ワーカーズ499号  2013/11/1      案内へ戻る
特定秘密保護法を廃案に追い込もう!
政府による情報独占・ウソ・スパイ行為は三位一体だ!


 安倍内閣は10月25日、特定秘密保護法案を閣議決定し、国会に提出した。安倍内閣が執着する国家安全保障会議設置法(日本版NSC)とともに、今国会で成立させようともくろんでいるものだ。
 安倍内閣は、特定秘密保全は同盟国である米国との情報共有に不可欠なものだと、法整備の口実を示しているが、同法が持つ意味はそれにとどまらない。同法は、主権在民を建前とする民主国家で軍事情報などを政府が独占しようとするもので、政府=国はますます国民から離れ、逆に国民を監視・支配する存在へと、大きく踏み出すことにつながるからだ。
 この法案が浮上してから、すでに多くの方面から危惧や反対の声が拡がっている。たとえば、何が秘密にされるのか分からない、最長5年で秘密が解除されるといっても、30年という最長の繰り返し期限でさえも内閣が承認すれば永遠に秘密のままにされる、取材の自由や国民の知る権利は「配慮」に過ぎず、言論の自由は現実に狭められる、秘密情報の取扱者への身元調査などを口実に、普通の市民運動なども捜査対象にされる、等々だ。
 私たちも同様な立場から同法案には断固反対だ。
 政府は様々な口実を振りまいているが、たとえば石波自民党幹事長も、「30年たっても解除されない秘密は残る」と同法案の尻抜けを吐露している。当事者も政府による情報独占を認めているのだ。あの沖縄密約を暴いた「西山事件」では、密約の存在が明確になっても政府はいまだそれを認めず、裁判所も当初は政府の態度を追認するだけだった。
 同法案が国会に提出されたのに並行するかのように、米国の情報機関による同盟国や友好国の首脳に対する電話盗聴などのスキャンダルが表面化した。ドイツのメルケル首相などの携帯電話が盗聴対象になっていたのだ。ブラックジョークではない。米国では対テロ戦争を口実にした電話やインターネットの盗聴を拡大した。その規模はスノーデン事件で浮かび上がったように、驚愕に値する規模だった。盗聴などの対象が、テロ関連組織だけにとどまらず、同盟国の首脳まで拡大されていたわけだ。国家がいったん秘密を設定し、敵対勢力につながる人々への盗聴などが容認されれば、それが次第に拡大する、というのは法則のようなものでもある。国家はウソをつき、ときには暴走するのだ。
 同じような秘密保護法を導入したいとの野望は、以前もあった。1985年の中曽根政権時代の国家機密法案だ。同法は広範な平和・民主勢力の反対の声や闘いの拡がりで、廃案に追い込んだ経験もある。
 政府の情報を国民の目から遮断し、ひいては国民を敵視する政府の暴走を許してはならない。特定秘密保全法案は、私たちの反対の声と闘いで廃案に追い込む以外にない! (廣)


核をめぐる二枚舌──核不使用宣言の影ですすむ核保有への野望──

 政府が国連を舞台に提案されていた核不使用声明に賛同した。被爆地などの世論の批判に押されての決断だったが、その背後では核保有の野望を依然温存したままだ。
 平和勢力の力をさらに結集して、核廃絶をさらに推し進めたい。

◆欺瞞

 政府はこの10月22日、国連での核不使用声明を承諾した。これは今年4月の同声明を日本政府が承諾しなかったことに対し、唯一の被爆国として不使用宣言を承諾しなかったことへの被爆地などからの強い批判に押されて,やむなく賛同に追い込まれた、というものだった。
 前回不賛同としたのは、日本が米国の核の傘に依存しているという実態と整合性がとれない、というのが、日本政府の弁解だった。が、それにとどまらず、日本の核保有への選択枝を狭めることを拒否するという、政府の従来からのスタンスにもとづくものでもあった。
 今回、宣言の文言の修正に最善を尽くしたうえでの賛同だったとの政府の言い訳を,そのまま信じるわけにはいかない。むしろ欺瞞というべきだろう。なぜなら、核保有能力の維持や核使用の合法性にしがみつく政府の姿勢は、何ら変わっていないからだ。それ以上に、核保有に向けた政財官を貫く〝核ムラ〟の思惑は、いろいろな形で継続・促進されつつあるからだ。

◆お祭り騒ぎ

 さる9月14日、新たな宇宙利用の開拓の場面を迎えて日本列島は沸いた。新型ロケット、イプシロンの打ち上げがあったからだ。
 当初予定されていた8月27日には、打ち上げ基地となっている鹿児島県の内之浦宇宙君間観測所からのロケット打ち上げの瞬間を見守る大観衆の実況中継で、日本のテレビ局を先頭にお祭り騒ぎになった。テレビは打ち上げを心待ちにする地元の様子や、各地から集まった子ども連れなどの観衆による、打ち上げの一瞬に立ち会おうとする期待感あふれる場面を全国放送し、ニュースでも何回も流された。見た人も多かったと思う。
 ところが期待に反して、新型ロケット・イプシロンは打ち上がらなかった。それはそれで、がっかりした観衆の模様も伝えながら、再挑戦の14日にも、規模は小さくなったが同様のお祭り騒ぎが繰り返された。結局、再打ち上げは成功し、一端がっかりさせられた観衆も、新型ロケット打ち上げの成功を目の当たりにして、喚起の渦が拡がった、というわけだ。
 ところでこのイプシロンの打ち上げ、全く別な視点から眺めていた人も多かったと思われる。私もその末席の1人で、また新たなステージがしつらえられた、という想いでニュースを眺めていたのだった。
 なぜ別な視点なのか。それは小型衛星ロケット・イプシロンが、軍事利用と裏腹のもので核兵器を運ぶ大陸間弾道ミサイルに転用可能なものだからだ。

◆弾道ミサイル

 宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発して運用しているもう一つのH2Aロケットは、大型ロケットで液体燃料で飛ぶ。イプシロンの開発は、打ち上げ費用も巨額で打ち上げ準備にも日数がかかるH2Aロケットと合わせ、固体燃料で打ち上げ直前に液体燃料を注入する必要がない低コストで機動性に優れた中型ロケットの保有で、宇宙利用の開発競争で優位な地位を確保する、という建前で進められてきた。
 イプシロンは一躍有名になったあの「ハヤブサ」を宇宙に運んだM(ミュー)5ロケットの後継だ。そのMロケットはメーンエンジンが個体燃料で飛ぶ。イプシロンは、H2Aロケットで使用された固体燃料を搭載した補助エンジンをメーンエンジンに転用して飛ぶ。打ち上げ費用も38億円と少なくて済み、小型衛星打ち上げの受注にも役立つ、日本の宇宙産業の国際競争力の確保にも繋がるものとして、国内では脚光を浴びてきたものでもあった。
 が、それは表向きの理由であって、実際は,有事の際などに偵察衛星などを素早く打ち上げられるという軍事上の要請で、200億円の開発費用を投入して開発されたものだ。それは06年に高コストなどを理由に一端運用を終了したM5に代わって、軍事上の理由、すなわち、弾道ミサイルへの転用や軍事衛星の臨機応変な発射能力を意味する固体燃料ロケット技術の維持・更新への期待を負わされて開発されたものなのだ。
 テレビなどでは宇宙開発への夢を広げる明るいイベントとして紹介されていたが、実際は弾道ミサイルの打ち上げ実験も兼ねるものだった。実際は発射スピードと発射高度などを変えれば、相互に転用可能だ。大気圏への再突入技術が問題だが、その技術の保有も、あのハヤブサの帰還で実証された。現に、弾道ミサイル技術を転用した衛星打ち上げロケットは多い。イプシロンの競争相手でもある欧州とロシアが共同で開発した「ロコット」もそうだ。
 イプシロンの打ち上げ成功は、M5ロケットに代わる、あらたな弾道ミサイル技術の継承・更新という意味合いも持つ、弾道ミサイルの発射実験でもあるのだ。

◆核保有能力

 核保有の野望は、弾道ミサイル技術だけではない。核兵器の原料となるプルトニウムの保有でも同じことがいえる。
 日本は現時点で国内外で45トンものプルトニウムを保有している。核爆弾を5000発以上作れる量だ。核爆弾の原料となるプルトニウムをこれほど蓄積している国は、米国以外にない。
 そのプルトニウムの保有について政府は、プルサーマルなどの核燃料サイクルや高速増殖炉計画によって原発の燃料にして消費する、と言いつのってきた。が、全原発停止でプルサーマル計画が暗礁に乗り上げ、さらには高速増殖炉計画も「もんじゅ」の事故で、そうした計画はすでに破綻している。その増え続けるプルトニウムについて、再処理・再利用ではなく、直接処分も遡上にあがっているが、政府はいまだ当初の計画にしがみついたままだ。これも核兵器保有能力の保持が潜在的な抑止力に繋がるとの立場にたっているからだ。
 核保有能力の維持と潜在的抑止力の確保という立場から政府が進めてきたのは核爆弾の原料だけではない。法的基盤づくりでも同じだ。
 98年の北朝鮮によるテポドン発射に対抗するかのように、情報収集衛星という名目で事実上の偵察衛星という軍事衛星を打ち上げた。その時点では「宇宙基本法」で宇宙空間での研究・開発・利用は「平和目的に限る」とした衆議院決議を、汎用目的だから決議に違反しないと強弁して強行した。
 次には08年の宇宙基本法の改定で、「我が国の安全保障に資する」という条文を入れて、非侵略目的だとの手前勝手な解釈で、宇宙の軍事利用に道を開いてきた。
 次は12年の6月、福島原発事故を受けた原子力規制委員会の設置法で「我が国の安全保障に資することを目的とする」との核エネルギーの軍事利用に道を開く法整備を強行してきた。
 それに歴代内閣の国会答弁では、「自衛目的であれば核兵器の使用も許される」というのが政府の公式な立場になっている。こうしたことを踏まえると、日本の支配層の間では、核保有能力の保持とその使用の権利について明確な合意が形成されていると見なければならない。
 政府の核不使用声明への著名は、多くの平和勢力の抗議と批判などの成果である。次は批判の声をさらに拡げて、宇宙の軍事利用や軍事中心に傾斜する核保有派に対する闘いを拡げていく必要がある。(廣)
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連載14   オジンの新◇経済学講座 番外編--歴史理論はつまらない? 上藤拾太郎

 オジンの言いたい放題連載も半年がたつぞ!いよいよ佳境に入るところまできた。
これも、編集の皆さんとワーカーズの皆さんのご理解あってのこと。異見を受け入れてきた広い心に感謝してます!
 さて今回は、折り返し地点として「番外編」にさせてくれ。  

●歴史ブームと言われても…
 歴史物のテレビ番組は数多い。実録ものからドラマまで。君は、細川ガラシャ夫人とか篤姫、最近では会津の八重がたどった歴史ロマンに熱中しているようだが?
 オジンも、中国の三国志、項羽とと劉邦、韓国の王国ドラマをよく見ている。当時の文化や人の生き様や価値観が感じられるのがすばらしい!
 また古代史ファンが、遺跡の発掘現場などに足を運ぶ光景はたびたび報道されている。邪馬台国論争は長年、古代への思いを高めてくれた。さらに、三内丸山遺跡の発掘が古代史ブームに火を付けたのかもしれない。今は奈良県にある箸墓古墳が、果たして卑弥呼の墓なのかが古代史ファンにとって最大の興味のマトだ。謎が興味をそそる。なるほど日本人のアイデンティティの問題でもある。
 歴史学者の努力により日々解明されつつある古代や未開時代の生活や文化。しかし、歴史の論理への関心は高くない。オジンはそれが残念だ!

●迷信が止む場所に真実は息づく
 歴史は得手勝手に進むものではない、何らかの方向性があるという考えは、どこの世界にもある。宗教や神学、哲学の世界ではおなじみだ。
 古代ギリシャやインドでは歴史の「循環」論が祖型だ。個人ですら「輪廻転生」する。
 また旧約聖書によれば人類史は終末に向かってすすんでおり、最終的な「神の裁き」があると。さらに神(イエス)の再臨と救いを待望するものとか。仏教では、正法、像法の世を経て末世の世に至るらしい。
 近代ではヘーゲルの歴史観が有名だ。理念の自己展開の中で、理想的な社会(当時のプロイセン)に至るという、壮大にしてあつかましい体制哲学だ。
 この様な観念的な歴史観は、ますます受け入れがたいものとなった。当然だろう?
 他の一般科学と同様に、単純明快な事実から社会や歴史を説明する試みが登場した。
 理論を提唱したばかりではなく、それを実践した人物が約二百年前のロバート・オーエンだ。彼は、環境が人間を決定すると考え。貧困の子ども達に「幼稚園」を用意し、親の労働者にはよい待遇と教育を与えた。この様にして無知と怠惰と犯罪を防止し、よき社会が実現すると信じた。
 
●歴史理論を見直そう
 オーエンの「新社会観」は正しいものだ。人や社会はその与えられた環境の中から成長する。人は環境の産物だ、たしかなことだ。
 だが、オーエンが貧困な労働者家族によい環境を与えて善導したが、当時の貧困や犯罪を生み出したのも、その社会環境ではないか?その社会環境はどうしてできたか?これではきりがない。
 そもそもオーエンの個人資力ではどうしようもない社会領域の問題だ。社会自身の進化の論理が別にあるに違いない。
 つまり人は「(社会)環境の産物である」と同時に「(社会)環境自体を生み出している」のだ。何か深い論理があるはずだ。
 これに、重要な答えを出したのがマルクスだ。(『経済学批判』序説)
 マルクスによれば、人間個々人の意志とは別に、生産力の向上が一定の生産関係(社会関係)を実現してゆく、というのである。それが社会の歴史だと!
 おっと! 原稿が予定を超えたので、次回は番外編の「続編」を書かねばならなくなった。(つづく)


映画紹介「Together(ともに生きともに働く)--危機に打ち勝つ協同組合」《字幕版》
   制作ヨーロッパ労働者協同組合連合会・字幕日本労働者協同組合連合会
   ネットで無料で見られるドキュメンタリー映画(約四〇分)


■どうなってる世界経済
 リーマンショックに端を発した世界経済恐慌は、多くの企業を倒産させたばかりでなく、首切合理化で大量の失業者を生み出した。経済回復をめざす各国は先進国を中心に、アベノミックスのような金融緩和と借金財政の拡大で、大バブル経済に突進している。これは金融バブルに依存し、格差社会を拡大し資本主義の病を一層深める道となるのは確実だ。
 そうした中で、協同労働の協同組合が、地道な拡大を続けている。これこそ未来につながる道だ。そのヨーロッパでの活動を、典型的な事例でコンパクトに紹介したものがこの映画だ。

■フランス・エーヌ地域のエーヌ鋳造工場の事例
 もともと自動車部品工場であったが、リーマンショックの時期に経営不振で倒産した。二十六人の労働者は工場を買い取って、地域にある協同組合地域連合会の助言のもとに、労働者協同組合として再生を果たしたという。
 一般企業から協同組合への経営の転換には、大きなカルチャーギャップがともなう。「仕事が終われば家に帰ることばかり考えていた」と労働者。今では、かつて見せていなかった意欲的で、創意工夫の気運が高まっているという。この意識改革がスムーズにおこなわれなければ、協同組合事業は失敗におわる。
 雇われて働くかされる、のではない。正真正銘の自分たちの「会社」なのだ。しかし、この意識転換は、旧来の没主体的で事なかれ主義という長年の「被雇用者」としての悪弊を克服できるかにかかっている。

■ポーランド・ムシナ地域のムシニアンカ協同組合の事例
 これは南部ポーランドの伝統ある協同組合だ。といってもかつては事実上の公営企業だったようだ。約二十数年前、ポーランドはソ連圏の圧力から脱し「自由市場圏」入りした。この体制変換で、かなりの苦境に陥ったらしい。
 しかし、ミネラルウオーターを商品化し、リーマン危機でもむしろブランドへと高めることに成功し事業は安定したという。
 現場労働者も一人一票で経営に参加する。「自らの責任を自覚、投資と分配は全組合員で決める」。
 この事例の中で、特に強調されているのは地域への貢献である。
 小さな村にあるだけに、雇用創出の影響は大きいという。そればかりではなく、病院、学校、スポーツクラブ、青年会などに財政支援し村を支えている。

■イタリア・ミラノ市SAS他
 イタリアには一九七〇年以降、社会的協同組合といわれるものが生成し今では一万を超えるという。一九九一年の「三八一号法」の制定が発展を支えだと。
 その内容は、障害者・弱者への支援だ。これには二種類あり、介護や生活支援の「社会サービス」と就労促進する「労働統合」の事業だ。
 それでもリーマンショックの影響はあったようだ。しかし、「人を切らない、見捨てない」という方針の下、新事業の開拓などで雇用をまもり、事業の継続を果たしてきた。ここの事業規模は小さくてもネットワーク化して、困難を切り抜けているようだ。
 SASは「障がい児の家族のニーズへ答えるため」家族、ボランティア、教育者が創る協同組合だ。「近所のわが家」という画期的サービスを始めた。
 ADは弱者の働く機会づくり、労働統合を目指している協同組合だ。これらADやSASなど三〇団体をまとめているのがSISコンソーシアムという組織だ。社会的協同組合は、このようなネットワーク化を利用して全国に広がったという。

■スペイン・バスク地方モンドラゴン
 一九四三年アリスメンディアリエタ神父が創設した職業学校に源流がある。その後数名の訓練生が協同組合を立ち上げた。
 今では「国内総生産の三%」だという巨大な労働者協同組合だ。リーマンショック以後の大不況でも、人員を削るどころか二千人も雇用を増やし世界の注目が集まる。
 「労働者が主人公」を貫くとともに、産業研究所を一九七四年に開設し、競争力を強化し多様な産業に参入している。
 この協同組合が注目されるもう一つの点は、単にバスク地方に根付いているのではなく、協同組合事業の世界展開だ。
 多国籍企業のように「もうけるだけもうけ、都合が悪くなったら撤退する企業とは違う」と強調する。
 世界展開はチェコ、中国、インドなど百近くの事業所を海外展開し、売り上げの六八%を占めていると言う。

■一つの未来モデル
 新自由主義の蔓延は、後発国ではコミュニティの崩壊と賃金労働者の増大を結果する。他方いわゆる先進国では中小企業の苦境や、中間階級の窮乏化。つまり格差社会だ。
 国家財政の窮乏化は、国民の窮乏化に拍車をかけるだろう。国民的怒りは多国籍企業や政府に厳しく向けられている。
 この怒りのうねりを反動派の排外主義に逆利用されたり、手直しばかりの諸改革に押し込められないためにも新しい「社会モデル」が求められているだろう。変革には大衆に受け入れられる健全なビジョンが欠かせないはずだ。
 映画の四つの協同組合は「ヨーロッパ百五十万の労働者協同組合の一部」である。協同組合の「進化」がよく感じられる。つまり、「組合員のための組合」から「地域社会」さらには世界企業として、普遍的価値や意義を目指す方向性が映画からくみ取れるだろう。
 「公平で自由な支え合いの社会のモデルとなる。」とこの映画は締めくくっている。(文) 案内へ戻る


コラムの窓・・・「水俣条約に思う」

 10月10日、熊本市において「水銀に関する水俣条約」が採択されました。これは、水銀汚染による健康被害が世界の各地において頻発していることから、その使用や取引を規制しようというものです。この条約が水俣と冠されているのは、チッソ城下町で発生した水俣病、その水銀汚染の広がりと被害の甚大さにおいて、世界史に記されているからです。
 ここで安倍首相が9日、水俣市で開幕した水俣条約採択のための外交会議に寄せたビデオメッセージにおいて又してもやらかしているのです。「水銀による被害と、その克服を経た我々だからこそ、世界から水銀の被害をなくすため先頭に立って力を尽くす責任がある」と。
 無知によるものか、傲慢によるものか、ミナマタの被害圧殺の歴史を葬り去る発言です。チッソが垂れ流したメチル水銀が魚貝類を通じて人体に蓄積され、多くの人々が水俣病を発病しました。さらに、胎盤を通じて水銀は胎児に移行し、胎児性水俣病の赤ちゃんが生まれました。
 チッソと東電は同じ責任逃れと補償逃れ、国の対応も同じ。水俣病被害者は何度も政治的に切り捨てられ、幾通りもの〝水俣病患者〟に分断されました。被害の全貌を明らかにするためには、汚染魚介類を食べたすべての住民の健康調査を実施しなければなりません。しかし、そんなことをすれば補償しきれない被害が浮かび上がってしまいます。これは現在、フクシマで進行しつつある事態でもあります。
 チッソは国策会社として植民地に進出した過去を持っています。日韓併合後に朝鮮水力発電の設立、電気化学コンビナート興南工場の建設、そして国内植民地のごとく戦後の水俣に君臨したのです。社会党が〝会社党〟と称すべき地域で、水俣病患者がチッソに刃向うことになったのです。
 医学界の犯罪性も、ミナマタ・フクシマは同じです。権威によって被害を切り捨て、水俣病患者を地獄へと突き落す役割を果たしてきました。患者さんに寄り添い続けた今は亡き原田正純医師は次のように述べています。
「医者は患者の側に立つのがあたりまえ。医学は中立でなければならないという批判もあるが、力関係が同じならいいが、力関係が圧倒的に違うから、弱い立場の患者の側に立つのが当然だ」
 さて、水銀は工業製品だけではなく、小規模金採鉱での汚染の拡がりもあります。健康を害することがわかっていても生活のためにやめられないとか、そうした知識もなく健康を害してしまう人々も、条約など関係なく金採鉱に水銀を使い続けるのだろう。条約ができても、国家や資本の利害がその前進を妨げるでしょう。
 かの宇井純氏は1968年に発刊された「公害の政治学‐水俣病を追って」(三省堂新書30)で次のような指摘をおこなっています。まるで現在進行形の事態を指摘しているようです。
「今日もなお正義の戦争の美名のもとに、ジャングルにひそむゲリラを狩り出すために、ありとあらゆる農薬や化学薬品が空からまきちらされている国もある。ひとにぎりの人間の利益のために、自然も、人類も荒廃させる愚行が続き、そのために数十年後まで及ぶ取り返しのつかない汚染が、自然界にしみついてしまうおそれもある。これを黙過することは、現在生きている世界に対する罪を犯しているだけでなく、われわれの子供たちが住む明日の世界へ悔恨を残すことにもなろう」
「水俣病は不治の病である。現在の医学では一度かかった人をもとの健康なからだにもどすことは不可能な事実がはっきりした。それは小さな島国日本の、小さな辺境の都市で起こった、利益を求めて自然と人間を食い荒らした愚行と悔恨の記録ではあるが、この出来事をはっきり記しておこう。かえらない死者のためにも、健康な私たちができることは、この経験からできるだけのことを学び、同じような人災を繰り返さない道をさがす仕事ではなかろうか」(3ページ・序章より)   (晴)


色鉛筆・・・沖縄の東村高江がでぇーじ(大変なことに)なってる!

本島北部東村にある米軍北部訓練場(ジャングル訓練場)。隣接する住民160名の高江部落を取り囲む様に今、新しい6つのオスプレイパッドが建設されようとしている。旧来の米軍ヘリよりも格段に重量も大きさも大型のオスプレイ対応のための離発着場であることは明らかだが、防衛局はぎりぎりまでずっとそれを住民に隠し続けてきた。
2007年に沖縄防衛局が工事に着手して以来、現地では「ヘリパッドいらない高江住民の会」を結成し、力の差では圧倒的に小さくとも今日までの6年間、工事を阻止するためにほとんど毎日24時間粘り強く座り込み、監視を続けている。広大な基地には工事関係者の出入り口が何カ所もあり、各々に数人づつトランシーバーで連絡を取り合いながら監視の目を光らせている。
 沖縄県内や、最近では全国からも映画「標的の村(三上智恵監督)」を観て驚いて支援に来たという人、学生などもいる。
その高江に初めて一泊で行く機会があった。出発は朝7時。高速道路を使っても2時間あまりかかる。とにかく遠い!那覇に住むAさんも車に同乗。こうして皆乗り合わせて往復する。Aさんは、何度も高江に通うベテランで、今回もいつも通り一週間滞在するという。深い森が続く自然豊かな中に北部訓練場のメインゲートがある。到着するとすぐにAさんは、基地へ入る車のチェックに入る。工事の人や工事車両には特に注意して、丁寧に車を止めて用件を聞き、説明・謝罪し挨拶をする。相手を不快にさせず、なお隙が無い姿はさすがベテランだ。
ゲートは坂の上のゆるいカーブの外側にあり、道路から7ー8メートル奧に門がある。但し道路から2メートルの場所に黄線が引かれ、それより先は「基地内」ということで、知らずに越えるとすぐに門の中から警備員(沖縄の人)がとんで来て注意される。
昼間は座り込みのメンバーも比較的多く(6~7人)男の人もいるので心強いが、それでも大型ダンプカーなどが近づいてくると「これかな?」と緊張し、通りすぎると全員でほっと胸をなで下ろす・・・、その繰り返し。読谷村からの女性の「怖い」、私も同感だ。トイレも近くには無く、食事もほとんど立ち食いの様に済ませる。気をゆるめることが出来ない。そしてとにかく暑い!!
夜9時ようやくメインゲートの門は閉じられ、Aさんと私は宿舎へ。それでもゲート前では泊まり込みの男の人たちが監視を続ける。以前夜10時過ぎにこのゲートから工事の人が入った事があり、本当に油断出来ないのだという。
まだ真っ暗な朝5時すぎ、Aさんがバイクでメインゲートに向かう音で目覚める。私は7時まえにゲート前に送ってもらう。とても緊迫した雰囲気で、泊まりの男の人たちが話すのには、つい30分前の6時半、金曜日の朝帰りの米兵の車が坂の下から猛スピードで走ってきて、ゲート前を通過する直前にウィンカーも出さず猛スピードのまま急に左折して門に入って行った。立っていた誰かが轢かれてしまっていてもおかしくない状況だったという。けが人が出なくて良かった!でも仮に轢かれていたとしても、この目の前の門に逃げ込めば、その罪を問うことが出来ない。これが日米地位協定・日米安保の本当の姿なのだと初めて実感して足が震えた。
その後、高江住民の人がゲート前で宣伝カーのマイクを使い、基地内に向けて「すぐにその車両を調べ、謝って下さい」と訴えるも、何の応答も無く替わりに名護署のパトカー1台と県警の公安警察が2人づつ2台でつぎつぎと登場。驚いたことに(当然なのか?)いずれもこちら側にだけ「道路脇の安全な所に立ってください」などと注意を繰り返すのみで、米軍の側には何の対応もしない。
地元のBさんが改めて警察官に抗議した。
「米兵は酔っていたかもしれない。ほんの一部の兵士だろうが、それにしても悪質な行為だ。私は轢かれそうになって魂(マブイ)を落としそうになったよ。沖縄の人はとても驚くとこういう表現をし、落とした魂は必ず取り戻さないとたいへんなことになるという、きちんと調べて謝らせなさい。」
昨日は大学生のグループが、今日はご夫婦がそれぞれ本土から「標的の村」を観てとゲート前をたずねて来た。たった一日、昨日からの滞在で「高江は戦場」のような印象を受けた私の目に映る彼らは、全身にゆったりとした雰囲気を漂わせている。私自身も同じだ、「本土の人」だからだろう。
畑を耕し仕事をし子育てをし団らんする日常の場が、戦場の様にされ、24時間365日緊張を強いられている高江。たくさんの本土の人に知って欲しい、応援もして欲しい。 しかし何よりも、国・県が「この工事を止める」と言うべきなのだ。そう言わせるために私たちに出来ることは何か?(澄) 案内へ戻る


「男女不平等社会を考える」

 朝日新聞(10月25日・夕刊)に、「男女差報告2013年版」(男女格差の少ない国ランキング)に関する記事が載っていた。
 「ダボス会議を主催する世界経済フォーラム(WEF)が、政治、経済、健康、教育の4分野で男女平等の度合いを評価した報告書を発表した。日本は対象の136カ国中105位。昨年よりもさらに四つ順位を下げ、2006年開始のこの報告では過去最低の順位。」
 特に問題なのは政治分野と経済分野。昨年末の衆議院選挙などの結果、女性議員の比率が11%から8%にさがり、政治分野はなんと118位。
 経済分野でも企業幹部の女性の割合が1割となり、104位。教育レベルは高いのに、女性が十分活躍できていないの指摘されている。
 要は日本社会は男女格差が大変ひどい国だと言うことである。
 なお、トップは5年連続でアイスランド。2位はフィンランド、3位はノルウェー、4位はスウェーデンとやはり北欧諸国が占めている。日本は経済に関しては「経済大国」とか「先進国」とか言われてきたが、このような男女平等に関しては「後進国」以下のレベル。実はここに日本社会の停滞原因があるのではないか?と考える。
 この女性登用問題に関連して、自民党の野田聖子総務会長は25日の会見で、「各省庁の幹部公務員に占める女性の割合(人事院調べ)が2011年度で平均2・6%」と発表した。
 自民党は選挙公約で20年までに「社会のあらゆる分野で指導的地位に女性が占める割合を30%以上とする」と掲げている。公務員の職場さえ、2~3%のレベル。社会のあらゆる分野で女性の占める割合を30%以上など、この自民党に出来るわけがない。100年たっても無理であろう。自民党こそが「男女不平等社会」を作り上げ維持してきたのだから。
 このデータから言えることは、男女平等に関して日本は世界の「後進国」。政治界や経済界では女性リーダーが圧倒的に少ないと言うこと。ところが、その他の分野を見ると日本の女性は元気一杯である。皆さんも自分の周りを見ればわかると思う。大学進学率は女性上位。海外留学も女性上位。海外で活躍する女性も多い。スポーツ界も女性上位に。このように様々な分野に優秀で力量のある女性が進出しリーダーが育っている。
 ところが、政治界と経済界のリーダーを見てみると、圧倒的に女性進出が少なくリーダーが育っていない。なぜか?
 今の日本社会を象徴しているものの一つに、あの「AKB48」現象があるのではないか。若い女性が元気ハツラツに歌い踊る舞台。それを見る観衆は、ほとんど若い男性陣。
 こんな事を言うと、自民党の高齢議員から「だから、今の若い男性連中を鍛えなければダメだ。昔のように軍事訓練などが必要だ」となる。どこかズレている。
 自民党を始めとしたタカ派国会議員の多くは、日本の「男女不平等社会」が問題とは思っていない。女性は社会進出するのではなく、家庭を守っていれば良いと考える「良妻賢母」型思考が多い。
 経済界も旧態依然とした「男性中心社会」で、会社と家庭を両立させようと頑張る女性は長く勤めることが出来ず、一定期間の消耗品扱いである。
 安倍首相は「日本経済を立て直す」とか「国益を守り美しい国の実現をめざす」とか「日米同盟の強化。集団的自衛権の行使」とか「原発再稼働」などを自信たっぷりに声高に叫んでいる。
 だが、こうした政治界や経済界の指導者の国際感覚のズレが実は国際社会からの孤立を生んでいることを知らない。また、この指導者の国際感覚のズレが実は日本社会を停滞させる原因となっている。
 現在の停滞する日本社会を打破していくための一つの方法として、女性の社会進出を推し進めるために「男女平等社会」を実現させ、各分野の男女リーダーを育成していくこと。その社会変革の中で意識改革も進み「日本の常識が世界の常識となる」時代が来ると考える。(読者・O)


福島からの便り-わたぼうし

 10月に入ると、あちこちからきんもくせいの甘い香り漂ってきます。先日、公民館(学習センター)から電話があり、信夫山の大わらじと担ぎ手の写真に大笹主(おおざそう)藪屋敷(やぶやしき)町内の27人の担ぎ手を、護国神社に奉納された大わらじが写っていました。
 子どもの頃、祖母の話によると、祖父の父が我が家の納屋で畳の一畳ほどのわらじを作り、数人で信夫山に奉納したのが『わらじ祭り』のはじまりと言います。昭和元年に、現在の大きさになったと言われています。信夫山まで大笹主から10数キロの道のりを担いでいましたが、昭和36年頃に信夫山の麓『御山地区』に受け継がれたということです。
 当時、世界一の大わらじと言われ、その記録はNHKの『映像の20世紀』で放映されたそうです。私の父が担ぐわらじの後をついて信夫山に登った記憶があるのですが、誰に話しても信じてもらえず、少し残念な思いがしていました。
 この写真によって、この地区が「信夫山暁まいり、大わらじ」のルーツだと言うこと。祖母の話が本当だということが証明されました。そしてわずか30数軒のこの集落の結束力の大きさに驚かされました。今では『わらじ祭り』は福島を代表する大きな祭りとなっています。私はTVカメラを買う予定。旅できない代わりに。
2013・10 あっぷる・ファーム後藤果樹園 後藤幸子   案内へ戻る


編集あれこれ

 本紙前号1面は消費税導入後、「庶民から消費税でたっぷり吸い上げ、大企業や大資産家の懐を大きく膨らませた」と指弾し、消費税増税をやめろ、安倍政権を退陣させようと主張しています。安倍首相は、手当たり次第のやり放題でこの国をどこへ向かわせようというのでしょうか。スタートを切ってしまった消費税増税で、忘れてはならないのが〝消費税還付金〟です。
 これは「外国の消費者から日本の消費税はもらえないので、輸出業者が仕入れの際に払った消費税分を返すだけ」という奇妙な理屈をつけて、有力20社だけで約1兆円、総額3兆円越えの〝消費税還付金〟を輸出業者に分け与えています。詳細は「週刊金曜日」(9月20日)を見ていただくとして、トップのトヨタ自動車は何と約1800億円が濡れ手に粟の収入となっています。
 消費税率が上がるほどに、黙っていても収入が増える、魔法のような仕組みです。厚かましい企業がひねり出したものか、官僚が企業利益を〝忖度〟して法に加えたものか、どちらにしても逃げ道もなく消費税をむしり取られている庶民にとっては「知らされぬが華」です。これに類したことはいくらもあって、知れば知るほど怒りがこみ上げるばかりです。
 2面では原発事故子ども・被災者支援法の基本方針が、「法律が明確に規定した住民の意見の反映のプロセスを全く経ないで」閣議決定されたことを批判しています。9月に行われたパブリックコメントの募集、実は私も次のような意見を送ったのですが、パブコメは形式的に聞き置くだけということになってしまっています。それでも、出さなければもっと悪官僚を喜ばせるだけなのがつらいところです。
意見「支援対象地域を福島県内にかぎるのは正当な理由がない。3・11以前の基準である年間追加線量1ミリシーベルト以上の地域を支援対象とすべきである。また、放射能の影響を強く受ける子どもたちには毎年一定期間の転地学習を保障すべきである」
理由「3・11東電福島の事故による、今後の地域住民への健康被害は予測しがたいものがある。したがって、可能な限り、予防原則に従って対策を取らなければならない。また、唯一参考できるのはチェルノブイリであり、そこで取り組まれている施策を取り入れるべきである」
 5面の色鉛筆「少年自衛隊って?」には驚きました。その種のものとしては防衛大学くらいしか知らなかったし、その大学生にも会ったこともなかったので、こんな幼い少年が暴力が支配する〝命令と服従の世界〟に放り込まれていたとはいたましいことです。
 しかし、世界に目を向けると子ども兵士が戦場に狩り立てられている現状があります。アフリカ等で内戦が続いているようなところで、子どもが誘拐され、まさに暴力による服従を強いられ、家族を殺すことを強要されることもある、想像を絶する極限状態のなかで生きざるを得ない子どもたちがいます。
 日本の子どもはそれほどまでの状況には置かれてはいませんが、この国において子どもたちに未来があるのかと問われて、明確に「ある」とは答えられないのが現状です。そこで問題なのが、安倍的政治によるこの国の荒廃です。何とかしなければ、と切実感を持ちます。 (晴) 案内へ戻る