ワーカーズ469/470合併号 2012/8/1
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野田政権を解散・総選挙に追い込もう!
消費増税はしないとの選挙公約を公然と破り捨て、「税と社会保障の一体改革」のためと称し、野田首相は民主党と自公との3党合意により衆議院で消費増税法案の採決を強行した。これに対して民主党から大量の造反者が出たばかりでなく、離党者数も予想を超え、また五月雨的な離党者が続いている状態だ。参議院では後2人離党者が出れば、民主党は第1会派から転落するまでに追い詰められている。民主党の自壊が始まったのである。
今や野田政権は公然と労働者・市民と敵対しており、松下政経塾政権または自民党野田派と軽蔑され政権基盤は大きく揺らぎ、その権威喪失ぶりはまさに哀れそのものである。
大飯原発再稼働に反対する官邸前の毎週金曜日の自然発生的な運動は、全国で10万人の闘争にまで拡大し続けている。そして7月16日、再稼働が強行されてから初の集会である代々木公園には、主催者発表で17万人の結集があった。まさに60年の安保闘争以来の一大闘争となって、その声は脱原発と野田退陣を要求するまでになっている。
こんな状況の中で、大飯原発のフル稼働と最大出力の発電が開始された。またまた完全破産した「安全宣言」が麗々しく発せられたものの労働者・市民の中には政府を信じるものなどいないのである。国会の事故調の最終報告にあるように、福島原発事故は地震・津波による天災ではなく、まさに「安全神話」にふんぞり返っていた「人災」なのである。
またここへ来て、大飯原発と伊賀原発の下には活断層がある疑いが大きく浮上している。原子力村の呆れ果てるまでの極悪非道ぶりが、今また大きく焦点化されているのである。
さらに7月23日には、欠陥輸送機であるオスプレイの岩国強行搬入が強行された。反対の闘いが高揚する中、それに動揺し始めた野田首相はオスプレイの搬入には反対できないとの前言を翻して、「安全性が確認できるまでは飛行させない」との甘言を弄し始めているが、労働者・市民の中には野田発言を信じる者など一人としていないのである。
官邸前の金曜行動の他に反貧困をテーマとした官邸前水曜行動も力強く開始された。この闘いをさらに拡大し、野田政権を解散・総選挙に追い込んでいこうではないか。(直木)
民自公体制を追い詰めよう!──政官業談合政治に回帰した民主党政権──
人々の安全や生活に直結する消費増税・原発再稼働・オスプレイ搬入などをめぐる一連の動向で、日本の新たな政治構造がくっきり浮かび上がってきた。業界・官僚・米国依存への回帰だ。あの政権交代で過去のものになったはずの古い自民党政治は、民自公談合政治という形で、ものの見事に復活した。
私たち労働者・市民は、自分たちの命と生活を守るためにも、新たな政治支配構造となった民自公体制と、その背後の政官業談合体制に立ち向かっていきたい。
◆きわ立つ産官米寄りの姿勢
庶民の生活を直撃する消費増税は民自公の談合によって衆議院を通過し、8月のお盆前後での成立にレールが敷かれた。また原発死守の産業界や原子力ムラ≠フ圧力に寄り添った野田首相は、大飯原発再稼働に踏み切った。事故検証や安全対策を置き去りにしたたまま再稼働ありき≠フあからさまなムラ£ヌ随の再稼働劇だった。どじょう内閣≠自称した野田首相だが、政権の延命のためには既存勢力と二人三脚でいくしかないと踏ん切りが付いたのだろう。このところの野田首相は悪びれたところがない。
消費増税案の衆院通過では、「人からコンクリートへ」で実を取りたいゼネコン政治の自民党と結託し、社会保障改革を先送りしたままでの消費増税にのめり込んだ。政治生命をかけて≠ニいう野田首相にとっては、社会保障改革よりもまず第一に増税実現が目的だったことが露わになった瞬間だった。
論より証拠、そうした国会でのドタバタ劇の背後では、新たな財政の大盤振る舞いが頭をもたげていた。自民党が国会に提出した10年間で200兆円の公共事業支出を盛り込んだ国土強靱化基本法案、同じように10年間で100兆円のソフト面も含めたインフラ整備を内容とする公明党の法案だ。野田内閣は、あっさりと修正協議で自民党案を受け入れた。
こうした一連の経緯をみれば、野田首相が掲げる税と社会保障の一体改革≠フ本音がどこにあるのか、一目瞭然だ。消費増税は社会保障改革のためなどではなく、ゼネコンなどへの大盤振る舞いの原資を確保するためにおこなわれるのだ。社会保障改革は、その口実に使われたに過ぎない。
おまけにあきれかえるほど露骨な仕掛けというか、消費増税法案の附則に「成長戦略やインフラ投資に資金を重点的に配分する」という条項を差し込んでしまった。大盤振る舞いの布石が早々に組み込まれたわけだ。
これらは税と社会保障の一体改革≠ェ打ち出された当初から私たちが主張してきた、消費増税は法人税や所得税での企業・富裕層の免責であり、また社会保障以外の財政支出を確保するためだという、増税案の本質的な姿が表面化したものという以外にない。成立が目前に迫っている消費増税で笑うのは、免責された企業や富裕層、大盤振る舞いで潤うゼネコンなど、それに社会保障を口実にまんまと増税を実現できる財務省などの面々だろう。
原発再稼働も同じ構図だ。
福島第一原発の事故原因も解明されないまま、過酷事故対策も未整備のまま、原発規制の新機関となる原子力規制委員会も発足しないなかでの政治決着での再稼働の強行だった。しかも電力不足や電気代値上げを脅迫材料としながらのなにはともあれの再稼働、これが産業界や原子力ムラの代弁であり代行でなくて何だろうか。
野田首相は、ことあるごとに国民の生活ため、利用者のためというが、それを信じている人はもはやいない。それでもそう強弁しなければならないほど、産業界・自民党・官僚・ムラ≠フ側にすり寄っていることを示すものであろう。
野田首相は他にも古い自民党政治への回帰を拡げている。オスプレイ配備、集団的自衛権、尖閣諸島国有化、水俣病患者の切り捨て、等々だ。いまやあの政権交代はめっきり色あせ、自民党野田派≠ニ揶揄される存在だ。第二保守党としての本質をはっきり見せてくれる野田首相には、退陣を突きつける以外にない。
◆回帰の迂回路
少なくとも、国民の生活が第一≠掲げたあの政権交代は失敗し、民主党は事実上破綻した。始まりは選挙戦術としての民主党マニフェストだった。
そのマニフェスト。これについても私たちは有権者受けする大盤振る舞いでしかなく、国民の生活が第一≠ニいう看板も、実現への裏付けを欠いた単に選挙戦術を政権の方針にしただけのものに過ぎず、政治主導≠ニいう新政権の柱も、うまくいって行政権の肥大化をもたらすだけだ、と批判してきた。企業や官僚に切り込む戦略と気迫に欠け、また民主主義の観点も希薄だったからだ。
その象徴が、鳩山首相(当時)が掲げた普天間基地の最低でも県外#ュ言とその後の撤回だった。米国の軍事プレゼンスを制約しての国外・県外移設を実現するには、自主防衛の圧力を跳ね返すそれなりの平和構想や平和外交が不可欠だが、それもないまま思いつき的に叫んだだけだった。
同じ事は財政の大幅な組み替えを目指した事業仕分けにもいえる。国民諸階層の利害が錯綜する財政の組み替えには、新しい社会づくりの構想やそれを貫き通す党や労働組合や市民団体などを巻き込んだ政治的陣形づくりが不可欠だ。民主党政権はそうした主体づくりは脇に置いたまま、政務三役による官邸・省内政治に終始し、官僚の有形無形の抵抗に阻まれた。挙げ句の果ての官僚依存の自民党政治に回帰してしまった。
民主党政権3年間の結果は、普天間基地での破綻、財政組み替えの失敗、コンクリートから人へ≠ゥらの逆流、政治献金や官房機密費での開き直り、天下り根絶の放棄、等など、民主党政権の軌跡の傍らには無残な屍が累々と続いている。
民主党政権に残されているのは、マニフェストの約束違反や政権そのものの失敗を認めて潔く下野することにあったはずだ。その後に改めて構想と陣容を立て直し、出直しを図るべきだった。ところが何をしたいのかではなく、何になりたいかが最大の共通動機だった選挙互助会としての民主党には、はなからそんな姿勢は期待すべくもなかった。振り返ってみれば、三代にわたる政権たらい廻し≠セけが残ったというのが実情だ。。
「3党合意もできた。もうイデオロギー対立はない。」これは引退を表明した密室談合首相の森元首相の言だ。立場こそ違え、評価としてはその通りという以外にない。民主党政権3年間の迂回路を経て回帰した古い既成政治の民自公談合政治、これが私たちが対峙する政治勢力だというわけだ。
◆破綻からまなぶ
「国民の生活のため」「被災者のため」を連呼する野田首相。その言葉の裏側では、大衆課税の消費増税にひた走り、原発再稼働で原子力ムラの要求を代弁する。庶民や被災者の思いを踏みにじるそうした野田首相の姿を目の当たりにして、裏切られた思いを抱く人々はどのぐらいになるのだろうか。が、そう思うだけでは前に進めない。民主党政権の失敗から学ぶべきだろう。
大手メディアは、「始めから無理だった」論を展開している。要は、裏付けを欠いたポピュリズム、できもしない約束で国民を裏切った責任は重い、と。確かに一面の真理は含まれている。しかしその結論が国民に負担を強いる勇気ある政治≠ニ続いては、社会の木鐸とか権力のチェックどころではない、国家統治の観点からの単なる既成秩序への追従でしかない。
メディアにとっては消費増税政局で浮上した「人からコンクリートへ」の逆流についても、アリバイ的な単なる「便乗」論だ。そうなるのは税と社会保障の一体改革≠ニいう意図的な土俵が財務省など官僚主導で打ち出された当初から分かっていたはずなのに、だ。メデイアも産業界や政権の太鼓持ちの役を果たすだけだった。
民主党政権が破綻した最大の要員は、めざすべき社会の青写真を欠いたことだ。それは子ども手当が根拠もなく1万円増額されたことや、温暖化にどう影響するかの整合性もなく「有権者にドライバーは多い」との理由で掲げられた高速道路無料化などに象徴されていた。要するに、有権者受けするバラマキ政治に終始したのだ。
政策実現に向けた体勢づくりにも失敗した。政治主導を掲げて政務三役による意志決定システムを導入したが、その意志決定はあくまで省内でのこと。党組織や支持組織、それに利害関係者を結集しての政策実現体勢づくりにはほど遠かった。むしろ、陳情窓口を民主党幹事長室に集中させたように、業界を系列下に置くという党利党略に執着した。
党組織のあり方についても同じだ。政策決定の内閣への一元化を旗印に、当初は国家戦略局の設置を掲げて政調会を廃止。国会議員は投票要員化され、戦略局は省庁の壁に阻まれていまだに機能しない。それも民主党が選挙での風頼みという議員政党に止まっていることの結果だった。当然のことながら民主党は、企業や官僚などの既成勢力に対抗する革新的な労働組合や市民組織、それに各種自治的団体を糾合できなかった。民主党政権の失敗は、いはば対抗運動をつくりだせない政党だったことに起因する。
結局、民主党政権失敗の最大の要因は、既成勢力に対して対抗戦略と対抗運動を欠いた、官邸政治に終始した議員集団の必然的ななれの果てだったと総括できるだろう。
庶民、有権者の側の問題もある。テレビ政治の影響もあってか、善悪二分法による劇場政治に巻き込まれ、自分たちは観客席で役者の演技を観て一喜一憂する、というものだ。選挙での政権交代そのものは、有権者自身の判断が政権をつくるという意味では歴史的な意義があった。が、それに止まっていては劇場政治から脱却することはできない。自ら政治に参加する、いわゆる参加型民主主義への前進が課題だろう。
◆対抗勢力づくり
その参加型民主主義は、今大きなうねりとなって拡がっている。脱原発をめざした集会・デモの拡がりのことだ。
あの原発事故がなかったかのように強行された原発再稼働、避難者や放射能による健康被害への不安につきまとわれる市井の人々の想いを無視するかのような再稼働。自分の思いを直接政治に届かせようとするそうした行動は、文字通り、参加型民主主義の重要な一歩だ。さらにこうした行動の拡がりの背後では、既存のメディアが伝えない事実を共有する自立したネット社会が拡がっている。各地での集会・デモは、そうした自立した人々が自律的な行動に踏み切った、ということだろう。
ただ企業・官僚にしても原子力ムラにしても、既得権や個別利益を軸に強固な秩序を形成している。単発での行動だけでは反乱も一過性に終わる。「数」はいずれ「力」に飛躍しなくてはならない。この自ら行動するというエネルギーを、草の根からの反乱や既存秩序を支えてきた労働組合の立て直しなど、各種の自律的なグループを横断する対抗勢力づくりへとさらに一歩進めていきたい。(廣)
莫大な報酬額の経営者とリストラにされる人々
6月26日、日産自動車は横浜市で株主総会を開き、カルロス・ゴーン社長は、2012年3月期の報酬総額が9億8700万円、その他役員6人も1億円を突破していた事を明らかにしました。
ゴーン社長の10年3月期の報酬は8億9100万円、11年3月期は9億8200万円で、いずれも国内上場企業の役員としてトップでした。
競合会社のトヨタ自動車の豊田章男社長は、12年3月期の報酬総額が1億3600万円であり、トヨタの取締役27人の報酬を全て合わせても9億7200万円で、ゴーン社長1人に及ばなかったのです。日産が12年3月期の連結最終利益が3414億円になり、トヨタの2835億円を大きく上回る好調な業績を続けているのが理由です。
他方、赤字決算続きで、大荒れとなった大企業の株主総会。業績不振にもかかわらず億単位の役員報酬を得ていた「1億円プレーヤー」への株主の怒りが原因です。
その呆れた実態は、4期連続で赤字を計上しながら、4億5000万円も受け取っていたソニーのハワード・ストリンガー会長の巨額報酬に象徴されています。
株主からは「ソニーの企業価値の毀損は(前CEOの)ストリンガー氏らが進めた“賞味期限切れ”の戦略が原因だ」との批判に超円高や大震災などを言い訳にしたストリンガー氏に対して「資質のあるトップは外部環境を理由にしない!」との非難が飛びました。
野村ホールディングスでは、グループCEOの渡部賢一氏が1億2800万円、グループCOOの柴田拓美氏が1億1300万円。業績低迷に加え、OBらの犯罪関与やインサイダー事件で世間を騒がせたが、総会でインサイダーについての社内調査結果の公表はなく、6月29日になって慌てて会見を開き、調査結果を公表するほか、経営陣の報酬カットを行うといいます。
また元社長マイケル・ウッドフォード氏と解任訴訟を争っていたオリンパス。1000万ポンド(12億4500万円)を支払う事で和解。この金額、ウッドフォード氏が受け取るはずだった報酬の3年分で、その年俸は、4億1500万円だったのです。
しかし現実はもっとすごい。ゴーン社長の9億8700万円を上回る役員報酬を貰った人がいます。カシオ計算機の樫尾俊雄元会長(5月に死去)がその人で13億3300万円です。樫尾元会長はカシオを創業した4兄弟の次男です。彼は基本報酬1400万円に加え、昨年会長を退任した際に13億円超の退職慰労金を受け取ったのです。
経営不振になっても自らの報酬を減額できない手合いがひしめく中で、これらの報酬の原泉を生み出す労働者はリストラの嵐に吹きさらされ続けています。このように経営不振により有無を言わさず人員整理が強行される最中にあって、経営悪化は経営者の責任ではないとのたまう破廉恥族が多数いるのだから、私たちは驚くしかありません。
年収2百万円に満たない非正規労働者がこうした現実の中立ち上がらない訳はないと言わざるをえません。まさに現実が彼らを決起させます。怒りを武器に転化しよう!(笹倉)
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政局を考える・・・「民主党の分裂」
ついに民主党が分裂した。
消費税増税の衆議院採決で57人が反対票を投じ、棄権・欠席は16人、合わせて73名の造反者が出た。
野田執行部が党内の増税反対派の小沢グループを切り捨て、採決に踏み切れたのは、言うまでもなく自民党・公明党との3党合意が成立し多数派が成立したからだ。
国民の多数が反対してきた消費税増税の強行は、民主党・自民党・公明党3党による暴挙である。
自民党の長期政権のウンザリして、政権交代に期待して民主党に投票した有権者にとってみれば、野田政権の消費税増税は完全な裏切り行為であり、これで民主党は第二自民党と化したと言える。
政権交代の立役者というべき小沢氏を党から追い出し、党設立の資金スポンサーであった鳩山氏を処分して、民主党を乗っ取ったのが野田総理をはじめとする松下政経塾出のグループと原発推進派議員たちである。
民主党を除名された小沢グループは11日、新党「国民の生活が第一」を旗揚げした。衆院議員37人と参院議員12人の合計49人。
この民主党の分裂は、沖縄にも大きな影響をおよぼした。沖縄の民主党衆院議員の2人は離党を選択。玉城デニー議員は小沢新党に参加、瑞慶覧長敏議員は会派には加わるものの新党には参加せず無所属で活動する。これで民主党沖縄県連は国会議員を失い、県会議員も先の県議選で1人しか当選していない。民主党沖縄県連は壊滅状態である。
問題は、この民主党の分裂問題をどうとらえ、今後の展望をどう切り開くかである。
まずはっきり言えることは、これで野田政権は国会運営において自民党・公明党の協力なくしては一歩も前に進まない政治局面に置かれたということ。その点で、もはや野田政権は解散・総選挙は拒否できないだろう。従って秋頃までに総選挙が行われる公算が大である。
今の政治状況を見れば、次の総選挙で単独政権を勝ち取れる政党はほぼないだろう。民主、自民以外の第三極政党(小沢新党・維新の会・みんなの党等々)も問題が多く期待できない。このような今の状況を考えれば、今度の総選挙は政党再編劇の始まりになるのではないか?
小沢新党が今後どのような政策を打ち出すか、まだはっきりしない。最近、女性国会議員4名で立ち上げた「みどりの風」は、政策目標として「消費税増税の阻止」「脱原発」「TPP反対」等を掲げている。だが、こうした新たな第三極政党の政治スタンスがどうなるか、まだはっきりしない。
はっきりしていることは、労働者・市民は安易に原発を再稼動させた野田政権に怒り、10万人以上のデモや集会を取り組み、脱原発に立ち上がっている。米軍のいいなりになって危険な欠陥機・オスプレイを日本に配備することを決めた野田政権に対して怒り闘いに立ち上がっていること。今私たちが求められていることは、現在高まっているこうした大衆運動をさらに推し進めていくこと、それが課題となっている。
秋に総選挙と言うことになれば、私たちは大衆運動を推し進める観点で、「消費税増税の阻止」「脱原発」「オスプレイ反対」「TPP反対」を掲げる政党を支持して、民主・自民・公明の3党を追い込む戦略をたてることも必要だと考える。
こうした闘いの中で、労働者・市民の立場に立った真の第三極の政治勢力を、みんなの力で生み出していくこと。それが最大の政治課題だと考える。(富田英司)
人権の欠片もない外国人処遇
7月9日、外国人登録法廃止と住民基本台帳法改正によって、在日外国人にも住民票が作成され、ICチップ付き在留カードが発行されるようになりました。これは一見、外国人処遇の公平の進展のように見えますが、カードは常時携帯義務・提示義務(提示拒否は1年以下の懲役または20万円以下の罰金)があり、入管による管理と排除(強制送還)にいかなる変更もありません。
かつて、この国の入管行政は「日本にいる外国人を煮て喰おうと焼いて喰おうと勝手」という言葉に象徴される、とんでもないものでした。この言葉は、日韓条約交渉で法務省入国管理局参事官として在日韓国人法的地位委員会の日本側代表補佐を努めた池上努氏のものですが、およそ憲法に謳われた基本的人権などかなぐり捨てた外国人管理の姿勢です。そこでは、在日朝鮮人は差別排外の対象とされ、植民地支配の巨悪はなかったかのようにされてしまいました。
本来、在日朝鮮人の国籍の選択は権利として保障され、日本で生まれた二世以降は自動的に国籍取得とすべきだったのです。そうせずに、帰化・同化を迫ったのです。そのあげくが、在特会にみられる蔑視と排除であり、反省なき国民の無残な姿です。過去を正視出来ないなら、限りなく愚かな姿をさらすほかないのです。
さて、今や出入国管理・在日外国人処遇の主要な対象はニューカマーに移っています。3Kといわれた低賃金・劣悪労働に携わる日系人たち、経済的・政治的理由で日本に入国した人たちです。在留資格がどうであれ自治体レベルでは現実に迫られ、また運動の力によって市民としての処遇がある程度行われてきました。
今回の法改正は、外国人に対して様々な義務規定を設け、その義務違反に対して刑事罰・在留資格の取り消しを科そうというものです。オーバーステイの外国人(非正規滞在者)にはカードは交付されないので、行政的には見えない存在となり、市民サービスから排除される危険性があります。
さらに、本国での迫害を逃れて日本に入国し、難民申請している人たちも多くいます。しかし、日本は難民鎖国≠ニもいうべき状態です。欧米では年間、千とか万の単位で難民を受け入れていますが、日本の難民認定数はたったの二桁です。この国は、庇護を求めてきた人々の自由を奪い、刑期なき牢獄に収容して恥じないのです。
このような人権を踏みにじる行為、権力行使は外国人処遇にとどまらず、あらゆる場面で現れています。原発震災下のフクシマの被曝者の切り捨て、さらに沖縄への米軍基地被害の押し付け、危険極まりないオスプレイの普天間配備を強行しようという政府・防衛省の姿勢にもありありと見てとることができます。
来る者は拒まず! 選別排除ではなく、今この国で暮らしているすべての外国人への安定的な在留資格の付与こそが、求められているのです。 (晴)
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生活保護削減、ワーキングプア、消費税増税…
「このまますすむと困っちゃう」 首相官邸前でスタンディングアクション
7月18日、首相官邸前で新しい行動が開始されました。生活保護への攻撃、働いても食べていけないワーキングプアは増えていく一方、それに加えて消費税の増税等々、政府と財界が進めている政治がこのまま進んでいくととんでもないことになる。そう感じた人々が、毎週水曜日に首相官邸前に集まって声を上げていこうと、スタンディングアクションが提起されたのです。
7月18日に続いて7月25日にも行われましたが、私が参加したのはアクションのスタート日の18日。その簡単な報告をします。
まず、反貧困ネットワークの代表を務める宇都宮健児弁護士が、アピール。「現在、生活保護制度の改悪が目論まれているが、日本では本当なら生活保護を受けられる人の多くが受けられていない。その上保護の切り捨てが進められてしまえば、孤立死や餓死者の多発さえ心配される。民意と政治との間に大きなギャップがある。毎週水曜日の官邸前行動で、当事者が声を上げていくことは極めて重要だ」(要旨)と語りました。
続いて、病気や低収入などで生活保護を受給している当事者、視覚障害者の方、就活が困難を極めている学生、女性の低収入や親の介護や医療費などで厳しい暮らしを余儀なくされている単身女性、生徒の就職先が定まらず悩んでいる高校学校教員等々から発言がありました。それぞれ、生活の実体験から出た、切実な訴えでした。
私も、いま関わっている流山市の委託職場の大量解雇、生活保護並みの低賃金、労働災害や職業病に悩む労働者の問題を報告し、国や自治体が発生源となっている官製ワーキングプアを無くしていくための取り組みの大切さを訴えました。同時に、生活保護以下の低収入の労働者がいることを理由に、だから生保基準を引き下げろと言わんばかりの自民党などの政治家の主張の欺瞞と危険性を暴露し、労働者の賃金の引き上げと生保の充実を、その当事者が連帯することを通して追求していく必要を提起しました。
官邸前の行動としては、脱原発を訴える金曜日行動が毎週数万人から十万人を超える人々を集めるほどに大きく広がっています。反貧困を訴える水曜日行動はまだ開始されたばかりです。しかしこの行動が提起しているのは、脱原発に劣らず、私たちの生活の根っこに深く関わる深刻で切実な問題です。脱原発の金曜日行動に負けず、金曜日行動とも連携、呼応し、相乗効果を発揮しながら、人々の間に広がっていけばと願います。
記事を読んだ皆さんも、毎週水曜日、首相官邸前に集まって、それぞれの思いを語ってみませんか。日々の暮らしや労働の厳しさ、社会保障改悪や消費税増税への不安、沖縄の基地強化は許せない、オスプレイの訓練飛行を許して良いのか等々。政府や財界の押す進める政治がこのまま進んでいくと「困っちゃう人々」は、是非、水曜日に首相官邸前へ。(阿部治正)
色鉛筆・・・ 出生率横ばい1.39
2011年の1人の女性が生涯に産む子どもの平均数を表す合計特殊出生率は、前年と同じ1・39だった。(厚生労働省が6月5日に人口動態統計を公表した)都道府県別で最も高かったのは、沖縄で1・86、次いで宮崎の1・68。一方、最も低かったのは、東京で1・06、次いで京都、宮城、北海道の1・25などとなっている。出生率は、第1次ベビーブームの昭和22年が4・54、第2次ベビーブームの昭和46年が2・16だったが、その後は下がる傾向が続き、05年には過去最低の1・26まで落ち込んだ。その後は上昇に転じ、08年に1・37まで急回復した。女性が30代後半になって出産を急ぐ傾向などが、後押ししたとみられている。ただ、その後は回復ペースが失速気味で、09年は前年比で横ばいに。10年はわずかに上昇したものの、11年は再び横ばいとなった。
また、女性が第1子を出産した平均年齢は30・1歳と、初めて30歳を超え、年代別に出産した子どもの数をみると、20代の出生率は上がっていなく30代前半が最も多く全体の36%を占めたほか、伸び率が最も高かったのは40代前半で、晩産化の傾向が進んでいる。
少子化や晩産化のこうした現象は、20代の若者たちが不安定雇用で賃金が安く、安心して結婚や出産できないことを現しているようだ。私の息子も好きな人と結婚したいが今の賃金では生活が出来ないと悩んでいる。「金がなくても何とかなる」と父親が自分の経験を話し、一緒に生活してきた私もそう思うが、今の若者たちはインターネット、携帯電話、車などのある生活があたりまえになっていて、住宅費や光熱費は年々高くなって生活していくにはお金がかかるようになっている。携帯電話は贅沢品ではなく生活をしていくには必需品という息子世代の若者たちに、結婚を勧めて「金がなくても何とかなる」という言葉は説得力がない。それよりも若者たちの雇用を安定させて賃金を上げてあげることの方が安心して結婚して少子化対策になるようだ。
安心して子どもが産めて育てられるような環境ををつくることも少子化対策のひとつで、保育園に入りたくても入れない待機児童が増えている。待機児童の解消をめざして、野田政権は『子ども・子育て新システム関係法案』を提出していたが、この制度は現在の公的保育制度を崩すもので私は反対していた。すると野田政権は消費増税導入するために、自民・公明党に屈服してこの法案を撤回した。あきれてしまう!口先だけでだまされてはいけない!原発にしても同じだ。この問題についてはまた報告します。(美)
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ロンドン銀行間取引金利の不正操作とイングランド銀行
全世界の金融界を揺るがす一大金融スキャンダルの発覚
ロンドン銀行間取引金利の不正操作の発覚
6月下旬、国際的な基準金利であるロンドン銀行間取引金利(ライボー・LIBOR)の不正操作が発覚した。まさに全世界を揺るがす一大金融スキャンダルの発覚ではある。
英国2位の大手銀行バークレーズは不正を認めて、総額2億9000万ポンド(約360億円)に及ぶ罰金をイギリス当局に支払った。また会長・最高経営責任者(CEO)ら幹部も相次いで辞任に追い込まれた。しかしこの不正操作事件の全容解明はまだほとんどなされておらず、現在はイングランド銀行(英中央銀行)首脳の関与が浮上するなど、その波紋が大きく広がっている。
不正操作事件は、今まさに何処まで続くぬかるみぞの様相を呈し始めているのである。
ロンドン銀行間取引金利とは一体何か
ロンドン銀行間取引金利とは一体何か。ライボーといってもほとんどの人々は分からないだろう。通常、各銀行は預金に対し現金を十分に持っていない。そのため銀行間で短期の資金の貸し借りで資金繰りをしている。銀行間でやり取りされる金利がライボーである。
この金利はロンドン市場で取引している主要な金融機関の銀行間取引レートで、毎日16行の金融機関が英国銀行協会に届出をし、その内の上位4行と下位4港を除いた中間の8行の平均金利として公表される。この点をもって「公明正大」と謳ってきたのである。
このライボーがなぜ重要かというと、例えば企業融資は、その会社の格付にしたがってライボー+αと決められ、世界の主要な金融機関で融資をする場合に使用されている指標金利となるからだ。つまり英ポンドはいまだユーロに統合されてはいないものの世界市場の金利設定メカニズムの根幹に深く関わっているのである。
実際ライボーを基礎に決められる融資額は世界で年間360兆ドルといわれるほどで、実に京単位の途方もない金額である。その世界の指標金利が不正操作されていたというのは、まさに全世界の金融界を揺るがす驚天動地の一大金融スキャンダルではないか。
不正操作は“日本の談合”と同様のヤミ金融カルテル
さて問題はこうした金利操作がバークレーズ一行で出来るかというと、そんな事はありえない。先に説明したようにライボーは上下の8行の金利は切り捨てになるのだから、16行全体で操作したに違いない。まさに“日本の談合”と同様な一種のヤミ金融カルテルがライボー参加金融機関の“談合”によってなされていたと考えざるをえない。既に米英当局は不正を疑われるすべての金融機関の調査を開始しており、日本のメガバンク等もその対象だ。世界の金融機関も日本を笑ったが、結局は彼らも同様の事をしていたのである。
このような不正操作は、2005年頃から各行のトレーダーが利益を生み出しやすいようにライボーを高めに報告する事から始まった。例えばバークレーズの本当の銀行間取引レートが1%の時に当局に2%と報告してそれが基準金利になれば、「お客さん、あなたのところはライボー+1%ですから3%の金利になります」と説明して、実際は2%の利鞘を抜いていた。まさに濡れ手に粟のボロ儲けを彼らは貪っていたのである。
こうした暴利を貪っていたのだが2008年のリーマンショックにより、金融環境が一挙に逆転した。この時期以降、銀行間金利が高いという事はその銀行に信用力がないと同義となり、たちまち市場で倒産が噂されてしまう。このため信用力を既に疑われていたバークレーズ銀行は、ライボーを意図的に低く報告するようなったのである。
先に述べたように問題を大きくしているのは、ライボーがイギリス国内だけでなく、債券・住宅ローンなど金融商品のベース金利として、世界の金融市場でも使用されて事である。その影響は英国内にとどまらず、それゆえ米国では早くも訴訟が提起された。また疑惑の対象は、バークレーズのみならずライボーの算出に関与する欧米の主要銀行にまで及んでおり、事件は英中央銀行であるイングランド銀行首脳による不透明な介入劇にまで発展してきたし拡大し続けている。
イングランド銀行の“関与疑惑”
辞任に追い込まれたバークレーズのダイヤモンド前最高経営責任者は議会証言を前に、2008年10月29日にタッカー・イングランド銀行副総裁と交わした電話メモを公表した。この中でタッカー副総裁は、「おたくの高めの金利が市場にどうみられているか、経営陣は理解していますか」と、金利の低め誘導ととれる注意喚起を行っていた。バークレーズの金利操作は英中央銀行のお墨付きともとれる内容だ。これが“関与疑惑”である。
その背景には当時の異常な金融情勢があった。08年9月に大手投資銀行のリーマン・ブラザーズが経営破綻し、世界のインターバンク市場は第二のリーマンはどこか、疑心暗鬼が蔓延していた。シティもその例外ではなく、ライボーが高めに出る事は、シティの銀行にも倒産の危機が及ぶ事を連想させる。
タッカー・イングランド銀行副総裁の電話はそうした緊張状態の中で、危機を回避したいとの意思が感じられ、これが結果として市場の金利を歪めた事は否めない事実だろう。
7月20日、イングランド銀行(英中央銀行)は、ロンドン銀行間取引金利(ライボー)の不正操作問題をめぐって、2008年に金利を算出する英銀行協会に改革圧力をかけ、その後示された変更案を承認した事を示す電子メールを公表した。こうする事でライボー問題の火の粉から、イングランド銀行の立場を弁護し防衛しようとしたのである。
しかしこのライボー不正捜査疑惑により、イングランド銀行の次期総裁人事には一波乱が生じてしまった。タッカー副総裁の関与は、来年6月に迎えるイングランド銀行の次期総裁人事にも大きな影響を及ぼす。タッカー氏はこれまで次期総裁の最有力候補であったが、これで脱落する事は避けられない。またもう一人の有力候補と目されていたバークレーズの元最高経営責任者バーリー氏の就任も難しくなったのである。
世界金融戦争の主導権争いの一断面
イングランド銀行は、キャメロン現政権による改革で、来年6月に権限が大幅に拡大する。従来の中央銀行の金融政策だけでなく、銀行・保険監督権限も付与される。
日本でいえば日銀が金融庁の機能を吸収するようなもので、これによって巨大な「メガセントラル・バンク」が誕生する。イギリスはユーロとは別の道を行くかのようである。
その総裁人事を前に浮上したライボー事件であった。このようにいまだ英ポンドがユーロに統合されていない中での中央銀行の機能を大幅に拡大させようとする政治日程が決まっている。時あたかも、ギリシャ・スペイン経済危機によりユーロが一段と混乱を極めている現在、さらに英ポンドに立て籠もるイギリスやイギリスの16行も青息吐息の時にさらに世界の金融機関を巻き込んだイギリス発の金融一大スキャンダルが発覚するとは一体全体何なのであろうか! まさにこれこそ世界金融戦争の主導権争いの一断面である。
このスキャンダルの点と点とを線で結びつけ、全体の輪郭を明らかにする事で、今世界資本主義に何が起こっているのか、その真相の究明が求められている。今後とも英ポンドユーロの統合等についても私たちは大いに注目していかなければならない。 (直木)
専制政治の道を行くプーチン政権
●あいつぐ政治的自由への抑圧
すでにプーチン政権は、六月のデモ規制法改正において、デモ隊がマスクをした場合の罰金を参加者には七〇万円主催者には二四〇万円とそれぞれ数百倍に改悪した。
さらにこの七月、ロシア国内NGOの監視を目的とした「外国の代理人法」を成立させた。外国から資金援助を受けているNGOは「外国の代理人」として当局への登録と年四回の活動報告義務を課している。まるで国際的NGOをスパイ扱いにしている。これはロシア国内の不正な選挙活動を告発してきたNGOに対する抑圧なのだ。インターネットの規制も強化されたが、秋にはマスコミへの規制がさらに強化されるともいわれている。
●専制への道
今年の3月4日の大統領選挙の結果では、プーチンが第一回投票で約六三%の得票率で共産党のジュガーノフ(約十七%)他を圧倒した。憲法改正により、今後プーチンは六年二期の大統領が可能となった。
しかし、選挙監視をおこなった「欧州安全保障協力機構」や野党勢力は選挙に不正があったと抗議してきた。その前年十二月の下院議会選挙の不正疑惑では、新生ロシアでは考えられなかった数万人の反政府運動に発展した。モスクワでは数百人が逮捕・拘束されたのだった。
今回のデモ規制をはじめとする一連の大衆運動への規制は、今後このような動きを封じ込めようという露骨なねらいがある。
●プーチン政権とは
二〇〇〇年はじまる四年二期の大統領時代にプーチンは、オルガルヒ(成り上がりの独占資本家)の規制や汚職追放、軍事大国ロシアの復活、あるいは治安の回復で強権をふるい「皇帝」と呼ばれるほどの恐怖政治を実演し政治的権威を確立した。国家保安委員(KGB)出身らしく暗闘で政敵を倒し、強引な手腕で政治経済改革をすすめてきた。
経済情勢の好転もプラスとなった。プーチンは一期目で国際石油価格の高騰という追い風を受けて経済成長を実現した。(石油と天然ガスの輸出に依存した経済回復に過ぎないが。)
なにしろエリツィン前大統領の約八年間にわたる「新自由主義」政策の下、経済格差が拡大する一方で、旧ソ連時代の生産力はおおざっぱに見ても半分程度までに崩落したのだ(註一)。艱難辛苦の下にあつたロシア国民にとってプーチン政権が一定ていど歓迎されたのは事実であろう。しかし、石油・天然ガスの輸出に依拠した経済も陰りが見える。労働者市民の生活改善の要求はこれから高まるであろうし、おりしも電気などの公共料金の一斉値上げへの反発も高まっている。
今ではプーチンは市民諸階級の反乱におびえているのだ。
●労働者・市民の成長とプーチン
ロシアでは、これまで「市民」が存在しなかったといえば極端すぎるが、ソ連解体の過程でもなかなか市民諸階級の主体的運動が生成しなかった。
圧倒的な旧ソ連の人口であった労働者階級(公務員労働者とコルホーズの労働者)は、国営企業に長年依存し生活をしていた。労働者階級はこれら超大企業のもとで、終身雇用にあり生活・文化・教育等のすべてを企業体に依拠していたのである。労働者が政治的経済的自由を求めず、権利や行動を求めないのであれば、それなりの「安定」した生活もあった。旧ソ連〜ロシアにおいてこれまで自立した個人としての、つまり権利主体としての「個人」は存在が希薄であったことは否定できない。ソ連の共産党支配が解体しても超大独占体制は、ロシア時代にも国策としてかなりの程度維持されてきたのだ。当時の一般的労働者は、保守的で、行動が鈍かったといっても言い過ぎではない。
しかし、それから二〇年かけて労働者階級が企業から少しずつ分解したばかりでなく、国家の御用知識階級も自立化し、自営者も叢生(そうせい)し、NGO、NPOも生成し市民意識の高まりがようやくみられるようになった。旧ソ連解体(一九九一年)以後、「権利」を主張し行動し、闘わなければ生活自身も成り立たないという現実を、積極的に受け入れるようになったのだ。歴史にもてあそばれながらも意識的な闘う労働者、市民諸階級がロシアでも今まさに登場してきたのである。
東欧諸国にすらざっと二〇年遅れている(註二)。中国にも(註三)アラブ諸国にもこの点でロシアはおくれてきたのである。
いよいよ、このような活発で多様な戦闘手段、運動を駆使する「市民革命の時代」にロシアも突入したのである。こうしてみればプーチンが、デモ、集会、インターネットの規制を一挙に強化したのは、偶然のなりゆきではないのだ。
われわれは、ロシア労働者・市民に連帯しつつ今後の動向を注視する必要がある。
(註一)ロシアの文学者ソルジェニーツインは、『廃墟の中のロシア』において独ソ戦争でも生産力は四分の一しか失われなかった事を指摘し、エリツィン・ガイダルの市場化導入の壊滅的な現状を非難した。事実、超独占体制をそのままにした「自由化・市場化は病気より悪い治療となる」(A,ノーブ)を不幸にも証明してしまったのだ。(註二)一九五六年ハンガリー動乱、一九六八年「プラハの春」、一九八九年の「東欧革命」などの闘いの歴史がある。(註三)中国の一九八九年天安門事件は、圧政に対する北京市民の二ヶ月にわたる闘いであった。全国に広がる気配があったが、当局は、戒厳令を敷き軍を導入して弾圧した。約三百名の死者が出たとされる。
(阿部文明)
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コラムの窓 自衛隊の災害救助活動
7月16日から5日間の予定で、マグニチュード(M)8クラスの首都直下地震に見舞われたことを想定した自衛隊の統合防災演習が行われた。
陸上自衛隊練馬駐屯地では、徒歩で東京23区内の区役所に隊員を派遣する訓練が行われ、訓練の主体となった陸自第1師団によると、23区のうち(休日と言うこともあり)、訓練に協力したのは7区役所。残りは「休みで人がいない」と述べるなどして対応しなかった所もあり、自衛隊員の立ち入りを拒む区役所もあったが、2人1組で各区役所に連絡員として被害状況、災害派遣要請の有無などを把握するため、迷彩服姿で都内を歩く隊員や、それに反対し「自衛隊の災害派遣は戦争への道」などとシュプレヒコールする労組関係者と、「自衛隊頑張れ」と訓練を支持する市民が映し出された報道も行われた。
「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」をうたった憲法第9条の拡大解釈によって、当初警察予備隊から始まった自衛隊は、敗戦と「平和主義理念」によって設立当時からその存在を常に問われ続けてきたが、地震や水害への救助活動や“国際貢献”などの活動を通じて存在感を強め、内閣府が10日発表した「自衛隊・防衛問題に関する世論調査」で、東日本大震災に関する自衛隊の災害派遣活動を「評価する」と答えた人は97・7%に達し、自衛隊に好印象を持つ人も91・7%となり、昭和44年の調査開始以来、過去最高となったという。
自衛隊の主任務は自衛隊法第3条第1項に規定されている「侵略」からの国土「防衛」であり、災害派遣は災害により当該地域や自治体の保有する防災・災害救助の能力では十分な対応が出来ない時に行なわれる、自衛隊法第83条に定められている自衛隊の“従たる”任務である。
自衛隊法上「武力攻撃事態等」における国民の保護については国民保護等派遣(同77条の4)に規定されており災害派遣とは区別されるが、災害派遣は天災地変その他の災害に際して自衛隊が“公共の秩序の維持”のために必要に応じて行う任務であり、都道府県知事等の要請により「人命・財産の保護」を行いこの目的を達成するもので、大きく3種類に分かれ災害派遣(自衛隊法第83条)地震防災派遣(同83条の2)原子力災害派遣(同83条の3)があり、これらの派遣行動を通じて自衛隊の“平和的”活動を強調しつつその存在感を高めてきたのである。
東北大震災・福島原発事故など多くの震災事故に、警察や消防にない大型ヘリや大型艦船など、活用できる装備を保有し参加した自衛隊=軍隊。福島原発事故で使われた装備品は、放射性物質に対応している、化学防護車(NBC偵察車は、汚染地域に進出して汚染状況測定やサンプル採取を行うもので、α、β、γ線を遮蔽することができるのだが、1999年のJCOウラン加工工場臨界事故を受けて、さらに中性子線に対応できるよう、車両正面に水素原子を多く含む特殊素材を何重にも張り合わせた「中性子遮蔽板」が装備された。しかし、中性子線は鉛を透過するため、実際には半分程度しか遮蔽できない)、除染車3型(1995年の地下鉄サリン事件の際に出動し、除染剤を撒布)、94式除染装置、線量計3形、CR警報機、化学防護衣4型、戦闘用防護衣、防護マスク4型、空気マスクなど、最先端技術と最新鋭装備が使われ(実際には、技術的限界によりβ線以上の放射性物質から乗員を守ることは出来ず、夏場などではわずか30分ほどで汗だくになるなど、限界はあるが。)、統率された人員配置によって、多くの震災被害者を援護・救出し、再建に貢献しつつある姿は自衛隊=軍隊の本来の役割や姿を見失うが、こうした自衛隊の災害救助活動は“従たる”任務であって、主任務は「侵略」からの「防衛」と言うように、他の国と同様に゜国防軍”であり、国家の「暴力装置」にかわりはない。
最近の野田政権下では、政府の憲法解釈で禁じられている集団的自衛権の行使をめぐり、行使容認の提言を作成したり、原子力基本法に「我が国の安全保障に資する」との文言を入れる法改正も成立したが、こうした「防衛・抑止力」強化が図られる中で、 自衛隊本来の本質を見つつ、自衛隊の権限拡大や「国際貢献」を理由とした海外派兵に反対してゆこう! (光)
読書室 豊下楢彦氏著『昭和天皇・マッカーサー会見』岩波現代文庫
本書で追究されている昭和天皇の実像とは、戦後いち早く人間宣言を行って象徴天皇となり、戦後日本の平和国家のシンボルとしての天皇とはたいへん異なったものである。
その天皇とは、日本さらに天皇制と呼ぶ制度をいかにして守るかを自らの行動指針として、当時の世界のパワーバランスの中で、「非武装を規定した憲法九条によっても、機能を失った国際連合によっても日本を守ることは不可能である以上、天皇制の防衛は米軍という『外国軍』に依拠する以外にない」と決断しマッカーサーと十一回も交渉し続けた一人のタフな外交家そのものであった。昭和天皇は一見茫洋とした印象だが、実に几帳面で粘着質の性格なのであり、その資質があったればこそ生物学者にも適していたのである。
「かくして、米軍駐留に基づいた安全保障体制の構築は、いかなる政治勢力や政治家にとってよりも、昭和天皇にとって文字通り至上の課題となった」のである。
「ここに、『象徴天皇』になって以降も、なりふり構わぬ『天皇外交』を展開した決定的な背景を見出すことができる」「つまりは、安保体制こそ戦後日本の新たな『国体』となった」と豊下氏は結論づけたのである。まさに目から鱗が落ちる解明ではある。
今回、私が本書を紹介したのも日本の高級官僚が「国民」には目もくれず、ただひたすらに唯々諾々とアメリカの存念を忖度する行動原理はどこから生ずるのかの原点を、読者にここにこそあると指し示したいからに他ならない。
消費増税に政治生命を賭けると豪語しはばからない野田内閣を背後から操る勝財務省高級官僚には、今なお引き続く昭和天皇の意思があると私は考えているのである。
読者の関心を刺激するため、本書の構成を紹介しておこう。
はじめに
第一章 「昭和天皇・マッカーサー会見」の歴史的位置
T 第一回会見の検証
“史実”となった『回想記』
「東条問題」とその背景
内務省による会談内容の「説明」
フェラーズの覚書
マッカーサーの「回答」
キーナンと田中驪g
ヴァイニング「日記」と重光「手記」
藤田尚徳の『侍従長の回想』
奥村勝蔵の「手記」
英国王への「親書」
U 「空白」の戦後史
ワシントンとの対決
占領管理体制の特異性
マッカーサーの権限問題
アイゼンハワーとイタリア国王
第四回会見と「沖縄メッセージ」
天皇の憲法感覚
同時代史の特異な“空白”
第二章 昭和天皇と「東条非難」
『マッカーサー回想記』への疑問
松尾 論文の「推測」
公開された「御会見記」
クルックホーンへの「回答正文」
昭和天皇の“リアリズム”
第三章 「松井文書」の会見記録を読み解く
「松井文書」とその背景
第一回会見(四五年九月二七日)
第二回会見(四六年五月三一日)
第三回会見(四六年一0月一六日)
第四回会見(四七年五月六日)
松井の通訳への抜擢
第九回会見(四七年一一月二六日)
第一0回会見(五0年四月一八日)
第一一回会見(五一年一五月一五日)
天皇・リッジウェイ会見
「松井文書」が明らかにした天皇像
第四章 戦後体制の形成と昭和天皇
イタリア占領と昭和天皇
極東委員会設置の背景
『安保条約の成立』をめぐって
「天皇外交」の展開
「松井文書」と会見記
昭和天皇の憲法認識
昭和天皇と「靖国問題」
あとがき
第一章は、米占領軍の本格的な日本進駐からおよそ一ヶ月を経て行われた昭和天皇とマッカーサーとの第一回会見について、当時は“通説”とされていた『マッカーサー回想記』の叙述に根本的な疑義を呈し、収集しうる限りの資料を収集して詳細な検討を加え、会見内容に関して筆者としての「仮説」を提起したものである。
第二章は、第二次世界大戦の戦後処理方式としての「占領管理体制」という、国際的な枠組みの中に「昭和天皇・マッカーサー会見」を位置付け直したもので、昭和天皇が新憲法によって「象徴天皇」になって以降も、安全保障問題といった「高度に政治的な問題」に関わっていた背景を明らかにした。と同時に占領下の政治外交過程における「天皇ファクター」の重要性を抉り出すという、これまで「空白」の領域に対する筆者の果敢な挑戦でもある。
第三章は、第八回会見から通訳を務めた外交官の松井明氏の書き残した「天皇の通訳」という文書(以下、松井文書とする―猪瀬)を、筆者ただ一人が閲読したことに鑑み重要部分のほぼ全てを紹介したものである。
「松井文書」には、マッカーサーの後任のリッジウェイ最高責任者と昭和天皇との七回に及んだ会見も含まれおり、昭和天皇が当時の朝鮮戦争に重大な関心を持っていたこと、またサンフランシスコ講和条約に“絶賛”とも言える高い評価を与えていたことも明らかになったのである。
第四章は、筆者が既に『安保条約の成立』(岩波新書)で提起した「仮説」―占領下において昭和天皇が「天皇外交」とも称すべき「高度に政治的な行為」を展開する事によって、戦後日本の安全保障体制の枠組み形成に重要な役割を果たしたのではないか―を今日の時点で検証するものである。
読者自らの昭和天皇像を確立する上で、本書は最良の案内書として、問題意識を十二分に啓発するものであるだろう。是非にとお勧めするものである。 (猪瀬)
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「南京・閉ざされた記憶展2012]
パネル展の最終日、日曜日の午後に大阪の会場に出かけました。会場には、多くの人が熱心にパネルに見入っていました。以前に何度か見た記憶のある写真、教科書で見かけた説明文など、見るたびに心が痛むものばかりです。今回の企画は、3団体で取り組まれ、日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク、教科書問題大阪の会、の協力で、「南京大虐殺60ヵ年大阪実行委員会」が結成されました。会場は、それぞれの団体のパネルが展示され、スタッフも大勢で、会話もはずんでいました。
今回、この企画のねらいは、河村名古屋市長の南京大虐殺を否定する発言を受けての、抗議のためが主要です。会場でもらった資料に、原発問題も含め、現状を的確に判断された文章があり、ぜひ、読者の皆さんにも紹介したいと思い報告することにしました。きっと、過去を問い直すことの大切さに気づかされると思います。
〜南京をみつめることは、今の日本を問い直すこと〜
1937年、日本軍によって、南京で大虐殺が行われました。このことは多くの証言と資料で立証され既に明らかな事実であり、当時、国内では統制がしかれて一切知らされて無っかたとは言え、世界には知れ渡ったことでした。にもかかわらず、日本では過去にも著名な人物がそれを否定するということがありました。
そして、今年の2月、河村名古屋市長は、「いわゆる南京大虐殺はなかったのではないか」という発言をよりによって友好都市南京からの公的客人を前にして行い、中国からの怒りの声は勿論、日本国内な多方面からの批判を浴びることになったのでした。
南京大虐殺を否定するということは、被害にあった中国の人々の心の痛みに再び刃を向けることであり、侵略した日本軍の犯罪を正当化するということであり、許し難い行為です。
ただ、ここで彼は今、なぜそのような言葉が吐けるのか!
私達はそれを厳しく問わねばならないでしょう。それはまさに今の日本の病める彼の投影であり、過去の加害の事実に向き合ってこなかったことのツケがまわってきているともいえるでしょう。彼は自分を支える勢力をカサにきて言っているに違いないのです。そこから発される南京を否定する単純化された言葉は雑誌やネットなどのメディアを通じて繰り返し続けられているのです。そして、今の、何も解決できない政治∞経済的に逼塞した生活≠フ中で、それらは、水が砂に浸み込むように人々の中に入り込んで行っているようにも思えます。そして、それと呼応するかのように広がる新たな政治勢力!
私達はこの状況の中で、今、何をしなければならないのでしょうか?
既に、憲法9条は実質改悪され、日本は自衛隊という名のもとの莫大な軍備を持ち、海外まで出かける状態を私達は許しているのです。
先は見えない。しかし、あなたの胸にも近未来の不安は去来しているのではないでしょうか?
かつて、ナチスは、当時最も自由で民主的だと言われていたワイマール憲法下で合法的に台頭していきました。
そして、今、この国では、人権を踏みにじることすら自由だと思っている政治が始まろうとしているのです。
元西独ブァイツゼッカー大統領は、「過去を知ろうとしない人間は、過酷な過去をもう一度経験するように強制される。」と自国民を戒めました。過去は過去だけでなく、未来を見据える基盤でしょう。そこに足場を置いて、私達は今の日本がどこに行こうとしているか見極めねばならないでしょう。
2012年 南京大虐殺60カ年大阪実行委員会
読者からの手紙
福島だより(2012.7.4〜6の旅日記)
7月4日
福島へ。わたぼうし≠ナおなじみの後藤幸子さんのお家を訪ねるべく、福島へ向かった。福島駅から奥羽本線(山形新幹線)の庭坂駅をめざして米沢行きの電車に乗り込んだ。この電車ふるっている。乗るときはボタンを押してドアーを開き、のり込んでからまたボタンを押してドアーを閉める。全くのんびりしている。車窓から外を眺めると、何事もなかったように立ち並ぶ家並み。
はじめて会う後藤幸子さんが白い車で迎えに来てくれていた。無人駅を出たところに小さな広場があり、ジャングルジムで、5〜6人の子どもたちが遊んでいた。親御さんはいなかった。この広場も放射能は大丈夫なのだろうか、という不安がなければ、本当にのどやかな静かな緑に包まれたいいところだ。
後藤さんも同じ心配をされているようだった。目に見えない化物のような放射能に絶えずおびやかされているのは耐えられない、いつもカラッと晴れわたった天気のようなスカッーとした気分になれない状態の中で生きるのはたまらんな、と思った。
車でいくつもの果樹園を通り抜け、後藤さん宅に到着。道すがら伐った木々が山積みにしてあった。放射能を浴びた木は東電も政府関係の人も回収に来ず、農協が窓口となり回収に来る。国も政府も東電も県も何もしていない。賠償する気もありやなしや。どだい加害者であるという意識すらないと言える。
後藤さんご家族に対し、私が強引に勝手気ままに押しかけてやってきたのに受け入れて下さったことに、ただ恐れ入るばかり。これまで私は民宿に泊めていただく旅を重ねてきたが、ホームスティをさせて頂く旅ははじめてである。お年寄りご夫婦のところへご近所のお年寄りがお茶に来ておられた。福島でも津波のような目に見える被害をまぬがれたところでは、深く根づいた日常のならわし通りの生活が営まれていることに心安らぐ思いであった。
夕食前に車で高湯とかいう温泉を開放しているホテルに連れて行って下さった。タマゴの香りがした。硫黄の温泉だった。旅の疲れを流し、いい気分で帰って夕食。山菜や鮮やかな緑色をした畑のもの、卵焼き、幸子さんの手料理にこんなご馳走、食ったことないと感激。禁煙した時に失った歯、いま上下とも総入れ歯でよく噛めず、ご馳走を十分味わえなかったのが残念。日頃の私の食生活は、全く人間らしくないものだった。
夜遅くまで3人で話し込んでしまった。何を話したかは覚えていない。この晩、ぐっすり寝た。
7月5日
せっかくだからとご主人が、幸子さんと私を車に乗せて石巻へ、そして女川町、仙台空港へ連れて行って下さった。石巻の日和山という高台の広場に立ち、見下ろすと津波にさらわれて一面何もなくなったへ平面が海へつづいていた。
日和山を下りた坂道の通りのおすし屋さんに連れて行って下さった。このおすし屋さん海辺にあったそうで、津波ですべて流され、日和山近くで何もないところからお店を再開されたとか。頂いたというテーブルや手作りの椅子とか、建てたときのままの板張り、まさに再建さ中の様子に東北魂を見る思いであった。新鮮なお魚の握りを頂いた。おいしかった。私たち都会のものはウジャジャケとる≠ニ思った。
食後、女川方面へ車を向けて下さった。あとかたもなく何もなくなった街、女川町、地盤沈下で海が足もとまで来ていて、根こそぎ流されて消えてしまった街、女川町。被害のすごさに息をのんだ。オカミのいう復興というコトバの空々しさとその無神経さに憤りがこみ上げる。ガレキの山々、憤りのタネ。
大川小学校の痛ましい小学生たちの墳墓。たくさんの生花。生花を枯らさぬよう水が運ばれてくる。頑丈そうでモダンな小学校舎、学びぶ者のいない校舎が墓のバックにあり、小学生たちを襲った死のむごさを物語る。
車は仙台空港へ向かった。空港周辺の津波でガラン洞になった家々、ツメアトはまだまだそのまま。
一日の時間をついやして、被害のありさまを見せて下さった幸子さんご夫妻に感謝するとともに、この現状から受けたナマの感慨を、整理のつかないままだが、どうしたら大阪の人々に伝えられるだろうか。とても背負いきれない課題だが、やれるだけやるだけ。
7月7日
帰阪の日。昼過ぎ出発。再びこの地を踏める日があるだろうか。さらば福島。思えば胸が痛い福島。
最後になりましたが、漢詩を吟じて下さった老夫妻のお二人。杜甫について語らったおじいちゃん。忙しい中で、私の面倒をみて下さった幸子さんご夫妻につきない感謝をどう表せばいいか、わかりません。こちらの方々のご都合も考えず、とび込んだ私を恥かしく思います。世間知らずの80才のおばあなんて、グロテスクですね。2012・7・8 大阪 宮森常子
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TBSテレビにインタビューされる
7月16日の反原発の代々木公園集会に仲間と参加しました。安保以来の集会動員数があったとのことで、主催者発表では十七万人でした。
その数の多さのために遅れて参加した仲間と会うのも一苦労でした。これだけ人が集まると第1集会場には入ることが出来ず、残念ながら第2会場の声も聞こえないところに座っているだけしかできませんでした。
するとカメラとマイクを持った2人組がインタビューさせて下さいと、私に近寄ってきたのです。こうした経験は昔反天皇集会の時にもありましたが、どうせ編集されてしまうからと最初はいい加減に応えていたのですが、次々にマイクで「どう思いますか」と突っ込みを入れてくるので、私自身が熱くなってしまい無駄だと知りながら結局15分ぐらい熱弁をふるってしまいました。それを見て仲間はオルグしていたと形容したのです。
その後、原宿駅から明治公園までデモをしたのですが、解散地点の明治公園では4面にもわたる『赤旗』号外が配られており、その機動力に感心いたしました。しかし同時に彼らには集会を反原発集会を主導する力がないことは明白です。まさに自分が今まで蒔いてきた種のせいなのです。いまだに「反原発は反科学主義だ」と信じている彼らの本心は、隠しようがありません。そのために共産党は、人々に何か戦術的な胡散臭さを感じさせ、彼らを信じ切れず遠巻きにさせるのに充分です。
翌日、その『赤旗』号外を持ち、かっての職場の仲間達と昼食会をしました。各自の近況報告では、号外を見せて私は反原発集会に参加したこと、TBSテレビにインタビューされたことを中心に話してたいへん盛り上がり、楽しい一時を過ごしました。
7月22日日曜日、TBSテレビの「サンデーモーニング」の中の「風を読む」で私のインタビューが流されたと昼食会に参加していた人から連絡を貰いました。そこでは私の話は適当に丸められて、一市民の穏当な話になっていたとのことでした。
現在のマスコミに期待はしないものの、「野田政権のいい加減さや原発事故やオスプレイの配備に怒り、自らの生活を守るのは自分だとの確信を持つ人が増えてきた」とする、私のいいたかった核心こそ報道すべきではないかと呆れています。 (笹倉)
暑かった! 反原発17万人東京集会
前日の夜10時に神戸を出発。大型バス2台を連ねて、私たちは東京に向かいました。新幹線の3分の1という交通費の割安に魅かれ、無理を承知で、顔なじみの何人かと一緒の心強い出発となったのです。
翌日、朝6時過ぎ新宿駅に到着。すでに地方からの大型バスで駅前は混雑し、停車場所を探すのに一苦労という状態でした。この時点で、通行人の多さにびっくり。集会前の自由時間は、都庁の建物に見いたっり、新宿公園のホームレスの人たちの「居住地」と思わせる雰囲気に、圧倒させられたりと、のんびり過ごしました。
バスで移動して11時過ぎには、集会会場まで徒歩10分ぐらいの場所でデモの隊列を組んで歩いていました。ほんの数分間、歩いた所でもう前には進めませんでした。前の様子が分からない私たちには、暑い日差しが照りつけ、体力がだんだん無くなっていきそうなしんどい気分で待っていました。歩道は電車から降りてくる人もあり混雑していたようです。いつになったら、会場に入れるのか、そして会場が満員でもしかしたら、入れないのか? 不安を抱えやっと到着したのが、もう12時半ごろ。
帽子をかぶり、長袖で日焼け対策をしたものの、炎天下のなかの集会はとても体力を消耗しました。しかし、全国から駆けつけた人たちの熱気、集会の挨拶、とりわけ福島からの武藤類子さんのアピールには、暑さに負けていられない気迫が感じ取られました。「お隣の人と自分自身をいたわりあいましょう」との呼びかけには、頑張り過ぎないでと、運動を続けていくための助言と、参加者には受けとめられたことでしょう。
午後2時を過ぎた頃、デモに出発しましたが、公園の出口で警官がデモの隊列を4人に規制し、しかも出口のすぐ前の信号を開放せずに、赤になれば止めてしまうため、なかなか動けません。集会会場に入るまでも待たされ、また、デモで出る時も待たせるのか! もう腹が立って仕方ありません。警察の車内で待機している若い警官に「もうこれ以上待ったらお茶もないし脱水状態になる、トイレにも行けない、さっさと出させて欲しい」と訴えましたが、上司に連絡するでもなく、彼は車内に留まったまま居眠りまではじめました。
デモの到着点には、もう17時半ごろになっていました。帰りのバスでは疲れて寝ることは出来ましたが、私はその後、疲れから口の周りにヘルペスが出て、その週の仕事は最悪でした。その週に限って、当番が回ってきて、健康診断、大量の国保の書留の配達、さらに県民共済のタウンメール、雨降りと五重苦の週となりました。それでも負けずに自分をいたわりながら、乗り越えることができました。皆さんも夏バテに負けないで! (恵)
Fさんのコメントです
「本号、阿部論文に同感、と同時に、天皇制民主国家から脱却できない人民の思考停止、資本主義イデオロギーに呪縛されたまま、チェンジする気概、連帯的行動に踏み出さない状況に反発。ニヒルさえいだく。もちろん、脱原発行動を中心とした静かな怒りを胸に、等一歩を踏み出した多くの人々は鼓舞され、オルタナティブを志向する私ではある。自分の中に同居するアンビバレンスに葛藤しつつ、社会主義の現代的復興再生に奮闘する諸君に感服する。生産者協同組合アソシエイトする地域共同体dの創出は漠然とした気概しかない。生産手段の共有・公有は大きなポイントだが、このそに至る行程、手段が抽象的。共産党を激しく非難、否定するのでなく、大同の共存のスタンスがないと、変革が幻におわる。(F)」
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編集あれこれ
前号の1面は、「求められているのは労働者・市民自身による第三極の形成」と題して、民主党政権のひどさを強調しています。そして、野党の自民党や公明党も民主党といっしょになって、消費税増税の法案を成立させようとするなどひどいものです。維新の会・みんなの党は、新自由主義的な考えで格差と貧困をさらに拡大しようとする考えです。小沢新党は、どう動くか注意しなくてはいけませんが、結局はこうした動きとは別に労働者・市民による第三極の形成が必要です。
2面は、フランスのオランド政権が付加価値税を撤回し、富裕層や大企業への課税を強化したという記事です。日本の政治よりははるかにマシだと思います。3面は、米海兵隊のオスプレイについての記事です。オスプレイの事故率は、200万ドル以上の損害や死者が発生した「クラスA」で算出しており、200万ドル未満の損害やケガ人発生などの「クラスBとC」の事故率は含めていないとのことです。オスプレイの配備には、沖縄だけではなく山口の岩国市も反対しています。オスプレイの配備を阻止しないといけません。
4面は、「テレビは原発事故をどう伝えたか」という本の紹介です。今回の原発事故では、「安全」「安心」の垂れ流し、「権力は必ず嘘をつく」、国策に係わることは「大本営発表」はあるということだと思います。
8面の色鉛筆では、元プロボクサーの袴田巌さんの再審請求についての記事です。袴田さんは、4人を殺したとして46年もの長きにわたり拘束されています。その間死刑判決が出され、最高裁で死刑が確定しましたが、袴田さんは獄中から無実を訴え再審請求をしています。1日も早い再審開始と無罪判決による釈放が必要です。
前号は、いろいろな記事がありよかったと思います。 (河野)
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