ワーカーズ484号  2013/3/15    案内へ戻る

東電福島原発震災から2年・・・まだ何も終わっていない!

 あれから2年が過ぎた。安倍政権も東電も、さらに経産省を筆頭とした官僚たち、活断層の存在を否定して原発建設を支持した科学者たち、放射能による健康破壊を否定し続ける医学者たち、そしてこの国の少なからぬ人々も、フクシマを切り捨てることによって3・11以前と変わらぬ明日を迎えようとしている。そんなことは許されるはずもないのに。
 3月1日に東電が実施した福島第1原発構内取材会の模様が、マスコミで一斉に報じられた。4号機の燃料プール、敷地内に林立する汚染水貯蔵タンクなどを見るにつけ、危機的状況が今も続いていること、この先どれ程のエネルギーと費用が費やされ、労働者被曝が続くのか、暗たんたる思いになる。
 子どもたちの甲状腺が放射能に侵されつつあることが明らかになっているのに、恥知らずな医学者たちは確信犯的にその影響を否定し続けている。原発敷地内の活断層の存在も、電力会社は認めなければこの〝苦境〟を乗り切れると浅はかに考えている。原発を国策として推進した自民党も、まるで責任がないかのように振る舞い、再び原発推進の夢を見ている。
 広島・長崎に原爆を投下した翌年末、米国は原爆傷害調査委員会(ABCC)を設立して被爆者をモルモット扱いし、全ての情報をコントロールすることによって内部被曝による健康被害を消し去った。1975年には日米合同組織に再編され、放射線影響研究所が発足し、今日までその反動的役割を担ってきた。
 1991年、国際原子力機関(IAEA)にチェルノブイリの汚染地域の住民に放射線の影響は見られないという報告を行った重松逸造国際諮問委員会委員長は、81年から97年まで放影研の理事長を務めた。前理事長の長瀧重信は福島の人々への健康被害はないとのお墨付きを与え、重松の直弟子山下俊一は健康被害の隠ぺいに狂奔している。
 戦争責任をすり抜けた731部隊、そこから出発した戦後医学界は今も〝人体実験〟を続けようとしているのである。昭和天皇に戦争責任を取らせることができなかったこの国は、あらゆる場面で責任があいまいにされ、終に福島原発震災においても誰も責任を負わないまま、3・11以前へと回帰しようとしている。その責任追及はやっと端緒についたばかりであり、これをやり遂げなければ何も終わらない、終われないのである。 (折口晴夫)

アベノミクス
呼び込むのはバブルと家計破綻──ほくそ笑む企業と投機資金──


 円安と株高が止まらない。国債価格も値上がり(金利低下)している。欧米での金融緩和を後追いするかのように安倍政権が日銀に2%の物価上昇目的の導入を押しつけ、市中に巨額の金融緩和マネーを流し込んでいるためだ。
 土地やマンション価格も上昇の兆しを見せている。金融緩和で値上がりが見込める不動産に、投機マネーが流れ込んでいるためだ。
 デフレからの脱却を掲げて「三本の矢」を放つという安倍政権が呼び込んでいるのは、生活改善にほど遠い新たなバブル経済と家計の窮乏化という実像が見えてきた。
 労働者や庶民としては、アベノミクスの結果を見据え、自前の闘いで生活防衛を果たしていく以外にない。

◆動き出したマネー

 アベノミクスの「3本の矢」を自画自賛する安倍首相は強気だ。日銀に2%のインフレ目標を認めさせ、財政の大盤振る舞いで円安と株価上昇を呼び込んでいるからだ。株価はすでに4年半ぶりにリーマン・ショック直前の終値を上回り、昨年の衆院解散時から40%高の値を付けている。投資家や輸出企業などは利益が膨らんでほくそ笑んでいる。安倍首相はこれを景気マインドの改善だとして、デフレ経済からの脱却の機運を醸成したと、自画自賛しているわけだ。
 しかし、そもそもデフレ脱却の象徴だとされる2%のインフレターゲットは、政策目標たり得るのだろうか。
 物価下落が止まらないのにはワケがある。供給力に対して購買力の裏付けがある有効需要が足りないことがその主たる原因だ。だからデフレ脱却には過剰生産・過剰供給の削減か、あるいは需要拡大しかない。政府としては企業は潰れてもいいとはいえないから、需要を拡大する以外にない。それが公共事業を中心とする財政支出だ。
 その公共投資が需要回復のきっかけになれば、デフレギャップの解消に繋がって投資と需要のスパイラル的拡大が実現するかもしれない。が、財政支出による需要づくりは一過性のものだ。腰折れが心配になれば毎年続けていくしかない。こうしたことを繰り返してきたのが歴代政権だった。が、実体経済はいまも回復軌道に乗ったわけではない。貿易赤字は過去最大の6・9兆円(12年)、3月11日に発表された今年1月の機械受注額は、前月比13・1%の大幅な落ち込みで、予想を大幅に下回った。
 そうしたなかでも株価や国債価格、それに不動産価格が上がっているのは、金融緩和マネーや投機マネーがそれらに流入しているだけだからだ。アベノミクスは、ヘッジ・ファンドなど投機マネーに暗躍の場を提供するだけだ。
 経済対策で真っ先にやるべきなのは、消費の拡大に繋がる政策、具体的には雇用拡大と賃上なのだ。政策目標はあくまで「豊かな暮らし」のはずだ。インフレ目標など、政策目標であるはずがないのだ。。
 にもかかわらず、アベノミクスは、「お金はまず企業へ」だ。金融緩和や財政出動で円安を誘導して輸出を拡大、株価を押し上げて企業の含み益を拡大する、それが廻り廻って労働者の賃上げに繋がり、やがてはデフレ脱却に繋がる、というのがアベノミクスだ。が、それは本末転倒、順序が逆なのだ。実現も怪しい。安倍首相が招き寄せているのは.利ざや狙いの投機資金なのだ。

◆バブルと家計破綻と

 そのアベノミクス。すでにバブルの兆候がはっきり現れている。アベノミクスは金融緩和を鮮明にすることで円安を呼び込んだ。そして輸出企業の業績回復を見込んで輸出産業を中心に株高をもたらしている。
 アベノミクスの建前からいえば、市中に流れ込んだ資金は、本来は設備投資や賃金に廻らなければならないはずだ。ところが賃金は上がらず消費も低迷、需要が低迷したままなので、市中に投入された資金は設備投資ではなく株や債券市場、それに不動産市場に向かうしかない。アベノミクスは確実にバブルを呼び込んでいる。
 思い起こしたい。あの80年代後半のバブル経済や99~00年のITバブルでもそうだった。その時も実需を超えて不動産価格やIT株が高騰した。が、実需の裏付けとなる国民所得は消費税導入などもあってそれほど増えなかった。90年代以降、企業利益は過去最高を続けた時期もあったが、そうした時期でも賃金は継続的に低下してきた。今回も事態はまったく変わっていない。
 アベノミクスが呼び込んでいるのは、バブル経済だけではない。アベノミクスは家計を直撃する。円安や株価の上昇は輸出企業や株主の懐は潤う一方、庶民の生活は物価上昇の直撃に晒される。生活必需品の多くは輸入によって賄われているからだ。現に、ガソリン・灯油価格や輸入食料品の価格上昇が続いている。今後も小麦や冷凍食品の値上げラッシュが見込まれている。輸出企業はぼろもうけで、輸入企業も販売価格に転嫁できる。もうけるのは企業で、苦しむのは家計だ。輸入インフレは、家計の窮乏化をも呼び込むことと同義なのだ。
 その家計、可処分所得は低下する一方だ。賃金はこの10年下がり続け、将来不安もあって消費需要は低迷したままだ。少子高齢化も止まっていない。消費税引き上げを始めとして、年金・医療・介護負担の増加、各種控除の廃止など、〝大負担時代〟は始まっている。低迷する個人消費の縮小で需給ギャップは少しも解消されない。いはば実体経済が低迷したまま、政府・日銀による資金供給と公共事業の垂れ流しによってなんとか経済を維持しているのが実情なのだ。悪循環は安倍政権になっても解消されないのだ。

◆〝失われた30年〟の始まり?

 悪循環が解消されずにダラダラ低迷し続ける。これが「失われた10年・20年」の真実だ。
 再度、思い起こしてみたい。89年のブラックマンデーに始まるバブル経済崩壊以後、平成に入って始まったいわゆる平成不況、それ以降日本経済は低迷を続け、途中でIT景気など短いバブル期はあったものの、経済の基調はゼロ成長という長期経済停滞だった。その期間の特徴は、銀行やノンバンク、それに農協などが抱え込んだ不良債権の肩代わり、それに景気対策という名の巨額の財政資金のバラマキなどによる産業保護政策だった。
 確かに大規模な倒産の連鎖は食い止めたともいえる。が、反面では既存の産業構造を延命させ、成長産業づくりや経済の構造転換は中途半端に終わった。斬新な技術革新や再生可能エネルギー、それに介護など新産業の開拓など新たな拡大再生産の基盤づくりは実現できなかった。だから急激な破綻はなかった代わりに、ダラダラとした現状維持の低迷期が続くだけだったのだ。
 高度成長期の〝日本株式会社〟という政府主導の産業戦略は、〝失われた20年〟でも金融緩和と財政出動という政府依存の〝護送船団方式〟として継承されてきた。いわば、政府がカンフル剤を打ち続けることで旧来型の経済構造を延命させてきたわけだ。その〝失われた20年〟は、相も変わらないカンフル剤経済によって、〝失われた30年〟の幕開けを招き寄せている。企業支援のツケとしての750兆円もの借金を同伴して、だ。

◆生活防衛は自前の闘いで!

 三本の矢を〝別次元のデフレ対策〟と強弁する安倍首相は、それでも強気だ。アベノミクスがきっかけで円安が進み、株価が急上昇しているからだ。安倍首相は、デフレが克服されるかもしれない、景気が上向くかもしれない、という景気マインドが改善された効果だという。とにもかくにも、景気心理が重要だというわけだ。
 しかし12年度補正予算を含めての15ヶ月予算は、誰が見ても公共事業の大盤振る舞い、政官業による予算のぶんどり合戦に他ならない。それに、円安での輸出企業の増収増益や株高での資産増加は、実体経済とは相対的にかけ離れたマネー資本主義の世界での現象に過ぎない。実体経済の回復に繋がるはずの成長戦略は、まだ絵に描いた餅のままだからだ。
 そこで安倍首相はパフォーマンスに出ざるを得ない。産業界への賃上げ要請のことだ。
 先の2月12日、安倍首相は経団連など経済3団体に賃上げ要請をおこなった。対する財界。首相の要請をむげに断るにも行かず「企業の業績しだい」とはいうが、全体としてはまともに応える気はない。
 それにしても首相の要請にバックアップされた形の連合は形無しだ。連合の無力さを浮かび上がらせるものだからだ。麻生財務相からは、それ(賃上)は「連合の仕事のハズだが……」と皮肉られている有様だ。
 いま春闘の真っ最中だ。この13日には大手組合での集中回答が予定されている。首相寄りの一部の企業は、賃上げを容認する姿勢を示している。それ自体は歓迎すべき事だが、それは宣伝効果も狙った一部の小売業界だけで、製造業など広範な企業にまでの拡がる気配はない。しかも正社員だけが対象だとか、一時金だけの引き上げだとか、賃上げ効果は限定的なものでしかない。
 安倍首相による賃上げ要請に幻想はもてない。かつての自民党首相も要請したこともあったが、効果はなかった。企業の内部留保は260兆円にも膨れあがっているが、それも賃下げや雇用削減などで賃金を下げてきた事の結果だからだ。労働者の闘い抜きでは、企業に賃上げを認めさせることができないのだ。
 総額人件費削減の主要な手段は、正規労働者を減らして非正規に置き換えるという手法だった。いまでは全就業者に占める非正規労働者の割合は35%を超えるまでに増えている。同一労働=同一賃金を中心とする均等待遇を勝ち取るなど、労働者の自力による闘いで賃上げなど処遇の改善を闘い取る以外にない。
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沖縄通信(NO34)・・・「オスプレイ本土初訓練」

 3月6日、米海兵隊普天間飛行場所属のMV22オスプレイ3機が本土での初飛行訓練のため、午後1時10分頃普天間飛行場を飛び立った。
 6日から8日までの3日間、山口県の岩国基地を拠点にして、和歌山県から四国上空に設定された「オレンジルート」と呼ばれる経路を使って低空飛行訓練を行った。7日の夜には、愛媛上空で初の夜間訓練も実施した。
 これまで本土での低空飛行訓練では、米軍の事前通報は義務付けられていないのに、今回は訓練日程やルートを日本側に伝える「異例」の対応を取ったという。
 高知県北部でオスプレイ飛行訓練を目撃した人が「普段の米軍機に比べて高度も高く、音も小さかった。初の本土訓練で配慮したのかもしれない」と述べている。
 日本政府内には「異例」の訓練通告があったことを評価する声も出ていると言うが、とんでもない!
 沖縄では、こんな事前の訓練通告などは全くなし。それどころか、3月7日・8日に県立高校の一般入試が実施されたが、事前に県教育庁が沖縄防衛局を通じ、在沖米軍に入試期間中の騒音を控えるよう要請していた。
 ところが、7日嘉手納高校ではFA18ホーネットのエンジン調整の騒音が102デジベル(鉄道橋げたの騒音レベルの音)を記録。8日には普天間高校では米軍機による騒音が試験前と試験中の計4回も発生した。学校関係者は「県統一の高校入試なので、もっと配慮して欲しかった」と語っている。これも、本土と沖縄の差別の事例である。
 米軍は7月までに、さらにオスプレイ12機を普天間飛行場に配備すると言っている。そうなれば、当然本土への飛行訓練は激しいなると思われる。
 今回は岩国基地への派遣であったが、米軍の報告書によると、本土の岩国基地(山口県)とキャンプ富士(静岡県御殿場市)にオスプレイを派遣する計画。その内容は①実施日数は1ヶ月に2日~3日。②参加機数は2機~6 機。③訓練回数は年間500回程度の飛行訓練。
 この岩国基地とキャンプ富士を拠点として、全国にある6つのルートで低空飛行訓練を行う。少なくても18年前から米海軍・海兵隊のジェット戦闘機が、このルートで低空飛行訓練を行っている。オスプレイがこの訓練ルート飛行に加わることで、オスプレイ配備の持つ危険性は沖縄から全国に波及する。
 6つの低空飛行訓練ルートとは。
 ①グリーンルート(青森~岩手~宮城~福島)
 ②ピンクルート(青森~秋田~山形)
 ③ブルールート(山形~福島~群馬~新潟~長野~岐阜)
 ④オレンジルート(和歌山~徳島~高知~愛媛)
 ⑤イエロールート(大分~福岡~熊本~宮崎)
 ⑥パープルルート(沖縄諸島~奄美諸島~薩南諸島)となっている。
 この低空飛行訓練は、敵のレーダーに捕捉されないように飛行して、目標を爆撃する技術を身につけるための訓練。従って、山間の谷間などを飛行し、ダム・港湾施設・発電所・学校などを仮想の攻撃目標とする。これまでも、この低空飛行訓練の問題点が指摘されてきた。
 国内法の定めた最低安全高度(人また家屋のない地域では、150メートル以上で行う)を守っていない。パイロットの顔が分かる高さで飛行する米軍機が目撃されている。低空飛行ルートは公表されていないため、民間機との接触事故が懸念されている、等の問題点。
 事実、米軍はこれまで3回の墜落事故を起こしている。
 今回オスプレイが飛行訓練を行った「オレンジルート」の高知県では、1994年10月14日、厚木基地のAー6攻撃機が早明浦ダムに墜落する事故。愛媛県八幡浜では、1988年6月25日、岩国基地を離陸した普天間飛行場所属のCH53ヘリコプターが、愛媛県西端にある佐田岬半島に墜落し、乗員7人全員が死亡する事故。墜落地点は伊方原発から直線距離で800メートルしか離れていなかったと言う。他にも、低空飛行をする米軍機の衝撃波で、民家の土蔵が崩壊する、ガラスが割れる、牛などの家畜が急に走り出す等々の多くの被害が出ている。
 この米軍機の低空飛行訓練の問題は、一部の地域では抗議行動が取り組まれたが、全国的な大きな運動には広がらなかった。
 墜落の危険、騒音を撒き散らす(低周波音も)、落下事故を起こす、大変危険なオスプレイがこれから本土でも本格的な飛行訓練を開始する。あらためて、問題点が多い米軍機による低空飛行訓練に抗議する運動が求められている。本土でも、オスプレイ配備撤回の声を上げていこう!(富田 英司)案内へ戻る


コラムの窓・・・長編小説「レ・ミゼラブル」を読破する方法

◆全5巻の長編◆
 映画版「レ・ミゼラブル」を観たのをきっかけに、本屋で原訳書を買って、読み始めた。なんと「全5巻」の膨大な長編小説だ。
 実は、僕は子供の頃から「長編」が大の苦手で、小説といえば、「短編集」か、せいぜい「一冊で読みきり」の単行本しか読めたためしがない。多分「右脳タイプ」の人間で、文字(散文)から内容を想像するのが、あまり得意ではないのだろう。「文字」より、まず「映像」や「音楽」からストーリーに入る方が、入り易いため、文字ばかりの長編小説は、たいてい最初の一巻も終わらないうちに挫折してしまうのだ。
 おまけに、ビクトリ・ユゴーの長編小説は現代人には「読みにくい」というのが定評だそうだ。それというのも、「主人公のジャン・バルジャンとジャベール刑事との追走劇」を期待して読み進むと、しょっちゅう本筋から脇道にそれた叙述が出てきて、そのたびに読む方の「根気」が続かなくなってしまうのだ。
◆民衆への「啓蒙」◆
 なぜ、あえてユゴーはそのような書き方をしたのか?「ユーゴーは、『レ・ミゼラブル』を書くにあたり、歴史や地理や政治観など自分の知識のすべてを盛り込みました。例えばジャン・バルジャンの隠れる修道院からカトリック修道院の成立を、マリウスを背おい逃げる下水道から下水道の文化史をというふうに、いたるとことに本筋以外の記述を挿入、読者を啓蒙しようとしたのです。」(偕成者文庫「レ・ミゼラブル(上)」解説・大野多加志より)
 ユゴーの目的は単なる「大衆小説」ではなく、当時のナポレオン3世の独裁に抗して、民衆の革命を鼓舞するだけでなく、その闘いを有利に進めるよう、社会情勢や歴史を正しく伝える、そのための仕掛けをしたのだという。
 「ただ挿入部分が非常に長く、時としてジャン・バルジャンの物語を追いきれなくなる」(同上)という欠点を抱えてしまったのだ。
◆「挿絵」に導かれて◆
 実は、発刊当時のパリの労働者からも、熱狂的に歓迎されたものの「もっと、読みやすくしてほしい」という注文が相次いだのだそうだ。それに答えたのが木版画の「挿絵」だ。
 「初版のこの十巻本には挿絵は一切入っていなかった。そのため、視覚的に『レ・ミゼラブル』を味わいたいという読者の要望が高まり、一八六五年、ギュスターブ・ブリヨンの木版画二百葉を入れた一巻本がエッツフェル&ラクロワ書店から刊行された。」(文春文庫「「レ・ミゼラブル」百六景」まえがき・鹿島茂より)
 こうした「挿絵」の力によって、『レ・ミゼラブル』は、「脇道」のエピソードも含めて、リアルに読者にせまってくるようになった。つまり、「レ・ミゼラブル」にとって「挿絵」は不可欠な一部だったのだ。
◆「抄訳」と「解説本」も◆
 それにしても、全5巻を最初から最後まで、ダラダラと根気良く続ける自信は僕には無い。そこで、こんな工夫をしている。まず「映画版」から入ったのは、最初に述べた。サントラ盤のCDも購入して、音楽も聴いている。
次に、少年少女文庫版の「抄訳」(偕成文庫)を読んだ。この抄訳は「本筋以外の記述」を「割愛しジャンの物語だけを忠実に訳出しました」(解説)というもので、ストーリーが追いやすく、しかも原文に忠実で、挿絵もついている。おかげで、上・中・下の3巻本だが、読みやすく、何とか読み通すことができた。
さらに、「『レ・ミゼラブル』百六景」(鹿島茂著・文春文庫)が助けになった。これは、ユーグ版『レ・ミゼラブル』の版画三百六十葉から二百数十葉を選んで、ストーリーに沿いながら、当時の社会状況やユゴーの執筆意図などを交えて解説した、一種の「副読本」みたいなものだ。
◆何とか読破できるかも◆
 こうして、「長編苦手人間」の僕が、「映画」や「音楽」、「挿絵」や「解説」など、いろいろなグッズにサポートされて、何とか途中棄権せずに読み続けている。1月から「第1巻」を読み始め、ようやく「第3巻」までたどり着いた。順調に行けば、「第5巻」を読み終えるのは、5月の連休過ぎかもしれない。
それでも、僕一人だけでは心もとないので、思い切って、友人たちとの毎月の勉強会のテーマに取り上げた。ビクトリ・ユゴーが死刑廃止運動に取り組んでいたことや、フランス革命の評価に関わる「ミリエル司教」と「老民会議員G」との哲学・歴史論争など、現代にも通じる社会問題として、興味深いテーマがたくさん発見できる。
ユゴーが「レ・ミゼラブル」を執筆し出版した当時の「第二帝政」の時代状況については、マルクスの「ルイ・ボナパルトのブリューメル十八日」にも描かれているので、ぜひ読み比べてみたいと思う。(誠)


《何でも紹介》
前泊博盛氏編『本当は憲法より大切な日米地位協定入門』
(創元社)価格千五百七十五円

 ついに暴かれた戦後日本国家の真実と日米関係の法的関係と対米従属の根拠の解明

 問題の「日米地位協定」とは、英語ではU.S.― Japan Status of Forces Agreement、略称ではSOFAと表記され、正式名称は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」である。この名称からこの協定と安保条約との密接で深い関連が分かるであろう。
 代表編著者の前泊氏は、沖縄の「琉球新報」元論説委員長で、「新報」の「地位協定取材班」長時の04年には、外務省の機密文書を暴露して石橋湛山記念・早稲田ジャーナリズム賞を受賞した。現在は沖縄国際大学教授で沖縄の米軍基地に関する著書が多数ある。
 今回出版されたこの入門書は、過去の前泊氏の取材に加えて、新たに米軍の機密指定解除文書の研究者である末浪靖司氏(元「しんぶん赤旗」論説委員)や新原昭治氏らの研究成果を要所要所に盛り込み、この機密文書『日米地位協定の考え方・増補版』(高文研)を全面的かつ一段と深く解説した入門書として高く評価できるものである。
 日本の新左翼の間では、共産党の宮本・対米従属綱領への反発から、日本自立論が主流であるが、なぜアメリカや外務官僚が戦後日本国家で傍若無人に振る舞っているのかといえば、1960年以来、今でも戦後日本国家をアメリカが管理する大きな枠組として「日米地位協定」が存在しているからだ。アメリカの戦略学者のブレジンスキーは、日本はアメリカの保護国だと規定して憚らない。まさに知らぬは日本人だけなのである。
 ところが戦後日本がなぜアメリカの保護国、つまり属国であるのかという点を理論的に解明した研究は不思議にもあまりなく、この点を究明したのが彼らが参照した末浪氏の『対米従属の起源』(高文研・2012年)やこの『日米地位協定入門』である。

 現在の世界において超大国が他国を支配する最大の武器は、軍事力ではなく法律だからです。日本がなぜアメリカに対してこれほど従属的な立場に立たされているかというのも、条約や協定をはじめとする法的な枠組みによって、がんじがらめに縛られているからなのです。    『日米地位協定入門』(90頁)

 私たちは、ずっとこの余りにも重要な事実を知らされてこなかったのである。
 アメリカの保護国、つまり属国とは二国家間において「不平等な条約を背負わされている」という事だ。端的にいえば、この本は「日米地位協定」という現代の不平等条約についての解説書なのである。
 本書は、高校生向けの「戦後再発見」双書として、「一問一答」形式で書かれている。この「一問一答」については、後で紹介する。そしてその回答の中で「地位協定」の誕生の背景だけではなく、個別具体的な協定の内容、運用する米軍や外務官僚の思惑についても、本土や沖縄の様々な米軍絡みの事件について列挙しながら、実に丁寧に解説している。
 その象徴が本の題名である。前泊氏らは「本当は憲法より大切な」という枕を本の題名につけている。この意味は、実際にも最高裁の判例では日米安保条約が憲法よりも上にある事にされてしまっている冷厳な事実からそのような表題となっているのである。
 日本において、日本がサンフランシスコ講和条約(驚く事に、この条約の日本語の正文はない)で独立を回復しているというのに、なぜか日本はアメリカの保護国、つまり属国であり続けている。なぜかといえば、日本の法制度がそうなっているからだ。
 旧安保条約とは、ダレスの言葉では「われわれの望む数の兵力を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保する」と表現され、ロックフェラー財団の理事のダレス国務長官は、1951年1月26日の米側スタッフ会議で、これが日米安保の最大の目的であると述べていた。そして講和条約や安保条約と同時に発効したのが、「日米地位協定」の前身である「日米行政協定」だったという。この三つが1952年4月28日に発効する。この日はまた同時に日本が本格的なアメリカの保護国、つまり属国となった日でもある。だから主権回復は名目だけ、日本はこの日から今に至るまでその状態の儘なのである。
 その属国という性格を法的に裏付けているのが、日米安保条約であり、「日米行政協定」である。その「行政協定」は名前は「地位協定」に変わってはいるが、他国の安保条約に比べても格別に従属的な内容となっている。
 前泊氏らは、戦後体制は「講和条約―安保条約―行政協定」という三重構造であると喝破する。一般的には講和条約が一番重要であるとされるが、実際は細々とした内容で国会での承認が必要とされていない「行政協定」が日本をがんじがらめに縛っているのだ。
 この重要な指摘を行ったのは、孫崎享氏の『戦後史の正体』でも登場した、愛国派の外務官僚(この場合には反吉田茂派)の寺崎太郎(昭和天皇の御用掛である寺崎英成の兄)である。この国会での承認が手続き上必要とされていない点にこそ、戦後日本国家の真実が日本人自身にも認識しにくい根拠にもなっているのである。
 このように安保条約と「地位協定」によって、日本国政府(外務省)はアメリカが基地を快適に使用できるように、あらゆる種類の配慮を行う事を強いられてきた。オスプレイが日本国中をどこでも飛び回れるのも、米軍犯罪や米軍事故については沖縄県だけでなく本土でも摘発や検証しづらいのも、すべてこの「地位協定」に関わっているからなのだ。
 「日米地位協定」は28条あるが、前泊氏らは本書の中で「地位協定」の問題点を5つに分類している(同書75頁)。

 ①米軍や米兵が優位に扱われる「法のもとの不平等」
 ②環境保護規定がなく、いくら有害物質を垂れ流しても罰せられない協定の不備など「法 の空白」
 ③米軍の勝手な運用を可能にする「恣意的な運用」
 ④協定で決められていることも守られない「免法特権」
 ⑤米軍には日本の法律が適用されない「治外法権」

 このように米軍には、日本の法律が適用されない。米軍に対しては日本の法律が「適用除外」になっている。その最たる例が、現在大問題にまで発展している新型ヘリ輸送機のオスプレイの日本全土における「低空飛行訓練」である。ここでも日本の航空法は、米軍機には適用されていないのである。
 こうした事実を踏まえて、「『沖縄は日本なのか』『沖縄はまだ米軍の占領下にあるんじゃないか』という思いは共有してもらえると思います。それはだれの目にもあきらかな現実だからです。でも、そこからもう一歩踏み出して、『では、日本は独立した主権国家なのか』『もしかしたら、日本全体がまだアメリカの占領下にあるんじゃないか』という問題に向き合ってもらえば」と前泊氏は、私たちに大真面目に要請する。そして次のように断言する、「原発事故やその再稼働問題、検察の調書ねつ造事件など、多くの問題を生み出す構造的な原因が、そこには隠されているから」と。
 まさに「一問一答」の「14: 日米地位協定がなぜ、原発再稼働問題や検察の調書ねつ造問題と関係があるのですか?」がある。原発村の存在は安保村に担保されていたのだ。こうした戦後日本国家は「安保国体」とも呼ばれる。是非とも読者の精読を期待したい。
 本書の驚愕の内容の一つに、「日米地位協定」が規定を運用する外務官僚だけではなく、日本の「司法」をも縛っている事実の暴露がある。この事は末浪氏の『対米従属の起源』などで詳しく暴露していたが、前泊氏らもこの本や新原昭治の米機密解除文書の研究から数多くの引用をしており、執筆者の一人である矢部宏治氏は次の重要な指摘をする。

 いまから5年前に発見され、昨年も重要な発見がつづいて証明されたその秘密とは「日本は法治国家ではない」というみもふたもない事実です。(略)
 われわれ国民は「法律」を犯せば、すぐにつかまったり、罰せられたりしています。しかし、その一方、日本では国家権力の行使を制限すべき「憲法」が、まったく機能していないのです。ですから「法治国家ではない」というのです。       同書238頁

 戦後史の中で「砂川闘争」と「伊達判決」を知る人は多いであろう。その裁判とは、具体的には、砂川裁判(1959年)である。1957年に米軍立川基地の拡張工事をめぐって、反対派のデモ隊が米軍基地の敷地内に数メートル入った事を理由に、刑事特別法違反で7人が逮捕された事件の裁判である。
 この事件の一審で東京地裁の伊達秋雄裁判長が、「在日米軍は憲法第九条2項違反で持たない事を決めた『戦力』に該当するために、駐留を認めることは違憲であり、したがって刑事特別法の適用は不合理」として、被告全員を無罪にした。
 この「伊達判決」は、最高裁で覆されてしまったが、その裏には日本での裁判に対するアメリカの関与と実に発言内容まで教えた具体的な指示があったのである。
 矢部氏は「米軍基地をめぐる最高裁での審理において、最高検察庁がアメリカの国務長官の指示通りの最終弁論を行ない、最高裁長官は大法廷での評議の内容を細かく駐日アメリカ大使に報告したあげく、アメリカ国務省の考えた筋書きにそって判決を下したことが、アメリカ側の公文書によって明らかに」なった事で矢部氏は先の断言を行った。
 つまり米軍基地をめぐる裁判において、「伊達判決」を覆した日本の最高裁は米軍基地に関する事は「アバブ・ザ・ラー」に等しいとのアメリカの指示によって決めたという客観的で冷厳な事実である。私たちは矢部氏とその無念さを深く共有するものである。
 まさに戦後日本国家の真実がここに象徴的に現れている。そしてこの日米関係の法的関係と対米従属の根拠の解明が見事になされている。是非読者に一読を勧めたい。 (直木)

目次 PART1 日米地位協定Q&A(17問)
1: 日米地位協定って何ですか?
2: いつ、どのようにして結ばれたのですか?
3: 具体的に何が問題なのですか?
4: なぜ米軍ヘリの墜落現場を米兵が封鎖できるのですか? その法的根拠は何ですか?
5: 東京大学にオスプレイが墜落したら、どうなるのですか?
6: オスプレイはどこを飛ぶのですか? なぜ日本政府は危険な軍用機の飛行を拒否できないのですか? また、どうして住宅地で危険な低空飛行訓練ができるのですか?
7: ひどい騒音であきらかな人権侵害が起きているのに、なぜ裁判所は飛行中止の判決を出さないのですか?
8: どうして米兵が犯罪をおかしても罰せられないのですか?
9: 米軍が希望すれば、日本全国どこでも基地にできるというのは本当ですか?
10: 現在の「日米地位協定」と旧安保条約時代の「日米行政協定」は、どこがちがうのですか?
11: 同じ敗戦国のドイツやイタリア、また準戦時国家である韓国などではどうなっているのですか?
12: 米軍はなぜイラクから戦後八年で撤退したのですか?
13: フィリピンが憲法改正で米軍を撤退させたというのは本当ですか?
ASEANはなぜ、米軍基地がなくても大丈夫なのですか?
14: 日米地位協定がなぜ、原発再稼働問題や検察の調書ねつ造問題と関係があるのですか?
15: 日米合同委員会って何ですか?
16: 米軍基地問題と原発問題にはどのような共通点があるのですか?
17: なぜ地位協定の問題は解決できないのですか?
PART2 「日米地位協定の考え方」とは何か
資料編 「日米地位協定」全文と解説
〇日米地位協定 〇日米安保条約(新)案内へ戻る


震災時のことを振り返って

 私は、山元町の海の近くの小学校で栄養士として当時働いていました。二年前の三月十一日は、職員室で事務仕事中に地震が発生し、子どもたちに「机の下で身を守るように」指示がある中、テレビで情報確認しました。
 地震が少し収まってから校庭に避難しましたが、時々立っていられなるくらいの揺れが起き、学級担任は泣いている一年生をなだめていました。数人の保護者が迎えにきて引き渡しをしていましたが、「早く逃げろ!大津波が来るんだぞ!」という役場の人の声、(その方は、他の学校に避難指示を出しに行っている間に、残念ながら亡くなられました)波が防波堤に強くあたっている音を聞き、校長先生は役場に避難指示をだしました。私のポケットに中には携帯電話、飴があるだけ、それ以外何も持たず、一年生の女の子二人を連れて、出来るだけ車に乗り合い避難しました。そのあと小学校の二階部分まで津波が到達しました。
 役場に到着し、夜は具のない汁物が出され、涙顔のお腹がすいた子どもに、ポケットにあった飴をあげて励ましました。
翌日から一週間は児童の安否確認をしました。その後、避難所での炊き出しをしました。朝は七時集合し自衛隊から約七百人のご飯が届き、おにぎりを作りました。昼は十一時集合しパン・おにぎり(ヨークやセブンイレブンからの支援)野菜などある材料で汁物作りました。夜はおにぎり一人分2個、汁物を自衛隊の人が作ってくれました。
 避難所でどんな食事を出すか、食材の賞味期限や優先順位を考えて決めました。食数がどんどん変化し(七百から四百)いつ支援物資が入るか分からないし、在庫もない中の献立作成は非常に悩みました。
校舎は津波で壊れ使用できないので、他の小学校に移転しました。四月二十七日から学校での給食再開にむけて動きだすことになりました。津波で自宅を流された児童も多く、家からお弁当を持ってこられない状態なので、学校での給食がとても重要でした。業者の安否・在庫確認をして入荷できるものを組み合わせて簡易給食を実施しました。しかし被災した業者もあり大変でした。業者の安否確認、支払い方法の確認にかなりの時間と労力がかかりました。また残念ながらアレルギー対応は出来ませんでした。
 また放射線の問題についても、悩みました。宮城県のホームページの線量の数字を見て参考して食材を発注するようにしましたが、地区がおおまかすぎて参考になりませんでした。また保護者から牛乳を飲ませないで欲しいと要望もありました。
 栄養士として「とにかく食事を出さなければならない」というプレッシャーが常にありました。避難所の献立と学校給食再開に向けて同時に進めなければならない時は、仕事量も多くなりました。他校の栄養士、調理員、教員との連携・協力によりなんとか乗り越えられました。
 当時働いていた小学校は廃校となりました。私の車も鞄も流され、あとから見つかりましたが、残念ながらまた使うことが出来ません。地元の職員は仮設住宅で暮らしています。 今出来ることは、助かった命に感謝し、今回得た人とのつながりを大切にして生きたいです。(宮城県)

 
色鉛筆-プラスチックが資源ゴミに

 毎年、3月の半ばから5月の連休明けぐらいまで、古本市をやっている団体があります。収益は、近隣諸国はもちろん東南アジアからの留学生にも、生活の援助金として還元し等分に配られます。その売り上げ金額といえば、年々増額し昨年は350万円を超えるというもので、その業績にびっくりです。その団体とは「神戸青年学生センター」で、私たちも20代の頃から、そのセンターに足を運んでいました。今年も開催に向け、家にある本を整理していたのですが、昨年の古本市で買ってまだ読めていない本もありました。
 その本の中で、1990年初版の「地球にやさしい生活術」という題名で、著者がジョン・シーモア(アイルランド在住の環境保護論者)とハーバート・ジラード(人間が環境に与える影響を研究し続けたエコロジスト)のものに目が行きました。その本は、年代は古いですが個々人が何を成すべきかを指摘し、イラストを取り入れてありとても細かく丁寧で、視覚から環境問題を理解するのにピッタリでした。そういえば、子育てをしていた頃は、プラスチックのおもちゃは、子どもが触ったり舐めたりすることで、体に影響すると危機意識を持ったものでした。材質そのものに発ガン性があり、さらにゴミで焼却する時にダイオキシンが出て、環境に悪いと意識していたはずでした。
 しかし、時が流れ、材質も改良されダイオキシンを出さないラップが出現するなど、いつのまにかプラスチックに抵抗なく生活していた自分がいました。新鮮で農薬や添加物の少ない食べ物を選択する共同購入をしながら、一方で、スーパーに並ぶ食品を入れたトレー、お菓子の袋、ペットボトルの飲料水、頭の片隅にどうせリサイクルするから、まあいいかと、軽い気持ちがあったことは否定できないでしょう。
 西宮市では、今年2月から、資源ごみとしてプラスチックの回収が始まりました。他市では既に分別が進み、もっと細かくゴミの出し方に気を配らなければなりません。すでに、西宮市もペットボトルの回収はありますが、プラスチックは薬の容器や菓子袋、トレーなどと、しばらくは説明用紙とにらめっこの日が続きそうです。リサイクルが奨励される一方で、焼却炉の熱がプールの温水に利用されていることを理由に、プラスチックが燃料にならなかったら、焼却時のエネルギーに支障がないか? と疑問の声も上がっています。
 しかし、これまでの西宮市の混合のゴミ焼却炉は、確かに生み出されたエネルギーは有効に使用していましたが、有害なガスの発生を排出する際に、「多数の非常に高価なフィルターやガス洗浄器が必要」(「地球にやさしい生活術」より)だったのではないかと思われます。日々、生活をするなかで、消費者である私たちは商品を選ぶ際に、添加物のことも吟味しなければなりませんが、ゴミの減量はもちろん、自然に還元できる材質を選択できるよう意識を高めていく必要を感じます。それには、定期的な啓蒙活動が、つまり原発の是非と同様に大人として責任ある行動が求められているのです。

 3月10日、守田敏也さん(京都市在住・フリージャーナリストで、被災地に中古の自転車を整備し届ける活動をしている)を招き、講演会が持たれました。私は、受付を手伝っていたので、テレビ画面からの一部分の映像を見ての感想ですが、是非、皆さんにも伝えたいと思います。テーマが放射能との共存時代・何をどう食べるか? という食の問題です。
 共存するという認識は、原発事故以来、関西と言えども、放射能を全く排除した生活は不可能に近いということなのでしょう。放射能による体内被曝は恐ろしいものですが、対処する方法として、正しい食生活が送られているかという問いかけです。添加物を含んだ食品は、食べ過ぎるように作られていること。それは、味付けに余分な砂糖が使用され、その砂糖(漂白された)は、消化するためには必要以上に内臓に負担をかけているのです。
 それは、広島で被爆した医師・肥田俊太郎さんの提言でもあるのです。免疫力をつけるために粗食(米飯で、発酵食品の味噌・醤油・梅干など、繊維質の多い食べ物を摂る)を習慣化し、病を押さえ込む気持ちで日々を送る。腹八分目で、よく噛み、唾液を出すことで分泌を促し、満足感も得られ、ダイエットにも最適。放射能だけに気をとられるのではなく、危険物質(農薬・添加物)の総体を問題にし、安全なものを確保しようと、呼びかけられています。そして、食事は家族・友人・仲間と楽しく食べることで、免疫力を上げるということです。皆さんも是非、やってみてください。
 午後は大阪で、雨の中、気温が下がり傘を持つ手もこわばりながら、反原発集会に参加してきました。福島から「福島原発告訴団」団長の武藤類子さんのアピールでがあり、告訴を支援する署名が予想以上に集まり、うれしい報告となりました。その後のデモも、雨の中頑張りました。(恵)案内へ戻る 


編集あれこれ

 本紙前号1面は安倍首相の訪米を、アメリカに全面屈服の惨めな外交と報じています。「戦後史の正体」の著者、孫崎享氏はブログでこれを奴隷根性丸出しと断じ、ジャパンハンドラー達におもねる安倍首相を「ご主人様にお礼を言う姿です。奴隷精神そのものです」と批判しています。
 そして、演説だけならまだしも、「今回は国民の生活を犠牲にするTPPという貢物を提供しています」と、事実上TPP参加へと動き出した安倍政権の姿を暴いています。さらに、「そしてこの安倍首相を今、日本国民が拍手喝さいしているのです。奴隷国家日本の面目躍如です」と、高い安倍政権支持を辛辣に評しています。
 そうしたなかで、マニュフェスト破りの民主党から政権を奪還した安倍首相に、選挙時の自民党政権公約が足かせになろうとしています。実際、「ウソつかない。TPP断固反対。ブレない。」というキャッチコピーを掲げた議員も存在しており、どんなに口先で繕おうと公約破りの批判を逃れることは出来ません。
 2面では、政権復帰2カ月に満たない自公政権、谷垣法相による3名の死刑執行を弾劾しています。死刑執行は合法的に人の命を奪う究極の権力の行使ですが、その合法性を揺るがす事態、衆院選は違法という司法判断が出ました。違法な選挙で成立した政権による死刑の執行は、はたして〝合法〟なのでしょうか。
 少なくとも、違法状態で選挙に突入したという自覚があるなら、谷垣法相は憲法99条(憲法尊重擁護の義務)に思いを致し、死刑執行の署名を思い止まるべきでした。合法性の装いのなくなった死刑は殺人であり、戦時にあってすら〝交戦規定〟という合法的装いのもとに殺人が罪に問われないものとなっています。
 例えば、捕虜の射殺は軍法会議の対象となります。皇軍にあってはすべてが無視されたがゆえに、多くのBC級戦犯が死刑に処せられています。ちなみに、デンマークからアフガニスタンのアルマジロ基地(ISAF)に派兵された兵士を追った映画「アルマジロ」では、タリバンとの交戦・殺害が、軍法会議に問われる(最もその兵士は軍から勲章を受けるのですが)事態になっています。
 8面で美輪明宏の「ヨイトマケの歌」が紹介されました。早速、紅白での映像をパソコンで観ました。何だか、感慨深いものがありました。私が小学生のころ、父が結核で入院し、母が失対(失業対策事業)で働いていました。ヨイトマケとまではいかなかったと思いますが、似たような仕事をしてたのです。長姉は中学を卒業して働きに出ました。私も含めその下の4人は誰も大学には行ってません。懐かしくも切ない、そして貧しかった子ども時代を思い出しました。
 同じ8面に魯迅「出関」の紹介もありました。これは「砂漠に逃れた老子と関所役人の物語」で、この関所が函谷関です。老子はこの関所を超えるために、関守達に講演を行い、それを木簡に書き残し、饅頭15個を得てようやく関所を後にします。まさに「老子出関図」です。老子の言葉は「道の道とす可きは、常の道に非ず。名の名とす可きは、常の名に非ず」(光文社文庫版)とか、凡人には計りがたい言語世界です。 (晴)
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