業は衰退するほかないのでしょうか。
前号では映画「チャイナシンドローム」の紹介もありました。3月11日以降、原発関連映画の再上映、新作の上映、書籍も書店で平積みされるようになりました。これまで、映画そのものを観る機会があまりなかったのですが、1000円のシニア料金で平日昼間に観ることができるようになったので、原発関連だけではなくたくさん映画を観るようになりました。「チャイナシンドローム」はまだ観ていないので、機会をみつけて観ようと思います。しかし、普通に観ると1800円もするし、休日は混んでる可能性が高いし、現役の労働者は気軽に観ることはできないでしょうね。
宮森さんが石牟礼道子「苦海浄土」を紹介されていました。「苦海浄土‐わが水俣病」が刊行されたのは1969年、私が高校を卒業してフォーークリフト組立工場で働いていた頃です。社会人になってはみたものの、道に迷い、鬱々としていた時期です。「苦海浄土」をいつ読んだのか覚えていませんが、これによって社会への目を開かれことが懐かしく思い出されます。
石牟礼作品ではその後、新聞連載された「春の城」を毎朝待ち焦がれて読みました。東京に出かけたときに書店でこの本を見かけたことがあるのですが、今は「石牟礼道子全集」(第13巻)でないと手に入らないようです。映画監督の河瀬直美さんの書評は次のようなものです。
「なぜこれほど美しい魂の人々が死ななければならないのか。これは、島原の乱天草四郎の物語にとどまらない普通の百姓の物語である、との思いに至るとき、その哀しみは自分ごとのように思えて、やるせない」
前号は8ページ立てでしたが、ちょうど読みごろの分量だったでしょうか。それとも、少し読み足りなかったでしょうか。届いた原稿の料でページ数が決まるという、いかにも手作りの新聞です。読者の皆さんもぜひ原稿を寄せていただき、紙面づくりに御参加ください。 (晴)
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