ワーカーズ472号     2012/9/15   案内へ戻る

混乱極める民・自の政治ーーー資本主義の反動派としての「日本維新の会」

 民主党の党首選挙が9月21日、そして自民党の党首選が9月26日というスケジールで政局は動いている。マスコミはすでに、自民党の新党首が次期総理となると紹介している。だが、自民党にはかつての「国民政党」としての支持基盤はすでに存在しない。
 他方では大阪維新の会の中央政界参入も話題となっている。「維新の会の当選者は100人とはじいている」「維新旋風はしばらくは収まりそうもない。」(毎日)われわれもこの政治勢力を注視すべきであろう。

●醜悪な政治スタイル
 橋下が大阪府知事時代におこなった、学校での君が代斉唱の際の「口元チェック」。さらに大阪市長に転じてからの労働組合員の政治思想・行動調査や、組合事務所の市庁舎からの立ち退きなども記憶に新しいところである。また「決定できる民主主義」と称して議会の軽視(参議院の廃止、衆議院定数の半減)、首相公選制による企業組織なみのトップダウン式の決定方式をめざすなど「中央政界では維新と橋下にたいする高い評価、嫌悪感、恐怖心が混在している。」(毎日)。新党「日本維新の会」への国会議員の合流者が小物の数名にとどまったことは、中央政界の困惑ぶりを示していないか。

●米国流の保守政治=維新八策
 「維新八策」や「維新の会、初の公式本」である『大阪維新』から概観すれば、彼らの政治スタイルや政治内容は、米国の共和党などに代表されるブルジョア保守派のものだ。では、このような保守派がどうして今更「維新」を持ち出すのだろうか。
 彼らは、中央集権的で、巨大な官僚体制が主導する「明治以来の変わらぬ日本の体制」を諸悪の根源と見なしている。だから官僚や公務員(そして労働組合)の特権をはげしく嫌悪している。この様な官僚機構を大幅に縮小し、地方主権で統治機能を活性化する、さらには「小さな政府」とともに規制緩和を実現し民間企業を活性化させると展望しているのだ。「ビジネス化」「競争の導入」が彼らの合い言葉だ。さらには福祉制度、年金制度などをみなおし、「自助、共助」といった伝統的コミュニティーにゆだねる展望を語る。

●変質の可能性も
 「ファシズム」「ハシズム」といった過剰な反応は必要ではない。彼らが何を問題とし、どのように「解決」しようとするか全般的政策から見きわめよう。維新が官僚の特権を剥奪し拍手をあびても、他方では公務員労働者の賃下げや、一般市民たちの既得の公的サービスの受給を削減することは表裏一体である。「決定できる民主主義」のスローガンが、「君が代」や軍事大国化路線の強制を目指していることもあきらかだ。「地方主権」を掲げるが、一方TPPへの参加は地方社会をさらに弱体化させる可能性もある。
 橋下維新に対して既存勢力の抵抗も強まるだろう。動き出した「大阪都構想」がもし頓挫すれば、従来の日本型の保守政治(自民党政治)に簡単に吸収されるだろう。いずれにしても、橋下維新の会は、脱力状態にある日本資本主義のゆがんだ影絵だ。(文明)


★沖縄通信・NO.26号「沖縄県民大会に10万3千人結集!」

 9日午前11時から宜野湾海浜公園において、米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの県内配備の撤回を求める「オスプレイ配備に反対する県民大会」が開かれ、10万1千人(八重山、宮古の地区大会を合わせ10万3千人)が結集した。
 大会実行委員会が当初5万人を目標にするとの表明や、8月予定の県民大会が台風によって約1カ月余延期されたこと、直前に仲井真弘多県知事の欠席表明もあり、どのくらいの県民が結集するのか不安もあった。
 当日9時頃会場に到着すると、もう多くの人たちが集まっており、その後続々と会場に集まってくる人の波を見て、これは凄い人数が大会に集まりそうだと思い、身震いした。
 米軍基地問題で抗議の意思を示す県民大会としては復帰後最大の結集となり、沖縄県民の反対に耳を貸さず、配備強行に突き進む日米両政府による差別構造(基地や犠牲を押しつける)に、県民の『怒りのマグマ』が吹き出し、オスプレイ配備を拒む強固な民意を示したと言える。
 共同代表をはじめとして多くの力強い挨拶があったが、印象に残った二つのことを報告したい。
 若者を代表した加治工綾美さん(沖縄国際大学学生)は、次のような挨拶をした。
 「危険なMV22オスプレイが配備されようとしている。どうして配備するのか。どうして政府は断れないのか。墜落したら誰が責任を取るのか。政府は安全性を強調するばかりで、沖縄の人々の声は無視され続けている。配備は沖縄差別ではないか。・・・沖縄の青い空は米国や日本政府のものではなく、県民のものである。これ以上、このきれいな空に軍用機を飛ばすのを許さない。沖縄の未来を切り開くため、私は若者の立場から実現の日まで頑張ると決意する。」
 「この青い空は県民のもの」という言葉が、参加者の人々の胸をうち、若者の決意が感動を与えた。
 もう一つは、県民大会に参加しなかった仲井真知事にたいするブーイングである。
 知事の代読メッセージが読み上げられると、「いらないぞ」「読むな、やめろ」などと抗議の怒号が会場に響き渡った。立ち上がり大声を張り上げる人、拳を振り上げる人、代読を制止する人等など。知事への批判は鳴り止まず、会場が一時騒然とした雰囲気となった。
 当日午前中の仲井真知事の公務はなく、午後から名護で行われた県総合防災訓練に参加している。稲嶺名護市長は県民大会に参加してから防災訓練に駆けつけているのに。参加出来るのに、あえて参加しなかった仲井真知事。その本音はどこにあったのか。
 当然、県民からは「県民の代表として壇上で反対すべきだ」「『来ても来なくても反対だ』と言うのは逃げ口上だ。知事失格だ」「知事の最大の責務は県民の命と財産を守ることだ。立場が違うといって、欠席するのはおかしい」等、厳しい批判が相次いだ。
 いずれにしても、今回の県民大会欠席は仲井真知事の政治生命に大きく影響するだろう。
 10万人の県民大会を成功させたが、これでオスプレイの配備が中止されることはない。事実米政府は「県民大会が開かれたのは承知しているが、配備方針に変更はない」と述べている。
 沖縄県民は、今大会がオスプレイの県内配備阻止運動のスタートであることを十分承知している。まさに阻止闘争はこれからだ。
 9日の当日、東京でも沖縄の県民大会に呼応し、1万人が国会を包囲した。また岩国でも佐世保でも配備中止を訴える集会・デモが取り組まれた。
 米軍のオスプレイ配備は日本国民の命に関わる問題である。本土での米軍基地問題に対する認識の薄さが指摘されるが、本土側でのオスプレイ配備阻止運動の拡大は大きな課題である。(富田 英司)
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第19回全国市民オンブズマン弘前大会報告(8月25日・26日 弘前文化センター)

原発と市民オンブズマン 〜まいね(ダメ)!非公開〜

 今年の全国大会は青森県弘前市、朝5時起きで大阪↓青森の航空便と空港から弘前へは直行のバスで移動となりました。10時過ぎにはJR弘前駅に到着し、開会前に会場と隣接した弘前公園(弘前城がある)を散策しました。お濠や門が健在で、博物館では「弘前ねぷた展」をしっかり見てきました。  (折口晴夫)

記念講演
 さて、植田和弘京大教授の記念講演「福島原発事故とエネルギー政策」は、工学的制御可能性(失敗しつつ改善・発展する)という点で、絶対安全な原発はあり得ない、保険にかからない原発は民間事業として成り立たない。再生可能エネルギーは原発代替えとしてしか位置付けされていないが、地域社会との共存できるものであり、積極的な未来に向けた取り組みとして行うことができる、等々という内容でした。
 飛行機は必ず事故を起こすが、事故の確率から保険料を算定することができます。しかし、チェルノブイリで明らかなように原発の過酷事故は保険ではカバーできないので、絶対大きな事故は起こらないという安全神話≠フ上に国の後ろ盾があって、始めて原発を動かすことができるということです。植田氏は原発に手を出すべきではなかった、地域社会で自前のエネルギーをつくりだそう、と呼びかけているのです。

原発分科会
 分科会は原発の分科会に参加しました。そこで福島・中通りからの避難者の訴えがあり、子ども連れの妊婦の青森への避難はまさに恐怖の逃避行だったと言います。4月の新学期に子どもたちが福島帰り、自身も出産後に赤ちゃんを連れて帰ったら、すでに放射能のことを口にしてはいけないような空気になっていたのです。
「原発事故後にすぐ『安心、安全』の講演会を福島各地でして歩いていた人がいました。山下俊一です。福島県放射線リスクアドバイザーとして、当時長崎大学の山下俊一教授が招かれて講演をしてあるきました。問題発言の多い方ですが、福島県民の多くは、未だにこの人の言うことを信じている人が多いです」
「私には山下の言う事が、『子供達にどんどん放射能を浴びさせなさい』と言っているように聞こえます。『そして、そのデータを私に寄越しなさい』と言っているように感じます。福島の子供達をモルモット化しているようにしか思えないのです」
「私は、お医者様を信用できない。あの福島で生活することは、とても難しいことだと思っています。(4月から青森に2度目の母子避難をしている)今も、友人達が食べ物に細心の注意を払ってあの福島で生活しています。どうか、知って欲しい。事故は収束などしていません。何ひとつ変わっていないのです。福島では話せない小さな声を聞き取って欲しいです」
 原発がある限り、事故の検証がされず再稼働する限り、また同じような事故が起こると警告するこの女性は、「福島で起こったことを、もう二度と起こしてほしくない。同じ思いをする人があってはならないと、福島の人たちは思っています。先ほどのお話から、福井もこの青森も、安全神話から抜け出せないでいる、避難経路も情報公開もなされないのは、原発事故から何も学んでいないと感じました」と訴えました。
 オンブズマン的脱原発の取り組みは、やはり情報公開請求からはじまります。すでに、原発立地自治体への交付金や寄付金については調査済みですが、自治体住民にしか公開しないところが多いようです。さらに、「原発審議会委員が受領した寄附金等調査」(原発立地14道県委員)が行われました。こちらは当初の集計に誤りがあり、謝罪と訂正が行われています。

秘密保全法と地方自治法「改正」
 情報公開は民主主義に不可欠なものですが、この国では情報は国家(官僚)のもの≠ニされてきました。福島原発震災をめぐる情報の扱いをみても明らかなように、隠す、偽る、破棄するが常態化しています。秘密保全法はこれをさらに進め、不都合な情報は公開対象から外し、そうした情報を得ようとする行為や洩らす行為(内部告発)を処罰しようというものです。
 さらに、情報を使うものに対する身辺調査、管理も行うというのですから、その異様さは監視国家のものです。なお、秘密保全法の成立過程に情報公開で、内閣情報調査室から出てきた資料は、全面墨塗り、真っ黒になっもので、すでに秘密保全法的事態は進行しているというほかありません。
 地方自治法の「改正」は、マスコミが黙認するなか、民自公3党の談合と政争のどさくさ紛れに国会を通過してしまいました。問題は「政務調査費」が「政務活動費」へと名称が変更され、その使途が「調査研究」から「調査研究その他の活動」へと改変されたことです。
 オンブズマンがその使途を追及し、監査請求や裁判を積み上げることによって「調査研究」以外への支出をやめさせてきたものを、全国都道府県議会議長会が自民党などに泣きつき、またぞろ第2に議員報酬≠ヨと逆戻りさせるものです。私も西宮市議会を対象に2件目の裁判を行っていますが、地方自治法100条14項・16項の字句がほんの少し変わるだけで、これまでの成果が無に帰すかもしれないという思いに駆られています。

 弘前大会には全国から22名の参加者が結集しました。各地からの報告では、議会を傍聴するとそこは学級崩壊状態、着席しない、おしゃべり、居眠り、熟睡。文句があるなら落としてみろと言ったベテラン議員、この議員は落選した。赤十字への寄附は20%帰ってくるが、どう使われているかわからない。復興交付金について、自治体は使い勝手のいいものを望んでいるのに、実情を知らない省庁への説明に多大な労力をとられている、等々。
 なお、大会宣言では、次のような確認が行われました。
第1 地方自治体の原発審議会等の詳細な議事録を作成させるとともに、原発利益共同体とは無関係な専門委員により信頼に足る住民の避難計画等を策定するよう、原発立地自治体及び周辺自治体に求めること。
第2 原発立地自治体及び隣接自治体に対し原発依存の財政から脱却するよう引き続き求めること。
第3 東京電力をはじめ、原子力発電所並びに再処理施設を保有する企業を情報公開法の実施機関に加えること。
第4 知る権利を骨抜きにする秘密保全法の制定を阻止すること。
第5 住民訴訟に萎縮効果をもたらす訴訟費用の敗訴者負担制度の改正を求める運動を継続すること。
第6 政務調査費の支出をルーズにする地方自治法の改正に反対し、改正案の修正を求めていくこと。

 決   議 

1.2011年3月11日に発生した東日本大震災に起因する東京電力福島第一原子力発電所の原子力事故(以下「福島原発事故」という)は「原発の安全神話」を根底から覆した。

2.福島原発事故の原因は未だ解明されていない。福島原発事故により,これまでの指針類では安全対策として不十分であったことが露呈した。事故原因が解明され,それが新指針類に反映され,その指針に適合していることが確認されない限り,各地の原発は安全とはいえない。

3.福島原発事故で問われたのは,過酷事故の防止策だけでない。過酷事故(シビアアクシデント)が起きたときの対策の不備も問われた。福島原発事故を踏まえ,政府は,昨年6月,過酷事故への対応について,これまで電力会社まかせだった取り組みを法制化するとの方針を示したが,過酷事故への実効的な対策は未だまとまっていない。複合災害時における過酷事故対策が完了し,さらに事業者,政府,地方自治体も含めた情報伝達網の整備がなされその実効性が確認されない限り,各地の原発は安全とはいえない。

4.自治体の避難計画策定も困難である。福島原発事故を受け,防災対策を重点的に充実すべき地域の範囲(EPZ)の見直しが行われている。原発から30q圏内の自治体は無論のこと,その外の自治体も地域防災計画にどのような具体的対策を盛り込み,どのように運用して原子力災害に備えるかの問題に直面している。私たちは30q圏内外の自治体に対し,

@ 原発事故の原因,とりわけ避難の実態と混乱の原因を自ら検証する
A 防災指針の内容が福島原発事故の教訓を反映した内容になっているかどうかを自ら検証する
B (新防災指針の内容が正当である場合)新防災指針に定められた避難その他の処置が実際取れるのかどうかを自ら検証する
C 防災指針の内容が福島原発事故の教訓を反映した内容にないっていない場合,あるいは新防災指針の内容が正当である場合であっても,新防災指針に定められた避難その他の処置を実行することが困難である場合は,再稼働を認めないことを表明し,それを知事と電力会社に送付し,あわせて,電力会社に立地自治体並みの安全協定の締結を求める
D 道府県防災会議(原子力部門)及び市町村防災会議(原子力部門)の諮問機関(審議会)のメンバーの人選の中立性(電力会社等から寄付を受けていないかどうか)を確保し,議事内容を公開することを迫る必要があることを確認した。

5.住民の生命・健康・財産と環境の保全は,住民自らの行動にかかっていることを自覚し,自治体への働きかけを積極的に行うことを決意し,以上のとおり決議する。

2012年8月26日 全国市民オンブズマン連絡会議弘前大会参加者一同  案内へ戻る


2012・オンブズ全国大会に参加して

 青森県は、本州の最北端なので少しは涼しいのかなと、思っていたら暑さは関西と変わらず、駅前の温度は32度を示していました。空港から弘前まではバスで1時間、会場までは徒歩で30分ぐらい、大会開催までの1時間ぐらいを弘前城を散策して過ごしました。
 分科会は、原発・政務調査費・「なんでも」と、3つのテーマに分かれましたが、私は「なんでも」分科会に参加しました。分科会の司会は以前、西宮市職員互助会の裁判でお世話になった大阪の井上弁護士さん。持ち前の明るいムードで会は始まり、全国大会とあって参加者はそれぞれ居住の都府県を述べ、親交をはかりました。
 各地からの活動報告では、九州の熊本阿蘇市から農水省交付金事業の不正使用についての、5年間で17億円の莫大な交付金の行方を追及したものでした。この事業は、農村が高齢化し非農家の居住者も増える中、「農村基盤と田園景観を未来に残そう」と農水省が2007年から今年度まで全国で実施。国が50%、都道府県、市町村がそれぞれ25%を負担。具体的には、農家・非農家が共同で農道の草刈り、用・排水路の泥上げ、草花の植栽などに対する「共同活動支援交付金」や環境配慮型の営農活動の交付金もあるそうです。原発立地に伴う交付金とは、金額は比べものになりませんが、農家を選挙の票田にするためのものか? と疑問を持たざるを得ません。
 問題の不正使用ですが、交付金の7割が日当に当てられているのにもかかわらず、全日当6000円・半日当3000円が正しく支払われていないのが分かり、公民館建設費や神社修理費になどに回している区が多いと判明。実際は一人500円ぐらいの日当で1時間ぐらいの作業だったらしい。交付金は地域の協議会が「活動組織」として受け取り、運営を任せられ、市町村のチェックが無いので都合の良い方法で目的外に使途できたようです。その後、九州農政局が指導に入り、草刈り日当に源泉徴収が義務付けられたと、いうことです。
 滋賀県でも似たようなことが農家の自治会で起きていた、との発言がありました。市からの補助金を、架空の団体を作り二重帳簿にしてプール金を作り、自治会役員が不正使用していたことが報告されました。一番身近な団体である自治会でも、補助金という得たいの知れぬものに、振り回され自分を見失うことになるのか? と考えさせられました。 
岩手県からの発言で、東京電力が支払い期日が過ぎると、超過金を義務付けることでの問題提起でした。検針日の翌日から50日までが通常の支払い期間だが、それを過ぎると1日3%の加算が強いられ、遅延の50日目に支払った場合、結果36・5%もの割り増し電気料金を支払わされることになると、指摘。遅延損害金にすれば、こんなに多くの割り増し料金を払わなくてすむはずと、そもそもの電気料金の設定からして改善が必要なのに、利用者に負担が重過ぎると東電を批判。日頃から、もっと電気料金に関心を持たねばと、思いました。簡単な報告になりましたが、皆さんも来年のオンブズ大会は、自分で見て聞いて感じてみませんか?    (兵庫・折口恵子)    


被災地復興のデタラメ──復興予算に群がる利権ムラ──

 消費税政局と脱原発デモ、それに領有権紛争に揺れる永田町。夏の喧噪に隠れるように全国至る所で東日本大震災関連の復興予算が使われている。財源は所得税増税などによる19兆円。この19兆円の使われ方を検証する番組〈ドキュメント『追跡復興予算19兆円』〉が9月9日に放送された。夜9時からのNHKスペシャルで放映されたから、かなり多くの人が見たはずだ。これまでも被災地での復興利権≠ェ指摘されきたので、私も関心を持って視聴した。

□首をかしげる

 今回番組が検証したのは第3次補正予算(=本格的な復興予算)の9・2兆円、500を超える事業。わかった
だけでも2兆4500億円を超える金額(全体の4分の1)が、被災地以外で使われているという。
 番組の冒頭で、象徴的な事例が紹介される。
 ◆まず国交省による沖縄県国頭村の海岸沿いの国道工事。今年度の事業費7億円。これが復興予算から支出されている。理由は、地震対策。
 ◆北海道や川越などの刑務所での職業訓練にも使われている。事業目的は「被災地域における治安確保調査基盤の強化」で、被災地でのがれき撤去など将来の復興作業を担えるを人材を育成するためだという。

 まだまだある。

 ◆岐阜県関市のコンタクトレンズ製造ラインへの補助金。事業目的は、被災地への波及効果、被災地における将来の雇用拡大の可能性。具体的にはこの会社の製品が多く売れるようになれば、仙台支店の雇用拡大の可能性があるからだ、という。
 ◆経産省の「低炭素社会を実現する革新的融合」を目的として支出される15億9800万円は、電気自動車の「燃料電池の素材を開発するための補助金」として独立行政法人に交付された。
 ◆公安調査庁による「テロ対策・分析用車両の整備」。震災に乗じて勢力を拡大する左翼対策だという。
 ◆文科省による国立競技場補修費。支出された3億3千万円は「利用者の安全確保」「減災にかなう」と説明されている。
 ◆農水省による反捕鯨団体対策の補助金22億8400万円。反捕鯨団体の調査や南極で行う調査捕鯨を安全に行うことが、ひいては被災地の水産業の復旧支援につながるとされている。

 ご覧の通りその多くが、遠隔地での予算執行は回り回って東北復興につながる、というものだった。番組は、ドキュメントの意図を発信する意図からか、検証に協力した専門家の口から「被災地や被災者が口実として使われて集められたお金が必ずしも被災者にいかないという構図になっている」と言わせている。ドキュメンタリーのなかでも復興に心血を注いでいる被災者の「捨てられているかもしれない」「切り捨てられる」などの不信の声や、医師からの「被災地に復興費が届いているという実感はない」「病院や診療所に再建資金が十分に届いていない、被災者が十分な治療を受けられていない。」という悲痛な声も紹介している。

□確信犯

 何でこうなるのか。
 普通であれば予算の流用は違法であり犯罪だ。その抜け道をあらかじめ用意しておくというのが、裁量行政を手放さない官僚の常套手段になっている。抜け道というのは、政府の復興基本方針に「活力ある豊かで活力ある日本全体の再生」という文言が入っているからだ。増税などで確保した財源を狙う政官業の利権ムラが、先行きを見越して復興財源を食い物にするために、あらかじめそれが可能になるような文言を組み込んでおいた、というワケなのだ。東北復興のためだから、と実現した増税。その実、利権ムラの面々にとっては当初から通常予算外の掴み金ぐらいにしか考えていなかったのだろう。「東北復活・被災者支援」は単なる口実として使われているのだ。
 その上で説明に登場した官僚の発言が、「確信犯だということを確信させられる」滑稽というか狡猾なものだった。聞いてみよう。
 ◆経産省経済産業政策課 広瀬 直課長
 「被災地への経済効果そのもの自身を定量的に把握するというのは難しいが………、効果が上がってくることによって日本経済全体の再生と被災地復興に大きな効果が出てくるものと期待しています。」
 ◆国交省道路局 川村英知企画専門官
 「全国防災対策としてまだ手当されていないところで工事を実施した。……三連動地震を全国の教訓として……地震対策として実施した。」
 ◆外務省アジア大洋州局 新美 潤 参事官
 「外観からみれば外国の青少年が日本に来ているという意味では変わらないが……震災・復興・風評被害、日本に対するイメージ改善という政策目的にあったプログラムとして今回の予算を頂いたわけでして……」

□利権構造

 まさに「風が吹けば桶屋が儲かる」たぐいの官僚的論理(こじつけ)以外の何物でもないだろう。全国の人々による東北への連帯感が土台になっていた復興増税、その貴重な財源を既得権に群がる政治家、官僚(外郭団体)、業界(ブローカー)など、当事者みんな丸ごと復興財源に群がっている様子がはっきり浮かび上がる。まさに復興財源の簒奪だという意外にない。当然、その予算を引っ張ってくる政治家や官僚の力・存在感は高まり、業界との癒着は深まる。
 この手の話は,公的建築物の再建やがれき処理、それに原発事故による除染作業など、被災地に投入される復興予算にも当てはまる。それらを地元業者が受注できれば、それだけ地元の復興につながる可能性が高い。が、現実は事業能力や効率などを根拠に、東京の大手ゼネコンなどが一括受注するケースが多い。地元の中小零細企業はその末端に連なるのが精一杯だとの現実もある。「復興利権」という言葉も震災当初から飛びかっているように、その実際の姿は、真の東北復興を限りなく遠いものにしている。
 一事が万事このような有様なのだ。東北大震災では多くのボランティアなどが復旧・復興支援にはせ参じた。それ以外の人でも、東北復活のためならと、復興増税や東北への集中投資を受け入れている。なのに現実は復興財源のぶんどり合戦である。これでは復興財源を食い物にしているといわれても返す言葉もないだろう。東北復興という美名の背後で進行している現実は、まさしく財政に巣くう談合・利権構造の再現なのだ。
 NHKによる報道にはテーマ選択や視点など様々な問題点を含んでいるとはいえ、今回のドキュメントチームは可能な最大限の使命感を発揮したといえるだろう。今回のようなテーマは政官業癒着構造に切り込む意味合いを持っているからだ。とはいえ、一部のキャスター(鎌田 靖)や取材記者の使命感だけに頼って済ますテーマではない。本来は全国政党や労組の全国組織などあらゆる職場や地域に根を張る組織が、地域の様々な自立したグループと連携して果たすべき仕事であるはずだ。(廣) 案内へ戻る


コラムの窓・・・「安保村」

 本紙「ワーカーズ」の471号(9月1日号)で取り上げられた、元外務省情報局長だった孫崎享氏が書いた「戦後史の正体」は、沖縄でも注目されよく売れてベストセラーになっている。
 この本の企画・編集は「書籍情報社」。「書籍情報社」と言えば、あの話題の本「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていることー沖縄・米軍基地観光ガイド」(以下、「沖縄・米軍基地観光ガイド」と呼ぶ)を出版した会社である。
 「沖縄・米軍基地観光ガイド」も、沖縄で大変注目されベストセラーになった本である。
 書籍情報社代表の矢部宏治氏は、この本の出版後の顛末をつぎのように述べている。
 「写真家の須田槙太郎さんとコンビを組んで、沖縄にアパートを借り、半年かけて、すべての沖縄米軍基地(全28基地)をたんねんにめぐり、撮影し、地図や解説を加え、鳩山政権の崩壊という追い風もあり、大きな手応えを感じ、自信満々で出版した」
 ところが出してみてビックリ。はじめは本土の書店にほとんど置いてもらえなかったいう。
 「取次」(出版界用語で、本を書店に流してくれる問屋のこと)の社長からは、「この本は売れない。沖縄を含めて配本は200部」と言われる。
 さらに、業界の先輩からも「沖縄関係の本は、沖縄戦は売れるけど、基地はほとんど売れないんだよ」と言われ、大ショックを受けたと。(沖縄での取材費などを考えれば、大赤字になり倒産かも!)
 ところが、まったく思ってもみないことが起こりはじめる。
 著者として無名なのに「うちの書店でトークショーをやりましょう」とか、本屋でない人から「500冊も注文があり、ネットで売ってくれた」など、見知らぬ人たちが手をさしのべてくれ、廃業の危機をなんとか脱したと。
 もうひとつビックリしたことは、本の中で著作を紹介した学者の先生方に本を贈呈すると、丁重な礼状が返ってきたこと。
 そこで彼は、なぜこの「沖縄・米軍基地観光ガイド」の本に限ってそういうことが起こったのか、を調べたという。
 「その謎を解くカギは、どうやら先生方の話によく出てくる『安保村』という耳なれない言葉にあるようだ。ちょうどこの本が出たころ東京では、福島原発事故の関係で『原子力村』という言葉がよく使われるようになった。つまり電力会社や東大教授、官僚、マスコミなどが一体となって作る『原発推進派』の利益共同体のことである。『安保村』というのはそのスケールを大きくしたような存在で、『安保推進派』が集まって作る利益共同体のこと。『安保村』の言論統制は大手マスコミを中心に、ほぼ日本全体におよんでいる」
 矢部さんは自分で本を出してみて、「『沖縄・米軍基地観光ガイド』というのは、この安保村にとってもっとも都合の悪い、本土に伝わっては困る情報なのだ」と述べている。
 よく「沖縄と本土の温度差」が指摘されるが、その温度差の一つの原因として沖縄で起こった米軍基地の事件・事故が本土ではほとんどニュースにならず、本土に知らされないという言論統制がある。
 2004年8月13日、米軍ヘリが沖縄国際大学本館に激突炎上した墜落事故の時も、本土の一面記事は「ナベツネの巨人軍オーナー辞任」記事であった。
 今回の新しい歴史双書(「戦後再発見」双書)は、「反安保村」の先生方を結集して配本していくようだ。今後の配本が楽しみだ。(富田英司)


『連帯経済の可能性』ラテンアメリカにおける草の根の経験(法政大学出版局)
アルバート・O・ハーシュマン著

『協同の力で復興を』東北の豊かな資源を生かす(変革のアソシエ) 大内秀明他編

 著者のアルバート・O・ハーシュマンとは「一九一五年ベルリンに生まれ、二〇世紀の激動の歴史を生き抜いてきた亡命知識人としてしられている。ベルリンでの反ナチ運動、スペイン共和国政府義勇軍、ムッソリーニ支配下のイタリアにおける反ファシズム組織に参加したほか、ナチスに狙われた科学者・芸術家・知識人らをヨーロッパからアメリカに亡命させる緊急救援委員会で活動、さらにはアメリカ陸軍に従軍し北アフリカ戦線に派遣されるなど、異色の経験を持つ」(本書「解説」より)。
 本書が出版されたのが一九八四年であるから、約三〇年前と言うことになる。本書は副題にあるように、当時のラテンアメリカにおける協同経済の体験をまとめ伝えるというささやかなルポルタージュである。
 この本が最近日本で翻訳されて読まれているのにはもちろん理由がある。グローバリズムという市場経済の大波が、世界各地でさまざまな社会問題を引き起こしているからである。それは、福祉の切り捨て、失業の増大、社会的格差の拡大、先進国をも巻き込んだ貧困や飢餓の問題でもある。
その上日本では、東日本大震災さらに福島原発の大事故が発生した。その復興の過程で、企業誘致による「復興」なのか、それとも地域社会に即した「協同的経済」の成長による復興か、といった選択が問われているからだ。* * * * * * * *

 ラテンアメリカに話を戻せば、「政府主導の経済開発」という二〇世紀後半の事象が、自生的な地場的経済を浸食したり、さらには大地主や政府が住民を追い出したり。ところがかえってそれらの過程からなんらかの「協同の経済」が蘇生することをしめしている。
 そればかりではなく、このような地域の地場的経済は、相互に「資本」であるよりも、「必要な物や労働力を相互に提供する」という別な原理で動いていることが理解できる。
 また、本書で一番学べるところは、このようなささやかなローカル経済の「支援」や「援助」の具体的方法である。通常の政府・自治体レベルでの発想では、資本や企業を導入すること、あるいは公共建築物の建築である。(宮城県知事主導の震災復興路線をみてほしい。)そのために鐘や太鼓で資本を呼び込もうと優遇する。ところがこのことは地場的経済を壊滅させ、それだけではなく進出企業も収益の悪化があればすぐに撤退するという現実である。公共事業も「一過性」の利益しか地元にもたらさない。多くの例で町は以前にも増して貧困化する。
 現に存在する素朴な地域経済のいっそうの発展は内在的になされなければならない。地場産業や地域社会にとって次は何が求められているのかを考えることから始まる。そして、それは本書で見られる様に、意外にも教育や地域文化の向上を含む広範なものなのである。そのためには、支援は単にカネをばらまくことではなく、人々の協同性を生かした行動が大切なのである。非資本的な経済システムも、ゆっくりではあるが自立的に成長しうることが本書で示唆されるのである。
 また、ハーシュマンは、人間が協同行動を活発化させるのは自然の脅威にさらされたときや「社会的攻撃」をうけたときであるという。前者は、東日本大震災とその後の協同経済の一定の盛り上がりを想起させるし、後者は「グローバリゼイション」「新自由主義」などの「開発経済」を社会的攻撃とみなせばまさにその通りなのである。このような興味ある考察も光っている。* * * * * * *

 『協同の力で復興を』は、去年秋の仙台でのシンポジウムの報告集である。経済学者、協同組合、ボランティアグループ、労働組合などの震災復興への積極的な関与が注目される。差し迫った問題から長期的な社会変革も論じられている。
 本書において、宮城県村井知事がごり押しする「漁業特区制度」に再三論及されている。この問題は、宮城県村井知事と地元の伝統産業との闘い、というばかりでなく「復興をめぐる二つの道」の対立を象徴していることがよく理解できる。
 その他には協同組合の原点回帰という感想も持つが、私がとくに注目したのは「ワーカーズコープ」の活動である。まさにハーシュマンの言葉のように、行政の「ばらまき支援」とは一線を画した地域に根ざした労働=仕事づくりの地道な活動が紹介されている。紙面の関係で具体的紹介は省くが、地域や仮設の中に入り込み懇談会をかさねて、職業訓練等の事業を創り出してゆくことが報告されている。
* * * * * * * * * *
 これらの報告を読めば、「協同経済」の育成戦略は、当面は完全に劣勢であるがかならずしも資本に対して敗北を運命づけられているのではないと、あらためて感じる。
 なぜなら、資本とは@利潤中心であること。だからそれは地域の住民たちのためのものではない。そこからさらに以下の諸点が明らかになるだろう。
A資本は、労働者や地域住民の生活を支える「社会的責任」「公共的意義」に乏しい。
B資本の本性は「国際性」(流動的)であり、地域性(固定的)ではない。
B強大に見えても資本は有限(限定的な環境でしか持続できない)であり、だから神経質で不安定である。
 わかりやすく言えば、資本は日当たりのよい肥沃な環境でしか生きてゆけないのである。しかし、この様な条件の整った場所はそんなに存在しないのである。日陰の荒れ果てた土地で成長を始めた「協同の経済」は、そこで必ずや進化を遂げ、やがては資本の牙城をも席巻するであろう。(阿部文明)案内へ戻る

 
読書室 松尾匡氏著『新しい左翼入門 相克の運動史は超えられるのか』講談社新書  840円

国有化派とアソシエーション派の二大潮流の相克の中で発せられた地道な提言

 著者の松尾氏は、故小室直樹氏も高く評価した故置塩信雄氏の弟子筋に当たる数理派マルクス経済学者であり、現在は立命館大学の教授をしている。
 この事から分かるように松尾氏は、学者としては“異端”のマルクス経済学者ではあるが、実践家としては知る人ぞ知るアソシエーション派の闘士でもある。彼のホームページには、ソ連=国家資本主義の立場から、社労党系組織としてワーカーズがあげられ、ワーカーズの国家資本主義論の論文が2本公開されている。皆様も一度見てはどうだろうか。
 この本で松尾氏は、戦前・戦後の相克の運動史を、昔NHKで放映された「獅子の時代」の中の加藤剛氏扮する薩摩出身の官吏=刈谷嘉顕と菅原文太氏扮する会津下級武士の平沼銑次の二人が、対立しつつも友情を抱き、それぞれの道を貫いていく話に見立てて戦前・戦後の運動史を展開していく。
 つまり日本の世の中を変えようとする運動の歴史において、理想や理論と合わない現状を変革する道を「嘉顕の道」とし、常に抑圧された大衆の中に身を置き行動する道を「銑次の道」として、松尾氏は戦前・戦後の運動史のその相克を捉えたのである。
 この問題意識は、丸山眞男氏の『日本の思想』の中で論じられた「理論信仰」と「実感信仰」とに通じるものがあると私は理解した。
 こうした問題意識から戦前と戦後の運動史の相克を以下のように読み解く。
 第一部第一章は、キリスト教社会主義対アナルコ・サンジカリズム――明治期
 第二章は、アナ・ボル抗争――大正期
 第三章は、日本共産党結成と福本・山川論争――大正から昭和へ
 第四章は、日本資本主義論争――昭和軍国主義時代
 第五章は、戦前における「下から」の事業変革路線
 第二部第六章は、共産党対社会党左派・総評
 第七章は、ソ連・北朝鮮体制評価の行き違い軌跡
 第八章は、戦後近代主義対文化相対主義――丸山眞男と竹内好
 紙面の関係でここで論じられている個々の論点には立ち入らないことにした。
 この本で松尾氏が本当に展開したい事は、第三部「『二つの道』の相克を乗り越える」に書かれている。
 第九章 市民の自主的事業の拡大という社会変革路線
 第十章 「個人」はどのように作られ、世の中を変えるのか
 これら二つの章では、「革命的意識」や「前衛党」のように人々に押し付けられた「嘉顕の道」ではなく、ましてやそれに変わって登場する形式的な「話し合いと説得」でもない。まさに「銑次の道」の苦闘の中で確認されたように、真の理論は運動の中から出てくるものであり、しかも出来る事とは「関係者によって責任を取れる範囲からの変革」でしかないと松尾氏は展開する。当然ながらそうした変革の局面でも、相克は生まれる。その場合はその二つの道を地道に行き来していく事だとして、具体例として自著の『市民参加のまちづくり[戦略編]』を紹介している。ここで強調されなければならないのは、「個人」を否定するのではなく、肯定する事であり、生かす事である。そしてそのような「個人」が江戸時代に生きていた事を松尾氏は発見した。そこから松尾氏は、幕末の大儒である佐藤一齋は武士を軟弱にする「心学」と軽蔑したが、江戸時代に無視され続けていた女・子供にも入塾を許した提唱者の石田梅巌の「天の子」「商人道」等の思想を再評価し、自らも『商人道のススメ』等を出版したのである。
 大事な事は、「個人」を事業や組織の中に埋没させない事なのだと松尾氏は展開しており、宙空の「客観法則」指向が諸悪の根源だと指摘する。ヨーロッパでもルネッサンスにより、「個人」が自立した事で近代社会が始まった。しかし日本は今でも公共と「個人」=私とは、対立概念なのである。
 そもそもマルクスのいう「疎外なき社会」とは、理念や制度を一人歩きさせ、それを目的化して生身の個々の人間の都合を手段として踏みにじる社会とは対極にある。
 この二つの章と「最初に」と「あとがき」は、熟読に値するアソシエーション派の実践から生まれた松尾氏の体験が丁寧に語られている。確かに地道ではあるが参考にはなる。
 『アソシエーション革命宣言』を発刊した私たちからすれば、実に多様な考えが述べられている点で、是非読者にも読んで貰いたい1冊である。     (直木)案内へ戻る


投稿 北海道旅行記  見て聞いて驚いた 
  
「ここは小泉ロードと言われています」〜高山植物とアスファルトの道
―花ガイドの言葉にみな一様に怪訝そうな顔。高山植物の群れの中に突然現れたアスファルトの道。彼は「おかげで歩きやすくなりました」と付け加えたが、高山植物が咲き乱れる小道が無残にアスファルトで固められている。前年(2011年)7月、武部元幹事長の応援で立ち寄った小泉元首相が歩くために舗装されたという。
 8月下旬、友人と行った礼文島で目にした光景だ。「貴重な植物を取らないように、踏みつぶさないように」と細心の注意をして歩く国立公園内のおきてが一人の政治家のためにばっさり踏みにじられたわけだ。胸が痛む。かつて沖縄でタクシーの運転手の説明とだぶった。「天皇陛下が来られて、舗装されて道路が良くなったけれど、伐採で自然も破壊されたのですよ」。
 
 「風!で7割がまかなわれています」〜風力発電の丘―稚内・宗谷岬
 稚内・宗谷岬へ向かうバスの車窓から、丘の上に屹立する風車の威容に圧倒される。悩まされてきた強風を逆手に取って風力発電に挑み、その象徴として並ぶ風車の群れ。今では74基。
 太陽光発電と合わせ、この地の消費電力の90%は自然エネルギーとのこと。さらに生ごみや下水道汚泥からのメタンガス発電にも取り組み、いまでは独自の蓄電システムも進んでいるという。
 稚内市、わずか人口3万8千人のこの町から、地産地消のエネルギー革命ができるのではないか、と考えるとわくわくする。しかし、問題もあるという。生まれたエネルギーはすべて北海道電力を通さなくてならないため、せっかくの電力をすべて引き受けてもらえないとのこと。なんとかならないか。
 
 黙殺する区役所〜危険なすべり台の下
 恥ずかしながら、私はずっと原発への容認派・黙認派であった。3・11をきっかけに、考え方を改め、反原発の署名や集会、デモに参加をしている。そして今年の一月から私の住む神奈川で毎月、仲間たちと放射線量の測定を始めた。公園のケヤキ根元や滑り台下など、他の自治体の規準なら除染対象になる場所がいくつもある。測定データをもとに、注意を呼び掛ける立札の要望を出しているが、区役所は無視し続ける。1月から放射線量が一向に減っていないことにも驚かされる。孫や子供たちの世代まで放射線の災禍をのこしてはならない。
 小泉ロードに風車の群れ、そして放射線量。この国の環境政策はどこを向いているのか。(横浜 石井)


石原都知事の火遊びによる尖閣列島の買い上げ騒ぎの呆れた決着

 この4月にアメリカのヘリテージ財団の講演会で、石原都知事が「東京都が尖閣列島を購入する」とぶち上げ、帰国後始めた募金活動により12億円ほど集まったのですが、結局は東京都ではなく国が購入する事になりました。寄付金は宙に浮いてしまったのです。
 9月5日の産経新聞によると何と約20億5千万円で購入するとの事です。これまで国が地権者に支払っていた賃貸料は幾らだったのかとの問題意識から私がインターネットで調べてみました。そうすると既に「週刊金曜日」に全く無駄だとの視点から賃貸料についての記事が出ていました。それによると賃貸料は、約2451万円でした。
 ゆえに国が地権者から購入した価格は、賃貸料の80年分に相当します。隔絶した離島にそれだけの価格がつくとは、また常々国は信用できない東京都に売りたいと石原都知事とは青嵐会以来のつきあいを誇っていた“国士”然とした地権者の土壇場での二股を掛けた地上げ屋同然の行動には本当に驚かされました。世の中には、こんなに立派な“国士”もいるのですね。「類は友を呼ぶ」とは古今の名言ではあります。
 石原都知事の火遊びがなければ、今まで不要不急な尖閣購入がこんなに高い買い物にはならなかったのではないでしょうか。まさに万死に値する愚行です。   (米倉)案内へ戻る


投稿ー心に響くメッセージ

 前号で宮森常子さんから「偲び草」で山中喜美子さんの紹介がありました。偶然、振り込み伝票を整理していたら、山中さんのメッセージが残っていました。
「大きく逆流する渦の中で粉々に粒子に分解されながらも、いつの日か再び連なって『人間』回復を計りたい・・・と思います。寒さ厳しき折柄ご自愛下さいますように」2004・8月
「少しですがお役立て下さい。寒さ厳しい折、御自愛くださいます様。住基ネット大阪高裁では差し止め勝訴しましたが、即、上告となりました」2006・12月
「残暑お見舞い申し上げます。今年も敗戦記念が巡ってきました。都市は空襲をうけ列島は焦土と化していました。そして広島長崎は実験場となり、人々は焦熱地獄の中で亡くなりました。年とともに風化していくようです2007・8月」
「3月6日、上京致しましたが予想通り完敗でした。憲法の形骸化を実感しました。ものものしい儀式となりましたお粗末! 1000円貧者の一灯」2008・3月
 長い病床の末、今年7月に逝去された山中喜美子さん。もし、お会いできていたら住基ネット裁判のことも教わることが出来たと思います。戦争を体験されたからこそ、終戦でなく敗戦を位置づけられるのだなあと、感じました。あらためて、長い間の「ワーカーズ」の購読ありがとうございました。 (恵)


投稿 福島からの便り−わたぼうし

 連日30度を超える暑さが続いていますが、体調管理はできていますか? 私の家は福島市の郊外にあり、市内よりは1〜2度低いのではと思われますが、それでも35度を超えると家の中でも汗が流れます。しかし、水分補給(+塩分)すれば汗をかくのはちても体に良いようです、
 常にエアコンの中で働く友人は体調不良を訴えていましたが、ついに夏かぜと下痢に襲われました。都会ではエアコンの室外機でさらに温度が上がるので、悪循環となってしまいます。できるだけエアコンに頼らないために、首に保冷剤を巻いたり、工夫をして上手に汗をかいて体から老廃物を出すのが夏の役割と思いますが、いかがでしょうか?
 原発事故以来まだ帰れない人がたくさんいます。また、線量が低くなったとはいえ、まだまだ放射能の高い地区に住民を帰還させる動きもあり、帰る人、帰らない人、帰れない人、皆バラバラです。どうか二度とこんな事故が起こりませんように祈るばかりです。      2012・9月  あっぷる・ファーム後藤果樹園


色鉛筆・・・ 出生前診断に思う

 妊婦の血液検査で胎児が染色体異常のダウン症かどうかほぼ確実に分かる出生前診断を、国立成育医療研究センターなどが今月にも臨床研究として始めようとしています。
 臨床研究は米国の企業が開発した検査法を利用します。子どもの染色体異常のリスクが高まる三十五歳以上の妊婦などが対象となり、わずかながら流産のリスクがある従来の検査法と違い、簡易で一般的な検査として安易に広まる可能性もあります。そのことが命の選別のハードルを低くする恐れがあるのです。
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 ダウン症は二十三対ある染色体のうち二十一番目が通常より一本多くあります。「一本多い染色体には優しさと可能性が詰まっている」。母親からこう励まされた鹿児島県の岩元綾さんは手記を発刊し、講演活動で出生前診断について「命を選別し、障害者を否定することになる」と懸念を示しています。
 いま放映中のNHK大河ドラマ「平清盛」の題字を書いた金沢翔子さんも「ダウン症の書家」として知られています。
 ダウン症の子どもたちは、優しい瞳を持っていて、色々な可能性をもっています。
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 欧米ではこの検査が既に実施されており、いずれ国内に入ることは時間の問題です。その前に日本人のデータを集め、検査に当たっての基準づくりが臨床研究の目的です。
 検査が容易なため、異常が見つかれば妊娠中絶が増える心配があります。しかし、生まれてくる命はその子のもので安易な中絶につながってはならないと感じます。
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 「異常」がみつかったケースで、産むという選択をした場合は当事者任せにせず、医療から福祉へつなぎ社会全体で状況にあった支援体制を整えるべきだと思います。逆に中絶を選んでも、しっかりとした説明やカウンセリングが必要で、医療者側は妊婦に対し丁寧に対応し、説明する責任とそのための体制がもとめられると思います。
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ところで文部科学省では、障害児は介護されるだけではなく、職業的訓練を受け社会参加につなげていこう、そのためにインクルーシブ教育をすすめていこうと提言をだしています。
 ところが、現実は自立支援法の改正などを受け、障害者は利用者としてお金を支払う施設より、自宅にいた方がいいという方も残念ながら増えています。
 どんな子どもも、迷いなく産み育て、みんなと一緒に成人式を迎え、みんなと一緒に生きていけることができる社会づくりを進めていくべきだと感じます。(弥生)案内へ戻る


編集あれこれ
 李韓国大統領の竹島上陸と中国活動家の尖閣上陸により急速に台頭した愛国主義に対しては、前号の第1面と第2面から第4面の「空騒ぎの領有権騒動」及び第10面の読者からの手紙――「魚釣島に上陸した怪しげな“左”右の面々」によって、ワーカーズは8月下旬の政治状況に対して的確な批判が出来たと総括しています。
 今後ともこの種の政治状況には、組織的で機敏な対応をしていく所存です。
 第5面から第6面には、オスプレイ配備を巡る「沖縄通信」が掲載されました。力作なので読者の熟読を期待します。
 第8面では、現下でのベストセラー『戦後史の正体』に関する書評が掲載されています。折しも9月8日には、NHKで吉田茂首相のフィクション・ドラマ「負けて勝つ」の第1回目が放映されましたが、こうした視聴者“洗脳”番組に有効な反撃をするためにも、孫崎氏の本の熟読が要請されていると考えるものです。
 その他、「8月の中国」「色鉛筆」「コラムの窓」で多彩な話題が提供できたと自負しております。特に読者からの手紙は、先に紹介したものの他にも4つが掲載され、ワーカーズ編集者の編集意欲を高めて頂きました。ありがとうございました。
 今後ともワーカーズをよろしくお願いいたします。 (猪瀬)
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