ワーカーズ516号  2014/7/15   号案内へ戻る
 集団的自衛権行使容認の閣議決定糾弾!公明党は平和の党の看板を降ろせ!

 7月1日安倍政権は、従来の内閣では認めていなかった集団的自衛権行使を認める閣議決定を行ないました。いわゆる解釈改憲です。
政府は今後、集団的自衛権の行使を前提にした「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)の改定を視野に入れながら、自衛隊法、周辺事態法改正など国内の関連法整備に取り組むようです。
閣議決定によると、集団的自衛権の行使については、①密接な関係にある他国が武力攻撃をうけ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある、②国民を守るために他に適当な手段がない、③必要最小限度の実力の行使―の3要件に該当する場合に限り、自衛の措置として憲法上許容されるとしました。日本が攻撃されていなくても、密接な関係にある他国が攻撃された場合に、自衛隊が他国の軍隊と一緒に反撃できるようになります。
安倍総理は、「外国を防衛するための武力行使は今後もない。強化された日米関係が抑止力としてこの地域の平和に貢献していく。平和国家としての日本の歩みは今後も変わらない」と言っています。
 この決定は、これまで日本が曲がりなりにもとっていた平和国家の道を捨て去ることになります。他国の紛争に日本が戦闘参加する危険性が格段に高まったと言えます。

集団的自衛権行使容認に反対の世論調査結果
集団的自衛権行使を容認する解釈改憲の閣議決定を受け、共同通信社が1、2両日実施した全国緊急電話世論調査によると、安倍内閣の支持率は47・8%で、前回6月から4・3ポイント下落しました。不支持率は40・6%と第2次安倍政権としては初の40%台に上昇し、行使容認への反対は54・4%で半数を超え、賛成は34・6%、集団的自衛権行使容認に納得していない結果が出ています。 
三重県松阪市の山中光茂(みつしげ)市長は7月3日、集団的自衛権の行使を認める1日の閣議決定は憲法に反するとして、違憲確認を求めて国を提訴する方針を明らかにしました。
山中市長は会見で「憲法の原点は武力による紛争抑止ではなく、徹底した平和主義。愚かな為政者による解釈変更は許されない」と述べました。これから、こうした運動と連帯してきたいと思います。
 そして、これから集団的自衛権行使を可能にする自衛隊法や周辺事態法改悪の動きにも反対してきます。これからが正念場です。 (河野)


 集団的自衛権  安倍暴走列車を止めるぞ!(上)──向かうのは戦争国家への野望──

 安倍政権が7月1日、日本が攻撃されていない場合でも武力攻撃を可能とする集団的自衛権の行使などを容認する閣議決定を強行した。これまで自ら戦争を引き起こすことを自制してきた〝専守防衛〟の制約を取り払い、いままた日本を戦争ができる国にするという歴史的な大転換を強行したわけだ。
 私たちは安倍政権が進める歴史を逆流させる強兵国家へのあゆみをきっぱりと拒否したい。そのためにもこれまで以上に軍事力への傾斜を突き進む安倍政治との対決を拡げていきたい。

◆暴走

 今回の閣議決定は、これまでの集団的自衛権は持ってはいるが行使できないという政府の憲法解釈に風穴を開けるもので、交戦権の否定と戦力の不保持を明記してきた憲法を空文にする暴挙でもある。
 今回の閣議決定で、安倍政権は「武力行使の新3要件」と具体的なケースを並べた「8類型」なるものを掲げた。
 「3要件」とは、
1)我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生したとき、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合
2)これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段が無い時
3)必要最小限の実力を行使する
というもので、これは自衛の措置として憲法上許される、というものだ。
 見てのとおり、この「3要件」は一見厳しいタガをはめているように見えて、実はどの言葉もはっきりした基準とはなりえない抽象的なものでしかない。3番目の必要最小限という言葉だけを考えても、それがどのレベルなのは、どのようにも解釈できるものだからだ。
 武力行使が可能とされるいくつかのケースについて、政府や安保法制懇は、これまでもいくつかの具体的なケースを上げてきた。が、そのどれもが戦闘行動の一コマを切り取ってきた机上で考えたものに過ぎず、実際にはあり得ないものまで含んでいたものだった。今回の「8類型」も同じだ。
 たとえばその中で在留邦人などを載せて避難する米艦を防御するケース。北朝鮮などとの武力衝突で韓国などに入っている邦人が米国艦船で逃げなければならない事態とは、その事だけでも緊急事態を意味する。しかも防御と言うからには武力攻撃が予想されるかすでに行われており、それらの攻撃に応戦する状態でもある。仮にそういう事態であれば、沖縄などの米軍基地も攻撃とされ、すでに日本も巻き込んだ全面戦争といえるような状態だ。
 現実にそうした事態が起こる可能性は極めて低いが、ともかく武力行使に風穴を開けたいというためにだけ出されてきたものだ。その多くが、「邦人保護」など耳障りの良いケースを並べて武力行使を可能にしたいという思惑が透けて見えるような代物ばかりだ。
 今回の閣議決定では、集団的自衛権を記述した箇所は、一カ所しかない。4項目ある全文の3項目目の憲法第9条の下で許容される自衛の措置という箇所の最後、「上記の『武力の行使』は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある。」という箇所だ。要は、政府が集団的自衛権にもとづく武力行使が可能としてきたものをすべて自衛権の概念にひっくるめてしまい、その拡大した自衛権の一部が集団的自衛権の行使でもある、と論理をすり替えたのだ。
 こうしたすり替えが可能であれば、今後、武力行使のなし崩し的拡大の場面でもそうしたすり替えは何回でも繰り返されるだろう。

◆詭弁

 論理や言葉のすり替えは、なにも今に始まったことではない。安倍首相による集団的自衛権の行使容認を説明する場面ではそれが際立っていた。
 たとえば「自衛のための武力行使」だ。古代の戦争などと違って、近代の戦争ではおおっぴらに侵略を公言した戦争などない。どこでも自衛のための戦争だとか何らかの理屈付けされてきた。あのベトナム戦争では米国は宣戦布告することもなく「共産主義の浸透を止めるため」として、冷戦を背景とした広い意味での防御を目的として本格的な軍事介入を始めた。アフガン戦争やイラク戦争ではテロ攻撃への報復だとして、米国にとっては個別的自衛権の発動であり、いずれも「自衛」戦争だったことになっている。またイスラエルがイランやシリアの核施設を爆撃したのも、国家存立のための専制攻撃だという位置づけだ。
 日本もかつて〝満蒙は日本の生命線〟だとか〝大東亜共栄圏〟などと、相手国やその地域の人たちのことなど眼中にないかのように好き勝手なことをやっていたが、対米戦争では〝自存自衛〟など、自国の存立を自分で守るなどといっていたのだ。いままた中東からの石油輸入航路(シーレーン)を日本の〝生命線〟だとかいっているが、いずれそれを守るための海外派兵を言い出すのは時間の問題だといえるだろう。軍事的に考えれば、〝生命線〟と海外派兵はセットになっているようなものだからだ。
 武力行使の理屈付けなど、結局は何とでもいえる。実際には「自衛」と「侵略」は相互に入れ替わる裏腹のものでしかないからだ。そうした言葉遊びが際立ったのは、今回の「武力行使の3要件」で憲法第13条で規定するいわゆる「幸福追求権」を持ち出してきたことだ。この憲法13条の「生命、自由、及び幸福追求に対する国民の権利」は、憲法が保障する国民の権利として「立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定されている。この条項は、国家に対して個々人の幸福追求の権利を保証する義務を課した条項なのだ。それがいとも簡単に外国との戦争の口実にすり替えられている。なんといえばいいのか、まさに詭弁という以外にないもので、厚かましいにもほどがあるといわざるを得ない。
 その憲法。石原慎太郎ではないが、安倍首相も憲法前文がたいそう嫌いのようだ。前文には「日本国民は、……平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようとした。」とある。保守派や極右派は、この記述に「そんなお人好しでは日本は守れない」などを難癖を投げ続けているが、その憲法前文にはまた次のような記述がある。「日本国民は、……政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにする事を決意し、……」。憲法前文は「戦争とは政府の行為によって起こされる」と明示しているのだ。安倍首相は、まさに政府が戦争を始めることに道を開こうとし、それを否定している憲法前文の「政府の行為による戦争」を目の敵にし、「お人好しでは日本を守れない」と開き直っているのだ。(以下次号に続く)【掲載案内◆暴走──本号◆詭弁──本号◆核心──次号◆野望──次号◆攻防戦──次号】(廣)  号案内へ戻る


 「ハゲタカ」ヘッジファンドの強欲 米国最高裁の不道徳な判決

 米最高裁判所は6月16日、米連邦地裁が下したアルゼンチンが債権者(ホールドアウト)に有する13億3千万ドルの満期になる国債の支払いを命ずる判決を支持して、アルゼンチンの訴えを退けた。
アルゼンチンは、支払い能力もなく、これにより6月末にもデフォルトに陥る可能性がある。アルゼンチンが2001年~2002年に起こしたデフォルトでは、 大半の債権者が債務再編に応じたが、ハゲタカのヘッジファンドのNMLキャピタルやアレリウス・キャピタルなどは応ぜず、全額返済を求めていた。
 今回の米最高裁の確定判決で、ほかの債権者も全額返済を求める可能性も出てくる。
 アルゼンチンは、債務再編に応じた債権者より有利な条件でこうした債権者を扱うわけにはいかないと主張していた。
 米国法に準拠したアルゼンチンのディスカウント債は、支払期限を迎える6月30日までに債務不履行に陥る可能性が高くなっている。
ただ、前回のような国際金融市場への影響は、その後同国金融市場が孤立しており、限定的との見方が一般的である。(JC-NET)
 *   *   *   *   *   *   *
 問題のNMLヘッジファンドは、けっして善良な債権者とはいえない。
というのは、他の債権者のようにアルゼンチンの国債を、普通に購入したのではない。
 「なにしろ、NMLが所有するアルゼンチン国債は、01年にアルゼンチンがデフォルトして紙くず同然となった後に買い集めたもの・・・それを額面価格でかえせば1600%の利益になる」(ニューズウイーク日本版7/15)。
 しかも同判決は、この強欲ヘッジファンドへの支払いが終わるまで、他の債権者への支払いを禁じたのだ! 92%の他の債権者が同意した「減額新国際との交換」という再建策を水泡に帰させるものだ。
 とんでもない会社ととんでもない判決ではないか!
アルゼンチンの財政難は、同国政府の責任も大きい。しかし、国民は踏んだり蹴ったりの状態だ。もっとも、こんなことはマネー資本主義時代のささやかな前触れにすぎないのかもしれない。国際金融資本の規制が必要だ。声を上げてゆこう。(文)


 レイシズム(人種主義)や宗派対立を考えるーー政治が煽(あお)るヘイト行動

●ヘイトスピーチ
 いわゆる「ヘイトスピーチ(憎悪表現)」は、ややピークを過ぎた感がある。
 理由はいろいろあるだろう。「韓国朝鮮人を殺せ」だの「出て行け」あるいは韓国人女性を「売春婦」であるかにこき下ろす・・・。
 こんな運動が、一時の注目を集めても、日本の普通の良識ある市民には受け入れられなかったと言うことだろう。
 昨年10月7日、京都地裁は、在特会(在日特権を許さない市民の会)が京都朝鮮第一初級学校の周辺で行った差別的な街宣活動を「人種差別」とする判決を出した。街宣禁止と1200万円の賠償を命じた。このことも大きな影響があった。
 ヘイト団体は、当面孤立し空中分解するかもしれない。
 在日コリアン青年連合は「レイシズム(人種差別主義)蔓延の原因は、在日の歴史的経緯について教育を怠り、植民地支配の清算を放置してきた日本政府、日本社会にある」と主張した。朝鮮学校の無償化除外といった政府の姿勢が、草の根の排外主義に「お墨付き」を与えている、と。(ウィキペディア)
 政治やマスコミの影響はたしかにおおきいし、われわれ日本国民も気をつけるべき事もある。
     *  *  *  *  *
 世界的に見て、中東地域での激しい宗派対立、移民追放で支持を拡大した欧州の極右の台頭、ウクライナでのロシア人排外をもくろむ「ファシスト」などの拡大が政治にも影響を与えている。日本でのこれら民族主義や人種差別主義の動向は目を離すことはできない。
 私も経験した。ネットで反戦や非戦あるいは「慰安婦」問題を掲示板などに書くと「おまえは日本人か!中韓とマスコミだけだが騒いでいる!」などの非難がたまにある。

●宗派対立・憎悪の根底を考える
 たとえばイラク内乱のケース。シーア派とスンニ派の対立が目立つ。マリキ政権を中心にシーア派がスンニ派を抑圧し、富と権力を独占しているかにいわれている。しかし、実際はこんなバカなことはない。事実ではない。シーア派のほとんどの民衆は、特権とも富とも無縁である。
 はんたいに十数年前のサダムフセイン大統領(スンニ派)時代にスンニ派だけが富と権力をまるまる独占していたのか?そうではない。スンニ派の民衆は、サダムフセインの圧政に苦しんできたのである。特権をむさぼったのは、いずれも一部の人間なのだ。
 サダムフセイン政権が米軍の力で崩壊して(2003年)、シーア派中心のマリキ政権が成立(2006年)したが、その時もシーア派が、富と権力を独占していたわけではもちろんない。
 マリキ首相は、その後経済再建にいきずまって反政府勢力が台頭し弱体化していった。そこで彼は、多数派のシーア派を自己の支持基盤として固めるひつようにせまられた。彼は、自己の政権の延命のために、スンニ派を政権から遠ざけ、テロリストと決めつけ政治的意図で「宗派対立」をあおってきたのである。
 国民の目をマリキの無力な政治からそらすため、宗派対立を意図的に煽りけしかけたのである。
 だから、現代のイラクの混乱と国民の苦しみの責任は、マリキ現首相が第一に負わなければならない。

●移民排斥の極右も同じ
 欧州極右の黄金の夜明け(ギリシャ)や国民戦線(仏)が、失業問題を歪曲し「移民の追放」を叫ぶのもマリキと同じだ。「移民・外人」と「国民」の対立を政治の争点にしたてあげ、対立と憎悪を煽っている。移民への襲撃も発生する。
 しかし、失業は、移民のせいではなく、国内政治と企業の身勝手さに責任があるのに。
 ナチとユダヤ人の関係でもそうだ。第一次大戦での敗北後、ドイツが困難な時代に、国民の不満をデマ的にユダヤ人のせいにして、国論統一と権力奪取を目指したヒットラーの政治がまさにそうだ。彼らは、自分の権力欲をみたすために憎悪をたきつけ、ユダヤ人を生けえにしたのだ。
 それらは「デマ的」であり、米国が支援しているマリキイラク首相のやったこととそれほどちがわない。それらは時として、怒りの矛先を見いだせない民衆のなかに燎原(りょうげん)の火のごとく燃え広がることがある。
 政治レベルのマインドコントロールといってもよい。

●危険な政治再びーー日中韓政権が煽る国民対立
 現在、日中、日韓は政府レベルでは最悪の関係となっている。
 安倍首相が、偏狭なレイシストではなくとも、「領土問題」や「南京大虐殺」「従軍慰安婦」をめぐる、あさはかな「反論」を中・韓政府とやりあってきた。国民の中の偏狭な極右達が、それにとびつく。
 かりに公然とした「ヘイトスピーチ」が減少しても、こうした政治環境のしたでは排外主義は勢いを増す。
 中国の共産党政権も、同じである。中国共産党の腐敗や特権への不信は、低所得の中国民衆の中にうずまいている。圧政への不満もある。こんななか日本叩きは大衆に受けるし、国民の批判の目を都合よく外にそらすことができる。日中韓政権の危険な政治ゲームが、各国内の偏狭な排外主義に勢いをもたらす。

●気をつけようヘイトマスコミ、ヘイトブックス
 サンケイ新聞は毎日全面で中・韓への反感をあおっている。「過激化する中韓反日、対抗手段は?」(サンケイ7/5)とか・・。
 在特会のひどいヘイト活動に立ち向かい、盛り上がった反レイシスト(人種主義)運動に冷淡な日本人ジャーナリストもいる。
「〈反差別〉という差別が暴走する」「在特会のヘイトスピーチを力で抑え込む反ヘイト団体ーー彼らが求める法規制は新たな憎悪を生む」「これ(反差別運動)が果たして善であり、正義であるのだろうか」(「ニューズウイーク日本版」6/24)。
 ほかにも、書店に行けば中国・韓国への対立感情を刺激するヘイトブックスの多いことか!『反日韓国ヤバすぎる正体』『中国の狂気はどこからくるのか』『笑えるほどたちが悪い韓国の話し』他。出版会社の安易なセールス優先に自制期待できないのだろうか?
 現代社会は、良くも悪くもグローバル化し、多様な文化、宗教、人種、そして言語が、入り交じっている。このことは、そもそも自然のなりゆきで進む限りは相互理解は深まるはずだ。権力者が、意図的に対立をあおり、安易なマスコミと商業主義がそれを利用しようとしない限りは。
 すでに見てきたように、民衆の憎悪をたきつけ利用し、支配の手法と心得る権力者が世界中にうようよいる。気をつけよう。だから草の根市民が、自覚的に粘り強く相互理解を促進しよう。(文)

●二審判決も「差別」認定!
 京都朝鮮第一初級学校(京都市、現・京都朝鮮初級学校)周辺で「在日特権を許さない市民の会 」(在特会)の会員らがヘイトスピーチ (差別的憎悪表現)をしたことが名誉毀損(きそん)にあたるかが争われた訴訟の判決が8日、大阪高裁 であった。森宏司裁判長は在特会側の控訴を棄却。「学校の児童が人種差別という不条理な行為で多大な精神的被害を被った」と述べ、約1226万円の異例の高額賠償と新たな街宣活動の差し止めを命じた一審・京都地裁 判決を維持した。
 原告代理人によると、ヘイトスピーチ に対する損害賠償が高裁段階で認められたのは初めて。在特会側は上告する方針だ。(朝日7/8)
二審判決によると、在特会の会員らは2009年12月~10年3月、当時京都市南区 にあった同校周辺で、「キムチ臭いで」「保健所で処分しろ、犬の方が賢い」「朝鮮半島 へ帰れ」などと3回にわたり演説した。この演説内容が名誉毀損や業務妨害にあたるとして、同校を運営する学校法人「京都朝鮮学園」が計3千万円の損害賠償や学校周辺での街宣活動の禁止を求めていた。(朝日)号案内へ戻る


 アラブの冬ーーエジプトの強権政治

●すぎさった希望の季節
 2010年12月17日、チュニジア中部シディ・ブジドにて失業中だった26歳の男性モハメド・ブアジジが、果物や野菜を街頭で販売し始めたところ、販売の許可がないとして警察が商品を没収。これに抗議するためにガソリン(もしくはシンナー)をかぶり火をつけ、焼身自殺を図った。
 チュニジアでは失業率が14%よりも高く、青年層に限れば25~30%という高い水準に達しており、同様に街頭で果物や野菜を売り生計を立てる失業者も多かった。このトラブルがブアジジと同じく、大学卒業後も就職できない若者中心に、職の権利、発言の自由化、大統領周辺の腐敗の罰則などを求め、全国各地でストライキやデモを起こすきっかけになったとされている。次第にデモが全年齢層に拡大し、デモ隊と政府当局による衝突で死亡者が出るなどの事態となった。やがて高い失業率に抗議するデモは、腐敗や人権侵害が指摘されるベン=アリー政権の23年間の長期体制そのものに対するデモとなり、急速に発展していった。その後、チュニジアの政権は崩壊した。(ウィキペディア参考)
 これがジャスミン革命、つまり「アラブの春」の始まりであった。
 *   *  *   *   *   *   *
 チュニジアでの暴動によるジャスミン革命から、アラブ世界に波及した。また、現政権に対する抗議・デモ活動はその他の地域にも広がりを見せた。
 2012年に入ると政権の打倒が実現したエジプトやリビアでも国内の対立や衝突が起きるなど民主化に綻びが見られ始め、また遅れて反政府デモが盛り上がりを見せたシリアでは泥沼の内戦状態に突入し、国内のスンニ派とシーア派の対立やアルカイダ系の介入などによる火種が周辺国にも影響を及し始めるなど、深刻な事態が浮かび上がってきている。
 エジプトでは2013年7月、初の民選大統領モルシが、軍のクーデターにより「解任」。内戦はシリアからイラクにも飛び火した。
アラブ世界は今、一気に厳冬を迎えている。

●イスラム同胞団の失敗ーー風向きはなぜ変わったか
 エジプト初の民選大統領であったモルシ(イスラム同胞団)だが、大統領への権限集中そしてイスラム法の押しつけや、とりわけ官僚・役人組織内での同胞団による役職の分配は、経済苦境にある一般市民からすれば、決して許せるものではない。高い失業率と国民経済の低迷の中で、エジプト軍とは別なやり方で、同胞団はささやかとはいえ特権の分配に熱中してきたのである。
 ムスリム同胞団は、もともと貧困層が多く、真摯な互助組織として拡大してきたのである。ところがいまでは、権力者としてイスラム法を押しつけようとし、さらに中央地方の行政機関内でセクト的なポスト獲得や出世に手を染めようとするなら、一般市民が見捨てるのも当然だ。
 こうして、アラブの春が提起した民主主義の獲得、特権排除・経済的公正、腐敗撲滅の国民的運動は、大きな打撃を受けざるを得ない。市民戦線の中核と考えられる労働者、失業者、零細商店主、市民たちは、大分裂を起こして対立し、モルシ派と反モルシ派に分かれ、2013年の5月6月には武力的抗争にまで発展したのである。

●漁夫の利を得たエジプト軍=シシ
去年7月、エジプト軍は、不評のモルシ憲法を停止し、大統領を逮捕し「国民・市民の信頼」をかすめ取ることに成功した。その軍指導者がシシ国防大臣だ。
 ちょうど2年前に、国民的非難の矢面にいた当時のムバラク大統領を切り捨て「中立」ないしは「革命の保護者」を演じた軍だが、今回再びモルシ追放運動の波にうまく乗り、漁夫の利を得た形だ。
 しかし、真実はこうだ。このエジプト軍の解体ないし大胆な規制が勝ち取られなければならない。軍部と官僚そして財閥のトロイカは、ナセル体制=アラブ社会主義(注)の負の遺産であり、軍ばかりではなく政治家、官僚など特権者達の腐敗は甚だしいものとなっていた。そしてそれらと癒着している財閥達の解体なくして、エジプトの政治民主化や経済的公正は進みようがないのだ。

●シシの独裁
 シシは今年の6月18日の大統領就任演説で、モルシ前大統領を追放した昨年7月のクーデターを2011年の革命に続く「第二の革命」と位置づけ、「国民が二つの革命の果実を収穫する時が来た」と強弁した。治安の改善、経済の活性化、貧困者支援、女性の地位向上などに取り組む考えを示した。
 大統領選でシシは約97%の得票率で圧勝した。しかし、投票率は50%に及ばなかった。モルシの出身母体・イスラム組織ムスリム同胞団は、シシ政権の正統性を否定し、抗議デモを継続する構えだ。
 同胞団は独自に支持率20%程度の政治基盤があり、組織された党派としてはエジプト最大だ。地下に潜っても、その影響力は小さくない。
 他方、シシ新大統領は、全くの政治無知で経済音痴の生粋の軍人(元国防大臣兼エジプト軍最高評議会議長)である。
 予想される実際の政治は、旧体制の官僚、財閥の温存(復権)と、軍の特権の保障となるであろう。かれは、大統領選で遊説活動をほとんどしなかったし、大衆の面前に「テロ」を理由に出てこなかった。あきれた「指導者」だ。
 確かに、今回の大統領選挙で有権者の大半が棄権したのは、シシには何も期待しないか強権政治への反発が原因だ。ムスリム同胞団が棄権を呼びかけたことも大きかったと見られる。他方、支持した人達は、ただ「治安維持」のみ期待したのだろう。
 シシの政治は、国内の亀裂を無為無策の強権政治で乗りきろうとする野蛮なものだ。4月28日 エジプトの裁判所は、モルシ前大統領の支持基盤であるムスリム同胞団の最高指導者ムハンマド・バディア氏を含む683人に死刑を宣告した。
 シシ政権はこれまですでにモルシ派一万六千人を拘束、千人以上を殺害したといわれる。(ニューズウイーク日本版7/8)
 カイロ裁判所は、カタールの衛星テレビ局アルジャジーラの記者らに禁錮7~10年の実刑を言い渡した。モルシを支持していたカタールへの、シシの報復(同)とみられる。
 シシは「司法の独立」を建前に関与を否定しようとしている。
7月に入り、電気料金を今後5年間かけて、世帯によっては3倍以上に引き上げると発表。4日には最大78%のガソリン代値上げを発表、即日実施した。
 これは、全般的なインフレを呼び起こすかもしれない。
 エジプトはこれまで、「アラブ社会主義」を標榜するなど、補助金財政で生活必需品を貧困層にも多少は低価格で供給してきた。
 シシ政権は、このような欺瞞的政策を一掃するようだ。財政再建のための3割をしめる補助金の大幅削減を決意している。
 最近の世論調査では、国民の72%がエジプトの現状に不満を示している。革命前の不満度69%より高い数字だ。(同)
 シシ政権のもと、新たな闘争が生まれるのは必至だろう。(文)

(注)アラブ社会主義:アラブ社会主義において最も顕著な経済徴候は、エジプト(1952年)やシリア(1963年)、イラク(1970年)でなされた農地改革や、主力産業及び各々の国の銀行システムの国有化だった。エジプトとシリアでは、これらの方針の多くは後に翻される結果となったが、イラクにおいては、1980年のイラン・イラク戦争の勃発まで、豊富な石油によって成功を収めていた。(ウィキペディア)近年は市場経済・新自由主義的政策に移行つつあるが、官僚主導の社会政策や財閥的な経済、そして建国の礎としての軍部が一貫して特権階層をなしてきた。号案内へ戻る


 ゴーン氏の略奪  ある社長の成果と報酬

 日産自動車は6月24日、横浜市内で株主総会を開き、カルロス・ゴーン社長の2013年度の報酬が9億9500万円だったと発表した。
 前年度から700万円増えた。国内の3月期決算の上場企業の役員で2年連続で最高額となる可能性がある。
 ゴーン社長は株主総会で「グローバル企業だから、報酬も国際基準で」と説明した。
 日産の13年度の役員報酬(社外取締役と監査役を除く)は計16億5400万円(12年度は17億4600万円)だった。ゴーン社長に全体の半分以上が支払われたことになる。(ヤフー6/26)
 *   *   *  *   *   *   *   *
 このゴーン報酬報道には、「トヨタ社長の四倍?」(読売)という批判的なニュアンスがつきまとっている。
 そのはず、自動車業界では「日産の一人負け」という中でのゴーン氏の突出した報酬だから。
 欧米の企業家として、ビルゲイツ、スティーブ・ジョブスが日本でも有名だが、ゴーン氏もおそらく彼らに劣らないほどの知名度が日本ではある。
 ただ、前二者が、良くも悪くも創造的アイデアを持つ、時代の寵児であったのに比べて、ゴーン氏は「豪腕」「ぶったくり」の印象は強い。
 *   *   *   *   *   *   *
 そうなのである。彼は1996年に、フランスの大手自動車製造会社であるルノー上級副社長を務めた。
 ルノーでは、不採算事業所の閉鎖や調達先の集約などで経費の圧縮を進め、赤字だったルノーは数年で黒字に転換した。ルノーのベルギー工場閉鎖などは、両国間の外交問題へと発展した。これによって、ゴーンには「コストカッター」「コストキラー」の異名が付くことになる。(ウィキペディア)
 さらに1999年ルノー傘下にはいった日産に出向。「プラットフォームやエンジン、トランスミッションなどの部品の共通化、購買の共同化などを通じて両社のコストダウンを行う」。
 一方、「日産リバイバルプラン」計画の下、東京都武蔵村山市にあった日産自動車村山工場などの生産拠点の閉鎖や子会社の統廃合、余剰資産の売却や早期退職制度による人員の削減などの大幅なリストラや新車種の投入、インテリア・エクステリアデザインの刷新やブランドイメージの一新などの計画を次々に敢行した。」(同)
 ゴーン氏のやったことは、経営難の職場を守る、仕事をつなぐのではなく、不採算部門の切り捨て、リストラなのである。
 経営に疎い私だが、こうしたことは「経営手腕」なんて言えるのだろうか?
赤字部門を切り捨て、「余剰」労働者を解雇することが、ほんとうに経営の立て直しなのか?
 当時の日産が、負債を返済して「再建」されたかに言うのは、まったく事実ではない。人材を切り捨て、工場を売却し、他方では新車の投入などの無理な経営は、結局のところ、日産の現在の衰退につながっていないか?。ゴーン氏がCEOを努めるフランス・ルノー社も経営が苦しくなったそうだ。おそらく同じことなのだろう。
 2006年以降、ルノーも日産も、再び下降線をたどり始めたのがその証拠だ。
 ゴーン氏の手腕とは、切りまくり、だけの無慈悲な無能経営であり、近視眼の「利潤追求の」権化である。
 このような自己中心の人間だから、桁外れの十億の報酬を、日産を追い出された人、低賃金で現在でも雇われている人を尻目に、何食わぬ顔で懐(ふところ)に収められるのだろう。
 会社とは?社長とは?労働者にとって仕事とは何か、考えさせられる一件である。(竜)


 紹介 「労働情報」特別号 「正社員がゼロになる!?―派遣法、大改悪はダメ!」定価500円

 労働情報という機関紙は、月に2回発行されています。発行所は、協同センター・労働情報です。
 安倍政権は、労働者派遣法の改悪をやろうとしています。「正社員ゼロ法案」と言われています。現行の法制度は、派遣労働を例外的なものとし、正社員が派遣労働者に置き換わらないことを原則としてきました。「常用代替防止」「臨時的・一時的」ということで、①派遣業務の制限、②派遣期間の制限がありますが、今回の改悪案ではこれらの原則や措置をなくしてしまうものです。正社員の派遣への置き換え、つまり「正社員ゼロ」が進むことになります。
 改悪案が通ると、派遣労働が例外ではなくなるので労働者はいつまでも派遣で働くしかなくなります。企業側は、現在の正社員を派遣にどんどん置き換えていくので賃金は低く抑えられていきます。
 派遣の一番の問題点は、派遣先企業つまり労働者が実際働く企業は雇用責任がなく、福利厚生費や退職金、人事管理のコストも手間も省け労働組合の団体交渉からも逃れられます。
 安倍政権は、この「正社員ゼロ法案」にみられるように労働者の生活を苦しめることをやろうとしています。こうした状況を何とかするためにも、労働者間の連帯が必要です。(河野)号案内へ戻る


 帝国化するEUーーどこまで続く拡大 
 
 「ウクライナ、モルドバ、グルジアの旧ソ連圏の,三国が、包括的な経済・政治協定であるEUとの連合協定に署名した。自由貿易協定を含む同協定の経済部分は通商政策や関税手続きなどの共通化を進め、将来のEU加盟に道を開く」(ニューズウイーク日本版7/8)。
 ロシアとEUの間で綱引きが続いてきたウクライナだが、ポロシェンコ新大統領の下、EU加盟へ大きく傾いた。ロシアの反発は必至であろう。ウクライナ紛争は泥沼化するおそれがある。

●EUは経済共同体を越えている
 二つの大戦の戦場となったヨーロッパ。不戦共同体を目指す動きは、経済共同体からはじまった。
「ヨーロッパ経済共同体(EEC)」と「ヨーロッパ石炭共同体」「ヨーロッパ原子力共同体」が合体してECが成立(1967年)。これがEUの前身だ。
 このように先行したのはあくまで関税撤廃・自由市場などの経済主導の統合であった。その性格はEUにも引き継がれている。
 それも当然であろう、この欧州統合を牽引したのが、欧州の大資本であったのだ。
しかし、さらに政治的統合も目指すマーストリヒト条約が1993年に発効した。
 EUは行政機関である欧州委員会、決定機関の欧州連合理事会(閣僚理事会)、立法機関の欧州議会をようする。また、欧州連合司法裁判所がある。(EU法は国内法に優越している。)
 EU官僚群も、増大の一途で、現在では四万人に達しているらしい。
 
●主権の委譲ではなく共同管理?
 欧州連合(EU)は、統合をすすめる際には「各国主権の委譲」という認識をとらない。「共同管理」だとする。
 しかし、これは言葉のすり替えにすぎない。ようは同じことであり、あらたな欧州統合政治体が登場し、広域国家が「侵略戦争」もなく拡大しつつあると考えるべきだ。EUがフランス、ベルギー、ルーマニア等々の「主権国家」を否定していない(協力関係にある)、というだけなのだ。
 しかし、このEU拡大もウクライナをめぐるロシアとの緊張の前で、新たな局面をむかえていないか。

●帝国化するEU
 EUという新しい国家権力は、21世紀のあだ花か、それとも、国民国家再編の新たなスタイルとなるのか?
 EUは現在では28カ国が参加している。人口もGDPも、米国をうわまわる。東欧諸国の吸収が一段落してきたが、いまでもトルコなど数カ国が、加盟申請をしている。
今後の焦点は旧ソ連圏をどれだけ引き込めるかである。しかし、それはロシアとの緊張関係をつくりだす。
 これらの東欧、旧ソ連圏の諸国から見れば、EU加盟は政治的・軍事的には「対ロシア」対策である。経済的には、投資を呼び込みうるという期待があると思われる。自由な移動や経済活動、西ヨーロッパ文化へのあこがれは想像に難くない。
 
●侵略戦争ではなく、まず経済的包摂
 欧州の統合過程は、海図のない船旅だ。明確なビジョンもプランもない。斉一性も厳密ではなく、英国のようにユーロを使わなくともよい。ただし、とりあえず同じ船に乗るメリットを確認し、ルールは後から作られている感じだ。
 侵略戦争や暴力による併合でない、経済的・文化的な吸収なのは、グローバル化経済時代のあたらしい国家再編プロセスといいうる。欧州の今後は、さまざまな意味で注目に値する。
 EUこそ多様で高度な価値観や哲学・文化を包摂するもので、法治主義と平和的統合などを、高く評価するむきもある。米国と異なる新しい社会統合であると。「超国家」という表現もある。
 しかし、EUは建前としては「欧州市民社会」をめざすが、現実には、新自由主義の旗を掲げる多国籍企業、大企業が主導する国際化の一過程なのだ。英仏などの伝統ある資本主義の固有の社会軋轢が、再現されるのもさけられないのだ。欧州版TPPなど、農民や中小企業その他への影響はこれから深刻化するだろう。
 それが、南北格差、失業、都市農村格差という資本主義の悪弊が欧州各国にひろがっている。
 あるいはNATOの中核軍として、EU諸国は、アフガンなどの対外戦争もやめてはいない。
 かなり強引とも見える今回のEUによるウクライナ引き込みは、いまでになく危険な「EU拡大」になるかもしれない。目の離せない問題だ。(文) 号案内へ戻る


 読書室 
 副島隆彦+SNSI副島国家戦略研究所著『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』

 成甲書房 本体価格 1800円

 ついに明らかにされた幕末・明治のフリーメイソンの活動実態と表裏一体である
 ユニテリアン教会の教義思想の核心と世界規模での最先端の政治思想の真実

 この本は、副島隆彦氏を指導者とする副島隆彦国家戦略研究所の第7論文集である。
 常日頃からの誹謗中傷の嵐に耐えながら、副島氏は弟子たちと着実に前進しつつ、この様な充実した論文集を発刊したことを大いに喜びたい。そしてこの本は副島氏の主著の一つである『属国・日本論』の「第三部 属国日本の近代史」を直接的に補完するものだ。
 周知のように江戸末期に黒船で来航し開国を強要したぺリーらによって、日本は開国された。その後、折から勃発したアメリカの南北戦争で政治的影響力を低下したアメリカに対して、反比例するかのように影響力を急速に増大させ実質的に日本を主導するようになったのは、オルコック・パークス・アーネスト・サトウらのイギリス勢力であった。
 薩摩や長州等と闘う中で彼らを変え、倒幕勢力としつつ戦略を授けて武器を売りつけ、背後から動かしたのは前面に出たイギリスの武器商人らと黒子に徹した彼らであった。
 この本は、そのイギリスとは別に世界最大の秘密結社であるフリーメイソン=ユニテリアンが、幕末・明治の日本にどれほど強い影響を与えたかを解明した本である。
 具体的には、幕末・維新、そして明治の日本の指導者たち十一人の「偉人伝」を読み解いてゆく事で、明治の元勲たちの中にフリーメイソン=ユニテリアンの思想がどのように入り込んだかを、正確に歴史資料に基づいて立証している本である。
 この選ばれた幕末・明治のイレブンを紹介順に列挙すると、日本の自立自尊のためにフリーメイソンと共に闘った福澤諭吉、ユニテリアン思想を日本に導入した新島襄、オランダ軍人に操られた榎本武揚、日本人初のフリーメイソンとなった西周、自由民権運動の父・実はフリーメイソンであった板垣退助、「牽制の神様」かつユニテリアン人脈の尾崎行雄、西周が従兄弟叔父の森鴎外、ジャディーン=マセソン商会が育てた日本工学の父・山尾庸三、日本初・国際高級官僚としての新渡戸稲造、「日本のセシル・ローズ」である後藤新平、開国期の女子教育に献身した「津田津田しい」津田梅子の十一人、その他にオランダ人フルベッキのユニテリアン思想の日本受容を準備した横井小楠がいる。
 紙面の関係で当然の事柄として全員には触れられないので、ここでは残念ながら明治期の啓蒙思想家の両雄でもある福澤諭吉と西周に限って紹介したい。
 幕末に開塾した慶應義塾が大学になる際、諭吉の強い意思により教壇に立った外国人教師の多くはハーヴァート大学から来たユニテリアン教会に属する宣教師たちだった。
 また汎神論者スピノザが準備したフリーメイソンのオランダからの影響も見逃せない。横井小楠や西周・森鴎外・榎本武揚たちは蕃所調所を通してフルベッキと出会ったのだ。
 当時の日本はロシアとイギリスの確執の最中にあり、まさにイギリスから遠隔操作されていた手駒であった。その日本の政治的な代表者が伊藤博文である。
 確かに慶応義塾にはイギリス国教会からの教師もいたが、彼らと福澤との間には信頼関係というよりは相互利用し合うことを目的とした付き合いしかなかった。なぜなら福澤には、明治政府をしてイギリスのくびきから解き放たれるには、アメリカのユニテリアン思想の助けを借りて自立自尊する道の他ありえないとの大戦略があったからである。
 ユニテリアン思想とは何か。端的には、理神論という名前の「神の否定」思想である。彼らは神を信仰せず、理性を合理を最高のものとする。彼らはカソリックの馬鹿げた三位一体説、信仰への盲従強要や神父らの商工業者への蔑視を嫌い、自らの理性信仰を「神の摂理」と称してきた。ミケランジェロ・モーツアルト・ニュートンらが理神論たちである。
 福澤諭吉は、この立場を受け入れて二人の息子を米国留学させ日本の独立自尊を更に追求していった。そして全く意外にも、ワルの頂点である伊藤博文もまた追求していたのだ。まさに「事実は小説よりも奇なり」ではないか。伊藤博文が朝鮮併合に強く反対して、山県有朋に暗殺されたのはその遠因がここにあったのかも知れないのである。
 その意味では、福澤が無謀な政治的な闘いに引き込まれずに、思想家・教育家として生涯を全うしたのは、賢い選択であった。福澤は部分的ではあれ、着実に日本が自立していくために、知識・思想・学問の分野で伊藤らと生死を掛けて闘い続けたのである。
 この事に関連して述べておくと、以前から開明的な諭吉とアジア蔑視の諭吉と二人の福澤諭吉が云々されてきたが、近年平山洋氏の福澤諭吉全集の各版本精査の尽力により、これらアジア蔑視の無署名論考については弟子の石河幹明氏のものであることが明らかになった(詳しくは、『福澤諭吉の真実』(平山洋氏・文春新書)をご覧下さい)。
 続いて西周について紹介する。彼は、幕末期に津和野藩の選抜メンバーとして江戸留学中に脱藩した。その後蕃書調所に出入りすると共に当時江戸で英語塾を開いていたジョン万次郎の所で勉学に励んでいた。学友には榎本武揚と大鳥圭介がいる。この時、幕府がオランダ留学生を派遣するに当たって選抜され、二年間オランダに行っている。彼は反カトリックのオランダの自由主義者の牙城であったライデン大学に学び、JS・ミルやコントらを研究した。この間、英国留学中の五代友厚ら薩摩藩士と密会した事もある。
 ミルと言えば、『代議制統治論』で知られているようにデモクラシーの元祖である。こうした流れの中で、西周は留学中にフリーメイソン入会日本人第一号になったのである。
 そして帰国してからは、日本の古い身分制度の破壊のため、社会革命をめざした。彼がめざしたのは思想界の革命である。幼少期に朱子学を学び青年期に荻生俎徠で開眼した西周は、日本の知識人の教養の土台とである儒学を基礎として西洋の学術大系を理解させるべく欧州語の哲学・思想用語の日本語訳を、日本社会に確実に定着させていったのである。
 その手始めとして『万国公法』の中国語訳本にレ点を入れ刊行した事で、当時の知識人達に注目され西周の名は一躍有名となった。彼はこの本を徳川慶喜に献上もした。彼によって有名になった蕃書調所は、その後東京大学に発展していった。
 この開明思想の鼓吹者として西周は、徳川慶喜に呼ばれて京都に私塾を開き、その塾生の中に松平容保会津藩主に従って上洛した山本覚馬もいた。西に大いに学んだ山本がその後、京都府政のために尽力したのは、周知の事実である。彼を導いたのは西の思想である。
 西周はまさに思想界に革命を起こした。現在に至っても私たちが恩恵を受けている主な訳語を列挙すれば、哲学・観念・概念・主観・客観・理性・悟性・感性・総合・帰納法・演繹法など、枚挙するに暇がない。これらの訳語の恩恵は、日本一国のみならず現代中国の哲学・思想界にすら大きな影響を及ぼしているのであり、彼の残した業績の偉大さは誰にも否定できないものがある。西周については、こうした面をぜひ補強しておきたい。
 このように明治期日本の思想界からユニテリアンから学んだ福澤諭吉と西周の二人を除いたら、どんなに貧しくみすぼらしいかを、読者にはぜひとも想像していただきたい。
 また付章として、ブリタ理科大百科事典に掲載されている「フリーメイソンリー」「ユニテリアン」「理神論」の項目についての翻訳がついている。これらの解説は、まさに世界標準からの実に簡潔でありながらも本質を突いた貴重な記述である。精読を期待する。
 最後に、副島隆彦氏によるフリーメイソン・福澤諭吉・伊藤博文についての重要な指摘を「はじめに」から一つ、「おわりに」から二つを引用しておこう。
「はじめに」では、「このローマン・カトリックから毛虫のように嫌われ続けたフリーメイソン=ユニテリアン思想は、これまで、日本の出版界が『おどろおどろしい闇の支配者たち』だとか、『裏に隠れた悪魔の集団』などという愚か極まりない理解を日本国内に蔓延させた。(中略)その真の元凶は、やはりロール・カトリック教団そのものである。彼らは、この世の諸悪の根源である。実は、フリーメイソン=イルミナティの思想が、ローマ・カトリック教団の中にまでじわじわと潜り込んでゆき、自分たちの巨大な偽善を暴いて突き崩しに来るのがイヤでイヤでたまらないのだ。(中略)だが、ところがである。どうもきっかり20世紀に入ったあたりで、本当にフリーメイソンリーとイルミナティは、世界を頂点のところで支配する超権力者たちの、秘密の集団によって乗っ取られて大きく変質をとげたようである。(中略)日本の明治時代を生き生きと作った指導者たちがフリーメイソン=ユニテリアンに加入していた頃までは腐敗していない」と従来の日本のフリーメイソン観を一新する視点を明確に打ち出したのである。
 そして「おわりに」では、「日本が誇る大知識人である福澤諭吉と、明治の最高権力者のワルの頂点である伊藤博文には共通の考えがあった。それは、『日本はインドや中国やエジプトやトルコのように外債(外国からの借金)を理由に西洋人に騙されて西洋列強(とりわけ大英帝国)の悲惨な支配下に置かれないように、急いで欧米の(当時)最先端の政治思想と諸学問(理工系の科学技術だけでなく)を輸入し(翻訳し)、身につけなければならない』と、共に切迫した気持ちで考えたことだ」と福澤と伊藤との共通認識を指摘した後、「福澤は、伊藤博文らに謀られて追いつめられ決起した西郷隆盛の自刃のあと立憲運動として起きた自由民権運動が、同じく狡猾な伊藤によって、自由民権運動の最大のヒーローとなった土佐の板垣退助が早くも1881年には、洋行の資金で籠絡されててっぺんから切り崩されていく様をずっと苦々しく見つめていた。板垣が伊藤の子分になり下がって自由民権運動を内部から壊したのだ。だから福澤は、終始一貫して、伊藤博文ら買弁権力者たちに一歩も譲らなかった。知識、思想、学問の方が現実の政治権力より上に立つべきだと、生涯この説を通した」と明治期日本を貫く、その対立構図を指摘したのである。
 この本によって、私たちは明治期日本の二十年代・三十年代の全体像が理解できる。そして今後、この本の続刊として『明治偉人伝のウソ』が企画されているという。
 今後、日本の近現代史を主体的に理解するためにも、孝明天皇、徳川慶喜、明治天皇、大室虎之祐、山内容堂、小松帯刀、坂本龍馬、木戸孝允、伊藤博文、西郷隆盛、大久保利通らにも鋭いメスが入らねばならない、と私たちは確信する。
 その意味において発刊を大いに期待して筆を置く。   2014年7月15日 直木
号案内へ戻る


 コラムの窓・・・「死刑を手放せない国家」

 先月26日大阪拘置所で川崎政則さんに死刑が執行され、谷垣禎一法相による9人目の死刑執行となりました。昨年、安倍政権は4回8人の死刑を執行しており、もはや死刑はこの国において日常風景となりつつあります。この死刑大国を支えているのは被害者の感情や国民の支持であり、谷垣法相は安んじて現行の死刑制度を見直す必要はないとの立場を取ることができるのです(6月26日「神戸新聞」報道による)。
 しかし、こうした立場は国際社会において今や少数派となっています。アムネスティによると、2008年にすでに国連自由権規約委員会から世論の動向にかかわらず死刑の廃止を考慮すべきとの指摘を受けています。2013年にも、国連の拷問禁止委員会から「死刑の廃止する可能性を検討すること」を要請されています。
 さらに今年2月17日、「裁判員経験者20人が、死刑執行を停止し、死刑制度の情報公開を徹底して、国民的議論を促すよう求める要請書を法相に提出した。この要請には、死刑判決に関わった3人が参加していた」とアムネスティは指摘しています。このままでは、裁判員は死刑制度維持の犠牲に供されることになるでしょう。
 こうしたなかで7月5日、大阪弁護士会がシンポジウム「死刑弁護を問う‐スーパー・デュー・プロセスを目指して‐」を開催しています。アメリカの死刑弁護は「刑罰としての死刑の決定的な特殊性が、特別な手続きを要請する」としています。
「死刑は、その終局性において他の刑罰とは異なるため、死刑事件の弁護人は、被告人のため並外れた努力を行うことによって、この違いに対応しなければならない」
 日本においては、殺人事件における被告の弁護はしばしば非難され、凶悪犯に弁護など必要ないとの風潮があります。シンポジウムに参加した安田好弘弁護士は、オウム真理教事件や和歌山毒カレー事件など多くの死刑事件を弁護してきた死刑弁護人です。世情ではその彼が悪徳弁護士のように扱われているのも、死刑は当然というこの国のありようを象徴しているようです。
 シンポジウムでは大阪弁護士会が制作したDVD「絞首刑を考える」が上映されました。その中で、かつて死刑はより多くの苦痛を与えるやり方が追求されていたが、今ではより苦痛の少ない方法で行われるようになってきたと解説しています。国家に逆らう者に見せしめ的に残酷な死刑を行い、恐怖心を植え付けることによって反抗心を失わせる、そこに死刑の目的があった(今もあるのでは?)ということでしょうか。
 それでは絞首刑は苦痛が少なく速やかな死をもたらすのか。その論拠はかの悪名高き東大法医学教室教授古畑種基博士の次の解説により、1955年の「絞首刑は残虐な刑罰ではない」という判決となり、今もその判断が維持されています。
「体重が20キロ以上あれば左右の頸動脈と両椎骨動脈を完全に圧塞することができ、その瞬間に人事不省に陥り全く意識を失う。縊死は最も苦痛のない安楽な死に方であることは法医学上の常識となっている」(「週刊ポスト」3月14日号)
 古畑教授は島田事件など多くの冤罪事件ででたらめな鑑定を行った御用学者であり、絞首刑に関する彼の〝法医学上の常識〟も全くのまゆつばです。この誤った判例に挑戦したのが、シンポジウムに参加した後藤貞人弁護士です。彼は死刑を争う法廷において、真っ向から絞首刑の残虐性を問うたのです。出廷した元検事は「正視に堪えない惨たらしさ」と証言しています。
 注目すべきは「死刑に処せらる者は、それに値する罪を犯した者である。執行に伴う多少の精神的・肉体的苦痛は当然甘受すべきである」(堀川惠子『絞首刑は残虐か』・「世界」2012年2月号)という判決の〝思想性〟です。多くの人は姦通罪に対する石打ち刑や、窃盗罪に対する手足の切断などはとんでもないと思うでしょう。なのに、殺人罪に対する絞首刑を諸手をあげて支持しています。
 この国が死刑の実相についてひた隠ししているのは、知らせないことによって事実を隠蔽し、国民意識をコントロールしようというのでしょう。私たちは知ることの重要性、島国的偏狭性の危うさを忘れてはならないのです。 (晴)


 色鉛筆・・・ 無実の袴田巌さんに無罪の判決を!6・29清水集会

 1966年6月30日に起きた「袴田事件」。今年の3月27日に再審開始が決定しその日に釈放された袴田さん(78歳)が、テレビの画面に映された時は嬉しくて拍手をしてしまった。私が小学生の頃に起きた事件だったが、おぼろげに覚えているのはやはり元ボクサーという偏見があったように思う。大人になってから真実を知って微力ながら支援をしてきた。その袴田さんが48年ぶりに清水に来ると聞いて集会に出かけた。
 始まる前から袴田さんの周りには人だかりで、昔同じボクシングジムに所属していた後輩の方は一目散に駆け寄っていった。市民の会の代表楳田さんが挨拶にたち、まず「巌さんお帰りなさい」と言葉をかけると会場内がざわめきだし、挨拶よりも早く袴田さんを!という思いが参加者の熱気を上げ、急いで司会者が紹介をすると歓声と拍手がわき起こった。姉の秀子さんに付き添われて登場し「よろしくお願いします」と挨拶をすると、またまた歓声と拍手がわき起こり参加者みんなで袴田さんを出迎えた。椅子に座りマイクを持つと「袴田巌は無実だ」と訴え、長い間拘置所で過ごした影響からか「神の近い所にいる」「保釈金は5千円」等と話し出した。妄想に浸る発言もあったが何よりも私はこの場に袴田さんがいるということが感無量で、「袴田さん本当に長い間ご苦労様でした。お元気なお顔が見られてよかったです」と、心の中で語りかけた。48年間弟の無実を訴えてきた秀子さんは「拘禁症からくる認知症で、神から抜け出せていなく黙ってはいられないことをご了承下さい」と、弟の発言をカバーして「生きて帰って来られたことに本当に喜んでいる。再審で無罪放免になるまで頑張ります」と喜びがあふれていた挨拶だった。巌さんを支え続けている秀子さんも48年間本当にご苦労様でした。
 袴田さんは、5月27日に秀子さんの住んでいる浜松の病院に転院したが、参加者から「入院中、どんな治療をしているのか?」という質問が出されると、秀子さんは「薬で治すというものではなく、安定した静かな環境で生活をして拘禁症が治れば認知症も治ると言われ、毎日午前中はリハビリをしている」と答えた。また、浜松の支援者の方から、病院では穏やかに過ごしていて断片的に昔のことが出てくるようで、外出をして50年ぶりにもうひとりのお姉さんを訪ねたら故郷の思い出が戻って来たのか、お寺や神社の名前が出てきたので訪ねたという話しがあった。少しずつ記憶が戻ってきているというのは何よりも嬉しいことで、ゆっくり時間をかけて穏やかに生活をしてほしいと思った。その後、弁護団から再審開始決定の要点と即時抗告審の状況を説明があり、検察の抗告は不当であることを訴え、講演や支援メッセージなどがあったが、その中で衝撃的な訴えがあったので紹介したい。
 三鷹市立の中学校教諭、津山正義さん(29歳)が2011年暮れ、市内を走るバスの車内で女子高校生のお尻をスカートの上から触ったとして逮捕、起訴された三鷹バス痴漢免罪事件。今年の5月、東京地裁立川支部は津山さんの無罪の主張を退け、罰金40万円の有罪判決を下し、津山さんは控訴し東京高裁での審理が始まっているという。津山さんは、逮捕されても身に覚えがなくやっていないことを何度も訴えても犯人扱いで、取り調べをした刑事は「私の仕事は君を有罪にすることだ」「カメラに写っているから(本当は写っていない)自白しなさい」「認めないならここから出られない」と、再三にわたり津山さんを脅してきたという。何ということだろう、48年前の袴田さんの時と同じではないか!冤罪を防ぐために取り調べの可視化(取り調べの全課程の録画)が言われているのに、相変わらず警察は権力を振るって脅迫している。冤罪に対しての反省は何もなく警察の体質そのもは何も変わっていないことがわかる。この事件でバスの車載カメラには痴漢があった時間、「右手は携帯、左手はつり革」の津山さんの姿が映っているのに、バスが道路工事を避けて大きく揺れたために左手が写らなくなる場面を捉えて「不可能とまでは言えないから有罪」というのだからあきれてしまう。津山さんは無罪を訴えるために駅で署名活動をしていると、同じ様な経験をしたことがある人達が声をかけてくれ冤罪で苦しんでいる人がいることに驚き、何としても無罪を勝ち取って教職に戻りたいことを強く訴えていた。他人事ではなく、自分や家族もいつ犯罪者にされてしまうかもしれないのだ。
 この集会後、秀子さん宅に泊まると巌さんは「たくさん部屋があっていい」と気に入り、翌朝、病院に戻る際に「行かない」と意思表示をしたという。秀子さんが病院に巌さんの意志を伝えると病院は退院を許可し、巌さんは2日、事件当時住んでいた静岡市清水区から浜松市中区に住民票を移し秀子さんの自宅で暮らし始め、今後福祉サービスを受けられるかどうか市と相談するという。市民の会では、再審無罪を勝ち取るばかりでなく無収入の袴田さんの生活の安定につながる支援をしていこうと取り組み始めている。無罪判決が出るまで支援していきたい。(美)号案内へ戻る


 読者からの手紙  暴露された各級議員の驚くべき資質と自民党の本質等

 東京都議会でのセクハラ野次の発言者追及の中で、尖閣列島に上陸したお調子者議員の鈴木氏が当該の発言者と特定されました。
 当初から彼だとの評判が立つ中で、「私は発言していない」と否認したばかりか、その議員が特定されたらどのようにするべきかとの記者からの問いには、「議員辞職すべきだ」と発言した当の本人が、自民党を離党したことで事件を収めようとしています。全くの無責任男で、彼の問題性は議員の資質を云々する以前の問題なのです。
 さらにはセクハラ野次を受けた議員の所属するみんなの党が、当初は声紋検査を実施しても発言者を特定すべきと息巻いていたのに、一転してこの以上の追及は止めるとの手打ちを自民党と行って些かも恥じる様子もないのです。
 この事に関連して国会でも同様な野次があったとの新聞報道がなされて、それは自民党議員からなされたとの声が上がっています。全く「前近代社会」そのままの日本の政治風土ではありませんか。私は全く呆れ果てて、物も言いたくなくなりました。
 そんな時、野々村兵庫県会議員についての報道です。それは、直接的には約二百回に及ぶ日帰り出張に対する領収書未添付に対する釈明が求められての記者会見でした。
 この政務調査費の不正支出についての説明の記者会見の中で、意味不明の号泣無罪の一方的な説明が何と三時間にわたってなされたというのです。ユーチューブでは既に何百万回の閲覧がされているばかりでなく、世界的にも報道されております。そしてその報道姿勢は、日本の議員の資質を鋭く問うものでした。全く当然の事でしょう。
 野々村議員に対しては、その他の不正として郵便切手代、自宅の事務所使用、家電製品の多額の購入が浮上しているのに、「自殺に追い込まれそうだ」と本人が何ら釈明せず逃げ回っているとのことです。
 まさに日本の各級議員に散見確認される人格分裂の破廉恥漢たちの群れと彼らを大きく束ねている自民党という名前の政党の本質は既得権益の擁護者なのです。
 またこれら一連の事象は、自民党と一体となった官僚組織としての行政組織、日本の各級議会事務局の職務怠慢を示して余りあります。なぜその場で議事を中断して、徹底的に発言者を特定してこなかったのでしょうか。また野々村議員について言えば、三年にもわたっての長期間でなされていた行為であることが、既に明らかになっています。何故今まで問題になっていなかったのでしょうか。しかし今に至るまで何の説明もありません。
 確かに何回か個別に聞き取りを試みたが、一切応じてはこなかったとの議会事務局の説明がありましたが、それで済ませて良いことだったのでしょうか。まさにこの点こそ、真に追及すべき事柄の筈です。その意味では職務怠慢そのものであり、議員とのなれ合いに慣れすぎていたと言わざるを得ません。議会事務局も当然に糾弾の対象であるべきです。
 こうした事から、小「野々村」議員が複数いることが疑われ始めており、そもそも議員報酬以外に政務調査費が必要なのかとの根本的な議論の必要性が浮かび上がっています。
 私の管見でも、住民税の未納者に各級議員が多いとは行政が住民に周知させたくない事実の一つでもあります。その他弁護士、医師等々の「名士」と呼ばれる諸君がいます。
 現代日本は、そもそも諸個人の政治的平等を言う前に法の前の平等を訴える必要があるのではと言いたくもなります。そしてこの汚れ切った日本社会を基本的に支えている最大の勢力が名実ともに薄汚い自民党そのものであり、その政治的な本質は既得権益の絶対的な擁護者であるということに尽きます。安倍晋三首相だけでなく田中真紀子氏も支払うべき相続税を誤魔化しているとは、関心がある者なら誰でも知っている公然の秘密です。
 過激な手紙を書きましたが、それもこれも呆れ果てた日本社会に対する常日頃からの憤りの表現とお許し下さい。(猪瀬)号案内へ戻る


 編集あれこれ

 本紙前号1面で「何としても『集団的自衛権』の行使や『集団安全保障』の参加の閣議決定に反対の声を最後まで・・・」と呼びかけましたが、その日に閣議決定となってしまいました。月2回発行の紙面では、このように情勢に追いつけないというもどかしさがあります。
 これを補うかたちで、ホームページやブログでの情報発信に努めているところです。今回は7月2日付けで、トピック欄に「海外戦争ロード 今からでも阻止できる!」という記事を掲載しました。ぜひご覧になってください。
 ところで、公明党の与党主義が死に至る病となりつつあるようです。巷間、公明党はよく頑張った、与党にとどまり歯止めとなったという弁護論もあるようですが、安倍晋三首相の課題は軍事面での質的転換(自衛隊の軍隊化)でした。
 すでに継ぎはぎだらけとなって限界に達していた自衛隊の〝任務〟に、「戦闘への参加」を書き加えることだったのです。この点で公明党山口那津男代表は与えられた役割をよく果たし、自衛隊員を「殺し、殺される」位置へと追いやったのです。変節を認めないで詭弁を弄している姿は醜悪であり、その罪は深いのです。
 4面では世界的な反動化の動きについて論じ、その傾向は「民主主義から独裁へ」としています。第2次安倍政権の登場も、戦後民主主義の主柱である憲法への攻撃も、同じ流れのなかにあると評しています。世情における極端な排外的行動を安倍首相らは否定してみせますが、彼らこそそうした勢力を呼び起こし、行動へと走らせているのではないでしょうか。
 7月8日、大阪高裁において在特会の街宣は違法、「人種差別に当たり、法の保護に値しない」(神戸新聞報道)との判決が下されました。もとより、子どもたちが学ぶ京都朝鮮学園に向けて「朝鮮人を保健所で処分しろ」「スパイの子ども」といった攻撃を行うことが、表現の自由などとして許容されるはずもないのです。
 異質なものや少数者を罵り、その人間性を否定する、これは完全に安倍首相と同じ思考、行動パターンです。この相関関係が相乗効果となり、その行き着く先は暴力による排除であり、軍事力による外交の決着です。新聞に寄せられる庶民の願いは、彼らには届かないのでしょう。
「集団的自衛権が閣議決定され、がく然としています。やり場のない思いに押しつぶされそうです。戦中、戦後つらい思いをして生きてきました。いとこも戦争で亡くなり、九死に一生を得て帰ってきた主人も『特攻崩れ』と非難されて。私の先はもう長くないけど、そんな時代がまた来るのでしょうか。孫、ひ孫たちが銃を握るのでしょうか。絶対戦争は駄目です」(イイミミ・79歳主婦)
 8面には武器展示会に出向き、模擬銃を構えて喜ぶ防衛副大臣の写真が掲載されています。なんとまあお気楽に、殺人マシーン市場への日本企業進出の宣伝に努めているのです。武器輸出3原則の破棄によるものですが、安倍首相によるやりたい放題も、気ままな行き当たりばったりではなく、背後にある国家官僚の思惑を忘れてはならないでしょう。それと同じくらい、背後で資本が利益の確保を要求していることも忘れてはならないでしょう。(晴)
  号案内へ戻る