ワーカーズ503・504合併号  2014/1/1  案内へ戻る

特定秘密保護法を成立させ 原発推進 集団的自衛権行使を目論む安倍政権を引きずり下ろそう!

 昨年の12月6日、特定秘密保護法が成立した。この悪法は、国民の知る権利をないがしろにし何が秘密かよくわからない特定秘密を知ろうとしても、逮捕や家宅捜索をされるおそれがある。この法律が成立しても反対する声は多い。女優の奈良岡朋子さんもこの法律に反対しておられる。以下、12月23日付の朝日新聞より奈良岡さんの声を紹介する。
「代表を務める劇団民芸として11月に、映画人の一人として12月に特定秘密保護法への反対の意思表示をしました。今後も反対していきます。政府は国民のために特定秘密法が必要と言っていますね。でも、本当にそうならば国民が理解できるように説明すべきです。反対の声がどんどん増えて半数以上になっているわけでしょう。それなのに有無を言わせず通すという姑息(こそく)な手段をとるのは、政治家の風上にも置けません。これでは民主主義とは言えませんね。私の10代のほとんどは軍国主義の中で育てられました。爆撃を受けて多くの友人を亡くしました。治安維持法で特高に身柄を持っていかれ、死んだ親類がいます。病院で亡くなる直前に会った姿が忘れられません。特定秘密法で最初に頭をよぎったのは特高警察でした。いま、文化人の端くれにいますが、劇場でしゃべったせりふで警官が「中止」と言うようになったら、やりたい芝居もできないじゃないですか。戦争を放棄した9条を持つ日本国憲法をゆがめ、トータルなものとして軍事国家に向かっている気配を感じます」
戦争を体験された方の意見、非常に重いものがある。国家権力の暴走を抑えるために、憲法があり情報公開法などもあるのだが特定秘密保護法は、国家に都合の悪いものは秘密にできるしその秘密を知ろうとした者を簡単に弾圧できる。この法律はかなり危険なものである。

福島の原発事故による健康被害

主要なマスコミ、厚生省、福島県など関係諸官庁は一切だんまりを決め込んで福島や東日本の子どもや大人の被曝による白血病、肺がん、心臓疾患、甲状腺がんの多発を伝えていない。
11月12日に開かれた第13回県民健康管理調査検討委員会で、福島第一原発事故当時18才以下の人で甲状腺がんの診断が『確定』した人は2月の発表時より23人増え、26人になり、がんの疑いは32人(2月は7人)になったことが発表され、発足当初からさまざまに疑惑紛れのこの検討委員会発表のデータでさえますます深刻な事態になってきていることを示している。また検討委員会では、本来なら検討委員会開催ごとに、県内の全医療機関に照会し未調査や調査漏れの中ですでに甲状腺がんを発症したものや手遅れで死亡したケースなどの確認を行い発表すべきですが、それらについては一切触れていない。
さらに同様に、調査対象にしていない白血病、肺がん、他全がんの2011年以前の統計と比べ著しく増えたケースがないかどうかの確認も行い結果を発表すべきである。

 このように安倍政権がやりたい放題やっているが、こうした動きにストップをかけるため今年もがんばります。皆さん共に闘いましょう。(河野)案内へ戻る


安倍政権
暴走政権は許さない!──対抗運動・対抗勢力を結集しよう!──


 安倍政権発足後、一年を経過した。
 アベノミクスで幕開けした安倍政権は、超金融緩和や財政出動などカンフル剤経済によって景気回復を演出している。その綻びが顕在化しない局面で何をやったのか。そこで得た世論の支持を背景として特定秘密保護法を強行成立させ、その先には集団的自衛権の行使容認や共謀罪創設、それに改憲への野望を隠さない。
 エネルギー政策では、あの福島での原発事故など無かったかのように原発回帰への逆流攻勢を推し進めている。
 新年を迎えた今、これ以上安倍政権によるやりたい放題の逆流攻勢を許しておく訳にはいかない。
 対抗運動・勢力を結集し、安倍政権を政権の座から引きずり下ろさなければならない。

◆バブルと土建政治

 企業利益を最優先するアベノミクス。市中に投入されてあふれた資金は株や不動産投機に向かい、円安、株高をもたらしている。とはいっても企業の設備投資は増えず、賃金の低下も止まっていない。80年代後半や99から00年のITバブルと同じように、企業は潤い、負担増に晒される家計は疲弊している。勤労者の収入や需要は増えないで一部の投資家や企業利益ばかりが膨らむ典型的なバブル経済の兆候だ。
 米国では破綻の危険性が高い投資先への融資が膨らんで、いまではあのリーマンショック以上の比率にまで膨らんでいるという。好景気は、一皮むけばバブル経済と同義なのだ。
 一方アベノミクスの第二の矢の財政主導はどうか。
 昨年末の12月24日、安倍内閣による14年度予算案が固まった。総額96兆円にも膨らんだ財政支出。その性格は企業利益の増加や消費増税による税収増を見込んだ公共事業や防衛費などの大盤振る舞いだ。
 民自公合意による消費増税の引き上げによる《税と社会保障の一体改革》は、本来は社会保障の維持・拡充などに宛てられるはずだが、充実に当てられるのはわずか5千億円、消費増税分の1割に過ぎない。それに代わって増えたのは、公共事業や防衛費など、利権がらみの支出と安倍首相肝いりの軍事費等だった。《税と社会保障の一体改革》はものの見事に財政のバラマキと財政肥大化に結実した、というわけだ。
 アベノミクスをひっさげて登場した安倍政権。その実態と性格は、旧来型の「人よりセメント」のゼネコン政治、企業利益重視と雇用破壊の新自由主義、それに以下で触れるナショナリズムと軍事への偏ったテコ入れという、自民党極右政権という以外にない。

◆中央突破

 年末に特定秘密保護法を与党で強行成立させた安倍政権。国家主義や軍事大国化を目論む安倍政権のもくろみは際立っている。
 安倍政権はその前後に国家安全保障会議(戦争指導会議)の創設し、また愛国心を盛り込んだ国家安全保障戦略を閣議決定し、対外政策を軍事優先主義で塗り替えた。安倍首相は近隣諸国との対話の窓口はすべて開かれているとお題目を繰り返すが、実態はナショナリズムや領土紛争も活用した対中包囲網づくり、冷戦思考と軍事優先の姿勢を突出させている。
 米軍や英軍などへの軍事技術の供与をはじめとして歴代政権による武器輸出三原則も次々と骨抜きにされ、年末には南スーダンに派遣されている韓国軍に弾丸を供与した。まさに戦闘地域への武器供与へと、武器輸出への道を一段と拡げている。
 これらは衆参での圧倒的な多数派を握った与党による、国会審議も国民への説明責任を欠いた文字どおりの中央突破での強引な決め方だった。
 安倍政権は、特定秘密保護法で、国家優先、国家至上主義が際立つ悪法を強行成立させ、国民敵視の姿勢をあからさまに示した。だが国民敵視・国民監視はそれに止まらない。
 安倍政権は、《共謀罪》創設の検討をも打ち出した。《共謀罪》は犯罪行為そのものを処罰の対象とする刑法の枠組みを逸脱するもので、犯罪行為を相談しただけで罪と見なすものだ。いわば個人の行為そのものではなく、個々人の内面を罰則の対象とする、思想信条の自由を侵す民主主義を否定する特異で危険な罰則法規だ。これも個人より国家に主権があるという、本末転倒の国家主義的発想から持ち出されているものに他ならない。年末の26日には、靖国神社参拝も強行した。暴走する安倍政権の国民敵視は、止まるところを知らない。

◆軍事優先・国家主義

 安倍内閣は、発足当初から公言していた改憲策動については、ひとまず先送りしている。自民党改憲草案の国家中心主義の観点や改憲手続き先行の手法が、多くの批判を呼んだからだった。
 軌道修正を余儀なくされた安倍政権が、次に狙っているのは集団的自衛権行使の容認という憲法解釈の変更だ。すでに集団的自衛権を否定してきた内閣法制局長官は、安倍首相主導で容認派と目されている人物に差し替えられている。
 集団的自衛権とは、同盟国の軍事行動に同調して参戦することで、自衛隊による実際の武力行使に直結した概念だ。
 日本は戦後ずっと《平和憲法》を保持し、自衛力の保持はご都合主義の憲法解釈で認めてきたものの、戦力と交戦権は認めてこなかった。いわば《普通の軍隊》ではない、というのが政府の表向きの説明であり立場だった。そうした解釈に抜け道をつくってきたのが、国連平和維持活動に参加するケースでのPKO法であり、自衛隊のアフガン・イラク派遣での特措法だった。ただ《戦力や交戦権》を持たない、《普通の軍隊》ではないとする立場からは、敵と交戦することは否定されてきた。それに対し、実際に敵と交戦することを可能にしよう、というのが集団的自衛権容認の意味なのだ。
 安倍内閣にかかわらず、歴代政権も集団的自衛権の行使容認を模索してきた。ただ海外での武力行使を否定することで戦力の保持と交戦権を否定する憲法の下で、解釈改憲によってここまで軍事力と軍事行動を拡大してきたことと、整合性がとれなくなる。だから政権も現行憲法のもとでは海外での武力行使に直結する集団的自衛権の行使は避けてきた。それを可能にするには憲法改正が必要だ、というのが内閣法制局や政府の公式見解でもあった。
 安倍政権も同様のハードルにぶつかっているわけだが、ここでも強引に容認で中央突破しよう、というわけだ。
 なぜ歴代内閣や安倍政権が集団的自衛権行使の容認に執着するのか。それは日本への攻撃には個別的自衛権の行使として武力行使や抗戦が可能だが、現時点で部分的衝突はあり得ても、本格的な日本への侵略攻撃を試みる国など見当たらないし、そういう情況でもない。北朝鮮はむろんのこと、中国も同じだ。
 そうすると、日本の自衛隊は、いつまで経っても武力行使できない、戦えない軍隊の状態にとどまるからだ。そうした状態をなんとか脱出したいという野望、実際の戦闘行動も可能にすること、戦える軍隊にしたいこと、戦う国軍づくり、これこそが推進派の狙いなのだ。
 その集団的自衛権行使の容認の議論は、安保法制懇で進められているが、その法制懇は早ければこの3月にも報告書を提出する構えだ。内容は安倍首相の要求に応えるような容認するものになるだろう。中身としては、集団的自衛権の4類型の内、2類型程度での容認方針を打ち出す可能性が高い。それでも海外での武力行使に道を開くという意味では平和憲法による大きな歯止めがクリアされたことになり、やがては四類型すべてでの容認、その先には武力行使を明示的にも可能とする憲法改定に突き進む橋頭堡が築かれることになる。

◆日本版ネオコン政権

 その安倍政権。政権発足以降、価値観外交や対中法網づくりに突き進んできた。就任一年間でアジア諸国をすべて訪問し、中国と領土紛争を抱えるフィリピンやベトナムとは首脳会談を実現し、またインドやオーストラリアを含む、中国周辺国との連携づくりに邁進している。中国抜きのTPPにも執着している。これらはすべて対中法網の形成に繋がるものだ。
 実際の対中包囲網づくりをカモフラージュするかのように、国際協調にもとづく《積極的平和主義》なるお題目を唱えている。この言葉尻だけ捉えると、平和づくりのために周辺諸国と積極的に連携づくりに励む、というイメージで受け止められるかもしれない。が、中身はまったく別物だ。それはこれまでの外交が《一国平和主義》だったとの認識から、価値観を共有している国が連携して、価値観が異なる国(──中国など)を武力も含めて抑え込むというものだ。いはば力で押さえ込んでつくる秩序、といったところだ。これは民主主義体制を移植するという大義を掲げてアフガンやイラク戦争を引き起こした米国のネオコンとまったく同じで、その意味で安倍首相の《積極的平和主義」は、ネオコンと同じように好戦的で危険な極右政権といわざるを得ないのだ。
 その安倍首相。最終的には天皇元首化、戦争ができる普通の国家づくり、国軍の創設、国家が中心の社会づくり、国民の内面に踏み込んだ国家のための国民づくり等々、いはば戦前の国家体制への回帰を強行することを夢想しているのだ。安倍政権は、政権による中央突破での社会・国家改造を推し進める、歴史を逆流させようとするとんでもない反動政権なのだ。

◆財界財界政治

 安倍政権が国家・軍事偏重の戦前体制への回帰をあからさまにしているのと合わせ、財界ベッタリ政治という政権の性格も露わになった。
 まず原発回帰だ。
 安倍自民党が政権に復帰したとき、原発政策は3年程度の時間をかけて決める、としてきた。要はほとぼりが冷めるのを待って脱原発を反故にするという時間稼ぎだ。それが政権の座に復活するや、あの福島の事故を反省する姿勢をかなぐり捨て、首相自身のトップセールスによって輸出攻勢をかけてきた。国内でも東電を抱え込みながら脱《脱原発》で財界や原子力規制委員会とタッグを組んで原発再稼働に舵を切り、立地自治体や首長に対する政官財による包囲網をつくりあげてきた。いまでは新エネルギー大綱で《原発=ベース電源》という立場を打ち出し、名実とも原発回帰の本性を露わにしてきた。あの原発事故から3年も経たないいま、事故など無かったかのように多数の世論を無視しての脱《脱原発》だ。
 財界べったりの姿勢は原発に止まらない。雇用破壊でも財界の後押しを鮮明にしている。
 その焦点は規制改革会議などを通じた派遣労働の規制緩和、あるいは《残業代ゼロ法案》が批判されて頓挫した第一次安倍内閣で破綻したホワイトカラー・エグゼンプションを性懲りもなく持ち出していることなどだ。アベノミクスでは労働者の賃上げを掲げるそぶりを見せながら、実は賃金抑制を狙う財界の意向は着実に実現する、ということなのだ。公共事業偏重の姿勢と合わせ、安倍政権の財界べったりの姿勢は、労働者の生活を誰が脅かしているのか、あからさまに示している。

◆対抗運動・対抗勢力

 自民・公明の与党が衆参で過半数を獲得したいま、補選などは別として、大きな国政選挙は3年近くない可能性が高い。選挙で安倍政権を倒すことは正攻法でもあるし、一時も早く衆院解散に追い込むような運動も私たちにとって重要な課題ではある。当然追い求めなければならないが、ここは直接民主主義の力をこれまで以上に発揮すべきだ場面だろう。
 その直接民主主義。その一つである大衆デモや抗議行動は、脱原発で大きくその性格を変えた。これまでの政党、労働団体、市民団体に加え、普通の庶民が当たり前のごとくデモに加わるようになった。これは対抗勢力づくりにとって画期的なことだ。そのデモなどの意思表示で直接的な効果に一喜一憂するのも大事だが、それ以上に政権への圧力としてのデモの意義は限りなく大きい。しだいに拡がる抗議の声は、どこの独裁的な政権にとっても最大の脅威なのだ。それには個別的・短期的な意味と同時に、長期的、戦略的なデモの位置づけが問われてくる。私たちの対抗運動にとっても、ここは正念場なのだ。
 安倍逆流政権に対し、原発再稼働、秘密保護法、あるいは沖縄での普天間基地移設問題など、個別テーマでの賛否では、政権批判の世論が多数になる場合もあった。ただそれらは二者択一的選択や世論的賛否にとどまり、安倍逆流政治に対する対抗勢力に支えられたトータルな青写真という内実を獲得できない現実もあった。それはアベノミクスに象徴されるような、目先の暮らしの改善や将来見通しの改善と結びついた、現実的に変わりうる対抗社会のイメージが人々に共有されていないところに由来するものだろう。対抗戦略、グランドデザインのレベルで、安倍自民党政治に対抗できるだけの全体性を獲得することが不可欠だろう。
 そうした対抗運動・対抗勢力の結集を考えれば考えるほど、労働運動の課題も大きい。脱原発にしろ秘密法にせよ、連合に加盟する既存の大手企業内組合の存在感がない。当然のことながら企業の意向に左右される御用組合に頼るわけにはいかない。独立左派系労組、中小の地域ユニオン、個人加盟の派遣、青年、女性ユニオンなど、個別の組合の運動を支援すること、さらにはブラック企業などと闘う個々の労働者の支援体制を整備するなど、労働運動や労働組合の課題は極めて大きい。個々の構成員の声を、労働組合全体の声として大きく拡大していく必要がある。
 労働組合、それに普通の人々による直接行動などを土台とする、脱安倍政治を掲げた既成体制に対する対抗運動を拡げ、対抗勢力を大きく結集することが不可欠だ。私たちもそうした人々と連携して安倍逆流政治を追い詰める闘いに加わっていきたい。(廣)案内へ戻る


 色鉛筆・・・ 稲嶺進名護市長に勝利を!

 ドキュメント映画『標的の村』(三上智恵監督2013年)は、沖縄の東村高江の闘い、そして2012年10月のオスプレイ強行配備抗議の基地封鎖の闘いを「沖縄の民衆の目線」で描いたすぐれた作品で、全国各地で上映され大きな反響を呼んでいる。先日、観劇後の友人(本土に在住)から以下の感想が届いた。
「今帰宅しました。色々の思いがありすぎて書ききれません。余りにも衝撃的で、怒り(政府とか役人・・・)、悲しみ、無力感等々・・・。平等に保障されているはずの安心して生活する、それすらが脅かされている。誰によって?同じ日本人によって・・・。何だか訳が判らなくなります。
 ゲンさんの子供達のあの目の輝き、子育ての原点の様な家族でしたね。そうした小さな子供の目に同じ日本人同志・沖縄県民同志が争う姿はどういう風に写っているのでしょうか・・・。誰か子供達に判る様に説明してと言いたい。バリケードの前でも、突然唱い踊り、苛酷な状況の中でもあきらめない、しなやかな沖縄の人々。最後のバンドの映像は皆本当に楽しそうで、まだまだ続くであろう戦いにも決して負けない強さを見せつけられた様な気がしました。行って観て来て良かった!」
 昨年11月19日、稲嶺進名護市長は国の埋め立て申請に「断固反対する」との意見書を公表した。基地移設によって自然破壊や市民生活が受ける影響は大きく、公有水面埋立法の承認要件を満たしていないとし、仲井真知事に埋め立てを承認しない様に求めた。辺野古の新基地建設について「断固反対することが市民の強い決意だ」と一貫して主張している。
 琉球新報によると、この名護市の意見書には多くの市民の声が盛りこまれているという。意見書の作製にあたり、全戸に意見書の用紙を配り意見を募集。同時に市独自のパンフレットを作り、辺野古の自然実態や、例えば埋め立てるために「地下2階地上14階の沖縄県庁舎60棟分の土砂」が投げ込まれる等、誰にも分かる様に解説をした。また市職員が直接地域に出向き意見を聞く場も、多く設けたという。
 今(2013年12月現在)政府による沖縄県知事への埋め立て承認を迫る攻撃は、激しさを増している。その中にあって埋め立ては「断固反対する」という民意をきちんと主張し続けるこの稲嶺名護市長の一貫した姿勢は、地元の名護市だけでなく沖縄県、さらには全国にとっても大きな勇気を与える大切な存在だ。
 日本の全面積の0・6%の沖縄県に、米軍専用施設の74%を押しつけながら、政府は「沖縄の負担軽減」と言いつつやっていることは、米軍と自衛隊の配備強化、オスプレイの日本全土への配備だ。埋め立て承認を迫る政府自民党のやり方は、札束で横面を張り言いなりにさせようとする何十年来と変わらぬ手法だが、沖縄県民は変わった。稲嶺名護市長と同様、県民の8割が新基地建設に反対している。もはやお金(振興策)には踊らされない。
 1月19日に投開票される名護市長選では、国の方針に明確に反対の意思を示す 現職市長を追い落とすために、自民党政府や経済界が財力、権力にものをいわせて攻撃していることだろう。―1998年に大田昌秀知事を落選させた時の様に―。けれど名護市、沖縄県の未来を決めるのは、自民党や済界人ではなく市民・県民なのだ。新基地建設は「断固反対する」と主張する稲嶺進市長に勝利を!(澄)


 コラムの窓・・・「命より秩序の谷垣法相、4度目の死刑執行」

 年末の12月12日、第2次安倍政権、谷垣禎一法相による4度目の死刑執行が行われました。1年のうちに8人の絞首刑が行われ、まだ確定死刑囚は129人。その上、最近の殺人事件では死刑判決が相次いでいるので、安倍政権がどんなに急いでも死刑囚は減らないでしょう。
 この死刑大国を演出しているのは法務省官僚であり、安倍政権が続いている間にさらに大量の死刑執行が行なわれることでしょう。その動機は、このところとみに高まる日本に対する国際的批判に対して、死刑の維持存続の意思を示し、同時にこの〝好機〟に死刑囚を減らそうというもの。
 殺人・死刑判決・執行という犯罪処理は、この国においては多数の支持を得ているようですが、世界的な趨勢は野蛮な刑罰、死刑は廃止です。そこで問われているのは〝国柄の違い〟といった言いわけではなく、人権意識の高さです。つまるところ、国家的殺人を合法としている国は人権後進国だという評価。
 そうした大上段の批判を行うまでもなく、この国においては警察によって容疑者とされたら、報道は犯人扱いの報道を行い、多くの市民はこれに同調する冤罪の構図が存在しています。ひとたび、警察・検察・司法官僚に囚われたら、どんなにあがいても逃れられない、何しろ多数派市民が支持しているのだから。そうした典型として、名張毒ぶどう酒事件の奥西勝さんを取り上げてみよう。
 1961年3月28日、事件発生(奥西さんは当時34歳)。1964年12月23日、津地裁で無罪判決(証拠不十分による・高裁で逆転死刑)。1972年6月15日、最高裁で高裁判決確定。
 2002年4月10日、弁護団第7次再審請求。2005年4月5日、名古屋高裁刑事一部が再審開始決定(名古屋高検異議申し立て)。2006年12月26日、名古屋高裁刑事二部が再審開始決定を取り消す(弁護側、最高裁に特別抗告)。2010年4月5日、最高裁第三小法廷が名古屋高裁差し戻し決定。2012年5月25日、名古屋高裁が再審開始を取り消す(弁護側、最高裁に特別抗告)。2013年10月16日、最高裁第一小法廷が特別抗告を棄却
 1977年の第5次再審請求においても、本人尋問まで行われたのに、再審の扉は開かれませんでした。以上の経過を見ても、取り調べ段階でいったん自白したら、それに沿った証拠が揃えられ(捏造され)、何があっても有罪に持ち込まれてしまう。奥西さんの場合も、検察上訴が認められていない国においては、津地裁判決で冤罪は晴れているはずでした。事実、奥西さんは津地裁判決でいったん釈放されたのですが69年9月10日、名古屋高裁逆転死刑判決の言い渡し後、手錠をかけら連行されたきりです。
 今年5月27日、奥西さんは体調を崩し一時危篤にもなったが、今も八王子医療刑務所に拘束されています。弁護団による第8次再審が取り組まれているが、検察官僚の執念はどんなことがあっても奥西さんを獄死させるつもり。事件そのものについては、咋年公開された仲代達矢主演の「約束‐名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯」をぜひ観ていただきたい。
 それにしても、残虐な刑罰(絞首刑)を国家的秩序維持のために執行し続ける国家とはいったい何なのでしょう。 (晴)案内へ戻る


 「コラムの窓」の窓・・死刑の判断

 有罪判決の量刑において、死刑の判断基準として長く「永山基準」というものがありました。それは次のようなものです。
「日本の刑事裁判において刑罰として死刑を適用する際の判断基準。1983年、連続4人射殺事件の被告だった永山則夫の第1次上告審判決で、最高裁が2審の無期懲役判決を棄却した際に示されたため、永山基準と呼ばれる。殺害された被害者の数が複数であることなどをその内容とし、この基準が以降の死刑判決の適用に広く影響を与えている」(知恵蔵2013)
 この裁判においては、1審の死刑判決を否定し、2審は無期懲役となっています。その判断の違いは、100時間に及ぶ石川義博医師による「石川鑑定」を評価した結果です。しかし、この判決は「『4人殺しが死刑でなければ何が死刑か』と一斉にマスコミのバッシングに晒された」(「DAYS JAPAN」1月号)
 私はこの高裁の判断が妥当だと思うのですが、これが否定され死刑が確定し、1997年8月1日に絞首刑が執行された経緯は同誌、堀川惠子「封印された鑑定テープ 永山則夫が語った100時間」をぜひ読んでください。ここでは、死刑を維持している社会の何が問題なのか、堀川さんの指摘を紹介します。
「永山少年を事件と向かわせたのは、貧しさではなかった。そこにあったのは、両親、兄弟、家族、友人、教師、そして福祉というあらゆる人間や事象との関係性の貧困である。追い詰められた少年は、自分に向け続けた刃を最後に他者へと向けた。司法は、その不都合な真実に向き合うことなく、ひとりの人間の更生を、償いの芽を、死刑という刑罰で断ち切った。そして社会は、悲劇を自己責任で片付け、忘れ去り、そこから教訓を何ひとつ学びとらなかった。いつしかこの国は、日に80人以上もの市民が自ら命を絶つ、世界でも稀な自殺大国となり、有効な対策を打てないでいる。日本社会は今も、少年が抱えた心の闇に目をつぶり、同じ痛みに呻吟し続けている」(同誌27ページ) (晴)案内へ戻る


 ハノイ短期滞在記ーー一日目

 一歳年上の兄貴がハノイを拠点に事業を興して二十年になる。何度か旅行に来ないかと誘われてきたが、出不精で語学が苦手なばかりに生半可な返事で逃げてきた。
 だが今回は、なぜか素直に応じた。日本の空気の息苦しさのせいかもしれない。
とはいえ、行き来を除けば正味はたった三日間。社会の真相に迫ることは不可能だが、印象に残ったことを書き留めてみよう。

◇「二十世紀社会主義」の洗礼
 成田からハノイまでは深夜の旅なので、大半を寝て過ごした。ハノイ国際空港は、予想以上に大きく、世界中の航空会社のロゴが見えた。
 安倍首相が、最初の海外訪問先に選んだように、ドイモイのベトナムは、世界の資本の注目を集めているのだ。
 しかし、こんななか荷物を台車に乗せエレベーターを待っていたら、突然大声で怒鳴りつけられた。足組みをしてふんぞり返っていた軍服のおとこが、ベンチから立ち上がり高飛車に「ノーノー」という。ようはエレベーターを使うな、ということだ。荷物は手に持ち、階段を降りろとジェスチャー。
 そればかりではなく、入管の係員も眼光鋭く睨むだけで、こちらは一言も口を利かない。外国人を見下ろしている様子だ。ほかにも軍服を着た連中が、ポケットに手を入れて、横柄な態度で外人を監視する。軍人・警察の抑圧的社会であることを改めて印象付けられた。  
◇喧噪の町へ
 深夜のハノイ空港は、クラクションが絶えず鳴り響いている。昼間に比べればこれは序の口だったが。ベトナムは自己主張の強い身勝手な人が多いのだろうか?
 旅行会社の地元の係員が、ホテルまでの小一時間、車中で旅行プランの確認やハノイ生活の基本を教えてくれた。若い係員の男性は、はんたいに礼儀正しく親切だった。ハノイ空港での軍人の態度について、それとなく聞いたが「軍や警察がいるから町は平和なんです」とはぐらかされた。確かに軍隊の批判など、ベトナム人の口から聞くことはしょせん無理だ。
 ハノイホテルは、ハノイ駅から西に直線なら2キロ足らず、ザンボー湖畔にある。かつては、国営の一流ホテルだが、今は中国資本が入って民営になっているらしい。近辺にも続々超一流ホテルが建ったので、ステイタスは低くなった。とはいえこざっぱりとして、スタッフもみんな親切で愛想がよい。チップを払えばなおよい。日本語はあまり通じないが、英単語と身振り手振りで、それから三日間なんとかなった。

◇ハロン湾への道
 ハノイ滞在の一日目がはじまった。ハノイの朝は早い、日曜日でも。ホテルの前の道はバイクと車の洪水だ。昨夜にましてけたたましいクラクションが響く。車は右側通行だが、バイクはかなりいい加減で、無秩序だ。
 三軒のホテルをバスで回り、20人程度のハロン湾クルーズの日本人メンバーが集まった(日本の旅行会社の企画)。
 ハロン湾は、ハノイの東、車で四時間の場所だ。そこから中国まで200キロ。なので途中見たお墓や建物も、何かしら中国風だ。ベトナムは,千年間中国の支配を受け、またフランス植民地の時代があった。だから、この東西の文化が至る所に見られるのだ。
 文化的な受容には寛大なベトナム人だが、政治的支配には強いアイデンティティをもって闘う。そんな印象をもった。
 ハロン湾への道路渋滞の原因の一つは道路工事だ。幹線道路の整備は計画的に実施されているように思われた。途中に「佐川急便」「キャノン」などのロゴが見えた。火力発電所も日本からの援助があるとガイドのホアさん(若い男性)が語った。
 バスで移動中は、陽気なホアさんの独演会であった。ベトナムの基本的な情報は、この話で仕入れた。日本の歴史にも詳しい。彼らは決してベトナム社会問題には論及しない。 しかし、そんな中で、「ベトナムは共産主義国」と表現したときは、国家支配に辟易しているようにもとれたし、「日本に留学できるのは金持ちと公務員の子どもだけ、私は貧乏だからベトナムで日本語を学んだ」と言ったときは、日頃の無念が顔を出したようだ。
 
◇ハロン湾に生きる
 写真にあるように、海上生活者の若者が、物売りに押しかけてくる。まだ、高校生程度だ。生活が豊かな人々ではない。しかし、ハロン湾観光の流れを考えると、別な理解も成り立つ。遊覧船は意図的に速度をゆるめ一時停止する。売り子を乗船させるためだ。これは観光船とのもたれ合いの取引だ。それだけではない、ガイドのホアさんら二人、店内の売り子さんもお土産品の売買に、裏でつながっている。互いに利益を上げさせるため、共同戦線をつくっているのはまちがいない。
 店内のウエイトレス兼売り子さん達は、売り上げのドルやドン(ベトナム紙幣)を数えながらにこにこ顔だ。日本的な意味での豊かさではないが、ここには人として生き生きと働いている姿がある。人の繋がりもある。不幸であるはずはない。(阿部文明 つづく)案内へ戻る


 連載16 オジンの新◆経済学講座 番外続編――唯物史観の再生のために(中) 上藤 拾太郎

●現代科学をもっと利用すべきだ
 前回述べたように「マルクス主義者」旧ソ連アカデミーがさんざん唯物史観をだめにしたが、まるで別なところから唯物史観は「援護射撃」を得ている。
 戦後の考古学の飛躍的発展や,文化人類学の興隆により、歴史の実証研究はすすんだ。 それらの成果を集大成した、サーリンズやE・サービスらの新進化主義の示す、社会発展モデル(原始社会から国家形成まで)は、新進の歴史家達にも広範な影響を与えている。
 しかし、誤解しないでくれ。彼らが唯物史観を知っているかすら疑問であるが、考古学や彼ら文化人類学の成果を利用すれば、マルクスの唯物史観は今まで以上に説得力をもつ。
 サービスらが膨大な資料から証明したことは、未開社会のメカニズムだけではない。農牧・漁業の発展に対応して狩猟採集的なバンド社会が変貌し、部族的社会が登場し、さらに当時の新技術(灌漑、暦、農耕具等)の普及により、この対等な互酬性社会も格差が現れ、有力者を頂点とする再分配経済へと変質してゆく。首長制社会さらに初期国家社会がそれだ。サービスらの研究により、原始対等社会がどの様なプロセスで階級社会や国家の生成に至るかがかなり明確になった。(もどかしい点も少なくないが、それらを補うのはわれわれの責務だ。)
 言うまでもないがこの時代の生産力の上昇はきわめて緩やかだ。だから「バンド社会」が「部族社会」になるのも「首長制社会」や「初期国家」に変貌するのも社会制度の長いスパンでの発生的研究があってこそ実証できたのだ。その成果は彼らに帰されるべきものだ。
 つまり第一の結論はこうだ。生産力の上昇が生産関係(社会関係)を変革する、と言うマルクスの歴史理論はこの長期でマクロ的な視点では完全に妥当している!
 現代科学の成果を利用すれば、われわれ変革者の立場を決定的に強化できるのだ!

●TVドラマ「武人時代」で唯物史観を深く考える
 「武人時代(ムインシデ)」と言う韓国歴史ドラマがある。韓国歴史ドラマの名優達の競演がみものだ。
 朝鮮では紀元一世紀ころから千年ちかく中国(漢随唐)のような中央集権的官僚国家が成立していた。ところが高麗の時代これを破壊し(一一七〇年)、一時は武士団が権力を奪取した。
 ご存じのごとく、わが日本でも中国(随唐)をモデルにした古代律令体制が導入された(七〇一年)が、荘園の成長でやがて分解をはじめた。「武人時代」と奇しくも同じ頃、平清盛が太政大臣(一一七一年)に上り詰め、高位高官に親族一同をつけたり王族の縁戚となり、史上初めて武士が権力を握った。その後、関東武士団を束ねた頼朝らが権力を握り、封建制度が全国に普及し、以後この制度は最高権力者が変わりつつ、明治維新まで六百八十年ほど続いた。
 ところが、韓国における「武人時代」は日本の様な封建制度にたどり着くこともないまま百年程度で、元の王権を戴く中央集権的官僚国家(両班制度)へと回帰した。
 オジンはこれを見逃さないぞ!日韓(高麗)で同じ頃に、同じような「武家政権」が樹立されたがその後、日韓では全く別の道を歩んでいった。
 はたして、当時の日韓(高麗)の生産力の差が二つの道を分けたのであろうか? それは違うだろう。

●分かれ道の理由?
 高麗の時代は王族(側近)、官僚組織、武士団、寺社僧侶、農民、商人、奴ひ達の階級闘争の帰趨が、新たな社会の枠組みをきめた。例えば漢や唐・隋の中央集権制は、王権に対する絶対忠誠を理念とし、官僚組織が武士団を従えて実現した。古今東西、社会支配の典型的な形態だ。高麗建国の王建(ワンゴン)もまさにそうであった。
 他方、封建制度は、土地の「本領安堵」という「ご恩」に「奉公」で報いる、という盟主との連合を基本とする支配形態だ。当然、中央集権的官僚制度とは相容れない。典型的な封建制は中世の日本と西欧でしかみられない。
 とはいえ、主要な生産者であった農民は農奴的存在であったことは共通だ。一般庶民は、一揆や逃散などの抵抗を試みたが被統治者にとどまってしまった。
 韓国(高麗)の場合は、当時の金や元(中国)の册封体制を脱することができなかったことも、中央集権的官僚体制に回帰した大きな原因であったかもしれない。
 つまり第二の結論はこうだ。日韓の分かれ道は、生産力水準の問題以上に国際情勢や階級闘争・政治闘争の分析によらなければならないのが真実だ。
 この時代の生産力の向上は現代に比較すれば緩やかなものであり、スパンで数百年以下の社会の変化と直接に結びつけることは無理がある。そうではなく階級闘争(政治闘争)の相対的に独自な展開をより重視すべきだ。これらの視点もまた(すでに述べたように)広い意味での唯物史観なのだ。
   *   *   *   *   *   *   *   *  
「唯物史観」を唯物史観で考えよう。生産力の向上がきわめて緩やかな過去の時代では「生産力の上昇が生産関係を変革する」という真実は見えにくく、マルクスの発見を待たなければならなかったのだ。
 そうなのだ。近代の産業革命とともに、短期間に生産力の急上昇がおき、社会関係(階級関係)の急激な変化と結びつくまれに見る時代が到来した。その意味ではマルクスの「唯物史観の発見」は、19世紀という時代の産物であった。
 さらに、強化された生産力は商品の販路・資源開発のため未開社会への進出を増大させた。その結果、世界中から収集された文化人類学の膨大な資料に基づき、はじめて未開の社会組織の発生的研究が可能となり、20世紀後半に普遍的な社会の発展モデルをはじめて描くことができたのだ。E・サービスはそのパイオニアとなった。(つづく)案内へ戻る


 沖縄通信・NO44(12月報告)
 「仲井真知事、辺野古埋め立て申請承認」「名護市長選で島袋氏出馬断念、保守候補一本化」


 ついに仲井真沖縄県知事、県民の願いを踏みにじり日本政府要請の「辺野古埋め立て申請」を承認してしまった。東京で安倍首相に「140万県民全体が感謝」とか「これで良い正月になる」との発言に、地元県民は怒り心頭である。
 同時に、名護市長選に立候補していた島袋前市長は「絶対に出馬は断念しない」と息巻いていたが、東京の自民党本部の説得?を受けて、いとも簡単に「出馬断念」を表明。これで、1月12日告示・19日投票の名護市長選は、保守候補は末松文信前県議に一本化され、現職稲嶺ススム市長と一騎打ちとなる。
 まさに事態は、日本政府が描いた「筋書き」通りに進行している。地元沖縄タイムスは東京に行った仲井真知事について次の様に述べている。「仲井真知事は、まるで別人のようだった。菅官房長官が作ったシナリオの上で踊らされている操り人形のようにもみえた」(12月26日の社説より)
 また、地元のある人は「もう日本政府と仲井真知事と話(沖縄関連予算をしっかりつけるから、埋め立て申請を承認せよと)がついており、最終的に仲井真知事は承認するだろう」と述べていた。
 しかし、防衛省が提出した「申請書」(特に環境問題)はまさにデタラメとウソばかり。こんなデタラメな申請書を承認してしまった仲井真知事には、もはや県知事の資格はない。
 沖縄の自民党国会議員5名の裏切りからスタートした今回の辺野古移設問題。その経過を報告する。
  (富田 英司)
 
★11月25日(月)県選出の自民党国会議員5名、党本部の恫喝に屈して選挙公約「県外移設」を撤回して、「辺野古移設」容認へ。
★11月27日(水)稲嶺進名護市長、辺野古埋め立てに反対する「市長意見」を県に提出。稲嶺市長を支援する県民100人、県庁ロビーに集まる。
自民党沖縄県連も公約を撤回し「辺野古移設」容認へ、沖縄自民党総崩れ。なお、那覇市議17人のうち14人(翁長市長の「オール沖縄」支持派)が、沖縄一区選出の国場衆院議員の公約撤回に抗議して、一区支部役員を辞任する。あくまで「県外移設」を支持する方針を確認。
★11月29日(金)県環境生活課は、県土木建築部海岸防災課と県農林水産部漁港漁場課に意見「(沖縄防衛局)申請書に示された環境保全措置では不明な点があり、事業実施区域周辺の生活、自然環境保全についての懸念が払しょくできない」を提出した。これで、埋め立てについて仲井真知事が年内に可否判断できる環境が整う。
★12月2日(月)那覇市議会本会議で「辺野古沖移設を強引に推し進める政府に対して激しく抗議し、普天間基地の県内移設断念と早期閉鎖・撤去を求める意見書」を全会一致で可決する。採決前に自民系の3人と無所属1人が退席。意見書の可決後、翁長那覇市長は「オール沖縄で私も議会も取り組んできた。市議会が一致した意見書を出したことはありがたい。これからの大きな展開の礎になる。市長冥利に尽きる」と述べる。
★12月3日(火)辺野古新基地建設に使用する埋め立て土砂(岩ずり)について、山口県など採取先周辺で、飼育や運搬が法律で原則禁止されている特定外来生物・アルゼンチンアリが繁殖していることがわかった。専門家は「繁殖力が強く、県内に入った場合は沖縄の生態系が変わってしまう。沖縄に入れてはいけないアリだ」と言う。
★12月4日(水)県は4日、沖縄防衛局に対して埋め立て申請の審査に関して「第3次質問」を送付。特定外来種・アルゼンチンアリ対策を含む追加質問4項目7問と、先の県の2次質問に対する防衛局回答を踏まえた再質問8項目21問。11月30日の県環境生活部意見と名護市長意見も同時に送付する。いずれも18日までの回答を求める。
仲井真知事、県議会本会議で辺野古移設の埋め立て申請の可否判断の時期を「12月末となる」と答弁。
★12月9日(月)福田岩国市長、普天間飛行場からKC130空中給油機15機を受け入れると表明。住民に説明なく「市民不在」に批判の声上がる。沖縄では、辺野古移設の埋め立て申請問題や名護市長選もあり、福田市長の決断は政府を後押しする格好にもなっている。
★12月10日(火)沖縄防衛局、県が4日に求めた「第3次質問」等に関して回答する。県は18日までの回答を求めていたが、107質問にわたる県の質問書にわずか8日で回答した。こんなに急いで回答したのは、仲井真知事の早期承認を求めているから(防衛省幹部「急いだのは、政権の意向だ」と述べる)。だが回答には曖昧な記述や不足が目立ち、県は再質問を検討中。
★12月12日(木)「辺野古埋め立ての不承認を求める県民集会」(主催・基地の県内移設に反対する県民会議)が、県庁前県民広場で開かれ400人が結集する。参加者から「知事は公約を守って頑張ってほしい」「ウチナーンチュの誇りを守ってほしい」と仲井真知事を激励する挨拶が相次いだ。 ★12月13日(金)仲井真知事、辺野古埋め立て申請の可否判断時期について、「早ければ年内に、27日が仕事納めなので・・・」と説明。県政与党の公明県本、仲井間知事に提言書を提出。内容は「辺野古移設の実現は事実上不可能。埋め立ては不承認とするように求める」と。
★12月16日(月)政府は2014年度の沖縄振興予算案として3400億円の満額回答を用意。仲井真知事から辺野古埋め立て承認を得たい意図ありあり。
在日米海軍厚木基地のMH60ヘリコプターが神奈川県三浦市の埋め立て地に、不時着しようとして墜落、横転して乗組員2名が負傷。
辺野古埋め立て「知事の不承認を求めて」市民が県庁前県民広場で座り込み活動を開始する。毎日午前10時から午後6時まで。開始集会に100名結集する。
★12月17日(火)首相官邸での沖縄政策協議会にて仲井真知事は安倍首相に対して、①沖縄振興策3408億円の確保、②沖縄本島への鉄道導入、③普天間基地の5年以内の運用停止・早期返還、④オスプレイ12機程度の県外分散配備、⑤牧港補給地区の7年以内の全面返還、⑥日米地位協定の改定、を要請する。安倍首相「最大限実現するように努力したい」「政府一丸で予算を含めた沖縄の要望に答える」と最大限アピール。これによって仲井真知事が政府の埋め立て申請を「承認」するだろうと思われても仕方ない。仲井真知事なぜか?東京の病院に「坐骨神経痛の検査入院」する。
★12月20日(金)沖縄防衛局、環境影響評価(アセスメント)の手続きで辺野古基地の軍港機能を否定していたが、埋め立て申請書には軍港並みの機能になっていることが判明。船が接岸する護岸の全長は200メートルから272メートルに伸び、幅30メートルも初めて記載。これによって、オスプレイ12機や海軍エアクッション型揚陸艇(LCAC)が搭載可能な米海軍強襲揚陸艦ボノム・リシャール(全長257メートル、4万500トン)の接岸が可能となる。また、同揚陸艇の水陸両用訓練が可能となる「斜路」の存在も図示されていた。このように重大情報を「後出し」する防衛局のやり方に批判が集中する。
★12月21日(土)辺野古の周辺海域で、絶滅の恐れが極めて高いジュゴンが1キロ近く離れた船に気付いて逃れようとするなど、船による悪影響を示す観察結果が数多くあることが判明。ところが、防衛局が提出した環境影響評価書(アセスメント)には船の影響について十分な記載がない。都合の悪い記録を隠蔽し、「環境への影響は軽微」との結論に合うデータだけを使ったとの疑い。
★12月25日(水)沖縄の誇りを捨てず、「政府に屈するな」。仲井真知事の辺野古埋め立て不承認を求める県庁包囲行動が取り組まれた。激しい雨の中、参加者1500人が600メートルの人間の鎖をつないだ。不承認を求める人、人、人の波が、振り絞る叫び声が県庁を取り巻く。
★12月27日(金)仲井真知事が埋め立てを承認する書類を沖縄防衛局に発送したとの情報のもと、県庁前の県民広場で抗議集会が開かれ県民2000人が集結。さらに集会後、1000人が県庁舎内になだれ込み、座り込み行動を続ける。手に「不承認」と書いた赤いプラカードを掲げ、「埋め立てを許さない」「知事に辞めてもらう」と次々にシュプレヒコールを上げた。案内へ戻る


 映画『ハンナ・アーレント』を観て

 原発再稼働、秘密保護法強行成立、辺野古への新基地建設の動きの中で「悪の凡庸さ」について考える

 東京都内で、会議と会議の合間を縫って、前から観たかった『ハンナ・アーレント』の上映館に飛び込んだ。
 『全体主義の起源』の著者であり、ユダヤ系ドイツ人の政治哲学者であるハンナ・アーレントが主人公。ハンナは、収容所体験者でもある。戦中に米国に亡命し、大学教員などとして活動した。
 時は1960年5月、ナチスドイツのユダヤ人虐殺に関わったアドルフ・アイヒマンが、イスラエルの諜報機関モサドによってアルゼンチンで捉えられる。ハンナ・アーレントは、アイヒマンの裁判の傍聴記を書きたいと『ザ・ニューヨーカー』誌に申し出る。ハンナの報告は同誌に分載される(のちに『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』として出版)。
 ハンナは傍聴記事の中で、次のような見解を表明する。アイヒマンは反ユダヤ主義者ではない、モンスターでも悪魔でもない、ひどく凡庸な市民であり、一小役人に過ぎない。ナチスによる信じられないほどの悪魔的な所業は、自ら考えることを放棄した多くのアイヒマンたちによって担われ、支えられた。ユダヤ人指導者たちのナチスへの協力も見過ごしにされるべきではない。
 彼女の論考は、予想されたことではあるが、ユダヤ人社会から囂々の非難を浴びる。そればかりか、かけがえのないものと信じていた同僚学者や知識人たちからもナチスの味方、ホロコーストの擁護者だとの言葉を投げつけられる。家族同様に親しんでいたかつてのシオニズム運動の同志たちからさえ、背を向けられる。イスラエル国家からも恫喝を受ける。大学から辞職を要求され、食堂では彼女が席に座ると他の客が席を立つ。
 しかし彼女は自分の信念と確信を曲げることなく、自身への攻撃と真正面から向かい合い、対峙する。アイヒマンが示す陳腐さや凡庸さと人間への悪魔的な残虐行為は矛盾しない、この事実こそが徹底的に明らかにされ、考え抜かれなければならず、問題として明確に提起されなければならないのだ、と。
 ハンナが、彼女に浴びせられた非難に反論をするために登壇した講義の場には、多くの学生たちに混じって、彼女に辞職を迫った同僚たちも参加している。そこでハンナが語ったことは、同僚たちにはさらなる無理解と反感によって迎えられるが、学生たちの目はキラキラと輝きながら彼女に注がれている。
 ハンナの反論は理路整然としており、毅然としており、戦闘的でさえある。ハンナがどう語ったかは、彼女の著書を読んだことのある人にはおわかりと思うが、ネタばらしになってしまうのでここでは紹介しない。
 福島原発事故の後もなお原発の再稼働、原発輸出、新規原発の建設さえ主張する日本政府。秘密保護法を安易に通してしまった国会。沖縄の苦悩に真剣に耳を貸そうとしない本土の私たち。この現実中で、ハンナが身を切るようにして提示した悪の凡庸さという問題提起を、改めて受け止め直してみることは無意味なことではない。(阿部治正)
東京の上映館 角川シネマ有楽町 1月10日(金)まで上映 17時~19時案内へ戻る


読者からの手紙

 福島からの便り  わたぼうし10月号から

 雨で蜘蛛の巣の幾何学模様がくっきりと浮かび上がっています。今朝は小雨でしたが、今は本降りの雨。こんな日は晴耕雨読と言いたいところですが、10月に入って3度目の大型台風騒ぎで、収穫可能なりんごの収穫に大忙しです。被害がないことを祈っています。
 原発事故から3度目のりんごの収穫ですが、震災の年のりんごの損害賠償は未だ半分しか支払われていません。東電には、とてつもなく大きな損害賠償が請求されていて、追いつかないのかも知れません。しかし、福島県民に大きな負担を強いていて何も解決していないのに、他の原発の再稼働というのは人道的にも到底許されることではないと思います。
 今福島原発では優秀な技術者の被爆線量が高くなり、人手不足になりつつあるとか・・・。原発推進の政治家の皆さん、自分がもし原発作業員として何年か現場で働く覚悟があるなら、推進してもいいかもしれません。もしそうでなかったら今すぐ日本全国の原発を廃炉にしていただきたいです。これ以上の無駄な被爆や放射性廃棄物のゴミを増やしてはならないと思います。
 3・11のあの大事故がもう忘れ去られ、オリンピック招致に沸いている現実が(日本の)悲しいです。寒さも我慢します。廃炉になるなら。
 2013・10・2  あっぷる・ファーム後藤果樹園 後藤幸子


 Fさんからのメッセージ

 政治学者・故丸山真男の言葉「戦前の実在よりも戦後の虚妄に賭ける」が重くのしかかる。戦争の多大な犠牲の代価として民主主義が日本人に与えられた。世界で最も先進的な平和憲法を有する我々は、果たして、憲法の理念を我が物としているのか? 敗戦国なのだから戦勝国アメリカに文句も言えなくて、押しつけられたという考えは、多くの日本人に今もあろう。戦争責任、植民地支配の反省・謝罪も殆どなく、復興の道を急ピッチに進め、経済大国に登りつけ、今だに経済成長神話にすがりつく、理念の理解と実践より、エコノミックアニマルに堕した人間の群は、アベノミクスを強固に支える。戦争国家に一挙に突入した時代に直面して、少なくない国民が危機感を持って立ち上がっている。前回にも訴えたが、まさに戦後民主主義が試されている重大な局面であれば、いまだに左翼特有の唯我独尊、正義、正当性の虚しい争いはやめられるのか? 某セクトのいう「日共は闘うポーズだけで、反動、追随、加担している」云々は、どうしようもないマルクス・レーニン主義の荒廃、破綻を暴露している。(F)


“愚行”、安倍首相の靖国参拝

 安倍晋三首相が12月26日、東京・九段北の靖国神社に参拝した。
 靖国神社は1869(明治2)年、明治政府が戊辰戦争での官軍の戦死者を弔うため、東京招魂社の名前で創建された。その後、靖国神社と改称。日清、日露、日中戦争などの戦没者がまつられていった。国のために命を捧げた軍人らは「英霊」とたたえられーー現在は250万近い人がまつられる一方、原爆や空襲で死んだ民間人や、官軍と戦った旧幕府側や明治政府に反抗した西郷隆盛らは対象外だが、1978年には東条英機元首相らA級戦犯14人も合祀(ごうし)されており、韓国や中国などから政治家等の参拝は「侵略戦争を正当化」しているとの反発も起きているーー太平洋戦争でも兵士たちは「靖国で会おう」と死んでいったが、軍人を「英霊」化することによって、死を恐れずに国家のために闘うことを信じさせ、国家神道による戦争動員の精神的支柱だったのだ。
 安倍首相は第1次政権で参拝できなかったことを「痛恨の極み」と述べ、政権1年の歩みを報告して、「不戦の誓い」を立てるためだったという。
だが、首相の言う「平和」とは?、「国際協調主義に基づく積極的平和主義」は、武器輸出三原則を見直し、集団的自衛権の行使容認をめざし、戦争放棄を謳った第9条の憲法改正までも視野に入れたもので、他国と気兼ねなく戦える能力を持ち、他国に脅威を与える「強い」国家によるものなのである。
 安倍首相の靖国参拝は、憲法の政教分離原則に照らしても、政治・外交上の影響など、多くの問題点があるにもかかわらず、全て承知のうえで行われた。この“愚行”さは、戦後70年を控えて、いつまで同じことを繰り返し、蒸し返らせるのか。
 新しい年を迎えて、こうした“愚行”を許さず、戦う決意を強く持とうと思う!!(M)案内へ戻る


放射能汚染と健康被害を隠蔽せんとする「有識者会議」=御用学者集団

 昨年の12月25日に東京都内で開催された「東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う住民の健康管理のあり方に関する専門家会議」の第2回目会合を傍聴した。この日のテーマの内最大のものは、原発事故後に福島や関東地方を襲った放射能プルームが含んでいた放射性ヨウ素による被爆の影響はどれくらいのものか、ということであった。私の属する「放射能からこどもを守ろう関東ネット」から、私を含め千葉県北西部の市民6名が参加した。私以外はみんな、現役のお母さんたちだ。世間はクリスマスの夜で浮かれているというのに、小さいこどもを家に置いて、あるいは友人などに預けての傍聴参加に、頭が下がる。
 十数名の、放射能関係の専門家と称する委員たちが中心の議論は、まことに大雑把だ。これが、専門家、科学者の議論!? 専門家は1人としていない私たち市民の仲間内の議論より、はるかにあいまいで、朦朧とした議論。科学的な厳密さも、論理の一貫性もない。ええっ! こんなんでいいの!? というのが、関東ネットのお母さんたちの偽らざる感想だった。
 メディによる中継の要請に対して、彼らは今回も拒否回答で応じた。自分たちの議論のお粗末さを半ば自覚しているのであろう。専門家を自称する人々が、冴えない顔つき、自信なげな口調、頼りない姿で、科学的な議論とやらを行っているかを、どうしても知られたくなかったのであろう。
 名うての御用学者である長崎大学名誉教授・長瀧重信は、自身があらかじめ設定したお国好みの結論に出来るだけ早く持って行きたい衝動を押さえることが出来ず、議論を強引に誘導する。東北大名誉教授の中村尚司は、長瀧へのヨイショ発言、援護射撃ばかりで独自の意見は何も持たない。御用意見を展開することを期待されて送り込まれた放医研の栗原治は、長瀧がせっせと御用意見を述べるよう水を向けても、お気に入りのこたえさえうまく用意することが出来ない有様だ。
 この専門家会議の傍聴者の中には私たちが住む地域の自治体職員も数名いたが、皆さん、国が?き集めた専門家と言われる人々のレベルの低さにビックリしたのではないだろうか。自治体職員は、私たち地域の市民との間で、日頃からもっとちゃんとした、レベルの高い議論を交わしているのだから。
 もちろん、委員の中には、まともな人もいた。ただし、2名だけ。厚労省から参加している春日委員、日本医師会から出ている石川委員は、私たち市民と同じ立場ではないにしても、自分の考えに基づいて、これは言わねばならぬと信じることを発言をしていたように見えた。しかし、こういう良識派は、もともとが原発事故が待ち散らした放射能は健康にはまったく影響をもたらさないという結論ありきの専門家会議であるから、小人数しか招かれておらず、ガス抜きのための人選だ。
 被害市民と、被害市民に寄り添う真の科学者たちは、この曲学阿世の徒たちに対する批判を遠慮する必要は何も無い。
 この専門家会議の結論とやらをもとに、国は原発事故にともなう放射能汚染と、それが健康に及ぼす景況をなかったことにしようとするだろう。それを、「放射能を恐れるな」「放射能と共存しよう」という福島エートス運動がバックアップするのだろう。原発擁護勢力、原子力開発に固執する連中は、国内外の力を結集して、福島を封印しようとしている。
 この状況を打ち破る力は、原発事故の被害を受けた福島や東北や関東の被曝当事者たちが、それぞれの活動を結びつけ、より大きな当事者運動をつくりだしていく中から生み出すしかない。福島の被害者も、関東の被害者も、厳しく困難な状況の中で、ギリギリ精一杯、本当に頑張ってきた。しかし、それでも原子力ムラの厚い壁を崩すには不足があった。
 福島から避難を余儀なくされた人々・福島に留まらざるを得なかった人々・岩手や群馬や栃木や茨城や千葉や埼玉など関東汚染地帯の市民が、これまで通りにそれぞれに頑張るというだけでなく、もっと意識的に相互の連携、協力、共同の活動をつくりだしていくことが求められている。(千葉県 H)案内へ戻る


編集あれこれ

 前号1面は第2次安倍政権の1年を総括し、彼は「『集団的自衛権』の確立や特定秘密保護法で戦後体制に風穴を開け、満を持して現憲法を葬り去り、戦前の『日本を取り戻す』つもりだ」と指摘しています。そして、アベノミクスと称される財政ばらまき、軍国主義的反動と闘おうと呼びかけています。
 2面では12月6日夜の特定秘密保護法強行採決に抗議・糾弾する、翌7日付けでホームページに掲載された緊急アピールを再録しています。ワーカーズでは、このようにホームページを通じてより早く情報を届けられる体制を整えつつあります。ぜひ、ホームページものぞいてみてください。
 4・5面は原発推進がもたらす放射能汚染が子どもたちの未来を閉ざしかねないこと、もんじゅに象徴される核燃料サイクルの破綻、にもかかわらず性懲りもなく再び原発推進を掲げようとしている安倍政権を批判しています。そこで問題としている「エネルギー基本計画素案」について、次のようにパブリックコメントの募集が行われています。
 資源エネルギー庁長官官房総合政策課「新しい『エネルギー基本計画』策定に向けた御意見の募集について」、期日は1月6日まで。電子政府の窓口イーカブのホームページを開けばこの案件が出てきます。また、グリーンピースのホームページにおいてパブコメを出そうと呼びかけが行われています。
 6面では犬・猫の飼育について、飼う方も商品として扱い、飽きたら捨てるという実態を嘆いています。その命が尽きるまで責任を負えないなら飼うべきではないのに、安易な飼育が大量殺処分へとつながっています。
 昔は野良犬もいたし、私にも子ども集団で餌やりをした経験があります。さすがに、今はそうしたことは許されないだろう。一方、野良猫を地域で飼うという「地域猫」は結構あるようです。その場合、避妊手術が欠かせないようです。
 新年も本紙をご愛読ください。 (晴)
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