ワーカーズ467号 2012/7/1     案内へ戻る

民自公の談合政治と対決しよう! 大企業・官僚・原子力ムラの御輿はいらない!

 野田民主党政権のたどり着いた岸辺は、あきれるほど無残なものだった。
ご都合主義のでたらめな安全基準での大飯原発の再稼働、民自公による出来レースともいえる消費増税、直前の連続事故でも配備見直しの申し入れさえできないオスプレイ配備問題等々。
 自民党長期政権による閉塞情況のなか、3年前のあの政権交代で掲げた「国民生活が第一」「コンクリートから人へ」「官僚主導政治の打破」「米国依存からの脱却」という民主党の旗印は、ものの見事にひっくり返ってしまった。
 被災者無視が際だった福島原発事故後の対応も許されざる失態・背信だった。が、〝再稼働ありき〟のやみくもな再稼働の決定は、それに輪をかけた市民・住民への背信行為という以外にない。
 「税と社会保障の一体改革」もそうだ。当初掲げた社会保障の充実を看板に掲げた消費増税は、衆議院での採決が迫るにつれて表向きの看板さえ次々と投げ捨た。結局は〝消費増税ありき〟という野田首相の本音だけが実現するという、まったく必然でそれだけ滑稽な結果となった。「一体改革」の核心としての税負担での企業免責や官僚権益の源泉たる既存の歳出枠の確保が、あからさまに実現されようとしているからだ。
 私たちは、国民や庶民の味方面をした野田首相を許さない。大企業・官僚・原子力ムラ・米国の懐に飛び込むことで延命しようとする民主党政権を許さない。同時に、そうした談合政治に荷担した自民党や公明党も許さない。
 メディアも同罪だ。自民党政権の末期には、選挙を経ない内閣交代は〝政権たらい回し〟だとあれほど批判してきたメディア。そのメディアは総選挙後三代目の野田内閣に対してそうした批判を封印。何はともあれ消費増税をと、太鼓持ちの役割を担ってきた。
 あの政権交代の衆院選から3年、次の総選挙はこの1年あまりで必ず実施される。大企業や官僚や原子力ムラの代弁者となった民自公に労働者・市民の〝ノー〟の声を集中させる以外にない。今や多数派となった「脱原発」「大衆増税ノー」の声を草の根からさらに拡げ、政治の場でも民自公談合政治を追い詰めていきたい。(6月25日 廣)


オランド大統領の政権基盤の強化とその背景

フランスにおける2投票制選挙とは

 2012年6月10日と17日の2日にわたってフランス国民議会選挙が実施された。この選挙で国民議会議員577人(任期5年)が直接普通選挙で選出される。今回の選挙の焦点は、先の大統領選挙でサルコジ国民運動連合党首を破ったオランド社会党党首が政権基盤強化できるか否かであったが、国外に居住するフランス人が初めて代表(議員11人)を選ぶ選挙でもあった。
 選挙人は単記2回投票制選挙で、まず候補者1人を選び、その候補者が第1回投票で有効票の過半数かつ選挙人名簿登録者数の25%以上を獲得すれば当選する。しかしどの候補者もこれらの条件を満たさなければ、当選者未決となり、第2回投票が翌週の日曜日に実施され、かつ第1回投票の得票数が有権者の12・5%以上だった候補者のみが第2回投票に立候補できる。その結果、最多票を獲得した候補者が当選となるが、得票数が同数の場合は年長の候補者が当選となる。ギリシャといいフランスといい選挙制度は様々だ。

6月10日の第1回投票の結果

 フランス国民議会総選挙の第1回投票が10日実施され、オランド大統領の支持母体・社会党など左派が約47%の得票率を記録し、前回07年の約36%から大躍進した。
 最終結果は17日の第2回投票に持ち越されるが、この傾向から社会党を中心とする左派が過半数の議席を獲得し、勝利する見通しとなり、左派は上院でも多数派を占めており、緊縮財政と成長戦略の両立を訴えるオランド大統領が政権基盤を固める事が予想された。
 仏内務省発表の最終開票結果によると、得票率は社会党、共産党、「欧州エコロジー・緑の党」など左派が計約47%で。サルコジ前大統領の支持基盤だった国民運動連合と、新中道などの右派が計約34%であった。
 IPSOS世論調査会社による獲得議席の予想では、社会党が270〜300議席(改選前195議席)で左派全体では305〜353議席(同215議席)、他方国民運動連合は210〜240議席(同304議席)で右派全体では227〜266議席(同328議席)とする。改選前は国民運動連合が単独過半数を占めていたが、社会党単独での過半数(289議席)獲得は微妙だが、左派全体では半数を大きく上回る見通しとしていた。

6月17日の第2回投票の結果

 フランス国民議会総選挙の第2回投票が17日実施され、内務省の暫定集計によると、オランド大統領の与党、社会党が単独過半数の314議席を獲得し、予想を大きく越えて圧勝した。同大統領が掲げる雇用と経済成長の重視の姿勢が改めて支持された形である。
 モスコビシ経済・財政・対外貿易相は「オランド大統領への強い信任の結果だ」と勝利宣言し、その上で「われわれはこれ以上の財政緊縮には向かわない」と強調した。
 暫定集計によると、ヨーロッパエコロジー・緑の党は17議席、共産党系の左派戦線は10議席で、社会党と合わせた左派は計341議席に拡大した。一方、サルコジ前大統領を支えてきた保守派の国民運動連合(UMP)は229議席へと大幅に後退した。
 一方極右の国民戦線は、女性党首マリーヌ・ルペン氏が落選したが、姪のマリオン・マレシャル・ルペン氏ら2候補が当選。1998年以来の議席を同党にもたらした。他方、注目されていたオランド大統領の元事実婚パートナーで、西部シャラントマリティム県の選挙区から出馬した社会党のセゴレーヌ・ロワイヤル氏が落選した。

オランド大統領の反緊縮経済策指向

 オランド大統領は6月初旬、選出されてからわずか1カ月で、一部の労働者に関し62歳ではなく、60歳に定年退職(年金受給開始)する権利を復活させるという対サルコジ選挙公約を誠実に実行した。フランスでも公約破棄は珍しくないのだが。
 この定年引き下げはフランスの最近の構造改革の中でも極めて重要な改革の部分的なUターンを意味する。年金改革の逆行で見せた大統領の機敏さには、明白な政治的理由がある。2週間後の国民議会(下院)選挙対策である。それは、大統領は左派色の強い有権者層の間で支持を固めたる事を狙ったものだ。そしてそれは成功した。
 大統領とモスコビシ財政相は、短期的な財政規律に関してドイツ等に対して安心感を与えるサインを既に送ってはいたものの、今後両氏が経済再建に関してどれほどの実力を示すかについては大きな課題が残されている。既にフランス政府が徐々にではあれ明確に左に舵を切っている兆候が見られる。サパン労働相は失業率が10%に達したというニュースを受け、労働者を解雇するコストを引き上げたいと述べた。
 さらに大統領は、欧州新財政協定の批准の条件として、銀行セクターの統合や他の金融安定化措置の推進など、成長支援策以外の課題についても6月28─29日の欧州連合(EU)首脳会議で合意をめざす方針だという。外交筋は、大統領はEU全体で銀行セクターの統合や他の金融安定化措置の推進について合意することも求めている。
EUが域内総生産(GDP)の約1%に相当する規模の成長支援策で合意した場合、欧州の新財政協定をフランスとして批准する条件を満たすのに十分かとの質問に対し、同筋は「十分ではない。さらなる合意が必要だ。成長支援の要素は不可欠だが、金融安定化の要素もまた不可欠だ」と答えている。緊縮か成長かの単純な話ではないのである。

オランド大統領の真価が問われている

 オランド大統領は、大統領選挙時に、大幅な緊縮財政策なしで2017年までに国の財政収支を均衡させる方針を明示し、富裕層を中心に増税を実施する一方で、学校や雇用創出といった分野には予算を手厚くすると公約してきた。
 今回の国民会議選挙において、社会党を中心に左派は予想を超える議席を獲得してオランド大統領の政権基盤は強化されたのであるが、それは何よりもサルコジに対する反緊縮策を支持した労働者市民の力による。確かにサルコジの打倒には大きな意味があった。
 次に求められているのは、単なる人気取りではない。フランス経済をここまで混乱させた元凶ある金融資本の利益を追求しその破産の取り繕い策を何よりも優先させる政治ではなく、真に労働者市民の生活を防衛するための政治である。
 その期待に応えるべき経済運営をオランド大統領が立派に果たせるものかどうか、全ヨーロッパが注目している。今まさに真価が問われているのである。(猪瀬)  案内へ戻る 


緊縮派の薄氷の勝利と変則の連合政権の樹立―ギリシャ再選挙の結果

注目されたギリシャ再選挙の結果

 6月17日、全世界から注目されたていギリシャ国会の再選挙(一院制、定数300)が投開票されて、欧州連合(EU)や国際通貨基金(IMF)と合意した緊縮策を支持する新民主主義党(ND)が勝利を収め、緊縮策の撤回を求めていた急進左派連合(SYRIZA)は敗北を認めた。しかしこの勝利は薄氷の勝利とでもいうべきものである。
 すなわち緊縮政策推進の中道右派の新民主主義党(ND)、中道左派の全ギリシャ社会主義運動(PASOK)の旧与党2党が、前回と同じくそれぞれ第1党と第3党となり議席の過半数を占めた。しかし得票率では反緊縮派が前回に続いて過半数を獲得しているのだ。
 第1党を確保したNDは29・7%の得票率を上げ、50議席加算するギリシャの選挙制度の下で129議席を獲得し、PASOKは33議席で、両党の議席を合わせると半数を上回る162議席となった。一方、緊縮政策撤回を訴えた急進左翼連合は、得票率で前回5月をさらに10ポイント上積みする26・9%、議席で19増の71となる。
 3%以上得票し議席を得た政党の得票率でみると緊縮推進派は計42・0%に対して、反緊縮派は計52・1%であり、緊縮反対が多数という底流は前回と変わっていない。
 NDのサマラス党首は「国民はユーロ圏残留に投じた」と勝利宣言する一方で、同氏は経済成長を保障するため、ギリシャの債務返還期限については2年程度延期するよう求めた。他方の急進左翼連合のツィプラス党首は「われわれは18日から闘いを続けていく。ギリシャはすでに新たな夜明けを迎えた」と述べて、最大野党として緊縮路線とたたかう決意を表明した。
 NDの勝利が確認された事で、ギリシャは国際社会と合意した1300億ユーロ(1640億ドル)規模の救済プログラムに沿って財政再建をめざす事になり、先の総選挙でのSYRIZA躍進で金融市場を脅かしていたユーロ離脱懸念はとりあえず一段落した。

変則の連立政権の樹立

 複数の銀行関係者の話によると、ギリシャでは週末17日の総選挙(再選挙)が近づくにつれてユーロ離脱懸念が強まっており、銀行からの預金引き出しペースが加速していた。関係者によるとここ数日のギリシャ大手行からの預金引き出しは1日当たり総額5億─8億ユーロ(約800億円)。特に12日に急増したという。ある銀行では、再選挙前に1日当たり約3千万ユーロの預金が引き出されていたが、同行の関係筋は選挙後「前日、(預金引き出しの)動きは反転した。約1500万ユーロのキャッシュが戻ってきた」と述べた。NDの「SYRIZAの勝利はユーロ離脱となる」宣伝が効いたのだ。
 NDのサマラス党首は、今回勝利の歓声を浴びながら、ロイターに対して「ほっとした。できる限り早く政権を樹立したい。ギリシャ国民はきょう、ユーロ圏に残る道を選んだ。これ以上冒険することはない。欧州におけるギリシャの地位は疑問に思われない」と語り、他のユーロ圏諸国とのコミットメントを順守する考えをあらためて表明した。PASOKの当局者は、ND主導の政府を支持する考えを示し、NDと連立政権を樹立するか、あるいは閣外協力を通じて政権に協力していく方針を明らかにした。
 6月19日、5月に行われた選挙においては、パプリアス大統領の調停も不調に終わって再選挙となったのだが、今回は再々選挙は許されないとの切羽詰まった状況下、ベニゼロスPASOK党首は、新政権樹立に向けた各党協議で、翌20日までに合意できる公算が大きいとの見方を示した。PASOKは、緊縮策に反対しているSYRIZAも政権に参加するよう求めているが、SYRIZAはそれを拒否した。そこで民主左派が登場。
 結局、与党の議席はNDとPASOKの連立で既に議会定数300の過半数に当たる162議席を占めてはいたが、17議席の民主左派と連立して179議席となったのだ。
 6月21日、NDのサマラス首相率いる新内閣が発足した。宣誓式後の初閣議で、サマラス首相は「この政府に時間的な余裕はない。ギリシャ国民を財政危機から救い出し、彼らの犠牲を無駄にしないことがわれわれの目標だ」と述べた。要となる財務相には、同国最大手ナショナル銀行頭取のラパノス氏が就任し、外相にはアブラモプロス元アテネ市長が起用された。PASOKと民主左派の2党は閣外協力にとどまり、推薦した学識経験者が入閣した。すなわち内閣の閣僚18人の内NDが13人、PASOKが1人で、残り4人はテクノクラートとなっている。連立に参加したPASOKと民主左派の2党からの閣僚はなく、経済アナリストの間には新政権の結束力を象徴するものとの声が出ている。
 すなわちND以外のPASOKと民主左派の2党は、連立を作りながらも既に逃げ腰である。彼らは今後予想される経済運営の困難な状況から、何時でも政権から離れる事ができるように、予め身軽になろうとしているのである。何とも呆れ果てた対応ではないか。

前途多難の連立与党3党の船出

 NDのサマラス党首は、初めての閣議で、閣僚の給与を30%削減する方針を表明した。「新政権にハネムーン期はない。誤りは許されない。われわれの目標は、この国を危機から脱却させる事だ」と明言した。連立与党の一角を占める民主左派の報道官はNETラジオに対し「トロイカはギリシャに対し、存続可能かつ団結した、広く受け入れられる政権を望んだ。そうした政権が誕生したとトロイカが判断すれば、数々の重要な問題においてその立場は変わってくると思う」と述べた。しかし何と遅きに失した提案である事よ。労働者市民が彼らに反発し、SYRIZAの台頭を招いたのは、全く当然の事なのだ。
 さらに新政権を担う連立与党3党は同日、支援条件となっている財政緊縮目標の達成期限を2016年まで2年延長するよう求める方針で合意した。3党が合意した政策文書は、「危機に対処し、成長への道を開き、欧州の一員およびユーロ加盟国としてのギリシャの立場をリスクにさらさずに支援策の条件を修正する事が連立政権の目的」としている。
 それによると、同国の国内総生産(GDP)に占める財政赤字の割合を2011年の9.3%から2.1%に引き下げる期限について、現行規定の2014年から2年間の延長を要請する方針で、この期限延長に伴い、ギリシャ当局者らの試算では160~200億ユーロの追加資金を国外から調達する必要が生じる見込みという。公務員15万人の削減計画の見送り、付加価値税(VAT)の一部引き下げ、失業者への手当給付期間を1年間から2年間に延長する事などを盛り込んでいる。
 こうした見直し案は、連立政権のND、PASOK、民主左派のそれぞれの主張を反映させたもので、反緊縮策派の民主左派にも配慮した内容となっており、これまで緊縮策を支持してきたドイツなどの反発は必至だ。この交渉が成立する保障などないのである。
 バローゾ欧州委員長は、欧州委員会、欧州中央銀行(ECB)、国際通貨基金(IMF)の合同調査団「「トロイカ」が向こう数日中にアテネ入りし、新政権と意見交換するとともに、何がすでに履行され、何をこれから実施する必要があるのか調査するとkの疑念を表明している。実際、ギリシャがユーロ圏に残留したとしても、欧州の懸念は晴れない事がユーロの重しとなる。ユーロ諸国はギリシャに財政支援を継続しなければならず、各国の財政を圧迫し続ける。ECBやIMFは振ればよいだけの「打ち出の小槌」ではない。資金支援には現実に増資などの裏付けが必要になる。
 しかしギリシャは、次回融資が実施されなければ、来月にも手元資金が枯渇する。そして次回融資の実施は、先に述べたように欧州委員会、欧州中央銀行(ECB)、国際通貨基金(IMF)の合同調査団「トロイカ」の厳しい調査によって承認される必要がある。

SYRIZAは今後何をなすべきか

 2014年までにギリシャは117億ユーロ(約1兆2千億円)の歳出削減などでEUと合意して、15年までに公務員約15万人を減らす事も約束していた。この線に沿って実際にギリシャでは賃金や年金が大幅に削減された他、雇用も深刻な影響を受け、社会の分断が進んできたのである。
 一方で現在のギリシャの失業率は過去最悪の22.6%であり、財政緊縮を過度に進めれば、労働者市民からの反発も大きくなるのは必至の様相である。さらに政権与党がめざす成長路線と財政緊縮の共存戦略の具体策は、いまだにはっきりと見えていないのである。
 実際の所、NDの得票率は29・7%で、SYRIZAの26・9%とわずかな差しかなく、その火種は確実に残っている。いつでも逆転が可能だ。再選挙でもSYRIZAは、支援策の撤回や銀行国有化、民営化の凍結などを公約しており、ツィプラス党首には半分以上が失業状態にある若年層の間で幅広い支持を獲得した。若き闘士である同氏の躍進は、まさに現代のギリシャ政治における全世界的な注目の人物であり続けている。
 5月の選挙と6月の選挙では、赤と青のポスターで闘われた。一方の赤のポスターは、まさにギリシャの時の人であるツィプラス党首の率いる急進左派連合(略称:ΣΥΡΙΖΑ・SYRIZA(スィリザ)である。
 2004年1月に5つの共産・左派政党が連合を形成し誕生した小党派SYRIZAは、2009年にアレクシス・ツィプラス(当時34歳)を党首に掲げ、本年5月の総選挙ではギリシャ政府による緊縮財政策に反対する国民の支持を受けて52議席を獲得し、全ギリシャ社会主義運動(後述)を抑えて第2党に躍進した。まさに躍進に次ぐ躍進だ。
 他方の青いポスターは、ギリシャ最大政党である新民主主義党(略称:ΝΔ、ND)だ。1974年に設立された中道右派政党NDは、中道左派政党である全ギリシャ社会主義運動(略称:ΠΑΣΟΚ、PASOK)と連立与党を組み、長く2大政党体制でギリシャ政権を担ってきた。
 実質的にはとうに制度破綻して久しいギリシャ特有の公務員制度を、何の対処対策もないままに放置しておきながら、ギリシャの財政状態について粉飾決算をし虚偽報告まで行いEUに参加した。その挙げ句の果ては、欧州全体あるいは世界全体を破綻に追い込みかねない超問題児にまでギリシャを貶めてしまった2大"腐敗"政党として、今や「誇り高きギリシャ国民」の誰一人として、その言を信じるものはいないとまでいわれている。
 連立を組んでいたPASOKは、前回5月の総選挙において、その得票率が前々回選挙の44%から13%まで激減、41議席の獲得に留まって第3党に転落、結党以来最低の結果とともに戦線離脱を余儀なくされた。彼らの悪行の当然の報いではある。
 こうして、腐敗した旧来支配勢力の一角を占めていた青いNDと若い新興急進勢力の赤いSYRIZAという極めて分かりやすい対決の構図が前回の選挙で実現したし、今回の再選挙後にもデマを受けながらSYRIZAは力強く屹立し続けているのである。
 SYRIZAが今後何をなすべきであろうか。まさに現在の困難を克服する事である。私たちはこのギリシャの困難な状況を主体的に切り開けるのは、労働者市民の立場を真に体現する政党と労働者市民の連帯の力であると確信している。そのためにはSYRIZAが政党として一皮もふた皮もむけた大胆な政党となる事を期待している。(直木)    案内へ戻る


EUの危機と「市場至上」経済の時代  財政赤字のしわ寄せと連帯して闘おう 

●緊縮財政反対が依然過半数(ギリシャ選挙)
 世界が注目したギリシャの再選挙の結果は、「EU残留か離脱か」という脅しを突きつけられたにもかかわらず、得票率では緊縮反対派が五二%、賛成派が四二%と、ギリシャ国民の意思は再度「緊縮財政はいやだ」ということであった。
 しかし、独特の選挙制度等により、議席数では「緊縮財政派」がともかくも勝利した。ギリシャ国民は、今後とも失業の拡大と年金や給与削減や酷税などの苦しみのなかにおかれることになるのだろうか。
 最大与党となっ新民主主義党は、連立政権を組む他の与党との協議で、国民の緊縮財政反対の声を無視できずに緊縮財政政策の緩和や先送りすることで合意した。そしてさらなる支援をEUに求める意向である。近日の報道によると、たとえば、これまでのEUとの合意であった財政赤字の削減目標を二年繰り延べること、公的部門での解雇の回避、付加価値税の大幅引き下げ、失業給付期間の一年延長などである。
 もちろん、これらの要求が通るかどうかは不明である。さらにスペインやイタリアの労働者・国民も「国家財政赤字」のツケを背負わされ同じ運命をたどろうとしている。この問題をあらためてかんがえてみよう。

●EUという「国家」
 EUは「ヨーロッパ経済共同体(EEC)」から形成され、ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体、ヨーロッパ原子力共同体との合同を経て「ヨーロッパ共同体(EC)」となり経済的法的あるいは政治的結びつきを発展させてきた。さらに現在は単一通貨ユーロのもとで国家的統合をめざしている。世界的に展開されているグローバル化の地域版であるとも言える。
 ヨーロッパは、超大国米国、軍事大国ロシア、そして日本や中国の経済的パワーに対抗するために、ドイツやフランスを中心とするヨーロッパ諸国の統一市場に基づく国家形成を目指しているのである。
 いうまでもなく、労働者や地域零細企業がこのような野望を目指したわけではない。欧州の資本家たちが中心となってより強大な国家統合をもくろんできたのだ。
 実際、EUは経済的結合を軸として法的な政治的結合を強め、新たな国家権力の創造という近代国家形成の基本プロセスを手に取るように示した。
 さらにEUがその建前としての「ヨーロッパ市民社会」を目指すというのであるから、近代市民社会の歴史的位置が、市場経済の統合過程と国家形成のなかで語る必要もないほどに明快に示されている。

●労働者は「EU国家」を守るべきなのか?
 もっとも、EUが本格的な「国家」へ今後とも成長するかは保証の限りではない。しかし、「EUの危機だ」といって騒ぐのは欧州ブルジョアジーたちにまかせておけばよいのではないか。その様な視点はわれわれにとって二次的なことである。「EUの危機」を回避するためとの理由で、労働者・勤労民衆に犠牲を転嫁するのは筋違いというものである。「EU危機論」はギリシャで六月に実施された再選挙で見られたように、少なからず政治的に利用され国民を脅しつけるために利用されている。(さらに上手の者たちはEU危機を逆利用し、国家統合をさらに推し進めようとする動きも活発である。たとえばスペインの首相のように。)
 このような次第であれば、労働者や一般国民にとって、国民的交流や経済的交流、共同の市民社会の形成は、歴史的なアソシエーション形成の一要素として存在するとは言え、現実のEUが資本主導の新国家形成であるという意味では、それを支援し支持する必要はない。たとえば、EUの危機に責任を持つとか、それを避けるべき義務も存在しない。
 独仏の資本による、南欧・東欧の経済的後進地域との市場統合は、結果としてドイツ等先進資本を潤したのであり、南欧諸国が財政赤字を作ったからといって安易に追放すべきではない。そんなことをすればEUはむしろ「国家」としての信望を失うであろう。
 ギリシャあるいはスペインの労働者の緊縮財政反対闘争は正当である。大衆を犠牲とした財政再建路線と一貫して闘うべきである。EUがさらなる国家統合をもくろむのであれば、ドイツやフランス政府は、資本家の力でギリシャやスペインを救済すべきであろう。

●信用危機はギリシャが原因?
 さらに次のことを語らなければならない。ヨーロッパのマスコミや一部の政治家がEUからギリシャ離脱を求めることはもちろん、六月の再選挙に際してドイツ首相メルケル、IMF専務理事サルガドがギリシャ国民を愚弄し、残りたければ緊縮財政に協力すべきであるという(事実上の)脅しにくっする必要はない。
 ギリシャの財政赤字のせいで(それともスペイン、イタリアへのドミノの発端となり)世界信用恐慌がくるというのか? たしかにマスコミはこぞってそう叫び続けている。だが、経済恐慌は、資本主義の総合的な矛盾の爆発であり、そもそも「ギリシャ」「スペイン」の責任ではない。責任というのであれば、巨万の富を築いてきた金融機関や、本業そっちのけで、為替投機や債権・株取り引きに資金をつぎ込んできた世界中の大資本(産業資本含む)の責任なのである。彼らこそが、目先の利益を追求するあまり信用の不安定化を増幅させてきた張本人である。
 ギリシャやスペインの「財政危機」は、その突破口、つまり信用危機が信用崩壊へと転化するきっかになる可能性があるだけだ。しかし、気の毒なことにきっかけは他のどこにでもある。

●緊縮財政に耐えれば信用危機は回避できるか?
 それなのに、国民的犠牲をギリシャやスペインに強いるべきなのか。ギリシャやスペインの国民的犠牲は報われる保証があるのか? 仮に、これらの国民が増税という追加的な収奪に耐えて、さらに緊縮財政の下、大量失業に耐え赤字財政を幾分回復したとしても、資本主義の経済恐慌は遠のくのか? うそだ、そんな根拠はどこにもない!
 このように、緊縮財政を実行することが、EUの安泰であり、その一員であるギリシャ国民の「義務だ」「責務だ」というということはまったくない。また、ギリシャやスペインの緊縮財政の堅持が、世界の経済秩序を救うかの主張は、その場しのぎの幻想である。 フランスのオランド大統領の登場やギリシャでの急進左派連合の台頭に刺激されて、EU世論も「緊縮一辺倒」から「成長路線」へとシフトしつつあると言われている。しかし、申し訳ないが、どの階級にとってもめでたしめでたしの都合のよい政策など存在しないのである。あるのであれば、はじめから誰でもがその政策を採用したであろう。
 現実は、ふたたび「財政膨張政策への回帰」なのである。労働者は一息付けるかもしれないが、仮にそうであったとしても一時期のものであり、累進的な財政危機が再び信用危機とともに叫ばれるであろうことは容易に予想できる。
 
●食い逃げはゆるされない
 ギリシャやスペインの財政が危機であるなら、そしてこれらの国の銀行が信用不安に陥りつつあるなら、ドイツを中心としたEUの資本家と政府がそれを無償で支えるべきではないか。彼らこそ拡大されたEUから最大限の利益を引き出したのだから。彼らの金城湯池であるEUを維持したければ、それだけの犠牲を自らはらうべきではないのか。
 同時に、累進的に拡大する金融取引(信用不安の一大要因)から、それを規制するためにも為替取引も含めて国際的な課税網を構築すべきではないか。富裕層への徹底した累進課税を実施すべきだ。
 とにかく、もうけた者たちが後始末を人に押しつけ、食い逃げするのは断じて認められない。欧州の労働者・国民は、選挙を含めた大衆的力でこれらの点を実現してゆくべきだ。

●EUやIMFの政策はヨーロッパ・ファシズムを育てている
 このことも言わねばならない。「税金を支払わない国民」「公務員が多すぎる」「勤労意欲に乏しい国民」などとバカにされ、厳しい緊縮財政をEUのみならず国際的に(IMFなどに)押しつけられているギリシャで、四月の総選挙では急進左派連合とともに躍進したのが「黄金の夜明け」などのファシズム勢力である。これは予測されたことである。社会保障や賃金の切り下げや雇用の喪失を事実上他国に「呑まされ」たのだから、鬱積した国民感情は彼らをして極左や極右支持に追いやることは見やすい道理だ。
 新民主主義党が今後とも国民の窮乏を放置し、急進左翼連合も効果的な道をすぐさまとれなければ、その反動はファシズムのような極端な排外主義、差別主義としてギリシャ国内で支持者をさらに増やす可能性はある。身近なところで「敵」を見つけ出し攻撃するという右翼の野蛮な発想や行動は、怒りの矛先を見いだしかねている一部国民に対して危険な罠となる。ギリシャのEUからの離脱ばかりでなく、「ヨーロッパ市民社会」は大きく傷つくであろう。

●ドイツの労働者・国民の立場
 EUのアンカーともいえるドイツの国民は、財政赤字国の支援に不快感をすでに示している。ギリシャに対する国家的な支援は、現に少なからずドイツ国民の負担としてなされているからである。これ以上の支援をやめ、ギリシャのEU離脱もやむなしという意見も存在する。
 この様な見解も当然である。EUを守りたければ資本・大企業がその責任を担うべきであると主張することができるし、それこそ正当な立場ではないのか。ギリシャの離脱がスペイン、イタリアに波及しEUが分解してしまうと悲嘆に暮れるのであれば、そうならないように強く願うのならその労は資本家と政府が、国民に負担を強いることなく実施すべきである。EU維持の目的の赤字国支援として税金を投入しつづけるのであれば、ドイツの労働者・国民は、断固として抗議すべきであろう。

●おごる「金融市場」を誰が鎮めるのか
 そもそもおかしな話しがすべての前提となっている。金融市場の暴走ぶりに対する非難はあっても、片方では市場の行動が各国経済政策の絶対基準であることは微動だにしていない。
 市場の動向にあわせて、国家は政策を決定し、市場をなだめすかすことばかりやる。「市場の信頼を得る政策を」と野田総理もそう言うが、ギリシャをめぐる問題もその典型である。ギリシャの赤字財政におびえた「市場」が、ギリシャやその国債を多数所有する銀行から逃げようとして、信用不安が発生した。こうして、EUを中心に国民的資金が集められ、それが大量に銀行に注ぎ込まれる。銀行資本の国民的救済自体も不当であるが、さらなる問題は、金融市場の動向が国家財政政策ひいては国民経済を規定するという、まるで転倒した現代社会のすがただ。市場の資金を呼び戻すために、ギリシャやスペインその他の財政赤字国は、国民の苦痛をしいる「緊縮財政」をとっている。これはなんとしたことだろう!
 たしかに、金融経済は、実体経済の数倍以上の規模にのぼると考えられており、金融投機や為替投機は中小規模の国家をすでに何度も破綻の縁に追い込んできたのである(アジア金融危機)。国家は、今では「市場」の風下に立ち、その動向におびえ顔色をうかがうという惨めな立場に追いやられている。
 だが、国家の力をより強大にして市場を統制し、彼らにしっかり課税し富の再分配とやらを強化すること、つまり「大きな政府」論に回帰することは、当面の方策として必要であっても、悪循環からの根本脱却にならないことはすでに多くの人々にあきらかだろう。

●単純な答えは存在しない
 市場経済や資本主義が不合理で、人間的生活や文化と相容れないことは今では多くの人たちが理解し始めている。そして、世界的に新しいこころみが実施されている。また他方では多くの失敗や失望があるとおもわれる。
 本論で多くを語れないが特に注目すべきは、個々人の連帯を土台とする多種多様な協同の経済である。労働の社会的意義を理解した自発的な経済組織である。このような経済の連携で「市場至上経済」に代わる新しい社会を生み出すという展望は、歴史の中でその姿をようやく垣間見せていると考えている。
 それを政治的にも経済的にもまもり育てることが、大きな課題である。(この記事は「ワーカーズ」ホームページに六月十五日「トピックス」として掲載されたものに加筆しました。阿部文明)案内へ戻る
 
紹介  移植医療を考える

 日本の移植医療が新たな段階に入った。子どもから子どもへの臓器移植の実現である。従来、諸外国での移植に望みをつなぐほかなかった子どもたちとその保護者に、新たな可能性を開いたという点において、喜ばしいことなのだろう。ただし、脳死が人の死であり、脳死判定が確実に行われ得るという限りのことである。
 移植医療の困難はこの脳死判定の確かさ以外に、移植が必要な患者さんがドナーを待つ間に亡くなってしまうことです。移植の為の臓器の不足、こればかりは医療の進歩によっても越えられない壁のように思われる。移植用臓器をどのようにして確保するのか、この道は限りなく危ういものである。  (折口晴夫)

梁石日「闇の子供たち」(幻冬舎文庫)

 2002年に発表されたこの小説はフィクションなのか、永江朗氏の解説によると「描かれているのは、まったくもってひどい世界だ。まだ初潮も始まらないような幼女が売られていく。売られた先で強要されるのは、幼児愛好者たち相手の売春である。売春といっても、子供たち自身に金が入るわけではない。大人たちの商売の道具にされるだけ。彼女たちはただの奴隷であり、人形にすぎない。したがって、売春というよりも、性的虐待であり徹底的な搾取である」ということだ。
 さらに永江氏は次のように指摘している。
「本書において梁石日は、幼児売春の現場を過剰なほどグロテスクに描く。思わず目を背けたくなる読者も少なくないだろう。だが、これが現実だ。憎むべきは山岳民族の幼女を買い受ける都市の男だけでなく、売春宿で性行為に及ぶ外国人の男たちだけでなく、この絶対的貧困を温存し、温存することで自らの豊かな社会を保っている私たち自身なのだ」「100円ショップには安い日用品がたくさん並んでいる。ほとんどは中国をはじめとしたアジアでつくられいる。価格が安いのは、人件費が安いからだ。かの地の人々が安い人件費で働くことについて、消費者である私たちが罪悪感を持つ必要はない、という人々もいる。たとえ日本の何十分の一の給料であれ、劣悪な労働条件であれ、それはかの地にとっては重要な産業なのだから、と」「臓器移植によってしか助からない子供がいる。国内で手術を受けることはもちろん、アメリカなどに渡ってドナーがあらわれるのを待つ猶予はない。だから東南アジアで移植を受ける。東南アジアでは、貧しい子供が買われ、殺され、ドナーにされている」
長い引用になってしまったが、永江氏の解説は的確であり、私がへたにあらすじを書く必要はないと思う。
 とはいえ、少しは書き加えることにしよう。ヤイルーンとセンラーの姉妹は親に売られ、バンコクで幼児売春の犠牲になる。その代金は冷蔵庫やテレビに化け姉妹のいなくなった家を飾る。エイズの罹った姉のヤイルーンは黒いビニール袋に入れられ、ごみ処分場に捨てられる。ここから脱出したヤイルーンは自力で家に帰り着いたが、父親は庭に檻をつくりヤイルーンを閉じ込め、やがていのち尽きた娘をこの父はガソリンをかけて小屋ごと焼き払った。
 ここの子どもたちに救いはない。食事を与えない、タバコの火を押し付ける、こうした暴力によって反抗心を挫かれ、子どもたちは逃げ出すこともできずに死を迎えるまで、つまり〝商品価値〟が無くなるまですべてを奪い続けられる運命にある。唯一の希望は、社会福祉センターの存在とその活動である。そこで活動している音羽恵子が、この物語で主人公といえる人物である。
 もちろん、タイでも子どもの売買・売春は犯罪なのだが、警察や軍の関係者はわいろで買収されている。社会福祉センターの活動は監視の対象になっており、秘密を暴こうとした活動家が殺されてもうやむやに済まされてしまう。音羽恵子は知人の日本人新聞記者と臓器売買を暴き、これを阻止しようとしたが、それもかなわずにセンラーは臓器移植を受けるために日本からやってきた子どもが入院している病院に運び込まれる。
 全国統一大行進に参加した日、行動に紛れ込んだ一団の挑発によって略奪が始まり、センターの活動も潰されてしまう。著者は新聞記者の会話を通じてこの事態を次のように形容している。「数百人の死傷者が出てる。軍は群衆に向かって打ちまくってた。地獄だよ。戦車まで出動していた」「この際、反体制側を徹底的に潰そうとしてるんだ」「なんてこった。これで民主化は十年遅れる」
 日本大使館で夜を明かした音羽恵子は翌朝、社旗を立てた車で新聞記者にセンターまで送ってもらった。そこには8人の子どもと2人のボランティアがいたが、活動家たちは殺されたか囚われたかしていない。日本に帰国するのではなく、ここに残ることを選んだ音羽恵子は、涙をぬぐい子どもたちに「さあ、みんなで食事をつくりましょう」と声をかけた。
 ボランティアとしてタイに渡った音羽恵子が恐ろしい現実に遭遇し、周囲に励まされながら強くなり、タイに残ることを選択する。それにしても、子どもたちの境遇はあまりにも救いがない。しかしそれが真実である以上、これでもかと著者は書かざるを得ないのだろう。

カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」(ハヤカワ文庫)

 今年1月に同名の映画を観た。内容があまりにショッキングだったのでずっと頭から離れず、原作を探して読んだ。著者は英国に住み英語で作品を発表している、英国文学最高峰ブッカー賞を受賞した作家である。映画ではよく理解できなかった場面の疑問が解消され、ようやく全容が理解できた。なお、原作の日本語訳は2008年に発刊され、映画は2010年に製作されている。
 映画の表題は「わたしを離さないで‐この命は、誰のために。この心は、私のために‐」、紹介文には「緑豊かな自然に囲まれた寄宿学校ヘールシャム。そこで学ぶキャシー、ルース、トミーの3人は、幼い頃からずっと一緒に過ごしてきた。しかし、外界と完全に隔絶したこの施設にはいくつもの謎があり、〝保護官〟と呼ばれる先生のもとで絵や詩の創作に励む子供たちには、帰るべき家がなかった。18歳になって・・・」とある。
 親がいない、家族を持たない子どもたち、名前もキャシー・Hとかスージー・Kと表記されている。唯一それらしきものが出てくるのは、「ポシブル」(映画では「オリジナル」と言っていた)探しの場面である。
「ポシブルの理屈自体は簡単で、特に問題となるような要素もありません。わたしたちはそれぞれに、あるとき普通の人間から複製された存在です。ですから、外の世界のどこかに、私たちの複製元と言いますか、『親』がいて、それぞれの人生を生きているはずです」
 さて、物語は11年以上も介護人をやってきたキャシーが、ヘールシャムの思い出を回想するところから始まる。というか、主人公たちに未来はなく、出来るのは過去の回想だけなのだ。成人後に待っているのは、提供と回復を数度繰り返し終了する、それだけ。これ以上の紹介はすべきではないだろう。本を読むか、映画を観るか、物語が指し示す恐るべき医療の未来を、自ら確かめていただきたい。
 ただ一点、私が本を読んで確かめずにはおれなかったところを紹介したい。
「こういうことは動きはじめてしまうと、もう止められません。癌は治るものと知ってしまった人に、どうやって忘れろと言えます? 不治の病だった時代に戻ってくださいと言えます? そう、逆戻りはありえないのです」

 沖縄の米軍基地、過疎地の原発立地、犠牲を払うことなく受益を確保し続ける。こういうことは動きはじめたらもう止められないのだろうか。関電大飯原発3・4号機は再稼働へ動きはじめてしまったが、脱原発の実現をあきらめない。もちろん、米軍普天間基地へのオスプレイの配備や辺野古新基地建設にも反対し続ける。誰かの犠牲の上に安逸を求めてはならないのである。案内へ戻る


色鉛筆・・・・障害者支援とは?

 軽度知的の特別支援学校に転勤して二年目になる。昨年は東日本大震災があり、見知らぬ土地に地震で亀裂の入った道をとおり、また台風で大雨が続くと通行止めの道路が多くなり、こわいおもいも何度かした。また生徒のなかには家族・住居が津波で流され、どこまで事実を受け止めているのかよくわからず、言動に注意をはらって接してきた。
 今年も新しい生徒が増えた。しかし仮設住宅に暮らす子も数多くいる。
* * * *
 入学前の学校見学者は約500人にものぼる。生徒たちは教育相談・入試と手順を踏んですごい競争率の中入学してくる。入試のときには、受験者は口をそろえて、「この学校で学んで社会で働きたい」「就職率は高い」等の発言があり、面接の練習を何回もしてきたんだと感じさせられた。家庭教師をつけて望んだ生徒もいたとか。
 教育カリキュラムの中に年に二回職場実習があり、一年生は一ヶ月の校内実習、二・三年生は企業で働く体験をする。それが生徒達にとって、普通高校での中間・期末考査に代わるものなのだ。
 つまり、普段から生徒達に社会のきびしさを教えなければいけないというのが、学校の指導方針である。見た目は障害者とわからない彼らが社会人になった時「即戦力」となることを期待してのことだ。学校では作業学習がほとんどであり、寄宿舎では日課に沿った生活をさせている。たとえば、限られた時間で清掃作業をおこなった後の点検では、髪の毛一本落ちていても拾わせて、やり直しをさせる。挨拶を必ずさせ、時間を守らせる。出来なければきびしく指導する。
* * * *
 「これでいいのだろうか?」「人権を大切にしているのだろうか?」と思うことがよくある。自分はロボット製造工場にいるようで、昨年一年間はとても悩んだし反発もした。教員が上から目線で強制的にさせることは、その場限りでは守られるかもしれない。しかし、生徒が心から納得いかないことは、本当の意味では身に付かないし自分の習慣として定着することが難しいと感じる。
 「なぜしかられたのか?」「なぜ守らなかったのか?」その背景をよく考えることが、大切なのに。整理整頓できない子どもがいたら、強制的にどの子も同じようにさせるのではなく、個々人にあった整理整頓を定着するように支援すればよいと考える。
 「自助努力」「自己責任」という社会風潮が生徒たちに重くのしかかっている。コミュニケーション力(りょく)、つまり相手の言葉や気持ちをよりよく理解し、また自分の気持ちを伝えることがもっと大切ではないのか。学校こそそのような教育の場所ではないのか? 社会全体で子どもたちの成長を見守る個別の支援計画をみんなで十分議論して個性を生かし、社会の中で生きていけるように支援していきたい。 (弥生)


「コラムの窓」・・・沖縄の骨

 沖縄は6月23日、米軍普天間飛行場の辺野古移設問題、欠陥機・オスプレイの普天間飛行場への配備計画など、県民の反発が高まる中で戦後67年の「慰霊の日」を迎えた。
 今年も、糸満市摩文仁の平和記念公園には、早朝から遺族が続々と訪れ、平和の礎に刻銘された犠牲者の名前をなぞり祈りをささげる姿、孫やひ孫に犠牲者の在りし日を語るお年寄りの姿が見られた。
 沖縄戦から67年もたっても、戦後処理全般に課題「負の遺産」は山積みのままだ。「不発弾処理」問題(不発弾すべてを処理するのにまだ70年必要)、「遺骨収集」問題(県の調査で約3574柱が未収骨のままである)、「所有者不明土地」問題(沖縄戦で公図や公簿が焼失し所有者が不明のまま)、「基地返還」問題(米軍が勝手に個人の土地を収用したまま)等の課題がある。
 今回は「遺骨収集」に関した話題を取り上げる。
 戦後67年たつ今も沖縄戦戦没者の遺骨が、沖縄戦激戦地の跡地から出てくる。沖縄戦遺骨収集のボランティア団体「ガマフヤー」の代表である具志堅隆松さんは、「戦後60年以上たつ今も、遺骨が散乱している状態は人間としてあまりにもかわいそう。遺族に返してあげたい。しかし、民間ボランティア任せでは限界がある」と指摘する。それでも「ガマフヤー」メンバーと共に遺骨収集のボランティア活動をずっと続けている。
 沖縄県の推測で、沖縄戦戦没者の遺骨は18万8136柱。今年3月末の時点で3574柱が未収骨のままだ。こうした遺骨収集は、戦争を起こした国の責任であるが、政府は戦没者の遺骨収集を放棄している。沖縄の遺骨収集の現状をみると、70%以上がボランティア団体や個人の取り組みに任されている。
 私の知人関係者にも、沖縄戦で戦死(どこで戦死したのか不明であり、当然遺骨も戻らない)した人があり、他人事には思えない。
 最近「沖縄の骨」(岩波書店発行)という本を書いた岡部伊都子さんのことを知った。
 岡部さんは1923年大阪市生まれ。1943年の20歳の時、戦地に行く小学校の1学年先輩の男性と婚約する。
 婚約の儀式が終わり二人だけになったとき、彼は言う「この戦争は間違ってると思う。天皇陛下のためになんか死ぬのはいやだ。国や、君のためにならよろこんで死ぬけれども」と。
 彼は心を決めて「今、この婚約者に自分の本音を言っておこう」との思いだった。ところが、軍国娘の彼女は婚約者のいのちがけの言葉が理解できず「私なら、喜んで死ぬけど」と答えたのだ。
 そのまま彼は、深夜の大阪駅から出征兵士を乗せた列車で行ってしまった。これが最後の別れであった。
 彼は大阪高商から学徒出陣で大阪二十二部隊に入隊、1943年に北支に配属、1945年初めに沖縄へ配属されて、6月に沖縄本島島尻郡津嘉山付近で戦死したと伝えられる。
 敗戦後、彼女は婚約者の戦死した沖縄に渡ろうともせず、父母の相剋を見るつらさから逃れるため、1946年に身勝手な結婚をする。しかし、7年後に離婚し30歳から執筆による生活を開始する。
 彼女はずっと婚約者の最後の「真剣に、本気で語った声」が胸痛く残っている。その声に答えるには、あまりにむなしい私の返事。彼は、私に対して、どんなに淋しい気持だったろうか。その事をずっと思い悩み続ける。
 ようやく少し心の整理がついた彼女は、1962年2月、ある週刊誌の「掲示板」に「沖縄で戦死した婚約者のことを知っている人はいませんか」という小文をのせる。
 ある人よりハガキが届き、沖縄戦参加の元兵士と会い、話を聞くことができた。
 元兵士は「沖縄戦の話なんて、とてもとても話しきれるものではありません。それはものすごい体験でした。私も日本軍の一人でしたが、戦争のただ中で、住民も軍隊も、あったものではない」。
 「那覇から追われるように南へ南へ逃げる。倒れている人の水筒をもらう、靴をもらう、食べ物をもらう、着ているものをもらい、さらに南へ逃げていく。近くでの砲弾炸裂、低空飛行で機銃掃射する米軍機、その後で木を見て息がとまる。木の葉に肉がついているだけの死体破片」。
 「結局、捕虜になり『戦場処理係』の仕事にまわされる。米軍兵士の死体は、二メートルの深さ、二メートルの長さに掘った穴に、一体ずつ横たえて埋葬し、上には十字架をたてた。名前も明らかにして、ずらりと並べていた。けれど、こちら日本側は民間人も兵士もいっぱい死んでいる。いたるところに砲弾の炸裂のあと、大きく地形を変えた穴へ日本側の死体、つぶれた大砲、こわれた銃、破損した武器も一緒にブルドーザーで押していって、落とす。どんどん落とした。その上に土を落としおし入れて平らにした。さらにその上にアスファルトを敷いた。舗装して道にしたり飛行場にしたり。それはとても『骨を拾う』ことの可能な状態ではない。それどころではない」。
 彼女は聞くだけで、せいいっぱいで、ほとんどメモもとらず泣き、圧倒されていただけの頼りない自分を思う。沖縄の苦難を知ろうともせぬ無責任な女だった、と。
 彼女は婚約者の戦死の場所として公報に記されていた島尻郡津嘉山を訪ね、多くの沖縄の人たちから彼の最後の様子を聞くことができた。
 その後、彼女は沖縄の人たちに自分の体験談を語り、沖縄のことを書き本土の人たちに知らせていく、生涯彼女は沖縄交流を続けていく。
 作家として、1972年「二十七度線・・・沖縄に照らされて」(現代新書)以降、戦争・環境破壊・差別への筆はいっそう厳しく鋭くなる。百冊近くの著作から精選した「岡部伊都子集」(落合恵子・佐高信編、全五巻、岩波書店、1996年)がある。(富田英司)案内へ戻る


原発推進は核兵器保有のため! 悔い改めない〝原子力ムラ〟

◇布石

 大飯原発再稼働で政治と世論のギャップが拡がる中、どさくさ紛れに核エネルギーの軍事利用に道を開く一連の法改正が強行された。
 6月20日、原子力安全委員会や原子力安全・保安院を解体して新たに原子力規制委員会を設置することが参院で決まった。が、その設置法第1条に、法律の「目的」として「……我が国の安全保障に資すること目的とする。」という文言が追加された。併せて設置法附則第12条で、上位法である原子力基本法の第2条(基本方針)に新たな項目を追加するという横紙破りも民自公などの賛成多数で強行してしまったのだ。
 この設置法は、原子力規制庁に衣替えするとしていた民主党が自民党などによる規制委員会案を受け入れる過程で、自公案の中にあったものを民主党が受け入れる形で急転直下決まったものだった。しかも、この設置法は6月15日の衆院に提出されたその日に可決されて参院に送付、参院での採決は6月20日という、まさしくドタバタのうちに成立させられたものだった。
 布石はそれに止まらなかった。
 同じ6月20日、H2ロケットなどを打ち上げてきた宇宙航空研究開発機構(JAXA)法も改定し、「平和目的」としてきた条項を削除してしまったのだ。H2などのロケット技術を核ミサイルに活用するという位置づけは周知の秘密だったが、これも将来での公然たる核ミサイル保有への布石だ。現に、即時発射可能でICBMへの転用可能な3段固体燃料M5(ミュー5)ロケットもすでに開発済みだ。
 核技術、宇宙ロケット、それにプルトニウムへの執着を結びつければ、即、核保有は現実味を帯びる。今回の密室での一連の法改定は、日本の核保有への野望を剥き出しにしたもので、消費増税と原発再稼働に突き進む民自公談合政治の無責任さと危険性を如実に示すものだという以外にない。

◇常套手段

 どさくさ紛れに野望実現の橋頭堡を仕込むこうしたやり方は、これまでの歴代政権の常套手段だった。最近の例では宇宙空間での研究・開発・利用を定めた宇宙基本法の改定がある。98年の北朝鮮によるテポドンの発射を受けて、急遽導入された情報収集衛星、事実上の偵察衛星保有へのあゆみだ。
 それまで日本は、建前としては宇宙空間での研究・開発・利用は、「平和の目的に限る」とした衆議院決議でカモフラージュにしてきた。ところが、軍事衛星そのものである偵察衛星を、多目的の〝情報収集〟衛星だから国会決議に反しないと強弁しながら、保有に踏み切った経緯がある。一端偵察衛星を手にすると、今度は08年には宇宙基本法に「我が国の安全保障に資する」(第14条)という文言を組み込むことで、非侵略目的という手前勝手な理屈を付けながら、宇宙の軍事利用に広く道を開いてきた。現に、いまでは偵察衛星ばかりでなく早期警戒衛星保有に向けた動きもあからさまになり、宇宙の軍事利用は着々と拡大されようとしているのが実情なのだ。
 そうした経緯を受けての今回の宇宙基本法改定だ。同じ条項が「基本的施策」(第14条)の一つから「基本方針」を規定した第2条に格上げされたわけで、宇宙の軍事利用に向けた法的環境整備がまた一歩進められたことになる。
 なぜ原子力規制委員会設置法や宇宙基本法で「安全保障」(セキュリティー)という軍事的概念の枠組みを導入したのか。それは〝原子力ムラ〟主導の原発推進政策は、その裏側では核兵器保有能力を保持するという観点も不可分のものとして推進されてきたからだ。これは原発政策が、電気エネルギーの利用に止まらない、核兵器の製造・保有・使用も含めた軍事利用を想定した勢力によって推進されていること必然的な結果でもある。これまでも羽田首相(当時)が「日本は核兵器を持つ能力がある。すべての面で」と発言した例もあり、また今回も自公案作成の中心だった塩崎恭久衆院議員は「核の技術を持っているという安全保障上の意味はある」などと発言している。唯一の被爆国である日本として核兵器はもとより戦争そのものを否定した世論の監視の中、推進勢力は〝原子力ムラ〟を舞台に核兵器保有能力の保持を至上命令として暗躍してきた。そのごく一端が、今回の基本法改定でも貫かれたわけだ。

◇核廃絶へ

 〝原子力ムラ〟は、あの福島原発事故をまったく反省していないどころか、〝焼け太り〟さえ目論んでいることがこれでまた一つはっきりした。役に立たなかった安全委や安全・保安院を解体し新たな規制組織を発足させようという、まさにこの場面でのこの厚かましさだからだ。
 とは言っても、今回の強引な法律改正は、〝原子力ムラ〟の面々が追い詰められていることの表れでもある。というのは、原発がもはや電力供給という経済や生活の土俵上だけでは人々に受け入れさせることができなくなったことの結果であり、核兵器保有という封印されははずのパンドラの箱を開けざるを得なくなったことの証左だからだ。
 逆に私たちの側も古くて新しい課題を突きつけられている。脱原発の運動は、脱原発の土俵を超えて、核兵器の拒絶を含む「脱原発・反核兵器」にまで拡げないと〝原子力ムラ〟と対峙できない、という現実だ。
 今回の法改定を受けて、「世界平和アピール七人委員会」は6月19日、「原子力基本法の基本方針に『安全保障に資する』と加える改正案の撤回を求める」アピールを発出している。人目に隠れるかのような今回の法改定に「ノー」の声を拡げ、新たな土俵でも〝原子力ムラ〟を追い詰めていきたい。(廣)


原子力基本法の基本方針に「安全保障に資する」と加える改正案の撤回を求めるアピール 

2012年6月19日
世界平和アピール七人委員会 武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 池田香代子 小沼通二 池内了 辻井喬

 衆議院本会議は、先週の6月15日に「原子力規制委員会設置法案」を可決した。この法案は、政府が国会に提出していた「原子力規制庁設置関連法案」に対立して自民・公明両党が提出していたものであり、この日に政府案が取り下げられて、自民・公明両党に民主党も参加した3党案として、衆議院に提出され、即日可決され、直ちに参議院に送られて、この日のうちに趣旨説明が行われたと報じられている。新聞報道によれば、265ページに及ぶこの法案を、みんなの党が受け取ったのは、この日の午前10時であり、質問を考える時間も与えられなかったといわれている。

 世界平和アピール七人委員会は、この法案の中に、説明なく「我が国の安全保障に資する」という文言が加えられたことについて、ここに緊急アピールを発表する。
 国会議事録はまだ公開されていないが、自民党の資料によれば、「原子力規制委員会設置法案」の第1条には、「この法律は、・・・原子力規制委員会を設置し、・・・国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的とする。」と書かれている。
 我が国の原子力関連の個別の法律は、すべて日本国憲法のもとにある原子力基本法の枠の中で作られている。周知のとおり、原子力基本法の基本方針(第2条)は「原子力の研究、開発及び利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。」となっていて、歴代政府は、日本国憲法に抵触しない原子力の軍事利用ができないのは、この法律に抵触するからだとしてきた。
 しかし、「我が国の安全保障に資する」という文言は、わが国の独立に脅威が及ばぬように、軍事を含む手段を講じて安全な状態を保障することに貢献すると読む以外ない。このことに気が付いたためと思われるが、今回衆議院を通過した「原子力規制委員会設置法案」の附則第11条は、原子力基本法の一部改正にあてられている。
 それによると、原子力基本法の基本方針に、第2条2を追加し、「2 前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする」と改定するというのである。「我が国の安全保障に資することを目的として、安全の確保を行う」という文言は何を意味するのであろうか。具体的になにを行おうとするのか全く理解できない。

 国内外からのたびかさなる批判に耳を傾けることなく、使用済み核燃料から、採算が取れないプルトニウムを大量に製造・保有し、ウラン濃縮技術を保持し、高度なロケット技術を持つ日本の政治家と官僚の中に、核兵器製造能力を維持することを公然と唱えるものがいること、核兵器廃絶への世界の潮流に反して、日本政府が米国に対して拡大抑止(核兵器の傘)の維持を求め続けていることを思い浮かべれば、原子力基本法第2条の基本方針の第1項と第2項の間に、矛盾を持ち込んで実質的な軍事利用に道を開くという可能性を否定できない。
 国会決議によって、平和利用に限り、公開・民主・自主の下で進められてきた日本の宇宙研究・開発・利用が、宇宙基本法の目的に、「わが国の安全保障に資すること」を含めることによって、軍事利用の道を開いたことを忘れることもできない。

 さらに、「基本法」は憲法と個別法の間にあって、個別法より優先した位置づけがされていることを考えれば、個別法の附則によって基本法の基本方針を、討議せずに変更することはゆるされない。

 世界平和アピール七人委員会は、原子力基本法と原子力規制委員会設置法に、何らの説明なく「我が国の安全保障に資する」という表現を含めようとする計画は、国内外から批判を受け、国益を損ない、禍根を残すものと考え、可決にむけて審議中の参議院において直ちに中止することを求める。

連絡先:世界平和アピール七人委員会事務局長 小沼通二
メール: mkonuma254@m4.dion.ne.jp
ファクス:045-891-8386       案内へ戻る


読者からの手紙

菅直人前首相はまたしても口先だけ!

 野田首相が民意無視で強行した関西電力大飯原発再稼働は、官邸前のデモが4万人を突破するほどの盛り上がりを示しています。それこそ普通の市民が参加しているのです。
 当然の事でしょう。福島原発の事故原因もハッキリしなければ、国会事故調の報告もまとまっていないのですから。それゆえ今までの安全対策の何処に不備があるとの確認も真の合意すらありません。そんな事で一体何が大飯原発の安全対策が充分だというのでしょうか。野田総理の見識を疑るに足る充分な事実です。
 また課題である原子力規制庁も発足していません。安全基準の見直しすら議論になっていないのです。そのため多くの労働者市民が再稼働に反対し、さらに政権与党の民主党の国会議員119人(6月11日現在)が「慎重に判断すべし」と申し入れているのです。
 この署名は民主党の衆院議員、荒井元国家戦略担当相と福島選出の増子参院議員が中心となって呼びかけ、羽田元首相、鳩山元首相、小沢元代表、渡部元衆院副議長、江田党最高顧問、馬淵元国交相ら119人が署名しているものです。
 これを見ると実際に浜岡原発を止め、なおかつ脱原発にあれだけこだわり続けた肝心要の菅直人前首相の名前がないのです(6月12日現在)。
 昔から「論より証拠」とはよくいったものです。浜岡原発が止まったのは当時の菅首相の問題意識による命令ではなく、放射能汚染で横須賀基地が使用できなくなると困るアメリカの差し金だとの噂はやはり真実だったのですね。
 この署名の集約状況を見て「結局、あの人は口先だけ……」と民主党内での菅直人氏の評判は下がる一方であると聞きました。(笹倉)


「始末書」-郵便事業会社の現場から

 時間給で働き始めて17年が過ぎ、この前、初めて「始末書」なるものを書くように命じられました。差し出す相手は、日頃、顔も合わさない、私自身も顔も知らない名前も知らない、支店長にです。そもそも始末書って何? 辞書で引いて見ると、「過失をわび、事情を書いて差し出す文書」とある。要するに、仕事で過失をしたから支店長に、どうぞ解雇しないでとお願いする文章らしい。
 今年4月になって、40歳過ぎの新しい課長がやってきて、「始末書」という言葉が言われ始めました。どうやら、3ヵ月に2回の誤配達をしたら、課長じきじきに「始末書」を提出するよう、本人に言い渡されるようになったようです。そんな説明も受けないまま(以前は、3ヵ月で3回の誤配達があれば始末書ではなく、時間給が下げられた)、現場労働者への締め付けが実行された、という訳です。
 誤配達の申し出があれば、受付された郵便には、必ず書類が添えられていて、いつ誤配があったのか、その申告者名も記入されており、指定された日に配達した者が過失者となって、まず、申告者にお詫びのための訪問が義務付けられます。書類にはあわせて、どうして誤配をしたのか? 反省文には2度と誤配を「再演」しませんと、宣誓文も添え支店への提出が課せられます。これだけでも、当の本人には大きなプレッシャーとなり、労働意欲は当然、喪失されることになります。
 現に、ようやく年休が取得できることになった、60代の男性は、「始末書」に追われ、半ば鬱状態になり、職場を去らざるをえませんでした。期待をもって再就職した職場が、こんな管理でがんじがらめとは、想像もしなかったでしょう。社員ではなく時間給のみの収入で何の保障もないのに、義務ばかりが押し付けられた職場に、とりわけ感情のない冷血な管理者に、愛想が尽きたのは仕方のないことでしょう。
 ゆうパックの統合で生じた、配送の遅れや不手際に、トップに立つ経営者たちは、どう責任をとったのですか? その赤字を現場の労働者に押し付け、経費節約=人件費削減しか考えていない管理者たち。弱いものいじめをして、そんなことを手柄にして出世をしたいのですか? 先日のゆうパックを運ぶトラック便の、集配支店から統括支店(都道府県外への配達拠点となる)への荷物の引き受け・配達で、76億円もの無駄使いを検査院に指摘された郵便事業会社。トラック便〝地域便〟の積載率が50%を下回り、無積載便もあったという。今後、「始末書」の枚数で、時間給を下げるようなら、もう私は、黙っていられない。経営者たち・管理者たちこそ、「始末書」を書きなさい!   (西宮・恵)案内へ戻る


編集あれこれ

 本紙前号1面では「財政赤字の国民・労働者への責任転嫁を許すな!」と、あまりにも当然のスローガンが掲げられれています。ここから、消費税増税反対や大資本や富裕層への大増税の要求が出てきます。
 しかし、世論調査などでは消費税増税やむなしの意見が多いようです。企業が幅を利かしている社会で、その利害を優先することに慣れてしまっているのでしょう。その結果がより苦境を深めてしまうのですが、なかなか、失うものもないので全面的な反抗に打って出る、ということもできないでいます。
 2面では選挙で投票するだけの〝観客〟ではだめだと述べています。その投票にすら行かない人も多いのですが、それが票を入れるべき候補がいないという白けた気分が蔓延しているのでしょう。この閉塞状況の一点突破として極右が登場する、危うい期待の表現が〝橋下現象〟なのでしょう。
 橋本徹という人格は、人々の鬱積した不満の方向性を捻じ曲げるために生み出されたものだとしたら、実によくできた〝ガス抜き〟装置です。これを生み出した勢力が必要ないと判断したら、たちまち切り捨てられるのでしょう。しかし、大衆的(排外的)熱狂がそうした思惑を超えたとき、社会的危機が始まります。
 6面で報じている「ギリシャはユーロ離脱するか」も同じ文脈にあります。その後の再選挙結果は、労働者の反抗がギリギリのところで押しとどめられてしまいました。ユーロ諸国からの圧力、すべてを失うのではないかという恐れ、そうしたなかでもギリシャの労働者はよく闘ったと思います。今の日本では、闘わずして敗北のようなものですから。
 4・5面は原発と沖縄です。この国のなかで最も強固な闘いが継続されている場面です。しかし、一部の人々、一部の地域の闘いと言わざるをえません。私たちはこうした闘いに参加し、これを広めたいと思っています。ご意見、ご批判などもお寄せください。
 さて、紙の新聞は〆切が決まっていて、どうしても情勢の即応することができません。それをカバーするために、ホームページでの即時報道を強化しつつあります。まだ模索の段階ですが、ぜひこちらも観ていただきたいと思います。もちろん、情報を寄せていただくことも大歓迎です。 (晴)

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