ワーカーズ479・480合併号   2013/1/1    案内へ戻る
反動的な自公政権糾弾!憲法9条の改悪 消費税増税を阻止しよう!

 第46回衆院選は12月16日、投開票が行われ、自民党が294議席を獲得し圧倒的勝利を収めました。
 公明党も31議席を獲得し、自公両党で325議席を獲得、3年3か月ぶりの政権奪還を決めました。一方、民主党は政権批判の逆風の中で惨敗し、57議席と惨敗しました。野田首相(当時)は16日夜、党代表の辞任を表明しました。「第3極」として注目された日本維新の会は54議席を獲得し、第3党となり、自民党の安倍総裁は26日に召集された特別国会で第96代首相に就任しました。
 自民党は前回64議席にとどまった小選挙区選で大きく議席を伸ばしました。小選挙区選では2005年の219議席を上回り、過去最多となりました。 民主党は1998年の結党時の93議席も大きく下回り、公示前の230議席の4分の1以下の議席となりました。前回議席を独占した新潟や滋賀では全議席を失い、小選挙区で閣僚や閣僚経験者が相次いで敗れました。維新の会は比例選では第2党となりました。 公明党は、自民党や維新の会との選挙協力を進めて手堅い戦いを展開し、前回全敗した小選挙区選で擁立した全9候補が当選し、比例選でも全ブロックで議席を確保しました。
 民主党の惨敗は、3年前の政権獲得時にはやらないと言ってきた消費税増税法を自公と共に通したり、原発では大飯原発を再稼働させたりで自業自得というほかはありません。脱原発、消費税増税反対、TPP交渉参加反対を掲げた日本未来の党はたった9議席、共産党は8議席、社民党は2議席と惨敗しました。
 安倍首相は自衛隊を国防軍と位置づけるため、憲法9条を改悪しようとしています。憲法を変えようとするための手続きが憲法96条です。憲法96条は、憲法改正を発議するには「衆参両院で総議員の3分の2以上の賛成」を必要とし、その承認には「国民投票で過半数の賛成が必要」と定めています。この総議員の3分の2を2分の1の賛成に変えようとしています。衆議院は、憲法改悪に賛成する政党が3分の2を超えていますが、参議院は超えていません。その意味では、来年の参議院選挙は大変重要です。憲法改悪派の自民党、日本維新の会、みんなの党を勝たせてはいけません。
 また、2014年4月に8%、15年に10%にしようとしている消費税増税についても何としても阻止していかないといけません。脱原発の闘いも重要です。そのために2013年は奮闘しなければなりません。皆さん、共に闘いましょう。(河野)

運動拠点づくりを急ごう!──利権構造と対峙する対抗勢力づくりへ──

総選挙に現れた民意は、安倍自民党を政権の座に復帰させた。が、民意は安倍自民党が主張していたような保守回帰ではない。不透明な日本の行く末、民主党政権への幻滅、そしてなによりも格差社会の拡がりで雇用や処遇悪化など生活の閉塞感が解消されないことが、今回の政権交代の最大の要因だろう。
 私たちとしては、そうした生活者の閉塞感を打破する将来展望の提示や、そこに向けた闘いに貢献できなかったことが最大の反省点だ。
 新たな年明けにあたって、労働現場や地域、それに様々な連携の場での闘う仲間づくりを通して労働者・生活者の声を結集し、既存体制や政治の右傾化に対する突破口をこじ開けていきたい。


◆自業自得

 年末に行われた総選挙で民主党が惨敗した。09年総選挙での308議席から57議席へと壊滅的敗北を強いられた要因はすでに明らかだろう。政権選択選挙で訴えた「官僚主導政治からの脱却」の挫折、子ども手当や高速道路無料化の棚上げ、それに最低保障年金の創設など主要政策はことごとく看板倒れに終わった。民主党マニフェストは総崩れとなったのだ。
 逆にマニフェストではやらないと言っていた消費増税を、民自公の談合で強引に導入を決め、これもマニフェストになかったTPPへの参加方針を打ち出しての解散総選挙だった。
 本来は初代民主党内閣の首班だった鳩山由紀夫首相による普天間基地の海外・県外移設が挫折した時点で、次にはこれもマニフェストで明言していたように、消費税引き上げを打ち出す時点で「民意を問う」ことが最低限のけじめのハズだった。それが議会制民主主義の最低限のルールであり政権の正統性を担保する手順だったのに、だ。しかし鳩山内閣や最初に消費増税を打ち出した菅内閣、その後を継いだ野田内閣は、最低限のルールを無視して開き直るばかりだった。
 長引く不況と劣悪な雇用・処遇に苦しむ労働者や生活者の思いから遠く離れてしまった民主党政権。約束違反の手のひら返しで有権者の民主党離れをもたらしたのは、自業自得としかいいようがない。
 テレビや新聞などのメディアも同罪だ。自民党政権の末期には、一年ごとにかわる内閣を「政権たらい回し」と批判していた。なのに民主党政権が一年ごとに変わったことに対しては、「政治の安定」や「決められる政治」を持ち出して民主党政権の開き直りを追認し続けてきた。
 前回の総選挙では、耐用年数が過ぎて金属疲労を起こしていた自民党政権への閉塞感から脱却できるかもしれないとの有権者の想いが、保守二大政党の一翼を占めていた民主党を政権の座に押し上げた。今回の総選挙では、その想いが逆流して自民党に流れたわけだ。

◆庶民に依拠できない民主党

 3年前に有権者の期待を背に政権の座に就いた民主党。その挫折の要因は何だったのだろうか。
 第一は、有権者受けするバラマキ政策の羅列でしかなかった民主党マニフェストそのものにある。そこでは実現に向けた決意も戦略もなかった。
 第二は、政治主導のはき違えだ。本来の政治主導は、普通の労働者や生活者に依拠した民意の実現にあったはずだ。それが民主党政権では、政治家主導、あるいは内閣主導と勘違いしていたことで、肝心の民意に依拠するという基本的観点が欠落したままだった。
 第三は、民意に依拠できない結果、既存の財界・御用組合や業界団体への依存から脱却できなかった。できなかったというより、それらの団体を自民党から民主党に鞍替えさせることに終始した。
 第四は、議員政党とエリート政治に止まったことだ。有権者と働く場や生活の場で連携することができず、そうした活動を担う党組織や党員の活動を重視せず、閣僚をたらい廻ししたエリート政治家の人気や評判によって政治を動かす、いはば「風だより」の政治に止まっていたからだ。
 民主党政権のこれらの限界は、最終的には民主主義の欠如に行き着く。民主党政権は、政治主導の確立とは言ったが、民主主義の確立とは言わなかった。労働者や生活者などは、主権者でも何でもなく、単なる票田でしかなかった。自民党と何ら変わらなかったわけだ。

◆矛盾と軋轢の安倍政権

 総選挙で294議席を獲得して政権の座に復帰した安倍自民党。が、有権者の積極的な支持を獲得したわけではない。比例区での得票率は27・6%で、前回総選挙の26・73%から増えていない。ひとえに民主党政権挫折の受け皿になったに過ぎない。
 とはいえ、安倍自民党の右翼タカ派路線に一定の吸引力があったのも確かだ。総選挙前には北方領土や尖閣諸島、それに竹島や従軍慰安婦問題をめぐって周辺諸国との軋轢が高まった。豊かな経済、強い国家への素朴な憧憬が自民党への吸引力として働いた面もあるだろう。
 それにしても、「戦後体制からの脱却」を掲げた安倍自民党の極右ぶりは際立っている。旧安倍政権が挫折したのは、小泉内閣以降深刻化した格差社会のもとでの人々の暮らし向きの悪化を素通りしたまま、戦前回帰の憲法改悪や教育の国家統制などに執着してきたことで、有権者の想いとかけ離れた政権運営をつづけてきたからに他ならない。再登板した安倍首相には、そうした第一次安倍内閣の挫折の原因を、いまだに気がつかないわけだ。
 その復活安倍内閣。選挙中から叫んでいたのは拝外主義的なナショナリズムと景気・経済対策での「無鉄砲」なテコ入れ政策だった。白川日銀総裁や米倉経団連会長という体制維持派の頭目に呆れられたいわゆる「アベノミクス」。赤字国債による公共事業中心の財政出動と金融操作で経済成長とデフレ克服がかなう、との触れ込みだ。
 「アベノミクス」もまた民主党マニフェストとまったく同じ、大風呂敷で終わる公算が高い。処方箋自体が間違っているからだ。それでも経済界や中小企業者などから一定の評価を受けているのは、それが間違いなく彼らに恩恵がもたらされるからだ。とはいっても、それらは目先の話だけでしかない。
 いうまでもなく現在の不況は生産と需要の悪循環によるデフレスパイラルではない。需給の循環が途切れてしまったことによる構造的な消費不足で物価下落から脱却できないだけなのだ。企業はも儲けをため込むだけで労働者には配分せず、消費が縮んでいるから儲けを新たな投資に振り向けられないで国債を買うだけ、生産と消費の差額を国債発行による政府支出でバランスを維持しているだけなのだ。結局、生産と消費は増えず、政府の借金だけが膨らみ続けることになる。
 いわば「アベノミクス」は、歴代自民党政権時代から繰り返してきた「傷に絆創膏」の代物に過ぎない。仮にそれで経済成長やデフレ脱却ができるなら、失われた20年はなかったはずだ。
 安倍自民党が目論む「戦後体制の打破」という戦前回帰の右翼・タカ派路線も矛盾をはらんだものものだ。社会的矛盾が深まると、関心や批判を外に向ける勢力が台頭する。領土や従軍慰安婦などを材料とする排外主義だ。それは欧州などで高まる移民排斥などの排外主義と同じだ。そうした勢力はヨーロッパ政治では極右と呼ばれている。日本でも極右は右翼団体ばかりでなく、自民党の政治家や都知事など、国政政党の主要メンバーにまで拡がっているわけだ。
 安倍首相が繰り返す従軍慰安婦や南京大虐殺の否定発言は、米国や欧州からも批判された経緯もある。日本の戦争責任、ひいては東京裁判の否定による米国批判に結びつくからだ。安倍首相はノー天気に戦前回帰と日米安保重視を並べているが、それらは本来矛盾していることなのだ。安倍首相による戦前回帰の思惑は、周辺国ばかりではなく、米国の立場とも衝突する性格のものだからだ。
 安倍自民党の何よりのネックは、拡がる格差社会の是正になんの解決策も持ち合わせていないことだ。今は排外主義に捌け口を求めているが、米国でのオキュパイ(占拠)運動のように、労働者や生活者の批判が資本主義体制に向かう可能性が拡がっているのだ。

◆対抗勢力づくり

 今回の総選挙では、福島での原発事故をふまえた「脱原発か」かそれとも「原発維持」か、が最大の争点となった。総選挙を迎えた民意は明らかに脱原発の意志を示していた。が、現実は「即時廃止」から「30年代での脱原発」や「10年間の検討期間」まで表向きは様々な選択肢が示されるなか、「脱原発」の争点は薄められてしまった。結局自民党政権の復活で「脱原発」は見直されようとしている。
 首相官邸前での毎週にわたる「脱原発」の抗議行動が大きく盛り上がって全国に拡がっても、あと一歩のところを押し切れなかった。その「あと一歩」は私たちに何を問いかけているのだろうか。
 今回の原発事故では、実際に原発を仕切っていたのは、電力会社と一体となった政治家や官僚、それに専門家と称される研究者を含めた、いわゆる「電原子力ムラ」だったことが白日の下に晒された。日本社会では、その他に公共事業ムラや安保ムラ、それに文教ムラや医療ムラなど、要はそれぞれの領域での政官業による利権集団に牛耳られているのが実態なのだ。そうした利権集団は、それぞれの領域で棲み分けられているとはいえ、最終的には既存の枠組みの死守が生命線だ。
 そうした利権集団と対決して日本社会の根本的な転換を実現するためには、単にシングル一シュー(単一の政策主張)での反乱では明らかに限界がある。利権構造全体と対決する主体づくりが問われているのだ。
 今回の脱原発行動の盛り上がりは、そうした利権体制と対決する先駆的闘いになったし、同時にこれまでの劇場政治と観客民主主義を乗り越える直接民主主義と参加型民主主義の扉を開いたといえる。その上で「あと一歩」を踏み出すとすれば、それは脱原発の直接行動に継続性と力を加える労働者組織や市民運動などによる、利権システムそのものを打破する対抗勢力の形成だろう。
 思えばこれまでの一連の脱原発行動では、労働者によるストライキ行動など、利権構造の足元を揺るがすような闘いは伴わなかった。連合など大手の組合の多くは、電力総連に代表されるような企業一家の御用組合だからだ。そうした既存組合の造り直しと市民団体や各種NPOなどが連携して利権集団と対決することで、「あと一歩」を押し込むことができる。
 安倍右翼政権が復活したいま、利権集団という本丸と対峙する運動拠点づくりが急務だ。職場や地域、あるいはネット世界でも仲間づくりから始め、総体として利権構造と対決する勢力を結集していきたい。(廣)

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「沖縄通信・NO31」・・・サウンドデモとラブ沖縄

1、サウンドデモ「音楽に乗せて基地反対」
 オスプレイ配備と米兵による凶悪事件に翻弄された沖縄。この1年の闘いの集大成をめざし、オスプレイの強行配備や相次ぐ米兵による凶悪犯罪に対する怒りを、音楽や踊りで表現する「怒りの御万人大行動(うまんちゅパレード)」が12月23日、宜野湾海浜公園屋外劇場で開かれた。
 いつもの形通りの集会(労働組合)スタイルでなく、幅広い世代が気軽に参加できるように企画されたこともあり、約3000人が参加しほぼ屋外劇場が満杯になった。
 11時からの前段のイベントでは、久し振りに「でいご娘」さん(4人姉妹の沖縄民謡グループで、父・比嘉恒敏さんの遺作「艦砲ぬ喰ぇーぬくさー」を歌う)が登場し喝采を受ける。トリは沖縄歌手を代表する海勢頭豊さん(「月桃の花」や「きせんばる」等が有名)が歌う。
 12時から集会が始まり、主催者を代表して崎山嗣幸沖縄平和運動センター議長が「来年も配備されるであろうオスプレイを阻止し、米軍基地撤去まで断固として頑張っていこう」と挨拶。普天間爆音訴訟団の桃原功さんと辺野古ヘリ基地反対協の安次富浩さんが元気に地元の闘いを報告。続いて来賓の国会議員の挨拶、厳しい衆院選を闘い抜き当選した社民・照屋寛徳さんと共産・赤嶺政賢さんの挨拶に対する拍手と声援は一段と高かった。最後は参議院の社大党・糸数慶子さんと社民・山内徳信さんが名調子の挨拶。
 13時からの集会後のデモは「サウンドデモ」(行進の列を10ブロックに分け、県内外で活躍する音楽家が各ブロックの先導車両に乗り、ロックやフォーク、クラブミュージックや民族音楽などを演奏しながら)米軍普天間飛行場大山ゲート前の広場まで約2キロを行進した。参加者たちは平和を願う音色の下で、リラックスした様子で行進し、オスプレイ配備撤回や米軍基地撤去を訴えた。
 突然のにぎやかなサウンドデモに遭遇した沿道の人たちも「音がしたので娘の手を引いて表にでたが、こういう雰囲気のデモなら参加しやすいと思う」と、好意的反応が多かった。
 年配の参加者たちも「こんなに楽しいデモはなかった。これこそ平和への歩みだ。基地がなくなるまで頑張れるという気持ちになった」「75年の人生で、こんな楽しいデモは初めて。音楽を鳴らしながら、来年も基地反対の声を上げていこう」など喜んでいた。
 オスプレイ配備反対の運動は、6月17日の「宜野湾市民大会」から始まり、7月より米軍普天間飛行場大山ゲート前でのテント村座り込み抗議行動が始まり、その後野嵩ゲート前での抗議行動も始まり、9月下旬にはゲート封鎖をやり遂げるが県警機動隊の暴力排除を受ける。それでもオスプレイ配備撤回をめざし大山・野嵩の二カ所でのゲート前抗議行動を続け、7月から12月末まで約6ヶ月オスプレイ配備の反対運動を続けてきた。今後も続ける。
 戦後67年間、復帰前も復帰後も世界最強の軍隊である米軍占領軍(米軍機事故や米兵犯罪など)とずっと闘ってきた沖縄県民、 今も基地ゲート前で闘っている沖縄県民、これからも諦めずに闘おうとしている沖縄県民。でも、彼ら彼女たちは暗くない、笑顔で明るく闘う!けして闘いをあきらめない闘いを続ける。そんな人たちから学ぶことは多い。
 当日、神奈川でもオスプレイの配備反対や米兵による凶悪事件を糾弾する「怒りの神奈川行動」が取り組まれ、約800名結集し「オスプレイ配備撤回」「オスプレイはアメリカに帰れ」「低空飛行訓練反対」などを訴え、米軍厚木基地に対するデモ行進をした。今後、こうした沖縄と本土との連帯行動を作り上げていく必要がある!

2、映画「ラブ・沖縄」の紹介
 藤本幸久・影山あさ子監督は前作品「ラブ・沖縄」(辺野古・高江編)に米軍普天間飛行場大山・野嵩ゲートの封鎖闘争を追加した新作品「ラブ・沖縄」(辺野古・高江・普天間編、上映時間=110分)を完成させた。
 全国各地でこの作品の上映会を取り組んでほしい。今の沖縄の闘いを知る意味でとても良い作品である。
 衆院選で大勝した自民党の安倍晋三総裁は、またこりずに普天間移設のために「辺野古新基地」建設を進めると公言する。高江の新ヘリパット建設がオスプレイ訓練のためのヘリパット工事である事がはっきりした。
 霞ヶ関官僚の出先機関である沖縄防衛局は、これまで辺野古でも高江でも、ウソをつき続け都合が悪くなるとごまかし、まともな説明を地元住民にしてこなかった。
 でも、もう沖縄県民はだまされない。普天間にオスプレイが配備されたが、辺野古新基地も高江パット建設もすべてオスプレイ配備と訓練のためであり、三カ所はセットになっている。辺野古の反対闘争はもう15年も続いている。高江の住民の闘いも5年も続いている。それに、今度普天間の闘いも加わった。
 その三つの闘いのドキュメンタリー作品である。是非、各地で沖縄連帯をめざし上映会を取り組んでほしい!(富田 英司)

 ★映画作品の連絡先=影山事務所 〒004-0004札幌市厚別区厚別東4-8-17-12 TEL011-206-4570 e-mail:marinesgohome@gmail.com


公共事業費の減少が続く中で何故国の借金が増大し続けるのか
――公共事業費と外貨準備と日本の借金の関係

公共事業費の減少と国の借金の増大

 2012年12月2日付けの朝日新聞に実に興味深い統計図(注1:財務省・外貨準備の推移http://info.hd-station.net/data/jp/gaika.pdf)が掲載された。それは、国の公共事業費の推移と国の借金増の比較図だ。この時期に何故発表なのかは不明である。
 この統計図により誰でも確認できるように、90年代半ばまで公共事業費は増加の基調にあり、そのピークでは年15兆円規模だったが、その後の公共事業費は減り続け、現在では5兆円規模にまで下落している。
 つまりかつての自民政権時代は、世界に冠たる「土建屋国家」であったが、高額の維持管理費を不可欠の随伴物とする箱物の公共事業へ労働者市民の批判が強くなり、2001年の小泉政権誕生以来、公共事業費は統計図のように確かに急減したのである。
 ところが、その一方で国の借金(日本の金融機関に預けられている国民預貯金からの借金が中心)は、90年代の半ば以降から着実に増え続けている。
 90年代の自民党政権時代、国の借金は主に公共事業費に支出されていた事は、統計図から分かるが、2001年、小泉政権誕生以降は公共事業費を減らしているのに、国の借金が急増している。一体なぜなのだろうか。
 ところで「土建屋国家」の血流である公共事業費が減少したら、高速道路網やトンネルや本四架橋等のように不断の整備が不可欠の施設の安全対策はどうなったのであろうか。
 この心配は的中した。2012年12月2日、中央自動車道の笹子トンネルで天井パネル崩落事故が発生し、9人の犠牲者が出た。安全対策の不備故の事故だった。その後の全国緊急調査によって、この種の不備が数千規模で発覚したのだ。おおまかにいえば高速道路の通行料で6千億円も儲けながら、安全対策費はたったの5億円しか支出していなかった。今またマスコミは首都圏高速道路の老朽化報道で私たちの目くらましをしている。
 私たちは、高速道路で高額の通行料を取られる。アメリカ等は税金で高速道路を建設し、そのほとんどが無料であるが、日本ではまさに『道路の権力』となっていたのだ。
 今度都知事になった猪瀬氏が主導した「道路公団民営化」の本質は、この道路利権の温存にこそあったというべきだ。そしてまさに事故は起こるべくして起こったのである。
 その通行料の7~8割は、建設費借入金の償還と借金の利払いに充てられ、笹子トンネルを含む全国の高速道路の安全対策にカネが充分に回らない収支構造となっている。
 このように公共事業費が減少し続ける中にあっても、既得権益に寄生する階層・シロアリはいっこうに減る気配を見せない。これが日本の真実なのである。

国の借金の急増と関連する公共事業費と外貨準備高

 90年代後半から急増する国の借金と正比例して、国の外貨準備高が急増している。先の統計図によれば、90年代後半から今日まで国の借金は400兆円規模となった。
 この借金増の内訳を推論するとこの間の公共事業費の累計は100兆円規模(ただし、公共事業費をすべて借金で賄うと仮定した場合)で、そして外貨準備増も100兆円規模だ。また国債利払いの累計も100兆円規模なのだ。すると400兆円マイナス300兆円で、まだ100兆円分の計算が合わない。一体どのようになっているのだろうか。そこで上記の支出増累計300兆円に加算される100兆円不足分の要因をさらに推論すると以下のような結論となる。
 つまり90年代末から国の一般会計歳出は、年80兆円規模だったが、この数年間に90~100兆円規模に増えた。歳入は90年代末以降、ずっと40兆円台の長期低迷状態(注2:財務省 一般会計税収、歳出総額及び公債発行の推移
http://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/003.htm)だったのにもかかわらず、日本政府は一方で歳出を逆に増やしているのだ。しかしながら日本政府は歳出を増やしているのに、他方では公共事業費を大きく削減させている。これでは、いつまで経っても日本が景気回復しないのは当たり前といわざるをえない。
 地方経済を潤すの公共事業費をこれほど減らしても歳出が増えているのはなぜか。それは国の借金の急増に伴って、国債利払い支出が増大しているからだ。結果的に国債を購入する財務省配下の金融機関を潤しているのだ。つまり地方経済が疲弊・縮小する中で、国債を買う金融機関のみが潤う構造が出来上がっているのである。

外貨準備高の急増の背景――小泉政権の隠された財政政策

 今注目せざるをえないのは、小泉政権の誕生以降、外貨準備高は急増している事だ。つまり日本の借金増加の真因は、2001年の小泉政権誕生以降、強化された米国財政支援のための外貨準備にあった。これこそ小泉政権の隠された財政政策だったのである。
 これでは国の借金が増えるという事は、実質的には日本の国富が米国に一方的に移転しているのと同じ事だ。まさに小泉政権誕生以降、20年以上も日本の地方経済が慢性的に疲弊・縮小し、日本の労働者市民が窮乏化している根本原因は、日本政府が労働者市民には内緒にしながら、せっせと米ドル中心の外貨準備高を増やしている事にこそある。全ては特別会計の闇の中にある。その解明めざし暗殺された民主党の石井紘基議員を堕したほどにその闇は深いのである。
 つまり自公民政権から民主党政権になっても、日本政府は日本の労働者市民の幸福を犠牲にして、米国への財政支援を優先しているのだ。安住財務大臣にあっては、国際的には禁じ手の円高対策という名の下に単独の為替介入を数兆円単位で繰り返して、世界の失笑を浴びている。まさに哀れで惨めな役割を果たすだけの財務大臣ではないか。
 当然の事ながら財政危機にある米国政府は、日本政府の買う米国債を返済する余裕はないし、そもそも日本に返済するつもりもない。日本政府には返済を請求しないとの密約があると公然と噂されてさえいるほどである。

注目すべき総選挙中の亀井発言

 かって選挙区で当選を巡って骨肉の厳しい闘いを繰り広げた事もある佐藤公治参院議員が、今回は苦しい闘いを強いられている亀井氏を恩讐を超えた立場から応援していた。
 12月13日、亀井氏は広島県尾道市内で開かれた決起集会に登場し、「同志として闘える事を光栄、誇りに思う」と約2千人の参加者に支持を呼びかけた。そして演説の中で公約破りの民主党や小泉改革で国を疲弊させた自公政権に触れ、「『私(亀井静香は、警視庁時代に)は捜査2課長を務めたが、こんな大がかりな詐欺を見た事ない。年金や福祉に回すお金がないから消費増税と言うが、アメリカに200兆円もくれて国民のために使ってない。ブッシュとの約束だけ守っている』と3党の属国ぶりを批判した」のである。
 この亀井氏の発言は、まさにこの間の自公・民主政権の真実を語っている。しかしほとんどの日本人は、この事実「年金や福祉に回すお金がないから消費増税と言うが、アメリカに200兆円もくれて国民のために使ってない」事を知らないし、知っていてもマスコミ関係者や政治家は、無視するのだ。その意味において亀井氏の発言は貴重なものである。
 「この金額は高いと思うかも知れないが日本を守ってくれている用心棒代だ。だからアメリカに支払わないわけにはいかないのだ」となぜ公然と真実をいう保守政治家がいないのだろうか。安倍自民党総裁はこの真実を何よりも有権者に伝えるべきなのである。
 マスコミは、有権者の幸福より米政府支援を優先する日本政府を全く批判していない。しかし朝日新聞の発表した統計図は、有権者の幸福より米国政府支援を優先する日本政府の実態を余すところなく暴露している。
 私たちは、日米関係の真実を今こそ認識しなければならない時なのである。  (直木)

注1:財務省・外貨準備の推移
http://info.hd-station.net/data/jp/gaika.pdf
注2:財務省 一般会計税収、歳出総額及び公債発行の推移
http://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/003.htm 案内へ戻る


色鉛筆-原発はいやだカルタ

 私たちの子どもの頃は、お正月といえば親戚が集まり、大人も子どももトランプや百人一首などで遊んだものです。今でこそ、元旦は休日のスーパーもありますが、サービス業の勤務は普段とほとんど変わりなく出勤を強いられます。もっと、みんながゆっくり過ごせるようになったらいいのに・・・。人の心にゆとりが出来れば、ちょっとした失敗や過ちも許せるし、支えあう関係が生まれるのではと思います。
 去年の12月8日、みぞれ混じりの白木海岸で、「もんじゅ」への抗議申し入れ行動は季節の厳しさを感じざるをえませんでした。福井の地元の人たちは、こんな厳しい天候の中で日々生活を送っているのか、と恵まれた環境にいる自分の存在に気付かされました。
 午後の全国集会で、「原発はいやだカルタ」に出会いました。富山県の「原発はいやだ」の会の制作で、チェルノブイリ事故を教訓化するために作られたカルタです。発行年は1987年12月で、3・11福島事故後、2011年11月に改訂版が発行されています。イラストも工夫されていて分かり易く、孫と一緒に楽しめて学習にもなると、バスで同行した仲間にも誘われ購入しました。お正月に早速、やってみるつもりです。
 ちょっと紹介してみましょう。
さ: 「殺到をさけるためにと トンネルに 柵をして 逃げる住民とじこめる」
チェルノブイリ事故では、5時間以内に危険区域からの避難が完了したというから、避難の際には、混雑したのでしょう。しかし、柵をするとは考えられないことです。
ぬ: 「ぬしのない チェルノブイリの 家悲し」
福島もそうですが、野良になった牛、犬、ダチョウ、生き延びている映像がテレビで流れています。チェルノブイリ事故の当日オープンの遊園地の乗り物も放置されたままです。れ: 「レントゲン 1回うければ 天然の放射能の 1年分」
自然界で受ける放射能を、しきりに安全と言わんばかりの説明がありましたが、レントゲンも許容量の範囲内だから大丈夫と思っている人が多いのではないでしょうか。
ら: 「らんそうにたまるセシウム 子に孫に 30年の半減期」
女性の卵巣は生まれた時にもう卵子を持っています。もし、その時に体内被曝をしていたら、成熟して卵子を排出する時には、何らかの影響があるかもしれません。
 皆さん、今年も「色鉛筆」、女性4人の担当で、それぞれの思いを発信していきます。よろしくお付き合いをお願いします。(恵)


最悪からの再出発

 さて、今回の選挙、関西はどうだったか。大阪は維新旋風だったが、兵庫も比例区は維新がトップ。小選挙区では自民8、公明2、民主2となり、維新3名とみんな2名が比例区で復活当選している。これに反して社民党は、近畿唯一の服部良一前議員が比例区での再選ならず、議席がゼロとなった。社民退潮のなかとはいえ、服部議員の落選はあらゆる市民団体にとっての痛手となるだろう。
 日本新党田中康夫全議員も、前回は公明冬柴を追い落としたが、今回は公明新人に追われ、日本新党は国会から退場することになった。このように、兵庫では自公連合が民主に2議席を許したものの、前回の雪辱を果たした。右翼・新自由主義的第3極、維新とみんなは小選挙区で競合することなく、事実上第2党の位置を確保した。橋下が石原とではなく渡辺と合体していたら、小選挙区での当選もあったのではないか。
 要するに、今衆院選は最悪の結果である。選挙制度の不備はあるが、誰がこのような選択をしたのか問わなければならない。大きかったか小さかったかはあるが、多くの人々が期待した民主党の政権奪取が無残な結果を迎えた。その後にどのような選択肢があるのか、冷静に考えれば維新やみんなではなかったし、むろん自民や公明ではない。
 お任せではない賢い選択を多くの人々が行っていたら、違った結果となったろうにと思うと、悔しくてしかたない。そうならなかった現実は、たぶん必然だったのだろう。我々はそこから出発するほかない。
 それにしても、この国の何が問題だろうかと考えたとき、思い至るのは若い人々の非人間的境遇、ワーキングプアと称される労働現場である。まじめに働いても明日がないなら、今日をどう凌ぐかということに関心が向かうのも致し方あるまい。また、比較優位な労働者層への攻撃に快哉を叫ぶこともありだろう。
 企業の国際競争力がどうだとか、経済成長率がどうだとか、国境がどうだとか、ついでに言えばオリンピック招致がどうだとか、そんなことはどうでもいい。問題は1にも2にも良質な雇用であり、最低賃金の廃止などもってのほかだ。良質な雇用のためには、企業利益が前提だという循環論になりそうだが、これを打ち破らない限り若い人々に未来はない。にもかかわらず、政治は劣情を煽るばかりだ。
 私についていえば、何よりも脱原発をめざしたい。今回の選挙結果はその願いを打ち砕くものだが、あきらめるわけにはいかない。なぜなら、原発を再稼働させることは第2のフクシマを招きかねないからだ。また、未来に使用済み核燃料、放射性廃棄物という負の遺産をより多く残すことになる。ここでも、今日がよければ明日はどうなろうとかまわないという刹那主義、無責任が溢れている。
 そんななかでも年は明け、新年を迎える。60年を疾うに過ごし、いささかがたがきているが、2013年も全力で頑張ろうと思う。(折口晴夫) 案内へ戻る


“宴”終了にゴタゴタは続く

嘉田知事「兼務」に集中砲火

 今回の衆議院議員選挙期間中、全国遊説を敢行した嘉田未来の党党首は、手痛い敗北を喫したが、特別職の選挙遊説を鋭く問われる事になり、“宴”終了にゴタゴタは続いた。
 12月19日の県議会では、質問に臨んだ7人の内、6人までが知事の新党設立に関連だった。質問は「知事と党首の兼務はやめるべきだ」「知事として職責を全うできるのか」などと厳しく詰め寄る内容ばかりで、嘉田知事はこれまで同様、国政に関与する事が県益につながるとした上で、「県政に臨む気持ちはいささかのゆるぎもない」と説明する。その上で党務については「インターネットや電話を使い、東京に頻繁に行く事は想定していない」と述べ、県を不在にする意思はない事を強調した。
 また「国政進出のタイミングを図っているのか」との問いに「軸足はあくまで滋賀県にあり、そのための国政関与。任期満了まで知事の職務を全うしたい」と述べるだけで、「出馬はない」とは明言しなかった。
 さらに小寺裕雄議員(自民)が消費増税について問うと嘉田知事は「税制を直接動かせない知事としては評価をさせていただいたが、税制そのものを関与できる国政政党としては、(脱増税を)願望として示した」と、しどろもどろの答弁に終始した。佐野議長から「知事の立場と党首の立場でこんがらがっている。整理して」と注意もした。
 嘉田知事は来夏の参院選への出馬を噂される中、「(平成26年の)任期満了まで知事としての職務を全うしたい」と発言し、参院選への出馬は打ち消した。だが18日には、首長と国会議員の兼職を可能にする法案への興味を示すなど、その法案成立次第では、国政進出の可能性も選択肢として残しているとも受け取れる微妙な言動を続け、20日の県議会本会議では、嘉田知事は知事と党代表の兼務について、「(知事に加え)党首の職を兼ねていきたいと考えているが、改めて今後の事は熟慮したい」と述べた。
 これに対して、嘉田知事が日本未来の党代表を兼務している事に反発する同県議会(定数47、欠員1)の最大会派・自民党(25人)は21日、知事が兼務を続ける場合、11月議会最終日の26日に、辞職勧告決議案の提出を軸に責任を追及する方針を決めた。
 21日午前の会派総会で方針を確認したが、出席した県議によると、「国政では自民党が大勢を取った状況で、少数野党の党首が知事を続ける事は、国との考え方の違いなどから県民益を損ねる」として責任追及を行う方針で概ね一致したのであった。

橋下大阪市長“二足のわらじ”の嘉田氏を擁護

 橋下市長も日本未来の党代表の嘉田滋賀県知事と同様に、衆院選活動中の給与の支出差し止めを求める住民監査請求を起こされており、監査委員の判断が注目されている。
 総選挙も終わったが、嘉田知事同様、日本維新の会の幹部とともに首長の職責を担う松井一郎大阪府知事と橋下徹大阪市長は、来年度予算編成や府市政改革など、多忙な公務が待っていた。橋下市長は、自分と同様“二足のわらじ”の嘉田氏を擁護し恥じなかった。
 12月17日は、両氏とも公務は入れず府庁や市役所には終日登庁しない呆れた予定だが、幹部職員からは「選挙で議論がストップしている」「報告案件を抱えているのだが」と、堪忍袋も切れそうな戸惑いの声も上がっている。何故か自民党議員は静かであるが。
 選挙中、橋下市長は全国、松井知事は主に関西近郊と遊説先を分担していた。公示以降の2週間に、何と松井知事は4日、橋下市長は1日しか登庁できなかった。
 橋下市長は「メールで報告を受けており、市政運営に支障はない」と強弁し、国政選挙が公務に与える影響を否定し、市幹部も、必要な決裁はメールで対応しているとして「市政への影響は限定的だ」とよいしょするのを忘れていない。市議会の自民党議員がこの間の事を問題にしないので、橋下市長の立場は嘉田知事の置かれた立場とは大違いである。
 17日の予定は、松井知事は政務のテレビ出演のみで、橋下市長は「完全オフ」(秘書)だとの事。前夜の記者会見で、17日に公務を入れていない事について「疲れを癒やすのか」と問われた松井知事は、「365日、24時間公人です。役所にいる、いないに限らず公人」と模範解答を即答してその場をしのいだのである。
 しかし府市ともにトップ不在による影響は確実に生じている。大阪市では、橋下市長の肝いりで行われる局長級ポストの公募で、12月上旬に行う予定だった最終面接が、市長が出席できないため下旬に変更され、来春の人事異動の検討にも影響が出ている。当然の事ながら来年度予算編成の議論も、例年より1~2週間ほど遅れているのだ。
 府でも、4月に施行された教育関連条例に基づき、知事と府教育委員で協議してつくる来年度の「教育振興基本計画」の策定作業への影響が出ている。選挙中、松井知事と教育委員の意見交換の場を設けられず、計画案の年内のとりまとめに向け「年末までタイトなスケジュールが続く」(府教委幹部)と予想されている。
 ところで三原じゅん子参院議員が、ブログで「首長の仕事ってそんなに楽なのでしょうか」などと批判を展開したを踏まえて、橋下徹市長(日本維新の会代表代行)はツイッターを更新した。
 2012年12月21日、自治体の首長と参院議員の兼職を認める地方自治法改正案の提出をめざしている事について、「自治体の長と参議院議員の兼職について、そんなのできるわけないとか、自治体の長はそんなに楽なのかとか、反対理由にならない理由ばかりを当の国会議員は挙げまくる。そんなのやらせてみて、ダメだったら選挙で落とせばいいだけ。これって、規制緩和を認めない霞が関の理屈と同じ」と、改めて正当性を主張した。
 さらに橋下氏は「絶対に取り返しのつかないことだったら慎重になるのも分かるが、市長と参議院議員の兼職ができるかどうかなんて、一度やらせてみてできるかどうかを確認したらいいだけのこと。やらせる前に、あーだこーだ議論しても不毛極まりない。誰もやったことがないんだから、机上で議論しても全く無意味」と反論した。

嘉田知事、阿部氏と共同代表に

 滋賀県議会で追及の的になった嘉田知事に新たな動きが急浮上した。
 12月21日、日本未来の党の役員人事で、嘉田代表(滋賀県知事)が、社民党を離党し合流した阿部知子氏とともに共同代表に就任する見通しとなった事が分かった。
 嘉田代表は実質的な党運営を阿部氏に任せ、知事職への影響を最小限にとどめる人事態勢を整える意向で、幹事長には国民の生活が第一の国対委員長だった鈴木克昌氏をあてる方向で最終調整に入った。その他の党役員人事は党内合意を経て近く最終決定し、来夏の参院選に向けた準備を本格化させる様子である。
 嘉田代表は国会議員ではないため、同党は26日に開会する特別国会の首班指名では阿部氏に投票する。また嘉田代表は20日夜に京都市内で小沢一郎氏と会談し、役員人事の意向を伝えたとみられる。小沢氏は亀井静香氏とともに顧問に就く見通しだとのこと。
 この動きは、党首と知事の兼務をめぐって、県議会が「公務に影響が出る」と反発し、知事辞職勧告決議案などの提出も検討している事に対する先制であろう。嘉田代表は共同代表の形を取る事で知事職に専念する姿勢を示したといえる。
 しかし私たちが考える事は、実質だった「生活が第一」党61名の党をたったの9名に転落させた責任を嘉田知事が取る事である。「未来の党」という9名の新党が出来たのではない。嘉田氏は何か大きな勘違いをしているのだ。 (猪瀬)案内へ戻る


何でも紹介  「徳山神楽」―県指定無形民俗文化財―

 昨年の十月、知人に誘われて神楽(かぐら)を見に出かけた。神楽といってもどんなものなのかよく分からず、半信半疑だったが見始めると、素朴で心温まる神楽に感動して思い出深いものになった。行った所は静岡県榛原郡川根本町徳山。南アルプス南部の山間にある戸数約四百戸、人口千三百人ほどの小さな集落で、毎年十月初旬徳山神社の例祭にあわせて「徳山神楽」が奉納されている。日が落ちて真っ暗な夜道を少々怖さを感じながら懐中電灯の明かりを照らして歩いて行くと、すれちがう度に地元の人が「こんばんわ」と知らない私達にも声をかけてくれ、地元の人たちの暖かさを感じた。
 神社に着くと田舎の小さな神社でいつもは閑散としているのだろうが、一年に一回の祭りなので地元の人たちが大勢集まっていて賑やかだった。といっても神社からあふれるほどの人混みではないので神楽を前の方で見ることができたり、出店も婦人会の人たちが手づくりのものを出しているだけなので、静かで神楽を集中して見ることができた。私が今まで体験したことがない祭りだった。(最近の祭りは商業化していて出店や人混みが多い)徳山神社の創建は古く、仁和四年(八八八)とも伝えられ、神楽は江戸時代前期に定着し、徳山神楽と称されて民衆の芸能を絶やさないで伝承を守り続けているという。神楽は、午後六時から九時の間に全十五の舞が奉納され、各舞の前には笛、太鼓のお囃子が鳴り響き神楽歌が歌われる。その中で印象に残っている舞を紹介したい。
「四座の舞」「天王の舞」は、小、中学生八人の女の子たちが鈴や弓矢を持って、巫女姿で緊張した顔つきで一生懸命舞う姿はとてもかわいく、この日のために毎晩練習をしてきたことがうかがえた。名前を紹介される時、中学二年生の女の子は今年最後になると言っていた。(来年は受験生だからかな)(でも彼女の舞う姿を見てきっと小さい女の子たちがやり始めるだろうな)(こうして受け継がれてきたんだな)と思いを巡らせた。
 「火の舞」は、男性二人が燃える松明を両手に持って振り回しながら舞う姿は力強さを感じた。若者と熟年男性が舞っていたがこれも受け継がれていくのだろう。燃え残った松明は火除けになるとされ、舞終わると見物人がこぞって取りに行っていた。
 「恵比寿・大黒の舞」は、面をつけた二人が面白可笑しく舞う。この舞が始まるとどこにこんなに子どもたちがいたのかと思うほど、多くの子どもたちが拝殿に集まってきて、見ていると大黒の持った袋にはお土産が入っているようでそれを待っているのだ。お土産はお菓子で子どもたちは撒くのを待っている時、我先とばかりに前へ前へと行こうとしたり、撒かれた時に本当にうれしそうに笑いあう子どもたち。その姿を見ている全ての大人たちが一緒に笑みを浮かべてしまうほど楽しいひとときだった。
 「湯の舞」は、神楽の始めから境内の横で火を燃やして、大きな釜で湯を沸かしていたので何をするのかと思っていたら、熱湯を浸した笹束と藁束を交互に持って舞うのだ。そして撒き散らした湯に当たると無病息災とされるようで、見物人が「かけてー」と大きな声を出すと湯をかけてもらっていたので私達もその輪の中に入って湯をかけてもらった。.その他にも弓を持って舞ながら矢を放ち、矢は魔除けになるとされ見物人が奪い合うなど舞う人だけではなく見ている人たちも一緒になって楽しむことができた。
 また、笛、太鼓のお囃子の人たち中に子どもたちの母親たちもいたことにも驚き、昔から老若男女が一緒になって練習をして舞、お囃子、神楽歌が代々伝えられてきたのだろう。祭りが近づくと日頃は静かな山間の村に稽古の笛や太鼓の音がこだまして、祭りを待ちわびる村人の気分を盛り上げているようだ。こうした環境も受け継がれていくひとつの要因になっているのかもしれない。私は、神や創られた神話等は信じていないが、神楽を見て受け継がれていくことは大事なことだということを実感した。私達も次の世代に受け継いでいかなければならない。皆さんの住んでいる街にも素朴な心温まる神楽があるかもしれませんね。(美)    


コラムの窓   「初日の出」信仰を問い直す!

◆「初日の出」登山◆
 元旦の明け方、まだ暗いうちから山に登り、山頂で「初日の出」に手を合わせて拝む。
 古くは「山岳信仰」(修験道)に起源を発するこの習慣、最近は「パワースポット」ブームで「山ガール」の人気となっている。ハイキング好きの僕も、大晦日を山小屋で過ごし、雪の積もる山頂から「初日の出」を観たこともある。
 でも、ちょっと待てよ。「初日の出」って、そんなに有り難いものなのだろうか?最近、そんな疑問がわいてきて、自問している。

◆「天照」と「月読」◆
 「日本書紀」に不思議な物語がある。
 昔、「太陽の神」である「アマテラス(天照)」と、「月の神」である「ツクヨミ(月読)」の二神がいた。
 あるとき「ツクヨミ」が地上に降りて、「食べ物の神」である「ウケモチ(保食)」を訪れた。「ウケモチ」は、ご馳走を振舞い歓迎することにした。ところが「ウケモチ」は口から「ご飯」や「魚」「肉」を次々と出して、机の上に盛った。それを見た「ツクヨミ」は「何て汚い!口から吐いた物を食わすなんて」と怒って「ウケモチ」を斬り殺してしまった。すると「ウケモチ」の死体の各所から、牛馬や粟、蚕、稗、稲、麦、小豆などが生まれたという。
 それを聞いた「アマテラス」は「ツクヨミ」に対し「お前は悪い神だ、もう会わない」と怒り、それ以降二神は、昼と夜と別々に暮すようになったという。
 「古事記」にも似たような「大気都比売(オオゲツヒメ)」の話がある。

◆南アジアの「月の女神」◆
 実は、これと似た「女神が殺められ、その死体から穀物が生じる」という神話は、南アジア・環太平洋圏に広範に分布しており、「ハイヌウェレ型神話」と総称されている。
 そして、殺められる「女神」は、多くは「月の神」であるそうだ。日本に伝わった時は、なぜか「月の神(月読)」が女神を殺める側に、入れ替わっているのだが。
 それにしても、なぜ「殺められ、穀物を生じる女神」は「月の神」なのか?

◆縄文時代の「月」信仰◆
 縄文土器の図像を調べると、人々が「月の運行」に大きな関心を払っていたことが伺える、と指摘する研究者もいる。「太陰的世界観」である。
 この時代の生業形態は、採集、漁撈、狩猟、そして原初的な雑穀農耕(焼畑農業)であったとされる。「動植物の生命の循環」が、「月の神秘的な力」と関係しているという認識が背景にあったのではないか?「満月」の日、海は「大潮」であり、海亀が産卵にやってくることは古くから知られている。
 長い間、人類は「太陽」よりも、「月」を毎晩観察することを重んじてきた。

◆階級社会と「太陽」信仰◆
 ところが、大規模な灌漑農業が始まると、事態は一変する。
 エジプトでは、「ナイル川の氾濫」をはさんだ「雨季」と「乾季」に、「夏至」と「冬至」を基点とした一年サイクルの「暦」をもとに、ファラオ(王)の指揮の下、人民は「種蒔き」と「収穫」「灌漑」の作業に縛り付けられるようになる。「アジア的専制国家」である。そこでは太陽神「ラー」が国家神として、各地域共同体の多神教的な神々の上に君臨する。
 「天照」と「月読」の対立の物語も、縄文から弥生、古墳時代にかけて、共同体が解体され、階級社会に変容する、世界観の転換を反映しているのではないか?

◆近未来の「太陽と月」◆
 新しい社会は、「太陽」についても「月」についても、これまでと違った価値を見出すべきだろう。人々の協同開発による太陽光や太陽熱の利用は、エネルギー集中型の権力社会から、分散型の自治社会への転換をもたらす。また、交代制の夜勤で、常に体内時計が変調をきたす労働者にとって、毎朝、日の光を浴びることは、健康回復の大切な手段として見直されている。
月の運行を重視することは、森林、河川、海洋の水の循環と、生態系を重視する社会をもたらす。生命の循環を尊ぶ社会では、女性の出産や子供の成長に合わせた、柔軟な労働のあり方が求められる。
 自然の恵みの源泉として、「太陽」も「月」も共に尊重する新しい社会を構想したい。(誠)案内へ戻る


読者からの手紙 『ワーカーズ』編集部各位   Y・F

 本質的には、私はプチブル的利己心、体裁よくいえば、心情的アナキズムの徒である。いってみれば、自己の何たるか、何をめざすのかを深く問い、試行、模索した真摯な姿勢に欠く。そうした能動的主体的意思のぜい弱な私は、自分を棚に上げ、一見、憂国、混濁の世に心を痛め、全く変わらないどころか、一層悪化、右傾化する日本国家に絶望するだけの愚者にすぎない。それでも生の不条理なエネルギーに突き動かされ、所詮自己満足の精神的自慰としての駄文を書きなぐる。今回もそんなどうしようもない人間のツイッターならぬ、愚痴めいた話をさせて頂く。
 何回か『ワーカーズ』に掲載させて頂いた私の拙文からすでに明らかにされたように、一応、共産党に入党し、一定の諸活動に従事している。入党は定年後という遅咲き(?)というより、定年後の空白な生活は耐え難く、さりとて、再就職(雇用)の道もなく、ボランティアの欲求も乏しい私は、限られた選択肢としての政治的ボランティアの共産党入党に至った。もちろん、共産党嫌いの左翼、リベラル人間であった私は、日共の過去はいうまでもなく、現在の日共の方針、活動に批判、不満はある。教条的、硬直した党運営、社会、政治運動の不足を選挙運動で補うかのような転倒した在り方。共産党のいう政党助成金は憲法14条の言論、思想の自由に反する。即ち、支持していない政党に国民の血税を注ぐのは、明らかに思想、信条の自由に反する。
 こうした一見正義で倫理的にも正しいと思われる考えは、世間の大方は必ずしも支持していない。無知、無思想もあるが、選挙そのものが支配者に有利な選挙制度(戸別訪問、立会い演説会、供託金、細々とした規制、縛りの大飯選挙活動等々)で現行の制度では膨大な供託金や宣伝・広報活動に限っても金がかかる。肝腎の党費も、高齢化、党員の減少、共産党そのもののネームバリューが嫌われ、自前での資金確保も困難になる一方。ブルジョワ金権選挙に志位委員長が叱咤激励、煽っても党員の士気は高まらない。何より、小泉フィーバーがみられ、今回の衆議院議員選挙でも、マスゴミの巧妙、悪辣、偏向した報道で、国民の公正、真実を見抜く、追求する思考、知識の弱さもあり、自民、民主、維新等の悪阻路べき戦前への逆戻り、暗黒、破滅への道をひた走る懸念があるのが実状だ。
 共産とは、そのまま直訳すれば、生産手段の共有による幸福を分かちあう社会であろう。その意味で、共産党が党名からくるイメージダウン、暗い、恐い、ダサイから脱却し、党名を例えばイタリアの共産党が左翼民主党に変更したように、古いマルクス・レーニン時代の共産主義・社会主義をチェンジし、現代の新しいオールタナティブの党を創るべきとの意見は正当であろう。しかしその事を問い正す私に党は、戦前から戦後にかけて、共産党に結集、体を張って平和人権を守り、在るべき社会主義を確立・建設せんとした先輩、先人に申し訳ない、との返答。
 党名はともかく、党のいう「ブレない、自主独立路線を貫いた」とは決していえないし、脱原発でも原発導入時には反対もなく、かって米ソ冷戦の頃は、社会主義国家の核武装は自衛の必要上、承認した過去がある。
 いずれにしても、私は今回、共産党をめぐる諸問題とワーカーズの考える共産党及び政治への本質的問いを投げかけたいと思う。ワーカーズ諸兄の日共批判は合理的根拠はある。複雑、厄介なのは、消費税、TPP、日米安保等、今の日本の政治、社会を巡る根幹の課題は両者共に認識は似通っている、殆ど一致していることだ。
 少なくとも外部の人間、比較的意識レベルの高い人間であっても、日共とワーカーズの主張・見解の差は明白ではない。広義の概念、理論に由来する左翼的思考、スタイルは本質的には差異はないと我々には映る。しかし、大方の大衆と違い、先鋭、ラジカルなワーカーズの諸兄には、日共のエセ左翼、スターリン主義の変質が許せない。日共の官僚制的保守体質は目に余るし、ために真の民主、真正社会主義の構築を阻む有害な存在に堕している。それは理解できる面がある。にもかかわらず、政党政治なるものの民主主義を形骸、空洞化する事を批判しつつ、脱原発運動の高揚、持続化に民主主義の活性化に繋がる新たな運動に希望を託す論もうなづける。
 一方、私は悲観論者かもしれないが、間接制代議員制は一億を超す日本国家の効率、円滑な運用には欠かせない。経済的にも、ソ連邦を初め、既存の社会主義国が苦闘、破綻したのは、国家的規模での生産手段の行使と計画管理が途方もなく困難という事だったと考える。
 ワーカーズの考える、小規模地域分散型循環社会は、一つの指針、希望でもあるだが、過去の生協、農協等の様々な資本システムに対抗、代わる手段・組織はかろうじて存続するだけで、到底高度消費資本体制・市場原理主義に刃が立たない。のみこまれようとしているのが実状。
 重要であり困難なのは、精度の変換ではなく、意識の変革、又は絶えざる意識の改革ではないか。真正とか、在るべきという願望、理念を語る前に、人類の歴史は、革命は成っても、全人民の意識、即ち「一人は万民の為に、万人は一人の為に」に集約される自治・協同・連帯の社会は試行されても挫折、見果てぬ夢に終わった苦い事実がある。
 少しでもましな、制度改良でしか多くの人の苦悩はいやされ、解消されないのではないか。大企業の内部留保を吐き出させよ。金持ち、大企業の優遇税制を是正せよは、まさに正論だが、具体的実行手段は、日共が第一党になっても権力・資本は無視する。かってのチリ・アジェンデが選挙で合法的に革新連合の社会主義政権を握ったが、アメリカCIAと軍部のクーデターにより、無惨にも倒された過去がある。
 社会民主主義が資本制の制約がある限り、ついには資本主義の欠陥、矛盾により戦争に巻き込まれた。資本主義に代わるパラダイムを構想・方法を模索する意志は尊いとは理解するが、どうしたら大衆に届き、現実化の道に至るのか。私には極めて不可能のように思える。
 12月16日、極めてショック、打ちひしがれる現実を突きつけられた。予想を大きく上回る自民党を中心とした保守反動、軍拡・反人民的勢力の大勝利。ブルジョワ選挙の制約、マスコミ、広告業界の後押し、何よりもどうしようもない国民の文化、意識レベルに嫌悪感が募る。
 ネオリベ、新自由主義的経済が、貧困と決められない政治の打破をナショナリズムの強化、軍拡の方向を進むのは日本だけではない。脱原発が世直しの契機になりえなかった日本社会の度しがたい、もっと成長を、安定を、力で他者を押さえつける風潮は絶望的だ。案内へ戻る


不誠実かつ党の体質を象徴する日本共産党の総選挙総括

 衆議院総選挙が終わり、小選挙区制度の下での自民党の「圧勝」を、小選挙区制度とマスコミの選挙での論点隠し党名隠しの大攻勢により負けたと判断している私は、今回脱原発と消費増税反対と反TPPが問われた一大選挙と認識していたので、当然の事としてもう一つの関心事である日本共産党の選挙総括が出るのを待ちに待っていました。
 私には、共産党の5中総決定「650万、議席倍増」の取り組みに成果が出せるか否かに関心があったのです。勿論私は、この方針が極めて現状を主観的に捉えたもので、何でこんなにも超楽観的な方針が直ぐさま全党のものになるのか極めて不思議でしたが、「しんぶん赤旗」での連日の地区組織の活動報告を本当かなと思いながら読んでおりました。
 選挙後、果たしての大停滞。私は共産党がこの事態をどのように総括するのかと考えました。実際の所、志位氏が幹部会員になって以来、一度も共産党は躍進した事がないと記憶していますが、何故志位氏はこの間や今回の敗北の責任を取らないのでしょうか。
 ところが12月18日の「総選挙の結果について」を読んで私は本当に驚かされました。そこには「日本共産党は、『私たちが出発点とすべきは、2010年参院選比例票の356万票(6・10%)』(4中総決定)であることを銘記して、このたたかいにのぞみました。この出発点にてらすと、総選挙で、わが党は、比例代表で369万票(6・13%)に、得票・得票率をわずかですが、前進させました。小選挙区での『全区立候補』に挑戦し、選挙区選挙で470万票(7・89%)を獲得したことも、積極的意義をもつものでした」と書いてあったのです。
 全くびっくりするではありませんか。直近10月の5中総決定ではなく、出発点は何と今から約10月前の4中総決定だというのですから。そして更に驚かされたのは、「全選挙区立候補」と「全国は一つ」の合い言葉で闘った今回とそうでない立候補状況で闘った選挙を比較する鈍感さです。また強調しますが、この敗北が直視できないのでしょうか。
 また沖縄で社民党のために一人立候補させずに闘ったのなら、何故そうした配慮が他の小選挙区で出来ないのでしょうか。全選挙区立候補は正しいのでしょうか。さらに今回も小選挙区と比例区では得票率が百万票も違うのです。共産党はこの理由を真剣に考えるべきではありませんか。有権者は志位委員長より正確に判断しているのです。
 話を戻します。10月14日から15日に開催された5中総決定の「650万、議席倍増」の取り組みは、幻だったのでしょうか。志位委員長の「情熱的指導」は、夢だったのでしょうか。今回の総選挙の総括も、今までと同じく自他を欺く総括でしかありません。
 共産党は、支持が集まらない真実を、なぜ追求もせず見ようとしていないのでしょうか。
 総選挙終盤になって共産党は、マスコミに対して議席予想などの予断に満ちた報道を差し控えるよう要望しましたが、マスコミ同様、小沢憎しなのです。共産党はマスコミが日本社会で果たす役割も今になってやっと分かりかけてきたように私には感じられました。
 思えば共産党は、ウォルフレンが『人物破壊 誰が小沢一郎を殺すのか?』で、小沢裁判がいかにも仕組まれたものだとの指摘を完全に無視してきました。小沢の高裁無罪判決の際には国選弁護人の不当判決発言を何の注釈もなく掲載し、暗黙の内に小沢有罪を演出しさえしたのです。また小沢氏の各級裁判中には、西松建設と陸山会からの不明朗な資金の流れを、本当であるかの如く「しんぶん赤旗」紙上で垂れ流ししてきました。この事への謝罪はありません。今、何故この流れに関して静かにしているのか、全く不思議です。
 今こそ共産党は、マスコミを追及する前に選挙での敗北とそれを引き寄せた自己の不明を鋭く責任追及すべきです。真実を知る事、共産党の再生はここから始まります。(笹倉)


電力料金の総括原価方式を廃止せよ!

 公共料金の価格設定のために総括原価方式が使われていることは、皆さんご存じでしょうが、脱原発運動の拡大の中で電力料金のそれは大変問題あるものと認識されてきました。
 大飯原発が再稼働する中で関西電力が、家庭向けの電力料金を平均11・88%値上げしたいと産経省に申請しました。
 12月12日、産経省の電力料金審査専門委員会は、事実を発見しました。それは、で力料金の計算基礎となる「原価」の中に日本原電から電力を買う費用として年間3百億円程度を計上している事が発覚したのです。
 今現在、日本原電は敦賀原発直下の活断層認定を巡って調査を依頼した専門家の結論に対して、活断層ではないとの「自己の確信」を言募り、真っ向から反論するなど形振り構わぬ醜い立ち振る舞いを演じて、その驚くべき感覚の異様さが浮き彫りとなっています。
 日本原電は、発電量がゼロなのにも関わらず、関電以外からも年間千四百億円も受け取っていたのです。何とも驚かされる事実ではないですか。
 先に挙げた電力料金の総括原価方式によると、原発の維持管理費用を発電量に関わりなく電力料金の「原価」として計上するためです。
 つまり日本原電は、全く発電していないのに年間千四百億円も平然と受け取っているのです。こうした安直な経営の下は、日本原電は、シロアリの巣窟となるしかないでしょう。
 現に日本原電の役員14名の内、実に4人が電力会社の天下りで、この6月に東電会長を辞任した勝俣前会長が非常勤取締役に就任しています。
 更に驚かされるのは、取締役20名の年間総報酬額は約4億8千万円で、常勤役員14名の平均は約3千万円、非常勤役員6名は1千万円以下です。
 それにしても発電していないのにもかかわらず、日本原電の役員達はこうした高報酬を受け取る事に良心の痛みも何らの羞恥心すら感じていないようです。
 このように労働者市民に知られない中で、電力料金の値上げが申請されているのです。
 まさに私たちは、こうした現実に抗議すると共にその不当性を訴えなければならないのではないでしょうか。怒りがわき上がってきたので手紙を書きました。   (米倉)案内へ戻る


 一知半解の田中真紀子議員の“真紀子節”

 田中真紀子文部科学相は、総選挙敗北後の初閣議後の記者会見で、衆院選で民主党が壊滅的敗北を喫したのは、「解散時期が適切ではなかった。独りよがりで周りの意見を聴かず、他人の土俵に乗ってしまった」と述べて、野田首相を痛烈に批判、さらに今回の解散を「自爆テロ解散」と表現したのです。この“真紀子節”は痛快この上ないものだと喝采を浴びたのですが、そんな表面的な印象批評で済ませて良いものでしょうか。
 “真紀子節”では、「解散時期の不適切性」や「自爆テロ解散」は、問題を野田首相個人の資質にだけ還元し矮小化していますが、これは正しい事でしょうか。
 田中議員は、小沢裁判に関してマスコミからインタビューされた時に、春名幹男氏の『秘密のファイル―CIAの対日工作』を新聞記者達に紹介し自分の父親の事件に絡めて熱心に発言していた事もあったのです。したがってその場の興を取る事よりも、今回もまた米国の関与があったかどうかを確かめてから、慎重な発言しなければならなかったのです。
 既にインターネットでは、野田首相がジェラルド・カーティス氏だとかCSIS(米戦略的国際問題研究所)や米国CIAに命令されて、ボロ負けを承知で安倍晋三氏に政権を譲り渡したとまでいわれているのです。まさに野田首相は、今回は負ける選挙だと知りながら、また多くの民主党議員が衆議院に戻って来られない事を充分知りながら解散に踏み切ったのです。まさに冷血漢であり、属国の首相に相応しい無恥で冷酷な人格です。
 野田首相の背後に米国の陰を指摘するのは、日本ではまだタブーのようですが、この事実を知らないで発言したとすれば、田中議員の不勉強と一知半解は批判されるべきですし、また知っていながら知らない素振りをしていたのなら、政治家としてはまさに糾弾に値するものだと考えます。   (稲渕)


11月27日 沖縄に向かって出発

 朝6時家を出る。難波から南海線関空行き急行に乗る。いつも伊丹から飛んだのだが、はじめての関空、ANAのカウンターで搭乗手続きをし、車椅子に乗せてもらって搭乗口へ。待つこと1時間半。その間にANAのみやげものコーナーで村上春樹訳の〝空飛び猫〟を買った。機内で読んでしまった。
 翼を持った子猫たちの親から離れ、やさしい兄妹に拾われるまでの生きざまを描いた童話であるが、人間世界の親子関係とだぶる。感動的だったのは4羽の子猫たちが巣立ちし、空を飛んでいくのを見送る父と母のシーン、巣立ちは別離である。この本の作者はアメリカ人。家族のありようも生まれた土地を離れ遠くまで分散して生きるのであろう。村落共同体がまだ崩壊していないと思われるここ沖縄では、状況は異なるであろうが?
 搭乗口の改札のお兄さんは、私の行く先の読谷村の人だった。今度の旅の主な目的である共同制作よるものだというシーサーの像のこと、一般の人が制作したシーサーのことについて尋ねた。共同制作によるシーサーの像は残波岬にあると教えてくれた。私はシーサーのことはNHKの報道で知ったのだが、NHKに詳しくたずねてもう一度出直さねばなるまい。一般の人の作品を見るために。
外の世界は、やはりワクワクすることが多い。それを手がかりに更に歩んでいけるというものだ。80才に近い私をみんなは丁重に扱ってくれる。明日は残波岬へ行こう。前回来た時は、シーサーは見なかった。訪ねる場所がちがったらしい。
11月28日
 読谷村の村民みんなの共同制作によるシーサーを見に、残波岬に連れて行ってもらった。〝みんなの写真帖〟で紹介すべく写真を撮った。巨大なシーサー。海(日本海)に面して作られたシーサーは、海の向こうの何を見ているのだろう。そして守護神であるシーサーは何から何を守ろうとしているのだろうかという問いが、頭をかすめた。
 夕方、宿のご主人がシーサーの共同制作を指導した金城実氏に会う機会を作って下さった。金城実氏のお宅へ連れて行った下さった。金城氏の手になる彫像壁画が野ざらしになっている。130メートルにも及ぶといわれる壁画の中で、私はストリッパーが石を投げつけようとしている姿に、ショックを受けた。
 かつて読んだ井上ひさし氏の小説〝吉里吉里人〟の中で、ストリッパーがべちょこから万国旗を出して見せた舞台の描写に、筆者の国旗に対する意識がうかがえて、痛快に思ったものだが、この壁画はベトナム戦争に向かう米軍兵士の荒れようを、まともに受けた中絶女性の怒りの表現であろうが、その生々しさに圧倒された。
 明日は帰阪。今回の旅で、私はこれまで私の現実に向かう姿勢がさかだちしていたこと、沖縄に通いながら何も見ていなかったことを思った。宿の主人の説明、沖縄戦で山に避難した沖縄の方々は山のものを食べつくし、次に海のものをたべようとしたと、海という漢字は海のイメージ母という字がとりこまれていることなど、厳しい現実を生き抜いた沖縄の人々の生きざまから、私の現実とのかかわりが逆立ちしていたことを知った。
 前回の旅で、沖縄の方から〝一銭もなくても沖縄では生きていける〟というコトバを聞き、私は島の人々のやさしさだと受け取ったが、そのコトバは沖縄の人々の現実の生き方から自然とのかかわりから示すものであったことを改めて知った次第。
 私は沖縄について何も学んでこなかったように思った。これからだと感じたものだが、ちょっとおそきに失した感があるが、命の果てるまで私の前に開けた道を進んで行こうと、心に決めることのできた旅であった。2012・12・6  大阪 宮森常子案内へ戻る


編集あれこれ
 前号の第一面では、ワーカーズは「迫る総選挙日 三党合意派、右翼反動派を落選させよう!」と訴えて闘いましたが、残念ながら自民党は総選挙で「圧勝」しました。総選挙の分析等については、号外ならぬトピックスをワーカーズのホームページに公開していますので是非ご覧下さい。
 第2面では、「もんじゅ」廃炉に向けた全国集会の記事を掲載しています。この闘いも粘り強く闘っていかなければならないものです。あらゆる脱原発の闘いをここに収斂する必要があります。
 第3から7面では、選挙区の中の沖縄選挙区の闘いと本土の連帯を訴えた記事と総選挙の争点の一つである経済対策を対処療法でなく、根本的療法への転換の必要性を論じています。
 また第6面では、最新刊の広瀬隆氏の『原発ゼロ社会へ!新エネルギー論』の書評を掲載しました。是非読者の皆様には、脱原発の最新の理論書として広めて頂きたい本です。
 第7面には、「色鉛筆」を掲載して、総選挙での非正規雇用の若者達の事を論じています。
 第8面には、橋下市長と嘉田知事の特別職の全国遊説の是非を論じて問題提起をしてみました。
 第9面では、「コラムの窓」で、あなたは誰に投票しますかと改めて問題を提起しています。
 第10面では、元従軍慰安婦の宋神道さんを取り上げて紹介した記事である。熟読を期待しています。第11~12面には、読者からの手紙を3通掲載できた。今後とも多くの投稿を期待していますので、よろしくお願いいたします。
 なお前号には残念ながら数十部に印刷のにじみがありました。今後は充分注意いたしますので、お許し下さい。 (直木)
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