ワーカーズ465号 2012/06/01
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財政赤字の国民・労働者への責任転嫁を許すな!
野田政権の大衆増税路線に反撃しよう。 大資本と富裕層にたいする大増税を!
●国際的な闘いへ
国家財政赤字に悩まされている先進諸国では、労働者・勤労者に財政赤字を責任転嫁する動きが急だ。それに対する労働者、低所得者の闘いが開始されている。
フランスでは、緊縮財政の旗頭、サルコジが大統領選で敗北。スペインでは「財政再建」の露骨な労働者への犠牲転嫁に対して、5月12日バルセロナで4万人を超える大デモンストレーションがあった。英国では、40万人の公務員労働者が、年金改悪に反対してストライキを実施した。さらには、「EU信用危機」の原点であるかに歪曲されて、大衆犠牲の緊縮財政を国際的に強要されてきたギリシャで、緊縮財政反対派である諸党派が国会選挙で大勝利をかざっている。
さらに、米国共和党による公的医療扶助制度やフードスタンプ制度予算の大幅削減があったが、他方、格差社会批判の運動から、米国富裕層への増税への動きも活発である。またドイツの地方選挙で緊縮財政を掲げるキリスト教民主同盟(メルケル首相)が大敗北を喫したとの報道も届いている。
国家財政をめぐる対立が日本をばかりでなく国際的焦点になっている。
●階級的な利害の攻防だ
「緊縮財政」か「成長路線」か、という争点は実は虚構にすぎない。われわれがこの問題で主張するのは「大資本優遇政策の廃止と官僚の大削減で財政の健全化を!」である。
国家財政の赤字が、大資本の優遇措置、そして官僚組織の肥大化によって累進的に拡大してきたのが現実なのだから「財政再建」はそこから始まるべきなのだ。さらに、経済の金融化が進んでいるのだから、金融取引への「大課税」も当然ではないのか。
財政赤字が大きいからといって、低所得者の生活を苦しめる消費税増税、福祉や年金の改悪そして一般公務員への賃金抑圧を認めることはできない。
これは、国家財政をめぐる階級闘争なのだ。「税と社会福祉の一体改革」は、官僚とその操り人形と化した政府、そして大資本による、労働者・勤労者への計画的な責任の転嫁であり容認できない。
●経済格差の解消こそが課題
流れは変化しつつある。人種や民族差別はもちろん、経済的差別の解消つまり経済的対等性を実現してゆかなければならない。ところが市場経済のもとでは生活格差は広がるばかりだ。反動化し硬直化している国家にたいして反撃するとともに、働く者たちが主体となるネットワークを作り、生活防衛から始まる新しい経済の組織作りを平行して構築していかなければならない。(阿部文明)
〈政治刷新〉観客≠ゥら役者≠ヨ──選挙だけでは変わらない──
野田内閣が迷走している。
あの政権交代の熱気はどこへやら、今では財務省・財界の御用内閣のごとく消費増税に血道を上げ、有権者の内閣支持率は20%台に落ち込んでいる。
民主党を政権の座に押し上げたあの政権選択選挙。閉塞情況を打ち破るという有権者の意志で政権交代を実現した意義は計り知れない画期的なものだった。とはいえ、権力ピラミッドの頂点を取り替えただけの政権交代は、社会構造を根底から変えるにはまったく不十分だった。
劇場政治の土俵上での選挙は政治のほんの一部でしかない。私たちとしては、日常的な闘いの積み重ねの上に社会変革と政治刷新を展望する必要がある。
◆変わったものの……◆
3年前のあの政権交代が色あせて久しい。いまでは民主党政権はかつての自民党政権と何ら変わらず、第二保守党としての役割を果たすのがやっとという有様だ。その民主党政権。有権者からの期待はどこへやら、今では自民党以上に財界べったりの姿勢が露骨だ。
原発規制はどうなったか。あの原発事故では東電とともにA級戦犯ともいうべき原子力安全・保安院や原子力安全委員会の解体・改組もいまだ実現していない。原発事故をうけて脱原発依存≠打ち出した菅内閣だったが、今に至っても具体化に手を打つどころか、いまでは産業界の要請に応えることを最優先した原発再稼働ありきの原子力ムラ≠フ一員に成り下がっている有様だ。
事態ははっきりしている。民主党政権は電力利権の原子力ムラ≠ノは切り込めない。官僚主導の政治構造を根底から変える、という民主党の看板はすでに地に落ちている。原発政策、エネルギー政策一つとってもこの有様だ。菅元首相が大見得を切った明治以来の政治構造、統治構造を変える大変革≠ネど、民主党政権に期待することなどできないことが白日の下に晒されたという以外にない。
原発事故では、被災者への賠償も緊急の課題だ。その賠償の責任を東京電力に担わせるという理屈でつくられた東電実質国有化による賠償の枠組みも、まさに産業界、銀行界の思惑に沿ったものになっている。これは国の資金援助によって東電を温存し、その営業利益から賠償金を生み出すというものだ。結局は利用者・消費者の負担で賠償するというものだが、その枠組みから除外されたものがある。
いうまでもなく貸し手責任・債権者責任だ。電力会社の債権者としては大手銀行など、大企業が名を連ねている。その貸し手責任・債権者責任がすっぽり抜け落ちているのだ。あの日航の再建では、経営破綻させることで債権放棄もなされた。ところが東電再建では銀行などの債権者は始めから免責されているのだ。ここにも銀行や財界の言いなりの民主党政権の姿がはっきりと現れている。
◆財界べったり
民主党政権による財界べったりの姿勢で象徴的なものが、いうまでもなく消費増税だ。
野田首相が政治生命をかけると力む消費増税。その最大の特徴は、ここでも企業負担の免責だ。
今年度予算は実質96兆円で小泉政権から増えた歳出は14兆円、毎年1兆円増える社会保障費は4年で4兆円だ。その他の10兆円は主として景気対策で膨らんだものだ。その歳出増を大衆課税である消費税増税ですべて賄おうとしているのが野田内閣だ。景気対策で直接の恩恵を受けてきた企業・財界は、負担責任を拒否するばかりか、これまで継続的に引き下げてきた法人税のさらなる減税を要求する厚かましさだ。
その財界の要求を無条件で受け入れているのが野田内閣だ。野田首相は法人税引き上げなど企業負担を要求する声に「企業の対外競争に悪影響を与えていいのか」と門前払い、最初から対象として考えていないわけだ。どうしてそこまで財界と一体なのかと唖然とする以外にないが、社会変革や政治刷新という目的意識の欠落の故としか言いようがない。
財政肥大化や歳出の膨らみといえば、消費増税が政治日程に浮上してから従来型公共事業が一斉に解禁されたことが世間の耳目と批判を集めた。道路や新幹線建設、それに各種補助金もだ。これらの事態は、もはや民主党政権が掲げた官僚主導政治からの脱却と政治主導という看板も、完全に色あせたことを物語っている。今では民主党議員の多くが族議員化し、産業界や官僚と一体となって既得権を行使している現状が浮かび上がる。
ここで改めて問わずにはいられないはずだ。あの政権交代は何だったのか、と。
◆主役は自分たち
3年前のあの政権交代を思い起こしたい。民主党を政権の座に押し上げたのは、自民党政権下の閉塞状況からの脱却を願った有権者の政治刷新へのエネルギーだった。が、その結果実現した政権交代の遺産は、鳩山首相が普天間基地返還を放棄した時点で食いつぶされたといえるだろう。
その原因はどこにあったのだろうか。
もともと民主党は選挙互助会と揶揄された選挙目当ての寄り合い所帯でしかなかった。共通の理念や政治目標も曖昧で、党内には既得権派や改革派、それに権力派や庶民派といった諸傾向が併存する打算の結合体≠ナしかなかった。現に政党として不可欠の綱領もない。根っからの保守政治家と市民運動上がり、それに自己実現派の松下政経塾出身者などのタレント政治家などの結合体でしかなかった。
その民主党。政治主導やマニフェスト政治を目指したが、現実は様々な利害関係と既得権が絡み合う企業・官僚社会のカベを突き崩すことはできなかった。致命的だったのは、そうした利害構造を突き崩す戦略展望と主体形成の欠如だった。
政権が交代しただけでは政治は替わらない。選挙だけでは政治は変わらない。要は観客民主主義では政治は替わらないというのが教訓だろう。エリート政治の失敗は、次なるスーパーマン政治に取って代わられるだけだ。橋下現象≠ェそれを物語っている。
ここは1人ひとりの庶民・有権者、そして何よりも労働者自身が、身の廻りの具体的な関心事に日常的に取り組んでいくことが出発点になる。そうした運動を拡げていくことで私たち自身が力を付け、社会変革、政治刷新の主体として登場することが可能になる。(廣)
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コラムの窓 生活保護受給者の増大と労働者派遣法改正
肝心なのは不安定雇用形態の解消と労働条件の改善!
厚生労働省が発表した「福祉行政報告例」(概数)によると、今年2月の生活保護受給者数は前月に比べ5499人増の209万7401人、受給世帯数は同4483世帯増の152万1484世帯となり、ともに過去最多を更新したとのこと。
生活保護受給者数が増え日本の財政が圧迫され続けているために、1990年代からは生活保護の受給水準はかなり厳しく制限され、そのため1990年からは生活保護世帯数と保護率は一時的に下がったが、2000年代になると急激に増加した。受給水準が厳しくなっているのに、生活保護受給者はここ10年、一度も減ること無く連続して過去最高を更新し、増加しているのは、利潤追求のために格差社会を容認し、不安定雇用形態の増大をはかってきたからであり、貧困層の人たちの生活がいかに困窮しているかということの表れでもある。
今年度予算の生活保護費は約3兆7000億円ですが、財政を圧迫していることから、一層厳しく不正受給防止に向け改革に乗り出している市町村が出てきており、憲法25条に定められた「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障するための制度は、「正直者がバカを見る」という悪平等を生んでいる・・・、などの摘発キァンペーンじみたことまで行われ始めている。
生活保護受給者数が全国の市町村で最も多いとされている大阪市は、生活保護の不正受給者防止のための専従チームを結成。市内24区役所に専従員約80人を配置し、就労状況や収入、居住実態などについて調査を開始し、橋下徹市長は西成区の特区構想で、労働者の働く意欲向上のために、受給者が仕事をして得た収入を、行政側が積み立て、受給状態から脱却し自立する際に、この積立金を一括返還する改革案を示めすなどの対策に乗り出している。
しかし、大阪市内24区の中で突出して受給者が多いのが、日雇い労働者が多い「あいりん地区」を持つ西成区(人口12万737人(今年3月末現在)のうち、ほぼ4人に1人にあたる2万8340人が受給。)で、日雇い雇用などの不安定雇用が生活を支え切れていない実態がある。市財政が切迫しているからといって、一部の者の不正受給防止を理由に生活保護受給を締め付けるのはどうかと思うし、また、日雇い雇用や職にありつけない者の積立金(積立金そのものが不可能)の一括変換などの対策でこの問題を根本的に解決することはできない。
全国的に拡がっている雇用不安、そんな状況下で労働者派遣法改正案が4月6日交付され6ヶ月後には施行される。1985年に派遣法が成立し、派遣の対象は「13の業務」のみだったのが、派遣法の度重なる改正で徐々に対象業務が増え、製造業を含むあらゆる業種で派遣雇用が行われ、日雇い派遣も1999年に原則自由化され、2004年に製造業でも解禁されたことで増え、厚労省によると、昨年6月現在の派遣労働者は全体で137万人。内、六万四千人が日雇いで働いている。
派遣労働の浸透と定着で不安定な雇用関係が長く続くと、低賃金による生活苦や労働条件や労働環境の悪化が増大し、精神障害や自殺の多発となり、社会問題化され、派遣期間や日雇い雇用などの雇用形態にも問題があるとして改正が行われたのだが?!。
今回の改正では、労働者と派遣先会社との契約雇用を明記し、日雇い派遣雇用の「30日以内」の短期派遣を原則禁止する等の改正であったが、低賃金や劣悪な労働環境の派遣労働や日雇い労働そのものを改善するものではなかった。
不安定な雇用形態と低賃金という労働環境がある限り、問題解決は先送りされるし、派遣事業会社も労働者紹介事業として名お変えるなど、基本的にはなにも変わっていないのだ。
すべての労働者に公平な賃金体系の確立と雇用主の明確化による厳粛なる労働環境と労働条件の確立を図るべきであろう。(光)
エネルギーの生産・流通・消費を労働者・市民の手で
国や大企業などの巨大システムに代わる自治・自給のシステムを
福島原発事故がもたらした惨状を知れば、「脱原発」が絶対的な要請であることは明らかだ。利権維持に固執する原子力ムラはともかく、原発マネーへの依存を強いられた周辺自治体の住民でさえ、心の奥ではそう感じているはずだ。
問題は、節電、省エネの一層の推進に加えて、どのような技術、システム、主体が、原子力に代わる電力を生産し、流通させるかという点にある。多くの市民の関心もそこにある。
自然エネルギー、再生可能エネルギーだからと言って、原発と同様の巨大システム、内部編成が上意下達式、たこつぼ主義、無責任が横行する大企業や国家がしゃしゃり出る仕組みにしてはならない。原発が生み出した災厄は、事故による命と暮らしの危機だけではなく、国家や企業などの巨大システムとカネの力による政治・経済・学問・文化・メディア等の支配、民主主義の圧殺と社会全体への腐敗と無責任の蔓延でもあったはずだ。
原発に代わるエネルギー源として、風力、太陽光、地熱、水力、波力等々が名乗りを上げ、それぞれの可能性を競い合っている。しかし私たち労働者・市民は、それぞれの方法が持つ発電量のポテンシャルだけでなく、どれが市民の声を受け止めやすいシステムか、労働者・市民自身の手によって統制や運営が容易な発電方法なのか、に注意を向ける必要がある。
太陽光発電は急速な技術開発が進む蓄電池と組み合わせれば個々の家庭でも電力の自給が可能だ。スマートグリッドで繋がれば、節電効果とともに供給安定性は格段に増す。風力、地熱、水力、波力などは、個々人を超えたもう少し大きなエリアや組織が似合う。これらは市民自身の協同や自治体の力でも設置・運営が可能だが、巨大組織にとっても有望なビジネスチャンス、存在証明の場になり得る。
巨大組織に任せず労働者・市民自身による統制や管理をめざさなければならないとは言っても、その用意が私たちの側にあるかが問われる。
私の住む流山市でも、太陽光などによるエネルギーの自給を掲げる市民グループがある。流山市の太陽光発電への支援は貧弱で、市の施設への設置も小規模でアリバイづくりの域を出ていない。しかし飯田市の市民が始めた「南信州おひさまファンド」や「おひさま進歩エネルギー」の事業などを見れば、市民が自治体を動かす力を持つならば可能性は広がることが分かる。こうした市民の協同事業は、飯田市に先行して北海道、青森、秋田で実績があり、備前市や他の地域にも広がりを見せつつある。最近、埼玉県が打ち出した太陽光発電事業者向けに一般住宅の屋根をまとめて仲介する制度も、貸し主である市民の側に事業の決定権への関与が保障されれば、自給システムの土俵のひとつとなり得なくはない。
巨大電力会社による電力独占、発送電一体の体制を突き崩すことも重要だ。そのためには、市民に今のシステムのいびつさを知ってもらうと同時に、様々なチャンスや条件を活用して、この体制に対するゲリラ的攻撃を仕掛ける試みも軽視できない。
そうした試みの一環として、私は昨年の流山9月市議会で市の電気は東電からではなくPPS(特定規模電気事業者)から購入すべきだと提案した。東電は、度重なる事故隠し、無法な被曝労働の放置、悲惨な福島原発事故を発生させながらそれにまったく無反省である等々、最悪の反社会的企業であり、自治体の入札に参加する資格は無し。原発に依存した東電の電気は決してクリーンでなく、おまけに高すぎる等々を理由として述べた。「一円も無駄にしない」をタテマエとする流山市当局はこの提案を拒否する理由を見つけられず、本年の1月1日から市の電気はPPSが供給している。市民の納めた税金は、年間1900万円も節約できた。私は、これをホットスポット流山市の放射能汚染対策に用いるべきだと要求している。
エネルギー自給をめざす労働者・市民の活動も、電力独占、発送電一体を壊す取り組みも、まだ緒に就いたばかりだ。デンマークやスウェーデンなどの自然エネルギーの受容レベルに追いつくだけでも、わたしたちの前途には多くの困難と紆余曲折があるに違いない。しかしここで注目しておくべきは、北欧諸国でも、飯田市他の例でも、協同組合や市民出資のNPOなどがこうした活動の先陣を切り、その推進力になってきたことだ。
もちろん現状の協同組合やNPOには、そのミッションや仕組みや規模に限界はある。思い描くさらにその先の理想を言えば、労働者・市民自身による電力の生産と流通のシステムだ。私たちは、単なる消費者、単なる出資者、単なる貸し主ではなく、生活に必要なものを生み出すための手段の所有、管理、労働を一体として担う者としてはじめて社会の本当の主体になり得る。個々の構成員が対等平等で、それぞれが自己決定権を持ちつつ、社会全体の必要や福祉的要請に応えていくための協議と協働を自覚的に組織していく。電気も、他のあまたの財やサービスも、そのような社会関係の中で生産、消費されてこそ、「後は野となれ山となれ」を脱して、産業と自然環境との調和も実現していけるはずだ。 (阿部治正)
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★ 「映画紹介・・・誰も知らない基地のこと」
ご存知だと思うが、沖縄は今年「本土復帰」40周年を迎えた。しかし県民は本土復帰を喜ぶどころか、日本に裏切られたという思いが強い。
5月15日、野田首相も参加して開かれた「復帰40周年記念式典」において、式典参加者が最大の拍手を送ったのは、もちろん野田首相の挨拶ではなく、上原康助氏(79歳・沖縄初の国会議員で元沖縄開発庁長官)の挨拶であった。
「式典にふさわしくない挨拶になるかもしれない」と切り出して、野田首相とルース駐日米大使に対して、「両政府とも県民の切実な声を尊重しないのか。海にも陸にも基地を造ることはおやめください」と、県民の声を無視する政府に沖縄の思いと苦言を突きつけた。
この時期に、イタリアの若手映画監督(33歳と29歳の二人監督)が米軍を取材して製作したドキュメンタリー映画「誰も知らない基地のこと」を引っさげて、沖縄に来た。
映画の原題は「Standing Army」。直訳すれば「駐留軍」であり、「戦時、平時に関わらず駐留している軍隊のこと」である。
なぜ、こんなにも多くの海外米軍基地が存在するのか?監督のエンリコ・パレンティさんは、その答えは軍隊と軍事産業が結び付く「軍産複合体」が基地の固定化を招いていると明確に指摘。軍隊・米軍基地なくして存続できない米国の「軍産複合体」という闇の部分にメスを入れた凄い作品である。
皆さんは、米国は海外に幾つの米軍基地を持っていると思いますか?
映画の中で、米国は世界の約40カ国に700箇所以上の米軍基地を持っていると言っている。(イラクやアフガンを入れると1,000箇所というデータもある)
世界を支配する帝国主義国家・米国、その支配を支えているのが海外米軍基地であり、米兵35万人である。
イタリア生まれの監督はイタリア北部のビチェンツァで起こった米軍基地への反対運動をきっかけに、映画製作を決意。
その後、米軍基地の取材の旅に出る。主な取材地は、インド洋の英領ディエゴ・ガルシアや沖縄の米軍普天間飛行場・辺野古・高江などを取材。
基地の騒音や横暴な兵士が起こす犯罪に苦しむ地元住民、ノーム・チョムスキーなどの専門家への取材を通じて、「軍産複合体」の利益によって、米軍基地の展開が左右されてきた米国の歴史的状況や現状を紹介。「基地の裏にある策謀を知るべきだ」などと、米軍と「軍産複合体」の真実を暴いていく。
監督は講演の最後に「本土や沖縄の人ももっと米軍基地の現状を知るべきだ」と訴えた。
日本国民がその実態を把握しているとは言い難い沖縄の米軍基地問題。この映画は、その入門編としても最適であり、是非とも見てほしい映画作品である。(富田英司)
生きているニミッツ布告
米海軍に航空母艦「ニミッツ」があるが、敗戦後の沖縄を支配したものに「ニミッツ布告」がある。1945年3月26日、米軍が慶良間諸島に上陸したとき、米国海軍軍事政府布告第一号が布告された。表題は「米国軍占領下ノ南西諸島及其近海居住民ニ次グ」とあり、米国による軍事占領、支配の宣言である。この日の未明、座間味島の人々は集団自決≠ノ追い込まれている。
布告には「二.日本帝国政府の総ての行政権の行使を停止する」「三.各住民は本官叉は部下指揮官の布告する総ての命令を敏速に遵守し、・・・」とある。ここに本官とあるのが、米国太平洋艦隊及太平洋区域司令官兼南西諸島及其近海軍事政府総長チェスター・ニミッツ海軍元帥である。
その後、沖縄本島上陸時にもこの布告は出されており、布告そのものには日付けは記載されていない。この布告は1966年9月24日、高等弁務官布告によって廃止された。ニミッツ本人もまた、この年2月に80歳で亡くなっている。
1879年の琉球処分以降、沖縄は異国≠ノよって支配されてきた。米軍政下の1968年11月、屋良朝苗氏が公選の行政主席に、72年の復帰′繧ノは知事となり、沖縄はようやく自らの代表を選べるようになった。
これらは年代記としては正しいが、はたして軍政は本当に終わったのか。沖縄の現状を見たとき、否と言うほかない。 (晴)
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ギリシャはユーロ離脱するか
ギリシャは再選挙実施
総選挙で第1党となった新民主主義党(ND)、第2党の急進左派連合、第3党の全ギリシャ社会主義運動(PASOK)が連立協議に失敗したため、パプリアス大統領は3政党の幹部を招集し、政権樹立に向け最後の仲介を行ったが、カギを握る急進左派連合のツィプラス党首はパプリアス大統領による仲介への参加を拒否したため、再選挙の実施となった。急進左派連合のツィプラス党首は、パプリアス大統領や他の政党との協議後「彼らは我々に犯罪に加担しろと求めている。我々は彼らの仲間には加わらない」と実に強気だ。
ギリシャでは労働者市民の生活を直撃する緊縮策に反発する国民の間で、急進左派連合に対する支持が高まっており、再選挙が実施されれば急進左派連合が第1党になると予想される。ギリシャでは第1党に50の議席が上乗せされるとの規定のため、急進左派連合の議席は大幅に増加する事になる。まさに彼らが今後の政権を担うかも知れない。
実際、今回の総選挙では急進左派連合は前回の4・5%から16・5%の得票率で13議席から52議席に躍進し、かって第1党だった全ギリシャ社会主義運動は44%から13・2%になり160議席から41議席に激減した。そして新民主主義党は33・5%から18・9%になったにもかかわらず、この規定により91議席から108議席を獲得した。つまり第1党は第2党に比較して、たった2・1%得票率が多いだけで二倍強の議席を獲得している。まさにギリシャでしかありえない政治状況が作り出されたのである。
再選挙の実施で、今回初めて21議席を得たネオナチの「黄金の夜明け」やギリシャ共産党や民主的左翼や得票率3%以下で議席を獲得できなかった緑の党や極右のLAOSの活動も活発化している。再選挙での各党派の伸長には最大限の注目が必要であろう。
これまでの世論調査では、大半のギリシャの有権者は国際社会による救済策を拒否する一方で、ユーロ圏からの離脱を支持する声は意外に少なく、新政権に対してユーロ圏内にとどまるための努力を求める人々は78・1%にも達している。
ユーロ圏、特にドイツでは「ありとキリギリス」の例えでギリシャに手厳しい。独シュピーゲル誌は1面に「アクロポリスよ、さらば。ギリシャがユーロを去らなければいけない理由」と題する記事を掲載するほどであり、欧州当局者の間でも、ギリシャのユーロ離脱の可能性が公然と口にされるようになっている。
ギリシャがユーロ離脱に追い込まれる可能性が現実味を帯びてきた事から、各国の金融機関の間では手回しよく「ドラクマ復活」に備える動きも広がっている。一部の銀行は10年以上前にギリシャがユーロに参加した後も、取引システムからドラクマを抹消しておらず、取引通貨をユーロからドラクマに切り替える準備を進めていると伝えられている。
最新世論調査による全く異なる結果
5月25日、6月17日の再選挙を前にギリシャで実施された2つの最新世論調査では、全く異なった結果が発表されて世界各国の注目を集めている。つまり国内紙メトロがRASSを通じて実施した調査では、新民主主義党の得票率が23・6%でトップとなり、急進左派連合は21・4%で2位、支持派の全ギリシャ社会主義運動(PASOK)は13・1%で3位であった。しかしコントラテレビがVPRCを通じて行ったもう一つの調査では、急進左派連合が得票率28・5%とトップであり、新民主主義党は26・0%で2位、全ギリシャ社会主義運動は12・5%で3位だった。どちらが正確なのだろうか。
国際通貨基金(IMF)・欧州連合(EU)による国際支援の支持派である新民主主義党(ND)と、国際支援に対する反対派の急進左派連合(SYRIZA)がそれぞれ首位に立ち、ギリシャでの有権者の判断が二分している実態が改めて浮き彫りになったのだ。
6月17日の再選挙ではこれらの調査の結果を見る限り、ギリシャの選挙規定では第1党に50議席が上積みされる条項のため、第1党と第2党とのわずかな差でも実際の組閣の主導権を握る上で大きな影響力を持つ事になり、全く予断を許さない状況である。
これらの調査発表前の5月24日、モンティ伊首相はギリシャが耐えられないほど急速な財政再建や改革プロセスを他のユーロ加盟国が要求しているのは間違っているとし、周辺加盟国が2─3年とするギリシャの改革は一世代かかるだろうとの考えを披瀝した。
さらに5月19日に閉会した主要国(G8)首脳会議(キャンプデービッド・サミット)も首脳宣言を採択し、最大の焦点だった欧州債務危機問題では財政緊縮策の是非が争点となる再選挙を控えるギリシャにユーロ圏にとどまるよう促し、財政健全化と経済成長双方を追求するとした。
反緊縮財政派の急進左派連合が政権を奪取するとなれば、EU支援が立ち消えになる現実性が一気に高まり、この日を境としてギリシャのユーロ離脱の現実味を一層増大する。さらに翌日の6月18日と19日は、G20がメキシコのロス・カボスで開かれる。そうともなればその会議での最重要テーマは、「ユーロ圏」をどうするかにならざるをえない。
また米金融政策を決めるFOMC(6月19日と20日)がさらに重なる。米国がQE3(量的緩和)に踏み切れば、世界経済の混乱は一気に深まるであろう。
6月は、世界史的な意味においても、大変な節目となる月となるであろう。 (直木)
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ドイツ主要州の議会選挙でも与党キリスト教民主同盟大敗す
5月13日、ドイツ最大州であるノルトライン・ウェストファーレン州の議会選挙で、メルケル首相率いる与党キリスト教民主同盟(CDU)が大敗を喫した。この選挙結果のため、ドイツの野党は欧州諸国に緊縮財政策を求めるメルケル首相に対する攻撃姿勢を一段と強める現実性が高まった。
ドイツ最大州のノルトライン・ウェストファーレン州の議会選挙では、第1回速報ベースで社会民主党(SPD)が38.9%の得票率を獲得した見通しであり、SPDは緑の党と連立を組み、州議会の過半数を確保するとみられる。一方、CDUの得票率は26.3%で、2010年の選挙の35%近くから10%弱の低下が見込まれており、キリスト教民主同盟にとっては第2次世界大戦以降で最悪の結果となった。これに対して「メルケル首相にとって好ましくない結果となった。SPDは今回の選挙で力を強め、国政レベルでも攻勢に出るだろう」との見方を示す学者もいる。
また国政レベルで連立政権の一翼を担っている自由民主党(FDP)の得票率は8.3%だった。
これまでメルケル首相は、好調なドイツ経済やユーロ圏債務危機に対する揺るぎない対応を受けて国内で高い人気を維持してきたが、ノルトライン・ウェストファーレン州で敗北した結果、財政規律を重視する政策に対する労働者市民の反発が高まる現実性が高い。
ノルトライン・ウェストファーレン州の選挙結果はこれまでも国政に大きな影響を及ぼしてきた歴史があり、7年前にはシュレーダー首相率いるSPDが同州の選挙で敗れた事で早期総選挙に追い込まれ、メルケル氏に敗れた経緯がある。フランスの大統領選挙で社会党のオランド氏が当選した事や、今回のノルトライン・ウェストファーレン州での勝利により、SPDは2013年9月に実施される連邦議会選挙に向けてはずみがつきそうだ。まさに「桐一葉落ちて天下の秋を知る」。ドイツでの反乱は象徴的である。
ギリシャの総選挙やフランスの大統領選挙の結果を受けて、欧州債務危機の懸念が再燃する中、スペインや英国、ドイツ、ベルギーなど欧州各国で5月12日から大規模な抗議デモや集会が開かれている。
ユーロ圏第4位の経済大国スペインでは首都マドリード中心部のプエルタ・デル・ソル広場に約3万人(警察発表)の若者らが集結し、政府の緊縮策などに反発、「われわれは路上から抗議する」などと叫び、全国約80を超える都市で抗議集会やデモが一斉に開かれ、15日まで4日間続く見通しだと伝えられた。
マドリードでは昨年5月15日、「怒れる者たち」と呼ばれる大勢の若者が同じ広場を占拠。これをきっかけにして、欧州各国に抗議デモが飛び火し、米国の「ウォール街を占拠せよ」など反格差デモの引き金にもなった。
スペインは昨年5月の抗議活動から1年を迎えるのを前に、国内3位の銀行バンキアが政府への支援要請に追い込まれたほか、欧州連合(EU)による国内総生産(GDP)予測が2年連続のマイナス成長になるとされている。さらに、若者を中心に24%を超える失業率が、国民の怒りを増幅させている。
一方、ロイター通信によると、ロンドンの金融街シティーでは、約600人が抗議デモを実施し、銀行周辺にテントを張るなどして占拠したという。デモ隊と警官隊の小競り合いも起き、少なくとも12人が拘束された。東欧ハンガリーでも、EU懐疑派の極右政党・ヨッビクが、首都ブダペストで開いた集会に約3000人が集まり、緊縮策などに異議を唱えたという。まさに欧州における労働者市民の反乱は確かに開始されたのである。
メルケル首相は連邦議会で欧州の新たな「財政協定」に関する承認を得るためSPDの支持が必要だが、SPDはオランド仏大統領と同様に「成長協定」に対するコミットメントを求め、「財政協定」に関する投票の延期を求めている。
フランスでは、有権者が次期大統領フランソワ・オランド氏に対して、追い落とされた現職のニコラ・サルコジ氏とドイツのアンゲラ・メルケル首相が定めた「緊縮」コースを変え、成長を重視する権限を与えた。メルケル首相は財政協定を変えるつもりはないと言っているが、オランド大統領は来月の議会選挙で、彼女の交渉でフランスの有権者に何らかの成果を示す必要がある。さらにメルケル首相にとって大きな脅威は、ギリシャの再選挙の実施だ。ギリシャの有権者の大多数が再び、支援の条件である歳出削減と改革を拒否すれば、ユーロ圏各国、特にドイツの政府は、思い切った選択を迫られる事になるからだ。
メルケル首相の選択肢は二つ。一つは、ギリシャに資金を用立てて、彼らの反逆に対して報酬で応じる太陽政策。もう一つは、強硬な態度に出てギリシャを切り捨てる北風政策。
今まで「メルコジ」と揶揄されてきたドイツとフランスとの結束が揺らいでいる事態の出来の中で、ギリシャのユーロ離脱が起きるという現実性は世界の政治家を震え上がらせるのに充分であろう。その離脱を阻止する準備のためにメルケル首相とオランド新大統領に与えられた時間は、ほんの1カ月程度しかないのである。
もしギリシャのユーロ離脱ともなれば、ポルトガルやアイルランド、さらにはスペインやイタリアにもその深刻な影響を被ることになるのは明白である。
まさに正念場の到来ではある。 (猪瀬)
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「全学連(全日本学生自治会総連合)」の黄昏と共産党の落日
「全学連(民青系)」の黄昏
現在、全学連を名乗る組織は五つある。その中で最大の規模を持つのが、「民青系全学連」と呼ばれる全学連である。
民青とは、正式名称は日本民主青年同盟といい、「日本共産党の導きを受ける」青年政治組織である。その民青が学生組織の執行部で主導権をとるから民青系と呼ばれる。その民青系全学連が近く解散するという。その引き金を引くのは、「東京大学教養学部自治会」(通称「東C自治会」)だ。
代々民青が執行部を掌握し、全学連を主導する役割を果たしてきた名門自治会である。今年4月、東C自治会執行部が全学連脱退を決議し、6月の代議員会で承認されれば全学連を脱退する。もし東C自治会が脱退するとなれば、民青系全学連は解散に追い込まれると見られている。全学連が解散する事になれば、前々から噂されてきた共産党の落日を象徴する事件というべきだろう。
脱退の3つの理由
民青系全学連が解散する第1の理由は活動家の減少だ。全学連の機関紙「祖学(祖国と学問のために)」はすでに一度廃刊になり、その後コピー機で印刷する形で復活した。刷り部数は千部以下、その内定期購読部数は百五十部以下で、実際には賛助会員と呼ばれる全学連OBや共産党関係者の読者もいるから、学生の購読実数はさらに少なくなる。
脱退の第2の理由は、財政破綻だ。現在の民青系全学連で、実際に活動に参加している加盟自治会のある大学は8大学しかない。しかも民青が執行部を掌握しているのはその内2〜3大学に過ぎない。全学連加盟自治会は、全学連に「加盟分担金」と呼ばれる年会費を払う事にはなっているが、実際には払わない自治会が多いと聞く。今年の全学連の予算は加盟分担金収入357万円。東C自治会が脱退すると全学連の加盟分担金収入は200万円弱に減ってしまう。もし東C自治会が脱退し、加盟分担金を払わなくなったら、全学連は事務所の家賃とコピー機の利用料も支払えなくなり財政破綻する事になる。
共産党も大分以前から全学連の危機を認識しており、三鷹の本部事務所を引き払って経費を節約し、少ないカネを活動に振り向けようと考えていた。家賃がかからない新拠点を置く場所として考えたのが東C自治会室だったというから、これを見越しての執行部の共産党に対する反発だったのかも知れない。
近隣とはいえ他の加盟自治会である東京学芸大や東京農工大に本部を移転させることはできない。見かけは民青が掌握しているように見えても、実際は民青が掌握していない自治会には、組織の機密文書をどっさり持っている本部機能を移す訳にはいかないからだ。
脱退の第3の理由は経験の蓄積だ。過去に全学連加盟自治会が脱退活動を行ったのは一度や二度ではない。しかしそうした活動によって得られたノウハウは、後進に引き継がれる事はなかった。全学連が加盟自治会の脱退を知っても、傘下の他の自治会に広く知らせない上に、脱退活動を行った学生が卒業してしまうとまた入学した民青を使って再建してきたからだ。しかし、東C自治会は、自分たちが何をどのように進めたのか、ツイッターで実況中継し、クラウドにある共有サービスに資料をアッブロードして、誰でも見られるようにしてきたという。当然ながら彼らが卒業しても、ノウハウはクラウド上に残る。
もし無党派学生が、全学連に結集している自治会を叩こうとするなら、ノウハウはネットから取れるようになった(参考:全学連脱退派と全学連中央執行委員の対話など)。だから全学連を無理やり維持するため、例えば代々木の日本共産党本部内に全学連本部を置くような、なりふり構わぬ禁じ手を使ったとしよう。そんな事をしてもノウハウを蓄積した学生が反抗してきたら、自治会から民青が追い出される現実性が極めて大きい。大学自治会に民青がいなくなり、「党の指導」ができなくなった全学連など、共産党には「歌を歌わないカナリヤ」よろしく無用の長物でしかなくなる。
以上の3つの理由より、民青系全学連は今年中、遅くとも今年度中に活動停止に追い込まれ、解散する事になるだろう。
共産党は何故支持を失ったのか
戦後、旭日の勢いで支持を拡大していた共産党は当時のエリートだった大学生を党の支配下に置きたいと考えた。反戦を闘ったほとんど唯一の政治勢力であった経緯から全学連は日本共産党に従順であったが、その後60年安保を巡る共産党と学生の路線対立から全学連は徐々に共産党の路線から外れていく。
この頃の全学連は、国民世論を二分するような政治的大事件が起こると、必ずと言っていいほど大きな戦闘力を発揮していた。ところが日米安保条約の是非を巡って政府と反対派が争った安保闘争が終わった1961年、第17回全学連大会において全学連は分裂し、その後も紆余曲折を経て、現在、新左翼系の4派と、日本共産党がなおも支配下に置く民青系全学連の計5つが存在している。
日本赤軍のあさま山荘事件や、東アジア反日武装戦線の三菱重工本社爆破事件、中核・革マル派など新左翼セクトの「内ゲバ」と呼ばれる殺し合いなどによって、学生運動に対する労働者市民の評価と期待は地に墜ちたが、民青系全学連は、少なくとも80年代以降、他の全学連より1桁多い加盟自治会を持つ、最も大きな全学連であった。
その理由は、民青が他の新左翼系と違い、暴力革命路線を取らず、比較的穏健な組織だと思われていたからだ(実際は東大でゲバルト部隊を保有していた事もある)。さらに21世紀に入った頃から、法政大学などの大学当局が新左翼党派を学内から追い出す圧力をかけ続けているが、今も民青はこうした圧力を受けていない。そんな全学連が消滅するという事は、共産党主導の学生運動の歴史が終わる事を意味する。
東大教養学部では以前から東C自治会の運営において、加盟している民青系全学連の影響が強すぎると不満が渦巻いていた。そのため近年では2010年、代議員から自治会の解散提案まで出されている。実際には自治会の解散までは必要ないとして、この提案は否決されたが、日本共産党と民青に対する不満はなくなったわけではない。そして今年4月、東C自治会の常任委員会が全学連からの脱退を決議したのである。
全学連、そして日本共産党は驚愕した。代々民青が掌握していた、全学連の中核と言える東C自治会で、ついこの間まで民青として活動していた者たちが大量に離脱し、反民青・反共産党となって脱退決議が行われたからである。
この全学連脱退運動の仕掛け人は何ろく氏(東京大学教養学部3年、前自治会委員長)だが、規約上日本共産党や民青同盟に入るには日本国籍が必要とされていて、彼は国籍が中国のため党員にも民青にもなれない。しかし高校在学中に共産党支持者となり、大学に入ってからは「党の会議に出ない」以外は、共産党と共に活動していた筋金入りという。
そんな何氏を「反民青」「反共産党」にさせたのは、2011年7月に行われた日本共産党の3中総決定(第3回中央委員会総会決定)という文書である。新聞が売れない時代に赤字脱却をめざして機関紙「しんぶん赤旗」を値上げするなどの「現実離れした空想的な内容」に衝撃を受けて、「党中央委員会は正気なのか」と疑うきっかけになった。
一事が万事という。それに「意識が変われば対象が変わる」とはヘーゲルの名言の一つである。そしてついに9月には日本共産党・民青に対する強烈な違和感を感じ始める。そもそも東C自治会は、第一に東大教養部学生の代表であり、それゆえ優先されるべきは共産党ではなく東大の学生である。にもかかわらず、それまで受け入れてきた全学連の指導という名の自治会への介入が、あまりにも東大の学生の意向を無視している。そして何氏は確信した、「これはカルトだ」と。まさに身から出た錆だ。この青年の直感は正しい。世論でも「共産党は宗教団体」といっているからである。
共産党の黄昏
現在、共産党は大々的に「総選挙勝利、『党勢拡大大運動』目標達成、全国活動者会議」(全活)を開催したばかりである。
その足下を大きく揺らす東C自治会の常任委員会が全学連からの脱退を、なぜ問題にしないのであろうか。代々民青が掌握していた全学連の中核と言える東C自治会で、ついこの間まで民青として活動していた者たちが大量に離脱し、反民青・反共産党となって脱退決議が行われた事実から目を背けるのであろうか。彼らはこの事実を冷静に見つめ、教訓をくみ取ろうとする努力の跡が全く見られない。
志位委員長になってからの総選挙での連戦連敗の冷静で真剣な反省もなく、次回の総選挙ではまたまた全選挙区から候補者を擁立しようとしている。そして国庫に供託金を上納しようとしているのに、異議を唱える中央委員も各種委員会もいないのである。
まさに教祖が指示する事しかしないし見ないし考えもしない「宗教団体」なのである。次回の総選挙では、共産党の落日は誰の目にも決定的になるであろう。
この記事を書くにあたっては、JBPRESSの記事を参考に致しました。(矢来)
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色鉛筆・・・春に運動会???
今年の3月、保育園を卒園した子どもたちが小学校に入学して約2ヶ月。保育園で1歳から一緒に笑ったり、泣いたりしてきた子どもたちを小学校に送りだした時は、保育士としてこのうえない喜びだった。その子どもたちが通う小学校で5月の最後の土曜日に運動会があった。運動会といえば秋に開催されるのが常識だったが、春に運動会とは?時代も変われば変わるものだと思った。
聞くところによると以前は9月の末に運動会が開催されていたが、最近は地球温暖化のためか毎年9月は残暑が厳しく、夏休みが終わった後から暑い中での練習がとても大変だったり、9月の末に台風が来ることも多く延期することも多かったという。思い出してみると約20年前、私の息子の小学校の運動会で雨に降られ、競技を平日含めて3日間にわたってやった時があったが、今ではとうてい考えられないことだ。近頃は職場に余裕がなく、平日に仕事を休めることができなくなっている職場が多くなり、延期になれば見たくても見に行けなかったりして学校に文句を言う親もいるという。そのためか最近は延期する場合は、平日ではなく次の日の日曜日にしているようだ。
私の働いている保育園でも昨年、10月の土曜日に運動会を計画したが2週も雨が続いてしまい平日にやるべきか、もう一週延ばすべきか悩んだが、やはり楽しみにしている親の仕事を第一に考えて土曜日にした、3回目にしてやっと運動会ができてよかったが、延期になって他の行事がすべて11月になってしまったので私達にはしんどい11月だった。小学校で新年度になってすぐに運動会の練習をするのは、子どもたちにも教師にとっても負担が大きいのではないだろうか。だが、温暖化による異常気象、親たちの劣悪な労働条件等々こうした今の社会が抱えている問題を反映して、春に運動会になっているように思う。
当日はよい天気に恵まれ暑くもなく寒くもなく、競技をやる子どもたちも見る方もちょうどよかった。保育園では一番大きくりりしかった子どもたちも小学校では一番小さくかわいい子供たちで、一生懸命走る姿に感動したり、久しぶりに会う私に蔓延の笑顔を見せてくれうれしいひとときだった。同じ日に東日本大地震の被災地の小学校でも運動会が開かれたようだが、皆さんの地域の小学校はどうですか?(美)
読者からの手紙
変だよ電気料金!家庭向け利益7割、企業向け3割の収益構造。
東京電力が申請した家庭向け電気料金の値上げの妥当性を検証する経済産業省の審議会「電気料金審査専門委員会」は東京電力などの全国の十電力会社の収益構造をまとめ明らかにしたが、全国の電力会社の二〇〇六〜一〇年度の販売電力量や電気事業利益などの比率は、東電管内では年度平均で、企業向けの販売電力量が千八百一億キロワット時で全体の62%を占め、残り38%の千九十五億キロワット時が家庭向けだった。一方で、利益は家庭向けが千三百九十四億円と全体の91%も占め、企業向けは百四十三億円とわずか9%だった。東電の販売電力量の六割は企業など大口利用者向けだが、利益の九割は家庭向けで、全国平均でも傾向は同じ、企業向けの販売電力量が全体の62%を占め、家庭向けが38%だったの対し、利益は家庭向けが69%を占め、企業向けは31%と、家庭向け料金が企業向けより、大幅に割高になっている実態が明らかになった。
審議会で、東電の高津常務は企業向けの利益が少ない理由について、「新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発の全号機停止や燃料価格の歴史的な高騰で、燃料費の比率が相対的に高い(企業向けの)自由化部門の収支が悪化したため」と釈明したが、企業向けの電気料金は自由化されており、電力会社は自由に価格設定ができ、小売りの新規参入者の特定規模電気事業者(PPS=新電力)などとの競争で、販売価格を下げたために、利益幅も少なくなったのだと言うのだ。
家庭向け電気料金は、発電にかかる費用に利益を上乗せできる「総括原価方式」に守られ、電力会社が各営業区域で販売を独占し、経費削減で身を削らなくても安定的な利益が得られる構造なのだ。
企業を優遇し、大衆収奪構造を変えない電力料金値上げに断固反対しよう。(M)
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国民投票と住民投票
1、国民投票とは?
憲法改正の声が聞かれるようになり、私は10年ほど前に、どこかの行政の施設でもらってきたポケット型の憲法の本を取り出して調べてみた。日本では国民投票は憲法改正の場合のみに行なわれることになっている。諸外国では生活上などの諸問題について国民投票で賛否を問い、政府の政策を転換させているのは珍しくない。
日本では憲法改正の場合のみである。戦中・戦後を生きてきた私は国民投票の経験をもっていない。選挙の経験があるだけ。選挙は「人」を選び国会へ送り込み、そこで政治家となった代表者たちが法を作り、私どもにおろしてくる。
国民投票は生活にかかわる諸問題について国民自身の賛否を問う、これは日本では認められていない。生活上の諸問題を政治家・議員さんにゆだねるのではなく、国民自身が案件を立て賛否の意思を表明する、いわゆる直接民主制である。
民主主義の本質は「国民投票」と題する本(集英社新書、今井一著「原発」国民投票)の帯封にある如くこの国の私たちの未来は政治化に委ねず、自分で決め≠驍フである。ここに諸外国の国民投票の一例、イタリアの場合を紹介しよう。
「原発」建設について賛否を問う国民投票が行なわれた(2011年6月)。問われた3つの原発関係の案件は、
@ 地方自治体の承認がなくても、イタリア政府はどこの地域にも原発を建設できることを定めた現行の法律を廃止すべきか?
A 原発受け入れに合意した地方自治体にイタリア政府が補助金を交付するという現行法は廃止すべきか?
B イタリアが国外の原発建設に参加することを禁止すべきか?
いずれも圧倒的多数が現行法の廃止に「賛成」し、「脱原発」の国民の意思が政府にエネルギー政策の転換を迫ることになった。
イタリアの国民投票を成立させた最大の要因は、フクシマの事故だった≠ニいう。そして脱原発支持が圧倒的多数を占めた。(以上、上記紹介の「原発」国民投票≠謔閨j
2,住民投票とは?
住民投票と選挙とのちがい
選挙は「人」を選び国会へ送り、政治家となった議員が法を作り、政策をきめる。住民投票は「事柄」について、有権者自身に賛否を問う。政治家たちに委ねるのではなく、有権者自身が決めるのである。
最後に、今井一氏の言葉を紹介させてもらいたい。
「民主主義の原動力は、国民の自分自身にたよっていこうとする精神である。自らの力で自らの運命を切り開き、自らの幸福を築き上げていこうとする、不屈の努力である。・・・・人間に対する信頼こそ、民主主義の建設の根本の要素なのである。しかも、民主主義における人間の信頼は、英雄や超人や非凡人に対してささげる信頼であるよりも、むしろ、ここに住み、そこに働いている「普通人」に対する信頼である」
(岩波新書・今井一著・「住民投票」観客民主主義を超えて≠謔閨j2012・5・11 大阪 宮森常子
letter
「混濁、破滅的未来を想起予感させる時代にあって、それでも、かすかな光輝く人間世を信じて、抗い、闘い、訴える側にある私は、県内でささやかな活動を試みている。しかし、好意的に私の訴えを聞いても、帰ってくる言葉は、「国民のレベルを反映する政治家、社会にどう抵抗してもダメ」。確かに現実は、巨大な動かざるカベのようだ。自由・自主・協同の土壌・環境に遠い日本社会だが、どうやったら、大衆に届く言葉、アクションプログラムを創りえていくのか、国難かつ、切迫した課題の前に悩む。 YU
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