ワーカーズ487号  2013/5/1   案内へ戻る
《祝メーデー》反転攻勢は労働者の闘いで!──安倍〝右翼逆流〟政権と対決しよう!──

 民主党政権の自滅で誕生した安倍政権が増長している。マネー・ゲームに浮かれた世論の高支持率に乗じて、安倍首相は日本丸を航海図なき荒海に漕ぎ出した。
 まず日銀を巻き込んでのインフレ・ターゲット。そのマネー・ゲームで株価や為替相場、それに金利をかき回している。多国籍企業や輸出企業は労せずして巨利を懐に、ヘッジファンドや機関・個人の投機マネーを市場に呼び込んでいる。《二本目の矢》という財政主導は、旧来型公共投資による政官業利権勢力への大盤振る舞い。戦闘機改修も景気対策だと強弁する厚顔ぶりだ。肝心の成長戦略は、官僚的作文の羅列で、本音は企業の競争力強化のための「解雇の自由化」だという。
 安倍政権は、確実に政官財利権政治を復活させ、半と出るか丁と出るか分からないギャンブル経済を招き寄せている。結果的に資産バブルと輸入インフレだけが拡がり、明日のバブル崩壊と国民資産の収奪を予感させる。
 マネー・ゲームの派手な空中戦の足元では、安倍政権による露骨な反動・逆流攻勢が進行している。原発回帰、改憲策動、教育改革、それに冷戦回帰外交などだ。
 たとえば改憲策動。突破口は憲法第96条(改正要件)だという。で、何を変えるのか。自民党改憲草案では、天皇元首制、国軍保持の明記、基本的人権の制約、戒厳令等など、あの戦前体制と侵略戦争を肯定する戦前回帰を鮮明にする条項・条文のオンパレードだ。貫かれているのは国民主権から国家主権へ、非軍事の平和国家から戦争ができる軍事国家へ、権力の規制のための憲法から国民統制のための憲法へ、だ。まさにクーデターと見まがうような「レジーム・チェンジ=体制転換」だ。
 これらマネー・ゲームや戦前回帰の策動は、消費増税や医療・年金での大負担社会、解雇自由などの雇用破壊の策動と結びついている。やりたい放題を許してはならない。
 もはや利潤万能のマネー資本主義に、我が身と日本の未来をゆだねることはできない。いま求められているのは、自律的な連帯経済のネットワークを土台とする協同社会、共生社会への転換だ。それらの試みは、大震災やフクシマの復興・再生の場面でも始まっている。そうした将来展望と草の根の諸グループによる自立した協同の営為を糾合した取り組みを土台として、マネー資本主義に取って替わる社会を創り上げる以外にない。
 それらの取り組みを土台とする自立した労働者の闘いで、安倍右翼逆流政権への反転攻勢を拡げていきたい。(廣)


郵政非正規労働者の裁判に80人が結集!

 4月26日、神戸地裁で第1回目の口頭弁論が行なわれました。昨年8月、福本慶一さんに下された不当なスキル評価(一度の遅刻に210円の賃下げ)は、誰が聞いても厳しすぎる、組合活動への嫌がらせか? と思わせるものでした。始業時間直前の遅刻申し出であったにしても、事前の連絡は入れているのに、無断と判断する局側の姿勢は、非正規なら代替要員はいくらでも居るという開き直りなのでしょうか。しかも、遅刻の連絡は前日にしろと、常識はずれな返答をする郵政側に呆れ返ったのは、私だけではないでしょう。
 裁判の傍聴席は20人のみで、後の60人は法廷の廊下で列を作り、終わるのを待ちました。その後の報告集会では、弁護士さんから14%の賃下げは、労基法91条に違反し、それだけでも勝利すると言いたいが、そうはならない背景があると指摘がありました。
 それは、雇用契約に同意したから雇用が成立して働いている、このことが人事評価でも重く乗し掛かってくるということでした。スキル評価に不満でも、仕事を辞めてしまうと食べて行けない、仕方なく雇用契約を結ばざるを得ないという労働者である故の弱み? を突きつけられた感じでした。だからこそ、自ら立ち上がった者を孤立させずに、みんなで支えあうことの必要性を改めて確認した集会でした。
 集会で配布されたチラシに、「郵政もブラック企業?」と書かれていて、これは的を突いていると思いました。「違法な労働条件で若者を働かせ、人格が破壊するまで食いつぶす」会社は、真っ黒けの「ブラック企業」。同じ郵政の非正規で働く私の使命は、この「ブラック企業」の成れの果てを見続けることかなと、後2年の辛抱と自分に言い聞かせています。
 裁判での本人陳述がとても良かった、胸に響いてきたと、傍聴した人から聞こえてきました。ここ数ヶ月で、働く者の交流で招待され闘いの報告をこなしてきた福本さん。顔つきも変わり、話も上手くなったと、その成長振りに目を細め寄り添う地域ユニオンの委員長さん。若い人を温かく見守る、そんないい雰囲気の集会となりました。次回は6月12日、きっと今度も郵政OBとユニオンの若い組合員で賑やかな傍聴と集会になることでしょう。(折口恵子) 


読書室
  高橋哲哉氏著『犠牲のシステム 福島・沖縄』集英社新書
 定価777円

 原子力発電と日米安保体制とをそれぞれ「犠牲のシステム」ととらえ、ひいては戦後日本国家そのものを「犠牲のシステム」としてとらえかえす視座の提示!

 『靖国問題』の著書である高橋氏の出身地は福島県で、小学校の入学時には富岡町に住んでいた。それゆえに福島第一原発事故後の数日間は、テレビに釘付けだったという。
 高橋氏は、それまで「犠牲」の問題に関心を向け、日本と世界の政治史・宗教史等に見られる「犠牲の論理」を分析する作業をしていた。その成果が先に挙げた『靖国問題』であり、『国家と犠牲』等であった。しかし原発の巨大リスクや広島・長崎の「核」の惨禍
を知りつつも原発問題をテーマとしては追求してこなかったのである。
 「まさに虚を突かれた」「しまった油断をしていた」それが高橋氏の最初の感覚であった。事故発生から約一ヶ月後に福島に入り、その体験から最初に書いた文章が、2011年6月5日号の『週刊朝日 緊急増刊 朝日ジャーナル』に掲載された「原発という犠牲のシステム」であった。そしてこのテーマを深めて、犠牲を軸に沖縄を引き寄せて書き上げたのが、この新書なのである。
 この本の目次は、以下である。
 はじめに
 第一部 福島
 第一章 原発という犠牲のシステム
 第二章 犠牲のシステムとしての原発再論
 第三章 原発事故と震災の思想論
 第二部 沖縄
 第四章 「植民地」としての沖縄
 第五章 沖縄に照射される福島
 あとがき
 この本で執拗に使われている「犠牲のシステム」とは、「或る者(たち)の利益が、他のもの(たち)の生活(生命、健康、日常、財産、尊厳、希望等々)を犠牲にして生み出され、維持される。犠牲にする者の利益は、犠牲にされるものの犠牲なしには生み出されないし、維持されない。この犠牲は、通常、隠されているか、共同体(国家、国民、社会、企業等々)にとっての『尊い犠牲』として美化され、正当化されている」体制と高橋氏によって定義されている。
 この問題意識から、第一章では総括的な原発が犠牲のシステムとして、その概論が語られている。
 第二章では、原発が犠牲のシステムだとの具体的な各論として、第一に過酷事故、第二に恒常的に組み込まれた被爆労働と地元労働者の存在、第三にウラン採掘に伴う被爆労働と周辺住民と忘れられている戦時下に動員された旧制中学生のウラン採掘被爆、第四に放射性廃棄物の問題があげられており、3・11後にも「核のゴミ」を海外に押し付けている日本が告発されています。
 第三章は、一 原発事故の責任を考える 二 この震災は天罰か――震災をめぐる思想的な問題 に二分されており、一では「なぜ、こんなことになってしまったのか」について、無関心だったことの責任と地元住民の責任と政治的な責任が論じられ、二では石原都知事の天罰発言や震災は天の恵み発言等々の呆れた発言の思想的な分析を行っている。
 そしてこれらの発言には、政治的その他の自説を開陳する機会として天災を利用する動きがある事を的確に暴露した。そこで注目すべきは、「日本頑張れ」「日本は強い国」等々の連呼である。
 被災によって打ちひしがれた人々に対して、安全地帯に居る人々が繰り返し繰り返し求めることは、暴力なのではないか。高橋氏はこの点をこのように問題にしている。
 鈴木宗男氏との関係を問われ外務省を首になった佐藤優氏は、この事態に対応するために「国家翼賛体制を確立せよ」と訴え、総理大臣に権力を集中させて、リーダーとして全国民が支持し支える行動が必要と言い続けている。まさに危機が迫っているのである。
 第四章では、政権交代で見えてきた戦後日本の犠牲としての普天間基地移設問題を論じる事で、天皇メッセージにより戦後日本の捨て石された沖縄とこの犠牲なくして戦後日本がなかった事の可視化に成功した高橋氏は、沖縄を「植民地」と規定したのである。
 第五章では、同様の脈絡から福島を沖縄と同じく、日本に見捨てられた存在・「植民地」だと関連付けて論じられている。この中で交付金や補助金による利益誘導が地域振興に何の役割も果たしていないばかりか、原発誘致が一層の原発誘致を追及せざるを得ない構造を暴露した。そこには見えない前提としての東北差別がある。そして植民地主義を正当化する神話とその批判と将来の展望が書かれている。ここは誠に読み応えがある部分である。
 読者にはぜひご一読を勧めたい本である。     (猪瀬)案内へ戻る


色鉛筆
『無期雇用』という言葉にだまされてはいけない!


 3月1日『有期労働者1410万人』という新聞記事を見つけた。有期労働者の実態を把握するため1月に労働力調査をしたところ、厚生労働省はこれまで1200万人と推計していたがそれよりも200万人も多く、不安定で待遇が低い働き方をされている人たちが全雇用者の4分の1(26%)にあたるというのだから驚いてしまう。有期雇用という言葉は最近よく使われているが、有期雇用とは『半年や1年更新の契約社員や期間工、日雇いなど、働く期間があらかじめ決まっている雇用契約(有期労働契約)を結ぶ働き方。パートやアルバイトも、契約期間が決まっていれば有期雇用に含まれる。正社員のように、定年まで働けるのは無期雇用』という。有期雇用労働者である私にとっては非常に興味のある記事だった。
 すると次の日、新聞の見出しに『有期1410万人「5年ルール」対象』『無期雇用へ転換進むか』とあったので、またまた興味が沸き読んでいくと、4月に改正労働契約法が施工されるという。それは『有期労働契約(有期雇用)が更新されて、働く期間が通算5年を超えると、労働者が希望すれば期間の定めのない(無期労働契約=無期雇用)に変われるようになる。仕事内容に大きな違いがない場合、有期であることを理由にして賃金や福利厚生などで差別することは禁止される。契約が更新されない「雇い止め」の不安を解消し、有期雇用で働く人の待遇を良くするのが狙い』という。実際に私自身もそうだが、有期労働者たちは、契約期間が終わり契約更新ができなければ職場を去らなければならないし、次の契約が更新されない「雇い止め」にいつなるかわからない恐怖を感じて働き、契約更新を人質に取られて会社の無理な要求にも逆らえなく、賃金を上げて欲しいことも言えなくがんじがらめにされている。
 この改正労働契約法はすごいなあと思っていると、無期雇用への転換を促す「5年ルール」が実際に始まるのは2018年4月以降で、それまでは有期労働者は無期雇用への転換を申請できないという。また、企業の中には無期雇用にするのを嫌がり更新回数を制限して「5年手前」最長で4年11ヶ月での雇い止めが増える恐れや、無期になっても賃金などは基本的に以前と同じで、契約と契約の間に6ヶ月以上の空白を置くと働いた期間をゼロにする仕組み(クーリング期間)があることが3月30日の新聞記事でわかった。まったく企業側は利潤を得るために人件費をより安くして労働者をこき使おうといろいろな抜け道を考えてくるものだ。有期労働者にとっては無期雇用になるということは正社員になれるような気持ちになってしまったが、そうではなかった。無期雇用という言葉にだまされてはいけない!(美)


連載 オジンの 新◆経済学講座③ 上藤拾太郎

●働くことが所有の源
 このオジンの知る限り、「労働することが所有である」と言い出したのは、十七世紀イギリスの哲学者であるジョン・ロックだ。当時は大企業などはなく、農民や商工人はいまだに個人的経営が一般的だった。働く人がその土地や道具の所有者であったというのは自然なことだ。この考えはその後、経済学者スミスやリカードにも引き継がれ労働価値説を生みだしマルクス理論の前提となった。
 これは人間社会を紐(ひも)解く大発見だ! 
 働くことがその成果の所有者であることは当然のことではないか。その土地を耕していればその人が収穫を得る。だから喜んで働くし、土地に強い愛着をもつ。その事をみんなに認めさせれば「所有」は成立する。だから当時の勤労者が、土地や職場の所有を認めさせようと領主や地主などと闘ってきた。所有はその結果なのだ。これはイギリスだけのことではない。

●働いても所有できない? 
 ところが、今はどうだ。近所の豆腐屋のS夫婦や印刷屋のDちゃんは「自分の会社」というきもちを強く持っている。だが、君たちサラリーマンが「オレの会社」なんて考えることはまずない。毎日働いていても「自分のもの」という気持ちにはなれないのだ。働くことが「自分の物」という気持ちを起こさせるはずなのだが。
 そもそも普通の企業は株主が「所有」してることになっている。一握りの取締役が会社の運営をしている。プンプン臭わないか? そうだ、「働くこと」と「所有すること」が切り離されてしまったんだ。
 働かなくても「所有」する人と、働いても所有できない人がいるということだ。君はサラリーを受け取って会社で働いているが、わるいが長年いくら働いても自分の会社になるわけではない。そんな仕組みになってしまった。
 会社に雇われて働くことは、所有する目的や喜びがなく、感動に乏しい。そんな仕事は味気ない。むしろストレスに感じることも多い。そうだろう? 新卒者の離職率は三割にものぼるが、今世間を騒がしているブラック企業だけのせいではないだろう。
 しかし、変に納得しないでくれ。本来、働く者が所有するべきだし、そうであってこそ前回述べたように働くことがボランタリーとなるのだから。
       *    *    *    *    *
 オジンなりに歴史を調べると不思議な二重螺旋(らせん)が浮かび上がる。人類の歴史は所有をめぐる闘いだ。つまり働く人々から所有権を奪う闘いと、働く人々が所有を回復する闘いが連綿と続いている。
 今日は少し熱く語ったかな。(つづく)案内へ戻る


コラムの窓・・・「豊かな社会」と言うけれど?。
 
 「豊かな社会を目指して」とよく言われるが、「豊かな社会」にも色々あるようで、人それぞれのようである。
 原発建設で利益をもくろむ財界からは「豊かな生活を維持する為には原発は必要」と言うし、一方では、「日本は既に十分豊かな社会なのだから、経済成長ではなく幸福をめざすべきだ」と言う意見もある。
 双方に共通するのは、今は「豊かな・・」時代だと言うことである。そして、そのような「豊かな生活」を送り、維持する必要があるか無しかの意見対立ともなっており、「豊かな生活」とは何なのか?本当に豊かな生活を送ってきたのか?問う必要がある!。
 豊かさとは 「物質的豊かさ」と「精神的豊かさ」があると言われているが、「十分豊かな社会」とは何なのか?「幸福」とは何なのか?ものがたくさんあるのが豊かなのか?人間関係や健康状態をよくすることで、個人の精神的な安定が幸福なのか?一見わかるような気がするがどうもスッキリこない。
 その国の経済力の目安としてあげられる国内総生産(GDP)では、日本は米国と中国に続く世界3位で、一人当たりGDPでは、中国よりも8倍以上高いし、世界でも上位20位以内に入っている。他の国との比較論として、日本が「豊かな生活」だと主張する根拠ともなっている指標だ。しかし、日本の財政状況は「政府債務残高の国内総生産(GDP)比が220%を超え」「国と地方を合わせた長期債務の残高は940兆円に上り、対GDP比では、米国(約109%)など他の主要国と比べて突出して悪い状態」だと言う。「豊かな・・」の裏にある、その国が抱える財政事情や借金はどう説明するのか?借金で支えられている「豊かな生活」とはいったい何なのか?そう主張する人は説明する義務があるのではないか!
 「豊かな生活を維持する為には原発は必要」という原発推進派の主張は、「豊」さを保つ為には絶えず成長続ける経済成長が必要で、そのための電気エネルギーの供給を原発でまかない、原発需要による経済効果など“核”開発によって「豊かな生活」を送れるというもので、軍事的緊張感をあおり「核抑止論」による「平和の維持」の為に、国家による(軍事産業などの)需要の創設をはかろうとすること(財政支出による景気の高揚をはかるアベノミクスもそのひとつ)とも共通する。
 しかし、武力均衡による見せかけの平和ではない真の平和は“核”に頼ることなくできるように、電気エネルギーもまた原発だけでなく得られる物だから、「豊かな生活」の為には「原発は必要」と決めつけはどうかと思う。
 原発の利用で、今、明らかなのは、原子力という膨大なエネルギーの存在とそれを十分に制御できないという人間の力の限界がある以上、核兵器の保有を含めて原子力エネルギーの利用は、一歩間違えれば、人類滅亡と言うこともあり得ると言うことだし、狭い国土に人口が密集し、地震大国である日本ではそのことをも考慮すべきと言うことではないか。
 「豊かさ」とか「幸福」と言った概念は物の生産力や社会構成など時代やそれを感じる個人差によって違ってくるものだが、今の私たちは豊かさを実感し得ていないのではないか!毎日忙しく働き続けているのに、格差は広がり、仕事の不安定さにも直面しており、イジメや自殺と言ったニュースは後を絶たない。
 物やお金では換えられない何かが足りないと感じ、物は豊富だが精神的幸福感は満たされていないと「精神的豊かさ」の欠如を主張し、「それなら、もう少し所得が減っても豊かさを実感できるような暮らし方をすべきではないか」と言う意見も出て、今より生産力が低く「ものがなかった」時代を思い「昔は良かった」とも言う人まで出てくるが、「昔」の人はその時どう思っていたのか?「モノがない」時代を満足していたとは決して思わなかったのではないか。
 今増えつつある、低賃金労働や生活保護受給者などはこれ以上所得が減ったらどうなるのか!?、「所得が減っても豊かさ」をと言う主張は、低賃金政策や給付削減を主張する財界や政府の意を一層助長し、そうした政策を助けることにもなりかねないのではないか。お金や物社会に反発するあまり「物質的豊かさ」と「精神的豊かさ」を対比させどちらかをとるべきだという主張は問題があると思う。
 少数の富を得る者と多数の貧しき者がおり、生産物を大量に作れば作るほどに、相対的に資本家と労働者の格差は広がり「物」が豊富になってもその溝は開く一方の現代資本主義社会。とても「豊かな社会」だなんて思えない社会だからこそ、「豊かな社会」を望むのは必然的なのだが、それを空想的で神秘的なスローガンに終わらせない為の活動は、現実に存在し起こっている貧富の格差拡大や労働者の低賃金化等、その原因を解き明かし、その解決に努力することが必要だと思うのだ。(光)


沖縄通信 NΟ35・・・4・28「政府式典ガッティンナラン」

 1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約により、沖縄は日本から切り離されて、米国の統治下に置かれた。沖縄県民は「4・28」を「屈辱の日」と呼んだ。
 2013年4月28日、沖縄は再び「屈辱の日」を迎えた。しかし、沖縄は立ち上がった。
 同日11時から宜野湾海浜公園屋外劇場で、「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」を開き、「沖縄が切り捨てられた『屈辱の日』に、『主権回復の日』としての政府式典を開催することは、沖縄県民の心を踏みにじり、再び、沖縄切り捨てを行うものであり、到底許されるものではない」と、怒りの拳を突き上げた。
 当日朝早くから次々に参加者が押し寄せ、5千人しか収容できない屋外劇場は満杯となり、中に入れない人たちがあふれて周辺の公園に座り込み、熱心に大会の報告に耳を傾けた。
 主催者発表で1万人が結集し、会場でのカンパも約130万円も集まり、熱気ムンムンの抗議大会であった。
 この政府式典「ガッティンナラン」とは、「ガッティン」は合点で、「ナラン」と合わせて「納得できない」という言い方であるが、むしろ今回は「許せない」という意味の方が強い。
 私なりに解釈すれば、この「ガッティンナラン」(許せない)には、二つの意味があるのではないか?と考える。
 まずは当然、日本政府・安倍政権を許せない怒りである。
 少しでも沖縄の歴史を学んでいれば、沖縄県民が「4・28」に対してどんな気持ちを持っているのか、解るはずである。本当に沖縄に思いを寄せれば、4月28日に「主権回復の日」の政府式典などを開催しようと考えるはずがない。
 沖縄がオスプレイ配備に反対し、10万人の県民大会を開き、41市町村すべてが反対決議をし、さらに「建白書」を安倍首相に提出しても、安倍政権は全く無視して、オスプレイを強行配備した。
 3月22日、沖縄防衛局は沖縄県民が大反対している「辺野古新基地」建設のための、公有水面埋め立て承認申請書をコソ泥のように名護の土木事務所に提出し、強引に辺野古移設を進める姿勢を示した。
 こうした下での「主権回復の日」政府式典は、まさに意図的な沖縄の切り捨ての意思表示と受け取れる。
 二つ目は、沖縄の自民・公明に対する許せない怒りである。 
 大会前に本土の人より、「4月28日大会のイメージカラーはブルーですか」との質問を受けた。「今、28日の大会に向けて宣伝活動を展開しています。28日の大会カラーは緑ですよ」と答えた。
 なぜ、このような質問が出たかと言えば、これまで日本政府に対する怒りを「県民大会」(オール沖縄)という形で取り組んできたが、今回の政府式典に対する抗議大会は自民と公明が参加しないことを表明、従って「県民大会」ではなく、野党と中立系5会派で開く「4.28沖縄大会」となった。大会カラーは「平和で緑豊かな沖縄」のイメージから緑に決定した。
 ところが、翁長那覇市長は抗議カラーとして「残念、無念、失望」などを表す紺色(ブルー)にするとの提案。28日当日紺色の旗を市役所や支所に掲げると述べた。保守・翁長那覇市長の得意のパフォーマンスで、野党に対抗する意識がでたのではないかと思う。参考のために、名護市の稲嶺市長は大会カラーである緑の旗を24日から市役所に掲げ、職員に緑のリボンを配布するなどの取り組みをしている。
 そしてもう一つ、これまでの「オール沖縄」を破壊するような自民党国会議員が出てきた。それは、安倍政権が強引に押し進めようとしている辺野古移設問題である。
 4月19日、西銘恒三郎自民党衆院議員(4区選出)は、普天間飛行場の辺野古移設問題について「普天間の危険性の除去という原点に立ち返るしかない。辺野古は万やむなし。県外移設は具体性がない。政権与党でいつまでも県外と言って持つか」と述べ、12月の衆院選の公約「県外移設を求める」を破棄した。
 続いて22日、島尻安伊子参院議員(内閣府政務官)も、2010年参院選で掲げた「県外移設」との選挙公約を撤回して、「沖縄の発展のため、日米合意に基づいて進んでいくことが道である」と述べ、辺野古移設を容認する考えを示した。
 辺野古移設の容認発言は国会議員だけでなく、県会議員の中からも出ている。3月17日の県議会の米軍基地関係特別委員会において、自民の具志孝助県議は「知事が言う『県外移設の方が現実的で早い』というのは、時代錯誤ではないか」と述べ、さらに「日米は辺野古移設を約束した。国家間が合意したのに、政府が今から県外で移設先を探すなんてあり得ない。政治家が実現性のない主張をするのは県民をだますことになる」と。
 自民県連内からは「会長経験者ともあろう方が、公約の重みを分からないのか」との批判もあるが、一部関係者からは「具志さんの言ったことは間違っていない」との声も出ている。
 4月25日、普天間飛行場の「県外移設」の公約を7月の参院選でも掲げたい自民県連が辺野古移設を受け入れさせたい党本部側と話し合いを持ったが、調整は不調に終わった。 
 東京の党本部からの圧力は猛烈であり、他の3人の沖縄選出自民党国会議員がどうなるか?また自民県連が「県外移設の」公約を堅持出来るのか?予断を許さない状況である。(富田 英司)案内へ戻る


なんでも紹介
LeT’s とても美しい福島市にある花見山公園へ Go!


 花見山公園(はなみやまこうえん)とは
 福島県福島市にある花卉園芸農家阿部一郎氏の私有地の名称です。中心市街地から見て南東、阿武隈川右岸の渡利地区の丘陵地中腹に位置します。所有者
が公園として市民に無料開放しており、特に春の花見シーズンには、多くの観光客を集めています。当園周辺の農家も花卉園芸を行っており、地区一帯で花
が咲き誇るため、「花見山」は地区全体の総称としても使用されています。

 ◇どんな花がさいているの?
 福島盆地の東縁を形成する阿武隈高地に、阿武隈川支流のくるみ川が形成した小規模な谷底平野があり、くるみ川本流とその支流の鈴ヶ入川に挟まれて樹
枝状丘陵が張り出しています。その丘陵先端部の標高約110mから約180mに当園は位置します。
 集落がある谷底平野に立つと、くるみ川流出部の殿上山(春日山)も含め周囲はぐるりと丘陵に囲まれ、その到る所で花卉園芸が営まれています。春に
は、切花出荷用の東海桜を初め、梅、桃、ソメイヨシノ、レンギョウ、ボケ、サンシュユ、モクレンそしてツバキ等が当園のみならず地区一帯に咲き誇りま
す。そのさまを写真家の秋山庄太郎は「福島に桃源郷あり」と形容し、毎年訪れました。春以外ではロウバイも冬季に見頃を迎えます。

 ◇観光地になるまで
 江戸時代から信達地方(福島盆地)は国内有数の養蚕地であり、現在の花見山公園を所有する阿部家も養蚕を家業とし、また、山から切り出した木材の販売もしていました。
 一九二九年に世界恐慌が始まると、一九三〇年(昭和五年)一月の金解禁により日本にもその影響が及んで、生糸の輸出減少とデフレから生糸の価格が暴落し、昭和恐慌が始まりました。阿部家でも、養蚕業での収入減に加えて恐慌による親戚の事業失敗もあり、家と山を手放さざるを得なくなりました。
 一方、一九二三年(大正一二年)九月一日に発生した大正関東地震(関東大震災)の復興過程で、大日本園芸組合が一九二四年(大正一三年)、東京府東京市京橋区(現・東 京都中央区)の西銀座に開設した日本初の花卉市場である「高級園芸市場」が生産者の好評を博したため、日本各地に花卉市場が開設されるようになり、福島市にも「福嶋生花組合市場」が開場しました。また、華道界では一九三〇年(昭和五年)に重森三玲、勅使河原蒼風らが「新興いけばな宣言」を起草し、自由花運動が展開されていきました。
 少しずつ山を買い戻していた阿部家は、このような背景の中で山に自生している花を採って販売するようになり、生け花用の切り花の好調な売れ行きに生計が支えられるようになりました。すると阿部家は花の栽培にも乗り出し、鍬1本で山を開墾しながら作付けを広げていきました。
 一九三七年(昭和十二年)に日中戦争が始まると、阿部家の男子も徴兵されて戦地に赴き、労働力が奪われました。食糧事情が特に悪化した太平洋戦争中には、不要不急の作物である花を栽培すると非国民扱いされるため、統制経済下で麦・豆・芋などを作って供出するようになりました。
 一九四五年(昭和二十年)八月十五日の終戦により、阿部家は開墾と花木栽培を再開しました。一九四七年(昭和二十二年)、信夫郡渡利村は福島市に編入合併されました。
 一九五〇年代後半になると開花期には山が一面の花で埋まるようになり、観光客が集まり始めました。花卉栽培の作業をしながら観光客の相手までする余裕が無かったこともあるが、戦場で多数の悲惨な死を見てきた阿部家の主は戦争で苦しんだ人たちを元気付けたいとの思いもあり、「花見山公園」と名づけて一九五九年(昭和三十四年)四月に無料開放した。また、観光客のためにトイレを設置し、東屋・展望台・灯篭などの施設も自己資金で建設、観光客に無料で貸し出す杖や傘も揃えていきました。
 その後、二〇一〇年(平成二十二年)には過去最高となる三十二万人が来園し、外国人観光客の団体も見られるようになりました。

 ◇東日本大震災発生・原発爆発
 二〇一一年(平成二十三年)三月六日(日)には三五〇〇人以上の観光客が訪れ、例年どおり花見シーズンは順調に始まりました。しかし三月十一日(金)に東日本大震災が発生。当園では一部の斜面が崩れただけで大きな被害はありませんでしたが、同地震に伴う津波で福島第一原子力発電所事故が発生し、三月十二日に1号機、十五日に2号機と4号機に水素爆発が起きました。
直線距離で約六十キロ離れた福島市にも影響が及び、環境放射線量は同日夕方から著しく増加して午後六時から七時台に二十四μGy/h(マイクログレイ/時間)に達し、その後減衰しました。
 地震・津波の被災地以外でも花見を自粛すべきという意見と、花見での飲食が被災地の復興支援になるという意見がマスメディアを通じて紹介される中、サクラの満開が近付くと観光客が集まりだし、避難者の支援のためのボランティア活動をしていた「NPΟ花見山を守る会」は、その合間を縫って四月十九日に花見山の除染作業を実施し、観光客の被曝を少しでも減らす努力をしました。
*   *   *   *    *
 福島の人々は、この時期にボランティアとして、花見山公園を訪れる観光客のお世話を笑顔でしてくれます。福島市内のスーパーには防護服が販売されており、笑顔の裏は苦しい気持ちだと思います。地震・津波そして原発被害の中、一生懸命生きています。
 花見山公園は一年中楽しめます。ぜひ訪れて、福島で一杯買い物をして現地の方を応援してください。 (宮城 弥生)


読者からの手紙
「『オール沖縄』に連帯し、真の主権を取り戻す集い」の紹介


 4月22日、「『オール沖縄』に連帯し、真の主権を取り戻す集い」(発起人・原田章弘前横須賀市議)が新宿区の日本青年館で、45都道府県の平和団体などの180人が参加して開催され、集会では「米軍基地をなくし、真の主権の地位と尊厳を取り戻すため沖縄と連帯して幅広い国民世論と国民運動を全国で発展させていく」としたアピール文を採択しました。私は、教科書検定でも闘ってきた原田前議員とは労組時代からの活動家仲間なので、この集会の事を読者の皆様にぜひ紹介したくなりました。
 この集会では、玉城義和沖縄県議が「沖縄の訴え」を報告し、オスプレイ配備問題では沖縄の保革が共闘して、県民大会などで民意を訴えてきたと説明しました。そして「一日でも長く共闘体制を延ばし、日米両政府に対峙できる体制をつくる」と述べ、オール沖縄の民意を日米両政府に訴えていく考えを示したのです。
 この集会にゲストスピーカーの一人として参加した元レバノン大使の天木直人氏は、「沖縄の基地を撤去させ、辺野古に移転させないこと。日本にとってこれほど重要な問題はない」と述べて、憲法9条を堅持し、沖縄と連帯して平和外交を展開するべきだと訴えました。そして後日、自らのブログで同じゲストスピーカーとして参加された高嶋伸欣琉球大学名誉教授の話にたいへんな衝撃を受けたと書いています。
 それは、サンフランシスコ条約第三条の抜粋「日本国は・・・北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島・・・を含む)・・・を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行なわれ且つ可決されるまで、合衆国は、これらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする・・・」のまやかしを高嶋教授が詳しく解説してみせた話です。
 その話の内容は、沖縄県では「この条項により米国は直ちに国連に沖縄を信託統治下におく提案を行い、そして国連はそれを可決すると誰もが考えていたに違いないと。サンフランシスコ条約が4月発行だから、9月の国連総会で『米国の信託統治提案』があるまでの辛抱、半年足らずで『信託統治』手続きに入ると、誰もが思っていたと。ところが、米国はその『合衆国が信託統治提案を行うまで』と言う文言を逆手にとって、国連へ『沖縄の信託統治提案』を行わなかった」「そしてそれは、沖縄の日本への『返還』1972年5月15日まで、27年間、とうとう行わなかった」事実の暴露でした。
 天木氏はこれを受けて「と言うことは、その間、沖縄県民は日本の憲法にも、米国の憲法にも保護されることなく無権利状態に置かれていたと言うことである。
 米権力に行政、立法。司法の全権を握られ半ば“無法状態”のまま、極端な言い方をすれば、“生殺与奪”の権利を、米軍に握られたままだったのである。
 この間、日本政府から『信託統治提案』要請の動きもなかったと言う。
 “それにしても米国の狡猾さと、それに対する日本政府の鈍感さにはあきれ返る。”
 “沖縄がサンフランシスコ条約発効の日が屈辱の日であるというもう一つの理由がこんなところにもあったと教えてくれるエピソードである。”」とそのブログを結びました。
 そして今回普天間基地の県外移設発言によって“孤立無援”に追い込まれ、石をもって追われるように辞任した鳩山由紀夫元首相も「沖縄の不利益が日本の国益と当たり前のように考えることは差別以外の何物でもない。そうした考えは主権回復式典に現れている。沖縄に共有し、参加者が本土に広げていくことが重要だ」とのメッセージを寄せたのです。
 まさに『本当は憲法よりも大切な「日米地位協定入門」』でも明らかにされたように、日本は日米行政協定(現在は日米地位協定)―日米安保条約―サンフランシスコ講和条約の三重構造で支配されているのです。この核心を日本が独立国だとする諸君は、どのように説明するのでしょうか。是非ともお聞かせいただきたいものです。
 沖縄県浦添市でも同日夜に120人余が参加する「『天皇メッセージ』を問うシンポジウム」が開かれ、県内外で政府の「主権回復の日」式典に抗議する声は、一部の「左翼」の際だった鈍感さを浮き彫りにするかのように着実な広がりを見せています。 (笹倉)案内へ戻る


編集あれこれ

 前号は12面で量・質共に充実していました。さて1面~4面は、自民党の「憲法草案」に反対する記事でした。安倍政権は、まずは憲法96条を変えようとしています。憲法96条は憲法改正手続きについて各議員の総議員の3分の2以上の賛成で国会が発議し、国民投票で過半数の賛成を必要としています。これを総議員の3分の2以上の賛成から過半数の賛成に変えようとしています。これだと、時の政権が簡単に憲法改正をできるようになります。
 そして、自民党の「憲法草案」は現在の個人が国家を縛るための憲法から、国家が個人を縛るための憲法に変えようとしています。これは、憲法の改正ではなく現憲法破棄、新憲法制定です。もちろん、現在の憲法にも1条から8条まで象徴天皇制が書かれているように欠陥があります。象徴天皇制は廃止されなくてはなりませんが、国民主権から逸脱するような自民党の「憲法草案」には断固として反対します。
 4面~5面は読書室で、苫米地英人著「原発洗脳・・・アメリカに支配される日本の原子力」という本の紹介でした。日本の原子力発電が、アメリカに支配されている状況がよくわかります。7面のコラムの窓では、日付の意味で4月28日が出ていました。4月28日は、私たち郵便労働者にとっては忘れられません。それは、今は亡き全逓労組が1978年年末から79年年始にかけて「反マル生越年闘争」を行なったことに対する、郵政省当局の60名を超える首切りを含む8183名もの処分があったのが、4月28日でした。私が郵便局に入ったのは、この闘争の数年後ですが反処分闘争は現場でも続けられてきました。結局、全逓労組は反処分闘争から撤退しましたが被免職者は自力・自闘で現職復帰を勝ち取りました。そして4月28日は、沖縄にとって「屈辱の日」としてあります。1952年4月28日サンフランシスコ講和条約で、沖縄はアメリカの施政権下に置かれた日です。10面の色鉛筆では、沖縄の悲惨な状況が紹介されています。こうした状況を、なんとか変えたいと思います。次号は5月1日発行でメーデーと同じ日です。次号も生き生きとした紙面にするようにします。
   (河野)

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