ワーカーズ491号 2013/7/1    案内へ戻る
低調な投票率の東京都議選
参議院選は原発推進・容認の自公の議席を大幅減にしよう!


 東京都議会議員選挙が、6月23日に投票が行われ、自民党が都議会第1党に返り咲くとともに、公明党と合わせて過半数を超えました。 都議会議員選挙は42の選挙区、127人の定員に対して、253人が立候補して争われました。投票率は43.50%で、前回を10.99ポイントも下回り、過去2番目に低い投票率となりました。自民党が候補者全員当選となる59議席を獲得し、都議会第1党の座に返り咲きました。公明党も候補者全員当選となる23議席を獲得、自民党と合わせて82議席となり、議会の過半数を大きく超えました。 
一方、第1党だった民主党は選挙前の43議席に対し、15議席と大きく減らし、共産党の議席も下回り、議会第4党となりました。 また、日本維新の会は候補者を34人立てて初めて都議選に臨んだが、2議席しか獲得しておらず、選挙前の3議席から1議席減らす結果となりました。みんなの党は7議席を獲得し、共産党は選挙前の8議席を倍以上増やし、17議席を獲得、大きく躍進しています。
さてこの結果をどう見るべきかですが、自民党や公明党が勝ったと言えるのでしょうか?けっしてそうではありません。43.5%という低投票率なのですから、有権者からすれば入れる人がいなかったということです。7月4日告示、7月21日投票の参議院選挙は、何としても今の自公に過半数の議席を与えないようにしないといけません。憲法96条改悪推進の石原・橋下の日本維新の会にも多くの議席を与えないようにしなければなりません。自公政権は、原発推進・容認ですし、TPPも推進だし、憲法96条を変えようとしています。自公政権が続く限り私たちの生活はよくなりません。自公に過半数の議席を与えないために、棄権するのではなく脱原発、TPP反対、消費税増税に反対、憲法96条改悪に反対、沖縄の米軍基地に反対する候補者に一票を投じましょう。東京選挙区では、脱原発を掲げる山本太郎さんが立候補します。是非とも彼を当選させましょう。私の住む大阪選挙区でも、脱原発、TPP反対等を主張する候補者に一票を投じます。今度の参議院選挙は正念場です。何としても、自公や維新の会などひどい政党を少数に追い込みましょう。(河野)


《ワーカーズ政策要綱は、ワーカーズの当面の「具体的」な目標であり、ワーカーズの政治潮流としての方向性・立ち位置を少しでも明確化しようとするもので、現在組織内討論を行っており、未確定なものも多々ありますが、読者からの感想や意見など多々いただければ幸いと考えここに公表致します。
 ワーカーズ編集担当池田》 

ワーカーズ政策要項(試案) 

《われわれの理念と目的》 れわれは協同経済の発展の下で自立した諸個人のアソシエーションを目指す。

【基本指針】
◆《国家・政治》
  国家・行政セクターの縮小をつうじて国家中心社会を転換し、自己決定権にもとづく当事者主権社会をめざします
◆《経済・企業》
  弱肉強食の市場原理と成長至上主義の企業中心社会と決別し、社会のあらゆる領域で協同組織や連帯行動のネットワークを拡げ、持続可能な循環型の協同・共生社会をめざします
◆《社会・生活》
  政府・行政に依存した福祉社会から脱却し、共助・連帯ネットワークの拡大をつうじて、協同労働社会を土台とする福祉コミュニティーをめざします
◆《対外関係》
  国益至上主義や偏狭なナショナリズム、軍事優先主義を克服し、国境を越えた労働者・生活者の連携で、世界と隣国との間で善隣友好関係を築いていきます
◆《労働・闘い》
  労働者・生活者の闘いによる規制・決定力を強化し、均等処遇など、働くことに付随する労働者の権利を拡大していきます

【私たちの立場と政策(抄)】
◆①独占資本による世界支配=グローバル資本主義に対抗しよう
*漁業や林業における資源保護に配慮した外国交易。
*フェアトレードの法制化(途上国労働者の強搾取の規制、児童労働の防止)
*「TPP」に反対する。「TPP」は、社会ルールの統合化など、国際的な人類史的な統合の一側面をもつが、主に日米大独占企業の利益を貫徹し、他の途上諸国の地域産業やコミュニティを解体する危険をはらむ。
*金融取引への課税強化(国際為替取引での「トービン税」の導入を目指す。さらに、為替のみならず株式、債券、先物、デリバティブなど金融取引税の導入。)。

●②地域・職場に根ざした自主的組織の拡大(協同労働)で社会の変革を目指そう
*協同組合、ワーカーズコレクティブ(ワーカーズコープ)、協同経済、「社会的企業」等の育成支援。寄付の無税化、事業収入の税率低減。起業する市民や零細企業の連帯の土台となる「協同組合基本法」の制定。
*コミュニティ形成を目的とした地方自治体支援。自立した地方住民自治の実現へ。
*地域経済と住民の雇用を維持する中小企業への支援。

●③中小企業の社会的企業化と農林水産業の協働化をすすめよう
*中小企業の健全化--地域に貢献する社会的企業へ
*地産地消・地元雇用を基本とした中小零細企業支援。伝統工芸・産業の育成。
*大資本による下請け系列化の防止法制(公正取引委員会管轄)。
*地産地消を基本とする農業の再生。農業生産の回復と雇用の確保。国内自給率の向上。(フード・マイレージの縮小を)
*日本農業の維持のため、関税障壁継続。農業経営基盤支援法の整備。畜産業・漁業も含む戸別所得保障制度の拡充。生産物の価格保証制度。漁業特区導入反対。
*「協同組合基本法」の成立の上で、集落営農その他の協同組合化。農協による農業経営を。

●④米国への政治依存から脱却しアジア中心の外交と新しい安全保障へ
*米国と一体に展開されてきた「グローバル資本主義」路線から離脱し、アジアの一員としてアジア共同体を目指す。それにともない、米国に対する政治的追随をやめ、独自の安全保障、軍事力によらない地域安全保障をめざす。
*日本の過去の侵略戦争にともなう被害者への無期限の謝罪と補償。
*日米安全保障条約破棄。日米平和友好条約の締結。
*沖縄をはじめとする在日米軍基地の全面撤去。
*韓国、北朝鮮、ロシア、ASEAN諸国等アジア諸国との平和友好条約の締結を目指す。
*自衛隊の段階的縮小・国土保全隊に再編。
*過去の外交文書の全面開示。
*領土問題の平和外交による解決。
*国家安全保障会議(日本版NSC)やツープラスツーなどのトップダウン方式の軍拡に反対する。

●⑤企業の規制を実現しよう
《市場や企業の規制強化》
*間接税の廃止、法人税の実質的引き上げ(大企業優遇税制の撤廃)。
*累進課税の大原則の再確立。富の大胆な社会的再配分へ。
*独占禁止法の厳格な執行(大資本の企業合併、市場独占、カルテル、下請けいじめの禁止)。
*「内部留保」の公開と労働者への還元。
《労働》
*性差、国籍等による雇用差別の撤廃。正規・非正規などの差別撤廃。
*企業の労働基本権の確立(とくに中小企業で労働基準法無視の「ブラック企業」をなくす闘い)。
*すべての被雇用者における定年制度の廃止。
*すべてのフルタイム被雇用者の正規採用の義務化。(「フルパート」等の非正規雇用の禁止。)
*パート労働法、労働契約法などの改正(労働条件の改善と解雇(有期労働雇い止)制限の厳格化及び違反企業の罰則の制定)。
*派遣業の段階的廃止。
*同一労働同一賃金の原則を目指す。最低賃金制度の堅持。公契約法、条例の制定。
*週35時間制労働制の確立。
*労働組合法の強化、不当労働行為の範囲の拡大、生産管理行為や政治ストの承認。公務員法の改正。
*労働基準法改正(「整理解雇四条件」の厳格化)
*求職者就労支援制度の充実。再雇用のための再教育制度の拡充。

●⑥国家・地方官僚組織を削減し監視をつよめよう
《行政組織への規制と財政再建》
*省庁幹部の公選制。
*国家財政制度の簡素化、国民に分かる財政の仕組みを。
*選挙された市民による中央・地方の行政監査制度を。
*各中央省庁上級職員の給与、方自治体上級職員の給与の上限設定。議員歳費の減額。
*大型公共投資の選別により全体としての国家財政大幅削減。(箱物行政の再点検)
*軍事費の削減。「思いやり予算」の全廃。次期戦闘機購入の中止など。

《司法・検察・警察組織の大改革で「権力」を監視する》
*国家情報公開制度の確立。(情報公開法の外交、防衛、捜査等への拡大適応。)
*選抜された市民による司法・検察・警察監査制度を。
*裁判官・警察署長公選制。
*犯罪被害者(家族)への社会的サポート。受刑者の更正プログラム強化。死刑制度廃止。
*検察、警察における取り調べの全過程の可視化。「代用監獄」の廃止。
*裁判員裁判制度の改革を通じて市民の権利を守る。

●⑦参加型の民主主義、地方自治を推進しコミュニティの活性化を生みだそう
 《民主主義政治制度の改善のために》
*選挙制度改革。立候補制限、戸別訪問禁止等々の制限・規制の撤廃。
*議会制度改革。国会における議員中心の「代表制」を廃止し、人民主権論にたつ「派遣制度」の導入を。
*小選挙区制は廃止し、中選挙区制および政党得票数に基づく議席の比例配分制度の確立。
*参議院の廃止。
*18歳選挙権。在日外国人の参政権(選挙権、被選挙権)の保障。
*政治資金規制強化。企業献金の全面禁止。個人献金の上限制度。政党助金廃止。
*天皇・皇族制度の全廃。宮内庁廃止。皇室全財産の福祉財団への移管。
*(憲法改正以外の)重要政治課題での国民投票制度を。住民投票の一層の活用を。
《地方自治の深化・定着を》
*住民・市民参加による地方自治権の確立。
*地方自治法を廃止し、「地方自治基本法」の制定を。(現在の地方自治法が、都道府県、市町村に同質同内容の制度を押しつけていることは現実的ではないし、真の地方自治とも相容れない。)
*自治体間格差を拡大防止として、ナショナルミニマムの堅持。
*請願・陳情・住民監査等々の条件の緩和。市民・住民参加の手段・方法の拡大。

●⑧被災地復興、福島原発事故の責任追求、賠償義務の履行、健康調査・治療の誠実な実施を
*被災地への継続支援。復興資金の確保。さらに復興のために地域的力を結集する。ゼネコンや企業誘致ではない、新しい復興の道を歩む。コミュニティ再生と結びついた長期の展望に基づく、地域連帯型・協同形経済を支援・推進する。
*国と東電による福島原発被害の全面保障。放射能汚染物質の除去、安全な管理・処分と、内部被曝対策・健康診断や健康調査の実施。原発事故と被害拡大の責任の徹底追及。保障問題以後の東電の解体。

●⑨新たな社会ビジョンのもとで、地域分散型の再生可能エネルギー政策への転換を
《産業の源であるエネルギーの産業の大変革--新しい国の形》
*脱原発。国家と各電力会社の責任で原発解体・廃棄。電力会社の地域独占打破。発送電分離。
*地球温暖化防止策。長距離送電のムダの除去。巨大エネルギー設備の集中の緩和・分散化を図る。地域の安全と経済効果。人口の分散化も図る。
*再生可能エネルギーの普及によるエネルギーの地産地消を目指す。地域振興のためにも、地域的エネルギーの開発と普及。風力、太陽光、地熱、小規模水力、バイオマス等環境対応も踏まえた道を歩む。
*さらに「地域エネルギー」に応じた新しい国土作り計画。
*脱石油エネルギー。再生可能エネルギーをテコにエネルギーの自給自足を「国」レベルでも追求する。
*国内でも国際的にも、必要調達物資の「コスト」ではなく「マイレージ」を節エネの視点からチェックし、環境への負荷を削減する。

●⑩資本の乱開発、環境汚染に抗し自然環境をまもろう
*森林の保護、木材輸入規制。
*環境アセスメントの強化。従来型の「事業アセスメント」から戦略的アセスメントへと進展を目指す。

●⑪国家や企業あるいは「家」やジェンダーなどの支配・拘束に反対し、個々人の人権を拡張し高めよう
*「国旗・国歌法」を改訂し国旗・国歌としての「日の丸・君が代」を廃止。
*学校におけるいじめ問題・事故問題等に関する教育機関の外部監査・情報公開を。
*女性の社会進出のための条件整備。夫婦別姓での婚姻の法定。堕胎罪(刑法)の廃止、母体保護法の廃止。
*男女共同参画社会基本法の全面実現化。
*人権問題。部落差別、児童虐待、ドメスティックバイオレンス、「ホームレスいじめ」、パワハラやセクハラ防止のための教育広報支援。差別や虐待事件の徹底解明。
*市民の権利を守る自主的運動・NPOの支援。
*妊娠出産・子育てする父母がともに利用できる休暇制度の拡充。家庭内介護の場合も同様。育児介護休業法の充実。乳幼児の医療費の無料化。
*青少年問題。義務教育の無償化。高校・大学・短大・専門学校等教育費の負担減のための、無利子の教育資金制度。ボランタリーで自立的人格の涵養。被雇用者のためのボランティア休暇制度。地域に根ざしたスポーツ・芸能・趣味のサークルの普及支援。
*犯罪、自死、独居死をおこさせないコミュニティ形成。

●⑫社会保障・教育を住民の手に
《国民皆医療保険制度、国民皆年金制度の堅持から地域共助へ》
*パートなど雇用形態の多様化に対応したすべての被雇用者が厚生年金と健康保険に加入できるように企業への義務付け。
*地域共助型システムのモデル事業支援。コミュニティを成長させるための法的財政的支援。
*最低賃金制度、個々人の最低の社会生活を支えるナショナルミニマムの制度化。
*労働意欲のある国民の労働参加を目指す。
《住宅問題》
*共同住宅建築と管理運営、改修、転売や処分に関する制度の整備。共同所有住宅の開発推進(区分所有法に基づかない新しい共同住宅)。
*中古の戸建て・集合住宅のデータベースを確立し、良質の改修を促進し社会的評価を高め、居住の確保と自然界や社会への負荷の軽減をはかる。(スクラップアンドビルドを避ける。)
《高齢者・障害者を包み込む社会を目指す》
*「障害者権利条約」(国連決議)の即時批准。それに則した障害者基本法と雇用促進法の改正。
*障害者福祉制度。障害者の社会参加、労働参加のための財政支援。一般企業就労に関する枠の(一層の)拡大。作業場などの雇用の拡大支援。
*当事者グループや自立支援グループなどへの支援の実施。地域共助型介護。

《教育制度を市民の手へ》
*都道府県教育委員会の廃止。市町村(特別区)教育委員(長)事務局長公選制。教育委員会は、文科省より独立し教職員の任免権、予算編成権をもち、学校教育の質的向上を目指す支援組織へ改組。
*選抜された市民による学校教育監査制度の設立。
*教科書検定廃止。
*学校現場の主体性・自律性の育成。地域との連携(親たちによる学校運営への参加。学校職員のコミュニティー形成への参加)。
*社会性と新しい公共を育む学校教育へ。詰め込み教育、受験戦争、学校の塾化の抑止。
*各種の学校を地域コミュティー形成の一つの核とする。それに沿った就業教育、学制再編、大学(専門学校)の育成など。
*いじめや排除を無くす取り組み、フリースクールやシェルターなどへの支援。
*スポーツのビックビジネス化に対する規制、課税強化。→健康・親睦目的の市民スポーツ団への支援。

●⑬憲法改悪を阻止しよう 以上 (文責 阿部文明)案内へ戻る


自民党選挙公約
安倍〝毛針公約〟には踊らされない!──戦前回帰への白紙委任はお断りだ──


 6月26日、通常国会が終わり、政界は選挙モードに入った。
 その前段、安倍自民党は成長戦略や参院選公約を発表した。が、中身はといえば、企業利益優先が見え見えのバラマキ政治、それに守られる保証もない約束のオンパレード。食いついても何もない毛針公約に踊らされるわけにはいかない。戦前回帰への白紙委任を拒否し、安倍自民党政権を追い詰めていきたい。

◆期待の一人歩き

 昨年暮れの政権交代から半年あまり、なお安倍自民党への高支持率が続いている。各種世論調査では6割台の内閣支持率を維持し、6月23日に投開票された都議会選挙では自民党が第一党に返り咲き、公明党とあわせて過半数を確保した。それに参院選での投票先を自民党とする有権者も多い。安倍自民党は、参院選での勝利に自信を深めている。
 戦前回帰や原発推進の安倍政権だが、その支持率はなぜ高止まりしているのだろうか。はっきりしているのはアベノミクスへの期待であり、それがめざす経済・景気回復へのすがるような想いだろう。それは〝失われた20年〟での雇用の劣悪化や収入低下のダメージの深刻さを反映するものでもある。
 アベノミクスは、財政の大盤振る舞いと大量のマネーを市場に投入する金融緩和で、目先のマネーゲームを煽ってきた。それに浮かれたように株や不動産が跳ね上がり、それが経済全般の上向きに繋がるかもしれないという、淡い期待を振りまいてはきた。
 しかし多くの人は、アベノミクスで本当に経済は回復し、暮らしは改善される、と信じている人は多くはない。世論調査でもそれは示されている。それに、アベノミクスのもろさが早くも露呈している。株や為替相場の乱高下、それに長期金利の上昇などだ。が、アベノミクスの先行きがどうなろうとも、それに乗る以外に先行きへの希望が持てない、というのが有権者感情というものだろう。まさに閉塞感そのものが誘う闇の世界ではある。そうした事態をもたらしたのは民主党前政権であり、それだけに〝罪深きは民主党政権〟という想いにとらわれざるを得ない。

◆罪深きは民主党政権

 昨年暮れに誕生した安倍自民党政権では、消費増税や原発推進、それにTPP推進等では大きな抵抗に遭遇せず、もっぱら経済・景気対策としてのアベノミクスだけが注目されてきた。なぜそんなことになっているのだろうか。それは民主党前政権の自民党化、すなわち民主党政権の裏切りによるところが大きい。
 安倍自民党でも、有権者の抵抗感が強い消費増税などの推進姿勢は変わらないが、それが安倍政権の批判に繋がっていない。なぜなら、そうした政策は、安倍政権になってはじめて推進されたものではなく、その前の民主党政権が推進したものだからだ。民自公による〝三党合意政治〟でもあった。だから安倍自民党政権は、一面では民主党政権の路線を踏襲してきただけともいえる。消費増税に反対だったり、原発推進に批判的な意見を持っていても、それらは安倍政権批判に直結しないわけだ。それらの政策課題では自民党と民主党の対立軸が見えないので、結果的に経済・景気が上向くかもしれないというアベノミクスによる期待感だけが浮き上がってしまうことになる。
 民主党政権による裏切りの始まりは、例の「最低でも県外」発言から始まった鳩山元首相による普天間基地の沖縄県内移設容認への転換だ。次は菅元首相による消費増税。政権発足時には「財源はいくらでもある」と豪語したが、事業仕分けでも財源を確保することができず、結局財務相主導の消費増税による財政再建路線に取り込まれてしまった。
第三は、原発政策だ。福島原発事故直後には、民主党政権は脱原発路線を取る以外に選択枝はなかったし、菅内閣では事実上の脱原発路線に踏み切っていた。実情としても、定期検査などで全原発が停止していたし、節電などで電力不足の不安を乗り切ってもいた。ところが野田内閣になると原子力ムラの巻き返しで脱原発路線が揺らぎ、12年6月には大飯原発の再稼働に踏み切り、脱原発路線の軌道修正が始まった。結局は、脱原発を遠い将来の課題に追いやるような「30年代での脱原発」などという曖昧な方針に追い込まれ、その方針自体も米国の圧力などで閣議決定を見送るなど、のちの原発回帰に道を開くような姿勢に転換してしまった。
 TPPでも同じだ。野田内閣時には政府は実質的なTPP推進の方向に舵を切り、交渉参加をめざした工作を進めてきていたのだ。
 これら、安倍政権で進められている多くの政策課題は、実は民主党政権後半期ですでに既定路線になっていたもので、民主・自民の間で対立軸はない。他の課題でそれほど違いがないのなら、経済・景気で先行きの明るさをアベノミクスで演じている安倍内閣でもいいのではないか、というように推移してきたわけだ。
 が、そのアベノミクスに依存する安倍自民党政権の基盤は極めてもろいという以外にない。安倍自民党への支持は、経済指標の移り変わりに依存したものだし、その経済指標自体は、企業優先に止まっていて、家計収入や消費の増大には結びつきそうにない。各地の首長選挙での敗北も続いている。
 そうしたもろさを知ってか知らずか、自民党は参院選挙公約を公表した。この公約は、有権者からすれば痛みや犠牲に繋がる政策を覆い隠し、政策の大盤振る舞いを前面に押し出す、いはば毛針公約でしかない。

◆毛針公約

 通常国会の会期切れを前にした6月20日、自民党は参院選公約を発表した。その要旨は次のようなものだ。
  ○今後10年間の平均成長率をGDP名目3%、実質2%成長をめざす
  ○設備投資を3年間で7兆円増やし、年間70兆円の水準を回復
  ○財政赤字を15年度までに半減、20年度までに黒字化
  ○原発再稼働を明記し、輸出推進
  ○農業・農村所得倍増目標10カ年計画、新規就農者を2万人に倍増
  ○育児、40万人分の受け皿(17年度末)
  ○憲法改正発議要件を過半数に
 この参院選公約の前、6月5日には、政府の成長戦略第三弾が打ち出されている。その柱も次のようなものだ。
  ○インフラ輸出30兆円
  ○食料輸出を1兆円規模に
  ○設備投資を70兆円規模に
  ○1人あたりの国民総所得を150万円増
  ○電力関係投資を30兆円規模に
  ○12兆円規模の民間資金の活用
 こうした政府の成長戦略や自民党の参院選公約の一つ一つを分析するスペースもその必要もないが、特徴を端的に言えば、次のようにいえる。
  ○これまでの内閣による成長戦略でも使われたような、省庁が持ち寄った政策の寄せ集め集でしかない。
  ○それぞれの省庁にとっての政策目標を列挙するだけ、財源の裏付けや実現までの段取りが欠落している。
  ○対象期間が長めに設定され、目標期限が首相や議員の任期を超えて設定されている
  ○財源も含めて、数値目標がない
  ○有権者の負担や痛みが隠されている
  ○恩恵は企業に、負担は勤労者に
 この政府の成長戦略は、その中身の乏しさなどから市場での株の失望売りに見舞われた。成長戦略発表とまさに同時並行的に、6月5日の東京株式市場では、前日比で518円安を記録した。市場も正直なものではある。
 実際、成長戦略や選挙公約は、設備投資減税など、企業優遇策が突出し、勤労者には負担増だけが押しつけられている。いずれは労働者にも恩恵が廻ってくるとは付け加えているが、その仕掛けはどこにもない。むしろ失われた20年での実績が示すように、企業利益は膨らむ一方で勤労者の家計は目減りし続けた現実が繰り返されようとしている。安倍公約の特徴は、いつでも企業に優しく、勤労者に厳しく、だ。

◆白紙委任は拒否だ!

 安倍内閣の成長戦略や自民党の選挙公約は、公約の大盤振る舞いで票をかすめ取ろうとするものという以外にない。実現の見込みもない、集票目的の毛針公約でしかない。負担や痛みを隠すことで有権者をだまし、目標時期を遠い将来に先送りすることで、責任を問わない、無責任公約ともいえる。
 安倍自民党の看板は、アベノミクスだ。目先の景気を刺激して経済の先行きへの期待を煽ることで安倍自民党に引きつけようとしているが、アベノミクスで浮かれているのは、それで恩恵を受ける企業や富裕層だけで、普通の労働者や生活者にまで恩恵が廻ってくることはない。始まっているのは輸入インフレによる生活必需物資の値上がりであり、来年に迫った消費増税や、各種負担の引き上げだ。大負担時代はまさに現在進行中なのだ。
 安倍自民党は、参院選で勝利して衆参ねじれ国会から脱却し、改憲などによる戦前国家体制への回帰を目論んでいる。アベノミクスだけでの投票は、安倍自民党に改憲などのフリーハンドを与えることに繋がる。白紙委任などはとんでもないことだ。安倍毛針公約を見抜いて、「自公で過半数」をなんとしても阻止していきたい。(廣)案内へ戻る


色鉛筆  出生率1・41に

 1人の女性が生涯に産む子どもの数を示す合計特殊出生率が昨年は1・41となり、前年よりわずかに0・02?上回った。(表参照)出生率は1970年代後半から長く減少が続き、05年に過去最低の1・26まで落ち込んだ後、30代になって出産する団塊ジュニア世代の女性が増えていることが影響してゆるやかに回復傾向にあるという。しかし、人口を維持するのに必要な出生率2・07を大きく下回っていて、このままでは人口が減り続けろ事は避けられない。現に高齢化の影響で、死亡数は前年より3188人多い125万6254人にのぼり、人口の自然減は21万9153人となり、07年以降、減少ペースが加速している。(表参照)
 少子高齢化問題は、今に始まったことではなく自民、民主党の政権が根本的な解決をしないで、場当たり的な政策を繰り返してきたことが問題を深刻化させている。自民、民主党政権は、小子化対策としてエンゼルプラン、待機児童ゼロ作戦、子ども手当(現・児童手当)支給、認定こども園創設等々、さまざまな政策を行ってきたが大きな効果は出ていなく、待機児童問題はここ数年大きな社会問題になっている。
 そして、安倍政権は「少子化危機突破のための緊急対策」として、子育て支援と働き方の改革、結婚・妊娠・出産支援の3本柱を決めたが、中身は相変わらず実行性のものがなくお粗末な内容だ。。子育て支援では、5年間で40万人分の保育の受け皿を確保して待機児童を解消をあげているが、その財源を消費増税の一部を使ってやろうとしている。消費増税をしなくても予算の使い方次第で保育所を増やすことはできるはずだ。さらに、規制緩和を進めて株式会社の認可保育所への参入を広げるよう地方自治体に要請する方針打ち出した。利益を上げなければ成り立たない企業では子どもや保育士にしわ寄せがいくのは目に見えており、株式会社に保育を委ねるのは間違っている。また、働き方改革では「育休3年」を打ち出したが『企業に働きかけ』というのだからあきれてしまう。働きかけだけでは何の強制力もない!育休を3年も取れるのは大企業や公務員でごく一部の女性たちに過ぎないのだから、誰もが育休を3年取れるように法制化をするぐらいの実行性があるべきだ。
 本当に少子化問題を解決しようとするならば、少子化になっている大きな要因である若者たちの非正規雇用を無くす政策を打ち出すべきだ。結婚したくても経済的理由であきらめる「非婚化」が増えていたり、30代の男性では、正規雇用だと7割弱が結婚しているのに、非正規の場合は24%にとどまっている現状をしっかり見るべきだ。若い世代の雇用を安定させ、結婚して子どもを2~3人産んでも安心して暮らせる社会を誰もが望んでいる。(美)


「沖縄通信・NO37」・・・「慰霊の日」と「高江の裁判判決」

1.安倍首相らに追悼式出席の資格はない!
 沖縄戦から68年、沖縄は「6・23慰霊の日」を迎えた。
 糸満市摩文仁の平和公園で「2013年沖縄全戦没者追悼式」(米国施政権下の1952年に初めて開催され、現在は県が主催)が行われた。
 今年の追悼式にはなぜか、政府等から様々な人物が出席し例年とは様相が。政府の出席者は、安倍晋三首相や山本沖縄担当相、伊吹文明衆院議長、平田健二参院議長のほか、閣僚から岸田文雄外相、小野寺五典防衛相が初めて出席した。そして、ルース駐日大使が1995年のモンデール大使以来、18年ぶり2人目の式典出席。さらに、日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長も式典出席。(橋下氏は主催者の県から招待されておらず、自主的な参加)
 安倍政権が普天間飛行場の辺野古移設を強引に推進する中で、閣僚らが大挙して出席した事について、多くの県民は「外相、防衛相、米大使の同席は過去になかった。なぜか。首相の追悼の言葉も県民のひだに染みこむものはない」と。
 安倍首相らの参列に対して平和祈念公園前で抗議行動を実施した「平和市民連絡会」は、抗議声明の中で次のように述べている。
 「これほど大挙して沖縄に押し寄せてくる異様な陣営は、これまでなかったことです。慰霊の日には似つかわしくない軍服の『国防軍』の敬礼を受ける『安保担当閣僚』らが遺族の前に立つことは、『日本軍』によってもたらされた沖縄戦の遺族の苦難の歴史を切り捨てるばかりでなく、犠牲者をも冒涜するものです。沖縄の心=遺族の鎮魂の祈りと平和への希求とは、決して相容れるものではありません。」
 最後に、沖縄戦に関する書物はたくさん出版されているが、次の一冊を是非読んでほしいと思い紹介する。1977年6月15日に初発行され、これまで51刷も発行されている「ひめゆりの塔」(石野径一郎著、講談社文庫)である。

2.高江通行妨害訴訟・・・二審も「妨害」認定
 6月25日午後1時30分、那覇裁判所に高江通行妨害訴訟の控訴審判決を直接聞きたいと、支援者を含め約120人以上が並び、傍聴抽選が始まった。35人しか法廷に入れなかった。
 午後2時開廷。判決「本件控訴を棄却する。公訴費用は公証人の負担とする」との、今泉秀和裁判長による主文のみの言い渡しで、弁護団から「判決理由を示して下さい」との抗議の声も出たが、裁判長は無視し開廷から約1分で閉廷。
 米軍北部訓練場の一部返還に伴う東村高江でのオスプレイ着陸帯の建設現場付近で反対運動をしている高江住民の伊佐真次さん(ヘリパッドいらない住民の会・共同代表)に対し、沖縄防衛局が通行妨害禁止を求めた訴訟で、福岡高裁那覇支部(今泉秀和裁判長)は、伊佐さんの抗議活動を「違法な所有権侵害に当たる」と判断し、妨害禁止を命じた一審の那覇地裁判決を支持して伊佐さんの控訴を棄却した。
 この東村高江への新しいヘリパッド建設計画(オスプレイ訓練のための着陸帯)に、高江住民は「自宅から400メートルしか離れていないところに着陸帯が建設されれば、演習による騒音や墜落の危険で生活が破壊される」「また、建設工事によりヤンバルの自然(貴重な動植物が多い)が破壊される」と懸念し、2007年から座り込みなどの非暴力の反対運動を展開してきた。
 国側は翌年の08年、住民の反対運動に圧力を加えるために、15人(参加していない子どもも)に対する通行妨害禁止の仮処分を那覇地裁に申請、伊佐さん2人の妨害行為が認定された。2人は不服申し立てをしたが、作業員の近くで住民らと両手を高く上げていることを理由に伊佐さんだけが妨害行為と認定された。
 こうした道路上での座り込み活動は、ごみ搬入に反対する住民やマンション建設に反対する住民が、現場で横断幕やロープを張って搬入を阻止する運動でもよく見られる。しかし、通行妨害などの事例はない。
 伊佐さんの弁護団は、暴力を伴わない個人の行為の差し止めを国が求めた今回の訴訟は「前代未聞」。表現の自由に根差した活動を萎縮させるために権利側が司法手段に訴える「スラップ訴訟」だと主張してきた。
 高江住民の皆さんは、判決に落胆しつつも、運動継続を改めて誓う伊佐さんの姿勢に、「国の圧力に屈しない」という決意を新たにした。
 「ヘリパッドいらない住民の会」は、6月30日(日)午後2時~東村農民研修施設で、「高江座り込み6周年報告会」を取り組む。
 その翌日(7月1日)から、沖縄防衛局はオスプレイパッド建設の工事再開を計画している。
 工事再開を阻止するために、高江に結集してほしい。(富田 英司)案内へ戻る


コラムの窓  政治家や政府高官へ、事実隠蔽による被抑圧者や災害被災者への冒涜をやめよ!
 
 言いたいことが言えると言うことは良いように思えるのだが、個人的な思惑で史実をねじ曲げたり、発言者に意図はなくても他人を傷つけることは多々あり、気を付けなければならないから、勝手気ままに好き勝手言うことが全て良いわけではないことは常識だ。
 ましてやそれが政治家や政府高官から発せられると言うことは、その国の政治の方向性やあり方にも影響する重大な問題であると言うことを含んでおり、その発言が政治的・社会的弱者や被害者に関することなら、政治的・社会的強者によるおごりであり、被抑圧者への強要と冒とくであると思うのだが、それを分かっていない政治家や政府高官が多々いることは残念でならない。
 最近行われた発言としては、復興庁法制班の水野靖久参事官は「原発事故子ども・被災者支援法」の担当をしているがツイッター上で、被災地や市民団体、「子ども被災者支援議連」の議員に対して、「左翼のクソども」「虚言癖」といった中傷めいた発言をし、不謹慎な発言を繰り返していたこと。
 自民党の高市早苗政調会長は6月17日、神戸市の党兵庫県連の会合での「事故を起こした東京電力福島第一原発を含めて、事故によって死亡者が出ている状況ではない。安全性を最大限確保しながら活用するしかない」との原発再稼働を目指す考えを強調するあまり、原発事故により多くの避難者が出ている現状で「死亡者が出ていない」との理由を挙げて、再稼働方針を強調する姿勢を示し、福島県内のほか、与野党から批判が噴出。二日後の19日には、「原発事故によって死亡者が出ている状況ではない」と述べた自らの発言について「福島のみなさんがつらい思いをされ、怒りを持ったとしたら申し訳ないことだった。おわび申し上げる」と謝罪し、「私が申し上げたエネルギー政策のすべての部分を撤回する」と語ったこと。
 維新の会代表で大阪市長の橋下徹氏の「従軍慰安婦」容認発言などであるが、過去を探せば幾多の政治家や官僚が歴史をねじ曲げ、事実を歪曲化し、言いたいことを言ってきたか・・・・数え切れないほどあるだろう。
 発言した当の本人は、マスコミに「一部分だけ取り上げられ」、自分が言わんとしたことを「曲解」されて「報じられ」「真意は違う」と言い訳けするのだが、マスコミが「一部分だけ」しか報道しないのは至極当たり前の話で、報道規制やマスコミ各社の報道方針に反しない限りは、通常、聞き取った記者が感じたことを発表しているだけなのだから、「曲解」し受けとめられたとしたならばそういう風に取られる発言をしたと言うことであろう。実際、世論の動向によっては、言い訳をした後で「謝罪」をし「撤回」もしているのだから、マスコミ報道が全て「曲解」でなかったと言うことは明らかである。
 原発にかんする自民党の方針は、参院選公約の最終案で、再稼働について「地元自治体の理解を得られるよう最大限の努力をする」と推進する考えで、高市氏は産業競争力の維持には電力の安定供給が不可欠としたうえで、「原発は廃炉まで考えると莫大(ばくだい)なお金がかかるが、稼働している間のコストは比較的安い」と語るなど、原発再稼働・推進派なのである。 原発による被害やリスクなど彼女には重く考えたくはないだろう事はうかがえるし、そうした姿勢が発言に現れたとも言えるのである。水野参事官の行為も一向に進まない原発事故被災者支援に対する被災者からの反発に自分の任務を放棄し腹いせ的にツイッターで中傷して鬱憤ばらいしていた事は、被災者支援を適当に終え福島原発事故処理を早く終わらせたいという政府と行政側の姿勢がうかがえる。
 橋下氏の「従軍慰安婦」発言も「戦場の性の問題は、旧日本軍だけが抱えた問題ではありません。第二次世界大戦中のアメリカ軍、イギリス軍、フランス軍、 ドイツ軍、旧ソ連軍その他の軍においても、そして朝鮮戦争やベトナム戦争における韓国軍においても、この問題は存在しました」「当時、慰安婦制度が必要だったことは誰でもわかる」「沖縄に行った時に、(米軍)司令官のほうに『もっと風俗嬢を活用してほしい』と言った」などと発言し、当時の慰安婦制度を擁護しているわけではなく、慰安婦制度は「必要悪」だったと言いたかったかもしれないが、「慰安婦のような制度が必要なのは、誰だってわかる」と言った以上「従軍慰安婦」を認めたことに変わりはなく、弁解の余地はない。
 維新の会代表橋下氏らの独りよがりは「日本」を擁護するあまり朝鮮や中国を侵略し朝鮮人や中国人に与えた悲惨な行為をしたことを史実から故意に忘れているか無視していることである。
「従軍慰安婦」の実態についてはワーカーズ490号の『色鉛筆・・「慰安婦」ではなく「日本軍性奴隷」そして「強姦所」と表記すべき』にも記されているように日本軍が関与した「日本軍性奴隷」そして「強姦所」であったことで「必要悪」といったものでは決してなく、史実として決して忘れてはならないことなのである。
 私たちは政治家や政府官僚の発言から彼らが目指し行う社会や政治を理解するが、その発言や行為が政治的・社会的弱者を一層おとしめるものや史実をねじ曲げるものに対しては断固として反対し闘ってゆかねばならないが、より多くの人々がより豊かで平和な社会で暮らせるように私たち自身が知識を蓄え、偉い政治家や官僚に負けないよう努力しようではありませんか!。(光)


紹介・・-私たちはどのような家族を望むのか-

 最近、テレビで「家族ゲーム」という、連続ドラマを見ました。毎週ハラハラドキドキで、家族が家庭教師によって崩壊していく様は衝撃的なものでした。ある意味、病んだ現代社会を基盤にしている家族のあり方を問うものでした。
 そんな折、自宅で整理していると家族をテーマにした冊子を見つけました。西宮の男女共同参画センター「ウェーブ」の発行で、もう10年前(2004年)くらいのものでした。しかし、その内容は、今一度、家族のあり方や意味を考えるきっかけを作ってくれました。
 家族を構成する役割には、夫・妻・息子・娘・祖父・祖母・孫など、色んな立場からそれぞれが関係を築いています。血縁関係にある者同志の集合体とも言える家族、これを否定し、友達同士や同じ目的を持って集まり、共同体のような形態で生活を営んでいる人たちもいます。
 この冊子に紹介されている村本邦子さんは、「女性ライフサイクル研究所所長」を務め、心理学女性学博士の資格を持ち、立命館大学応用人間科学研究課の特別任用教授という肩書きのある女性です。村本さんによる家族の分析は、家族であることで引き起こす様々な問題を紐解いてくれます。では、村本さんの言う「つくられた家族イメージにとらわれ、親密になれない家族」を、見てみましょう。

 「家族はもっとも親密な人間関係の小集団と考えられますが、カウンセリングの現場からみていると、本当に家族は親密なのだろうかと疑問に感じることが多いのです。親密というよりも、境界線が曖昧で、お互いに勝手な理想像を押しつけ合っているような気がします。個として尊重し合えず、『家族の役割』を演じている。親の期待する子ども役割を強いられている子どもたちは、本当の自分を表現することができず窒息しそうな状態です。
 親密さは、家族なら当たり前というものでも、自然にできるものでもなく、生活をともにする中で生じるさまざまな感情の共感を積み重ねて、つくっていくものです。共感は、相手の気持ちを尊重する対等な関係がないと生まれません。ところが親子関係となると、親の側の意識には、子どもは親に従うのが当たり前という考えも根強く、子どもと対等に親密な関係をつくろうとするよりも、親役割を重視するあまり管理者の立場になりがちです」(お互いに理想像を押しつけあっている)。
 4人の娘の子育てを経験して、特に気をつけたのは健康面です。食生活がどうあるべきかは、精神面にもつながる大事なことです。親であることは、確かに、子どもが成人するまでは責任を伴うため、躾と称して従属させようとしてしまう傾向があると思います。子どもである前に、一人の人間として位置づけることが、冷静に対応できる術ではないでしょうか。
 「今の子どもたちは表面的な会話はするけれども、感情をうまく表現することができません。例えば、自分がいやだと感じていることを、そのとき『いや』と言葉で伝えられなくて、心の中にためていく。やがて何かの引き金でいきなり『死ね』『失せろ』と非常に過激な言い方をしてしまう。実際にはそこに至るまでのいろんな傷つきがあります。
 子どもが転んで泣いているときに、親や周りの大人から『痛かったね』という言葉をかけてもらうことで、子どもは『痛い』という感情を習得していきます。ところが現実は、ぐずぐず泣いていると、気持ちを無視され、早く○○しなさい、と次の行動を促されます。そのようなことが続くと『痛い』という感情と、『痛い』という言葉がつながらなくて、自分の感情を言葉にして相手に伝えることができなくなるのです。とくに、早い、しんどい、いやだ、したくない、といった否定の感情表現は、親の期待を担う『良い子』役割を演じている子どもほど、押さえつけてしまうのです。感情を表現するというのは、とても文化的な作業です。共感する、しないという以前に、感情を伝えることを学ぶ機会が奪われるているのが現状です。
 実はこの問題は根が深く、今の子どもたちの親世代が、既に感情表現をもたない子どもとして育っているので、親自身が感情を伝える術をもっていないのです」(感情表現ができない子どもたち)。
 なぜ、感情表現をもたない子どもが作られていったのか? それには、高度経済成長期の核家族の「幸せ家族モデル」が、みんな同じ家族像を求めることにあったと、筆者は指摘しています。母親は家事育児を担う優しく、かいがいしく家族の面倒を見る役割に、父親は家族を養う大黒柱として強く頼もしい役割、子どもは親の望む役割を期待される。役割が優先されるあまり、一人ひとりの気持ちや感情を切り捨ててきてしまったということです。
 日本社会が、心の問題を取り上げたのは阪神淡路大震災後。戦後は経済優先で、一人ひとりの感情(寂しい、辛い)は社会全体で封じてきたのだと、単に、個人の問題に解消するのではなく社会の構造からの筆者の分析に、私は初めて気づかされました。
 「家族の中でお互いの細やかな感情を大事にしていけば、役割は演じきれるものではないことがわかります。したくないこと、できないことに対して『だって・・・』と自分の気持ちを伝える雰囲気があるかどうかです。相手の言葉に耳を傾けられるかどうか。役割ではなく、相手の立場になって感情を受け容れていくことが家族の中の『個』を尊重しつつ、親密な関係をつくっていくことになります。
 辛い、悔しい、いやだ、ノー、という感情は決してマイナスの感情ではなく、情緒豊かな人間性を育てるために不可欠なものです。つくられた家族イメージにとらわれると、家族のそうした感情の行き場を奪ってしまいます。『幸せ家族』は決して一つのかたちではなく、誰かから与えられるものでもありません。お互いの感情を言葉で伝え合うことができ、個と親密性が共存する関係を模索する家族の数だけあるものです」(個と親密性が共存する関係)。

 10年経て、家族の形態はさらに多様化し、家族を持たないシングル世帯やひとり親と子ども世帯などが増えてきています。シングルであれば、家族の問題で悩むことはありませんが、孤独であることでの精神面での負担や、社会とのつながりが無い(無職)場合などであれば、新たな問題が生じる可能性があります。これまでの親子の関係(子どもへの虐待・不登校・引きこもり)、夫婦の関係(ドメスティック・バイオレンス)はもちろん、高齢社会が進んだ今では老老介護など、新たな問題が起こってきています。
 そんな中、「憲法改正」が打ち出され自民党改正草案もすでに提出されています。本来、憲法は国家権力の暴走を防ぎ縛るためにあるのに、私たちの生活を脅かす方向に迫ってきています。具体的には、家族・婚姻に関する条項では、24条があげられています。
 現憲法にはない、新たな項目で「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」を、わざわざ強調しています。この狙いは何なのか? 本来、社会が保障すべき介護・医療・教育などの経費を削減するために、その負担を各家族に押し付けようとしているのは誰の目にも明らかです。それを決定付けるために「改悪」された項目は、
「家族・扶養・後見・婚姻及び離婚、財産権、相続並びに親族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定しなければならない」
 現憲法と比べてみましょう
「配偶者の権利、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、(以下は同じ)」
 改悪草案に見る、扶養・後見などは、老人介護やハンディのある人の介護のことや、親に扶養を強いるニートのこと、そして最終目的は生活保護の縮小・切り下げを謳っているのでしょう。そして見逃してはならないのは、現行憲法の第97条「基本的人権の本質」を削除していることです。人権規定を削除するとは、驚きと同時に怒りを覚えざるを得ません。家族の問題から憲法改悪の問題へとなりましたが、皆さんも今一度、考えて見て下さい。(折口恵子) 案内へ戻る


連載  オジンの新◆経済学講座⑦ 上藤拾太郎

●二つのギブアンドテイク
 互酬性というものは「弓をもらったので、次の機会に矢をあげた」という事だ。ギブアンドテイクである。しかし、単純な商品交換もまたギブアンドテイクだ。「弓と矢を交換した」というのがそうだ。一体どこが違うか、君は分かるかな?
 互酬性は物の交換であっても、一旦はどちらかが犠牲を払う。そしてその貸し借りを別なときに「精算する」ことなんだ。
 だから当然、互酬性は仲間的信頼関係を前提としているし、比較的小さな集団の内部にとどまってきた。もう一つ大切なことを言おう。動物世界から発達した人間の互酬は、物の交流と同時に、「恩」や「情」といった感情の発達をともなってきた。誕生日のプレゼント交換を考えればあきらかだ。
 他方商品交換はどうか? その場で物々交換する。これは親近の関係とはいえない。
 M・サーリンズの『部族民』の例を見よう。部族Aは、親近友好部族Bとは互州的取引をする。どれだけ多くを与えたかを自慢する。
 しかし疎遠なC部族とは商品交換をする。部族民は商品交換を侮蔑的に考えており、少なく渡して多くを得る取引を自慢するという。つまりこの取引は冷徹な「だまし合い」だ。
 だから商品交換は略奪行為に簡単に転化する。部族間の商品取引は武装して行われた、互酬関係では考えられないことだ。 
 
●根っこは一つ=互酬性と商品交換
 上に述べたことから「互酬性は好ましい」が「商品交換は好ましくない」下等なものと考えてはいけない。しばし善悪は棚上げとしよう。
 互酬性、商品交換そして(相互にやり合う)略奪も含めて、人類史を振り返れば、労働(生産物)の交流法であったのだ。共同体内部や親近な集団同士では互酬性が主で、やや疎遠な集団同士では商品交換が、敵対的関係の集団同士では、略奪が行われたと単純に述べておこう。そうだ、もう分かっただろう? これら取引方法は、集団同士の親・疎関係とパラレルに結びついている。
 さて、互酬性は動物にも存在するが、商品交換の例は人間だけだ。つまり、商品交換は過去に互酬性から派生的に現れたと推測できる。たとえば互酬関係のあった部族同士がやがて疎遠になり、取引方法は商品交換に変化した。とはいえ商品交換は長らく補助的な存在であった。

●商品交換が互州性に吸収される可能性
 『資本論』(マルクス)が描き出したように、活発化した商品交換がやがて貨幣を生み、さらに貨幣の持つ機能から蓄積されて資本(商人資本)を生み出した。商品交換は互酬性とは異なり広域の経済交流には適していた。
 近代以降、産業革命を経て資本は強大な力を獲得した。商品交換はもはや共同体外部の取引手段ではなく、その内部に浸透した。地域的取引をも商品貨幣関係に置き換えた。つまり、互酬的な仲間関係を分解して、よそよそしい他人関係や敵対関係を社会の隅々まで持ち込んだのである!これが商品交換の歴史である。 
 しかし、これと逆のこともサーリンズの『部族民』の例から直感されるだろう。かつての敵対的勢力と商品交換を通じて相互関係をつくり、集団同士の親近性を増しさらには互酬的関係へと移行することだってあったはずだ。まさにこのことが、新自由主義全盛の現在、深く進行している。
*   *   *   *   *   *
 現代社会では互酬性も大いに変化するとオジンは見ている。大震災時ボランティアは見ず知らずの人たちのためにこそ行動した。寄付は全国から、全世界から集まる。ボランティアや寄付は互酬性ではないが、そのヒューマンな親近感は「新しい互酬性経済」の土台であるとオジンは理解した。
 現代の互酬関係は、地域や親戚や友人であると同時に、支援や交流を望む広範な「他人」でもあり得るようになってきた。この事実こそ未来を照らす! 協同組合、NPO、社会的企業、ソーシャル・ビジネスなどはその先駆的な存在ではないか。そこでは商品・貨幣取引ではあっても敵対性が消え失せていて、利潤原理が機能しないのだ!あとで具体的に検討すべき課題だ。 (つづく)


読者からの手紙
民意とは

 東京都議会議員選挙の投票率は43・5%で50%に達しなかった。最近の選挙結果を見ると投票率50%に達しなくても市長や議員に当選する政治家が多々いる。 道路建設を巡って住民投票が行われた東京都小平市では、50%に満たないとして開票もされなかった。その市長が当選した時の投票率も50%を下回っていたのだから、開票せずに無効とし、再市長選をやるべきだと主張もできるのだが、「民意」の判断基準と選挙制度の欠陥(国民投票法には投票率の制限はない)を指摘せざるを得ない。
 先の衆議院選で、得票数では政権を民主党に渡した前々回の総選挙より少なかったのに、当選者数は増え、政権党に復帰した自民党が、発議要件を国会議員の3分の2から過半数に変更しようとする憲法96条の変更を提唱している。国家の基本法を少ない「民意」で変えようとしているもので、民主主義とは明らかに逆行している。こんな政党や議員が大手をふるって「民意」を代表しているかに思わせている世の中はやはりおかしい。
選挙だけでなく、デモなどの大衆行動による大衆的なアピール行動を自由に行うことができる環境をつくり、真の「民意」を示す機会を創り出してゆこう。(M)

福島からのたより「わたぼうし」2013年6月

梅雨入り宣言が出されても、雨の降らない日が続いています。庭の野菜や花は、毎日、水が欠かせません。さくらんぼにとっては、今は雨はいらないのですが、それでもお天気が続くと木の根元には、水をかけなくてはいけません。雨続きでは野菜も果樹も腐ってしまうので、それよりはまし・・・と思うしかありません。
このお天気のおかげで、とてもおいしいさくらんぼが収穫されています。いつもさっぱり実のつきが良くないのですが、今年は10年ぶりくらいでたくさんの実がつきました。福島のおいしいさくらんぼ、たくさん召し上がってください。事前に放射能の検査もしていますので(不検出)安心してお召し上がり下さい。
 5月・6月は野鳥のヒナ誕生のシーズンでもあります。梨畑には作りかけの巣がありましたが・・・引っ越ししてもらうことに・・・。となりの家にはつばめが飛んできて巣を作ったみたいで、ピーピーとえさを待ってヒナの声がするけど、巣は見当たらず、よくよく見ると巣は我が家の西側の屋根の下に・・・。カベに穴をあけてピーピーえさを待っていました。実はつばめではなく、さくらんぼやりんごを食べるムク鳥(もず)でした。我が家にはネコがいるので、つばめは警戒して巣を作ってくれません。動物にも共存共栄や弱肉強食の世界があるようです。  あっぷる・ファーム後藤果樹園 後藤幸子案内へ戻る


編集あれこれ

 本紙前号は、1~3面で原発について論じています。大まかにまとめてしまうと、被曝の実態、健康破壊の危険性を覆い隠すために「原発事故子ども・被災者支援法」を骨抜きにする。フクシマは終わったこと、なかったことにすることによって、内にあっては原発再稼働を、外に向けては原発輸出を強行すること。これが、安倍政権と電力会社や原発メーカーの狙いだということです。
 6月19日の原子力規制委員会による原発の新規制基準決定もその一環です。現在稼働している関電大飯原発3・4号機は7月で止めることなく、規制委は9月の定期点検までの継続稼働を認めています。関電は高浜3・4号機の再稼働を申請するとしていますが、仏アレバ社からMOX燃料が到着し、こともあろうに関電はこれを高浜原発で使おうとしているのです。
 電事連会長でもある関電八木誠社長は、核燃料サイクルというひび割れたガラス細工を必死で守ろうとしています。愚かにも、それ以外の選択肢を持たないのでしょう。そして、安倍首相も八木に劣らず原発輸出に突進し続けています。6月16日付「神戸新聞」は〝東欧4国と原子力協定〟との見出しをつけ、安倍首相がワルシャワ市内でポーランド・チェコ・スロバキア・ハンガリーの東欧4カ国首脳と会談したことを報じています。
「(声明は)原子力に関し、日本側が東京電力福島第1原発事故から得られた知見と教訓を共有することで『世界規模で原子力安全を強化することに貢献するとの自らの責務を確認した』と明記」
 橋下徹大阪市長の「慰安婦」発言は維新の会に大きなダメージを与えつつあります。本紙前号4面では、証言によって日本軍性奴隷の存在を示し、橋下らのウソを暴いています。6月16日投・開票の尼崎市議選では、維新の会は5名中4名の当選を果たし、橋下の根強い人気を示したようです。一方で、石原共同代表が橋下発言を叱責(これ自体が噴飯ものですが)し、維新の会内部は不協和音が鳴り響いています。
 昨年末の衆院選で維新の会は兵庫県において比例得票トップとなり、参院選と同時に行われる知事選に候補を立てると言っていたものが、候補者がなく擁立を断念していしまいました。参院選においても候補者が出せない事態が続出しており、黄昏時の様相を呈しています。橋下「慰安婦」発言は公然と擁護できるものではないので、こうした事態は当然の帰結ですが、口には出せないが支持しているという層も少なくないように思います。そうした人々の存在こそが、この国の差別と排外の温床となっているように思えてなりません。 (晴)
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