ワーカーズ508号 2014年3月15日   案内へ戻る

「なかったことにされてたまるか」3・11から3年、安倍による原発復活を許さない!

 3・11東日本大震災・東電福島第1原発震災から3年が過ぎた。自公連立政権は世界を脅かす原発事故などなかったように、原発推進のエネルギー計画を〝復興〟させようとしている。今も危機的状況にある壊れた原発、広がり続ける放射能汚染、時の経過とともに追いつめられる被災者の生活、その人々に忍び寄る健康破壊、これらすべてをなかったことにさせてはならない。
 安倍首相は1月24日、施政方針演説で「原子力規制委員会が定めた世界で最も厳しい水準の安全規制を満たさない限り、原発の再稼働はありません」と述べた。これは、規制委によって安全が確認された原発は稼働させるということだが、規制委の田中俊一委員長は「安全基準」から「規制基準」へと言い換えている。理由は安全基準という名称は誤解を招くからだ。
 安倍らだけではなく、誰もが規制委が安全確認を行うものと思っているようだが、規制委は安全には責任を持てない、持ちたくないと思っているのだ。過酷事故の可能性を完全に消し去ることが出来ないなかで、再稼働を要求する勢力も誰かに責任を押し付けようとしている。安倍首相も同類であり、無責任ばかりがはびこっている。
 3年が過ぎて、被災者の経済的・精神的苦境は耐えがたいものとなっている。これは東電が被害補償を故意に怠っているからであり、国が放射能汚染からの避難の権利を押し潰しているからである。
 とりわけ、子どもたちの健康は危機に瀕している。福島での甲状腺検査において、悪性ないし悪性疑いが75例となり、放射性ヨウ素による初期被曝の甚大さが明らかになってきた。福島県立医大の御用学者によって放射能の影響ではないとされているが、自分たちだけはこっそり安定ヨウ素剤を飲んでいたのだからあきれるほかない。
 こうしてこの国は、為政者だけではなく国民は、事実と向き合い責任を負うことを回避し、被害者を切り捨て続けることによって生き延びようとしている。犠牲の上にある安逸から離脱することなくして、核なき未来を掴み取ることは出来ない。 (折口晴夫)


すべての命と未来のために  7000人のデモ行進! さよなら原発3・9関西行動

-すべてのいのちと未来のために-
 3月9日(日曜日)、天候に恵まれ陽射しのある所では、気がつけばマフラーもはずしている陽気な1日でした。午後の行動は、大阪・扇町公園の舞台を借りて、デモ行進の前段集会がにぎやかに行なわれました。次々と集まる参加者たちは、デモを盛り上げるための鳴り物や楽器を携え、それぞれが創意工夫の衣装を身につけ、意気込みが感じられました。
 2年前のデモ行進では、デモに出るまでが長蛇の列で、なかなか出発できないのでイライラしたものでした。警察の指示は、デモ参加者を集団化させないことで、そのためにデモ隊列を人数毎に区切り、その隊列を100メートルぐらい間を取らせるのでした。その後、その待ち時間を省くために教訓化されたことは、デモ行進を3つのコースに分け、分散することでした。街行く人で、デモを迷惑そうに見ている視線を感じると、「貴方にも責任があるのよ」と、一言いってあげたい。無関心こそが、事故を隠蔽するために最も都合の良いターゲットになると。
 午前10時40分から始まった屋内集会では、福島から「福島原発告訴団事務局」の地脇美和さんの報告がありました。福島で今起きている情報は、関西ではなかなか入手できないのが現状です。最近になって、事故直後3月12日から福島の県立医大医師たちは、安定ヨウ素剤を飲んでいたことが明らかになったそうです。県民には安全だから服用するなと言っておきながら・・・。しかし、三春町だけは町の判断で服用していたこともわかっています。住民の自主的な判断の必要性が、今になってどれほど大切か気付かされたのです。
 その三春町に「福島県環境創造センター」の建設が予定されているそうです。その施設には、環境教育と称して福島県の小学5・6年生が訪問することになっているとのこと。原発の存在を認め、放射能にはそんなに神経質になることはない、とでも啓蒙したいのでしょうか。そして福島県とIAEAとの間での覚書には、「秘密として指定された情報の秘密性を確保する」という信じがたいことが記されています。「秘密保護法」を思わせる覚書です。
 「原子力産業の重要性を考えれば、チェルノブイリ規模の事故が年に1度くらいあっても、それで良しということだ」IAEA事務局長ハンス・ブリクス(1986年)の発言はIAEAの体質をそのまま暴露していると言っていいでしょう。
 集会では、小出裕章さんの講演もありました。汚染水の垂れ流しで世界中にセシウム137汚染が広がっていること。1日、400トンの汚染水と地下水が流れ出し、たとえ浄化装置で汚染を取り除いても(今は、浄化装置は故障で使用できていない)、1日、400~600トンの汚染水がそのまま海に流れている現状を、深刻に受け止めなければならない。既に40万トンの汚染水が溜っており、除染された放射性物質のゴミと合わせて、一体この先どうなるのか、日本は「法治国家」という言葉を、使う資格は無いほど健康被害を撒き散らし、それを隠そうと躍起になっているのです。
 集会の最後は、「制服向上委員会」の少女たちの歌のメッセージがありました。おもしろかったのは、安倍首相とそのおじいさんを皮肉った「おおきな古時計」の替え歌でした。「おじいさんもいっしょにチックタック」を「おじいさんもいっしょに四苦八苦」と、リズム感よろしく、会場は笑いと手拍子で盛り上がりました。若い人たちにも関心を持って欲しい、歌をきっかけに広めていけたらいいなあ、と思いました。福島を忘れない! 会場の参加者の熱い思いでした。(兵庫・折口恵子)       案内へ戻る


《集団的自衛権》止めよう戦争国家づくり!──ともかく交戦できる軍隊にしたい?──

 14年度予算案が年度内に成立する見込みになり、安倍内閣の軸足は戦後の安全保障=軍事政策での転換に向けられている。焦点は集団的自衛権行使の容認だ。要は国の軍隊を実際に交戦できるようにしたい、という安倍首相の野望を跳ね返していきたい。

◆首相の野望

 安倍首相は、かねてから戦後レジーム(=体制)からの脱却という旗印を掲げてきた。安倍首相にとって戦後とは、戦争を放棄した〝平和憲法〟であり、それに教育に民主主義を導入した戦後教育、また侵略戦争を反省した村山談話や従軍慰安婦での河野談話など、いわゆる歴史認識に関わるものなどだ。その戦後体制からの脱却とは、〝押しつけ憲法〟の改定であり、国家主義的な教育制度であり、いわゆる自虐史観からの脱却だ。
 それらの一つである集団的自衛権の行使容認への転換とは、これまで「保有しているが行使できない」としてきた従来の日本政府の見解を否定し、戦争放棄を掲げた憲法の解釈を変えることで、海外での武力行使も可能にする、というものだ。
 安倍首相は、第一次政権の時つくった「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)を第二次政権で再開させた。そこで行使を容認する答申を出させることをテコに、集団的自衛権行使の容認への転換をもくろんでいる。その安保法制懇は、この4月にも答申するといわれている。その後、閣議でこれを決定し、この秋には関連する自衛隊法改正などで実施体制をつくるというスケジュールを見込んでいるようだ。
 安倍首相のもくろみは、すでにこれまでの様々な発言で小出しされている。
 昨年秋の臨時国会でも、集団的自衛権の解釈変更に意欲を示し、具体例として米国を攻撃している国へ武器を搬入しているかもしれない船舶への臨検や拘束の可能性に言及している。北朝鮮や中東を念頭にしたものだ。また通常国会に入ってからも、米国に飛んで行くミサイルを打ち落とせるのに打ち落とせなくていいのか、等々、集団的自衛権の行使の必要性に言及している。
 また集団的自衛権の行使と密接に関連する武器使用基準の緩和にも言及している。たとえばPKOや紛争国支援で派遣した自衛隊による、武装勢力から攻撃された友好国の派遣軍へのいわゆる「駆けつけ警護」だ。これが可能だとされれば、自己防衛でなくとも交戦できる。武器使用基準の緩和は海外の邦人保護のためにも必要だとしている。が、邦人保護など、かつて何度も先制攻撃や侵略のために拡大解釈されてきた言い分にもなったものだ。
 もっともらしい理屈を振りかざして容認に突っ走る安倍首相の暴走を止めなければならない。

◆突破口の諸類型

 いうまでもなく集団的自衛権とは、日本が攻撃されていない状態でも同盟国(米国など)が攻撃されていれば、それに共同で反撃する権利だ。国連憲章で、自国が直接攻撃された場合の反撃である個別的自衛権とあわせて各国が保持する主権国家固有の権利だとされているものだ。
 ただし日本は敗戦国。戦争と戦力の放棄を明記した憲法を受け入れ、吉田内閣時代は個別的自衛権の保持も否定していた。それが朝鮮戦争を機に自衛隊が創設されて以降、日本は必要最小限の範囲では自衛権を認められている、自衛隊も戦力ではなく必要最低限の自衛力だと、憲法解釈を変更して自衛権や自衛隊を解釈改憲で追認してきたきた経緯がある。ただこれまでは歴代内閣や内閣法制局は、日本には平和憲法の制約があり、海外での武力行使や集団的自衛権を認めてこなかった。自衛隊の実力と侵略を受けた国などの警戒感から、それは無理だと判断されたからだった。安倍首相は、その制約がまったく気に入らない。
 その制約を突破しようという動きは自民党内の国防族など以前からあった。安倍首相も第一次政権の時からその突破に意欲をたぎらせ、安保法制懇を活用して機会を狙ってきた。一端挫折したのち第二次内閣の成立を機に、自らの内閣でなんとしてもその制約を突破したいと野望を膨らませているわけだ。
 集団的自衛権の行使を容認する突破口として、第一次安倍内閣の安保法制懇が答申したのは次の4類型だ。
 1)他国のPKO部隊の後方支援
 2)PKOでの「駆けつけ警護」
 3)米国を狙った弾道ミサイルの迎撃
 4)公海上での自衛隊による米軍艦船の防護
 ただ第二次安倍内閣の安保法制懇はこれに止まらない全面的な解釈変更を狙っているようだ。安保法制懇は昨年10月、新たに「5つのケース」を議論した。その5つとは次のようなもので、これまでの4類型とは別のものだ。、
 1)武力攻撃した国に武器を供給するために航行している船舶への立ち入り検査や拘束
 2)米国を攻撃した国に武器を供給した外国船舶への検査
 3)日本の民間船舶が航行する外国の海域での機雷除去
 4)国連多国籍軍への参加
 5)日本の領海に侵入した潜水艦への対処
 この他、安保法制懇の北岡伸一座長代理(国際大学学長)は、2月21日、集団的自衛権の行使条件として5つ公表している。これも行使を制限するためのものではなく、行使するための方便に過ぎない。

◆ともかく武力行使

 安倍首相や安保法制懇は、実際の紛争情況から細部を切り出してその一場面での行使容認の是非を小出ししているが、それは反対勢力や世論の反応を瀬踏みしている意味もある。またその小出しは軍事的観点で一貫性を保つという、いわゆる軍事整合性(=軍事優先主義)の土俵に引きづり込みたいとの思惑もあるだろう。
 諸外国との関係はなにも軍事的な側面ばかりでなく、経済関係や文化交流、それにスポーツ交流など様々な様相を持つ。普通はそれらのバランスをふまえた関係構築に努力するわけだ。それを軍事的観点でのみ、それも如何に対抗するかという対抗関係でのみ、物事を考えようというのだ。
 その延長線上には何がくるのか、自衛のための軍事力増強、邦人保護のための軍隊派遣、自国防衛のための敵基地などへの先制攻撃、究極的には相手の軍事力の殲滅などだ。制約となるのはその時点での経済も含めた国力のみ。こんな危険な思想が軍事整合性論、安倍首相やその取り巻きは、こんな危険な思想のもとで危うい橋を渡ろうと私たちを巻き込もうとしているのだ。
 そうした安倍首相などが行使容認の野望をあからさまにする集団的自衛権の行使とは、戦後日本でどのような意味を持つのか。メディアなどは、海外での武力行使に道を開くもので、戦後の平和国家を転換するものだとして批判している。その通りだ。だが日本はいまでも行使可能としている個別的自衛権では、近い将来に武力行使する可能性は低い。現にこれまで自衛隊が交戦したことはない。だから地球のどこかで起こる紛争でその突破口を開きたい、ということなのだろう。核心は「海外か日本か」ではなく、「武力行使しない」状態から実際に「武力行使できる、する」軍隊への転換なのだ。
 だが実際はといえば、安倍首相などが念頭に置く北朝鮮が、全面攻撃の一環として米国に弾道ミサイルを撃ち込む可能性はどれだけあるのだろうか。もしそうなれば凋落しつつある唯一の超大国の米国、あのアフガン・イラク攻撃ではないが北朝鮮が火の海になり、軍事力ばかりでなく国民生活も徹底的に破壊される可能性もある。また日本に攻撃を仕掛けたとしても、それは在日米軍への攻撃も当然含まれるものだろうし、そうなれば日米を相手に全面戦争となり得る。その可能性などないに等しい。
 そうした当面考えられない事態を想定してまで容認したいというのは、そうした危機感を煽りながら、実際にはPKOや船舶の臨検などを突破口に、ともかく自衛隊が実際に交戦できる状態、交戦する実績をつくりたいからだろう。北朝鮮が全面戦争に打って出る可能性は低くても、小型船舶による機関砲の発射などの挑発や、瀬戸際政策として弾道ミサイルを太平洋に飛ばすことはあり得る。そうした局所的な衝突を機に自衛隊が実際に武力行使することで自衛隊がいつでも武力行使できる状態、大きくいえば日本が戦争をできる国家として再登場したいという思惑が潜んでいるからだ。
 安倍首相はなぜ米国との集団的自衛権行使に執着するのだろうか?
 それは米国が日本の唯一の同盟国であるからだけではない。米国はしょっちゅう戦争をやっていて、実際の武力行使の機会が多いからだ。米国は大きいものは朝鮮戦争からベトナム戦争やアフガン・イラク戦争など、小さいものではパナマ侵攻など、戦後だけでも何十回もの戦争をやらかし、今でもやっている。戦争をやっている期間の方が長いのだ。だから安倍首相が米国との連携を強調するのは、何も米国の言いなりになっているわけではない。むしろ集団的自衛権では、米国をダシに使っている側面が強い。実際、日本は政府も自衛隊も、平和憲法や対米協力をその都度便宜的に使い分けてきた狡猾さも持っているのだ。

◆戦争好き

 なぜ安倍首相は集団的自衛権の行使容認に執念を燃やすのか。あの敗戦の反省の仕方に問題がある。
 ナショナリストやタカ派の国防族などにとって、あの敗戦への反省というのは、日本の軍部の独走による侵略戦争で日本のみならずアジアの多くの国に甚大な犠牲を強いたことへの深刻な反省ではない。彼らにとっての反省とは、あの戦争で負けてしまったこと、その敗戦の結果として日本は武力を保持することも、その武力を使って交戦することも否定されてしまったことへの被害者意識なのだ。だから戦後日本は、占領国でもある米国の軍門にくだりながらも、着実に国力を増強しつつ機有りとみるや再び武力行使も可能な普通の国づくりの方策を探ってきたのだ。
 その彼らは、そうした野望を胸に秘めて慎重に一歩づつ実現せざるを得なかった。非侵略国の警戒、米国の手綱、それに国内の反戦平和意識など、そうせざるを得ない情況に取り巻かれていたからだ。
 だが、日本は経済成長とともに軍事大国としての実力を付け、その都度、武力の整備や実際の軍事政策を着実に拡大してきた。米国からの戦闘機や各種兵器の輸入やその国産化、自衛隊法などの法整備、米軍との共同訓練、PKOでの海外派兵、偵察衛星の保有・運用、近年では実質的な空母保有などなどだ。日本の軍事大国化は進んでいるのだ。
 そしていま手の届くところにきたのが集団的自衛権行使の容認であり、これまで一度も行使していない武力行使のオプションを手にすることだ。彼らがその先に見据えるのは、敵基地攻撃能力を確保する長距離弾ミサイルや長距離爆撃機の保有、また核兵器の潜在的保有能力の保持などだ。まさしく戦争好きの連中の野望はつきるところを知らない。

◆麗句?

 その安倍首相、政権の座に就いてからことあるごとに日本の軍事的復活、普通の戦争ができる国家づくりへの野望に言及してきた。それが集団的自衛権であり、積極的平和主義であり、総仕上げとしての《戦後レジームからの脱却》という、戦後の平和国家日本のリセットなのだ。
 安倍首相が言う積極的平和主義についても、明確な定義はないし、それが本音を隠した美辞麗句に過ぎないことを見透かせば、意味合いは極めて危険なものだ。「積極的」とか「平和」だとか、一見耳障りの良い言葉の修辞で包んではいる。が、それは武力行使の実現を可能にするという野望を実現する言葉以外のものではない。
 安倍首相がこの言葉を説明するとき、国連PKO活動などでの従来の制約を取り払う趣旨で説明している。要するに、これまでのPKO活動は消極的すぎた、これからはもっと積極的な行動が必要だというわけだ。その具体例で上げるのは、同じPKOに派遣している友好国の派遣部隊が攻撃されたときに駆けつけて応戦する、いわゆる駆けつけ警護だ。その真意としては、これまでは戦闘地域での武力行使を避けてきた姿勢を転換する必要があるとの強い思いだ。「戦争で平和をつくる」、これが首相の積極的平和主義の中身なのだ。
 「派遣部隊が攻撃されているとき」という場合、それが一方的に攻撃されて防戦が困難なケースなのか、それとも派遣部隊と現地勢力による起こりうる交戦状態なのか、その判断基準は曖昧であり、あるいは様々に入れ替わるような性格のものだ。要するに、PKO活動の舞台を土俵として、ともかく武力行使できるようにしたいということなのだ。
 この積極的平和主義は、より広い土俵での自制を取り払うことに通底している。それは戦後保守政治の大原則だった経済優先の軽武装主義、それを揶揄した一国平和主義を突破しようとする意図が含まれている。この意味でも、安倍首相の言う積極的平和主義は、曲がりなりにも歩んできた戦後の軍事政策からの脱却を意味するといえるだろう。

◆対抗策──相互の国の人民・国民による戦争をさせない行動──戦争に向かう政府の打倒での連帯行動

 自民党の選挙公約では、集団的自衛権の行使を安全保障基本法で認めることを掲げていたが、それさえも回避する姿勢を示している。安倍首相は、集団的自衛権の行使容認への転換を閣議決定でおこなう、と言明したからだ。要するに明文改憲ではなく、法律制定でもなく、内閣という行政権の判断だけで武力行使に道を開くというわけだ。このことに対し、メディアや様々な論者、あるいは政治勢力が、解釈改憲での行使容認は間違っていると批判している。そうなれば時の多数派政府による恣意的判断がまかり通ることで最高法規としての憲法は意味を持たなくなる。選挙という民意という基盤によって立つ立法府や違憲審査権を持つ司法府を差し置いて政府が勝手に憲法解釈ができるという事は、建前としての三権分立にも反し、行政府の暴走にお墨付きを与えることになるだけだからだ。
 明文改憲の場合、国民投票の発議権は国会での3分の2の賛成が必要だが、閣議決定なら多数派政権がいつでも可能になるからだ。だから解釈変更のほうが明文改改憲より手っ取り早くて使い勝手がいいということだが、ここでも憲法の骨抜きによる行政権力の暴走という批判が当てはまる。
 このような批判にはそれなりの意味はあるが、それは現行制度を前提としたうえでの批判であって、軽視できない弱点がある。仮に国会の勢力構成が改憲派で3分の2以上占めれば、改憲発議は簡単に可能になるからだ。すでに議員個人レベルでは改憲派は両院で3分の2以上の多数を占めている。にもかかわらず改憲ができないのは、最後に国民投票で判断する有権者の過半数を確保する自信がないからだ。それだけ議員構成が民意とずれているのだ。
 解釈改憲も明文改憲も、国としての政策決定という土俵だけで考えると、違いは相対的なものに止まる。肝心なのは国民や有権者がどうのというという以前に、反戦平和は各地域の人民の普遍的な権利として考えるべきなのだ。
 敵対する国において、国や政府レベルで考えると戦争に傾斜する。しかし個々人レベルでは戦争をやりたいなどと考えるのはほとんどいない。ここは個々人レベルで考えるべき場面なのだ。
 戦争に反対する人々は、戦争に向かいつつある、あるいは戦争を始めようとする国の政府に対し、人民の権利として戦争を拒否する権利、時の政府を政権の座から引きずり下ろす権利、要するに人民の革命権を対置すべきなのだ。そうした権利にもとづく行動で戦争を止めさせた実例もある。今となっては少し昔の話になったが、米国があのベトナム戦争から手を引いたのもそうだった。多大な犠牲者を出していた米国内の厭戦気分や反戦闘争の盛り上がり、それに日本の総評が提唱した国際反戦デーなど世界的な反戦闘争の盛り上がりの結果でもあった。
 3月20日には東京日比谷で集団的自衛権に反対する集会も予定されている。安倍政権による戦争国家づくりを、個々人が連携した総反抗で跳ね返していきたい。(廣)    案内へ戻る


何でも紹介・・・「日本・中国・朝鮮近現代史」(青木裕司著・幻冬舎刊)

 「世界史ブーム」と言われる昨今、僕自身も「いかに世界史の知識が不足しているか」痛感し、いろいろな本を読んでいることは、昨年この紙面でお話した。では、何故「世界史」を学び直す必要があるのか?人によって様々かもしれないが、現在の社会状況から、僕なりに主に3つの問題意識をいだいている。第一は日本と中国、朝鮮の関わり、特に明治維新から日清・日露戦争を経て、植民地支配・侵略戦争に至る「近現代史」、第二は地球環境問題からみた「環境と文明の世界史」、第三は農耕・牧畜経済から産業革命を経て現代に至る「世界経済史」だ。今回は、そのうち第一の問題意識、「日本・中国・朝鮮近現代史」の参考になる本を紹介したい。

◆「自虐史観」ブーム?◆

特に最近、竹島や尖閣列島の領有権問題や、日本政府関係者の靖国神社参拝、さらに従軍慰安婦問題等をめぐって、中国や韓国との外交関係が悪化している中、「歴史認識」が改めて問われている。
 戦後民主主義を支えた「軍国主義日本への反省」(侵略戦争や植民地支配)に対し、保守派の論客が「自虐史観だ」と批判し、「南京虐殺など無かった」、「従軍慰安婦に日本軍は関与していない」、「日本の植民地政策のおかげで朝鮮は近代化できたのだ」などといった内容の本が次々に出版されている。
 「それはおかしいのではないか」と反論したいのはヤマヤマだが、こちらも忙しくて、それぞれの論争点について詳しく勉強する時間がない。そんな中で予備校講師である青木裕司の「知識ゼロからの日本・中国・朝鮮近現代史」(幻冬舎)が、比較的わかりやすい良書だ。

◆予備校生徒の質問◆

 青木氏は予備校で世界史を教えて20年になるという。その中で生徒から「いったい、いつまでアジアの国々に謝罪しなくちゃならないのですか?」、「第二次世界大戦のときって、日本だけが悪かったんですか?」、「日本は植民地に対して、いいこともしたんじゃないですか?」といった質問をよく受けるそうだ。
 「そういう諸君と話してみて、気になることが2つあります。まず1点目は、ほとんどの生徒が、基礎的な歴史的事実を知らないということです。(略)そして知識が不十分なまま、侵略の事実を否定するような本を読み、そのまま受け入れてしまった、ということのようです。(略)それらが正しければ問題はないのですが、残念ながら、彼らが獲得した多くの「事実」は、本当の事実とはかけ離れています。」(前掲書「まえがき」より)
 「2点目は、彼らの視点が「軍事行動をおこした側」「支配する者の側」にしか立っていない点です。「だってあの時代、日本だけじゃなくて、多くの国々が戦争をして、領土を持っていたんでしょう?」(略)でも彼らが言う「多くの国々」とは、教科書でいう「帝国主義」の国々(略)、侵略された側から歴史を見るなどという視点は望むべくもないようです。」(同)

◆明治維新から侵略戦争まで◆

 「で、これはまずいと思ったのでした。言い古されてきたことですが、過去のことを知ろうとしないものは、未来に対して同じ過ちを犯します。(略)この本では、過去に日本がアジアの国々に対してしてきたことを、できるだけ分かり易く展開しようと心掛けました。」(同)
 以上のような危機意識から青木氏は、「第1章、明治維新から韓国併合まで」、「第2章、日本統治化の朝鮮」、「第3章、動揺する中国と帝国日本の登場」、「第4章、満州事変から日中戦争への道」、「第5章、第二次大戦後の朝鮮半島情勢」、「第6章、歴史と経済に揺れる日中関係」について、具体的な資料に基づき、分かり易く展開する。詳しい内容は、ここでは割愛するが、ぜひご一読されるようお勧めする。

◆福沢諭吉の「脱亜論」◆

 これを読んで印象に残ったことの一つは、福沢諭吉の思想的変節の過程だ。
明治維新当初、福沢諭吉は日本の自主独立のためには、隣国の中国・朝鮮が欧米に植民地化されないことが条件であり、中国・朝鮮の近代化を支援すべきという視点に立っていた。この時点では、いわば「反欧米列強・アジア独立連帯近代化」の立場だったとも言える。ところが朝鮮の金玉均(キムオクキュン)らの改革派が起こした「甲申政変」が、保守派と清朝の軍によって弾圧されると、福沢諭吉は「脱亜論」に転換し、「わが国は隣国(中国・朝鮮)の開明を待ちて共に亜細亜を興すの猶予あるべからず。むしろ(略)西洋人がこれに接するの風に従って処分すべきのみ」(福沢諭吉選集)と、露骨な帝国主義思想へ転向したことだ。

◆虐殺を証言した元将兵◆

 もうひとつ印象に残ったのは、「南京虐殺はなかった」に対する元将兵たちの証言だ。
 旧日本陸軍将校の親睦団体である「偕行社」(かいこうしゃ)という組織は、1984年に「証言による「南京戦史」」という連載を始めた。「これは「南京事件」に関して、日本軍人が批判されているという状況に対して、実際に南京攻略作戦に参加した将兵の証言を集め、できうれば日本軍への嫌疑をはらしたい、との動機から始められたものでした。(略)しかしそこには、捕虜虐殺などの不法行為についての証言も少なからずあったのです。」(同)
 編集部は、それらも掲載に踏み切り、連載の締めくくりに次のような文章を掲載した。
「中国国民に深く詫びる
重ねて言う。一万三千人はもちろん、少なくとも三千人とは途方もなく大きな数字である。日本軍が「シロ」ではないのだと覚悟しつつも、この戦史の修史作業を始めてきたわれわれだが、この膨大な数字を前にしては暗然たらざるを得ない。戦場の実相がいかようであれ、戦場心理がどうであろうが、この大量の不法処理には弁解の言葉がない。まことに相すまぬ、むごいことであった。」(「偕行」1985年3月号より)
職業軍人なりの良心から、痛恨の謝罪にいたった心情が伝わってくる。安部政権の腰巾着どもには、こうした旧軍人の当事者ゆえの苦悶など、思いも及ばないのだろう。
「世界経済史」「環境世界史」については、機会を改めて紹介したい。(誠)


低調な大阪市長選! 橋下大阪市政と対峙していこう!

大阪都構想をめぐる対立をきっかけとした出直し大阪市長選は3月9日告示され、日本維新の会共同代表で「大阪維新の会」公認で代表の前職橋下徹氏(44)=維新推薦=と、元派遣社員二野宮茂雄氏(37)、マック赤坂氏(65)、藤島利久氏(51)の3人が立候補しました。23日に投票、開票されます。
 橋下氏と市議会などで敵対する自民、民主、公明、共産各党は、市長選後も議会の構成は変わらず「大義がない」と主張、足並みをそろえて候補の擁立を見送りました。大阪市議会、府議会で最大勢力を誇る大阪維新陣営と、いずれも大きな支援組織を持たない3新人による争いとなり、政令指定都市の選挙戦としては異例中の異例です。
 橋下氏は1月、大阪府と大阪市の法定協議会で都構想の具体案の絞り込みが拒否されたことに反発して任期途中で辞職しました。再選されれば法定協のメンバーを入れ替えて絞り込みを進めると言い、大阪市長選挙に打って出ました。橋下氏には、辞職したまま選挙に出ないでほしいと思っていましたが、立候補しました。
 3月9日から、大阪市長選挙は始まっていますが低調です。公営掲示板は、4人の立候補があるにもかかわらず、橋下氏のポスターしか貼られていません(11日現在)。自民・民主・公明・共産など主要政党が候補者を出していないのですから、当然と言えば当然です。
 橋下氏以外の候補者で注目すべきは、藤島利久氏です。藤島氏は、今まで5回の選挙に出てすべて落選しています。今回インターネットを有効に活用して選挙を闘っています。主張は、脱原発、大阪都構想ではなく経済対策を、防災の町創り、冤罪事件をなくすため陪審員制度の導入などを掲げています。機会があれば、彼の演説を聴きに行こうと思っています。主張自体は、賛同できる部分が多いです。
 今回の選挙は、投票率もかなり低いものになるでしょうし橋下氏の再選は動かないでしょう。今後も橋下氏の行う大阪市政―国民保険料の値上げなど市民サービスの切り捨てや、阪神高速淀川左岸線2期工事など不必要な開発事業による税金のムダ使い―に反対していきます。 (河野)

◇大阪市長選立候補者(届け出順)
橋下徹(はしもととおる)44 維新の会代表  大前<1> =維
二野宮茂雄(にのみやしげお)37 (元)派遣社員 無新
マック赤坂(あかさか)65 スマイル党総裁 諸新
藤島利久(ふじしまとしひさ)51 (元)衆院議員秘書 無新        案内へ戻る


コラムの窓・・・「過ぎゆく日々」

 3月6日、夫婦割料金を利用して4000円で2本の映画を観ました。こうして映画を観るたびに、齢を重ねるのも悪くないと思うのです。夕方からは「秘密保護法廃止! ロックアクション」と銘打たれた集会とデモに参加しました。大阪・中之島の集合地点は冷たい川風が吹いて、早くデモになればいいのにと思いつつ色々なアピールを聞きました。
 観たのは「命てなんぼなん? 泉南アスベスト禍と闘う」と韓国映画「渚のふたり」(アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭でアジア映画史上初となる最優秀賞に輝いたドキュメンタリー)です。どちらもドキュメントで、創作映画は事実を超えられないのか、と思わざるを得ないほど深く現実を写しだし、観るものに迫ってきます。こうした映画はエンターテイメントのように多くの人々の目に触れない、このことが残念でなりません。
 映画が「ふたり」というのは夫婦で、視力と聴力を失った背が高い夫ヨンチャンと脊椎障害で背が低い妻スンホです。このふたりが力を合わせて慎ましやかな生活を営む日々が映し出されています。ヨンチャンは鍵盤ハーモニカのようなものに指を走らせ点字を読み取っている、その速ささに驚きます。スンホはヨンチャンの指をリズミカルにたたき言葉を伝える、まるで魔法のような指文字による意思疎通です。
 障害を抱えるふたりが支え合うことによってようやく生活が成り立っている、「同じ日に死のう」という言葉のなかにかけがえのないふたりの関係が浮かび上がります。ヨンチャンがひとりでも行動できるように訓練を受けに行く、残されたスンホがなすすべもなく喪失感を味わう姿が痛々しく感じます。指先の美しさが印象深い映画でした。
 泉南アスベスト禍のドキュメントは、国賠訴訟の記録です。泉南のアスベスト被害は尼崎のクボタによる被害とちがって、ちいさな工場群による被害だったので、勢い国の責任を問う闘いとなっています。2006年5月、石綿工場の元労働者や家族、近隣住民などが国の責任を問う国賠訴訟を起こしました。
 この第1陣は大阪地裁で勝訴するも、高裁では敗訴しています。第2陣は2審まで勝訴し、どちらも今は最高裁に係属中です。この裁判で明らかになったことは、石綿の有害性は早くから明らかだったにもかかわらず、「国は、アスベストの経済的有用性を最優先して、その規制や対策を長期間にわたって怠ってきた」事実です。産業や企業の利益の前に、労働者や住民のいのちは顧みられない、まさに映画の表題が問うていることです。
 それにしても監督の原一男は、容赦なく苦しむ患者に迫っています。だから、撮影の数日後の亡くなったという映像もあるのです。夫を亡くし訴訟を継いだ妻は、工場に弁当を届けに行き、扉を開けたら白い靄が迫ってきた、その先にいる夫は煙って見えなかったと証言しています。恐ろしいまでの工場環境です。
 第1陣の裁判では、民主党政権時に国が控訴したのですが、当初控訴しないのではないかという予想が覆されました。国家官僚による権力行使、既定方針の前では政権交代も無力だったようです。こうした官僚の姿に、〝凡庸な悪〟を見る思いです。与えられ地位の与えられた任務を淡々とこなす、フクシマの核汚染地に人々を閉じ込めている権力も、同じように機能しているのです。
 同じ3月6日、大阪高裁でクボタ石綿訴訟判決がありました。こちらは工場周辺住民が原告で、クボタには賠償命令が出されましたが、国の責任は認めませんでした。しかも、被害を工場から300メートル以内の地域と限定し、工場から1キロ以上離れていた原告の被害は認めませんでした。
 こうして、この日は朝から夜まで夫婦ふたりで大阪市内を移動し続けました。そうできる健康が続き、これからも日々を闘い抜こうと思うのです。 (晴)   


色鉛筆・・・『忘れられた皇軍』に思うこと

 唇が欠けて牙の様に前歯が覗く顔。黒メガネの片腕で白衣の傷痍軍人の顔が画面に大きく映り、その異様な姿に驚かされる。
 大島渚監督『忘れられた皇軍』(日本テレビ・ノンフィクション劇場、1963年放送)が1月12日深夜に再放送された。50年ぶりに。
 徐洛源、大正10年北朝鮮生まれ。昭和18年海軍軍属として徴用され来日。そしてトラック島へ送られ昭和20年6月、軍属として基地労働に従事中、艦砲射撃で全身負傷。右腕切断と両眼失明でこの姿になった。
 国籍を奪われ「日本の皇軍」となることを強いられた上で、重傷を負わされたにもかかわらず、戦後再び1952年4月の「日本の主権回復の日」に一方的に「外国人」とされ、戦争犠牲者援護の法案から外された。
 地を這う様な貧しい暮らしの中で「元日本軍在日韓国人傷病軍人会」を作り集まった12人は、首相官邸、国会議事堂、外務省、を尋ね回る。日本政府からは「韓国人だから韓国政府に陳情せよ」と言われ、韓国在日代表部を尋ねると「あなた方のキズは日本の為に受けたものだ。韓国に責任はない。日本政府に要求すべきことだ」と言われる。松葉杖をつき、時に転びながら、"眼なし手足なし職なし補償なし"と街頭でも訴えて歩く姿をカメラが追う。◇ ◇ ◇
 この作品が放送された50年前、田舎暮らしの10才だった私は、姉や母に連れられ浮き浮きと県庁近くの繁華街を歩いていて、白衣を着て地べたに座り募金をしていた傷痍軍人を見て言葉にならない衝撃を受けたことを覚えている。今になって分かる。彼らは「在日」の人たちだったのだ。
 同じ様に戦争に狩り出され、同じ様に戦死や傷病を負わされても「日本人」であれば、手厚い保護を受けられた。卑劣にも日本政府は、帰化することを条件に『戦傷病者戦没者遺族等救援法(1952年)』の適用を提示した。徐さんたち在日にとっては二度目の国籍剥奪となる。本来なら法をこそ改正すべきなのに、再び日本人になることを強要したのだ。「元日本軍在日韓国人傷病軍人会」のうち10人は生活苦の為にやむなく帰化に応じた。2人はそれを拒んだ。「1965年の日韓条約による政府間の賠償で解決済み。相手国の賠償放棄で問題は片づいている」と日本政府は主張している。日韓条約には徐さんらの北朝鮮は入っておらず、これひとつ取っても論拠が不備なことがわかる。
 植民地支配をし、戦後は差別と排除、事実を覆い隠して問題に向き合わない___。日本政府の有様はずっと変わっていない。変わらないどころか、その結果として、歴史の事実を知らされない人たちによるヘイトスピーチなどが勢いづいてきている。そんな時代に『忘れられた皇軍』が再放送されたことを歓迎すべきか、深夜でなく誰もが視られる時間帯に放送されなかったことを怒るべきなのか。
 ただ、こうした惨い事実を伏せたままで、「今日の我が国の平和と繁栄の為に貴い命を犠牲にされた」云々と美しい言葉だけを口にする安倍首相らは、今の若者に「国の為に死ね、死ねばヤスクニにまつられ称えられる」と言っているに等しいのだと思う。『忘れられた皇軍』を始めとする、多くの犠牲は忘れられてはならないのだ!。(澄)      案内へ戻る


編集あれこれ

 前号は8ページで、記事が少し足りなかったと思います。前号1面は、「春闘 均等待遇・雇用保障を勝ち取ろう!―急がば回れが最大の課題―」という記事でした。大手労組が要求しているベアが実現しても1%ぐらいで、4月からの消費税3%増税を考えれば実質賃下げです。また、非正規労働者の待遇改善とともに、正規労働者との均等待遇を求めていかなくてはなりません。これらを実現するには、正規・非正規労働者の連帯抜きにはありえません。
 2・3面は、「政権の墓穴を掘る取り巻きの跋扈―舞い上がる首相を取り巻く お友達―」という記事でした。NHK経営委員で作家の百田直樹は、戦後の東京裁判を「米軍による東京大空襲や原爆投下をごまかすための裁判だった」と言っています。軍国主義を正当化するものであり到底許せません。また、同じくNHK経営委員の長谷川三千子は、朝日新聞社で拳銃自殺した右翼の野村秋介の追悼文集に、「事件は言論機関への政治的圧力などではなく天皇のために死んだ神聖な事件だった」と述べています。NHK会長の籾井勝人は、南京大虐殺や従軍慰安婦などなかったかのような発言を繰り返しました。
 こうした動きを変えていくため、多くの労働者や市民らと連帯していくしかありません。
 4面は連載「第19回オジンの新 経済学講座」です。次回に、「里山資本主義」について検討するとのこと、興味深いです。
 5・6面は、沖縄の記事です。辺野古への新基地建設に反対するのは、本土に住む私達の課題でもあります。何とかしないといけません。沖縄の闘いを少しでも支援するために、沖縄の新聞「琉球新聞」や「沖縄タイムス」を読もうという記事ですが、こういう形での支援はすぐにでもできますね。
 あと、常設の色鉛筆や読者からの手紙の記事もありました。読者のみなさん、今後もワーカーズをよろしくお願いします。(河野)

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