ワーカーズ501号   2013/12/1     案内へ戻る

 秘密保全法制が開く戦時への扉・・・これは安倍の全権委任法ではないか!

 1933年、ドイツ議会は「民族および国家の危難を除去するための法律」を可決し、ヒトラー独裁に道を開いた。政府与党は何が何でも「特定秘密保護法案」(及び、これと対になった「国家安全保障会議設置法案」)を今臨時国会で成立させようつと、湧き上がる反対の声に無視を決め込んでいる。
 11月最後の週明け、福島市で公聴会が開催された。フクシマの経験は、この国に必要なのは情報を隠すことではなく、情報公開こそが第一だと公聴人は口々に述べた。法案への反対は政権側にもあり、法案のずさんさは覆うべくもない。自民党のなかにもさすがにこの法案は危ないと感じている議員もいるが、安倍翼賛の勢いに飲み込まれてしまっている。
 これは実に危ない兆候だが、安倍にとっての〝黄金の3年〟は始まったばかりだ。自民暴走を止めるために与党に参画したという公明党は、安倍に追随することで与党の席にしがみついている。脱官僚のはずのみんなの党は、与党との修正協議を経て官僚に屈服した。30年で公開を主張した維新の会は、最長60年、しかも例外ありの修正で合意した。修正協議で後退、これは安倍の勝利であり、その背後で官僚たちがほくそ笑んでいる。
 とりわけ警察官僚は大きな権力を手中にし、公安が特高に変身する危険性が高くなる。現在においても、公安警察は国政に反対する運動(法案では「特定有害活動」と称しているが)の情報を収集し、恣意的な逮捕・家宅捜索などを繰り返し、暴力的弾圧による運動破壊を行っている。これがおおっぴらに行われるようになり、市民による相互監視すら起こりかねない。
 かつて、この国には最高刑死刑の「軍機保護法」があり、軍港の写真やスケッチすら法に触れるものとされた。安倍らが手に入れようとしているのは、こうした秘密保全法制だ。政権与党と国家官僚の利害は必ずしも同じではない。実際に情報を握るのは官僚だ。安倍はいずれ退場するが、3年も好き勝手させるわけにはいかない。ともあれ、今は目前の「特定秘密保護法案」の廃案めざし闘い抜こう。 ‐11月25日 折口晴夫


 【秘密保護法案】戦時体制づくりは許さない!──安倍政権の野望を跳ね返そう──

 特定秘密保護法案の国会審議が大詰めを迎えた11月26日、自民党など与党は野党の一部を巻き込んで衆院での強行採決を決行した。国民の大多数の反対を押し切っての暴挙に、怒りを込めて強く糾弾する。
 衆参で過半数を握る自民党・公明党の与党は、みんなや維新の会と修正協議で合意したとして、今臨時国会での成立を強行しようとしている。防衛・外交などの重要情報を国民から隠し、戦前のような警察国家をもたらす同法案を廃案に追い込むためにも、自民党など与党の強硬姿勢を跳ね返していきたい。(11月26日)

◆強権化する行政権力

 安倍首相は米国との防衛・外交情報の共有のためにも同法案が必要だとしてきた。外圧を理由にするのはなにも同法案に限ったことではないが、日米での軍事的連携を交戦行為にも拡大したいとの安倍政権の野望があからさまだ。そのこと自体が無謀で危険なことは後で触れる。
 同法案が隠そうとしているのは,同法が対象とする防衛・外交・スパイ活動・テロ防止にかかわる情報だけにとどまらない。行政機関の長、すなわち権力者にとって国民に知られたら都合が悪い情報の恣意的指定も可能だからだ。なにが秘密なのか、それも秘密だ。
 同法案の持つ意味は、国民生活にも多大な影響を及ぼす軍事・外交情報が行政に独占されるだけではない。同法案は、直接には秘密を漏らした公務員や関連業者に厳罰を科すものだが、同時に秘密情報に接近しようとする行為をも罰則の対象にし、メディアを始め労働組合や市民団体をも取り締まりと罰則の対象にしている。しかも、公務員の適性評価という名目での生活習慣や身辺調査も予定されており、その範囲は「家族・配偶者・父母・子及び兄弟姉妹並びにこれらの者以外の配偶者の父母及び子」なども含まれる。最終的には、身内に公務員がいる人や公務員とつきあいがある人も身辺調査の対象とされる。
 さらに「共謀し、教唆し、又は煽動した者」を処罰対象とし、具体的な犯罪行為がなくとも検挙・処罰できる規定も組み込んでいるので、関係する人々との対話や付き合いも取り締まり・処罰の対象にさせられる。
 その上、「スパイ活動などの特定有害活動の防止」や「テロ防止」という、なんとでも理由が付けられる行為での取り締まりが目的とされている。実際には、労働団体や反戦団体、それに普通の市民や市民団体による正当な情報収集活動に対しても、拡大解釈で標的にされる。
 こうしたことを考えれば、市民すべてが警察などの取り締まりの対象とされかねない。あの悪名高い治安維持法の再現につながる、警察国家の招来のもたらすきわめて危険なものという以外にない。

◆安倍版《国家機密法案》

 こうした特定秘密保護法案は、国民の知る権利を否定するものだとして廃案になったあの国家機密法案と同じような性格を持っている。
 1985年に提出され、各団体・各界からの広範な反対の声の盛り上がりで87年に廃案になった国家機密法案。正式名称は「防衛秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」で、そこでも「等」という対象を拡大できる語も入っていることでも分かるように、今回の法案と同じような、対象を限りなく拡大解釈できるものだった。
 その機密法案。その必要性を「日本=スパイ天国」だとして提案されたものだが、実際には日本はスパイ天国などではなかったことを当時の当局者も認めているものだった。今回の法案も防衛・外交にとどまるものではないことは、秘密指定できる行政機関を、内閣と防衛省それに外務省に限定することをかたくなに拒否していることを見ても明らかだ。しかも秘密指定は行政機関の長で、その範囲はきわめて曖昧で広範なものになっている。
 また、秘密への接近について、「不当な方法」の定義が明確でないこと、取材・報道への適用除外についても「配慮」に過ぎず、実効性は保障されていない。
 これらは、国家機密法案と今回の秘密保護法案に共通するものだ。その機密法案の実現をめざして「草の根保守」も含めた運動の中核となって活動していたのが「スパイ防止のための法律制定促進議員・有識者懇談会」で、その会長だったのが、安倍首相の祖父だった岸信介だった。祖父を尊敬すると公言する安倍首相。祖父がかつて目論んでいた軍事大国化および政府・行政による情報独占や警察国家化への野望を、第二次安倍政権で改めて実現しようとするものになっている。

◆戦争国家への道

 今でも国家公務員法の守秘義務など、スパイ行為は取り締まろうと思えば現行法でも可能だ。国家機密法案の時も、「現行法を適用すれば(スパイは)検挙できないことはない」〈スパイ防止のための法律が)「無いならないで別に支障はない」(警視庁警備局長)とされていた。
 その上で01年の自衛隊法改正で「防衛秘密」規定が新設され、他にも国家公務員法や日米相互防衛援助協定等にともなう秘密保護法などでも刑事罰が可能にされ、また刑法でも様々な処罰規定が存在する。
 それとは別にもっと強力な秘密保護法が必要になるのは、有事=戦時、あるいは実際の武力行使を想定しているからだ。あの太平洋戦争の前、日中戦争の開始とともに大改正された軍機保護法もそうだった。さらに1941年には「国防上外国に対し秘匿することを要する外交、財政、経済、その他」の秘密保護を目的とする「国防保安法」が公布され、その9ヶ月後には真珠湾攻撃が始まった経緯もある。
 今回の法案は、安倍内閣がめざすこの11月27日にも成立を狙う国家安全保障会議の設置や集団的自衛権の容認、その延長線上での憲法改定など、安倍内閣がめざす戦争遂行国家への道と不可分の関係を持っている。
 当面の焦点になっている集団的自衛権の容認も、現実の交戦を可能にしたいという安倍首相の強い思い込みが背景にある。現状では領土紛争など部分的な衝突の可能性は否定しきれないとしても、日本に本格的な武力攻撃を仕掛けてくる国はまず想定できない。中国にしても北朝鮮にしても、そんなことをすれば自国の破綻につながりかねないからだ。だから政府のいう「個別的自衛権」行使の機会は当面ありそうもない。そうすると日本の軍隊が武力を行使する場面はほぼ無いことになり、それではいつまで経っても「普通の国家」に脱皮できないからだ。
 集団的自衛権が行使できることになれば、世界の憲兵として世界中で戦争を繰り返してきた米軍と一体となって武力を行使することが可能になる。「地球の裏側」も否定していないことでもそれは明らかだ。いつでも「戦争ができる普通の国家」への野望は尽きることはない。
 現に安倍首相は本気で中国と対峙する姿勢を見せている。就任一年で東南アジア諸国連合(ASEAN)参加諸国すべてを訪問したのも、また10月7、8日にバリ島で開催されたアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議でベトナムの国家主席と、さらに9、10日のASEAN関連首脳会議でフィリピンのアキノ大統領と会談したのも、安倍内閣としては対中包囲網の形成だとの位置づけからだ。フィリピンもベトナムも中国との領土紛争を抱えている。これらの態度は、安倍首相が戦前体制への回帰や冷戦思考型のパワーポリテックスに執着していることの現れなのだ。

◆クーデター

 今回の特定秘密保護法案は、これらの外交姿勢、また国家安全保障会議の設置、集団的自衛権容認への憲法解釈の変更、その先の憲法改定とセットでみれば、安倍政権が明らかに国家主権思考・軍事優先思考にもとづく戦前体制への回帰、戦時体制づくりへの野望をあからさまに推し進めていることが浮かび上がる。私たちが対峙しているのは、そうした逆流政権なのである。
 安倍政権が目論んでいるのは、曲がりなりにも平和主義、国民主権、基本的人権の三本柱を組み込んだ平和憲法を維持して歩んできた、戦後平和主義・保守主義に対する実質的なクーデターともいうべきものだ。それは議会制民主主義の建前としての国民主権に真っ向から敵対するものでもある。特定秘密保護法案は、立法権や国民自体を敵視することの上に成り立っているからだ。
 そうした安部自民党と対決するには、報道・取材の自由や国民の知る権利といった民主主義の一つ二つの原理を擁護するだけでは不十分だ。そうしたクーデターに対決するには、それと対決できる対抗勢力の形成が不可欠だからだ。
 世論調査で70%以上の人々が反対し、政府のパブリックコメントでも77%の批判意見が寄せられ、また学者・弁護士・それに報道機関のほとんどが反対の声を上げている秘密保護法案。その内容のあまりの時代錯誤と危険性が広く知られるにつれて、各地の反対行動も拡がりつつある。
 国家中心主義、軍事至上主義政治と対決し、同法案を廃案に追い込もう!(廣)案内へ戻る


 色鉛筆・・・秘密は秘密? 情報は私たちのもの!

 11月の初め、「特定秘密保護法案」に反対する集会に参加し、某大學教授の講演を聞く機会がありました。法案の内容を細かくチェックし、もし成立したらこんな影響が出ると、例を上げての説明がありました。市民が活動をすることを制限したり、組合活動にも干渉してくるなど、法案の狙いは何かを実感させられました。もし政府の秘密を知らずにその内容にふれ街頭でのビラ配布をしたら・・・。何という世の中になるのか気が重くなってしまいます。
 その後、集会に参加している弁護士さんからアピールがあり、的を射た私たちへの提起に、気持ちを切り換えることが出来ました。グローバル社会が進み政府の言う、テロ対策や外交政策は「国家の治安を維持するため」とする理由に、それなら仕方ないかと、法案成立に譲歩してしまう気風が無いとは言えません。
 それに対し、情報は誰のものか? この問いかけに迷わず、情報は私たちのものと、胸を張って言える人が何人いるでしょうか。主権在民を基盤に社会が成立しているのなら、政治を判断するための情報を秘密にされることは、選挙権を有効に行使するための正しい政治の方向性を見い出すことができません。私たちには、憲法で保障された「知る権利」がある、これを武器に闘おうと、呼びかけられました。闘う土俵はここだと、教えられ次の行動に繋げる自信を得ました。
 11月12日、大阪の弁護士会主催の緊急抗議デモに参加してきました。平日の12時、お昼休みを利用してのデモでしたが、600人も集まり報道関係者も取材に来ていました。道行く人は、何ごとなのか と怪訝そうに見る人もいましたが、法案の危険性を知ってもらういい機会になったと思います。ついでに言っておくと、西宮では駅前2ヵ所でシール投票を行い、法案に賛成・反対・わからないの選択で行ないました。反対は66%に上りました。
 その日の午後は、映画「SAYAMAーみえない手錠をはずすまでー」を観てきました。「市民により制作され、市民によって上映されていく」そんな熱い思いを込められた映画は、主人公の石川一雄さんの地元から上映が始まりました。神戸の上映会では、監督の金聖雄さんからは、石川さんと生活を共にする早智子さんとの自然な会話から、何かを得て欲しいとアピールがありました。
 映画では、敢えて事件の全容には触れず、冤罪の重たさは石川さんの表情や石川さんのお兄さん夫婦の会話から感じとれ、観客のそれぞれの感性を大切にして作られた映画でした。この映画が広がり再審へと繋がっていけば、石川一雄さん念願のご両親のお墓参りも実現することでしょう。皆さんも是非、観て下さい。 (恵)


 連載15  オジンの新◇経済学講座  番外続編--唯物史観の再生のために(上) 上藤拾太郎

少し遅れたが、祝『ワーカーズ』五百号!オジンはこれからも頑張るぞ、期待してくれ!
●「唯物史観」はむずかしソー?
 前にも言ったが。神や理念から歴史を説明するやり方なんてとっくにお払い箱だ。
 社会や歴史も自然科学とおなじく、誰もが認めうる「明快な事実」の組み立てから説明されなければならない。今では当然のことだろう。これが唯物史観の第一歩だ。
 つまり、進化の中から登場した人類の活動の分析から始める。意識的にこの様な立場をとったのは、オジンの知る限りマルクスが最初だ。もっともマルクスに『唯物史観』なんて著作はない。断片的な記述があるのみだが。
 マルクスは言う「人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した諸関係を、すなわち、彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に照応する生産関係を取り結ぶ」と(『経済学批判』序説)。
 オジンはこう理解する。人間社会も動物の「群れ」と同様に協同防衛的な性格、繁殖の機能を持つ。人々は、無意識に多面的な集団的協力関係を取りむすんできた。
 しかし、進化の過程で比重を増してきたのは経済活動としての協同性=生産関係だ。つまり数百万年前の道具の利用や作成があった。狩猟技術も十数万年前に確立された。一万年前には農牧業生産がはじまり、さらには近代の産業革命による工業の勃興等は、「生産力」を高めたばかりではなく、経済活動の比重をさらに増す大きな要因であった。
 こうしたなかで生産力水準の各段階は、ザックリ言えばだが、それにふさわしい生産関係(社会・経済関係と読み替えてもよい)を持つ、ということである。マルクスの唯物史観とはこれだけのことだ、むずかしくないだろ?具体例がなく分かりづらい?…確かに。
 
●唯物史観には原点がある
ではこの話を聞いてくれ。マルクスがこのような歴史把握に立ったのは、当時(19世紀)のヨーロッパが、絶対王政(封建的社会)から産業革命を経て近代市民社会(資本主義)へ突き進んでいたことだ。王政反動派、資本家勢力、労働者階級が激しい闘争を展開した。経済の革新が古い封建的生産関係を打ち崩し、新たな生産関係・社会関係をもたらした。マルクスの唯物史観という歴史理論はここから発想されたと言ってよい。のちに唯物史観にもとづいて分析された『フランスの階級闘争』『フランスの内乱』『ルイ・ボナパルトのブリューメル18日』の力作に結実した。
 マルクスは言う「社会の物質的生産諸力は、その発展のある段階で、それらがそれまでその内部で運動してきた既存の生産関係と矛盾するようになる…そのときから社会変革の時期がはじまる」と。
 たゆみない生産力の向上があったとしても、生産関係は、階級闘争や政治闘争をともなって時には停滞や後退がある。一見、錯綜した動きに終始する。にもかかわらず、おおまかには生産力の進展に対応して社会は変革される。時には革命をともなって劇的に進展する。マルクスの上記の作品はこれらを描いたものだ。

●科学も適応を間違えばナンセンスになる
 このように唯物史観という理論に妥当性はあるが、その適応の範囲が次に問題となる。なぜなら、どんな科学理論も万能ではない。適応の範囲が定まって初めて「科学」として確定する。
 残念なことにマルクスは、この理論を上記のように近代西欧史以外の時代や地域に拡張し具体的に例証していない。この課題は残され、われわれにゆだねられた。だが、自称「後継者」達(スターリン派が代表だ)が、その強引な適応で、唯物史観を自らはずかしめてきた。
 例えばこうだ。旧ソ連アカデミーの研究者は、無茶なことにアジア的、古典古代的、封建的、資本主義的、社会主義的生産様式を、生産力の発展にともなう普遍的な世界史の段階理論として「確立」した。とんでもないことだ!例えば中国に奴隷制社会(古典古代)や封建社会(古代の宗族体制を除く)は基本的に存在しなかった。いや、インドや中東などの歴史も理解不能となる。
 歴史の「発展モデル」は研究のみち引きの糸になる。だが無理な「あてはめ」は科学を毒する!
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 経済要因を歴史の原動力として理解するマルクスに対して、例えばトインビーなどは精神・文化と歴史の展開を結びつける歴史家もいる。だが、現代科学(ホミノイド-人間化研究)の成果は、人間的精神や文化も、経済要因や社会活動の必要性から成長したことをしめしている。人間的精神や文化はその成果であり結果である。トインビーらの歴史観は逆立ちしたものに過ぎない。悪いがここでは無視させてもらう。(つづく)

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 コラムの窓・・・こども達の未来と環境破壊

◆放射能と甲状腺検査◆
 先日、医療関係者の学術集会があり、その市民企画として福島での原子力災害以降の取り組みについて、現地の医師による講演会を聞く機会があった。
 健康診断などの疫学的なデータが示され、「今のところ放射能による健康被害は認められない」とのことであった。「今のところ」である。十年後、二十年後はどうなるのか?それは全くわからないのである。
 このため、福島ではこども達に「甲状腺エコー」の検査が行なわれている様子が、映像で紹介された。検査それ自体は簡単なのだが、将来の健康不安は、こどもにとっても、親にとっても、どんな気持ちだろうか?それを思うと涙が出てくる。
 チェルノブイリでは、原発事故のあと、こども達の甲状腺ガンが増加していることは周知のことである。
 環境破壊の影響は、こどもの時期に表れなくとも、成長して大人になってから表れることもある。福島の健康調査は、こども達の一生を通じて、五十年後、いや八十年後まで、続けなければならないことなのだ。

◆水銀汚染の場合◆
 数年前、水俣を訪ねたとき、五十代の患者さんの話を聞いた。
 水俣病が発生した当時、まだ子供で、家は漁師で毎日、魚を食べていたが、何の症状もなかった。そのため、よもや自分が水俣病になるとは思ってもいなかったそうだ。
 大人になって、働くようになり、結婚して家庭も作り、四十歳を過ぎたことから、手足にしびれが出てきた。水俣病の申請をしたが、認定基準に合わないとの理由で却下された。そのときの悔しさ、悲しみは、言いようもないものだったという。その後、独力で再審請求を続け、ようやく認定を勝ち取った。
 「水俣病は終わっていない」と言われるのは何故か?それは、患者の発症時期の高齢化に伴って、症状も変化してくるため、「認定基準」の方が、患者の現実に合わなくなっていくためなのだ。固定した「認定基準」で患者を切り捨てる、いまの救済制度の設計が根本的に間違っているのだ。

◆薬害肝炎の場合◆
 お母さんが出産する時、大量に出血することがある。「弛緩出血」といって、赤ちゃんが産道を通過した後、本来なら子宮が収縮して出血が止まるはずなのだが、子宮の筋肉が弛緩して出血が止まらなくなることがあるためだ。
現在は「子宮収縮剤」を投与して出血を止めるのだが、三十年前は、血液凝固因子の入った「フィブリノーゲン製剤」を使用していた。アメリカで製造されたこの製剤に、肝炎ウィルスが混入していた。それを知りつつ、製薬企業や厚生省が使用を奨励したため、お母さんたちはウィルスに感染してしまった。「薬害C型肝炎」である。
C型肝炎は、感染当初は症状が表れない。十年後、二十年後になってから発症する。肝炎が進むと、肝硬変になり、やがて肝がんになる場合もある。治療のためにはインターフェロンを投与するのだが、この副作用は苦しいもので、治療費も高額になる。中高年になってから発症し「治療費を稼ぐために、働き続けなければならない」と訴える患者さんの声は本当に痛々しい。

◆体内に蓄積する被害◆
 放射能、水銀、ウィルス・・・、これらの被害は、こども達や母親の体内に蓄積し、十年後、二十年後に健康被害となって表れる。症状が表れてから、その原因である、十年前、二十年前の曝露との因果関係を立証するのは、至難の業である。原発事故や公害、薬害は、だから、短期間には解決しない問題だということを肝に銘じなければならない。
 福島事故から三年も経たないのに、もう原発の「再稼動」や「新設」や「輸出」が、当たり前のように取りざたされる、この国とはいったい何なのだろうか?自分の体に、放射能や水銀やウィルスが蓄積し、将来の健康への不安をかかえて生きていく、そんなこども達や母親たちの未来への責任を忘れて、「東京オリンピック景気」とやらで、再び「経済の繁栄」の夢を追い求める、この国とは?(誠)


 歴史散歩 自由民権運動と高知市立自由民権記念館の紹介
 
 NHKの大河ドラマ「八重の桜」は、士農工商・えた・非人等・封建的身分制度の江戸時代末期から天皇を主権にした明治時代、男尊女卑など性差別が強く残る時代に、自立し、生き抜いた飯島八重という女性を物語っているが、八重が生き抜いた時代は、士農工商という封建的身分制度が廃止され、一般庶民「平民(華族、士族の下位に置かれた族称)」が政治に(限定的ではあったが、)関与できるような自由民権運動が起こった時代でもあった。
 自由民権運動で有名なのが、1882年(明治15年)4月6日、自由党総理だった板垣退助が岐阜で襲われたとき発した「板垣死すとも自由は死せず」と言う言葉、当時の報道によれば「アッと思うばかりで声も出なかった」とも書いており、実際には襲撃直後は痛くて言えなかったのではないかなど、諸説あり、文章として登場したのは、4月11日の大阪朝日新聞の、板垣は「板垣は死すとも自由は亡びませぬぞ」と叫んだという記事。等々真相は不明だが、当時の自由民権獲得運動の高揚を示し、その獲得に向けての強い意志の表れとして象徴されている言葉ではある。【板垣自身、征韓論にみられるように熱烈なナショナリスト(幕末の尊皇攘夷思想など当時の事情がそうさせていた)であり、民権運動の重要な時期に政府から金をもらって外国へ旅行する等、批判もあった。】

 日本史で、江戸時代を「近世」(近代社会を成立させる前提条件が育まれた時代として評価。)明治以降【新政府の成立に則って明治維新(明治元年、1868年)による皇室への大政奉還・王政復古とする説と、江戸時代末期の日米和親条約による開国(嘉永7年、1854年)とする説の2説がある。】から1945年までの戦前を「近代」、1945年以後の戦後を「現代」と見なすことが一般的で、明治時代に起こった政治運動・社会運動=自由民権運動は1874年(明治7年)の民撰議院設立建白書の提出を契機に始まったとされ、それ以降薩長藩閥政府による政治に対して、憲法の制定、議会の開設、地租の軽減、不平等条約改正の阻止、言論の自由や集会の自由の保障などの要求を掲げ、1890年(明治23年)の帝国議会開設頃まで続いた。

 征韓論で下野した板垣退助らによって始まった自由民権運動の当初は、政府に反感を持つ士族らに基礎を置き、士族民権とも呼ばれ、武力を用いる武力闘争が多かった。【江藤新平の佐賀の乱(1874年)や1877年(明治10年)の西南戦争まで続いた。】
 その後、農村指導者層を中心にした豪農(豪農民権)や農民、都市ブルジョワ層や貧困層、博徒集団に至るまで当時の政府の方針に批判的な多種多様な立場からの参加によって、大衆運動として日本全土に広がり、不平等条約改正の阻止など、日本の自立というナショナリズムを多分に含んでいたが、日本の民主主義運動として高揚し、国民の権利を、天皇が臣民に与えた「恩恵的権利」と定義した大日本帝国憲法より進んで、「基本的人権」を永久不可侵の権利として認めようとする“私擬憲法”(東京・多摩地区の農家の土蔵から発見された『五日市憲法』など)も提出されるなど、近代日本の歴史に重要な役割を果たすだけでなく、現日本国憲法の規範となるものも含んでいた。
 
 歴史の中の進歩的事実は見逃してはならないと思うし、その中から得た知識を、新しい社会建設に役立てる必要があり、その意味で現代を問えば、職場・地域での格差や差別は依然と存在し、言論の自由も脅かされるなど、今の民主主義は不十分であると言わざるをえない。一部の人々(支配者)による彼らの民主主義ではなく、多くの勤労市民や労働者を巻き込み・結集し、民族や国を超えた人類の大同参加によってのみ、最も進んだ民主主義が生まれることは明らかなのです。(光)

 高知市立自由民権記念館
 
 JR高知駅前から路面電車に乗り換え約15分、桟橋車庫前(自由民権記念館前)で下車すると、そこに高知市立自由民権記念館がある。
 記念館のホームページの「ごあいさつ」には、『近代日本の歴史に重要な役割を果たした高知県の自由民権運動を中心とする当時の資料の収集・調査研究・保管・展示と、それらを次代に継承することを目的とする施設で、高知市制100周年を記念して1990年4月1日開設された。
「自由は土佐の山間より」といわれるように、近代日本の歴史に土佐の自由民権運動は大きな役割を果たしました。 高知市は、この壮大な日本最初の民主主義運動の高まりの中で誕生しました。 高知市制100周年を記念するに当たり、自由民権運動の資料を中心に土佐の近代に関する資料を広く収集・保管・展示して、確実に次の世代へ引き継いで行くために自由民権記念館を建設しました。 自由民権記念館は、自由民権運動と土佐の近代史から学び、その意義を現代および未来に生かすものとして市民自治と文化の新たな発展に寄与することを目的としています。 また、高知市民・県民が誇る最大の財産である自由民権の思想を継承・発展させ自由民権記念館を高知市の新たな100年へのシンボル施設とします。』と、多分に高知市の宣伝がちりばめられていますが、板垣退助らと親交もあった坂本龍馬のふるさとで、ご当地紹介と観光勧奨はご時世ですので御容赦し、見学、学識を深めてみてはどうでしょうか。案内へ戻る


 沖縄通信NO43 「党本部の恫喝に屈し、自民党県連辺野古移設容認へ」

 本土では、国民多数が反対している「特定秘密保護法案」が、特別委員会で強行採決され、衆院本会議で可決とのこと。
 沖縄では、県民の8割が反対している普天間飛行場の辺野古移設に対して、自民党県連が公約である「県外移設要求」を破棄して「辺野古移設容認」に転換する事態となった。
 自民党県連所属の国会議員5名全員は、選挙において公約「辺野古移設反対、県外移設要求」を掲げ当選した。
 ところが、今年に入り西銘恒三郎衆院議員(沖縄4区)と島尻安伊子参院議員が相次いで、公約「県外移設要求」を撤回し、「辺野古移設容認」への転換を明らかにした。その時、多くの県民から「公約違反、辞任せよ」との怒りの声が上がった。
 県外移設を主張してきた、国場幸之助(沖縄1区)、比嘉奈津美(沖縄3区)、宮崎政久(比例代表)の3衆院議員に対して、首相官邸(菅義偉官房長官ら)と党本部(石破茂幹事長ら)は、「普天間の固定化」と「離党勧告」と言う脅し文句と恫喝で3議員を辺野古移設容認に追い込んだ。
 この脅しに屈した宮崎正久衆院議員は早々24日に記事会見を開き、選挙公約を撤回し、「辺野古移設容認」することを表明。
 25日午前10時過ぎ東京の党本部での記事会見に5人の国会議員が並び、「辺野古移設容認」で一致したとの党本部発表。
 そして、自民党県連も県議らの大半が「辺野古移設容認」に傾き、27日の議員総会で普天間飛行場の「県外移設要求」方針を撤回して、「辺野古移設容認」の方針を決定。
 党本部の圧力に屈して、自民党県連は「総崩れ」し「辺野古移設容認」路線へ。これで翁長雄志那覇市長が頑張ってきたオール沖縄(保守・革新の統一)も崩壊。
 次の党本部の狙いは、仲井真弘多知事に12月中に辺野古埋め立て申請を
認めるように圧力を掛けること。その先、来年1月にある名護市長選挙で反対派の稲嶺ススム市長を落選させること。
 この点を26日の琉球新報「社説」は次のように述べている。
 5人の自民党国会議員に対しては「たやすく圧力に屈し、主張を撤回するなら政治家の資格はない。・・・先に辺野古移設容認した2氏を含め、5氏全員職を辞して信を問うべきだ」と。
 脅し文句と恫喝をした首相官邸と党本部に対しては「『オール沖縄』の民意を知りつつ、力ずくで屈服させた。暴政は植民地扱いに等しく、許しがたい。」と。
 今後の知事の埋め立て申請については「国会議員に政府・与党が次に求めるのは、辺野古埋め立て申請を承認するよう仲井真知事は説得する役であろう。沖縄の有権者たちから票と信頼を得た議員たちが、政府・与党の先導役として沖縄に基地を押しつける作業にいそしむのか。」
 そして最後に「(オール沖縄)に政府・与党が分断のくさびをうちこんだのだ。古今、植民地統治の要締は『分断統治』とされる。支配層が、支配される側をいくつかのグループに分け、対立をあおり、分裂・抗争させることで統治の安定を図る仕組みのことだ。支配層は善意の裁定者のごとく、涼しい顔をしていられる。」と述べ、さらに「この局面で、政府と自民党本部の狙いはもう一つあろう。沖縄に抵抗は無駄だと思わせることだ。力ずくで公約を撤回させたのは、沖縄に無力感を植え付け、抵抗の気力を奪おうとしているのだ。」との鋭い指摘。
 これから数ヶ月、沖縄にとって極めて重要な時期を迎える。辺野古新基地建設は沖縄の未来を破壊する暴挙である。なんとしても新基地を阻止しなければならない。(富田 英司)


 読者からの手紙
 「驕る自民党は久しからず」

 自民・公明・みんな・維新の4党が提出した特定秘密保護法案の修正案が26日の衆院本会議で、自公とみんなの賛成多数で可決された。国民の「知る権利」を侵害するなど多くの問題点を抱えたままの法案、25日の衆議院特別委員会の地方公聴会で意見陳述者が全員反対の立場を表明したにもかかわらず、本会議で、わずか2時間の審議のみで、採決を強行して参議院へ送ったのだ。
 昨年の衆議院選で大勝した自民党の(改憲策動等)強引な政治運営は今に始まったことではないが、衆院選(小選挙区)の投票率は戦後最低の59.32%、参院選選挙区の投票率は、戦後3番目の低さで52.61%だった。全選挙人の60%以下の投票率の中で自民党が得た得票率は、衆議院選の27.62%・参議院選34.68%で、全選挙人の20%前後しか自民党を支持していないのに、日本の政治を牛耳っているのである。
 選挙制度の不条理は「一票の格差問題」を含めて、最高裁大法廷の「違憲状態」であるものの、選挙無効の請求は退けたように、放置されたままで、これが今の民主主義なのである。
 アベノミクスも、労働者や勤労市民へのしわ寄せによる借金財政の拡大と円安誘導という薄氷にのっかった経済政策で、その効果と成果を宣伝・強調するというバブルのあだ花のようにいつ壊れるか不安の中にある。
「驕る平家は久しからず」で、富や名誉を得たからといって、それを驕ってしまい努力を怠るとその栄華は久しくは続かないように、少数者の支持の上にあぐらをかき、多くの働く市民を政治から遠ざけ、無視する自民党政権を許してはならない。私達は、私達の力を結集して、私達の運動を創りだしていきましょう!(M)


 天気予報の今むかし

 TVのお天気情報、昔といっても戦争を体験した私(80才のオバア)の老いのくり言になるが、当時(戦中)の天気予報というのは「紀伊水道を敵機B29、○○機が北上中」とか、空襲速報みたいなもので、それを聞くと近畿が空襲に遭うぞ、とピンときて、退避所(はじめは押入れ、後には防空壕)に入ったものだ。
 空襲警報解除とともに〝敵機撤去〟の報送があり、人々が穴ぽこからはい出し、にやにや笑いながら〝撤去や、撤去や〟と、まるで自分が追い出したかのような威勢のよい放送の言葉を嘲笑するかのように。
 敗戦、天気予報は洗濯日よりのお知らせとか、旅に必要な予報など、人間の生活に影響を与える自然の変化を知らせる本来の天気予報に変わった。天気予報をきいても、腹はへっても平和だなあと思ったものである。天気予報はこれでなきゃ。
 昨今では宇宙がさまざまのStar(地球もその1つ)にどんな影響を与えるかが問われるようになった。つまり、宇宙は地球にどんな役に立つかを研究するものになったらしい。
 近くの小学校の前に少年の立像があって、希望と名付けられている。子どもは希望、さて子どもは? 現在の子どもの夢や希望とは、宇宙へのり出すことだと聞く。子どもたちは夢をふくらませ、希望をもって育つ。この状況が続くことを祈る現実が絶望的であっても。私どもは何をやるか。  2013・11・9 大阪 宮森常子


編集あれこれ

 本紙前号は500号記念号として、久しぶりに12ページ立てとなりました。送り手だけで盛り上がっても仕方ないのですが、読んでいただいてどのような感想をお持ちでしょうか。何か気づいた点とか、感想などあればお寄せ下さい。
 500号の編集は安倍的政治に対する総批判でしたが、極右的政治の全面開花、あらゆる時代錯誤の総動員を批判しきることができたのか、心もとない限りです。引き続き、批判と対抗的視点を展開したいと思います。
 さて前号は、安倍首相によって今臨時国会にねじ込まれた特定秘密保護法案について大いに論じてきました。現在進行形で、まず与党である公明党が自民党の暴走にブレーキをかけるはずがさらにアクセルを踏み込む役割を果たし、野党のはずのみんなの党も素早く賛成に回り、これに後れを取った維新の会も慌てて修正合意するという、政治的茶番劇を見せつけられました。原案よりもっと酷い、支離滅裂の内容になってしまうというおまけまでついて。
 前号で沖縄通信が42を数え、4・5面にわたって「米国と日本本土の二重の軍事植民地」的支配攻撃についてまとめています。①オスプレイの増配備、②オスプレイパッドの建設が強行されている伊江島と高江、③辺野古新基地建設に向けたいくつもの策動、④右翼文科相による竹富町東京書籍教科書使用に対する「是正要求」攻撃、⑤与那国島への自衛隊配備攻撃。
 全く酷いものです。米軍は軍事占領の延長として、敗戦後自らの延命のために沖縄を差し出したヒロヒト、その状態に利益を見いだした〝本土〟、すべてが共犯となって沖縄は今も米軍靴の下にあるのです。この終わらない戦後は私たちに戦前的社会をもたらし、今やこの国は戦中へと突入しようとしています。これを阻むには、平和な沖縄を実現するほかないでしょう。
 安倍的原発政策、原発輸出について6面で論じています。このところ、小泉元首相が即自脱原発を公言していることが大いに話題となり、安倍政権も苦慮しているようです。それにしてもお気楽な小泉純一郎、いま言ってることはまともな内容ですが、何かウラがあるのか過去の反省もなくよく言えるものです。
 前号7面ではブラックな企業について論じています。このところの安倍首相の口癖が企業が最も活動しやすくするということですから、究極的雇用崩壊、いつでも首切りできる企業天国を実現するつもりなのです。「小泉構造改革政策やアベノミクスなどの規制緩和によって」労働法制はズタズタにされ、国内植民地のごとき〝特区〟の導入も目論まれています。
 なんだか、すべてが悪い方向に雪崩うっているようで、息苦しくなってしまいますが、あきらめることなくしぶとく抵抗し続けること。私たちの対抗手段は、力を合わせることのなかにあります。読者の皆さんの投稿等、闘いへのメッセージをお寄せ下さい。 (晴)

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