ワーカーズ514号  2014/6/15   号案内へ戻る

 かくも息苦しい社会
 自衛隊員を死地に赴かせてはならない!


 1989年6月4日の天安門事件から25年、その全貌はいまだ闇のなかだ。中国の民主化によって、いずれその真相も明らかになるのだろう。公然とした、あるいは隠然とした暴力支配の下で、暴力を振るう側(端的に殺す側と言ってもいいのだが)はどの様に生きているのだろうか。
 この国においても、かつて国家という牢獄に囚われて死地に赴き、殺すことを強いられた若者たちがいた、周囲の人々の日の丸と万歳の声に押されて。中国戦線に送られた若者は、縛られた中国人を銃剣で突き殺すことによって兵士になったという。今も多くの国々で兵士はそうした任務を遂行している。時代は今も野蛮のなかにある。
 1960年代、インドネシアで密かに100万人規模の大虐殺が行われた。映画「アクト・オブ・キリング」は、その実行者による虐殺の再演を見せつけている。彼らはそれをまるで楽しむかのように演じている。軍隊でも警察でもない私兵、やくざのような集団(プレマン)は国家による暗黙の了解の下、〝赤狩り〟を実行し、今も〝国民的英雄〟として暴力を行使する側で優雅に暮らしている。
 虐殺者アルマンは1000人は殺したと豪語しているが、首を切って殺した犠牲者の眼にうなされ、まぶたを閉じなかったことを悔やんでいる。拷問の場面では自らが犠牲者を演じ、自尊心を傷つけられたとショックを受けている。遂にアルワンは身体の不調に陥り、苦しむ場面で映画は終わる。それは単なる身体的反応にすぎないのか、それとも心からの悔悟の故か、不明なまま。
 プレマンの指導者はゴルフなどを楽しみ、私兵を〝閲兵〟してみせる。何やら、田母神某を思い起こすようだ。息苦しく不安な生活の下で、在特会の若者たちを私兵に変身させてはならない。もっと現実的な危機の進行、それが安倍政権による集団的自衛権の行使容認だ。この国は再び、若者の血によって繁栄をあがなおうとしているかのようだ。国民がそうした繁栄を望むとき、自衛隊員は死地に追いやられるだろう。愚かな歴史を繰り返してはならない。 (折口晴夫)


 沖縄通信・NO49・・・「市民税・県民税の引き上げと軍事予算」

 皆さんは知っていましたか?今年度(2014年度)から市民税・県民税均等割税率が引き上げられたことを。
 恥ずかしながら私は知らないで、市からの「納税通知書」を受け取り知りました。
 その納税通知書に次のように書かれている。
 「市民税・県民税均等割税率の引上げ・・・東日本大震災からの復興に関し、地方公共団体で実施する防災・減災のための施策に必要な財源を確保するために、平成26年度から平成35年度までの10年間の臨時的な措置として、市民税・県民税の均等割税率をそれぞれ500円引き上げます。なお、この改正は全国的に行われるものです」と。
 市民税均等割額は、改正前3000円が3500円に。県民税均等割額は、改正前1000円が1500円に。合計(年額)は、改正前4000円が5000円となり、1000円値上げ。
 消費税が引き上げられたばかりなのに、また増税。それも東日本大震災を理由にして。
 ところが、一方の軍事関連の防衛予算はどうなっているのか?その最大の問題が米軍駐留経費「思いやり予算」。
 米軍関係者を豪華な住宅に住まわせ、家賃はただ同然、水道光熱費もただ、外出時ほとんどの米軍家庭はクーラーつけっぱなし。(皆さんも沖縄に行き米軍キャンプを見学すれば、キャンプ内の米軍住宅は広く庭付きのりっぱな住宅である。ところが、沖縄の人たちの家は狭い土地や山腹の所に密集しており、その落差に驚く。)
 忘れてはいけない事が一つ。2011年3月11日、巨大地震と大津波。そして、福島原発の崩壊と放射線汚染の日本全国への拡散。今なお、被災者への具体的支援策及び復興のめどが見えない状況。
 その2011年3月31日に、当時の菅直人内閣は国会で米軍駐留経費(思いやり予算)を、1年間で約2000億円を5年間にわたり、総額約1兆円を提供するという予算案を成立させました。反対したのは、沖縄選出の国会議員だけだった。
 この時、沖縄の市民グループは「思いやり予算を被災者の支援へ」という署名活動に二年間取り組んだ。チラシには「被災者への具体的な支援策が見えない中、国会では米軍への思いやり予算だけは早々と成立させ、これから5年間、1年間約2000億円、総額約1兆円、1日に換算すると毎日約5億円が提供されます。この思いやり予算の執行を凍結させ、被災者の支援に充てると、被災者が50万人として、毎月1人5万円を3年間支給出来ます」と、書かれている。
 沖縄防衛局は辺野古新基地建設(建設費用は1兆円以上かかると言われている)に向けて、7月から海底ボーリング調査を開始する予定だ。
 反対派のシーカヤックやボートを使った阻止活動を排除するために、法をねじ曲げて沿岸部に接する米軍の排他的使用が認められた「立ち入り禁止水域」(漁業や立ち入りを常時禁止。現在50メートルとなっている)を200メートルに拡大しようとしている。調査や工事の区域を明示するためにブイを海上に設置し、その中に侵入した反対派メンバーを刑特法で厳しく取り締まる方針を確認。そのために、全国から防衛省職員を沖縄に派遣する計画。また、尖閣周辺の警備で多忙な第11管区海上保安本部以外に、県外から海上保安職員を全国動員する計画である。そうした調査費用(海上ブイやケーソンの設置など)や人員確保のための関連予算が500億円規模に、補正予算などで対応するとのこと。
 また、新基地建設に賛成する名護漁協(正組合員87人、準組合員26人。建設反対は2名だけ)に支払う漁業補償金の総額は約30億円支払われるという。(1組合員に最大3200万円という)
 消費税にしても国民の福祉のため、市民税・県民税の増税も東日本大震災のためと安倍政権は説明するが、実際は私たちの税金はこのように軍事関連予算の拡大に使われている。戦前の軍国主義国家の予算編成を再現させてはいけない!(富田英司)号案内へ戻る


 「進撃の極右」!? 欧州議会選挙とEUの混迷

★EUエリートに衝撃
 二万人とも言われるエリートEU官僚が、二流ボクサーのパンチを食らってふらついている。エリートの面目は台無しになった。そんな選挙結果におもえる。
 選挙は国ごとに行われる比例代表制。五月末の選挙で、欧州議会議席の2割を極右や「欧州懐疑派」がしめる結果となった。EU統合を促進してきた欧州議会の二大会派、欧州人民党と社会民主進歩同盟の両会派で過半数維持したが、今後の波乱は避けられないだろう。
 極右の分離主義とは別に、ギリシャ、スペインなどでは左派が、過酷な緊縮財政・大量失業への反発から議席を拡大してきている。ギリシャの急進左派連合は第一党になった。
 英国のキャメロン首相は、ここぞとばかり「EU政府は、大きすぎ、放漫主義、干渉しすぎになった」と。
 EUという新しい国家権力への反発が、各方面に広がっていることは確かだ。だがその批判は底が浅い。

★フランス極右の「愛国経済政策」
 極右は、どんなまともな経済政策も持たない。ご都合主義の人気政策のオンパレードだ。例えば今回国内第一党になった仏国民戦線の党首ルペンの「愛国経済政策」。
 まず、ユーロ離脱=フランの復活。賃上げ、貿易障壁による国内企業の保護、仏企業の外国人による買収の禁止。中央銀行の「独立剥奪」=大型財政出動。移民を抑圧して「フランスを守る」と息巻く。(『ニューズウイーク』日本版6/10)
 アベノミクスと趣(おもむき)はちがうが、同じような自己破滅的な愚策だ。
しかし、アベノミクスがそうであるように、デタラメ政策が人気を博すのには、厳しい現実がEUを覆っているからだ。

★「進撃の極右」(『ニューズウイーク日本版』)という仮想
 極右達は、欧州議会で共同会派の結成を目指している。排外主義である極右の国際的連帯とはさぞかし不思議な物だろう。ただしグローバル主義のEU官僚に対する反発において、共同戦線をつくりうる。
 極右を軽視することはできない。それは深刻な社会矛盾、とりわけ失業や社会保障の先細りが大衆の不安をかき立てているし、その解決のめどもない。
 社会党・共産党も大企業に厳しいとは言え、大型財政によるお金のばらまきや金融緩和政策にすがる程度だ(アベノミクスと大差ない)。これは社会矛盾の一時先延ばしでしかない。
 しばらくは決めてのない泥仕合が、欧州議会でくり広げられるだろう。EU市民たちを置き去りにして。

★欧州統合か各国主権か??
 地域的にはドイツの一人勝ち。富の偏在が問題だ。また、全体と見れば、恐るべきEU官僚達の成長と権力掌握が進行していることだ。この官僚達とドイツの主導するグローバル化戦略は、労働者と中小企業に多大の犠牲を押しつける。欧州版TPPも米国との間で進行中だ。
 極右も左翼も、国民をたきつければ票になる事をよく理解している。しかし、それは解決策ではない。
そもそも高い失業率や南北格差、財政赤字や社会保障の不安定化の諸問題は、EUの「各国主権」か「欧州統合促進」かとは別問題だ。これら諸問題の根底には経済が資本企業により支配されていること、EU統合が資本企業の国際化と言うことにつきる。官僚や資本の支配はどんなものもお断りだ。
 資本とは別の、協同の経済の成長と労働者市民たちの国際連帯こそが欧州の未来を切り開く。その動きも静かに進んでいる。(文)


 自衛官と九条ーー「たちかぜ裁判」岡田弁護団長の話

★たちかぜ裁判とは
 2004年10月27日、海自護衛艦「たちかぜ」の乗組員、1等海士のTさんが自殺に追い込まれました。艦内で上官(2等海曹)から執拗ないじめを受けていたのです。それは至近距離からガスガンで撃たれるという、信じられないものでした。艦長以下、監督責任のある上官も見て見ぬふりの態度をとり続けたのです。2006年4月5日、Tさんのご両親は損害賠償責任(安全配慮義務違反)を問う訴訟を、横浜地方裁判所に提訴しました。(緊急署名呼びかけビラより)
東京高裁(鈴木健太裁判長)は4月23日、海自いじめ自殺訴訟判決で、横浜地裁では認めなかった海上自衛隊の自殺予見性について、「上司が適切に調査、指導をしていれば自殺は予測可能で、回避できた」とし、約7300万円の賠償を命じました。(国が上告せず、判決が確定)

★隠蔽(いんぺい)のかべに穴が開いた!

 裁判の過程で、破棄されたとされる海自が艦内の暴行の実態把握のために行った乗組員アンケートが、内部告発によって明るみに出されたのです。これは、一審で国側指定代理人を務めていた3等海佐の内部告発によって明らかになったものです。「2012年6月21日、海上自衛隊トップの海上幕僚長が記者会見、その事実を認め、謝罪しました。一方、証拠隠しを内部告発した3等海佐への懲戒処分が検討されていることが明らかになっています」(緊急署名呼びかけビラより)

★九条が守る自衛官の命
 岡田弁護士によると、「内部告発」した三等海佐は、自ら岡田弁護士に接近。はじめ岡田弁護士は「国のスパイ」だと疑ったとか。
 しかし次第に信頼関係が形成。岡田弁護士も視点が変わってきたという。

「自衛隊は憲法九条に違反している、あってはならない存在。」と考えてきたが、現実に六〇年間自衛隊は存在する。今も二十五万人の人が働いている。私はその自衛官という人間に目を向けるようになった。」
「九条と自衛隊ではなく九条と自衛官」をどう考えるのか。
「私は自衛官に憲法九条があなたたちを守っている。あなた方が戦闘地に行かなくていいのは九条があるからだ・・とのメッセージを出した。」
この裁判を「人を殺す組織」から「人を救う組織」に変えると位置づけた。
「そのような姿勢が彼(内部告発の三等海佐)の勇気を引き出す一因となったのでは」
「私が反自衛隊という立場から裁判をやっていたら、彼は私に告発しなかったのではないか」・・・。

★秘密保護法や集団的自衛権の行使と自衛隊
 岡田団長も秘密保護法が施行されていれば(今年の十二月)、内部告発も無かったかもしれない。告発すれば大罪に問われるのは確実だ、と語る。
 また集団的自衛権は、自衛官を戦地に追いやり、中東、中央アジアの山岳地帯やアフリカの砂漠地帯で見ず知らずの「敵」と交戦を強いる。
 もし「米国も地球の裏側の紛争に自衛隊を巻き込むことなどしないだろう」と考えるなら甘い見方だ。米国の世界戦略の中で、「断る」などできない。それほどに「解釈改憲」は重大な脅威を、とりあえず自衛官とその家族与える。こうしたなかで、岡田世弁護士の新たな視点は重要ではないか。
【岡田弁護団長のお話は『日本労協新聞』(5/25)です。なお、ICA・ワーカーズコープは、当ワーカーズと別の団体です。】号案内へ戻る


 カジノ促進法案を廃案へ! ーーアベノミクスを挫折させよう

★カジノは国民に必要か?
 規制緩和で経済の活性化を謳い続けている安倍首相だが、二度三度の挫折になりそう。
今国会での成立をもくろみ、つい先日のシンガポール訪問で、カジノ法成立への「意欲」を見せた同首相だが、「集団的自衛権」めぐり国民が反発し政局が混迷してきたこともある。
「自民党は4日、カジノを中心とした複合型リゾート施設(IR)の整備を政府に促す推進法案について、今国会での成立を見送る方針を決めた」(『サンケイ』)。
 しかし、予断は許さない。自民党、維新の会などは同法案を継続審議として、臨時国会での成立を目指している。
 推進法案は、IRの整備推進が地域経済の活性化や財政改善につながるとして、法案成立から1年以内に政府が施設整備に向けた関連法を定めることを義務付ける内容。カジノの合法化を目指す超党派の「国際観光産業振興議員連盟」が策定、自民党と日本維新の会、生活の党が昨年12月の臨時国会に共同提出した(同)。

★カジノは安倍三本の矢の一つ
 安倍政権の三本の矢とは、①大胆な金融緩和。そのために日銀の独立性を奪い政府の銀行にしてしまった。
②機動的な財政出動。一千兆円の累積政府債務を抱えても財政の垂れ流しをつづけている無策ぶりだ。
③民間投資を喚起する成長戦略。そのおもな内容は規制緩和である。関税撤廃のTPPやカジノ促進法がまさにそれだ。労働規制緩和の「経済特区」=ブラック特区・首切り特区などもある。しかし、それぞれ国民的反対にあってTPPもカジノ法も安倍首相の思惑どおりにははこんでいないわけだ。
 
★カジノで盛り上がっているのは一部の財界人のみ
 カジノ促進法に話しをしぼろう。
 すでに公営競馬や宝くじなど、税収を期待して、国は賭博を事実上容認してきた。その結果として、ギャンブル依存症はかなりの広がりを見せてきたし、また、破産者を生みだし、また掛け金目的の犯罪の動機ともなってきた。
 一部の政党は、ギャンブル依存症の拡大、青少年への悪影響、治安悪化、暴力団などの犯罪組織の資金源になるなどの恐れを理由として、当然にもカジノ自体に反対している。

★怪しげな「経済効果」
 ところがそのような反省もなく、維新の会や自民党は、経済効果が高いとか雇用の促進になるとか、いい面を強調する。そして、複合施設を準備して世界の大富豪にカネをばらまかせよう、と夢をふくらませているわけだ。
 しかし、経済的にもカジノ商法が成功する見込みも低い。世界的に見ても「成功」しているのは、国際的なリゾート地である。カンヌ、モナコなどだ。あるいは中国のマカオそしてシンガポールなどである。
 日本国内で名乗りを挙げている地域は、九州や北海道であるが、このような日本の地方都市で成功する見込みは高くないとの指摘もある。国際的に有名な観光的スポットと刺激的なショウビジネスが一体化してカジノ商法が成り立っているからだ。
 他方では東京・大阪ではショウビジネスはともかく、リゾート地としての魅力が乏しい。ギャンブルの合法化で急速に「栄えた」ラスベガスは、ギャング達の街としても有名になった。こんなことはごめんだ。
 ほかにも理由がある。現在ではネット上で、海外の賭博に参加できるらしい。現在のところこれを取り締まる法律が日本にはないので、広がりをみせているとか。
 2012年7月25日からハウステンボスの子会社「HTBクルーズ」が、長崎~上海間で運航する国際旅客船「オーシャンローズ」にて、公海上限定でカジノの営業を行なっている。こんな状況の中で、あえて、世界の大富豪が日本のIRにやってくるのだろうか?
 賃金あがらず、消費税増税に苦しむ国民の生活苦を忘れて、そんなことに巨費をつぎ込むのか?
  巨費を投じて、経済開発をしても、IR建設それ自身が博打のようなものだ。格差社会の再生産ではないか。大富豪達がかってに賭け事をするのは自由だが、まともな国民の税金や借金をつぎ込むべき物なのか。断じてノーだ。
 ほんとに次から次ととんでもない悪法が労働者や勤労者そして生活弱者に襲いかかってくる。安倍政権とは徹底的に闘わなければならない!(独眼竜)号案内へ戻る


 【集団的自衛権】
 戦争へのドアは開けさせない!容認は戦争国家への一里塚


 日本が〝戦争ができる普通の国家〟に変貌するのか、まさに正念場を迎えている。
 集団的自衛権をめぐる憲法解釈の変更で暴走する安倍首相は、抵抗の姿勢を示してきた公明党に容認を迫り、今国会会期中の閣議決定を強行しようとしている。集団的自衛権行使の容認は、当初の歯止めにお構いなく、必ず拡大される。
 12日にも反対行動が取り組まれた。いまこそ声をあげ、戦争へのドアを開けさせない行動が重要だ。

◆押し売り作戦

 やはりというべきか、6月12日になって公明党が限定容認を受け入れることに態度を豹変させた。容認に戸惑いや批判が多い世論を背景に、野党の一部やメディアに期待感を抱かせた公明党。しかし「政策の違いで連立を解消することなど、あり得ない」(山口代表)と、はじめから最後のカードを封印した時間稼ぎを見透かされ、結局は「下駄の雪」とばかり政府・自民党に押し切られてしまった。与党病という馬脚がいま現れてしまったという以外にない。
 ここに至るまで、安倍自民党による日替わりともいえるような押し売りまがいの攻勢が続いていた。安倍首相自身による容認に向けた思いと決意、それにやらせともいうべき安保法制懇を使った世論づくり、あるいは官邸サイドから流されるいくつもの具体的ケースや条件の提示等々だ。ともかく憲法解釈の変更を受け入れさせたい、という強引さを示している。しかしどんな条件や基準を作ったところで、一旦開けられた戦争へのドアは、元に戻れない。そのなし崩し拡大は不可避だろう。
 まず5月15日に出された安倍首相の私的懇談会である安保法制懇の報告書だ。これは法制懇の一部のメンバーと官邸が結託して書いた報告書で、そこでは、集団的自衛権の容認と国連の集団安全保障、いわゆる多国籍軍などへの参加を認めたものだった。
 それを受ける形で安倍内閣が与党に示したのが「政府方針」に変えた「基本的方向性」だった。ここでは集団安全保障での多国籍軍への参加も容認する内容だった。
 ところが5月15日、法制懇報告を受け取った後、安倍首相は集団安全保障への参加を否定した。公明党への配慮もあったが、まず最初は極めて限定的な条件やケースでの容認を取り付けることに焦点を絞ったからだ。ともかく集団的自衛権容認のドアをこじ開けられば、後は何とでもなる、というわけだ。
 その後も政府の言い方はころころ変わった。当初、秋の臨時国会前の閣議決定と臨時国会での法改正の構えを見せていたが、法改正は来年の統一地方選挙後に先送りした。その後、閣議決定については大幅に前倒しし、5月22日までの通常国会会期内に閣議決定すると急にアクセエルを踏んだ。容認を渋る公明党に配慮するポーズを取りながら、結局は強引に容認を迫るものだった。
 集団的自衛権に執着する安倍首相は、とにもかくにも武力行使のドアをこじ開けたいというわけだ。しかし、一端開けられたドアの向こうは戦地・戦場だ。眼前には敵がいて、状況は刻々と揺れ動く世界でもある。安倍首相が、いくら具体的なケースや行使の条件を語っていても、それはあっさり破られざるを得ない。実際の戦争で見方の眼前に立ち現れるのは、5つや15に分類されるような事例に止まることはない。元自衛隊幹部が言うように、「ありとあらゆるケースが発生する」のが戦地のリアリズムだからだ。
 たとえば安倍首相がいうホルムズ海峡での機雷除去。首相は機雷除去は戦闘ではないというが、これは明確な軍事行為とされている。相手国からすれば敵対行為だ。仮に敵国が機雷除去中の自衛艦に攻撃してきたらどうか。そこで撤退するのか、撤退する前に自衛隊員が戦死したらどうするのか、 あるいは防御のために応戦するのか。その応戦はどこまでやるのか……。現地の自衛隊が基準と首っ引きで戦闘するような事態はあり得ないだろう。
 結局、一端戦争へのドアが開けられれば、当初想定していた基準や類型などにお構いなく、どんどんエスカレートしていかざるをえないのだ。
 安倍首相は言葉には出していないが、集団的自衛権の行使でどちらが先に攻撃したか真相が漏れないように秘密管理もより徹底されるだろう。当然ながら自衛隊員の死者も出るだろう。そこで昨年強行された特定秘密保護法や靖国神社参拝の意味も自ずと浮かび上がってくる。要は新たな英霊をつくりだす戦時国家体制づくりという以外にない。

◆要は武力行使

 国民の間での政府に対する不満や批判は、普通は与野党間での対立として反映する。しかし、野党が低迷すると国民の批判は与党内の内紛として現れる。
 これまで政府自民党は、与党協議と称して公明との協議を続けてきた。これも茶番ともいうべきものだったが、それで安倍首相はその背後に批判が多い世論を見据えていたのだろう。そしていまだ最初のハードルとしての与党内合意へとアクセルを踏んだのだ。
 安倍首相の執念を〝個人のファンタジー〟などとして冷笑する向きもある。それはその通りだろう。だが世論調査では、いまでも安倍内閣への支持率は50%前後を維持している。世論はいまだ安倍内閣を評価しているのも現実のことだ。その大部分はアベノミクスに象徴される〝好景気の演出〟に向けられているのだろう。が、首相の軍事至上主義へのはっきりとした批判があれば、これほどの支持はないはずだ。世論はいまだ安倍首相の本意と集団的自衛権の意味するところを、まだよく理解していない、あるいは揺れ動いているといえるのかもしれない。
 一例として報道各社の世論調査を見てみる。
 賛成・反対のみを質問している共同通信、日経、朝日は、賛成が27~38%、反対が49~56%で、反対が倍以上だ。質問に「限定的に認めるべきだ」「必要最低限で認めるべきだ」という中間の質問項目を入れた場合、「全面的に」と「最低限に」、も含めると反対が25~38%であるのに対し、賛成が56~71・4%と、賛成がかなり上回る。「限定的に」という設問が唆昧であることに加え、「必要最低限」なら‥‥‥と、容認する世論のありようが示されてもいる。
 このことだけ考えても、安倍内閣の言う「限定的」「必要最低限」という提案の仕方は、世論を惑わすものにもなっている。要は、言葉遊び、悪くいえばインチキ、ペテンだ。
 あらゆる戦争は自衛の大義の下で闘われる。自衛と侵略は表裏のものであり、常に入れ替わる。
 アフガン戦争、イラク戦争では、米国の個別的自衛権、要するに自衛目的の侵略戦争だった。後になってイラクでは大量破壊兵器はなかったことが明らかになったが、破壊され殺された国土や民衆は帰ってこない。日本ではイラク戦争を支持したことがいまだに総括もされていない。その日本でも、あの満州事変以降の戦争では〝自存自衛〟が大儀とされた……。
 現に日本の国会論議でも、最も有効な防御は相手国の攻撃能力を破壊すること、要は先制攻撃にあるという暴論も繰り返されてきた。たとえば日本を標的にしたミサイル攻撃に対するMD、すなわちミサイル防衛だけでは足りない、敵国のミサイル発射基地などに先制攻撃することが最も有効な防御だ、などというものだ。
 戦術的にいえばそういうこともいえるのだろう。だがそれは軍事至上主義の論理であって、その他の平和、外交努力あるいは庶民レベルでの有効関係づくりなどをまったく無視したり暴論でしかない。
 安倍首相が強調する「日本人の救助」についても同じだ。あの日中戦争を見るまでもなく、「在留日本人の保護」「邦人救出」は、「侵攻」の格好の口実となった。邦人保護・救出を名目としてどれだけ「侵攻」を繰り返したことか。
 それに「邦人救出」は強者の論理でもある。それは戦地で自国民を救出できるのは制空権などを持っていることが前提で、それを持たない国は「自国民救出」などできないからだ。
 〝反撃〟についても同じだ。日中戦争でも日本軍による武力挑発を、現地人による攻撃に対する反撃だと嘘を繰り返してきた歴史もある。あのベトナム戦争でのトンキン湾事件などもウソだった。そうだ。軍部や国家は、現実の戦時にはそうした嘘を繰り返してきたのだ。
 安倍首相のみならず、メディアで飛び交うのは「自衛」「じえい」「ジエイ」ばっかりだ。安倍政権を批判する朝日新聞でさえ、報道での書きぶりは「武力で他国を守る集団的自衛権」だ。これでは安倍首相が集団的自衛権で何をしたいのか、はっきり分からない。実際は、戦争であり、戦闘であり、武力行使であって、集団的交戦権だとはっきり明言すべきものだ。

◆敵をつくる軍事整合性論

 安倍首相が集団的自衛権に執着する根拠の一つは、東アジア情勢の緊迫化だという。誰が緊迫化させたのか。尖閣国有化は誰がしたのか、靖国神社参拝を強行したのは誰だったか。自らの言動は棚に上げて、相手国の脅威だけがなり立てればどうなるか。やれ脅威だ、敵だ、自衛だ、軍事力増強だ、と騒ぎ続けていけば、相手国も不信感を強めて対抗心を引き起こすだけだけだろう。現に日中、日韓の関係は首脳会談さえできないほど悪化しているのが実情だ。
 中国としても同じだ。野田内閣による尖閣国有化を「現状変更」と捉えているようだが、むろん中国指導部の本意はそれだけに止まるものではない。習近平総書記が明言したように、「社会主義中国」は遠い過去の話になり、いまでは「中華民族の偉大な再興」を掲げている。かつての疑似社会主義イデオロギーに代わってナショナリズムにすがるしか国家統治の展望が見いだせなくなっているわけだ。これも危険な綱渡りではある。
 ナショナリズムどうしがぶつかればどうなるか。大部分は危機管理の範囲に押さえ込めるかもしれないが、必ずしも万全というわけにはいかないのが、政治・軍事の出来事だ。ちょっとしたすれ違いやものの弾みで戦争になったケースはいくらでもある。政治や軍事は、理性だけでは片付かないのだ。
 そうした政治・軍事に身を委ねることほど危ういものはない。抗争はエスカレートしやすい。現実の戦争の被害者は普通の労働者や市民だ。だからこそ労働者・市民主導による反戦友好の交流や闘いが大きな意味を持つ。
 自民党一強体制のいま、安倍首相一派による右翼バネが際立っている。先人による戦前の回想によれば、敗戦に突き進んだ歴史を振り返って言う。はじめはそんなに危険だと思わなかった、しかし気がついたときにはどうしようもなかった、と。ドイツのファシズムも同じだ。ワイマール憲法下で全権委任法を容認してヒトラーを独裁者に仕立て上げたドイツ国民も、あの結末を想定できなかったし、止められなかった。日本も同じだ。治安維持法から国家総動員法まで、日本軍国主義が形づくられるまでには幾多の場面があった。その局面をのがした日本の国民は、のちに大きなツケを払わされた。
 歴史を繰り返してはならない。止めるのはいまだ。(廣)号案内へ戻る


 色鉛筆-4時間と6時間

 前号(6月1日発行)の「色鉛筆」では、現行の保育所が、保育所と幼稚園が連携し新たに認定こども園に移行するという、現場からの報告がありました。移行に伴い、幼稚園教諭の資格が必要になり、自費で特別講座に通わなければならないと、不安な心境が伝わってきました。正直なところ、どこの職場もたいへんだなあと、実感しました。
 私の郵便局の職場は、特に資格はいりませんが各自に与えられたスキル評価が、仕事の内容までも細かく指図し、お互いが監視し合うような雰囲気で、本音の話もできません。上司への不満や、ちょっとしたミス(誤配の申告や客の配達員への不満)など、その場で解決できる苦情でも、「当番」を理由に上司にわざわざ報告して大げさにし、スキル評価に影響させようとする同僚がいます。以前は、勤続年数で時給がきまり、ほとんどの同僚が同額で監視しあうこともなかったのに。
 表題の4時間と6時間は勤務時間のことで、職場では15人中3人だけが6時間で働いています。私が6時間勤務になったのは、7年前のことで年間所得が130万円を超え、夫の扶養家族から外れる必要があったからでした。その当時の課長は、私の6時間勤務の申し出に快く受け入れてくれました。働く者の当然の権利として福利厚生を受ける、それは同時に雇う側の社会的責任としての義務だと、私はそう理解していました。
 ところが、5月末で急に、念願の正社員での就職先が見つかった20代の男性が退職することを機に、6時間勤務が浮上しました。それは、その後の人員不足に対処するため、朝のミーティンクで課長が、4時間から6時間に変更を希望する人を募り、希望者には個別に対応するというものでした。私はこれで、少しは安定して働ける人が増えると、内心喜んだのですが。
後日、その6時間の話がどうなったのか気になっていましたが、希望した男性に他の男性が尋ねていたのを聞いてびっくりしました。「僕はスキル評価がCなので、6時間は無理という返事でした」と。働く意欲のある若者に対して、課長の配慮の無さにうんざりしてしまいました。ああこれではっきりした、管理する側と雇われる側の利害は一致しないということが。すこしでも期待した私が間違っていた。
 私の仕事の1日のスケジュールを紹介して、この記事を終わりにします。10時出勤、全体の大区分を皆でやり、個々人の書留・速達・午前配を受け取り端末に入力し配達に出る。帰局後、通配の組み立て、その後通常の配達(帰局は14時を過ぎるが15時近くになる時も)。14時半ごろから午後2便(時間指定のある郵便物で14時~17時が中心)の配達。15時半ごろ帰局。16時まで事故処理。16時から45分の休憩。16時45分勤務終了。1日3回の配達に疲れ気味の毎日です。夏場をどう凌ぐか、体力勝負です。(恵)
    
 なんでも紹介 『風たちぬ』 宮崎駿監督作品

 「美しい飛行機を作りたい」 飛行機を愛し、空に憧れる少年は、薄幸の少女・菜穂子に出会い、恋をする。これは、後に零戦を作った飛行機設計士・堀越二郎の半生を描いた物語である。
 群馬に生まれた二郎は、幼いころから飛行機に憧れる少年だった。しかし、二郎は近視だったため、パイロットになるのは不可能で、飛行機の設計士になれないかと夢想していた。夢の中で飛行機製作者のカプローニに邂逅した二郎は、近視でも飛行機の設計士になれるのかと質問した。カプローニから励まされた二郎は、飛行機の設計士になろうと決意する。その後、二郎は飛行機の設計士を目指し、東京の大学で航空工学を学ぶようになる。汽車に乗っていた二郎は、ひょんなことから少女とその女中と知り合うが、そのとき関東大震災が発生、二郎は二人を助ける。
 大学卒業後、二郎は飛行機製造会社に就職し、名古屋に向かう。初めて試験飛行を目にした二郎は感銘を受けるが、隼型飛行機は急降下試験で空中分解し、コンペは失敗に終わる。上司の黒川は、二郎に欧米の進んだ技術を学んでくるよう勧める。同期の本庄らとドイツに渡った二郎は、G.三十八などを目の当たりにし、その技術水準に圧倒される。帰国した二郎は、上司の服部や黒川から七試艦上戦闘機の設計主務を命じられる。初めての設計主務に二郎は悪戦苦闘するが、ようやく完成した飛行機は飛行試験中に垂直尾翼が折れて墜落した。失意の二郎は休暇を取って軽井沢に向かうが、そこで関東大震災のとき助けた少女菜穂子と再会し、交際することになる。しかし、菜穂子は結核を患っていた。
 その後、九試単座戦闘機の設計主務を命じられた二郎は、逆ガル翼や沈頭鋲を採用するなど意欲的に設計に取り組む。そのとき、入院していた菜穂子が病院を抜け出したことを知る。名古屋で菜穂子に再会した二郎は、菜穂子の死期が近いことを悟り、黒川夫妻の媒酌で結婚する。二郎はその後も設計に執念を燃やすが、一方、菜穂子の症状は重くなっていった。二郎らの努力の結果、九試単座戦闘機の飛行試験は大成功に終わるが、そのころ菜穂子はたった一人で再び高原の病院に戻る。
夢の中で、戦闘機として使用され墜落した飛行機を見て、地獄だと悲痛な表情で見つめる二郎、「征きて帰りしものなし。飛行機は美しくものろわれた夢だ。大空は、みな飲み込んでしまう。君を待っていた人がいる」その先で菜穂子が「生きて」と伝え物語は終わる。
 戦後、爆弾を運ぶ飛行機ではなく国産旅客機」の設計に携わり、現代の飛行機に至る。関東大震災、戦争で多くの方がなくなる悲しい過去の中での技術開発、そして戦争に利用されたこと、それも悲しい事実だ。ふたたび焼け野原にならないために、どう生きるべきかを考える作品だと想う。(宮城 弥生)


 読者からの手紙  憲法解釈の変更で戦争ができる国に、戦争理由の御旗は「自国防衛」!
 
 安倍首相は集団的自衛権の行使について、「海外派兵は一般に憲法上禁じられているから、それはない」と答弁、自衛隊を他国の領域に派遣しない考えを示し、「自国防衛」に限定して行使することを強調しているが、「自国防衛」を楯に憲法解釈を変更してしまえば、後はどうにかなると踏んでいる。
 安倍首相の目指している「集団的自衛権」の行使とは自衛隊が持つ装備の実践、武力行使や戦争を遂行する能力の実践であり、「自国防衛」や今でも他国の領域に海外派兵は行われている「国際協力」などの受け入れやすい言葉を御旗に、憲法第9条で明記している第1項の「戦争の放棄」、第2項前段の「戦力の不保持」、第2項後段の「交戦権の否認」の3つの規範的要素をすべて否定し、戦争ができる憲法として、解釈を変更しようとしている。
 変更した解釈の後は、この変更解釈と明文化した憲法9条との矛盾点を無くし、憲法第9条そのものの変更と改憲へと進むしかなく、改憲派にとっては願ってもない大きな堰が取れたことになる。
戦争の悲惨さや悲劇などから他国の「戦争に巻き込まれる」と戦争への加担に反対することはもちろんですが、戦争の当事者間においては「自国防衛」も侵略戦争になると言うこと、先の太平洋戦争では、日本はアジア諸国の解放であり「自存自衛」のためとされていたが、中国や欧米諸国では侵略戦争とみなされていたし、イラク戦争では、アメリカは「自衛」としているが、アラブ側では「侵略」と見ているなど、海外の資源や権益を守り、「法人を守る」と称して、侵略的な意図を持って戦争を仕掛けることが「自衛」の口実で行われることがしばしばあったことを見逃してはならない。
 安倍政権の「積極的平和主義」によってもたらされる、自国が戦争を行う能力とその行使もできるという国、そして「自国防衛」という御旗を掲げ、進んで戦争を行うことができる国になることを認めるわけにはいかない。
 公然たる軍事力とその行使を認める国は、他国にとっては脅威であり、際限のない軍拡競争が行われる要因で、そこから、「自営」「防衛」という名の下に利益を得ようとする人々もいることを見逃してはならない。
 「防衛予算」という国家予算に寄生し、軍事産業で儲けようとする企業・実業家の台頭は正常な経済活動とは言えず、国家主義の台頭と民主主義の後退や人民に犠牲を強いる国家財政の破綻をもたらすことは歴史的にも実証されていることであり、それ故に、「戦争」が起こらないような社会をつくる為に、憲法解釈の変更や改憲策動に反対しよう!。(M)号案内へ戻る


 「新国立競技場」の無駄と無意味ーー五輪は誰のため?

 ワールドカップ開催が迫っていますが、「サッカー王国」ブラジルの盛り上がりは?
ところが、このブラジルでさえ国民からの「無駄遣いやめろ」「福祉や教育にお金を回すべきだ」の声が広がってるんです。テレビで見ました。
そういえば、あのロンドン五輪も、開催の前は暴動まで、起きてました。
先進国ですら、弱者切り捨て予算、緊縮財政、とやらで国民の生活が不安定化してます。とんでもない無駄遣いです。
そもそも、この日本は一千兆円の累積借金が、未来の子ども達に付け回しされているのですよ。どんどん増えてます。
そんななかで年金が先細り、非正規雇用が拡大し生活の不安定化し、多くの若者に明るい未来を示せないというのに、なんで今「東京五輪」なんですか。バカか、と言いたいですね。
ところが為政者というヤツは、昔からスポーツなど巨大イベントが大好きなようですね。ヒットラーのベルリン五輪は、彼の威信と国家統合に利用されましたね。
安倍首相も(まあその頃は首相ではないでしょうが。分かりませんが)、国民の不満のはけ口に政治利用したいのでしょうね、五輪を。
五輪の経済効果、なんてウソですよ。一時のばらまきで、債務がかさむだけです。
ブラジルの国民は、その点、とても賢明で冷静ですね。日本国民も見習うべきでしょう。(文)


 編集あれこれ

 前号は10面で、記事の質・量ともに充実していました。1面・9面は大飯原発運転差し止め判決の記事でした。これに対し関電は、名古屋高裁金沢支部に控訴しました。この判決が、今後原発再稼働に向けて大きく影響を受けることは間違いないでしょう。
 これからも、脱原発の流れを創り上げていかなくてはなりません。
 2面・3面は、「残業代ゼロ法案を葬ろう!」という記事でした。今の労働者の現状でも、サービス残業などタダ働きが横行しています。そして、名前だけ店長で実際は普通の労働者として残業代を払わなくてもいいようにしています。政府は、1日8時間を超えて働いても残業代を払わないという法律を通そうとしています。ええ加減してほしいと思います。こうした状況を何とかするためにも、労働者は団結して経営者と対峙していきましょう。
 3・4面は、「美味しんぼ」の鼻血について低線量被ばくと因果関係が無いか?という記事でした。現在の福島の実態からして、被ばくと鼻血は影響があると考えます。こうした状況を、何とかしないといけません。
 5面は、「里山資本主義」という本の紹介です。「木質バイオマス発電」で街の復興を目指す岡山県真庭市のことが書かれています。目の前にあるものを燃料として発電しています。こうしたことが進めば、過疎の問題も改善していくのかなと思います。6・7面の「集団的自衛権と砂川事件」について、政府は砂川判決をもとに集団的自衛権の拡大解釈をしていこうとしています。しかし、いくらひどい駐留米軍は合憲とする砂川判決でも、そこから集団的自衛権を導き出すことはできません。砂川1審伊達判決の「日米安保条約は憲法違反」としたこの考えこそ正当であると考えます。政府の集団的自衛権行使の状況に反対していきましょう。
7面の保育園の、公的保育制度解体と保育の市場化を狙う「新制度」は大きな問題です。8面の郵便局の実態は、2つの裁判報告でした。ひとつは非正規社員、もうひとつは正規社員、どちらも重要な問題です。
 次号ワーカーズもよろしくお願いします。そして、余裕のある方は少額でもカンパをお願いします。 (河野)   号案内へ戻る