ワーカーズ511号 2014/5/1
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実現しよう、雇用の権利と均等待遇の確立を!
跳ね返そう、安倍政権による雇用破壊!
安倍政権による雇用破壊の野望が止まらない。
政府の産業競争力会議が、「残業代ゼロ法案」「過労死促進法案」ともいわれた、ホワイトカラー・エグゼンプションをさらにひどくした雇用制度の導入を画策している。
ホワイトカラー・エグゼンプションは、第一次安倍政権で導入を画策したもので、要は何時間働いても残業代がゼロで仕事の成果のみを求められる働き方だ。あまりに企業の思惑が露骨な法案だったために、大多数の労働者や広範な人々の反対の声に遭遇して断念したものだった。その時は高年収などの条件を付けていたが、それを低賃金の労働者にも拡大するというものだ。今でも過労死に至るような長時間労働が日常化しているのが実情だ。それにお墨付きを与えるような提案など、恥知らずを超えて雇用における殺人制度の導入にも等しいという以外にない。
提案者の長谷川閑史経済同友会代表幹事らは、働く場所や時間を気にしないで働ける、本人の同意も前提とする、等と語っているが、よくも臆面もなく、という以外にない厚かましさだ。雇用の実情を無視するこんな雇用制度の導入は、許すわけにはいかない。
安倍政権が進める雇用破壊は、「新型残業代ゼロ」法案だけではない。今は潜行しているが、「解雇自由原則の導入」「解雇での金銭解決」「限定正社員制度」「終身派遣制度」「日雇い派遣の拡大」など、労働者の雇用を破壊するような規制緩和が目白押しだ。その一つ一つが当該の労働者にとって死活問題となるような雇用破壊となる。
安倍内閣は、産業競争力会議の民間議員などと結託して雇用の規制緩和を虎視眈々と狙っている。それは「いつでも首を切れる」「低コストで長時間働かせられる」使い勝手がよい労働者を増やすことで企業利益を膨らませることしか考えていないからだ。その結果があの「年越し派遣村」などで浮かび上がった非正規労働者の悲惨な働きぶりと暮らしぶりだったことなど、忘れたか、なかったかのようだ。「新型残業代ゼロ法」などの底流には、そうした状況を正社員にも拡大したいという企業の冷酷非情な魂胆が流れているのだ。
正規労働者の一部には、非正規労働者の悲惨な処遇が自分たちの雇用の安全弁や高処遇の前提だとの本音も見え隠れしていた。が、ブラック企業を見るまでもなく、この「残業代ゼロ」をはじめとした雇用破壊の大波は、そんな正社員への安住の思いを打ち砕くものでもある。
明日は我が身。企業のやりたい放題への対抗勢力として、雇用の権利や均等待遇の確立を対置し、全労働者が企業と結託した安倍政権の雇用破壊に立ち向かっていく以外にない。(廣)
集団的自衛権
止めよう!戦争ができる国家づくり!──安倍首相の野望を許さない! ──
安倍首相による集団的自衛権の行使容認の暴走が止まらない。
安倍首相の私的諮問機関である安保法制懇が先送りしてきた答申が、この連休明けにも出される見込みだ。この答申をテコに、また日米首脳会談で米国の支持を取り付けたことも追い風に、5月中にも政府方針を取りまとめるという。それ以降、今国会中に集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈の変更を閣議決定する、というスケジュールを想定している。
戦争ができる国づくりへの安倍首相の野望を、なんとしてもストップさせたい。
◆世論操作
第一次内閣で国民投票法を強行可決した安倍首相は、当初、自民党案による明文改憲に執着していた。が、それが困難と見るや、改憲発議要件を定めた96条を改定することで改憲に道筋を付けることで戦争国家づくりに進もうとする野望を露わにしてきた。が、それも「裏口入学」などと批判されて断念せざるを得なくなった後、集団的自衛権での憲法解釈の変更で武力行使できる戦争国家づくりへの道を開こうとしている。安倍首相のもくろみは、多くの人々の「ノー」の声で後退させてきたとはいえ、戦争国家づくりという安倍首相の野望は消えていない。
この連休明けに出される見通しの安保法制懇は、安倍首相の思惑を代弁するかのように具体的な事例を小出しばがら集団的自衛権行使の容認に風穴を開けようとしてきた。第一次安保法制懇では、米国を狙った弾道ミサイルの迎撃など「4類型」の答申を出した。第二次安倍内閣になって復活した安保法制懇は、米国を攻撃した国に武器を供給する外国船舶への「臨検」など、さらに「5つのケース」での行使容認の答申を準備している。が、これらのケースは、容認派の学者や軍事専門家からも批判されているように、ともかく自衛隊が武力行使できるようにしたいとの思惑が露骨な世論操作というべきものでしかない。
国際関係は多面的なものだ。が、軍事整合性論に立つ安倍首相は、それを軍事的な対抗関係だけ突出させることで軍事力整備や武力行使の容認につなげたいという、短絡的で危険な態度だという以外にない。その目線の先にあるのは、自衛のための軍事力増強、邦人保護のための軍隊派遣、敵基地攻撃能力の保有などだろう。まったく戦争オタクも真っ青な、軍事優先の危険な思想のもとで危うい橋を私たちに渡らせようとしているのだ。
◆ともかく武力行使
安倍首相が、なぜこれほど集団的自衛権の行使に執着しているのかは、ワケがある。それは、戦後政治の処世術として、日本は武力保持とその発動を、日本を防衛するための必要最低限のものに制限してきた経緯がある。そうしなくては国際社会と国内世論に受け入れられなかったからだ。が、その結果、現実には日本が侵略されるというほとんどあり得ないケースを前提としたために、日本の軍隊が実際に武力行使する、交戦する可能性が限りなく小さくなってしまった。現に、日本の自衛隊は、発足以降一度も交戦していない。
「今の法体系では自衛隊はなにもできない」と焦る安倍首相は、「戦わない自衛隊」「戦えない自衛隊」に我慢できない。ともかく実際に戦える、交戦できる軍隊づくりが必要だという野望を膨らませてきた。そのためには、可能性が低い個別的自衛権の行使拡大ではなく、しょっちゅう戦争をしている米国との間での集団的自衛権を口実とした方が、実際の武力行使や戦争できる国への早道だ、というわけだ。
その例証の一つが武器使用基準の緩和だ。これはPKOなどでの駆けつけ警護を可能にするなどというものだ。これは、交戦しない、交戦があり得る地域への派遣はしないという、これまでのPKOの縛りを破棄するもので、これも「戦える自衛隊」へという戦後政治の大転換につながるものだ。
◆対抗行動
憲法改定はむろんのこと、集団的自衛権の行使を容認するにも、世論の動向は大きな鍵だ。その世論は行使容認に否定的になっている。
朝日新聞による4月の世論調査によると、集団的自衛権行使容認への反対が、昨年の56%から63%に増えている。憲法9条、武器輸出の拡大、非核三原則なども変えない方がよいとする意見が軒並み増えている。議論が本格化するに従って反対意見が多くなっているわけだ。それだけ安倍首相が進める戦前回帰に危機感を抱く人が多くなっていることの結果でもある。
が、閣議決定だけで解釈変更を目論む安倍内閣の姿勢をみれば、世論だけでは限界がある。それを行動に移すことが必要だ。様々な反対組織が立ち上がり、対抗行動も拡がりつつある。連休明け以降の攻防では、より大きな大衆行動など、安倍首相のもくろみをストップさせる取り組みが不可欠だ。(廣)
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「沖縄通信・NO48」・・・安倍政権、強引に陸自与那国配備と辺野古新基地建設着手
4月19日、与那国島への陸上自衛隊沿岸監視部隊の配備に向けた起工式が現地で開かれた。
実はこの19日は、辺野古新基地建設阻止の座り込みから10年(反対行動開始から17年)を迎えて、辺野古の浜で集会と海上抗議パレードが開かれ、市内外から500人以上が集まった。
なぜ、与那国での起工式を急いで19日に開催したのか?反対派メンバーが与那国現地に結集出来ないように、あえて19日に設定したと思われる。
★起工式典は終始混乱!用地補償額は3カ月で倍!
式典には小野寺五典防衛相が参加し「与那国島への部隊配置は南西地域の自衛隊の空白を埋め、配置の意味は大変大きい」と強調。この式典に町議や与那国防衛協会(自衛隊配備推進派)の会員ら住民と自衛隊関係者ら約100人が参加。
一方、配備に反対する住民約70人が会場入り口を取り囲み、関係車両の通行を防ごうとし警官隊ともみ合いになり、式典が25分遅れで始まるなど終始混乱した。
配置される沿岸監視部隊(隊員は150人規模)はレーダーで航行・飛行する艦船や航空機を監視する。久部良地区に駐屯地と監視所(約25ヘクタール)、祖納地区にレーダーを置く監視所(約1ヘクタール)、町役場近くに宿舎(約0・3ヘクタール)などを整備し、2015年度末の配備完成をめざしている。
県内の自衛隊基地の設置は1972年の本土復帰以降、初めてになる。防衛省は南西地域での米軍施設・区域の自衛隊の共同使用を進める方針。そして現在、石垣島や宮古島など先島諸島や奄美群島の有人島を対象に、陸自初動担任部隊の配備候補地を検討している。
与那国島の駐屯予定地である「農業生産法人南牧場」への損失補償額の事で、とんでもないことが判明した。
防衛省は昨年11月末に1億1千万円を提示したが、牧場側は拒否をした。防衛省は12月5日に、査定基準となる補償対象の枠を拡大し補償額1億4200万円を提示したが、牧場側は拒否。同月29日に積み増しをして2億1400万円を示したが、牧場側は重ねて拒否。その後、さらに2600万円を増額し2億4千万を提示し、今年2月21日に合意。最初の提示から2月下旬の妥結までの交渉で、補償額は2倍以上に膨らんだ。
牧場関係者の一人は「交渉過程が不透明だ。基準が分からないまま補償額がつりあげられている。」「国民の税金がそんなふうに使われていいのか」と指摘。
過疎で悩む与那国島は、2008年9月に町議会が自衛隊誘致決議案を可決。その後、自衛隊誘致をめぐって賛成派と反対派が激しく対立。住民投票の実施は町議会が12年に否決。自衛隊配備が争点となった昨年8月の町長選でもわずか47票差で推進派が勝つなど、島内は賛否に分断されている。「自衛隊(配備問題)の争いが嫌で島を出た家族も多い。こんなことをいつまで繰り返すのか」と、町政に対して怒りの声が上がる。
与那国町の人口は3月末で1479人、初めて1500人を下回った。10年間で250人近く減っている。そこに、自衛隊員150人が来ると、家族を含めて約200人の自衛隊関係者が島に住み、島の各選挙に参加することになる。反対派住民は危機感を強く感じている。
★防衛局、海上ボーリング調査を夏にも着手!辺野古沖21地点掘削のため延べ1100隻の警戒船を投入!
防衛局の計画によると、ボーリング調査は3月27日に入札公告を実施。5月13日に開札し、受注業者を決定。調査期間は契約締結日から11月30日まで。海底の地質調査や磁気探査を予定している。
沖縄の市民団体が情報公開請求で入手した海上ボーリング調査の「業務委託特記仕様書」によると、作業のため、海上の9地点に単管足場、水深の深い12地点にはスパット台船を設置する。この作業の期間中に延べ約1100隻の警戒船が必要と見込む。
内訳については、①海上21地点を掘削するボーリング調査が1地点に1日2隻、11日間で462隻。②船を使った磁気探査が1日2隻、40日間で80隻。③潜水磁気探査が1日4隻、140日間で560隻。として、延べ1102隻が必要となる。
ヘリ基地反対協議会の安次富浩共同代表は「なりふり構わぬ政権の本音が見える。多くの県民が移設に反対する中、反対行動に対応するために警戒船だけで約5千万~6千万の税金をかけるとはあきれる。こういう無駄を国民が認めるなら日本はおしまいだ」と痛烈に批判する。
2004~05年の海上ボーリング調査では、反対派住民らの単管足場への座り込みやシーカヤックでの抗議活動において、単管足場から海に落ちる人など多くの怪我人が出ている。またふたたび海上での激しい衝突が懸念される状況である。(富田 英司)
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色鉛筆・・・東照宮御遷座 三百六十年奉祝大祭に想う
「承応三年(一六五四)に創設以来、杜の都を見守り続けて三百六十年の時を重ねました平成二十六年四月、御遷座三百六十年を奉祝し、神輿渡御を斎行いたします。東北一を誇る華麗な大神輿の渡御に直接参加する有意義な機会ですので、奮ってのご参加をお待ちいたしております。」と張り紙を見つけた。稚児行列は一人一万円とかかれていた。私が幼稚園のとき近所の子供がみんなきれいにお化粧をして素敵な装束で歩いているのを見て、母になぜ私だけが参加できないのかと問いつめたことがあった。母は「お金がかかるから」と言い、私はそれ以上何も言えなかった。しかし、あれから五十年近くたってもあの日のことは鮮明に覚えている。
東照宮神社とは、徳川家康公が祭られた神社である。徳川家康公は天文十一年(一五四二)十二月二十六日、三河国(愛知県)岡崎城で誕生し、幼少より幾多の艱難辛苦に耐え抜き、慶長五年(一六00)関ヶ原の戦いに勝利を収め天下を統一し、幕藩体制を樹立して江戸時代二百六十余年の泰平の基を築き、産業を興し学問の振興に努め、近世日本の発展に偉大な功績を残した。元和二年(一六一六)四月十七日、駿府城(静岡)において七十五歳の生涯をとじた。と歴史書にある。
(家康公の遺訓)
人の一生は重荷を負ひて遠き道をゆくが如し
急ぐべからず
不自由を常とおもへば不足なし
心に望おこらば困窮したる時を思ひ出すべし
堪忍は無事長久の基
いかりは敵とおもへ
勝事ばかり知てまくる事をしらざれば
害其身にいたる
おのれを責て人をせむるな
及ばざるは過ぎたるよりまされり と記され、今も語り継がれている。
家康公の墓がある日光東照宮に一度行ったことがある。神社に到着するまでの、数え切れない灯籠に献上者の名前があり、よく見ると日本のあらゆる大企業名が記されていて驚き、権力の象徴であるように感じた。境内には「見ざる、言わざる、聴かざる」の猿もいた。資本主義社会の中で成功するためには、遺訓のように過ごし、また猿のように生きることが利口な生き方だと教えられているように感じた。
地域のコミュニティーを計るためのお祭りは大切な行事だと想う。歴史を振り返ることも大切なことだと想う。しかし、これでいいのだろうか?消費税八%も、原発も、「見ざる、言わざる、聴かざる」で決して終わってはいけない、人が人を管理する社会であってはいけないと強く感じている。(宮城 弥生)
たちかぜ裁判東京高裁判決、海自はいじめによる自殺予見可能だった!
東京高裁(鈴木健太裁判長)は4月23日、海自いじめ自殺訴訟判決で、横浜地裁では認めなかった海上自衛隊の自殺予見性について、「上司が適切に調査、指導をしていれば自殺は予測可能で、回避できた」とし、約7300万円の賠償を命じました。この裁判では海自による情報隠しが現職自衛官によって明らかにされ、時あたかも特定秘密保護法による〝官僚による不都合な事実の隠蔽〟の危惧が、法廷の場で示されたかっこうです。
2004年10月27日、海自護衛艦「たちかぜ」の乗組員、1等海士のTさんが自殺に追い込まれました。艦内で上官(2等海曹)から執拗ないじめを受けていたのです。それは至近距離からガスガンで撃たれるという、信じられないものでした。艦長以下、監督責任のある上官も見て見ぬふりの態度をとり続けたのです。2006年4月5日、Tさんのご両親は損害賠償責任(安全配慮義務違反)を問う訴訟を、横浜地方裁判所に提訴しました。(緊急署名呼びかけビラより)
裁判の過程で、破棄されたとされる海自が艦内の暴行の実態把握のために行った乗組員アンケートが、内部告発によって明るみに出されたのです。これは、一審で国側指定代理人を務めていた3等海佐の内部告発によって明らかになったものです。「2012年6月21日、海上自衛隊トップの海上幕僚長が記者会見、その事実を認め、謝罪しました。一方、証拠隠しを内部告発した3等海佐への懲戒処分が検討されていることが明らかになっています」(同ビラより)
ここにあるのは、都合の悪い情報は隠すというこの国の官僚に染みついた習性であり、残念ながら多くの国民はその官僚に無批判に追随しているのです。だから、内部告発者はしばしば裏切り者とされてきました。情報隠しこそ犯罪として指弾されるべきなのに。
自衛隊の陰湿ないじめ体質はどこか来るのでしょう。今では職場でも学校でも、あらゆる組織の内部にいじめを必然化する要因があふれています。しかし、そうした形で一般化しえない要因が自衛隊にはあるように思います。以前、米軍の新兵訓練の映画を観たことがありますが、まず新兵の頭をからっぽにさせ、命令と服従を植え付けるのです。
一方で、自衛隊はかつての皇軍の人脈を断ち切っておらず、暴力的内部秩序維持の体質が蔓延しているものと思われます。体育会系の暴力的〝指導〟などにも、同じ体質が見て取れます。昨今の災害救助における働きにあこがれ自衛隊に入ったら、幻滅を味わうことでしょう。
内部告発した3等海佐は昨年12月11日、東京高裁で情報隠蔽について「自衛隊は国民にうそをついてはいけないという信念で告発した」と証言しています。「法廷での証言後には『隠蔽は民主主義の根幹に関わる違法行為。組織として反省していないからこそ、逆に私を処分しようとしている』と海自を批判。同じころ、特定秘密保護法が成立し『内部告発が今より難しくなる』と懸念した」(4月23日「東京新聞」夕刊)
さて、その自衛隊の隊員募集の「人を想い国を守る よし! 自衛官になろう!!」というチラシがポストに入っていました。そこに書かれている自衛隊の役割は①防衛、②災害派遣、③国際貢献とあります。
①国民の生命と財産を守る「国民の生命財産を守る最前線として、わが国に対する侵略を未然に防ぎ、万一侵略があった場合に対処する使命を担っています」
②国民の安全を確保「国民の安全を確保するために、様々な災害救助活動に携わっています」
③国際貢献のための活動「国際テロ、地域紛争といった地球規模の問題解決のため国際平和協力活動を行っています」
憲法第9条に守られてきた自衛隊員、安倍自公連立政権による集団的自衛権の行使容認の閣議決定ともなれば災害救助など〝余技〟と化し、殺し殺される前線へと送りだされることにもなりかねません。災害救助の自衛隊は虚構にすぎず、陰湿な暴力の溢れた自衛隊こそが実像なのです。自衛隊は解体するほかありません。(折口晴夫)
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映画「そこのみにて光り輝く」を観て
1月2日に「ハンナ・アーレント」を観て以来、久しぶりに映画を観た。作家、佐藤泰志が遺した長編小説「そこのみにて光り輝く」を映画化したものだ。佐藤泰志は、80年代に芥川賞や三島由紀夫賞候補に6度挙がったが、受賞することは無かった。アルバイトなどを転々としながら、文芸誌に作品を発表していたが、1990年に41歳で自死した。
佐藤の作品としては、やはり映画化された「海炭市叙景」が良く知られている。というよりも、佐藤の小説は、この映画をきっかけとして、再び注目を浴び始めたと言って良い。どちらの小説も、社会の片隅で生きる人々を、慈しむように書いた作品だ。映画化にあたっては、小説のストーリーを忠実に映すこと無く、少し話を変えている。
佐藤泰志の作品に登場する人々の不遇さは、世の標準からすればかなり際立っている。彼が生きていた時代には、少し特殊だったかも知れないミゼラブルな境遇が、今は「在っておかしくない」状況と見られている。かつてなら、関わりたくない、見たくない世界だったものが、今は多くの人々によって共感を持って受けとめられている。作家が亡くなって後20年以上を経て、世の中が彼の作品世界に近づいてきたとも言える。つまり幸せな暮らしを送る人々が少なくなってきたということだ。
不遇な人々が存在するということは、世の中のあり方としては間違っていると言わなければならない。しかし、彼の小説の意味はそういう議論とは別の所にある。そういう境遇から飛び立とうにも飛び立てず、地べたを這いながら精一杯に生きる人々に共感しつつ、彼・彼女らの生を光り輝かせている点に、佐藤の作品の力がある。
全体に暗く湿ったトーンだが、最後の場面でわずかに希望めいた光が差し込んでくる。この場面はあった方が良かったのか、無くても良かったのか。私は何事に付け無理に希望を語らなくても良いと考える質なのだが、「…光り輝く」がテーマだから、そして映画なのだから、仕方が無いのかもしれない。
「そこのみにて」は「底のみにて」の意味をかけているのではという人もいる。そういう言葉遊びは佐藤の本意では無いだろうが、仮に許されるなら、私は「底の身にて」をかけているのだと思う。
監督も俳優たちも、作品の意義を理解し、良い作品に仕上がっている。若い人は主演であり人気俳優である綾野剛に関心が強いのだろうが、私は池脇千鶴と菅田将暉、特に菅田の演技に感心した。菅田が演じる大城拓児が、姉を侮辱した男のもとに向かう際の目つきと表情が、それ以前の彼の姿と一変していて良い。私が演出家ならこういう演技を要求するのだけれど…という部分もあったが、それは岡目八目というものだろう。(阿部治正)
コラムの窓・・・憲法解釈の変更は政府自ら憲法をないがしろにし、平和への願いを打ち砕くものだ!
日本国憲法第9条の条文には、1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。となっている。
素人目から見てもこの条文から、『国際紛争を解決する手段としては』『国権の発動たる戦争と、』『武力による威嚇又は武力の行使は、永久にこれを放棄』し、『陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。』と理解することができるし、抗争や武力によって他民族や他国を侵略してきた人間の歴史に終始し、協調と協力による新しい人間関係を築くうえでも今の世界には必要なことではないかと思うこの平和憲法。
しかし、憲法が制定された過程やそれ以後の中国に人民共和国の成立と朝鮮戦争の勃発・米ソ冷戦時代等の国際的な力関係や状勢の変化によって、憲法解釈は言葉の解釈を含め、色々な論議を経て、今の政府見解では、自衛の為の戦争は国際法でも認められており、自衛隊は憲法第9条第2項にいう「戦力」にはあたらない組織であるとされてはいるものの、自主防衛の為の『戦争』はできるとされ、その為自国防衛に必要最小限の武力や軍備も備え、戦闘目的での海外派遣はできないが、国際貢献の為には海外へ自衛隊を派遣することもできるとしている。
国際法が憲法より優先するかどうかはさておき、日本という国はこの憲法で『戦争』を『放棄』したことは明らかであり、政府そのものが憲法を解釈によって歪めているこの国は法律があって無き国と思われてもいたしかないであろうから、いっそのこと各国に呼びかけ、国際法に憲法第9条のような法律をつくり、日本という国を含め他の国々も無くし、国際法に乗った新しい国際社会にしたら良いのではないかとも思うがどうだろうか?。
冗談めいた話はさておき、改憲論者の安倍政権は国民からの改憲への反対を受け、改憲路線をいったん棚上げし、その分憲法解釈をさらに変更して「集団的自衛権」の行使容認を一内閣の一存で決めようとしている。
自国がまだ攻撃されていなくても、防衛協力をした他国への攻撃に対して、その攻撃からその協力国を守る他国防衛権「集団的自衛権」の行使まで憲法解釈を広げて、こうした変更を時の内閣が自在に変更できるようにしようとは、9条という日本の憲法をないがしろにし、国民から憲法を奪い去ることでもある。
安倍政権の「積極的平和主義」とはこうした憲法解釈変更にもみられるように、相手からの攻撃という仮想敵国を想定した武力行使による"平和"の維持・確保であり、口では「話し合いによる紛争解決」と言っても、懐に刃物を潜めた、危険で脅しめいた自己中心の平和姿勢で、本当の"平和"な世の中を創り出そうという姿勢ではない。
人間同士の悲惨な戦争や武力行使をやめ平和な世の中にする為には何が必要なのか、何と闘わなくてはならないのか、真剣に討論していかなければならないが、少なくても、仮想の敵国の創造や武力の行使・強化を前提にはあり得ない事を確認すべきである。(光)
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読者からの手紙
現状は厳しいが、労働者はまとまってこそ力が発揮できる。
最近、郵便配達が新聞の夕刊より遅く配達される事があり、結局、ポストから取り出すのは新聞の朝刊と一緒になることが頻繁になっている。
先日、配達記録というのか特定記録郵便物の配達が行われたのは午後5時過ぎで日も沈み駆けて薄暗くなる頃であったので、署名を求めた配達員に「夜勤で大変だね、ご苦労さん」とねぎらう気持ちで言ったら、配達カバンにまだいっぱい残っている郵便物を取り出しながら「すみません、夜勤ではありません、日勤で今配達をしている所です」「手伝ってくれる補助もなく、あと数時間配達しなければならない」と半ば投げやり的に言っていた。
私の住んでいる地域には、夜の速達などの配達以外には正規の郵便配達が配達に来ることは滅多にないので私の勘違いだったのだが、彼は非正規労働者で、低賃金で正規労働者並の仕事量を押しつけられ、夕方暗くなるまで配達をしていたのである。
実のところ、私も元は郵便局員で40年近く郵便配達をやっていた(退職して6~7年経つが)ので、郵便配達現状が劣悪な環境であることは承知しているし、人件費を削減する為に全体の人員削減と非正規労働者を増やし、配達の主体を非正規で行い、正規労働者を減らし、その仕事を非正規に肩代わりさせる事から、労働量が日々酷くなっていることは感じてはいた。しかし、私が在職していた頃はまだ当時ゆうメイトと言っていた非正規労働者には、通常郵便物以外の特殊郵便物を持たせることはなかったし、勤務時間内以上の郵便物を配達させることはなかったので、定時帰りが当たり前であったのだが、今や、郵便配達現状でも非正規労働者が主体であり、配達ノルマに縛られた劣悪な労働環境がもたらされている結果として、夕暮れ間近の配達が行われていると言うことなのである。
非正規労働者やアルバイトが職場の主体となり、多くの仕事量を任され長時間で苛酷な職場環境に置かれているのは郵便職場だけではない。
4月25日放送のNHKのナビゲーション「苛酷学生アルバイトの現状」では、仕送り額の減少とそれを補う為のアルバイトで、アルバイトという資格以上の仕事を任され、その重責と長時間労働によって本来の学業が疎かになるなどの現状を報道し、労働法を学び、断る勇気を持つことなどでまとめていたが、ブラック企業問題を含め色々な職場で正規・非正規を問わず常態化しつつある労働条件の後退に対して、それを防ぎ向上させる為には政府や企業からの労働条件後退の為の施策と闘う以外にはない事を確認しなければならない。
私が郵便局に入った頃、超勤(残業)をしようとすると、労働組合の役員が来て「超勤になるのは人手が足りないから」と職場の管理者にも定員増を要求しつつ、組合員にも超勤をやらないよう注意したものであった。「権利の全逓」と言っていた頃で、労働組合が楯となり、個々の労働者をある程度守っていた時もあったが、生産性向上運動=機械化合理化と労働者意識から職員意識への変革など労使協調路線、いわゆるマル生運動=との攻防によって、解体されて、今はそういう労組が少なくなっている。
今、安倍政権の産業競争力会議で、労働時間規制の緩和は「働いた時間の長さではなく、成果に応じて報酬を払う仕組み」で法律が定める時間より働いても「残業代がゼロ」になる可能性がある仕組みを検討している。「本人が希望した場合」と前書きがつくが、労働者間の競争をかき立て、労働者を長時間労働から保護する労働時間規制の緩和を行い、労働者をより低賃金で長時間働かせようとする意図は明らかである。
一刻も早く政府や企業のこうした施策と闘いうる力を持つことが必要だが、個々の労働者は正規・非正規と分断されている。心ある労働者は意見を言い合い、互いを理解し合い一つにまとまっていかなければならないと深く思う。 (元郵政労働者)
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編集あれこれ
前号は10面で、紙面が少しさびしかったです。1面は、愛媛県伊方町長選挙の様子でした。4人の立候補で、唯一脱原発の候補者である小田々豊(おだたゆたか)さんが奮闘しましたが当選には至りませんでした。当選は、現職の山下和彦3266票、畑中芳久2399票、浜口市作22008票、小田多さんは104票でした。
2面は、4・11安倍靖国参拝違憲訴訟提訴の記事でした。この違憲訴訟には、546名の原告が名前を連ねています。第2次提訴は8月15日まで原告を募集しています。東京でも近く裁判が提起されます。多くの人が、原告に加わるようになればいいと思います。
3面は沖縄通信で、竹富町教育委員会は教科書問題で、国からの不当な圧力に屈せず頑張っています。今後は、文科省による違法確認訴訟の提起が問題になります。
4・5面は、STAP細胞について書かれています。小保方さん一人に責任をなするつける理研のやり方は、間違っています。5面は、袴田さん冤罪事件について述べています。1日も早い再審開始と無罪判決が出るようにしないといけません。
6面は、「元兵士から聞いたニューギニア戦線に見る戦争の現実」という、先の第2次世界大戦の体験談の記事でした。「ニューギニア戦線は、死者12万6千人、生存者はわずか1万3400人。死者と言ってもそのほとんどが敵軍と戦っての戦死ではなく、飢えと病気で死んでいった悲惨な戦争だ」。今安倍政権がやろうとしている集団的自衛権の行使は、戦争への道です。それと一体の特定秘密保護法共々なくさないといけません。
7面は、郵便局で働く非正規労働者が不法な査定により賃金を下げられたことに対する、裁判の報告です。非正規労働者は、ただでさえ賃金が少ないのにまだその上不法な査定で減らそうとする、到底許せません。この問題をみて思うのは、正規と非正規の賃金格差はなくさないと真の連帯は作れないと思います。
次号は、5月1日メーデー号です。それにふさわしい紙面がかざられるようにしたいです。(河野)
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