ワーカーズ520号  2014/9/15  号案内へに戻る

 見るも“無惨な”安倍改造内閣--安倍政権の終わりの始まり

 九月三日、安倍首相は内閣改造と自民党の役員人事を行う。改造しない内閣記録を更新した安倍首相は「日本を取り戻す戦いの第2章」として、内閣改造を断行したのだ。
 まずは女性大臣の大幅起用を謳いながら実際には五名、そうなったのも多数の留任大臣の存在である。内閣の要となる官房長官、財務、外務、文科、国交、経済再生の主要閣僚がその儘残留。これでは内閣改造の実が全くない。安倍総理にこの自覚ありやなしや。
 アベノミクス効果に実感がわかないとする労働者市民との乖離が深刻化している。経済指標を確認すれば四月の消費税増税で四半期のGDP年率七・一%減。景気後退が誰の目にも明らかになる。既に経済悪化の兆候は年明けから明確だったのに、「景気回復」と言い続けた甘利大臣と来年十月からの消費税十%を「予定通り」と繰り返す麻生大臣。この無策の故彼らの更迭が必要なのに、残留させた安倍総理の政治責任は追及されるべきだ。
 更に安倍首相の靖国路線の為、冷え込む中韓との関係。打開できない岸田大臣がいる。米EUと露の駆け引きで日々深刻化するウクライナ情勢。それを唯々無為無策に傍観するだけ。まさに無能そのもので呆れた果てた日本外交を人格的に象徴する大臣ではある。
 他方で新任閣僚や新任党幹部には、総理のお友達が勢揃い。それも右翼的な「日本会議」と「カジノ議連」の面々だ。特に稲田政調会長と側近の高市大臣は「靖国神社に参拝する国会議員の会」の主要メンバーであり、毎年8月15日に靖国に行く。更に山谷拉致担当大臣も、又靖国と尖閣問題に取り組む領土議連の会長を務める超タカ派だ。そして何と彼女達は「来年(戦後70年)、安倍晋三首相が何らかの談話を出す。その内容に大いに期待」と河野談話の継承を明言する安倍総理を、その背後から撃つ獅子身中の虫達なのだ。
 まさに実力もなく華もない見るも“無残な”安倍改造内閣ではある。英エコノミスト誌は<右派が入閣すれば、近隣諸国との関係が悪化する>と警告したが、中韓には強腰、米国には一転弱腰、更に国際社会に敵対するA戦犯を擁護して恥じない安倍改造内閣である。
 その意味において、今回の安倍改造内閣は安倍政権の終わりの始まりである。(直木)


 再び泥沼にはまりつつある軍事超大国

●米国とロシア  崖っぷちの選択
 国際政治では、二つ問題の経過が注目を集めている。
一つは、「イスラム国」を標的とした米軍のイラクの爆撃が、シリアへと拡大され、さらに地上戦へと拡大されるのではないか、と懸念されている。(シリア空爆のオバマの決定が下ったようだ)
 もう一つは、ウクライナ紛争である。EU加盟をめぐって国内が二分されてきたが、ロシア人排外主が台頭。東部2州のロシア系住民が独立を宣言し6月には侵攻したウクライナ軍と内戦状態に突入した。
 7月には、米国、EUの支援を得たウクライナ軍が体勢を立て直し東部ウクライナに進出したが、親ロシア派もロシアの後押しをうけて押し返すなど激しい戦闘になっている。ロシア軍の侵入は確実視されている。
 ロシアのプーチンは、クリミヤ半島に続いて、東部ウクライナへの進軍を虎視眈々と伺っている。

●厭戦気分の米国国民
 イラク戦争で米兵の戦死者が増えたと言うだけではなく、二百万の帰還兵のうち六十万人が「心的外傷後ストレス障害」を患っている。日常生活に正常に復帰できていないという。
 オバマ政権と米軍部は、政治目標としてむしろ泥沼のアフガンやイラク戦争を切り上げようとしてきた。勝利の出口が見えない戦争に、国民も兵もとうに戦意が失われている。
「テロリスト」に個々の戦闘では勝利できても、「欧米的支配の確立」にはほど遠く戦略的には完全に敗北しつつあるのだ事実だ。
 アフガン介入(2001年)→イラク戦争(2003年)→イラク内戦→アフガン内戦と現在まで十四年を超えてうち続いた戦争に、さすがの米軍も疲弊し士気の低下が現実のものとなってきているのだ。中東での「米国に対する憎悪」だけが残った。
 オバマ大統領は、今年中の戦闘部隊のアフガン撤退と16年の完全撤退をすでに表明している。当然だ。
  国民も、海外での兵士の無駄死に疑問を募らせてきた。地道な反戦活動も広がった。

●動くべきでない米国政府
 オバマ政権が、イラクへの「軍事介入は限定的」「空爆のみで地上戦はない」をくり返すのは上記の理由による。
 ところが、「イスラム国」の米国人ジャーナリストの公開処刑(先週)に端を発して、いつものごとく共和党を中心とするタカ派議員と軍産複合体のロビーが、本格的な軍事介入を求めて圧力を強めている。国民世論も変化するきざしがある。 
 オバマ政権は動揺しているが、当面米国のイラク・シリア全面介入は困難と見られている。しかし、それ以上に米国は海外軍事展開をやめるべきなのだ。
 この十四年間の米国軍の「戦果」を見るがよい!イラクやアフガンの治安確保どころか、各地で紛争を煽っているのが現状ではないか。今、リビアでも、アラブの春に乗じて、NATO軍が介入(2011年)し宿敵カダフィ政権を打倒したが、それから三年。リビア国内は内乱状態ではないか。

 軍産複合体、とりわけ軍需産業は米国産業界の重鎮である。彼らは、「もうけ」のために世界中に武器を売り込み、紛争を拡大し、また、米軍の軍事介入を好むタカ派である。強力なロビー活動とプロパガンダで、政治を狂わせ国民を誤った戦争にみちびいてきた。
 だから、少なくとも米国民は知るべきだ。「イスラム国」の野蛮な挑発の狙いは、「悪魔」の米軍を引きずり出すことだ。米軍との戦争こそ彼らの正当性の証明だと信じているのだ。米軍の介入は「狂ったイスラム国」の思うつぼなのだ。米兵やイラク兵を再び犬死にさせてはならない。
 当然、米国の無意味な軍事介入に、多くの米国民は反対するだろうし(最新の世論調査でも六割はシリア空爆に反対しているという)、中東での戦火の拡大を許してはならない。

●隠しきれない野望  プーチン
 ウクライナの東部は、ロシア系住民が多いと言われる。去年から今年にかけて勢いを増した首都キエフの反大統領・反ロシア運動に対抗するかのように、ドネツク、ルガンスク東部2州は独立(ロシアへの帰属を前提としている。)を宣言している。
 「旧ソ連邦」の復活、強いロシアを目指すプーチンからすれば、少なくとも東ウクライナが、格好の獲物であることは疑う余地もない。現在の「停戦」を利用しつつプーチンは、オバマ大統領とは違って戦端の機会をうかがっている。ウクライナ内戦が長引けば、いずれかの時点で電撃的に侵攻する可能性がある、南オセチア・アブハジアのように(2008年)。これから口実はなんとでもつくれる。軍事演習を繰り返しプーチンは牙を研いでいる。
 今後、NATOとロシアの対決という、きわめて危険な局面も予想される。

●公正な住民投票でNATOとロシアの対決を避けようーー住民こそが帰属を決める!
 ロシアにとってEUとの歴史的・経済的結びつきは密接である。ロシアの天然資源とEUの生鮮食料品は互いの国民生活にとって必需品となっている。先月ロシアも参加するBRICs開発銀行が設立されるなど、「脱西側依存」を展望するプーチンだが、現在はとてもEUと比較しうる段階でもない。EUとの関係を失うわけにはいかないはずだ、これがプーチンの悩みだろう。
 さらに重要なのは、ドネツク等東部州の住民の帰属意識だ。この明確な意志だけが、軍事大国や軍事ブロックの暴走を阻止できる。今ではそれが切り札だ。
 米国とEU、ロシアそしてポロシェンコウクライナ大統領は、ドネツク、ルガンスク両州の公正な住民投票に基づき意思の確認をすべきで、結果次第で独立ないしは強い自治権の掌握を認めるべきだ。これが認められないなら、欧米「民主主義」は虚偽となる。

●資金と兵器を止めよう!
 中東情勢とウクライナ情勢に暗雲が広がっている。それは単に、シーア派とスンニ派、「イスラム国」とクルド人の闘いだけではない。ウクライナ人とロシア系住民の紛争と言うことでもない。
 この、緊迫した状況の中で、米国とロシアが軍事的介入していること、そしてこれら敵対勢力に対して武器の大量供与を開始していることだ。
 「ウクライナの停戦」がある程度守られている、一つの理由は戦局の不利なウクライナ軍が米国やNATOの武器の到着を待っているからなのだ。つまり体制立て直しの時間にしか過ぎない可能性がある。死の商人達の武器が、こうして紛争地域に大量に移動されつつある。
 中東においても、米国の空爆をサポートする「地上軍」はイラク政府軍であり、クルド人であり、「自由シリア」軍である。その目的で彼らへの一層の武器供与をオバマ政権は確約した。これでは、「イスラム国」が打倒されても、そのごのイラクの混乱は目に見えている。

●超大国の勝手を許さない時代を
 軍事超大国の、勝手な軍事行動が許されるわけもない。戦争なき世界、核なき世界を展望したいところだが、すぐにはムリだ。だからといって、何もできないわけではない、全く状況が悪いわけではない。
 すでに述べたように、ズバ抜けた米国の軍事力をもってしても、イラク、アフガンでほとんど何の成果も上げることはできなかった。軍事力に物を言わす、だけでは何も解決できない時代なのだ。
 今大切なことは、民族や宗派の「自治」「独立」を大胆かつ平和りに承認することである。くりかえすが、戦乱を終息させるためには、ウクライナ東部2州の「独立」を視野に入れるべきだ。同時に、イラクでは、クルド人国家の「独立」は不可避だと考えられる。紛争の種を一つ一つ解決してゆくべきなのだ。そのような国際世論の流れをうみだそう。
 そもそも「国家」とは擬制である。
 現在は、経済的な結びつきが国際規模で飛躍的に発展した。人的交流も過去の比ではない。超大国による軍事力の行使も、あきらかにこのような新しい状況の影響を受けている。
 逆に言えば、国家間の平和や安定こそが、国民・市民・労働者の利益であり、戦争はそれに逆行するということがより明確である。利益を得るのは各国の軍産複合体のみである。

 フランスとドイツは、長年炭鉱資源の豊かなアルザス・ロレーヌを巡って戦った。しかし、共同管理の下で活用した方が「得」なのだ。それが後に実現した。この共同管理組織はEUへと発展した。
 一方では、紛争が絶えないセルビアとボスニアヘルツェゴビナの分割自治、チェコとスロバキアの分割などがある。スコットランドの「独立投票」が目前だが、「平和的分離」のよい先例となる可能性がある。
 不戦は国民的課題である。国家間、宗派・民族間の友好協力に逆行する「戦争勢力」を監視し、反対の声を揚げてゆこう。(文)号案内へに戻る


 『昭和天皇実録』の公表について

 9月9日、『昭和天皇実録』が公表されました。昭和天皇の87年の生涯にわたる初めての公式記録です。
 宮内庁が24年をかけ進めた一大事業だけに、新事実の発見に期待が集まっりましたが、「昭和史を塗り替えるような新事実はない」と分析を進めている専門家たちは失望を隠せないようです。
 全国紙はこれに関連して一大キャンペンを貼ったが、そこには宮内庁の作為がありありと見え隠れしていたからです。以下に具体的に列挙してゆきます。
 まず宮内庁は、編修にあたり、確実な史料に基づき「ありのまま叙述」する事を基本方針とし、史料により内容が異なる場合は、「可能な限り検討した上で」(同庁書陵部)簡単な記述に留めたケースや、両論併記の部分があります。なんですかこれ。しっかりと資料批判をした上で白黒は付けなくて良いのでしょうか。
 まず1945年(昭和20年)9月27日の連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーとの第1回会見が、その代表例です。「戦争の全責任を負う者として、私自身を委ねるためお訪ねした」という昭和天皇の有名な発言がマッカーサーの回想記にあります。だが外務省と宮内庁が2002年に公開した会見公式記録にはこの発言はないのです。この点、研究者は天皇発言は捏造だとしています。
 『実録』は、戦争責任への言及がない公式記録の全文を載せる一方で、マッカーサーの回想記の一文も引用し、両論併記しました。マッカーサーとの会見は全11回のうち10回分の公式記録は確認されていないとしました。更には武装解除された今、沖縄に米軍基地があることは米国と日本にとって意義があるとの天皇発言も封印されているようです。
 今回、宮内庁は米国にも職員を派遣して調査したが、新史料は発見できなかったと全く白々しい嘘を平然と書いています。何も米国まで行かなくても足下の日本にあるのです。
 岩波書店から出版されている岩波現代文庫・豊下楢彦氏『昭和天皇・マッカーサー会見』とは偽書なのでしょうか。更には同文庫にある新藤榮一氏『分割された領土 もうひとつの戦後史』、また高橋紘氏『昭和天皇 1945~1948』の私に言わせれば天皇三部作とも言うべき著作との整合性は一体どのように取っているのでしょうか。私には大いに関心があります。
 私が結論的に言えば、宮内省はそれらの著書で解明された昭和天皇の行動の核心を隠すつもりなのだと断定せざるをえません。
 もう一つ、天皇の「本音」を知る重要な手掛かりになるのが『拝聴録』の存在です。戦前や戦中の出来事を戦後になってから天皇が側近に語り、彼らがまとめられた物です。
 複数回作成された事はこれまで知られており、元宮内省御用掛の遺品の中から見つかり、90年に月刊誌で発表された『昭和天皇独白録』は、その一つとされています。
 これについても編修にあたって宮内庁は『拝聴録』の原文を探したが、所在は確認できなかったとしています。例外は占領期の「退位問題」について、天皇が1968年(昭和43年)に回顧していた事は、聞き取りに関わっていた側近の関係史料などから特定されたといいます。確かに米国サイドから暴露された『富田メモ』の撤回は困難であります。しかしその他の膨大な資料の存在を、またしても宮内省は封印して、一部の都合の良いものだけを取り上げたのです。
 安倍内閣との関連で焦点となる靖国神社のA級戦犯合祀と昭和天皇の参拝見送りとの関係についても、『実録』は判断停止状態なのです。2006年に見つかった富田朝彦・元宮内庁長官の手帳メモには、天皇がA級戦犯合祀に不快感を示し、それ以降参拝しなかったとする内容が書かれています。しかし実録では、1988年(昭和63年)4月28日に天皇が富田長官に「靖国神社のA級戦犯合祀、御参拝について述べられる」とだけ記した。宮内庁は「富田メモは断片的でいくつも解釈ができるため、正確な気持ちがわからなかった」と説明して、この点にも白黒をはっきりさせていません。
 1947年(昭和22年)9月に天皇が宮内府御用掛を通じて、米国に沖縄を長期間にわたって軍事占領する事を希望したとされる「沖縄メッセージ」についても、天皇が御用掛に会った事や、後年、米国から文書が見つかった事は記されたが、天皇が御用掛にこうした発言をしたかどうかにはほっかむりを決め込んでいるのです。
 こうした言動が盛りこまれなかったことについて、宮内庁は「確実な史料が少なく、また信憑性が乏しかった」と説明しました。私が先に挙げた天皇三部作は天皇に関心がある全ての人が読むべき生きた政治資料ではないでしょうか。宮内省は、ここでも新聞記者の無知につけ込んで真実の隠蔽を画策しています。
 他方で、実録が事実を“確定”したケースもあります。1929年(昭和4年)6月27日、張作霖爆殺事件の処分を巡り、天皇が当時の田中義一首相を厳しく叱責した事です。
 天皇は『独白録』で「辞表を出してはどうかと強い語気で云つた」と振り返っていますが、当時の重臣の日記などから「辞表までは求めなかった」との学説もありました。実録は、「辞表提出の意をもって責任を明らかにする」よう求めたと明記し、『独白録』説を取ったのです。宮内庁は「侍従日誌なども検討して掲載を判断した」と説明しています。
 宮内庁は、『実録』の編修作業の過程で「取材」を行い、元侍従長の百武三郎の日記など、存在が知られていなかった約40件の外部史料を発掘しました。これまで未公開だった『お手元文書(皇室文書)』も引用していますが、それらは昭和天皇に対する印象操作、つまり昭和天皇は平和天皇だとの印象操作のために選び抜かれたものばかりです。
 その観点からこうした見方が出来る資料を用いて『実録』は、2・26事件を初め、重大時の時々刻々、そして天皇の衣食住の有り様から、生物学者としての研究ぶり、見た映画の題名迄明らかしました。天皇の「心労」「落涙」など身近な人たちしか分からない心の内も、要所要所で書き、戦争と平和の時代を生きた天皇の複雑な思いも伝えています。
 今回の『実録』の公開とは、まさにこういう見方を定着させるためのもので、昭和史の前期を戦争を生々しく精緻に書く事をためらい、大元帥であった昭和天皇の姿を平和天皇に名の下に巧妙に押し隠す意図を持っていると私は断言するものです。   (猪瀬)
 今後の参考のために新聞報道された◆昭和天皇を巡る残された謎(→は実録の内容)◆を紹介しておきます。
◇マッカーサーとの会見で、「戦争の全責任を負う者として私自身を委ねる」と語ったか→「語った」とするマッカーサーの回想記と、その発言が不記載の公式記録の両論を併記
◇複数作成された『拝聴録』の行方は→宮内庁は2回調査したが、原本は見つからず
◇靖国神社の参拝見送りはA級戦犯合祀が原因か→史料の解釈が分かれるとして断定せず
◇米国に沖縄の長期軍事占領を希望したか→天皇の意向かどうかは特定せず号案内へに戻る


 何でも紹介・・・「眼の奧の森」(2009年)目取真俊著

 著者は、1960年沖縄県今帰仁村生まれ。1997年「水滴」で第117回芥川賞受賞。今も沖縄県北部に住む。
「眼の奧の森」は、戦争中沖縄北部の島での、米兵4人による17歳の少女小夜子への強姦事件を軸に、関わりのあった人物10人それぞれに物語らせるという意表を突く構成になっている。事件による深い傷は、小夜子をはじめ家族や、復讐する村の若者盛治ら周囲を嵐の中に突き落とし、そして何十年後の今もなお、その苦しみは途切れることがない。
読んでいて、そのあまりの酷さ、生々しさに息が詰まり胸がかきむしられる。過去の事件を取り上げつつ、現在に深く問題を突きつける優れた作品だ。

1995年の米兵3人による少女強姦事件をきっかけに、繰り返される米兵の犯罪に激しい怒りを爆発させた沖縄県民の強い抗議は、日米両政府を揺り動かし「普天間基地返還」が表明された。しかしそれは、県民の望む基地閉鎖・返還ではなく、辺野古への移設を条件とした「より強固な新基地建設」というとんでもないものだった。県民の怒りは、日米両政府によってものの見事に裏切られ、あるいはまた「利用された」と言うべきなのか。
1972年沖縄返還の時、撤退しようとした米軍を引き留めたのは、日本政府だったという。以来「米軍・米国の言いなり」を装い、日本の軍拡のために沖縄の基地を利用しているのかと勘ぐりたくなる。100年200年耐用と言われている辺野古の新基地は、軍事費を膨大に膨らませている日本が使用する目論見もあるのではないか。今の強硬な工事の進め方は、常軌を逸している。「世界一危険な普天間基地の固定化はあってはならない。一日も早い辺野古への移設を」と繰り返す政府だが、その固定化を強いているのは当の政府だし、さらに強化された新基地負担を強引に強いようとしているのも政府だ。

昨年夏、私の数少ない東村高江ヘリパッド建設反対の座り込み体験で、一緒にゲート前に立ちながら、ずっと読書をしている人がいた。日没後には、懐中電灯で照らしながらもなお読み続けていた人、それが目取真俊氏だった。「本を読む時間が欲しい!」と言いながら、いつも基地反対の闘いの中に身を置いて地道に抗議を続けている。
 生まれ故郷の豊かな自然の破壊、人間の尊厳を踏みにじる行為への怒り・・・。米軍基地から遠く離れた私たち、政府見解ばかりが報道されるヤマトに住む私たちは、どこか無関心に傾きがちだ。彼の本を手に取って欲しい。小説の他に『沖縄「戦後」ゼロ年』などの時事評論集もある。彼は今日も、辺野古の海でカヌーに乗り闘っている。(澄)号案内へに戻る


 シリーズ 「田母神」を読む 『戦争大学』②ーー世界平和のために「核を持とう」?

 「核兵器は徹底的な防御用の兵器」だと田母神氏は断定する。
「中国のミサイル・・狙いは日米同盟のなかの在日米軍なのです。かつてのソ連や今のロシアとも、アメリカはほんとうにお互いに狙いあっているのです。」
核兵器は「撃ち込めば、今度は報復されることになり、自分が困るわけですからね。まず使う可能性は限りなくゼロでしょう」
「核武装しないよりは、核武装した方が安全なのです」
「だから、みんな独自に核を持とうとしているのです。国際的には核を持ってはいけないと言いながら、どんどん独自で開発して、イスラエル、パキスタン、インド・・みんな核を持った。」
田母神氏の結論は、平和のためには「日本も核武装しなければならない」なのだ。
 冷戦後の(最近雲行きが怪しいが)デタントの時代に、核拡散の合理性や正当性を論ずる田母神氏にはあきれるという他はない。

 この考えは、前回の「軍事が強ければ攻められない、戦争がなく平和でいられる」という田母神氏の考えの延長であるのは明らかだ。

●核兵器使用は「敷居が高い」か?
 田母神氏がくどくど書いていることは、冷戦時代からいろいろ言われてきた「相互確証破壊理論」である。
 この「理論」は、一方が核の引き金を引き、相手を破滅させても、次に残存核兵器でこちらも自滅をもたらすだろう、ゆえにどちらも「核のボタンは押せない」、ということだ。田母神氏は、この論理に従って、都合よく日本の「核防衛」「核武装」を叫ぶ。
 しかし、田母神氏はそのあとのことを言わない。当然、氏は知っているはずだが、それを隠して冷戦時代を知らない世代をだまし込む考えなのだ。氏の「情報戦」というわけだ。
 真実を語るべきだ。たとえば弾道ミサイルの迎撃システムのことだ。科学技術は残念なことに日進月歩だ。数発、いや数十発の弾道ミサイルを迎撃できれば、「相互確証破壊」というバランスが崩れるのだ。
 つまり、膨大な資金を投入して科学技術が進歩すると、敷居は下がってゆく。核兵器も「使える兵器」となりうるのである。
 つまり、「相互確証破壊」のような米ソの軍産複合体に都合のよい「理論」は、世界を破滅の淵に追いやるだけなのだ。この危険な冷戦理論を、再び田母神氏はもちだしているのだ。 
 このことから知られるように田母神氏は戦後の政治や経済の進展から何も学ぼうとしてない、古い軍人なのだ。

●相互確証破壊による「平和」を拒否する
 軍事力の増大、言わんや核武装から「日本の平和が実現する」という田母神氏の狂った思考回路にはあきれるばかりだ。
 軍人という狭い視野。強大な軍隊や軍事バランスという観点からだけ、「平和」を理解できる。核が持つ国があるなら日本も核武装をという。 
 旧ソ連が軍拡競争にギブアップするかたちでポスト冷戦時代となり、曲がりなりにも核軍縮、核無き世界に一歩でも近づく努力がなされた。
 こんなときに、日本が「核保有国」になるメリットはほとんど無い。国際政治上は自殺行為だと言ってもよい。
 われわれは確認したい。田母神氏とは逆である。軍事拡張は戦争の道であると。そして「相互確証破壊」理論は、米ソの軍拡の理論であり、平和ではなく破滅の道だと。

●政治と経済が先導する国家間安定
 そもそも、田母神氏の言うように「非力」な国は弱く侵略され戦争が絶えないのか?ヨーロッパでもドイツにかつて蹂躙されたオランダ、オーストリアその他がある。彼らはどの様にしてその後「平和」なのか?これは例外の話しではない。
 はっきり言えば、国家間戦争は第2次大戦後激減した。その前の十九世紀から二十世紀初頭の時代百年間と比較してみればよいのではないのか。その時代、ヨーロッパはもちろん、アジアでも日本を中心として幾多の戦争が人と人を戦わせたことか。
 それが現在では激減した理由は何か?まがりなりにも「平和」が維持されてきたのは何故か?このように問題を立てるべきではないのか。
 グローバルな人的交流と経済的結びつきの増大と、EU,ASEANなどに代表される多様な政治的枠組の形成が、国際紛争を制御する大きな役割を果たしていることが分かるだろう。
 
●矛盾する田母神理論
 ついでながら、氏の矛盾や混乱も指摘しておこう。
「北朝鮮がある日突然、何もない日本にミサイルを撃ち込んでくる等と言うことは、あるわけがない。彼らだって国家の指導者なのだから。・・北だって(核ミサイル)をうたないですよ。」
 論理的な整合性に無頓着な田母神氏は、突然こうしたことも言う。それなら私は言いたい「田母神理論は自己撞着だ、それなら日本が核武装する意味はないのでは?」氏は「日本核武装論」を撤回すべきだ、と!

 あるいは、氏の認識では、中国は現在日本に戦争を仕掛けないという。理由は、①「自衛隊の武力にかなわないことを知っているから」②「経済的結びつきが強くなっており戦争はできない」と。
 田母神氏が現実の国際情勢を無視できず、特に②の理由を挙げるのであれば、そのなかから日中戦争ではなく日中平和発展の手がかりを見いだすべきではないのか。(つづく)

 【田母神俊雄氏は元航空幕僚長。彼の名が知られるようになったのは、懸賞論文「日本は侵略国であったのか」が、当時の政府見解と対立し、職を解かれたことだ。その後、右翼反動論壇の中心人物となる。今年の都知事選に出馬。落選したが歯に衣着せぬ主張で約六十一万票を獲得、政治家として第一歩をを踏み出した。1948年生まれ。】号案内へに戻る


 連載25回 オジンの新◆経済学講座ーー雇用労働と搾取 上藤 拾太郎

 今日は、仕事の手を休めて、ゆったりと書いてみよう。

 「ザックリ言えばこうかな。家電製造企業で八時間組み立て労働をし、君たち10人がそれぞれ労賃一万円の契約をしたとする(十万円の労賃)。会社が手配した部品購入代が十万円だったとする。(減価償却や電気代などは無視して)
 実際にこの完成品が三十万で売れたとすれば、この会社が出費した額(人件費と材料費で二十万円)との差額「十万円」が搾取となる。」(前回)

●労賃を超えて労働者は価値を生み出している
重要なのでこのことをもっと考えてみるぞ。
 この「新価値」十万円分がどこから生じたのか。資本家は、言うまでもないが「もうけ=利潤」のために資材・部品を購入し、そして労働者と雇用契約を結ぶ。その必要経費額が上の想定では二十万円だ。それが三十万円でうれるとすれば、「十万円」相当分は、どこから生まれたのか?ここに「搾取」のヒミツの鍵がある。
 機械のさまざまなパーツは、本体に組み込まれ、その「価値」を保存するだけだ。価値が損なわれることはあっても増えたりはしない。ただ、「労働力」だけが、労働力の価値(賃金)を越えて増殖した価値をもたらすのである。
 というのは、労働力の価値(賃金)は、他のどの商品でも同じように、その「生産費」なのであるのに、それを越えて継続しうるからだ。

●賃金と剰余価値
 労働力の値段である賃金(再生産費)は、時代によって大方は定まっている。労働者はこの賃金で、食べ、飲み、服を買い家を借りる。本も読み、たまには旅行もするし、家族ができれば養うための収入となる。このようにして、賃金を頼りとして日々を生きてゆく。いつの時代もそうだ。
 労働市場で企業が労働力を購入する資本主義社会では、労働力(労働者)は一つの商品であり、だから労賃は生産費ないしは日々の「再生産費」なのである。
 上記の例の場合は、四時間の労働が「賃金」に相当する。
 だから、この例の労働者が、八時間働くと言うことは、労賃を超えて「剰余価値」を生み出していると言うことになる。この例で剰余価値率(搾取率と読み替えてもよい)は。
剰余価値率(%)=剰余価値(不払い労働)/賃金(支払い労働)×100=100%
 くりかえすが、ここで重要なのは、労働者が行使する生きた、新しい労働は、労働力の再生産費(四時間労働分)を越えて八時間も継続されうると言うことなのだ。この場合でも一人あたり新たに四時間の労働を剰余として付け加えている。
 八時間の労働契約にある労働者にとって、手元に残るのは労賃(日当)一万円のみだ。
完成品も、したがって販売後の収益も全額資本家の手中にのこる。

 つまり労働者は、一万円の賃金で八時間働くし、資本の指示で、十二時間働かされることもあり得るのだ。残業代ゼロのブラック企業ならば、こうなる。賃金相当分の四時間労働を越えて継続された八時間が不払い労働となる。剰余価値率は
  不払い労働(8h)/支払い労働(4h)×100=200%となる。
 たしかに強搾取だ。
*   *   *   *   *   *   *   *   *
 ○○年前読んだ『資本論』を思い出して、ボチボチ書いてみたが、怪しいとこもあったかな? (つづく)

 
 第21回 全国オンブズマン岩手大会報告 

 第21回全国市民オンブズマン岩手大会が9月6・7日、盛岡にて開催された。参加者は約160名で残念ながら漸減傾向にある。それでも、2日目の会場が岩手大学ということもあってか、会場には大学生と思しき若者もちらほらあった。御多分に漏れずオンブズ活動も高齢化が進み、若者の参加は貴重で、老人力が持続する間に次世代を育てあげなければならない。
 さて今大会は「じぇじぇじぇ、これでいいのか」と、①秘密保護法、②政務活動費、③ギャンブル問題、④地方自治法改正問題の4分科会が開催された。今やあれもこれも「これでいいのか!」と叫びたくなることばかりで、すべてを網羅することは不可能だし、何を選び出すのかも迷うところだ。以下、全体会と②と③の分会について、2名の参加者報告をお届けしよう。 (折口晴夫)

 じぇじぇじぇ、これでいいのか秘密保護法・公共事業

 今大会の講演者は日弁連秘密保護法対策本部事務局長を務めていた清水勉弁護士。今は「情報保全諮問会議」委員であるが、オンブズの身内による講演だったので、諮問会議についてもざっくばらんに語った。経歴を見ただけだと、特定秘密保護法反対から賛成に変わったのかと誤解されかねないが、「必要のない法律である」という立場を堅持し、これまでと違ったかたちで反対していくということだった。
 特定秘密保護法と情報公開は表裏の関係だということ。情報公開は市町村に条例から国の法制へと進んだ。その時に情報公開の例外、非開示情報を除き公開する(法第5条「行政文書の開示義務」)がつくられてしまった。その一部を対象にした秘密の取り扱いを定めたものが特定秘密保護法である。
 情報の開示義務を定めた条文に非開示の根拠を入れ込み、これを盾に自分たちに都合の悪い情報を隠し、開示してもあれもこれも真っ黒にスミ塗りする、この国の官僚は実に悪がしこい習性をもっている。反対派もいれて、審議会等の公正さを装う術も心得ている。そうした官僚をも思い知らせる、そうした働きを清水さんに求めたい。
 全体会で披露された寸劇「軽過失免責で心配ご無用」はなかなかの出来で、会場を大いに笑わせた。内容は予算を私物化した市長が告発されるというもので、現在は軽微な故意過失でも法的責任を問われるが、地方自治法の改定で故意重過失とか限度額が決められるとか。地方制度調査会でこの悪巧みが考えられたのだが、首長らが住民訴訟での高額返還におびえて泣きついたもので、もう住民訴訟で責任を取らせることが出来なくなる危険性がある。
 公共事業については需要予測の問題や談合・落札率について報告があった。需要予測というのは空港や地下鉄を建設するための過大な需要予測をでっち上げ、ダムを建設するために洪水の危機を煽る、等の公共事業建設手法の問題だ。公共事業の落札率は下げ止まりから上昇へと転じている。東日本大震災や東京五輪決、安倍政権の高度強靭化という公共事業増大の影響があり、談合ありを示す落札率95%以上が増えているということだ。
 具体的な事例として報告された川崎港のガントリークレーン建設問題では、川崎港を利用するコンテナ需要を過大に設定し、すでに2基目が遊んでいる状態なのに3基目まで建設しようというものだ。しかもひとつしかないコンテナ岸壁を3つに増やそうとしており、報告では「コンテナが10倍に増えるという根拠はどこにも示されておらず、大規模な埋め立て工事に必要となる大量の土砂は、リニアモーターカーの工事残土を充てるのではないかという疑念もある」と記している。

 大会では当然にも野々村事件について時間が割かれ、兵庫からの報告が行われた。分科会ではそれ以外に、2012年度政務調査費支出と13年度政務活動費支出について、地方自治法改定による支出枠の拡大の影響が調査報告された。中核市以上の全国調査結果では支出(金額と比率)が減少した自治体もあるが、やはり増加した自治体の方が多かったのいう結果が出た。
 当初、これまでオンブズ活動が勝ち取ってきた多くの成果、判例が無にされるのではないかと危惧されていたが、新設された「要請陳情活動費」という項目での支出はそれほどでもなかった。条例改定があったとはいえ、議員らも大っぴらな支出拡大には躊躇しているのだろう。議員の姿勢として、大多数は自由に使いたい、年度末に使い残したお金を返したくないというのが本音だろう。
 野々村事件について、分科会では外部からの監視がなかったために全くのでたらめ支出がまかり通ってしまったとまとめられた。兵庫からの参加者はそれぞれ発言し、私もその野々村県議を当選させてしまった西宮市からの参加者として発言した。このような人物を県議にしてしまった市民にも責任があることなどに触れ、野々村県議の悪事発覚は氷山の一角にすぎないことなどを述べた。
 自分が投票した議員が議会でどのように発言し行動しているかを監視しなければならない。今回の事件に引き付けるならどのような支出をしているのか領収書等の閲覧を行い、議員にお任せから脱却しなければならない。それなくして、デタラメ議員を退場させることはできない。分科会では、さしあたっての取り組みとして会計帳簿をホームページ上で公開することが提起され、大会宣言でもそう確認された。 (晴)

 誰にでも起こりうるギャンブル依存症

 毎年、課題テーマには事欠かない状況ですが、今年は数か月に渡って話題になった政務活動費の他に、秘密保護法、公共事業、ギャンブル問題と3つに絞り報告・討論されました。1日目の全体会を経て、2日目は分科会で4つの分科会に分かれ議論しました。分科会は秘密保護法・政務活動費・ギャンブル問題・地方自治法改正問題で、私は、全体会で事前に説明があり興味をもったギャンブル問題にしました。
 ギャンブル問題がなぜオンブズ活動に関係しているのか? 最初私は、ギャンブルなんて自制心の無い人がはまり込む、個人的な問題でしょ! と思っていました。ところが、話を聞いて行くうちに、問題はギャンブルを提供している側により責任があること、しかも、「カジノ解禁推進法案」が秋の臨時国会で審議されることの重大さに、びっくりしてしまいました。同時に、何も知らなかった自分に反省するしかありませんでした。
 分科会は「人と社会とまちを破壊するパチンコ・カジノ賭博」で、ギャンブル依存症に苦しむ人々をうまないために、私たちはどのような行動をとるべきかを問い、当事者の方からの体験談も聞くこともできました。
 会の冒頭、更年期真っ只中の女性から体験談を聞きました。夫婦でパチンコ依存症になってしまい、最初は夫のパチンコ依存症が原因で離婚、夫の入院中に当事者がパチンコにはまり、借金がふくらみ自宅を売って借金を返済。その後再び元夫と同居し今に至っています。夫は職場のストレスから、妻である当事者は家庭不和などの悩みからパチンコ依存症になり、今では暇な時間を持たなくするため3つもの仕事をこなす当事者の女性。
 立ち直りのきっかけは、娘さんがパソコンから情報を得て、当事者グループ(GAギャンブラーズアノニマス)を見つけ紹介してくれたことです。まずは家族が救ってくれ、当事者グループに通いその存在価値を認識し、依存症から脱出できたということです。
その後、北海道立精神保健福祉センター所長・全国精神保健福祉センター長会会長の田辺等さんから講演を受けました。「ギャンブル依存症の病理と回復」という、依存症そのものの理解を促すための説明や、依存症が社会から生み出されていることの指摘(職場のストレスや家庭での不満などが原因・サラ金の存在が借金を膨らませる)がありました。
 依存症の有症率は、日本(2013年)の成人人口の4・8%に対し、米国(02年)1・58%、香港(01年)1・8パーセント、韓国(06年)0・8がパーセントと、日本が1番高い。なぜ、日本がこんなに高いのか? ギャンブル体験の日常化・資金入手の利便性・女性への普及など、日本社会のあり方が問われるところです。
 このギャンブル問題にいち早く取り組み、オンブズへの働きかけをされた井上善雄弁護士からのアピールがありました。特に、公認ギャンブルの持つ犯罪性に注目し、宝くじでの売り上げの1部が自治体に入り、何に使われているのか? 是非、市民オンブズマンの活動に取り入れてほしいと提起がありました。会場からは、依存症の人が身近にいた場合、どのような援助ができるのか? という質問があり、自助グループの活動への関心がうかがえました。私もよく見かける宝くじの収益で贈呈された送迎車は、ギャンブルのイメージ作りがなされ、私も騙されていたことに気づきました。時間いっぱいまで盛り上がった分科会でした。 (恵)

 大  会  宣  言 

 2014年9月6日から7日にかけて、私たちは「じぇじぇじぇ!秘密保護法・公共事業・政務活動費」というメインテーマを掲げ、第21回全国市民オンブズマン岩手大会を開催しました。
 昨年12月に成立した「秘密保護法」の施行がいよいよ秒読み段階に入る中で、秘密指定・文書保管のあり方など、市民の「知る権利」を危うくさせる実態がますます鮮明になってきました。
 政府は、アベノミクスの成長戦略の一環として大規模な公共事業による景気の浮揚をはかろうとしていますが、今回の大会において公共事業の需要予測は事業を行うための方便として「作られた需要」である実態が判明しました。
 地方議会では、政務活動費に関するあきれた支出の実態がよりいっそう明らかになるとともに、不正支出を蔓延させる制度上の欠陥も浮き彫りとなりました。議会のセクハラ発言問題を含め、議会のあり方を改革する必要性がますます高まっています。ところが、その一方で、地方行政・議会改革に不可欠な住民訴訟制度を後退させる動きが強まっています。
 私たちは、今回の大会で、市民の「知る権利」を後退させる「秘密保護法」の規制を打ち破ること、不正確な情報に基づいて公共事業を進めさせないこと、政務活動費の不正支出を監視することを議論しました。この議論を踏まえ,以下の4点を宣言します。
          記
第1 行政による不当な情報の不開示とたたかうとともに、公文書の保存・管理を徹底させる活動をすること
第2 公共事業の必要性について、市民が正しい情報に基づき議論するため需要予測の実態を解明していくこと
第3 政務活動をより透明化するため、政務活動費を支給している全議会に対し会計帳簿の提出・ホームページ上での公開を義務付けさせること
第4 住民訴訟制度の不当な改正をゆるさないこと

2014年9月7日  第21回全国市民オンブズマン岩手大会参加者一同 号案内へに戻る


 色鉛筆・・・とびっきりの笑顔

 八月二十四日、待ちに待ったフラガールズ甲子園の日。参加校は北から南まで二十四の高校です。会場のいわき芸術文化交流館アリオスは、福島県いわき市にあります。あの東日本大震災、原発事故の場所から30キロの地点で、津波の被害も多くありました。また、ハワイアンセンターもあり、フラダンスの発祥地です。地震の被害は大きく、再開に時間が、かかりました。

 なぜ東北の寒い地域で、福島県のいわき市でフラダンスが発祥の地になったのか、とても不思議に思いました。またフラガールズ甲子園に参加している高校生達が、映画フラダンスを見て感動したのがきっかけと聴き、実話をもとに作られた映画「フラガール」を見ました。
 一九六五年いわき市は炭鉱の町でした。石炭から石油へとエネルギー革命が押し寄せ、閉山が相次いでいました。労組と経営者が話し合う場面も何度も出てきます。町の危機を救うため、反対意見が多くある中、人々は「常夏の楽園」をつくろうと立ち上がります…。
 炭鉱の娘たちに、誰も見たことがないフラダンスを仕込むためにハワイアンセンターの吉本部長は東京から平山まどか先生を招きます。元花形ダンサーの彼女は、最初は田舎町を軽蔑し、まったくの、ど素人に嫌々ながら教えていたが、紀美子をはじめ炭鉱娘達のひたむきな熱意にいつしか忘れかけていた情熱を再燃させます。
 ひとりひとりの厳しい現実を抱えながらも、炭鉱娘たちは友情を支えに強く美しくフラダンスの真髄を体の中に染み込ませてゆき、常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾートハワイアンズ)のオープンの日に、とびっきりの笑顔で踊ります。
 
 映画の中で、娘がフラガールになることを反対していた炭坑で働く母親が娘が真剣に踊っている姿を見て「私の夫は落盤で死んでしまった。働くということは、暗い山の中で歯をくいしばって我慢することだと思った。でも、みんなの前で笑顔で踊ることだって働くことではないのかと、若い人がこれからこの町を支えていくことを応援していこう」と反対派の人たちを説得する姿が、とても心を打たれました。当時の新聞には炭坑節からフラダンスにと時代の変化として掲載されたそうです。炭坑は一九七〇年代に、全部閉鎖になりました。

 そんな深い歴史が刻まれたこの町、いわき市がフラガールズ甲子園開催地ということが理解できました。そして駅前のデパートには大きくポスターが貼られ、町ぐるみで応援している姿勢も強く感じました。
 特別支援学校の生徒も出場していました。夏休みも一生懸命練習をし、今日の大会を迎えたそうです。リハーサルのため前泊し、全国の高校生と交流をして、会場にいる高校生何人もが、『がんばれ』と声援を送ってくれ、とびっきりの笑顔で、上手に踊ることができました。他の高校生も毎日の練習の成果を披露していました。

 福島の福は、幸福の福、全国の高校生が福島県いわき市に訪れ、活力にみなぎっていました。今回のフラガールズ甲子園をきっかけに、コミュニティが広がり、色々なことをつうじて福興できれば、東北が「とびっきりの笑顔」になれればいいなと感じます。(弥生)


 コラムの窓・・・「安倍改造内閣に思う」

 3日、安倍首相は初の内閣改造と自民党役員人事を実施した。
 改造内閣の目玉は、「女性5人」の閣僚起用。新設の元気で豊かな地方の創生を目指す「地方創生担当大臣」に石破茂前幹事長の起用。そして、「沖縄基地負担軽減担当相」を初めて設置し菅義偉官房長官に兼務させた。
 5人の女性閣僚起用について、文芸評論家の斎藤美奈子さんは次のように述べている。
 「女王蜂症候群(クインビーシンドローム)という言葉を思い出した。男性社会で例外的に出世した名誉男性的な女性を指す、1970年代の言葉である。・・・加えて女性『活躍』大臣というふざけた名前の大臣職。前職の森雅子大臣は女性『活力』担当だったはず。活躍でも活力でも活用でもいい、要は『女活』が目的で、・・・『働け、かつ産め』が『女活』の意味かしら。女性が働き続けるには男性とのワークシェアが欠かせず、ほんとは男女共同参画(男女平等)こそ必要なのに。」(9月10日付・東京新聞)
 大臣職の名前で言えば、菅官房長官が「沖縄基地負担軽減担当相」になったが、この「負担軽減担当」というのもふざけた名前である。
 今の沖縄・辺野古の現場を見れば、海では海上保安庁の暴力的な取締りで怪我人が出る。陸では米軍ゲート前に三角形型の鉄板(殺人鉄板)を敷き詰め、工事に反対する市民がゲート前に座り込めば警官隊が強制排除するなど、国家権力を総動員した強行工事が進行しているのである。辺野古埋め立て承認取消訴訟の池宮城弁護団長は「海保の行動には正当性はなく、職権乱用も甚だしい。国民の目が届かない海でやりたい放題だ」と厳しく批判している。「沖縄基地強行突破担当相」と呼ぶほうが正しいのではないか。
 この間の沖縄を見ていれば、沖縄の民意は明確に示されている。名護市長選で辺野古移設反対の稲嶺進市長の再選。今度の名護市議選でも稲嶺市長を支える与党が14議席を獲得し(辺野古移設反対の公明2人を入れれば16人が移設反対)、11議席の野党を抑えて過半数を維持した。
 また、最近の沖縄県内世論調査でも県民の8割が「移設作業中止」求めている。(8月26日付「琉球新報」から)
 『琉球新報社は沖縄テレビ放送(OTV)と合同で8月23・24の両日、政府が米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた海底ボーリング調査を開始したことに関する県内電話世論調査を実施した。「移設作業は中止すべきだ」との回答が80・2%に上り、「そのまま進めるべきだ」の19・8%を大きく上回った。安倍政権を支持するとの回答は18・6%にとどまり、不支持が81・5%に達した。地元名護市などが反対する中、移設作業を強行する安倍政権に対する反発の広がりが浮き彫りとなった。仲井真弘多知事がどう対応すべきかに関しては「埋め立て承認判断を取り消し、計画そのものをやめさせるべきだ」の回答が53・8%と5割を超えた。「作業に協力すべきでなく、少なくとも中断を求めるべきだ」との合計は74・0%で、知事の埋め立て承認に対する批判の強さをうかがわせた。普天間問題の解決策では、県外・国外移設や無条件閉鎖・撤去を求める意見の合計が79・7%に達した。辺野古移設の支持はわずか10・0%、辺野古以外の県内移設は4・6%にとどまった。』
 菅官房長官はこうした沖縄の情勢を知ったのかどうかわからないが、10日の記者会見で辺野古への移設について「(11月の沖縄県知事選で)争点にならない。この問題は、もう過去の問題と思っている」と述べた。菅氏は知事選で反対派が勝利した場合の対応について「知事から埋め立ての承認をもらった。それに基づいて工事を粛々と進めていくのが当然だ」と繰り返したようだ。沖縄の民意や11月の県知事選に関係なく辺野古基地工事を力で「強行突破」するぞという「沖縄基地強行突破担当相」の宣言である。
 島根県選出の竹下亘衆院議員になった復興大臣の人選にも大いに疑問を感じた。東北の震災後の復興はほとんど進まず問題だらけで東北の皆さんの不満はたまるばかり。宮城・岩手・福島の皆さんは、やはり地元のことがわかっている地元選出国会議員が復興大臣になる事を望んでいると思う。事実、これまで過去の二人の復興大臣は被災者の皆さんと国の復興政策のかけ橋と言うことで地元選出国会議員であった。
 このように、安倍改造内閣は大義名分のない仲良しお手盛り人事で、国民の期待から遊離した内閣だ。それどころか、大臣19人のうち15人が保守的国民運動を展開している「日本会議」に所属する超タカ派内閣である。(英)  号案内へに戻る


 読者からの手紙
 スコットランド独立の住民投票に思う事

 9月18日、イギリス連合王国からの独立を問う、スコットランドの住民投票が行われます。9月に入ってから実施された世論調査では、賛成と反対が拮抗する結果や賛成が反対を上回る結果が示されており、イギリス政界はてんやわんやの大騒ぎです。
 イギリス連合王国は、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北部アイルランドの4つの地域が統合された連邦国家である。しかし現実には政治・経済の中心はイングランドが握っており、イングランドの影響力が他を圧倒し、国内での地域間の峻別は鮮烈であり、発音も若干異なりを他を差別するイングランド中心主義が幅をきかせています。
 実際、イングランド人はI’m an English.と発言して、英国の他の地域の民族ではない事を強調する人も多い。スコットランド独立の気運が高まっている背景として、社会のあり方に対する価値観の相違が現実に存在するのです。とりわけ独立心にとむスコットランドは、メル・キブソン主演の『ブレイブ・ハート』で知られるように、生死をかけた戦いの後にイングランドに屈服した民族の歴史を持っており、それは今でも彼らの誇りです。
 18日に行われる住民投票は、英国の他英連邦や欧州連合加盟国の国籍がある16歳以上のスコットランド居住者約400万人が有権者となっています。昨年6月末時点でスコットランドの人口は、推定約532万人。住民投票は、独立に賛成か反対かの二者択一制で実施され、賛成票が有効投票の半数以上だと独立が確定し、その場合には、英政府との交渉を経て2016年3月から独立することになる予定です。
 その政治的な背景には、2007年5月のスコットランド議会選挙で、完全な主権国家としてスコットランドを英国から独立させる事をめざす「スコットランド民族党」が第一党になった事が挙げられます。それまでの与党であった労働党と1議席の差で民族党が第一党となり、それ以降スコットランド独立の夢が急速に現実味を帯び始め、金融市場ではスコットランド独立の可能性及び英国のキャメロン政権の弱体化を云々し始めています。
 かつての英国は、「ゆりかごから墓場まで」の言葉が象徴するように、社会保障制度の充実を国是とし、18世紀の産業革命以降、自由主義の経済政策で資本主義的発展を遂げたのですが、19世紀、20世紀と時代を経るにつれ、とりわけ1929年に始まる世界大恐慌を契機として、自由主義の経済学の限界と弊害が認識され、ケインズ経済学が脚光を浴び自由主義の流れ、資本主義の流れには大きな修正の力が加えられ唱えられた、理想の社会の姿が福祉国家でした。
 こうした福祉国家を追求する思潮の流れの中で、イギリスもその先頭を走る国家となりましたが、1980年頃から「福祉国家」への批判と見直しの気運が急速に広がり、レーガン米大統領、サッチャー英首相、そして中曽根首相が福祉国家見直しの旗手として登場します。そして福祉国家を目指す政策が、イギリス人の勤労意欲と企業家精神を削ぎ落とし、いわゆる「英国病」を生んだとの批判が世界を席巻したのです。「鉄の女」とも称されるサッチャー首相は、イギリスを「福祉国家」を代表する国から、「新自由主義」を代表する国へと、大転換を図りました。
 つまり今回のスコットランドの独立をめざす運動は、サッチャリズムに代表される「反福祉国家」の政治路線に対する、「福祉国家」への回帰を求めるスコットランド社会民主主義の政治路線の挑戦と表現する事もできるでしょう。
 仮に住民投票でスコットランド独立が否決されたとしても、僅差での否決となればキャメロン英首相の保守党による政治支配に大きな脅威となり、今後の政治混乱は必至です。
 この流れを考えれば、スコットランド住民投票は極めて現実の問題です。辺野古海岸を域内とする名護市の市民が、既に市長選でも、市議選でも、米軍基地建設拒否の意思を明確にしています。この住民の意思を踏みにじって政府が米軍基地建設を強行するという事になれば、沖縄の人々が日本からの独立を真剣に討論を始めておかしくないと言えます。
 戦後の一時期、日本共産党の徳田書記長は沖縄差別に反対して「西南諸島の(日本)からの独立」を要求していましたが、天皇と言い日本政府と言い、沖縄の住民をこれ以上踏みにじるのであれば、沖縄独立運動を私は断固支持したい気持ちです。   (木村)


 読者からのメッセージ

年を重ねる毎に、本来理想的姿は陰りを帯びつつ、深い知恵と共生の道を切り開く生き方が求められる。が、私は病苦もあり、ぺシミズムに傾く。ヨーロッパと比べ、アジア、アフリカでは、中国の軍拡に対抗する日米、フィリピン等の軍事力膨張が急だ。アフリカでも、露骨な欲のエスカレート、民族、宗教、部族の不信憎悪が殺し合いへと導く。軍産複合体の暗躍と国家の支配原理である国内での人民統治と対国家を強烈に意識する軍事力を基盤に置いた絶えざる覇権ゲームだ。人間性とは善と悪の混合から生まれる矛盾・不条理の世界。古代ギリシャ民主制から本質的に進化していない。絶対的悪・愚行である戦争は、軍事技術の飛躍と野望が、無知・無関心の大衆の支えにより遅からず、未来は閉ざされるのではないか。(F)

号案内へに戻る