ワーカーズ476号  2012/11/15    案内へ戻る
大飯原発に活断層あり ただちに稼働を停止せよ!

 11月7日、原子力規制委員会の専門家調査団は、都内で2回目の評価会合を開いた。
 前回の会合では、敷地北側の試掘溝で新たに発見された地層のずれが、活断層か地滑りかで議論が分かれた。この日、「活断層の形跡もなく、地滑りであると認識している」の関電報告に対し、提出資料ではデータ不足の意見が出て、規制委の島崎委員長代理は「皆さんの意見が一致する事が望ましい」として、地層のずれの方向を確認するため、更に試掘溝の地下と東側を更に1メートル掘る事、また既に危険性が指摘されている2号機と3号機の間を走る「F-6断層」も、敷地の南側から約300メートルの試掘を決めた。
 要するに海から山に競り上がる地層のずれを素人騙しの単なる地滑りと強弁しつつ、大飯原発の死活を絶対的に制する非常時「冷却装置」のパイプ下を横断する大断層に関する判断が長期化するのだ。労働者・市民が安全神話に関して福島事故の経験に深刻に学ぶのに対し、関電ら原子力村の住民は、今もなお何よりまず稼働ありきを崩さない傲慢さだ。
 同原発3・4号機は全国で唯一稼働中だが、稼働にあたっての安全性の確認はお粗末を極めた。規制委の中の議論では、原発稼働を中止し調査すべきの正論が出されたものの、島崎氏は運転を止め調査するか否かは、田中委員長が判断すると逃げの一手である。
 7月から開始された首相官邸前の首都圏反原発連合の取り組みは、今や毎週金曜日の夜の定例行事となり、今やその行動は全国の津々浦々にまで着実に影響を拡大している。
 既成政党の抗議行動や動員でなく、人任せでない労働者・市民一人ひとりの深く自覚した政治行動は、全国紙・テレビが喋々する既成政党間の「第三極」論議を打ち破るに足る「真の第三極」である。私たちは行動する事で、ニセ「第三極」論議に対抗していこう!
 今こそ、「反原発・反消費増税・反TPP」の旗幟を鮮明に掲げて、閉塞状況にある日本政治を根本的に変革する闘いを自覚的に開始していこうではないか。
 私たちワーカーズも自覚した労働者・市民と共に今後とも闘いぬく決意である。(直木)


脱原発の闘いを拡げよう──11・11行動を全国に──

あの原発事故から1年半。いまだ福島県だけで15万人以上の原発事故被災者が県外・内全国で避難生活を強いられてなか、原発維持派の巻き返しを阻止し、脱原発のうねりをさらに拡げるための「11.11脱原発行動」が全国で繰り広げられた。


脱原発の叫びが国会を包囲

 あの原発事故から1年半。いまだ福島県だけで15万人以上の原発事故被災者が県外・内全国で避難生活を強いられてなか、原発維持派の巻き返しを阻止し、脱原発のうねりをさらに拡げるための「11.11脱原発行動」が全国で繰り広げられた。
 この夏に大きく拡大した首相官邸前での脱原発行動をより大規模に展開するとして、東京では11月11日、霞ヶ関の官庁街や永田町の国会議事増周辺で「11・11 反原発 1000000 人大占拠」行動が取り組まれた。
 主催者はこの夏の首相官邸前行動を担った首都圏反原発連合をはじめ、これまで反原発行動の中心を担ってきた「さようなら原発1000万人アクション」「原発をなくす全国連絡会」「脱原発世界会議」「経産省前テントひろば」などだ。
 私もその行動に参加したので、その一コマをレポートする。私は日比谷公園側の歩道で友人やそのグループと待ち合わせて包囲行動に参加する、つもりでいた。
 ところで予定されていた脱原発デモは、集合地点の日比谷公園が管理者の東京都の不許可の対応で使えなくなり、その周辺道路を出発点とする国会包囲行動に変更を余儀なくされた。
 不許可にした東京都の言い分は、日比谷公園は他の催しもあって予定されたデモ人数を収容しきれず、混乱の可能性がある、というものだ。これまでも様々な取り組みに公園を解放してきた東京都として、今回の対応は私たちの意思表明の機会を制約する、民主主義に逆行する何とも狭量で統制的な不当なものという以外にない。
 やむなくデモは中止、霞ヶ関抗議行動と国会包囲行動に縮小を余儀なくされたが、それでも昼過ぎから脱原発を訴える多くの参加者が集まってきた。当日は雨模様で冷え込んではいたが、参加者の熱気はその雨と喚起を振り払うような熱気に満ちていたように感じられた。
 15時頃からは、それぞれのグループや集団が思い想いに霞ヶ関の官庁街を練り歩き、経産省などの庁舎前では声を合わせての抗議行動が繰り広げられた。目立ったのが福島からの参加者で、何本もののぼりを立てての訴えは行動参加者からも大きな声援の声を集めていた。
 国会包囲行動は17時から19時までの予定だが、国会前をめざす参加者は舗道上で前が詰まってなかなか進めない。車道はといえば日曜日で車の通行もほとんど無くがらがら状態。幅2~3メートルの舗道上に押し込められた状態で、あちこちで警備の警官にくってかかる光景も繰り返された。結局集会のメーン地点まで到着できず、規制を跳ね返せない無力感を抱きながら、やむなく再び官庁街をめぐっての退場となった。
 駅までの途上、冷えた体で立ち寄った居酒屋では、日曜の夜だというのに満員状態。様子を見ればあちこちの席で「大飯はどうと」か、「橋下はどうとか」の声。ほぼ全員がデモ帰りの客だった。私たちも隣のグループと脱原発論議や政治談義でも盛り上がり、帰路に就いたのでした。(廣)


降り続く雨のなか、関電本店包囲・抗議行動に1100名が結集!

午後2時からJR「大阪」駅近くの公園で前段の集会。高速道路の高架下だったので、雨を避けつつ1時間の集会を無事に終えることが出来た。10分ほどで関電本店前に移動できるが、警察は、幟旗はたため!ゼッケンは取れ!、このままではデモになるので条例違反だとか言っていたが、無視して移動となった。
関電本店前では5時近くまで、大雨のなかで抗議集会が行われた。何しろ、東電がこけてしまっているので、関電八木誠社長が電事連会長、森詳介会長が関経連会長である。そしてなにより、全国に50基ある原発のなかで、唯一稼働しているのが関電大飯原発第3・4号機であり、まさにここが決戦場。ここでも1ヶ月ほど前に逮捕者が出たが、でっち上げを仕掛けた大阪府警(天満署)に対する抗議行動も続けられている。
止めるまで止まらない抗議行動はまだまだ続く!  (晴)案内へ戻る


相手を見据えた闘いを──正念場を迎える脱原発の闘い──

 脱原発の想いと闘いへの巻き返しが画策されている。
 IAEAの基準さえ満たさない「再稼働ありき」の政治判断によって運転を再開した関電大飯原発。敷地内を通っている断層の評価で綱引きが行われ、稼働停止しての調査にも背を向けている。
 野田内閣は、被災者や国民の批判を前にして脱原発依存の建前を取ってはいるが、政府の「革新的エネルギー環境戦略」で「2030年に原発ゼロ」の方針を「30年代までの脱原発」だと時期を先送りしてしまった。さらにその「30年代までの脱原発」という曖昧にした方針さえ、閣議決定を見送ることで将来の方針転換の余地を温存している。
 そのうえ、原発推進と核兵器保有能力の結節点となっている核燃料サイクルからの撤退を否定することで、これまた将来の原発依存への復帰や核兵器保有能力の保持の姿勢にしがみついている。
 脱原発の闘いは、これからが正念場だ。

◆脱原発は時代の要請

 野田内閣は菅内閣の後を受けて脱原発依存の方針を下ろしてはいないものの、推進派の声に押されるようにじわりと推進派にすり寄っている。様々な勢力による原発維持・推進勢力の声を受け入れているからだ。
 第一の声は、原発を抱える電力会社や、安定した低コストエネルギーを求める産業界、それにそうした勢力の要求を代弁する政治家などからのものだ。
 彼らの表向きの主張は単純なもので、日本の経済を維持するのに低コストで安定したエネルギー源を維持する、というものだ。そうした主張は、今も続く原発事故の悲惨な情況など無かったかのような自己中な声をいう以外にない。
 しかし原発が低コストで安定したエネルギーだとの主張の根拠は、すでに崩れている。たとえば米国最大手の原発運営会社エクセロン社は今年8月29日、テキサス州ビクトリア市郊外に予定していた原発の新設を取りやめた。理由は単純だ。「原発は高コストで経済性が合わない」というものだった(日経8・29)。米国ではいまシェールガスの開発などで天然ガス価格が暴落している。
 日本でも原発事故を受けて火力や自然エネルギーなどを含む各電源コストが見直されており、原発のコスト優位性はすでに失われている、との試算も公表されている。
 先ごろ拡がった「原発を止めれば電気料金が2倍になる」との試算も、極端な試算だけ集めて導き出した意図的な世論操作だったことも明らかになっている。それに原発事故への賠償も膨らみ続け、それらもコストに加算すれば原発は低コストエネルギーだとはとてもいえないのが実情だ。
 脱原発はコスト面からも可能であり、それ以前のこととして.再び事故が起こったときの情況を考えても脱原発以外に選択肢はないのだ。

◆核兵器保有能力

 野田内閣の脱原発依存方針の後退をもたらしている第二の声は、原発推進と安全保障の関連、要は核兵器保有能力の保持という軍事的な選択肢を確保しておきたいという声だ。こうした声は自衛隊だけでなく、一部の軍事タカ派の政治家や官僚の一部、そして軍需産業をも含む〝原子力ムラ〟で貫かれてきた共通認識としての声でもある。
 今回の原発事故で脱原発の声はすでに国民の多数となった。が、なおも原発維持に執念を燃やす勢力は、別の視線でみれば、核兵器保有能力の保持にしがみつく軍事強国派の姿が見えてくる。
 彼らは原発と核保有能力の結節点となっている核燃料サイクル、すなわち使用済み核燃料を再処理して核兵器となるプルトニウムを取り出す技術についても、当初の「廃止」方針から一転、「継続」方針に転換した。彼らは、核兵器保有国も含むほとんどの国が核燃料サイクルから撤退した後も、また高速増殖原型炉「もんじゅ」などそれを担う施設がナトリウム漏洩事故など何度もの事故で稼働の見込みも立たない中でも、いまだに核燃料サイクルに執着している。
 なぜかといえば、原発なしでは核の平和利用という根拠が失われてしまうからだ。そうした勢力は民主党政権にも浸透し、前原や細野など、核燃料サイクルからの撤退に抵抗する政権内の核保有勢力となっている。脱原発は、電源エネルギーに止まる話ではないのだ。

◆日米安保の保持勢力

 第三の声は日米安保体制の保持勢力からのものである。
 野田内閣は、脱原発方針を後退させた原因の一つとして「米国の要請」を上げている。日本の脱原発依存姿勢に米国は危惧していることに配慮する、というものだ。
 その米国の危惧とは、表向きは原発システムという技術保持での日米連携に支障が出る、というものだ。世界に拡がっている原発の新設や保守、それに廃炉まで含めた原発の制御能力を保持することは、日米両国にとって共通の利益なのだ、というわけだ。
 米国は、すでに単独の原発の新規設置事業から撤退し、ゼネラル・エレクトリック・日立連合とウエスチングハウス・東芝連合という日米企業連合に依存している。そうした米国の立場は、米国単独ではやらないけれど、日本や日本のメーカーを巻き込んで原発市場への影響力保持しようとしている。米国にとって、日本が脱原発に舵を切ることは都合が悪いのだ。
 民主党政権は、あの鳩山内閣による「東アジア共同体構想」や「普天間基地の国外・県外移設」問題で、米国との関係が険悪になっていた。鳩山内閣以降の菅内閣や野田内閣では、険悪になった日米関係の正常化、実際は米国追従の姿勢を取る以外に政権基盤の安定化はない。なので「米国の危惧」には敏感に対応せざるを得なくなっている。
 というのが表向きの流れだが、その実、ここでも日本を米国のコントロール下におきたい米国の思惑と、将来展望を欠いたままとりあえず米国に抱きついていく以外に選択肢を見つけられない民主党政権、というのが実情なのだ。
 その米国の思惑とは、日本を核兵器所有能力の保持という宙ぶらりんの位置に縛り付けておくことの効果だ。むろん。米国は日本の核保有を簡単には許さない。かといってその能力を奪うこともしない。現に、米国は日本が核保有国でもないのにウラン濃縮や核燃料サイクルを容認し、プルトニウムを取り出すことも認めている。
 なぜそれが米国の国益となるかといえば、米国が必要だと判断すれば日本はいつでも核保有が可能だという状態を維持することが、米国の太平洋戦略に合致している判断しているからだ。
 その相手はむろんロシアや中国であり、近年はとりわけ中国を意識してのことだろう。米国にとって日米同盟の脆弱化と日中接近という事態が最大の悪夢だからだ。
 日本の核武装勢力としてみれば、とりあえず核保有能力を容認している米国と関係を保つことで、将来における日本の核武装へを可能性を保持しておきたいというわけだ。米国の世界戦略と日本の核武装勢力の利害は、とりあえず一致しているというわけだ。
 脱原発をめぐる攻防はこれからが正念場だ。原発維持・推進派は、単に考え方の違いで逆流を目論んでいるのではない。それがエネルギーや安全保障も含めて、連中の共通利益に結びついているから維持・推進派なのだ。そうした勢力争いに打ち勝つだけの対抗戦略と勢力結集こそが求められている。(廣)


「沖縄通信・NO29」・・・「日米地位協定」

 宮古島で開催された九州市長会で、沖縄が提案した「オスプレイの配備撤回」の決議が拒否され、温度差が浮き彫りとなった。政府がオスプレイの訓練移転を検討する中で、決議を盾に沖縄以外の配備が進められることは避けたいとの九州側の本音が出たと言える。
 安保拒否が多数を占める沖縄が米軍専用基地の74%を押し付けられ、安保容認派が多数を占める本土は、米軍基地を拒否する構図が定着している。 その温度差の具体的事例として「日米地位協定」問題がある。
 沖縄では、この「日米地位協定」問題が新聞・テレビ等のマスコミによく取り上げられる。
 なぜなら、沖縄に駐留する米兵は強姦・殺人・タクシー泥棒などの事件や酔っ払い運転事故を頻繁に起こす。ところが、加害者である米兵は「日米地位協定」によって守られほとんど罰せられない、逮捕などまれである。一方、被害者である沖縄県民は「日米地位協定」という壁によって人権を無視され、雀の涙ほどの賠償金で泣き寝入りするしかない。
 本土基地において時々事件・事故を起こす米兵士も、この「日米地位協定」によって守られている。
 この「日米地位協定」とは、1952年2月28日調印された「日米行政協定」(日米安保条約にもとづいて駐留する在日米軍と米兵他の法的地位を定めた協定で、60年の新安保条約の締結と同時に『日米地位協定』と名前を変えた)からスタートしている。
 11月3日の琉球新報は「沖縄はもはや無法地帯だ」(空には頻繁に墜落している欠陥機・オスプレイが飛び交い、外を歩けば米兵に性的暴行を受け、自宅で眠っていても米兵に襲われる世界はどう考えても正常ではない)という社説を載せた。
 もう本土でも報道されたと思うが、11月2日午前1時、嘉手納基地所属の米空軍兵(24)が、読谷村の居酒屋で酒に酔って暴れ、同じ建物の3階住居に侵入し、眠っていた中学2年の男子を殴り怪我をさせ、部屋の中をメチャクチャに破壊する事件を起こした。暴れたあと、アパート3階から転落して大怪我を負った米兵は、救急車で米海軍病院に搬送された。
 米海軍兵による集団女性暴行致傷事件からわずか17日後の事件発生であり、午後11時から翌日の午前5時まで深夜の外出禁止令が出ている中での凶悪犯罪であった。
 相次ぐ米兵の凶悪犯罪に対して県民は「外出禁止令の意味がない」「米軍司令部は綱紀粛正と言うが、いつもこのとおりだ」と憤慨している。
 さらに県民を起こらせたのが、藤村官房長官の発言「起訴前の身柄引き渡しを要請する必要はない」(事件発生当日にこのような発言は、地位協定への波及を抑えようとした動きだ)。
 ここでも悪しき「日米地位協定」が登場してくる。地位協定17条5項(C)では、容疑者の身柄が米側の手中にある場合、日本側の起訴前まで米側は身柄引き渡しを拒否できる。
 殺人や強姦などの凶悪犯罪に限って、米側が「好意的配慮」で起訴前の引き渡しが可能となる協定の運用改善については1995年に合意している。しかし、運用改善による身柄引き渡しの実現はこれまで2件しかない。
 藤村官房長官の発言を聞いた被害少年の親は「ふざけないで下さい。こんな子どもを殴っておいて、犯罪の大小で区別されるのも変な話だ」「日本人と同じような処分をしてほしい」と、憤慨している。
 案の定、5日沖縄県警はこの兵士を容疑者として断定したにもかかわらず、米兵が米軍の監視下にあること、起訴前の身柄引き渡しを求める「凶悪事件」に「該当しない」と判断し、兵士を逮捕せず、引き渡しを求めない方針を決めた。
 これまで起訴前身柄引き渡しが議論になるのは、警察が容疑者を特定した時点で、米兵が基地内にいる場合(基地内に逃げ込む兵士が多い)である。基地外にいるところを警察が発見して身柄を確保すれば、起訴前身柄引き渡しの議論は起こらない。米海軍兵による集団女性暴行致傷事件の場合が、それに該当する。
 今回の中学生暴力事件の米兵は怪我をしたので、人道的な観点から基地内の米海軍病院に搬送された。負傷してなければ、その場で警察官に逮捕されていたはずだ。基地内の米海軍病院に搬送された米兵は、退院後に嘉手納基地内に移送されている。退院後は県警に身柄を引き渡すのが筋であろう。
 県警が身柄引き渡しを要求しない方針を決めたことに対して、多くの県民から「夜中に人の家に入り、人を殴るのは凶悪・重大事件だ」「県警まで私たちの財産、命を守らないのか」等々、批判の声が上がっている。
 米軍専用基地の74%を負担している沖縄での米兵士の犯罪は、本土と比べものにならないほど多発している。「日米地位協定」の存在は、「治外法権」(米軍の無法地帯)そのものだと言える。
 米軍の占領時代及びこの「日米地位協定」の67年間とは、米兵士の犯罪に対する沖縄県民の怒りと悲しみの歴史である。
 沖縄県民の命と生活を守るために、早急に「日米地位協定」を改定し、米兵士の犯罪を「公務中」「公務外」関係なく、「基地内」「基地外」関係なく日本の法律で罰せることが出来るようにすべきである。
 欠陥機・オスプレイの配備、相次ぐ米兵の凶悪事件の発生、それでも「日米地位協定」の抜本改定に背を向ける日本政府(前の自民党及び今の民主党)の対応を見て、「地位協定の改定などを求めるだけでなく、基地は諸悪の根源であり、基地そのものを全面撤去させる運動しかない」という声が高まっている。(富田 英司)案内へ戻る


コラムの窓・・・もんじゅ試運転再開?

 久しぶりに、もんじゅ関連の新聞報道がありました。政府の新たなエネルギー・環境戦略では、「もんじゅは、高速増殖炉開発の取りまとめ、廃棄物の減容等を目指した研究を行うこととし、このための年限を区切った研究計画を策定、実行し、成果を確認の上、研究を終了」とされていましたが、それが実行されつつあるようです。
「日本原子力研究開発機構は8日、高速増殖炉原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)の試運転を2013年末にも再開し、10年間程度運転するとの計画案を文部科学省の作業部会に示した」(11月9日「神戸新聞」)
「『日本原子力研究開発機構は9日、高速増殖炉原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)敷地内にある断層(破砕帯)の追加調査を13日から始めると発表した」(11月10日「神戸新聞」)
 いずれも原研機構の報道発表ですが、常識的には断層調査を終えてから運転再開を検討するものではないでしょうか。8月に今は亡き経産省原子力安全・保安院から調査を指示されていたものであり、この調査を終えることなく先に進むことはできないはずです。関電の大飯原発では再稼働してから破砕帯の調査をし、活断層の存在を否定できなのに、地すべりの可能性があるとして、止めないで調査を続行しています。
 その調査を行っているのが9月19日に発足した原子力規制委員会で、保安院と原子力安全委員会がこの組織に移行しました。発足前から何かと話題が多かったのですが、発足後も話題の種は尽きません。まず、委員長候補となった田中俊一氏は前原子力委員会委員長代理で、原子力ムラの住人に他なりません。他の4人の委員候補も含め、国会の承認を受けることなく野田首相の権限で任命し、今も国会承認を受けることを避けています。
 発足後、まず赤旗記者の締め出しでひんしゅくを買い、次に原発が事故を起こした場合の放射性物質拡散シュミレーション結果の公表で初歩的間違いの修正と謝罪を繰り返しています。そして、今は大飯原発破砕帯調査で、止めて調査を行うことを決断できないで批判にさらされています。
 ちなみに、この大飯原発が東電福島第一原発と同程度の事故を起こした場合、どのような放射能汚染を招くかを環境総合研究所(東京都品川区)が試算しています。北北西の風で秒速2メートルという条件で、「政府が福島で避難地域に指定している年間20ミリシーベルトを1時間あたりに直すと約2・2マイクロシーベルト。この空間線量を超える汚染地域が大阪湾方面に長く伸びている」(11月9日「週刊金曜日」)。その図を見ると、大飯から100キロ圏の私が住んでいる阪神間も放射能の影にすっぽり覆われています。怖い図です。
 話題をもんじゅに戻しますが、〝高速増殖炉原型炉〟とは何か。まず高速増殖炉ですが、これは原子炉内でプルトニウムを生み出し、これが次の燃料になる〝夢の原子炉〟です。ウラン資源のない日本の切り札とされ、核燃料サイクルにはなくてはならないものだったのです。しかし1995年12月8日、試運転を始めるやナトリウム漏れを起こし、この夢は破綻したのです。
 次に原型炉ですが、ここから実証炉を経て実用炉、つまり商業用の高速増殖炉にたどり着くのです。しかし、もんじゅは原型炉の役割を果たすことは出来ないのです。先の新聞には、「原子炉データを取得し、冷却材のナトリウムの取り扱い技術を研究する」と書かれているのです。
 実にこれ程までに破綻し尽くしているもんじゅも核燃料サイクルも、原子力ムラの住人達は手放すことなく、日々の糧として延命させてきているのです。その費用、血税の浪費は膨大です。もんじゅだけに限っても、すでに1兆円も注ぎ込まれ、今後10年間延命させることによって1700億円の予算を文科省は分捕ろうとしているのです。
 しかも、その裏には、政治家の核兵器開発への野望が隠されているのです。核のない社会を夢見る私としてはもうこう言うほかありません、もんじゅをお釈迦に、と。 (晴)   
ムリ・ムダ・危険なもんじゅは廃炉しかない!!


田中文科相の森元首相に対する「文教利権」への一撃と撤退戦のお粗末さ

田中文科大臣の「文部利権」への一撃

 田中真紀子文科相が、森喜朗元首相の「文教利権」の一角をなす「大学開学利権」に一撃を加えた。それは「政官業学」の典型的な利権である。彼らの最大の源泉は、「私学助成金」だ。この重要な点に対するマスコミの切れは、彼ら自身利権集団なので当然悪い。
 私学関係の政府予算は、私立学校振興助成法(1975年公布、翌年施行)を根拠としているが、そもそもこの法律は日本国憲法89条の「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」に抵触する恐れがある。しかし現実には「学校教育法および私立学校法」に定める教育施設に対しては、これが公の支配下に属するとの拡大解釈により助成が行われている。ここに利権が発生する根拠がある。なお構造改革特別区域法に定める学校設置会社(株式会社)や、学校設置非営利法人(特定非営利活動法人)に対しては、こうした助成は行われていない。
 しかし田中大臣の三大学不認可の一撃は、利権に塗れたマスコミの一大反撃に遭い、田中大臣自身予想しなかった展開の中で、早々に発言を撤回させる展開となったのである。

文科省の「文教利権」の源泉

 文科省高等教育局私学部によれば、私学関係の平成24年度予算額(当初案)は、以下の通り、金額は平成23年度予算額、平成24年度予定額、比較増(△ 減額)の順だ。
(1)私立大学等経常費補助3209億2200万円、3263億2600万円、54億400万円〔うち復興特別会計75億7300万円〕
(2)私立高校経常費補助1002億3000万円、1005億3800万円、3億800万円〔うち復興特別会計2億2400万円〕
(3)私立学校施設・設備の整備の推進150億688万円、210億770万円、60億82万円〔他に、財政融資資金〕〔30億700万円〕〔54億500万円〕〔23億800万円〕
(4)私立大学教育研究活性化設備整備事業 0 円、31億4700万円、31億4700万円
 計4368億4000万円、4517億8000万円、149億4100万円〔うち復興特別会計187億8300万円〕
 この巨額の数字を読者にあっては、しっかりと胸深く確認して貰いたい。
 私立学校を設立し経営を行ういわゆる「大学屋」と「学校屋」は、こうした巨額の政府予算による「私学助成金」に群がるシロアリである。したがって私立大学などの学校設立者は、理事会を押さえ、経営を独占する場合が大多数である。これらの理事会や教授会、あるいは事務部のポストが、自民党文教族議員や文科官僚の天下り先や各新聞の論説委員や記者の退職の受け皿になり、高額の給料が保証される良い再就職先になっている。
 10月25日、群馬県高崎市の学校法人堀越学園に対し文部科学省は、来年3月までに解散命令を発令すると発表した。同省は「状況次第。適切なタイミングで発令する」として様々な条件を考慮した結果、発令が早まる可能性も示唆し、混乱が続いた同学園の解散に向け具体的なプロセスが進行する。まさに最近話題とはなった前代未聞の展開である。
 文科相の諮問機関「大学設置・学校法人審議会」は、この解散命令を了承し、その後の記者会見で、同省私学部の牛尾参事官は、解散命令について「非常に残念な事態」と述べ、堀越学園を巡る問題をこれ以上放置すると更に在学生に迷惑を掛ける事を、命令を出す理由として挙げた。ここに典型的な最近の「大学の劣化」を見る事ができる。
 呆れ果てた事に堀越学園は、文科省の再三の請求にもかかわらず、私学助成金を貰いながらも学園側は財務書類や預貯金残高などを一切明らかにしていないからだ。文科省もこれ以上税金を投入して今年度末まで学園を存続させる事は、「現時点でそういうスキーム(枠組み)はない」と否定さぜるをえず考えられないほどの酷さなのである。
 このように新設大学の認可は、自民党文教族議員や文科官僚が、初めから「認可ありき」で大学設置・学校法人審議会に諮問し答申されるものなのであり、文部科学大臣は、ただ単に黙って判子を押す権限しか与えられていない。だから「大学屋」は認可もされない段階から、施設建設、増設、教員採用、学生募集を行うという「歪な手続き」を行う事を当然のルールとしていた。彼らは、認可があれば財務省が私学助成金を増額すると信じて疑わない。万が一にも予算がつかなかったら、一体如何にするつもりなのであろうか。

田中文科大臣の撤退戦のお粗末さ

 今回の田中真紀子文科相の三大学「不認可」発言で、激怒し過剰反応した国会議員たちは、この私学助成金に群がるシロアリだと自ら任じたに等しい。自民党の石破茂幹事長、安倍晋三元首相、下村博文元官房副長官、山本一太参院議員らは、野党に転落しながらも「文教利権」を未だ手放さないシロアリの代表的人物である。
 三大学の認可を一転認める事になった田中文科相に対し、自民党は「問責に値する」などと息巻きいい気なものである。利権に塗れた全国紙やテレビも真紀子叩き一色なのだが、そもそも「大学の劣化」や「審議会のあり方」を問題視した真紀子の言い分は正論だ。
 なぜ少子化が深化する今でも大学が増え続けるのか。92年に523校だった4年制大学は783校に増えたが、どこもかしこも受験生集めに四苦八苦で、不足分を海外からの留学生で補う大学まで出てきた。この「文教利権」に対し田中大臣は果敢に闘いを挑んだ。この闘いの開始については、野田総理にも藤井幹事長にも明確に告げていたのである。
 しかし彼らはその他でも同様であったようにハシゴをはずして自らの責任については口を閉ざしてしまった。田中文科大臣その人も早々と旗を巻いて逃げてしまったのである。
 田中大臣は今後設置基準を見直すとその場を取り繕い、石破自民党幹事長は「十分問責に値する」と批判したが、永年この欠陥制度を放置し続けたのは旧自民党政権である。
 確かに田中大臣の三大学不認可は唐突だったが、長年文部行政に携わり「文教利権」を貪ってきた自民党文教族に対する撤退戦において、有権者に対してこの利権の存在と反撃の正当性を訴える姿勢の発揮は、政治家に必要とされる不可欠の要素であった。
 この点、当初の押出しに比較して、田中大臣の撤退戦のお粗末さは特記するに値する。田中真紀子とは、一部からは過大評価されてはいるが自分の力では物事に起承転結をつけられない、所詮は世間知らずのじゃじゃ馬にしか過ぎなかったのである。 (猪瀬)案内へ戻る


「何でも紹介コーナー」・・・「ザ・モアイ(模合)」

 今回の「何でも紹介」は、沖縄の「模合」を紹介します。
 この「模合」は沖縄社会に根づいた独特の慣習。仕事上とか町内会などのフォーマルな集まりではなく、まったく個人の関係・イン・フォーマルな関係で集まる会合。
 小中学校の同級生とか高校時代の同級生、元職場の関係とか趣味の関係とか、様々な人間関係が会合の基礎になっている。好きな人は三つも四つも「模合」に入っている人もいる。
 基本的には毎月一回の定期会合(飲み会が多いので、居酒屋開催が定番)、毎月定額のお金を集めて積み立てをする(沖縄の手帳には、「模合帳」という欄が設けられている)。お金に困っている人がいれば、その人を優先してその月に集まった積立金を貸し出す。積立金がたまれば、年末や年度末にメンバー全員で旅行するとか、様々な企画を計画する。
 「模合」の名前も『たつみ会』(辰年、巳年生まれの同級生)、『チキン会』(酉年生まれの同級生)、『山水会』(毎月第3水曜日に集まる)、『三九会』(昭和39年生まれのメンバー)、『☆☆高校6期会那覇支部』とか、まさに様々なネーミングである。
 みんなでお金を積み立て貸し出す、月1回の定期会合を開いて、日頃の出来事を話し合うような慣習は本土社会にも存在していた。私の子ども時代、父の小学校同級生が毎月1回、「寄り合い」(各同級生の家で持ち回り開催)と呼ぶ、定期会合をやっていた。
 本土社会では、こうした会合のスタイルはだんだん減って、その代わり趣味を通じた交流が主流になっているのではないか。沖縄社会では、この「模合」が年齢、男女の違い、学校の違い等々、それぞれの特色を生かし様々な「模合」があり、いっそう盛んになり発展している。
 年配者の人たちにとっては、「模合」メンバーの中には既婚も未婚も離婚もおり、職業もさまざまである。でも、気心知った仲間同士での「模合」は「子育ての悩み、親の介護や自分の健康、その時々の不安や苦しみを何でも話せて、助け合って支え合ってきた場」であると。「学生時代に戻って元気をもらえる」「損得抜きの交流の場。本音で話し、心のリフレッシュになる」と言う。
 若い世代は趣味を生かした「模合」が多い。模合メンバーで野球チーム(男女混合チーム)を結成し、優勝をめざし練習に励む。「普段、男の同級生と話す機会がないので、子どもたちを兄弟に預けて、月1回の模合を楽しみにしている」と言う。そして、毎年の企画として、メンバーの家族も参加する「バーベキュー」や「バス旅行」を実施して、子どもたちにも喜ばれ家族ぐるみの交流が進む。
 人と人の繋がる場がなくなり、人間の絆が壊れはじめ、孤独死・自殺・無差別殺人などが多発する本土社会。一方、「思いやり」や「相互扶助」が浸透している沖縄社会、この社会の基礎に人間の絆を大切にする「模合」 というシステムが機能している。(富田 英司)


2012.11.15.読者からの手紙

石原知事の辞職に同意した既成政党に失望する

 10月31日、東京都議会は午後1時から臨時議会を開き、全会一致で石原都知事の辞職に同意し、石原氏は同日いっぱいで正式に退任するとの新聞記事を読みました。
 この記事を読んで私は既成政党に対する失望を深くしました。
 石原都知事の暴政に抵抗していたと考えられる日本共産党・社民党は言うに及ばず、生活が第一党等の諸政党が全会一致で辞職を承認するとは、何とも驚いたの一言です。
 共産党がどう行動したかについて関心があったので、早速インターネットで共産党都議団のホームページを調べてみました。すると「石原知事の辞任表明について 2012年10月25日 日本共産党東京都議会議員団団長 吉田 信夫」の声明が公開されていましたので引用しておきます。

 石原知事は、小泉改革以来の大型開発優先、社会保障切り下げと弱肉強食の経済政策などを、都政で先行的に進めてきた。都民に犠牲を押し付けるひどい都政をすすめてきた石原氏が、都政を踏み台に国政に臨むことは許されない。
 同時にいま、都民生活の困難が増しているなかで、社会的弱者はもちろん広く都民を切り捨てる路線のすみやかな転換が求められており、私たちは広範な都民のみなさんとともに、都政を都民本位に変えていく重要な契機としていきたい。
 また石原新党について言えば、これまでの自民党政治をなんら変えることなく、極端な憲法否定などタカ派路線と、財界の求める大企業中心の政治・経済路線を、国政で本格的にすすめようとするものであり、国民利益と真っ向から対立する存在になると言わざるを得ない。                                 以 上

 この声明を読んで私は再度驚きました。最初の三行に書いてあるとおり、石原都知事に対する糾弾はあるものの、相変わらずの「都政を都民本位に変えていく重要な契機としていきたい」の呆れ果てた希望表明です。
 自分たちの独力では倒せない石原都知事が自ら退職するのだから、望むところだと言わんばかりの書きっぷりではないですか。もし自分たちが辞職に反対して臍を曲げられ、辞職しないと言い出したら大変だとの共産党の思惑が言外に確かに感じられるのです。
 石原都知事は、常軌を逸した「新銀行東京」の経営、当てもなきオリンピック招致運動の無駄使い、築地市場の強制移転、最後には唐突な「尖閣」都有化等々の都政私物化でどれだけ関係者や第三者に被害をもたらしたかの反省が一切ない脳天気なのです。
 その責任を取らずに、突然不可解にも止めた国政にまだやり残したことがあるとの理由付けから再度の立候補へと、過去の行きがかりを一切忘れたかのような満面の笑みで喜々するマスコミに登場する彼の姿は、まさに彼自身が追求して止まない政治の本質に通じるものがあります。最近の尖閣問題では、アメリカのマッチポンプを努めてきたのです。
 このように石原氏は、様々な問題をすべて放置したままスタコラサッサと逃げ出したのに、東京都議臨時会でなぜ石原氏の辞任に異議ありの声がなかったのでしょうか。「暴走老人」は糾弾するに値します。都民を代表すると言われながらこの体たらくです。
 この点に私は既成政党の限りない堕落を見ざるをえないのです。 (笹倉)案内へ戻る


Fさん投稿

「貴誌が左翼を超克せんと在るべき社会主義を模索する姿勢は、多彩な記事に反映されている。いずれも教条・硬直ステ口タイプから離れ、リアルで鋭い批判精神がある。そうした貴誌を始め、いくつかの左翼の真摯な運動、理論は現実の社会に受けとめられていない。日本にこれだけの危機・抑圧・貧困がありながら、多くの人民を覚醒、決起を妨げている大きな原因とは? 根を張った保守風土、主義、イデオロギーへの嫌悪、不信には、左翼の犯した数々の過ちがある。日共批判は説得的根拠はあるが、全否定ではなく、部分的共有を保持する度量の大きさを求めるのは、私の甘さか? 弱小、微弱な存在が互いに敵対するのは、愚かな自殺行為だ。行動・実践でしか正しさ・真理なるものは検証されず、訴える力をもたない。共同行動を今こそ! 


「従軍慰安婦」の記録映画を見て

 先月、仲間と学習会の場で、ドキュメンタリー映画「終わらない戦争」を見る機会があった。オランダ、中国、韓国、フィリピンの女性が従軍慰安婦として、いかに人権を蹂躙されたか涙して語る姿に、心に痛みが走り熱くなるものを感じた。
 深い深い傷は一生、消え去ることはない。かつて娘がマレーシアの友人宅を訪問する際、「決して日本人だと言わないでほしい」と言われた。それは友人の親類が、日本軍に死ぬほどのひどい目にあったからだという。七十年近く経っても被害を受けた人々にとっては、苦しみは忘れ去られることはないと実感させられた。自分が相手と同じ状況だったらどうなのだろうという思考が時々止まってしまう。
 娘が韓国や中国の知人から、時おり「日本軍が何をしてきたか」問われるのは当然の事だろう。小さいころから、日本軍を告発する映画会などに連れていったことはあるが、きちんと教えなかった責任を恥じた。ドイツの収容所博物館では、教師が生徒にナチスが行なった歴史を教える場を目にしたが、日本にはそうした場が皆無に近い。
 嘆いていても始まらない。最近起きた沖縄の不幸なレイプ事件は、日本軍が韓国や中国を始めとするアジアで犯してきた罪と重ね合わせて語ることを教えているような気がする。日々、人を殺す訓練をしている兵隊が狂気に走ることも!
 心身とも老いに入ったが、映画会を通じて、生きている間は発言し行動しなくてはならないと感じた次第である。  (11月記 横浜 石井)


色鉛筆・・・  毎日こつこつとゆっくりと

 転勤して2年目、昨年はまだ周りがよくわからない中、ほとんど組合活動らしいことは何も出来ず、ただおとなしく毎日過ごしていました。
 今年は、一つの目標に向かい、意見交換をしながら仕事をすすめるうちに、少しずつ周りの状態も見え始めました。
*  *  *  *  *
 職場にはいろいろな年代の人が一緒に働いています。私に本音をいう若者達、「尖閣諸島の一部を購入するお金があれば被災地に有効なお金をまわせばいいのに」「オスプレイはかっこいい、なぜ反対されるのかわからない」確定申告の時期には「国民番号制になればこんな面倒な手続きをしなくていいのに」とむしろ世間の批判に対してわざとあまのじゃくのように話しています。
 どうしてそう思うのと聞くと、飛行機も試行錯誤して出来あがった。ヘリコプターと飛行機のいいとこ取り、改良型に技術が前進しているからだと答えます。沖縄の人の気持ちや毎日の生活が困っていることを考えたことがあるのかと聞くと、考え込み黙ります。
 国民番号制も海外で始まっており、個人のプライバシーも侵され、大変な被害を受けていることを話すと、黙ってしまいます。
 若者からすれば、年老いた(?)私が話すことは、どこまで響いているかわかりません。しかしこちらも頭ごなしに話すだけでは、受け入れてもらえません。なので、なぜそう思うのかを必ず聞くようにしています。また正しい話や主張をしていると感じるときは、同調しそのことが叶うように私も一緒に努力しています。ただ、考え方の違いに日々驚くことも多く感じます。
           *  *  *  *  *  *
 いろいろな要求を実現するための組合独自で作成している署名に、記入していただくことを昨年は躊躇することが多かったです。今年は分会長にもなり、一人で思い切って「ご協力お願いします」と呼びかけ回覧しました。なんと驚くことに大半の人が記名してくれ、署名用紙も足らなくなりました。
 また以前組合だった年上の人から話しかけられることが多くなり、なぜ自分が組合をやめたか語るようになりました。私が組合員としてできることは、年上の人が組合をやめた理由を受け止め、組合の意義をきちんと問い直していきたい。また若者たちとともに、職場のことを一緒に考え、毎日こつこつとゆっくりと社会に貢献できる有意義な組合活動をしていきたい。(弥生)案内へ戻る


案内 2012もんじゅを廃炉へ!全国集会
日時 12月8日(土)午前11時~午後4時

○  現地抗議集会と原子力機構申し入れ 白木浜海岸  午前11時~
○  もんじゅ廃炉を求める全国集会   きらめき港館 午後1時半~4時 詳細は下記へhttp://www.cnic.jp/4786

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