ワーカーズ513号 2014/6/1      案内へ戻る 

 大飯原発再稼働差し止め判決を使い、反原発闘争の一大飛躍を勝ちとろう!!

 ついこの間まで原発マフィアが仕切る日本では、最高裁から地方裁に至る迄、「原発反対」を訴える住民等の声を各級裁判所は一切無視し、政府の原発推進政策を是とした上で、各電力会社に一方的肩入れし原告の住民に「敗訴」の無慈悲冷酷な判決を下してきた。
 全国の原発訴訟で住民側が勝訴したのは、高速増殖炉原型炉もんじゅの設置許可を無効とした03年1月の名古屋高裁金沢支部判決と志賀原発2号機の運転差し止めを命じた06年3月の金沢地裁判決(両者とも上級審で住民側の敗訴確定)たった2つのみであった。
 福島原発事故以後、次々に発覚した東電の無為無策で自然発生的に始まった毎週金曜日夕方、首相官邸周辺の「原発の再稼働反対」の声を、時の総理が「騒音」と断じた事は記憶に鮮明である。11年3月11日の東日本大震災を契機に日本の全原発が停止して以降、再稼働した最初の原発となったのは、大飯原発の3・4号機だ。その後、2013年9月2日に3号機が定期検査の為停止、15日に4号機も定期検査の為、再び日本で原発稼働は現在も停止中。まさに論より証拠。実際に原発がなくても充分やっていけるのである。
 5月21日、こうした状況下、大飯原発3・4号機の安全性を巡る裁判で、福井地裁は憲法13条を基軸に原発再稼働は「確たる証拠のない楽観的な見通しの下に成り立」と指摘、関電に対して、運転を再開しないよう命じる鮮やかな判決を下す。危機感を持った支配階級間の亀裂が始まったのだ。折から石原環境大臣を先頭に『美味しんぼ』を弾圧、福島の被曝問題を一方的に押しつぶそうと画策した安倍自民党は痛打を浴びたのである。
 福島第一原発事故の後、原発の再稼働を認めないとの福井地裁の判断は今後の原発の安全性を巡る議論に影響を与える事は明らかだ。安倍が政権に復帰した一昨年の総選挙、昨年の抜き打ち参議院選挙、そして先の都知事選の「勝利」で、原発再稼働は国民的支持を得た・承認されたとしてきた安倍自民党を、徹底して糾弾していかなければならない。
 この判決に動揺しながらも平静を装って関電は直ちに控訴、原子力規制委は粛々と審査を継続する、また菅幹事長は政府の再稼働方針の変更はないと言い放って恥じない。彼等に遵法精神など一切ない。この判決が今後上級裁で覆されたら、日本の労働者民衆は深刻な自問自答をする必要に迫られる。日本の政権を誰が握るのかが問われているのである。
 その時こそ労働者民衆は、自らの運命を自らの手で切り開かねばならない。 (直木)


 残業代ゼロ法案を葬ろう!──組合を立て直し、企業のやりたい放題を跳ね返そう!

 政府の産業競争力会議で議論されてきた「残業代ゼロ法案」の方向性が出されるかもしれない。
 労働者を何時間働かせても残業代無しで済ませたい、というこの制度は、資本・企業による労働者搾取のえげつなさを改めて示すものだ。
 労働者は総力を挙げて、この制度の導入を葬らなければならない。

◆やりたい放題

 政府の産業競争力会議が、本号が出る直前の5月末に会議を予定している。そこで世間に物議をまき散らしてきた残業代ゼロ法案の方向性が出される可能性が高い。それをこの6月に予定している安倍内閣の修正成長戦略に取り込むという段取りだ。
 すでに報道されているように、これは産業競争力会議の長谷川閑史経済同友会代表幹事などが主張してきたもので、1日8時間を超えて労働者を働かせても残業代を出さなくても済ませようとするものだ。提案者は、労働者が実際に働いた時間ではなく仕事の成果にお金を支払う働き方への転換であり、働き方の選択枝を提供するものだ、と強弁している。現時点で流れている概要では、年収1千万円以上の専門職に加え、労使が合意すれば一般の社員にも対象を拡大する、としている。
 本来であれば、時間外労働などは極力なくすべきもので、いまも蔓延しているサービス残業や風呂敷残業などを解消することこそ、経営者の責務であるはずだ。ところが経営者側にはそんな発想や反省などまるっきりない。むしろ残業をさせておきながら、その分の割増賃金は支払いたくない、ということなのだ。その厚かましさとえげつなさに呆れかえる以外にない。
 この残業代ゼロ制度は、第一次安倍政権の時に「ホワイトカラー・エグゼンプション」との触れ込みで浮上し、労働者のみならず多方面から指弾されて頓挫した経緯がある。それを再び持ち出す経営者側の厚かましさには呆れかえるしかないが、そこで持ち出している論拠も噴飯ものだ。
 提案者の長谷川閑史はいう。「労使合意もあるし、最終的には本人の判断。」「うまくいかなければ、元の働き方に戻れる仕組みだ」、同意の強要に対しては「それは労組の役割、労働基準監督署もしっかり見ないと行けない」「成果さえ出せば、少ない労働時間でも同じ金額がもらえるようになる。」等々……。まったく、現状の労使関係や職場の力関係などどこ吹く風、それを棚に上げての言いたい放題だ。
 「労使の合意」といっても、現状の企業内組合の大手労組はほとんど御用組合だ。働く人の立場に立って会社に迫っていくことなど、期待しようがない。残業代ゼロ制度の導入には中央組織の連合レベルでは反対の態度をだが、個々の企業内組合などでは導入に抵抗している様子はない。むしろ逆に、個々の労働者が会社に異議申し立てをしても、企業組合はそれを支援するのではなくて会社と結託して潰す側に廻ってきた。たとえばあの「追い出し部屋」問題でも、御用労組は「個人の問題」などとして無視し、会社のやりたい放題に荷担してきたのだ。
 「本人の同意」にしても同じだ。会社の提案を拒否することは、反抗社員の烙印を押されてその後の査定や昇進に触る。それを承知で断れる労働者がどれだけいるというのだろうか。それができるのは強い連帯で構成された労組や同僚が存在する場合だけだろう。
 労基署にしても同じだ。なかにはまじめで労働者に寄り添った対応をしてくれる監督官もいるが、現状はといえば、労働者の相談にとってつけたような対応しかしてくれないケースも多い。職場や紛争の数に対して、対応する職員も少なすぎる。
 それに「成果を上げれば少ない時間でも……」というが、人減らしなどで少ない人数で同じ仕事をこなすことを押しつけられるなど、上げるべき成果の度合いは会社の手に握られている。
 長谷川閑史は、そんな実情は当然熟知していながら、平然とお題目を並べているのだ。会社や職場に任せてくれれば、後は好き放題やれるのだ、と。私たちは、こんなごまかしと厚かましさは通用させない。

◆企業の強欲

 産業競争力会議や経産省が導入をもくろんでいる残業代ゼロ制度は、雇用・賃金・労働時間というもっとも基本的な労働条件の一つである労働時間について規制を取り払って企業の好き放題に任せる、という、働くものとしては認めることができないものだ。そうした規制撤廃を平然と主張する経営者側の厚かましい態度は、許し難い暴挙だといわざるを得ない。
 こうした企業によるやりたい放題の振る舞いにストップをかけるのは、本来労働組合のはずだ。その再構築をめざすためにも、経営者側による攻勢の意味合いを知る必要がある。
 資本・企業が基本的な労働条件としての雇用や賃金・労働時間の領域で攻勢をかけ続けてくることについては、長い歴史がある。
 まず賃金では、戦前初期の職務給にはじまって、高度成長期初期の年功序列給、また高度成長期後期からの能力給・成果給、そしてバブル崩壊以降の年俸制などがある。
 能力給・成果給は、団塊世代が中堅労働者になるに従って高度成長期後半に導入された。年功賃金では年功を積むごとに賃金が上がるが、それを削減するためのものだった。しかし、企業一家の労働意欲が失われるとして徐々に見直され、年俸制などが導入されていった。
 こうした賃金の本質は、賃金総額を圧縮するためのもので、賃金の決定権を労働者から企業に取り戻す意味が強いものだった。労働者の生涯生活に最低限必要な賃金を支給する一方、それを受け取るためには企業戦士になる以外にないような賃金制度だったからだ。現在の主流は、年功賃金に準じた賃金カーブを企業が一方的に決める年俸制などで実現する、というものだった。
 ただし、こうした賃金制度の改悪は、バブル崩壊以降の非正規労働者の増大とともに、後景に退いてきた。それより低賃金でいつでも首にできる非正規労働者を増やした方が、企業の賃金コストと考えたからだ。要するに雇用のリストラだ。
 現在では、パート・アルバイトや派遣・委託など、様々な形態の非正規労働者が4割近くまで増やされてしまっている。そうした非正規労働者の賃金の多くは最低賃金に引きつけられ、それ以上に、いつ首になるか分からない状況で働かされているのが実情だ。企業にとっては、いつでも解雇できる使い勝手がよい雇用に置き換えられてきたわけだ。
 まったく、企業は賃金コストの圧縮のためなら手段を選ばない。

◆立て直し

 今回企業・経営者が残業代ゼロ制度の導入を目論むのは、雇用や賃金のリストラに加え、一定の賃金を得るための労働時間への規制を、労働者から完全に奪ってしまおう、ということだ。この制度では何時間働いても残業代が出ない。それは何時間働かせてもかまわないというフリーハンドを企業・経営者に与えることでもある。だから労働時間の簒奪なのだ。
 労働時間を企業の自由にさせる方策も、いろいろある。
 まず現行の労働基準法そのものが、労使による時間外協定を結べばほぼ無制限に労働時間を延長できる。その残業での割増賃金も原則25%増しと、欧米より少ない割増率でしかない。
 変形労働時間制もある。これは企業の忙しさにあわせて労働時間を柔軟に変える、というもので、これも企業にとって労働時間や労働者数の節約につながるものだった。
 また日本企業の多くで見られるサービス残業・風呂敷残業などもある。要はただ働きの横行だ。
 あるいは非正規労働の増加と関連する短時間労働、期間労働の導入だ。これは企業が必要とするときだけ雇用するというもので、賃金でしか生活できない労働者の都合を無視した雇用制度だ。やむなく期間工や短時間労働に甘んじている労働者も多く生み出された。
 さらに「名ばかり店長」など、実際は労働者であるにもかかわらず、名目だけ残業代を支払わなくて済む管理・監督業務に就いているものとみなして、企業の好き勝手に働かせるやり方で、いっとき労働者社会から指弾を受けたものだ。
 今回の残業代ゼロ制度は、再び正社員を主な標的にして労働時間規制を取り払うものだ。まったく企業の労働者搾取への強欲の強さに呆れかえる以外にないものだ。
 こんな労働者の生活権を無視した、企業の好き放題働かせたいという制度の導入は、断固、拒絶あるのみだ!
 こうした経営攻勢には、一時の攻防も大事だが、より長期的に労組を立て直して力をつけ、企業・経営者と対峙していくことが不可欠だ。企業のやりたい放題には、労働組合を立て直して反撃に転じる以外にない。
 (廣)
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 「美味しんぼ」の鼻血描写におののく政府・御用学者たち
   低線量被曝と鼻血に本当に因果関係は無いか


 5月23日に、参議院議員会館講堂において、「緊急集会 タブー化していいの? 被ばくと健康~『美味しんぼ』騒動を考える」が開催されました。
 テーマは「鼻血論争について」。言論の自由と「美味しんぼ」問題、低線量被ばくと科学の役割などをめぐり活発な発言と意見交換が行われました。
 発言者は、西尾正道さん(北海道がんセンター名誉院長)、海渡雄一さん(弁護士)、崎山比早子さん(高木学校、元国会事故調委員)、島薗進さん(上智大学)二瓶和子さん(福島から東京に避難)、福島にお住まいのお母さんたち(電話出の参加)、満田夏花氏(FoE Japan)などです。
 集会に先立って記者会見も行われ、「美味しんぼ」バッシングに対し西尾正道さんが医学の立場から、二瓶和子さんが被害当事者の立場から批判と反論を行いました。
以下、西尾正道さんの講演と福島のお母さんの発言を紹介しつつ、集会の報告を行います。

■福島事故の影響で鼻血が出ても不思議ではない――西尾正道さんの見解

 西尾正道さんは、豊富な医学的な知見やデータを用いて、放射性物質と鼻血との因果関係について、以下の様な説明を行いました。
 巷では、今さらになって鼻血論争が始まっている。鼻腔を診察したこともない専門家と称する学者たちは、政府や行政も巻き込んで、放射線の影響を否定する発言をしている。これはまさにICRP(国際放射線防護委員会)のエセ科学者の科学的研究姿勢の欠如と、原発推進者たちによる事実の隠蔽だ。
 ICRPの論理から言えば、シーベルト単位の被曝で無ければ血液毒性としての血小板減少が生じないので鼻血は出ないというわけだ。しかし現実に血小板減少が無くても、それまで鼻血を出したことがないい多くの子どもが事故直後に鼻血を経験したのは事実だ。
 そのメカニズムはこう考えられる。通常は原子や分子は何らかの物質と電子対として結合して存在している。セシウムやヨウ素も例外ではなく、呼吸で吸い込む場合は、塵などと付着して吸い込まれる。このような状態となれば放射化した微粒子の状態となり、湿潤している粘膜に付着して局所的に放射線を出すことになる。そのため一瞬突き抜けるだけの外部被曝とは異なり、準内部的な被曝となる。
 健康への影響は、不溶性の、つまり水に溶けない放射性微粒子が、湿潤した鼻・喉頭・口腔・咽頭の広範囲な粘膜に付着することによって強く出る。いわゆる面積効果だ。
 内部被曝という観点では、①セシウムホットパーティクルの存在 ②不溶性の微粒子ですぐには消えない ③付着して被曝する ④面積効果が作用する ⑤子どもは感受性が高いので影響が強く出る ⑥鼻血を出しやすいキーゼルバッハ部位は空気中のダストが最も集積する場所である。以上のような要因を評価すれば、影響を受けやすい子どもが出血することがあっても不思議ではない。

■過去の知見だけから判断せず現実を見て欲しい――福島のお母さんの発言

 福島から電話で集会に参加したお母さんは、次のように発言しました。
 この騒動のお陰で、「福島の真実」を読むことができた。とても愛情溢れる内容で懐かしい郷土料理や福島の海や山の幸が描かれていて、この本は永久保存版だとも思った。
 私の息子の事故後半年で数回鼻血を出した。その後鼻血以外でも心配なことが何度もあった。
 官僚や福島県庁から抗議が次々にだされたが、風評被害を助長させたのは作者ではなく政府や行政だと私は思っている。
 福島県から抗議文が出たので、調査しているのかとも思い県庁に電話して聞いてみた。担当者は県民健康調査、甲状腺検査、ホールボディカウンターをしていると言った。しかし県民健康調査の基本調査はいまだに25・9%しか回収できていないし、その調査の中には体調の変化や健康について書く欄もないし、他の検査の問診にも入っていない。なのにどうやって県民の健康状態を把握できていると言えるのか。
 私以外にも、家族の健康に不安を持っている方は多くいることを今回改めて確認した。健康調査は是非国を挙げてやるべき事だと思う。
 過去のデータや知見で判断することは切り捨てに過ぎない。今起きていることにちゃんと目を向けて欲しい。今調査しないと、またうやむやになってしまう。線量だけでの決め付けでは、何も解明できない。個人線量計の数値にはかなり疑問がある。
 風評被害という言葉を使うのならば、政府はや県はしっかりと情報を出し、現地を歩いて調査をして欲しい。

■福島だけではない――関東ホットスポットの現状

 筆者も、5月25日の朝、町内のクリーン作戦の折に自宅前の側溝の線量を計ってみたら0・264マイクロシーベルト毎時(高さ5㎝)がけいそくされました。
 事故の年の10月には、玄関前の駐車場が2・185マイクロ、翌年の駐車場が0・856マイクロでしたので、三年目の線量はかなり下がっていると言えます。何度も泥を除去した側溝であり、ウェザリング効果もあるので、ここまで下がったのだと思います。
 しかし、それでも、事故が起きる前の5~6倍の線量です。国の基準である0・23マイクロを上回ってもいます(地上からの高さが私の測定の場合はいずれも5㎝ですが)。私の住む流山市では、もっと高い線量の地域がたくさんありました。私の経験では、一番高いところで16マイクロに達しました(ビニールハウスの近く)。今でも、自宅を取り巻くコンクリ地が1マイクロを越えたまま、いっこうに線量が下がらないお宅もあります。
 福島だけでなく流山市など関東のホットスポットからも、事故前にはそんなことは無かったのに、子どもの鼻血がひどい、喉の痛みが激しい等々の理由で他の地域に引っ越していった子育て中の家族が出ました。西尾正道氏さんによる鼻血と低線量被曝、特に事故直後の環境との因果関係についての見解を知ると、むべなるかなと言うべきです。
 国を始めとする原発推進勢力は、一方で「風評被害」という福島・東北の内部からの声を偽装したレトリック、他方で強権的な言論抑圧という2つの手法を使いながら、原発事故の被害の実態を躍起になって隠そうとしています。しかし、それは元来、不可能なこと、叶わぬ夢と言わねばなりません。
 何故ならば、チェルノブイリに匹敵する過酷事故と膨大な放射性物質の拡散という圧倒的な事実の存在があるからです。この事実は、どんな力によっても、隠しおおせるものではありません。今でも、除染は何ら進まず、汚染水は制御できずに海に垂れ流さざるを得ず、甲状腺ガンの子どもは増え続け、廃炉の見通しは全く立たず、問題は深刻化する一方なのです。
 この事実がある以上、「美味しんぼ」騒動のようなことは、これからだって何度も何度も、繰り返し繰り返し、起きることは必定です。逆に、国やエートス運動(放射能を恐れるな、放射能と共存しようという運動)の意図に反して、これからはますます、原発事故にともなう被曝の被害の問題が、人々の耳に届けられる機会が多くなっていくでしょう。国とエートスを苦境に立たせる波は、これからもどんどん高くなっていくのです。
 私たち市民一人ひとりが、国やエートスに押しつぶされないよう、感性を鋭く保ち、理論的にもしっかりとした見識を獲得していくことが重要です。 (阿部治正)


 書評 『里山資本主義』 藻谷浩介、NHK広島取材班  (角川ONEテーマ21,定価781円)

●手近の物を利用する
例えば、林業の副産物である木くずを発電に利用する。
これが「木質バイオマス発電」で街の復興を目指す岡山県真庭市の一つの試みだ。
 「原発一基が1時間でする仕事を、この工場(製材所と併設された発電所)では一ヶ月かかってやっています。しかし大事なのは 、発電量が大きいか小さいかではなく、目の前にあるものを燃料として発電ができている、という事なんです。」(本書)とは、製材所の経営者であり、「バイオ燃料」の推進者でもある中島氏。
 つまり「会社や地域にとってどれだけの経済効果が出るかが大事なのだ」。中島氏は工場で使用する電気のほぼ百%をバイオマス発電によってまかなっている。これで一億円が浮くという。さらに電力会社に夜間発電を売電し、五千万円の利益になると。しかも木くずを産廃処理すると年間二億四千万かかると言うから、全体として四億円の利益だという。
 さらに木くずをペレット状にして、一般にも販売している。ペレット専用ストーブも出回っているという。

「農林水産業の再生策を語ると、決まって『売れる商品作りをしろ』と言われる。付加価値の高い野菜を作って、高くうることを求められる。もしくは大規模化をして、より効率よく、大量に生産することを求められる。」「そこから発想を転換すべきなのだ。これまで捨てられていた物を利用する。不必要な経費、つまり、マイナスをプラスに変えることによる再建もある。」(本書)
 この例は林業地域での新しい取り組みとして注目されている。
低コストで、供給が安定している。ここが大切だ。石油価格は国際情勢や投機的動きで、乱高下する。グローバル化時代の負の影響の典型だ。だから、このような地産地消の新たな「合理主義」「安定経済」が成長するのだ。

●里山資本主義の極意
 田舎は、産業も少なく、過疎地域がますます拡大している。しかし、過疎であることは、土地が安く空気や水も、大都会よりも比較的キレイである。
 だから、そこでの自然の恵み、つまり前述の林業の副産物である木くず利用も容易である。これらの事例は、発想の転換や、技術革新で、過疎を大いに利用するという事になる。 実際、企業の生産する商品に生活のほとんどを頼る都会人とは違い、自然の恵みを何かと受けている田舎では、自作などもあって生活コストを下げている。その上、地域的助け合いなどの風土があれば、都会暮らしのように警備会社へ依頼する防犯・安全や保育なども「カネがかからない」とまではいかないが、低くすむのは明らかだ。
 「間違えてはいけない。生き残るのに必要なのは水と食料だ。お金はそれを手に入れる手段に過ぎない。生粋の都会人だと気付かないかもしれない。だが、必要な水と食料を、かなりのところまでお金を払わずに手に入れる生活者が日本各地の里山に無数に存在する。」(本書)
 「『里山資本主義』とは、お金の循環が全てを決するという前提で構築された『マネー資本主義』の経済の横に、こっそりと、お金に依存しないサブシステムを再構築しておこうという考えだ。」(本書)
 付け加えれば、そもそも貨幣=商品経済は、近代以前は遠方の疎遠な人々同士の経済「サブシステム」に過ぎなかったのである。それが地域経済や家庭内にまで侵入してしまっている。人間の経済活動にとって、現代は異常事態だ。
 GDPに繰り入れることのできない、別の経済システムが存在するのであり、未来は、この復興を前提とするという事に筆者は同意する。

●大震災と「里山」の発想
「震災時の仙台では、物流システムが一週間程度、マヒしていた。だが店頭に食料が無くなっても、多くの家族が急場を凌ぐことができたという。親戚の誰かに農家のある住民が多く、少なくともカロリーだけは取ることができたというのだ。」(本書)
 大震災当時、仙台駅前に近い職場にいた私には、印象的な場面がある。市民の自発的な炊き出しが大都会仙台でもはじまり、通りを歩けば無料でおにぎりが手に入ったのだ。在庫のある商店、料理屋、個人の発意であろう。
 ところが、どこから来たのか私の職場の目の前で、ワゴン車でおにぎり一個を五百円で売ろうという、けしからん輩(やから)も登場した。震災以後、三日間ぐらい「店」を開いていたが、私は、1人として買い求める客を見なかった。当然ではないか。悲惨な当時の状況の中で、ボロもうけしようという連中は軽蔑されただけであった。
 ところが驚いたことに、東京などで震災直後、スーパーで「買いだめ」「買いあさり」のパニックが発生したとか。
 被災地仙台ですら、物を分け合っていたというのに。なんたることだと思った。その時に理解したのが、商品の購入でしか食料も生活物資も入手できない、大都会の脆弱(ぜいじゃく)性だ。決して東京人が、倫理にもとる人々と決めつけるべきではない。社会環境の無視できない「差」を私は痛感した。
 仙台ではいまだに「里山の発想」が、どっこい生きていたのだ。
 実際、私も食料であわてる必要はなかった。親戚には農家があり、以前は年末となれば米や野菜をトラックで「お歳暮」がわりに持ってきてくれた。「そこに頼めばなんとかなる」と。これが安心感となり空前の災害のなかで冷静に事態に対応できたと思う。

●「里山」は田園地帯にも海岸にも都会にもある。
 「里山」は決して、里山の限定ではない。現にたくさん「安くありふれた物」が、われわれの豊かさに結びつくと言う考えだ。そしてそれは人のありふれた人情やあたり前の相互扶助の精神と結びついている。
 大都会東京だって「人」が豊かであり、地域の人情や文化伝統がある。また、空き部屋などの再利用など、多くの可能性を秘めている。
 『里山資本主義』に、さらに多くの経験が付け加えられ、「マネー資本主義」のサブシステムではなく、それに置き換わる新しい経済に成長してほしい。本書は多くのアイデアを提供しうるだろう。(文)
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 「コラムの窓」・・・集団的自衛権と砂川事件

 安倍政権は憲法9条を解釈変更し集団的自衛権行使容認をもくろんでいる。
 憲法の禁じる集団的自衛権の行使に道を開こうと焦る安倍政権が持ち出したものが、1959年の砂川事件最高裁判決である。
 政府・自民党がよりどころとするのは最高裁判決の「わが国の存在を全うするために必要な自衛の措置をとりうることは、国家固有の機能の行使として当然のこと」との文言。自衛権行使については個別的、集団的を区別しておらず、「必要最小限度」の集団的自衛権の行使もここに含まれる、と言いたいようだ。
 こうした安倍政権の判決利用に対して、多くの関係者から「聞いたことのない説」「今になってなぜ?唐突な主張だ」と疑問視する声が相次いでいる。
 「素直に読めば個別的自衛権の話と分かる。判決から集団的自衛権の行使が基礎付けられるとする学者は、知る限りではいない」(長谷部恭男早稲田大学院教授・憲法学)
 「砂川事件の争点は駐留米軍の合憲性であり、後になって判決中の一般論から別の政策を是認していると読むのは行き過ぎ。我田引水の詭弁だ」と、「判決当時、はっきりした集団的自衛権の定義すらなかった。行使容認の論拠とするには無理がある」(内閣法制局元長官の秋山収氏)と厳しく批判する。
 このように55年前の砂川事件最高裁判決は、集団的自衛権行使容認に全く正当性はない。それどころか、1959年のこの最高裁判決が日本の司法の民主主義原則を踏みにじる、とんでもない事実があったことを指摘したい。

★「砂川事件」とは
 1953年朝鮮戦争も停戦を迎え、米国は北朝鮮、中国、ソ連の共産主義陣営に対する対抗措置強化のため、日本全体を前線基地にしようとした。その一つとして、旧日本空軍立川飛行場の米軍基地問題が起こる。
 砂川町の基地拡張予定地の所有者の農民が中心となり「砂川町基地拡張反対同盟」を結成。1955年11月以降「土地に杭は打たれても心に杭は打たれない」が砂川闘争の合言葉となり、労働者や学生の連帯が三多摩から東京全体、首都圏へと広がり、社会党・共産党・総評や全学連・都学連など21の支援団体が結集する。
 1956年10月13日、強制測量を阻止する座り込みデモ隊は6000人を超えた。機動隊の警棒による実力排除により負傷者が1000人を超え、「流血の砂川」として大きな反響を呼んだ。
 翌1957年7月8日、再度の強制測量の実施。機動隊は基地の柵の中に整列対峙し、米軍もその機動隊の後ろに機関銃を装備したジープを配備(当時基地内にいた米兵の証言で、この時司令官から射殺命令が出ていたことも分かっている)。抗議活動の中で、一部のデモ隊が柵を押し倒し基地内に数メートル侵入し、機動隊と直接対峙する。
 検察庁は2ヶ月後の1957年9月22日、基地内に侵入した労働員・学生23人を逮捕し、「安保条約・行政協定に基づく刑事特別法第2条違反」で、7人(労組員4人・学生3人)を起訴する。

★伊達判決・・・「日米安保条約は憲法違反」と判断した唯一の裁判
 1959年3月30日、1審の東京地裁(伊達秋雄裁判長)が駐留米軍は憲法違反として7人に無罪判決。その無罪判決の主な部分を紹介すると。
 「米軍が日米に駐留するのは、米政府の一方的決定にもとづくものでなく、わが国の要請と基地の提供、費用の分担その他の協力があって初めて可能であり、これは憲法9条の第2項前段によって禁止されている陸空海軍その他の戦力の保持に該当するものと言わざるを得ず、憲法上その存在を許すべからざるものである」として、「駐留米軍を特別に保護する刑事特別法は憲法違反であり、米軍基地に立ち入ったことを罪に問えない」。すなわち、刑事特別法の基礎となった日米安保条約は違憲であると判断した。
 被告の皆さんはこの判決に飛び上がって喜んだが、国と米国は震え上がった。
 この判決文を書きあげた砂川事件裁判官であった松本一郎さん(83歳)は、当時を振り返り「ベテラン裁判長の伊達秋雄さんと銀座のバーの片隅で2人で口角泡を飛ばし、連日白熱した議論をした。米軍の指揮権発動を期待して日米安保条約が作られている。実質的には戦力だと主張した。伊達さんも異論を唱えず、違憲の方向性が固まった」と述べている。
 最高裁判決のもう一つの悪は、その後の司法判断の流れを形づくる「統治行為論」の問題。「安保条約のような高度な政治性を有するものは司法審査になじまない」と、米軍基地関連の訴訟は『門前払い』が定着してしまっている。沖縄の辺野古埋め立て承認取り消し訴訟も実質審理に入れるかどうかが焦点だ。
 松本さんは当時を振り返り「伊達さんとも議論したが、統治行為論を持ち出すと逃げたことになる。正面からいくと決めた」「砂川事件以来、司法は臆病になった」と嘆く。

★最高裁が米政府と密談した末に書かれた砂川事件最高裁判決
 伊達判決に衝撃を受けた米政府は、当時の岸信介政権や最高裁の田中耕太郎長官にも接触し、「米軍違憲」の判決を破棄するため露骨な内政干渉をして、高裁を経由すれば判決破棄まで時間がかかるので「跳躍上告」(三審制裁判の破棄)をさせ、59年12月16日最高裁に駐留米軍は合憲として一審判決を破棄させ、差し戻しの判決を出させる。
 この事実は、6年前の2008年に新原昭治氏が米国立公文書館で発掘した記録から明らかになった。
 伊達判決翌日の59年3月31日のマッカーサー駐日米大使が国務省にあてた公電によると、大使は藤山愛一郎外相に「日本政府が判決を正すために迅速な行動を取る重要性」を強調。その会談で「跳躍上告」が決定。当時は日米安保条約の改定交渉が大詰めを迎えており、米側は田中長官との密談で、裁判の見通しなど重要情報の入手を試みる。これに対して、田中長官は「伊達判決は全くの誤りだ」「最高裁判決はおそらく12月だと考えている」と、裁判の見通しを漏らしている。これは裁判所法が禁じる判事の秘密漏えいではないか。まさに米国の「属国」を示す事実である。

★「免訴判決を求める再審請求」の闘い
 米国の文書公開を受け、砂川事件の元被告4人が中心になり2009年に「伊達判決を生かす会」を結成。毎月一回の定例会(これまでに58回も開催)を開き、砂川事件最高裁判決の真相解明に向け情報開示を求める運動などを続けている。
 今回、元被告4人が再審請求人になり国会会期末までに、免訴請求訴訟を東京地裁に提出予定である。
 砂川事件元被告の土屋源太郎さんは「司法権の独立を揺るがすような最高裁判決は正当性を持たない。集団的自衛権の行使の根拠にするなど、こじつけもいいところだ。再審は解釈改憲の閣議決定前に、請求したい」と述べている。また、元被告の九州大学名誉教授の武藤軍一郎さんは「農民から力を貸してほしいと頼まれ、農民たちを助けたい思いだった」「再審請求により、現代の人に、砂川裁判がいかにゆがめられたかを伝えたい」と。
 評論家の森田実氏は「再審が認められれば、最高裁判決は吹っ飛んでしまう可能性がある」と指摘。
 この免訴請求訴訟の闘いとともに、安倍政権の集団的自衛権行使の容認を阻止しよう!(富田 英司)


 色鉛筆・・・ 保育園が幼保連携型認定こども園に移行?

 2012年、当時の民主党政権が消費税増税や社会保障改悪などとともに成立した「子ども子育て支援新制度」は、公的保育制度解体と保育に市場化を狙ったもので、いよいよ国は、来年4月からの「新制度」の本格実施を目指している。ところが消費税8%になっても、不足している新制度に必要な保育予算4000億円の確保の見込みは示されていないのが現状だ。
 私が保育士として働いている自治体の市長が2月に、来年4月から市内の幼稚園と保育園を「幼保連携型認定こども園」に移行することを発表した。「全面移行」を打ち出す政令都市は珍しく、あまりにも突然のことで職場ではこれからどうなっていくのだろうかと不安になり、同僚たちといろいろな学習会に参加した。 
 市当局が主催した講演会では、新制度で幼稚園の機能と保育所の機能の一体化が進められ質の高い保育・幼児保育が進められると大絶賛だった。
 自主研修会では、子ども・子育て支援法は給付費を定める法律で、特に小規模保育事業に給付費を出したいという思惑があることがわかった。先日の新聞に少人数の0~2歳児を保育する「小規模保育事業」が来春から認可事業になることが書かれていた。待機児童解消が狙いなのだが、空き店舗など既存施設を活用したり園庭がなくても公園を利用し、保育士の数も最低基準の50%でも認められ、保育士有資格者でなくても研修受講によって職員となることができるというのだから驚いてしまう。株式会社の参入も規制撤廃されるのでさらに進出してくるだろう。私は子ども達の命を守ることが何よりも大事なことだと思って日々仕事をしているが、最低基準以下の環境の中で子ども達の命が守れるのだろうかと不安になる。
 職員組合では、当局が認定こども園に移行する理由として待機児童解消になることあげたようだが、すでに保育園は入所数がいっぱいで、認定こども園になっても待機児童解消にならないことや、当面公立保育園では「保育に欠けない教育の子」は受け入れず、公立幼稚園では待機児の絶対多数である0~2歳児を受け入れないので認定こども園に移行しても待機児解消にならないことが当局との交渉で明らかになったという。何のための移行なのか疑問を感じざるを得ない。待機児童解消のためなら公立幼稚園でも設備を整えて0~2歳児を受け入れる体制をつくるならばわかるが、体制をつくらないままで移行するというのだからおかしい。こんなやり方には納得できない!新制度の詳細な内容もまだ不明で認定こども園制度の「新要綱」が不明なままでの移行見切り発車する市長のやり方は間違っている。
 また、移行すると発表されてから保育士として働く現場にも動揺をもたらせている。認定こども園では「保育教諭」(幼稚園教諭免許+保育士資格)が置かれるが、片方の資格しか持っていない人は特別講座を自費で受けて8単位必要だという。長年保育園で働いてきた私も保育士の資格しかないのでいつまで働けるのか?同年代の同僚は、幼稚園教諭免許を持っているが今まで必要としなかったのでその免許状がどこにあるかわからないよ、今までやったことがない教諭免許の更新講習を受けなければならないのか?仕事をしながら講座や講習を受けるのはとても無理なので、仕事中に受けさせてもらいたいね、等々同僚たちと話している。来年4月からはどうなっていくのか不安を感じながらも日々の仕事に追われている毎日だ。(美)
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 郵便職場より   郵便局はAさんへの不法な降任処分を取り消せ!

 5月15日は、豊中南局で不法に主任を降ろされたAさんの降任処分取り消し裁判の傍聴に行きました。Aさんとは、しばらく会っていませんでした。それが、何ヶ月か前に偶然ある集会でばったり出会いました。それから、通勤電車で2回ばったり出会いました。彼が裁判をしていることはうわさで聞いていたので、裁判の日程を聞いて傍聴へ行くことにしました。
 郵便職場での主任とは、だいたい勤続10年ほどで大抵の人がなります。なれない人は、郵便局の不当な施策に反対や抵抗している人たちです。私も主任になったのは、勤続20年ほどで他の人よりだいぶ遅かったです。
 Aさんは、後1年か2年で定年です。それを主任を降任させるとは郵便局はひどいものです。彼がなぜ不法にも主任を降ろされたのかですが、彼が氏名札を付けないというのが一番大きいと思います。1990年代、私も原告の一人として全国で氏名札着用強制に反対する氏名札裁判闘争が取り組まれました。
 氏名札を付けないからといって仕事に支障はありません。ましてやAさんは、仕事はきっちりやっています。その他仕事の細かいことまで郵便局は指示をしてきます。それについても、自分のやりやすいやり方をしているAさんは、査定で悪い評価をされています。
 さて5月15日は裁判に先立って、13時から日本郵政近畿支社前で抗議集会がありました。次々と仲間がマイクを持って、郵便局の過酷な労働現場や不当な労務管理などへ抗議の声をあげました。最後に原告のAさんが、近畿支社で我々を見張っている幹部連中に怒りをぶちまけました。
 裁判は、大阪地裁810号法廷で今回から裁判官が1人から3人の合議制になりました。中垣内裁判長は、被告郵便局側に結構まともな求釈明をしていました。例えば、原告が以前から氏名札不着用でも主任に任命したのはなぜなのか?聞いていて、興味深かったです。
 次回は、7月7日(月)11時30分大阪地裁810号法廷です。
 裁判後の集会では、郵便局の非正規労働者が、不合理な労働条件を禁止する労働契約法20条に違反するとして正社員との間の不合理な格差是正の裁判提訴の報告がありました。正社員と非正規の人たちとの格差はひどいものです。何とかしないといけない問題です。
 私もできることから、コツコツとやっていきます。 (河野)


 裁判傍聴-福本裁判で職場の怒りを共有しよう!

 5月20日、神戸地裁で弟9回の裁判が行われ、今回は傍聴席に座ることができました。毎回、郵政現場からOBの支援者が多く集まり傍聴できない人は、外の廊下で静かに終わるのを待ちます。傍聴席は30席ぐらいなのでいつも不足し、本来なら大きな法廷が望ましいのですが、判決が長引くのを避けるため支援者は我慢しているという状況です。
 法廷は入れ替わり制なので、前の裁判が終わって数分時間が余り、そのため私たち傍聴者に裁判長自から、携帯の電源を切る・録音・写真は禁止などの注意を促しました。穏やかな表情になにやら期待を持ってしまいそうですが、次回から始まる証人尋問でその評価は明らかになってくることでしょう。
裁判では争点整理が行われ、福本さんが正当なスキル評価を受ける権利があるかどうか、まず最初の項目に上げられました。これを原告側が強調するのは、スキル評価の「A習熟度なし」は単に契約期間の賃金が下がり損害を被るというだけでなく、福本さんには正社員になるための資格がなくなるという、将来を見据えた計画が大きく崩れていくことになる事実を被告側に突きつけるためです。一人の労働者の人生を左右する、このスキル評価を軽々しく組み合いつぶしの道具に使った長田支店の業務企画長。今は垂水支店に移動しているらしいですが、次回証人尋問で法廷に出てくる予定です。じっくりと、その言い訳を聞いてやりましょう。
いつも裁判が終わってからの報告集会は、新たな出会いがあり楽しみな時間です。福本さんが所属している地域労組・武庫川ユニオンで、解雇され立ち向かうために相談に訪れる労働者は後を絶ちません。この日も、正社員で係長という立場でありながら、年齢を理由に解雇宣告された女性が挨拶をされました。お弁当屋さんで名の知れた「ほか弁」の物流部門で、会社には22年間も働いてきたそうです。長い間、会社に貢献してきたのになぜこんな仕打ちをされなくてはいけないのか、これは他人事ではありません。
 帰り際、どうしても気になって「解雇させられるって、何歳ですか?」と聞いてみました。すると、私よりも2歳も若いのに驚いてしまいました。私も日々の郵便配達で、迅速性を要求され誤配に脅かされながら仕事を何とかこなしている。6ヵ月契約の期間雇用社員の私にとって、明日は我が身と切実に思いを共有しました。
 次回、福本裁判の期日は、6月26日(木)10時30分から16時30分、神戸地裁にて。いよいよ証人尋問です。長時間の付き合いになりますが、出会いを求めて参加してみませんか。(兵庫・折口恵子)

 ★注  福本裁判とは。
 神戸市長田郵便局で働く日本郵便非正規ユニオン委員長の福本慶一さん。福本さんは2012年8月の契約更新時に30分の遅刻をしたことを理由に時給210円を下げると通告された。遅刻は電話連絡をしたにもかかわらず「無届」だとして「訓戒」処分され、基礎評価で10円のカット、それとスキル評価を連動させて(「習熟無」の評価)資格給で200円、合計210円のカットというものだ。日本郵便の神戸・阪神地域の郵便外務の時給制契約社員は年2回の人事評価(2月、8月)によってその後の半年間の時給が決まる。また「習熟有」というスキル評価は正規社員への絶対条件ともなるため、たった1回の遅刻で正規社員への道も大きく阻まれたことになる。
 福本さんは、この問題で自らが委員長を務めるユニオンとして会社側と団体交渉してきたが解決しなかったため、裁判で争うことを決意。
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 関電大飯原発運転差し止め判決を超えて!

 5月21日、福井地裁(樋口英明裁判長)が関電大飯原発3・4号機の運転差し止め判決を下した。関電は直ちに名古屋高裁金沢支部に控訴したが、早急な再稼働を目指す各電力会社は頭を抱えているところだろう。
 判決文が格調高く、目先の経済的利害(貿易赤字の増大や電気料金の値上げ)よりも「多数の人の生存そのものに関わる権利」(人格権)を上位においていることは、多くのマスコミが報じているところだ。阪神間の居住者にとっては、250キロ圏という距離が示されたことの意義も大きい。
 これまで、再稼働反対のビラまきなどでここは100キロ圏だから、風向きが悪かったら住めなくなることもあると言ってきたことが、大げさな宣伝ではないということが裁判でも示されたからだ。4月下旬に兵庫県が発表した福井の原発事故想定でも、阪神間は安定ヨウ素剤の備蓄が必要な地域に入っており、県は国に30キロ圏外対策の早期決定を働き掛けるということだ。
「県内31市町で1歳児の甲状腺被ばく線量(7日間)が国際原子力機関(IAEA)基準の50ミリシーベルトを超えるケースがあったと発表した」「高浜の事故想定で、三田市のほか3市町が基準値の倍になる100ミリシーベルトを超え、大飯の事故想定でも猪名川町、宝塚市が100ミリシーベルトを超えた」(「神戸新聞」4月25日)
 東電福島第1原発震災後の2012年7月、民主党野田佳彦内閣の政治的判断で大飯原発3・4号機が再稼働となった。3・11以降、定期点検を迎えた原発はことごとく停止状態となり、遂に12年5月には全原発停止に至った。原発への依存度が最も高かった関電は、停電の脅しによって再稼働を実現した。東電に代わり電気事業連合会を率いることとなった関電、八木誠社長は原発と運命を共にする道を選んだのだ。
 その大飯原発3・4号機も昨年9月に定期点検を迎え、原子力規制委員会の審査を前に停止状態が続いている。こうして再び全原発が停止し、各電力会社は再稼働のトップ争いを繰り広げている。そこに降ってわいたのが、福井地裁判決だ。その判決内容は過去の国策追随を悔いるような内容であり、各地で繰り広げられ裁判でも引き継がれるなら再稼働は出来なくなるが、高裁・最高裁が司法としての判断を堅持できるかはあやしい。
 この判決を受け、原子力規制委員会田中俊一委員長はこれまで通り審査を続けると発言、昨年7月の新規制基準施行時に大飯原発3・4号機を停止させなかった自らの判断(判決によって否定された)も、「間違ったことをしたつもりは全くない」(「神戸新聞」5月22日)と強弁している。彼が科学や技術といったものを持ち出し、規制基準に基づく審査の正当性を主張しようと、再稼働の判断を他に丸投げすることによって、彼らが行っている審査のいい加減さを暴露している。
 菅義偉官房長官も従来の方針に変わりはないとし、「最優先すべきは安全だ。規制委に安全性を客観的に判断してもらい、再稼働させる」「まだ確定判決ではない」(同前掲紙)などと平静を装っている。安倍晋三首相もことあるごとに世界で最も厳しい安全基準とか言っているが、そもそも本当にそうなのかあやしいものだ。それに、規制委の審査は安全にお墨付きを与えるものではない。
 米国では電力会社が避難計画の不備で敗訴、一度も稼働することなく1989年に廃炉となった原発(ショーラム原発)がある。規制委田中委員長は科学的な規制基準に逃げ込むことによって、原発稼働に伴う危険性、原発から30キロ圏の自治体において避難計画をまともに立てることが出来ない現状に頬かむりをしている。全住民避難に142時間もかかる(浜岡原発)という予測もあるなか、原発が過酷事故を想定して稼働することなどあってはならないだろう。
 さて、関電八木社長はことここに至っても、懲りずに大飯・高浜原発再稼働に突き進むようだ。関電本店前では毎週金曜日、昼から夜にかけて抗議行動が続いている。私も出来る限り昼の時間帯にそこに立つようにしている。その行動に過大な期待はしていないが、関電が抱え込んでいる死に至る病の存在を、とりわけ関電労働者に警告し続けなければならないと思っている。 (折口晴夫)  


 読者からの手紙  福島原発事故から3年後に暴かれた真実

 5月20日、朝日新聞に一大スクープが掲載されていました。以下に引用いたします。
「東京電力福島第一原発所長で事故対応の責任者だった吉田昌郎(まさお)氏(2013年死去)が、政府事故調査・検証委員会の調べに答えた『聴取結果書』(吉田調書)を朝日新聞は入手した。それによると、東日本大震災4日後の11年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた」
 これが福島原発事故の真実だったのです。何という事だったのでしょうか。こういう事が暴露できるようになったのも、細川・小泉反原発連合の活動のお陰なのでしょうか。
 この「吉田調書」は、朝日新聞デジタルの無料読者に登録すれば閲覧できますので、ぜひ登録して読む事を進めたいと思います。日本政府もこの存在を否定してはいません。
 この報道にあるように、政府事故調査・検証委員会が福島第1原発の現場トップの吉田昌郎所長から聞いた「聴取結果書」を日本政府と東電が隠蔽し続けてきた事自体、信じ難い事です。こんな事では、一体誰が北朝鮮金王朝や中国の報道管制を糾弾できるでしょうか。現に日本の報道管制も同等のレベルですから、まさにどっちもどっちの体たらくです。
 早速世界でもタイムズ紙やBBCニュース等は「2011年の危機に逃げた福島原発労働者!」とのタイトルで報道し、東電等が今まで情報を隠していた事を強く批判しました。各国のメディアは福島原発事故から3年後、「大嘘つき」の安倍政権の情報隠蔽や極右体質と一体の物として、今回知った真実に対しての驚きの声を率直に伝えています。
 今や世界的に極右政権としてしっかりと認定されている「栄誉」を賜った安倍政権は、既に特定機密保護法を成立させているのですから、実際に原発事故等を恣意的に特別秘密として指定すれば情報統制等が訳なくできるのです。それに安倍総理は、事実とは真逆の「福島原発は完全にコントロールされている」との発言を、常人とは異なって一切の良心の呵責もなく無責任に放言できるメンタリティーを持つ実に軽い人物です。
 実際、安倍総理は漫画『美味しんぼ』の連載である「福島の真実」に出てくる鼻血の件を取り上げ、その漫画中の発言を問題視し「ウソだ」と全否定した上で、国家として対処していかなければならないなどの世迷い事を、平気で口に出来る破廉恥政治家です。
 今「集団的自衛権」を巡ってマスコミ報道は過熱していますが、こんな憲法の何たるかを一切知らないような人物に、「解釈改憲」などと口にして貰いたくはありません。新聞も、もっともっと福島原発事故の真実を追求すべきだと私は大変怒っております。(猪瀬)
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 編集あれこれ

 本紙前号1面では、ヨーロッパやアジアで拡がるナショナリズムの危険性を取り上げ、「欧州の陸においても、アジアの海においても、愛国主義と資源ナショナリズムが激化し、世界に暗雲を広げている」と指摘しています。一方で、経済的つながりがこうした軋轢に抑制的な作用をもたらしていること、人々の交流や労働者的連帯が国家的対立を乗り超える力にならなければならないことを提起しています。
 愛国心が排外的憎悪を掻き立てているのは遠い海外の話しではなく、日本でも宿痾のごとく立ち現れています。とりわけ、かつて日本が侵略した地域と人々への蔑視、敵意はただ事ではありません。これは、かつて優越的であった関係が崩れ、さらに若者を襲う経済的困窮が憎悪を増幅させているのでしょうか。
 これは個人的経験ですが、「自衛のためでも戦争反対」というゼッケンをつけてビラまきをしていたら、高齢男性から「占領されたらどうする」「攻撃されたらどうする」と言われました。実は「自衛のためでも」の〝も〟に意味を込め、集団のみならず自衛でも軍事力の行使はダメだと強調するものでした。だから、市民からそういう反応が出ることは、ビラ配布の成果でもあると思っています。
 どこの国がと問うと、予想通り中国や北朝鮮と返ってきたので、「あり得ない」と答えると、去り際に尖閣の名が最後通牒のように投げ返されました。なるほど、尖閣なら中国軍と自衛隊の小競合いが想定されます。日本側が仕掛けてしまったこの領土紛争、安倍政権が強硬策をとり続けたら、どちらも引き下がれなくなります。困ったものです。
 6面の随筆「色鉛筆」には花見をする袴田巌さんの写真が掲載されています。5月20日の新聞には、遂に袴田さんがリング上でファイティングポーズをとる姿が掲載されました。予断と偏見に満ちた捜査のなかで、〝ボクサー崩れ〟という犯人視によって殺人の汚名をかけられた袴田さん、「記者会見で『権力に勝って自由だ』と話した」(神戸新聞)そうです。本当にうれしくなってしまいます。
 ちまたではこの袴田さんの再審に触発され、「次は狭山だ!」という声が高まっています。狭山事件でも、部落への偏見が冤罪への扉を開いています。検察が無罪を証明する証拠を隠し持っている点も、袴田事件と同じです。取り調べの可視化、すべての証拠開示によって、自白の強要や証拠捏造の多くは防ぐことかができるし、冤罪も防ぐことが可能となるでしょう。
 沖縄はすでに梅雨の真っ最中とか。とてもいい季節が過ぎ、梅雨前線の北上も始まろうとしています。一方、政治の季節はずっと嵐が続いていますが、挫けることなく、「ワーカーズ」紙に意見などをお寄せ下さい。経済的な余裕があるようでしたら、カンパもお寄せ下さい。 (晴)
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