ワーカーズ481号 2013/2/1
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『安倍政権』 土建・反動政治と対決しよう!利権政治と戦前回帰に未来はない
「アベノミクス」。政権発足から年明けにかけて矢継ぎ早に打ち出した経済・景気対策は、財政によるテコ入れ、金融緩和、それに成長戦略という「三本の矢」だという。
10・3兆円の12年度補正予算案は、公共事業の大盤振る舞いが際立つ。13年度予算と合わせれば100兆円を超える財政支出だ。自民党の13年度税制改革では、自動車重量税の道路特定財源化まで打ち上げられた。金融緩和では物価上昇2%を政府と日銀の共同目標として明記、国債の日銀引き受けにまた一歩近ずいた。とおもえば、生活保護費の最大10%削減など、セーフティ・ネットの縮小にも手を付けた。
マスコミも飛びつくその「アベノミクス」は、単なる先祖返りのゼネコン政治、危うい紙幣のバラマキ、それにかけ声倒れが目に見えている机上の成長戦略でしかない。目先の利ざや目当ての市場は反応してはいるが、メッキはすぐに禿げるだろう。
安倍政権による公共事業などの大盤振る舞い。庶民に負担が重い消費増税路線の踏襲と企業減税のオンパレード、それに生活保護費の削減などと併せてと合わせてみれば、安倍政権がどこに顔を向けているのかが一目瞭然だ。普通の庶民や社会的弱者を圧迫し、格差社会の拡大は見て見ぬふり、とにもかくにも大企業や富裕層の利益最優先という、安倍政権のよって立つ階級的な性格を露骨に反映したものだ。
他方では、戦前回帰の保守反動政治への野望も隠さない。侵略戦争の正当化、憲法改悪、集団的自衛権の容認、教育の国家統制、冷戦思考の価値観外交等などだ。安部自民党が単独過半数をめざす7月の参院選挙を視野に後出しすることで「アベノミクス」の陰に隠れているが、担当会議の立ち上げなど仕掛けには着手している。いずれ順次浮上してくる。
領土紛争など、対外的な軋轢の拡大を利用したナショナリズムの拡がりを背景にした安倍自民党の勝利は、有権者が自民党を押し上げた真意から乖離して、戦前回帰と大企業体制への回帰として姿を現した。そのツケは今後国家統制の強化と負担増という形で、私たち有権者に押しつけられる。
民主党政権の体たらくの反動とはいえ、総選挙で政権をゆだねてしまった安倍政権。私たち労働者や庶民の総力を結集して正面から対決していく以外にない。(1月26日 廣)
『アベノミクス』 企業にご馳走、ツケは労働者・弱者に
総選挙前から保守回帰の安部色を打ち上げてきた安倍首相。まずは経済・景気対策だという。
その安倍政権。発足直後は戦前回帰の国家統制的な政策は突出させないで、当面はデフレ克服など経済・景気対策を優先させるという。参院では過半数を持っていないねじれ国会を前にして、この7月の参院選挙を決戦として位置づけているからだ。その参院選で勝利した上で、改めて安倍政権の本来の野望でもあるそうした戦前回帰の政策を進めていくのだという。
◆先祖返り
というわけで、まずは「アベノミクス」だ。
発足した安倍政権が最優先に掲げる景気・経済対策。安倍首相は財政出動、金融緩和、成長戦略を「三本の矢」にたとえて推し進めるとしている。この経済・景気対策は、来年4月に予定されている消費税引き上げへの条件整備でもある。
まず財政によるテコ入れ策。13年度予算と合わせて15ヶ月予算と銘打った12年度補正予算案が閣議決定された。財政支出13・1兆円、事業規模20兆円のその補正予算案をみれば、「国土強靱化法案」で土建政治への回帰を画策する自民党の方針と併せ、安倍政権が何を目指しているのかがくっきり浮かび上がる。すでに報道されているように、各種公共事業への重点配分が際立つ。民主党政権発足時の看板だった「コンクリートから人へ」という政策理念をひっくり返しての先祖返りを鮮明にしたわけだ。
いま日本の製造業は冬の時代だ。が、その一端は、エコ補助金やエコ減税による需要先食いのツケが廻ってきた事による。そんなことはわかりきっていたことだ。だが安倍政権はそうした反省もどこへやら、性懲りもなく自動車メーカーの要望を受け入れたりゼネコンに大盤振る舞いすることで、景気回復に繋がるとノー天気に強弁している。
が、現実はといえば、政府の財政支出による人為的な需要創出策は、産業界が抱える数十兆円にも上る需給ギャップの下支えをしてきただけなのだ。結果的に退場すべき企業が延命し、新たな設備投資や雇用など生まない表面上の均衡を保ってきただけなのだ。なかには破綻企業への信用供与によって、結果的に税金が銀行や投資家に環流しただけに終わった事例も数え切れない。その無残な結果が、経済にしめる国家セクターの肥大化と700兆円もの国債残高となって積み上がってしまった、というのが現実なのだ。
◆紙幣減価
次に金融緩和。
安倍内閣は、デフレ克服のためと称して2%の物価上昇を政策目標とするよう圧力をかけて日銀を押し切った。日銀がお札をばらまくことで円安を演出し、輸出拡大などを契機として景気回復に繋がるからだという。が、その好循環が現実のものになるのは、利益を上げた企業が労働者にも賃上げなどで還元することが前提になっている。ところが平成不況期以来の財界は、賃金などのコスト削減こそが対外競争の武器になるとして、強引なリストラを強行してきたのだ。
安倍首相がもし本気で好循環への転換をめざすのであれば、何はさておきそうした企業の経営戦略を転換させなければならないはずだ。ところが安倍首相はそうした現実には目を背けたまま、おせっせと札を増発すれば好循環に転換できるのだとしか言わない。
安倍内閣による現実無視のこうした金融緩和は、そもそも実効性がない。日銀が続けてきた超金融緩和のこの十数年間でもデフレ克服はできなかった。いくら資金をつぎ込んでも企業にとって利益を生む投資先や融資先もなく、ただ国債を買うだけだったからだ。今回も結果は見えている。日銀は銀行や企業から国債を買って資金を流し込むが、企業や銀行は、またその資金で国債を買うだけだ。結果的に国債の日銀引き受けの実態だけが現実性を持ってくる。その結末はといえば、インフレ(=紙幣減価)の進行と雪だるま式に膨れあがる政府の借金だ。安倍流金融緩和は、結果的に国債の日銀引き受けによるインフレの進行をもたらすだけに終わるだろう。
アベノミクスは国際的な軋轢も呼び込む。意図的なインフレや為替誘導は、政府による自由貿易への介入だとしてWTO協定に抵触する。現に安倍内閣による円安誘導は、政府による意図的な為替介入だとして欧米政府などからの批判の声を呼び込んでいる。強引に突き進めば、対抗措置で国際的な軋轢が高まるのは避けられない。グローバルな物流と資金循環は断ち切られ、あからさまな通貨戦争が激化する。アベノミクスは解決策ではないのだ。
◆かけ声倒れ
安倍内閣の財政支出と金融緩和が上記のような代物だとすれば、唯一望みがあるとすれば3本目の矢としての安倍「成長戦略」だ。しかし、というか、やはりというか、次々と打ち出した財政出動と金融緩和に比べて、安倍「成長戦略」は漠然としたものでしかない。しかも安倍内閣の「日本経済再生本部」の提案は6月に先送りされている。実体経済の成長なくして、経済対策も景気対策もないが、その実体経済の立て直しに向けた説得力のある成長戦略が後回しなのだ。結論から言えば、これも問題の核心から目を背けているからだ。そのことだけでアベノミクスの底が見える。
思い起こすまでもなく、歴代内閣が掲げた「成長戦略」は、ことごとくかけ声倒れに終わってきた。安倍第一次内閣時の「持続可能な社会」や「アジア・ゲートウエイ構想」「再チャレンジ」も、これといった成果を上げていない。
イノベーション(技術革新)、グリーン成長戦略、アジアゲートウェイ構想、低炭素社会、人材活用等など、小泉内閣から野田内閣にかけて政権がかわるたびに打ち出されてきた「成長戦略」は総崩れだった。唯一自然エネルギーの普及が進みつつあるが、これは自然エネルギーの全量買い取り制度導入に繋がった福島原発事故の結果だ。
日本経済が長期低迷に陥ったのは、バブル経済の崩壊以後、経済のグローバル化のもとで輸出主導のコスト競争に生き残りをかけてきたこと起因する。この間、政府と財界は対外競争力の強化を目標に掲げて、派遣労働の解禁など雇用構造を破壊し続けた。いまでは劣悪な処遇の非正規労働者が全体の3分の一を上回るまでに増加し、少子高齢化と合わせて国内市場の縮小をもたらしている。その結果が供給能力に比べて需要が少ないという需給ギャップの恒常化だ。歴代内閣の成長戦略は、そのギャップを埋める「絆創膏」に過ぎず、その効果は「カンフル剤」でしかなかった。
それはそうだろう。ゼロ金利で預金者の利子収入を剥奪し、非正規化で賃金を減らし、そのうえ少子高齢化では、いくら技術革新が進んだとしても買い手は増えない。この現実に目を背けているかぎり、いくら成長戦略を唱えたところで効果はたかがしれている。
安倍内閣が目を向けているのはまったく違う方向だ。それが公共事業での大盤振る舞い、大衆課税としての消費税増税、企業・富裕者に優しい各種税制改定、それに生活保護費の削減などだ。生活保護費は、最低賃金や医療給付など、最低生活の土台に連動している。セーフティ・ネットの充実どころか、その底抜けをめざすかのような安倍内閣の姿勢が続くかぎり、「成長戦略」は絵に描いた餅になる運命にある。
こうしてみてくると、アベノミクスの正体が見えてくる。負担は消費増税で庶民に払わせ、成長戦略という餅の絵で有権者をつなぎ止めながら、現実には大企業や富裕者には手厚く処遇する。結果はどうにでもなれ、〝後は野となれ山となれ〟の無責任政治極まれり、という以外にない。
◆無責任政治
米国のオバマ大統領は、二期目のテーマとして格差社会の是正を上げた。
米国では、リーマン・ショックによる大量の失業者の増大を減らせていない。他方で政府は銀行・企業に巨額な財政支援をつぎ込んだ。そうした中で一部の暴利をむさぼる投資家と巨額の報酬を手にする銀行経営者が注目されるなど、不公平感が膨らんで格差社会が際立った。1%が99%を搾取としているとしてウォール街を占拠したオキュパイ運動などに背中を押されるように米国で拡がった格差社会の是正を前面に出したオバマ政権と比べると、安倍政権のスタンスは対極にある。安倍内閣には、格差是正という発想すらない。
振り返ってみれば、日本のデフレ経済や格差社会は自然にもたらされたものではない。それは意図されたものだった。なぜデフレ経済に陥ったか、なぜ格差社会がもたらされたか、この二つに明確な回答を出さなければその解決策も見つけられない。
デフレスパイラルとは、物価が下がって企業利益が減り、賃金も減らされて需要が減る。そうするとますます企業の利益も減り……と、スパイラル状に経済が縮小していくことだ。成長スパイラルはその逆で、企業利益の増大→賃金増加→需要拡大→企業利益増大だから、問題はどこでその循環が変わってしまったか、にある。結論から言えば、企業利益増大→賃金増加という還が断ち切られてしまったからだ。
橋本内閣から小泉内閣にかけて財界と政府は、対外競争力強化のための高コスト体質からの脱却というスローガンを掲げて新自由主義的政策を推し進めた。標的にされたのは総額人件費の削減、要は正社員の非正規化だ。政府と財界のお墨付きを背に、企業は非正規化を急速に拡げていった。
これ以降、企業は史上最高益を上げても内部留保という形で企業内にため込むだけ。本来増えるはずの労働者の賃金は下がり続け、景気も低迷を続けてきた。環は断ち切られたわけだ。
安倍首相が成長戦略を掲げるとすれば、まずこの環を復活させなければならない。そうすることで再び好循環のサイクルに戻れる可能性が生まれる。ところが安倍内閣が打ち出したのは規制緩和などの新自由主義的な競争政策と公共事業の大盤振る舞いという時代錯誤の利権政治の混合物でしかなかった。
現実はといえば、経済のグローバル化のなかで輸出主導経済をめざす限り、コスト競争は現実の問題だ。多国籍企業や輸出産業にとって気安く舵は戻せない。いはば経済成長と需給ギャップの解消は二率相反、まさしく矛盾そのものであり、隘路にはまり込んでいるのが実情なのだ。
根本的な転換のためには、輸出主導経済、すなわち企業利益の増大を最大の基準として運営される経済システムの根本的転換以外に打開策はないのだ。めざすのは人間の心と暮らしを豊かにする事を最大の基準とした経済への転換、要は循環型の共生経済の創出だ。
アベノミクス。それは庶民の負担で企業利益を応援する、ごちゃ混ぜ政策による無責任政治そのものだ。戦前回帰の国粋主義的政治も合わせ、私たちは安倍政権と正面から対決していく以外にない。(廣)
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バイオの怪物モンサント
1月にモンサントを告発する3本のドキュメントタリーを観ました。①ベルトラム・フェアハーク&ガブリエル・クリューバー「暴走する生命」(2004年・ドイツ・60分)、②ベルトラム・フェアハーク「パーシー・シュマイザー モンサントとたたかう」(2004年・ドイツ・60分)、③マリー=モニク・ロバン「モンサントの不自然な食べもの」(2008年・フランス、カナダ、ドイツ・108分)、2008年レイチェル・カーソン賞(ノルウェー)受賞、以上の3作品です。国家をも越えて、農業を支配しつつあるモンサントの「1ドルたりとも、儲けを失ってはならない」という恐るべき資本の貪欲に未来が閉ざされるような不安を覚えます。 (折口晴夫)
「モンサントの不自然な食べもの」
監督のマリー=モニク・ロバンはフランスのジャーナリストで、巨大多国籍企業「モンサント社」の黒い噂の真偽を追います。本作は、1901年に米国で設立されたアグリビジネス「モンサント社」の1世紀にわたる悪行を暴いています。そして、「世界の胃袋を握ること‐それがモンサントのビジネス戦略」だと結論づけています。
その手法はインターネット情報を駆使し、表のウソで固めた情報を一つずつ覆していきます。取材の先々で、モンサントの真実を明らかにした関係者が職を追われ、生活を脅かされている姿がありました。多くの証言と機密文書による検証には、巨大企業と対峙する科学者や農家の生きるための闘いが映し出されています。
アメリカに本社を構えるモンサントは、世界の遺伝子組み換え(GM)作物市場の90%を誇るグローバル企業です。簡単に説明すると、遺伝子を組み替えられた種子(ラウンドアップ・レディーと称されている)と除草剤ラウンドアップをセットで売りつけ、自立した農民を奴隷にかえてしまいます。
モンサントは元来化学会社で、ベトナム戦争で米軍が使用した枯葉剤、農薬、PCB、牛成長ホルモンなど、およそ生命の営みとは程遠い化学的・工業的商品を生み出してきたのです。モンサントは世界で独占的にPCB(ポリ塩化ビフェニール)生産していましたが、これを直接川に流したり野積みにして放置し、環境汚染による工場周辺住民の健康破壊を引き起こしました。しかし、発がん性がないというデータを公表し、半世紀経過した1990年代になってねつ造データと判明。それでも、何の保証もしていません。
米国では、GM作物は〝実質的同等性〟という評価によって、一般の作物と区別する必要がないとされています。これに疑問を呈する研究は抑圧され、安全だという国家的宣伝が繰り返されています。
しかし、一般的な品種改良とGMが質的に違うことは明らかです。生命にとって最も重要な情報が書き換えられているのに、書き換えられる前のものと同じように扱っていいと言えないことは明らかです。このすでに野に放たれた種子は在来種と交雑し、静かに汚染を広げています。まるで放射能汚染のように、見た目は変らないのに中味は違ってしまっているのです。恐ろしい事態です。
「パーシー・シュマイザー モンサントとたたかう」
主人公はカナダの農民、1997年、彼の菜種畑に風で飛ばされてきたGM種子によって汚染されました。ところが、モンサントは彼を特許権侵害で訴え、裁判所は彼に損害賠償金の支払いを命じました。モンサントが特許を取った種子が、理由はどうあれ彼の畑から見つかったとされたからですが、被害者が加害者として罰せられるのです。
これを解き明かすのはモンサントの契約条件です。①毎年モンサントにライセンス料を1ヘクタールあたり40ドル支払う。②種子はモンサントからしか購入できない。③農薬の購入もモンサントだけしか認められない。④自家採種は行えない。⑤1年でも契約を結んだら、3年間私設警察が土地に入る事を認める。⑥「モンサント警察」は貯蔵所にも農場にも入れる。税や農業の記録を見ることが出来る。
これが、タネを支配することによって農民を奴隷化する、と指摘する所以です。モンサント警察が農村を徘徊し、農家に侵入したり穀物倉庫を漁って④の監視を行い、必要なら裁判にかけると脅迫もするのです。パーシー・シュマイザーはこれに屈することなく、最高裁まで争い、特許は侵害したが損害賠償は必要ないとの判決を勝ち取ったのです。
ちなみに、日本モンサント社のホームページには恥ずかしげもなく次のように書かれています。「しかし真実を言えば、パーシー・シュマイザー氏は、ヒーローではありません。話が上手な特許侵害者です。彼の隣人たち、そして大多数の農業生産者が、特許で保護された種子を、ライセンス契約下で播種しているにも関わらず、シュマイザー氏は、モンサント・カンパニーの特許技術が含まれる種子を、ライセンスを受けずに自家採種したのです」
モンサントが〝特許侵害者〟と断じる彼の主張は次のとおりです。①すべての人間は、食糧への権利と、食糧を生産する権利を有する。②健全な食糧を生産することができるように、自然の生態系は保護されるべきである。③人間は、安全で栄養のある食糧への権利を有する。④国家による食糧の輸入規制を妨害するような規則はつくられてはならない。⑤すべての人に、自分が口にする食糧に関する正しい情報を得る権利がある。⑥独自の農業の保護のために、それぞれの地域は規制を行う権利を持つべきである。⑦地産地消は奨励されるべきである。⑧地域内の生物多様性は保護されなければならない。⑨種子は「共有財産」資源である。⑩いかなる生物も特許化されるべきではなく、ターミネーター種子はグローバルに排斥されるべきである。⑪種子交換の自由は保護されるべきである。⑫農家は、自らの農地が遺伝子組み換え種子に汚染されない権利を有するべきである。
2007年、ルイーズ&パーシー・シュマイザー夫妻は「もうひとつのノーベル賞」と称されるライト・ライブリフッド賞を受賞しています。1984年にワンガリ・マータイが、93年にヴァンダナ・シヴァが、そして97年に高木仁三郎が受賞しているという事実から、この賞がどの様な性格のものか明らかでしょう。
「暴走する生命」
そのヴァンダナ・シヴァの、モンサントとの種子をめぐる闘いを中心に記録したのがこの映画です。解説を紹介すると、「1999年に世界第3位の綿花生産国インドに進出したモンサントは、害虫に強く、収穫量と利益を増やすという宣伝文句で、GMOの種子を販売した。ところが、この種子に組み込んでいた害虫駆除の遺伝子は、インドにいる害虫にはほとんど効果がなく、しかも2006年は干ばつの影響もあって綿花栽培農家は打撃」を受けました。
農民たちは土地をなくし、自殺者が相次ぐ悲惨な境遇に追い込まれました。彼女は在来種の種子を保存し、GM種子による汚染、モンサントの特許権取得による種子の独占からインドの農民を守ります。日本でも魚や野生植物が、外来種による在来種の駆逐によって危機に瀕していますが、北米では在来種の菜種は消滅した(シュマイザー氏の指摘)といわれています。
本作ではGM魚も取り上げられています。それは、短期間で巨大な成長を促すというものですが、これが野生魚と交雑していくといずれ野生魚は絶滅する可能性があります。映画案内では、半分の生育期間で6倍の大きさに成長するサーモンが食卓にのぼろうとしている、と警告しています。「2010年9月、米国政府(食品医薬品局)は、申請されたアクアバウンティ社のGMサーモンを安全と発表した。強い反対の声もあるなかで、承認されれば日本にも輸入され、遺伝子組み換え鮭がスーパーに並ぶ可能性は高い」と。
いま、TPPへの参加が取り沙汰されていますが、それは例外なき自由化、関税撤廃に留まりません。モンサントのような巨大企業が権力を操り、思うがままに振舞う自由を手に入れるのです。そこに私たちの未来はありません。
関連情報紹介
「フランケンフィッシュ」は食べたくない!100万人署名
http://www.avaaz.org/jp/stop_frankenfish_r/?tXljNbb
「遺伝子組み換え魚」はダメ!とFDA(アメリカ食品医薬品局)に訴えよう
http://ja.naturalnews.com/?p=67
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色鉛筆・・・ゆっくりの成長を大切にできる社会をーー障害者就労の壁
今年20歳になる知的障害および視覚障害があるA君から年賀状が届いた。自分で文字を書いて、送ってきたのは初めてだったのでうれしかった。
* * * * * *
A君と初めて出会ったのは、支援学校の中学校入学説明会の時だった。小学校の時は、多動で教室で座って勉強するのが苦手で、落ち着いて学習になかなか取り組むことが出来なかったので、通常学級ではなく別クラスで学んだそうだ。
ひらがなは50音全部読めない、書く文字は鏡文字(裏返文字)、算数も繰り上がりの計算は出来ない状態での中学校生活の始まりだった。毎日自分の名前、住所を書く練習をしていた。出来るようになると日記書きを始めた。
繰り上がりの算数のプリントを一緒に、なれてくると100マス計算をした。毎月の2000円の小遣いの中でCD購入の目標にむかい1000円を貯め、残りの1000円はA君の好きな食べ物を作る材料等を購入する練習をして、小遣い帳のチェックをしていた。三ヶ月の貯金で、お目当てのCD購入出来たときは大喜びをしていた。
また小遣いで購入する大好きなポケモンカードで漢字を覚えるようになってきた。中学校2年生から年賀状を書いてポストに投函する練習をした。年賀状の返事をもらったことが友達との交流につながり、楽しんでいた。人より遅い成長だったかもしれないけれど、A君は友達との関わりの中で学習意欲が湧き大きく成長したと思う。それが普通学校で出来ることが理想だと思うが、現実には十分な体制がとれていない。
* * * * * *
高校卒業後は、障害者就労支援B型事業所(一般就労がより困難とされている事業所)で、調理の仕事に携わり、毎月皆勤賞を目指し通所している。余暇は友達と過ごし、コンサートに出かけたりしている。つきあっている彼女がいるそうだ。
しかし障害者自立支援法は総合支援法と名前を変えたが、一般就労の大きな壁となりA君の自立を妨げているのが現実だ。
さらにA君にとって行政の手続きががむずかしい。毎年の行政からの様々な書類の提出は出来ない、療育手帳の更新も一人でいけない。行政からのサービスが頻繁に変わり理解できない。
また障害者事業所は、いい商品作りを目指さなければ売れないし、売り上げを伸ばさなければ経営難に陥る。A君にとっても事業所にとっても苦しみの連鎖のように感じる。
具体的に周りの人に伝えることが上手ではないA君が今後、その心にある願い(自立できる給料をもらい、彼女と結婚したい)を叶えるための壁はあまりに高い。障害者事業所でAクンの得る手取り賃金は給与から「施設利用料」を差し引いたわずか五千円にとどまる(他に若干の手当もあるが)。これでは働く意欲もそがれてしまうだろう。 (弥生)
映画版「レ・ミゼラブル」
現代にも通ずる「民衆の苦悩」
◆革命後の反動の時代に◆
フランスの文豪、ビクトリ・ユゴーの名作「レ・ミゼラブル」が、ミュージカルとなって、はや四半世紀。それが今回、映画化され、世界各地で上映されている。
日本では、折りしも民主党政権が崩壊し、保守色の強い安部自民党政権が登場した時期と、「レ・ミゼラブル」の上映開始時期が重なったこともあり、これまでとは違う視点から「レ・ミゼラブル」を鑑賞することになった。
それは、主人公のジャン・バルジャンの生きた時代が、フランス革命後の政治的反動の時代であったという点である。
ジャン・バルジャンが生まれたのは、ちょうどフランス革命で樹立された共和制政府が、周辺国の軍事的圧力を受け、ジャコバン派独裁に転化し、テルミドールの反動クーデターで崩壊した後の頃である。
少年のジャン・バルジャンが、飢えた姉の子供達のためにパンを盗んだ罪で、十九年も牢獄に繋がれた時期は、ナポレオンが登場し、当初は周辺国に「革命の輸出」をするが、やがて大英帝国と覇を争う「大国主義」に変質、自ら「皇帝」を名乗った頃である。
◆「英雄」ではなく「民衆自身」で◆
ようやくジャン・バルジャンが仮出獄した1815年は、ナポレオン皇帝がワーテルローの敗戦で没落し、ブルボン王朝が復活した時期にあたる。「正統主義」の名の下、革命前の旧制度が復活した。
ビクトリ・ユゴーは「この日、人類の未来の見通しが一変した。ワーテルロー、それは十九世紀の扉を開く金具。あの偉大な人間の退場が、偉大な世紀の到来に必要だったのだ」と書いている(映画パンフレット中の稲垣直樹の解説より)。
この日を境に、人々は「英雄」に未来を託すことはできず、「民衆自身」の手で未来を切り開くことを悟ったのだ。(現代の我々も「政権交代」の幻想から覚め、「我々自身」の力で社会を変えることに、改めて気づいた。)
ともあれ、前科者の烙印を押されたジャン・バルジャンは、まともな仕事にもつけず、差別的な低賃金の屈辱的仕打ちを受ける。このどん底から、いかにして立ち直っていくのか。
◆「理想の工場」とその挫折◆
宿泊した教会からジャン・バルジャンは、銀の食器を盗んでしまう。ところが司教は、その罪を咎めるどころか、さらに銀の燭台まで与え、更正を促す。改心したバルジャンは、それを元手に、マドレーヌと名を変え、ある地方都市で理想の工場を営み、市長にもなり、労働者や市民から敬愛されるようになる。
この時代、フランスでは、サン・シモンやフーリエなどの「協同組合」「理想工場」が試みられた。イギリスでもロバート・オーエンらが試みたが、これらは次々に失敗する。
バルジャンの経営する工場も、実際には無権利状態の女工を搾取する場であり、ある日、工場内のトラブルから、ファンテーヌという若い女工を解雇することになる。実際に、この時期のフランスでは、リヨンの絹織物労働者の暴動(1831年)が起きている。
ファンテーヌは、故郷に病気の娘(コゼット)がおり、娘の薬代を送金しなければならない。路頭に迷った彼女は、装身具を売り、ついに娼婦となった末、衰弱し病死する。これを知ったジャン・バルジャンは、市長の地位を捨て、コゼットを引き取りに逃避行の旅にでる。
◆バリケードの闘いと敗北◆
若い娘に成長したコゼットを連れて、ジャン・バルジャンはパリ郊外に住んでいる。1832年のパリでは、学生達が革命を呼びかけていら。コゼットと恋に落ちた学生マリウスも、革命に参加する。
これより少し前、1830年のパリでは市民がブルボン王政を倒す「七月革命」が勝利した。しかし、共和派と立憲王政派の妥協によって樹立された、ルイ・フィリップの立憲君主制の下、ブルジョア的中流階級の暮らしは豊かになる一方、労働者たちは、貧富の差が拡大し、怒りを募らせていた。革命は労働者色、社会主義色を濃く帯びていく。
学生達は、さらなる革命の徹底を求めて、パリの街にバリケードを築く。しかし、この革命は市民の十分な参加を得られず、王政側の軍隊の砲撃によって、壊滅させられる。ジャン・バルジャンは、銃弾に傷ついたマリウスを背負って、地下の下水道に逃げる。
ビクトル・ユゴーが、これらを執筆したのは、1848年の二月革命のころである。実際パリの民衆は、1830年の七月革命から、1848年の二月革命、1871年のパリ・コミューンまで、街中にバリケードを築いて官憲と闘ったのだ。
◆ナポレオン第二帝政期に出版◆
二月革命の敗北後、1851年にナポレオン3世がクーデタを起こし、「第二帝政」の専制政治が始まった。これに抗して、ビクトル・ユゴーは、ついに長年執筆した「レ・ミゼラブル」を刊行する。1862年のことである。
パリの労働者達は、これを熱狂的に歓迎した。パリ滞在中のユゴー夫人が、亡命先のユゴーに送った手紙には、次のような記述がある。
「いくつもの工場では、労働者が1フラン(日給の半分の金額)ずつお金を出し合い、12フランをサックに入れて、『レ・ミゼラブル』を買いに行きます。みんなでクジ引きをして、クジに当たった者が、みんなが回し読みをしたあとに、『レ・ミゼラブル』を自分の物にするのだそうです。(中略)『レ・ミゼラブル』は社会のありとあらゆる階層で、比類ない感動を呼び起こしています。」(映画パンフレット中の稲垣直樹の解説より抜粋)
◆150年たった今も◆
そして、と我々は続けることができる。「レ・ミゼラブル」刊行から150年たった今も、それは依然として社会のありとあらゆる階層に感動を呼び起こしている。なぜか?
「レ・ミゼラブル」がミュージカルとして初上演されたのは、1985年のこと。戦後の経済的繁栄が崩壊し、イギリスではサッチャリズムが、アメリカではレーガノミクスといった反労働者的な風が吹き荒れ、ヨーロッパに失業と格差拡大の波が襲い始めた時期である。日本でもバブルの崩壊と格差の拡大と共に、労働者の苦難の時代が始まった。これらが、世界中でミュージカル「レ・ミゼラブル」がロングランを続けている背景だろう。
闘っては挫折し、反動政治が復活し、そんな繰り返しの中でも、労働者・民衆自身の手で未来を切り開くことに、真実を見出すことを、「レ・ミゼラブル」は教えている。
映画版「レ・ミゼラブル」の上映は、各地の映画館で、まだしばらく続きそうである。また、「劇場版」は今年の5月から7月にかけて東京の帝劇で、8月には福岡の博多座で、9月には大阪の梅田・フェスティバルホールで、10月には名古屋の中日劇場で、それぞれ上演が予定されている。この機会に、ぜひ足を運ばれてみてはいかがでしょうか。(誠)
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「コラムの窓」・・・・米兵の自殺
日本人の自殺者数が昨年2万7766人(前年より2885人、9・4%の減少)で、1997年以来15年ぶりに3万人を切ったことが新聞記事に出ていた。
毎年、毎年14年間も3万人以上の自殺者が出る日本社会。やはり私たちの社会はどこかおかしい、異常な社会であることを示す指数ではないか。
1月15日付の米紙ワシントン・ポストは、昨年自殺した現役米兵が349人と過去最多を記録し、交戦中に戦死した313人を上回ったと報じた。
軍種別の自殺者数は、陸軍182人、海軍60人、空軍59人、海兵隊48人となり、現役だけでなく予備役の間でも高い自殺率が表れている。
国防総省は2001年から自殺者の集計を開始。自殺者は06年から増え始め、09年に310人となった後に減少したが、昨年再び急増した。
米国ではイラク戦争とアフガニスタン戦争などに参戦した兵士が、心的外傷後ストレス障害(PTSD)や経済的困難などで苦しんで自殺するケースが多発。米軍は多数の専門家を雇用し、兵士の自殺予防プログラムを推進しているが、自殺者数は今後もっと増加するだろうと言われている。
そもそも、人が人を殺すという戦争そのものが異常な非人間的な行為であり、その行為を経験した若者が、後遺症を患って自ら命を絶っていく。若者が次々に自殺していく社会は異常であり、なんともやり切れない!
この異常な戦争を告発した映画作品として、私が印象に残った作品を紹介する。アメリカ映画でドルトン・トランボ監督の「ジョニーは戦場に行った」と日本映画で若松孝二監督の「キャタピラー」である。
2001年の9.11事件を受け、米国はアフガニスタン戦争に踏み切った。もう12年も続く戦争である。また、2003年3月からイラク戦争を開始する。これも、10年も続く戦争となっている。
過去の米国の戦争をみると、太平洋戦争は5年間、朝鮮戦争も3年間である。あの泥沼化したベトナム戦争が約14年間であり、ベトナム戦争の後遺症はアメリカ社会に多くの負の遺産を残した。
米国が現在続けている二つの戦争がいかに長期に渡っているか、この長期の戦争がいかに若い兵士を疲弊させているか、おわかりだと思う。
ベトナム戦争時代は「徴兵制」(白人も黒人もヒスパニック系も、すべて)の兵士であった。現在は「志願制」の兵士たちである。
この二つの戦争に参戦している兵士たちのほとんどは、移民(就労許可を持たない不法移民は、ヒスパニック系を中心に約1100万人に上り、農場・工場・飲食店などのいわゆる3K職場で、安い賃金労働力としてアメリカ経済の底辺を支えている)の子どもたち。
貧しい生活の彼ら彼女たちは、「今より良い仕事に就きたい」「そのためには大学に進学したい」と願っている。そこに「志願制」のリクルートが登場し「3年間入隊すれば、大学の育英資金がもらえ大学に行けますよ!」とささやく。そうした夢を抱き入隊し戦場に送られて行く。
アメリカの「志願制」の中で、志願した若者がどのように兵士として育成されていくか?興味を持つ方に薦めるビデオ作品がある。藤本幸久監督作品「ワンショット・ワンキル」を見てほしい。
この米兵の自殺者の増加は、現在のアメリカ社会の異常さを示す指数ではないか。(富田 英司)
『悪いことをしたら叱られる』と言うことから見直すべきではないか!
大阪市立桜宮(さくらのみや)高校バスケットボール部の部員が顧問による暴力を受けた後、自殺した事件で、橋下徹大阪市長は、体罰問題が明るみに出た市立桜宮高校の今春の体育科とスポーツ健康科学科の入試を止めるべきだと市教委に伝え、体育系2科の募集を中止し普通科に振り替えて行われることになったが、こうした「手法」で、常態化しつつある学校の「体質」や部活動「指導の異常さ」を解決しうるのだろうか?。
桜宮高校問題の徹底的な実態解明や実効的な対応策を求めるために、橋下徹市長の「入試中止」発言は、行き過ぎた「体罰」を容認し隠蔽してきた学校や教育委員会に対する懲罰、言葉を換えた「体罰」ではないのか?行き過ぎた「体罰」や隠蔽体質の根本的な解決策を示さないで、「体罰」には「体罰」をではなんの解決にもならないのではないだろうか!
現在の学校経営は企業経営と同じく市場原理に基づく競争による利益追求が主目的で、生徒からの入学金、授業料を、営業資金や利潤のよりどころとしている。そうした環境では、教育・とりわけスポーツ教育は本来の「教育理念」から外れ、競争理念に基づく勝者優先の指導・教育が行われている。
大半の学校は「有名」になり、多くの生徒を集めることができる重要な手段は、スポーツの大会で優勝したり、優秀な成績を収めることが求められ、スポーツ部を管理・指導する教員は、学校に対する「功績者」として持てはやされ、「指導」が「しごき」や「体罰」まがいのものになったとしても、多くの場合大目に見られるし、父兄や子ども達の中には、スポーツでうまくなり、有名になるためには、多少の体罰を自分への励ましと受け止め容認してきた中では、エスカレートする「体罰」や「体罰」の隠蔽がまかり通り、日常茶飯事になるのである。
多少の「体罰」はあってしかるべきだとしてきた橋下徹大阪市長の教育政策の根底にあるのは「競争主義」「数値主義」であり、各学校を互いに競争させ、「入学者の人数?」「大学入試の合格者は?」等々、「数値」を競わせ、悪いところには予算を減らしたり、人員を減らしたりするやり方ではなかったか!こうしたやり方は、日の丸・君が代を強制しつつ、学校、教員間の競争をけしかけ、「詰め込み教育」「受験教育」で形骸化している教育を一層悪化させ、スポーツで名を上げようとする学校の傾向を一層助長させても来たのであり、「体罰」という「犯罪」を促進し、教育の荒廃に重大な責任を負っていることを橋下市長は気付くべきである。
今回の事件では「体罰」と表現されるが、亡くなったキャプテンは罰せられるようなことを何かしたのか?。何もしていないのに「体罰」を受けるのは、これは虐待、もしくは暴力ではなかったのか!全国大会の常連校で起きたため、強豪校にありがちな勝利至上主義や顧問個人の資質の問題にしがちだが、指導暴力を容認してきた利潤追求の競争社会にもその非があるし、「良いこと」と「悪いこと」の判断ができる人間を育てるのが教育の一部分だとするなら、「叱る」と言うことはそれに気付かせるという意味でのみ使われるのであって、手段のみが先行するやり方は戒めるべきである。(光)
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〈職場から〉「非正規の仲間が立ち上がった!」
郵便配達の仕事を時給で働く身である私にとって、同じ職種の青年が不当な賃下げに対し立ち上がると、聞いた時、何か協力できることがあればと思いました。先日、1月24日(木)に、「日本郵便非正規労働者の権利を守る会」の結成総会が持たれ、裁判を起こし闘っていく決意が本人から表明されました。120人もの郵政関係者や支援者が駆けつけ、会は熱気を浴び、久々に「労働者」の団結を味わいました。
この裁判に踏み切った青年は、神戸の長田で、非正規の郵便配達員の福本慶一さん。もう10年も勤め、たった1回の朝寝坊による遅刻で、事前に遅刻の連絡を入れたにも関わらず、時給を210円(1460円から1250円に)も下げられたのです。その210円賃下げの内訳は、「遅刻があったので基礎評価給10円を支給しない」、そして「遅刻をすることはスキルランクA『他の時給制契約社員に対して指示・指導ができる』を満たしていない。したがって資格給は『A-習熟有り、550円』から『A-習熟なし、350円』とする」というものでした。
6ヵ月毎に雇用契約を結ぶ非正規労働者は、自己のスキル評価をまず提出し、担当の課長代理・課長へと評価を受けることになります。私もちょうど、本日(1月26日)に課長から自己スキル評価の用紙を配布され、過大に自己評価しないようにと、釘をさされたばかりです。評価の対象になるのが、営業の成績、仕事のミスがないかどうか(誤配・誤転送・バーコード郵便の入力漏れなど)、日頃の上司に対する態度など、Aスキルランクを維持することは大変で、日頃の仕事にプレッシャーが付きまといます。
結成総会では、裁判を担っていただく弁護士さんから、裁判への展望が説明されました。福本さんの場合、時給210円のカットなら、1ヵ月22日出勤で36000円の賃下げとなり、次のスキル評価までの6ヵ月間では22万円もの賃金が減ることになります。これは、14%の賃下げとなり、労基法91条の減給率は最大10%を超えてはならない、に違反すること。今回の窓口会社との統合で、基礎評価給と資格給を連動させて評価することを止める方向にあること、など明るい方向性が見えてきます。
さらに、4月1からの法改正では、仕事の内容・責任が同じなのに、期間の定めのあることを理由に、正規社員と格差をつけることは合理性がなく差別することになる、という非正規雇用に有利な法律が施行されます。しかし、この法律を生かすには、職場での力関係が、つまり労働者が声を上げていく努力が必要になってきます。
福本さんは、2008年に神戸・長田支店で非正規ユニオンを結成し、8時間雇用から6時間雇用に変更しようとした支店に結成通告・要求・団交をへて現行維持勝ち取った、当時の委員長でした。その活躍は管理者からすれば、すきあれば・・・と反撃のテャンスを狙っていたとしか思われません。福本さんの自分個人だけの賃金回復でなく、日本郵便から差別され、苦悩する多くの非正規に勇気を与えるためとの決意表明に、私も元気をもらいました。裁判の傍聴には是非、参加したいと思います。 折口恵子
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編集あれこれ
前号は、2回分の合併号でしたが12面あり良かったと思います。1面は、「反動的な自公政権糾弾! 憲法9条の改悪 消費税増税を阻止しよう!」という記事でした。安倍首相は、憲法9条の改悪を目論んでいます。今回のアルジェリアでの事件を契機に、9条改悪の動きは進む可能性があります。それを何としても阻止しなければなりません。
2・3面は、「運動拠点づくりを急ごう!―利権構造と対峙する対抗勢力づくりへ―」という記事でした。昨年の衆議院選挙で民主党が惨敗し、政権の座から滑り落ちました。民主党はやると言っていた「官僚主導政治からの脱却」、「最低保障年金の創設」等をできませんでした。逆にやらないと言っていた、消費税増税やTPPへの参加を打ち出しました。これでは負けるのは当然です。
こうした状況を脱却するために、職場や地域などでの活動と仲間づくりが重要です。
4面は、沖縄通信です。沖縄での集会とデモの紹介記事です。そして、「ラブ・沖縄」という映画の紹介がありました。この映画の上映会を全国で取り組んでほしいという呼びかけもありました。この映画は、辺野古・高江・普天間での反基地の闘いのドキュメンタリー作品です。あと沖縄の映画で、1月26日から全国で順次上映される「ひまわり~沖縄は忘れないあの日の空を~」も見逃せません。1959年6月30日午前10自40分頃、米軍の戦闘機が宮森小学校に激突しました。この事故で18名もの生命が奪われ多数の負傷者が出ました。このことを取り上げた映画です。
前号は、コラムの窓・何でも紹介・色鉛筆等常設の記事や、その他の記事で多彩な紙面だったと思います。また、読者からの手紙で、読者自身の活動と私たちへの意見が書かれていました。貴重な意見をお寄せいただいたことに感謝します。(河野)
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