ワーカーズ457号    2012/2/1  案内へ戻る
無意味なストレステスト
再稼働を許さず、すべての原発停止へ!


 ストレステストを経て原発再稼働へ! 今や原子力ムラの住人達の最後の望みがこの合言葉にかけられている。稼働中の原発があと2基となるなかで、電力各社は定期点検後の再稼働のめどかたたない原発について、ストレステストで安全のお墨付きを受け、この窮地を突破しようとしている。このままなら、2月20日に関電高浜原発3号機が定期点検入りし、3月には東電柏崎刈羽原発6号機、4月はに北海道電力泊原発3号機が同じく定期点検入りし、国内54基のすべての原発が止まることとなる。
 経産省原子力安全・保安員は関電の大飯原発3・4号機のストレステスト評価結果を妥当≠ニし、1月18日には市民の傍聴を排除して「ストレステストに関わる意見聴取会」を強行した。しかし、朝日新聞は元旦号1面で原発関係業界から「原子力安全委側に8500万円」と報じ、斑目ら御用学者の金まみれを暴露。18日の意見聴取会進行役の岡本孝司教授ら3名も汚染されており、安全チェックなどできるわけないのである。
 細野豪志原発事故担当相は「原発運転原則40年」を打ち上げたが、それは20年稼働延長、つまり60年稼働を排除しない腰砕けに終わった。一方で底知れない放射能汚染の実態が次々明らかになっている。海のホットスポットの出現、放射能汚染マンションの発覚、薪ストーブの灰からもセシウム・・・。もはや、あらゆる地域のあらゆるものの汚染を疑い、すべての汚染度を測らなければ安心できなくなった。放射能汚染と折り合いをつけなければ生きていけない、という所以である。
 冬の節電実施中の関電は、春も節電と脅している。再稼働のトップランナーになろうとしている関電は、稼働40年越えの高浜原発3号機の稼働延長をあきらめていない。「もんじゅ」も含め14基の原発が林立する福井県・若狭湾、原発震災前夜といわれる若狭湾、関電の原発再稼働を許さず、すべての原発の停止・廃炉を勝ち取ろう。 (折口晴夫)


これでいいのか、危うい《代行政治》──観客民主主義がはぐくむ英雄待望劇──

 増税一色の通常国会が始まった。同時進行するかのように与野党がぶつかる国会議事堂の床下では《ハシズム=橋下イズム》が徘徊している。民意≠ノ押し上げられた危うい政治を、まっとうな軌道に乗せる取り組みが焦眉の課題だ。

◆つばぜり合い
 1月16日、「日の丸・君が代裁判」で最高裁第一小法廷は、行き過ぎた重い処分をいさめる判決を出した。東京都による職務命令に違反した教員への処分権自体は認めたものの、減給や停職など不利益が大きい処分は慎重に判断すべきだとし、一部処分を取り消す判決だった。教育職場への国や自治体による統制を追認してきたこれまでの裁判所の判断を考えれば、争っていた教員には朗報だとはいえ一見奇異に感じる判決ともいえる。
 だがこの判決は、単に国や自治体による処分権に一定の歯止めをかけたという範囲を超えて、国の司法機関としての政治的メッセージを帯びている。要は、教育行政を一政治家の好き勝手にはさせない、というのが国家司法機関としての判断だというわけだ。
 さっそくというか、《大阪維新の会》の松井知事は、職務命令に3回違反したら免職にするという大阪府の教育・職員基本条例案を見直す、と言わざるを得なかった。
 茶の間のテレビや新聞などで話題を振りまく《ハシズム》は、司法権力とのつばぜり合いをするまでに拡がっていることになる。

◆直接統治
 その《ハシズム》、橋下徹大阪市長による教育改革の核心は単純だ。これまで政治的中立を建前として聖域扱いされてきた教育行政を、選挙で選ばれた首長が直接統治する、というものだ。
 確かに現行の教育行政は問題だらけで、日の丸・君が代にしても、選別教育にしても、おかしなところばかりだ。とはいっても《競争と選別》を露骨に教育現場に持ち込み、首長が教育現場を直接統制するという橋下流教育改革は、親や教師が連携して子ども本位の教育現場を作り上げるという観点とはまさに対極のものでしかない。
 橋下市長は、教育委員会が主導する教育現場に対して、有権者から選ばれた首長が何の発言権もないことに苛立っている。とはいうものの、現行システムの中でも首長の姿勢はある程度教育行政を動かしてきた。石原知事が日の丸・君が代で強硬姿勢を示し、教育長を通して教育現場に反映させてきた東京都の事例などをみるまでもない。
 が、その程度では橋下市長は納得しない。教育委員会や個々の教員に至るまで、首長の指揮命令下に従わさなければ気が済まない。行き着くところは、実績を上げない教委や校長、首長の指導に逆らう教員はクビだ、というわけだ。首長は有権者の信任を受けており、首長の意向はすなわち有権者の意向でもある、ということなのだろう。

◆代行政治
 橋下市長は、一方では地域主権や首相公選制などで官僚主導政治打破の役割を演じ、他方で府改革や府庁舎移転などの組織いじりや箱モノいじりで府民の耳目を集め続けてきた。そして《大阪から日本を変える》として大阪都構想を打ち出し、なびかない大阪市長を自身が乗り込んで引きづり下ろした。その他きわどい発言の連発で物議を醸し、不利と分かるや変わり身の早さも示してきた。いはば発信力や突破力を持った革命児を演じるることで、常に人々の注目を集めてきたわけだ。
 いったい橋下徹とはどんな人物なのだろうか、尋常ではない人物であるのはたしかだ。とはいえ、やはり国政をにらんだパフォーマンスの意味合いが強いとしかいいようがない。
 橋下市長がこれまでやってきたトップダウン方式での府政刷新、あるいは強権的な教育改革、地方主権と地域行政の効率化、それに普天間代替施設の受け入れ姿勢など、なんらかの政治理念に裏付けられた政策体系とは思えない。一貫しているのは権力志向で、強力な政治リーダーになるという目的意識だ。物議をかもす発言も,つねに世間の耳目を集める手段というわけだ。だから橋下政治には何かうさんくささがあると感じてはいても、反面では既成秩序の破壊者・改革者に写るのだろう。
 橋下市長が掲げる大阪都構想もその舞台装置の一つだ。なぜかといえば、大阪都構想が漠然としたイメージのレベルに止まっているのに対し、国政への参加ではすでに候補者選定に手を付けているからだ。橋下市長がめざすはずの地域主権は、すでに手段の位置に追いやられている。国政のトップをめざし、止まってはいられないという自転車操業並みのパフォーマンスを続けるわけがここにある。目的はあくまで頂点というわけだ。
 橋下市長が地方主権を掲げているといっても、それは民主主義の前進を意味しない。そもそも地方分権や地方主権という概念自体、民主主義とは別物だ。地方、地域といっても、それは地方自治体=地方政府のことで、要は中央政府と地方政府の権限分担の問題でしかない。ただ地方自治体の業務が、医療や社会保障など住民生活に直結しているので、それだけ住民に身近なものだというだけだ。現行のシステムでは、中央でも地方でも、すべて選挙による白紙委任に基づく代行政治である。住民と首長の法的関係は、基本的には国会議員や首相と住民の間でも同じだ。民主主義という観点からすれば、中央集権に対置する概念は、国民主権、住民自治という視点だろう。
 この点では橋下市長も他の首長と同じで、民意≠ニは言うものの住民自身の政治参加や住民自治とは言わない。民意≠ヘあくまで4年に一回の選挙の場面だけだ。
 こうした意味でも、橋下市長は民主党の小沢元代表と同じで、いったん選挙で選ばれれば、いったん多数を握れば後の任期で何でもやれる、という究極の代行主義でしかない。橋下市長としては、弁護士時代からの弱者蔑視の姿勢と地域主権の擁護は、何ら矛盾しないのである。

◆シグナル
 そんな橋下市長を押し上げたのはなんなのだろうか。
 よく指摘されるのは既成政党による政治の閉塞感だ。国民生活が第一∞コンクリートから人へ≠ニいうスローガンで政権の座を得た民主党。既得権を温存してきた自民党時代の政官業癒着、官僚的な中央集権政治を打破してくれるハズだった。ことろがその民主党政権、政権獲得後たった2年半で結局は自民党と何ら替わらない官僚主導政治に舞い戻ってしまった。自民党もダメ、民主党もダメ、でも橋下は何かやってくれるのではないだろうか、という構図だ。
 そのとおりだろう。が、同じ構図はあの小泉改革でも指摘されてきた。置き土産は格差社会の拡がり、出口の見えない将来不安だった。ただし、小泉改革はグローバル時代の対外戦略としての新自由主義的な性格が色濃いものだった。対して橋下イズムはサッチャーを模倣した教育改革を掲げているものの、新自由主義と権力志向が目的と手段で逆さまだ。いまは自分に都合がよい地方政治の土俵だけで派手な言動を繰り返してはいるが、国政に進出したとたんに破綻するだろう。野党だった民主党が与党として舞台に登場したとたんにひっくり返ったのと同じだ。劇場政治、観客民主主義の限界でもある。
 大阪の有権者もそれらは感じてはいるだろうに、それでも橋下旋風に期待せざるを得ないということだろうか。大阪ではかつてもタレント知事を押し上げた経験もある。地方政治のレベルだから異端でもかまわないという判断もあるだろう。そんなことをいえば、東京都の石原知事だって同じだ、ということになるが、要は時代から取り残されたと感じ、不公平感にさいなまされている層、とりわけ若者層の不安や不満が橋下市長を押し上げているのだ。現に先の大阪ダブル選挙では、これまで選挙権を行使してこなかった若者の投票率が高かった。
 それに強いリーダーの登場を期待する声は、なにも大阪だけではない。ふさわしい首相候補のアンケートでは、石原東京都知事・橋下徹・小泉純一郎が上位3人だ。
 危うい《ハシズム》。とはいえ、若者の怒りや不満には根拠がある。ただ矛先を向けるべき相手が違うし、世直しを権力に丸投げするという手法でも、勘違いや未成熟さもある。たとえば《ウォール街を占拠せよ》という米国の若者や《アラブの春》で独裁体制に立ち向かった中東の若者達と比べてもそうだ。
 とはいえ、こうした構図を一皮裏返せば、結局は私たち左派や市民派が低迷していることの反映でもある。橋下旋風は、既存体制への不満や異議申し立てをまともな闘いへと組織できない、運動化できない私たち自身への痛烈なシグナルだと受け止めるべきだろう。(廣)案内へ戻る


原発止めよう! 地域独占から電力自由化へ

除染作業を住民に押し付ける福島市!
 
 「冬の厳しい寒さの中、私たちは除染作業を独自でやるように、農協からの指示がありました。いつまでたっても、東電社員はだれ一人謝りにも来ないし、除染作業も業者まかせで、自分たちはやろうとしないからです。私たちは、東電社員よりはるかに安い賃金で除染作業をさせられています。全く余計な仕事です。畑を元どおりにしてほしいです」
 福島市で果樹園を経営されているGさんは、顧客向けのお便りで、このような悲痛な思いを発信しています。現地の農家の方がどんな状況におかれているのか、関西に住む私たちには知る手段が乏しく、一般のメディアが報じる情報が主なものになります。本来なら、原発事故の責任の所在をはっきりさせ、東京電力に除染の費用はもちろん、被災した人々の生活保障の責任を取らせるべきなのです。なぜ、政府が先頭に立って東電を追及出来ないのか? 原子力産業との黒い癒着があるから、泥沼の関係を絶つことが出来ない、むしろ何とか温存する方向で収束させようとしているのが現状です。
 私たちは、何をしなければならないのか? 何が出来るのか? 3・11から10ヵ月を経て、学習会・集会やデモを繰り返してきましたが、脱原発への道のりはまだまだ遠く、試行錯誤の日々です。そんな中、東京のある信用金庫が「脱原発」をいち早く宣言し、実践しています。その取り組みを紹介しましょう。

脱原発の近道一「東京電力」から「エネット」へ(城南信用金庫の取り組み)

 城南信用金庫は、ものづくり中小企業の多さで知られる東京都大田区など都南部を拠点とする。東日本大震災後、店舗で3割の節電に取り組み、省エネなどに設備投資する企業や住民を応援する新商品の提供で注目を集めている。そして、今度は「脱東電」を打ち出した。
 昨年12月初めに、本・支店計77点の使用電力契約を、東京電力から、自然エネルギーなどを購入・販売する新規参入の電力会社「エネット」に切り替えた。そんな簡単に切り替えできるのか? と疑問に持つ人があるかもしれないが、企業なら本当に簡単に出来ると言う。「電気料金は年間約1000万円の節減になった」と、城南信用金庫理事長の吉原毅さんは誇らしげだ。火力の燃料費増で電気料金の値上げが懸念されるが、新規事業者の安い電気を使えば変わってくる。自分たちの行動がこれを証明している。
 「失われつつあるコミニュティーの回復も地域の金融機関の役割。その点でも原発とは相いれない」と語る吉原さん。根底にあるのは「企業には、金もうけだけでなく公共的な使命がある、社会をいい方向に変えていくのが信用金庫のあり方」という信念。地場産業・農業・魚業・食品産業・自治体・メディア・・・。地域に生きる企業や団体は原発の危険性と相いれない関係にあることを、福島の現状は示している。(神戸新聞より)

電力の自由化を進めよう! 脱原発に取り組む企業・団体に支援を!

 城南信用近庫の取り組みは、私たちのこれからの行動に、ヒントと勇気を与えてくれていると思います。電力自由化が不十分な今、一般家庭は新規事業者の電気を買うことができません。けれど、原発に頼らない企業や団体が増えれば、その商品やサービスを選ぶことで自分自身の意思を示すことが出来るのです。こうした取り組みを進めていくことも、脱原発の運動へとつながって行くと思います。 (恵)


【連載 NO1】 岐路に立たされる兵営国家−−金正日の死と世界史のなかの北朝鮮

*ワーカーズホームページにトピックスとして掲載されたものですが一部加筆し今号より3回にわたって連載掲載します。
目次
  はじめに
1 帝国主義時代が生み出した金体制
2 「社会主義」ではなく国家資本主義でもない兵営国家(今号掲載)
* * * *
3 軍事経済のもとで衰亡しつつある金体制
4 北朝鮮や旧ソ連の「巨大な歴史的意義」を讃えるのか?
5 20世紀の戦争と国家、そしてスターリン体制
*      *       *     *
6 金体制は路線転換が可能か?
7 改革開放への動向    以上

●はじめに
 ブッシュ米国元大統領が、北朝鮮を「悪の枢軸」と呼んだことはあまりにも有名です。日本のマスコミも政府も北朝鮮の個人独裁体制や権力世襲を愚弄し、みくだし奇異の目で、まるでカルト・スキャンダルのごとくとりあげていもいます。なるほど金体制が、民衆抑圧的であり、危険でばかげているというのであればそのとうりです。そのうえ拉致事件や大韓航空機爆破事件(1987年)やラングーン事件(1983年)などのテロ行為や、約2年前の韓国軍艦の撃沈事件、約1年前のヨンピョン島砲撃事件など、その冒険的軍事行動も枚挙にいとまががありません。核兵器開発もなかば公然と行っています。
 金正日の死によってあらためて北朝鮮の動向が注目されています。しかし、非難ばかりが先行しても今後の動向が見えてくるわけではありません。何故このような反動的な国家が成立しまた存続しているのかという基本視点も必要でしょう。あらためて北朝鮮の体制について歴史的に考えてみましょう。

1●帝国主義時代が生み出した金体制
 米国や日本政府は、事件が起きるたびに北朝鮮を非難するとともに、国際的圧力、特に中国の北朝鮮に対する働きかけによる暴走の制止を期待しています。北朝鮮の暴挙は糾弾されるべきです。しかし、事態は楽観できません。北朝鮮の金体制は、金正日が死んだとしても臨戦態勢をとる兵営国家であることをすぐさまやめるとはおもえません。この国家体制は、経済的繁栄や国際的平和や協調ではなく、戦争か戦争につながりうる危機という情勢でこそ、国家・国民に体して金体制の正当性を主張できるのです。したがって、この国家は「国際社会の圧力」には容易に屈しないと思われます。
 ぎゃくに帝国主義・大国主義への安易な屈服は体制存立の正当性を喪失することになり、内部分裂さえ誘発する可能性があると考えられます。かくして、今後もこの体制が存続する限り、核兵器開発が継続され危険な軍事行動がくり返されると想定されるのです。
 新たな帝国主義的軍事行動を挑発する現在の北朝鮮の金体制は、北の民衆にとっても、他のアジア諸国の人民にとっても何の存立の意味も無いでしょう。しかし、このような北朝鮮の独特な体制が強固に構築された原因は、単に旧ソ連軍の過去の占領地政策や金日成の権力志向にだけ求めることはできません。むしろ日本の植民地支配や米ソ冷戦時代の産物であることを理解すべきだと思われます。北朝鮮の民衆が、日本の帝国主義支配を脱したのち新たな軍事的圧政のもとで呻吟している現実は、うちつづいた帝国主義時代の国家間対立の産物なのです。
 北朝鮮の国家成立過程(抗日武装諸集団の形成)が、日本の帝国主義侵略のまっただ中で開始されました。その後日本の敗戦とともに占領軍であるソ連軍主導の国家形成(1945年以降)が開始されました。それは「民主基地路線」と呼ばれましたが、つまりはソ連による対米戦略の基地、朝鮮統一の基地として位置づけられました。さらにスターリン=金日成による朝鮮戦争(1950〜53年)の勃発がありました。それ以後も、この国家は米軍・韓国軍ときびしく対峙してきたのでした。支援やてこ入れがあったとはいえ当時のソ連や中国(特にソ連)は、他国への侵略も辞さない帝国主義そのものでした。金体制は初期にはソ連の力で育成されたのですが、その後の北朝鮮の国家形成過程は、まさに帝国主義時代に生まれ小国家の、武装力=国家の要塞化に生き残りをかけた悲惨な歴史であったことを忘れることはできません。
 この国家は、今でも「先軍政治」を掲げ、「帝国主義との闘い」を国家存続の大儀としています。いわば、帝国主義に対する「罰」として存続しているのです。しかし、そのもとで言わずもがな、民衆は自由を奪われ強制動員と飢餓線上の悲惨な暮らしを強いられています。

2●「社会主義」ではなく国家資本主義でもない兵営国家
 北朝鮮では七二年の憲法で正式に「社会主義」を打ち出しています。しかし、それは全くのデタラメとしかいいようがありません。すくなくともマルクスの協同社会=アソシエーションに基づく社会の正反対なのが北朝鮮の現状です。人々の自主的な協同性に基づく労働ではなく、動員的な強制労働。国家官僚と軍隊による強権的な統治。「王朝、貴族」ともやゆされるようなエリート権力者と地方の飢えに苦しむ一般農民との格差等々。
 社会主義の「証明」のように語られた低価格公営住宅の提供、食料の配給制度、無料の公的医療制度などもとっくにほころびています。しかし、これらの制度は、たとえ円滑に運営された場合でも、協同社会を意味するのではなく、国民一人一人の生活維持費を低く抑え、民衆の贅沢を省き「先軍政治」(金正日)にできるだけ多くの資源と労働力を動員するための社会システムとして計画されたもので、けして「社会主義」の証にはなりません。
 北朝鮮は国家的強制や階級的搾取から解放され、人類的な協同性に基づいて成立している「社会主義」では無いことはあきらかなところです。
 さらに現代の北朝鮮は、「国家資本主義」あるいは「○○資本主」と呼べるような経済制度の水準にあるとは筆者は考えていません。すでに論じてきたように北朝鮮は、帝国主義の時代に小国として独立し、その自立と権力中枢の利益を維持するために、大衆的犠牲の下で不毛な軍事体制をなにより優先している退廃した国家社会体制であることは疑問の余地がありません。
 たとえば金正日の掲げてきた「先軍政治」とは、北朝鮮による定義によれば「軍事先行の原則により、革命と建設から生じるすべての問題を解決し、軍隊を革命の柱として社会主義の偉業全般を推し進める政治である」と彼らの基本認識を示しています。つまり、旧ソ連と基本的には同じです。
 革命権力の変質から成立したソ連国家は、帝国主義の威圧的包囲のもとで国際的には完全に孤立状態にあり(1920年台)、したがって風雲急を告げる戦争に備えるため自国民の動員と収奪のもとで、軍事経済と軍事体制を最優先に構築し、独ソ戦争=第二次世界大戦を戦い抜いたのでした。その後米国という巨大帝国との対峙=軍拡競争のなかで、準戦時体制を維持し軍産複合勢力の支配する退廃的な社会体制へと逢着したのです。私見では、これがいわゆるスターリン体制の内実であると考えています。(拙著『どこへゆく? ロシア』オリオン参照)
 たとえば旧ソ連のグラスノスチ(情報開示)時代の報道を一例だけ引いてみます。
 「ソ連の軍事産業従事者は約八百万人、アメリカは二百二十万人、軍拡のための巨額な出費が、ソ連国民の負担となっていた。・・・ソ連最高会議予算財政委員会は、この(国家予算に占める軍事費の割合)出費が49%であることを明確にした。・・西側の専門家とソ連の独立系エコノミストの意見では、、ソ連の今年の実際の軍事費は少なくとも、2000億ルーブル・・・GNPのほぼ20%にあたる。アメリカでは6.5%、日本では1%である。戦後四六年を経てもなお、ソ連は『すべてを前線のために、すべてを勝利のために!』という原則に従っている。」(『アエラ』1991年4/5号)。
 ついでにもう少し参考数字を追加しましょう。第二次大戦の最後の年(1945年)の米国の軍事費は、GNP比で38%、朝鮮戦争時が11%、ベトナム戦争ピーク時8%、レーガン大統領時代の軍拡時代ですら7%等です。旧ソ連は、ブレジネフ時代を頂点として、戦後も一貫してGNP比で20%に高止まっていたと推定されます。ゴルバチョフの側近で改革派のヤコブレフはソ連崩壊後の1993年に「工業の三分の二から四分の三が軍需である事実、それこそが(ソ連の)経済的破局の根源」(『歴史の幻影』)と語りました。
 ですから、北朝鮮・旧ソ連の例は、企業や銀行を所有しもしくは強力に管理しているという点で共通でも、韓国(7〜80年代)、中国、台湾(6〜80年代)、インド、ベトナム等のいわゆる「国家資本主義」の事例と区別されるべきなのです。前者と後者は、歴史経緯の差により国家体制と目標が異なっているのです。
 後者の国家群は、国際市場進出のため経済開発に邁進する目的で、企業や経済システムを国家が所有しまたは強力に主導したのです。国家機能の全力を挙げて「国防」「軍事体制」「軍事経済」に邁進した国家と、国家機能の主力を注いで「経済開発」「資本蓄積」に(進路を定め変え)邁進した国家とは当然に重大な区別があります。なのでこの両者を(特に中国と旧ソ連や北朝鮮を)「国家資本主義」として一つにくくることは概念の混乱となるでしょう。 以下次号掲載案内へ戻る


コラムの窓 「削れるものは削れ」それで良いのか消費税増税!

 民主党はマニフェストで「増税はしない(消費税は4年間議論すらしない)」と謳っていたが、東北大震災以降これを反故にし、野田首相は消費税増税を含む社会保障と税の一体改革の関連法案と国会議員の定数削減や国家公務員給与削減の関連法案等、今通常国会で成立させる姿勢を強く押し出している。
 社会保障と税の一体改革素案では、消費税収の使途を限定するとしており、2014年4月に消費税率を8%、翌15年10月には10%に引き上げることを柱としているが、少子高齢化から社会保障費は毎年1兆円以上の増加が見込まれるため、今後5年をめどに次の増税に向けた法整備を行うよう消費増税関連法案の付則に書き込むとし、消費税10%に止まらず、一層の税率引き上げを目指す方向も示し、岡田副総理や藤村官房長官も消費税率引き上げを柱とした社会保障・税一体改革に関し、「年金抜本改革に必要な財源は(2015年に引き上げる消費税の)10%に入っていないから、さらなる増税は当然必要になる」と述べ、10%に止まらず増税率は更に増大することを示唆している。

 野田政権は雪だるま式に膨れあがる財政危機や震災復興資金などの必要性から財源確保が急務と考え、増税路線に切り替えたのであろうが、消費税増税だけでは国民からの反発も強いと見て、消費税増税案を国会議員の定数削減や国家公務員給与削減の関連法案と並行的に出すことによりその成立を図ろうとしている。 これに対してマスコミなどは、社会保障費の「安定財源」確保や行政改革の推進を理由に、おおむね増税案は認めている。また、連合の古賀会長は野田首相との会合で「国民に負担を求めていくのだから、その分、自ら身を削る努力が必要だ」とこの増税と歳出削減案提出に賛意を示しているが、そんな単純に増税を認めていいのだろうか。
 必要以上の国会議員や官僚がおり、無駄に公費を使っていることや社会保障の財源確保が必要であることは判るが、それが財政赤字を生み財政危機を招いた本当の原因ではないのだから、削れる所を削ったからといって根本的な解決にはならないだろう。
 財政赤字の主要因は、国家と深く結びついた独占資本がその代弁者である政治家を利用し、大量に国債等をばらまき、その借金資金で公共事業・土木建設や軍事力の強化など、国家による有効需要を創出し、資本主義経済の永久的な安定と繁栄を計ろうとするからで、余分な議員や官僚はその為に置かれ、容易に減らされず温存されてきたのはその必要性を認めていたからである。
 財政赤字の根本原因は資本主義経済体制そのものにある。したがって、トカゲのシッポ切りのような国会議員の定数削減や国家公務員給与削減を多少したからと言って根本的な解決にはならないことは明らかで、“行政改革”“定数削減”や“給与削減”と言った飾り物で“消費税増税”を覆い隠し、怒りの矛先をそらそうとする桎梏な政治運営を私たちは許してはならないのです。(光)


日米軍事一体化に抗して!

 旗を立てろ! 上陸しろ! これは米軍が自衛隊に求め、自衛隊がそれに応えてきたところです。そして今、求められているのは「血を流せ!」という最後の要求です。自衛隊員はこれまで憲法9条に守られ、戦場で戦死することはありませんでした。自衛隊が普通の軍隊に変身するためには、この壁を越えなければならないのです。
 それを望む勢力は中国の軍事力強化や朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の脅威を言いたて、島嶼防衛≠ニいう名目で沖縄など南西諸島の軍事化を目指しています。しかし、中国が保有した空母は旧ソ連で23年前に建造された旧式艦で、米軍のそれには遠く及ばない国威発揚£の意味しかないものといわれています。
 敵なくして存在価値のない軍隊は、ウソを積み重ねて敵を生み出し、軍事的冒険、挑発を繰り返すものです。1月末から2月初めにかけて陸上自衛隊中部方面総監部(伊丹駐屯地)が米陸軍と共同で行う「ヤマサクラ61」は、中国と北朝鮮が攻めてくるかの想定の下、日米軍事一体化の深化を誇示するものです。
 1月22日、ようやく雨が上がり日差しに恵まれ、800名の参加者を集めて「ストップヤマサクラ61(日米共同軍事演習)大集会」が、伊丹駐屯地近くの公園で開催されました。そこから駐屯地までのデモ、そしてヒューマンチェーン行動の取り組みでした。その集会決議を紹介します。  (晴)

大集会決議
 私たちは、自衛隊とアメリカ軍の共同軍事演習‐ヤマサクラ61に反対するためにこの集会を開催し、様々な人々が今日ここに集いました。
 1月24日から2月6日までの13日間、陸上自衛隊中部方面総監部のある伊丹駐屯地で、自衛隊約4500人とアメリカ軍約1500人による、61回目の共同指揮所演習が行われます。この演習は、自衛隊とアメリカ陸軍のコンピューターネットワークとシミュレーションを使用した、実戦さながらの共同図上演習です。
 その演習の内容が、情報ネットワーク「APAN」で明らかにされました。それによると、中国と北朝鮮を想定させる国の連合軍が日本を侵略し、侵攻阻止の防御戦闘を実施する陸上自衛隊中部方面隊を、米太平洋陸軍(ハワイ)と第一軍団前方司令部(キャンプ座間)指揮下の米軍地上部隊が支援し、「侵略軍」を打破する内容です。しかも今回初めて、韓国に駐留する米軍第8陸軍司令部が、全作戦を指揮する統合任務部隊司令部となり、オーストライリア陸軍も参加します。
 この演習の目的は、アメリカ軍がアジア・太平洋地域の即応態勢強化と位置づけているとおり、「日本防衛」の枠を大きく超えて、全世界で活動するアメリカ軍部隊の訓練の場とし、アメリカが行う戦争に日本を参加させるためのものです。
 しかし、日本政府が「防衛計画の大綱」(2010年12月閣議決定)で「本格的な侵略事態が生起する可能性は低い」と述べているとおり、非現実的なシナリオです。しかも、世界の流れは、紛争の解決は「戦争」ではなく「話し合いによる平和的解決」の方向へと大きく変化し、紛争の平和的解決を進める東南アジア友好協力条約は、日本をはじめ54カ国・地域に広がり、世界人口の7割が参加する巨大な潮流となっています。
 私たちは、先の戦争の反省に立って、憲法9条で、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇・行使は国際紛争解決の手段としないこと、戦力は保持しないことを固く誓いました。私たち人類は解決すべき様々な課題を抱えていますが、その解決の根本は、憲法9条の精神を世界中に広め、平和的な外交による国際社会を実現することです。
 ここに集まった私たちは、沖縄の米軍普天間基地撤去、ヘリ基地建設反対の運動に連帯し、戦争を想定した軍事演習断固反対、ヤマサクラ61・日米共同軍事演習を中止することを強く求めます。
以上、決議します。  2012年1月22日案内へ戻る


「ホットスポット」の中から立ち上がる市民
『いまからできること!〜放射能とエネルギーのはなし』・田中優さんの講演会に800人超が参加


 1月21日(日)に、松戸市民会館ホールにて、『いまからできること!〜放射能とエネルギーのはなし〜』が開催されました。参加者はおよそ800人。子ども連れの女性たちが多かったので、子どもを加えると1000名近くの参加者で会場があふれました。
 集会の前半は「知る見るバザール」と銘打って、東葛地域(千葉県北西部)の生協、地域の農家、放射能測定を行っている団体、自給エネルギーシステムを追求しているグループ、助産師会等々の10団体が、自らの活動を紹介した様々なブース展示を行い、参加者との間で活発な交流、意見交換の輪が広がりました。
 後半は、田中優さんの講演。田中優さんは、反原発の立場で活動を続ける評論家、実践家で、未来バンク事業組合理事長、自然エネルギー推進市民フォーラム理事などをされています。
 田中さんの話は、放射能の危険性、子どもや女性たちをどう守るか、こうした問題に対する政府や電力会社の数々の嘘の暴露、日本の電力は原発がなくてもピークカットの省エネだけで十分に賄える事実、政府や電力会社は市民の電力消費を問題にするが実際には企業の電力過剰消費こそが問題であること、危険な原発を止めるには原子力村=原発マフィアに流れる資金源を絶つことが効果的であること、そしてそのための様々な具体的な提案、日本は自然エネルギーの豊かな可能性を持っていること、市民による自給・地産地消・自己コントロール可能なエネルギーの生産・消費のシステム作りの技術的条件は整っていること、すでにそうした試みは始まっていること等々、広範囲にわたり、そのそれぞれが非常に分かりやすく、かつデータに基づいた説得力のあるものでした。
 こうした催しに、松戸で800人超の参加者が得られたこと。このことは、原発がもたらした放射能汚染に対していかに多くの人々が不安と危機感を抱いているか、また脱原発の強い願いを抱いているかを、示すものでもありました。
 東葛の市民は、1950〜60年代の原水禁運動の最初の原動力となった東京杉並区の市民と同じような使命を帯びているのではないか、全国的にはまだまだ温度差のある原発事故の深刻さについての受け止め方、脱原発の必要性に対する認識の隔たり、これを埋めていくための、そして全国に脱原発の声を広げていくための、活動に率先して取り組んでいこうと、あらためて決意を固め直しています。
 私が住む流山でも、5月に市民団体が主催して、田中優さん同様に長年にわたって脱原発を強く訴え続けてきたジャーナリストの鎌田慧さんを招いての講演会が行われます。松戸市の800人に劣らない参加者に来ていただき、原発の問題点について、脱原発の可能性、その現実性について、市民の皆さんとともに学び、大いに議論を巻き起こしていきたいと思います。(流山市議会議員 阿部治正)


色鉛筆  単身女性の貧困3割強 母子世帯は57%

 国立社会保障・人口問題研究所の分析で、勤労世代(20〜64歳)の単身で暮らす女性の3人に1人が「貧困」であることが分かった。(2011/12/9朝日新聞)私は同じ女性として、心も体も酷使して働いても所得が少なく生活が苦しんでいる女性が増えていることに驚き、内容の詳細を紹介したい。
『2007年の国民生活基礎調査を基に、国立社会保障・人口問題研究所社会保障応用分析研究部の阿部彩部長が相対的貧困率を分析した結果、1人暮らしの女性世帯の貧困率は、勤労世代で32%、65歳以上では52%と過半数に及んでいることが明らかになった。また、19歳以下の子供がいる母子世帯の貧困率は57%で、女性が家計を支える世帯に貧困が集中し、貧困者全体に女性が占める割合も57%と、1995年の集計より男女格差が広がっていた。相対的貧困率とは、すべての世帯の所得デ−タを基に、1人あたりの可処分所得の上位からも下位からも50%になる中央値の半分を「貧困線」(07年調査では114万円)と定め、それより低い層に入る割合をいう』
 この数字から、女性が非正規雇用などの不安定な働き方が増え働いても収入が少ないことや、女性の貧困率が年齢と共に高くなることがわかる。非正規で働く女性は約1218万人(2010年)で、女性雇用者の54%を占め、男性は539万人で19%ということからも、女性は非正規で働くの当たり前になっている。私の女性だけの職場でも31人中、正規はたったの8人で後の23人は非正規で、私も好きで非正規になったのではなく非正規の仕事しかなかったのだ。同僚の20〜30代の独身女性たちも正規の仕事がなく非正規の仕事では自立できなく親元から通っている人がほとんどだ。同じ仕事をしながら賃金は3分の1という差別を受けているが「同一労働=同一待遇=同一賃金」で格差をなくして欲しい。どうして女性は非正規雇用になってしまったのだろう?国は税制の配偶者特別控除や年金の第3号被保険者などを導入して、妻が夫の扶養にとどまる働き方を進め、資本家も女性は安い賃金で都合のいいように女性を働かせてきた。結婚はいわば低賃金女性の「社会保障」だったが、今は男性の雇用も不安定で収入が少なく、結婚できない男女が増えている。若者たちが安心して結婚できるような雇用体制を早急に創らないとますます貧困率が上がっていくだろう。低賃金で長年働いてきた単身女性は高齢で年金だけが収入なのだが、年金の月額が4万円に満たない女性が全国で261万人(09年度末)もいるという。この事実にも驚き高齢の女性たちが社会で差別され、家庭でも男性に差別されてきたと思うと悔しい気持ちになる。
 また、働いても、働いても、稼ぎが増えない人たちがいてその割合が年々増え、母子世帯では半数を上回っているということは、紛れもない事実で、その必死に働いている女性たちが、生きづらさを感じているのも事実だ。同新聞(2011/12/13)に35歳のシングルマザ−が紹介されていたがせつなくなってしまった。『小学2年の娘と2人暮らし、元夫からの養育費が途絶え夜の街に飛び込んだ。昼から深夜まで働き続け、娘は下校すると1人でご飯を食べ、入浴して布団に入る。「ママがお仕事しないとご飯も食べられないし、遊びにも行けないよ。だからがんばろうね」と言い聞かせてきたせいか、わがままを言わなく聞き分けの良さがふびんで、思わず夜中に起こして息ができないほど抱きしめる・・・(抜粋)』母親もつらいだろうが、それ以上に子どもは傷ついている。厚生労働省が2006年に行った調査では、母子世帯は離婚や未婚の母の増加に伴い推計120万世帯に達し、この母子世帯の57%が「貧困」なのだ。母子世帯の母親の就業率は85%で、働き方は臨時、パ−ト、派遣社員などの非正規雇用で正規を上回っている。一般世帯の平均所得が約549万円、母子世帯の57%が114万円以下というのだからひどすぎる。母子世帯の母親は率先して正規にするべきだ。ワーキングプアとか、生活保護受給者というと、男性が多いこともあってか「男性の問題」というイメージが強く「女性の問題」というと、管理職が少ないとか、男女賃金格差という問題ばかりが取り上げられ、その陰で、シングルマザーたちの問題は見過ごされてきた。シングルマザ−でも安心して子育てができる社会を望みたい。(美)


「沖縄通信」(NO18)・・・年末年始の休みもない沖縄の闘い

 沖縄防衛局は米国政府との合意を押し進めるため、辺野古の環境影響評価(アセスメント)評価書を昨年末の28日早朝、闇にまぎれて強引に提出した。これに対して、沖縄県民は年末年始の休みを返上して、県庁内に座り込み、搬入阻止闘争を続けた。
 今、沖縄県民はまさに体を張って日米両政府の基地押しつけと闘っている。
 1月の沖縄の闘いと、市民グループの報告文を紹介する。(富田英司)

【沖縄1月の報告】
 ★1月9日(月)3:00〜<ちゃたんニライセンター>
  「改定せよ!日米地位協定」報告会とミニコンサートの開催。
  ・「支える会」が主催し、東京報告(玄葉外務大臣に署名73,000余筆を提出し、日米地位協定の改定を強く要求)をする。古謝美佐子さんの歌もとても良かった。
 ★1月11日(水)・12日(木)・13日(金)の3日間<那覇地裁>
  「辺野古違法アセス訴訟」の専門家証人と原告本人尋問。
  ・アセス法の専門家やジュゴンやサンゴなどの自然保護専門家の証言を聞いて、防衛省のアセスがいかにデタラメかが良くわかった。「最初に建設ありき」の評価書。
 ★1月14日(土)4:00〜<伊波洋一氏の選挙事務所開き>
  ・前市長の病気辞任に伴う宜野湾市長選に、急きょ立候補を決意した伊波洋一氏の選挙事務所開きがあり、実質的な選挙戦がスタートする。
 ★1月15日(日)2:00〜<八汐荘>「訪米要請団の壮行会」開かれる。
  ・「アメリカへ米軍基地に苦しむ沖縄の声を届ける会」が準備を重ね、ようやく1月21日(土)〜28日(土)に要請団・24名が訪米することになつた。
 ★1月17日(火)10:30〜沖縄防衛局、高江ヘリパッド工事再開。
  ・田中前沖縄防衛局長の沖縄差別発言が明らかになった昨年11月29日以降、工事を停止していたが、重機などでの工事(実際はオスプレイパッド建設)を再開しようとした。反対する住民や支援者の現場座り込みによって、工事は進まなかった。
  ・その後防衛局は、19日・20日・24日・25日・26日と続けて来て、反対する座り込み住民や支援者に対して拡声器の大音響などでの威圧行為を続けている。
 ★1月19日(木)10:00〜<沖縄地裁沖縄支部>
  ・「第3次嘉手納爆音訴訟」(原告人・2万2058名)の第2回弁論が開かれる。
 ★1月19日(木)1:30〜<西原町の会場>
  ・県の第1回「アセス審査会」が開かれる。審査会会長が冒頭、昨年末未明の評価書搬入に不快感を示す異例の私見を発表するなど、審議は沖縄防衛局への厳しい意見や問題の指摘に終始した。アセスそのもののやり直しを求める意見が上がり、傍聴席からは賛同の拍手が巻き起こった。
 ★1月23日(月)<那覇地裁>米軍属の被告(24歳)の初公判。
  ・昨年1月にあった青年の交通死亡事故で、日米地位協定の運用改善を初適用し、自動車運転過失致死罪で在宅起訴された被告は「その通り。認めます」と起訴内容を認めた。青年の母親が意見陳述し「息子は帰ってこない。(被告には)しっかり罪   を償ってほしい」と述べ、厳罰を求めた。次回2月1日の公判で結審する。

【沖縄に基地を「暴力的」に押しつけるのか!】
 沖縄を訪れているTさんから、沖縄県が6カ月ほど前に提出していた「在沖米軍・海兵隊の沖縄駐留の意義や来年度配備されるという垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ」についての質問書の回答が、12月20日に防衛相から出されたとの報告を受けた。
 今回の回答は、普天間飛行場代替施設建設にともなう環境影響評価書(違法性に高く、非民主的・非科学的と指摘されているいわくつきの文書である)の年内提出を急ぐ政府の目論見が透けて見える。その内容は、「沖縄に基地を押し付けるため、無理に無理を重ねた空虚な文言の繰り返しで、誠意のかけらすら感じられない。・・・名護市辺野古移設の理由を『総合判断の結果』と抽象的記述で逃げ、海兵隊が『抑止力』としてどんな役割を果たしているのか、具体像は全く見えてこない。沖縄に海兵隊を居座らせ、海を埋め立てて新たな航空基地を造る論拠の乏しさが一層鮮明だ」(「琉球新報」12月22日社説)と、こっぴどく批判されている。
 また、米国内で起こってきた海兵隊のオーストラリア移転や本国撤収論、そして、「エアシーバトル構想」など、米国戦略の変化にも触れてはいない。
 さらに、MV22オスプレイについての回答でも、「騒音が空中停止時には現有ヘリを上回り、高温の排ガス(300℃にも及ぶ)による離発着時の火災の懸念も浮上した」(同社説)。
 回答の多くは、米軍から得た情報だけで作成されていて、普天間飛行場周辺の地理や気象条件によって検証されたものはない。「つきまとう安全性への不安や騒音被害の抑制への具体策は『米軍への申し入れ』にとどまる。情けない限りだ」(同)。
 政府は、沖縄国際大学ヘリ墜落事故、普天間爆音訴訟などから得た教訓を何一つ実行に移そうとはしない。米軍のやりたい放題の沖縄では、「飛行経路や騒音規制措置を順守できていない米軍に白紙委任状を与えた上で、配備を認めるようなものだ」(同)。
 つねづね負担軽減、国民の安全確保を謳いながらも、「米軍の主張に唯々諾々と従い」、周辺住民の不安や要望に一切応えようとはしていない。
 オスプレイ配備について言えば、岩国・東富士もオスプレイの訓練空域になり、運用は「米軍の自由」だ。黙ってはいられない。(『静岡・沖縄を語る会ニュース』7より転載)案内へ戻る


投稿ー福島からの便りB その1

 3・11の震災により失ったものがたくさんあります。被災された方、亡くなられた方には本当に申し訳ないのですが、日本中の人々が今まで、自分がどれ程恵まれてきたかを認識したのも事実ではないでしょうか。衣食住が満足なのに何か不満足という気持ちでいた人も、目が覚めたのでないかと思います。
 人と比べて不平不満を言うけれど、人と比べないと自分の幸福を感じられないのも事実です。震災後、明日の命が必ずしも約束されていないことを感じ、今日を精一杯生きようとする人が増えたのも事実でしょう。しかし、震災から9ヵ月過ぎようとする今、震災と原発事故の教訓を忘れないために、3・11以降の行動をもう少し詳しく記録しようと思い、ペンをとりました。
(@、Aの便りで重複すると思われるところは、省略させてもらいました)
 父と母は現在80歳、父は野菜づくり母は一日中こたつとテレビの毎日です。母は認知症なので、誰かが尋ねてきてもお金を預かっても覚えていません。しかし他人にはまったく病気とは思われない、まったく普通なのです。5年程前、自分で掘ってきたじゃが芋を一度置いてまた掘りに行き、さっき自分が掘ってきたことを忘れ、「あらー誰かが芋を持ってきてくれた」と言って驚いていました。
 最近はみそ汁を作っていて途中で忘れ「幸子〜これは何を作るの〜」と私を呼んで、自分が作った煮物を「幸子がつくった」と言って喜んで食べています。まるで笑い話のようです。石巻からさんまを頂いたので小分けに冷凍すると、毎日毎日さんまばかり焼くので「おかしい!!」と思って、「毎日さんまで飽きないの?」と聞くと、「えっ昨日はさんま食べてない」と答えます。さんまが大好きなことは忘れないけれど、さっき何を食べたのか覚えてないのです。
 3月15日、夫は友人と桃畑の剪定の手伝いに行きました。山の畑なのですが、3時頃から雪が降り4時頃には戻ってきました。その頃からです。我が家にあったRDANという古い放射能検知器がピーピー鳴り始め(普段は10〜30を行ったり来たりし、30をたまーに超えることがありピーピー鳴っていましたが最高でも33くらいでした。以前友人が来た時にピーピー鳴り出したのでどうしたのかと思ったら、彼女は病院で放射線の治療を受けてきたとのことでした)夜には900近くまで上がりました。夫が放射能を連れてきたと大騒ぎになり、服を全部着替えてもらいましたが、数値は下がりませんでした。家の外はr線の高いチリやほこりや雪が降り注いでいたのでしょう。
 テレビでは放射能のことは何も報道されませんでしたが、息子と夫がインターネットで米軍が「100km圏外に避難せよ」と言っている、日本にいる外国人がどんどん自国に帰っていると知り不安な一夜でした。16日、意を決して家族全員期限切れのヨウ素剤を飲み、17日私たち夫婦と長男夫婦と孫と娘の6人で、山形県南陽市へ避難することにしました。16日には近所の友人が先に避難していたので、となりの別荘が借りられ、とても助かりました。
 RDANは福島の友人に渡して、毎日数値を報告してもらいました。20日には60まで下がったので、21日には福島に戻ってきました。わずか6日で数値が下がったということは、大量に降り注いだものは、ヨウ素だったのであろうと推測されます。だから24時間以内にヨウ素剤が必要だったにも拘わらず、福島市民にヨウ素は配られませんでした。後半は次号に続く。(福島で果樹園をされているGさんより)


南相馬の被災と復興

一月中旬、今度は原発爆心地のすぐ北の南相馬・牛河地を訪れました。
太平洋岸沿いに行けないので、行きも帰りもより北に迂回して大変でした。その途中、柿が黒ずんで手つかずのまま、たわわに実っていて不思議でした。家の近所ではカラスやリスが食い散らかしていくのに、なぜだろう、と。後で仮設住宅のとある家でこたつを囲んで交流したおり、「今年はカラスも柿を食べないんだよ」と語っていました。動物も放射能汚染を感知しているのでしょうか?
南相馬の海に向かうと、田畑のいたるところに船の残骸が放置されていました。相馬から北の亘理にいたる海岸沿いは片付いた感じなのですが、ここはそのままです。撤退したお店や学校、空き家、土台・・・そして、壊れた岸壁に登ると、荒れ果てて広大な荒野が続きます。
牛河地の仮設住宅は、水無側の両側に大規模に建てられています。霜柱を踏みながら土手を散歩して眺めると、まるで巨大な兵舎か収容所のように一面灰色です。そんなちいさな一角だけ茶色で、それは「記憶に残る仮設住宅」。被災者である福島の建築家、芸術家たちのコラボレーションによる木のぬくもりある画期的な建築群です。その中心に、やはり木造で畳の集会所があり、復興の塔(仮設のおばあちゃんたちは「希望の塔」と呼んでます)がそびえています。
集会所に泊めていただいた翌朝は、元気でおしゃべりなおばあちゃん(と若干のおじいちゃん)たちと何十年ぶりかにラジオ体操しました。艱難辛苦のもとでも女性たちのパワーはたいしたものだと実感しました。
でも、会いたい人にけっこう会えないのです。なぜかというと葬式で留守にしているからです。阪神淡路大震災のときもそうだと思うのですが、被災というのはその時点での犠牲のことだけではなく、その後も延々と継続中で、かけつけるボランティアが激減するなか被災者はどんどん亡くなっていくのです。故郷を簒奪され、地域の繋がりを解体され、おまけに無味乾燥なモノトーンの収容所では、心労・ストレスでまいらないほうがおかしいと思います。
復興とはおおかたのところ、ゼネコンや建設業界、はては原発関連業者たちの利権に他なりません。現場の希望が最優先であり、被災者の主体的意志や行為が尊重されるべきなのに、資本は金儲けのためなら、被災者を客体化し、灰色の生活を強いても痛みも感じないのでしょう。
集会所の縁側でいっぷくしていたら、灰色の仮設からぶらりやってきたおじいちゃんが「ここはええなー」となんどもぼやいていた姿が忘れられません。(津村洋)参考文献:『3.11万葉集 復活の塔』彩流社3月上旬刊


 王兵氏の「無言歌」に思う

 TVのチャンネルをひねると偶然、美空ひばりの特集をやっていた。咲くのが花なら、散るのも花よ=A私くらいの年令になればこんなセリフが身にしみる。ひばりが登場した頃の角兵衛獅子≠ヘ、戦後の両親を失った戦災孤児と重なる。昭和を生きた歌手、美空ひばりの歌は、私ども昭和を生きた者には感銘深い歌声である。
 私が美空ひばりをしみじみと聞くようになったのは、帰阪して空っぽになっていた頃からだった。40才代も後半の頃だったろうか。終わりなきこの旅を歌で貫かん=iなかにし礼氏のことば)もっともっと歌い続けるひばりを見たかった。
 ・・・その鳥うつる村人よ℃の床にあった彼女の句である。私はひばりの精神にほれる。「七転で八起き」と重なる。倒れても、何かをつかんで立ち上がる。それがひばりだ。昭和の精神とでもいおうか。みんなかくありたいと思ったのだ。
 中国の映画、王兵氏監督の「無言歌」を先日(1月7日)見に行った。最後のシーン、死にそうな(死の直前だったから)細い声で詩を吟ずる老教授。中国の文人の魂はすごいな、と思った。今日(1月11日)はその詩を入手したくて、MRI検査の後、「無言歌」のパンフレットを買いに行く。
 ひばりは昭和の民衆の魂を歌った。中国の文人はいにしえの詩を吟じた。あの生きることの不可能の環境の中で蘇武の詩を吟じた中国文人のすごさを思う。詩で幕を閉じた映画「無言歌」のその詩はどんな詩か。
 漢代の「蘇武牧羊」の一節で、朝廷に官を得て務めにはげみ、ヒマがあれば郊外に遊び、我が家は老いも若きも妻も子も、なんと安らかで楽しかったことだろう・・・と、何事もない日常を思った詩で、そのままで私どもに、悲しみ、怒りが伝わってくる。私はアウシュビッツに収容されていたユダヤの人々のことを思う。
 あるユダヤの貴婦人であった人が、隣りで死にゆくユダヤの人のパンに期待し自由を感じた≠ニ書き残している。生きるためならすべて許される≠ニいいたげだが。王兵氏の「無言歌」は、ユダヤの人々と同じような状況の中にあって、かくまっても人間を追いつめその尊厳をうばった政府の罪を告発しているようだ。
 「無言歌」の中でもの言わぬ名もない人々の死、アウシュビッツで死んでいったユダヤの人々の死も、ひばりが歌った「散る花」と何とちがうことか。それほどに追いつめられ、すべてを奪い去られた人々の死の重さを思う。こんなことは二度とあってはならない。
 最近私は、「リナ」という小説を買った。あらゆる辛酸をなめた彼女は、それでも人間の尊厳を失わなかった、という本の帯封の文句に私はこだわった。人間の尊厳とは? 「無言歌」も「リナ」も同じ問題を私どもにつきつけている。2012・1・14 大阪 宮森常子案内へ戻る


教育をめぐる主導権争い

 1月16日の最高裁小法廷による教師への加重な処分に釘を刺す判決に対し、大阪維新の会の松井大阪府知事が早々と改正条例案の見直しを表明した。橋下大阪市長による教育改革ををめぐるつばぜり合いの一コマだ。
 橋下教育改革は、民意による行政を謳っているが、果たして橋下市長の言い分は評価できるのだろうか、日本の教育行政を一部振り返りながら考えてみたい。
 日本の教育行政は旧文部省と日教組との抗争の歴史でもある。根源的な争点となったのは教育基本法の解釈の相違であり、そもそも教育の主体(教育主権)は誰なのか、ということで、子ども本位の教育を実現する主体が国=政府にあるのか、それとも親(国民)なのか、ということだった。結局は永年の抗争のはてに、国=政府による教育行政がまかり通ってきた。言い換えれば、有権者やそれを代表する政治家は直接教育行政に手出しできない体制だ。《教育の中立》がその根拠とされた。この《教育の中立》の体現者として振る舞っているのが教育委員会やそれを統括する文科省だ。
 かつて教育委員は公選制だったが首長による任命制(議会の同意)に改変させられた。一時その是非が問題化したが、任命制は揺るがなかった。
 その教育委員会、実際は警察システムの中の公安員会と全く同じで、まったくのお飾り的存在でしかない。実権を握るのは教育委員ではなく、文科省が人事権を持つ常勤の教育長だ。文科省は各県の教育長を通じて全国の教育行政を采配してきた。
 ここまでみてくれば橋下市長の行動の性格が見えてくる。すなわち文科省による教育支配か、それとも民意にもとずく教育行政か、ということである。こうした構図でみるかぎり、橋下市長を支持したくなる。ただし民意にもとずく≠ニいうのがかなり怪しい。
 立候補者は様々な《公約》を掲げるが、そのすべてを支持して投票するかどうかはあいまいだ。実際、橋下市長は、かつて知事に就任してから突然日の丸・君が代に反対している教員の厳罰化を掲げた。大阪府知事選時の公約には無かったにもかかわらず、だ。要するに現行の選挙原則は白紙委任なのだ。
 結局のところ、対立構図は、政治的中立を掲げる文科省か、それとも民意に白紙委任された首長か、というわけだ。別にどちらがより民主的かというような衝突ではない。
 民主的かどうかということであれば、教育委員の公選制や親(国民)の教育権を対置すべきだろう。どちらも国=政府=文科省による官僚的・中央集権的な教育行政からの決別につながる。しかし、橋下市長は教師も公務員だから首長の統制下にあるべき、というだけだ。選挙を前提にしているとはいえ、結局は権力による統制という意味では、文科省と全く同じである。
 ここで先の最高裁判決の意味合いに戻ってみたい。
 最高裁判決の直接の意味は、行き過ぎた処分は認めないという意味では教員側の立場に配慮したものに見える。判決をみて、最高裁が橋下独裁に歯止めをかけた、とみるのは早計だ。判決の本意は違うところにある。
 最高裁の判断で一貫しているのは、自分たちが法律の、言い換えれば国家秩序の最終的な裁定者だという自負だろう。要は一人の政治的アジテーターに国策を左右させない、というものだ。
 今回はたまたま日の丸・君が代教育に執着する反動的とも言うべき権力主義者の橋下市長だった。が、まかり間違えれば民意の揺れ方しだいで進歩的・左派的なアジテーターが出てこないとも限らない。それら民意による中央統制への風穴は許さない、という国家統治の発想にもとずくメッセージなのだ。
 ではどうしたらいいのか。それは中央集違憲的な官僚統制か、それとも政治的スーパーマンによる独裁体制か、という選択肢の土俵をひっくり返すことである。文科省・文教族・教育委員会主導の教育行政に風穴を開けるために、親(国民)による教育主権の確立、教育委員公選制の実現、親と教師の連携に基づく学校運営への転換の取り組みを拡げていくことこそ必要なのだ。
 付け加えれば、教育現場は社会の反映でもある。実社会での民主主義なくして教育だけの民主主義はない。実社会の弱肉強食の世界を変えていく闘いが課題だ。まじめで信念ある教師の抵抗を孤立させず、学校現場と実社会の闘いを結合していきたい。(廣)案内へ戻る
             

編集あれこれ
 前号は、合併号だったので1カ月ぶりの新聞発行になります。2012年に入っても、私達の生活は苦しくなる一方です。前号の1面は、「2011年の総括と2012年の闘いと展望」と題する記事でした。2012年は、私達民衆が反撃しなくてはならないと思います。2〜4面は、「主役は『ワタシ』一歩を踏み出そう!−グローバル化が拡げる労働者・民衆の闘い−」という記事でした。世界で拡がる労働者・市民の闘い、それはグローバル経済の中社会変革に向かっていくようにしなければなりません。自分たち自身が政治を担う主役であるということを、行動で示していかなくてはなりません。
 6面は、「神話に見る自然災害と自然破壊」という記事でした。神話の中にも、人災による自然破壊が行なわれていたことが明らかになっています。7面は、連載で、「戦後67年・日米安保61年を考える」と題する記事でした。在日米軍の75%が沖縄に押し付けられてきたことや、思いやり予算、日米地位協定等明らかに米国に有利なことばかりが行なわれています。こうした状況に、私達自身の「第三極」が必要です。
 その他、常設の色鉛筆、読書室、コラムの窓、読者からの手紙など多彩な記事がそろいました。通常国会が始まり、一般大衆に、より過重な負担を強いる消費税増税をやろうとする野田政権の意図を分析し、対決していかなくてはなりません。(河野)案内へ戻る