ワーカーズ471号  2012/9/1    案内へ戻る

うるわしき愛国主義を排す!山火事招いた、危険な石原の領土的火遊び!

 どん詰まりの民主党野田政権が、近隣諸国と領土的軋轢を高めている。領土をめぐる国家的対立が容易に戦争へとつながることは、歴史が教えるところである。とりわけ固有の領土≠ネどという、厄介な主張を持ち出すことの愚かさを指摘せざるを得ない。歴史をどこまでさかのぼれば固有の領土≠ニなるのか、模糊の彼方である。
 8・15に勃発した尖閣諸島を巡る騒動は、石原都知事の愚かな行為が招きよせたものであるが、それは確信犯的挑発の必然的結果である。香港に愛国勇士≠生み、中国民衆の怒りに火をつけ、さらに愚かな日本の地方議会議員らの魚釣島上陸をもたらした。その先に、自衛隊の常駐といった軍事的火遊びが待っているのか。
 韓国との関係も悪化の一途をたどっている。李明博大統領の竹島上陸や天皇の謝罪要求などは、多分に国内的理由によるものとされている。しかし、李大統領の思惑はどうあれ、いわゆる慰安婦問題の解決や天皇に対する謝罪要求は正当なものであり、日本が戦争責任や戦後補償をうやむやにしてきたツケは問われて当然である。
 竹島領有問題で野田政権は国際司法裁判所への提訴を主張しているが、「慰安婦問題」で国際的批判を浴びているにもかかわらずその解決を放置している。もっとも、あらゆる人権に関する国際的批判にさらされても平気な顔で、その厚い面の皮だからこそ、都合のいい時だけ国際司法裁判所を持ち出して恥じないのだろう。
 日本民衆はかつての戦争で多大な犠牲を払ってきたが、8・15を被害者としてすり抜けてきたために、アジア諸国の民衆にとってそれが解放の日であったことを理解できていないのではないか。歴史を正視できないものは石原的愛国の罠にはまり、排外意識に身を任せることになる。国境や領土といったものに囚われ、いつまで隣人といがみ合うつもりなのか。国益を論じる連中の私的利益のために、国境を隔てて民衆が争うことの無益を、今こそ確認しなければならない。  (折口晴夫)


空騒ぎの領有権騒動──善隣友好と労働者・市民どうしの連携を──

 またかというように領土をめぐる日中韓の軋轢が先鋭化している。
 韓国大統領による竹島(独島)上陸や香港系領土活動家による魚釣島(釣魚島)上陸をめぐる最近の騒動だ。領土ナショナリズムのパフォーマンスばかりが飛び交い、様相は売り言葉に買い言葉≠フ子供の喧嘩さながらだ。
 とはいえ日中韓の領土紛争は、侵略戦争を引きずった歴史問題や海底資源及びシーレーンの確保など、人権≠竍国益≠めぐる綱引きも見え隠れする。私たちとしては、領土紛争の空騒ぎに踊られれることなく、善隣友好、労働者・市民の連携こそ対置すべきだろう。

◆空騒ぎ

 今回の日中韓の領土紛争は、オリンピックや高校野球の喧噪や猛暑と隣り合わせでヒートアップしている。魚釣島や竹島への上陸は、それぞれの当事者のパフォーマンスでしかないが、それぞれの国内事情が絡んで、右翼政治家、メディア、政府を巻き込みながら迷走している。
 ざっと振り返れば、事態は次のように進行した。
 魚釣島への上陸では、8月15日、「香港保釣行動委員会」の活動家による魚釣島への上陸・逮捕、22日、強制送還、24日、衆院での不法上陸に対する抗議決議…………。
 竹島については、8月10日、李明博韓国大統領による竹島への上陸、14日、同大統領による天皇への謝罪要求発言、23日、野田首相の親書の受け取り拒否、24日、同親書返送、同日、日本政府、受け取りを門前払い、野田首相「不法占拠」発言、衆院で抗議決議採択…………。
 魚釣島に関しては、今回上陸した香港の活動家らがこの秋の再上陸を示唆しており、また石原都知事は購入のための調査と称して魚釣島への上陸をほのめかしている。竹島に関しても、日韓両国の政府・メディアを巻き込んだ非難の応酬など、軋轢はヒートアップするばかりだ。
 付け加えれば、ロシア首脳が再訪問した北方領土をめぐるロシアとの係争についても解決の道筋が見えない。その北方領土も含め日本は周囲の隣国4カ国間との間で領土をめぐる紛争を抱え込んだまま、それを制御できずに危うい舌戦を繰り返すばかりの有様だ。

◆固有の領土

 尖閣諸島でも竹島でも,両国政府の考え方は真っ向からぶつかっている。両諸島はそれぞれの本土から中間地域にあり、しかも今は無人島だ。境界をめぐる紛争は起きやすい。
 韓国や中国は、日本より後からそれぞれ自国の領土だとテーブルをひっくり返した。その主張も、説得力があるものとはいえない。とはいえ、日本の主張も非の打ち所がないというわけでもない。
 竹島については、韓国併合5年前に閣議決定によって日本の領土に編入しただけで、韓国侵略への鳥羽口といわれても反駁はできない。尖閣諸島でも、自国領土だと主張したのは中国のほうが後からだが、それ以前の列強から侵略され続けた中国が、国力の復活とともに領有権を持ち出した経緯は、頭から無視はできない。
 日本は両紛争地について、「日本固有の領土」だと主張しているが、もとより固有の@フ土など世界のどこにもない。太古の昔でいえば大陸と日本は陸続きだったし、日本は琉球王国を日本に併合した歴史もある。尖閣諸島を日本の領土として編入したのは1895年、竹島は1905年だ。たかだか100年少しの話に過ぎない。それを固有の領土≠セとして隣国の言い分を一顧だにしないという姿勢が、紛争の一方の元になってきた。歴史と利害が異なる隣国の言い分にも一半の根拠があるかぎり、「固有の領土」論だけでは領土紛争は解決不可能だ。
 無人島の尖閣諸島も竹島も、元はと言えばどこの国の領土でもない。もともと周辺地域の漁民などに利用されてきたものを、特定の国が領有を主張することで縄張りしただけの話だ。各国がいつ領有権を主張したのかについては、良くも悪くも政治的・歴史的なものでしかないのだ。それを各国それぞれの時期に、国家的縄張り行為で自国領土だと主張し始めたに過ぎない。「固有の領土」など、どこにもないのだ。

◆背景

 領土紛争では、国家主権だ、毅然たる態度だ、などという直接反応が一番よくない。紛争では相手がある。相手も同じ態度でくればエスカレートするばかりだ。むしろ騒動の背景を理解し、どういうスタンスで対応するのがベターであるかを考えるべきだろう。
 背景といえば、尖閣諸島への香港活動家の上陸は、南沙諸島や尖閣諸島を含む南シナ海での中国政府の強硬姿勢がある。海底資源権益の確保や軍事的防衛ライン、それに交易大国化に伴うシーレーン確保などで中国が攻勢姿勢を強めている。そうした中国政府の姿勢を背景に、一騒動を起こして力を誇示したいナショナリスト活動家の思惑がある。
 また韓国大統領の竹島上陸には、任期終盤でのレームダック化のなかでの実績づくりなど国内政治の動向との関連もあるだろう。それに両国では、貧富の格差や低賃金、失業等に対する不満や不安が膨らんでいることも背景にある。
 しかも日中両国では、国内政治や経済・資源問題以前に、戦後補償での日本の中途半端な態度に対する広範な不満も見過ごせない。単純な話ではないのだ。日本はあの侵略戦争や戦争犯罪に対する本当の意味での賠償を済ませていない。中国に対してもそうだが、朝鮮人慰安婦問題でもそうだ。
 これらの戦後補償も含め、それ以前の問題として、日本は天皇制を温存したことや戦犯を復活させたこと、それに靖国神社に戦犯を祀っていることなど、侵略戦争への本心からの反省がないことに対して政府ばかりでなく日本人への不満と不信感を解消していない。日本は両国の人々から信頼されていないのだ。
 それに近年の経済発展の影響もある。日韓(65年)・日中(72年)国交回復は、日本が中国や韓国に先駆けて経済発展の波に乗り、あるいは経済大国化するなかで締結された。その過程で日中や日韓は国交回復を優先させ、賠償問題では政府間協定で手を打つという中途半端な決着でしかなく、その不満は今でも払拭し切れていないのが実情だ。
 逆に日本は失われた20年≠ニもいえる経済の低迷情況のなかで、相対的に経済力も後退してきた。勢いが逆転しつつある今、経済力をつけた中韓両国では大国意識や自尊心が醸成され、その一部が偏狭な国民・民族意識のとして現れているともいえるだろう。
 そうであるかぎり、尖閣諸島や竹島をめぐる領有権争いは、今後もことあるごとに噴出するのは避けられない。

◆格好の土俵

 領有権争いのタネがあるかぎり紛争は収まらないといっても、領有権をめぐる偏狭なナショナリズムをあおり立てているのは限られた人だけ、国益至上主義の一部の政治家やメディア、それにネット右翼などだ。たしかに「弱腰外交」をやり玉に挙げるのは単純で簡単だ。そうした連中は、ことあるごとに国家間、民族間の敵愾心と対立をあおりたてる。行き着く先には無頓着なままで、だ。
 近隣諸国との関係は、風土や歴史の違いから一心同体とはなれず、行き違いも多い。隣人との関係は難しいものだ。それだけ取ってみれば、どこでも対立のタネはある。とはいえ、ナショナリズムには明確な政治的効果が付随する。それは国内での諸問題や対立を相対化させ、関心を国家的・民族的な対立へと収斂させる力学が働くことだ。
 今回の領土紛争でも「毅然たる態度」「国家主権の貫徹」など、勇ましい言葉が飛び交った。国家の危機、民族の危機だとすれば、当然、政府の役割を肥大化させ、強い国家指導者を押し上げる。その分だけ、たとえば原発問題や税財政問題など国内での懸案は、相対的に脇に追いやられる。だから国内政治の危機の場面で、あえて国家間対立を拡大するかのような言動も多くなる。任期間際の韓国大統領や安定成長への軟着陸に腐心する中国、それに低支持率にあえぐ野田内閣も事情は同じだ。瀬戸際政策を多用する北朝鮮を非難する資格もあったものではない。
 付け加えれば、尖閣諸島購入発言で物議を醸し続け「政府に吠えずらを欠かせる」事を最大の目的とする石原都知事なども、オリンピック招致も含めて、都政は眼中になしの最後の政治的道楽にうつつを抜かす輩もいる。
 ただしそうしたナショナリズムが一定の盛り上がりを見せる余地もある。それは格差社会化や民主主義の形骸化などで、政治に対する不満や不信が蔓延し、そうした閉塞情況からの出口を求めているエネルギーも,また大きいからだ。右翼的国家主義者が派手に国家主権や民族の誇りを仰ぎたてるのも、為政者がそれを受けて毅然たる態度を表明するのも、対外的にも国内的にも対立が深まる情況に対する、ありがちな政治の力学なのだ。

◆善隣友好

 ところで、領土紛争に際して私たちはどういう態度で対応すればいいのだろうか。
 ひとことでいえば、善隣友好関係に尽きる。善隣友好とは、善意の隣人と友好関係を結ぶ、と理解できる。隣近所の付き合いと同じだ。隣人が善人かどうかは難しいが善意の部分に期待する、とも解釈できるだろう。
 今回の領土紛争でも右翼やタカ派政治家、それに一部のメディアは、毅然とした態度、国家主権の貫徹など、勇ましい言葉が飛び交っている。とは言っても外交では相手がある。こちらにも言い分があれば、あちらにも言い分がある。強硬発言が受け入れられることはまれで、多くは逆効果を招く。今回の経緯もまったく同じだ。
 強硬発言も、それを貫き通せば武力衝突を招き、その先は戦争へと一続きの道だ。強硬論者がそこまで覚悟しているわけもなく、ただ目先の強硬論をまくし立てることで内輪での優位な位置を占めることに自己満足しているだけだ。
 善隣友好関係を具体的にいえば、無人島である両諸島の共同利用や共同管理をめざすことだ。現時点でも具体的な有効利用には手つかずで、領有権の所在争いだけが一人歩きしている。漁業でも資源開発でも共同でやればよい。
 現在は「固有の領土」論一辺倒で、こぜりあいに終始している情況だ。国家や政府にとっては生命線でも、人々の暮らしにはなんの役にもなっていない。
 共同利用・共同管理ではないが、二国間で真ん中を取って折り合った実例もある。ロシアと中国の実例だ。中ロ国境のウスリー川(中国名は黒竜江)の中州であるダマンスキー島(中国語名は珍宝島)の領有権紛争をめぐって、04年に両国の主張を折半する形で国境協定が締結され、05年に両国で批准された。EUにも先例がある。重要資源の共同管理を基礎に成立した1952年の欧州石炭鉄鋼共同体設立条約だ。
 私たちが取るべき態度はといえば、領土紛争を先鋭化させる日中韓の偏狭なナショナリズムの拡大に対抗し、労働者としての共通の闘いを推し進めることにある。韓国の非正規労働問題、中国の低賃金、貧富の格差問題、民主主義の拡大など、日本の労働者と共通の課題を抱えて闘っている人も広範に存在する。そうした闘いで、企業や政府に対する闘いを拡大していくことにこそ、日中韓の労働者・市民の共通利益がある。(廣)案内へ戻る


8月の中国

 8月中旬、上海を起点に南京・香港を1週間の日程で訪れる機会がありました。あえてこの時期に訪問する、観光ではなくスタディツアーでした。仕事をしていた時はこの時期に1週間の休みが取れなくて、昨年定年を迎えて今年ようやく16次となるツアーに参加したところです。
 8月15日、日本では2閣僚が靖国神社に参拝し、香港の団体が魚釣島に上陸しました。この日、私は南京にて大虐殺犠牲者の追悼集会に参加し、幸存者の証言を聞き、紀念館(侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館)を見学していました。靖国参拝の2閣僚も含めて、大多数の日本人が近現代史を学ぶことなく、日中の歴史的事実も知らないのです。大虐殺を否定する前に南京を訪問し、市内に散在する紀念碑と紀念館に足を運ぶべきです。
 翌16日、南京から上海まで新幹線で移動し、上海から香港へは飛行機で移動しました。ここで出入国の手続きが必要だということを、その時初めて知りました。本土は車は左ハンドルで右側通行、香港は日本と同じ。貨幣は人民元と香港ドルと違っています。そういえば、香港で法輪功の人たちが天安門の弾圧や犯罪人の臓器移植に抗議するパネルを展示していました。中国のなかの「特別行政区」ということですが、どういう関係なのかよくわからないところがあります。
 さて、上海空港での出国手続きにすごい行例ができていて、待つ間、魚釣島での逮捕劇の報道が流れ続けるテレビを、憂鬱な気分で見ていました。その夜の香港のホテルでのテレビ報道、翌日・翌々日の新聞も1面でこの事件を報じていました。香港では「ジンドリンカーズライン」(英軍の塹壕)の見学、和平記念碑前での追悼、香港在住の日本人活動家や軍票裁判原告と交流しました。
 香港には3年8ヶ月の日本軍の占領時代がありました。1941年12月8日に攻撃を開始し、25日には英国軍が降伏して18日戦争≠ヘ終結しています。ちなみに、この日は「香港的黒色生誕節」(ホンコン・ブラック・クリスマス)として歴史に明記されているそうです。ジンドリンカーズラインというのは英軍が防衛のために構築したものですが、英兵はじめじめして暗い塹壕に入るのを嫌ったので、日本軍はやすやすと占領できたということです。
 3年8ヶ月の軍政時代がどんなものであったかは、おおよその予想がつくというものですが、今も軍票の補償を求める活動が続いています。軍票は香港だけではなく東南アジアの占領地でも発行され、ただの紙切れと現地通貨を強制的に交換させる、悪辣な収奪策でした。軍票の裏側には、引き換えに本通貨(つまり円)を支払うと明記されていたのですが、その約束は日本での裁判でも踏みにじられ、今もって実現していません。
 19日の帰国後、新聞を読むと大規模な反日デモがあったと報じていましたが、香港ではマスコミ報道以外、そういう雰囲気はありませんでした。どこのマスコミも冷静さを欠き、毅然たる態度をなどと安易な報道をするものです。国境をめぐる2国の軋轢が高まり、そこで毅然たる態度を貫こうとしたら軍隊が出てきてしまいます。愚かというほかありません。
 英軍の塹壕に入りましたが、階段や空気抜きの竪穴もあるものでした。そこで思ったのは、硫黄島の日本兵は硫黄の吹き出す中で穴を掘らされたということでした。英兵は立派≠ネ塹壕すら嫌ったということが、いかにも人間的な反応だと感心したのです。日本兵士(皇軍兵士)の意識、扱われ方の違いを痛感すさせられます。
 初めての中国旅行は、それは初めての海外旅行でもあったのですが、実に刺激的なものでした。バイクは電動のものが多く、ヘルメット着用は皆無で、3人乗りまでしています。ほとんど自転車の感覚で、右も左も関係なく走っているのです。生きたアヒルを荷台に括り付けているバイクも見ました。6時に起きて散歩に出ると朝市がにぎやかで、工事現場ではもう仕事が始まっています。何か野放図な活力に溢れているのです。それは、日本ではもはや見ることができない光景です。
 国家権力がどうであれ、民衆の生活はしたたかに営まれる。そうした民衆の国境を越えた繋がりがあれば、国家に動員されていがみ合うこともないでしょう。そういう思いを得た1週間でした。 (折口晴夫)

ジンドリンカーズライン
http://sakurasakujapan.web.fc2.com/main02/chinahongkong/area121.html


色鉛筆−契約更新で、9月30日に退職 

今年10月1日に、郵便事業会社は郵便局株式会社と統合し、日本郵便株式会社になると説明があったのは、ほんの1週間前のこと。私たち現場で働く者にとって、会社の名前が変わることなど何の関心もありません。心配なのは労働条件がどうなるか、なのです。
 日々雇用の非常勤だったころから、民間に変わり期間雇用社員になって、6ヶ月の雇用契約になりました。しかし、6ヶ月毎に渡される「期間満了予告通知」には、次期契約の雇用条件を示し、これに応じるなら申し出ろ、嫌なら辞めろ、と選択を迫られます。実際は、形式的なもので自動的に契約更新されているのが実状なのですが・・・。
 契約更新にはスキル評価が伴い、事前に自己評価の提出を義務づけられ、その評価を元にして課長代理が実績の評価を下すというものです。評価は基本給と加算給の2種類で、加算給の中に、接遇マナー、スキルランク、特例加算、という項目があります。
 要するに、配達の仕事にミスが無いか、迅速に正確に出来ているか、などが評価される訳で、成果主義・能率主義を現場に持ち込むことが目的なのです。マイナス面だけを記録され、雇用年数などもう気にかけることはない。人件費を節約するためには、早く仕事を終わらせろ、遅い奴にはプレッシャーをかけろ、という会社の思惑が見え見えなのです。そして、その思惑に同僚たちが影響されつつあるのを感じ、大変危惧しています。
 自己評価でそれぞれの時間給が異なることで、これまでの助け合おうという姿勢が、希薄になってきている職場で、新しく入った同僚への配慮が疎かになり、辞めていく人が絶えません。今、私の作業所も年休消化ができない状態なのに、募集をしても誰も来ない、人手不足のため欠員一人の状態で日々の仕事をこなすという、非常事態なのです。
自己責任は当たり前という考えが定着してきた職場で、ミスをした者が悪いと決め付け、ミスが起こるその背景など考える余地も無い、そんな労働現場でどう抵抗していくのか?考える日々が続きます。 (恵)


「沖縄通信ー25」・・・どうなるオスプレイ配備

<はじめに>
 野田政権は、「オスプレイ配備反対」の沖縄の声を無視し、現在米軍岩国基地に一時駐機する垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ12機を9月中旬にも米軍普天間飛行場へ移動させ、10月より本格運用させる方針という。
 米軍普天間飛行場では、オスプレイと交代するCH─46機の搬出作業も進んでいる。
 森本敏防衛相もワシントンでオスプレイに試乗して「快適だった」とのたまい、オスプレイの安全性をアピールし、沖縄の怒りを沈静化させようと必死になっている。
 政府は普天間飛行場へのオスプレイ配備を進めるために、モロッコの墜落事故に関する日本の分析評価チームは検証結果(機体の構造に問題はなく、副操縦士の人的ミスが原因と)を8月28日頃に公表、フロリダで起こった墜落事故に関する米側の調査結果は31日頃に日本側へ伝達される見通し。それを受けて、分析評価チームが分析作業を行い、検証結果を9月上旬に公表する予定である。
 このスケジュールにあわせて森本防衛大臣は、29日に来県し仲井真知事と会談し、30日には岩国の福田市長と面談する予定。
 しかし、オスプレイの欠陥(オートローテーション機能の欠如)は明白であり、仲井真知事も沖縄県民も配備に対して「絶対反対」であり、また無駄な(税金の無駄使いでもある)防衛大臣の来県となるであろう。
 いま沖縄では「オスプレイ配備」のこと、さらに沖縄県民を怒らせる事件が起こった。キャンプ・バトラー所属の海兵隊員(21歳)が、那覇市の住宅街で歩行中の女性を背後から襲いけがを負わせ、強制わいせつ致傷の疑いで緊急逮捕された。
 同市では2010年にも同様の事件が起こっており、各種団体から「オスプレイ配備同様、危険な海兵隊は撤退すべきだ」「綱紀粛正が意味をなしていない」など、怒りの声が上がっている。
 こうした米兵の事件が戦後67年も続いている。各団体から「基地撤去の必要性を強調する」声が上がるように、米軍の撤退こそが求められる。

1.オスプレイ配備阻止の闘い
@普天間飛行場大山ゲート前の7月テント村座り込み行動
 「オスプレイ配備」への抗議、8月5日の「県民大会」参加を呼びかけるために、7月9日から8月4日まで約1ヵ月間、大山ゲート前の公園(米軍への提供地)に「基地の県内移設に反対する県民会議」と「普天間爆音訴訟団」が中心となり、座り込みテント村を設けた。
 毎日の朝夕の街頭宣伝と座り込み行動。台風の日以外、連日多くの県民がテント村を訪れてくれ座り込みに参加してくれた。
 座り込み期間中、近所の方がわざわざ訪れてくれ「飲み物」の差し入れ、通行中や車で通った人がカンパしてくれ「頑張って下さい」とのうれしい反応が幾つもあった。
 ただ残念なのは、何者かが夜中にテントを刃物で何カ所も切り裂く事件が起こった。誰の仕業かまだわからないが、そんな恥知らずな行為への怒りや悲しみを覚えながらも、みんなそのような嫌がらせや雨にもかかわらず、座り込みを続けた。

A普天間飛行場大山ゲート前での8月宣伝活動
 8月5日に予定されていた「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」は台風の襲来で延期になり、9月9日(日)11時より宜野湾海浜公園で開催されることになった。
 9月9日の「県民大会」にむけて毎日朝7時から約1時間、県民及び米兵に対する宣伝活動を取り組んでいる。
 「世界一危険な普天間飛行場への、世界一危険なオスプレイ配備を、沖縄県民の力でやめさせよう!」「9月9日の県民大会に参加しよう!」と。普天間飛行場大山ゲート前に「オスプレイ配備阻止!」と染め抜かれた沖縄平和市民連絡会のノボリが立ち並び、朝立ちの街宣が始まる。
 ゲート前を走る国道58号線が、朝の通勤時間帯で混み始めている。「ご苦労さん!」「応援してるよ!」と声をかけてくれる人、運転席から手を振る人、目が合うと黙礼してくれる人、クラクションを鳴らす人、反応は悪くない。
 一般車両に混じって、普天間飛行場で働く軍服姿の米兵が、朝8時前の勤務交代時間に合わせ、次々とYナンバー(米軍関係者が日本国内で入手した私有車であることを示す)の車両がゲートに向かって走っていく。米兵たちは街宣に対してまったくの無関心を装っているように見えるが。
 この米軍普天間飛行場にはもう一カ所ゲートがある。大山ゲートの反対側(330号線)に野嵩<のだけ>ゲートがある。
 この野嵩ゲート前においても7月より抗議行動を展開している。毎週金曜日6時より定例の「野嵩ゲート前金曜日集会」を取り組む。市民団体と労働組合が協力しあい、参加者拡大をめざして毎週開催している。

2.米軍の「二重基準」に怒り
 在沖縄米軍のトップであるケネス・グラック沖縄地域調整官もオスプレイの配備について「オスプレイの普天間飛行場配備は、9月9日の県民大会の後になるだろう」と、8月21日の共同通信とのインタビューでこう語っている。
 「オスプレイ配備反対」の声は、ますます高まっている。
 なぜなら、配備発表後欠陥機オスプレイは、4月にモロッコ、6月に米・フロリダ州で墜落事故を起こしている。
 さらに沖縄県民を怒らしている問題が米軍の「二重基準」(ダブルスタンダード)の運用である。米軍のオスプレイ配備をめぐる米国内と日本での対応を見ると、その違いは鮮明だ。
 ハワイの米海兵隊カネオヘベイ基地へのオスプレイ配備に向けたアセスでは、住民に調査を行う意見聴取が5回も開かれ、アセス準備書公表後も住民説明会を5回実施している。
 アセス最終報告書を受け作成された米軍の決定記録文書などによると、オスプレイが引き起こす下降気流などによる「考古学的資源」への影響を懸念し、ハワイ州モロカイ島のカラウパパ空港とハワイ島のウポル空港での訓練計画を取り下げた。
 また、ニューメキシコ州で計画されていたオスプレイの低空飛行訓練に関し、環境調査で住民意見を聴衆したところ約1600件の反対意見が寄せられ、訓練を延期した。
 これを知った沖縄県民は「アメリカ国内でできるのに、なぜ沖縄ではオスプレイ配備を中止できないのか?」との抗議の声。米国の「ダブルスタンダード」の運用に腹を立てている。
 米側の意向のままオスプレイ配備を容認する日本政府。日米安保条約と米軍優位が際立つ日米地位協定を基に米軍の運用を優先し、基地被害を抑えようとする主体的な姿勢がまったく欠落している。

3.高江のヘリパッド建設阻止の闘い
 普天間飛行場にオスプレイが配備されれば、本島すべての基地にオスプレイが飛行することになる。特に、現在普天間飛行場の米軍ヘリの訓練場となっている高江では、オスプレイ配備に備えたヘリパッド建設工事が進んでいる。
 8月7日午後、東村役場で「基地の県内移設に反対する県民会議」、地元・高江の「ヘリパッドいらない住民の会」と東村の伊集村長との交渉が持たれた。住民の会の人たちは「もし東村村長がオスプレイのためのヘリパッド建設反対を明言してくれたら、工事を止めるすごい力になるよ」と、交渉への期待をそう語った。
 しかし、「住民の会」の期待は裏切られた。交渉の席で伊集村長は、「安全性の確保ができない限り、沖縄へのオスプレイ配備および北部訓練場での運用は反対する」と言いながらも、「今回のヘリパッド工事は、オスプレイのみを対象としたものとは考えていない。ヘリパッド建設で北部訓練場の過半が返還され、基地の整理縮小につながる」として、建設工事容認の態度を変えなかった。
 東村高江では、ヘリパッド建設(新しいヘリパッド6カ所のうち4カ所がオスプレイパッドとなる)が強行されようとしている。沖縄県議会を始め、沖縄県内のすべての市町村議会がオスプレイ配備に対する反対決議を上げているにもかかわらず、ここ高江での建設工事が中止される気配はない。
 現在、高江での建設工事を請け負っているのは、大米(だいよね)建設という。沖縄1区選出の衆院議員・下地幹郎氏(国民新党)の兄・下地米蔵氏が社長を務めるファミリー企業だ。大米建設は、沖縄防衛局発注工事の請負額上位企業ランキング上位に名前を連ねる。
 前の工事会社とくらべて、この大米建設の工事のやり方や座り込み住民・支援者に対する態度が「悪い」と評判になっている。
 「住民の会」の申し入れで、防衛局との間で早朝や夜間の工事はおこなわない、という取り決めがされていたにも関わらず、この大米建設は、座り込みが手薄な夜6時半や朝7時半にやってきて、建設現場内に重機や機材を搬入。建設工事にとっては、大きく「前進」することになった。
 工事現場においても、ゲート前で座り込みをしている人々の頭上越しに砂利を搬入するなど、安全を無視した工事を強行している。
 この7月の工事でめだったことは、これまでどちらかというと中立的立場を保ってきた名護署員が、「威力業務妨害」を口実に座り込み住民・支援者を排除するような行動に出たことである。
 支援者の1人は「2007年の座り込み当初からいるが、初めて強制的にどかされた。公道以外で座り込む人もどかしていて、防衛局と結託しているとしか思えない」と語った。
 さらに、もう一つの問題は、防衛局職員や作業員がN4ゲートではなく、北部訓練場のメインゲートからヘリパッドの工事現場に入ったことだ。
 昨年まで、防衛局は「工事において北部訓練場のメインゲートを使用しない」と言っていたが、7月に工事が再開されて以降、同ゲートから重機などが搬入されている。
 7月の工事で、防衛局はN4ゲートの南側地点から土砂を搬入しようとしたため、「住民の会」は「南側ゲートは道路使用許可を取っていないので、作業はできない」と抗議し、工事中止を求めた。
 防衛局側は「結局は許可を取っている地点とつながっているから問題はない」等と強弁していたが、さすがにこうした詭弁は通用せず、しばらく工事の動きがストップした。
 オスプレイ配備まで時間がない焦りが、こうした強硬姿勢を取らせていると思われる。ただ沖縄のマスコミ(新聞・テレビ)はこうした動きをきちんと報道するので、防衛局や大米建設などへ抗議してくれる県民がいて、頼もしい。
 ヘリパッド(オスプレイパッド)建設工事は、防衛局・大米建設の協力のもと8月も強行されている。オスプレイを沖縄の空に飛ばさないための闘いは、まだ続く。(富田英司)案内へ戻る


コラムの窓  ・・・夏の星空を見上げて

 寝苦しい都会の熱帯夜を逃れて、ひたすら車を走らせる。めざすは阿蘇・九重国立公園、ひんやりとした高原だ。夜遅くようやく久住山の登山口にある公共駐車場に着く。明朝は涼しいうちに山に登り、昼過ぎには下山し、温泉に入ってリフレッシュしよう。今夜はひとまず車内でひと寝入り、ささやかなオートキャンプだ。でもその前に、車の外に出て、しばらく星空を眺めよう。
◆天の川と銀河系
高原で見る星空は格別の美しさだ。見える星の数が多いし、輝き方も違う。そして「天の川」がはっきり見えるのがすごい。はじめて見た時は、硫黄山の噴煙が空を横切っているのかと思った。実際、鹿児島では桜島の噴煙が、一本の道のように空を横切ることがあるので。しかし、今見えているのは、まぎれもない「天の川」である。
古代中国の人々は、天の川のこちら側の向こう側に、牛使いの男と機織りの女が引き離され、毎年一度だけしか、お互いに会えないという悲恋物語を語り伝えた。世界各地の古代人は、夜空の星や天の川について、様々な解釈をしてきたことだろう。
現代の我々は、「天の川」というのは、実は私たちの住む「銀河系宇宙」がレンズの形をしていて、その「レンズの縁」が天の川に見えるのだと教えられている。銀河系宇宙は、何億個もの星の集まりで、全体がゆっくりと回転している。その回転によって、星の集まりは真ん中が厚く、外側が薄い「レンズ」のような形になっている。そのレンズ状の内部に太陽系があり地球があり、私たちが星空を見上げるということは、レンズ状の内部の一点から、レンズ内部にある無数の星を見回しているのだそうだ。だから、レンズの縁にあたるところは、星の密度が高く、しかも遠いところにあるため、夜空を横切る一本の雲のように見える、それが「天の川」の正体だというのだ。
◆ビッグバン仮説
ここまでが、一応私たちが肉眼的に認識できる「宇宙」の姿だ。その先のことは、肉眼的、五感的には認識するのは困難だ。上条恒彦が「旅立ちの歌」で「さあ今、銀河の向こうへ飛んで行け」などと歌っていたが、そんな簡単に飛んでいける所ではない。
ここから先は、高感度の電波望遠鏡による天体観測や、巨大な加速器による素粒子の衝突実験、さらにはスーパーコンピューターを駆使した複雑な数学的な計算によって、様々な仮説や検証を繰り返して、現代の宇宙論が展開され、しろうとの我々は「ニュートン」とか「サイエンス」などの科学雑誌での「解説」によって、その一端にふれるしかない。
僕らが子供の頃は、「宇宙は膨張している」ことまでは知られていた。その先については、たぶん「ある所まで膨張しきると、今度は収縮に転じ、宇宙は膨張と収縮を永遠に繰り返している」のだろうと言われていた。「ビッグバン」仮説が出て、状況は一変した。宇宙の始まりは、何も無い真空の一点に突然「爆発」が起き、一秒にも満たない短時間の間に、超高熱のエネルギーだけの世界から、プラズマの状態を経て、素粒子が生まれ、やがて無数の星になっていったというのだ。
◆ダークマター仮説
さらに、近年の観測で驚いたことに、宇宙の膨張速度は減速するどころか、ますます加速していることが明らかになったという。これまでの理論物理学では、説明できないことが起きているらしい。そこから、この宇宙には、全く未知の「見えない物質」「見えない力」があるのではないか?ということになった。今注目されている「ダークマター」「ダークエネルギー」仮説である。最近「発見」された「ヒッグス粒子」などは、まだまだ我々が認識できる素粒子の「標準理論」の範囲内のことである。ダークマターは「標準理論」の外の話らしい。
ここまでの宇宙論をまとめると、宇宙の始まりは約137億年前の「ビッグバン」であり、その前には何もない。一方、今後の宇宙はどんどん加速度的に膨張を続け、物質は霧のように拡散し、やがてその霧も薄くなって消えてしまい、「無」の世界に到るという。何とも寂しい宇宙の未来像ではある。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」も、けっこう寂しい物語だが、「宇宙が消える」というのは、もっと寂しい話だ。
◆ブラックホールの向こう側
 ところが、これと全く異なる宇宙論も唱えられているという。「ブラックホールから別の宇宙が生まれる」という仮説だそうだ。
 ブラックホールというのは、太陽よりはるかに大きな恒星が、星の一生を終える時に、自らの重力に耐えられず、急速に縮んでゆき、超新星爆発を起こした後、物質が一点に吸い込まれてしまう現象のことである。ブラックホールの中がどうなっているかは、我々には観測不能である。
 リー・スモーリンというアメリカの素粒子学者によると、このブラックホールができると、別の世界にもうひとつ宇宙を作るらしい。私たちの住んでいる宇宙から見ると、物質が自らの重力によって潰れて、一点の穴に吸い込まれてしまう場所が出来る。ところが、それは別の世界から見ると、新たにまたビッグバンが起きて、別の宇宙が誕生している、というように理解したらよいのだろうか?こうして宇宙は、無限に誕生を繰り返しているのだという。そこでの物理法則は、私たちの宇宙での法則と全く同じとは限らない。
 今のところ検証も困難な「仮説」であるが、「宇宙の始まりがビッグバンだとしても、そのビッグバンはどうして起きたのか?」という素朴な疑問に、ひとつの回答案を示してくれる点では、何やらほっとさせてくれる仮説ではある。
 星空を見ながら、いつしか「真夏の夜の夢」へと、まどろんでいく。(誠)


読書室 孫崎享著『戦後史の正体 1945―2012』 創元社 価格千五百七十五円

 本書は、創元社の新企画である高校生から読める「戦後再発見」双書の第一回目の配本である。その問題意識は「なぜここまで混迷がつづくのか。どうすれば日本は再生できるのか。各分野の第一人者が、『戦後日本』という国家を成立時までさかのぼり分析、解決策を探る」というものだ。第二回目の配本は、前泊博盛氏著『本当は憲法より大切な日米地位協定入門』、第三回目の配本は豊下楢彦氏著『安保村の論理(仮)』である。
 こうした問題意識とそれに基づく配本には、大いなる期待を私は禁じ得ない。なぜなら戦後根底的な問題ながらも多くの人々の問題意識に上がらなかったのは不思議な事ではあったが、その謎もこれらの配本によりほぼ完全に明らかにされるであろうからだ。
 孫崎氏は「世界中の国々の歴史は、大国との関係によって決まります。その事がわかれば、自国の歴史も国際情勢もまるで霧が晴れるようにくっきりと見えてくるのです。だから私は本書の中で、日本の戦後史をこの二つの路線(『自主』と『対米追随』)の戦いとして描いてみようと思います。『自主』と『対米追随』、この二つの路線の間で最適な回答を出す事が、これからも日本人には求め続けられるから」(本書E頁)と説明する。
 この本で孫崎氏が述べたのは、「日本は、世界政治の現実からみるとアメリカ合衆国の属国である」という現実である。孫崎氏は結果的に属国になったのであって、それを拒否する外交政策を提言した外交官や政治家が多数いた事を詳しく紹介した。今の日本の対米従属は戦後史の諸局面での政治家の決断の誤りの結果と孫崎氏はするが、真実は異なる。
 その意味で本書での最も深刻な部分は、昭和天皇の話である。天皇は、米軍基地の恒久化を望んでいたと記されているからだ。戦前の日本は、天皇が大元帥であったが、戦後は一転して「平和」を追求する天皇となり、そのために米軍の駐留を望んでいたというのだ。
 こうした事実は、もちろんすでに一部の人たちの間では知られていた。今回、孫崎氏の著作によって再確認されたに過ぎない。孫崎氏は「危ない事は先人が書いた事」に止めたという。しかし今や十万部を売り上げたとする著作の中で、天皇の実像が確認された事は大きな意味があると私は考える。これに関しては、本書の中で二度触れられている。
 最初の記述は、「1979年、進藤栄一・筑波大学助教授(当時)が、米国の公文書館から驚くべき文書を発掘し、雑誌『世界』4月号(岩波書店)に『分割された領土』という論文を発表しました。
 米国側に保管されていたその文書とは、終戦後、昭和天皇の側近となった元外交官の寺崎英成が、GHQ側に接触して伝えた沖縄に関する極秘メッセージです。…
『マッカーサー元帥のための覚書(1947年9月20日)』
 天皇の顧問、寺崎英成氏が、沖縄の将来に関する天皇の考えを私に伝える目的で、時日をあらかじめ約束したうえで訪ねてきた。寺崎氏は、米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望していると、言明した。(略)
 さらに天皇は、沖縄(および必要とされる他の諸島)に対する米国の軍事占領は、日本に主権を残したままでの長期租借――25年ないし50年、あるいはそれ以上――の擬制(フィクション)にもとづいてなされるべきだと考えている」(本書87頁)である。
 このように昭和天皇が、米軍による沖縄及びその周辺の島々の半永久的軍事占領を慫慂していたのだ。米国側の文書なので事実は否定はできない。沖縄県民の国家に対する不信感や反皇室感情を煽る驚愕の内容ではないか。まさに裏切りに等しい提案ではあった。
 発表先が岩波の『世界』でなければ大騒ぎになったが、当時はその他の雑誌には掲載できない内容だった。孫崎氏は、当の進藤教授に会った際「当時の反響はどうでしたか。大変だったでしょう」と訊ねたところ、進藤氏は「それが日本の新聞や学界は、まったくの黙殺でした」と答えたと書いている。
 この顛末は、日本の真の政治構造を暴露する。自民党と社会党が野合して村山政権ができた事で55年体制の虚構が露わとなったのだ。これまでの自民党と社会党(野党第一党)の政争とは実は表面的なものだった事実が、隠しようもなく明らかになったのである。
 つまり右翼も左翼も対米従属という点では全く一致しており、この路線を吉田首相を手駒として使いつつ積極的に推し進めてきた昭和天皇に対する批判もまたタブーであった。右翼も左翼も、つまりは「エセ右翼」「エセ左翼」であったのだ。今回大々的に封印が解かれた事で、昭和天皇の真の姿が労働者市民に晒され浸透してゆく契機となるであろう。
 もう一つは、重光葵外務大臣が米側と安保条約改定に臨んだ時の事だ。この交渉は1955年8月に米国で行われたが、重光はこの会談にのぞむ前に、昭和天皇に内奏(国政報告)していた。『続 重光葵日記』に天皇の言葉について、以下のように記述している。
 「8月20日 渡米の使命について細かく内奏し、陛下より駐屯軍の撤回は不可であること、また知人への心のこもった伝言を命ぜられた」(本書167頁)
 このように天皇は、外交交渉に赴く前の外務大臣に「在日米軍の撤退は不可」だぞと念を押していた。昭和天皇は決してたんなる「象徴」ではなかったのである。
 それどころか、前号のワーカーズでも明らかにしたが、豊下楢彦教授の昭和天皇とマッカーサーとの11回にもおよぶ会談の詳細な分析によると、吉田首相の米軍基地に関する極端な属米路線には、こうした「在日米軍の撤退は絶対に不可」だという昭和天皇の意向が影響していた現実性が極めて高い。吉田を操っていたのは、まさに昭和天皇である。
 孫崎氏はこの関係を明らかにはしていないが「吉田首相の傲慢で人をくったような、占領軍とも台頭にわたりあったというその姿は神話にすぎない」とまで書いている。
 周知のように日本国憲法では天皇は、「国民統合」の「象徴」とされ、国事行為は「内閣の助言と承認」が必要とされて政治的な指示をしてはならないとされたが、昭和天皇は政局の話が大好きで、戦後もしばしば総理大臣を皇居に呼び出して情報収集していたし、その後も政治に積極的に関わっていたために、核拡散防止条約の批准を扱った平野貞夫氏『昭和天皇の「極秘指令」』の著作があるのである。
 戦前の大日本帝国憲法下でも、天皇は政府や軍の決定を黙って裁可する事になっていて、それ故「無答責」(責任を持たなくても良い)とされ、その事をもって戦争責任を回避してきた。ところが実際には、戦時においても細かな指示を出していたのだ。連合国側はそれを知っていたから、天皇の戦争責任は免れないというのが大方の認識であったが、米国は昭和天皇を免責する代わりに、数々の要求を突きつけて日本の従属化を推し進める事にした。ここにおいて昭和天皇と米国の利害が見事に一致したのである。
 戦前の日本では皇室批判は不敬罪だったが、戦後は米国批判がタブーとされ、米国と一体化した皇室批判もタブーとなった。孫崎氏が吉田茂の背後を明らかにしないのもこの流れの中に位置づいている。そして日本の属国化は、天皇の戦争責任免責と引き換えに推し進められ、昭和天皇が米軍の長期駐留を望んだ理由は、まさにこの点にあったのである。
 そしてこれに深く関連している安保条約の秘密とは、一体何か。それは、孫崎氏が条約である安保条約には米軍の日本駐留のあり方についての取り決めが、何も書かれていないが、そもそも議会での審議や批准が必要な条約には重要な条項を入れないで、行政官同士の取り決めである「行政協定(今の地位協定)」にすべて押し込んでいるという事なのだ。つまり日本の防衛問題は侃々諤々の議論をする議会より、アメリカと実務交渉を手がける行政官=外務官僚が支配している現実があるという事である。
 こうした問題意識から、戦後再発見」双書の第二回目の配本は、前泊博盛氏著『本当は憲法より大切な日米地位協定入門』となるのである。ぜひ一読を勧めたい。  (直木)案内へ戻る


手づくり雑貨とまでいの力

 デンマークの100均商品が、関西のアメリカ村にやってきた。新しいもの好きの関西人の気持をくすぐったか大はやりとか。TVで見ただけだが、いかにも大量生産のピカピカでツルンとした表情のない冷ややかな商品群である。
 私は最近、手づくりの雑貨にはまっていて、小さな手づくりの雑貨(必要でいて暖かな雰囲気をもつ)で我が部屋ーすずめ庵(8帖)をかざっている。けっこう気分を落ち着かせる一方で、目立たぬ華やかさでいっぱいしてくる、こういう雰囲気はどこからくるのであろう。
 原発事故で土地を奪われ追われた飯館村は、かつて福島県飯館村に見る一人ひとりが幸せになる力「までいの力」をもった美しい村だった。までい≠ニは「双手でていねいにー愛をこめた」という意味だという。
 私が先だって訪れた福島県大笹生にもまでい≠ニいう言葉はあった、と泊めて頂いた後藤さん宅のおじいちゃんは言っていた。次の文章は飯館村村長、菅谷典雄氏の明日を信じて≠ニ題することばである。ここに紹介させて頂く。
 戦後一貫して効率一辺倒、スピーディに、お金が全てという価値観で進めてきた結果、人と人との関係が希薄になり「自分さえ良ければ病」になってしまった。「お互いさま」のまでいの心が、必ずや新しい日本を再生する基礎になると思う。私たちの「までい」の発信は、ささやかなものであるが、必ずや住みやすい地域をつくり、地方の生き残り策となるものと確信している=i2011.3.28)
 私が只今、ぞっこんほれこんでいる手づくり雑貨のルーツは、ここにあるように思う。私はあくまで消費者で生産者ではないが、村長さんの指摘は私ども都市生活者にもこたえる言葉であるとともに未来の灯でもある。2012・8・4 大阪 宮森常子 


福島のおじいちゃんの大きく重い問い

 福島へ7月4から3日間、後藤さん宅で泊めてもらったとき、おじいさんは多くを語らなっかったが、津波てんでこ≠ノついて、冷静に考えれば、己を救うことだけを考えよ≠ニいうことは、リクツでわかっていても感情が許さない、というようなことを述べられた。私は、ただみんなが一人ひとりで自らを救うことを考え行動すれば、みんな助かる≠ニいうような答えにならないリクツを述べただけだった。
 そんなこと、おじいちゃんは百も承知なのに。なお残る悔いや自ら責める気持ちの問題については、何ひとつふれることもできなかった。おじいちゃんはだまっていた。心に残る大きな問題である。
  2012・8・7 大阪 宮森常子


福島からの便り わたぼうし 8月号より

 連日35℃を越す猛暑日が続き少々バテ気味ですが、皆様いかがお過ごしですか? とにかく今は桃の一番の成育期なので、どんなに暑くてもクーラーなしで頑張っています。春先が寒くて収穫が遅れているので暑さは大歓迎です。あと、ちょっと雨が降ってくれたら最高の桃になるのに・・と、私たちの力ではどうにもならないお天気に祈っています。
 今年の桃は春先の寒さと除染の影響なのか、何本か枯れてしまいました。さらに実を割ると、タネの異常(核割れ)が7割とかで良い実がとても少ないようです。なるべく品質の良い物を心がけていますが、そんな状況なので、昨年より多少合格点が甘くなってしまうかもしれません。ですが、そこは味でカバーしますのでご理解いただきたいと思います。
 さらに、今年は復興支援のお客様に支えられ、たくさんご注文いただいていますが、なるべくお盆に間に合うようにがんばりますのでどうぞよろしくお願いします。
(あっぷる・ファーム後藤果樹園より)


「偲び草」 帽子を脱がなかった友

8月8日、今日は高校野球のはじまりの儀式の日。司会の女性が高校野球に敬意を表し、全員脱帽ねがいます≠ニ言うようなことを、まず最初に言った。
 逝った友は、地裁のある部屋で行われた住基ネット反対する件の傍聴に行ったことがあった。私も一緒にいた。守衛さんの「脱帽ねがいます」という注意があったけど、彼女は帽子を脱がなかった。つまり敬意をもたなかったのであろう。当時、私は帽子を脱ぐことに何の抵抗も感じず、脱帽していた。
 彼女はその裁判に敬意をもたなかったのであろう。最後まで脱帽しなかった。彼女は、小さなことでも、反権威力を貫いたのだった。その時、私は気づかなかったのだが。彼女は高校野球の儀式には、恐らく脱帽したことであろう。 2012・8・8 大阪 宮森常子
 その名は山中喜美子さんこと、法名 究さん  7月29日20時6分 逝去。(山中喜美子さんはワーカーズ購読者でした。御冥福をお祈りします。恵)


魚釣島に上陸した怪しげな“左”右の面々

 8月中旬、香港からテレビ局の取材陣を伴った反日の活動家を乗せた船が出帆し内数名が、魚釣島に上陸した事に対して、今度はそれに抗議する日本の市会議員を中心にまた数名が上陸しました。
 中国では、台湾や中国・香港などの民間団体でつくる「世界華人保釣連盟」の彼らは当初熱狂的に支持されていたのですが、上陸した古思堯氏がかって“反中国”で中国国旗を二度までも燃やした事のある“反共”活動家である事が暴露された事、彼らが上陸した際に掲げられた3本の旗の内の1本が当然の事ながら台湾国旗である事が公開され、中国ではショックで困惑が広がるとの情報がネットを飛び交っています。
 方や、日本でも上陸を見守った船の上には、山谷えり子国会議員や「頑張れ日本!全国行動委員会」の会長田母神元空幕長や二人のヒロシ、つまり山田宏前杉並区長と中田宏前横浜市長らがいたとの報道には本当に驚かされました。まさに彼らはムーニーズの懲りない面々ではないですか。安倍晋三議員や石原慎太郎都知事や時の人である橋下大阪市長も統一教会とはただならぬ深い関係があるとはネットでは余りにも有名な話です。
 山谷議員の姑息ぶりはまさに批判に値します。8月20日の「琉球新報」によれば、「尖閣列島戦時遭難者遺族会」の慶田城用武会長は「日本の領土を守るため行動する議員連盟」の山谷会長から洋上慰霊祭を目的とした上陸許可申請に署名を求められたが拒否した事、さらに慶田城会長は「遺族会の気持ちを踏みにじり、慰霊祭を利用して上陸したとしか思えない」と話し、議連の洋上慰霊祭や地方議員らの魚釣島上陸を厳しく批判しています。
 慶田城会長によると約10日前に「領土議連」の山谷会長から電話があり、政府に提出する上陸許可申請への署名を求められましたが、「領土を守るという議連の考えとみ霊を慰めるとの遺族会の考えに違いがある」と依頼を断ったのです。
 すると「領土議連」は尖閣諸島へ出港する前の18日、石垣島にある尖閣列島戦時遭難死没者慰霊之碑前で慰霊祭を開催しましたが、遺族会に案内はなく、参加した遺族は1人だけで、かつ洋上慰霊祭への参加依頼もしてなかったのです。
 事件で兄を亡くした慶田城会長は「私たちは毎年、尖閣が平和である事を願って慰霊祭を開催し、二度と戦争を起こしてはならないと誓っている。慰霊祭を利用して戦争につながる行動を起こす事に対し、無念のうちに死亡したみ霊は二度目の無念を感じていると思う」とした上で、「領土議連」や上陸した地方議員の行動に「上陸合戦で問題は解決しない。日中の緊張を高める意味で、尖閣に上陸した香港の活動家と同じように映る」「日中ともに上陸した後の目的がなくエスカレートするばかりだ」と高い見識を示したのです。
 さらには、この直前に李明博韓国大統領の竹島への上陸が強行されました。これに対して、そもそも尖閣問題の火付け役である石原都知事は、いつものように口汚く罵るではなく「仕方がない」と極めてあっさりした対応を示しました。石原都知事は、前もって竹島上陸を打診されていたかのような態度を示す事で私はまたまた驚かされたのです。
 私は、竹島上陸と魚釣島上陸とは、三位一体の関係があると考えざるを得ないのです。その意味において中国と日本とを戦争させたい勢力を糾弾しなければなりません。(笹倉)案内へ戻る


編集あれこれ

 8月15日をはさむ合併号を開いてみると、この間の情勢の変転の激しさを思い知らされます。1面では民主党の自壊を論じ、野田政権を解散・総選挙に追い込もうと呼びかけています。その後の経過をみると、野田首相の「近いうち解散」表明によって民自公による消費税増税が実現、同床異夢の野合という暴挙で民衆を増税地獄に叩き落としてしまいました。
 67年目の終戦記念日≠ニ称される大日本帝国の敗戦の日の15日、この日が皇軍に蹂躙、占領された国々の民衆にとっては暴虐からの解放の日であることを、この国のマスコミはほとんど報じません。そんななかで、この日をはさんで中国や韓国との領土をめぐる軋轢が高まり、五輪に引き続く愛国心の高揚が排外意識へと深化しつつあります。
 関連情報のほんの一部ですが、ホームページのトピックで報じています。それにしても、発行が1ヶ月も空くことによる情報の遅れには忸怩たる思いがあります。これをカバーするために、今後もホームページを通じての情報発信を強化したいと思っています。ぜひ、本紙とともにホームページにもご注目ください。
 本紙前号では、7・16反原発17万人集会参加者の声も掲載されました。その後の経過において、原発利権の延命をめざす勢力の反撃の強さをみる思いです。引き続き、官僚が今後のエネルギー政策を下書きし、実行する。同じ顔ぶれの学者らが原発の安全性を確認する体制も維持、野田政権はこの枠組みを解体することなく、追認しています。
 観客席からおりて「自ら政治に参加する、いわゆる参加型民主主義への前進が課題だろう」と、前号3面で指摘しています。しかし、橋本維新の会になびく政党・議員の動きを報じるマスコミをみていると、まるで賭けレースの予想のようで、有権者は選挙での選択がすべてのように思わされます。
 民主党の分裂については4面でも触れています。オスプレイのごり押し配備(岩国基地への陸揚げ強行)による、沖縄の民主党崩壊は当然です。ここにきて、議席にしがみつく議員と政治を志した初心を守り抜こうとする議員の、その違いが鮮明になろうとしています。民主党だからすべてダメと言うのではなく、悪辣な議員には落選運動を行い、良識ある議員には叱咤激励したいものです。
 ところで、民衆から巻き上げた税金はどこへ行くのか、さっそく新幹線着工という報道を見せつけられたら、おのずと明らかです。肝心の社会保障は予算切り詰めに動きそうだし、膨大に膨れ上がった国の借金返済にすら向かうことはなさそうです。
 8・15を被害者として迎え、その被害を客観化しえなかった前世代の轍を踏むなら、私たちはこれからも何度でも民主党の裏切り≠経験することになるでしょう。観客席ではなく闘いの現場に足を踏み入れること、脱原発の行動参加は五輪凱旋パレードの50万人結集に今はまだ及びませんが、膨大な民衆のエネルギーが政治を変えるところまで到達することを、互いに目指したいと思います。 (晴)
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