ワーカーズ463号  2012/5/1   案内へ戻る
社会保障の縮小と原発再稼働・消費増税等に突き進む野田内閣を打倒しよう!
私たち労働者・市民が今こそ政治的主体として登場しようではないか!

 菅内閣の下で声高に叫ばれ続けた震災復興、原発収束が一向に進まないままに政権を引き継いだ野田内閣は、早くも末期的様相を呈してその迷走を一段と強めている。
 四月二十日、前田国交相と田中防衛相に対する参院本会議でのW問責決議可決がこれを象徴する出来事だ。発足一年経ずして、問責決議が可決されたのはこれで四人目。民主党政権下では六人目となる。それ以外にも安住財務相や玄葉外務相そして枝野通産相等、資質に問題がある閣僚がゴロゴロといる。これに対して野田総理は彼らを擁護こそすれ自らの任命責任を果たす考えなど全くない。まさに泥中に生きる「泥鰌内閣」ではないか。
 公職選挙法違反や国防危機管理の不備に不問とする政権党など聞いた事も見た事もない。また福島原発事故の原因究明が検証できない中での原発再稼働に突き進む枝野相やIMFに約五兆円の追加増資を突然に発表した安住相など譴責に値する閣僚達ではある。一体全体、彼ら閣僚に労働者民衆の生活と直結する震災復興や原発事故収束は喫緊の課題だとの認識はあるか。彼らの目に日本社会の現実は見えていないのが正確なところだろう。
 三・一一から一年が過ぎた。いまだに三十四万人が仮設住宅におりガレキ処理は九十三%が手つかずだ。震災復興には総額一九兆円の予算はついたが相変わらずの無為無策。原発事故に関しても“脱原発”に道筋を付けるのではなく、滋賀県知事等から批判を受けつつも五月五日に原発が一炉も稼働しなくなれば電力不足になる、と無反省に大飯原発の再稼働を画策する。さらには今財源がないから消費増税をしなければならないといいいながらIMFの追加増資には消費増税五%にほぼ見合う金額を国際公約とする破廉恥ぶりだ。
 民主党の一枚看板の「政治主導」は一体何処に、また選挙民との公約・マニフェストの精神、さらに財源は特別会計からひねり出すは、どこに行ってしまったのであろうか。
 労働者民衆の要求する震災復興やそのための経済対策や脱原発をやらず、社会保障の縮小と消費増税と原発再稼働・TPP参加に突き進む野田内閣を打倒しよう!
 私たち労働者・市民が今こそ政治的主体者として登場しよう!   (直木)


問題は中身と立ち位置だ! 決められない政治≠ニいうけれど…………

 民主党政権、あるいは衆参ねじれ国会に関して、決められない政治≠ニいう批判や揶揄が横行している。
 確かに、民主党マニフェスト政治の総崩れと保守回帰などで、政治への幻滅感が拡がっている。その決められない政治≠ヨの批判は、強い政治、強いリーダーを求める声が蔓延する中、再び劇場政治≠後押しするものになっている。私たちにとっても対抗勢力づくりが問われる場面だ。

◆イライラ感

 「決められない政治」とは、たとえば次のような文脈で語られている。
 「政権を担う民主党は、党内がまとまらずスピーディーな決定ができない。自民党は政権の足を引っ張るばかりで、思い切った妥協に踏み出せない。」(朝日2・19)「いまや日本のリスクは、『決められない政治』なのだ。違う点は争っても、一致する点は前向きに議論し、きちんと決める。そんな当たり前の政治の作法を確立しよう。」(朝日4・6)という具合だ。
 要するに決められない政治≠ニは、消費増税ですぱっと決められない野田内閣や民主党のゴタゴタ、それに自民党などが繰り広げる堂々巡りに向けられているわけだ。民・自とも政策的には消費増税を掲げている、にもかかわらず党内の反対派を押さえ込めず、あるいは手続き論で争うばかりで消費増税を実現できずにいる、というイライラ感が言わせているのだろう。
 民主党内の反対派や自民党の反対論は、権力の椅子を巡る争いの土俵として消費増税問題を利用しているだけなのだが、その反面では6割にも上る有権者の不信や拒絶反応が反映したものとも受け止めるべきなのだ。
 メディアはそれを大衆迎合だと切り捨てる。消費増税は、財界・産業界が提唱して財務省がお膳立てし、その御輿に菅・野田内閣が乗っかって打ち出されたもので、それをメディアが応援団となって庶民・有権者に押しつけようとしているものだ。いはばそうしたメディアの立ち位置の問題であり、財界や政権と一体となって実現させたいという政治的立ち位置がそう言わせているだけに過ぎない。

◆太鼓持ち

 決められない政治≠ェ続くなか、他方ではなにっ≠ニ思わせる決定が続いた。八ツ場ダムでは12年度予算で建設続行に向けた予算が付けられ、あわせて東京外郭環状道路にも1・28兆円の予算が付けられた。今年4月に入ってからは、新名神高速道路(2区間)の凍結解除、総額3兆円もの整備新幹線の未着工3区間の整備、それに高速道路の4車線化事業の再開も決めた。これらはすべてコンクリートから人へ≠ニいうマニフェストのご破算を象徴するものだ。
 他にもある。
 今年1月には、総額1・6兆円を見込む次期戦闘機に、米国のロッキード・マーティン社が中心になって開発中の最新鋭機F35の採用を決めている。同機は不具合の多発で開発は遅れ、経費負担も大幅に膨れる見込みに加え、試乗もできないまま書類審査だけで決めてしまった。また4月に入って、今度は英国首相の訪日に併せて、両国による防衛装備品の共同開発で合意した。これは昨年12月の武器輸出3原則の緩和決定後、初めてのケースだった。
 これらは決められない政治≠ヌころか、国会での議論や政権党内部の議論も置き去りにしたまま、どさくさに紛れに次々と決められてしまったものだ。
 そうした政策転換やご都合主義的な決定の象徴的なものが、停止中の原発再稼働のもくろみだ。
 この4月13日、野田政権は関係閣僚会合で大飯原発3・4号機の安全を確認したとして、再稼働に舵を切った。いまも16万人もの人々が故郷を追われて避難生活を強いられているというのに、また事故原因の究明や抜本的な再発防止策も欠いたままだというのに、だ。
 こうした状況を見ただけでも決められない政治≠ニいう批判や揶揄は、労働者・生活者に負担を強いる消費増税への大きな抵抗や反対の声が渦巻いている領域の課題に向けられたものであることが分かる。マニフェストの転換や既得権につながる課題では決められない≠ヌころか、ろくに説明もしないで政権の決定を押しつけているのだ。つまるところ、決められない政治≠ヨの批判や揶揄は、そうした民主党政権への抵抗を押さえつける太鼓持ちの意味合いしか持たない代物なのだ。

◆財界政治

 民主党政権のこの間のマニフェストのなし崩し的な転換、それに自民党政治の復活としかいいようがない政策転換の根底には、民主党政権が企業・産業界寄りに大きく舵を切ったことがある。高速道都や整備新幹線、それに原発再稼働や武器輸出の拡大など、先に指摘した経緯をみただけでもそれは明らかだろう。
 封印が解かれたかのような人からコンクリートへ≠フ逆流=Bこの逆流は、消費増税に邁進する野田内閣の姿勢に便乗するかのようにたちまち拡がった。今参院で問責決議が可決されて辞任寸前の前田国交相などは、既定路線であるかのように就任時点からかつての土建政治の復活を先導してきた1人だ。
 原発では、すでに野田首相による東電擁護の発言が表面化しているように、産業界からの電力不足や燃料費高騰への不満の解消を最優先した再稼働路線を突き進んでいる。4月16日に名古屋で講演して「原発を一切動かさないと言うことであれば、ある意味、日本が集団自殺するようなもの」だと発言して物議をかました仙石政調会長代行、再稼働に踏み込むことが固まったことを真っ先に財界人に報告したという。さもありなん、という以外にない。
 昨年の原発事故時に「ただちに健康に影響はありません」と御用学者の受け売りで避難民などをミス・リードした枝野経産相も「原発ゼロ」と「なくてはならない電源」の間でぶれる発言を繰り返している。
 なぜこんな事になるのか。
 繰り返すが、それもこれも選挙を前にしての国民生活が第一≠ゥら企業・産業界の代弁者へと、民主党政権の軸足がはっきり移動したことを反映していることの結果に他ならない。
 失われた20年≠含む低成長期のもとでは、高度成長期は可能だったバラマキ政治は続けられない。政治の刷新をいうからには、だれの、どういう勢力・集団の利益を切り捨てるのか、が問われる。無駄を省く≠ニいうことは、従来は企業に甘い税制や国家予算を食い物にしてきた財界や官僚などの利権に鋭く切り込む、ということであるはずだ。労働者・生活者に全面的に依拠できない従来型保守も含む民主党政権には、それは不可能だったということだけの話なのだ。 野田政権の決められない政治≠ヘ、財界・産業界の要請に応えた消費増税などで、広範な生活者による不満・批判を抑えきれない現実を反映しているだけなのだ。現在の情況は、決められない政治≠批判・揶揄する場面などではない。そうではなく、有権者との約束を反故にして財界よりの姿勢を鮮明にした民主党政権の政治的性格をはっきり読み取り、それに対抗する闘いや政治潮流を全力で拡げていく場面なのだ。

◆劇場政治

 民主党政権の決められない政治≠ヨの批判や揶揄が拡がるのに会わせるかのように、橋下徹率いる大阪維新の会や石原慎太郎都知事への期待が膨らんでいる。維新の会の橋下大阪市長は、政治家は覚悟を持って次々と決めていくべきだという「決定できる民主主義」を掲げており、また石原都知事は、かねてから強いリーダーの必要性を公言してきた。
 どぎついワン・フレーズ発言で世間の耳目を集め、テレビなどメディアを巧みに利用する両者。典型的な政治代行屋とこれまた典型的な右翼政治屋という違いはあるものの、トップダウンの独裁政治を志向していることを隠さない。
 もとより自治体首長は、有権者による直接選挙で付託された権力を手にしている。実質的に地域の立法権と行政権を一手に握った、大統領的な統治が可能な地位を手にしている身だ。ねじれ議会であっても、その制約は国政ほど大きくはない。
 その彼らを押し上げているのが、民主党マニフェスト政治の総崩れと財界政治への転換だ。付け加えれば、揚げ足取り政治しかできない自民党、及び両者で演じる猿芝居政治への忌避感だろう。
 それに一枚加わっているのが、メディアや一部の体制派論者による決められない政治#癆サキャンペーンである。彼らは当の橋下や石原には批判的だ。が、メディアによる決められない政治#癆サという思惑的キャンペーンそのものが、彼らの虚像を膨らませ増長させるテコになっていることに気がつかない。
 なぜトップダウン型政治家や彼らを押し上げる劇場政治から脱却できないのか。それは財界べったりの政治に転換した民主党政権、それに民・自なれ合い政治を打破する対抗勢力が弱いからに他ならない。私たちの課題ははっきりしている。(廣)案内へ戻る


薬漬けにされる子どもたち 「精神科早期介入」の名による病者づくりと人権侵害を許すな!

 いじめにあったり、学校になじめなかったり、不登校になる等々で、悩み、苦しんでいる子どもたちは少なくない。親として、地域社会として、何とか支えてあげたいとの思いが募る。
 この善意を取り込む形で、国は、「こころの健康政策」を打ち出し、特に子どもたちを対象にした「こころの健康相談」に国策として力を入れようとしている。心の病には「早期発見・早期介入」が効果的だとして、教師、養護教諭、スクールカウンセラー等を通じて、精神科へとつなげる政策だ。
 しかし、この政策は、極めて危うい。現在の精神医療の未熟さ、拙劣さ、早期介入の先行モデルケースとされた三重、長崎等々の地域で子どもたちに生じた現実を見れば、恐るべき結果を招くことは必至だ。
   ◆  ◆  ◆
 「うつ病は風邪と同じ」の言葉を信じて精神科を受診。双極性障害の疑いありとして医師が出す薬を服用。薬を飲んでも治らずますます状態が悪化。医師は病気の進行だと言い、薬の種類や量が増やされていく。次第に抑うつが激しくなり、自殺願望や暴力行為などが生じ、自分自身や家族を傷つけ、とうとう措置入院。
 学校での教師や友人との関係の悩みから不登校に。行政のカウンセラーに紹介された病院で統合失調症と診断。処方された薬を服用するが症状は改善されるどころか悪化する一方。不安になった保護者にも、「あなたも病気だ」と薬が出され、親子ともども患者生活を送ることになり、家庭は崩壊。
 子どもが不登校になり、多くの著書を持つ有名な精神科医の門を叩く。処方された薬を服用したが状態がどんどん悪くなる。薬物依存を疑い警察の麻薬覚せい剤相談センターに相談したら、すぐ精神保健福祉センターに行くよう言われ、そこで「その薬は医者が処方できる覚せい剤です」と告げられる。断薬に努めると、あとはとんとん拍子で回復。
 以上はほんの一例だが、このようなケースが、モデル地域のみならず全国で多発している。それどころか「心の病気」と診断された人々がたどる典型例とさえなっているのだ。
   ◆  ◆  ◆
 その理由を、この問題に当初から警鐘を鳴らし続けてきた精神科医の笠陽一郎氏(松山・味酒診療内科)は、自身が試みた1万例を超えるセカンドオピニオンの経験を通して、次のように語る。
 「誤診は、大きく分けて、統合失調症とうつ病の過剰拡大診断がある。どちらの疾患も、そうそうあるわけではなく、NHKの百人に一人キャンペーンなど、根底から間違った情報である」
 「セカンドオピニオン事例で、圧倒的に多いのは前者である。つまり、一過性の混乱や内分泌性、薬剤性(アルコールを含む)など、広い意味での非定型精神病とか、発達障害の二次、三次障害が、全国各地で統合失調症とされている」
 「一旦『統合失調症』の診断が付けば、あるいはそれを疑われただけでも、『劇薬』とされている薬が処方され、様々な副作用が少なからず出現する。…副作用の中には、認知力や知能の低下、抑うつ、高揚や衝動性の昂進、幻覚や妄想、興奮、不安、焦燥、不穏、多動、失禁、高熱、死亡など、深刻な心身の症状が含まれる。…医師の方ではそれらを新たな精神症状の悪化と判断し、さらに別の薬を足してしまうことが多い。そのために新たな薬の副作用も加わって、…いつのまにやら多剤大量投薬というアリ地獄から出られなくなってしまうアリサマが、今日のわが国の精神科医療の実際」
 笠医師ら、現在の精神医療の改革を目指している医師や医療関係者の証言によれば、精神科の診断のほぼ9割は誤診であり、まれに正しい診断が行われた場合も、薬の処方が間違っているため、その副作用によって様々な心身の異常に苦しんでいるのが実態だという。事実、笠医師らのセカンドオピニオンによる新たな診断と助言に従って減薬・断薬に努め、繊細な治療を受けた多くの「患者」は、劇的に症状が改善し、通常の生活を送れるようになっている。
   ◆  ◆  ◆
 このような、精神医療のおよそ医療とは言えない現状をそのままにして、それが学校等を通して組織的に、有無を言わさぬ雰囲気をつくり出しながら子どもたちの中に持ち込まれていけば、取り返しのつかない事態となることは火を見るより明らかだ。本当に病気が疑われる子にはそれをさらに悪化させる治療が施され、そもそも病気でなく治療の必要のない子にも多剤大量処方が奨められ、薬物中毒に見られる様々な心身の異常に苦しめられ、人生をその初期の段階で致命的に狂わされることになってしまう。
 この「こころの健康政策」「早期発見・早期介入」動きの背景には、国と結ぶことで新たな仕事と活躍の舞台を得んとする精神医学界、市場拡大をねらう医薬品業界、「国民の要求」を吸い上げた「実績」を欲しがる政治家、そしてTPPで日本市場を狙う米国の医薬品業界等々の思惑もある。特に、政治家の果たしている犯罪的役割は、看過しがたい。彼らの浅薄な善意、間違った知識、現実から学ぼうとせぬ姿勢、そして物欲しげな政治的野心が、子どもたちを地獄に追い込もうとしているのだ。
   ◆  ◆  ◆
 病気でない者を病者に仕立て上げ、その犠牲者の屍の上で肥え太り、地位や影響力の維持・拡大をはかろうとする勢力の「こころの健康相談」の本当の狙いを明らかにする必要がある。生きづらさが蔓延する社会の中で、心の病で苦しむ人々は確かにいる。彼らは、とげとげしい、敵対的な社会から防衛されながら、真に適切な医療を受ける権利を保障されなければならない。
 しかし最も治療を必要としているのは、死ぬも生きるも自己責任、弱肉強食の原理で人々を引き裂き、孤立させ、心身ともに限界まで疲労困憊させている社会のありよう自身だ。もともとは社会の連帯や支え合いの中で安心し、幸福感を感じる生き物である私たちヒトにとって、社会のきずなの崩壊、社会自身が人々を傷つける凶器と化した現実は、耐えがたい。
 私たちの社会が本来の人間らしいきずなを取り戻す闘いの一貫としても、病に苦しむ人々の権利をしっかりと防衛、擁護するとともに、医原病、薬原病のさらなる蔓延をもたらすこと必至の「早期発見・早期介入」の動きを何としても阻止しなければならない。
※詳しくは「精神科早期介入の問題を考える会」のサイトをご参照下さい。 http://www.soukihantai.jp/   (阿部治正)


無実の袴田巌さんを1日も早く自由に!

 4月13日に弁護側鑑定人によるDNA型「不一致」という結果が出た。その時、検察は「検察側鑑定人の結果も出ておらず、現時点で何らかの評価をすることはできない」(4月14日「神戸新聞」)と言った。16日には検察側のDNA鑑定も「不一致」であったことが明らかになっている。そうすると、検察側は「鑑定手法などを検証せずに評価はできず、鑑定人から説明を聞く必要がある」(4月17日付け同新聞)と言った。
 どこまでも往生際の悪い連中だ。検察官は身内の保身に汲々とするのみで、死刑が確定した1980年から今日まで死刑執行の恐怖にさらされ続けてきた袴田さんをさらに踏みつけて恥じないのだ。冤罪を負わせることがどれ程罪深いものであるか、30代の青年が45年もの拘禁によって死刑確定者心神喪失≠ニなっている。検察は償いきれない過ちを犯したことを自覚しなければならない。
 ところで、今年2月に出された「捜査手法、取り調べの高度化を図るための研究会」最終報告には、『DNA型データベースの拡充』という項目があり、そこには次のような記述がある。
「DNA型データベースについては、現在、我が国においては国家公安委員会規則に基づいて運用されているところであるが、諸外国においては法律に基づいて運用されていること等から、本研究会において、DNA採取やデータベースの根拠の法制化の是非をめぐって議論がなされた。警察においては、こうした点を踏まえつつ、インフラの充実を始めとするDNA型データベースに係る抜本的な拡充を目指すべきである」
 DNAの採取といっても、逮捕時に指紋をとるついでに綿棒で頬の内側をこするだけでいいし、そうやってすでにデータは本人の了解もなく収集されているようだ。究極の個人情報が規則≠ノよって収集され、恣意的に運用されるなら、またしても冤罪を生まないとも限らない。DNA型データベースなどというものは危険極まりないが、冤罪をなくすためには被告弁護側が自由にDNA鑑定できるようにすることが先だろう。  (晴)


日本支部声明:袴田事件―早期の「再審の実現」を要請

本日、袴田事件の第二次再審請求の審理におけるDNA鑑定の結果から、袴田巖氏のDNAと、犯行時に着ていたとされる衣服の血痕のDNAとが一致しないことが明らかになった。アムネスティ・インターナショナル日本は、静岡地方検察庁に対し、新たな証拠にもとづく再審開始の手続きを、即時抗告などによって妨げないよう強く求める。
今回、DNA鑑定の結果が出された衣服は、1968年に袴田氏に対する死刑判決の有罪認定を基礎づけた証拠である。そして、鑑定結果は、この証拠に証拠能力及び証明力がないことを明らかにするものである。そうすると、この鑑定結果は、袴田氏の無罪を基礎づける新規の証拠であるといえ、再審請求の理由が認められる。よって、司法は、刑事訴訟法435条及び448条にもとづき、直ちに再審開始を決定すべきである。
また、「再審開始の決定」がなされた場合、静岡地方検察庁は、即時抗告などで再審開始手続きを妨げてはならない。日本では、死刑確定事件で再審が開始され無罪が言い渡されたのは、1980年代の4つの事件に留まり、それ以降は現在に至るまで、1件もなされていない。この背景には、検察が原判決の有罪判断の維持に固執することによって、再審の実現を難しくしている事情がある。しかしながら、当初から袴田事件は、その取調べ過程における不公正な手続きが問題となってきた。検察庁は、袴田事件における究極的な不正義に真摯に向き合い、今こそ司法の正義を実現すべきである。
袴田巖氏は、逮捕時から数えて実に45年以上も拘禁され、現在76歳の高齢である。また、袴田氏の精神の健康状態が懸念されていることは、日弁連による2011年1月27日付「東京拘置所死刑確定者心神喪失に関する人権救済申立事件(勧告)」にも明らかである。袴田氏の年齢、健康状態を勘案すれば、審理を長期化させる猶予は残されていないのである。検察庁には、DNA鑑定の明白性と、袴田氏の置かれた客観的な状況に鑑みて、自由権規約14条3項(C)、憲法37条1項及び刑事訴訟法1条の「迅速な裁判」の要請にもとづき、再審の早期実現に協力すべき法的、道義的責任があることは明らかである。アムネスティは、再審開始の手続きを即時抗告などによって妨げないよう、検察庁に改めて強く求めるものである。
アムネスティは、あらゆる死刑に例外なく反対する。死刑は生きる権利の侵害であり、究極的に残虐で非人道的かつ品位を傷つける刑罰である。アムネスティは日本政府に対し、死刑廃止への第一歩として、袴田巖氏を含めた全ての死刑囚について、公式に死刑の執行停止措置を導入するよう要請する。アムネスティは、袴田氏の事件について、世界的な規模で支援の取り組みを続けている。
2012年4月16日公益社団法人 アムネスティ・インターナショナル日本案内へ戻る


 読書室 「働きすぎに斃れて(たおれて)」−過労死・過労自殺の語る労働史− 
 熊沢 誠著 岩波書店 3200円
 私が、「色鉛筆」の記事に頻繁に「仕事が大変だ!」と愚痴をこぼしているので、ワーカーズ読者であり投稿の常連である宮森さんから貴重な本を頂きました。私のことを心配し、働き過ぎないように、無理をしないようにと気遣ってのことでした。その本とは? 約3cmもある部厚さで、10章から構成された内容の濃い充実したものです。まだ、読み終えていないのですが、是非、皆さんに紹介したいと思います。

それはあなたにも、起こりえたかもしれない
 「過労死・過労自殺は日本の労働者世界になじみぶかい働きすぎという大海の波頭にほかならず、それゆえに働きすぎて斃れた人びとの体験はまぎれもなく、その傍らで働くふつうの労働者の多くに共通する体験なのだ。産業社会の構造的なひずみはかならず個人の受難として現れる。・・・過労死・過労自殺は、働きすぎの臨界にいたる体験ではあれ、多くの『ハッピーな』従業員に無関係な、『まじめすぎる』『不器用な』人だけの受難では決してないのである」(第1章より)
 2010年2月に発行された本書は、約30年間に渡っての記録を「前期」と「後期」に分け、その特長を分析し、原因究明に力を注いでいる。80年代から90年代はじめまでを「前期」、その後から現時点までを「後期」として位置づけ、労働現場の変化が過労自殺へと追い込んで行く過程を明らかにしている。働きすぎて斃れるという悲惨な事態に泣き寝入りせず立ち上がる家族からの、勤務時間や健康状態の証言を、取り入れその過酷な労働の実態を物語にして暴露している。91年刊行の「日本は幸せか−過労死・残された50人の妻たちの手記」は社会的な問題として浮上した過労死と向き合った遺族の心の内面を伝えている。「この妻たちの手記」を本書では資料として活用している。

トラック労働者−死にいたる疾走
 事件はさかのぼるが1987年、帯広市内、1台の大型トレーラが300メートルほど蛇行し、国道の側溝に脱線して停止した。34歳のトラック運転手は脳出血で、開頭手術の18時間後に死亡した。結婚7年後にうまれた長男はまだ小学生、病気がちの妻を気づかい、過酷な労働も拒まず働いた。自宅を夕方出て、翌朝5時ごろ函館で仮眠3時間。8時頃、1袋30キロもある肥料を積み荷先で1人で降ろし、その後函館市内でレールを積み込み札幌に向かい、20時ごろ到着。その後弁当を買って車に泊る。翌朝、荷を降ろし、電話で会社の指示を受けメッキを積み込んで会社に戻る。帰宅はその夜22時頃。計算すれば自宅を出てから52時間後になる。
 他社との競争のため早朝での待機をせがまれ、不規則な勤務、深夜労働が強制される。こんな労働が続けば若くても体調を崩し死に至る。診察を受ける時間も惜しみ働かざるをえないのは基本給10万円にすぎないという低賃金。1キロメートル5円の距離手当て、事故を起こさない安全手当てと家族手当で23万円に届くらしい。なぜ、こんな過酷な労働が強いられるのか? トラック業界の重層構造と小企業労働者への犠牲転嫁が背景にあると、熊沢氏は答える。60パーセントが「10人から99人規模の労働者比率」というこの業界の小企業性が原因にある。大手運輸会社のコストに不利な仕事を小零細企業などに引き受けさせる。その犠牲は、34歳のトラック運転手に転嫁させれたのだ。今、被災地のガレキ受け入れの問題も、このような零細企業の運転手が担う事になるのか、心配になる。
 
成果主義とノルマに脅かされる労働者
 「世界の5月号」で紹介されていた記事に「ルポ 非正規公務員」という記事があり、橋下が市長になって、さらに労働条件が悪化したことが、報告されている。その中でも、私の郵便配達の仕事に重なる部分がある、水道局の検診員の方の告白を紹介したい。検診1件30円の歩合制で、1日200件近くを自転車で回る。「こけたり、犬にかまれたり、車と接触したり、それはいろいろありますよ」しかし、最も恐ろしいのは検針票の紛失や誤投函だという。個人情報を流出させたとして、1度のミスで退職につながるからだ。私の職場でも、誤配達にはとても厳しい処置がなされる。3回続けば時給を下げる。誤配達した先には自己責任で謝りに行き書類に記録し上司に提出。場合によっては差出人が苦情を入れてきて、その対応も押し付けられることもある。配達の仕事なのに営業も義務付けられ、ノルマを課され、とてもしんどい職場が現状なのです。最後に、熊沢氏の孤立化した労働現場の分析を紹介します。
「後期(90年代半ば以降)を特徴づける労災死亡がすぐれて過労自殺であることに、長く続いた平成不況期以降の職場における上司および同僚との人間関係の緊張、その波頭としての上司による多様なハラスメント、それらに追いつめられた労働者のストレスの高まり、鬱病などメンタルクライシスの多発がふかくかかわっていることはおそらく疑いを容れない。業務の過重ノルマや長時間労働が、人間関係の『寒い』職場風土でいっそう際立ってくるとき、労働者はひときわ孤立に追い込まれ、その心労は生きづらいまでに耐えがたくなるからである」 (恵)


映像にみる米英のイラク戦争

ポスターガール(サラ・ネッソン監督作品)
 雑誌「アーミー」(2005年8月号)の表紙を飾った女性機関銃手ロビン・マレーはイラク戦争に従軍し、ブッシュが掲げたイラク民主化≠フ現実に幻滅する。狙撃に対する応戦、それは狙撃者を突き止めて反撃するのではなくむやみに乱射することだが、ロビンはそれが出来なかった。兵士としては失格だったのだろう。
 多くの兵士がそうであったように、帰国後、従軍前の自分を失ってしまったロビンは無気力に陥り、感情をコントロールできなくなる。芸術活動を通じてPTSD「心的外傷後ストレス障害」から立ち直り、戦場の真実を語るようになる。この映画はその過程を追ったドキュメントである。
 米国社会では心身に障害を負ったイラク帰還兵の世代が形成され、失業、ホームレス、自殺など、苦難に直面している。「冬の兵士」証言集会を行った反戦イラク帰還兵の会は、ブッシュが始めた戦争によって傷を負った若者たちの米国社会に対する告発である。戦争とともにある米国社会に対する反戦の闘いである。

ルート・アイリッシュ(ケン・ローチ監督作品)
 こちらは兵士ではなく、英国の民間兵(コントラクター)の復讐の物語である。主人公ファーガスは親友フランキーを誘って民間兵としてイラクに行き、戦闘ストレスを抱えて先に帰国した。そして、フランキーの死を知らされる。フランキーは要人警護でルート・アイリッシュを何度も往復させられ、銃撃を受けて死ぬ。
 ルート・アイリッシュ、「イラクのバグダッド空港から市内の米軍管轄区域グリーンゾーンを結ぶ12キロに及ぶ道路のことで、03年の米軍によるイラク侵攻後、テロ攻撃の第一目標とされる世界一、危険な道路=v(映画のパンフレットより)での親友の死に疑惑を持ったファーガスは真相を追い、民間警備会社や粗暴な同僚に疑惑を向ける。
 真相を求めて、ファーガスは水拷問で同僚を責めるが、そのシーンは迫真の演技を求めて実際にやったものだという。拷問は真実を引き出すために行わるというが、被拷問者は最初はウソをつくが、苦しくなって真実を喋るようになる。そして、最後には拷問者が求める回答、つまりウソをつくという。つまり、拷問者は真実を引き出そうとして拷問を行うのだが、得られるのはウソだ。
 拷問はジュネーブ協定で禁じられているのだが、この(顔に布をかぶせ、その上から水をかける)水拷問は米国によって許可されており、強化尋問テクニック≠ニ呼ばれているそうだ。これにはブッシュだけではなくブレアにも責任があるのだが、そのブレアが中東和平大使に任命されたのだから皮肉だ。
 フランキーが命を落とすきっかけとなったのは同僚による二人の少年の殺害だが、コントラクターは「命令17号」で守られ、刑罰は問われないのだ。フランキーはこの殺人を告発しようとし、同僚と警備会社はこれを隠そうとしていた。何しろ、ハリバートン社の最高責任者は年に4200万ドルを稼ぎ、米英の「特殊部隊は戦争中、非課税で月14000ポンドを受け取っていました。その一方で、ボリビア人やコロンビア人などラテンアメリカの兵士の日給は35ドル、イラク人は月収100ドルでした。ですから、兵士の間にさえ階級性やえこひいきが存在していたのです」
 この映画は、雑誌の表紙に写った脚がズタズタんで死にかけの小さな少女の写真を見て、「戦争とは究極の差別であり、一般市民の大量殺りくに他ならないと実感」したことから始まったという。2003年3月というから、その雑誌は「DAYSJAPAN」創刊号だろう。確かに、あの写真は衝撃的だった。
 さて、映画の結末まで紹介するのはルール違反、ぜひ鑑賞していただきたい。以下、パンフレットからケン・ローチの言葉をいくつか引用したい。
「すべての民営化はコスト削減と利益拡大のためです。私たちは産業を・・・鉄道を・・・輸送を・・・医療を・・・刑務所を・・・学校を民営化しました」「兵力も民営化され・・・軍人が死んだら、遺族への義務が生じます。年金も払わなければなりませんし、基地も維持しなければなりません。その点、コントラクターであれば安いし、死んでも面倒はないというわけです」
「米国人の兵士が最大の犠牲者であるかのような描き方している米国の映画を見るとウンザリしますし、そういった映画が米軍に捧げられているのを見るとさらにウンザリします。確かに彼らだって苦しんできましたが、何百万という戦死したイラク人や、破壊された家庭や、手足を吹き飛ばされた子どもや、爆破された家のことを考えてみてください。400万人が難民となっています」   (晴)案内へ戻る


コラムの窓・・「北緯二十七度線」

 北緯二十七度線と言われても、ほとんどの人はピンとこないだろう。
 朝鮮半島の三十六度線とか、ベトナムの十七度線と言えば、民族を南北に分断した国境線である、と答えられる人も多いだろう。
 地図を広げてこの北緯二十七度を探してみると、奄美諸島最南端の与論島(鹿児島県)と、沖縄本島最北端の辺戸岬との間の海域が、この北緯二十七度線である。
 今の時代、この北緯二十七度線という境界線を意識して飛行機や船で越える人はほとんどいないだろう。
 だが、1952年の「サンフランシスコ講和条約」の段階適用によって、奄美が日本になり沖縄だけが米軍の占領地であった時代がある。この時、この北緯二十七度線が目に見えない断絶境界線となり、沖縄は日本から遮断された。その時代、沖縄に行く人・沖縄から日本に行く人は、外国に行くような「パスポート」が必要な時代であった。
 沖縄は今年、「サンフランシスコ講和条約」から60年、「復帰」から40年である。だが、今なお米国軍隊が駐留したままである。
 1945年の敗戦後、1952年4月28日サンフランシスコ講和条約によって、日本はようやく独立を認められ主権を回復した。
 しかし、この講和条約には二つの「毒入り饅頭」が入っていた。
 一つ目の毒は、講和条約の「第3条」問題。
 米国の要求で、沖縄・奄美・小笠原は日本と一緒に独立できなかった。政府は同胞である沖縄・奄美・小笠原を、日本全体の利益という口実で切り捨て、米国に売り渡した。
 その後、奄美と小笠原は復帰が認められたが、沖縄だけ取り残された。
 この時の沖縄の人びとの痛み、悲しみ、屈辱を大田昌秀さんは次のように述べている。
 「沖縄の人びとは、沖縄を分断してはくれるな、と有権者の72%におよぶ署名を集めて政府に請願したが、完全にその意思は無視されてしまった。そのため、沖縄では、講和条約が発効したその日を『屈辱の日』として、毎年、組織労働者たちを中心に抗議デモをくり返してきた。」(大田昌秀著・「醜い日本人」より)
 このように、沖縄では4月28日を「屈辱の日」と呼んでいる。当時、小学生だった世代の人たちは、その日先生方から「私たちは日本に裏切られた。棄てられました。」と言われたことを覚えているという。
 二つ目の毒は、講和条約と一緒に締結された「安保条約」。
 米国は米軍の駐留が講和の前提になる以上、日本の国会がこれを当然問題にするだろうと考え、「講和条約」と「安保条約」(軍事条約)を分けて二本立てにして提案。さらに駐留する軍人・軍属・家族が犯す、すべての犯罪について、専属的裁判権は米軍側にあるとする治外法権的な「行政協定」(今の地位協定)を別個に結んでいる。
 米国は講和条約の草案は公表したが、安保条約の草案は公表しなかった。日本の全権団は4月28日当日、現地で初めて見せられた。だからこそ署名を拒否する人がほとんどで、吉田首相一人だけ署名することになった。
 このように、ほとんどの日本人が知らないうちに、この重要な「安保条約」(軍事条約)が締結されて、沖縄は米軍の占領が続く軍事植民地となった。
 最近、普天間飛行場の返還・閉鎖問題、辺野古の新基地建設問題において、沖縄の構造的差別が指摘されているが、その差別の起源の一つが、1952年4月28日にあるということを、本土の皆さんに知ってほしい。(富田英司)


読者からの手紙
 ヨコのつながりを生むお店

 コムュニティの形成が求められて久しい。わが大阪わが街レポート≠フ編集にかかわって、編集部とメンバーとのつながり具合を反省してみた。それぞれ気の合った者同志が交わる形や、中心となる人がまるで鵜匠と鵜がヒモでつながっていて、鵜同志の変わりはないというイメージにぴったりのような形、―これが支配的なようである。新大阪市長の行動様式に似ている気もするが―。
 最近、近所にできた手作り雑貨を売るお店は、女性の好きな小物雑貨(すべて手作り)を扱い、大きな机店の真ん中にデンとあり、椅子が両側に並べられている。それに商品がつい立ての役割をしていて表から直接見えないように心憎い配慮がなされていて、客同志が自由にしゃべくれる空間が用意されている。
一言でいって入りやすい居心地のよいお店である。この地域の昼間の居住者は主婦が大方であろうが、みんな心置きなく他人様と交われる場を求めているものと想像する。ちょうど、父ちゃん方が飲み屋の札所八十八ヶ所が、お好きなように。
 人が集まるのは魅力のあるテーマや催し物であったりするだろうが、日常生活の中でのつながりは他愛のないものが始まりである場合が多いし、肩をはらない関係がいいし、それが大阪人らしいものであろう。
 それぞれの人がそれぞれの重みを背負って生活しており、この手づくり雑貨のお店は、女性たちのひとときの解放された時と場であるように思う。いまどきのドンピシャリの新しいタイプのお店のように思われ、うれしい限りである。 2012・4・3 スズメ


 映画ニーチェの馬≠見て

 父親とその娘と馬の生活。農夫であろう父親と娘、疲れ果てた馬の3者の日常。この父親が何をなりわいとするかなど描かれない。3者のきまった日常のいとなみが繰り返され、コトバなし。3者の動きの映像のみが繰り返され、外は嵐が続く。
 毎朝の娘の水汲みにはじまり、体の不自由な父親の着せ替え、茹でたジャガイモ1ヶづつの食事。どこかでこのような身にふりかかる難儀、同じことの繰り返しの映像を見たのを思い出した。砂の女=i阿部公房作)である。毎日毎日、ひっきりなしに崩れて降ってくる砂をスコップですくって、どかしているという生活のイメージ。ニーチェの馬≠ナ同じ。
 砂の女≠ナは村落共同体の中の一人女が住む家と、そこにすべり落ちた一人の男を描いたものだが、共同体の中の一つの家という設定である。ニーチェの馬≠ナは父親と娘と馬の3者だけ。馬小屋の馬と父娘二人が住む日常の生活だけが、描かれ外とのかかわりは、酒をわけてもらいに訪れる人(不満不幸をならし、リクツをこねる人―ニーチェのことらしい)位。コトバは娘の食事よ∴ハだけ。
 くる日もくる日も、同じことの繰り返しの中に変化が外からまいこむだけだが、決定的な変化不幸が到来する。井戸の水が枯れる。もうここには住めないと父親は判断し、疲れきった馬と娘と必要なものを車に積んで、この家を去ろうとするが、果たせず結局まいもどってくるが、水もなく薪もつき、何も食おうとしない馬は多分息絶えたのだろう。
 水も火もない父娘の生活がやってくる。食事はナマのじゃが芋1ヶ。父親のコトバ食わなきゃだめだ≠ニナマのじゃがいもをバリバリ食う。娘を沈黙したまま食べない。夜が来て、明りもない、文字通りお先まっくら。死を待つだけの生活のように見える。背後に迫る死。ナマのじゃがいもをバリバリ食う父親,生≠フ息吹はそれだけ。いつまで続きうるか?
 しかし、生のじゃがいも1ヶをバリバリ食う父親の姿に奇妙な力強さを感じるのだが・・・。それは私だけだろうか。大阪わが街レポート≠V号に連載中の福島にとどまって果物の栽培をやっておられる後藤幸子さんの昨年3月11日以降の記録の中で、「寒さも慣れれば人間の方が強くなります。もう少し不便で健康な暮らしをとり入れていきたいと思います」と書かれている。
 ニーチェの馬≠フ父娘の生活は極言状況に近いのだが、生き抜こうとする強い意志(これが人間お尊厳≠フ内容かも知れない)は、後藤さんの文にもうかがえる。人間に世界破壊の責任ありとすれば生≠どうすればいいのだろうかという問いは残るが。 2012.4.18 宮森常子


「尖閣を買う」―石原都知事の大妄言

 元祖「言うだけ番長」の石原都知事がアメリカのヘリティジ財団で講演し、東京都が沖縄・尖閣諸島の一部を購入する方針を決めた事を明らかにしました。彼は「都が尖閣諸島を守る」などといつもの虚勢を張って見せましたが、東京都の税金を使うのに議会にも諮らず、しかも出先のアメリカで突如妄言を口にするなどまさに老醜の極みでしょう。
 この保守系シンクタンクであるヘリティジ財団とは、前原政調会長等の防衛族議員と関係が深い事で有名です。07年に当時の久間防衛相が武器輸出3原則の見直しを発言したのもこの財団の講演でした。また対米従属の自民党政権とベッタリで、民主党政権が誕生し、鳩山元首相が「日米対等」を唱えると強く批判したことでも知られており、さらには中国に対する強硬姿勢も有名です。前原大臣の勇み足による尖閣沖の漁船衝突事件では、その後の中国人船長を釈放した事を「日本の降伏」と喚き立てたのです。
 今回の石原発言がヘリティジ財団の反中国路線の流れに位置付いている事は明白です。これを見ても石原都知事のさもしさと利用価値が知れるというものでしょう。石原都知事は弱い者には情け容赦ない対応をするものの強い者にはひたすらゴマをする男なのです。
 最近のヘリティジ財団は、日本で高まる脱原発の機運についても「日本の原発撤退は米国、世界に悪影響」とのリポートを発表して、原発推進派の政治家や大企業経営者の主張にお墨付きを与えています。要するにこの財団は、米国が日本をコントロールするために防衛族などを煽て上げ唆すシンクタンクなのです。
 オリンピック招致運動や今回の思いつきも、そんなにしたければ、身銭を切ればよいだけの事です。都予算とは、石原都知事の財布ではありません。そういえば日刊ゲンダイは「だいたい都民にとっては尖閣購入よりも、石原が知事選の公約で掲げていた『米軍横田基地』の返還の方が先だ。ノコノコと米国に出掛けて行ったのだから、堂々と『返せ!』と迫ればいいではないか。民主党政調会長の前原もそうだが、『国防』を気取る連中はそろって『言うだけ番長』ばかりである」との痛快な記事を掲載していました。  (稲渕)


色鉛筆・・・年々強まる職場管理 ーー組合活動の意義をおもいつつ

 私が、教育現場の労働組合に加入して21年目となる。最初は多数を占めていた組合員も毎年の退職にともない減っていき、職場で組合員でいること自体が異色な存在と周囲からみられている時代だ。
 私が加入当時に、とても熱心な組合員で子どもたちの教育について色々教えてくれたZ先生も、教頭試験に合格し組合をやめ、出世街道まっしぐらにすすんでいて、管理職になってから再度同じ職場で働くことになった。県交渉のため職専免の申請にいくと、深々と頭を下げられ「ごくろうさまです」と話されたので、私が「ご一緒できなくて残念です」と話すと、ひきつった顔をされたことが今でも記憶に残ります。
 彼は念願の校長になり転勤していったが、挨拶にきた彼の話を聞くと校長になっても、自分は十分なバックアップがないから不安だと話していた。その時、なぜ子どもの教育に人脈が必要なのかと違和感を感じた。
 私も、昨年度転勤してまた新たな校長のもとで働くことになった。今は評価の時代で、その結果が給料に反映される。具体的には、自分の仕事の目標を記入し、目標時と、一年後目標が達成出来たか校長による面談が二回ある。
 一回目面談時は何も言われなかった。私は目標を達成出来たと認識したので自己評価はAにした。すると校長からは、20年働いて目標自体が低すぎる、そればかりではなく「転勤してきたばかりでAをつけるのは謙虚さがない」といわれた。「自己評価はBをつけ、校長がAをつけた方が県の印象がいい」とも。ようするに恩の押し売りではないか。また今回の転勤で校長と意見の合わない組合員は全員転勤となったことは偶然とは思えない。
また最近こんなこともあった。転勤で新しい組合員を迎えたが、他方で分会長が転出したので、誰が新しい分会長になるか数少ない組合員で話し合いをした。転勤してきた組合員が「校長が自分とあわない人を追い出したと聞きました。自分もどうなるか不安です。」「私を分会長するなら組合を辞めたい」と話されました。
 思わず「私が分会長しますので何もされなくても組合員でいていただけるだけでありがたい」と話した。こんないきさつで私は分会長に自ら立候補するになってしまった。
 減少する組合員を少しでも止めなければならないと思い、組合の勉強会などには広く声をかけてはいるが、この一年では残念ながら大きな成果にはつながっていない。
 最近私の周りは、管理職に付き従う「犬」と顔色ばかり伺っている人たちばかりになつてきていることは腹立たしい。こんな働きづらい職場だけれど、彼らとも調和を計り、かわいい子どもたちのために歯をくいしばり、がんばるしかないと感じている。 (弥生)案内へ戻る


編集あれこれ

 前号は、12面で量・質ともによかったと思います。1面は、「原発の再稼働を許すな! 原子力ムラの策動を打ち破ろう!」という記事でした。現在、野田内閣は大飯原発の再稼働を画策しようとしています。こうした動きを何とか食い止めて行かないといけません。そのために、多くの民衆の力を結集しましょう。
 2面は、「沖縄通信」です。北朝鮮の「衛星」打ち上げは失敗しましたが、これに備えて自衛隊の軍備増強が図られています。3月30日、田中防衛大臣は、北朝鮮の「衛星」撃ち落としのための破壊措置命令を出しました。また、PAC3が沖縄に配備されました。こうした、軍備増強の動きにも反対していきましょう。
 3〜5面は消費税増税に関する記事でした。社会保障費が増加したから消費税を上げざるを得ないとうのが、政府やマスコミの言い分です。しかし、この間法人税の減税や所得税の累進課税の緩和等で金持ちに対する減税がやられてきました。また、輸出企業には還付金制度があり優遇措置があることも4面の記事で触れています。一般大衆へ多大な痛みを押し付ける消費税増税に反対すると共に、企業や金持ちに対する課税強化を求めていきましょう。
 6・7面は原発の記事でした。福島での放射能汚染を調査する現地レポートもあり、深刻な状況がわかりました。やはり、即時に原発から脱却しないといけません。
 9面は、死刑執行に抗議する記事が出ていました。死刑執行は、冤罪があっても取り返しがつかないし、残虐な刑罰です。あと、常設の「コラムの窓」、「何でも紹介」、「色鉛筆」も興味深い記事でした。読者からの手紙は、スリランカの状況や東日本大震災に関するものでした。これからも、多彩な紙面づくりに向けて努力していきます。 (河野) 案内へ戻る