ワーカーズ510号 2014/4/15
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脱原発候補の当選を! 愛媛県伊方町長選!
任期満了に伴う愛媛県西宇和郡伊方町長選挙が4月8日、告示され無所属で前職の畑中芳久(66)、原発いらない人々で新人の小田々豊(おだた ゆたか)(58)、無所属で新人の浜口市作(66)、無所属で現職の山下和彦(68)の4人が立候補しました。投票は13日でわずか5日間の選挙戦です。2005年に旧伊方、瀬戸、三崎の3町が合併してから4回目の町長選になります。7日現在の選挙人名簿登録者(有権者)数は9311人(男4413人、女4898人)です。
四国電力伊方原発が立地する伊方町で、町長選が行われるのは2011年3月の福島原発事故後初めてです。畑中、浜口、山下の3人が伊方原発との共存を図るスタンスを示し、小田々さんが即時廃炉を主張しています。私は、脱原発を主張する小田々候補に当選してほしいと思っています。
小田々候補の略歴は、1976年高知高専電気工学科卒業・1998年高知工科大学知能機械システム工学科 3 年編入、飛び卒業単位1年で取得後、大学院単位・他学科単位多数取得後中退。;都会のサラリーマンを辞め、高知県の山村に
U ターンし、農産物をブランド化高収益化、過疎の村に農業で雇用を生みました。有機農業法人複数経営・村おこしリーダー・役所の不正や非効率を改善する
NPO 市民オンブズマン 高知役員
現職;自然エネルギーベンチャー企業 SOLA(株)CEO・経営コンサルタント・ファイナンシャルプラニング・政治団体 原発いらない人々 代表
原発立地自治体では、原発関連で潤っている地元産業が衰退するとして、脱原発派は厳しい締め付け(いじめ)に遭う。選挙後には、落選した脱原発派候補を応援していた人々は村八分扱いになるそうです。だから地元からの脱原発候補の擁立はなかなか困難です。小田々さんは、高知県出身で現在東京都在住です。伊方原発を止めることを主張する町長が誕生すれば、脱原発の流れは大きな勢いを持ちます。この新聞が発行されるころには、伊方町長選の結果は出ています。小田々さん当選の結果が出ていることを期待しています。(4月11日 記)(河野)
4・11安倍靖国参拝違憲訴訟提訴・・・再び英霊への道を開く安倍を許すな!
4月11日午後、安倍首相靖国参拝違憲訴訟の会・関西の呼びかけのもと、546名の原告が名をつらね、大阪地裁に安倍晋三首相の靖国参拝差止等請求する訴訟を提起した。その後、記者会見が行われ、夜には報告集会が開催された。私も原告の一員として、この行動に参加した。
咋年末12月26日、安倍首相が靖国神社に公式参拝したのは違憲であり、原告はこの違憲違法な参拝によって被害を受けたので、それぞれ1万円を支払えという国家賠償を求める裁判である。本訴訟は違憲判断を求めていないが、それは首相の公式参拝が違憲であるのはあまりに明白であり、訴状は違憲であることを前提に主張を展開している。以下、訴状の内容を紹介しよう。
被告は国、安倍首相、そして靖国神社。求めているのは、被告安倍晋三は内閣総理大臣として靖国神社に参拝してはならない、被告靖国神社は被告安倍晋三の内閣総理大臣としての参拝を受け入れてはならない、等である。
何を侵害されたのかというと、平和的生存権であり、内心の自由や信教の自由である。安倍首相の参拝後の談話、「本日、靖國神社に参拝し、国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとおもに尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福をお祈りしました。」という言葉のなかに、再び戦死者を靖国に祭るという意図が明らかだ。
記者会見で20代の若い原告が、首相の地位にあるものが平気で司法判断を踏みにじる、こうした状況を「怖い」と表現したことが印象深かった。多くの若い世代が歴史的知識もなく、気分によって安倍らに煽られることの怖さがあるのだろう。戦争の現実を知らない政治家が戦争をもてあそび、戦場に引きずり出されるのは若い世代であり、英霊として靖国に帰還するなど、悪夢というほかない。
ヤスクニ訴訟は小泉純一郎元首相の時代にさかのぼるが、6地裁で7件の訴訟が提起された。参拝が違憲という判断は出ているが、合憲だという判断は出ていない。平和的生存権については、自衛隊イラク派兵違憲訴訟において、名古屋高裁でイラクでの自衛隊の活動を違憲とする判決が下されている。その中で、平和的生存権について次のように指摘している。
「例えば、憲法9条に違反する国の行為、すなわち戦争の遂行、武力の行使等や、戦争の準備行為等によって、個人の生命、自由が侵害され又は侵害の危機にさらされ、あるいは、現実的な戦争等による被害や恐怖にさらされるような場合、また、憲法9条に違反する戦争の遂行等への加担・協力を強制されるような場合には、平和的生存権の主として自由権的な態様のあらわれとして、裁判所に対して当該違憲行為の差し止め請求や損害賠償請求等の方法により救済を求めることができる場合があると解することができ、その限りでは平和的生存権に具体的権利性がある。」(2008年4月17日・名古屋高裁)
ヤスクニ訴訟はその後、合祀取り消しを求め韓国や台湾から遺族が裁判を提起したが、いずれも日本の司法によって退けられ、靖国神社は「国事に殉じられた人々」として原告の父などを「神」として祀りつづけている。植民地化で戦場に駆り出され、命を奪われ、「霊璽簿」に記載されることによって死者は死後もとわわれ続けている。
このように、安倍やヤスクニは過去の戦争の犠牲者を顕彰することによって、未来の戦死者を生み出そうとしている。この連鎖は断ち切らなければならない。大阪地裁だけではなく、東京地裁においても近く裁判が提起される。大阪においても、第2次提訴に向けて8月15日まで原告を募集している。多くの人々がこの隊列に加わることを呼びかけている。(折口晴夫)
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「沖縄通信・47」 教科書無償法を改正・・・竹富町を狙い撃ち
八重山教科書問題を契機に提出された教科書無償措置法改正案が、9日参院本会議により与党など賛成多数で可決、成立した。
改正ポイントは、教科書採択に関し採択地区協議会の設置を明記し、協議会で決めた同一の教科書を採択することを義務付けた。この法改正により、採択地区協議会の性格は、従来の答申機関から採択機関へと変わり、与えられた権限を使って協議会の結論に反対する他の市町村に押し付ける事ができることになる。
一方、改正法は採択地区の設定単位を「市郡」から「市町村」に変更させた。これにより、竹富町は八重山地区の協議会から離脱して単独で教科書を採択することが可能になった。事実、竹富町教育委は10日に臨時会を開き、単独で教科書を採択できるよう協議会から離脱する方針を固めた。
しかし、下村博文文部科学大臣は「小さな町村では、十分な調査研究ができない。」八重山地区の変更を「省として指導、助言を行うこともあり得る」と分離に否定的な見解を示している。何が何でも保守色の強い育鵬社版を竹富町に押しつける姿勢だ。
なぜ、この時期に急いだ法改正をしたのか?と言えば、八重山地区(石垣島、与那国島、竹富町)で異なる中学校公民教科書が使われている。2011年八重山採択地区協議会は育鵬社版の採択を答申。しかし竹富町教委は、教員の意見を反映する制度が廃止され調査員の評価の低い育鵬社版を無記名投票で選んだ八重山採択地区協議会の手続きに疑問があるとして、独自に調査して東京書籍版の採択を決めた。
2012年度からは民間の寄付で東京書籍版を調達し、無償で生徒に配っている。竹富町教委は「県内では東京書籍版の方が多い。異なる教科書を使用しているのはむしろ石垣島と与那国島だ」と指摘する。
そもそも、八重山教科書問題は八重山採択地区協議会が従来のルールを破り強引に育鵬社版を採択したこと。また、教科書採択権に関して相反する二つの法律(教科書無償措置法と地方教育行政法という関連法の矛盾)が今回の事態を招いた。
文科省及び安倍政権は、地区協議会の選定方法が不透明だったことなどに意義を唱える竹富町教委の訴えに耳を貸そうともしない。それどころか教科書を統一するよう定める教科書無償措置法に竹富町が違反していると主張。言うことを聞かない竹富町教委に是正要求を出した。
教科書問題に詳しい琉大准教授の山口剛史氏は「民主主義・憲法を学ぶ公民教科書の採択が、民主主義的ルールで選ばれないということは悲しい結論だ。根本的な問題は、自民党政権が政治介入し、政治パフォーマンスでしかない是正要求により起きているということである」と述べている。
竹富町教委は2011年夏から3年近く国から一方的に「違法」と圧力をかけ続けられたが、11日国の不当介入への不満を抱えながらも、学校現場への影響を最小限にするため是正要求への不服申し立てをしないことを決めた。
この判断に対して、教科書問題に詳しい琉大名誉教授の高嶋伸欣氏は「2011年の当初から竹富町教委の姿勢は一貫し、国の不当な圧力にも屈しなかった。日本の民主主義の在り方を竹富町教委が実証してみせた事例で、戦後の教育史の中でも一つの区切りになる」と、支持する声を上げている。一方、今後の問題点として「法改正により、市町村単位での採択地区設定が可能になったが、それが単純に良いことだとは言えない。強引な協議会運営・採択をした石垣市、与那国島教委のような行動する例が増える可能性がある。協議会ルール作りなど、今後、強引な教科書採択が行われないよう、注視していく必要がある」と述べている。
今後は文科省による違法確認訴訟の提起が焦点となる。(富田 英司)
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コラムの窓・・・「STAP細胞」への果敢な挑戦
◆職場では同情論◆
「小保方さんが可愛そう」
「相手が小娘だからって、寄って、たかって粗探しするなんて」
病院の技術職場に働く僕の周りには、女性の技師が多いせいか、圧倒的に小保方さんへの同情論が噴出している。
「ある種の刺激に惹起されて幹細胞になる現象」を発見したという「STAP細胞」論文は、その後、論文に添付された画像データの不備が指摘されてから、異常な展開をたどっている。
僕も「幹細胞」論については専門外なので、詳しいことはよく分からないが、彼女たちの同情論の方は良く分かる。
もし、同じ論文を発表したのが、どこかの有名大学の名のある(男性の)教授だったら、こんなにもあからさまなバッシングに走る人はいないのではないか?というのが、彼女たちの率直な怒りだろう。
それほど、医学の世界における権威主義は、まだまだ根深いものがあるのだろう。もっとも医学に限ったことではないが。
実際、医療技術者の学会で、定説と異なる発表をしたら、「偉い先生」の「教え子」である先輩たちから、上から目線で「僕達が習ってきたことと違うよ」と言われ、この世界に嫌気がさしたという、若い女性技師のグチを聞いたこともある。
そんなわけで、バッシングが強まれば強まるほど、へそ曲がりの僕まで、小保方さんの応援をしたくなるのだ。
先日の理研の「不正は小保方氏一人」という、自己保身まるだしの調査発表を聞くに至って、ついに門外漢ながら、黙っていられなくなってしまった。
◆遺伝子だけでは◆
実は、この「STAP細胞」論文が発表されたとき、僕は詳しいことはさておき、生命のしくみについて、これまでモヤモヤといだいてきた疑問が晴れたような気がした。それも強い直感で。
近年、生命のしくみについて、なんでもかんでも分子生物学、遺伝子学で説明できるかのような風潮に、漠然とした深い疑問を抱いていたからだ。
ダーウィンの進化論以来、生命の変異のしくみは、未だ根本的には謎であって、あらゆる説が「仮説」の域を出ていないと思う。
「ゲノム」プロジェクトによって、遺伝子学の水準が画期的に上がったのは事実である。それ以来、癌や免疫、内分泌をはじめ、様々な病気の機序に遺伝子が関わっていることが、次々に解明されている。そして、あらゆる細胞に変化する前のスタートとなる「幹細胞」まで、遺伝子操作で人為的に作れる可能性が指摘され「再生医療」に対する期待が高まっているのも事実だ。
しかし、生命の変異、細胞の変異が、すべて遺伝子で説明できるのか?そもそも「遺伝子」とは、その名の通り、ある個体の特徴を子孫に受け継ぎ、種を「保存」するしくみであって、環境に適応して種を「変異」させるしくみとは次元が異なるのではないか?遺伝子の偶然のズレの積み重ねから、結果として環境に優位な変異が選択されるという、遺伝子中心の生命変異論には、どこか限界があるのではないか?
僕のシロウト考えだろうか?そんなことはないと確信する。そこを突いたのが「STAK細胞」論だ。ある種の刺激によって、細胞が変異することがありうる。その「仮説」を提示しただけでも、本質的な意義がある。
確かに「再現実験」は困難だ。それはそうだろう。刺激を受けるたびに、そうやたらに、手当たり次第に細胞が変異しては、そもそも生命はなりたたないだろう。
なぜか幹細胞の数が変わることがある。この不思議な事実から出発した。やはり事実だ。となれば、なんらかの刺激で細胞が変異したとしか説明しようがない。だがそれは「いかなる条件で」なのか?これが小保方さんが、果敢に挑戦してきた研究の真髄なのだ。したがって、いまだ、それは「有力な仮説」の段階なのだ。
◆醜い勢力争い◆
幹細胞の数が変わったという事実から出発し、ある種の刺激によって細胞が変異したのではないかという「仮説」が提出された。この仮説を巡って、さらに賛否の論争が起き、論文の検証や、他の方法による「再現」や「非再現」の研究が出てくるなら、まだわかる。
ところが今の動きは、学問の基本からは外れた、研究費の取り合いであったり、既存の学説を守ろうとする権威主義であったり、はては理研の内部での競争であったり、実に醜いかぎりである。整理するとこうなる。
まず「STAP細胞」論文のバッシングの背景には、遺伝子学界の権威主義や、それを取り巻く製薬会社の権益がある。いまや国策ともなった再生医療の研究費にかける国の予算の流れが、遺伝子勢力から別の勢力に流れてしまいかねないことへの危機感である。
次に「理研」内部の「本社」と「地方」との格差や競争である。今回、論文を発表したのは、神戸の研究所だった。関係者からは、本社から「格がひとつ落ちる」地方の研究所が、功を焦って、資料の不備なまま発表を急いだのではないか?との指摘があるそうだ。そうであれば、小保方さんは、研究所内部の勢力争い、極端な競争主義の犠牲者である。本来なら、もっと基礎実験を重ねてから、発表してもよかったのに。
そして最後に「理研」の自己保身からの切り捨てだ。「論文は捏造、不正だった」「不正は小保方氏一人だった」「懲戒処分を検討する」。特定国立研究開発法人の指定見送りという「組織存亡の危機」を切り抜けるために、小保方さん一人をスケープゴートにしようという意図が見え見えではないか?
さすがにここまでくると、呆れ返って開いた口が塞がらない。アメリカの共同研究者が、「論文撤回に反対」の声明を出しているのがせめてもの救いだ。
ダーウィンは「進化説」を発表するのに二十年も躊躇したという。それでも発表直後から「天地創造説の権威」勢力から集中砲火を浴びた。ガリレオの「地動説」もそうだった。「天動説」の勢力からバッシングされ、不本意ながら「撤回」に追い込まれた。「それでも地球は回る」とつぶやきながら。
繰り返すが「STAP細胞」をもたらす細胞の変異は、人工的に再現するには、まだまだ技術的な困難があるのは、生命のしくみからして、当たり前のことだ。研究費争いや自己保身から、小保方さん一人を悪者にして「不正・捏造」を叫ぶ愚かな人々。いつの日か「やっぱり刺激による細胞の変異はあった」ことが明らかになるだろう。その頃、人々は頭を掻き掻き、細胞に命名するかもしれない。「OBOKATA細胞」と。(誠)
「袴田裁判報告」・・ 静岡地検の即時抗告に抗議し、一刻も早く再審開始と「無罪」放免を勝ち取ろう!
3月27日、静岡地裁(村山浩昭裁判長)は、1966年、静岡市清水区(旧静岡県清水市)で、一家4人が殺害された「袴田事件」で、死刑が確定した元プロボクサー袴田巌(いわお)氏(78歳)の第2次再審請求審で、「重要な証拠が捜査機関に捏造(ねつぞう)された疑いがある」として、再審開始を認める決定をくだし、死刑と拘置についても「拘置を続けることは耐え難いほど正義に反する」と言及し執行停止を決定した。
この判決を受けて、静岡地検は東京高裁に、静岡地裁の「拘置の執行停止」決定を不足として保釈しないよう抗告したが、28日に高裁はこの抗告を棄却し、東京拘置所は袴田さんを即日釈放した。しかし、3月31日(月)静岡地検は、決定の決め手となった犯行時の着衣「五点の衣類」に付いた血痕のDNA鑑定について「弁護側鑑定は一般的に承認されていない独自の抽出方法で、血液由来のDNAだという根拠もない」と主張。試料も劣化し、正しい判定ができていないとして、再現実験を含めた再鑑定の必要があると申し立て、捜査機関による証拠の捏造(ねつぞう)は「論理の飛躍がある」と静岡地裁の袴田さんへの死刑と拘置の執行停止・再審決定を「遺憾」とし、東京高裁に即時抗告を申請した。
死刑囚の再審による無罪判決前の拘置停止決定と釈放はきわめてまれな処置で、地裁の再審開始判断はそれほど重く重要な内容であった。そして、袴田弁護団は、袴田さんは「えん罪被害者であることは明らか」だとして検察側に即時抗告しないよう申し入れていましたが、こうした多くの人々の“声”を無視して、地検は即時抗告した。
4月9日(水)、再審開始決定を受けて釈放された袴田巌元被告(78)の支援者と弁護団は、東京高検を訪れ、静岡地裁の決定を不服として静岡地検が行った即時抗告の取り下げを求める要請書を提出。
10日には、東京高裁に対して、「(高裁の)即時抗告の担当部に意見書を提出し、検察官の即時抗告は不当で、憲法上も権利の濫用ではないかと。再審までに長引くことがないように速やかに却下してもらいたい」、「速やかに裁判のやり直しを行ってほしい」と即時抗告の棄却を求めた。
姉の秀子さん(81)は、袴田元被告の様子を「自由になったことは認識しているようだが、拘禁症のせいで変な言動がある。少しずつ良くなるよう願っている」と報告しているが、えん罪であるという判決が出され、高齢化と病気を患っている袴田さんを死刑囚とした過ちを隠蔽し、いたずらに長引かせ様とする検察当局を私達は許さない!。
今後、再審開始の可否は東京高裁で審議されるが、再審開始はもちろんのこと、冤罪を認め、一刻も早く“無罪”放免を勝ち取ってゆこう!。(静岡発)
元兵士から聞いたニューギニア戦線に見る戦争の現実
・・・ これでも日本を再び「戦争をする国」にしたいか
3月議会は3月25日に終わったが、議会中も土曜日と日曜日は出来るだけ市内繁華街で「特定秘密保護法を廃止に」の訴えと署名集めを行った。議会が終わってからは、連日、朝の駅頭宣伝にて、市政の課題とともに、集団的自衛権の行使容認への批判と特定秘密保護法の廃止の訴え、そして消費税増税の批判を行っている。
駅頭での宣伝にも、自然と力が入る。つい数日前に、本物の戦争を知る人の生々しい体験談と、彼らの戦争に対する烈々たる怒りの言葉を聞いたばかり、という事情があるかも知れない。
というのは、3月29日に、「九条の会・流山」の主催で、ニューギニア戦線でアイタペ作戦に従軍した元陸軍兵士、戦艦武蔵の乗組員のお二人の戦争体験を聞く会を開催したのだ。
ニューギニア戦線は、死者 12万6千人、生存者はわずか1万3400人。死者と言っても、そのほとんどが敵軍と戦っての戦死ではなく、飢えと病気で死んでいった悲惨な戦争だ。ウエアクに上陸し、アイタペ作戦に従軍させられた体験者の話では、兵士たちはまともな武器も持たされず、食料も与えられず、熱帯のジャングルをひたすら行軍させられた。多くの兵士が飢えと疲労で泥の中に倒れ、倒れた者の上を仲間の兵士が行軍していく。倒れた者もまだ生きてはいたが、それを避けていると体力が消耗するので、みな黙々と、虫の息と化した仲間の上を軍靴で歩んでいく(体験を語った人自身はどうしても出来なかったと言う)。休憩時にうとうととしていると、靴が盗まれ、飯ごうが無くなる。軍のモラルや士気はもうどこにも無い。横になり起き上がれない者は置いていかれる。そうしないと、自分自身が同じ運命となる。
アイタペ作戦はそもそも食糧難の中で兵の数を減らすために命じられたとさえ言われているが、ウエアクから南のウイルヘルム山に向かった兵士たちはもっと悲惨な目に遭った。高山の寒さにやられ、米軍の攻撃に晒され、ウエアクに逃げ帰った者はごくわずかで、基地の前にたどり着くとそのまま斃れてしまったという。この作戦に従軍した兵士たちは、もともとがラバウルから腰にズタ袋を巻いたボロボロ姿でウエアクに移動してきた者たちで、そもそも再度の戦闘などに従軍できる状態では無かったそうだ。
体験談を語った人自身は触れなかったが、この戦争の中では、飢えのあまり、日本人同士で、そして現地の人々を対象に人肉を食らうなどの、言語を絶する凄惨な光景も現出したそうだ。
従軍体験を語ってくれた人は、将校付きだったため上官たちの作戦会議を漏れ聞く機会もあったそうだ。まるでヘボ将棋の駒の動かし方を論じるような、実に雑でいい加減な会議だったという。こんな将校たちや、それよりももっといい加減であったに違いない国の指導者たちによって、何十万人という日本人が、現地の人々を蹂躙しつつ、同胞を食らい合いさえする、悲惨きわまりない戦争で斃れていったのだ。
戦艦武蔵の乗員兵士の話も悲惨だった。戦艦大和を始めとする多くの軍艦とともにレイテを目指した武蔵は、目立つ新塗装(死化粧)のせいか米軍の集中攻撃を受けて満身創痍となり沈没。乗員2399人の内1329人は漂流したが仲間の艦に助けられてコレヒドールに上陸。その内の420人は再び輸送船に乗って内地に向かうが魚雷を受けて沈没し、その大半が死亡。内地に向かわず残った者たちもほとんどが戦死(餓死・病死)。体験談を語ってくれた元海軍兵士は、戦艦武蔵の沈没と輸送船の沈没という二度の悲劇に遭いながら、奇跡的にも生き残った人であった。
安倍政権の下で「祖国のために斃れた者」を賛美する声が強まっている。しかし日本軍兵士のほとんどは、身の不運を嘆き、国の指導者を恨みつつ、飢えや病気や暑さや寒さの中で、故郷や家族への思いを残しつつ死んでいったというのが真実だ。
集団的自衛権行使の容認を許すな! それと一体の特定秘密保護法を廃止に追い込もう! (阿部治正)
色鉛筆・・・官製春闘は毒まんじゅう--福本裁判を支える大先輩の発言から
昨年2月に提訴してもう1年が過ぎた3月13日、第8回期日を迎えた福本裁判は、これまで通り多くの支援者に囲まれ交流会が持たれました。現役の非正規で働く者はもちろん、郵政OB・地域ユニオンのメンバーなどが集まり、傍聴席に入れずとも、廊下に並んで裁判の行方を待っています。
福本裁判では、事前の連絡をしたにも関わらず遅刻1回で240円の賃下げが強行され、その不当なスキル評価をめぐっての争いは、裁判が進むにつれ郵便局側の不備が明らかにされてきました。スキル評価の連動について、基礎評価(10項目の内、無届けの遅刻に△が入る)が下がれば資格給も下がって当然という被告側に、連動の手続きが適正に行われたかどうかを追及しました。その返答に、近畿支社が各支店に①労使委員会で説明すること、②期間雇用社員にミーティングで説明すること、③掲示板で周知すること、の手続きを指示していると、答えています。
しかし、福本さんの職場では、ミーティングで説明を聞いた社員もいなければ、掲示板での周知を見た者も誰もいないという実態です。私自身も集配の現場で、連動性の説明など何も聞いていません。ミーティングでするなら資料に残っているはずです。これは、被告側の作り話に過ぎないのです。なんて恥ずかしい行為でしょう。その上、スキル評価の「習熟度A」だけが月給制契約社員への登用の機会があるのに、そのチャンスも福本さんは逃したことになるのです。たんに、賃金の下がった分の補償だけでなく、より安定した職種への機会を奪ったことの代償は多大なものです。6月からは、証人尋問に入ります。被告側の組合運動へのいやがらせ、福本さんへのみせしめ的な賃下げ攻撃の真相は、もうすぐ明らかになるでしょう。
表題の「官製春闘は毒まんじゅう」ですが、50~60年前の全逓の組合員で春闘を経験された今村さんという方の話です。私はその話を聞かせてもらって、職場で闘うことの基本姿勢を教えてもらって、とても勉強になったので、皆さんにも紹介したいと思い取り上げました。
当時、「権利の全逓」と言われ活発に春闘をやっていましたが、今の非正規を非常勤といい、組合が自ら「常勤本務化闘争」を取り上げ、その取り組みの結果、ほとんどの人が本務者になったそうです。その後、その本務者になった人たちが中心なって70年代、「反合理化闘争」を展開して日本の労働運動を引っ張っていったそうです。
毒まんじゅうというのは、「本来、賃金は毒まんじゅうである」と資本主義のなかでの賃金を位置づけ、できるだけ毒の少ないまんじゅうを食いたい、といわれていました。賃金は、「安いより高いほうがいい」、それから「わかり易い賃金でなくていけない」こと。これは今の郵政のスキル評価に通ずるもので、ABC評価に分けられ10円単位の細かい査定でそれぞれ個人が別々に評価され、個人同士が競争させられ、分断させられているのは明らかです。そのうえ、管理者が不在でも、同僚がお互いをチェックし合う、そんな職場になってしまっています。
本来、職場討議があり、労働者のエネルギーをより強くしようと努力がないまま賃上げが実施されても、その賃上げは結果としてそれ以上の毒を含むことになると、今村さんの指摘に私は頷かざるをえませんでした。その毒とは、今度の賃上げによって、あと何か月かすれば、労働者の団結がバラバラになる、その要素が自動車・鉄鋼・電機にしてもふくまれるだろうと、今村さんの予測は当たるのでしょうか。労働者の誇りが持てる賃金闘争を実現したいものです。
次回、福本裁判は5月20日(火)午前10時半、神戸地裁です。また、賑やかに集まって、みんなで元気をもらいましょう。(恵)
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書評 『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫 集英社新書 740円
◆ ワーカーズでも何回かアベノミクスへの批判記事を書いてきた身として、書店でアベノミクスを考えてもらえるような手頃なものがないかと見回していたとき、本書が目に付いた。帯広告がインパクトがあったからだ。いわく、「金利ゼロ=利潤率ゼロ=資本主義の死」。
本書のスタンスは、アベノミクスを持ち上げる多くの政治家やエコノミストなどの視点とはまるっきり異なる。それらは、均衡論やケインズ的な対処療法一辺倒でしかない。対して筆者はフェルナン・ブローデルの『地中海』などを援用しながら、現在の日本や世界が遭遇している危機の性格を、中世から資本主義が勃興した12~13世紀から15~16世紀の世界史的な転換期から説き起こす。キーワードは「新たなフロンティアの消滅」と「利子率革命」だ。
資本主義というのは重商主義時代から「中心」に対する「周辺」が不可欠だった。その周辺を資源供給地や市場として組み込むことで成長を遂げてきた。その資本にとっての新たなフロンティアは、グローバリゼーションの進展とともに失われてきた。グローバリゼーションは新興国を「中心」に接近させてきたからだ。強欲資本主義のメカニズムそのものが、資本主義発展の条件をしだいに狭めてしまっている、というわけだ。
次は「利子率革命」だ。20年も「ゼロ金利」が続く日本をはじめとして、このところ先進国での異常な低金利が続いている。低金利が続いているということは、資本がだぶついてもうけ口である投資先がないということだ。資本が利潤を得られなくなっているということは、すなわち資本主義はすでに死期が近づいているということを暗示している。筆者はこのことに警鐘を鳴らす。17世紀の初頭にイタリアのジェノヴァでも金利2%以下の低金利が11年も続き、その後、「中世」から資本主義、国民国家の成立へと続く大転換が始まったからだ。いわゆる「利子率革命」だ。
日本のデフレや世界的な利子率の低下、あるいはBRICsといわれる新興国の成長など、グローバリゼーションが進展する世界の動きを見ながら、筆者は、資本主義の終焉が近づいている、オルタナティブを早急に見いださなければならない、と警鐘を鳴らす。
◆ 本書の構成は以下のようになっている。
第1章 資本主義の延命策でかえって苦しむアメリカ
第2章 新興国の近代化がもたらすパラドックスス
第3章 日本の未来をつくる脱成長モデル
第4章 西欧の終焉
第5章 資本主義はいかにして終わるのか
筆者は、資本主義はいずれ終焉を迎える、とする。その場合、ハードランディングかソフトランディングのいずれかしかない。ハードランディングは、世界恐慌の勃発や労働者反抗による内乱的情況が避けられない。それは最悪のシナリオで、犠牲が大きすぎる。
ソフトランディングは、世界国家をつくってグローバル資本主義の暴走を食い止めることが必要だ。が、それは想定しにくい。EUもそうした挑戦の一つだが、現在のEUではまだサイズが小さい。G20が連帯して巨大企業に対抗する必要がある。具体的には消費税など大衆課税ではなく、法人税の引き上げや国際的な金融取引に課税するトービン税の導入などだ。それらの税収を危機を抱える地域に再配分する。労働者が国境を越えて団結できない現実を考えれば、国家が団結して資本にブレーキをかけるべきだ、というのが筆者の言い分だ。
著者は続けて、ソフトランディングで目指すべきは「定常社会」だという。定常社会とは、成長至上主義の社会ではない、単純再生産の社会、ゼロ成長社会のことだ。しかし毎年の変動が少ないという点で望ましい社会なのだ、という。
具体的には1000兆円の国債は日本株式会社の会員権とし、基礎的財政収支の均衡のために増税は必要だが、大衆課税ではなく企業課税を強化すべきで、資源については自然エネルギーを低コストで賄えるようにする、これらが定常社会への道筋となる。何とも穏当な政策ではある。
◆ 目先の株価や成長率に一喜一憂するかのようなことばかり聞かされていると、この手の世界史的視野からの現状把握は新鮮な感じがする。経済の短期的な変動は長期の地殻変動の結果であることが多いからだ。しかし反面では概念や論理展開での漠然性という印象も避けがたい。
たとえば「蒐集」という概念についてもそうだ。…………筆者はジョン・エルスナーとロジャー・カーディナルスの『蒐集』を援用しているが、奴隷の「蒐集」によってヨーロッパができた、9・11は米国が第3世界から富を「蒐集」した結果起こった、リーマンショックはマネー資本主義が過剰にマネーを「蒐集」して自滅したもの、3・11は安価な核エネルギーを「蒐集」した結果起こったこと、欧州危機は独仏同盟による「領土」の「蒐集」が招き寄せた危機だ、等々……。これでは分かったような気になるが、よく考えるととりとめもない話でしかない。
本書には歴史記述はあるが、分析と総合という作業がない。だから結論がない。15~16世紀の利子率革命=利子率低下が文明史的な世界史的転換をもたらしたとして、だからこんども世界史的な転換点なのだ、といわれても、ではどうするかが見えてこない。
たとえば、すでにマルクスは150年も前に、利子率の低下傾向とその前提となる平均利潤率の低下傾向を資本制生産にとって特有の傾向として把握していた。(資本論第3巻第3編)その根拠は資本構成の高度化である。簡単に言えば、剰余価値率(利潤率)は労働力の搾取によるもので、機械設備などの比重が大きくなるにしたがって労働力にあたる部分の比重が相対的に小さくなり、結果的に利潤率は傾向的に低下する、だから機械化・オートメーション化などで生産力が発展するほど、利潤率は傾向的に低下せざるを得ない、というものだ。利子率の上限は利潤率なので、利潤率が低下すれば自ずと利子率も低下せざるを得ないことになる。そしてマルクスはいう。「この過程は、……資本主義的生産をやがて崩壊させてしまうことであろう。」と。金利の低下傾向を資本制システムの内在的な分析から資本主義の終焉を予測していたマルクスと比べても、説得力に欠けるといわざるを得ない。
とはいえ、私も資本主義は「終わりの始まり」の時代に入っていると考える筆者には同感だ。新天地と利潤率の低下傾向が二つの根拠である点も同意できる。しかし本書では、最も重要な要素である新時代をたぐり寄せる「主体」がみあたらない。だからハードランディングを避け、ソフトランディングを目指すためにも資本主義を延命させなければならない、となってしまう。
極めつけはG20などへの期待だ。国家が結集して強欲マネー資本主義を規制する、と。これではオルタナティブにはならない。私たちはアソシエーション革命を提唱しているが、そこでは変革の主体はやはり労働者だ。筆者も指摘するように、現実は変革の主体となるべき労働者の国際連携が形成されていない。モノやマネーに比べて、労働者が国境を越えて移動するのは簡単ではないからだ。
しかし労働者の闘いのグローバル性とは、生身の労働者が国境を越えることだけではない。資本のグローバル性そのものが、個々の地域での労働者の闘いに国際的な性格を帯びたものにする。国境を越えた労働者の連携は無理だと主体形成を放棄するわけにはいかないのだ。
◆ 本書の著者は民主党の仙石由人のブレーンといわれ、10年に民主党政権の内閣審議官に就任するまで三菱UFJ証券などのエコノミストだった。本書のユニークさは、そうした民間エコノミストと言われるような人でも資本制経済の終わりとオルタナティブを構想せざるを得ないという、制御不能に陥った現在のマネー資本主義の閉塞情況を反映しているところにある。
本書は主として経済を扱っているが、記述は平易で読みやすい。ふだん見られないグラフも掲載されていて新しい視野も開ける。本書を参考として、それぞれオルタナティブを模索してはどうだろうか。(廣)
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編集あれこれ
安倍晋三首相による政治の私物化・暴走が止まりません。本紙前号1面ではその政治手法を、「首相の直属機関や私的懇談会などに首相のとりまきを入れて、それをてこに逆流政治を進めている」と指弾しています。
そして2面では、安倍政治の経済的側面であるアベノミクスの目くらましによって高い支持率が維持されていること。そのミラクルもいずれ落日を迎えるものであり、「しかしそのアベノミクスは失速し始めている。4月からの消費税が、その幕引きを告げることになるだろう」と指摘しています。
安倍政権は次の国政選挙まで盤石のようで、意外に足元は脆弱であることがわかります。しかし、経済的な自己崩壊を待つのではなく、「私たちとしては、新年度を安倍政権の終わりの始まりとすべく、反転攻勢の年にして行きたい」との決意を明らかにしています。
その安倍政権が、連携を期待していたみんなと維新がこけて、集団的自衛権で立ち往生しつつあります。自・公連立は小選挙区制の選挙で勝ち抜くためにたがいに依存し、互いに逃れられなくなっていますが、集団的自衛権の問題では特定秘密保護法の時のなれ合い合意のようには行かなくなっているようです。
昨年の猪瀬、今年の渡辺、まことに政治家も一寸先は闇です。しかし、そうした政治家がのさばっている現状を忘れてはならないと思います。その一方で、3面の色鉛筆で指摘されているような痛ましい事件があとを絶ちません。億の単位のお金を貸し借りする連中が、こうした事件へと若い人たちを追い込んでいるのです。
加害者を叩き、被害者も叩くことでは何も解決しません。「若い母親もベビーシッターの若い男性も生きていくためにしたことで悲劇が起こってしまったが、根本的にあるのは今の格差社会の中で貧困から来ているのではないかと思う」
6面では原子力マフィアの飽くなき欲望が暴露されています。4月4日には衆院本会議において、トルコとアラブ首長国連邦(UAE)に原発を輸出できるようにする原子力協定承認案が、自・公・民の賛成多数で可決され、参院に送られました。民主党では管直人元首相ら脱原発派8人が欠席、棄権し、自民党からも途中退席が出ていますが、国会内ではここまででしょう。
偶然の僥倖や敵失に期待をかけていては、安倍の暴走を止めることも原子力マフィアに対抗することもできません。力及ばずとも、倦まず弛まず挑み続けることが必要です。私たちの新聞「ワーカーズ」がその一翼を担えるよう、引き続き頑張りたいと思います。 (晴)
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