ワーカーズ483号 2013/03/01
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アメリカに全面屈服の安倍外交の惨めさ
2月22日、訪米した安倍首相は「環太平洋経済連携協定交渉参加に際し、一方的にすべての関税を撤廃する事を予め約束する」必要はない、「聖域なき関税撤廃は(交渉参加の)前提ではない事が明確になった」として関税撤廃を「一方的に」求められないと「判断」した安倍総理は、国内向けの「慎重」な姿勢をあっさりと崩し交渉参加を明確にした。
自民党のTPPに関する選挙公約は、(1)「聖域なき関税撤廃」を前提にする限り交渉参加に反対(2)自由貿易の理念に反する自動車等の工業製品の数値目標は受け入れない(3)国民皆保険制度を守る(4)食の安全安心の基準を守る(5)国の主権を損なうようなISD条項は合意しない(6)政府調達・金融サービス等は、わが国の特性を踏まえるであった。体を張り阻止する意思がなければ自他を欺く言葉以外の何ものでもない。
しかし考えても見よ。政策的に円安を導入し国力を自ら減殺させ衰退させたのは誰か。円安・株高を仕掛けられ、ガソリン・灯油・小麦製品等輸入品は高騰した。これを厚顔にも「アベノミックス」と浮かれる安倍総理にまともな判断力を期待する方が土台無理である。この動きも大きくはG7で容認されたように、実はアメリカが示唆したものだった。
まさに安倍総理のこれまでの言動はパフォーマンスであった。オバマとの出来レースの中で「一方的」でなく「結果的」には「合意」する道が公然と開かれてしまったのである。
アメリカの意思は、共同声明では第一に「全ての物品が交渉の対象とされる事」、第二に「TPP交渉参加に際し、一方的に全ての関税を撤廃する事を予め約束する事を求められるものではない事」、第三に「日本が『TPPの輪郭(アウトライン)』において示された包括的で高い水準の協定を達成していく事」が確認されたと表現され、他にも原発推進・沖縄米軍基地固定化も約束した。まさに安倍外交の惨めさはここに極まったのである。
特に第三の文言は「交渉に参加する場合には(連携)協定に参加する事」と同義である。まさにTPPにより、日本は農業だけではなく金融や医療保険や国民皆保険制度に極めて深刻な影響を及ぼす現実と直面する。自民党にはアメリカに対する拒否権はないのだ。
今まさに日本の労働者・市民には、TPPの本質を太平洋を越えたアメリカの直接的な日本経済支配をめざす戦略的協定だと認識し徹底して闘い抜く事が求められている。
ともに連帯して広汎な戦線で創り出し断固闘っていこうではないか。(直木)
この国はいつになったら〝野蛮〟を脱することが出来るのか!
2月21日、政権復帰して2カ月に満たない安倍政権が3人の死刑囚の刑を執行した。谷垣禎一法相はいずれの事件も身勝手な理由で尊い生命を奪ったきわめて残忍な事案だとし、死刑執行は当然との見解を示した。これによって、安倍政権は死刑制度存続に意欲を示した格好だ。
昨年12月20日、国連総会は死刑執行の停止を求める決議(各国に死刑判決を受けた人の最小限の保護に関する国際基準を尊重すること、死刑判決を受けた人の数、判決の執行数などを公表すること、廃止に向けて執行のモラトリアムを実施することなどを求める決議)を採択している。過去最多の111カ国の賛成というから、死刑廃止は国際社会の総意といえるものだ。しかも、日本は人権理事会の理事国なのだから、これほど国際社会に背を向ける行為はない。
この国は今、多くの人々が罪を犯した者に対して容赦ない刑罰を求めている。これに引きずられて、法定刑の重罰化が進んでいる。まるで〝目には目を〟の世界へ退行しようとしているようだ。庶民的感情が被害者や遺族に傾くの已むを得ないとして、マスコミがそれを煽るのは最低だし、政治家がこれに追随するのは見苦しい。
憲法第13条「すべて国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない」
これは自民党の改憲草案だが、国民は〝公益及び公の秩序に反しない限り〟で国民として認められる、これが自民党が描くこの国の未来だ。当然にも、国の秩序を乱すものは自由を奪われる。いっそ、治安維持法だって復活させたいのかもしれないが、さすがにそんなものは持ち出せないだろう。新たな装いをこらした法案が準備されるだろうし、その前に憲法が傷められそうだ。
これ以上この国が過去へと後退しないように、国際人権基準を政府に守らせよう。(2月21日・折口晴夫)
アムネスティ・インターナショナル日本「死刑執行に対する抗議声明」http://www.amnesty.or.jp/news/2013/0221_3829.html?mm=1
「沖縄通信・NO 33」・・・米軍オスプレイやりたい放題の違反飛行訓練
オスプレイ12機が岩国から米軍普天間飛行場に配備され、早いものでもう5カ月となる。この5カ月間、米軍オスプレイは全島上空で傍若無人・やりたい放題の違反飛行訓練を繰り返している。
配備前はオスプレイの構造的欠陥が指摘され、沖縄県民はいつ墜落するかわからない「欠陥機」オスプレイが飛び交うことに不安をいだいていた。実際に配備され飛行訓練が始まると、墜落の恐怖とともに「夜間飛行」「騒音問題」「粉じん被害」が起こり、さらに「落下物事故」もあり、様々な問題を起こすオスプレイに県民は心を痛めている。
日米両政府が合意している騒音防止協定で飛行が制限されている夜10時すぎの夜間飛行訓練を平気でやる。住宅密集地や学校・病院上空などを低空飛行し、騒音で授業が中断するとか、保育園では昼寝中の園児が泣きながら跳び起きるなど、県民の生活破壊が起こっている。
またオスプレイがコンクリートブロックやバケツをつり下げ集落上空を飛行する、兵士のつり下ろし訓練も行われるなど。県民から「米軍はやりたい放題の飛行訓練を繰り返している」「わが物顔で飛び回り、配備前の運用ルールをまったく守っていない」等の怒りの声が上がっている。
このようにオスプレイは、日米合意とかけ離れた違反飛行訓練を繰り返しているが、さらにとんでもない事故を起こした。
2月5日午後、普天間飛行場から離陸したオスプレイが、基地外の宜野湾市の民間地に個人用「ペットボトル」を落とした。不幸中の幸いで住民への被害はなかったが、一歩間違えば大事故につながる落下物事故である。
これまでオスプレイは、飛行中に乗員や荷物の落下事故をひんぱんに起こしている。2011年にはアフガニスタンで乗員が高度60メートルで飛行していた機体裏側から転落し死亡した。今年の1月17日には、米国サンディエゴで、飛行中の海兵隊オスプレイから約19リットルの洗浄液入りのバケツが落下して、自動車修理店の屋根に穴をあけ、車6台に被害を出している。
オスプレイは気圧調整機能がない上、後部の視界を保つため飛行中も後部ハッチ(荷物搭載口)を開いた状態で飛行する構造になっている。従って、乗員や積載物は飛行中ベルトなどで固定されている訳で、その固定が不十分な場合は落下する恐れがある。これも構造的欠陥ではないか?。
さらに県民を苦しめているのが、オスプレイの騒音問題である。
オスプレイの騒音を調査している琉球大学の渡嘉敷健准教授(環境工学・騒音)によると、宜野湾市上大謝名公民館で測定した90・2デシベル(大型トラックが通過するときの騒音と同じレベル)は、従来機CH46ヘリコプターの騒音83・0デシベルを7・2デシベル上回った。渡嘉敷准教授によると「CH46との差を考えると、体感する騒音の大きさとしては2倍近いうるささになる」と指摘する。
また、同じ公民館で測定した夜間飛行での騒音は92・0デシベル(騒々しい工場内と同じレベル)を記録。渡嘉敷准教授は「同じジェット機の騒音と違い、ヘリは低周波音が含まれる分、振動、心理的圧迫や不快感を感じる。特に、夜間は周囲が静かなので、心理的影響や負担が大きい」と指摘。
渡嘉敷准教授が特に問題としているのが、オスプレイの離陸時に発生する「低周波音」(物的影響は建物のがたつきや振動をもたらす。身体的影響はいらいらや頭痛、吐き気をもたらすなど、精神的不快感を増幅させる)である。
名護市辺野古の国立沖縄工業高等専門学校屋上での調査では、低周波音も測定され、頭痛などをもたらす「心理的影響」では、40ヘルツで91・8デシベルと、防衛省が普天間飛行場辺野古移設に向けて作成した環境影響評価(アセスメント)の基準値78デシベルを13・8デシベル上回った。
普天間第二小学校屋上の測定で、渡嘉敷准教授は「アセスの基準値を超える低周波音が、ヘリモードだけでなく、固定翼モードでも発生することが確認できた」と。固定翼モードの離陸時の低周波音は、周波数63ヘルツでは91・7デシベルを計測。同ヘルツでのいらいらや吐き気をもたらす「心理的影響」の基準を示す閾値(いきち)80デシベルを11・7デシベル上回った。40、50ヘルツでも「心理的影響」の閾値を超えた。ヘリモードの離陸時でも各周波数での低周波音が閾値を超え、40ヘルツでは90・4デシベルを記録し、「心理的影響」の閾値78デシベルを12・4デシベルを上回った。
このような測定結果から、渡嘉敷准教授は「オスプレイの低周波音は心理的、物的の両方に影響が及んでいるのは明白」「低周波音は防音窓でも防ぎにくく、沖縄の新たな騒音問題」と強調する。「低周波音の影響を国が認めるような動きにならないといけない」と、地域住民の健康被害を心配している。
配備後、こうした諸問題が起こっているのに、日米両政府は7月までに新たなオスプレイ12機を普天間飛行場に配備する方針。さらに米軍は、今後嘉手納飛行場にも空軍オスプレイを9機配備する計画をたてている。
日本政府は沖縄に次々にオスプレイ配備を押しつけようとしている。この事について、森本前防衛大臣は「軍事的には沖縄でなくてもよいが、政治的に考えると沖縄が最適の地域だ。許容できるところが沖縄にしかないからだ」と発言している。
まさに「沖縄差別」発言(本土配備すると反発が強くもめることになるので、基地が集中している沖縄に押しつける方が得策だ)で、これは原発問題(なぜ、東京電力が東北の福島に原発を押しつけるのか)と相通ずる問題である。
昨年6月の宜野湾市民大会からオスプレイ配備の反対運動が始まったが、8カ月たった今でも、普天間飛行場の野嵩ゲート前と大山ゲート前での抗議行動は続いている。沖縄市、嘉手納町、北谷町で構成する「三市町連絡協議会」も、オスプレイの嘉手納配備に反対する住民大会を4月21日に開催することを決めた。
さらに、沖縄県民の怒りを買うような「辺野古移設」(新基地建設)に関する「埋め立て申請」問題が起こっている。
昨年12月末、防衛省は政権交代時のどさくさにまぎれてデタラメな「環境影響評価(アセスメント)」の補正評価書を県に提出し、公告・縦覧も1月29日に終了した。次に政府がいつ「埋め立て申請」を県に提出するか、注目されていた。
オバマ大統領との日米首脳会談を終えた安倍首相は、米国への忠実さを証明するかのように、2月中か3月上旬には「埋め立て申請」をして、早期に手続きを加速させ辺野古移設を推し進めるようだ。(2月22日、沖縄防衛局が、埋め立て申請に必要な同意書をまだ取り付けてない名護漁業組合を訪ね、24日からの週にも申請する予定だと伝えた)
このように今沖縄は「尖閣問題」を利用され、「オスプレイ配備」「辺野古移設」(新基地建設)、さらに「与那国への陸上自衛隊配備」等、沖縄の民意を無視する政府、沖縄包囲網を形成する本土マスコミ、右翼勢力などから猛烈な圧力を受けている。
沖縄を孤立させないように、「オスプレイ配備撤回」・「普天間飛行場の県内移設断念」(辺野古新基地建設阻止)を求める沖縄の民意に耳を貸し、沖縄と本土の連帯をめざす運動の取組みが必要となっている。
(富田 英司)
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コラムの窓・・・ まずは怒りを!規制緩和で失いつつある労働者保護制度を取り戻そう!
会社側の理不尽さに、本音は辞めたくはないのだが、理不尽さに“怒り”をぶつけるも、意味を逆手にとった会社の対応についてのサラリーマンの嘆きを表現した「『やめてやる!』会社にいいね!と返される」」(元課長)と言う川柳は、第一生命保険主催の第26回サラリーマン川柳コンクールで、応募総数3万490句の中から、入選100句に選ばれた川柳の一つである。
小泉政権時代に導入された“規制緩和”政策で働く者の権利(労働者保護法等によって守られていたものは名ばかりになり)は失われ、「追い出し部屋」なるものまである中で、会社側の人間味のない対応と、今の、“雇用”問題をも象徴している川柳と言える。
“規制緩和”は利潤追求の企業活動への規制を緩和し、“自由競争”による資本活動の活発化を図るための政策で、働く者(労働者)にとっては、使用者である資本家・企業に、それまであった権利(雇用確保や賃金・労働時間などの労働条件に関する諸権利)と言う会社側に対する規制を“緩和”剥奪され、会社側の意に沿って“自由”に使われ、搾取や収奪を“自由”に行うことができる環境を与えると言うことなのである。
総務省が19日発表した2012年平均の労働力調査の詳細集計によると、「医療・福祉を中心としたサービス分野で、非正規の仕事が増えたため」役員以外の雇用者のうち、パートや契約社員、派遣社員などの非正規労働者の割合は前年より0.1ポイント増の35.2%、1813万人となり、景気の回復や、年金支給年齢の後退に伴う退職年齢の引き上げ等があるにもかかわらず、正規労働者は増えずに、不安定雇用の拡大は3年連続で過去最高を更新し、生活保護世帯は211万世帯、失業者は270万人と戦後最悪となっている。
首切りの自由や不安定雇用である非正規労働者の拡大と低賃金化、目標管理型労務管理によるノルマ達成の強要、定員不足による残業の日常化とサービス残業などの長時間労働、働く者の諸権利“規制”は無力化し、やりたい放題で、企業側は総額四百兆円もの内部留保を貯め込み、莫大な利益をえたのである。
「国際競争が厳しい」と賃上げを拒否する資本に対して、安倍自民党政権は「強い経済」「経済再生」をするためには消費も必要と、ある程度の賃上げを資本・企業側に要請したが、安倍政権が求める主目的は「経済再生」で、貧困化する労働者大衆の生活を改善するためではない。
資本主義経済の「再生」・安定の為には、生産した製品を消費するには多少の賃上げも必要と言っているだけなので、鵜呑みにはできない。
そもそも低賃金・貧困化は資本・企業が労働者への労働強化・搾取や収奪した結果であり、貧困化が進めば購買力が落ち生産物も売れなくなるという自己矛盾に落ちているのが現代資本主義社会なのだ゜
労働者が生きていく上で最低限の賃金を与え、賃金以上に働かせることによって資本の繁栄・「経済の再生」は成り立っているから、“アメ”としての多少の賃上げは認めても、労働者の地位を真剣に向上させようとしないのが資本主義社会なのである。
「景気対策」「財政膨張政策」の“ツケ”としての消費税10%などの増税や生活保護費740億円削減・教育費の負担増など各種生活補償費の削減が目白押しの中で、法人税の軽減等、資本・企業への優遇政策は、安倍自民党政権が労働者を搾取する資本・企業側の政権であることを示している。
連合幹部は今春闘でもポーズだけ、労使協調路線の中で、資本・企業の人減らし合理化に協力し、賃下げ攻勢をも認めてきている。
こうした閉塞感の中では、川柳などで世の中比喩することしかできないものなのか!
資本・企業の低賃金政策・首切りの自由や長時間労働の押しつけなどの“横暴”とそれを支える安倍自民党政権と闘うこと以外に貧困化する労働者大衆の生活向上はありえないし、早急に、闘う為の体制作りを計らなければならない。まずは、資本・企業の“横暴”に対する怒りを!素直に出し、大きなうねりを創り出そう!
(光)
本の紹介 『いまだ人間を幸福にしない日本というシステム』カレル・ヴァン・ウォルフレン著
2012年12月25日発行 角川ソフィア文庫 定価895円(税別)
あのウォルフレンによる日本の政治構造に切り込む最新の論評だ。「あの」というのは、かつて日本でベストセラーになった『日本/権力構造の謎』(早川書房)でおなじみの筆者によるものだからだ。本書はそのウォルフレンが1994年に書いた、これもベストセラーになった同名の旧著に手を加えた上、新たに書き下ろした第三部を加えて発行された文庫オリジナル版だ。書き加えられたのは、日米関係の変化、09年の民主党政権の誕生と12年暮れの総選挙での民主党政権の退場、及び11年の大震災などをめぐる日本の政治状況などだ。
1994年に発行された本書の旧版は、89年(日本語版は90年)に発行された『日本/権力構造の謎』の普及版ともいえるようなもので、取り上げている対象は省かれているものの、論旨は貫かれている。
著者のウォルフレンは、オランダ出身で、72年に新聞社の極東特派員になったのを機に、次々と日本社会に関する著作を出版してきた。『日本/権力構造の謎』はその最初のもので、これが欧米ばかりではなく、日本の政界や経済界でも物議を巻き起こした。当時米国では日本という社会が欧米とは異質な理解困難な社会だという風評が拡がり、これが「リビジョニズム」として一定の拡がりを見せていた。言葉の意味としては「歴史修正主義」とされているが、「日本見直し論」として「日本たたき」の一変種だと受け止められた経緯がある。私は94年に『日本/権力構造の謎』が文庫本化されたときに読んだが、日本の権力構造の有り様を明快に解説していたので、多くの点で自分の推察を整理する上で大変参考になった記憶がある。日本人の解説書や新聞論調では見えてこない権力構造の実態に迫っていたと思えたからだ。本書に関心を持ったのも、そのウォルフレンが最近の政治をどう評価しているのかが知りたかったからだ。
本書の構成は以下のようになっている。
第一部 よき人生をはばむもの
第一章 偽りの現実と社会の檻
第二章 巨大な生産機構
第三章 停滞する社会の犠牲者たち
第四章 民主主義にひそむ官僚独裁主義
第二部 日本に運命づけられた使命
第一章 日本の奇妙な現状
第二章 説明責任を果たそうとしないバブルの張本人
第三部 日本人はみずからを救えるのか?
第一章 さらなる変化に見舞われた世界
第二章 不確かな新時代
第三章 日本民主主義の可能性
著者の日本社会の基本的な見立ては次のようなものだ。
非公式の権力──日本は建前としては議会制民主主義国ではあるが、それにふさわしい明確な意志決定システムがない。選挙で選ばれた政治家が決定権を持つのが普通の法治国家だが、日本では政権党であっても、官僚を采配できない。日本では憲法や法律で規定する明確な権力とは別に、官僚や経済(企業)官僚などが非公式な権力を行使している。選挙で選ばれていないその官僚は委任責任は問われないし説明責任も問われない。しかし、個々の省庁の縄張りで、諸官庁をまとめて統括できる官僚組織はない。結局、日本では明確な意志決定システムが無い。いはば、総無責任体制のなかでの官僚独裁国家というのが日本の姿だ、ということになる。
なぜそう見るのか。著者は言う。
日本で本来国会が立法権を持っているはずだが、実際に法案をつくるのは省庁の官僚だ。裁判権は裁判所が持っているはずだが、実際には検察の手に握られている。検察が起訴したものは99・8%が有罪となっているからだ。実質的には起訴するかどうかの検察による判断の段階で結論が出ている。メディアも法治国家の建前にとらわれることで官僚に協力している、等などだ。
たしかに官僚は個々の政策では力を発揮する。だが、戦後復興から高度経済成長期に形成された成長神話の是非という大きな目標に関しては考慮の対象外だ。いはば成長神話のままでの思考停止状態に陥っている、というわけだ。
日米関係をみれば、日本は米国の「保護国」だ。しかし米国の姿勢は最近は変わってしまった。冷戦終結後、米国は世界の国々を自国に引きつけておく必要がなくなり、露骨な国益主義が強まった。にもかかわらず対米依存以外には考えられない。ここでも思考停止。だから漂流する以外にない、というわけだ。
著者のこうした見立ては、平穏に暮らしている普通の日本人には違和感があるかもしれない。が、少しでも日本の政治システムに関心を持つ人であれば、納得できるものばかりだと思い当たるだろう。ウォルフレンの分析はきわめて的を得ているのだ。
ただし違和感を感じざるを得ない見方もある。著者が小沢一郎を評価している部分だ。確かに小沢は官僚独裁体制に挑戦してきた面もある。メディアを含めた集中攻撃の犠牲者と言えなくもない。しかし小沢がそうなら、岸や田中や小泉も救世主になってしまう。
小沢は、権力政治家で、党でも派閥でも親分・子分の関係しかつくってこなかった。いくつもの党を創っては壊してきた。田中裁判を傍聴し続けたのも、金権政治家として検察との対決に備えたものだ。それに民主党政権で政調会を廃止して党員と党組織を政策決定から排除したのも、陳情窓口を党の幹事長室に一元化したのも、権力闘争や利権の再編成の故だった。民主主義の体現者ではなく、権力政治家の姿そのものだろう。
なぜウォルフレンは小沢を救世主と評価するのだろうか。それは彼の分析視点によるのだろう。
ウォルフレンにとって、官僚独裁体制に対抗するのは市民から選出された政治家以外にない、という考え方だ。実際、選挙民と政治家の関係の深い分析はない。官僚独裁体制への対抗勢力という観点も希薄だ。あるのは欧米などにある普通の民主主義、要は選挙で選ばれた政治家が権力を行使するという、普通の権力システムだ。だから官僚や経済官僚など非公式の権力に、公式な権力を対置するだけだ。
ただこの新著には未来を展望する観点も組み込まれてはいる。脱原発での抗議デモや抗議集会などで表現されてきた公的領域の拡大のことだ。公的な領域とは、人々の集団的な営みで、政府とは無関係の領域だ。日本ではこれまで公的な領域は発達してこなかった。著者の直接行動等への高い評価も、そこに民主主義の成長の可能性を見ていることによる。著者はさらにその先をも見据えている。
これまでの市民運動は、単一要求、シングル・イシューにとどまって、本来の政治行動、政党化に至らなかったと、大衆的な行動領域での課題も提起する。これらの直接行動は、「政治に関わることは良くない」という、日本でさんざん振りまかれてきた政治への忌避感を突破する兆しだと見る。私たち自身の課題に繋がるものだろう。
本書の文体は、研究書というよりも評論風のもので読みやすい。数字やグラフなどはほとんど使用されていないし、通勤電車でも読める。著者の見解をもっと詳しく知りたい場合は、『日本/権力構造の謎』を読むことをお勧めする。(廣)
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私の活動日誌
2月16日(土): ワーカーズ・ウィンタースクールに参加のため東京へ。朝6時過ぎの新幹線に乗る。テーマは、私たちが目指すアソシエーション社会は、具体的にどんな政策を提起していくのか? いわゆる政策要綱を創り出していくことで、ワーカーズの方向性・立ち位置を示していこうというものです。期間雇用を当然とする雇用のあり方、地域経済を支える中小企業の経営難など、現行の資本が経営するやり方では解決策は出てきません。働く者が協同で組合を作り、経営の主導権を得ることで、協同経済、社会的企業、協同組合基本法の制定など、新たな政策が必要になってくるのが分かります。皆で議論する中で、今の職場がどれだけ労働者に犠牲を押し付けることで、成り立っているのか実感出来ました。過労死・うつ病による自死・労災による死亡事故など、そんな悲惨なことにならないよう、私たちの政策要綱をアピールしていくための準備に力を注ぎましょう。
夕方5時でワーカーズの議論は終了。仲間と交流会。その後、板橋区に住む三女と久しぶりに会いました。お正月も仕事の関係で帰省できなかったので、元気な顔を見てホッとしました。娘は赤十字の献血ルームの仕事で、昨年3月から契約社員で採用されました。この間、6ヵ月の勤務を経て正社員への試験を受ける資格が出来て、無事、合格したそうです。正社員になると、職場の移動も条件にあり、移動の範囲は長野県にも及ぶようです。4月には年休消化で、まとまって帰省できそうなので、またその日を楽しみにと別れました。その夜は、割安のスーパーホテルに宿泊。
2月17日(日): 午前中、経産省のテント村を訪問。寒い中、当番の男性2人が私たちに応対してくれました。最近はここにも、「在特会」がきて大声で非難し暴力を誘導する行為をしてくるということです。テントの敷地は、警察の管轄でないので踏み込んで来ないが、テントに放火したり、暴力事件があれば、いつでも強制捜査をもくろんでいるので、警戒が必要と日頃の苦労を話されました。関西での毎週金曜日の関電行動、来たる3月10日の「さよなら原発関西2万人行動」を話題に、今後とも各地で頑張ろうと励ましあい、テントを後にしました。
午後、新宿にある「高麗博物館」(市民がつくる日本・コリア交流の博物館)を訪問。朝鮮通信使をテーマに展示。かつて、朝鮮と日本が文化・経済を交流し良い関係にあったことを伺える手紙や絵画が複数あり、鎖国時代にも交流があったと、館内に居られる女性が説明されました。博物館といっても、ビルの7階の一室で、有志の基金で運営されているとのこと。その日は、私たちの他、2人の方が訪問されていました。丁寧な説明、熱心な啓蒙活動をされる館内の受付の方に、お礼を言って館を出ました。午後3時半頃の新幹線で帰途に着きました。
2月23日(土): 午前中、第13回「にしのみやアジア映画祭」の「かぞくのくに」(2012年作)を鑑賞。北朝鮮から病気治療のため、25年ぶりの帰国する兄を待つシーンから映画は始まります。父親が北朝鮮への忠実な存在であることは、朝鮮総連の幹部を努めていることからも明らかです。監視付きで帰国してきた兄は、16歳で北朝鮮へ志願したことに(本当は父親の出世のため)、どの場面からも後悔がにじみ出ている。結局は、治療も出来ずに本国の命令で1週間くらいの滞在で帰国となってしまう。北朝鮮の実状は今でもそうなのか?
夜7時から資本論研に参加。かつての活動仲間と月1回の学集会。
2月24日(日): 午前11時15分から西宮駅前で宣伝活動。ピースネットのメンバーと共に反原発署名とチラシ配布、ハンドマイクで街宣。寒い日が続いたが、今日は陽射しもあり通行人も署名に積極的に参加してくれる。カンパ1500円集まる。諦めずに声を上げていくことをモットーに、これからも続けていこう。
午後: 「にしのみやアジア映画祭」2日目の映画鑑賞。今日は「サンザシの木の下で」(2010年中国)、文化大革命の下の中国での、軍の幹部の息子・スンと父親が右派分子として捕まっている娘・ジンチュウの恋愛物語。スンは白血病になり亡くなってしまう。毎年、厳選されたアジアの映画を企画していただいている西宮労働福祉協議会の方に、来年も期待しています。何年か前、内部事情では財政面で困っていると聞き、存続できるのかと心配していましたが、今回は300席が満員になるほどの盛況に一安心しました。(恵)
色鉛筆 ・・・ デジタル機器もひとつのコミュニュケーション
「えー携帯ないんですか!」と、携帯電話を持っていない私に同じ職場に働く若者達が驚く。今や携帯を持っていないのが少数派で職場ではただ一人。「携帯を持っていなくて困らない?」とよく聞かれるが、困る事といえば外出先で公衆電話を探すのに苦労をする事だ。携帯が普及してくると道路沿いにあった電話ボックスはなくなり、公衆電話を探すとコンビニには必ずあることを発見した。ところが最近できたばかりの新しいコンビニには電話がなくまた苦労をしている。同世代の友達からも携帯を持っていないことに不思議がられるのだが、私からするとあの小さい画面によくメールが打てるものだと思っていた。 そんな私に息子からA4サイズより少し小さいiPad(アイパッド)を手渡されて「これからLINE(ライン)をやろう!」と言われ「????」の私・・・それから息子に説明してもらう。iPadはアメリカのアップル社によって開発販売されているタブレット型コンピュータで、これを使ってスマートフォンと無料通話ができるという。遠方の孫と時々ネット電話「スカイプ」をやっているが、インターネット回線があれば無料なので同じようなものかと思いながら息子の説明を聞く。スマートフォンで無料通話できるサービスはスマホ向けにつくられたアプリケーションソフト(アプリ)のことで、「LINE」がとくに有名で利用者が世界で一億人というから驚く。(表参照)
難しいことはよくわからないので息子に設定をしてもらい、LINEのやり方を教えてもらいながら初めてタッチパネルに触れると、間違えて指が触れるだけで画面が変わってしまうのでおたおたしてしまった。次の日、息子と娘から文字メッセージが届くと画面にくぎ付けになってひと文字ひと文字タッチをして送信した。毎日タッチしていくと指使いが日に日に上手になり、息子や娘から「スタンプ」と呼ばれるかわいい絵文字が送られてくるのでどうやるのか教えてもらい、私が絵文字を送ると「すごい!」と褒められるとますますおもしろくなってしまった。携帯より大きい画面というところがまず気に入り、毎晩仕事で帰宅が遅い息子とやり取りができ、LINEのやり方を教えてもらうことで家族の会話も増えた。
そして何よりも、年に数回しか会えない遠方にすんでいる息子夫婦とLINEをやるようになって気持ちが通じ合っていることを実感できたことが何よりもうれしかった。帰宅の遅い息子夫婦たちと、なかなかコミュニュケーションがとれなくやきもきしていたが、電話と違って拘束されることはなく自分の空いた時間に送ることができるのがいいようだ。実際私が送るとすぐには返信はないが相手が見ると時間と既読の文字がででくるので見たことがわかり安心して待っていると、二人とも帰宅する電車やバスの中で返信をくれる。ある時、息子夫婦が住んでいる街で電車事故があったので心配になりメッセージを送ると嫁から「電車事故全然知らなかった。駅のホームに人がいっぱいです」と返信がくると、それを読んでいた息子が「振り替え輸送や、大丈夫?」とくるのでおもしろい、3人で情報を共有してまるで会話をしているような気分になった。今までの携帯のメールは一対一だったがLINEは複数の人と同時にできるところがすごい。
またiPadで、休日には孫がサッカーしている写真や自転車に乗っている動画を送ってくれるので見たい時にすぐに見ることができ、インターネットの検索やYouTube(ユーチューブ)もタッチするだけですぐに見れるのでいつの間にか私の生活になくてはならないものになってしまった。携帯なんていらないとデジタル機器に否定的だった自分の変わりように驚き、自分の体験からデジタル機器もひとつのコミュニュケーションになり得るのだろうが使い方しだいだと思う。デジタル機器を使って世界中の人たちと繋がることができるようになることを願いたい。(美)
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読者からの手紙
働く土方の「よいっと巻けの歌」(労働歌)の思い出
子供の頃は、年末はNHKの紅白歌合戦を見るのが親と一緒に恒例でしたが、長じてからはこんな番組は見る事がなくなっていました。その分静かな年末を過ごしてきました。
ところが昨年末は美輪明宏が紅白に「ヨイトマケの歌」で出場すると聞きましたので見てみようかとも思いましたが、また馬鹿騒ぎも見なければならないのだと考えて結局は見なかったのです。その後のテレビ時評で美輪評を読むと絶賛しているではありませんか。
そんな事もあり見れば良かったと反省していたところ、ユーチューブにアップしていると聞いたので早速視聴してみたのです。
その場面には、普段女装の美輪明宏が男装の麗人ならぬ素の丸山明宏の姿で、流行当時の歌い方ではなかったのもの力強く歌っているではありませんか。それは、6から7分の長い歌なのと土方の歌だからとしてテレビ等では敬遠されていたので、約半世紀ぶりに聞いた懐かしい歌でした。下の息子も美輪さんの歌は良いと絶賛しておりました。
それを見ながら私は中学時代の学友を思い出しました。私は川崎の中学を卒業したのですが、当時の学区には多摩川河川敷の土手の河側に戸手という在日の住む町がありました。この場所は当然ながら多摩川が増水すれば床下浸水は日常的なところで、下水道や上水道も恐らく完備してはいなかったでしょう。
十数年前には、偶然の事で私はその場所が在日の集落見学コースに入っている事を知り、愕然としたのでした。中学生当時は、私が卒業した小学校学区と違っていたので、全く意識しておりませんでした。
私が思い出すのは、K君です。彼は母親を早く亡くしており、毎日のおさんどんと洗濯をしていた孝行息子でした。Kという名字は在日が多いと聞きますので私が勝手に思っているだけかもしれませんが、美輪明宏の歌は彼を思い出させるに充分です。
その彼への私の印象とは、彼がよく教室の前方に呼び出されて衆人環視の中で、担任の教師から生活指導を受け説教されている姿を見るのがつらかったというものでした。また小遣いを貸せと彼にせびられ貸すとなかなか返さなかった事も思い出します。
つまり中学当時、私は日本社会の現実に直面したと言う事なのですが、有名な進学校に入ると川崎市の在日の拠点校でした。今でも川崎市の商工中金通りにはパチンコ店が連なって存在していますが、そこの息子・娘たちは高校の文芸部に数多く在籍していました。日本鋼管に徴用された在日の浅田集落(今や川崎のコリアタウン・浅田の焼き肉街として知られている)からも、わが高校への入学者がいました。まさに往時茫々です。
丸山明宏の歌により、私は半世紀前の自分と周囲の状況を思い出しました。(笹倉)
ロジンの「故事新編」
身辺整理のため本屋を始めたりして、なかなか本を読む時間が持てないこの頃、土曜の夜中、久しぶりにロジンの岩波新書版「故事新編」を手にとった。中国の故事とたわむれるロジンに出会えた。シニカルな彼の筆が躍如としている〝出関〟(注)が好きだ。
講演料のマンジュウをいくつにするかが大問題となる小田原評定。役所を出てシャンソンの〝詩人の魂〟さながら、庶民の巷に消えた老子さまが、私は大好きである。
(注)「老子出関図」老子函谷関を出関 2013・2・17 大阪 宮森常子
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編集あれこれ
第一面では、「富めるものをさらに富ませ、貧しきものをさらに貧しく」する安倍政治の本質を明らかにして安倍政権への反撃を呼びかけました。ぜひ皆様の周囲との話題にしていただきたい内容となっています。
第2から4面には、協同の経済を促進させる立場から「アベノミックスと衰退する日本資本主義」の現状を分析した論文を掲載しております。読者の熟読を期待します。
第四から五面は、何でも紹介のコーナーで「もう一つの核戦争」と題して、日本の原発輸出の現状をモンゴル、ベトナム、インド等別に記述しました。当然の結論は脱原発しかないのですが、この結論が説得的に展開されています。この種の記事は、マスコミには殆ど報道がないので意義があるものと私たちは考えております。
第六から七面には、原発事故に関連して、「『子ども・被災者支援法』の地域指定などを求め、関東ホットスポットの市民が三度目の象徴交渉」の経過報告を掲載しています。
この取り組みは、今後もっともっと注目され、さらに公判に力強く取り組みを発展させていかなければならないものだと私たちは確信しております。
第七から八面には、今焦点化されている生活保護費削減攻撃に対して「目的意識・戦略思考が不可欠」と問題提起する論文を掲載しました。内向きの発想ではなく、弱者の大同団結のためにもこの問題提起をしっかりと受け止めて頂きたいと私たちは考えています。
第九面には、映画「ひまわり」に関する沖縄通信と上映を「成功させる会」会長の呼びかけを掲載しました。上映成功を勝ちとりたいと考えます。
第十面のコラムの窓では、電気料金の値上げに関するお願いをホームページに公開している関西原力の傲慢ぶりを批判した記事を掲載しています。私たちの理解を枠を遙かに超えた理不尽な原力料金の計算方法を、見直す必要が今ほど求められている時はないのです。
第十一面には、証拠捏造による冤罪事件の様相が益々深まる袴田事件に関する記事が掲載されています。袴田さんの再審開始と無罪判決を勝ちとらなければなりません。
第十二面には、読者からの手紙が経済されています。皆様もどしどしご投稿をお願いいたします。
前号は紙面が十二面となり、とくに原子力・放射能問題に関しては充実していたと総括しています。
また読者からの紙面改善提案もお伺いしたいので、ご意見をお待ちしております。(猪)
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