ワーカーズ464号(2012/5/15)
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全原発停止から核なき未来へ!今こそ原発主義の時代≠ニ決別しよう
5月5日、未曽有の原発震災から1年2ヶ月近く過ぎて、ようやく国内50基すべての原発が止まった。冷静に考えれば即座に全原発が停止してもおかしくない事態であったのだが、東電による計画停電≠ニいう暴挙、脅しによって定期点検までの延命が謀られたのだ。そして今、攻防の局面は定期点検後の再稼働に移った。
子どもの日に全原発停止を迎えることは、この上ないお祝いだといえる。しかし、フクシマの子どもたちは今も放射能汚染地に囚われている。野山を駆け回ることも、公園で遊ぶことも禁じられ、明日をも脅かされている。何よりもこの子たちの、家族の避難を保障することが野田政権がやるべきことなのに、原発輸出を進め、再稼働を急いでいる。
たとえ全原発が停止し、ここから全原発廃炉へと進んだとしても、すでに膨大な放射性廃棄物が蓄積され、安全に処理できる当てもなくさまようことになる。こうした負の遺産を残してしまうことに、我々も責任を負っている。せめてこれ以上の汚染を許さず、核なき未来を次の世代へと引き継がなければならない。
この日を期して、攻防は新たな段階に移った。その焦点は何よりも関電大飯原発3・4号機の再稼働であるが、フクシマから目を離してはならない。事故で壊れた原発からは今も放射能が漏れ続けているし、4号機の燃料プールが壊れてチェルノブイリを超える世界汚染を招く危険がある。政府はこの危機を隠し、除染によって避難者の帰還も可能になるとの楽観論を振りまき、がれきの広域処理で挙国一致の幻想を掻き立てている。電気事業連合会会長にして関電社長の八木誠は再稼働に最大限努力するとの決意を示し、政府はついに関電管内での電力制限令を検討すると言いだした。
この国の戦後を、戦前の軍国主義の時代≠ノ比して原発主義の時代≠ニ喝破したのは石橋克彦氏だ。原子力ムラは大本営のごとく強大な力を持っている。さらにその後ろ盾が核によって世界を支配してきた米国であり、その下で核の平和的利用=E核拡散が進行してきた。ここにおいて、全原発の廃炉とは米国との核の同盟≠フ破棄、米軍の核の傘からの離脱でもある。めざすは原発主義の時代≠ゥら核なき未来へ! (折口晴夫)
関越道での高速バス事故と消費税
バス事故を誘発した4つの原因
5月9日、衆院国土交通委員会の理事懇談会で、4月29日に46人が死傷した関越道の高速ツアーバス事故について国土交通省から報告を受けた。その際、共産党の穀田議員は「規制緩和した上、事業者の監督・指導を怠ってきた同省の責任は重大だ」との以下の4点にわたって当然の指摘をし国交省の責任を追及した。
第1には、2007年に27人が死傷した「あずみ野観光スキーバス」事故の教訓が生かされず、過当競争による運転手の過酷な労働実態が改善されていなかった。
第2には、総務省が既に10年に出した勧告で要請されたバス運転手の乗務距離上限(670キロ)を改めるなどの安全対策見直しがなされていなかった。
第3には、国交省が先月まとめた「バス事業のあり方検討会」最終報告書で、既に勧告で課題となっていた乗務距離の上限見直しを行わない等の現状を容認した。
第4には、「規制緩和(正確には規制撤廃だ―猪)」路線の検証で、貸し切りバス事業が00年に免許制から許可制へと規制撤廃のため、11年3月末には4492社と従来の倍となり異常な過当競争が生まれまた。
つまり国交省は「あずみ野」事故後の監査で、ツアーバス84事業者のうち約8割で過労防止義務等の法令違反が判明し、違法の常態化を把握していた筈なのに対策を怠っていたと彼は追及した上で、事故を起こした運転手が日雇いで運転していた一方、他方で名義借りをし個人営業していた事実に言及した。そして「交通機関で安全を担保するのは運転に携わる労働者だ。運転手の労働条件を改善しない限り安全は確保できない」と強調し、緊急対策として、▽深夜運行は2人制にする▽低運賃や無理な運行を押しつける旅行業者への監督・指導を強化する―を要求したのである。
消費税を不問にした共産党の不明
これらの指摘はもっともではあるが、こうした傾向を推し進めてきた“推進エンジン”である現行消費税制度にこの機を捉えて切り込まなかった点で、私たちは共産党の不明を批判する。なぜなら消費税制度は労働集約型の産業ほど深刻な影響を与えるからだ。
一言で言えば消費税とは人件費に対する課税であり、その結果正規・非正規社員を数多く抱えている会社ほど負担が重くなるため、会社は節税対策としても「仕入れ税額控除」の対象となる派遣労働者を必然的に増さざるをえなくなる不公平な税制なのだ。
消費税制度は“推進エンジン”
分かりやすく説明する。労働集約型の産業である製茶業を例に取ろう。例えば800円で仕入れたお茶を1000円で売ったとする。その業者は仕入れ先に800円の5%である40円の消費税を払って、お客から1000円の5%である50円を消費税としてもらう。結果として税務署に納めるのは差額の10円となる。これは、一体全体何にかかる税金なのかと考えてみると、お茶を売った業者が手にする800円と1000円の差額200円に含まれるのは、ほとんどが人件費となる。つまり10円の消費税は人件費に課税されている事になる。これが消費税の持つ本質なのだ。とすると税率を上げれば上げる程、運輸業等や学習塾の様な人件費の比率が高い労働集約型やサービス産業に影響が出る。一方で、ロボットが活躍する製造業等はそれほど影響を受けない。そんな状況が生まれるの事になる。今回の関越道でのバス事故の遠因はこうして作られたものである。
また一方で派遣会社への支払いにかかる消費税は「仕入れ税額控除」の対象だ。多ければ多いほど、納める消費税を減らせる。他方で給与には消費税がかかり、仕入れ税額控除の対象ではない。会社からすれば、派遣社員の方が正規社員や非正規雇用よりもトクとなる。つまり現行消費税制度では、人件費コストが同じ場合、「正規・非正規社員への給与」と「派遣会社への支払い」とでは、その会社への課税額は大きく変わるのである。
こうして会社は人件費を減らそうとするから、労働集約型等の産業に深刻な影響が出る。正規社員を解雇する事は大変むずかしい。となればその結果、非正規雇用を増やす、さらに消費税は正規・非正規を問わず社員の雇用すら止めさせる“推進エンジン”となり、さらに過酷な労働条件の下に働く派遣社員を増やすように機能する事になる。
まさに現行消費税制度は、ワーキングプアを増大させる希代の悪法だという結論しかない。民主党のマニフェスト破りの消費増税に断固反対していこうではないか。(猪瀬)
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フランス大統領選とギリシャでの総選挙で示されたもの
フランス大統領選挙とギリシャ総選挙
フランス大統領選ではサルコジ大統領はまさかの落選。オランド候補の最終得票率は51・6%となり、48・3%だったサルコジ大統領は再選を果たせなかった。再選をめざした現職大統領が敗北したのは、1981年にジスカールデスタン大統領がミッテランに敗北して以来31年ぶりで、また社会党は1995年に退任したミッテラン大統領以来、17年ぶりに政権を奪還する。
ギリシャでは、政府債危機の発覚以来推し進め主導した経済緊縮政策の責任を問われた連立二大与党が、前回総選挙時の合計得票率77%を32%に激減させる惨敗を喫して、第一党の全ギリシャ社会主義運動は、第三党に後退し、第二党の新民主主義党は第一党に、第三党だった急進左翼連合は第二党に躍進したのである。
欧州政府債務危機の発火点であるギリシャで緊縮経済政策を主導した連立与党が惨敗し、欧州政府債務危機処理をメルケル独首相ととともに主導したサルコジ仏大統領が落選した事は、先のイギリスで労働党が大躍進と事とあわせて、今後の各国での労働者等による欧州情勢の大激変を予想させるに充分な兆候である。
世界的にも各国のマスメディアは一斉に、欧州政府債務危機処理スキームの破綻を警告する論調を強調する事だろう。また易きに流れるデモクラシー、また「無知蒙昧な労働者民衆」批判する論調を一段と強めていく事だろう。そしてギリシャのEUからの離脱の可能性を誇大にかき立てていくだろう。彼らがこのように行動するのは、彼らにはこうした事しかできないからなのであり、自分の無力さを彼ら自身が知っているからなのである。
ユーロ政府債危機の本質とユーロ
政府債危機の本質とは何か。その本質は各国が実体経済と大きく離れた金融マネーゲームに耽ったことにその本質がある。ギリシャの政府債権危機をユーロ全体の危機に深刻化していったのは、実にギリシャ政府債の破産すら保険としたCDS保険金総額の巨大な総額にこそあったのである。
表面上はギリシャ政府債の75%の債権放棄で事を済ませた格好ではあるが、このCDS保険の危機は解決されていない。つまりこれらの危機全体の大きな背景に、金融経済のグローバル化に対する市場からの批判、金融資本の論理の矛盾、労働者民衆の生活の軽視等々か存在する。換言すれば、各国の労働社会を実質的に構成する労働者民衆の生活軽視に対する一大警鐘が鳴らされたものである。
メルケル等は今何よりもユーロの崩壊を恐れている。しかしギリシャの労働者等は、必ずしもユーロの加盟を強く求めていなかった。ユーロへの参加は、欧州の中でギリシャが取り残される事を恐れたギリシャ産業界、金融界が求めたものであり、多くの労働者等は、緊縮策を迫られる窮屈なギリシャよりも、自分たちの生活の安定を望んでいる。総選挙後の連立構想は早くも困難を極め、再選挙が取りただされるまでになっている。ギリシャがユーロ離脱の方向に進む可能性が現実味を帯びてきたと見るべきであろう。
ドイツ内部でも、ギリシャなどをユーロに引き留まらせるためにドイツが巨大な資金負担をすることについて、否定的な見解を示す右派勢力が台頭し始めている。そもそも欧州の統一、そして強いヨーロッパの実現を求めているのは、欧州の産業界と金融界であって、欧州に居住する各国の労働者等では必ずしもない。つまり資本を代表する人物が欧州主要国のトップに座り、金融資本の利益に沿う施策を大胆に推進してきたが、その反作用として労働者等に生じた生活上の諸困難、すなわち高失業率と生活水準の悪化等の苦しみが強制されたのである。
各国の労働者等の反撃の開始
今回の両選挙では、グローバリズムを是認する金融資本等の利害に沿う経済政策運営が強行されてきた事に対して、労働者等の反撃が開始されつつある事を示唆している。しかしまだとてもとても充分とはいいがたい。実際、フランスの大統領選での得票率の差は大きなものではなく、8割を超す投票率が確保されたものの得票率では、51.5対48.5程度の僅差で勝敗が決着した。
一時投票で三位の極右のルペンがサルコジを支援しなかった事も関係したであろう。さらに前回大統領戦では、右派勢力と左派勢力の得票率がちょうど逆であった事を振り返ると、二つの大きな勢力は拮抗を続けており、経済環境や経済政策運営の変化に従って、微妙に勢力図が変化する傾向を持つ事が理解できよう。つまり労働者等にはまだ確信が掴めていない。しかしこれらの選挙から反グローバリズム・反金融資本の論理から、労働者等が離反しつつある傾向は見て取れるであろう。フランスにおいてもサルコジ大統領敗北の大きな背景の一つに、福島原発事故の反省から脱原発依存を求める国内世論が強まった事にあるとするフランス言論界での意見もある。
各国の労働社会の主人公である労働者等の意思を無視した各国の経済運営は、必ず挫折する。欧州政治情勢の大激動はこの側面から評価しなければならないのである。(直木)
「シカゴメーデーに参加して」
5月4日から6日の3日間、アメリカのシカゴで開かれるレーバーノーツ大会(労働組合全米大会)の参加をめざして、4月29日に成田から12時間のフライトの経てシカゴに到着した。
まずは5月1日のシカゴメーデーに参加した。
恒例のメーデーパレード開始前に、ヘイマーケットの「記念碑」前に関係者が集まり集会が開かれた。
ご存知の人も多いと思うが、1886年シカゴの労働者が8時間労働制を要求して立ち上がりデモンストレーションを敢行した。その労働者の闘いが全世界に広がり、5月1日のメーデー(労働者の祭典)が定着した。
2004年に建てられたこの「記念碑」は、1886年のデモで警察隊に虐殺された労働者たちを追悼するため建設されたもの。
当時、シカゴのヘイマーケットに集まった労働者たちがデモを開始した。誰が投げたかはっきりしないが爆弾が破裂して、一人の警察官が死亡する。それをキッカケにして警察隊の乱射が始まり多くの労働者たちが死亡する大事件となる。
その後、警察の事件捜査と労働者弾圧がヒートアップ。爆弾テロを計画し実行したとして、8人のリーダーが不当逮捕され、裁判にかけられる。結局、5人が絞首刑となり、2人が終身刑、1人が15年の懲役刑となる。
日本の大逆事件などでも見られるように、盛り上がる労働者や大衆の闘いを押さえるために事件をデッチ上げ弾圧する権力側の冤罪事件といえる。
現在、不当弾圧を受けた8人のリーダーたちの名誉は回復され、立派な慰霊碑が建てられ多くの労働者たちが墓参に訪れている。
現地で知ったが、日本などでは5月1日のメーデーは有名である。しかし、アメリカはメーデー発祥の地なのに、5月1日のメーデーは定着せず、9月1日が「労働者の日」の休日となり定着している。
それは、こうした爆弾事件があったことや共産主義者を徹底的に弾圧したマッカシー旋風が吹き荒れ、労働運動が冬の時代をむかえたことも関係しているようだ。
集会が終わり、メーデーパレードの出発地点である公園に集合し、パレードが始まった。前方が労働組合の関係者、後方が移民団体や市民団体の関係者が続く。
ざっと1500人が参加し、例年より沢山で盛り上がったようだ。いつもの年は労働組合と移民団体が別々に開催しているとのこと。それが、統一メーデーパレードになったのは、やはり「1%と99%」で有名になったオキパイ運動の好影響(労働運動と市民運動の結合)が作用したと言う。
パレードは日本に影響を与えたスタイルである音楽や歌などの登場、それぞれのグループが自分たちのスローガンを掲げながら楽しくパレードする移民の人たち。びっくりした違いは、パレードの最中はシカゴの繁華街を交通止めにして、道一杯に伸び伸びと歩くことが出来たこと。また、警察隊も日本の機動隊のように過剰警備(デモ隊をサンドイッチにして威圧する)せずに、事故がないように配慮しているだけであった。
最近の日本ではデモに対する警察権力の弾圧は異常で、まさに憲法違反である。そんな事を感じさせるメーデー参加となった。(富田英司)
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コラムの窓・・・「黄金週間の過ごし方」
この時期の連休をゴールデンウイーク≠ニ呼び習わすようになったのいつからでしょうか。いかにも和製英語のようですが、この時期はかえって仕事が忙しい方もいるだろうし、私も郵便配達をしていた時はこの連休とは無縁でした。晴れてその労働から解放され、どのように連休を過ごそうかと贅沢に迷うようになりました。
まず、メーデー会場へ出向くのは外せません。最近は参加者も少なくなり、ビラもあまり受け取らなくなりました。これをして、労働者意識の後退を見て取るのは簡単ですが、それを嘆いても仕方ないのでしょう。動員参加か、付属のイベントが目的か、いずれにしてもメーデーそのものへの関心が薄れてしまっているのでしょう。
4月29日が「昭和の日」、5月4日が「みどりの日」というのはいつからのことなのかいぶかるのですが、天皇制に反対する小さな集会とデモに参加したとき、在特会の直撃を受け、考えさせられました。デモ隊と同じくらいの人数で圧力をかけ、阻止線を張る警察と揉み合いをしているのです。
警察に守られるデモというのも忸怩たるものがありますが、デモ隊があんなことをしたらたちまち公務執行妨害≠ナ逮捕されるのに、彼らこそ警察に守られ罵詈雑言の言い放題なのです。それにしても彼らはどうしてあんなに語彙貧弱で、「日本が嫌なら出ていけ」ばかりなのでしょう。この日は「天皇陛下万歳」を叫び続ける者までいて、どのような内的エネルギーがそうさせているのか、暗い情念≠ニいうものを感じます。
その次は、一転して憲法記念日の集会参加です。朝日新聞阪神支局襲撃事件から25年、朝日新聞労組主催の「不信の壁を越えて‐3・11後の言論と社会」、むのたけじ氏の講演とジャーナリストの斉藤貴男氏らのパネルディスカッションでした。散弾銃を持った目出し帽の男に襲われ、2名の記者が死傷、当時29歳の小尻知博記者が死亡し、後日「赤報隊」を名乗る犯行声明が行われています。15年で時効となって、今もって真相は闇のなかです。
右翼のテロ、凶悪な殺人事件の舞台となった朝日新聞阪神支局は私が住んでいる西宮市にあり、5月3日には支局に祭壇が設けられるので、出かけたこともあります。赤報隊の犯行声明は「反日朝日は 50年前にかえれ」というもので、それは大日本帝国が中国侵略を進め、朝日新聞も侵略戦争に加担していて時期であり、その意図は明らかです。
さて、97歳にして生涯現役、全身ジャーナリストのむのたけじ氏は、杖をつき支えられながら登場し、椅子に座っての講演でした。しかし、その語り口は力強い言葉、身振り手振りの上に時には足を踏み鳴らし、恐ろしいほどの迫力でした。9・11以降のブッシュによるアルカイダ・ビンラディンらの犯行だとした反テロ戦争≠ノ触れ、なぜ記者はビンラディンに会って話を聞こうとしなかったのかと言います。そして、オバマ大統領によるビンラディン殺害は証拠隠滅だと指弾しています。
また、ピープルの存在を見なければならない、徳川後期の膨大な数の一揆、首謀者は一族皆殺しという弾圧のなかで、歴史が形成されてきた。明治においても同じような支配層との闘いはあったと指摘しています。記者はどこに身をおいて記事を書くのかという、現状に対する厳しい発言でした。
さらに天皇制下では、ピープルでも国民でもない臣民≠セった。中国大陸での皇軍の蛮行の数々についても、暴君の臣民は暴君より暴君である、といった言葉を紹介しました。これは実に意味深い言葉です。自国の市民に銃口を向ける兵士はまさにそうですが、イラクやアフガニスタンでの米兵の行為はどうだろうか。民主主義的暴君とでも言えばいいのでしょうか、現代民主主義が孕む闇を見る思いです。そのイラクやアフガンからの帰還米兵も、戦場での死者数とほぼ同じ6000名もが自殺しているのです。
そして最後の土・日は、すべての原発停止の時を迎えたことを思う存分街頭で訴え、核なき明日を子どもたちに届けようと呼びかけました。それで、読者の皆さんはどの様な黄金週間≠過ごされましたか。 (晴)
繰り返される対処療法──機能不全の官許経済学──
やれ消費増税だ、やれ景気対策だ、いや成長戦略だ…………。光が見えないわが日本の経済・財政の現状に対して、政治やメディアは右往左往を続けている。それらの土台となるべき経済戦略やその基礎となるべき経済学も、市場万能のネオ・リベラリズムと政府のテコ入れを重視するケインズ経済学の間で行ったり来たりだ。
いま必要なのは、資本主義の行き詰まりを根底から打開する、社会変革と結びついた社会経済学≠ノこそある。
◆無効の対処療法
日銀が4月27日の金融政策決定会合でまた金融緩和策を打ち出した。日銀が市中にある長期国債の買い取り枠を5兆円積み増しして70兆円に増やすなどで、2月の物価上昇1%という「インフレ目標」の導入や2月と4月の買い増しに続くものだった。政府が赤字財政のため有効な財政政策を打ち出せないなか、デフレからの脱却をめざした野田民主党政権による日銀への圧力を受けての金融緩和策だった。
とはいってもこの金融緩和、デフレ解消の見込みはほとんどない。
そもそもデフレとは、一言でいえば供給力に対する需要不足で起こる現象だ。売りたくても買い手が付かない結果、モノやサービスの価格がじりじり下がっていく。そうしたデフレ経済のなかでいくら市中(銀行)に大量の資金を投げ入れたところで、投資や雇用は上向くはずもない。またせっせと国債を買い込むか、あるいはその一部がマネーゲーム≠ノ向かうのが関の山なのだ。
こんな事は当の政府も日銀も分かってはいる。が、「消費増税に政治生命をかける」という野田内閣は、財政赤字構造からの脱却を掲げる手前、これ以上の国債発行による財政出動に走るわけにはいかない。そこで日銀に圧力をかけて金融政策による景気テコ入れ策を強要するわけだが、これまたすでに実質ゼロ金利なので金利引き下げなどできない。やむなく資金供給という通貨供給量によるてこ入れ策を取ることしかできないのが実情なのだ。
その結果はどうなのか。
資金を供給される銀行は、新たな投資先や借り手がないので、またせっせと国債を買うことになる。結果は日銀法で禁じられている日銀による国債の直接引き受け≠ニ実質的には同じ事になる。国の借金(国債)を買わせるために日銀に日本銀行券(お金)をせっせと印刷させていることになる。いまでは日銀の長期国債の買い取り量は年間47兆円規模だ。今年度に政府が新たに発行する国債が44兆円なので、実質的にはすべて日銀が引き受けていることになる。
これではいずれ国債価格の暴落や途方もないインフレ(通貨価値の下落)を招くのは避けられない。だから日銀も国債購入の限度を通貨発行残高(現時点で約80兆円)の範囲に抑えるという内規を決めている。しかし、それも別枠の日銀基金による購入部分を例外扱いにすることで、その縛りを自ら破棄する有様なのだ。
政府や日銀がデフレ克服の最後の手段として打ち出した金融緩和策とは、かくも無効かつ無責任な代物でしかないのである。
◆ジグザク政策
デフレ経済からの脱却がおぼつかない中、このところ様々な景気対策が議論されている。そうした景気対策は、財政出動や金利政策、さらには通貨供給量の調整など、多岐にわたる。
ところが肝心のデフレ経済からの脱却のための方向性や方法についての共通認識がないのが実情だ。というよりも、そもそもデフレ経済がなぜ起こるのかという肝心な点で共通理解がない。
4月29日付け朝日新聞の「波聞風問」欄で、その真犯人£Tしの実情が紹介されている。少し以前の「97年橋本増税」や「輸入デフレ説」「金融危機説」から最近の「生産年齢人口減少説」「お金フェチ説」まで、諸説紛々の「見立て」を紹介している。
私としては真犯人≠ヘ、「利潤目的の資本の生態とグローバル経済の結合説」だと見立てている。デフレ経済は、コスト削減至上主義だけを頼りに後発国が台頭するグローバル競争に臨んだ日本が最初に遭遇しているからだ。
突き詰めて考えると、デフレ経済の原因は単純なものだ。そもそも資本制経済の特徴とは、個々の企業による生産やサービスの提供が個々の私企業の利益増大を目的として行われているという、まさにそのこと自体にある。人々の生活の充足を直接の目的としたものではないのだ。その結果、個々の企業は利益が上がると目算すれば素早く設備を増やし、より多くの製品を市場に投入して利益を得ようとする。個々バラバラな企業が競って生産を増やしても、いずれは最終消費量という制限にぶちあたる。問題はその最終消費量というのは右肩上がりに増えるわけではないところにある。最終消費の多くを占める賃金などは、様々な理屈を付けられて低く圧縮される傾向があるからだ。この乖離が傾向的な需要不足、逆から言えば供給過剰をもたらす。
こうした供給過剰は、08年秋のリーマンショック前後で40兆円規模に膨らみ、4年たった現在でも20兆円規模という大きなものだ。
このギャップを埋めるものとしては、技術革新などによる新しい需要の掘り起こしや海外需要などの新規市場の開拓だ。とはいえ、市場規模を大きく膨らませるような技術革新が続くとは限らない。それに海外市場の開拓も各国の技術水準や為替相場、あるいはコストとしての労賃などに左右され、それぞれが厳しい競争下にさらされている。結果、なかなか埋まらないわけだ。
現に民主党政権になってから成長戦略を策定して推進してきたにもかかわらず、まったく成果が上がっていない。野田政権が評価したところ、菅内閣が10年6月につくった「新成長戦略」約400項目中で9割は「成果なし」だという結果となった。さかのぼる歴代自民党政権下でも同じだった。
何回成長戦略を繰り出しても、せいぜい供給過剰をいくらか緩和するのが関の山、本来であれば倒産して市場から退場すべき企業を延命させただけに終わったきた。成長にための地ならしさえ整備できなかったわけだ。
◆機能不全の経済政策
グローバル競争には浮き沈みがつきものだ。
後発国は低い労賃などを武器に生産や輸出を拡大するが、労働力不足などで労賃は引き上げられる傾向にある。それが国内市場を膨らませて経済規模を拡大もするが、次第に労賃などのコストアップで対外競争での優位性は薄れる。逆に先進国は、国内の需要が頭打ちになるなるなど、経済の成熟化とともに対外輸出ためのコストダウンに傾く。日本はかつてジャパン・アズ・ナンバーワンといわれた時代もあったが、現在は新興国からの追い上げもあってGDPは中国に追い越され、労働生産性でも最上位から滑り落ちている。
本来はそれら各国の趨勢のギャップは為替変動で自動的に均衡が回復するはずなのだが、現実にはそうした現物経済は、マネー資本主義的な投機などで歪められる。
そのうえ経済のグローバル化は、冷戦構造という政治的なカベが取り払われて剥き出しの競争によって加速されてきており、お金がお金に投資されるマネー資本主義による実体経済と貨幣経済の乖離が大きくなることで複雑さも増している。加えて各国における政府による経済対策だ。政府による経済政策は、財政や金利政策などで経済をより複雑化させる。その成果としてパニック的な恐慌を回避してきた反面、メリハリがきいた景気回復が無くなって低迷期が長く続くことになる。
経済学の基本では、輸出が減ったり国内経済が縮小すると為替相場が円安になって価格競争力が回復して輸出が増えたり国内経済も復活するはずだが、マネー資本主義ではそうした原理は単純には機能しなくなる。国民の蓄積率や税負担率など様々な要素が絡み合う投機の結果、為替変動が実体経済とずれてしまう。まさにいま日本が直面している交易構造の悪化と円高が同居する状態が象徴している。
こうした混迷する経済の抜本的な立て直しには、現行経済システムの土台からの見直しが不可欠だが、まさにそのことを始めから除外しているのがネオ・リベラリズム経済学やケインズ経済学などの官許経済学なのだ。
それらは現実離れした仮説の積み重ねの上に立った様々な関数いじりや政府による経済対策等々でしかない。要は資本制経済システムに対する対処療法経済学でしかないのだ。いま必要なのは、不況や格差拡大を必然とする経済システムを根源からとらえ直し、それに変わりうる経済システムへの移行を提起する経済学、すなわち社会変革と結びついた経済学なのだ。
◆拡がる体制不信
金融や財政の専門家を名乗る論者や新聞やテレビなどのメディアは、有権者を説得できない政治家のポピュリズムや、痛みを受け入れない庶民の無理解を嘆き非難する論調が目立つ。このままだといずれ財政が破綻し国家が立ちゆかなくなるのは目に見えているのに、というわけだ。ついこの間までは、リーマン・ショックから立ち直るための経済対策をあれほど求めていたのではなかったか。淀む川の左岸に立っては景気対策を要求し、右岸に来ては緊縮政策を叫ぶたぐいという以外にない。
しかし、メディアや論者こそ事の本質を理解していないし、できないというのが真相なのだ。
普通の有権者や庶民は、これまでの経済学の限界やそれに取って代わるオルタナティブを明確に自覚している人は少ない。だからとりあえず仕事や雇用を増やしてほしい、景気を良くしてほしい、などというだけだ。だがそうした素朴かつ深刻な声を一皮めくれば、そこには既存体制への不信や絶望が隠されているのがほの見えるはずだ。
有権者や庶民の反乱は、利益万能の市場経済のなかで、一部のものに富が集中して格差が拡大してきたことへの抗議であり、二つはデフレ克服策も貧者の負担が中心に置かれていることへの異議申し立てなのだ。その根底には人々の生活を充足することができなくなりつつある資本主義経済への体制不信がある。昨年のアラブの春≠竄サの後ウォール街から拡がったオキュパイ運動=Aそしてこの5月のギリシャやフランスで政治転換をもたらした若者や庶民の行動の根底には、そうした体制不信が流れている。庶民の無理解やポピュリズムのせいではないのだ。
もうこの辺で目先の対処療法に振り回されるのはやめにしたい。現在のデフレ経済からの脱却のために、あるいは利潤万能の市場経済と政府によるてこ入れ策としてのケインズ的経済政策の間での千鳥足政策からの脱却こそ必要なのだ。
その経済学とは、単に仮説の積み重ねや数値や関数いじりでの最適値探りなのではなく、働いても働いても生活がよくならないばかりか、格差だけが拡がっている経済システムからの脱却を示すものであるはずだ。私たちは早急にそれを手にする必要がある。(廣)
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何でも紹介 私の好きな宿
数年前、長野県の八ヶ岳山麓にある「小さな絵本美術館」に行く時、インターネットで検索して「一泊二食付き6500円」という安さで選んだペンションが、期待以上の宿だったので紹介します。
長野県諏訪郡原村にある「ペンション サンツィッグ」は中央自動者道諏訪南インターチェンジやJR中央本線富士見駅から車で五〜十分位で着き(送迎あり)過密なペンション村からは離れて、緑の木々に囲まれた一軒家だ。笑顔で迎えてくれるご夫婦のオーナー、部屋数は少なくこぢんまりした素朴で静かな(団体客や娯楽施設もない)宿だ。そして何よりもこの宿を薦めたいのは、オーナーの娘さんたちが作る食事だ。和洋折衷の創作家庭料理で、オーナーのご主人が作った有機無農薬野菜の旬のものを使って夕食は、オードブル・肉・魚・サラダ・煮物料理が次々にだされる。ひとつひとつが美味しく食べながら「え、これは何かな?」と思って聞くとごく普通の食材であることに驚くさすがプロだと思ってしまう。お腹いっぱいになっても食事が終わるとデザートがでる。これがまたすごい!自家製のスウイーツができたてで、チョコケーキは温かくその上にかかっているアイスクリ−ムやフルーツは冷たく絶妙に美味しい。朝食もリゾット・サラダ・卵料理とパン、これがまた美味しい自家製の焼きたてのパンだ。こんなに美味しい食事なのでリピーターの客が多く、メニューが重ならないように様に工夫しているという。
この宿が気に入ってしまい家族と行くようになると、オーナーが周辺の山々を案内してくれる「自然探訪ツアー」のはがきが届き、ここ2年夏と秋に友人を誘って参加した。夏は八島ヶ原湿原と草原を歩き、秋はゴンドラリフトを使って山野草園や入笠山のんびり歩きをしたが、ガイドブックにはない地元のオーナーならではのコースで自然を満喫することができた。今年はどんなツアーがあるか楽しみにしている。
どの部屋からもたくさんの緑が見え、明るいダイニングルームからは四季折々の景色が(夏の窓にカエルも)楽しめ、オーナーの奥さんが育てている草花がいつもテーブルに置かれていて心がなごむ。家族皆さんでもてなしてくれるこの宿のモットーは「ゆったり・おだやか・のんびり」だ。興味のある方はホームページを見て下さい。(美)
色鉛筆・・・ 「姉と弟」
前号(463号)に「無実の袴田巌さんを一日も早く自由に!」とアムネスティ・インターナショナル日本の、静岡地方検察庁に対する「早期の再審実現の要請」の記事が紹介されていた。
1966年静岡県旧清水市で、味噌会社専務一家4人が殺害され、犯人とされた袴田さんは死刑囚として今も獄中に囚われている。その事件の起きた地元に住み、感じていることを書いてみたい。とりとめのない内容でお許しを。
市民と弁護団が一体となって、月例会、街頭署名、地裁・地検への再審開始の要請行動、東京拘置所の袴田さん訪問、各地での集会など、地道で息の長い支援活動を続けていることに本当に頭が下がる。
そこにはいつも袴田巌さん(76歳)の姉、秀子さんの姿がある。背筋を伸ばし、弟の無罪釈放を信じて活動されている。支援する者すべてが、この秀子さんのお元気な内に弟との再会をかなえたい!と心から願う。
4月に、第二次再審請求の審理の中で、犯行時の着衣とされる衣服の血痕と袴田さんのDNAとが一致しないことが明らかになった。これは袴田さんの無罪を証明するだけでなく、この着衣が「捏造されたもの」であることも明白となった。検察官が、持っている証拠を隠し、自らに有利なものしか出さないという今のシステムの前で、支援者らは『衣類の味噌漬け実験』など、気の遠くなるような作業を強いられた。再現のために味噌を作り、支援者らの血液を衣類につけ、味噌に漬ける、それを繰り返す・・・・。それでも、実験結果は「明白な捏造である」という事実を証明した。
こうした明白な“袴田さん無罪”の事実を前にしてもなお、地裁・検察の動きは鈍い。直ちに再審開始を決定すべきだし、静岡地方検察庁は即時抗告などで再審開始手続きを決して妨げてはならない。
30歳で無実の身で逮捕され、今年76歳。46年間もの拘束と、死刑囚としての恐怖・絶望の日々は、心身共に病み衰えさせるのに充分過ぎる。一刻も早く、そこから解放して姉のもとに帰したい。
つけ足しして、支援の会主催の『DNA(型)鑑定について』の学習会で、講師の天竺啓祐氏(ジャーナリスト、市民バイオテクノロジー情報室)の話で印象に残ったことが二つあった。
「DNA鑑定の原則として、“DNA不一致は犯人ではない”“一致は犯人とは断定できない”−−−のだが、足利事件のように一致したから犯人だとして冤罪事件に使われやすい」「“災害が起きた時のために”という名目で、公による『DNA管理』の話が今進められている。大地震が予測されている静岡などは特に」
いずれにしても誤りを誤りと認めない側の進めること、恐ろしい限りだ。(澄)
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読者からの手紙
福島からの便り 「わたぼうし」5月号
東日本大震災から1年2ヵ月が経とうとしています。原発事故が私たちにとてつもなく深刻な被害をもたらし、今後日本の子孫に消すことのできない負の遺産を残すことになったと、日を追うごとに確認せざるをえません。
福島の問題を解決せずして原発の再稼動はあり得ません。それでもなお再稼動したいのなら、推進派の議員、科学者、評論家の皆さん、福島原発で働いて下さい。それから、東京電力の皆さん、下請け、孫請けに頼らないで、自分達で事故処理をして下さい。そんな事が出来ないのなら、原発はやめて今すぐ廃炉に向けた研究や、科学者を育成すべきです。
今年の冬はとても寒く雪の多い厳しい冬でした。膝まである雪を掻き分けてのせん定作業は困難を極め、さらに除染作業が農作業の遅れを加速させました。1月~3月はせん定、枝片付け、桃の摘蕾、梨の棚縛りと農作業は盛りだくさんです。
私たちは、これから収穫される果物に放射能が検出されないために、最大限の努力を重ねてきました。しかし、木の幹の除染はできても、土を削るところまでは追いつきませんでした。本来なら、東京電力の社員が来て除染すべきところなのに、人の良い農民は黙々と作業を続けています。しかし、労賃が高すぎると東電は納得せず、まだ一部しか支払われていません。顧問には月90万もの報酬を支払いながら、私たちには昨年の梨やりんごの損害賠償がまだ支払われていないとは一体どういうことなのか・・・納得できません。
損害賠償は、原発事故によって所得が下がった部分の最低の補償であり、農家の精神的苦痛には何も支払われるものはありません。賠償請求にあたっては難しい書類を何日もかかって作成し、さらに写真を添付せよと、高齢者には大変な無理・難題を強いられています。
今年は福島(JAふくしま)の野菜果物は全量検査(農家ごと)することになりました(検出限界は20ベクレル)。より安全でおいしい果物を作り続けますので、是非応援よろしくお願いします。
あっぷる・ファーム後藤果樹園
「愛情足りないと発達障害」との“極論”で自爆した「大阪維新の会」
「大阪維新の会」の大阪市議団は、公表してから僅か6日後に5月市議会に提出予定だった「家庭教育支援条例案」を白紙撤回に追い込まれました。余りにも多くの市民からこの呆れた見解に対して真っ当な批判が噴出したからです。この条例案は行政による家庭支援を謳い文句とし目玉としていましたが、第15条には次の様な“極論”がありました。
「乳幼児期の愛着形成の不足が軽度の発達障害を誘発する大きな要因であると指摘され、また、それが虐待、非行、不登校、引きこもり等に深く関与していることに鑑み、その予防、防止をはかる」
つまり「維新の会」は乳幼児期に親の愛情が足りないと発達障害を起こすと“極論”して見たものの発達障害を親の愛情不足とするなど無知丸出しで支持する人はほとんどいなかったのです。この結果は、まさに身から出た錆と言わざるをえません。
彼らの最大の擁護者と目された「維新の会」代表の橋下市長ですら「僕が市民の側だったら、『(条例案は)うるせえ、このやろう。大きなお世話だ』というふうに多分言うんじゃないか」と自らの保身のために彼らを悪者にし非難して見せました。「維新の会」大阪市議団としてみれば、彼のこの発言は梯子を外された格好で裏切りそのものです。この対応を見ても、橋本市長の「機を見るに敏な」政治姿勢を特徴づけるものでしょう。
“原発再稼働”に反対するなど選挙民を引きつける事を意識した橋本市長のパフォーマンスは賢明な市民のために今回頓挫しましたが、橋本市長の言動には今後とも最大限の注目が必要とされているのではないでしょうか。 (稲渕)
再稼動になぜ市民は声をあげようとしないのだろう?
大飯原発再稼動に福島の例を知りながらなぜ、一般市民は声をあげないのだろう。私が知らないだけならよいが。
@一般市民は大変だと思いつつ、どうやって自分の意見を言ったらいいか、そうした習慣がないから分からないのではないか。
Aすべてあきらめてしまっている。
B知事さんたちが反対してくれるから何とかなるだろうと、自分は動こうとしない。
C最後に「原発」国民投票(集英社文庫 今井一著 800円位)を読まれたし。 2012・5・5 大阪 宮森常子
原発に関する諸問題を国民投票で(1)
10年ほど前であろうか、行政が発行したポケット憲法(たしか西区区民センターでもらってきたもの)の改正のところをめくってみると、憲法を改正する場合、国民投票で決めるとあり、その他の場合、例えば国民の生活上の諸問題については何も書かれていない。
国民投票は憲法の改正の場合に限定されている。おかしいはなしだと思い、国民投票についてもっと知りたいと思い、Oさんから今井一著「原発」国民投票=i集英社新書 760円+税)を紹介してもらい、只今勉強中。第4章に日本でも「原発」国民投票を実施しよう≠ニあるように、実現に努力するつもりだが、何からはじめたらいいか、さっぱりわからない。どなたでも教えてください! ご意見をお聞かせ下さい!
2012・5・3 大阪 宮森常子
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編集あれこれ
前号1面の主張、2・3面の分析で報じているように、民主党政権は野田首相の登場によって、政権交代への期待をすべて使い果たしてしまいました。4月末の共同通信による世論調査によっても、野田内閣の支持率は発足当初の60%超えから26・4%にまで低下しています。民主党支持率も13・6%と、とても政権党の数字とは思えないものとなっています。
しかし、自民党支持率が上昇しているわけではなく、こちらも19・6%にすぎません。いやがうえにも高まっているのは橋下維新の会への期待感で、国政進出への支持が62・5%となっています。この手の世論調査には恣意的なものも多く、その数字をどの程度信頼できるかは疑問です。それでも、民主・自民への幻滅が橋下徹氏にみられる劇場政治≠ヨの期待を高めていることを否定することはできません。
その橋下氏も所詮は新自由主義、自己責任を声高に弱者・少数者切り捨てに走り、いずれこの熱病も冷めるものと思われますが、それまでのどれだけの血が流されるのかということに思いを致さずにはおれません。すでに、現業職場のたたき売り・私企業化や、大阪市男女共同参画センター「クレオ」5館の廃止案が打ち出されています。橋下市長の市政改革≠ノよって、大阪市はサバイバルの地に落とされるでしょう。
前号5面では、袴田事件の冤罪性がDNA鑑定で明白に明らかになったことを報じています。そこで触れている国家公安委員会主催「捜査手法、取調べの高度化を図るために研究会」最終報告ですが、捜査の高度化≠ニはなんでしょう。
「取調べの可視化を実現すると同時に、取調べ及び供述調書への過度の依存から脱却し、科学技術の発達や情報化社会の進展等による社会の変化、これに伴う犯罪ツールの高度化・複雑化といった状況に対応し、治安水準を維持していくためには、客観証拠による的確な立証を図ることが可能となる捜査手法を不断に検討する必要がある」(最終報告)
取り調べの様子をすべて映像に残すこと、そうしないと拷問まがいの手法でうその自白を取られて冤罪となる。自白だけでは有罪にしていたやり方はもう通用しない。要するにこれまでのような歪んだ捜査手法、それに乗っかった裁判はもう許されないということです。それにかわるものとして捜査の高度化≠ェ提起されているのですが、その具体的要求≠ヘまるで焼け太りです。
まず前号で紹介したDNA型データベースの拡充がありますが、他に通信傍受の拡大、会話傍受、仮装身分操作、量刑減免操作、・・・。DNA型データベースの拡充、すべての人のDNAを集めておけば犯罪が起きてもDNAの照合だけで犯人を捕まえることが可能になるということですが、これは人を見たら犯罪人と思えというような類のものです。
通信傍受の拡大は、もっと自由に盗聴ができるようにし、それを裁判でも活用できるようにするといったものです。3月26日、仙台地裁で自衛隊の市民監視は違法(違法な情報収集で人格権を侵害)という判決がありましたが、警察は日常的に盗聴を行い、そこで収集した情報を有罪の証拠にしようというのです。これほど破廉恥で人権を踏みにじるものはありません。
仮装身分操作というのはおとり捜査のことで、免許証の偽造等を合法化するものです。これを犯罪捜査の一環だからかまわないなんて思ったら大間違いで、先の自衛隊情報保全隊の監視対象には市民団体も含まれていたのです。公安警察も同類で、警官が身分を偽って市民団体に潜り込むこと(前記の盗聴対象になるかもしれません)も予想されれるのです。
官僚は転んでもただでは起きない、握ったものは離さない、政権交代を飲み込んで、弱者・少数者排除に突き進んでいます。この流れに警鐘を鳴らし進むべき道を探る、紙面充実に向けて読者の皆さんからも投稿を寄せていただきたいと思います。 (晴)
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