ワーカーズ474号 2012/10/15    案内へ戻る

好戦派の跳梁を許すな!──懲りない面々を封じ込めよう!──

 尖閣諸島や竹島をめぐる好戦派の無責任な火遊びが増長している。
 石原都知事による尖閣購入発言や李明博韓国大統領による竹島上陸に端を発した日中韓の間での今回の領土紛争。野田内閣によるノー天気な尖閣国有化も相まって、抜き差しならない局面を招いている。
 野田内閣は紋切り型で官僚的な「固有の領土」論で乗り切れると勘違いしている。が、波紋は右翼世論や政府間のつばぜり合いを超えて、中国では反日デモや日系企業への襲撃にまで加熱している。
 当初の石原都知事の尖閣購入計画それ自体は、個人的な政治パフオーマンスに過ぎない。が、日本での解散総選挙、中国での指導部入れ替えの5年ぶりの共産党大会、韓国での大統領交代というそれぞれの国内事情も絡んで、日中・日韓間での紛争が一気にエスカレートした。
 紛争を好機とばかり、政界では好戦派による強硬発言が飛び交っている。自民党総裁選挙では、安倍、石波候補などが「領土は断固守る」「集団的自衛権の行使」「海兵隊の創設」「戦う用意」などと声高に叫んだ。とりわけ次期首相の芽も取りざたされる安倍晋三は、「やり残したことがある」などとして、戦後(平和)体制の打破、中国包囲外交の推進、改憲等々、保守回帰や好戦派の先導役になっている。
 安倍自民党が踏み込もうとする政治は、苛烈で悲惨なあの戦争の教訓を帳消しすることにある。戦争責任を認めたくないだけではない。あの戦争を反省する気持ちなどさらさら無い。反省するのはただ〝戦争に負けてしまった〟ことだけなのだ。
 こうした意識はなにも安倍など自民党総裁選挙を争った面々だけ限ったことではない。石原都知事や橋下大阪市長、あるいはそれに連なる右翼ジャーナリズムやネット右翼など、ヒステリックで無責任な強硬発言を繰り返す面々はみな同じ〝領土ムラ〟ともいうべき好戦派なのだ。
 〝領土ムラ〟はなにも自民党に限ったものではない。民主党にも好戦派の主張は拡がっている。前原や松原だけではない。保守主義に傾斜し、南京大虐殺を否定するかのような発言をしている野田首相自身も同根なのだ。その先に夢想するのは,悔い改めることのない国家至上主義、軍事大国化という野望だろう。
 ナショナリズムを政治的に利用するのは、中国・韓国の支配層にとっても同じだ。戦争の犠牲や被害を一身に受けざるを得ない日中韓の労働者や普通の人々の連携した闘いで、好戦派の野望を封じ込めていく以外にない(廣)


「沖縄通信・NO27」・・・オスプレイ沖縄配備を強行!

 10月1日、オスプレイの沖縄配備拒否の声が沸き上がり、普天間飛行場ゲート前で座り込み抗議行動をしている中、米海兵隊はオスプレイの配備を強行した。
 1日に岩国から計6機が飛来し、2日には3機が飛来し、6日に残りの3機が飛来して、配備予定の12機が普天間飛行場にそろった。
 4日には、さっそく沖縄での飛行訓練を開始した。伊江島補助飛行場や本島北部の北部訓練場、キャンプ・ハンセンなどを飛行した。在沖米海兵隊は「試験飛行ではなく、スケジュールどおりの所定の訓練である」と回答している。

1.嘘と欺瞞の安全策・・・初日から合意ほご
 9月19日、森本防衛大臣や玄葉外務大臣らが、「日米政府はオスプレイ配備の安全策に合意した」と胸を張って言ったが、4日の初飛行で早くも「安全策」の化けの皮がはがれた。
 オスプレイの飛行ルールをめぐる日米合意の核心は①住宅密集地上空の飛行を避ける②ヘリモードでの飛行は米軍施設内とする、点にあった。
 だが、オスプレイは連日、那覇市、浦添市、宜野湾市、中城村の学校や病院などの市街地上空をヘリモードで飛行している。
 初飛行の1日、宜野湾市上大謝名地区でのオスプレイによる騒音が89.2デシベル(騒々しい工場の中の騒音に匹敵する)に達したことが判明。
 4日、5日の飛行訓練では、名護市や金武町、宜野座村の学校周辺を飛行。名護市では8時すぎにオスプレイ1機が国立沖縄工業高等専門学校裏の米軍キャンプ・シュワブ内に着陸した際、学校グランド上空を通過した騒音の影響で一部の授業が中断した。
 学校関係者は「子どもたちが、運動場にいたら墜落しても逃げられるが、教室に墜落したら逃げられない」と心配していたと報告。県民の不安(墜落の恐怖)は広がるばかりである。
 米軍は抗議する県民をあざ笑うかのように、「安全策」を無視して好き勝手に本島上空での飛行訓練を繰り返している。
 野田首相は「住民の生活に最大限の配慮を行うことが大前提」とコメントしたが、沖縄の現実を見れば、それはまっかな嘘で県民の反対を押さえるための欺瞞であった。政治責任は重く、その無責任な態度は許せない。

2.オスプレイ配備阻止の闘い
 ・9月26日(水)オスプレイ配備に反対する抗議行動が普天間飛行場の野嵩ゲート前で始まる。
 朝7時から8時まで、主催者である「県民大会実行委員会」の呼びかけに応じて、県選出の国会議員や県内市町村長のほか市民も入れて約300人が結集し抗議集会が開かれる。その後、市民団体が中心となり夜8時までゲート前の座り込み行動を展開する。
 ・9月27日(木)朝7時から8時までの抗議集会後、野嵩ゲート前に座り込んだ市民約100人が、米軍の提供区域内に入り、警察隊や基地警備員ともみ合いになる。オスプレイ配備に怒る市民たちはゲートに向かって行進するなどの抗議活動を展開し、スクラムを組んでゲート前に座り込み、ついに野嵩ゲートを封鎖した。その後、ゲート前に車両4台を並べ封鎖を継続することに成功する。
 ・9月28日(金)朝7時から8時まで野嵩ゲート前の抗議集会後、市民団体約130人が大山ゲートに移動し、9時すぎより大山ゲート前に座り込み行動を展開する。これに対して、県警の機動隊が座り込み参加者をごぼう抜きの強制排除を開始する。何度も激しいもみ合いが続き、年配の女性が気絶して救急車で搬送される、機動隊との衝突で2人が肋骨にひびが入るなど、けが人が続出する。機動隊と衝突しながらも「オスプレイを阻止するぞ!」と声を上げ、悲壮な決意で座り込み行動を続け、27日の野嵩ゲートに続き、ついに大山ゲートも封鎖することに成功する。しかし、台風が接近し危険を避けるために、夕方6時半にいったん解散し大山ゲートを開放する。
 ・9月29日(土)台風が荒れ狂う午後4時すぎ、市民団体は車両4台(その後、支援者の車両8台もかけつけ計12台)で大山ゲート前を封鎖。同時に、佐真下ゲート前も車両2台で封鎖する。これで、米軍普天間飛行場の主要3ゲートが市民団体の直接行動によってすべて封鎖された。
 ・9月30日(日)米軍は主要ゲートを全てを封鎖され基地機能がマヒし始めたこと、明日(10月1日)にはオスプレイが普天間に飛来する事もあり、県警にゲートを封鎖する市民らの排除を強く依頼する。米軍に忠実な県警は前日よりもさらに機動隊を大量動員して、力ずくの暴力的な強制排除に乗り出した。
 午後1時半、野嵩ゲート前の車両付近に座り込んだ市民らに対して、機動隊が包囲し、ごぼう抜きの強制排除を行う。さらに、排除された市民らは機動隊員に取り囲まれて監禁状態におかれる。車両の中にたてこもったメンバーに対しては「違法駐車」などを根拠にレッカー車で排除される。抵抗むなしく、増強された機動隊に排除され大山ゲートは封鎖解除されてしまった。
 県警はすぐに野嵩ゲートに移動する。危険を感じた市民団体も野嵩ゲートに結集し、すぐさまゲート前に座り込む。座り込んだ市民団体は県警責任者に「米軍の提供区域内での排除の根拠を示せ」と強く抗議する。
 夜7時すぎ県警は「米軍からの要請があった」との理由で、強制排除に乗り出す。座り込み者も車両の間に座り込み、激しく抵抗する。暴力的な強制排除の中で、年配者が気絶するなど救急車で5人も病院に運ばれる事態になる。さらに県警は、排除した市民らを機動隊バスの間に閉じ込め、3時間以上も狭い空間に監禁状態にした。
 その間、野嵩ゲート前に他の市民たちも集まり、「同じ県民として恥ずかしくないのか」との抗議の声、ゲートをふさいだ車両の排除が始まると、大勢の市民らが参加して搬出を阻止しようと体を張って抵抗する。激しい抵抗を続ける市民から「沖縄を返せ」の歌声が上がる、怒号も飛び交い、騒然とした雰囲気に包まれた。夜11時半、最後の車両が排除され、野嵩ゲートも封鎖解除された。

3.新たな闘いへ・・・「オスプレイ配備撤回」
 ゲート前で同じウチナー同士の市民と若い警察官が対決し衝突を繰り返している時、ゲート内の安全な所にいる米兵はその衝突をニヤニヤと笑ってみている。そうした米兵を見ると、本当に腹が立つ。
 一体誰を守る警察なのか?警察官は米軍のイヌか?日本政府はどこの国民の政府なのか?まさに日本は米国の「属国」である。この闘争を通じて、あらためてその事を痛感した。
 機動隊の暴力的排除によって市民12名がケガを負い、他の人たちも首や腰を痛め、腕には内出血のアザが残っている状態である。それにもめげず、1日早朝から大山ゲート前での抗議行動、野嵩ゲート前でも朝7時から夜8時まで抗議の座り込み行動を取り組んでいる。野嵩ゲート前を車で通る市民から激励や手振りが増えており、また毎日差し入れが届き、オスプレイ阻止の「力と心」が結集している。
 オスプレイ配備の阻止は出来なかったが、「オスプレイ配備反対」から、「オスプレイ配備阻止」へ、さらに「オスプレイ配備撤回」へと、闘いは着実につながり進んでいる。
 今回のオスプレイ配備の阻止闘争は、米軍普天間飛行場の主要3ゲートすべてを封鎖した。これは沖縄復帰から40年の長い歴史の中でも、初めての実力行使による事実上の基地封鎖であった。
 沖縄での基地運動は、日本政府への抗議表明の側面が強かった。しかし、今回は米軍基地そのものを標的とした点で、これまでとの運動と異なる。
 今後「オスプレイ配備撤回」運動が米軍基地の「全基地閉鎖」に発展する可能性を秘めていると言える。
    (富田 英司)案内へ戻る


竹島問題・天皇謝罪要求発言への共産党見解を批判する

竹島問題に関しての共産党の見解

 二0一二年九月十一日、「しんぶん赤旗」は、第五面のほとんどを使って「領土問題 日本共産党はこう考えます」が掲載されている。共産党の尖閣列島に関しての見解については「ワーカーズ」前号で既に批判済みであるが、その時に紙面の関係から意図的に触れなかった竹島問題・天皇謝罪要求発言に関しての日本共産党の見解を今回は批判する。
 まず「領土問題 日本共産党はこう考えます」から竹島問題に関して以下に引用する。

 竹島は日本海航海者の好目標であったため古くから日本人にも知られ、「松島」の名で日本の文献にも表れ、アワビやサザエなどの漁に利用されていました。しかし、この島の帰属は、文献的には必ずしも明確ではありませんでした。
 1905年、竹島でアシカ猟に従事していた隠岐島の中井養三郎氏から10年間の貸し下げが出されたのを受け、日本政府は同年1月の閣議決定で同島を日本領として島根県に編入しました。
 竹島はこれ以来、日本領とされてきました。51年のサンフランシスコ平和条約第2条a項も、竹島を、朝鮮に対して放棄する島の中に含めていません。それは条約作成の過程からも明らかです。
 こうした経過から日本共産党は、竹島の日本の領有権の主張には歴史的にも国際法的にも明確な根拠があると考えています。(中略)
 一方で、日本が竹島を編入した時期と、日本が韓国を植民地にしていった時期とが重なっているという問題があります。1904年には第1次日韓協約が結ばれ、韓国は事実上、外交権を奪われ、異議申し立てができない状況でした。竹島はその翌年に日本に編入され、1910年には韓国併合条約が結ばれています。(中略)
 韓国では国民の大多数が、「独島」(竹島の韓国名)が韓国の領土で、日本帝国主義の侵略で奪われた最初の領土だと考えています。
 そのもとで話し合いのテーブルをつくるためには、まず日本が韓国に対する過去の植民地支配の不法性と誤りをきちんと認めることが不可欠です。その土台の上で、歴史的事実をつき合わせて問題の解決を図るべきです。
 ところが日本政府は、1965年の日韓基本条約の締結にいたる過程での竹島領有をめぐる韓国政府との往復書簡による論争でも、今日でも、韓国併合(1910年)=植民地支配を不法なものと認めていません。

 この引用からも明らかなように、端的に竹島問題に対する日本共産党の立場は、尖閣列島と全く同様に日本の領土との立場をとっており、その上で領土問題の解決は「あくまでも歴史的事実と国際法上の道理にもとづき、冷静な外交交渉によって解決」すべきものとしている。その意味において、尖閣列島と同様に竹島問題でも日本共産党が、日本政府をしっかりと側面援助している実態が私たちにも確認できる。

竹島領有問題の歴史的経緯と現状

 確かに竹島は、韓国併合とほぼ同時期の一九0五年に島根県の一部として日本領土に編入された。敗戦後は、当初こそアメリカも竹島は日本領だとの見解を持っていた。しかし共産党は隠しているが、一九四六年一月二十九日の連合軍最高司令部訓令第六七七号の「日本と言ふ場合は次の定義による」の中で「日本の範囲から除かれる地域」として「(a)鬱陵島、竹島、済州島」と「竹島」を明記する一方、他方で一九五一年のサンフランシスコ平和条約の「第2章領域」では第2条(a)項で「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島、鬱陵島を含むすべての権利、権原及び請求権を放棄する」としたのだ。まさに日本外交の巻き返しによるアメリカの揺らぎではある。
 つまりアメリカは当初竹島を朝鮮に対して放棄する島の中に含めなかったが、敗戦による日本弱体の中で、一九五二年李承晩政権により一方的に竹島が実効支配され、五四年には軍事基地まで作られて既に約半世紀が経過し、実態は韓国領の様になっていたのだ。
 ところが二00八年七月、米国地名委員会は竹島が「どの国にも属さない地域」と突然に言い出した。その事に慌てた韓国は、七月のブッシュ大統領の訪韓時にそれを議題として取り上げる中で、七月三十一日に再度竹島を韓国領として確認したのである。この間の経緯については、孫崎享氏の『日本の国境問題』(ちくま新書)で確認できる。
 この決定的な時点で当時の自民党町村官房長官は、この事態に関して「あれこれ過度に反応する事はない」と静観してしまった。これらの経緯に関しては、日本共産党もまた同罪である。そしてブッシュ訪韓時の事実を知る日本人は、ほとんど皆無なのである。
 ところで共産党は、尖閣問題では駐日中国大使館へ、領土問題の解決については「あくまでも歴史的事実と国際法上の道理にもとづき、冷静な外交交渉によって解決」すべきだとの提言をわざわざ持参したのだが、駐日韓国大使館に対してこれと同様の行動をとってはいない。なぜなのか。この点にこそ共産党の「我一人正しい」とする真骨頂がある。
 再度「領土問題 日本共産党はこう考えます」から引用する。

 日本共産党の志位和夫委員長は2006年の韓国訪問の際、韓国要人と竹島問題で率直な議論を行った経験から「日本政府が、植民地支配の不法性、その誤りを正面から認め、その土台のうえで竹島問題についての協議を呼びかけるなら、私は、歴史的事実にもとづく冷静な話し合いが可能になると、これらの交流を通じて痛感したしだいです」と語っています。

 つまり志位委員長の訪韓時の感想が真実であるなら、日韓関係はほとんど修復不可能だとの判断がある、とこの文面からは私たちは読み取る事が出来る。実際の所、既に決着済みとする日本政府が、植民地支配を反省するなどという事が果たしてありえようか。
 こうした経過からは、日本共産党が竹島に日本領有権ありの主張には歴史的にも国際法的にも明確な根拠があるといっても、余り意味のない事だろう。現在の韓国の実効支配を許してきたのは自民党であり、領土問題を弄んできたアメリカだが、自民党は勿論の事共産党自身もその都度、的確な対応ができていたわけではない。共産党自身にも五十年問題、在日朝鮮人共産主義者の党からの排除等の深刻な党内問題が山積していたからである。
 共産党が自らの主張が本当に正しいと信じているのなら、日本政府にいわれなくても駐日中国大使館に押しかけていったように、さっさと駐日韓国大使館へ出向いて談判しないのか。全く不思議だ。今こそ自画自賛の野党外交を繰り広げていただきたいものである。

天皇謝罪発言への共産党の見解と天皇の藩屏への転落

 続いて「領土問題 日本共産党はこう考えます」から天皇謝罪要求に関して引用する。

 また、天皇の訪韓条件として日本の植民地統治時代の独立運動家への謝罪を求めた韓国の李大統領の発言(8月14日)について「不適切な発言だ」(2日放送のラジオ番組)と指摘。「(いまの)天皇というのは憲法上、政治的権能をもっていない。その天皇に植民地支配の謝罪を求めるということ自体がそもそもおかしい。日本の政治制度を理解していないということになる。日本政府に対して、植民地支配の清算を求めるならわかるけど、天皇にそれを求めるのはそもそもスジが違う」との立場を表明しています。

 この記事に関しては、「天皇への謝罪要求 大統領発言は不適切」との見出しが付けられていた。この記事は、共産党の本当の天皇評価が「問うに落ちず語るに落ちた」、実に驚くべき記事である。
 二00三年の第二十三回党大会で日本共産党は、天皇と自衛隊等の現状を承認して、天皇制の存続については将来の国民の決定に委ねた。その理由の根拠は、天皇が日本国憲法の中に位置付いている事、政治的な権能を有していない事だとしていたのである。
 すでに「ワーカーズ」では、日本政治に関して、昭和天皇の政治介入を具体的に解明した『昭和天皇・マッカーサー会見記』を読書室で詳しく紹介し、さらに読書室で『戦後史の正体』を書評する際、昭和天皇が吉田総理や嫌いな田中総理等の歴代首相を日常的に皇居に呼び、具体的指示を与えた事実を『昭和天皇の「極秘指令」』を論拠にして暴露した。
 それによると自民党の佐藤政権によって核拡散防止条約の調印が一九七0年に調印がなされたにもかかわらず、国会で承認されたのはそれから実に六年後の一九七六年だった。これが遅れたのは、自民党の主流派が核を保持したいが為であったが、これを批准させたのは昭和天皇の「極秘指令」受け、それを実行した衆議院議長の前尾繁三郎氏だった。
 この事は、昭和天皇が「敗戦後の日本が平和で繁栄する基本条件として、核を廃絶し核兵器を保有しない事を信条とされていた。それは『象徴天皇の覚悟』でもあった」と美化されてはきたが、実際には「アメリカに従属し続けたい」との決意でもあったのである。
 事実は小説より奇なり。昭和天皇はマッカーサーと執拗に会見をした。『昭和天皇・マッカーサー会見記』こそ今でも熟読に値する著作である。共産党には、勉強不足の一言を投げつけるべきだ。日本の労働者市民は一刻も早く天皇の廃位を追求する必要がある。
 こうした事実を棚上げした事で共産党は、天皇と天皇制を「左」から守り抜く藩屏へと、つまり労働者・市民と敵対するまでに政治的に転落してしまったのである。(直木)案内へ戻る


自治体議会舞台にした領土ナショナリズムの扇動に反撃を!

 千葉県流山市の9月議会において、保守会派が「我が国の領土と主権を守る意見書」を提案した。同種の意見書は、全国の自治体議会にも提案されている。
 中国の経済・軍事大国化、韓国の経済発展を背景に、二国の日本に対する発言力は格段に高まってきた。片や日本は、この二国から受ける風圧に対して、侵略戦争への真剣な反省もないままナショナリズムを対置し、また米国に寄りかかりながらこれをかわそうとしてきた。
 こうした中で再燃した竹島、尖閣問題を、自民党をはじめとする保守政党・政治家たちは、国民からの不人気を跳ね返す好機と見なしている。原発問題で国民から厳しく批判され、信用を大きく失墜したことへの鬱屈した心理を背景に、失地挽回の機会が到来したとばかりに、領土ナショナリズムを煽れるだけ煽ろうとしている。
 自治体議会での攻防の一端を知って頂くために、流山市議会での保守会派の意見書への反対討論を掲載する(末尾に意見書の一部を掲載)。 (流山市議会議員 阿部治正)

保守会派提案の「我が国の領土と主権を守る意見書」に対する反対討論

■尖閣、竹島、北方四島を日本の「固有の領土」だと主張することについて

 意見書案は、おそらく尖閣諸島、竹島、北方四島を念頭に置いて、「我が国固有の領土」だと主張しているのだと思います。
 しかし、これらの島々や岩礁群が、日本の領土であることは必ずしも自明ではありません。同じく、それらが中国、韓国、ロシアの領土だと言うことも自明ではありません。意見書が提起している領土・国境線問題を考えるときには、このことを率直に確認することが重要だと思います。
 もちろん、「事柄は自明だ」と主張する者は三国いずれの国の中にもたくさんいるでしょうが、それはもっぱら国内向けの、単なる政治的な言葉以上のものではありません。
 ある土地がある国の領土だと明確に言えるためには、最低でも次の条件が必要です。ひとつには歴史的に明白な証拠であり、ふたつには周辺国や国際社会の納得と承認です。
 しかし尖閣、竹島、北方四島についての、それぞれの国が主張する領有権については、歴史的にも曖昧な証拠に寄りかかっており、当然ながら当該国以外の諸国・国際社会からは承認を得られていないのが現実です。

 第一に、歴史的な根拠について考えてみます。
 例えば、尖閣の領有の歴史的根拠については、日本も、中国も、台湾もそれぞれの持論を展開しています。しかしいずれも一方的な言い分、曖昧な史料の寄せ集めにとどまっており、政治キャンペーンの域を出ておらず、歴史的根拠それ自体の力によって人を納得させるだけのものは提示できていません。それぞれの主張と史料を好意的に読み込ん見ても、せいぜい、この点については少しだけ、こちらの国の主張に分があるといえる程度で、領有権という決定的な権利を根拠づけるほどに強固な論拠は見いだせません。
 事情は、竹島、北方四島も同じです。特に北方四島については、日本もロシアも、元からそこに住んでいたネイティブの人々の存在を無視した議論をしているという点でも、問題です。
当事国はいずれも、「我が国の固有の領土」という言葉を使いますが、この言葉に逃げ込んでいること自体が、歴史的な根拠のあやふやさを逆に浮き彫りにしています。「固有の領土」という概念は国際法の中には存在しないばかりか、その言葉自体が矛盾した、意味をなさない言葉です。「固有の」とは「天然に存在すること」「元からあるもの」の意味ですが、領土とは、国家と同じく歴史的に形成されるものであり、「天然」「元から」ということはそもそもありえません。領土というものを、「固有の」という言葉で形容すること自体が、もうその議論の限界を明らかにしてしまっています。
 
 第二に、周辺国や国際社会の承認という点でも、三国の主張の頼りなさは明白です。尖閣、竹島、北方四島、いずれをとっても、国境線、領土としては、国際的には係争中のものと見なされています。
 尖閣は、米国でさえが、一方で日本の施政権が及んでいる以上安保条約5条の適用範囲と言いつつ、他方では日本の領土とは決して認めず、日中の間で係争中のものという立場をとり続けています。周知の通り、「施政権が及ぶ地域」と「領土」とは、似て非なる概念です。沖縄は戦後長らく米国の「施政権下」にありましたが、米国は沖縄を米国の「領土」とは言いませんでした。尖閣の帰属については、米国だけでなく、他の諸国も同様に係争中という立場をとっています。
 竹島は、米国でさえが地名委員会で竹島ではなく独島と表現し、韓国に帰属すると明白に述べています。もちろん、だからといって、我々が竹島=独島が韓国のものと見なさなければならないわけでありません。独島が韓国の領土だということについても、確たる根拠や広い国際的承認もありません。
 北方四島は、サンフランシスコ平和条約で日本が放棄した千島列島に含まれることは明白です。言うまでも無く、サンフランシスコ平和条約は、戦後国際秩序の大前提です。もちろん日本はサンフランシスコ平和条約を相対化し、それに異議申し立てをすることは出来ます。しかし「固有の領土」などと言いはることは、国際法を尊重する立場に立つならば、できるはずがありません。

■一番大事なことは、関係諸国民の利益。そのためには、問題の理性的取り扱いが求められている

 国境線問題、領土問題に関わるときに一番大切なことは、問題を理性的に取り扱うことです。感情に走らないこと、同じことですが、一方的で曖昧な根拠を振りかざして大きな声をはり上げることは慎むことが重要です。
 第二に、紛争の激化を誘うような措置をとらないこと。例えば、これまでに事実上の了解事項、あるいは明示的な合意事項があったのだとすれば、それを一方的に破るような行動に出ないことです。2010年の秋に起きた、当時の前原外務大臣の指示による中国漁船員逮捕。今年8月に起きた韓国大統領の竹島上陸。9月に行われた日本政府による尖閣国有化は、そうした了解事項や合意を侵すことによって、無用な紛争激化を招いてしまった典型例です。
 第三に、前の一と二に関わることですが、この問題を、自己の政治的なポジションを引き上げるために政治利用しないこと。残念ながら、日本の国内にも、日本のイ・ミョンバクさんと呼ばなければならないような政治家がたくさんいます。そうしたナショナリズムの政治利用主義的な動きが出てきた場合には、これを市民の力で牽制・抑制することが重要だと思います。
 第四に、双方の国民にとってより大きな利益の追求、より大切な課題の設定によって、国境線問題を相対化するべく努めること。領有権の決着を留保した上での、関係諸国による共同利用、共同開発、相互交流や平和交流の拠点化を試みること等々が、顧みられるべきと考えます。

■近代の所有論の根底と、国際法の無主地先占の法理の限界=植民地主義との同衾について

 以上の討論は、国際法を前提にしての、その枠内での議論でした。しかし、日本、中国、韓国、ロシアが、国際法を本当に尊重しているか、それぞれが自国の利害に引きつけて都合良く解釈しようとしているだけではないか、と言わざるを得ない現状です。
 しかし、国際法については、もう少し違った角度からの検討も必要です。
 各国が、自己の主張の合理化のために引き合いに出している国際法の「無主地先占の法理」、持ち主のいない土地は先に自分のものだと宣言し、なにがしかの実効支配を及ぼした国のものになる、という理屈については、これを無批判に扱うことは出来ません。
 それは、西欧諸国が先んじて近代の国民国家の形成の時代に入り、さらに列強諸国が形成され、それら列強国がそれ以外の地域の人々を掃討し、囲い込み、植民地化していく過程で、それを合理化するために考案された法理だということは、周知の事実です。尖閣、竹島、北方四島をめぐる争いの膠着、その出口が容易に見いだされないという事態の中には、この「無主地先占の法理」自体の限界が示されています。

 この問題を考えるときには、近代の所有論・占有論が、植民地主義の歪みを受ける前の本来の姿を思い起こすことが有意義です。この問題はしかし、この討論の主題ではないので、簡単に指摘するにとどめます。
 私が指摘をしたいのは、所有という概念が明確に登場したのは近代に入ってからですが、この近代がまだ若々しく、健全な生命力を持っていた時代には、地球の表面=大地などの所有についての権利は、次のように考えられていたという事実です。
 第一に、大地などは人類全体の共同占有の対象である。
 第二に、個人的所有は、労働による対象物への働きかけによって可能となる。
 第三にその所有は、社会全体によって承認されなければならない。
 第四に、その社会が健全に維持されるためには、個人の所有には社会の側からの制約、例えば他者の生存や幸福を脅かさない、また一定期間適正に使用されなければ所有は解消される等々の、制約が課せられなければならない。
 所有に対するこうした考えは、皆さんが高校や大学で学んだかもしれない、ロック、カント、ヘーゲルなどの思想家によっても論じられ、深められて、近代社会の思想的・法的基盤となりました。

 もちろん、以上述べた近代の所有論も、ある意味では近代主義の限界を免れていないとも言えます。今、近代社会の行き詰まりが意識される中で、所有論の世界でもコモンズ、これは近代以前の共同占有のことで、これは今日でも世界の様々な地域で生きており、人々の暮らしの土台となっています。あるいはアソシエーション的所有、これは前近代の共同占有ではなく、近代を前提にした、近代が誕生させた自立した諸個人の自由意思に基づく共同所有、例えば協同組合などの事業を思い浮かべて頂ければ良いと思いますが、そういう所有のあり方などが、注目をされています。それらの言論風景の中に置いてみたとき、現在口角沫を飛ばして論じられている尖閣や竹島などをめぐる領有権論争は、いかにも色あせて見えます。こうした論争は、人々に希望を与え、人々の心を前向きに鼓舞し、幸福に導くものとはなり得ないと考えます。

■市民・国民自身の手による社会・国家・国際関係づくりを

 最後にもうひとつ指摘させて頂きます。メディアを賑わしている政治家や専門家と称する人々が尖閣や竹島などについて語っていることには、実は大した根拠はありません。また、 彼らの主張は、支配エリートによる国家と国民の統治、という立場から発言で、市民・国民自身がこの社会と、この国と、この国の国際関係をどう作っていくかという観点からの主張ではありません。この点では、原発問題と完全な相似形です。彼らの言説を過信することなく、市民と自治体議会はこの問題についても自分で研究し、自分の頭で考え、自分たちのイニシアチブで問題の積極的な解決に向けて発言していくべきだということを付け加えて、討論を終えます。

<保守会派の意見書>
■我が国の領土と主権を守る意見書

前文省略
1.我が国領土への不法上陸について関係国に対し、断固たる抗議を行うとともに再発防止を強く求めること。
2.尖閣諸島をはじめとする我が国の領土・領海を守るための法制度の整備、警備体制・方針の根本的な見直し、関係機関の連携、装備・人員の拡充を急ぐこと。
3.歴史的・国際的にも明らかな我が国固有の領土であり、そもそも領土問題は存在しないという明白な事実を国際社会に示すこと。
以上、地方自治法第99条の規定に基づき、意見書を提出する。平成24年10月9日案内へ戻る


読書室  孫崎享氏著『転ばぬ先のツイ』 メディアパル 千四百七十円

 原発、TPP、日米同盟、尖閣列島問題および北方領土問題に関する最新の政治便覧

 孫崎氏は、外務省時代に上司が米国一辺倒の岡崎久彦氏、部下には有名なロシア通の佐藤優氏がいた。2002年からは防衛大学教授に出向して、現代政治に目覚めたという。
 また孫崎氏は、1993年『日本外交 現場からの証言』で出版会にデビューし、山本七平賞を受賞した。2009年3月、『日米同盟の正体』を出版して、防衛大学教授を退官した。そしてこの本をきっかけとして岩上安身氏とのつきあいが始まり、自宅インタビューを承諾するほどの関係になる。さらに同氏の紹介でツイッターを始め現在に至る。
 孫崎氏のツイッターのフォロアーは、この7月までは三万六千人だったが、今や売り上げ二十万部を超える書籍となった『戦後史の正体』の著者として知られてからは四万九千人に迫るまでに増えたのである。
 この著作は、岩上安身氏とのつきあいの中で精力的なツイッター発信者となった孫崎氏のツイッターを、編集者によって各テーマ毎に纏め先のベストセラーの出版とほぼ同時期に本にしたものである。
 ツイッターとは、つぶやきであり、しかも百四十字に制限された独り言なので、それを読むだけでは分かりにくいところがある。この点を克服するために編集者が、前後の経緯や文脈の意図が分かるように加筆や図版やイラスト・漫画や脚注等を加えて編集を行っているところに今回の実験的な要素がある。まさに新時代にふさわしい出版物なのである。
 その意味において、本書は現時点における原発、TPP、日米同盟、尖閣列島問題および北方領土問題に関する最新の政治便覧になっていて、実に読みやすく出来ている。
 章別の編集を紹介する。
 第1章 エコじゃなくってエゴだった原発 約60頁
 第2章 TPPで日本が終わる 約60頁
 第3章 誰のための日米同盟 約50頁
 第4章 ヴィジョン無き諍い 約40頁
 第5章 誰も教えてくれなかった衝撃の事実 約40頁
 各章の最初には、総論が漫画で分かりやすく纏められている。そのため各章とも実にすいすいと読む事が出来る。元々の文章がツイッターであっため、すべて疑問の余地のない端的な文章で書いてある事が小気味よいテンポで読む事が出来る根拠となっている。
 第1章では、日本の原発がいかに安全を無視してきたか、また事故後はいかに外国に比べて変なことがまかり通っているかについて、実に克明に追及されている。漫画とイラストが満載である。資料も豊富である。原発の問題点が本当によく分かるものになっている。
 第2章では、小泉・竹中時代に猛威を振るった「年次改革要望書」が民主党の鳩山政権の時に打ち切られた事に対して、名前を変えて持ち出されたものだと解説している。実に的確な指摘である。そしてTPPの問題点が次々と分かりやすく説明されている。
 第3章では、日米同盟の真実が「同一の目的」のため、つまり「アメリカの利益」にある事が、手を変え品を変えて説明されており、安保条約による「核の傘」等で日本防衛が担保されているというほとんどの日本人の常識が、粉々に打ち砕かれている。
 第4章では、尖閣列島をアメリカが防衛するかどうかを論じている。いわば第3章が総論であれば、この章は尖閣を具体的に論じた各論にあたる。結論はアメリカは出てこないし、尖閣の実効支配が日本から中国に移ったら、直ちに安保条約の対象区域ではなくなるとのアメリカが作った安保条約の条項に含まれた落とし穴が示されている。
 本章は、実に勉強になり、タイムリーな内容となっている。
 第5章では、北方領土について論じられている。「誰も教えてくれなかった衝撃の事実」とは、北方領土とは日本が放棄した全千島列島に含まれているという事実である。この事実を日本政府は押し隠して、国民をミスリードしてきたし、今でもミスリードしている事実を暴露した。これに絡んでアメリカが対ソ交渉を妨害してきた具体的事実も、的確に暴露している。まさに沖縄が北方領土返還交渉の妨害材料に使われてきたのである。
 この勇気ある孫崎氏に関して、虚名の櫻井よしこさんは「孫崎さん、貴方、外務省の局長をされたんでしょう。貴方、防衛大学校の教授をされたんでしょう。その貴方が何故今の日米同盟の動きや辺野古移転に反対するのですか」といった事が、本書の「はじめに」で明らかにされている。また外交ジャーナリストで情報専門家を気取る手嶋龍一氏も「外務省時代、発言しなかった人が退官して好き勝手なことを言っている。その様な人の発言は信用できない」といったと、同じく「はじめに」で明らかにされた。
 このような発言をする事で二人は、全く無自覚に、自分がどうしょうもない体制人間である事を「問わず語り」してしまった。とくに手嶋氏は、常々インテリジェンスの重要性を語りながらも、孫崎氏の経歴すら調べないで発言する呆れ果てた人物だったのである。
 まさに日本ジャーナリズムで大きな顔をしているこれら二人の孫崎評価は、この本がいかに優れた内容であるかについての根拠となっている。実に敵対者の評価にこそ、真実がうかがい知れるというものなのである。
 仲間同士での読書会で使える最適のテキストである。是非一読を勧める。(猪瀬)


コラムの窓・・・「万国の労働者、団結せよ!」を思い起こそう。

 9月の下旬、自動車のタイヤを造る機械を生産している会社に勤める知人が、その機械の調整と指導の為に出張していた中国から、赴任途中で帰ってきた。日本の尖閣諸島の国有化に反対する中国側の反発が強まり、危険を回避する為の処置のようだが、本人はこうした海外出張(アメリカや東南アジア地域にも行っている)を結構楽しんでおり、途中で打ち上げ帰国させられたことと、帰りの混乱で疲れ、非常にがっかりしていたようだ。
 企業の安い労働市場と販路開拓のための海外進出は年々増加しており、国税庁の国際課税に係る調査レポート(平成22年度報告から)によれば、海外の現地法人企業数は、平成7年度の10416社から平成22年度には18599社と約1.8倍に増加、特に中国に対する進出件数が急増しており、また、我が国で事業活動等を行う外国法人数の推移は、平成22事務年度においては5614法人と前年に比べ186法人減少し、その伸び率は鈍化しているものの、平成13事務年度に比べ約1.3倍になっている。
 経済のグローバル化に伴う国際交流は進出企業だけでなく現地の企業にも多くの利益をもたらしているが、人種や国を超えた多くの労働者の国際交流によって、それぞれの生活文化の違いを互いに理解し合い、親密な関係をつくり出す機会を与えていることを歓迎するし、それによって、低賃金で働いている労働者の格差是正意識を高め労働条件改善の闘争に立ち上がらせてもいる。その為、政府・企業は「民族意識」や「国家意識」を煽り、労働者の怒りを反らせるために「領土問題」を利用していることを見逃すわけにはいかないだろう。
 利潤追求のために海外進出し、一国や一企業の利益のために「民族意識」や「国家意識」を押しつけてくる現代資本主義社会の諸矛盾は、経済の停滞と相まって拡大し続けている。 この現代資本主義社会の諸矛盾の解決には万国の労働者・市民の連帯と活動なしには不可能であり、「プロレタリアはこの革命において鉄鎖のほかに失う何ものをも持たない。彼らが獲得するものは世界である。万国の労働者、団結せよ」は「共産党宣言」の格調高い名文句であるが、グローバル化しつつある現在こそふさわしい言葉ではないだろうか。 (光)案内へ戻る


色鉛筆・・・民主党にあきれる!!-総合こども園の創設を撤回-

 政府は6月、「税と社会保障の一体改革」と謳いながら、民主、自民、公明3党の合意で消費増税法案を採決してしまった。野田首相が政治生命をかけてなりふり構わず、何が何でも消費増税をしたいという強い決意を進めるために、自民、公明党の要求を受け入れてしまい社会保障の充実は置き去りになっている。その中で、民主党が数年前から、働く世代向けの支援策の目玉として幼稚園と保育所を一体化させた「総合こども園」を柱に待機児童の解消を図っていくと、大宣伝をしてきたが、幼稚園関係団体から猛反発を受けて、従来型の幼稚園は存続するといういい加減な子育て支援制度の関係法案を国会に提出した。
 ところが、国会で民主党は看板政策だったこの「総合こども園」の創設案をあっさり取り下げて、代わりに自公の主張に沿って今の「認定こども園」を拡充することで決着してしまった。まったくあきれてしまう!自公政権時代の06年に始まった認定こども園は、幼稚園と保育所の機能を合わせた「幼保一体型」の施設で、待機児童を解消しようとしたが、4月時点で911カ所と目標の半分以下で進んでいないという現状があるにもかかわらず、また同じ政策を決めてしまった。民主党は、保育所は「総合こども園」に強制移行させ、幼稚園にも移行を促す方針だったが、自公が強く反発して結局、認定こども園への移行は今と同じ保育所や幼稚園の判断に委ねられることになった。なんとまあ恥ずかしい民主党だがこうしたやり方は民主党の本質を現している。政権交代をして私達に少なからずの期待を持たせたが、消費増税のための政権でしかなかった。今も働く必要があっても子どもを預けられずに働けない親が困っている待機児童問題を真剣に何とか解決しようと思うならば、自民党や公明党が反発をしてもやるべきではないか。民主党は消費増税のためには年金・医療・子育てなどの社会保障は二の次で、問題はなにも解決されていなく、修正協議で棚上げや見送りがされて自民党政権の政策となにも変わっていない。消費増税を決めた民主党の役割は終わったのかもしれない。
 私は、以前より待機児童を解消するためには今の公的保育制度(国や自治体の責任で必要な保育を実施するしくみ)を充実していけば解決できるのではないかと考えていたが、そのことを具体的に書かれた記事があったので紹介したい。『年間10万人の待機児童を解消するため、100人定員の保育所を1千カ所新設(認可外保育所の認可化も含む)するとしよう。現行の国庫補助基準(建設費1億5千万円程度)によれば、国の負担は、補助金750億円(2分の1補助の場合)に運営費を合わせた約1千億円程度になる。日本の保育所、幼稚園の保育料は先進国中、最高なのに、保育者の数は少なく、賃金は低水準という問題を抱える。全国調査によると、公私立の幼稚園、保育所に勤める保育者の約7割は年収300万円以下だ。仮に国が運営費を3千億円増額すれば、保育料は2割強減る一方、運営費は1割弱増え、保育者の増員や給与の引き上げも一定程度実現できる。まとめると、待機児童解消と保育料の減額、保育者の確保と賃金アップが、4千億円(1千億円+3千億円)の増額で実現するのだ。多額に見えるが、実は一般会計予算の0・4%程度。優先的に対応すれば、可能である。』(帝京大学教授 村山祐一  2012/6/8朝日新聞 私の視点より抜粋)まったくそのとおりだ。どうしてこのようなことができないのだろう。予算の使い方が問題で、必要なものに使えば解決するのだが、今の政治では期待できない。弱者を大事にする政治を目指したい。(美)


紹介 戦後初の大規模な反基地闘争「内灘闘争」
 
 日本海に面した内灘町(旧石川県河北郡内灘村)は、金沢市の北郊、河北潟畔の砂丘地に位置し、日本の代表的な砂丘の一つの内灘砂丘(うちなださきゅう)がある。この内灘町に歴史民俗資料館『風と砂の館』があり、その館の展示室は四つに分かれており、そのひとつに内灘闘争コーナー(他に粟ヶ崎遊園コーナー・・凧コーナー・内灘の民俗と歴史コーナー)があり「内灘闘争」を紹介している。 
 戦後間もない内灘村は、男は遠洋漁業に出稼ぎに行き、女は村近くで獲れた漁獲物(沿岸漁業、地引き網漁など)を頭上にのせて売り歩き(振売、ふりうり)を行っていた貧しい寒村でしたが、戦後の人口増加と出漁制限にあって未開墾地の開拓がこの寒村にとっての必死の更生策とされ(青年たちの手でヤロビ農法による砂丘の緑化は部分的にすでにはじまっていた)国有地の払下げの請願が県議会で採択され、1952年の第15特別国会では海岸砂丘地振興臨時措置法が成立したので、内灘の砂丘も国の助成でいよいよ農地化が始まるだろうと考えられていた矢先に、接収の問題が起ったのである。  
 当時、朝鮮戦争(1950年(昭和25年)6月25日、北朝鮮軍は、北緯38度線を越え、韓国を奇襲攻撃し、朝鮮戦争が勃発しました。米軍を中心とした国連軍の参戦、中国の人民義勇軍の参戦、ソ連の北朝鮮援助と、戦況はめまぐるしく展開した。)が勃発し、朝鮮戦争の為アメリカ軍の砲弾の需要が大きくなり日本国内のメーカーから納入される砲弾の性能を検査するための試射場が必要となり、試射場には長い海岸線をもつ場所が適しており静岡県の御前崎周辺と、この内灘砂丘が候補となり、小松製作所(小松、石川)で、朝鮮戦争の特需砲弾が製造される事などから、最終的に内灘に決定され、1952年(昭和27年)9月6日、米軍用地接収係が秘かに内灘砂丘地(旧陸軍演習地)を視察、10日後、日本政府は内灘の砂丘地及び接岸海域の接収を決定、米軍の各種砲弾試射場に指定し・接収されたのです。これに対して、村民が中心となり、ムシロ旗(金は1年、土地は万年)を立て、炎天下の着弾地点に座り込みを続ける等々の、戦後初の米軍基地反対闘争が繰り広げられ、後に闘われるアメリカ軍の立川基地拡張に反対する砂川闘争などの反基地闘争の先駆けともなったのです。
 闘争は昭和24年から32年にかけて、現在の内灘砂丘の向粟崎地区から宮坂地区の海岸線がアメリカ軍の砲弾試射場に供用されることになり、計画当初から内灘全村で接収反対運動が起こり、反対派村民は連日むしろ旗を持ってデモや座り込みを続け、国への陳情も行われるなど、占領下からの独立運動などの政治的な思惑もからんで全国的な運動へと展開して行き、村民だけでなく北陸鉄道労組は浅野川線で行われる資材搬入に対してストライキを行う等の支援を実施するなど多くの労働者大衆の支援活動も行われ、この闘争は文学や映画(1963年(昭和38年)和泉雅子主演、非行少女(浦山桐郎監督))や最近では内田康夫氏原作のテレビドラマ『浅見光彦シリーズ44 砂冥宮』でも「内灘闘争」が背景として取り上げられており、1950年代に北陸の海辺の村で闘われ、日本中をゆるがせた米軍の試射場反対の大闘争であったことが語り継がれている。
 政府は期限付きで試射場としての使用を許可しましたが、村を二分する反対運動の末、闘争は1957年のアメリカ軍撤収で終息したが、今も、「鉄板道路」や、着弾地観測場遺跡(監視棟の建物が内灘海岸浜茶屋軒のそばと着弾地観測棟の建物が権現森海岸に建っている)などに試射場時代の面影が残り、当時を偲ぶことが出来ます。   (光)案内へ戻る


2012.10.15.読者からの手紙

「労働者の新世界」の早とちり

 その昔、蓮池透氏に拉致されそうになったとして、週刊誌のタネにされた横井邦彦氏は一躍有名になりました。そのため彼の個人ブログも一頃は花盛りだったのですが、その後発ブログは低迷しているようです。まさに今は昔です。
 本人も最近では軽い認知症を自覚しています。彼の記憶が時々飛ぶと言う事は、確かにあるようです。その証拠が、今回の「労働者の新世界」10月7日号の記事です。
 その記事は「『ワーカーズ』の悪いくせが出た」というもので、ここに紹介します。

 今回も『ワーカーズ』は日本共産党に対抗して魚釣島(尖閣諸島)は中国のものであると言っている。魚釣島が中国の固有の領土であるのであれば、現状は日本が魚釣島を不法占拠しているということになる。そうであるとするなら、中国が軍事力に訴えて不法占拠されている自国の領土を奪還することは正しいということになる。『ワーカーズ』の諸君はそれでいいのだろうか?これは火に油を注いでいる行為ではないだろうか?
 現在、日本資本主義も中国資本主義も深刻な階級矛盾を抱えている。だからこそ民族主義、排外主義を煽り立て、労働者の階級闘争を国家間の対立へと置き換えようと官民(この場合の「民」というのは、言わずと知れた無責任なマスメディアである)あげて狂奔している。したがって尖閣諸島問題はおこるべくして、起こっているのである。こういう時に一方の肩を持つものは、日本と中国の労働者階級の向こう岸に立っているのである。

 こうした為にする主張は、ワーカーズの主張ではないと私は考えます。また「今回も」とありますが、今までにも、ワーカーズが尖閣列島を中国領だといった事などありません。
 確かにワーカーズは、尖閣が日本の領土だとする共産党を批判しました。そして尖閣が中国領だとする井上清氏の本『「尖閣列島」』の存在を明らかにしました。この本が事実上「中国の主張のタネ本」になっているからです。だから共産党はこの本を無視するのではなく、科学的な反論なくしては、尖閣は日本領とはいえないと釘を刺したのです。
 またワーカーズが『尖閣列島』の見解を支持した等の誤解を受け易い表現もありません。
 さらに佐藤優氏のブロゴスでの主張――日中漁業協定(正式名称「漁業に関する日本国と中華人民共和国との間の協定」)という条約の本文に、尖閣列島の水域に関する規定を何も定めていなくて、中国国民に対しては、当該水域において、漁業に関する自国の関係法令を適用しないとの意向を有していると、1997年11月11日東京で日本国外務大臣小渕恵三が親書を出している――を取上げて、日本政府も尖閣列島は「係争地」である事を認めているとしたのです。
 ワーカーズは、尖閣列島は日中両国の領土問題の「係争地」だと主張したのであり、それを日本政府や共産党がいうとおり一方的に両国間に領土問題は存在しないというのは、アメリカの日中戦争をさせたい戦略に乗るものだと批判したと私は理解しています。
 それにしてもアメリカのグローバリズムが世界を席巻している最中にあって、横井氏が尖閣問題に見出しているのは、日中関係だけなのですね。さらに中国の支配者たちも決して一枚岩でないことは、反日デモの実態から知られる事でもあります。
 中ソ対立の最中にあった時、中国では最大一億人規模のデモがあったことを忘れてはなりません。それに比べれば、暴動や略奪が平気で行われた反日デモが、いかにいかがわしいものであるかが分かるというものです。   (笹倉)

  
学園と自由

 大津市の中学生がイジメられて自殺した。この事件にはじまり、イジメによる自殺事件がつづく。学校側の処置が余りにもたよりなく、人命にかかわる事件として警察が入ったとか。学園に警察が入るということに私はあるとまどいを感じた。これでいいのかと。
 そもそも学園というのは自由の殿堂だと思ってきた。思えば西欧は〝それでも地球は動く〟からして宗教の壁をものりこえてきた。そこには人がかかわる外界との根源的な問いがあった。
 日本では問いは根元まで至らず〝2分の1革命〟といわれるように中途半端、良識や常識のタガがはねられて押し流されてゆく。今にして思う。全共闘運動とは何だったのだろう。私はここで現象に過ぎないが、全共闘運動の本州と沖縄でのちがいを書いてみよう。
 全共闘運動が、国家の暴力・機動隊が学園に入ったことで終わりを告げた。その後、私は沖縄へ通うようになった。知花さんのその後の述懐が2ページにわたって図書新聞の紙上を埋めたことで知ったのだが、本州の大学の全共闘運動が〝大学解体〟を目標としたのに対し、沖縄では大学がつぶしが上からの圧力としてあったようだ。
 沖縄では、大学とりつぶしが上からの圧力としてあったようだ。沖縄では〝大学を守ろう〟という運動があったようで、教授も学生も登校して授業をつづけた。自主管理のもとで。沖縄の大学に対しては上から取り潰し。本州の大学では学生たちが、大学の形骸化に対し自ら学校をつぶそうとした。こういう違いはどこから、なぜ生じたか知りたいと思う。
 私は今年11月末、沖縄へ行く。最後の旅となろう。できれば私の問いについて、答えの片鱗でも知りたいもの。
{附記}
 老いての感慨だが、河上肇氏だったか彼のコトバ〝無事〟(ことなし)が、最近身に沁みるようになった。年とともに過去のことの理解が深まるものだ。一体私は何をしてきだのだろう。深くはなったが。えらい変わりばえもしない・・・。その矢先の3・11。3・11は私にとっても大きな出来事であった。といって何ができるだろうか。持続してやりたい思いで地域雑誌をはじめ今に至っている。わが生涯で一生懸命やってるのは、これだけ。 2012・9・27 大阪 宮森常子案内へ戻る


編集あれこれ

 前号1面は2大政党の〝指導者〟選びを論じていますが、民主党は鉄面皮首相の続投、自民党はゾンビ安倍が次期首相の呼び声も高く再登場でした。もう情けなくて、涙も出ない体たらくです。
 しかも、この2党に代わって期待を集めているのが橋下維新の会なのですから、この国の荒廃も極まった感があります。これを4・5面では「孤立した自由人」による選択、「政治世界で救世主を求めるかのような有権者、それを助長するメディアによるヒーロー待望論や『あれがダメならこれ』式の二者択一政治の劇場政治が蔓延している」と評しています。
 そして、従来組織の軛を脱し個人として自立すること、「中間組織を介さない直接的な関係や直接的な個人行動の拡がりは、民主主義の前進にとって不可欠の通過点だ」と述べ、新しい中間組織の形成を呼びかけています。集団に囲い込まれ、それに付属した個人ではなく、自立した個人が集団意識を形成するという風に言ったらいいのか、なかなか難しいところです。
 そういえば、辺見庸氏が新聞に「中国は『一皿の散沙』か‐領土で鳴動する表層と古層」という文を寄せています。これは魯迅の言葉だそうですが、「阿Qとは、握れば一つに固まっているようでも、所詮は手指からパラパラとこぼれおちてゆく砂(中国語で『散沙・さんさ』)のような、哀しくも滑稽な民衆の原像でもあった」、と中国各地で続いた反日暴動の暴徒の群れを形容しているのです。
 翻って、日本では9・18(満州事変から81年、中国では日中戦争で殺された人々を哀悼して多くの都市でサイレンが鳴らされ、テレビでは「国辱の日を忘れるな」という字幕が映された)、若者たちで満員の東京・日本武道館でAKB48の選抜じゃんけん大会が盛大に行われ、テレビで〝緊急生中継〟が行われた、と辺見氏は指摘しています。
 このばらばらの砂(民衆)は支配者によってばらばらにされたものか、辺見氏は「こうした人々が領土を熱く語るとき、武力衝突の危険が生じる。わたしは正直、前途に悲観的だ。砂のような民衆が巨大な〝砂嵐〟を巻き起こすかもしれない。日中間にいま必要なのは勇ましい愛国者ではない。『内なる阿Q』と向き合う魯迅のような炯眼と知が見直されるべきだ」と文を締め括っています。
 前号ではオスプレイと領土問題が引き続き論じられました。個人的経験ですが、某市議会に「学習指導要領に基づき、わが国の領土領海に関してより丁寧な指導が為されることを望む請願」が提出され、これの採決を傍聴したところ、共産党議員が8面で指摘しているように党の公式見解として我が国の領土であること、しかし、話し合いでの解決が必要だと滔々と述べていました。それでも、請願には反対していました。
 市民派議員が請願を批判(採決では退席)したら〝非国民〟と野次り、反対の討論を行ったら〝売国奴〟と野次る、これがベテラン議員で、右翼の議長もこの下劣なヤジを止めようともしないのです。また、私たちが提出した「米軍垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの普天間飛行場配備に関する意見書採択を求める陳情」、沖縄の総意であるオスプレイ配備計画の撤回を支持する意見書を民主党政権に送ることを求めたのですが、あっさりと不採択となりました。まったく何という議会でしょう。 (晴)案内へ戻る