ワーカーズ461号   2012/4/1   案内へ戻る

《厚生年金適用拡大》 大企業が肥えれば労働者はやせ細る またも腰砕けの民主政権

 民主党政権の後退がまた一つ加わった。非正規労働者の厚生年金適用拡大での腰砕けだ。
 野田内閣は2月13日、パートなど非正規労働者への適用拡大で新たな対象者を45万人とすることを決めた。適用拡大の最終目標を370万人、当面の目標は100万人としてきたことを考えれば、大きく後退した格好だ。企業への規制強化が骨抜きにされた派遣法改定に続く、社会保障の充実や格差是正での腰砕けという以外にない。規模が縮小されたのは、企業規模や勤務期間などの適用条件を縮小したからだ。
 野田内閣は《税と社会保障の一体改革》だという。が、肝心の社会保障の充実という面では後退に次ぐ後退を積み重ねている。この後退を前原政調会長は「現下の経済状況、企業側の負担を考えた。」という。非正規労働者の生活保障と産業界の利益を天秤にかけ、産業界寄りに大きく舵を切ったわけだ。
 非正規労働者の処遇改善の場面で、必ず出てくるのが中小・零細企業の窮状だ。現在でもぎりぎりの状況でやっと存続しているのにこれ以上コストが膨らんでは生き延びられない、というわけだ。が、窮状の訴えの次には恫喝が用意されている。労働者の処遇改善が、かえって労働者の雇用を奪う、と。
 こうしたつくられた構図の裏で隠されているのが、大企業、親企業の系列支配、要は低処遇労働者や中小零細企業者から搾り取って肥え太る大企業・親企業のあり方である。
 市場支配や生き残りのためにコストダウンを追い求める大企業・親企業は、真っ先に下請け・取引企業に単価の切り下げを強要する。その下請けは孫請けに同じように単価の切り下げを迫る。結果的に,中小・下請け企業が疲弊し、大企業だけが肥え太る産業構造が維持される。それでも企業がため込んだ預金と現金は昨年暮れで205兆円にも膨らんで史上最高額に高止まりしている。中小零細企業の窮状とは、すなわち金満大企業の下支えなのだ。この構図を前提とすれば、いつまでたっても不安定・低処遇の労働者は無くならない。
 中小・零細企業は倒産しない。仮に下請け・孫請けが倒産すれば、別な下請け・孫請けを探すか、親企業は自前で下請け・孫請けの業務を抱えなければならない。必要な事業は、どこかで、誰かがやらねばならない。下請け倒産で雇用が無くなる、というのは恫喝でしかない。
 私たちに問われているのは、末端のコスト増を親企業に負担させることも含め、日本的系列企業構造に切り込む闘いへの決意と結集だ。(廣)


岐路に立たされる兵営国家  金正日の死と世界史のなかの北朝鮮【連載 最終回】

目次
  はじめに
1 帝国主義時代が生み出した金体制
2 「社会主義」ではなく「国家資本主義」でもない兵営国家
3 軍事経済のもとで衰亡しつつある金体制
4 北朝鮮や旧ソ連の「巨大な歴史的意義」を讃えるのか?
5 20世紀の戦争と国家、そしてスターリン体制
6 金体制は路線転換が可能か?
7 改革開放への動向    (本号)

【前回までの要約:北朝鮮や旧ソ連は、「社会主義」などではなく、帝国主義戦争下で国家形成が行われ、その後も軍事体制・戦時経済を継続してきた退廃した社会です。国家成立いらい数十年経過したこの社会は、工業力が衰退し経済不振をもたらしました。これこそ旧ソ連の自己崩壊の最大の原因であるし、北朝鮮も同様のプロセスのなかで、社会の全般的衰退に陥っていると考えられます。生成途上の国家において、強行に軍事体制を追求することは、経済全体(さらには社会全体)の国家化を必然的に呼び起こすのです。北朝鮮や旧ソ連特有の全面的「国有経済体制」は、そこに由来するのです。このような先軍体制は、旧ソ連の場合のように自主的に体制を転換させることは容易ではないでしよう。】

7●改革開放への動向
韓国の北朝鮮研究者集団による『北朝鮮は、いま』(岩波新書2007年)は、最近の動向を網羅的にかつ簡潔にまとめたものなので、たいへん参考になります。
 そこから読み取れる北朝鮮の現状は、@飢餓者百万とも言われた食糧事情はやや緩和しているが、配給制度も機能不全にちかい。A国家の経済統制は、ものが無く弛緩し、その結果として市場経済が広がっている。B社会的規律の崩壊や不満分子の存在は顕著ではない。C「先軍政治」はそのままだが、「先軍思想」「先軍精神」などの観念化がみられる。D金正日により、党の役割が低下したとみられるがこの間大きな変化はない。E核開発および運搬手段(ミサイル)の開発は徐々に進行し「核兵器の保有国」と考えられる。F経済的には中国依存が深まっている等々。
 ここでは「改革開放」への動向を中心として考えてみましょう。
「北朝鮮経済は、周知の通り90年台に《苦難の行軍》と言われるマイナス成長を経験した。国民所得が80年代後半に比べて約半分になってしまうほど経済的委縮を経験したが、99年には成長がプラスに転じた」(同上)。
北朝鮮では90年台前半、餓死者が百万人とも言われる経済的危機・食料危機がありました。直接の理由は洪水などの自然災害もありましたが、長期の準戦時体制による国力の損耗が根底にあります。同時に不合理な「自然改造」あるいは自然破壊があったとも指摘されています。その面では失政や人災が輪をかけました。
 その後現在に至るまで基本的には食糧問題も中国との援助的な貿易、支援物資に頼ってかろうじて息をついでいると言われています。
 こうした中で、北朝鮮もなんらかの「改革」を打ち出さざるを得なかったのでしょう。
「北朝鮮が2002年に着手した《七・一措置》は、経済活動の分権化、貨幣化、市場化を目指す経済改革政策として国営企業および協同農場の経営管理体系、分配制度、価格制度、財政、対外経済制度、などすべての分野にわたって施行された。《計画》だけにたよっていた経済運用体系に《市場》の要素も加えようとする改革措置だった。」(同上)。
 その結果として一定の成果があったといいます。「食料の生産は80年代の水準を回復しつつある。卸、小売業はめざましい成長を遂げた。貿易も急増」した反面、軽工業、重工業が低迷しているといいます。
 「工場・企業もやはり市場を通じて物資を取引している。工場・企業所、協同団体が市場で製品を販売できるようになったのも、過去とは違う点だ。工場では国家計画を超過した生産物を市場で販売する。」七・一措置の結果として「政治の役割が小さくなる一方で、経済原理の適応が広がっている。」(同上)。

 ◆北朝鮮の「経済改革」の限界・・二兎追うも

 これらの「改革」は、ロシア・ソ連の歴史に照らして考えれば「ネップ(新経済政策1921〜26年)」の時期のようなものと想像されます。経済が疲弊し、国家統制機能もレベルダウンしている状況では、「国家政策」云々よりも、個々の農民や企業者の経済的自主性を認め、自由な交換・売買を認めざるを得ないと言うことです(国家はそこから「取引税」を取る)。当時のロシアは「戦時共産主義」と呼ばれた統制経済を大幅に緩和しました。それが「ネップ」です。
 計画経済を実施し国防力を高めるためには、それだけの財力や組織力が前提ですが、その前提がかなり衰弱していたということでしよう。当時のロシアの場合は、白衛軍らの内乱やそれに続いた帝国主義軍隊の干渉戦争等で、新しいこの国家は衰弱していました。同様に北朝鮮の場合は、長期の臨戦態勢や飢饉が国力を損耗させてきたことはすでに述べました。
 国家は、こうして、農民や個々の企業の自由な経済活動を一定程度認める他は無いのです。「七・一措置」もおそらく一面ではその様なものではないかとおもいます。
 「(過去の計画経済に復帰することは不可能である。)なぜなら、国が計画経済を維持することができる手段、工場・農場などの生産主体に下す命令を遂行することができる手段、つまり、資源と資本を保有することができないからだ。」(同上)。という指摘ももっともなのです。
 また、それにとどまらない企業管理システム(独立採算制を基本とする。)も導入されており、おそらくこれらは旧ソ連の「経済改革」を模しているものと考えられます。
「機関や企業の独立採算制実施によって実利が経済活動の中心指標となって効率が向上」したとの指摘も。
 この限りでは、北朝鮮はすでに軍事経済を一部緩和し、市場取引を認め「国家資本主義体制」つまり国家が経済の管制高地を握りながらも資本主義の復活へカジを切りつつあると言えるでしょう。これは2002年〜07年の特徴的うごきです。
 金体制が、経済の極度の不振の中で、食料等の基本的な資源の枯渇に直面し、市場を認め国家セクター以外の経済活動を承認するのは、自壊したくなければ避けられない選択であると言えるでしょう。同時に工業製品の枯渇についても、軍需に集中してきた体制を少しでも「解いて」民需の一定の復活を認め活性化しない限りは、工業設備更新のための剰余の蓄積も果たせないのですから、これらも選択の余地のない「政策」と言えるでしょう。
 しかし、別の分析者はこれとは異なった結論を下しています。「北朝鮮は2002年7月の対内的な経済改革措置が失敗したために市場指向的改革を中断し、対外関係改善を通じて経済回復を追い求める政策転換を断行したようにみえる。」「北朝鮮の改革に対する恐怖はより大きくなった。」(同上)と。この様な指導部の方向転換は、07年以降により鮮明になるようです。

 ◆デノミネーションをめぐる階級闘争

 すでに述べて来たように、北朝鮮金正日の実施してきた「経済改革」は、軍事体制・臨戦態勢を前提とし、その枠内での経済の効率化や民生物資の増産であったと考えられます。
 他方では、国家統治機関の衰退により、国家統制がきかず、自然発生的な人々の自由な生産や取引を認めざるを得なかったという面があると思われます。したがって多少の体制の安定化が生じれば、国家による締め付けが再び強化されるのもさけられないとみるべきでしょう。
 07年10月には党中央委員会は「市場に対する認識を正しく持ち、人民の利益を侵害する非社会主義的行為を阻止しよう」と「方向転換」を鮮明にしました。かくして市場の規制を明確に打ち出したのです。マーケットに出入りする女性の年齢制限。市場それ自身の縮小。他方では内閣の指示として「工業製品は国営商店で販売する」。市場は月三回に制限されました(平井久志『なぜ北朝鮮は孤立するのか』新潮選書)。
 かくして「金総書記が1999年から2005年までみせた改革的路線が急速に衰退」(同上)したと指摘されています。
 さらに「〈先軍政治〉と〈強盛大国〉は両立しない。北朝鮮が〈強盛大国〉を建設するには現在の膨大な軍事予算を削減し、民生用の予算に転換する以外にない」(同上)。
 もっともな指摘です。経済的孤立の中で軍事体制を解こうとしない北朝鮮が、経済力も強化し豊かな社会になるということは、あり得ないと断言してもよいでしょう。
 「食料専売制の実施を分水嶺に改革から統制に流れが変わり、〇7年四月の朴泰珠首相の解任で、経済改革を主導する勢力が権力の核心部から外された」(同上)。
このような経過で、北朝鮮の経済動向が意識的に統制経済へとさらに回帰してゆくのです。
 しかし、注目すべきはこの「回帰」は決して簡単なものではなかったのです。すでに市場の数年以上にわたる経験と個人への富の蓄積が「抵抗勢力」を生み出していたのです。その新しい勢力との抗争の頂点が「市場勢力壊滅」をもくろんだ北朝鮮当局の「デノミ政策」発動だったのです。
 さらに北朝鮮当局は,通貨交換とデノミに続いて「全国の主要都市にある総合市場を順次、閉鎖し、市場は農民市場しか認めないという方針を示した。2002年七月の経済改革措置以前に戻すという措置であった」(同上)のです。
 そこでデノミネーション・通貨交換の内容に少し触れてみます。貨幣単位を百分の一すること。これだけであれば「数字上の問題」にとどまるだけです。ところが「交換できるのは一世帯あたり十万ウォンとされ、その限度を超えた貨幣は紙くずになる」という事です。
 この間、蓄財に励んできた「市場勢力」とそれに癒着していただろう「国家資本主義官僚」たちの激しい反発に遭遇し、当局はさらに五万ウォンづつの交換を認めたといいます。四人家族であれば十万プラス二十万、計三十万が交換限度となりました(同上)。
 さらに「現金の交換比率は百対一だが、預金の交換比率は現金の10倍の十対一とした。これで新富裕層の持つ限度額を超えた資産を預金の形で国家が収奪」(同上)したのでした。つまり市場勢力(と癒着した官僚層)の壊滅を強行にもくろんだものなのです。
 しかし、「市場勢力壊滅」の成果はあがったでしようか。そんなことはありません。
 北朝鮮当局は、市場勢力に政治的・経済的打撃を与えるために、デノミで物価を下げ、他方では労働者の賃金だけ100倍に上げる!!ということをしたのです。
 しかし、ない物資はないのです。消費物資の増産がともなわにいのにお金だけが大量に消費者に与えられれば、紙幣の下落=物価騰貴がはじまり、市場勢力が再び活気づいたでしょう。低価格の公営商店には物資が流れず、闇市場に大量に物資が流失したでしょう。そこではしぶとい「市場勢力」がふたたび息を吹き返しているでしょう。
 こうして北朝鮮のデノミ政策は、金体制勢力(多数の軍人・官僚層)と市場勢力(農民や商人、それに利益を見いだす官僚も含めて)の激突であり力比べとなったのです。その結果は経済政策としては、大失敗であるだけではなく、政治的にも逆効果であった可能性があります。
 (「デノミ前の公定レート、一ドル=百四十ウォンから・・デノミ後、一ドル=九十六・九ウォン」であるからデノミ効果は「ほとんどなかった」(同上)と考えられています。)

 ◆金体制を脅かす階級矛盾

 北朝鮮の指導部が合理的な選択がとれるのであれば、誰もが思うように「改革開放」路線への転化を選ぶと考えがちです。追い風が吹いているにもかかわらず「改革開放政策」に大胆に舵を切れないのは、すでに論じてきた国内的ないくつかの重大な理由があるからです。
 まとめれば以下のような諸点です。
 まず国家体制の衰弱による、国内の自然発生的な市場経済(闇市場)は別としても、外資を大胆に導入し国家の強い支援・指導で国際市場に商品を売り込むような展望がみえてこない。「市場勢力」は抑圧されており官僚との癒着は厳しく粛正が行われている模様で、有能な国家資本主義官僚層は成長もしておらず未結集であり、同じく北朝鮮には国家資本主義の路線を掲げる強力な指導部がない。つまり、中国のような国家資本主義を邁進するための条件がまだ成熟していないと考えられます。
 より根本的には、北朝鮮指導部(核心的な利害集団)が「先軍政治」=軍事体制を捨てていない事がこの間もいくどとなく証明されたといえます。「経済改革」も小規模であくまで先軍政治を支える範囲に限定されています。国家の目標(つまり現在の支配者集団の優先的利益)は資本の蓄積ではないく、依然として軍事体制=兵営国家の維持なのです。
 さらには、国家体制が衰弱している状況で、市場経済が一人歩きし私的富の蓄積が生まれる事への指導部の恐怖も指摘できます。
 インフレは一時は年平均300〜400%と一般民衆を直撃。外貨稼ぎが広く行われ、副業がさかんだといいます。いわんや大胆な「改革開放政策」は、民衆内部での格差を発生させ人心の荒廃を生み出し、金体制への求心力を崩壊させてしまう可能性がある等々、内部の階級対立の顕在化を恐れているとも言えるでしょう。
 このように、金体制を護持している権力者たちが「改革開放」路線、つまり国家企業を利潤中心に変革し、他方では国家が外資の導入などで経済を主導し商品生産を拡大し、かくして資本蓄積をはかる、「国家資本主義」へと大胆に舵を切ることを躊躇、いや嫌悪しているのでしょう。このことは、中国の大国主義への脅威とも結びついしてるでしょう。
 しかし、現実には経済の無政府化はすすんでいる可能性が大です。すでに述べたように七転び八起きの「市場勢力」が、一部官僚層を巻き込んで、北朝鮮支配層とせめぎ合いを続けていると考えられます。このような新興ブルジョア階級の台頭が、金体制の外側で今後も増大することがあれば、一般国民を巻き込む大衆的な闘争へと発展する事もないとはいえません。
 いずれにしても、国民の苦痛と貧困の上に居座り続ける金体制の終局は近づいているでしょう。いや終わらせなければなりません。
          *    *     *
 金正日は「私は社会主義を一度ちゃんとやってやる。」と2009年頃語ったそうです。この言葉は、上記のようにその後の社会主義統制経済の強化や通貨交換、デノミネーションなどの施策に反映されている(同上)とすれば、彼の「社会主義像」が鮮明に浮かび上がります。
 金正日の「社会主義」とは、兵営国家及び市場統制経済であることは、再度論じるまでもありません。
 金体制=スターリニズムというものが、個々人の自由な連帯に基づいた「社会主義」「共産主義」の反対物であり、軍事体制、国家統制経済、つまり強権政治にもとづく階級社会であることを暴露しているでしょう。
〈完〉 阿部文明案内へ戻る


「沖縄通信」NO20・・・普天間爆音訴訟

 「静かな日々をとりもどそう」というスローガンを旗印にした第2次普天間爆音訴訟の闘いが始まった。
 3月24日午後2時より、「普天間米軍基地から爆音をなくす訴訟団」(第2次普天間爆音訴訟団)の結成総会が開かれた。

1.第1次普天間爆音訴訟
 訴訟団団長である島田善次さんが、1979年に普天間基地の爆音との闘いに一人で立ち上がったが、なかなか賛同者が集まらない。やはり当時、米軍相手に裁判を始めることに抵抗感が強かったという。
 ともあれ、ようやく2002年10月、原告400人で飛行差し止めと損害賠償を要求する裁判が始まる。
 2008年に、第一審判決「飛行差止却下、賠償金1日100円」が出る。爆音の差し止めは認められず、即刻高裁に控訴する。
 2010年7月29日、福岡高裁那覇支部は飛行差し止はめ認めなかったが、世界一危険な普天間基地の「欠陥」を認め、違法な米軍の基地運用を放任する日本政府を厳しく批判。損害賠償額も従来の基地訴訟水準の2倍の金額を提示した。
 2011年10月11日、最高裁まで争った飛行差し止めの上告は棄却され、訴訟団の「静かな日々を返せ」という訴えは届かなかった。

2.第2次訴訟の呼びかけ
 沖縄県民の「危険な普天間基地の閉鎖、辺野古の新基地建設反対」という声は世論調査でも8割を超えている。それにもかかわらず、日米政府は墜落の危険が危惧されるオスプレイの配備をも押し進めようとしている。
 もうこれ以上我慢できないと、訴訟団は第1次訴訟で認められなかった飛行差し止めの実現をめざして、昨年8月から12月まで第2次訴訟原告人募集の説明会を市内各地で開催してきた。
 原告人は地元宜野湾市のほかに、浦添市、北中城村の被害住民も参加し、現在3,200人を超える人が原告人になっている。
 2月下旬に野田首相が初めて来県したとき、訴訟原告人から「首相ここに住めますか」、「民間地の上空で戦争の訓練をしている自体、異常。復帰はしたが、半植民地だ」などの声が上がった。
 原告人になった金城さんは「基地がある状況を次の代まで放置してはいけないと、家族と沖縄の未来のために爆音訴訟に参加。野田首相にこの環境の中で住んでと言っても首相は断るのではないかと疑念を抱き、住んでもいいと思える宜野湾・沖縄にしてほしいと要望する」(琉球新報・2月26日付)

3.3月30日に第2次訴訟を提訴
 日本の裁判史上最大の22,058人の原告団による第3次嘉手納爆音訴訟(昨年4月28日提訴)に続き、普天間爆音訴訟団も3月30日(金)午前10時30分に沖縄市知花の那覇地裁沖縄支部に第2次普天間爆音訴訟を提訴した。(提出書類が揃っている3,129名が提訴、後から追加で提訴・併合する人もいる)
 また、2008年12月に結成された「全国基地爆音訴訟原告団連絡会議」(普天間、嘉手納、横田、厚木、小松、岩国)とも、基地爆音被害の根本的解決にむけて共同で取組む方針である。

4.普天間爆音訴訟の闘いの意義
 この普天間基地は、他の米軍基地(ほとんどが元日本軍基地で米軍に占領され基地になった)とは違い、沖縄戦の最中に米軍によって建設された飛行場で、そこに住んでいた住民は追い出され家を失った。
多くの住民が、普天間基地内に祖先の墓を残している。
 戦後占領され67年もたつのにいまだに返還されない。世界一危険な基地の周辺住民は、米軍ヘリと戦闘機の騒音に悩まされてきた。まさに、住民の人権は無視されてきた。
 今回の訴訟の闘いの意義を「結成総会アピール」は次のように述べている。
 「普天間米軍基地は、憲法第13条にある『生命、自由及び幸福追及』において『最大の尊重を必要とする』人権に対する冒涜であり抑圧です。基地周辺に暮らす私たちは、お腹の中の胎児の時から爆音にさらされ、学童や学生は爆音による授業中断で9年の義務教育期間中1年分の時間が失われています。生活場面では、テレビ、ラジオ、電話、また家族団欒への妨害、さらには飛行機やヘリコプターが墜落しないかという恐怖。私たちは毎日の爆音、低周波音によって、様々な精神的、肉体的な健康を冒され、日常的に『生命』をむしばまれ、『自由及び幸福』を奪われています。また、本年は、開発段階から墜落事故が頻発するオスプレイMV22が普天間基地に配備されようとしています。このオスプレイは、ひどい爆音と環境を破壊する高熱の排気ガス、墜落の危険をもたらす代物です。また、普天間基地の大規模な改修工事が報道されていますが、普天間の固定化を狙うものです。裁判とともに県民総ぐるみで配備反対・固定化阻止の声を上げましょう。」
 今回の裁判も長い闘いとなるであろう。
 全国の心ある人たちに、支援を呼びかける!(富田英司)


何でも紹介 落語 演目 「貧乏花見」

 今、孤独死や孤立死等悲惨な事が多いです。また、失業者や健康を害する人も多く世の中暗いことが多いです。
私自身も気持ちが落ち込んだ時、気分転換に「貧乏花見」という落語を聴きます。笑福亭松喬という落語家の「貧乏花見」が一番好きです。貧乏な長屋の人たちが花見に行くのですが、みんなご馳走があるわけではありません。お酒の代わりにお茶、かまぼこの代わりに飯の焦げ、玉子の巻焼きの代わりにたくあんといったものを持っていきます。上等な洋服を着ていると思ったら、裸に炭を塗っていたりします。
 こんな人たちがワイワイ言いながら花見をしています。お酒ならぬお茶を飲んで、「近々、ええことがおまっせ。酒柱が立った」と言ったり、玉子の巻焼きならぬたくあんを食べてボリボリ音を立てると「音をさせるな」と言い合ったりします。皆お金はありませんが、楽しく騒いでいます。
 そして、この落語で一番良いセリフは「心まで貧乏すなよ。あっちが酒盛りやったら、こっちは茶か盛りや。人間、気の持ちようやないか。『気で気を養う』ということを知れ」つまり、他の人らの花見は豪華で、こちらは貧乏だが想像力で補えというところです。
 生活していくのに困難な世の中ですが、落語の長屋の人たちのようにしたたかに生きていきたいと思います。 (河野)案内へ戻る


コラムの窓・・・世論動向と「船中八策」
 
 悪魔として地球を征服した(はずの)アーティスト、デーモン閣下さんが朝日新聞のインタビューで、「悪魔の目的は人類の滅亡だ。・・・今の日本は思いどうりに進んでいるね。・・政治や社会構造がうまくいかないと感じたからこそ、政権交代が起きた。だが、政治はもっと膠着した状況に陥ってしまった。」「・・・民主党も旧来の政治スタイルで次の選挙のことを優先する人たちが多いと。みんな気づいちゃったわけだな」「最大の問題は党内がまとまらないことだ。見ていてイライラするんだ、・・・」政治リーダーに必要な資質とは。「わかりやすく説明してくれることが大事だ。・・・大阪市の橋下徹市長にすべて賛成ではないが、ああいう志とエネルギーを持った人が国会議員の半分ぐらい占めないと日本は変わらない。ただ、橋下氏が言うように統治機構を変えれば代償も払わなければならない。国民もその覚悟を正しく共有する必要がある」と。政治を良くする特効薬は?「そんな答えがあったら我が輩が議員になってやっているよ。答えがないからこんな事をやっているんだ、我が輩は、ハハハ」と。
 答えがわからないから「わかりやすく」力強いリーダーシップを求め、ある程度の犠牲はやむを得ない。こうした主張は、今の“世相”市民感覚を反映したものであろう。
 市民感覚の曖昧性とは!?根本的な立場を明確にしないでこれらを求めても、袋小路にはまり堂々巡りするだけで答えは見つけることはできないのではないか?。
 今、人気のある橋下氏と“維新の会”がめざす社会とはどんなものであろうか?
 坂本龍馬が「船中八策」で表したのは、武力倒幕をさける為の大政奉還と、幕府と諸藩と朝廷が一体となった政治組織を構築することが趣旨であったが、新しい明治政府建国理念へと受け継がれた。それは、軍備増強を含みつつ、士農工商という封建的身分制度と幕藩体制の廃止、天皇を国家元首とした議会制度による統一国家体制の確立であった。平民(市民)主義を明確にし、武士階級から平民・市民への権力委譲をめざしたものであり、歴史的に評価されるものであった。
 橋下・維新の会版「船中八策」は、首相公選制や道州制の導入、参院廃止を含む国会改革のほか、戦争の放棄をうたった憲法9条の改正の是非を問う国民投票の実施など、投票行動への大衆参加を盛り込んだ政策を発表したが、“市民”としての義務化の域を出ず、法人税の軽減や消費税増税など経営・支配者有利の政策であり、基本的には明治維新以来続く平民(市民)主義政治政策の延長上にあるものと言えるのではないか。そして、弁護士であった橋下氏自身“法”重視のあまり、彼らが決めたことに対する“法”を守るための処罰的法律の再提出など強権的手腕は労働者市民のものとは別であると言える。
 明治維新から百数十年、市民(資本主義)経済は発展し、何度とか行き詰まりを示し、行き詰まりを乗り切るために、大衆収奪と軍国主義へと傾斜していった歴史もあったが、(皮肉って言えば)力強いリダーシップと国民犠牲を求めた「わかりやすい」政治の結果でもあった。
 私達はこうした時代を再び繰り返すのか、はたまた、まったく違った社会を作り出すのか、一つの分岐点にいる。
 貴族・・武士・・平民(市民)と歴史的にも支配階層・階級はより大衆化してきている、今、資本主義経済体制は行き詰まっており、だからこそ!生産活動の中心的な担い手である大衆的な労働者・市民の立場を明確にした運動を作り出して行かねばならない。(光)


色鉛筆  若者たちが危ない! 地域医療研究会の通信を読んで

 私の住んでいる街に精神障害をテーマにして、1979年に発足した「S地域医療研究会」が、地道に活動を続けている。現在は「精神障害者生活支援NPΟ法人Y会」として昼・夜と月二回の勉強会が開かれていて遠くから出席する方や、当事者・ボランティアの方も参加するが、多くは家族の方々だという。統合失調症に代表される精神病という拭い難い病名を告げられた患者本人は、もちろん苦しむが同時に親・きょうだい・祖父母なども苦しんでいる。この会の通信が月1回発行されていて、私は時々体調を崩して通院する病院の待合室に通信が置かれているので読むのを楽しみにしている。先月、2月号を読んでいると人ごとではなくいつ自分にも起こるかもしれないと思うと涙があふれてきてしまった。長い引用になるが紹介したい。
 「こんにちは。I先生の勉強会で感じたことをお話したいと思います。私の息子が『うつ病』になってから5年になります。初めは、息子から眠れなくて困るという電話が仕事先から2〜3回かかってきました。それまでは、家に電話をかけてくるような息子ではなく、お正月やお盆休みといえば、友達と海や山へ遊びに出かけ、家には1〜2日くらいしか帰らない息子でした。「眠れない」と電話があった時は「お酒でも飲んで寝たら」なんて簡単に受け答えしておりました。その後も残業や休日出勤でかなり疲れ果てていたのか・・・「お金なんかいらないから、休みが欲しい!ゆっくり寝たい」と言ってきました。その時、私はただ話を聞くだけでした。その後、また電話で会社を辞めたいとか、仕事のクレーム、上司のことなど言ってきました。それから、2ヶ月くらい過ぎたころ会社を退職して家に戻ってきました。その時私は、休養をとれば疲れた体も回復すると思っておりました。その頃は、本を買って勉強する意欲や、長野まで一人でスノーボードに出かけたり、バイクでツーリングに行っていましたので、私は『うつ病』のことはあまり重大に考えておりませんでした。また干渉しながら叱咤激励をしていたのか?息子から「俺のことはほっといてくれ」と言われ、私はこんなに心配しているのに・・・と思っていました。 また私は、息子を家でゴロゴロさせておいては怠け病になるのでは?と焦りを感じてきていました。その頃、息子は再就職をしました(退職してから10ヶ月目)。私はホットした気持ちになった事を思い出します。でも息子にとって再就職は、大変だったようです。判断力や思考力が落ちているのに新たな環境で新しい仕事、また緊張の連続の中で息子の症状は、日に日に悪くなり口数や食欲もなくなってきました。それでも本人はかなり無理をして出勤しておりましたが、2ヶ月で退職しました。その後、入院となり2ヶ月の入院生活を過ごしました。退院した時の息子の変わりようといったら!お年寄りがつま先でコチョコチョ歩くような歩き方、また眼はまんまるく、ギョロギョロしてあまりにも変わった様子にびっくりしました。
 その間、私達は藁にもすがりたい気持ちでした。そんな時、息子が通院している病院で患者のお母さんから、I先生の勉強会が行われていることを聞き、それから夫婦で参加させて頂いています。そこで先生は「一に休養、二に勉強、三が遊びで、四に仕事」とおっしゃいます。二の勉強とは『うつ病』のことをよく知ること!私達家族はうつ病の勉強をもっと早くから身につけていれば、こんなに息子を苦しませなかったのではと思っています。また先生は、「親は警察官になってはいけない」とも言われます。「親は口を出さない」「手を出さない」親が口を出せば出すほど息子の心は閉じてしまいました。先生は、親が変われば子どもの病状も改善するともおっしゃいます、本当に痛感しております。『うつ病』になると、本人ばかりかその家族も心の病にかかってしまうことがあります。私がそうです。家族間のいざこざや、親子けんかをした時は、苦しみや悲しみが頭の中で渦を巻くように考えれば考えるほど、どんどん深みにはまってしまいます。一人で考えていても何も解決はしません。家の中はどんどん暗くなってしまいます。先生がおっしゃいます。「みんなが癒やし人になる」と。このことも学びました。その勉強会では障害を持った方や、家族の方々の体験談やアドバイスに助けられ、優しい気持ちになって帰ることができます。このようなことを「やさしい精神保健教室」「地域精神医療研究会」で勉強させて頂いています。私が最近心がけていることは自分の趣味を生かして、苗と花作りのボランティアや公民館活動。自分のストレス解消が息子のためになると思い、外でのお付き合いに努めております。その他いろいろ学びましたが勉強会に参加してみて強く感じていることは、「うつ病の勉強をすること、親が変われば病気も良くなること、仲間を作ること」ということです。これからも勉強会やイベントに参加させて頂きたいと思います。」(S・N)
 手塩に育てた息子の変わり果てた姿を見たときの彼女の気持ちを考えると涙が出てしまう。私達親は一生懸命子育てをしてきたのに何が悪かったのか自分を責めてしまう。私自身がそうだった。10年前、自分の生き方が見つけられない息子は悩み苦しんでいたのに、その時私は息子に手記の彼女のように叱咤激励をしてけんかばかりしていた。話をしても息子がイライラして貧乏ゆすりをして落ち着かず、このままでは心の病になるのではないかと思いながらも私は自分の思いをぶつけてしまった。その後何年間も私の育て方が悪かったと自分を責められずにはいられなかった。こうした経験は私の周りの人たちにもいて私は話すことで立ち直ることができ、手記の彼女も勉強会に参加して立ち直ることができた。
 地域医療研究会は、町医者のI先生が「私達が地域で安心して暮らすことができれば、すべての社会の人たちが安心して暮らせる」という思いで始めて25年間続いている。通信の中で「残念ながら我が国の精神医療は、改善しつつあるとはいっても、まだまだ薬物療法偏重で患者教育、家族教育、地域の啓蒙は遅れていると言わざるをえません。特に、先に挙げた苦悩を抱えている家族への教育、支援は殆どないといってよい状態ではないかというのが、精神病患者と共に生きている多勢の家族の方々と25年間話し合ってきた率直な感想です」とI先生は述べている。この3月をもってI先生は42年間の医者として引退をされるが、終わりのない市民運動は最後まで続けてくれることを期待している。
 今の若者たちは、すぐに仕事を辞める、根性がない、精神力が弱いなどと批判されるが本当にそうだろうか?うつ病になってしまった彼も残業や休日出勤をして一生懸命仕事をして体も心もぼろぼろにされてしまった。私の息子たちも民間会社に勤めているが、朝出勤して帰宅するのは午前12時だったり朝方帰宅することもある。残業手当が付かないことに驚いてしまうが、息子たちは文句も言わず一生懸命働いている。一生懸命働いてそれなりの見返りとして給料をあげてくれたり働きやすい職場にしてくれればいいのだが「ミスをするな」「ミスをしたらボーナスはない」「親のコネを使って契約を取ってこい」等々脅されている。まったくやくざの世界で、文句を言ったり営業の成績の悪いやつは辞めてしまえばいい、代わりは多勢いるというように使い捨てされているのが現状だ。企業側は、なんといっても利益を上げることが第一で働きやすい職場にしようとはしない。どこの職場も以前のように余裕がなくなっているところに問題があるのだ。このままでは若者たちが危ない!(美) 案内へ戻る


消費税増税反対・・・「民意を問う」とは!

 野田首相は24日、消費税増税法案について、「政治生命を懸けてこの問題を前進させ、この国会中に成立させる意気込み」を示し、民主党の社会保障と税の一体改革に関する合同会議では、消費税を引き上げる関連法案について協議を行っている。
 協議では増税反対派からの異論が出ているが、民主党執行部は「逆進性対策として臨時に行う低所得者向けの給付措置の財源について、税率10%時で最大年四千億円とする方針を示した。8%段階は今後の検討課題。」「低所得者を対象に税金を差し引いたり給付金を支給する給付付き税額控除や医療、介護などに関する自己負担の合計額に上限を設ける総合合算制度」など、前回の修正で付則に盛り込んだ低所得者対策を、付則より法的拘束力が強いとされる本則に明記した修正案を提示しり、「経済状況によって増税を一時停止する景気条項の修正」など、多少の修正を行い閣議決定に持ち込み、何が何でも今国会に提出し成立させるつもりである。
 政府・財界、民主党・自民党などの大政党や維新の会を含む各政党グループが消費税増税に向かっている中で、産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が24、25両日に実施した合同世論調査で、消費税増税関連法案の今国会成立について59・1%が「させるべきではない」と答え、「させるべき」(38・2%)を20ポイント強も上回ったという。
 「民意を問え」という言葉があるが、日本の政治では国会で成立させた後で国会解散総選挙という方法がとられる事が多々ある。法案成立後では「後の祭り」で、代議制議会政治の問題点と言えるのではないか!
 各項目(法案件)について、成立前に、広く大衆的な「民意を問い」、署名や陳述、デモンストレーションなど色々な「民意」を保証した上で法案の是非を「問う」べきではないだろうか。(M)


私どもの掲げる小さな旗

 私どもと複数型のことばを使ったのは最小単位、家族をさすからである。家人が原発はイヤだから節電、節水する≠ニ言い出した。私も大賛成だから早速、実行に取り組んでいる。
 ご近所の女子大生が4回目のボランティアで東北に向かった。私たちはボャーッと毎日を過ごしていていいのだろうか。電力はできる限り使わない生活を始めている。ネコも節電で暖房はコタツだけ。寒くなるとベットのコタツに勝手にもぐり込んでいる。
 みんなノラ出身のネコたちだから、それぞれに自分の身を守るスベを心得ていて、けっこう個性的。ネコみたいに生きるのもまたいいだろう。 2012・3・15大阪 宮森常子


橋下市長へ

 橋下市長は大阪市のムダを削減するのに「高齢者」「文化」の削減を考えているという。たしかに「高齢者」は消費ばかりして生産的なことはやれない。「文化」はいらんのだろうか。
 人間の生活は衣・食・住が何よりもまず必要であろうが、衣・食・住を準備するにも準備するのは人であり、人は生きている。人の生≠支えるのに文化≠ヘ欠かせないことは、東日本の経験からも多くを言わなくてもいいだろう。
 年寄りも文化も何の足しにもならないのだろうか。役に立つ(目前の)ものだけ、つまり機能するものだけ生きる意味ありとする考え方は、焚書坑儒をよしとした泰の始皇帝を彷彿させるが、橋下市長はピラミッドの頂点にあって全体主義を押しつける。いうこときかん者はクビ℃ョに。
 一人はいろいろ属性をもっている全体であるから、私は全体性の恢復をめざす。多くの全体がルールを創る基底となす、それが公的なものであると心得ているから、いわゆる世の中は全体の総体であるといえよう。
 今のところは領海の向こうは公海≠サれがナショナルとインターナショナルのちがいであろう、それ位しかわからないが・・・。橋下氏は大阪市という領海で貫きたいというふうに見えるが、その点については私も国家とは何か≠勉強してみたい。 2012・3・3 宮森常子


クロモン市場のこと

 近くにあったナニワ市場は何年か前になくなってしまい、スーパーはできたが、年寄りの私にはやはり近く(10分は歩くが)の黒門市場がいい。威勢がよくて活気に満ちているように思う。
 今朝10時頃、クロモン市場へ買い物に出た。私の老化は速いように思うのでしばらくの間にヨボヨボになった≠ニグチ節が出ると、なに屋さんだったか若い女性の声がすぐ追いつくよ≠ニとんでくる。やさしいネ、待ってるぜ≠ニ返す。余りいい話ではないが、こんな調子が黒門にはある。値段の高い安いにかかわらず、私は黒門市場が好きである。
 以前はでんでんタウン(日本橋かいわい)にも、こんな風潮があったが。大阪ではかつて、買い物をするとき、ねぎるのが売り手と買い手の対話であり、それをおもしろがるのが大阪人である。今それが残っているところは少ないようである。
 大阪の北部、梅田にヨドバシカメラという電気製品の大きな店ではカニ商法で、値段札が大きく書いてあって、商店の係員がお求め商品をもってレジへ行き、客が精算して終わり。対話などより関心の的は値段であるという。店員さんがケースの間を横這いに歩いて、商品をレジへ運ぶからカニ商法というそうだ。いかにもスピード時代の働き方であるな、と思う。
 時は金なり≠ナモノ言うヒマない。私は昔人間からか、やっぱりカニ商法より黒門の方がええ。
2012・3・7 スズメ案内へ戻る


編集あれこれ

 本紙前号1面は橋下維新の会批判でした。憲法も法も無視、我こそは法なりという橋下攻撃に対して、現場でに反撃こそが重要だと思うのですが、この間の卒業式で君が代斉唱℃桙ノ立たなかったのは(報道で確認したところ)3ケタに及ばなかったようです。とりあえず戒告なら、大量不起立もあるのではと思ったのですが、これでは勝てないのではと思ってしまいます。
 橋下攻撃の尖兵は野村修也弁護士、大阪市特別顧問という肩書のようですが、まことに「類は友を呼ぶ」弁護士仲間のようです。この野村弁護士は第二東京弁護士会所属ですが、「労使関係に関する職員アンケート」の実施に対して2月24日、懲戒請求が提出されています。請求書には次のような指摘があります。
「このアンケートは違憲・違法なものであり、このアンケートを作成し、自らアンケートの集約主体となっている野村修也弁護士の行為は、自らが率先して違法な行為(憲法違反、不当労働行為)を行うものであるから、弁護士としての品位を失うべき非行に相当すると言わざるを得ない」
 この懲戒請求に対しては、これに反対する署名活動が大阪で行われているようです。彼らの改革≠ノはこうした厚い支持層があることを、私たちは忘れてはなりません。振り返ってみれば、橋下徹弁護士も懲戒請求されており、これも彼らにとってはある種の勲章≠ネのかもしれません。
 その時、懲戒の原因となったのは「光市事件」でしたが、くしくも事件当時18歳だった被告の死刑が2月に確定しています。神戸新聞社説も「死刑のハードルを低くし、厳罰化の傾向を強めることにならないか。最高裁の決定だけに憂慮しなくてはならない」(2月21日)と指摘しているように、応報的(復讐的)死刑判決は世相を荒廃させる、あるいは荒廃した世相が死刑を求めているものとして、憂慮すべき事態です。
 実は、こうした方向へと社会が進むことを、当時から橋下は望んでいたのでしょう。まさにそうした世相こそが、橋下という政治家を権力へと押し上げる原動力となっているのですから。
 前号では、東北地方太平洋沖地震・東電福島原発震災から1年を論じ、脱原発・原発なき社会をめざす集会やデモの報告が掲載されました。私も3月11日は大阪・中之島の集会とデモに参加していましたが、福島と福井からの次の報告が印象に残っています。
 福島原発からの放射能漏れをいち早く把握し、雪のなかの逃避行を決行したとき、あとでこれが吹雪のなかのピクニック≠セったと笑って話せたらいいと思ったそうです。しかし、現実は逃れることのできない悪夢のなかにあるのです。福島の方からの報告は聞くのがつらいお話でした。
 関電の原発がある福井から来られた方は、今はまだ福井県は踏みとどまっているが、国は敦賀までの新幹線延伸や中部圏への高速道路建設を餌に、原発再開稼働へのゴーサインを取り付けようとしている、と指摘しました。さもありなんと思いつつ、どこまでこの国はカネの多寡で政治を動かし続けようとするのかとあきれ果てたものです。
 そして3月21日、国土交通省の交通政策審議会小委員会は、「新規着工方針が決まった整備新幹線3区間について、投資効果や採算性が確保できるとした国交省の試算は妥当とする報告書をおおむね了承した」「3区間は北海道の新函館‐札幌と北陸の金沢‐敦賀、九州・長崎ルートの諫早‐長崎」(3月22日「神戸新聞」)という報です。整備新幹線の大盤振る舞いは予定されている消費税増税とも関連があるのですが、ここでこれを論じるのはあまりの脱線となりますので、別の機会に譲ります。  (晴)案内へ戻る