ワーカーズ485号   2013/4/1   案内へ戻る

 安倍政権の三ヶ月

●竜頭蛇尾かアベノミクス
 マスコミは異常なほど投資や購買を促し続けている。「今が買い」だと。書店には投資本が並びNHKですら「個人投資家の盛り上がり」を特集で報じている。
しかし、八〇年代後半のバブル経済は,当時の日本経済が真に最強だと国民に信じられたからこそ巨大なバブルを形成したのだ。安倍バブルは、最初からバブルと見なされて国内経済の回復から切り離されている。
 「四ヶ月連続で海外投機筋が株を買い越している。米国景気への期待と金融大緩和政策で、リスク許容度が高まったからだ。」株価上昇は「根拠なき熱狂」(『週刊東洋経済』)が現実だ。

●賃上げは労働者の大衆行動で!
 安倍首相の賃上げの呼びかけにいくつかの大企業が応じたが、ほとんどの企業は冷淡だ。日本の資本家はアベノミクスも「景気回復」もいまだ半信半疑だ。
 だから自分たちの力で闘い取るしかないのだ。政府は消費税の増税ばかりではなく政策として「二%インフレ」を目指している。つまり労働者の賃金はその分だけ黙っていても下落する。数%以上の賃上げを勝ち取らなければ生活悪化に歯止めをかけることもできない。

●危険なTPP交渉から脱退を!
 安倍首相は、オバマ大統領に対してTPP交渉参加を宣言した。しかし、実際の交渉参加は七月とも九月とも言われている。妥結を今年いっぱいとしているのだから日本の交渉の余地は時間的にもほとんどないだろう。関税完全撤廃に近い内容で妥結すると予想される。
 TPPは「自由貿易」を旗頭にしているが、協定参加諸国の大資本や有力業界の世界進出の足固めなのである。交渉二一分野の規制撤廃や統一ルールの決定に基づき、域内の統合を進め、EUや中国に対抗する米・日多国籍企業中心の経済戦略なのである。
 その結果として各国の零細農漁民ひいては地域コミュニティは崩壊の危機に瀕するであろう。また国際分業の極端な形成は、環境の悪化やエネルギーロスに繋がり、人間の本来の生き方を疎外するものだ。
 
●憲法改悪を許すな!
 安倍首相が虎視眈々とねらっているのが憲法改正である。夏の参議院選挙で勝利し、とりあえず九六条を改正し、改正のハードルを下げるつもりだ。各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならないのだが、国会の発議要件を過半数と変更するのだ。
 憲法九条の改悪は、自民党政府のもとでタイムスケジュールにのぼった。そのあとには「国防軍」や集団的自衛権、武器輸出などが準備されている。この野望を打ち砕くために幅広い闘いがますます必要だ。
(阿部文明)


アベノミクスで加速する経済衰退 ーー「デフレ退治」「インフレターゲット」?

 安倍首相は「デフレ退治」「二%のインフレターゲット」を政策目標に、徹底した金融緩和と二百兆の公共投資をうちあげた。今後インフレやデフレがどの様に展開されるかは予測困難だ。しかしそもそも「インフレ」や「デフレ」という言葉が正しく理解されていないのである。今回はこの議論をしてみよう。

●インフレとは何か、誰に都合がよいのか?
 金融緩和によって生じうるインフレは、貨幣(日銀券=円)価値の下落に過ぎない(物価全般の見かけの上昇)。しかし、それはことのいちめんである。実際にはインフレは「波及過程」が存在し、物価騰貴は通常市場で優勢な大資本から始まり、流通過程で順次波及し、最後にやっと賃金の上昇となる。さらに年金生活者などが最後尾に回されのが常である。
 この間優勢な資本は「インフレ利得」を得ることができるのである。つまり資本は、狂乱的な十%を超えるインフレが、資本の再生産過程の混乱要因と成らない限りは「親インフレ派」なのである。独占的企業ほどその傾向は明白である。
 安倍首相が今回何が何でも「デフレ脱却、インフレ指向」を大胆に示してことは、資本勢力にとって「朗報」であることは間違いないのである。
 逆に、われわれ賃金労働者や零細企業、年金生活者にとっては、インフレという「追加収奪」を受けることを意味するのである。資本のもうけは黙って増えるのみだ。
 しかも、小泉改革に代表される国民の格差拡大と、低所得者の沈み込みという現実からして、労働者・社会弱者の追加収奪は生活の破壊そのものとなりうる。
 
●インフレ=不況も過去にはあった
 再確認したいのは、インフレ自体が経済繁栄や、経済回復・景気上昇を生み出すのではない。かつて六〇年代の高度成長期のインフレが、成長を加速した(資本の高蓄積の実現)のであって、インフレが「経済成長」を生み出すものでは全くない。
 現在の日本で、やみくもに「インフレ」を是(ぜ)として出現させようとするアベノミクスは「日本経済再生」とは何の関係もない。ブルジョア的経済学ですら、このような乱暴な議論は、かつてお目にかからなかったが。
 場合によっては経済後退とインフレが同居することもあるのだ。七三年の「狂乱インフレ」は景気後退とインフレが同時進行した。景気後退局面ではインフレは、激しい経済恐慌をともなったことを想起すべきだ。その論理はこうだ。
 国民は激しいインフレによる追加収奪のために「消費活動」は加速度的に縮小する。他方、現実の商品流通の縮小が開始され、流通にある紙幣(日銀券)を回収する必要があるが、経済後退局面ではこの政策は企業倒産を生み出すゆえ採りにくい(金融緩和策)。極度のインフレは負のスパライルとなって破壊力を拡大しつつ経済恐慌へと突き進むのである。
 アベノミクスの「二%インフレ」は、その意味で資本家の好都合のインフレ率だといえる。だが、インフレは「産業の再生」とはどんな関係もない。そのうえ、こんな針の穴を通す経済コントロールは実際は不可能にちかい。
 
●インフレ・スタビライザーとしての金融市場
 今まで、インフレを巡る基本的な理解を述べてきたが、八〇年代以降は「インフレ・スタビライザー(安定器)」の存在を無視できない。
 八〇年代になると世界先進各国は、金融規制を大幅に緩和し、自国の金融取引の活発化を促してきた。イギリスではそれらは「ビックバン」と称された。株や為替取引をより自由にしかも瞬時に取引できるシステムの開発に熱中してきた。金融取引が新しい成長産業として脚光を浴びるようになった。この背景には、先進各国の「過剰生産」「過剰資本」とりわけ過剰貨幣資本の奔流が存在した。ジャパンマネー、オイルマネーなどとも名付けられた過剰貨幣資本(ドル)の取り込みが必要となったからだ。
 このようにして成長した「金融経済」は、なんら新たな富を形成するものではないが、巨額の資金を集め、どんどんばくち的なマネーゲームの主戦場と成っていった。
 八〇年代の日本の金融バブルとは、「金融商品のインフレ」と言い換えてもよいのである。使途のない(実態経済に投下できない、その意味で)過剰の貨幣資本がどんどん金融市場に流入し、おりからの低金利政策によって膨らむ金融資産(さらに架空資本化した土地)がバブルである。このバブルが破裂した後、実体経済も収縮するほかなかった。
 つまり「過剰」貨幣資本は、石油や大豆や金や銅の「実物」ではなく、金融商品に群がったのであり、その結果として、「実体経済」でのインフレの爆発は回避され続けてきたのである(バブル絶頂期の三年間、物価上昇はほぼゼロだ。)。 
 同じことはこの十年もくり返されたのである。日銀の金融緩和や巨額の公共投資により垂れ流された円は、大企業や金融機関に集まり結局のところ金融市場でマネーゲームについやされたのである。つまり「実需」に還流してこないのである。理由は単純であり、現実経済が低調なので商品への投機はもとより投資が低調であったからだ。
 アベノミクスの金融大緩和と公共投資は、それが一巡したのち金融市場の膨張を加速し国民経済と生活の混迷を深めることだけは確実であろう。

●デフレとは何か、資本主義の宿命としてのデフレ
 インフレがそうであるように、デフレもなにより貨幣現象である。貨幣に対して物価が全般的に下落することだ。たとえば典型的には景気後退局面で商品売買が縮小し投げ売りとなり、全般的な価格下落(つまりデフレ)が発生する。
 それ故に昨今の長いデフレは長い経済停滞の結果とみることができる。第一点。つまり商品価値の破壊過程としての価格下落である。
 現代では、日銀券をばらまくだけではインフレになるわけではないことを前項で述べた。その論理から分かるように実需が停滞しているなかで、「必要流通貨幣量」に食い込む形で金融市場に実体経済から貨幣が吸い上げられているのである。
 第二点。つまりこれは流通貨幣量減少に起因する全般的商品価格の下落である。
 もうひとつ長期デフレ傾向が資本主義経済に内在しているという事も指摘しておきたい。マルクスがすでに『資本論』で展開している。それによれば資本主義は絶えざる生産性の向上のため、工業製品である生活物資については、年々価値の下落がともなうのだ。たとえばテレビや洗濯機、家具や雑貨などもそうだ。さらに大量輸送などにともない全般的物価は下落するのが当たり前なのである。資本主義では商品価値は年々下落しない方がおかしいのである。
 第三点。つまり諸商品価値の下降にともなう全般的商品価格の下落である。
 その結果として「労働力の再生産費」である労働賃金は低下の圧力を受けざるを得ない、というのがマルクスの論理だ。
 日本はめざましい発展を遂げつつあるアジアに取り囲まれている。日本国内の生産性の上昇もあるが、最新設備と低賃金で創り出されるアジア諸国の商品に取り囲まれ、それらが確実に流入しているので「長期デフレ」の作用は今後もよわまりそうにはない。
以上、三つの主要なデフレ理由を取り上げたが、現実はそれらが組み合わさったものであろう。

●真の経済の再生を
 インフレやデフレについて基本的なことを述べてみた。これだけでもアベノミクスの「金融大緩和」「二百兆円の公共投資」といったものが、ドンキホーテーのような的(まと)外れの武勇伝にすぎず、経済の再生どころか経済の金融化、財政の悪化、格差社会のゆがみを拡大するものでしかないのがわかる。
 国民の本当の需要、住民の本当の必要性に対応した生産と流通こそが拡大されなければならない。資本と政府は、富をもてあまし利用法を見いだせなくなってきている。協同の経済の成長こそが、経済の再生につながるのだ。政府が巨額の租税を、大資本や金融資本に投入することは、経済の衰退を加速し格差を拡大するだけであり、もはや許されることではない。 (阿部文明)案内へ戻る


「コラムの窓」・・・「4・28とは」

 4月28日は、日本にとってどんな日なのか知っていますか?
 60年代~70年代には、学生がデモをしたほど知られた日だったが、今や全く忘れられた日になった。ところが、今急に4月28日が注目を集めている。
 安倍政権は1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効が「主権回復の日」に当たると言い出し、61年を迎える今度の4月28日に、政府主催の式典を都内の憲政記念館で開くことを決定した。
 これに対して、沖縄県民は4月28日は県内では「屈辱の日」と呼ばれており、「県民の感情を逆なでする無神経な式典である」と、県議会が式典の中止を求める抗議決議の採択に動くなど、反発の声が強まっている。
 日本政府は沖縄の歴史をほとんど知らないのか、それとも沖縄を徹底的に無視しようとしているのか?
 アジア諸国を侵略した軍国主義国家・日本は、アメリカ軍を中心とした連合軍に敗戦し、1945年9月より米軍に占領される。
 米軍7年間の占領時代から、1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効によって日本は独立を認められ、ようやく国際社会に復活することが出来た。
 ところが、この講和条約には第3条問題が存在していた。この第3条問題こそが沖縄にとって、明治の「琉球処分」(琉球王朝の廃止とヤマト・沖縄県への併合)とともに決して日本政府を許すことが出来ない出来事であった。
 第3条問題とは「日本本土の独立は認めるが、奄美群島、小笠原諸島、沖縄は独立を認めない。米国統治下に置く」と言う内容。当時、沖縄も奄美も小笠原も本土と同時の独立を希望したが、その思いは、本土から無視された。(その後、奄美は1953年12月に日本に返還され、小笠原も1968年6月に日本に返還される。沖縄だけが放置される。)
 沖縄県民にとっては「日本は沖縄、奄美、小笠原を米国へ『いけにえ』に差し出して独立を勝ち取った。沖縄は切り捨てられ、軍事的植民地下へ突き落とされた日である」と。
 このように沖縄はこの日を境に本土から切り離され、米国の施政権下に置かれた。住民は銃剣とブルトーザーで土地を奪われ、米軍の基地機能は強化され、米軍機の墜落事故、爆音被害、米兵の犯罪事件・事故の多発、米軍の軍事的統治に耐えかねた沖縄県民の闘争が始まる、まさに忘れることができない「屈辱の日」なのだ。
 安倍晋三首相は今回突然、「誇りを持ちましょう」と言い出し、講和条約と同時に調印された日米安全保障条約の評価を高め、「日米安保のおかげで国民は幸せになった」と言いたいようだ。
 しかし、日本国民全体にとっても、4月28日は祝える日ではない。日本国民が分断され、「日米安保条約」によって、全国各地に米軍基地が固定化され、日本が米国に追従する根源が作られていった。
 「講和条約」と同時に「日米安保条約」が結ばれ、さらに「安保条約」により、米軍が一番望んでいた「日米行政協定」(最大の問題になっている今の日米地位協定)が結ばれていく。
 米国は日本に米軍を駐留させるための「行政協定」が一番重要で、そのために「安保条約」があり、それを成立させるために「講和条約」があったと、孫崎さんも「戦後史の正体」で書いている。
 サンフランシスコ講和条約は1951年9月8日、48カ国の代表がサンフランシスコのオペラ・ハウスで調印した。その同日の午後、米国陸軍第六軍の基地内で「日米安保条約」も調印された。米国側はアチソン長官・ダレス特使など四名が署名しているが、日本側の署名は吉田首相ただ一人である。日本の全権は六名もいたが、署名をしなかった理由を「あまりの不平等条約で、失望した」との話は有名である。
 政府関係者は口を開けば「沖縄への配慮と理解」を強調する。こうした政府関係者と沖縄の4月28日の歴史がよくわからない人に、元沖縄県知事の太田昌秀さんが書いた「醜い日本人・・・日本の沖縄意識」(岩波現代文庫)をおすすめする。
 最後に、今日本政府が優先してなすべきことは「記念式典」ではなく、4月28日に国会で「謝罪決議」を行うことではないのか。米国は1893年、武力によってハワイ王国を滅ぼした。それから100年たった記念日に「謝罪決議」(ハワイ王国打倒という悪事を認め謝罪する)をしている。
 「琉球処分」と「4・28」に対して政府の責任を認め謝罪すること。そこから、新たなスタートが始まると考える。(富田 英司)


「原発事故子ども・被災者支援法」に基づく健康調査を求めて
 関東ホットスポットの市民が4度目の省庁交渉


 原発事故子ども・被災者支援法は、昨年6月に超党派、全国会議員の賛成で成立した法律。日本のチェルノブイリ法をめざした法律で、内容は画期的。発議者である国会議員の意図としては被災者の範囲を年間放射線量1ミリシーベルト以上の地域に住む者(住んだ者も含む)と想定。留まる、避難する、帰還するなど被災者の自己決定権を尊重し、いずれを選んでも国の責任で住居、就業、就学、医療等々を保証する内容となっている。医療支援については、これまでの様々な公害被害の教訓を踏まえ、放射線に起因する疾病でないことを国の側が立証しなければならないこととなっており、とりわけ子どもの健康を予防原則の立場から重視している。
 しかしこの法律は、いわゆる理念法の性格を持っており、法を実行に移すための基本方針や計画は法の制定後に国が被災住民の意見を聞きながら策定することとされている。そのことから、法の成立からすでに10ヶ月が経とうしている中で、住民の意見を反映させる仕組みづくりとその下での基本方針の策定が強く求められていた。
     ◆  ◆  ◆
 ところが、3月15日に主管官庁である復興庁が支援法に基づく「施策パッケージ」を発表し、基本方針に書かれるべきことをほとんど盛り込んだものだと説明した。
 その内容は、支援法の理念や発議者の意図とは大きく隔たったものであり、発議者である議員連盟に所属する議員たちや被災地の市民から大きな批判が起こった。
 復興庁発表のパッケージは、被災者の支援どころか、福島県県民に対しては福島に留まり、避難した人々に対しても帰還を促すものであった。また福島県以外の茨城、千葉、埼玉、群馬、栃木など放射能で高レベルに汚染された地域の問題は一顧だにしていない。福島原発事故とは直接の関連があるとは思われない青森や長崎などの県名があげられたが、それも福島県の健康被害は取るに足らないと見せかけるための資料として持ち出されたに過ぎなかった。
     ◆  ◆  ◆
 こうした中、茨城、千葉、埼玉三県の市民は、4回目の省庁交渉を行った。
 第1に、パッケージは支援法の趣旨を完全に無視しており、これを基本方針に横滑りさせることは許されないこと。第2に、茨城、千葉、埼玉三県の汚染地域を支援対象地域に指定し、この地域の子どもと妊婦の健康調査を実施すること。この2点が交渉の主目的であった。

●「政策パッケージ」についてのやり取り
 復興庁の水野参事官は、パッケージはあくまでも現時点での施策の集成であって、法的位置づけとしても基本方針に成り代わることは出来ないと答弁。
 市民が、根本匠環境大臣の記者会見発言(支援法で必要とされる施策はほぼ盛り込んだ云々)との矛盾を指摘すると、曖昧な言い訳に後退。パッケージではあるけれども、基本方針に盛られるべきことをかなり盛り込んでいる云々と言い始めた。
 復興庁の本音がパッケージを基本方針に横滑りさせることにあるのは子どもでも分かることで、市民はそれらが明確に違ったものであると確認させるため念押しの追及を何度も行った。
 結果としては、パッケージは基本方針とは異なる、パッケージ自体今後の拡充も想定されている、という確認でこの部分の交渉は終えた。
 当たり前の確認ではあるけれども、パッケージを基本方針に横滑りさせないための、一定の圧力にはなり得ただろう。
 また、パッケージの拡充、基本方針の策定に際しては、パブコメや意見聴取会を実施することも、確認させた。
     ◆  ◆  ◆
●地域指定と健康調査についてのやり取り
 まず、「地域指定」については、市民は、法の発議者の意図、国会審議の中身、一般公衆の年間被爆限度量についての考え方の国際的な整理に則っても、1ミリシーベルト以上であるべきと主張。またパッケージでは福島以外の地域がまったく触れられていない点を批判するとともに、その理由をただした。
 これに対し当局は、各方面の意見、専門家の意見などを聞きながら、必要な対象に必要な施策を行う等々の、曖昧な答弁を繰り返した。
 これは予想されたことであったが、逆に言えばこの点が、やはり政府の側にとって一番難しい問題、基本方針策定の最大ネックになっていることが改めて明らかとなった。
市民の側から、放射線対策特措法で地域指定されたところは子ども・被災者支援法でも地域指定されるのが自然だし当然だとも主張した。
 水野参事官は、放射線対策特措法と支援法では法の趣旨や守備範囲が違うなどと当たり前のことを述べて回答したつもりになっていたが、市民は、私たちが言っているのはそういうことではなく、まずは公衆の被曝基準1ミリシーベルトを明白に超えている、復興庁や規制庁が神経質になっている(ふりをしている)「線引きによる分断、風評被害等々の弊害」も心配しなくて良い、自治体も住民も特措法指定地域を支援法の指定地域とすることを積極的に受け入れ、要求さえしている、従ってこの地域については国の側もほとんど悩み無く指定地域が出来るはずだと主張した。
 これに対しては、明確な返答はなし。いつものごとく、「多方面の、専門家などの意見を聞いた上で…」というフレーズを繰り返すのみであった。
 次に健康調査について。
 この点でも市民は、ICRPでさえ年間1ミリを公衆被曝基準としている、ベラルーシ・ウクライナの施策でもやはり1ミリ基準で避難の権利や健康調査が認められ、ECRRなどの見解はさらに厳しく警戒的である等々を指摘しつつ、関東ホットスポットで健康調査がなされないことはありえないし、許されないことと主張した。
 これに対し当局は、ECRRなどの見解は国際的な科学的なコンセンサスは得られていないという趣旨の答弁。
 また福島の甲状腺ガン等々についても、放射線の影響かどうかは明らかでない等々と主張して、だから福島以外の地域はなおさら健康調査の必要は考えられない云々と答弁。また「有識者会議」などの意見を聞く限り、福島以外での健康調査は必要なしと考えるとも答えた。
 しかしこの「有識者会議」は茨城・千葉・埼玉とは何の関係もない会議あったので、これに対しては、私たちの地域の話をしよう、また放射線の健康への影響はガンだけではなく多種様々な疾病が明らかになっていることを踏まえた話しをということで一蹴。
     ◆  ◆  ◆
 市民は、関東ホットスポットにおいてもどうしても健康調査が欠かせないことを示す象徴的な問題として、取手市の学校検診データ問題をぶつけた。福島原発事故の後の取手市の子どもたちに、チェルノブイリ事故の後ウクライナやベラルーシで急増したOT延長症候群や右脚ブロックという心臓疾患が同じく急増していることを明確に示したデータである。
 これについても、福島の子どものセシウム被曝、それについての「専門家」の意見なるものから取手の子どもたちへの影響を強引に推定し、セシウムの線量と心臓疾患の比例関係は見られない等々の曖昧な話しであったので、「取手問題とは関係無し」として一蹴。そんな不確かな間接的推定ではなく、直接にこの地域の子どもたちの心電図検査を行って欲しい、学校検診のデータがすでにあるのだから難しくはないはず、前の交渉でも「検討する」と答えた問題なので必ずやるべき、進捗状況をこの間の交渉の窓口となっている福島みずほ事務所に定期的に報告するようにと、これは譲れない部分であったので厳しく追求した。
 当初、不明瞭な答弁を繰り返していたが、最後には環境省の役人が「がんばります」と答えるに至った。4回の交渉で初めての「前向き」な答弁であった。
 健康調査については、国や自治体がすでに実施している子どもたちへの各種の数段階にわたる健診事業、これに放射能関係の健診を加えることは容易で、予算も大くはかからないはずであることも再度要求した。
 これらの幼児健診や学校検診は、市民が要求している健康調査とは範囲や性格の異なるものだが、その入り口として、あるいはその一部として、位置づけ可能な事業だ。この点を一つの突破口にしながら、市民が本来求めている健康調査事業を国に実施させるべくさらに国に迫っていくこと、近く5回目の省庁交渉を行うことを確認して、この日の行動を終えた。
(流山市議会議員 阿部治正)案内へ戻る


色鉛筆  美しい田園風景はいつまで続くの?

 毎日の通勤は、車で約二時間近くかかります。歳ですので疲れますが、毎日この貴重な時間を有効に使いたいと思い、ニュースを聞く、発声練習をし、呼吸を整えることを習慣にしています。私の勤務は早番、遅番、泊まり勤務と色々ありますので、出勤時間が毎日バラバラです。色々な時間帯に運転しているので、四季おりおりの道を楽しめます。見ていて一番楽しいのは田園風景です。
 春は雪がとけた田んぼの土をならして,水門が開かれ,田んぼに水が入っていく様子がとても感動的です。水田という言葉どおりだなと,水が太陽にあたりきらきらと綺麗です。 この時期に見かける風景は、早番でも遅番でも見かける風景、機械を使用しているとはいえ、広大な土地に一人での田植えは,とても大変そうで,頭が下がる思いです。
 苗がすくすくと育ち,場所によっては鴨が害虫をたべている場所もあります。愛らしい姿で親子で活躍しているのかなと考えなから運転しています。
 夏はぐんぐんとい勢いよく成長して稲穂が見え始めたら「やったー」と心の中で叫び,幸せな気持ちになります。
 いよいよ収穫の秋,あちらこちらで刈られて,稲穂が干されている景色は,無事に目標達成して,正々堂々と威厳のある様子です。少し寒くなった日、山の景色もとても美しいです白鳥も多く飛んできて、ミミズや米の残りを食べています。もちろん新米は最高に美味しいです。
 冬は一面に広がる雪景色,冷たい中,春にむけてのリセットの期間なのかと感じています。四季おりおりの田園風景は目標をしっかり持った人生のように感じ、いつも励まされています。

 しかし、毎月安定した収入がないので現実の生活は大変だと聞きます。職場に農家の嫁もいます。家に帰れば、自分の賃金は家族の生活費になり、季節により農作業が待っており、十分な睡眠時間は確保されていないと話しています。
 また多くの農家は、収穫した米を納品する約束で、毎日の食料品や生活用品を、「Aコープ」なら顔パスで購入できます。納品されたお米の収入から「秋払い」といって、今まで顔パスで購入した経費が清算するそうです。
 一度その店で買い物をしたことがありますが、チョコレート一つの金額が、私がいつも購入する店より100円高く驚きました。適正な料金で魚や肉やシャンプーやリンスを販売しているのだろうかと感じています。支払いの方が多いのではないかと心配しています。決して安定した豊かな生活ではありません。
 そしてTPP協議に参加が発表されました。一体どうなるのでしょうか?こんなに苦労して作ったお米が適正な金額で市場にでるのでしょうか?農民の方はますます弱者になるのではないでしょうか?美しい田園風景がいつまで続くのでしょうか?(宮城 弥生)


福島事故を忘れない 女川原発再稼働を許さない
3.16 みやぎアクションに参加して


 3.11東日本大震災、そして東京電力福島第一原発事故から二年の月日が過ぎました。事故の真相解明も不十分で、メルトダウンした燃料がどこにあるのか、本当に冷やされているのかも不明なままです。そして放射能は放出され続け、多くの労働者が被ばくしながらの作業を強いられています。事故は、決して収束していないのです。
 また宮城県の女川原発では外部電源の五系統のうち四系統を地震で喪失。直後、海抜一四メートルの原発敷地に津波が侵入、海側に近い第二号炉の地下室の非常電源二個を喪失。たまたま偶然にも大きな事故にならなかっただけです。
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 思い返せば、十五年前宮城県広報で「親子女川見学募集」があり、はがきで申し込み、抽選にあたり原発を見学したことがあります。女川原発に到着すると鹿島建設の文字が最初に目に入り、なんか重々しい気持ちで建物の中に入っていきました。ここから立ち入り禁止区域といわれ写真を撮ろうとしたら、ものすごく怒られました。昼食は豪華な弁当がごちそうされ、子どもは水着バックとして今後使えそうな手提げビニール袋に一杯のおみやげ(ノートや時計、原発キャラクター)をもらい大喜びでした。バスで高台にある原発放射線測定センターに移動し数値を見せられ安全だと何回もアピールする職員の姿が印象的てした。色々な景品でこれから成長する子どもの気持ちを取り込み、宮城県あげての安全だからアピールがすごいことに当時は驚いたものでした。
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 また地元の人から、女川の捕鯨が中止になり、漁師としての仕事がなくなりいきずまっいた時に原発が建設され、労働者として雇われ、給料が三倍になったとも聞きました。地元の人はこわいけれど、それよりも生活していくことの方が重要で、再就職はありがたかったとおかげで購入出来なかった自家用車が購入できたと話していたそうです。弱い部分につけこむこの資本の力に自分の無力さを感じた話でした。
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 原発を見学しおみやげをもらって喜んでいた子どもも、赤ちゃんを産み母親となりました。今回の原発事故のことを恐れています。自分も福島原発の事故で被曝したのではと心配しています。 
 そんなことを思い出しながら、集会で藤波心さんのトークイベントを聞き、若い彼女の一生懸命訴える姿やふるさとの歌に感動しました。また福島に自宅がある某組合執行委員長の家の梅は汚染されて、いまだ梅干しが作られないというひどい話を聞き、とても悲しかったです。
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 事故を引き起こした最大の原因と責任は国と電力会社にありますが、危険な原発を許してきた私たちにも大人としての責任があります。今後、これ以上の放射能汚染の負荷を子どもたちや孫達へ負わせないために、日本政府、宮城県知事、東北電力、女川原発をはじめすべての原発の再稼働をさせないように求めていきましょうということを集会アピールで確認し、仙台市の中心街を約700人でデモしました。デモの途中では、がんばってと声をかけていく人もいました。原発が安全だという話は過去のものです。原発の力がなくても猛暑、厳寒過ごせました。知恵を出し合い、私たちの未来を守っていきましょう。 (宮城 弥生)案内へ戻る


新◆経済学講座    連載①はじめに 上藤拾太郎

◇「社会主義」は投げ捨てろ!
 われわれは新しい経済を見いだそうとしている。その話をさせてほしい。
ソ連や東欧を支配した「社会主義」政権崩壊はすでにいにしえの物語りだ。これらの国が「赤い貴族」に支配された警察国家・軍事体制であったことはまぎれもない事実だ。だから民衆に憎まれ見放されたのだ。
 「社会主義て何なの?」という若い人には、金正恩の北朝鮮をみてほしい。これは「二十世紀社会主義」の生きた化石なのだ。
 中国、ベトナム社会主義の一党独裁ともうけ主義は、西側諸国よりもひどいではないか。
先月癌で死んだチャベス(ベネゼェラ)大統領は「21世紀の社会主義」をかがけて登場した。これらの南アメリカ諸国は貧困救済政策に力を入れてきたが、国営経済はいきずまりつつある。いずれにしても国家が「善政」を施して貧困対策を実施する、こんなやり方はいつまでもつづくものではない。

◇『アソシエーション革命』
 いつもそうだが変革は大衆の生活から生まれる。国が作るものではない。十数年前アメリカのレスター・サラモンが「アソシエーション革命」を提唱した(例えば『NPO最前線』岩波書店)。だが勘違いをしないでくれ、これは革命の書ではない。ようするにNPOや非営利組織が世界的に成長していることを実証的に示しただけだ。
 しかしこの本の影響は少しずつ広がった。
 サラモンの調査によれば九五年、世界二十二カ国において就業労働人口の四・八%(農業含まず)が非営利組織で働いている。現在ではわれわれの間でもNPOで働いている人はけっこういる。
 だから「これら非営利団体の連係で別な社会を創ってみては?」と考える人がいろいろと現れたのも不思議ではない。市場経済に対抗するオルタナティブ(対抗社会)だ。
 少しフォローすれば、サラモンの統計は協同組合を含んでいないので、世界的なアソシエーション組織ははるかに多いのだ。
 そればかりではない。ノーベル平和賞をもらったバングラデシのユヌスが提唱するソーシャル・ビジネスは、その後に世界的広がりを見せている。他にも「社会的企業」と呼ばれている企業群が存在する。これらは二十一世紀になって目立って拡大した。サラモンの「アソシエーション革命」はさらに進展している。
 未来を支える新しい社会ビジョンは、こうして生まれつつある。そこに浮かび上がる経済原理を解説してみよう。 (つづく)


〈解雇可能な正社員〉
またしても雇用が標的にされている!──財界の悪乗りを跳ね返そう──


 安倍政権誕生で、経営者や財界が増長している。安倍内閣の成長戦略づくりに乗じて「解雇しやすい正社員づくり」を画策しているからだ。その安倍内閣は、労働分野での規制緩和を一層推し進め、財界や企業に都合によい雇用システムづくりを推し進めようとしている。
 私たち労働者は、安倍内閣の高支持率に便乗した経営者側による雇用破壊を自らの闘いで跳ね返す闘いの強化が急務だ。

◆解雇自由!

 安倍内閣のもとで「解雇できる正社員」づくりの構想が浮上している。安倍内閣の産業競争力会議の分科会や規制改革会議で提案されたもので、この3月から議論が始まっている。
 産業競争力会議の分科会では、「労働異動の支援を重視すべきだ」とか「流動性を高めるための前向きな制度が必要」など、経営者側委員から労働力の流動化を求める声が相次いだという。また規制改革会議でも、「労使双方が納得する解雇規制の在り方」がテーマの一つとされ、そこでも「解雇の金銭解決」などが議論されたようだ。
 とりわけ見逃すことができないのは、「人材力強化・雇用制度改革」をテーマにした競争力会議分科会主査の長谷川閑史経済同友会代表幹事(武田薬品工業社長)の提案だ。長谷川主査は、「民法にある解雇自由の原則を労働契約法にも明記すべきだ」と求め、労働契約法第16条の見直しを提案したという。
 労働契約法16条は、「客観的に合理的な理由」がない解雇は使用者側の権利乱用であり無効だと定めている。合理的理由とは仕事をする能力の欠如や規律違反などだ。気にくわないから辞めさせるというような一方的で根拠のない理由では解雇はできないという規定だ。
 労契法に対して長谷川主査が言及した民法では、627条(期間の定めのない雇用の解約の申し入れ)に、「当事者が雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申し入れをすることができる。この場合に於いて、雇用は、解約の申し入れの日から二週間を経過することによって終了する。」とある。このことを指して労契法にも明記すべきだ、といっているのだ。
 その長谷川主査は、「再就職支援金による解雇制度」も提案したという。現行法では、裁判所が労働者の訴えを認めて解雇無効の判決が出された場合、現職復帰しか選択枝がない。それを「金を払って解雇できる制度」に変えようというわけだ。
 こうした経営者側の策動とは別に、厚労省は「仕事が無くなれば解雇される」という新しいタイプの正社員づくりを検討しているのだという。「会社に就職」するのではなく、会社のなかの特定の職種や業務に就職するという、いはば具体的な事業・職種にだけに限定された雇用形態を想定したものだという。その目的は雇用の流動化で、こうした観点では経営者側と足並みをそろえているわけだ。

◆新〝首切り制度〟

 上記のような安倍内閣の諮問機関で検討が始まっている「人材力強化」「雇用制度改革」を大義名分とする「労働力市場の流動化」とはどういうものなのか。彼らの提案や発言を読んだだけでも、実際には経営側の思惑しだいで自由に解雇できる「首切り制度」の導入を画策していることは明らかだ。
 まず、雇用については民法の規定だけで十分だ、とする経営者委員の提案だ。いうまでもなく民法の規定に貫かれているのは「対等な契約主体の間での自由な契約行為」という考え方だ。しかし実際には1人ひとりの労働者は微力で、巨額な資金力で多くの労働者を雇用する企業と対等な関係にあるとはいえるはずもない。民法の規定だけで労使間の紛争に対応できないことは、欧米の歴史を見るまでもなく明らかなことだった。そこで制定されたのが労働基準法や労働組合法、それに08年に制定された労働契約法など、民法の特別法といわれる労働法規だったはずだ。経営者側委員の提案や発言は、こうした実態や経緯を無視し、労働の最低限の基準を定めた労働基準法など労働者の権利を規定した労働法規の根幹自体を否定する傲慢無恥なもの、という以外にない。
 「再就職支援金」による解雇制度も同じようなものだ。
 日本でもこれまで裁判で不当解雇が認められた場合、現職復帰ではなく「解雇の金銭解決」に近い「和解解決」が行われてきた。これはいったん現職に復帰した形を取った上で、企業が過去の賃金分や割り増しの退職金を支払ったうえで労働者が自主的に退職する形式の解決法だった。ただこの「和解解決」は、企業の不法性の存在が前提となった労働者の選択権による解決法であって、使用者側による選択権の行使としての「再就職支援金」制度とはまったく性格が違う。
 また厚労省が構想しているとされる「仕事が無くなれば解雇される」という新型労働契約についても、企業の都合しだいの雇用契約としてしか機能しないものだ。厚労省としては、欧米での労働市場が職業別・職種別に形成されていることを念頭に、日本でも「仕事が無くなれば解雇が当然」という同様の労働市場を拡大することで労働力の流動化を図りたい、ということかもしれない。が、そうした厚労省の思惑は、前提がまったく違っている。
 日本では職業別・職種別労働市場は一部の業種に限られ、大多数は会社別雇用だ。いったん会社を辞めて別の会社に移る場合には、賃金やボーナス、あるいは退職金まで含めて大幅にダウンすることが一般的だ。すなわち転職=処遇の低下が当たり前になっている。そうした企業横断的な労働市場が未形成の日本での「仕事が無くなれば解雇できる雇用制度」の導入は、工場や事業所閉鎖などが格段にやりやすくなるだけの、企業にとってこの上なくありがたい雇用類型にしかなりようがない。
 正社員の派遣労働者化にも通じるこうした制約なき経営権擁護という観点からの雇用流動化は、安倍内閣のもとでの政官業一体での〝新首切り制度〟という以外にない。

◆フリーハンド

 「雇用の流動化」を掲げる経営者側と厚労省の大義名分は、多様な働き方を創出することで働く側の雇用機会を増やす、というものだ。が、こうした建前をそのまま信用することなどできるはずもない。彼らは労働者の雇用を配慮するとかの言葉とは裏腹に、実際は経営者側の都合を押しつけてきた経緯があるからだ。
 たとえばバブル崩壊前後、経営者側はコスト削減を目的に年功序列賃金の手直しに執着してきた。それは団塊の世代の高齢化とともに年功賃金が膨らんでくるという傾向への対処だった。具体的には賃金カーブ上昇の腰折れを早め、早い年齢から賃金水準を引き下げる、という手法でコスト削減を図ろうとするものだった。
 次は、90年代のバブル経済崩壊後の賃金コストの引き下げ策だ。その場面では、年功賃金の一定の引き下げの成果の上に、今度は非正規労働者を拡大することで賃金総額を削減するというものだった。転機となったのは95年に当時の日経連(現在の経団連)が打ち出した「新時代の〈日本的経営〉」での〈雇用・就業形態の多様化〉だった。そこで打ち出された〈雇用の三形態〉では、雇用を基幹社員と専門職・単純労働に区分けし、専門職と単純労働の非正規化など、非正規労働の大幅な拡大が提唱されていた。それまで企業ごとに非正規化を進めていた各企業にとっては、財界や世間のお墨付きを得たとばかりに非正規化の急拡大の転機となったものだ。その結果が、あの「年越し派遣村」の設営に象徴された「派遣地獄」の現実であり、また非正規労働者が35%を超えた雇用破壊の現実そのものなのだ。
 そして今また、である。今回の標的は、最初のリストラで手が付けられなかった正社員の雇用形態そのものだ。雇用期間の定めがなく、実態としては終身雇用である正規労働者に新たな区分けをもうけ、仕事に応じて自由に解雇できる正社員制度を導入するというものだ。かつて総合職と一般職、あるいは総合職と転勤がない地域職に区分けした雇用システムの延長上のものともいえる。それらに共通しているのは、離合集散の激しい企業の経営方針や経営上の都合でいつでも解雇できる雇用制度がほしいという、いはば経営側の要請に添ったものだ、という点だ。
 こうした経営側の都合がよい雇用形態の特徴は、オランダの雇用形態などに見られるフルタイムとパートタイム間の相互移動可能な多様な働き方とは似て非なるものだ。オランダでは、雇用形態間の移動は労働者自身の選択権が確保され、また様々な雇用形態相互間での処遇も基本的に同一労働=同一賃金原則で決まるからだ。こうした条件が未形成の日本での雇用形態の多様化は、労働者の働き方の選択肢が増えることに繋がることはない。実現するのは、経営側のフリーハンドの拡大だけだ。同じような謳い文句で拡大された派遣労働者の実態を見れば明らかだろう。
 こうした今回の提案は、労働者に新たな分断を持ち込むことでもある。「解雇自由な雇用」や「仕事に応じた正社員」などの導入は、実質的に正規労働者を基幹正社員といつでも解雇できる正社員に分断することでもある。

◆自力での闘い

 安倍内閣が設置した産業競争力会議や規制改革会議では、多くのメンバーを財界や御用学者が占めている。当然のことながら、その答申や報告書は、そうした経営者側の利害を反映したものにならざるを得ない。いわば「できレース」だ。アベノミクスとかいうもので高い支持率で推移している安倍内閣だが、政権の表向きの看板を信用しているととんでもない事態を呼び込みかねない。政権の看板に一喜一憂しているわけにはいかないのだ。
 長谷川閑史経済同友会代表幹事による労働基準法や労働契約法の根幹を否定する提案に対して、そうした労働法規自体を守れば済むという話でもない。たとえば「整理解雇の4条件」だ。会社の経営が悪化して労働者を解雇せざるを得ない状況になっても、1)解雇が本当に必要なのか、2)他に方法がないのか、3)解雇する人の選択が合理的なのか、4)解雇の手続きが正当なものか、が厳しく問われる。が、こうした条件が労働法規に明記されているわけではない。それこそ全国のあちこちでの永年にわたる労働者の法廷闘争の成果の蓄積の結果として、こうした解雇規制の法理を勝ち取ってきたのだ。
 安倍内閣による今回の一連の労働分野の規制緩和を名目とした雇用破壊の策動に抗するには、法制度上の改悪に反対の声を上げるだけでは決定的に不十分だ。いま拡がっている「追い出し部屋」など、企業による理不尽な解雇攻撃への具体的な反撃など、現実の闘いを拡大していく以外にない。
 産業競争力会議は6月までに「成長戦略」をまとめることになっている。まずは上記のような答申や報告書を出させない抗議の声を上げる必要がある。それ以上に、それぞれの職場で理不尽な解雇の動きへの、周囲の労働者を含めた連帯した闘いを拡大することが不可欠だ。(廣)案内へ戻る


キプロス危機の深層とは何か

キプロス銀行危機の決着

 3月25日、キプロス政府は欧州連合(EU)と国際通貨基金(IMF)との12時間におよぶ協議を経て、銀行リストラ策を含む支援策で合意した。
 このリストラ策とは、国内2位のキプロス・ポピュラー(ライキ)銀行CPBY・CYを閉鎖し、同行の小口預金(10万ユーロ未満)を国内最大手行のバンク・オブ・キプロスBOC・CYに移管し、また預金保険関連規則の対象外となっているバンク・オブ・キプロスの大口預金(10万ユーロ超)は凍結され、債務問題の解決に充てるというものだ。
 このライキ銀行の預金保険対象外の大口預金の凍結で、42億ユーロが捻出できる見通しであると報道された。確かにこの事はロシアには大打撃であろう。
 今回の合意が注目されているのは、株主・債券保有者に続き預金保険対象外の預金者も銀行再編コストを負担させるベイルイン型で、これまで納税者が負担を負っていた状況からは大きな方針と異なる点である。なぜならこの方法はロシア対策であるからだ。

キプロス銀行危機とは

 キプロスとは、地中海に浮かぶ島国で、人口110万人、経済規模ではユーロ圏の0・2%の小国だ。この国は欧州債務危機の発火点、ギリシャと緊密な関係にあり、保有するギリシャ国債の不良債権化により大手金融機関が経営危機に陥った。
 しかしキプロス銀行界の資産規模は国内総生産の7倍以上と巨大で、当然ながら国家財政に救済余力はない。そこで欧州連合(EU)などの国際支援を仰いだのだが、支援の前提だった「預金封鎖」等の計画がキプロス議会で否決され、支援も宙に浮いてしまった。
 キプロス危機には、これまでの欧州債務危機になかった要素も複雑に絡む。大手行の大口預金者にロシアの企業や富裕層が多数含まれている事だ。何よりオプショア国として低い税率や緩やかな規制が、ロシアなど海外からの資金を引き付けてきた背景があるからだ。
 ロシアとの友好関係を今後も維持したいキプロス家は、問題銀行の処理に伴ってロシアの預金者が多額の損失を負う事態を避けたかった。そのため、議会が否決した最初の処理策に、小口預金者の損失負担(預金課税)が盛り込まれていたのである。
 そもそもEUは、ギリシャ国債を保有する民間銀行に元本削減を求めた時点で、キプロスの銀行危機も想定できたのである。だがドイツを中心とした欧州の主要国は、場当たり的な支援策で時間を稼ぐだけで、金融行政や財政の統合といった宿題に本気では取り組んでこなかった。
 ギリシャ危機の際、ユーロ圏で一本化した銀行監督当局が圏内銀行の不良債権処理を主導し、必要に応じて直接、銀行に資本注入できる仕組みを整えていたら、キプロス銀行危機は回避できていたのである。

キプロス支援をめぐるロシアの思惑

 モスクワを訪れていたキプロスのサリス財務相は、ロシアと協議したが成果が得られなかった。欧州連合(EU)はキプロス支援の条件に預金課税を求めており、これが実施されたらロシアの個人や企業には大打撃だ。キプロスの銀行預金総額約700億ユーロの内約半分は非居住者の預金で、その大半はロシア人が占めているからである。
 注目すべきは、ロシアが非協力的である事だ。ユーロ圏はキプロス支援の一環として、ロシアが同国に対する25億ユーロの既存融資の返済期限を5年延長するとともに、金利を引き下げる事を期待している。しかしロシアはこの事への同意を拒んでいる。
 なぜかといえば、ロシアはこのゲームに参加しているのがキプロスではなく、EUである事を意識しているからだ。もしロシアがこの段階でキプロスと「誠実な交渉」に入れば、EUが負担するキプロス支援金は減る事になり、その分自分の負担は増えて結果としてEUを助ける事に繋がるからである。
 メドベージェフ首相がモスクワでサリス財務相に話した内容は分からないが、キプロスの首都ニコシアには今、いかがわしいロシアの成金たちが溢れているという。確かに彼らはキプロス議会の買収に成功した。議会が「預金封鎖」を拒否したのはこのためである。
 フィナンシャル・タイムズのブログ「FTアルファビル」のポール・マーフィー氏は、キプロスは二者択一に迫られていると指摘する。「ロシアのギャング金融機関を縁取る国家になるか、いかがわしい銀行の多くを閉鎖して持続可能な経済を再建し、完全に欧州に向かうかだ」。彼は、キプロスが取るべき選択肢は「明らかだ」と語る。
 プーチン大統領は、この情勢を静観する。彼は、キプロスがEUを離れてロシアに来ればロシアが勝ち、来なければロシアは負けと考えているのである。
 EUを助ける事に繋がるキプロス支援策で、ロシアが何もしない理由はここにある。ロシアはキプロスを欧州の手から事実上奪い取り、ユーロ圏で重要な地政学的足がかりを得る思惑から動かないのである。
 今回、キプロスがEUによる支援策を受け入れたので、多くのロシア人の成金がキプロスの銀行に預けている多額の資金を失うだろう。しかしそれでもロシアは、その野望を達成するため、時間の経過に賭けているのである。(直木)


〒職場から・・無理な「業務命令」を出すな!

 今、私の勤める郵便配達の現場は、自己責任を押し付け1人前の仕事を果たせ! と言わんばかりの「業務命令」を行い、働く仲間の意識をズタズタに引き裂いています。昨年から新旧入れ替えの時期となり、これまでの順調な? 日々の仕事の流れが一変しました。新しい人を誰が教えるのか、誰が面倒を見て補佐するのかが、課題となりました。これまでの慣習なら、みんなで助け合い足並みをそろえて、配達に出ることを選んだはずです。
 ところが、それぞれのスキルを決める成果主義という評価が、配達が早い人、営業成績を達成した人を求め、働く現場は自分のことで精一杯という事態になってしまったのです。上司の「業務命令」ではなく、現場の意向を尊重してくれた、あるいは半ば放任された職場だったのが、新しく赴任してきた管理者の必要以上の介入で、緊張感が漂う職場になりました。
 先日も朝礼でその管理者が、「仕事を解雇するとは局側からは言いません。進退については自分で考えて決めるように。相談はいつでも受け付けます」と、パワハラまがいの発言を行いました。というのも、その前日は祝日休配明けで郵便物が満載で、夕方5時を過ぎても配達している状態でした。そうすると、書留の再配希望が出てもその書留がまだ局に届いてなくて、配達できないという支障が起きていたのです。
 あきらめるな、早く仕事をしろ、常に努力して向上しろと、気合いを入れられ、まるで軍隊の如くなのです。去年暮れから、配達区を1区減らし、年賀が終わった年明けには、更に1区減らし、配達員の仕事の負担は並大抵ではありません。新らしく入った人は最初の1~2ヵ月は補助が付きますが、書留が配達できる途端に1人前の仕事をこなさなければなりません。1人前の仕事をしてもらわないと困ると、手伝うことを禁止する管理者に誰も異議を発せずに、悶々とする日々です。
 管理者の「業務命令」を受けて、仕事を辞めたいと申し出る同僚が出てきました。1人前の仕事をこなせない、仕事がプレッシャーになり夜も眠れないと、訴える同僚に、私は辞めずに頑張ろうとは言えませんでした。こんな精神状態に追いつめられてしまったなら、これ以上傷つけるのは酷だと思ったからです。働く者同士の意思疎通をどう図って行けばいいのか? 次なる犠牲者が出る前に、この無理な「業務命令」にどう対処していくのか、私だけ従わずに抵抗するしかないのか? 20年近く勤めて、初めての試練に立っています。
(恵) 案内へ戻る


読者からの手紙

簡単料理と家庭料理

 簡単料理は、読んで字の如く簡単にできる、時間のかからないスピードをこととする料理であるらしい。とも稼ぎの若い主婦なら、とびつきそうな毎日の事業の時間節約、スピードをこととする簡単料理の方がいいだろう。家庭料理は、家庭を守る専業主婦の時間感覚に合っているだろう。経済的にもスーパーをめぐって安くてうまいものを創る大阪のオバハンの腕の見せどころ。
 佐賀のガバイばあちゃんのレシピは、あの生活条件の中から生み出された簡単でもあり、バアちゃんの愛の知恵のつまった家庭料理であろう。
 最近、日本橋界隈の食堂が〝ポンバシ料理〟といって注目されているという。大阪のオバハンの料理といいたいところ。
 本誌(大阪わが街レポート12号)も11号(2013年1月号)より料理のコーナーを設けた。まず、食うことからというわけだ。食うこと、さしずめ料理から食生活に反映された時代のありようをさぐることもできよう。
 家庭内の嫁・姑の確執の問題も世代のちがいから来る場合も多かろうが、互いに認め合うことによって、より深いつながりが生まれるかも知れない。2013・3・24  大阪 宮森常子


初の高裁による昨年選挙の違憲・無効判決が出た

 3月25日、広島高裁の筏津〈いかだつ〉裁判長)は、広島1、2区について「違憲で無効」とする判決を言い渡しました。
 広島1区の当選者は岸田外相(自民)、2区は平口衆院議員(同)です。彼らの当選は無効との判決が出た事は重大な事ではないでしょうか。
 野田佳彦前首相が突如解散宣言し断行した総選挙は、この高裁判決により「違憲・無効」と厳しく処断されたのです。この事は野田佳彦前首相自身が、選挙制度の不合理を是正せず違憲である解散・総選挙を断行したと、つまり憲法違反の当事者として断罪された全く同じ事なのです。これに何の疑問も呈する事なく加担したマスメディアも全くの同罪です。
 1962年以来、弁護士らが始めた一票の格差訴訟で、これまで「違憲判決」はあったが、無効判決が出たのは今回全国で初めてで戦後初の事です。
 すでに何回か「違憲判決」「違憲状態判決」を下していながら、今まで「無効」とは判決された事がなかったので、今回の判決はまさに画期的です。と同時に私にはまた何時ひっくり返されるかの疑問もわいてきます。
 この判決利用して、選挙無効の声を全国的な規模に拡大する必要があります。 (稲渕)


「主権回復の日」に沖縄県から抗議決議

3月25日、沖縄県北中城村議会は3月定例会最終本会議で、サンフランシスコ講和条約が発効した4月28日を、政府が「主権回復の日」と位置付けて、式典開催の閣議決定に抗議し、この開催撤回を求める決議と意見書を全会一致で可決しました。
 式典に対する抗議決議は、県内で初めてですが陸続と沖縄での抗議決議は行われる事でしょう。
 当然の事ながら決議文は、4月28日について「主権回復の日であるとすれば、沖縄県民は主権の主体である日本国民ではないという事になり、沖縄県民にとって到底承服できない」とその核心を指摘しています。その上で沖縄が日本から切り離され、米軍施政下に置かれた「屈辱の日」であり、基地加重負担や日米地位協定などの差別構造は今日まで続いているとして、主権回復の日と位置付ける事は「再度沖縄差別を行うものであり、断じて容認できない」としていますが、私も全く同感です。
 この一事を持ってして見ても、安倍総理のいわゆる正しい歴史認識が如何に歪んだ物であるかは明白だといわざるを得ません。まさに糾弾あるのみです。 (笹倉)案内へ戻る


編集あれこれ
 前号は12面で、量質ともよかったと思います。1面は、「東電福島原発事故から2年 まだなにも終わっていない!」と題する記事でした。2011年3月11日の震災・原発事故から2年が経過しました。放射能による健康破壊が明らかなのに、そのことを否定する医学者や科学者たち、誰も責任を取らないまま再び原発推進へと進もうとしています。これではダメです。責任追及と、脱原発へと流れを持っていかなくてはなりません。
 2・3面は、「アベノミクス 呼び込むのはバブルと家計破綻」と題する記事でした。安倍政権がやろうとしているのは、円安と株高でバブルを呼び込もうとしています。みんなの賃金は上がらず消費は冷え込んだままでインフレになると、さらに消費は落ち込みます。結局、自分たちの生活を守るためには自力による闘いしかありません。
 4面は、「オスプレイ本土初訓練」と題する記事で、オスプレイが沖縄だけではなく本土でも飛行訓練が行われるようになりました。オスプレイの低空飛行訓練は、かなり危険で民間機との接触事故の危険や墜落の危険などがあります。沖縄だけでなく本土でもオスプレイ配備撤回の運動が必要です。
 あと、東日本大震災を振り返っての記事と写真が紹介されています。写真を見ると、今も復興はなかなか進んでいないと思います。被害の大きさがあらためて確認できます。私たちは、今できることをやるだけです。特に原発からの撤退は重要です。
何でも紹介の「本当は憲法より大切な日米地位協定入門」という本の紹介では、日米地位協定は、日本の法律が適用されない「治外法権」ということが書かれています。今の沖縄の状況を見ると、まさにその通りでしょう。このような状況を変えていくことが必要です。(河野)

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