ワーカーズ495号  2013/9/1    案内へ戻る

原発事故拡大、消費増税逡巡でふらつく政府自民党
生活防衛から新しい社会を目指す闘いへ


 来年4月からの消費税増税計画は、政権の内部からも異論が出始めた。消費税増税法には、「種々の経済指標を確認し…経済状況を総合的に勘案した上で…その施行の停止を含め所要の措置を講ずる」との付則が書かれており、果たして増税か可能なほどに経済が好転したか否かをめぐり支配層内部で認識の不一致が明らかになっている。
 福島第1原発における汚染水の漏出が止まらない。汚染地下水の海への流出に加えてタンクからの漏出は国際原子力事象評価尺度で「レベル3」(重大な異常事象)と評価された。原発事故は収束に向かうどころか、コントロール不能という現実にあることが改めて曝露されつつある。
 消費税増税をめぐる逡巡は、支配層が陥っている危機の深さを示している。
 デフレ脱却を掲げたアベノミクスは株や不動産のミニバブルを発生させ、輸入品の価格高騰を引き起こしたが、決して実体経済の活力を高めたとは言えない。こうした現状で消費税を増税すれば、再び消費の縮小、デフレの深化を生み出しかねない。
 かといって消費税増税を先延ばしにすれば、日本の借金財政への不安がさらに募って、国債の消化が不調となり、高金利が発生し、それがますます財政危機を激化させる可能性がある。これは決して杞憂ではなく、金融経済が膨張し、それが実体経済を振り回すようになった現代の資本主義経済においてはひとつの必然事とも言える。
 要するに、政府・自民党・財界は、進むも地獄、退くも地獄の状態に置かれている。我々労働者は庶民の生活をいっそうの困難に陥れる消費増税に断固反対する。しかしそれは、そのことによって労働者や庶民の、多少とも長期にわたる暮らしの安定が得られるという幻想にもとづくものではない。何よりも大衆増税がもたらす生活悪化からの緊急避難のためであり、そして何よりも進退窮まった資本主義との心中を拒否して、そこから抜け出す新しい経済社会を目指す闘いを押し進めていくためだ。
 原発問題も同様だ。東北・東日本一帯の大規模な放射能汚染、次々と明らかにされつつある健康被害、新たな大量の放射能漏れ等々は、原発はその存在事態がもはや許されないものであることを白日の下に晒しつつある。しかし、東電をはじめとする企業は、原発無しでは経営が破綻する。日本の産業界に君臨してきた電力資本群は、原発の再稼働を強行しないと企業として財務的に成り立ち得ず、軒並み倒産の憂き目にあい、日本の資本主義自体に激震が走ることとなる。ここでも、進むも地獄、退くも地獄の現実が口を開けている。
 我々労働者は、消費税増税のない安定した暮らし、原発のないクリーンエネルギーの社会を、企業の利潤が第一の資本主義の下で実現できるかの幻想とは無縁だ。資本主義を超えた、働く者が文字通り経済社会の主体となった社会をめざす闘いの一環として、消費税増税反対、反原発の闘いを断固として押し進めていこう。 (阿部治正)


 労働者派遣法
雇用破壊を許すな!──派遣法改悪の動きを跳ね返そう!──


 7月の参院選までは封印してきた安倍カラーの政治課題も含め、逆流の波が矢継ぎ早にやってくる。集団的自衛権の容認、96条改憲、敵基地攻撃能力の確保、消費増税の判断、TPP妥結交渉、社会保障改革等などだ。
 課題は他にもある。安倍内閣が企業の意を汲んで進めようとしている雇用システムの再編策である。先ごろ厚労省の研究会が出した派遣労働での規制緩和もその一つだ。職場・地域での闘いを土台として、労働法制の改悪を跳ね返していきたい。

◆派遣労働の拡大

 安倍首相は長期政権化を狙って参院選まで安倍カラーの突出を抑えてきた。が、参院選の圧勝で、政権発足時から仕込んできた多方面での安倍カラーのテーマを次々と政治日程に組み込んでいる。
 並行して、労働分野でも企業に都合のよい雇用形態に再編しようとする動きも加速している。安倍内閣発足後から政府の産業競争力会議や規制改革会議などで検討されていた解雇自由原則の導入、解雇での金銭解決、裁量労働制(=ホワイトカラーエグゼンプション)の拡大、派遣規制の見直し、限定正社員の導入などだ。
 労働者の雇用や生活を脅かすような労働分野での各種規制緩和策も、参院選までは政治日程から外されていた。参院選で争点化するのを避けてきたのだ。ところがこの秋から来年の通常国会を視野に、次々と具体的な日程に上げられようとしている。
 8月20日、厚労省の研究会が派遣労働での規制緩和を進める最終報告案をまとめた。安倍内閣は、年明けの通常国会での労働者派遣法改正を成長戦略に明記したが、それがここに来てじわりと動き始めたわけだ。
 厚労省の研究会が打ち出した派遣労働の見直し案は、次のようなものだ。
 ◇派遣元で無期雇用であれば、同じ人がずっと同じ職場で派遣で働ける
 ◇派遣先の企業で労使合意があれば、働く人を3年ごとに交代させることを条件に、ずっと派遣を使えるようになる
 ◇26の専門業務(通訳、アナウンサーなど)は最長3年しか同じ職場で働けなくなる

◆企業エゴ

 現在は派遣労働者を働かせられる期間は、労働者が交代しても3年が限度。専門性が高い26業種は有期雇用の継続が多いが、ずっと同じ職場で働けた。
 それを上記のように変えることで正社員から派遣労働者への置き換えが進むことは,誰の目にも明らかだろう。労使合意が条件といっても、御用組合でしかない今の企業内組合で、会社の要求を拒否できる組合などない。専門性が高い26業種についている派遣労働者は、3年ごとに職場を変わる必要があり、それが見つからなければ失業してしまう。
 企業が正社員を派遣労働者に置き換えたいと考える理由ははっきりしている。いつでも人減らしができる、コストを下げたい、というものだ。研究会の最終報告は、こうした企業論理だけを取り入れた、企業のエゴにもとづく派遣労働の無制限の拡大に道を開くものといわざるを得ない。
 派遣労働は、正規労働者に比べて雇用の不安定さや処遇の低さで大きなハンデを負っている。だから派遣労働の無制限な拡大を防ぐことを目的に労働者派遣法が制定されてきたはずだ。労働者派遣法の目的も、「派遣労働者の雇用の安定その他福祉の増進に資すること」(第一条)になっている。が、実際は、派遣労働を段階的に拡げることで、正社員からの置き換えが進められてきたというのが実情だ。
 今回の最終報告は、12年の改正で一旦労働者保護に改定されたものを、再度企業の要求に沿って緩和する方向での改定につなげる狙いがある。厚労省は、同省の労働政策審議会で法改正の論点を詰め、年明けの通常国会での改正をめざすとしている。安倍内閣のもとで、これから様々な企業・経営攻勢が始まる。今回の派遣労働の規制緩和は、そのさきがけであり、年明けの通常国会に向けて大きな争点になる。

◆雇用破壊への逆流

 企業にとって、いつでも人減らし可能でコストも少ない使い勝手がよい派遣労働。これまでの経緯をざっと振り返れば次のようになる。
○1985年 労働者派遣法の成立(ポジティブリスト)
○1986年 施行(13業種)
○1996年 改正(26業種)
○1999年 改正 (ネガティブリスト=原則自由化に)
○2004年 製造業への拡大
○2008年 リーマンショックを契機とした派遣切りの拡大──年越し派遣村
○2009年 派遣労働者の激減──10年以降は漸減傾向、請け負いや契約社員への切り替えが進む 
○2012年 日雇い派遣の原則禁止──部分的規制強化
○2013年 厚労省研究会 派遣期限の撤廃──再び規制緩和

 こうした労働者派遣法の見直しが企業サイドから出てくる背景として、改正労働契約法の施行がある。改正内容は、有期労働契約が通算5年を超えると労働者は無期雇用とみなされる。同じような仕事なら賃金や福利厚生などで正社員と差別することが禁止される、などだ。その改正労働契約法が、今年4月から非正規労働者1800万人中、8割近くの1410万人に適用されている。
 派遣労働そのものは、上記のように段階的に規制が緩和され、他の非正規労働の増加と並行するように増えてきた。それがリーマン・ショックにともなう大量の〝派遣切り〟で、雇用・生活破壊の深刻さが浮き彫りにされた。そこで企業は、派遣労働から請け負いや有期での直接雇用に置き換える動きが広まり、派遣労働は減ってきた。その経緯のなかでの改正労働契約法施行だ。企業は有期の直接雇用であっても、正社員との処遇の均等化や5年という年数の制約を受けることになった。
 改正労働契約法で雇用の安定化や処遇の改善が確保されるわけではない。企業は4年で雇い止めすればいいだけの話で、実効性は無きに等しい。仮に正社員になれても処遇は低いまま、地域社員や限定正社員など〝第二正社員=ニセ正社員〟づくりの動きにも連動することになる。それらの動きもすでに始まっている。
 とはいっても、労働法制上の選択肢として非正規雇用のワクも確保しておきたい、というのが企業の思惑でもある。だから派遣労働の拡大への動きが出てくるわけだ。企業にとって、いつでも人減らしができる低処遇な雇用のワクの確保は、いつの時代でも必需品だというわけだ。
 今回の研究会の最終報告について、厚労省は「改正によって派遣労働者が継続して働き続けられる」「派遣元企業に無期雇用に転換できる」という建前を示しているが、狙いは正社員の派遣労働への置き換えの拡大でしかない。
 派遣労働など非正規労働の拡大に関して、これまでも「雇用=労働力の流動化」「ライフスタイルに合った働き方の導入で雇用機会を増やす」という大義名分を掲げてきた。しかし実情はといえば、〝派遣切り〟などで浮き彫りになったように、労働者をいつでも解雇できる企業にとって使い勝手のよい雇用制度に追い込むものでしかなかった。それが労働コスト削減につながり、企業利益を増やす手っ取り早い手法だと味をしめた企業は、つねに雇用破壊につながる非正規労働の拡大を狙っているのだ。

◆自力での闘い

 内閣発足以降安倍首相は、経団連など産業界に賃上げを要請するなど、企業の賃上げや最低賃金の引き上げを後押しするような態度を重ねて示してきた。他方での上記のような解雇の金銭解決や限定正社員化など企業の意向を後押しもしてきた。こうした雇用再編への一見して矛盾するような姿勢は、どこで繋がっているのだろうか。
 春闘時の産業界への賃上げ要請は、アベノミクスの整合性に不可欠のパフォーマンスという側面や、連合と民主党の分断という戦術上の行動という意味合いもある。が、その他にも、個別資本の論理と総資本の論理の使い分けという側面もある。
 個別資本の視点で見れば、自社以外の他の企業すべてで賃上げをおこなえば、自社への需要が増えて都合がよい。総資本というのは、そうした個別企業の集合体だから、総資本としても賃上げはよい、となるはずだ。が、実際はそうはならない。なぜかといえば、総資本は、自社は賃上げしないという個別企業の集合体だからだ。だから企業に任せていたのでは、いつになっても賃上げは実現されない。結局、安倍首相の賃上げ要請は、そうした個別資本による他の企業への期待感を代弁しているだけに過ぎないわけだ。
 アベノミクスでの安倍人気はいまだ高い水準を保っている。というより、民主党政権に裏切られたいま、アベノミクスにすがるしかない、という有権者の想いの結果なのだろう。しかし、そうした期待感に身をゆだねることで、私たちは企業サイドに立つ安部自民党に政権をゆだね、企業による逆流を呼び込んでしまったわけだ。ここは心機一転、雇用のセーフティネットづくりに逆行する安倍自民党と対決する以外にない。
 どのぐらいの働きやすさや処遇を挟んだ攻防戦になるか、それは私たち労働者自身による闘いの程度にかかっている。何もしなければ企業の言い値での決着になり、闘いの程度によっては、私たちの要求や願いがそれだけ反映したレベルになる。
 派遣労働の拡大は、解雇の金銭解決、裁量労働制、限定正社員制度など、安倍政権下の雇用再編で目論まれている資本・企業による逆流攻勢の再開でもある。私たちとしても、正面からそれを立ち向かっていく必要がある。
 追い出し部屋など、残忍ともいえる企業論理=エゴがまかり通っている今、職場・地域を土台とした闘いを拡げることで、雇用破壊と生活破壊につながる派遣労働の野放しの拡大を跳ね返していきたい。(廣)


「慰安婦」は、禁句なのか?

 西宮市の「男女共同参画センター」では、毎年10月に文化祭的な「いきいきフェスタ」を開催しています。その「実行委員会」での耳を疑うような出来事を紹介したいと思います。当センターの登録グループによる「実行委員会」で、フェスタに関する事項を決定し、運営していきます。しかし、スポンサーが西宮市なので、市にとって不都合な主張・呼びかけには、ストップがかかります。一体、「実行員会」の権限はどこに行ってしまったのでしょうか。
 その耳を疑う出来事とは、学集会のテーマのメインタイトルに「慰安婦」という文字を使わないで欲しい、という要望が市側から出てきたのです。サブタイトルなら問題なしとは、どういうことでしょう。というのも、メインタイトルは、市政ニュースの案内に掲載されるからなのです。それを見た「慰安婦」の文字に過敏に反応する人たちが、学集会を妨害しにくる可能性がある、そうするとセンターが混乱し、併設する店舗の営業にも打撃になる、という空想にも似た被害妄想なのです。
 どうやら、本音のところは、一部の市会議員の反発にあるようです。3年前にも「ナヌムの家」を紹介する時にも、同グループにクレームが出たようですが、当日は平穏で何も事は起こらなかったそうです。取り越し苦労とは、このことではないでしょうか。
 今回は、特別に「実行委員会」を開き、市側とこの「慰安婦」問題で議論しましたが、あまりにも「慰安婦」問題に対しての認識が低いことに、はっきり言って落胆しました。結果は、市側の意向に沿ったタイトルになり、「性暴力」に置き換えることになりました。
 まがりなりにも、「女性センター」という肩書きを持ちながら、女性問題では原点にもなる「慰安婦」問題で意志表明が出来ないとは? 国の施策による「男女共同参画センター」作りで10年が経過しましたが、本当の意味で市民の意向にそったものになるのには、まだまだ課題が山積みです。 (折口恵子)案内へ戻る


エジプトにおける市民闘争

 七月三日、エジプト軍によりモルシ大統領が拘束され「解任」された。この一年間、ムスリム同胞団の大統領モルシと、ムバラク旧体制下の諸権力機関との抗争と力比べが行われてきたその結末である。
 たとえば憲法裁判所等の司法機関、そして独自の権益を誇る軍産経済複合体であるエジプト軍との抗争である。
 政治・人事抗争を通じて、同国の政治や経済の安定化は進まず、モルシの政治は急速にセクト化「ムスリム化」に傾いてきたと考えられる。
 経済的な停滞に加え「ムスリム化」に反発した市民多数の反乱が、今年五六月に公然化した。同胞団のセクト的利益にとらわれたモルシは、市民に対して強硬な態度で臨み、結局のところ軍によるクーデターを許したのであった。

●大統領モルシの一年
 もともと、1年前の大統領選挙で、モルシは52%の得票率で旧体制派の軍閥政治家のシャフィク(得票率48%)をやぶったにすぎない。大接戦であり、旧体制の復活を望まない市民多数があえて渋々モルシに投票し、かろうじて当選したのだ。
 大統領就任後はそれらを考慮したと見られ、「組閣に関しては八月に、十二月には諮問評議会(上院)の大統領任命枠90人を発表したが、90人のうちの75%が非イスラーム主義系であり、12人のコプト(キリスト教)が含まれているなど、議会や閣僚人事ではイスラム色を弱める姿勢を見せた」(Wkipedia)。
 しかし他方で「各地の知事や中央省庁に対しては自らの出身母体であるムスリム同胞団のメンバーを次々と幹部として送り込み、統制を進めていたため、身内びいきの人事として国民の反発を招いた。同胞団出身の人材は政治や行政についての技能や経験を持たない者ばかりだったため、政府機能が停滞することとなった」(同上)。
 「また国内各部への人事介入を試み、ムハンマド・フセイン・タンターウィー軍最高評議会議長を解任するなどし軍の権益を奪おうとしたことで軍の反発を招いたほか、アブドルメギド・マハムード検事総長の解任や、反ムルシー政権の裁判官を退任させるための定年引下げを試み、司法権からの反発を受け、アル=アズハル大学が持っていた人事権への介入などを画策したことから、宗教的権威からの反発も受けた」(同上)。
外交面で対米追随を是正するなどで一定の評価を得たが、大統領による独裁を正当化する憲法宣言(昨年十一月)、イスラム法を憲法化した新憲法投票(昨年十二月)を経て、世俗派の市民が完全にモルシを見限り、打倒を目指した新たな運動を開始した。

●またしても漁夫の利を得たエジプト軍
 初めての民選大統領モルシによる、エジプト軍の特権や権益を奪うための行動は正当であった。当初軍は有効な反撃ができなかったが、国民の離反が明確になった今年春頃から再び「革命の保護者」「国民の味方」の錦の御旗をかざした。そして今回のクーデターにより軍は不評のモルシ憲法を停止し、大統領を逮捕し「国民・市民の信頼」をかすめ取ることに成功した。ちょうど1年前に、国民的非難の矢面にいたムバラク大統領を切り捨て「中立」ないしは「革命の保護者」を演じた軍だが、今回再び漁夫の利を得た形だ。
 現在軍は暫定大統領を立て、新憲法採択、議会選挙、大統領選挙を急いでいる。それはすべて「国民のため」ではなく、軍が独自に持つ予算権や統治・人事権を保持し、傘下の企業群を維持するためである。
 1年前に『ワーカーズ』「曲がり角に立つアラブの春」で筆者が書いたように、このエジプト軍の解体ないし大胆な規制が勝ち取られなければならない。これらはナセル体制=アラブ社会主義の負の遺産であり、軍ばかりではなく政治家、官僚など特権者達の腐敗は甚だしいものとなっていた。そしてそれらと癒着している財閥達の解体なくして、エジプトの政治民主化や経済的公正は進みようがないのだ。

●大衆運動を対立させた同胞団のセクト主義
 モルシ大統領が、軍の権益や権力を削ろうとしたことは評価されて良いだろう。しかし、他方では大統領への権限集中そしてイスラム法の押しつけや、とりわけ官僚・役人組織内での同胞団による役職の分配は、経済苦境にある一般市民からすれば、決して許せるものではない。高い失業率と国民経済の低迷の中で、エジプト軍とは別なやり方で、彼らはささやかとはいえ特権の分配に熱中してきたのである。
 ムスリム同胞団は、もともと貧困層が多く、真摯な互助組織として拡大してきたのである。ところがいまでは、権力者としてイスラム法を押しつけようとし、さらに中央地方の行政機関内でセクト的なポスト獲得や出世に手を染めようとするなら、一般市民が見捨てるのも当然だ。
 こうして、アラブの春が提起した民主主義の獲得、特権排除・経済的公正、腐敗撲滅の国民的運動は、大きな打撃を受けざるを得ない。市民戦線の中核と考えられる労働者、失業者、零細商店主、市民たちは、大分裂を起こして対立し、モルシ派と反モルシ派に分かれ、今年の五月六月には武力的抗争にまで発展したのである。
 同胞団は自己都合に満ちた一年間の統治の結果、一般の市民の反発を買い権力から放逐されたのである。

●幕引きを図る軍
 現在(8/22)でも同胞団による抗議行動は激しくつづいている。それに対して軍は武力弾圧を公言している。幹部達の逮捕もつづいている。
 軍は「安定化のロードマップ」として暫定政権のもとでの新憲法制定、議会選挙そして大統領選挙の実施を目指している。
 軍の弱みは「エジプト初めての民選大統領」モルシを非合法的クーデターで倒したことだ。今や急いで軍の権益を守る憲法を成立させ、早急に第二の「民選大統領」を選び出さなければならないのだ。「政治の表に立つのは短い方がよい」。これが現在の軍の本音だろう。すでに武力弾圧に対する非難の声は高まり始めている。早々に影の支配者としての居場所に引きこもるつもりなのだ。
 しかし、圧倒的な軍事力を持ってしてもことは簡単ではない。同胞団は独自に支持率20%程度の政治基盤があり、組織された党派としてはエジプト最大だ。議会選挙を実施すればかなりの議員が当選するのは確実である。軍の犯罪が暴き出されるだろう。
 それ以前の問題としても、同胞団の抵抗が長引けば、そして死者が増大すれば(すでに900人の死者が出ておりアラブの春の600人を超えている。)、軍のロードマップ通りに物事が運ぶとは限らない。治安の悪化から戒厳令の発動や長期軍政へと至る可能性もある。このことはエジプトの階級闘争を一気に高めるであろう。
 ムバラク元大統領の保釈や、アラブの春で失脚した旧体制派の復権の動きが報じられている。軍による「モルシ解任」を好感してきた世俗派の市民たちだが、軍による強引な政治反動に批判を強めつつある。
 署名活動でモルシを政治的に追い詰めたことで世界的に有名になった青年組織「反抗」は、米国からの毎年の軍事援助金十三億ドルの受け取り拒否を求める署名活動を開始した。これは軍事政権に対する先制攻撃となるだろう。大衆運動の再結集が問われている。  (阿部文明)


連載⑩   オジンの新◆経済学講座ーー互酬性と「施し物」 上藤拾太郎

●ビル・ゲイツの贈り物
 マイクロソフトの創業者、ビル・ゲイツのことは君もよく知っているだろう。では、この世界一の大富豪が今では世界的な慈善事業活動家であることは知っているかな?
 彼の推進するGiving Pledgeは、米国の大富豪に、生存中あるいは死後に慈善事業に半分の財産を寄付するよう呼び掛けることで、社会問題の解決に貢献するという取り組みだ。賛同者はGiving Pledgeのサイトに誓約(pledge)文を掲載する。これは契約ではなく表明であり、寄付先は賛同者が選択する。大富豪が率先して寄付を宣言することにより、慈善事業への社会の関心を高めるのが目的の1つという。
 米国の四十人の大富豪が参加している。映画監督のJ・ルーカスも名を連ねている。またこんな話しも聞いた。アップルの故S・ジョブスの妻も、負けずに本格的に慈善事業に取り組むらしいと。
 正直、君はどんな感想をもつかね?

●「贈りものは人を奴隷にする」
 古今東西、困っている人に善行を施すことは良いことだろう?たとえば空腹に悩む人たちに、食料を買い与えることはなるほど立派なことに違いないのでは?
 だが、対等性社会に住むイヌイットにとって答えは簡単ではない。
 極北の老猟師は、ある西欧人に肉を与えた際、彼の「お礼の言葉」に落胆して、次のように語った。
 「この肉は贈り物ではない。このクニでは肉をやるのは私の義務であり、もらうことはあなたの権利なのです。」なぜなら「贈り物をすることで、奴隷(追随者)をつくる」から(サービス『狩猟民』)と。未開社会はワンサイドな施し物を嫌う。対等性を損ないかねないからだ。狩猟社会らしい対等性にこだわるエピソードだ。
 さらに言えば、農業が普及し余剰生産物が出てくると、未開社会でも地方の有力者や野心家達は、余剰物を周囲に施す事業に熱心に取り組む。家来(追随者)を創るためだ。歴史的には「慈悲」や「慈善」は、権力の重要な要素なのだ。
 かのイヌイットにビル・ゲイツの話しをすれば、「彼は野心家で、支配的力を追い求めている」と答えるであろう。

●施し物ではなく相互扶助を
ビル・ゲイツが権力を意識しているかは分からない。それは別としても施し物は、人の自立心を曇らせ、精神的な退廃を引き起こす。これは普遍的な事実だ。結果として、人を無力化し格差や搾取を固定化する。これが施し物の実際の結果だ。だから手放しで賞賛すべきではない。
 たとえば国連やNGOを含め世界の支援活動が、貧困地域の改善にあまり効果がないことは、多くの指摘がある。それは、施し物が当座の人命を救ったとしても、継続すれば人間の自立心をマヒさせるからだ。(内戦などの要因はここでは別としておこう。)
 そうではなく、自立の道を支援すること、そのための道筋を考えた細やかな援助活動が必要なのである。この理解もひろがっている。被災地でもそうだ。当座の緊急援助ののちは、実体に即したコミュニティの維持・成長をはかる支援が大切なのだ。ばらまき支援の典型は「大型公共事業と企業誘致」を押し進める宮城県政だ。的外れな「大企業支援ではないか」と批判の声も高まっている。これらが貧困や過疎化に効果がないことは戦後日本の歴史がすでに証明済みだ。
 グラミン銀行のマイクロクレジット(バングラデシュで始まった運動)は、貧困地域を自力で克服させる効果的な運動だ。人間の社会性と個人の能力が大いに発揮されるのだ。
人々が主体的に生活の中からコミュニティに必要な仕事を見いだし、労働で奉仕する。それは社会のためにも自分の生活のためにもなる(ソーシャル・ビジネス)。自立した個々人の成長が社会の発展にもなる。この様な支援こそが意味があるのだ。
 端的に言ってワンサイドな「贈り物」「施し物」は社会毒だ。反対に相互扶助や助け合い(つまり互酬性)こそが、人間的な経済と社会の唯一の健全な在り方なのだ。

●施し物国家に疑問
 さらに深刻なのは現代のすべての国家が、手当や補助金という施し物を国民に与えていることだ。日本の国家予算は税収で予算の半分しかまかなえず、国債を大量に発行し続けている。国債の購入先は金融機関や有産階級だが、海外の投機的資金にも依存し始めている。
 不人気な増税と信用不安の原因ともなりうる巨額の財政赤字だが、日本国家は「富の再分配」に余念がない。何故か?社会矛盾を激化させないため、権力の安定のためだろう。
 生活に不安を抱える庶民も、当座の手当や補償がほしい。オジンも気持ちはよく分かるぞ!
 しかし、現代国家の収入が「国民からの税金」が半分含まれているとはいえ、我らの税金がどこにどのように使用されているかは不透明であり、国家予算編成は官僚たちにほとんど牛耳られている。だから、「交渉」「陳情」の結果実際に降りてくる予算は、「国家の施し物」になりつつあるのではないか?予算の取り合い(防衛予算を減らして教育予算に回せとか)の闘いは当面の階級闘争の焦点ではある。しかし根本的な社会改革が求められていないか? (つづく)案内へ戻る


何でも紹介・・・「世界史」を学び直す

◆今なぜ「世界史」ブーム?◆
 最近、社会人の間で「世界史」がブームになっている。書店には、高校教科書を「社会人向け」に再編修した山川出版社の「世界史」をはじめ、様々な「世界史本」が並んでいる。考えてみると、僕も含めほとんどの社会人にとって、「世界史」をまとめて勉強したのは、高校の授業が最後ではないか?しかも、僕のように大学の受験科目としては「選択しなかった」者は、それこそ「期末テスト」が終わったら、ほとんど頭に残っていないのが実情だ。しかし、社会人になって年を重ねると、職業生活にしろ、社会運動への関わりにしろ、あらゆる領域で「世界史」の基本的な認識が必要とされる時代になった。そう痛感するのは、僕ひとりではないのだろう。そんなわけで、この夏、僕は通勤電車で手軽に開ける「文庫本」を手始めに、「世界史」を学び直し始めた。
◆マクニール「世界史」◆
 まず読み始めたのは、ウィリアム・H・マクニール著の「世界史」(中公文庫・上下)だ。「オックスフォード大学出版局のロングセラーとして、世界で40年以上よみつがれている」という触れ込みで買ってみた。もともとは一九六七年に、「世界史教材」十巻本と組み合わせた一種の「ダイジェスト版」として執筆されたらしいが、コンパクトでありながら、けっこう中身は濃く、読み応えはある。世界史をおおまかに「四つの時期」に区分し、それぞれの時期ごとに、まるで地球儀を回すように、各地の歴史を相互に関連させながら俯瞰していく独特の構成だ。第一部は「ユーラシア大文明の誕生とその成立(紀元前五〇〇年まで)」、第二部は「諸文明間の平衡状態(紀元前五〇〇~後一五〇〇年)」、第三部は「西欧の優勢」として一五〇〇年の「地理上の発見」以降の西欧と世界について、第四部は「地球規模でのコスモポリタニズムのはじまり」として一七八九年頃の「産業革命および民主革命」以降の西欧と世界について、文化人類学的な視点も織り交ぜながら、壮大な文明史が展開されている。
◆「NHK講座」講師陣◆
 ただマクニール「世界史」はコンパクトとはいえ、やはり難解な部分も多い。そこで、途中下車して読み始めたのが、NHKのテレビ講座「世界史」の講師で高校教師もしていた綿引弘著の「世界の歴史がわかる本」(三笠書房)だ。文庫本は三巻で、第一巻は「古代四大文明~中世ヨーロッパ編」、第二巻は「ルネッサンス~大航海時代編」、第三巻は「帝国主義時代~現代編」。しかも、有り難いことに、この三巻本をさらに一巻に圧縮したダイジェスト版「一番大切なことがわかる「世界史」の本」も出ているので、まずこちらを読んで「あらすじ」を頭に入れてから、三巻本の「各論」に入ると、頭にはいりやすい。さすが教育現場の感覚で、高校生の社会的な問題意識に答えようと日々格闘してきただけあって、民衆史的な視点も取り入れて、身近でわかりやすい展開となっている。
◆「中国史」「朝鮮史」も◆
 さて、マクニール「世界史」は決して「西欧史中心」や「中国史中心」ではなく、アジア・アフリカ・南北アメリカ・オセアニアなど、まんべんなく触れてはいるが、それだけに「日本列島」に住む者にとっては、「日本史」やお隣の「朝鮮史」について、やはり部分的で不足というしかない。これらは別の書物で補うしかない。ところが「日本史」「朝鮮史」を学ぶには「中国史」との関連が欠かせない。そこで「中国史」については、やはりNHK講座の講師出身の宮崎正勝が改定した山口修著の「この一冊で「中国の歴史」がわかる!」(三笠書房)と、堀敏一著の「中国通史」(講談社学術文庫)が手軽で読みやすい。「朝鮮史」については適当な文庫本がなく、少し古い新書本だが、梶村秀樹著「朝鮮史」(講談社現代新書)がしっかりした良書だ。古代・中世・近世を通じて「開国の時期まで東アジア世界で双生児的な発展の道をたどってきた日朝両国は(略)近代においては一方は帝国主義国へ、一方はその植民地へという両極分解をとげていくことになった」という著者の厳しい指摘は重要だ。
◆世界の中の「日本史」へ◆
 こうして「世界史」(及び中国史・朝鮮史)を踏まえた上で、並行して「日本史」を学ぶと、いままでとは違った視野が広がってくる。宮崎正勝著の「地図で読む日本史&世界史が同時にわかる本」(三笠書房)が興味深い入門書だ。「世界の歴史が、中緯度地帯の乾燥化の危機に対応して、農業化していく時代に、水と緑に恵まれたウェットランドの日本は、豊かな自然を生かして狩猟・採集社会を維持し続けた。一万年に及ぶ縄文時代である。」「始皇帝による天下統一、四世紀の五胡の黄河流域占拠に伴う漢人の大移動(東アジアの民族大移動)の二つの大きな波動により、列島西部への農耕民の段階的な移住が進み、日本社会はコメ社会に変わった。」を始め、唐帝国の東アジアへの膨張、遊牧民の進出、イスラム帝国、モンゴル帝国、大航海時代、帝国主義時代など、世界の動向と関連させた視点が新鮮である。また「日本史」通史としては、やはりNHK講座出身の小和田哲男著の「日本の歴史がわかる本」(三笠書房)が文庫三巻本でわかりやすい。第一巻は「古代~南北朝」、第二巻は「室町・戦国~江戸時代」、第三巻は「維新~現代」。特に日清・日露戦争をはさんだ自由民権運動や大正デモクラシーの歴史は、学び直す必要を感じた。
◆シンク・グローバル、アクト・ローカル!◆
 冷戦終了後の世界各地の民族紛争、グローバルマネーによる通貨危機や資源争奪戦争、地球環境問題や南北の失業・貧困問題など、世界の諸問題が、国内の市民社会の諸問題と密接に関連する現代。「世界の諸問題」をきちんと認識するためには、それが起きるに至った「世界の歴史」に関する基本的知識が必要とされる。「シンク・グローバル(世界的視野で考え)アクト・ローカル(地方から行動しよう)!」の気持ちを胸に、文庫本を片手に、通勤電車の中で、夜勤の合間に、外出先の喫茶店で、「世界史」を勉強し直している毎日です。ここで紹介した文庫本(一部は新書本など)を参考に、皆さんなりの方法で「世界史」(そして日本史・朝鮮史も)に触れてみてはいかがでしょうか(誠)


コラムの窓・・・映画「笹の墓標」ー日本・韓国・在日コリアンの若者たちの15年の歩みを描くー

 影山あさ子・藤本幸久監督のドキュメンタリー映画「笹の墓標」を観た。
 上映時間9時間7分の作品だ。午前10時過ぎに映画館(沖縄の桜坂劇場)に入り、出てきたときは夜9時過ぎであった。
 映画の舞台は北海道北部の山中にある朱鞠内(しゅまりない)という小さな村である。
 その村で1934年に建立された古いお寺・光顕寺の本堂から、100近くの赤茶けた位牌が見つかった。死者の名前は、日本人と朝鮮人であった。年齢は10代から50代、全員男性だった。死亡した時期が、1938年から1945年まで、日本が戦争をしていた時期に重なった。
 1938年から43年まで、朱鞠内では雨竜ダムと名雨線鉄道工事が行われ、200人以上の労働者が犠牲になった。その位牌は、戦争中の朝鮮半島から強制的に連行されてきた朝鮮人と日本人タコ部屋労働者の奪われた命の痕跡だった。
 雨竜ダム工事の記憶を語る人は、重労働と僅かな食事、逃亡し捕まると見せしめのリンチが横行し、死者は共同墓地の奥に埋められたと証言する。案内された埋葬現場は熊笹に覆われていた。
 1980年春から、笹やぶの下に埋められてきた犠牲者の遺骨発掘がはじまる。84年まで、5回の発掘で16体の遺骨が発見されたが、力尽きた当時のメンバーは、すべてを掘りきれないまま発掘をしばらく見送るしかなかった。
 当時は全国各地で、こうした現地のボランティア活動によって、強制連行された朝鮮人の遺骨発掘がおこなわれたと思われる。
 この遺骨発掘が5年間も中断していたが。1989年に韓国の若い大学先生<チョン・ビョンホ>さんが朱鞠内を訪ね、発掘できずに残っている日本人と朝鮮人犠牲者の遺骨があることを知り、彼は「日本と韓国と在日の青年・学生たちの共同作業で発掘しましょう」と提案。
 提案から8年後の1997年夏、韓国から44人、在日韓国・朝鮮人が12人、アイヌと日本人が40人、スタッフを入れると200人を越える参加者で、強制労働犠牲者を発掘する「日韓共同ワークショップ」が開催され、9日間の合宿で4体の遺骨を発掘し、若い参加者たちは葛藤を経験しながら離れがたい友情を育んだ。
 それから15年間、夏は日本か韓国で、冬は朱鞠内で、若者たちは集い続けてきた。この1997年から2012年までの「日韓共同ワークショップ」(途中で名称が「東アジア共同ワークショップ」となる)15年間を撮り続けたのが、この作品である。
 作品は全部で五章から成り立っている。
★第一章「朱鞠内」(113分)
 1997年、北海道幌加内町朱鞠内。戦時下に行われたダム工事と鉄道工事の犠牲者の遺骨を発掘しようと日本と韓国、在日コリアンの若者たちが集まり、4体の遺骨が発掘された。初めての出会いと共同作業。すぐに仲良くなれるかに思われた若者たちだったが、日本人と韓国人の間に衝突が起こる。
★第二章「浅茅野」(98分)
 北海道猿払村浅茅野。2006年から2010年まで、3度にわたる旧日本陸軍飛行場建設工事犠牲者の遺骨発掘が行われた。考古学の専門家たちの参加を得て、丁寧に進められる発掘。39名の遺骨が発掘された。小さな穴に折りたたむように押し込められた遺骨の姿から、強制労働の実態が浮かび上がる。
★第三章「遺族」(109分)
 遺骨を遺族に返したい。手がかりを求め、遺族や強制労働の体験者たちを訪ねる若者たちの旅が続く。戦後60年以上が過ぎても、消えない犠牲者遺族の悲しみ。帰る場所を見つけられない数々の遺骨。長い道のりを経て、4体の遺骨が韓国人遺族へ返還されることになった。被害者と加害者の和解は、はたして可能なのか。
★第四章「未来へ」(120分)
 97年以来、毎年、夏と冬のワークショップが続いてきた。若者たちは、国境を超えて生きる場所を見出してゆく。2003年に始まるイラク戦争、拉致問題から再び強まる日本の排外主義。ともに平和な未来を生きてゆきたいという若者たちの願いは・・・。
★第五章「私たち」(107分)
 2012年夏。炭坑で働かされ、人知れず闇埋葬された犠牲者の遺骨を発掘するため、北海道芦別市に集まった若者たち。かつての若者たちも父となり、母となった。今日も笹の墓標の下に眠り続ける遺骨の数々。そして、家族のもとに帰ることができない遺骨。若者たちの旅は、まだ、終わらない。 8月中は沖縄の桜坂劇場で上映され、その後全国上映される予定。けっして9時間という長さを感じさせない力作である。
(富田 英司)案内へ戻る

 
「沖縄通信・NO40」・・・オスプレイ追加配備を強行 
 
 沖縄の8月は、オスプレイの追加配備や米軍ヘリ墜落など、日本が米国の「属国」である現実に接し、怒りやいら立ちの絶えない月であった。
★8月3日(土)・・・オスプレイ2機追加配備
 岩国基地に一時駐機されていた追加オスプレイ12機のうち、2機が3日午後4時半すぎに普天間飛行場に到着した。米海兵隊は当初3日に4機移動させると説明していたが、なぜか?2機しか飛来しなかった。
 昨年10月にオスプレイ12機が配備された後、県は日米合意の運用ルールや安全確保策に違反する飛行が318件もあると、防衛省に指摘したが、防衛省は「合意違反の確証は得られていない」と、違反実態を隠しオスプレイは安全だと言う国民への印象操作をおこなっている。
 沖縄県民は違反だらけのデタラメな訓練をしているオスプレイの飛行を見ているので、7月中旬の県民世論調査でも8割超がオスプレイ配備に反対している。 
★その2・・・ゲート前抗議活動で初の逮捕者
 3日(土)朝7時、市民グループのメンバーはいつものように(もう11カ月目)普天間飛行場野嵩ゲート前での抗議活動をおこなった。
 今日はオスプレイ追加配備で、岩国から4機のオスプレイが移動してくるということで、約60人のメンバーが座り込みをして、ゲート入り口を一時封鎖した。
 8時半ごろ、県警機動隊が米軍車両の通行妨害になるとの理由で、強制排除に乗り出した。機動隊員が座り込みメンバー一人一人をゴボウ抜きにして排除し、警察車両に脇に監禁した。
 機動隊員は座り込みメンバーの手足を抱きかかえて排除。ゲート入り口付近で両者が激しくもみ合う場面が続き、現場は一時騒然となった。
 その際、座り込みメンバーの1人が、機動隊員の制服のボタンを引きちぎるなどの暴行を加えたとして、公務執行妨害の疑いで逮捕された。
 座り込み市民グループは、さっそく午後2時から宜野湾警察署に集まり、不当逮捕と早期釈放を求めて抗議の声を上げた。
 本人と接見した弁護士も「逮捕された時に暴行を受けたと言っている。不当逮捕で早期釈放を求めていく」と述べる。
★8月5日(月)・・・米軍ヘリ墜落の衝撃
 3日・4日・5日と毎日朝から夕方まで野嵩ゲート前で「県民会議」が中心になったオスプレイ配備反対の抗議活動を展開した。連日の活動、猛暑でもあり皆さんクタクタであった。
 そんな5日(月)午後4時半ごろ、米軍ヘリが墜落したとの連絡があり、抗議活動参加の皆さん、驚きとともに怒り・怒り・怒りの声を上げる。
 米空軍嘉手納基地のHH60救難ヘリコプター2機がキャンプハンセン上空で訓練中、1機が墜落炎上し山火事が発生。搭乗員3名は救助されたが、1名は死亡。墜落現場は民家からたった2kmの地点。宜野座村は基地内の墜落現場近くにある大川ダム(村民の水源地)からの取水を中止する。
 今回も幸いにも民間地への墜落ではなかった。5月にも空軍F15戦闘機が海に墜落しており、県民には「いつか自分のところに」と言う墜落の恐怖が強まっている。
 復帰後、県内で発生した米軍機の墜落事故は45件目で、うちヘリの墜落事故は17件目である。
 この米軍ヘリ墜落事故を受け、在沖海兵隊は日本政府からの要望を尊重して、岩国に駐機しているオスプレイ10機の普天間への移動を延期すると発表する。
★8月6日(火)・・・「米軍の民間飛行制限」という主権侵害
 昨日の米軍ヘリ墜落事故の際、米軍嘉手納基地が「ノータム」(安全運航のために出される情報。米軍が通知を出す場合は、国土交通省との事前調整が必要)と呼ばれる航空情報を出し、キャンプハンセン墜落現場上空の報道用ヘリを含む民間機の飛行を制限した。事実、報道機関数社のチャーターヘリが現場に近づけず上空からの取材ができなかった。
 米軍は今回、最大時で半径11キロ、上空3キロもの広範囲で飛行を制限したが、上空の管制権を持つ国土交通省への事前連絡はなく、その法的根拠がない。嘉手納ラプコン(進入管制)返還で空の管制権は日本側にあるが、米軍が一方的に飛行を制限し他国の主権を侵害している訳である。ところが、国側(那覇空港事務所)は現場付近を飛ぶ航空機に米軍による飛行制限を伝えており、事実上容認されている実態も明らかになった。
 9年前の沖国大でのヘリ墜落と同じように、占領地でのような米軍の行動に県民の怒りは沸騰している。
★8月11日(日)・・・与那国町長選、外間氏(自衛隊配備推進派)3選
 陸上自衛隊の沿岸監視部隊配備が争点となり注目を集めた与那国町長選挙は、自衛隊配備推進派である自民党現職の外間守吉氏(63)「公明推薦」が553票を獲得し、配備の是非を問う住民投票の実施を訴えた無所属の崎原正吉氏(65)「社民、共産、社大推薦」506票を47票差で破り3選を果たした。
 投票率は95・48%で、2009年の前回より0・55ポイント低下した。当日有権者数は1128人(男性569人、女性559人)で、投票総数は1077票。無効票は18票であった。
 当選した外間氏は「民意を得た。自衛隊配備を強く進める。住民投票は全く考えていない。」と述べる。
 敗れた崎原氏は、「少数差だったが、力不足だった。これからも住民説明会と住民投票の実施を訴えていく」と話する。
 これまでも自衛隊誘致派と反対派が鋭く対立し、島を二分する状況が続いてきた。今回の選挙結果(20数人で逆転が生じる47票差である)をもって自衛隊配備が全面的に信任されたとは言えない。やはり、住民投票を求める声が根強い。
★8月12日(月)・・・オスプレイ9機追加配備を強行
 米軍ヘリ墜落事故を受けて、一時中止していたオスプレイの普天間飛行場への追加配備を再開した。日本政府がお盆休みや終戦記念日(敗戦記念日と言うべき)を避けてほしいと要請したとか。ふざけるな!
 午前中に8機が次々に順次着陸。岩国基地に残っていた2機のうち1機が午後4時頃普天間に着陸した。残りの1機は故障なのか?飛来しなかった。
 この日も、朝7時より野嵩ゲート前では市民グループが抗議活動を展開し、激しく機動隊と衝突を繰り返した。
 「県民会議」主催のオスプレイ追加配備の抗議集会は、8月3日から毎日午前9時から取り組まれ、23日までねばり強く続けられた。今後も毎週水曜日にオスプレイ追加配備反対の抗議集会を取り組んでいく方針である。
 また、昨年10月から毎日野嵩ゲート前と大山ゲート前で、オスプレイ撤去の抗議行動を取り組んできた市民グループの闘いも12カ月目に入ろうとしている。(富田英司)


 網野善彦著「歴史を考えるヒント」をめぐって

 氏は、たしか、私たち戦中戦後の同世代の人であろうと思う。道頓堀に通じる筋、「相生橋」(通称〝ひっかけ橋〟とも言う)。そのはじめての交差点の左角に、友人のまた友人の経営する飲み屋がある。
 そこでのお話。京都の学校の先生だそうだが、どうも常連客らしい。5年位前のことだったろう。日の丸の旗を否定するか、しないかの議論が知識人層の間で盛んであった頃のこと。その先生は、右翼かなと思う位、日の丸肯定をあつく語った。
 私は、国旗(日の丸)は象徴的なものであって、個人によって受けとめかたがちがうだろうと、思っている。沖縄では知花昌一氏が、日の丸の旗を焼いた事件があった。沖縄の歴史をひもとけば、日本政府(明治時代からずーっと)は、沖縄にとって支配・抑圧以外のイメージしかなかった沖縄の人々の胸に、日の丸の旗は何と映ったであろうか。知花昌一さんが、沖縄の人々の意志を行動で表現したのだと思っている。
 国旗というものは、人々の心の中にある国の象徴であろう。各個人がそれぞれ違うように、魂の中にある日の丸のイメージでは、人々によってちがうであろう。私自身、本州の人間には日の丸については、よいも悪いも余り意識にのぼらなかったように思う。考えるヒマもなかったかも知れないが。
 とにかく、あいまいなものしかない。戦後の飢餓状態の中では、国家や国旗のことどころではなかったから。日本列島に住む人間は議論べただという。多くは、はっきした自分の考えをもたないように思う。こうした曖昧さは、近代化に由来するものでもあろう。必要なものはメシ。これだけははっきりしていた。どうやってメシを食っていくかが最大の問題。
 戦中、戦後はそれぞれ大まかには同様の経験を持ちながら、個々別々の空腹の経験を持つ。そんな状況の中で国家のイメージを持ち得なかった。ただ一つ、こんな国のために死にたくない、生き抜こうという覚悟だけはもちえたと思う。そんな状況を生きた私どもは、国旗、日の丸を大事に思えなかったのは確か。
 相生橋の飲み屋さんで、日の丸肯定を問題にした先生の言に、そんなことどうでもええやないかと、思ったものだ。網野氏は「歴史を考えるヒント」として国家(国旗は日の丸)日本と呼ぶことを拒否、地理的な国家、日本列島と呼ぶと書かれている。戦後の経験を通じて、私は氏の主張に賛成である。
 日本について、〝倭〟はあっても〝日本〟はあり得ないと主張されている。そしてこの本で〝学問〟としても立証されている。とにかく、網野氏の「歴史を考えるヒント」をご一読下さい。己れの経験からも国家について、国家とは何かを考えられるはず。そして、これが国家にかかわらず、何についても議論できる構えができるというもの。 2013・8・7 大阪 宮森常子案内へ戻る


福島からの便り 「わたぼうし」8月号より

 一週間程、お天気が続いた後、今度は雨が続き桃にとっては良い条件が続き、これから収穫まで良い天気に恵まれることを望むところです。きょうは空も明るくセミ(アブラゼミ)がとてもにぎやかに鳴いています。桃の木の下にはシルバーの反射シートを敷き、たわわに実った枝には、つっかり(つっかえ棒)をし、(その前に桃や梨・りんごの最後の実すぐりを終え、約2ヘクタールの木の下の草をゴーカートのような草刈機で刈っています。)
 小雨の日は、草がやわらかく刈りやすいので、朝4時頃からあちこちでゴーカートの音(いえ、草刈機です)と、刈られた若草のいい香りがプーンとしてきて、早起きして、わたぼうしを書いている私は、とてもさわやかな気持ちになります。鳥たちはよく知っていて、草刈り機の後をチョンチョンと小走りに追いかけながら、虫をついばんでいます。
 今年も甘くておいしい桃が収穫されています。  あっぷる・ファーム後藤果樹園 後藤幸子

8月初め、後藤さんが宮森さんに会いに来られると、連絡がはいり、宮森さんの街のシンボル・通天閣で、待ち合わせをしました。私の仕事を終えての時間なので、夜7時頃から2時間くらいのひとときでしたが、お互い初めての出会いなので少し緊張しました。宮森さんのお薦めで、ふぐ料理をいただき、私も珍しい料理をゆっくり味わいながら、話もなごみました。後藤さんは、福島の地方というイメージが全然無く、おしゃれで色白で少しびっくりしました。東京に住む娘さんも一緒に来られ、久しぶりの親子の時間を私たちに使ってもらい、申し訳ない気持ちでした。宮森さんも張り切って、ご自身の若い頃の話を熱っぽく語られ、良かったなあと思いました。後日、後藤さんから桃や野菜を送ってもらい、早速、家族でいただきました。ワーカーズの記事に、どんどん注文をつけてもらうよう、頼んでおきました。読者の皆さんからも、後藤さんへの一言、あればお寄せ下さい。(折口恵子)


色鉛筆・・・「戦争は酷い」

    軍医への訴え 筆者不詳
グンイドノハヤクアゴヲ
ツケテ下サイ、ミンナトーッシ
ョウニゴハンヲタベラレル
ヨウニシテ下サイ
グンイドノフネハイツ
クルデス
ゴハンガタベタイナ
タンヲトッテ下サイ
ダンヲトッテ下サイ
クチノナカノチヲフイテ
下サイ
モウネリタクナイ
ヒトリデ小便マ(イ)リマス デ
ベンキカシテ下サイ
スマナイカ角サトウヲーッ二ッモラ
ッテクレナイカネ
『戦没農民兵士の手紙』(岩手県農村文化懇談会編 岩波書店 1961年)

 貧しい農村などから、大切な働き手が戦場にひっぱり出され、こうして「虫けら」のような扱いの末死んでいった。
8月15日、自民党総裁として玉串料を奉納した安倍首相は「国のために闘い、尊い命を犠牲にした英霊に対する感謝の気持ちと尊崇の念を込めた」と述べた。
その「国」は、戦争当時国民に何を強いたか・・・。
 赤紙一枚で有無を言わさず戦地へ引っぱり、人殺しをさせた。戦地に行かない行かせたくないという思いは弾圧され、封じ込められた。とっくに破綻してしまっている戦争に、「神国日本は負けない」と国をあげての嘘をつき全国民を、アジア諸国をさらなる地獄に引きずり込んだ。
「尊い命を犠牲にした英霊」は、勇ましく自ら志願したのではない。特攻、体当たり攻撃という世界に例の無い酷い戦闘行為は、まぎれもなく「国の命令」によるものだ。これら多くの真実と向き会うことなく「美しく勇ましい戦争」を賛美する安倍首相ら閣僚たちの言動は、年ごとに着実にその危険度が増している。自民党の選挙ポスターのスローガン「日本を取り戻す」は「戦前の日本を取り戻す」だと揶揄されている。
「英霊」と呼ばれる人たちは、飢えやケガの痛みにのたうち回り、傷口にわくウジ虫に食い尽くされる恐怖の中、血まみれ糞尿まみれで腐りはて今も南の島で放置されたままだ。戦争の実態、酷さ、愚かさと正面から向き会い、原因を検証し二度と繰り返さないために何が必要かを追求してゆく行為こそが、「英霊」の望む事のはずだ。また同じ過ちを繰り返してはならない。(澄)案内へ戻る


編集あれこれ

 本紙前号、といっても1カ月も前のことですが、参院選結果の分析、絶頂期を迎えた安倍晋三氏の評価とこれに対してどう向かっていくか、などが掲載されました。その安倍政権のやり口の稚拙さには呆れ果てますが、産経新聞編集局次長兼政治部長・五嶋清氏が言うごとく「千載一遇の好機が来た」(7月21日1面)と、倉庫でホコリをかぶっていた在庫の一掃を考えているようです。ちなみに、その日のサンケイの主張(社説)は「『強い国』へ躊躇せず進め‐痛みが伴う課題にも挑戦を‐」でした。
 内閣法制局長官の交代劇が示すように、思いのままの人事を行うことによって思いのままの政策を実現することは、一見、合理的なようです。しかし、これは必然的に過ちを増幅させ、是正する可能性を閉ざすものです。領土紛争においても、戦後補償問題においても解決の糸口を閉ざし、いたずらに対立を煽るばかりです。これらが安倍首相のつまずきの石にならないとも限りません。
 5面のコラムで取り上げられた歴史認識、戦後補償問題でも事態は進行しています。新日鉄住金に続いて三菱重工に対しても7月30日、釜山高裁で韓国人元徴用工の個人請求権を認め、1人当たり8000万ウォン(約750万円)の支払いを命じる判決が下されました。菅義偉官房長官が問題は解決済みと何度繰り返しても、不二越をはじめ後続の闘いが続きます。
 こうしたなかで8月18日、新日鉄住金が韓国最高裁で敗訴が確定した場合には賠償に応じることを明らかにしました。これは、「最高裁で敗訴が確定した場合に賠償を拒めば、韓国内の資産の差し押さえなど強制執行に踏み切られる可能性が高いため、賠償に応じる」(8月19日「神戸新聞」)ものであり、決して戦時強制労働の罪を悔い改めたからではありません。
 さて、ここにはふたつの問題があります。①個別資本は〝企業イメージ〟の悪化を防ぐために、時として現実的な対応へとさっさと舵を切るが、安倍政権は空しく〝問題は解決済み〟を繰り返すほかないのです。②韓国の司法は政府の意向に反して原告勝訴の判決を下したが、日本の司法は遂に原告の望みに応えることなく、政権が組み上げた枠組みを守ることしか出来なかったのです。
 6面の沖縄通信では選挙結果の分析とともに、オスプレイの追加配備にも触れています。基地内とはいえ米軍ヘリの墜落後も、オスプレイの追加配備を容認した安倍政権は今後、自衛隊へのオスプレイの導入、防災訓練でのオスプレイの活用、滋賀県饗庭野演習場でのオスプレイを使った日米共同軍事訓練の実施、などと悪乗りし放題です。オスプレイを買うことによって、米国の歓心も買おうというのでしょうか、墜落の危険性などどこ吹く風です。  (晴)
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